博士(文学)学位請求論文審査報告要旨
論文提出者氏名 岡本 由紀子
論 文 題 目 現代少女マンガにおける女性労働表象の研究-一九七〇~二〇一〇年代の作品を中心に-
審査要旨
本論文は、現代日本の少女マンガにおける女性労働の表象と、その社会的・文化的背景との関わりについて 分析・考察することを試みたものである。第一部「一九七〇~二〇一〇年代の少女マンガにおける女性労 働」、第二部「安野モヨコ論」の二部構成で、序章・終章を含む全十一章から成る約七〇〇枚の論文である。第 一部においては、大和和紀「はいからさんが通る」、柴門ふみ「東京ラブストーリー」など四作品を時系列順に 論じつつ、いわゆるウーマンリブの興隆や男女雇用機会均等法、またバブル経済や就職氷河期などのもとで、
女性の労働の物語がいかに描かれ、読まれてきたかを具体的に跡づけている。第二部においては、一九九〇 年代半ばからの安野モヨコの作品「ハッピー・マニア」など四作品における女性労働の表象を読み解きながら、
その多様性とジャンル越境的な性格のうちに、少女マンガそのものの変容が体現されていることを明らかにして いる。これらを通して、従来は恋愛や性を機軸として読み解かれてきた少女マンガに女性の労働表象という新 たな視点を提示し、語りの分析などの文学的な視座から意欲的に読み解いたこと、そして安野モヨコの作品を 少女マンガ史において新たに位置づけたことなど、緒について間もない少女マンガ研究の新しい分野を積極 的に開拓し、今後の研究の進展に寄与するところも大きい。よって本論文は、博士学位請求論文としてふさわ しい達成を示していると評価できる。以下、本論文の構成に従って、その概要と審査結果を報告したい。
まず、序章において論者は、対象とする「少女マンガ」の定義をめぐるこれまでの議論を整理しつつ、発表媒 体や作者・読者の属性に依存した従来の区別では、七〇年代後半以降の少女マンガにおける複雑化・あいま い化に対応できないことを指摘。フキダシの外の文字情報に表現の比重が置かれているか否かという表現技 法上の特徴を基準とする大塚英志説に依拠しながら、客観的な判断基準の確立を模索するとともに、文字情 報に表現の比重が置かれている少女マンガを文学として読み、分析・考察するという本論の立場を明らかにし ている。そして、これまでの研究ではほとんど注目されてこなかったが、少女マンガには一貫して「女の労働」と いうテーマが内在していることに着目し、一九七〇年代以降の少女マンガにおける女性の労働表象に焦点を あてることで、社会的・文化的な諸事象と交錯しつつ、少女マンガがどのように変容しつつあるかを明らかにし ようとする。少女マンガという新しいジャンルを研究対象とするにあたって、論者がその特性と定義、および自ら の方法とテーマにきわめて自覚的であることを評価したい。
その上で、第一部「一九七〇~二〇一〇年代の少女マンガにおける女性労働」においては、この間に発表さ れた四作品を時系列順に論じるとともに、その発展として少女マンガにおける男性像に関する分析を行ってい る。第一章「大和和紀『はいからさんが通る』論-ウーマンリブと少女マンガの紐帯」では、この作品が大正期の
『青鞜』時代の女性像を描きながら、ウーマンリブの新しい運動を背景に、過去と現在の時空を交錯させつつ
「女の労働」というテーマを前景化したことを指摘する。続く第二章「柴門ふみ『東京ラブストーリー』論-対幻想 を超克するヒロイン」では、男女雇用機会均等法の施行によって「女の労働」に光が当てられた時代の作品で ありながら、むしろ女主人公の恋愛や労働と都会的・先進的な環境との摩擦や違和が描かれていることを、一 世を風靡したドラマ版と比較しつつ論じる。また第三章「西炯子『娚の一生』論-「娚」の労働と恋愛をめぐって」
では、「男」でも「女」でもなく「娚」として働き生きるキャラクターを通して、少女マンガ的恋愛規範を乗り越えよう とする二〇〇〇年代以降の少女マンガのあり方を検証している。さらに第四章「東村アキコ『主に泣いてます』
論-「女であることの困難」を生きる」では、美貌ゆえに社会での居場所を失った無職の女性が、社会的弱者に よる「選択縁」を拠り所として生きていく意味を、少女マンガにおけるシンデレラストーリーの弱体化の文脈で分 析する。そして第五章「モブ化するイケメンたち-少女マンガの王子様像をめぐって」では、女主人公の職業選 択や恋愛における主体性の獲得が、一方で多種多様な男性像を作品に登場させていることを指摘する。
氏名 岡本 由紀子
次に第二部「安野モヨコ論」においては、一九七一年生まれの作家安野モヨコが、多様な媒体に発表してい るさまざまな作品において「女の労働」を繰り返し描き続けていることに注目し、その四作品を取り上げて論じ る。現代の少女マンガにおけるジャンル横断と越境への志向を検証するとともに、岡崎京子らに比して論じられ ることの少ない安野モヨコを研究の対象として新たに評価し、少女マンガ史に位置づけようとする試みである。
すなわち、第六章「『ハッピー・マニア』論-「少女マンガ」からの逃走」では、仕事より恋愛を優先させる価値基 準をもつ女主人公が、恋愛から結婚へというライフコースを拒否することになる「ねじれ」に着目し、少女マンガ において少女マンガ的な価値規範からの逃走が図られていることを明らかにしている。続く第七章「『ジェリー イン ザ メリィゴーラウンド』論-交錯するファッション/フィクション」では、少女マンガの「異性装」の系譜に着 目し、主人公のファッションによる身体イメージの最編成のプロセスが、作品自体のフィクション性を暴き立てる ことになる構成の特異さを論じている。第八章「『脂肪と言う名の服を着て』論-一般職コミュニティにおける「ダ ブルバインド」」では、一九九〇年代において企業の一般職に従事するOLたちの労働の現実が、男性を活動 の主体とするジェンダー秩序のもとで冷徹に描かれていることを指摘。そして第九章「『働きマン』論-「ロストジ ェネレーション」の「自己」とは何か」では、「ロストジェネレーション」世代の女主人公が自己の不安定・不確定 性をいかに扱っているかを、その労働のありかたを通して検証している。
これらを通して、本論文においては、第一に少女マンガという新しいジャンルを積極的にとりあげ、その特性 と定義を明らかにしようと試みていること、第二にその少女マンガを女性の労働表象という新しい視点で論じる ことにより、一九七〇年代から二〇一〇年代にいたる歴史的・社会的・文化的文脈に位置づけようと試みてい ること、そして第三に従来は研究対象として論じられることのなかった安野モヨコを、現代の少女マンガを考察 する重要な指標として新たに評価していることなど、少女マンガを研究の対象として位置づけようとする意欲的 な試みは、高く評価される。
しかしその一方で、少女マンガを文学研究の視座で論じるという姿勢が、それぞれの作品の内容やテーマ の考察に偏し、それがどのように形象化されているのか、グラフィックを主体としたマンガのコマ割りやフレーミン グ、フキダシなどの具体的な表現技法の考察や、男性マンガにおける描かれ方との比較検討などが不十分で あることは、今後の課題といわなければならない。また、「女性労働表象」として取り上げられている上記の作品 が、OLやファッション産業の従事者などを主人公とするものが大半で、いわゆるシャドーワークなど今日の多 様な「労働」のあり方に目が向けられていないことや、労働表象と恋愛表象との関わりをどのように考えるか、今 後研究を進めていく上では、論者自身の「労働」に対する考察をより深めていくことが求められる。「少女」「女 性」「女」といった用語・概念の曖昧さや、一九七〇年代から二〇一〇年代を対象としながら、実際には一九七
〇年代の考察が希薄であること、同時代の読者の受容という観点からの考察が必要であることも、指摘された。
本論文には、こうした問題点も多く、今後の課題も少なくないが、少女マンガを研究対象として位置づけ、作 品研究の新たな視座を提示しようとする意欲と問題意識は評価に値する。また、新興の分野を開拓するにあた って、今後の研究の進展に期待するところも大きい。よって審査委員会は、本論文が「博士(文学)」の学位を 授与するにふさわしいものであることを、全員一致で認定した。
公開審査会開催日 2015 年 4月 7日
審査委員資格 所属機関名称・資格 博士学位名称 専門分野 氏 名
主任審査委員 早稲田大学政治経済学術院・教授 日本近現代文学 宗像 和重
審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 音楽文化論・文芸批評 小沼 純一
審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 ドイツ文学・ジェンダー論 松永 美穂 審査委員 目白大学人間学部・教授 博士(文学)日本女子大学 日本近現代文学 久米 依子 審査委員