著者 本田 康二郎
雑誌名 社会科学
号 84
ページ 89‑102
発行年 2009‑07‑31
権利 同志社大学人文科学研究所
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011765
1.は じ め に
かつて人類を工作人(ホモファーベル
homofaber
)という名前で特徴づけた学者た ちがいた。確かに我々の先祖はその始まりから道具を用い,自然を加工して必要なもの を作ってきた。我々は我々の環境を様々な制作物で満たし,快適な人工物環境を作って きたと言えるだろう。ところで,現代社会に生きる我々はどうであろうか。このホモファー ベルという名前に相応しい生活をしているであろうか。たしかに,我々は今も昔と変わ らず人工物に満たされた生活をしている。家,机,自動車,電子レンジなど。しかし,その中に我々自身が工作したものはいくつ含まれているだろうか。我々はかつてほど工 作する者ではなくなっているのではないだろうか。
今我々の生活を取り巻いている人工物はどこからやってきたのであろうか。多くの場 合,それらは購入されたものである。我々は自分で工作するのではなく,人工物を市場 から購入してくる。そのこと自体は便利なことなのだが,ひとつひとつの人工物を我々 89
《研究ノート》
人工物の哲学とランドマーク商品論
市場を介して流通するテクノロジーとリスク
本 田 康二郎
現代社会に流通している多くの商品を見ると,それらが最新の科学技術を元に開発 されたものである場合が多い。ある種の商品がランドマーク商品として不可逆的に普 及し,消費者の生活スタイルを変容させていく現象を考えようとするとき,その原因 を科学技術の特性との関連から分析する必要があるのではないだろうか。
本論文では,科学技術が生み出す産物を特徴づける概念として,「具忘性」と「技 術的媒介」という二つ概念を導入する。具忘性とは,科学技術を基礎とした商品の使 用が,ある種の目的を達成するために必要であるはずの知識や技能を我々から忘却さ せるという性質を持つことを表した概念であり,技術的媒介とは,科学技術の産物が 我々の行為を誘導したり規制したりする力を持つことを表した概念である。これらの 概念を用いることで,商品のランドマーク化が発生する原因を分析したい。その上で,
こうした分析が,資本主義経済システムのリスクを考察する上で役立つ可能性がある ことを示唆したい。
自身が工作することはないということが何を意味するか,考えてみる必要があるであろ う。我々は能力においては,どんなものでも作れるかもしれない。しかし,実際にはそ れは不可能である。現代社会に流通している人工物の多くは,様々なハイテク技術の結 晶であり,それらを自前でつくることには無理があるのである。何故ならば,あらゆる ものを工作できるためには,無限大の知識と技能を必要とするからである。従って,我々 に許されるのは,市場が用意したいくつかの選択肢の中から一つの商品を選ぶことであ る。
つまり,現代において我々が人工物環境の中に生きるということは,我々が他者の知 識や技能や労働に深く依存して生きることを意味している。もし,この依存症を克服し ようとするならば,我々は便利な人工物の環境を捨て,自然の中に帰らなければならな いわけだが,それは多くの人間にとって望ましいことではないであろう。それゆえ,こ の依存症はいわば必要悪として受け入れなければならない。しかし,これを受け入れる ことで不安感に付きまとわれることになるのである。
フランスのテクノロジーの思想家ポール・ヴィリリオは以下のように指摘している1)。
船の発明が沈没事故を生み出し,鉄道の発明が脱線事故を生み出すように,新し い技術革新は必ず新しい事故を生み出します。〔中略〕技術の肯定面ばかりを強調 するポジティヴィズムの思考は,そうした裏返しの発明の歴史を隠ぺいし,重大な 無知と危険を招くことになります。
彼の言うような船や鉄道といった大規模な技術製品だけでなく,現代の我々の日常生活 に広がる細々とした商品についても,同じことが当てはまるであろう。商品の欠陥,商 品の偽装といった無意図的,あるいは意図的な失敗は,我々の時代の脅威となってきて いる2)。それは,科学技術が係わる商品があまりに広く普及しているわりに,非専門家 である一般市民は,その商品の中身について十分な情報や知識を知らされていないこと に起因する脅威と言えるだろう。市民社会は,自らの運命を自己決定していると感じて いるときには,なんらかのリスクがあったとしてもそれを受け入れることができるであ ろう。ここでの問題は,商品に関する情報が不十分であるために不安が拭えないことに ある。
本論では,人工物が市場を媒介して流通することの意味を問い直し,それにより,現 在の状況が我々の生活にもたらす潜在的なリスクについて考察することを試みてみたい
と思う。その際,我々の生活スタイルや価値観を変更するほどの力をもつ商品として定 義されたランドマーク商品という概念を,人工物哲学の知見を用いて分析することによっ て,この考察の助けとして用いることにしたい。
2.商品として運命づけられた人工物
2. 1
商品としての運命人工物は,単なる趣味として個人的に制作される場合を除いては,販売を目的として 製作されると考えてよいだろう。特に,企業が独自の技術を用いて何らかの人工物を製 作する場合,その人工物は以下のような宿命を背負わされていると考えることができる であろう。
・それは,普及させるために(売るために),企画され生産される。
・それは,広告を伴って,それが実現するライフスタイルをともなって販売される。
・それは,開発資金の回収を前提として,販売される。
つまり,商品として販売される人工物は,よかったら買って下さいというような控え目 な性格を持っているのではなく,それを見たら欲しくなるような強い誘惑を持つもので なければならない。不特定多数が受け入れるだけの何らかの魅力的なイメージを持ち,
その使用を促す特性を持っている必要があるのである。その特性の根源は何であろうか。
これをテクノロジーとの関連で考察してみなければならない。
2. 2
現代の商品の特徴とテクノロジー一般的に言って,道具はそれを使用するための身体的技能を獲得しなければ使用する ことができない。これに対し,機械仕掛けの機構をそなえた装置の使用は,この身体的 技能の獲得をほとんど必要としないか,あるいはそれに必要な努力を著しく軽減させる。
すなわち便利なのである。テクノロジーはその便利さゆえに,まず生産技術として活用 されたといえるだろう。例えば,布は手工業の時代には機織り機で作られていたが,産 業革命以降は自動織機により大量生産されるようになった。新しいテクノロジーは第一 に大量生産を可能にする手段として用いられたのである。
自動織機のような機械仕掛けの機構はテクノロジーという言葉で表す対象の代表であ る。しかし,この言葉の適用範囲はそれに留まらない。たとえば,現代の布の原料であ る化学繊維を生み出す場合を考えてみよう。石油化学の産物である化学物質を大量に合
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成し,それを伸長させて繊維の形にする場合,それを行う化学プラントの全てもまたテ クノロジーと呼ばれる。物理・化学的知識の応用から得られる生産技術としてのテクノ ロジーは,それまで家内制手工業で作っていた商品の性質を向上させ,またそれを大量 生産することを可能にした。
この生産技術としてのテクノロジーは,工場あるいは研究所に設置されているもので あり,それが直接家庭の中に入り込むことはなかったと言えるであろう。テクノロジー が生み出された当初は,その産物たる生産品のみが家庭に入っていったのである。
ところで,テクノロジーの特徴を単なる生産技術に限定するのは早計である。現代の 我々が購入する商品の中にはテクノロジーそのものと言えるものが含まれている。例え ば,代表的な商品である自動車は内燃機関,電子部品,車体その他を組み上げた,機械 仕掛けそのものである。あるいは,携帯電話にしても,素人に理解できるような単純な 機構ではなく,高度な機械技術や電子技術の集積物である。このように,現代社会にお いては,テクノロジーは商品を生み出す手段として工場の中に囲みこまれているだけで なく,それ自体が商品としてパッケージ化されて市場に出回っているのである。そして,
この場合はテクノロジーそのものが家庭に入り込んでいくことになっているのである。
このことが,現代の商品の特徴といえるであろう。つまり,現代の商品はテクノロジー のもつ便利さを宿しており,その便利さ自体を商品化したものであると考えることがで きるわけである。
2. 3
商品を普及させる力生活必需品のほぼすべてを市場から購入している先進諸国の現代人の生活を考えると き,テクノロジーは人工物として生産されたあらゆる商品を介して市民生活に影響を与 えると言えるであろう。ここで,特に我々の生活に大きな影響を与えた商品を探し,そ の商品がもつ特異な地位が何に由来するのかを問うことで,議論の焦点を絞ることがで きるようになるであろう。生活習慣を変えるほどの力を持つ商品という問題設定は,商 品史の分野で取り上げられてきた。そして,生活に画期的な変化をもたらした商品を他 の一般的な生活必需品と区別するために「ランドマーク商品」と名付け,実証・理論の 両面から研究する試みが始まっている3)。このランドマーク商品とは何であろうか。石 川はこれを「単なるヒット商品,ベストセラー商品,ロングセラー商品とは違って,生 活スタイルや価値観の変化にとってランドマークとなるような商品,つまりその商品が 世に出ることによって,それまでのスタイルを一変させた,変容の画期となった商品4)」
と定義している。ある商品が,生活スタイルや価値観の変化を引き起こす力を持つとす れば,その力は何に由来するのであろうか。そこにはその商品の開発や製造にかかわっ たテクノロジーが大きく関与しているはずである。
石川は,「商品を買うとは,手間と時間を買うことにほかならない5)」と指摘してい る。この手間と暇の省略という論点を,テクノロジーの持つ特性として挙げた二つのキー ワードである,「具忘性」と「技術的媒介」という概念を用いて考察してみたい。
2. 3. 1
具忘性(InherentObl i vi ty
6))自給自足生活について想像してみよう。家をたて,畑を作り,食材確保のための狩や 採集をし,食器をつくり,家具をつくり,布を織り,服を縫う。これらすべてが生活す る者にとって必要であり,それら全てを自身で行うため,自給自足生活者は生活を維持 していくための手段について全て知っている。これに対して,市場から商品として生活 手段を得る人間の生活はどうであろうか。服を着てファッションを楽しむという目的を 満たせば十分であり,服を購入する時にナイロンの合成法を意識する人は少ない。また,
自動車で遠距離を自由に移動するという目的を満たせば十分であり,自動車を購入する 時に熱力学を学び,内燃機関の仕組みを知る必要はない。本来,自然を利用し,そこか ら生活手段を得るためには,それについての知識と,それを加工する技能と,実際に加 工する手間と時間が必要であった。しかし,商品として出回っている人工物は,これら すべてを省略させる。つまり人工物は忘却させる力能を持つわけである。
読者は,消費者があらかじめ学ぶことを怠らなければ,忘却することはないと考える かもしれない。ところが,テクノロジーを基礎として開発されたあらゆる商品について,
そのすべての製作過程を知ることは現実的に不可能であると思われるのである。この点 をもう少し詳しく論じてみよう。まずは近代科学の特徴を思い起こさねばならない。
デューイの言葉を借りれば,「実験的科学にとって,知るということは知的に管理さ れた一種の行為である7)。」近代科学において知識の客観性が保証されるのは,その知 識が実験的な検証に耐える場合のみである。ある種の自然現象が発見されるということ は,その自然現象を何度でも再現し管理するための実験装置とそれを扱う技能が獲得さ れたことを意味している。つまり,科学的な知識の集積の歴史の土台には,自然を制御 するために生み出された実験装置の歴史が存在しているわけである。実験機器は,何ら かの現象の再現性を生み出すために製作されるもので,商品として作られたわけではな い。しかし,技術者は科学が意図せずに生み出した自然制御の技術と技能を,何らかの
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機能へと翻訳していく。様々な機器が組み合わされ,より複雑な機能を担わされていく と,それが商品へと姿を変えていく可能性を持つことになる。近代科学は自然界の真実 を追及する営みであるという。しかし,それは利潤追求とは関係ない素振りをしながら,
実験機器の開発の内に技術開発につながる可能性を持っているのである。知識の蓄積の 営みと商品開発の営みは,機器開発によって結びついているわけである。
実験装置について深い洞察を行ったベアードは,実験装置そのものを「物知識」と呼 んでいる。彼の言葉をかりると,「特性記述と制御,人間の主観的知識と技能を,物の―
機器の―形にカプセル化することが,現代科学技術知識の根本成分となっている8)」の である。問題は,彼の言うカプセル化である。ある種の自然現象を制御するためのノウ ハウは,それがカプセル化されるときに開発者以外からは見失われてしまう。残るのは インプットとアウトプットだけであり,残りのすべてがブラックボックス化されてしま うのである9)。ハイテク商品が,このノウハウをブラックボックス化した物知識の配備 によって開発されるということを認めるならば,我々があらゆる商品に対してその中身 を把握しようとすることが実際的には難しいことがわかる。それには無限大の時間が必 要となってしまうのである。このように近代科学が生み出した知識は,物知識の形をとっ て商品の中に入り込んでいる。この知識の由来を問わなくとも,ある人工物の機能を利 用することは可能である。したがって,人工物が生み出される上で必要だったはずの開 発者の知識や技能は忘却され思い出されることはないのである。
我々は上記のように,近代の科学技術が係わった人工物の使用には,知識と技能の忘 却が伴うことを見たわけだが,人工物の使用に際してもう一つ別の忘却が存在している ことを指摘しておかなければならない。火を起こすという簡単な例で考えてみよう。我々 は火を起こすのに,木と木をこすり合わせるであろうか。マッチやライターを使用する のが常識的であろう。マッチやライターの使用に慣れ,その存在が当たり前になると,
それらがなければ火を起こすことができないと錯覚するようになる。原理的にはマッチ がなくとも火を起こすことは可能なのだが,そのことを忘却させられてしまうのである。
ある種の人工物の使用が,ある目的を達成するために必ず経由されるようになると,そ れ以前にそれを達成するのにかけていた手間暇が忘却されてしまうということも言える であろう。
テクノロジーが生み出した人工物を使用することには,二重の忘却が伴っているとい うことが言えるのではないだろうか。すなわち,人工物の製作を他人の知識と技術に委 ねたことにより,自分自身でそれらを再構成することが難しいという意味での忘却と,
その人工物が与えてくれた便利さと裏腹に,それまで生活の目的を達成するために自分 が持っていた知識や技能が見失われてしまうという意味での忘却が,我々にとって不可 避になると考えられるのである。
この人工物に伴っている二重の忘却構造を,我々は人工物の「具忘性」と呼ぶことに しよう。
2. 3. 2
技術的媒介(Technologi calMedi ati on
)ここからは,人工物の機能について考察してみよう。ある種の人工物は,我々の知覚 を媒介し,場合によっては世界の我々に対する現れ方に大きな影響を与える力をもつ。
例えば,メガネをかけることで,視力を弱めた人はそうでない人と同じような世界の現 れを体験することができる。また,温度計のように,熱さそのものを与えるのではない が,その表象を与えるような人工物もある。これは,世界を解釈する手がかりを与えて くれるような人工物である。いずれにせよ,知覚を媒介する人工物は,何らかの知覚を 選択的に増幅したり減退させたりする。
また,ある種の人工物は我々の行為を媒介し,ある種の行為を選択的に誘導したり抑 制したりする力をもつ。それらの人工物には行為の筋書き(scri
pt
)が書き込まれてい る(inscri bed
)わけである。例えば,扉に取手が付いている場合とそうでない場合を 考えてみよう。取手が付いていれば,引いて開ける扉であることが理解されるであろう し,そうでない場合は押して開ける扉であることが理解されるであろう。ラトゥールは 人工物に登録されている筋書きというアイデアを,道路にあるスピードバンプ(人工的 な起伏)を例に考察している10)。スピードバンプは,運転士に対してブレーキを踏むこ とを指示する力を持っている。スピードを落とさねば,自動車が跳ねて危険な状態にな るからである。人間の行動は,人間の自由な意思だけで決まっているのではなく,人間 が活動する環境の制限に影響されながらきまっていく。そして,人工物は人工的な環境 となって,我々の行動に指示を出したり,それを補助したりするわけである。人工物の もつ知覚の媒介と行為の媒介を,これ以降は合わせて「技術的媒介」と呼んでおこう。2. 3. 3
ランドマーク商品化ある商品が不可逆的に普及し,生活スタイルに大きな影響を及ぼすようになることの 原因を考える上で,上に考察した具忘性と技術的媒介という概念がどのように役立つで あろうか。
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具忘性の概念は,人工物が複数の人々の知識と技能を集積し,カプセル化した物知識 であり,それらの知識や技能を一般の消費者が完璧に再現することは望めないというこ とを意味していた。また,マッチやライターの例で見たように,生活の中に人工物を取 り入れることで,便利さが増すとともに,その人工物を使用するよりも前に持っていた 自分自身の知識や技能が見失われてしまうということをも意味していたのである。知識 と技能を具現化した商品を生活の中に受け入れ,その技術的媒介を頼りにするようにな ると,そのような商品の使用を中断し後戻りするということが困難になる。ハイテク商 品の本質が手間暇の省略にあるのならば,技術が省略した手間暇を再び手元に戻すこと は,原理的には可能であるとしても,現実的には難しくなるといえるであろう。このこ とが不可逆的にある種の商品を普及させる力となるのである。
また,個々の人工物は互いに関連をもちはじめ,それらは文法構造のような体系11) を作りだすことがある。例えば,自動車製造技術とガソリン精製技術さらに道路建設技 術は互いに強い関連を持っている。そのどれか一つが欠けても自動車で自由に移動する ことがかなわない。人工物がこのように体系を持ち始めると,その内のどれか一つだけ を拒否することが難しくなってくることも理解できる。人工物のもつ技術的媒介の力は,
我々の世界に対する解釈と世界の側からの我々への指示を両立させながら,互いにネッ トワークを構築し,我々がそこで活動する環境そのものとなって定着していくのである。
ある種の人工物が普及してしまうと,人々はそれなしで生活することが想像できなくな ると考えることができるわけである。
以上のように,生活スタイルを不可逆に変更するある種の商品のもつ力は,人工物の 特性として挙げた二つの概念によって,ある程度まで説明することが可能であるといえ るであろう。商品の持つ魅力は,テクノロジーによる手間の省略と,その媒介作用によ る行動の選択肢の増加にあるといえる。また,その普及の不可逆性は,技術のもつ忘却 構造と,その媒介作用の自発的な体系化から説明することができるであろう。つまり,
これら二つの特性は,ある種の商品をランドマーク化させる原因とも言えるのではない だろうか。
3.市場とテクノロジー 市場社会の潜在的リスク
3. 1
利益の源泉としてのテクノロジーテクノロジーは,知識やスキルを物知識として商品の中に隠しいれる。消費者が金銭
をはたいて買い求めるのは,このブラックボックスに入った知識やスキルが結果として もたらす商品の機能である。ここで,ブラックボックスを開いて知識やスキルを盗み出 すことができないという意味で,開発者と消費者の所有する情報(知識やスキル)の間 には常に格差が存在することになる。そしてテクノロジーの生み出すこの情報格差は企 業にとっての利益の源泉となるのである。従って,現代の企業の多くにとって技術開発 は不可欠の要素になっているわけである。
3. 2
選択に係わる圧力前に,人工物は相互に関係をもち,それらが一つの体系をなすがゆえに,ある種の商 品を一つだけ取り出して拒否することは難しいと述べたが,ここでは機会費用という別 の視点から同じ問題を考察してみよう。例えば,急速に普及した携帯電話を使わない生 活をすることを考えてみよう。携帯を持たない人が外出先から電話をする場合,公衆電 話を探さなければならない。しかし,台数を減らされた公衆電話を探すのにはそれなり の時間がかかる。たとえば,それで一時間ロスをしたとするなら,自給千円のサラリー マンが電話にかけた実質的なコストは電話料金+1,
000
円ということになる。これは経 済学者の言う「機会費用」を支払っているということになる。これを避けるために,多 くの人が携帯電話を持ち,公衆電話の減少が加速していくという自己再強化のプロセス が発生する。商品は「個人が望んでも,皆が望まなければ市場から姿を消してしまう。また望んでもいない商品に支えられた生活が,皆がそれを望むからという理由で押しつ けられるという事態が起こりうる12)」わけである。
以上のように,商品は市場からの一定の圧力を持って我々の生活に侵入し,それを変 化させる力を持っているわけである。ある種の商品のランドマーク化の原因を考える上 で,人工物のもつ忘却と媒介の力能,さらに市場のもつ選択への圧力という視点がどち らも重要であるように思われる。そして,商品がある種の強制力を持ちえるのならば,
次に市場社会が潜在的に持っているリスクについて考察する必要が出てくる。
3. 3
市場の潜在的リスク市場経済がうまく機能すれば,企業間の競争は商品の価格を下げるし,また質の悪い 商品は市場から駆逐されるであろう。質の悪い商品が出回らないための条件は,消費者 が商品の質を判断することができるということである。消費者がある商品を選ばなくな れば,その商品は必然的に市場から姿を消さざるを得なくなるはずである。したがって,
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健全な市場経済を確立するには,消費者が商品の安全性や性能に関する情報を理解でき る必要がある。しかし,人工物の特性のうち,具忘性のことを思い出してみると,消費 者があらゆる商品に関してこのような情報を把握することが実際的には不可能であるこ とがわかる。人工物は物知識の集積物であり,それが担っている知識やスキルを開示す るためには専門的なトレーニングを必要とするのであり,誰もがそれを開示できるとい うわけではない。したがって,一般の消費者がその安全性を把握することは難しくなる わけである。
消費者がハイテク商品を躊躇なく購入できるのは,その機能が優れているからである が,さらにその安全性が暗に保証されていることを信じているからである。商品の開発 に係わった専門家の知識と技能を信じ,それが安全であると信じているがゆえに,商品 の機能にのみ注目して商品選択をすることができるわけである。しかし,その商品が安 全であるかどうかについて,ほとんどの消費者は購入時点では自分でそれを判断するこ とができない。
人工物の開発者と消費者の間には,安全性に関しても常に情報格差が存在しているの であって,その格差を埋めることは容易ではない。このことは,たとえば原料や仕組み の上で何らかの欠陥があったとしても,すぐれた機能を持っている商品ならば流通し我々 の生活に入ってくることを意味している。つまり,欠陥が発見されるまでは,市場経済 が本来持っている相互監視機能が健全に作動しないということを意味している。これが 市場の抱える第一の潜在的リスクであり,これを「非対称情報のリスク」と呼ぶことに する。
近代の経済システムでは匿名性が保証されていると言われる。すなわち,売り手と買 い手の間に,何らかの人間関係がなくとも交換が成立するのがその特徴である。人工物 の流通を考えるとき,この匿名性が悪用される恐れがある。人工物の特性である具忘性 のおかげで,消費者が商品の中身を判断することができず,市場に備わっているはずの 監視機能は作動しない。そのことに加え,市場を媒介した匿名の交換のおかげで,売り 手は買い手の顔を想像する必要がない。この状況は偽装などの不正行為を誘発しやすい 環境を作っていると言える。これが市場の抱える第二の潜在的リスクであり,これを
「匿名性のリスク」と呼ぶことにする。
さらにもう一つのリスクについても考えよう。コスト削減を実現し,利益を最大化す ることを目指す企業は,必然的に大量生産を志向することになる。商品としての人工物 も大量生産され,大多数の消費者によって利用されていくことになる。ある商品のもつ
技術的媒介の力が大きければ大きいほど,より多くの消費者がその商品へ依存し,それ を自分の生活の土台に据えていく。しかし,もしこのような商品が普及した後で,何ら かの欠陥が発生した場合,その被害の規模は莫大なものとなる。具忘性のおかげで,欠 陥が発見される前に商品が普及してしまう可能性は否定できない。その場合には,市場 の規模が大きいほど,リスクの規模も大きくなるわけである。これが市場の抱える第三 の潜在的リスクであり,これを「規模のリスク」呼ぶことにする。
人工物の特性と,市場の機能をつなげてみると,上記のような3つの潜在的リスクが 存在していることが考えられる。PL法はこのようなリスクを回避するひとつの助けに なるが,それによってこの問題が完全に回避できるわけではない。開発者と消費者の間 の情報格差の問題と市場原理の欠陥を考えるとき,科学者やエンジニアの責任が改めて 問い直されなければならない。
4.ま と め
本稿において,ある種の商品が不可逆的に普及し我々の生活スタイルに影響を与える 原因について,人工物の特性から考察した。我々は近代科学が生み出した人工物の持つ 特性を,「具忘性」と「技術的媒介13)」という二つの言葉で表現した。具忘性とは,人 工物が開発されるさいに動員された知識やスキルが商品の中にカプセル化されて忘却さ れること,さらに人工物を生活に導入することで,かけていた手間暇に当たる生活者の 知識や技能が忘却されることを意味している。技術的媒介は,人工物のもつ知覚媒介作 用と行為媒介作用を表現している。この技術的媒介のおかげで,人工物は我々の世界に 対する解釈に影響を与えたり,また特定の行為を誘発するよう指示したりする力を持ち えることが考察された。
これら二つの特性と市場原理を合わせて考察するとき,人工物が商品として流通する ことにつきまとう潜在的なリスクが予測される。我々はそれらを1)非対称情報のリス ク,2)匿名性のリスク,3)規模のリスクと名付け考察した。非対称情報のリスクは,
消費者が商品の安全性を把握することができないことに係わるリスクであり,匿名性の リスクは偽装などの不正行為を誘発しやすいという市場経済の仕組みに係わるリスクで ある。最後の規模のリスクとは,欠陥等が把握されないまま商品が広く普及してしまう 可能性があるという構造上のリスクを表している。
科学技術がもたらすリスクについては,以上のように人工物の特性と市場経済の特性
人工物の哲学とランドマーク商品論 99
の両者をおり混ぜて考察していくことで,より深い議論が可能となるのではないだろう か。科学者や技術者の社会的責任を議論する際,彼らが市場経済の中で果たしている役 割を明確にする必要がある。自然研究や技術開発がブラックボックスの中で行われてい るのに比して,その成果は我々に多大な影響を与えている。ブラックボックスの蓋を開 け,市場経済社会の中での彼らの立場を明確に把握する必要がある。本稿のような試み は,そうした試みの端緒であるといえる。
とはいえ,我々は未だ多くの問題を残している。例えば,今の議論の枠組みだけでは,
高度なテクノロジーを用いて開発された商品のうち,特定の商品のみがランドマーク化 し,それ以外がなぜ市場から撤退することになるのか理由を究明していない(例えば,
βビデオとVHSビデオの競争)。また,ランドマーク化の原因を人工物の特性のみで 説明することにも限界がある。たとえば,生活習慣や宗教観が消費者の商品選択の基準 にどのように影響を与えるのかといった考察が空白のままである。
しかし,特定の商品がある種の強制力をもって我々の生活に影響を与えていくという 現象についての考察は,社会を人とモノの交流の場と見る近年の科学社会学や人工物哲 学14)の研究分野にとっても実りある話題を提供してくれることは間違いがない。人工 物の特性と消費者の行動を合わせて研究する試みは今始まったばかりである。科学社会 学や人工物哲学の知見と,ランドマーク商品論の知見,さらに経済学の知見を交流させ ることで,今後は「人工物の社会学」と言えるような研究領域を開拓していくことがで きるのではないだろうか。
注
1)浅田彰(1994),p.154
2)この時代を科学技術のもたらすリスク社会であると論じた著作をあげるとすれば,ウルリ ヒ・ベック(1998)の『危険社会』(法政大学出版局)が代表的である。
3)石川(2004a),(2006),(2008)にこれまでの研究成果が集約されている。同志社大学人 文科学研究所第5研究会(代表:石川健次郎)を中心として,1995年より行われてきた討 議を元とする研究成果。
4)石川(2004b)p.10参照。また,鍛冶(2004)は,このランドマーク商品という概念の意 味の変遷を要約している。現段階で,この言葉は作業仮説のように決定的な定義を担わず に使用されている。技術哲学の視点から新たな定義を提出することも可能であろう。
5)石川(2004b)p.9.
6)oblivityは,oblivi(on)(忘却)+ty(性質を表す接尾語)の形から作った造語である。
日本語で表す時は,技術に内在する忘却構造という意味で,具忘性(ぐぼうせい)という
人工物の哲学とランドマーク商品論 101
言葉を当てることにしたい。
7)Dewey(1920),邦訳p.108 8)Baird(2004),邦訳p.190 9)Latour(1999),邦訳p.340
10)Verbeek(2006)p.366参照。Latour(1999)の第6章にさらに詳しい考察がある。
11)森田(2006)p.11参照。
12)森田(2006)p.17より引用。
13)Verbeekはこの技術的媒介の概念を,彼の非人間中心的倫理学へ拡張させていっている。
彼によれば,倫理的意思決定の主体は意識に限定されない。人間の行動はつねに技術によっ て媒介されているので,人間の行動を適正に導く技術の設計が必要になるという。また,
新しい技術開発が,あらたな倫理的判断を迫ることがある(例:出生前診断技術)のだか ら,そもそもどのような技術開発が我々の望む生活にとって重要なのか考えていく必要が あるとも語っている。Verbeek(2009)参照。
14)ラトゥールは社会生活における人工物の役割や,それに基づく人の行動を,人とモノのハ イブリッドと名付けて考察している。特にLatour(1999)の第六章を参照のこと。
参考文献
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