岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第30号(2010ll)
治療中止における本人の同意 と家族の要請
一川崎協同病院事件 (最高裁第三小法廷平成21年12
月
7日決定、判時2066号159頁)‑
IstheDiscontinuationofMedicalTreatmentwithout patlent'sInformedConsent(Self‑determination)excusable?
‑Kawasaki‑KyodoHospltalCase(SupremeCourtDecisionof7December2009)‑
宍戸 圭介 SHISHIDO,KelSuke
【事実の概要】
川崎公害病認定患者であるAは、平成10年11月2日、気管支鴨息重税発作により心肺停止状態 とな り、主治医Ⅹ (被告人)の勤務する川崎協同病院に搬送 されたoAは、「気管支哨息重科発作 に伴 う低 酸素脳損傷で、大脳機能のみならず脳幹樺能にも重い後退症が残 り」、事件の起 こる同月16日まで深い 昏睡状態にあった0
16E】午後、Xは、気管内チューブの抜管が家族の希望である旨の要請をAの妻か ら受け、本件抜管 を決意 した。同日午後6時ころ、Xは、Aの家族が鎮 まっていることを確認 した上で、「回復 をあきら めた家族か らの要請に基づ き」、Aが 「死亡することを認識 しなが ら」、呼吸確保の措置を探 らないま ま気道確保のため挿入 されていた気管内チューブを抜管 したo ところが、予期に反 して.Aが体 をの けぞ らせて苦 しそ うな呼吸 をする等の反応 を見せたことか ら、Ⅹは、鎮静剤 (セルシン及び ドルミカ ム) を多丑投与 したものの改善が見 られなかったので、同僚医師に助言 を求めたoXは、同人か ら筋 弛緩剤 (ミオブロ ック)の使用につ き示唆を得たため、午後7時ころ、事情 を知 らない准看護師に命
じて同筋弛韻剤 を静脈注射により授与 し、Aを死亡 させたO
検察官は、抜管行為及び筋弛緩剤の注射行為 につ き、殺人罪でXを起訴 した。
第一審の横浜地利平成17年3月25日 (判夕1185・114)は、家族の要請がなかったとの事実認定をし た上で、終末期において治療中止が許 される要件 として,「患者の自己決定椎の尊重」及び 「医師の治 療義務の限界」を提示 し、本件ではこれらの要件が ともに満たされていないとして、Xに懲役3年 (敬 行猶予5年)の判決を言い渡 したo
控訴審の東京高判平成19年2月28日 (判夕1237・153)は、今 日、治療中止行為 を適法 とする根拠 と して 「患者の自己決定権」 と 「医師の治療義務の限界」 とが掲げられていることにつ き、これらのア プローチに各 々限界があることを述べた上で、たとえこのようなアプローチを仮定 したとしても、本 件ではその前提 を認定で きないため、Xの行為は正当化できない とした。 しか し、家族か らの要請が あったことは否定で きないこと等 を理由に、懲役1年6月 (執行猶予3年)に量刑が変更 されている。
39
治療中止における本人の同意と家族の要請 宍戸圭介
【決定要 旨】
上告棄却。
最高裁は、上告趣意のうち判例違反の主張については、「事案を異にする判例」の引用であ り本件に 適切でない とし、「その余 は、憲法違反 をい う点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張で あって、刑訴法405条の上告理由に当たらない」 とした。
しか し、凝高裁は原判決の認定 した事実及び記録の主要部分 を再度繰 り返 し確認 した上で,本件抜 管行為の違法性に関 し、職権で以下のように判示 した。
「被告人は、終末期にあった被害者 について、被害者の意思 を推定するに足 りる家族からの強い要請 に基づ き、気管内チューブを抜管 したものであ り、本件抜管は、法律上許容 される治療中止であると 主張するO」
しか しなが ら、入院後、本件抜管時までに、被害者の 「余命等 を判断するために必要 とされる脳波 等の検査 は実施 されてお らず、発症か らいまだ2週間の時点で もあ り、その回復可能性や余命につい て的確 な判断を下せる状況にはなかったものと認め られる。」そ して、「被害者は、本件時、こん陸状 態にあった もの」であ り、「本件気管内チューブの抜管は、被害者の回復 をあきらめた家族か らの要請 に基づ き行われたものであるが、」その要請は、「被害者の病状等について適切 な情報が伝えられた上 で された ものではな く、上記抜管行為が被害者の推定的意思に基づ くということもできない
。 」
「以上によれば、上記抜管行為は、法律上許容 される治療中止には当たらない というべ きである」。
「そうすると、本件における気管内チューブの抜管行為をミオブロックの投与行為 と併せ殺人行為 を 構成するとした原判断は、正当である。」
【積 討】
(1) 本件決定の捉 え方
医学技術の発達は、生命維持差置によって人工的に生命を繋 ぎ止めることを可能としてきたが、一 方で、このような延命措置 を 「いつ打 ち切ることが許 されるか」 (さらには 「いつ打ち切るべ きか
」 )
とい う問題 を、我々に突 きつけるところとなっている。この間題は、医学的問題であるのみならず、す ぐれて法的 ・倫理的問題で もあ りえ、実際、本件では最高裁 という法的空間で争われた。
従前 より、本件のような治療 中止の問題は、安楽死 ・尊厳死 と関連づけて論 じられることが しば し ばあった。 この点、(D弁護人が東海大学安楽死事件 (横浜地判平成7年3月28日判時1530 28)にお いて横浜地裁が行なった
、
「延命治療 を中止 して死期 を早める不作為型の消極的安楽死 といわれるも の」については 「治療行為の中止 としてその許容性 を考 えれば足 りる」 という説示 を援用 して、本件 が許容 される治療中止の事案である旨の主張 を行なったこと、また、②本件が安楽死事件であると一 部報道模 閑が報 じたこと等 に影響 されて、本件は安楽死 の問題 と結 びつけ られて語 られることが40
岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第30号(2010ll)
あ った!。 この ような経緯か ら、本件 は、これまでの下級審判決 に現 れた安楽死 ない しは治療 中止の許 容性 の問題につ き,最高裁 として初めての判断 を下す もの として注 目されていたO
ところが、最高裁 は、安楽死及 び尊厳死の語 を明示的に用いることな く、本件治療中止行為が殺 人 罪 に当たるか否かのみに絞 って判断を下 した。安楽死 ・尊厳死の推進派にせ よ.慎重派にせ よ、安楽 死 ない しは治療中止が許容 される要件が明示 されることを期待 した者 は、この最高裁の決定には不満 が残 る ところであろう。
しか しなが ら、本件 を処理す るにあた り、最高裁 は、 より端的に上告 を棄却する とい う道 もあった に もかかわらず、敢 えて蔵権 で違法性の判断 を行 なっている。そこには、何 か しらの隠 されたメ ッセ‑
ジがあるのではないか。本評釈 では、 この隠 されたメ ッセージを読み取 ることを試みたい。
(2)自己決定権万能論への懐疑
本件 の ような治療 中止行為 は、法的には殺人罪 (刑法199粂) ない しは同意殺人罪 (刑法202粂) 杏 構成す ることか ら、主 として刑法学 において議論 されて きた。その中心的関心は、治療 中止行為が許 容 され る要件 は何か とい うことである2。そ して、この要件 として,今 日有力視 されているのは
、
「患者の 自己決定権」 と 「医師の治療義務 の限界」である3。第‑番 控訴審 も、その位置づけは異 なる も のの、 これ らに触れていた。 しか し、最高裁 は、いずれの文盲 も明示 的には用いていない。
もとよ り、叔市政は、自己決定権 とい う文言 の使用には非常 に慎重であったと言 える。た とえば、エ ホバの証人輸血拒否事件殺高裁判決 (最三判平成12年2月29日民典54 21582)は、輸血拒否の問題 に関 して、一般的な自己決走の問題 として捉 えるのではな く、「宗教上の信念 に基づ く人格権」 に絞 っ て判断 していた4。本件で、被告人は、上記輸血拒否の串件において広 く自己決定権が承認 された とい う理解 を前提 に、本件の ような場合 に医師 を処罰することは蕎法違反であると主張 していた。 しか し、
この主張 は、最高裁 により 「事案 を異 にする」 と退 け られている。
確 かに、本人の明示の意思表示 があ りかつ治療拒否が直 ちに死 に繋がるわけではない輸血拒否の事 例 と、本 人の意思表示が不可能な状態 にあ りかつ治療拒否が死 を意味する本件 とでは、事案が異 なる ように思 われる。 しか しなが ら、上告趣意 に応 える形ではあれ、最高裁が 「被害者 自身の終末期 にお ける治療の受け方についての考 え方は明 らかではない」 こと、及 び、「余命等 を判断するために必要 と
たとえば、判例タイムズ誌では.本件事件の第 1番判決が 「JH崎 「安楽死」事件」のタイ トルで報じられわ (判
タ1185号114頁)。
他方、田中成明 「尊厳死問題への法的対応の在り方について」法曹時報60% 7号1頁(2008年)のように、本件 串件を契機として,1り広範な法的検討を行う論考も存在する。
佐伯は、これらの 「どちらも単独で治療中止の根拠となりうる」と述べる。佐伯仁志 「末期医療と患者の意思 家族の意思」ジュリス ト増刊 rケ‑ス ・スタディ生命倫理と法186貫、87頁 (2004年)参照。
この点に関し、加藤の控訴審判決評釈を参照。加藤苅耶 「末期医療における患者の死に直結 しうる治療中止の許 容性」年報医叫法学23号192頁、195頁 (2008年)以下。
41
冶穀中止における本人の同意と家族の要諦 宍戸圭介
される脳 波等の検査」の実施がなかったことを改めて確認 している点に.私 は注 目したい。 ここか ら は、最高裁 は、 自己決定権 や治療義務 の限界 といった文言 を用いないにせ よ、本人の意思のみな らず 患者の病状 (死期が迫 っていること) も、治療 中止行為が許容 される要件 を考 える上で重要であると 見ていることが、読み取れは しないだろうが 。
もちろん、厳密 に青えば、最高裁 はこれ らの 「要件」の前提が欠けていること (前者については本 人の意思表示 に先立つ説明が不十分であ りかつ意識がないこと,後者 については検査の実施がない こ と) を認定するに留 まっているO しか しなが ら, この ような読み込み を試み るのには理由がある。従 前 この よ うな形の治療 中止は尊厳死 と同視 されることが ままあっが 。 しか も、尊厳死 は必ず しも苦痛 の除去 題和 をEI的 とす るものではない と説明 されることか ら.尊厳死 に還元可能な治療中止の問題 を考 える ときには、苦痛綾和 目的があることや死期が切迫 していることといった要件が外 されて考察 されるこ とがあった7。 この立場 を推 し進めれば、自己決定があ りさえすれば,患者の病状いかんに関 係 な く治療 中止 を許容することがで きるとい うラデ ィカルな主張へ行 き着 くことになるだろう。 この 主張 は、籍局の ところ、 自殺の権利 の肯定に繋がる。
他方で、多 くの学説は、自己決定があれば病状 に関係 な く治療中止 を許容で きる という極端 な見解 には、憤重 な態度 を採 って きたS。最高裁 もまた、この極端 な見解 に与 しないがゆえに、上告趣意 に対 応す る形 であれ、余命 を判断するための検査の有軌 こ触れたのではなかろうか。多数派の学説 と本件 における最高裁の姿勢 との間には、共通す る部分があるように思われる。
(3) 自己決定相対化論への慎重姿勢
近時、立て続けに表面化 した呼吸器外 しの問題9に対応 する形で、政府機関や学会等 は、治療 中止の ガイ ドライ ンを次々に策定 している. これ らのガイ ドライ ンも、治療 中止にあたっては、患者の意 思 表示があ ることを原則 としているが、 しか しなが ら、一部 には.患者の意 思の推定ができない場合 に す ら、治療 中止が許容 され うることを示唆するような表現が出現 している。たとえば、2008年2月に 日本学術会議臨床医学委員会終末期医療分科会が公表 した対外報告 「終末期医療のあ り方について‑
この点につき、B]坂の控訴審判決評釈を参照。田坂晶 「重積な患者への治姫の中止と殺人罪の成否」同志社法学 333号 (60巻8号)443訂.456頁 (2009年)以下。
東海大学安楽死即件判決 (横浜地判平成7年3月28日判時1530 28)参照。
駐接、餌厳死について首及した論考ではないが、かつて,相松は、安楽死が肝等される若付の一つである 「敵し い肉体的苦柿の存在」は.(当時)新たに主・T(されるようになってきた 「品位ある死」(今で言う弟搬死)では、
開祖とならないことが多いとの認瓢を示 していた。植松正 「安楽死Eii】題の新局面」ジュリスト623号114賀、118 質 (1976年)参.ZIU。
磐法学における自己決定椎の主唱者である佐藤が、柵極的安楽死や自殺の権利自体を 「限定されたバターナリス ティックな制約」によって否定していることは,つとに有名である。佐藤幸治 r憲法 〔第三版〕1460貫 (晋林沓 院、1995年)。
たとえば.羽操病院群件 (朝日新聞2004年5月14El夕刊 1面)、射水市民病院邸件 (朝El新開2006年3月26El1 面)、和歌山県立医科大群件 (朝日新聞2007年5月23E日 面)など。
岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第30号(2010ll)
亜急性型の終末期 について‑」18は、患者本人の意思が確認不可能であ りかつ家族か ら治療中止 を求め られた場合 につ き、自己決定 を 「絶対 的な もの とす るべ きではない」 とした上で、家族 と本人の意思 疎通の円滑 さを医療者が理解で きるケースであれば、「本人の意思が確認で きない場合で も、家族 との 話 し合 いの中か ら延命治療の中止 とい う選択肢があ り得 る」 としている。 この文言か らは、 自己決定 権が相対化 され、本人の意思によらず とも家族か らの治療中止の申出を医療者が受け入れ実施するこ
とが許容 されているように見受け られる llo
しか し,最高裁 は、一方では、先 に見た ように自己決定権万能論 を採 らないに して も、他方では、患 者本人の 自己決定が全 く不要だとは考 えていない ようである。最高裁は、抜管行為の違法性について 改めて職権 で判断す るにあた り、本件抜管行為 は 「家族か らの要請 に基づ き行 なわれた ものであるが、
その要請 は 被害者の病状等 について適切 な情報が伝 え られた ものではな く、上記抜管行為が被害 者の推定的意思 に基づ くとい うこともで きない」 と判示 している。 ここか らは、家族か ら要請があっ た とい う事 実だけでは、治療中止行為 たる抜管行為の違法性が阻却 されない とい うi最高裁の姿勢 をも 読み取 ることが可能であるように思われ る。つ ま り.家族の要請は、(D患者の推定的意思に基づいて いることが必要であ り、②家族 に対 し患者 の病状等 についての適切 な情報が与 えられていることが必 要であるoia店 数は、これ ら2つの 「要件」が少 な くとも必要であると見ているのではないだろうか。
なお、本件決定は、これ ら2つの 「要件」の関係 について詳述 していないが、これ ら2つの 「要件」
の関係 について、家族が適切な情報 を受 けた上 で要請 をな していれば、患者の推定的意思は必要ない とい う読み方が許 されるだろうかO
この点 については.東海大学安楽死事件横浜地裁判決が (傍論部分で)示 した見解が、考察の一助 となろ う. とい うの も、本件 における 「被喜者の意 思を推定す るに足 りる家族か らの強い要請」があっ た とい う弁護人の主張は、同判決にその根拠 を求めているか らである。横浜地裁 は、「家族の意思表示 か ら患者の意思 を推定することが許 され る」 とした上で、この家族 の意思表示か ら患者の意 思を推定 す るためには、意思表示 をする家族が、「患者 自身が意思表示 をす る場合 と同様」 に、患者の病状等に ついて 「十分 な情報 と正確 な認識 を持 っていることが必要」である としていた。す なわち、同判決で は、実際 に適切 な情報が与 えられていることは,家族が患者の推定的意思 を汲み取 る際の前提条件 と
http//wwwSCJgo)p/Ja/lnfo/kohyo/pdUkohy0‑20‑t51‑2pdf同報告執 ま、「生命予後に関する予測が概ね6ケ月 以内という限定された期間内の色名の生き方あるいは死に方を対象として」とりまとめられているO
また
、
2007年5月に厚生93働省終末Igl医綿の決定プロセスのあり方に関する検討会が公表した 「終末糊医療の決 定プロセスに関するガイドライン」(http//wwwmhlwgolp/shlngl
/2007/05/dL/sO521111apdf)は、患者の悪阻の確認ができずかつ家族が患者の悪翌を推定できない場合には、「患者にとって何が最軽であるかについて家族 と十分に話し合い、監督に主ふての殺巻の治療方針を採ることを基本とする」としている (傍卓は墾者による)。 この叔拳の治瞭方針とは治療の打ち切 りをも含むのだろうか。
この厚労省ガイ ドラインについて、樋口は、「法的ht任の免ffを明らかにするものではない」にしてもそれは国 の指針に他ならず、これを遵守する限り 「間接的に警察介入の恐れへの十分な対処となるはず」であるとの見 解を述べているO樋口範雄 r続 医癖と法を考える 終末期医療ガイドライン」89頁 (有斐臥 2008年)0
43
治頼中止における本人の同意と家族の要請 宍戸圭介
位置づ け られていたのである120本件 において、凝高裁が上告趣意 に応 える形で検討 を行 なっている ことか らすれば、最高裁 も、横浜地裁 と同様 に、家族 に患者の病状 に関す る情報が伝 えられている必 要があるのは、家族の意思表示 か ら患者本人の意思 を推定す るためであると理解 していると捉 えるこ
とが安当ではないか。
ともあれ,本件決定の立場 と、先 に見たガイ ドラインの立場 との間には、大 きな差異があると言 え るOす なわち、最高裁は、いかに家族の求めがあろうと、それだけで治療 中止行為が許容 されるとは 考 えてお らず、む しろ、治療 中止行為が許容 される根拠 を考 えるにあたっては、患者本人の 自己決定 の問題 を無視す ることはで きない と考 えているのではないだろうかO
(4) まとめにかえて
本件 において、最高数 は、安楽死や尊厳死 といった文言 を正面か ら使用 してはお らず、また、治療 中止が許容 されるための要件 を明示 したわけで もないo Lか し、本件の ような治療中止の事案にあっ て、最高裁が安楽死 ・尊厳死の問題 に全 く糎関心であった とも思われないO
今 日、安楽死 ・尊厳死 と関連づけて治療 中止行為の許容性が語 られる際 には.過度に自己決定権 に 偏 った主張がなされることがある反面で、医療 関係者か らは、本人の意思があることを必ず しも前提 としない現場慣行 を容認す るように求める声が聞かれる。結局、本件決定で最高裁が採ったのは、こ れ らいずれの立場 にも与 しない常談的なス タンスであ り、そ うした姿勢 は、結論 において学説の多数 派の立場 とも合致 しているように思われる。
]2 少なくとも、東海大学安楽死事件横浜地裁判決は、治療中止行為が許容される要件について 「単なる家族の付度 に任 しているわけではないことは明らかである。」星野一正 「rbtL.者の意思の付度の限界」年報医卒法学12号23頁、
27頁 (1997年)参照。
44