• 検索結果がありません。

中学校産業教育の課題

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中学校産業教育の課題"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

76

中学校産業教育の課題

A Theme of Lower Secondary School lndustrial Education

」. S憂監ion夏i  教育は,それが個人個人の育成に力を注ぐだけでは なく,同時にその個人が生存していく社会のよりよき 成長に積極的であるためには,今日の経済社会の復興 に役立つ教育でなければならない。  このことは今日の教育がより生産的性格をもたねば ならぬということである。わが国が平和な民主国家と して発展するためには,経済的自立を絶対的条件とす ることはいうまでもなく,それに培う科学的産業人の          o. 養成を目ざす産業教育がその役割をはたすことが期待 せられる。  しかしこの場合,われわれが警戒しなくてはならな いことは,正しい産業教育は一部の人が意図している ように,生産増強や産業振興を直接の目的とする。い わゆる「市場の要求」に適うように教育せなければな らないということではなく,まして労働市場に適合す る労働力の養成であってはならないと思う。  産業教育に対する,この根強い社会的要求としての 一つの方向づけに偏することなく,中学校の産業教育 を推進していくための課題をもとめて,以下稿をすす めたいと思うQ 1  人間が生き『ていくということの根本的な意味は極め て単純な事実,即ち,人間が食べ,眠り,着物を着, 家に住み,そして子孫を生み出していくということで あり,従って又,それに必要な生活諸物資,食物,着 物,履物,住居,燃料,生産用具を生産していくとい うことだと考える。これらの人間の営為がおびやかさ れた場合にどんな事態をひきおこしたかは,終戦当時 の事情を思出せばわかる,われわれには極めて生々し い事実である。これらの単純な事実がとどこおりなく       ot. 運ばれていくところに人間の生存一いきるというこ とがある。  なるほど,芸術的活動とか,道徳的行為ということ も,人問生活にとっては極めて重要な意義をもつては いる。しかし,それは最悪の場合なんとも人聞は生ぎ ていけるのである。従ってこれらは人間が生きていく 上の不可欠の要因ではない。けれども,入間にすぐ役 立つ生産労働というものがなくては,同類は一日も生 存し得なかったとい5ことは事実であるQつまり生産 労働ということが,人間が生きていくということの中 核的な意味をなすものでなければならない。  また,社会の中に生きていくということは,人間が その欲求と願望をみたしていくことであるから,その ためには入間は何らかの仕事(生産)をしなければな らないQ社会の要求する仕事に参加することの代償と して,彼の欲求や願望が直接間接にみたされていくと いうことになる。  産業の根幹は働くこと一人物に役立つようにもの を作りかえること一一即ち生産である。更に作ること と,使うこととではつき’り関係づけられることが必要 であるQ  自分の作った米を自分の食糧にすること,之も生産 であるが,本当の生産は,近代人に役立つとい5こと でなければならない。であるから作ること一生産と は人々がものを作ることを通して世の入々に役立ち, 人聞社会が近代化されることである。  次に生産されたものを使うこと一消費はこれを通 して更に世の入々に役立つために使わなければならな い。それで産業とは,社会の存在を前提として生産, 流通そして消費とがその内容を規定することになる。        ゆ  東畑教隈まいう「われわれはかって食べてから後の ことを念正した意味で即ち,人聞活動の出発点として の食瞳を問題とすること久しきものがあった。近頃は 事柄がまるで逆転して,残念ながら食べること自体が 恰も到達点であるが如くに食:糧の問題を処理せざるを 得ないような羽目におしやられている。かつてエンゲ ルスが!857年ザクセンの労働者家計調査をなしたと き,最下屡のものでは実に食費が家計の62%を占め た。今から90年前生産力のまだ旧時代を脱しきれない

(2)

ところでは,なるほど食うことが容易でなかったに違 いないが,今日の日本は全体としてもこの最低層の労 働者の家計以下の貧困にあえいでいるとなさねばなら ぬQ  今日のこの状態を,今後も来る年も来る年も続けて いたならば,日本人の活動力は果してどうなるかに最 も深刻な憂をもつ。食5ことに追われ,思考力は単に 食うことにのみ働くエネルギーしかもたぬ国民にどう して文化国家の形成や,デモクラシーの確立が成立す るか。こればわれわれの活動能力が食糧問題の解決を 到達i点としている限り生れてこない。出発点としてい るときにはじめて成立するのである。」(下略)  そうして食うことには出来るだけ少いエネルギーを 使うようにする。食糧問題の本質は食うことの解決に あるのでなくて,食って後にわがこと終れりとなすか, わがことはじまるとなすかのけじめを認識するにある と結んで居られる。       Ag  また中谷宇吉郎氏は「生産の中でも食糧の生産ばじ つは最:もつまらない生産であって,これは食べてしま えばなくなるものである。  それで食糧の生産には出来るだけ少い労働力を使う 必要がある。もし全国民が働いてやっと食糧だけが生 産出来たら,ただ食うだけで衣も住も出来ないから, 狐や熊の生活と同じことになり文化どころの話ではな い。今の状態では,下手をすると全国民のエネルギー の9割を食5だけに使われてしまうおそkがあり,残 りの1割で衣と住と文化をまかなわねばならぬ。エス キモーは9割のエネルギーを食うだけに使っているノ と。  現在でもわが国情は正しくこの通O,もっともわり の悪い食糧の生産に,そして食べていきることに精一 ぱいであり.それでいて筒外国からの食糧の輸入によ ってやっとその日ぐらしをするのが国民の大部分であ る。  「すべて国民ば,健康で文化的な最低限度の生活を 営む」のは空文にすぎず,生存はあっても生活はない。 kだ「最低限度の生活」ではなくて,それが「健康で 文化的llであるためには,単に「手から口へ」という 生存ではなしに,「人間として生きていく」生活を保 障しようとするには,どうしてもそこには産業経潴の 復興とその発展がなければならない。われわれの毎日 の生活は人々により作られたる生産物の流通,消費に よって営まれているのである。それは学習なり,生活 の背後には日本産業の問題が重大なる意義を与えてい るわけであって,産業の課題に遵かなければ,子供の 遊びゃ学習,更にその中で得られる生活態度そのよ うなものが方向を明らかにすることも出来ず,力のな い教育になってしまう恐れが多いのである。       e 中国研究家の内山完造氏は「初等教育の出発点」と題 する申で,  「初等教育の教科書の内容について,日本と中国の とを比較してみると,申国の教科書は凶聞教育の第一 頁を人間からしているのに,わが国はその第一頁が鶏 のなき声や,犬の鳴声ではじまっていたり,中国の方は ただちに働くということ,食:う,着るということをか いているのに,わが国の:本はそうしたことには少しも ふれないで,すぐに行儀作法にふれて挨拶などがかい てある。これでは衣食のことは,だれかがチャンと毎 日もつてきて食わせ,着せてくれたかのようであるQ 日本も中国も大戦後の建設にすすんでいるときに,教 育の第一歩にこんな大きな開き’があることは,この際 大いに反省せなければならないと思う。」と。  新中国の産業,経済,政治,国民生活の戦後におけ る目ざましい発展と向上ぶりは,引傷者の異口同音に 語ることによっても伺れるし,近頃の新聞,雑誌がひ としく取材する話題ともなってきた。これはわが国の        06, 将来に大きな脅威を与えるものではなかろうか。 註① 産業教育は職業の中でも物資の生産,流通,消  費に直接結びつく職業ないし経済活動に必要な教育  を意味する○それで職業教育よりも範囲はせまい。  産業敦育振興博すなわち産振法(昭和26.6、IL法律  第228号)公布されてから「産業教育」といわれる  ことが多い。尚本年は産業教育70周年の記念すべき  年にあたり,来る11月1G日東京において記念行事が  盛大に行われ,わが国の産業教育もこれを機会に一  大伸展することを希求せられる。 ② いきていくことを生活とみて区別しアこい。 ③昭和23.L4新年の課題,朝日。 ④中谷:科学と社会,p.102. ⑤ 昭和27.!1.14.初等教育の出発点,朝日。 ⑥中共系週刊誌:経済導報。  中国の自動車工場の発達は,現在建設中のものが生  産を開始すると数分間に一台の割合でトランクが製  造されることとなり,この工場一つで日本の全自動  車工場を合せだ生産高と競争することとなるQ歪な  る宣伝でないとすればこれは日本の自動車工業の大  きな脅威となる○  又日本学術文化代表中国訪問安倍能成団長の「北京  を離れるに当りて」のメヅセv一・一:7の一部に‘‘ごく短  かい期間にその内容を詳しく理解することはできな  かったが,中国人民が毛主席の指導のもとに足並み  をそろえて工業建設の大道を明るく,健かに進んで  いる姿を見て敬服とセン望にたえない。”(下略)

(3)

78 滋 大 紀 要 第  4  ・号 1 9 5 5        2       (tbl  第二回派米農村青壮年実習団の県代表の松田氏は, 加州白人農家マルチン夫妻の語った言葉の中で,特に 印象に残ったものとして,「アメリカ人は生産増強の ためにはまことに勤勉であり,真剣である。これによ って幸福な生活を営むことが出来,また入類祉会の繁 栄をもたらす唯一の道と心得ているからである。そし てこのような社会には協力精神が是非必要である」と。  このようなパイオニヤースピリットがピJt・一リタニ ズムと結びついてアメリカの資本蓄積の原動力となり ひいて資本主義発達の基盤となっているのである。  このいき方はドイツ入とフランス人を比較してもは っきりとみることが出来る○フランス人は労働条件で 決った通りのことをやるだけで,国家が栄えるために 働かなくてはならないという気持は全然もつていな い。ただあるものはその日を楽しく送るという局口主 義に徹底して居り,自分達の幸福ということを真先き に考え,国家の利益は後回しにする。ためにフランス には余り大した産業もなく,ブドウ酒,絹,香水位の もので一度他国が不況にでもなれば,たちまち輸出が とまるようなものばかりである。  これに対してドイツ入は非常に勤勉で,何でも思う ことをドシドシ実行し,目的に向って猪突猛進する。 この余り働きすぎることがフランス入にとっては面白       oo くないらしい。  あれだけたたきつけられたドイツが63制の教育制度 を全然受け入れず,自主的に立上ったその目ざましい 復興ぶりは,これ叉世界各国の注視の的となっている。    @一  口振法第一条ではこの法律は,産業教育がわが国の 産業経済の発展と国民生活向上の基礎であるという認 識の上にたって,その振興をはかるべきことを規定し ている。民主的社会の建設は国民の経済生活の向上を 必須の要件とし,国民生活を肉上せしめるためには産 業経済の発展を必要とする。それ故民主的社会の建設 は産業経済の発展をその前提とし,国民生活の向上を もたらすためにもまた産業経済の発展が必要てあると いうことになる。  戦後わが国が生産の復興によって自主独立の国家と なるとい5ことは,いうまでもなく経済的独立によっ て十分な意味をもつ。独立はしたけれども,他国の経 済的な支援がなければやっていけないというのでは, 真の独立とはいえない。それなら今日の教育もまた, 先ず独立をして実質上可能ならしめる,生産復興の線 にそうて教育目的が設定されなければならないという 喫緊な要請がある。  ところが,現在の学校制度にあっては,小学校及び 中学校は普通教育を施す機関となっているので,ここ では産業や職業についてのことは問題にならないと考 えがちである。この=普通教育万能の考えで,学校から 生産性を追放している思想を新らしい産業教育の立場 から先ず批判しなければならないのである。  ここでい5普通教育とは,生徒の将来を考えての基 礎教育を意味するものであって,産業の形態や,生徒 が卒業後従事するであろうと考えられる職業を問題と せずに,教育するというようなことを意味するもので はない。むしろこの段階の教育が社会生活の基本的な 要望にそい,叉生徒の生活経験や,その環境のすべて が産業とははなれることの出来ない構造となっている ところがら,学習の全般に対して産業が基本となる意 味を与えるように構成されなければならない筈であ る。従って小学校や中学校であることが,既に産業を 基本としてでなければ,教育の体制をつくり得ないこ とを明らかにしていると解釈せねばならない。即ち, 小学校教育の目標にも「日常生活に必要な衣,食,住, 産業等について,基礎的な理解と技能を養うこと」と, はっきりうたわれている。  生産労働がわれわれの杜会生活にとってどれほど大 切なものであるか,ものを作るには浸入といかに協力 を必要とするものであるか,従って自分の労働と共に 他入の労働なり,仕事を如何に尊重せねばならぬかを 抽象的にでなく,体験として理解するためには「為す ことによって学ぶ」方法がとられなければならない。  そしてこのような労働によって作りあげられたるも のがむだにこわされたり,社会の進歩のためでなくそ の逆に使われたり,或は唯一入の私益のために利用さ れたりすることがどれほどつまらぬことであるかも解 る筈である。新教育によって,社会生活を営むに必要 な協力とか,責任とか,物事にぶつかって探究すると いう面が多少養われることは否定しないが,矢張り表 面だけの社会生活への適応性ということだけになりは しないか。  新教育の目ざす理想的人間像を平和的民主的入間と し,日本の教育の方向を規定づけたこと自体は,社会 の発展に即するものとして進歩的な意義をもつもので ある。しかし,このような人間像をめざすためにとり あげた教育内容は,前にみたように働くこと,生産す ることから遠ざかり,消費的な牧歌的な教材にみち, 「消費生活」のまわりをはいまわる経験主義の教育に のみ終始していたと思う。ここでもっと,教育内容を ほり下げてみなければならないと思う。  申学校の教育は,初等教育に引き続いてなされてい る中等教育の初段階で,15輝迄の青少年を教育してい るために産業教育の問題は更に重くなる。義務教育は

(4)

この段階において完了するものであるから,卒業後如 何なる職業につ.くかの問題が多くの生徒にとって差し 迫ったこととなっている。又進学する生徒も自分の将 来の職業生活を考えて,如何なる性格の高等学校に進 学すべき.かを決定しなければならない。  かくの如き段階に達している為に,中学校における 教育は小学校よりも更に緊密に産業の世界と連関しな ければならない。こうした事情から中学校は新らしい 産業教育の対象としてとりあげられざるを得なくな る。  特に中学校の職業・家庭科の学習は,産業教育の基 本方策とむすび合わなければ如何にいくかが決定せら れないのであるし中学校の職業・家庭科はあくまでも 子供の世界からの立場によって,能力的に産業的(職 業的)めばえを育て正しい技術観,労働観を与えるも のであるQ  このような使命をもつ中学校であり乍らも,都市, 農村を問わず,選ばれた少数子弟の,社会のリーダー を養成するため,進学を主たる目標としたがっての中 学校の姿にかわりつつあり,しかもこの傾向が年々ひ どくなってきている。ために,就職する生徒達は重ん ど問題にされないで,極言すれば放任である。ここに 劣等視されることも加って,就職生徒はますます「継 子」扱いにされているのが現状である。  現実のわが国清では,就職乃至自営に入る中学卒業 生は年々増加するように思われる。この生徒達こそ将 来日本の産業復興に役立つ生産機構の中に入ってい       く1 く,下部組織の人達である。  あれだけすっきりとして全青少年達にひとしく解放 された,あこがれの新制中学校に,事実は旧制中学校 の第一,二種課程のような区別が年々はつきりあらわ れてきているっ  この現状にかんがみ,短大側から要望されている中       の 学,高校とを結ぶ一貫した技術教育制度確立の改革案 は,一試案として反省されると共に,検討すべき『問題 をふくんでいると思う○  している。パリは実}こ美しいQ しかしそれも17C  から18Cの絶対王政時代の美しきであって,革命  以後の,現代的な力の美ではない。 ③昭和26,6.11法律第228号公布。 ④中学校卒業生の就職は,エ場のエ員か,商店の徒  弟が大部分であって,骨のおれない事務や管理方面  のホフ4トカラーの職業を求めるこどは殆んど不可  能である。 ⑤この改革案の構想の中で「申学,高校の時代から  一貫性のある教育が技術教育には必要だから,一般  の大学に進む課程とは別に,中学から短大までの特  別な進学体系を作りたい」は注目される。  もし,この改草案が実現すれば. 「学校教青法」の  大巾な改II三となり,63制発足以来のはじめてのこと  であるっ尚この改眠をめぐる濤想は,既に中央教育  審議会にも一応説明されている。 3  今更いうまでもなく,日本の復興一産業の振興一有 能な科学的産業入の養成という系列からみると,中学 校の産業教育に相当期待されていることを伺うにた るQそれは中学校卒業生の約6J%がすぐに産業入とし て活動しなければならない現状をみればわかるっ 年度 区別 25 26 27

滋賀県

進学副就蝿

40ユ 40.7 56.1 Jrs.9  全  国 進学者 就職砦

379

2S 44.3 43.8 45.8 61’ ・6 1 4[ n8 55.3 5.1 .8 5L.7 52.’t一 註① 県民時報第131号。 ② 以上,昭和29.3.2.朝日。  井上智勇:日本の貧しさを思う,一欧米から帰つ  て一昨年マルセーユからパリへ,パリからミコーン  ヘン.と回ったが,フランスの町には煙を吐く工場の  少いのに比して,汽車がドイツ領に入ると,どのよ  うに小さな町にも,もうもうと煙をふきあげている  工場が見える。ドイツ人の勤勉さ,進んだ科学力,  鉄,石炭の豊富さ一一それが一一つとなって廿世紀の  奇跡とまでいわれる今回の復興したドイツをもたら 註 就職者の中には自営,家事手伝等を含  む。滋賀県統計表は県教委秘書調査課資  料,全国統計は文部省調査局統計課資料  による。昭和28年度全国集計はまだ出来  ていない。  それであるから産業経営の企業者としての立場か        q.o ら,次のような現場の声が出てくる。  要するに産業教育の振興は大いに必要であるが,勤 労大衆に知的な教育は不必要で,すぐに役立っような 実用的な教育を施すようにすべきである。学校におけ る産業教育は,どうも理論に傾きやすいから,それは とも角,日本入全体が産業的な入問,能率的な人間, 仕事の出来.る入間というように仕向ける教育が必要で あるということである。  即ち,早く役にたつ技術を身につける手取り早い教

(5)

80 滋 大 紀 要

第  4 号

1 9 5 5 育をするのが産業教育の振興になり,産業の進展更に は自立経済にも寄与出来るのだということになるっ  この社会的要求としての産業教育の考え方は企業家 共通の心理であると思う。そこには生産にたずさわる 人々の人間的な向上という観念はめばえるすきはほと んどなく,むしろ勤労者や雇用者の知的,技術的な向 上が人聞としての彼等の合理的な発言力や,要求を高 めることを恐れる気持がいつも裏側に働いて従順な徒 弟精神,刻苫精励の勤労精神をもつた労働力が要求さ れていたし,現在でも要求されているのである。ここ に企業者の非科学性と封建的な前近代性がある。この 「市場の要求」に勘ように教育せなけれを諏らない という,産業教育の一つの方向づけに対する批判と超 克こそ申学校産業教育の中核的な課題ではなかろう かQ

中学校の牒嫁麟においては,そこで特殊徽

業人を養成することを目的としているのではなく,職 業への適応可能i生轍育するのである・況ん轍の一 般一高ま,ますますそ5でなければならない。又教育 における生産性の概念劇iに職業的訓練のための教育 とか,更にはもっと単適に職業教育であるとも考えら れてはいけないので,なるウま蹴業野鴨業的訓練 が大きなス・・e・一スを占めていることは否定出来ない が,もっとより広い包摂齢である・中学校教育に おけるすべての教科が強くこの生産性の概念に結びつ き,それらの教科のもっている抽雛や一般窺いう

もの娯体化し現実化していくとこ6tl・ww・x庭

科譜講科との搬的外連がある・そうして躰

の現在韻っている,産業経済の復興2・・L’う課題を解

決する巌を葡と共に,それにもとづV’て腿娯

体的に処理していく技術及び能力を養っていくところ に職業・家庭科の立場がある。  それでわが国の教育は,生産的入間の養成というこ とが大きな課題となってくる。この生産的人間という ことは,将来その勤勉責任及び知識によって彼等の 生活を自主的に維持し5るような入学となること,そ の獲得した科学的知識と技術とによって,彼等の労働 力を社会生産力向上に役立つように発揮しうる人聞と なることをいうのである。また彼等が近代社会入とし

て有能確質をも励るよう彼等の燗陛や・社会性

に対しても+分な教養の機会が与えらオ癒ければなら ない。  このように考えてくると,民主的平和的な新しい人 間の形成は塵正数育を通じて始めて国民大衆のものと なるのであり,産業の改善,進渉を直接の目標とする 産業糖は,この意味においても極めて深く人間Er£ の問題に関連する。  今日の大多数の職業の条件は,高度に専門化した技 術よりも職業への適応性を要求し,専門技術の教育は 企業体自らがこれを教育するほかないとさえみられて

 @

いる。  産業経済の発展は民主的社会建設の最大の要件であ るにもかかわらず,このことが戦後における.教育の問 題として強く意識されなかったのは,産業教育がわれ われ門門の直面する課題解決のための真の教育である ことか自主的に,しかも真剣に意識されないで,教育 改革の多くが形式に留まり,その内容が深く問われな       @ かったことに起因するように思われる。  その結果物資豊かなアメリカにおいては,産業教育 に国として特別の関心と努力が払われ充実した発展を とげているのに対して,物資乏しく,興じて「手から ロへ」の生存をつづけるもっとも困難な経済事情にあ る日本において,産業教育が萎微沈滞するという奇妙 な現象を呈したのである。それでも爾一般.教育のアカ デミヅクな傾向はむしろ温存されて,何等の批判も積 極的な改善刷新の努力が払われていないことに疑念を もつ。  今回の短大側から提案された技術教育制度改革案は これに対する一つの批判とみることが出来る。 註①岩波;教育.第三巻。  勿論中学校の教育のみをさすのではなかろうが,こ  の考え方は,身体的労務者が大多数をしめる中学卒  業生にはよくあてはまると思う。 ② 入社後3−6ケ月間位の養成工,見習工,補導工等  の訓練期間を経て,その音響職場に配置されるのが  現在殆んどすべての大企業のとる方法であるQこの  期問の短いことほど,いわゆる「市場の要求」に直  結することになるが,しかし何の準備期間もなしに  明日からの職場にすぐに間に合うような技術教育は  とうてい学校教育には求められない。殊に日進月歩  の生産技術の進歩と,分業による職場の細分化では  樹更である。 ③勝利者としてでなく経験ある教育者として,しか  も有力なる協力者としてやってきた,アメリカ教育  使節団の指導助言にもとづいて,遂年嵩に敢行され  た新学制において,アメリカでは産業教育に国とし  ても,各州としても特別の劫成のもとに,充実した  発展をとげているのに対して,わが国では産業教育  がふるわず,却って一般教育が温存され尊重されて  いるような傾向のあることはわけがわからない。 4 現代の経済社会は本質的に生産付会である。従って

(6)

社会は働く人間,生産的社会入の育成を学校に求め, 各人がその職分を最もよくはたすに必要な基礎的な性 格態度,基本的な技術を学校に要求している。その上, 今日のわが国の直面する産業の復興,経済の自立とい う課題の解決に,真正面から販組む生産的性格をもつ た,教育目的が設定されなければならない緊急の要請 がある。  産業教育振興が叫ばれ,産振法施行の目標もここに ある。中学校教育における生産的性格とは,すべて生 産社会への適応可能性をいうのである。生産社会への 適応可能性において人間は常に一面的に教育せられず 諸種の条件,脳鏡の変化に適応して自己の職業を選択 し,且つこれを発展させることが出来るのである。そ こで中学校に要求せられる産業教育は,古い意味での 技術教育,職業教育よりは基礎的な科学的素養を身に つけ,近代産業社会に応ずる社会一i般的教養と,正し い職業倫理観とをもった生産入の育成を目ざすべきで あると思う。  このとき’,この際教育は生産からはなれて人間とし ての一般教養をつむところに価埴があるとし,なるべ く世俗の仕事や,わずらわしい生活の現実からきりは なされでなければならないとする,この日本の教育界 が現にもっている前近代的な性格を払拭して,社会生 活に必要な職業についての一般基礎教育を主とすると いう近代的な性絡に中学校教育をきりかえることにつ いて,真剣に検討されなければならないと思う。  中学校は「中等普通教育」を施すことを目的として いるが,その教育目標の規定(学校教育法定36条)の 中に,「杜会に必要な職業についての基礎的な知識と 接能を養うこと」を掲げているが,これなどは昔なら ば職業教育の一部と考えられたであろう。普通教育は 古くはリベラル・エデュケーション,即ち,貴族的文 化教養を内容としたが,現在ではジェネラル・エデュ ケーション,即ち社会生活に必要な一般基礎教育に変 化している。しかし普通教育にまつわる古い観念は簡 単に消え去るものでなく,社会通念として,また教師 の意識においてもなお古い要素を残している点に問題 がある。        o  ハーヴァード大学の一般教育委員会の報告の一部に は「職業や生産的のものは知的のものではないと考え られた。ところが今日では,人生の活動全体が教育の 中にふくまれ,知性はどんな人閲活動の分野に亘って も合理化を要求するもので,それは一つの別個の領域 をなすものではない。つまり知性が,その活動領域に 即して啓発されなければならないっそして一般教養が 知性を高めるだけではなく,職業的な専門の方向に進 められることが大切であり,この点において一般教養 と職業教養とは関係するものである」と。  以上によって,教育の目標を個入をしてある特殊の 職業や技能に対しても,また自由人や市民としての一 般的な技能においても,有能ならしめるよう準備する ことであると規定した。  こうなると産業教育を発展させる基本的な課題は, 従来の所謂葺通教育と職業教育(産業教育)との対立 を解消して,これを新しい立場から統合しようとする 考え方即ち一般教育の内容としての職業教育を考え ることであると思うQ  産通法の通過,公布には産業界からの力強い要望に もとつくときいている。しかし乍ら,直接「市場の要 求」に適うように訓練する,社会的要求としての産業 教育は,将来の職業への適応可能性を教育するという 立場から見て賛成しかねる。殊に日進月歩の生産技術 の進歩と,分業による職場の細分化とはとうてい雇用 者側の要求に直結することは出来ないから,新しい環 境に即応するための積極的な学習意欲をもつことが必 要になる。要は職場一における至純な可型性の問題にな をここに学校における産業教育のねらいがあると思 う。  いんかん遠からず,隣国新中国の驚異的な発展向 上,そして叉アメリカの世界最高の生産増強ぶり,ド イツの重厚堅実な建設,目ざましい復興の中心的課題 は,なんといっても底力のある地道な生産力の問題で あると思う。  現代における生産的な教育思潮と,更にわが国の直 面する経済的自立を実質的ならしめるためにはどうし ても,産業.教育を振興せなければならないことは自明 である。       、  そのためには少くとも中学校の産業教育において は,一般教育との二元的な対立を解消して,一般普通 教育としての産業教育を考えることがその根本的な課 題であり,これを推進する道であると固く信ずる。 註① Harvard Committee;General Education in  a free Society 1946,  ・・一ヴアード大学では一般教育と専門教育との関係  につき大要次の如くのべている。「両者は互に対立  しあうものではなく,一般教育は専門の知識を理解  し活用するに必要な基礎を与え,専門の知識はより  広い一般教育との関係においてのみその目的を達成  しうる」と。 個人の能力を最高度に実現し,職業  を通じて民主的社会に最も有効に参加しうるように  するために,中学校の普通教育としての産業教育を 考えることが必要である。       (29.10稿)

参照

関連したドキュメント

目標を、子どもと教師のオリエンテーションでいくつかの文節に分け」、学習課題としている。例

は,医師による生命に対する犯罪が問題である。医師の職責から派生する このような関係は,それ自体としては

  支払の完了していない株式についての配当はその買手にとって非課税とされるべ きである。

   縮尺は100分の1から3,000分の1とする。この場合において、ダム事業等であって起業地

を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に

を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に

 講義後の時点において、性感染症に対する知識をもっと早く習得しておきたかったと思うか、その場

当事者の一方である企業者の手になる場合においては,古くから一般に承と