日本経済新聞社編
『経済学
の
巨人危機
と
闘
う
─達人
が
読
み
解
く
先人
の
知恵』
日本経済新聞出版社
2012年、309pp.
I
序
本稿の導入部分とそれに続く部分では、まず、 当該の書物について大まかな紹介を述べながら、 その全体について大まかな論評を述べる。とはい え、一見して分かるように多様で内容豊富な本書 の構成からして、その各々の部分について適度に 論評し尽くすことは困難であり、少なくとも筆者の 能力や知識の範囲を超えることとなるため、全体と しての編成の方針や編集の仕方や形式的な面に ついて概略的に論評することに止める。次に、本 稿の中盤以降では、本書のキーワードとなっている 「危機」に注目し、おそらくは本書の企画のモチー フとなっているであろう近年の経済危機に本稿の 焦点を合わせ、最も関連深いと考えられる数章に 関心を限定して論評することとする。したがって、 本稿は、近年の経済危機関連の部分に制限され た特殊な論評に過ぎず、部分限定的な書評という べきである。 なるべく、本書の内容紹介と論拠の明示も兼ね て、本文の部分的な表現をなるべく多く借りて、部 分的とはいえ、やや長い表現でも有用ならば引用 しながら述べる。こうした述べ方にするのは、本書 自体が古典を論評する解説的な教養書としての 性格が強いので、もともと書評的なものであり、結 果的に、本稿がこの書評的な本書をさらに書評す るという本来適さない試みとなってしまうので、む 鈴木康夫 Yasuo Suzuki 滋賀大学経済学部 / 教授 しろ、くどくどしい論述を避け、本書の良い内容を 選んで紹介することを主とする記載表現の方法が 書き方として自然で一層適していると考えられるか らである。 近年の経済危機で最も注目されたのが、2008
年頃のアメリカのそれであり、その後の最近のギリ シャ危機やそのヨーロッパへの拡がりないしユー ロ危機である。もちろん、ここで注目する経済危機 とは、リスク資産のバブル崩壊に起因する金融危 機とそれが伴う財政破綻危機と高い失業率の大 不況のことである。それゆえ、本書の部分で、本稿 が注目し関心を集中するのは、主に、ケインズ、ナ イト、ハイエクおよびミンスキーの4
つの章であり、 これらについては、以下の節で、経済危機にとって 基礎的なケインズとナイトについて先に扱い、次に、 金融危機に一層関連深いハイエクやミンスキーと、 補足的にフリードマンについて述べる。もちろん 必要に応じて本書の他の部分にも言及される。な お、本書の構成(本書3-16
頁)は次のようなもので ある。 はじめに 経済学って役に立つの?─今こそ考 える「市場とは」(日本経済新聞社経 済解説部) 第1
章 貨幣論の系譜─岩井克人 第2
章 キンドルバーガー─竹森俊平 第3
章 ハイエク─八代尚宏 書評第
4
章 ケインズ─柴山桂太 第5
章 フリードマン─土居丈朗 第6
章 フランク・ナイト─酒井泰弘 第7
章 ミンスキー─吉川洋 第8
章J
・S
・ミル─齋藤誠 第9
章 ハーバート・サイモン─松井彰彦 第10
章 ジェヴォンズ─今井賢一 第11
章 マーシャル─矢野誠 第12
章 ブローデル─山内昌之 第13
章 ジョン・ロー─北村行伸 第14
章 シュンペーター─後藤晃 第15
章 リカード─若田部昌澄 第16
章 カール・シュミット─水野和夫 第17
章 アダム・スミス─西村和雄 終章 今、求められる「知」─堂目卓生 座談会・転換期の世界に針路─土居丈朗・岩 井克人・松井彰彦II
全体として
本書は、その「はじめに ・・・」(本書9
頁)による と、もともと日本経済新聞の朝刊の「経済教室」と いう連載欄に「やさしい経済学 危機・先人に学 ぶ」といった題で「2011
年11
月から掲載したシリー ズやその関連記事を軸に、加筆・再構成してまと めたもの」であるらしい。また「世界経済の激動の 中で経済学の歴史上燦然と輝く偉大な学者の言 説をどう読み解けばよいのか、日本を代表する識 者がわかりやすく解説・論じた」と述べられている (同9
頁)。本書は文庫本であり「ビジネスパーソン や学生など幅広い層」向けのもので、各章末に主 著や評伝・解説書、各章担当著者の御薦めの「一 押し本」の情報などもそうした読者に配慮して添え られている(同9
頁)。 このように、本書には、一般向けの手軽な教養 書としての配慮があり、細かい引用表現などを省 略して一般の読者もいっそう読みやすいように表 面的な体裁も整えられていて、所々に散見される ゆるい論述と、概ね分かりやすい表現や解説がな されている。しかし、もともとの記事等を再構成し て出来た書物ということもあって、いくつかの章や 部分では専門用語の知識なしでは理解しがたい 表現や幾分硬い解説が見られる。とはいえ、初学 者や学徒だけでなく一般の読者が調べながら勉 強する分には概ね好適書と言えるだろう。 また、各章の内容は、代表的な学説の定番の解 説だけではなく、各章担当著者の広くかつ深い学 識と専門的な視座に基づき、主に各章で掲げられ た16
名やそれ以上の経済学の巨人の各々につい て論説が成されている。各章はどれも良く書かれ ていて、周知のことでも再認識を改めて促す刺激 的な指摘から、一般にはあまり知られていない事 柄や事象についての言及や新鮮な指摘も少し見ら れるなど、関連する経済問題や現実の危機事象に 触れた、あるいはそれらを絡めた論説ないし鋭い 論評も述べられている。それゆえ、本書は、金融危 機やその財政破綻との関係の理解に疎い人々はも ちろんのことだが、経済学説史全般に知識が及ん でいない研究者や狭い分野に特化している若手 だけでなく多くの経済学者にも関心を惹く所や勉 強になる所がある。このように経済学の専門家に 歓迎されるだけでなく、経済が気になる読者はも ちろんだが、一般の知的な読者も少し目を通せば 興味を持つだろうから、一般の世の中でも本書は 受け入れられるだろう。 本書の内容をざっと見てみると、その「はじめに」 では、どの時代にも「市場」が重要な役割を果たし、 それゆえに経済学では中心的な概念であり続け、 また研究ないし教育され続けられているが、その性質は時代で変化するので、一般市民や社会も市 場を時代に合わせて勉強しかつ理解し直す必要 があると説かれている(同
6-8
頁)。その「第1
章」と 「終章」は、小さな展望論文のようなものであり、前 者は、本書で採り上げる経済学の巨人のライン ナップで学ぶ経済学についての学説史的導入と 経済危機の問題意識づけのための論説である。 第1
章では、最近のギリシャ危機や金融のリス ク概念の重要性を意識してか、アリストテレスを 起点にして貨幣経済としての資本主義の源を古代 のポリスに求め、古典派、ケインズとヴィクセル等 を経由して、ケインズを呑み込んだ現代の新古典 派を現実経済のグローバル化とのギャップから批 判し、現代経済学がケインズやヴィクセルの不安 定性を説明できない状況にあるところまで、経済 危機の問題意識とともに駆け足でしかし上手に案 内している。所々急な論旨の繋がりもあるが、小論 での展開上仕方がなく、一部に難しい表現や説明 不足の内容も含まれるが、第1
章の役割として後に 続く諸章への興味や関心を高める効果を十分に 発揮していると言える。 第2
章では、経済学の基本的な考察方法として、 理論だけでなく経験的な考察の重要性と、冷静か つ謙虚な姿勢を強調し、これらをバランスよく取り 入れた総合的な考察方法をキンドルバーガーを通 じて教育的に解説している。その章の後半では、 現代的経済危機の政策的なミニ概説として、フ リードマンやバーナンキの大恐慌研究にも触れつ つ、キンドルバーガーの説を模範として、近年のア メリカだけでなく最近のギリシャやユーロの危機 への政策対応をうまく解説し、章担当著者自身の 立場も分かり易く提示されている。この章から第7
章のミンスキーまでは、近年の経済危機に関連が 深い章であり、時代を遡るが第13
章のローと第15
章のリカード後半もそれと関連が強い部分であり、 特に、政策執行者の市場における役割の重要性 が歴史的事例とともに現代への貴重な教訓として 明快に語られ、かつ歴史軸上で各時代の経済と 市場制度が持つ深淵な趣きを伝えている。 なお、これらの内の数章については、本書で、経 済危機として多くの読者にとりわけ関心があり、か つ近年において実際に一層重要と思われるであろ うから、それらの中から主な章をいくつか選んで以 下で改めて扱うこととする。 他に、第10
章のジェヴォンズでは、「石炭問題」 を軸に、経済危機を起こす主要な現代経済問題 の一つである資源枯渇問題について、英国の産業 革命の性質や解釈にも触れて、その量的制約より もむしろその背景に基づく重要な問題性や根本 的な問題の捉え方について巧みに言及し、技術を 伴う科学的考察の方法の大切さも分かりやすくま とめて説かれている。また、近年の関連文献情報 についても有益な言及が適宜なされている。これ ら以外の章は、経済危機との関連は浅く、どちら かと言えば、広範な興味を持つ読者向けに編成さ れたものであり、経済学の教育的な役割が強い諸 章と言えるだろう。 終章は、本書のある程度のまとめを意識した小 さな展望論文と言えるだろう。その初めの所で、経 済危機についての個別側面の対策や個別の経済 問題に対応するために個別分野の「専門知」を高 めることは必要であるが、「人間学」を基礎とする 社会・経済・政治の全体的関係を把握する「総合 知」を構築することが大切であるとしている(同280
頁)。これはアダム・スミスが目指したものであ るとして、その人間学と経済学を考察かつ総合し、 社会・市場・経済成長・政府のあるべき関係をま ず示し(同281-286
頁)、競争と倫理・デモクラシー の危険性・分配の問題・総需要管理の意義・経 済成長の質・グローバル化と平和などのアダム・スミスが残した諸問題を論じることで、現代の諸問 題を考えるための総合知の構築を模索している (同
281
頁、286-298
頁)。最後に、総合知といった 古典的な考察の仕方も複雑な経済危機を考える 手がかりとして極めて重要であり、その解決には 必要であろうと示唆しているのであり、したがって 古典の研究や勉強も大事なのだと巧妙に主張し、 本書の経済学の巨人に関する諸章を締めくくるの に最良のあるいは最適な形で終章の論説を綴じ ている(同298-299
頁)。 本書の最後に、その章担当著者3
名による議論 を収録したものが文章化されている。そこでは、日 本と世界が抱える現状の経済問題や経済学が抱 える問題に触れながら、古典や先人に学ぶ意義を 率直に議論している(同301-309
頁)。この文章は 本書にとって付録かもしれないが、経済学の現場 の臨場感を伝え、読者の問題意識を効果的に刺 激しようとするねらいがあるように見える。III
経済学の巨人と危機、
知恵の読み解きの基礎:
ケインズとナイト 本書にとっての主題らしきものとしては、財政破 綻を伴うあるいは含まれる場合もあるが、金融危 機という経済危機を挙げることが出来るだろう。そ して金融危機には何らかの経済リスク、主に金融 リスクが深くかかわり、結果的に大きな不況をもた らす。したがって、簡潔な語句でその主題を表現す れば、「金融危機とリスクと不況」ということになる だろう。ここでは、この主題的なものに最も関連が 深い
4
つの章の中の関連部分に関心を集中して論 評を試みる。 以下では、ケインズ、ナイト、ハイエク、ミンス キーの順番で言及するが、この順番自体にはそれ ほど意味がないけれども、以下の文章全体が長く なるのを避けるために、便宜的に二つの部分に分 けて扱い、ここではその前半のケインズとナイトに ついて論述する。 第4
章のケインズでは、ケインズの諸側面とグ ローバル化に焦点を当てている。まず初めの見出 し「批判の真の矛先」では、近年におけるアメリカ 発の金融危機後の世界経済の不透明な先行きに 迎合しつつ、主流派経済学などの多数派の見解 に従って、「戦後的なケインズ主義の神通力は、も う効力が切れかけている」と述べるなど、近年復活 している従来のケインズ的政策、特にその財政政 策の効果を強く疑問視して、ケインズの別の面に 読者の関心を向けさせる(同74
頁)。「不安定な資 本主義を政府が適切に管理する、」「だがケインズ は一国レベルで経済が管理できると考えていたわ けではない。」さらに「今彼が生きていれば、今回 の危機は一国レベルで解決できる代物ではなく、 国際社会の新たな連携や制度づくりが不可欠だと 主張するのではないか。そして行きすぎたグローバ ル化を正常化すべきだと、世論を説得しようとした だろう」と述べて(同74
頁)、グローバル化に対峙 するケインズ像へと読者をやや強引に誘導して 行く。 次の見出し「厳しい想定を基に」ではデータと直 観を重視しかつ予想・ギャンブル好きなどのケイ ンズの特徴を小刻みに述べながら、ドイツの過大 な賠償の国際的な問題点を正確に予言した例な どでグローバルな事柄に対するケインズの理解力 や確かな資質をうまく説明している(同75-76
頁)。 見出し「『悪夢再び』の危惧」では、国家債務危機 や長引く不況がケインズ的な内需拡大政策に限 界を与え、貿易戦争再発などの強引な力による国 際的解決への危惧を指摘している(同76-78
頁)。 「貿易、『自由放任』を疑う」では、ケインズは自由貿易主義と保護主義の中間の立場であり、現代の 極端なグローバル化に反対する立場と両立し得る ことがやわらかく説明されている(同
78-79
頁)。 「効率と公正・安定」では、ケインズが資本主義の 有効性を認めつつも、個人の自由を尊重し、「効率 や自由だけでなく、公正や安定もまた達成される べき政治の目標である」という政策的社会哲学の 考えを持っていたことが説明されている(同79-81
頁)。そのために所得分配不平等の是正と社会の 不安定化の制御が重要であるが、現代のグローバ ル化の下で難しくなっていることと、ケインズがグ ローバル化の秩序を重視していたことを確認して いる(同80-81
頁)。 また「国際化と3
つの道」では、徹底したグロー バル化や超国家的なグローバル民主主義でもなく、 制限されたグローバル化という中間的なグローバ ル化の方向とケインズの考えが両立し得ることを 指摘し(同81-82
頁)、このことを例証しかつ一層 の基本的なケインズ解説を施すために「国際清算 同盟案 」の 解説を巧妙に接続させている( 同83-84
頁)。それは、各国通貨と直結する新国際通 貨を国際的中央銀行が発行して国際貿易の決済 と国際収支の国際管理を行い、グローバル化の 利益を確保しつつ、通貨競争や巨額の資本移動 と不均衡等の弊害を小さく抑えようとする構想で あり、さらに、こうしたことは金融危機との関連も あり、現代でもその構想が通用する可能性がある という重要な示唆を平易な説明の末に与えている (同83-84
頁)。 最後の「歴史の変わり目」では、そのグローバル 化の中での経済危機は一国では限界があり解決 できないので、国際協力で「世界経済の新たな管 理についての構想を練り」努力して対処する他は ない、と論説を閉じている(同85
頁)。章全体を通 じてやわらかで巧妙な語り口が適度に見られ、例 えば、ケインズだったら何々といった表現も多用さ れ、読者をケインズに近寄せるような表現もあり、 一般の読者に配慮したゆるい表現や分かり易い 文章表現がなされいる。また、ケインズの諸側面 をグローバル化を軸にしてに論理的に繋げ、清算 同盟を中心に上手に論説がまとめられている。 ここでは、ケインズの章ということで一応詳細な 内容紹介を行った。しかし、この章の内容がグ ローバル化を軸にした論説としては良く出来ていて、 確かに成功していても、金融危機とケインズの経 済政策の関係についての、フリードマンの第5
章 前半のようなある程度詳しい解説がほとんど為さ れていないのは、多くの読者にとって不満足ではな いだろうか。本書を手にする多くの読者は、危機の 一側面や一要因よりも、近年直面している危機の 本質や危機に直結する中心的な内容に強い関心 があるはずだからである。本書の主題らしき金融 危機にケインズの経済学は本来近い関係にある はずだが、この章ではあまりそうなっていないよう に思え、その読み解きを期待して本書を手にする 多くの読者には、良い勉強にはなるがしかし少し 物足りないであろう。 第6
章のフランク・ナイトについて、まず、見出し 「『想定外』を想定する」では、大地震・大津波・原 発事故という日本の至極深刻な三重苦の状況をと り上げ、安全神話にとっての「想定外の事象」が実 際には想定可能なのに責任者たちが軽視または 無視したに過ぎないということを、章担当著者は極 めて効果的な引用も用いて指摘する(同106-107
頁)。このことは、彼らの私的かつ営利的な独断で 歴史的に重大なリスクを意図的に無視したことの 責任追及が当然であるということを示唆している が、同時に、人々の衝撃的な記憶を呼び覚ますこ とで、リスクの測り知れない重大さを明瞭に訴え、 現実の中でこそ、リスクを慎重に学びかつ考察し、さらにリスクを正確に取り扱うことがいかに大切で 難しいのかを印象付けるかのように非常にうまく 伝えている。そして、「『想定外』の事象をあらかじ め想定し、分析対象とする気宇壮大な学者」かつ 「経済思想史を見渡したとき」「いわば通奏低音の ごとき存在」という評価を先行して提示し、さらに、 リスクや不確実性から資本主義を再検討する視 座を与え、「混迷の時代に羅針盤の役割を演じる のが、ナイトの経済思想なのである」と彼の経済 学のシルエットが紹介されている(同
107
頁)。 ナイトの主著に触れて、「リスクと不確実性」で は、不確実性に対処するシステムとして資本主義 の存在理由を考えた点や、リスクと不確実性の概 念を整理した点などを評価して、統計的確率とし てのリスク概念と「測定不可能な不確実性」の違 いを簡潔な形でうまく説明している(同108-109
頁)。「経営者か企業家か」では、ナイトの企業家 の概念は、信念を持ち精力的に活動する陽気な楽 天主義者のようなものであり、アニマル・スピリッ ツを持つケインズ的な人間像やイノベーションを 追及するシュンペーター的な人間像と共通する部 分が多いと説明されている(同110
頁)。また、ナイ トの「企業家」とは、統計的確率を用いリスクを保 険などで制御し、そのルーティン機能を維持する 「経営者」と区別され、計測不可能な不確実性に 立ち向かい、信念の下で責任重大な決定を下す活 力みなぎる行動主体であり、この決定の報酬こそ が利潤に他ならず、資本主義の推進力の源が企 業家なのだと明快に解説されている(同110-111
頁)。 次の「経済と倫理」では、自由競争の基本的な 意義を認めつつ、経済主体の多様な個性・情報 不完全性・欲求自体の倫理的評価・独占化傾向・ 不確実性への心理的過剰反応・市場の過激な ゲーム性・生産貢献の分配への倫理的疑念など の問題点について、競争市場に対するナイトの厳 しい評価を紹介して手短にまとめ、実際の経済活 動に対する社会倫理や道徳実践の必要性を指摘 している(同111-112
頁)。「合理性と非合理性」で は、ナイトが、人間行動を感情・社会・政治・倫理・ 宗教などの「6
種類の側面」から見ていて、合理性 が限定的であるだけでなく「安心を求めつつ夢と ロマンを好む存在」として経済における人間を捉 えていたことと、「『すべてを疑え』というリベラリズ ム」を持ち合わせていたことを考慮して、自然科学 的方法の機械的適用に大いなる警告を発し、「合 理的経済人」を基礎とする新古典派経済学の立 場と「制度学派・歴史学派」の立場という「両極端 を忌み嫌い、バランスよく『中間の道』をあえて模 索した求道者」と解説されていて、ナイトの考え方 の輪郭が明らかにされている(同113-114
頁)。 続く「2
つのシカゴ学派」では、背景としてシカゴ 学派に触れ、創設期のヴェブレン、「『第1
期シカゴ 学派』の重鎮ナイト」そして「第2
期シカゴ学派」に フリードマンとして、「自由競争は必要だが、それ には節度と倫理が必要だ」とするナイトの立場と 「市場は最大限の効率性をもたらす、最善のシス テムだ」とするフリードマンらの立場をはっきりと 対比させ、ナイトのような立場への回帰を促してい る(同115
頁)。「『人間の科学』の追及」では、章担 当著者自身の実際の見聞を織り交ぜて、「ナイトは、 生粋の自由主義者で、政府の干渉や規制を嫌っ た。だが、各人が何をしてもよいというような『能天 気な楽天家』ではなく、人間の多様性や複雑性を 認め、経済と倫理の相互作用にも注目した『複眼 的な人間観察者』であった」と分かりやすく評して いる(同116
頁)。また、「ナイトは抽象主義者のワ ルラスよりも、現実主義者のマーシャルのほうに 親近感を覚えていたようだ」と解釈し、「人間の科 学」としての経済学の基礎が「人間行動の原理」であり、経済活動の複雑さや人間行動の多様性か ら、その解明のために「人間行動の心理について、 いろいろな観察を行う」必要があり、かつ「複雑な 人間行動の動きをあるがままに総合的に解明すべ し」と、ナイトの基礎的な考えが説明されている。 また、「ナイトは決して冷たい損益計算一辺倒の人 間ではなく、生身の血の流れる温かい人間観察者 であったのだ」とマーシャルっぽい学者のように評 されている(同
116-117
頁)。 最後に「現代にいかす教訓」では、「米国のサブ プライムローン問題に端を発した世界同時不況は、 経済学と経済学者の実用価値を問うている」と指 摘し、世の重大問題に対する読み解きとしてナイト 流の見解を提示し章担当著者の手短な所見が次 のように述べられている(同117
頁)。「ナイトなら、 地震大国の日本に多数の原発を建設することは、 本来計量化できない『不確実』であると捉えたは ずだ。だが、現実には何重もの対策を施すことで 事故率がゼロに近くなると想定した。これは不確 実性ではなく計量可能な『リスク』であると誤認し たことにほかならない。」「また倫理を重視する彼の 立場からすれば、」「当事者の責任転嫁やモラルハ ザードが発生しないような仕組みが必要だった。」 (同118
頁)。他方、「多様な債権がひとくくりにされ、 証券化商品自体はリスク分散という合理性を持っ たはずだが、マクロ経済のレベルで見ると、金融 システムが暴走する要因となり世界経済を大混乱 させた。国債の大量発行も短期的には合理的な 政策かもしれないが、長期的には制御不可能な不 確実性を生む恐れがある」(同118
頁)。 さらに「学問としての経済学自体、深刻な危機 にある」。(諸学問の)「英知を広く結集した総合的 社会科学の樹立が待たれている。その点でナイト に学ぶところは大きい」(同118-119
頁)。このように、 本章は、ナイトの経済思想を中心にして、文献や 学問の案内、学者の紹介、経済危機の解説として 実にバランスよく論旨明快に書かれているだけで なく、論述や表現の巧みさとその展開もよく、明ら かに、本書で最も成功している解説の一つである。IV
貨幣、負債、金融危機、
知恵の読み解き:
ハイエクおよびミンスキー 第
3
章のハイエクでは、「貨幣の中立性」を重視 した「貨幣の非国有化論」に基づき、世界大恐慌 の理解とともに、貨幣供給の独占が景気循環の要 因と考えることから、バブル防止策として貨幣発行 の市場による自由化や共通通貨批判というハイエ クの主張をまず効率よく紹介している(同59-63
頁)。次に、「信用バブルの真因」では、ハイエクの 主張に従って、リーマン・ショックや近年アメリカ の金融危機の原因や、市場規律を損なうその政 策的処理と、銀行規模抑制という反独占的規制 の政策主張を、非常に論旨明快な論述と、かなり 分かりやすい、易しい解説で最適な形と言えるほ どうまく論説している(同63-64
頁)。本書の主題ら しき金融危機についての基本的な解説としては、 本書において最も成功していると言うべきである。 続く「不良債権の処理」では、市場利子率と自 然利子率との乖離に起因するハイエクの貨幣的 景気循環理論の考え方をバブル期の日本経済の 説明にうまく適用させて、バブル崩壊後の不況に まで巧みに説明が及んでいる(同64-66
頁)。政府 の裁量の排除と市場規律を重視するハイエク的 政策の良い例として、小泉政権の政策を高く評価 しているが、それに続けていきなり「その後の日本 経済の回復が実現できただろう」と、論拠も示さず 説明も無しで短絡的過ぎる結論に飛躍してしまい (同66
頁)、その直前までたいへん良い流れで解説が展開されていたので、その分だけ余計に残念で ある。 また、この章の後半では、福祉国家や非営利事 業の問題点について明瞭な解説が行われている。 さらに、例えば地方自治体や公的組織などの分権 化の重要性と公的独占の排除についても情報の 不完全性や規律を失う危うさなどについて、ハイ エクの一貫した論理に忠実に従いながら、明快に かつ分かりやすく解説ないし論説されている。こ の章全体として見ても用語表現や現実的な問題 意識に一般読者への配慮があり、同時に論旨の 流れが明瞭で、たいへん分かり易い文章表現と なっている。結果的に、本書の主題らしき金融危 機に強い関心がある読者には最も興味ある一章と なっている。 第
7
章に議論を進める前に、金融危機にとって 第5
章に部分的に触れることは有意義なので、補 足として、20
世紀前半の米国の大恐慌ないし世界 恐慌に関するフリードマンの考え方について、その 章本文に従ってここで若干述べておこう。 フリードマンらは共著の著書で、市場が経済を 不安定にしたことで大恐慌が起こり、「金融政策は 無力だったとする当時の定説を否定」し、「当時の 米連邦準備理事会(FRB
)が適切な金融政策を取 らなかったために大恐慌を助長したと結論づけ た」(同88-89
頁)。また、この金融政策の失敗を大 恐慌の真因とする彼の説は、「今でも有力」で、「当 時のFRB
内部の権力闘争にも及ん」でいることが 述べられている(同89
頁)。一方、「民主主義国家 において、政策は全知全能の権力者が決するもの ではない。政策決定に関わる多くの人々の間で錯 綜する様々な利害が、講じる政策の内容に影響を 与える。金融政策とて例外ではない」、「今一度彼 の主張を読み返すと、政策の失敗の真因が見えて くるといえよう」と章担当著者は述べている(同89
頁)。大恐慌当時、「ニューヨーク連銀が事実上の 中央銀行とも言える存在であった」が、「ニューヨー ク連銀の影響力の強さに嫉妬していたFRB
事務 局は(同90
頁)、その連銀が独自の判断で公債買 いオペを行」った「行動に懲罰を科し、同連銀」を 屈服させ、「以後、FRB
は通貨量が次第に減少す るに任せる政策スタンスを取り、取り付けや銀行 倒産が相次いだ。フリードマンらは、ニューヨーク 連銀の取った政策を根拠薄弱なまま否定し、権力 闘争に明け暮れ、リーダーシップを欠いた当時のFRB
を批判した。もちろん、マネタリスト的な見方 として、通貨供給量の減少が大恐慌を悪化させた ことを明らかにしているが、こうした政策当局の 誤った決定や不作為の背景に焦点を当てた点で も評価される」(同91
頁)。 また、当時の金本位制は、「金融政策決定に強 い制約を課すものでもあった」、フリードマンらは、 「立場が異なる国々で起きた現象を比較衡量する ことで、大恐慌の本質に迫っている」(同91
頁)。「金 本位制という固定為替相場制を通じて、米国の大 恐慌の影響が強く伝播した。あるいは、金本位制 から離脱することで為替レートの変動を通じて、 米国の大恐慌の影響を遮断できた」(同92
頁)。金 本位に復帰した「フランスでは、米国より時期が遅 れて通貨量の減少が起こり、深刻なデフレと景気 後退が遅れて起きた」が、「金準備が極めて少ない 上に銀行制度が脆弱だったドイツ、オーストリアな どは、デフレだけでなく大規模な金融危機にも直 面し、急激な景気後退に見舞われた」ことなどが 紹介されている(同92
頁)。「フリードマンらは、大 恐慌は、生産や貿易など非貨幣的な変化が主因 だったわけではなく、貨幣的な要因が、米国の大 恐慌が世界的にも伝播する中心的な役割を果た した、と主張した」(同92
頁)。なお、バーナンキがFRB
の理事であった頃にフリードマンらの共著の著書をかつて称賛し、大恐慌に関するフリードマ ンら「の意見が正し」く、批判されてしかるべき当 時の
FRB
の行動を「極めて遺憾に思っている」ので、FRB
は「それを二度と繰り返さないだろう」といっ た発言内容が紹介されている(同94
頁)。 さらに、金本位制と同様に、統一通貨の金の準 備に通貨供給が拘束されるので、規制されない貿 易や資本移動が自由なままならば、景気調節のた めの金融政策が制約されることから、ブレトンウッ ズ体制の「固定相場制を批判し、変動相場制の 利点を論じた」(同95
頁)。また、「ユーロが誕生す る前から欧州通貨制度を批判していた」(同95
頁)。 後に「統一通貨ユーロによって、欧州中央銀行が ユーロ圏内ので統一的に行う金融政策の短所を 強調した」。「ユーロ圏諸国の間で経済構造が大き く違うと、共通した金融政策では各国の経済状況 をうまく改善できないと批判。その上で、ユーロ圏 諸国間の経済・政治状況の差異が拡大すればす るほど、ユーロは深刻な事態に陥ると予言した」(同95
頁)。 この章の後半は全く扱ってないが、ここで確認 した限りでは、不況時の金融引き締めが不況を悪 化させるというケインズ政策の標準的な理解と第4
章で述べられたグローバル化による不況の国際 的伝播の弊害について、フリードマンとケインズの 間に共通した理解が見られると解釈しても良いだ ろう。このように、展開もかなり良く、極めて論旨明 快な解説となっていて、この章も最も本書で成功し ている章の一つであると言えるだろう。 第7
章のミンスキーについて述べる。まず、見出 し「異端の経済学者」では、「多くの読者にはなじ みが薄い名前かもしれない」マクロ経済学者であ り、「金融市場の不安定性と、それが資本主義経 済にもたらす危機を研究した」「異端の経済学者と いってもよいだろう」と述べられている(同120
頁)。 読者に配慮した基本的な用語の分かりやすい説 明も交えて、その異端性を主流派の新古典派ない しアメリカ・ケインジアンの「新古典派総合」の考 え方に対比させて明確に位置づけ、ポスト・ケイン ジアンとして紹介されている(同121
頁)。次の「金 融危機は内生的」でもそれら両者の立場の相違を 明確にすることからミンスキーの立場と異端性を 明快に解説している。「金融市場の不安定性、『バ ブル』とそれがもたらす金融危機は、ごくまれな例 外的な出来事ではなく、資本主義経済と切っても 切れない『内生的』なものだ」というミンスキーの 立場に対して、「金融は景気変動を生み出す主役 ではなく、政策の効果に限界があるにしても、とも かく景気安定の役割を担う」というのがアメリカ・ ケインジアンのそれであるとされている(同122
頁)。 次の「金融不安定性仮説」では、ミンスキーの ビジョンに、ロシア革命後に亡命した少数派の社 会主義者が両親であったことが影響したかもしれ ないが、彼は社会主義者ではなく、むしろ彼の師 のシュンペーターの影響があったと述べている(同122
頁)。オーストリア学派は「金融危機あるいは 金融恐慌がマクロ経済に大きなダメージを与える ことを重視していた」(同123
頁)。シュンペーターは 「ケインズ的な景気安定化政策としての金融政策 には極めて懐疑的な」立場で、「政策当局にとって 最も大切なのは、バブルが起きないように警戒を怠 らず、金融市場の安定を維持するための制度を整 えることだとした。そのためシュンペーターは『預 金保険制度』を高く評価した」(同123
頁)。また、 「ミンスキーの名を世に知らしめた『金融不安定 性仮説』あるいはミンスキー・モデルは」「アーヴィ ング・フィッシャーの『負債デフレーション理論』と も重なるところ」があり、フィッシャーが「通常は元 に戻るが、好況期に企業が過剰な債務を負い、続 く不況期にデフレーションに陥ると、経済は本来持っている自動安定化作用を失ってしまう、と論じ た」ことも述べられている(同
123
頁)。 そして、「債務者の3
類型」では、フィッシャー理 論の「好況期の『過剰な債務』について、ミンスキー は詳細な議論を展開した」。彼は「債務者を3
つの タイプに分類し」た(同124
頁)。「ヘッジファイナン ス」は利払いと返済が十分に期待できる「健全な」 債務のことであり、「投機的ファイナンス」は利払 いが出来ても返済には新たな借り入れが必要にな る債務のことであり、「ポンジーファイナンス」に 至っては利払いも期待できない債務のことで一層 の借り入れや保有資産の売却が必要になる債務 であり、破綻回避には保有資産価格の上昇が必 要となる(同125
頁)。これらの3
類型の段階的な 「債務のパターンが景気変動とともに『内生的』に 変化し、必然的に金融危機へ至ると主張する」と 摘要を述べ(同125
頁)、日米の例を挙げつつ、イ ノベーションがその変化の出発点となり、不況下 でのヘッジファイナンスから好況時の投機的ファ イナンスへ、さらに強気の企業が積極的に借り入 れで投資を増加させ、やがて景気の過熱と熱狂の 中でポンジーファイナンスへと進むことになると解 説されている(同126
頁)。 続く「過大な負債が温床に」では、「借り手が破 綻した場合に貸し手にコストが発生し連鎖反応が 生じる。こうした意味でミンスキー理論が強調する とおり、過大な負債は金融危機の温床となる」と 要点を述べ、新古典派の「合理的期待」や「市場 の効率性」と対比しながら、シラーや経済物理学 のバブル研究という新しい流れも紹介している(同126-127
頁)。 さらに「ケインズ理論の本質」では、全体的な視 点から考え方を手短にまとめている。市場や主体 的行動に関するミンスキーの見方は、ケインズの 『一般理論』に依拠していて、これを「それまでの 経済学を一変する文字どおり革命的な書物であ る」と評価し、他方、主流派がそれを誤解している と考えた(同128
頁)。数学的確率で定義できるリ スクとそうできない不確実性に実際に直面する企 業や投資家が意思決定で頼りとする指標としてケ インズが考える「慣習」について、これは「決して一 定ではなく景気とともに変わる、とミンスキーは考 える」(同128-129
頁)。「もう一つケインズがあまり 深く立ち入らなかった問題が『負債』であ」り、「好 況が続く中でそれが変わり、」「負債が深化してい くことこそが、金融危機へ至る資本主義経済変動 の中核ととらえた」(同129
頁)。「ミンスキーは、金 融市場の規制緩和に一貫して慎重だった。銀行の 投機的行動は、過大な負債をつくり出す大本だ、 と考えていたからだ」(同129
頁)。 最後の「近年再評価の機運」では、70
年代に「マ クロ経済学は『ケインズ以前』に戻ってしまった」 ため、「効率的市場仮説」などの新古典派経済学 の陰でもミンスキーの仮説に「居場所はなくなる」 わけだが、現実の金融システムが動揺するときに 「思い出されるのが、ミンスキーなのである」(同130
頁)。「そうした経済学は米国を中心とするマ クロ経済学の中ですっかり消えてしまった。ただ一 人ミンスキーの名が残っているのである」(同131
頁)。このように、本章は、ミンスキーの理論仮説 を中心にして、文献や学問の案内、学者の紹介、 経済危機の解説として実にバランスよく論旨明快 に書かれていて、しかも、分かりやすさに十分配慮 した論述や表現と展開が顕著であり、明らかに、 本書で最も成功している解説の一つである。V
終わりに
本稿の内容自体に対しては、書評を書評すると いう本稿の試みは初めから放棄されていて、独自の論評が乏しく、学生がよく書くような、ひたすら 本文を紹介する引用だらけのレポートのようなも のになってしまっていると評すべきかも知れない。 もちろん、引用が多過ぎるかもしれないが、どの引 用も本文の文脈に忠実に用いているつもりであり、 引用部分の恣意的な使い方はしていない。とはい え、少なくとも、本書の主題らしき経済危機や金融 危機について重要な内容や問題の本質の薫りを 抽出するのには成功していると言ってもよいのでは ないだろうか。 第