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森鷗外「牛鍋」論─「 本能」とクロポトキン『相互扶助論』

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Academic year: 2021

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︻論

  

文︼

森鷗外「牛鍋」論

﹁本能﹂とクロポトキン﹃相互扶助論﹄

     

  

森鷗外の短編小説 ﹁牛鍋﹂ は、 明治四二年一二月六日の日記に、 ﹁牛 鍋を心の花に︵中略︶送る﹂と記されていることから、この日まで には脱稿したと考えられる。その﹃心の花﹄第一四巻第一号︵明治 四 三 年 一 月 ︶ に 掲 載 さ れ、 同 年 一 〇 月 発 行 の﹃ 涓 滴 ﹄︵ 新 潮 社 ︶ に 収録され、 さらに﹃還魂録﹄ ︵大正六年九月、 春陽堂︶に収載された。 この間に、わずかな用語の異同はあるものの、意味内容に深く関わ るものではないと考えられる。この小説は、夫を亡くした女とその 幼い娘が、亡夫の友人である男と牛鍋を食べる場面を描出したもの である。男がひたすらひとりで食べ、女の娘が男の隙を見て肉をつ まみ、女はそのありようを﹁永遠に渇してゐる目﹂で見つめる、と いう光景が三人称の語り手によって提示されている。 小 説﹁ 牛 鍋 ﹂ は 発 表 当 時、 ﹁ 此 人 の 為 に、 恁 こ ん な 麼 浅 薄 な 殴 書 は 試 み て貰ひたく 無 ︶1 ︵ い ﹂と、文学者としての鷗外を評価するがゆえにそれ に相応しくない見劣りのする小説と酷評されたりした。 しかし後年、 三 好 行 雄 は、 ﹁ 鷗 外 の 短 篇 の な か で、 も っ と も 完 成 度 の た か い 傑 作 だと信じている。ほとんど鮮烈といっていい印象の短 篇 ︶2 ︵ ﹂と絶賛し た。ただし一方において、 三好が ﹁﹁牛鍋﹂ について語ることの困難﹂ を指摘したとおり、その先行研究は決して多くはない。 先行研究において、小説﹁牛鍋﹂は、描写と内容の二方面につい て言及されてきた。まず、描写については、シンポジウムで小堀桂 一郎が、 明治四二年末頃に発表された鷗外の小説には、 ﹁杯﹂ ﹁牛鍋﹂ ﹁ 電 車 の 窓 ﹂ と い っ た ペ ー タ ー・ ア ル テ ン ベ ル ク︵ Peter Altenber g ︶ の 散 文 詩﹁ 釣 ﹂ を 模 倣 し た 形 式 の 小 説 と、 ﹁ 独 身 ﹂ と い う 従 来 の 形 式の小説の二系統があることを指摘し、 ﹁﹁牛鍋﹂に関して私、写生 文と申しましたのは、いま言った文脈での散文詩と言いかえてけっ こうだと思いま す ︶3 ︵ ﹂と述べ、小説﹁牛鍋﹂が鷗外における新しい文 体の創造であると意義づけている。一方、三好は表現の仕方そのも のに小説の主題を見ている。 ﹁︿永遠に渇してゐる目﹀を具体化する

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こ と な く、 そ の は げ し い 情 念 の 色 を 読 者 の 眼 前 に 彷 彿 し て み せ る │ 純 粋 に ︿ 表 現 ﹀ の 領 域 に 属 す る こ の 試 み こ そ 、﹁ 牛 鍋 ﹂ の 真 の 主 題と呼ばれるにふさわしいものかもしれない﹂と述べ、三好は、女 のもつ﹁永遠に渇してゐる目﹂の具体を描出していないにもかかわ らず、その目のもつ激しい感情を読者に感じさせる表現方法に、内 容を凌駕する程の中核性を見出している。 次 に、 内 容 に つ い て は、 竹 盛 天 雄 が、 ﹁ 本 能 は 存 外 醜 悪 で な い ﹂ などの叙述を﹁テー ゼ ︶4 ︵ ﹂と捉え、それが﹁この作品の底をかえって 浅 く し て い る ﹂ と 批 判 し な が ら も、 ﹁ 本 能 ﹂ の﹁ 決 し て 暗 く な い 人 間の恕されるべき肯定面がとらえられている﹂と述べている。竹盛 は、 ﹁ 本 能 ﹂ を こ の 小 説 の 主 題 と 捉 え、 作 中 人 物 は﹁ 教 育 の な い 下 層の生活者﹂であるが、この男には﹁本能﹂の肯定されるべき部分 が表出していると考えている。 三好行雄も、 この男と女について、 ﹁大 工の棟梁か鳶の頭らしい、いなせな職人肌の男と、さほど裕福でも なさそうな、それでいて情熱を隠すことを知らぬ下町の女との対照 はすでにあざやかである﹂とし、この二人を、職人風情の男と下町 文化を身にまとった裕福ではない女と指摘する。また、三好は、女 の﹁ 永 遠 に 渇 し て ゐ る 目 ﹂ に 男 に 対 す る﹁ 情 念 の 炎 ﹂ を 看 取 す る。 小泉浩一郎は、女の﹁永遠に渇してゐる目﹂に着目し﹁性欲のため に食欲をも母性愛をも忘れた永遠の女性 像 ︶5 ︵ ﹂を見出す。そして、男 に つ い て は 職 人 ら し い 格 好 に も か か わ ら ず 書 類 入 れ で あ る﹁ 折 鞄 ﹂ を所有する点から、 ﹁︿開化﹀の体現者﹂ ﹁﹃雁﹄の高利貸末造の先蹤 的イメージ﹂を見る。有賀ひとみは、上野千鶴子﹃近代家族の成立 と 終 焉 ﹄︵ 平 成 六 年 三 月、 岩 波 書 店 ︶ に お け る 家 族 の 定 義 を 導 入 し て﹁共食共同体﹂を﹁家族の最小の定義﹂とし、男と女と女の娘は ﹁牛鍋という ﹁火﹂ を囲む ﹁家 族 ︶6 ︵ ﹂﹂ と見なす。そして、 ﹁経済的困窮﹂ にある ﹁下層の未亡人﹂ の女は、 そこから脱することを欲して ﹁︿男﹀ と法的に婚姻関係を結び、 家族となる﹂ ﹁一の本能﹂ を抱くがゆえに、 ﹁食欲と性欲﹂ という ﹁他の本能﹂ を犠牲にしたと捉える。さらに ﹁﹁本 能 ﹂ の お も む く ま ま に 行 動 で き な い 理 由 の ひ と つ ﹂ が﹁ ﹁ 未 亡 人 ﹂ や﹁母﹂といった社会的なもの﹂による束縛であるとする。 以上の先行研究では、この小説の表現形式、小説内で言及されて いる﹁本能﹂とは何か、女のもつ﹁永遠に渇してゐる目﹂をどう読 む か │ こ の 三 点 が 主 と し て 問 題 に さ れ て い る 。 し か し 、 こ の よ う な問題を追究する上でも、 まずおさえておかなければならないのは、 小 説 の 構 造 と 語 り 手 の あ り 方 で あ る と 思 わ れ る。 小 説﹁ 牛 鍋 ﹂ は、 三人称の語り手による男と女と女の娘の食事風景の描写と、その小 説内事態に対する語り手の批評という二種の記述から成り立ってい る。まずは、あたかも目前で繰り広げられているかのように三者に よる食事風景が描かれていて、この箇所は写生文と言ってよい描写 になっている。その一方で、語り手はこの目前の光景に対して、例 えば﹁四本の箸の悲しい競争﹂というように、抽象化を伴う語で批

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評意識を交えながら叙述していく。そして、小説の進行とともに語 り手の批評の度合いが徐々に増していき、小説末尾では、嘱目風景 に端を発した﹁本能﹂をめぐる思考に語りの焦点が移行する。そこ では、男の妨害に負けずに箸を伸ばすようになった女の娘に対して ﹁ 生 活 の 本 能 ﹂ を 見 出 し、 食 べ さ せ ま い と す る 男 を﹁ 箸 の す ば し こ い本能の人﹂と認定する。つまり、語り手によって、男と女の娘の 牛鍋をめぐる争いは、 ﹁本能﹂の争いとして焦点化されるのである。 この枠組みの設定の仕方に、語り手の問題意識が表出している。も ちろん、食の争いという具体的事象を湧出させた根本的要因に﹁本 能﹂を見るという着眼点は、真新しいものではない。しかし、先行 研究で指摘されてきた三者の関係性を改めて想起したい。この三者 は下層社会に属しながらも、男と女では経済力に差があると見受け られる。男は職人稼業でありながらも何か副業をもち経済力を少し ずつ伸長しつつある様子であり、反対に女は夫を亡くし幼い娘を抱 え経済的に苦境に立たされていると考えられるように、貧しさのな かにおいて差異があるのである。そして、三者ともに晴れ着を着用 し、女は男に酒を注いでやるなどの気配りを見せるが、男は全く意 に介さずにそれを当然のことのように受け流してほぼ独善的に食事 をしている。これらの点を踏まえると、下層社会に生きながらも経 済力を有し始めた男が、亡き友人の妻と娘とに食を与える義務はな いものの、二人を手助けするために、それほど高くはない外食牛鍋 に招いたものと考えられる。 こうした三者の関係性とありようから浮かび上がってくる問題が ある。それは、 下層社会における助け合いという問題である。また、 語り手は男と女の娘の行為を﹁本能﹂による争いとして提示してい た。そうであるならば、小説﹁牛鍋﹂には、下層社会における食を めぐる﹁本能﹂の争いと、下層社会における助け合いという二つの 問題が存在することになる。この﹁本能﹂と助け合いに関して、管 見の限りにおいて当時の言説状況を確認すると、これらは社会主義 者を中心に識者の間で思考に上がっていたことが判明する。それゆ えに、この小説における﹁本能﹂と助け合いを当時の言説状況に置 いてみることによって、語り手が﹁本能﹂の語を用いて三者を分析 することの意義が新たに浮上するように思われる。本稿では、第一 に語り手の思考内容を明らかにし、第二に当時の社会主義者たちが ﹁ 本 能 ﹂ を め ぐ っ て 展 開 し て い た 言 説 を 調 査 す る。 そ れ を 通 じ て、 この小説の語り手が有する﹁本能﹂に関する思考が当時どのような 位相にありどのような意義を帯びていたのか、この問題に肉薄した いと考える。

牛鍋をめぐる争いにおいて、男が強者として君臨し、女とその娘 が劣勢に立っていることは一目瞭然である。そのような関係性のな

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かで女の娘が逆襲に出た場面を語り手は次のように焦点化する。 男のすばしこい箸が肉の一切れを口に運ぶ隙に、娘の箸は突 然手近い肉の一切れを挟んで口に入れた。もうどの肉も好く煮 えてゐるのである。 少し煮え過ぎてゐる位である。 男は鋭く切れた二皮目で、死んだ友達の一人娘の顔をちよい と見た。叱りはしないのである。 ﹁ 二 皮 目 ﹂ と は 二 重 瞼 の こ と で、 男 は そ の は っ き り し た 目 元 か ら 視 線 を 送 っ て い る。 こ れ ま で 男 は 女 の 娘 が 箸 を 伸 ば そ う と す る と、 ﹁ そ り や あ 煮 え て ゐ ね え ﹂ と 言 っ て 阻 止 し て き た。 と す る と、 語 り 手が﹁どの肉も好く煮えてゐる﹂ことを暴露することは、男の発言 が嘘であり、男は単に肉を独占したいためにそのような嘘をついて い た こ と を 読 者 に 明 か し た こ と に な る。 さ ら に、 ﹁ 少 し 煮 え 過 ぎ て ゐる位である﹂と畳み掛けることは、語り手の男に対する批判と見 られる。そして、不覚にも女の娘に肉をくすね取られた男が、どの ような反応を見せるかに語り手は注目し、 ﹁叱りはしないのである﹂ と記すことから、語り手は、この男は怒るであろうと推測していた ことが読み取れる。語り手は自らの予想が裏切られたことから、浅 草公園の母猿と子 猿 ︶7 ︵ がさつま芋を奪い合うことに思いを馳せ、それ を﹁悲しい争奪﹂と嘆きながら次のように述べる。 母猿は争ひはする。併し芋がたまさか子猿の口に這入つても 子猿を窘めはしない。本能は存外醜悪でない。 箸 の す ば し こ い 本 能 の 人 は 娘 の 親 で は な い。 親 で な い の に、 たまさか箸の運動に娘が成功しても叱りはしない。 人は猿よりも進化してゐる。 猿の親子間では母猿が力関係において優位にあり、子猿は劣位に 立たされている。その劣勢にある者が芋を獲得しても優勢にある者 が抑圧しないことに語り手は注目する。利を巡って奪い合い優勝劣 敗 に 終 わ る の は﹁ 本 能 ﹂ の な せ る 業 で あ る が、 語 り 手 は、 ﹁ 本 能 ﹂ を 負 の も の と し て の み 見 て い る わ け で は な い。 ﹁ 本 能 ﹂ は、 優 勢 に ある者が劣勢にある者の利益を完全に収奪するのではなく、劣勢に ある者による利益の獲得に対して寛容な正の面も有していることに 語り手は目を留めている。語り手の認識においては、 ﹁醜悪﹂とは、 強者が利を独占することであり、その逆﹁醜悪でない﹂とは、強者 が抑圧されている側の利益に寛容でそれを尊重することである。そ し て、 ﹁ 人 は 猿 よ り も 進 化 し て ゐ る ﹂ と 結 論 す る 思 考 回 路 に は、 血 縁か非血縁かの問題が提示されている。浅草公園の猿の争奪は、母 子という血縁関係におけるものであり、小説﹁牛鍋﹂における争奪

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は、男とその友人の娘という非血縁関係におけるものであり、そこ には、肉親と他者という開きがある。男と女の娘の間には血縁関係 がないにもかかわらず男が女の娘の利を認めたことは、男が血縁を 超えて他者である被抑圧者を助けていることであり、それを語り手 は自らが有する、力関係における劣位者への配慮という理念に照ら し、 ﹁ 人 は 猿 よ り も 進 化 し て ゐ る ﹂ と 結 論 づ け る。 こ の よ う に、 語 り手には被抑圧者の尊重という価値観が存在し、それを﹁本能﹂の 問題のなかで捉える視点がある。 さて、 語り手は、 箸を出す娘と男の関係を如上のように捉えたが、 娘の母については、次のように叙述する。 四本の箸は、すばしこくなつてゐる男の手と、すばしこくな らうとしてゐる娘の手とに使役せられてゐるのに、今二本の箸 はとう〳〵動かずにしまつた。 永 遠 に 渇 し て ゐ る 目 は、 依 然 と し て 男 の 顔 に 注 が れ て ゐ る。 世に苦味走つたといふ質の男の顔に注がれてゐる。 一の本能は他の本能を犠牲にする 。 こんな事は獣にもあらう。 併し獣よりは人に多いやうである。 人は猿より進化してゐる 。 ︵傍線引用者、以下同じ︶ ﹁今二本の箸﹂とは、 ﹁永遠に渇してゐる目﹂をもつ女を指す。力 関係に差があるとはいえ、男も女の娘も食を得たいという本能は発 揮している。しかし、女は食欲という本能の発露さえしない。それ はどうしてか。それを解くために、語り手が捉えた﹁永遠に渇して ゐる目﹂という表現に着目し、 女は何に対して﹁永遠に渇してゐる﹂ のか、について考えたい。それは以下の引用から推察することがで きる。 女の目は断えず男の顔に注がれてゐる。永遠に渇してゐるや うな目である。 目の渇は口の渇を忘れさせる。女は酒を飲まないのである。 箸のすばしこい男は、 二三度反した肉の一切れを口に入れた。 丈夫な白い歯で旨さうに噬んだ。 永遠に渇してゐる目は動く 腭 に注がれてゐる。 女の ﹁永遠に渇してゐるやうな目﹂ が 眼 まな 差 ざ しているのは、 ﹁男の顔﹂ で あ る。 そ の﹁ 男 の 顔 ﹂ の う ち、 ﹁ 動 く 腭 ﹂ を 注 視 し て い る。 こ の とき男は肉一切れを ﹁丈夫な白い歯で旨さうに噬ん﹂ でいるために、 その顎は動いている。ということは、女は、食べるという行為に対 して﹁永遠に渇して﹂いると考えられる。そもそも諸辞典を参照す る と、 ﹁ 渇 かつ す る ﹂ と い う 動 詞 は、 の ど が か わ く こ と、 物 が 欠 乏 す る こと、欠乏したものを強く求めること、あるいは水が尽きることを

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言う。 ﹁ 渇 かつ ﹂という名詞においても、 動詞と同様の意味をもつが、 ﹁飢 渇﹂の意味に繋がり飲食物の欠乏を指すこともある。こうした語の 意味を踏まえると、 ﹁渇してゐる﹂や﹁渇﹂という表現は、 水分や物、 食 料 の 欠 乏 を 意 味 す る と 認 定 で き る。 そ し て 小 説 に は、 ﹁ 目 の 渇 は 口 の 渇 を 忘 れ さ せ る ﹂ と あ り、 ﹁ 女 は 酒 を 飲 ま な い ﹂ と い う 後 続 の 説明もある。ここから、女には﹁口の渇﹂という飲酒への欲望がな いので、飲食や物のうち、この飲食する場では﹁目の渇﹂という食 へ の 欠 乏 感 が 前 景 化 し て い る と 考 え ら れ る。 ﹁ 女 の 目 は 断 え ず 男 の 顔に注がれてゐる﹂という箇所のみに着目すると、先行研究で指摘 されてきたような男に対する﹁情念﹂や﹁性欲﹂が﹁永遠に渇して ゐるやうな目﹂の内実と把握される可能性がある。しかし、それで は、 女 が﹁ 目 の 渇 ﹂ を 覚 え な が ら﹁ 男 の 顔 ﹂、 特 に 食 事 の 最 中 で あ る 男 の﹁ 動 く 顎 ﹂ に 注 視 す る 要 因 を 把 捉 で き な い よ う に 思 わ れ る。 したがって、 ﹁渇﹂という語の意味と小説内状況を考え合わせると、 女が﹁渇してゐる﹂のは、食べ物に対してであろう。その目が﹁永 遠 に 渇 し て ゐ る ﹂ と は、 ど う い う こ と か。 ﹁ 永 遠 ﹂ と は 時 間 的 な 持 続に際限がないことを指すので、この女は食べることにおいて、こ の場だけでなく一生満たされることはない状態にあることを意味し ていると考えられる。 それゆえ、 小説末尾の﹁一の本能は他の本能を犠牲にする﹂とは、 男の食欲によって、女の食欲が完全に封じ込められたことを意味す る。そして、語り手は、この食の争いに参加する意欲も喪失させる 程深刻に他者を抑圧することが、人間だけではなく獣にもありなが ら も 獣 よ り も 人 間 に 多 い と 判 断 し た。 そ の う え で、 語 り 手 は、 ﹁ 人 は猿より進化してゐる﹂と結ぶ。論理の流れから言えば、深刻な食 の抑圧は人間の方に多いのだから、人間ほど他者を抑圧しない猿の 方 が﹁ 進 化 ﹂ し て い る と な る べ き と こ ろ で あ る。 で は、 な ぜ、 ﹁ 人 は猿より進化してゐる﹂と言ったのか。語り手がそもそも抑圧され ている側の利を尊重することに価値を見出していたことを踏まえる と、 こ こ に お け る﹁ 進 化 ﹂ と い う 言 葉 は﹁ 退 化 ﹂ の 意 に 相 当 す る。 つまり、語り手は、自らの理念に即して、本来は﹁退化﹂と言うべ きところをあえて逆に﹁進化﹂と言うことにより、劣勢にある者を 抑圧する頻度の高い人間という 種 しゅ を痛烈に皮肉ったものと言えるの である。

﹁ 牛 鍋 ﹂ と い う 小 説 に は、 前 節 で 述 べ た よ う に、 下 層 社 会 の 人 間 間における﹁本能﹂の争いと下層社会の人間間における助け合いと い う 二 つ の 問 題 が 存 在 す る。 そ し て、 ﹁ 牛 鍋 ﹂ の 語 り 手 は、 男 と 女 の娘の﹁本能﹂による食の争いを﹁悲しい競争﹂と嘆きつつも、母 猿が子猿と争いながらも﹁芋がたまさか子猿の口に這入つても子猿 を窘めはしない﹂ことに注目して﹁本能は存外醜悪でない﹂と、 ﹁本

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能﹂に正の側面があることを提示する。つまり、この語り手は、抑 圧者においても被抑圧者においても﹁本能﹂のままに利を争うこと 自体に痛みを覚える感度を有しており、それと呼応するように、抑 圧者が被抑圧者の利を尊重するという﹁本能﹂の意外な一面に価値 を見出す人物である。 こうした語り手の認識は、小説発表時の言説状況においてどのよ うな位相にあるのか。 管見においては、 ロシアの無政府主義者ピョー ト ル・ ク ロ ポ ト キ ン︵ Peter Kr opotkin ︶ の 著 書﹃ 相 互 扶 助 論 │ 進 化の一要素﹄ ︵ Mutual Aid : A F actor of Evolution ︶ ︵以降、 ﹃相互扶助論﹄ と 記 す ︶ と の 繋 が り を 指 摘 す る こ と が で き る。 こ れ は、 ク ロ ポ ト キ ンが亡命先のロンドンで執筆し、 一九〇二︵明治三五︶年一〇月に、 ウィリアム ・ ハイネマン社︵ W illiam Heinemann ︶、マクルアー ・ フィ リップス社 ︵ McClur e Phillips ︶ から出版したものである。この著書 に 収 録 さ れ た 評 論 は、 い ず れ も イ ギ リ ス の 月 刊 誌﹃ 十 九 世 紀 ﹄ ︵ Nineteenth Centur y ︶ に 一 八 九 〇︵ 明 治 二 三 ︶∼ 一 八 九 六︵ 明 治 二 九 ︶ 年 に か け て 断 続 的 に 掲 載 さ れ た も の と な る。 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ は 好 評 の う ち に 読 み 継 が れ、 一 九 〇 三︵ 明 治 三 六 ︶ 年 に 増 刷、 一 九 〇 四︵ 明 治 三 七 ︶ 年 に は 改 訂 廉 価 本 が 刊 行、 一 九 〇 七︵ 明 治 四 〇 ︶ 年、 一 九 〇 八︵ 明 治 四 一 ︶ 年、 一 九 一 〇︵ 明 治 四 三 ︶ 年、 一 九 一 四︵ 大 正 三 ︶ 年 と 増 刷 を 重 ね て い っ た。 一 九 一 五︵ 大 正 四 ︶ 年には大衆版が刊行され、クロポトキンの﹁再版の序﹂が追加され た ︶8 ︵ 。 こ の﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ は、 当 時 社 会 主 義 者 た ち に 注 目 さ れ ︶9 ︵ 、 発 表・ 未発表の違いはあるものの、幸徳秋水や大杉栄、石川三四郎、北一 輝、 西川光二郎などが﹃相互扶助論﹄に言及している。幸徳秋水は、 ﹃ 時 事 新 報 ﹄ の 企 画﹁ 内 外 百 書 選 定 ﹂ に 応 じ た 際 に、 複 数 の 書 目 と ともに ﹁ Mutual Aid. P .Kr opotkin ﹂ を挙げ た ︶10 ︵ 。﹁内外百書選定﹂ とは、 様々な分野の第一人者に﹁国民の趣味と智識を涵養するに足るべき 良書二十種以上づゝの指定を乞ひ、集めて其高点を得たるものより 順 次 百 冊 に 及 び、 之 を 読 書 界 に 薦 め ん と ︶11 ︵ ﹂ し た も の で あ る。 ま た、 大杉栄は、巣鴨監獄から堀保子に宛てた明治四〇年六月一一日付書 簡 で、 ﹁ ア ナ ル キ ズ ム は、 ク ロ ポ ト キ ン の﹃ 相 互 扶 助 ﹄ と、 ル ク リ ユ ス の﹃ 進 化 と 革 命 と ア ナ ル キ ズ ム の 理 想 ﹄ と い ふ の を 読 み 終 つ た ︶12 ︵ ﹂と述べている。石川三四郎も、明治四〇∼四一年五月まで巣鴨 監獄に投獄されていた際のことを回想して次のように述べている。 進化論に懐疑し始めたのは、カアペンターの﹃文明論﹄とク ロポトキンの﹃相互扶助﹄とを読んだ結果であります。クロは ダーウィンの進化論の一部面を強調するために﹃相互扶助﹄を 書いたのであるが、不思議にも、それが私に進化論否定の動機 を与えたのであります。あの書を読むと、 諸動物間に行われる 相 互 扶 助 は 人 間 界 に 行 わ れ る そ れ よ り も 一 層 純 粋 に 本 能 的 で

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あって有力であり、その点から言えば、少くとも今日の人間界 は或る動物より遥かに退歩したものと言えるのでありま す ︶13 ︵ 石 川 は、 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ を 読 ん だ 結 果、 相 互 扶 助 の 実 施 程 度 に お い て、 動 物 は 人 間 と 比 較 に な ら な い 程 進 ん で い る と 感 じ た と 言 う。 そうした意味で石川にとっては﹃相互扶助論﹄が、人間が進化の最 先端をゆくと捉える所謂進化論を否定する契機になったのだと考え られる。注目すべきは、石川の言の傍線部﹁今日の人間界は或る動 物より遥かに退歩したものと言える﹂という考えと、先に引用した 小説 ﹁牛鍋﹂ 本文の傍線部 ﹁人は猿より進化 ︹退化の意 │ 引 用 者 注 ︺ してゐる﹂という語り手の認識とが一致していることである。ここ から、 助け合いにおいて人間は動物より退化しているという小説 ﹁牛 鍋 ﹂ に 表 れ た 認 識 は、 語 り 手 独 自 の 認 識 で は な く、 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ を契機とした認識に連なっていると捉えられる。そして石川は、 ﹃相 互扶助論﹄と﹁ダーウィンの進化論の一部面﹂に接続を見る。これ は、一般的にはダーウィンの進化論といえば生存競争が想起される が、実は、ダーウィンの主張にはそれとは異なる相互扶助に類する 一面が含まれていたことを受けている。 また、北一輝は明治三九年五月に自費出版したものの、間もなく 発禁処分を受けた著書﹃國體論及び純正 社 會主義﹄でダーウィンと クロポトキンの関係を以下のように位置づけている。 ダーヸンによりて悪魔の声の如く響きたる生存競争説は、終 にクロポトキンに至りて相互扶助の発見となれり。即ち是れ個 体の高き階級たる社会を単位とせる生存競争にして、古来の漠 然たる道徳的意識に明確なる科学的根拠を与へたる者なり。 ここには、ダーウィンの主張を優勝劣敗に帰着する生存競争説と して捉え、それとは対蹠的に、クロポトキンの相互扶助説を道徳意 識 を 支 え る 科 学 的 根 拠 を 提 示 し た も の と し て 対 置 さ せ る 認 識 が あ る。 こ う し た ク ロ ポ ト キ ン に よ る 相 互 扶 助 の 考 え は、 幸 徳、 石 川、 北よりも早く、既に明治三七年の時点で西川光二郎によって発せら れ て い た。 西 川 は、 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ の 一 部 を﹁ 動 物 界 に 於 け る 相 互 補 助︵ 上 ︶︵ 下 ︶﹂ ︵﹃ 週 刊 平 民 新 聞 ﹄ 第 三 二・ 三 三 号、 明 治 三 七 年 六 月 一 九・ 二 六 日 ︶、 ﹁ 未 開 人 の 間 に 於 け る 相 互 扶 助 ﹂︵ ﹃ 週 刊 平 民 新聞﹄第四六号、明治三七年九月二五日︶で紹介している。なかで も、以下の内容が注目される。 其の︹猿を指す │ 引 用 者 注 ︺ 仲 間 の 中 に 病 傷 者 が 出 来 る と 、 死ぬか全快するまで必ず世話し、決して中途で其の者を 危 ママ 介扱 にする様なことがない︵ 隣人の餓死を坐視して平然たる今の人 間は、実に遥に猿に劣つた動物である ︶     ︵中略︶

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斯く相互補助の事実及四個の教訓を述べ終りて後、氏は最終 に叫んで曰く 耳を傾けよ、耳を傾けよ、山よりも野よりも森よりも又河より も海よりも﹃故に結合せよ⋮⋮相互補助を実行せよ﹄と云ふ声 が聞えるではない乎 と、然かり自然は斯く吾人に教へつゝあるに、人間は何時まで 過 れ る 教 に 迷 は さ れ て 不 幸 の 下 に 泣 か ん と す る の で あ る 乎 ︵ 完 ︶14 ︵ ︶ ここにも、生存競争において劣勢にある者を切り捨てずに助ける ことに関して、人間は猿と比較にならない程退化しているとの認識 がある。さらに、相互扶助を実行しようとしない人間に対する怒り が表明されている。これは、 先に見た石川三四郎の認識に通じるが、 石川の言が昭和二三年に発表されたのに対して、西川の認識は、小 説﹁牛鍋﹂に先行して発表されている。この点を踏まえると、やは り先に述べたように、小説﹁牛鍋﹂の語り手の認識は、独自のもの で は な く、 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ を 媒 介 と し た 社 会 主 義 者 た ち の 認 識 に 通 じる点があったと言える。 当時﹃相互扶助論﹄の受容に積極的に関わったのは、平民社の同 人たちであった。 堺利彦の企画によって実現した平民科学叢書では、 そ の 第 四 編 と し て、 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ 第 一 ・ 二 章 を 翻 訳 し た 堺 利 彦 編・ 山川均述﹃平民科学 第四編 動物界の道徳﹄ ︵明治四一年六月、 有楽 社︶を刊行した。これは当初、幸徳秋水が翻訳を担当するはずだっ た も の の、 山 川 均 が 翻 訳 を 代 わ っ た と 言 う ︶15 ︵ 。 そ の 翻 訳 の あ り 方 は、 山川が、表現上は原文に忠実とは言い難いものの、思想の中心的な 意味は原文に即していることを自認するものであっ た ︶16 ︵ 。そして翻訳 に当たって山川は、 ﹁社会主義の主張も亦、 畢竟、 社会組織に於ける、 相互扶助の原則の恢復に外なら ぬ ︶17 ︵ ﹂と述べ、クロポトキンが説く相 互扶助の思想と社会主義の主張は一致すると認識していたことを確 認できる。 この書物で注目すべきは、次の一節である。 ﹃ 生 活 は 闘 ひ で あ る ﹄ 併 し 乍 ら 其 闘 ひ は 種 族 の 内 部 の 闘 ひ で はなくて、外界に対する闘ひである。個々の動物の闘ひではな くて、共同の闘ひである。其武器は同僚の口から食物を奪ふ牙 で は な い。 仲 間 を 押 除 け て 獲 物 に 走 る 脚 で も な い。 ︵ 中 略 ︶ 全 て是等の闘争と競争とを避ける共同生活の習慣である。共通の 正義の観念である。動物界の道徳 │ 相互扶助である。 動 物 界 の 道 徳 は﹃ 競 争 す る 勿 れ ﹄ で あ る。 ︵ 中 略 ︶ 固 よ り 此 傾向は何時でも充分に実現せられては居らぬ。之に反して或る 時は牙と爪との競争が現に行はれて居るが、然かも其競争の陰 にも尚ほ此傾向は存して居る。

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    ︵中略︶ ﹃ 団 結 せ よ、 相 互 扶 助 を 実 行 せ よ !   之 こ そ 種 族 全 体 の 為 め にも、 銘々の為めにも最大の安全を与へるものである。肉体上、 精神上、道徳上の進歩の最良の保障である﹄之れ到る処、自然 が 吾 々 に 教 え る 処 で あ る。 ︵ 中 略 ︶ そ し て 全 て の 動 物 界 の 進 化 の 先 登 に 立 つ て 居 る 人 間 が、 原 始 以 来 実 行 し 来 つ た 処 で あ る。 そして最後に人間が、何故今日の地位に達することが出来たか と云ふ疑問に答へる、唯一の答案である。 ﹁﹃ 団 結 せ よ、 ﹂ 以 降 の 内 容 は、 西 川 光 二 郎 が 着 目 し て 紹 介 し た 内 容とほぼ重なるが、この引用箇所には、競争を回避する意識・相互 扶助こそが、 人間を進化の最先端に位置づけた要因との認識がある。 そして、その主張の裏にはやはり、人間の現状として相互扶助を充 分 に は 行 え て い な い こ と へ の 憤 慨 が あ る。 そ の 相 互 扶 助 の 傾 向 は、 外界に対して種族が団結して闘う場合に発揮されるだけでなく、種 族内で個々が闘うという、一見すると相互扶助から逸脱しているよ うに思われる場合にも実は存在しているとする。 以上のように、 管見の限りにおいて確認してくると、 ﹃相互扶助論﹄ は、明治四〇年前後に社会主義者たちの間で、抑圧者が被抑圧者を 虐げる生存競争に対置するものとして、なおかつ、社会主義が目指 す方向性と一致する思想として捉えられていた。そして、相互扶助 を実践しようとしない人間に対して憤り、相互扶助の実施程度にお いて人間は猿よりも遅れているとの見方を紡ぐ契機となっていたこ とが窺える。こうした社会主義者たちによる﹃相互扶助論﹄への反 応 を 見 る と、 ﹁ 牛 鍋 ﹂ に 記 さ れ て い る 助 け 合 い、 抑 圧 さ れ て い る 側 の利をどれ程尊重できるかという問題は、クロポトキンをめぐる当 時の言説に連なっている様相が見えてくる。

﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ が 明 治 四 〇 年 前 後 の 社 会 主 義 者 た ち に と っ て 思 想 的一支柱であった様子は、如上のようなものであったが、では、原 書そのものにおける主張は、どのようなものであったのか。相互扶 助と﹁本能﹂との関係性と、貧困層における相互扶助のあり方の二 点に焦点化して検討したい。訳文は、大杉栄が大正六年一〇月に春 陽 堂 よ り 刊 行 し た﹃ 相 互 扶 助 論 │ 進 化 の 一 要 素 ﹄ を 用 い ︶18 ︵ 、 必 要 に 応じて大沢正道による翻訳﹁相互扶助論﹂ ︵﹃クロポトキン I﹄昭和 四九年四月、三一書房︶を参照した。 第 一 に、 ﹁ 本 能 ﹂ に 関 し て、 ク ロ ポ ト キ ン は 以 下 の よ う に 述 べ て いる。 近所に火事のある時、吾々が手桶に水を汲んで其の家に駈け つけるのは、隣人しかも往々全く見も知らない人に対する愛か

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らではない。愛よりは漠然としてゐるがしかし遥かに広い、共 同心又は社会心の感情若しくは本能が、 吾々を動かすのである。 動 物 に 於 て も 亦 同 様 で あ る。 ︵ 中 略 ︶ こ れ 実 に 愛 や 個 人 的 同 情 よりも遥かに広い感情からである。極めて長い進化の行程の間 に動物と人類との社会に徐々として発達し来たつた一本能から である。     ︵中略︶ しかし社会が人類の間に依つて以て立つ基礎は、 愛でもなく、 又同情でもない。それは人類共同の意識、よしそれが僅かに本 能の域にとどまつてゐるとしても、兎に角に此の意識の上に基 づくものである。相互扶助の実行によつて得られる勢力の無意 識的承認である。各人の幸福がすべての人の幸福と密接な関係 にある事の無意識的承認である。又各個人をして他の個人の権 利と自己の権利とを等しく尊重せしめる、正義若しくは平衡の 精神の無意識的承認である。此の広大な且つ必然的な基礎の上 に、更に高尚な幾多の道徳感情が発達す る ︶19 ︵ 。 困 難 に 直 面 す る 他 者 を 助 け よ う と す る 行 為 は、 ﹁ 愛 ﹂ や﹁ 個 人 的 同 情 ﹂ に 由 来 す る の で は な く、 そ れ よ り も 広 大 な﹁ 共 同 心 ﹂﹁ 社 会 心の感情﹂ ﹁本能﹂ に起因するとクロポトキンは、 主張する。この ﹁共 同心﹂ ﹁社会心の感情﹂ ﹁本能﹂をクロポトキンは﹁相互扶助﹂と呼 び、生物が長大な時間をかけて発達させてきた後天性を帯びたもの であると言う。この﹁相互扶助﹂という﹁本能﹂の発達の過程をク ロポトキンは、 自然にすなわち環境の要請によって受け入れてきた、 という意味で ﹁無意識的承認﹂ と述べる。このような発達過程によっ て培われた連帯感・連帯意識とも言うべきものが基盤となって、一 人の幸福と全体の幸福とを密接に結びつけるようになり、他者の権 利を自己の権利と同等に是認する道徳が打ち立てられるようになっ た、とクロポトキンは主張する。 第二に、貧困層における相互扶助に関して、クロポトキンは以下 のように述べている。 今日の社会組織の下では、同じ街又は同じ近所のものの間の 団結の縁は総て断たれて了つた。大都会の富裕な街では、直ぐ 隣 り の 人 を も 知 ら ず に 生 活 し て ゐ る。 し か し 貧 乏 人 の 街 で は、 皆 ん な が よ く 知 り 合 つ て ゐ て、 始 終 互 に 接 触 し て ゐ る。 勿 論、 此の貧乏人街にも、他の街に於けると同じく、争ひの起きる事 はある。けれども何かの類縁による結合が発達してゐて、其の 結合の中には富裕階級の思ひも寄らない程の相互扶助が行はれ てゐる。     ︵中略︶ 母親達は互にいろいろな方法で助け合ふ。他人の子供の世話

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をする。金持階級の女が、道で飢ゑ慄えてゐる子供の前を平気 で通る事が出来るのは、何かの教養があるからである。尤もそ れが善い教養か悪い教養かは、彼女自身が決めるがいい。しか し貧乏人階級の母親にはそんな教養はない。飢ゑ渇えてゐる子 供を見て平気ではゐられない。何かしら食べさしてやらなけれ ば済まない。そして食べさせてや る ︶20 ︵ 。 ここで、クロポトキンは、貧困層と相互扶助が、富裕層とは比較 にならない程密接に繋がっていることを提示する。その一例として 自らも貧困のうちに生きる母親が、お腹を空かした他人の子供に食 べものを与えなければ気が済まない様子を挙げる。 こ の よ う に、 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ に お け る﹁ 本 能 ﹂ と﹁ 相 互 扶 助 ﹂ に 関する考えを検討してくると、相互扶助の行為は﹁本能﹂に起因す る こ と、 貧 困 層 に お い て よ り 頻 繁 に 相 互 扶 助 が 行 わ れ て い る こ と、 この二点が主張されていることを確認できる。それゆえ、小説﹁牛 鍋﹂が有する、下層社会における﹁本能﹂の争いと助け合い、被抑 圧 者 の 尊 重 と い う べ き﹁ 本 能 ﹂ の 一 側 面 の 提 示 と い う 特 徴 は、 ﹃ 相 互扶助論﹄の内容に通じる点があると捉えられる。

それでは、鷗外は、小説﹁牛鍋﹂を執筆当時﹃相互扶助論﹄を読 ん で い た の で あ ろ う か。 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ に 関 す る 言 及 は、 時 期 的 に 少し下った大正九年一月一一日付の賀古鶴所宛書簡に見られる。そ こには、次のように記述されている。 今 日 ハ 森 戸 辰 男 ノ 事 件 ガ 新 聞 ニ 出 候。 森 戸 ハ ロ シ ア 人 侯 爵 ク Kra potkin ラ ポ ト キ ン ノ 思 想 ヲ 研 究 シ テ 発 表 シ タ ノ ガ 悪 イ ト 云 フ ノ ダ。 此人ハ シベリヤ ヲ視察シタトキヨリ   動物ハ互ニ助ケアフ性質︵ m タ ガ ヒ ノ utual a タスケ id ︶ヲ有ス ト云フ説ヲ唱ヘ ダ Da rwin アヰン ノ生存競争ノ向フヲ張リ居ル相当ノ 学 者 ダ ︶21 ︵ 。︵ 中 略 ︶ ソ レ ガ 無 政 府 共 産 主 義 ノ 宣 伝 者 ニ 加 ハ ツ タ。 ソシテ曰ク。 アル国ニ米ガ何程カアルトスル。ソシテ人ガ何人カ居ルト スル。 スルト誰デモ其米ヲ取ツテ 食ツテ差支ナイ。 力一 パイ働イテ居ル上ハ 米ヲ取ツテ食ツテ好イ。 代ヲ払フニ及 バ ヌ 。︵ 共 産 主 義 ︶ ソ レ ニ 代 ヲ 払 ハ ネ バ ナ ラ ヌ ヿ ニ ナ ツ テ 居 ル ノ ハ 現 在 ノ 秩 序 ノ オ カ ゲ デ、 此 官民トカ貧民トカ 秩 序 ハ 破 壊 ヲ 要 ス ル 。 ︵無政府主義︶ 森戸ハコレニ賛成シタノカ、ドウカ知ラナイ。賛成シタトス ルト悪ク云ハレテモシカタガナイ。シカシ 互助論 ハ部分的ニ一 顧スル價ガアル。

(13)

この書簡に出てくる﹁森戸辰男ノ事件﹂とは、次のようなもので あ る。 東 京 帝 国 大 学 経 済 学 部 助 教 授 の 森 戸 辰 男 が、 ﹁ ク ロ ポ ト キ ン の社会思想の研究﹂と題する論文を﹃経済学研究﹄に発表したとこ ろ、右翼団体の興国同志会によって危険思想視され、また当時の政 府からも問題視されて、結局大正九年に、森戸と掲載誌の発行人兼 編輯人の大内兵衛が起訴され、休職処分ならびに有罪判決が下され た事件である。この森戸事件に関した書簡で、鷗外は、クロポトキ ンを﹁相当ノ学者﹂として評価する。その思想については、米の分 配法を具体例に挙げながらクロポトキンが支持する共産主義、無政 府 主 義 の 特 徴 を 説 明 し、 鷗 外 自 身 は 共 鳴 で き な い 旨 を 記 し て い る。 し か し、 ﹁ 互 助 論 ハ 部 分 的 ニ 一 顧 ス ル 價 ガ ア ル ﹂ と も 述 べ、 相 互 扶 助の思想については限定的に評価しているのである。 ということは、 鷗外は、大正九年時点では﹃相互扶助論﹄を読んでいると考えられ る。 そ し て、 ﹁ m タ ガ ヒ ノ utual a タスケ id ﹂ と 英 語 表 記 を し て い る こ と か ら、 読 む と しても英語による原書を読んだことが推測できる。ただし、稿者が 確認した限りでは、鷗外文庫には﹃相互扶助論﹄は所蔵されていな いようである。また、クロポトキンという人物に対する記述は、小 説﹁ 沈 黙 の 塔 ﹂︵ 明 治 四 三 年 一 一 月 ︶、 ﹁ 食 堂 ﹂︵ 明 治 四 三 年 一 二 月 ︶ などに確認できるため、明治四三年時点では鷗外がその名を把握し ていたことは確かなものの、鷗外が小説﹁牛鍋﹂の執筆当時に﹃相 互扶助論﹄を読了していたことを示す直接的証拠を挙げることはで きない。その他に、鷗外に関わりがあると思われる当時の状況とし て、日記の明治四三年三月七日以降に、山縣有朋が主宰する社会運 動 に つ い て の 私 的 研 究 会﹁ 永 錫 会 ﹂ の 名 が 見 出 せ る。 そ の 山 縣 は、 明治四〇年一一月三日の天長節事件の背後に幸徳秋水の存在を見て い た ︶22 ︵ 。その幸徳は先述したように、 明治四二年九月二二日発行の ﹃時 事新報 文藝週報﹄第一七六号に﹁ Mutual Aid. P . Kr opotkin ﹂ を 提 示 している。あとは、周知のことではあるが、大逆事件の被告人の弁 護を担当した平出修は、鷗外から無政府主義や社会主義の思想につ いて教示を受けてい る ︶23 ︵ 。こうした状況を鑑みると、時期的にずれは あるものの、鷗外がこの小説を執筆している際には、 ﹃相互扶助論﹄ を読んでいた可能性はあると考えられる。 ところで、クロポトキンは、 ﹃相互扶助論﹄ ﹁序論﹂において﹁大 多数の進化論者が ︵尤もダアヰン自身は必ずしもさうではなかつた︶ 生 存 競 争 の 首 要 特 質 で あ り 進 化 の 首 要 作 因 で あ る と 見 做 し て ゐ る、 彼の﹁同一種に属する動物間の﹂生存方法の為めの激烈な闘 争 ︶24 ︵ ﹂と 述べ、ダーウィンすなわち生存競争説とする捉え方が多いことに対 し て、 違 和 感 を 表 し て い た。 同 じ く﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄﹁ 序 論 ﹂ に お い てクロポトキンは、自然界には相互闘争の法則と相互扶助の法則が あるものの、後者をより重要視した、ケスレルの講演﹁相互扶助の 法則に就いて﹂に感動しながらも、その主張はダーウィン﹃人類の 進化﹄ ︵

The Descent of Man

︵以下﹃人間の由来﹄と記す︶

(14)

をわずかに敷衍したのに過ぎないとも捉えていた。このように﹃相 互扶助論﹄にはダーウィンの学説、殊に﹃人間の由来﹄との関連性 を確認できる。その﹃人間の由来﹄ならば、鷗外はドイツ語に翻訳 されたものを所蔵していた。ちなみに、 丸善の広報誌である﹃學燈﹄ において明治三五年に実施された ﹁十九世紀に於ける欧米の大著述﹂ の ア ン ケ ー ト ︶25 ︵ に よ れ ば、 ﹃ 種 の 起 源 ﹄ が 三 二 票 を 獲 得 し て 最 高 位 と なり、 ﹃人間の由来﹄ は七票という 一〇 番目の獲得数であっ た ︶26 ︵ 。また、 明治四二年に ﹃時事新報﹄ が行った ﹁内外百書選定﹂ においては、 ﹃種 の起源﹄ が五一点を獲得して二三番目に位置づけられ、 ﹃人間の由来﹄ は一六点を獲得し た ︶27 ︵ 。こうした回答結果を踏まえると、 ﹃人間の由来﹄ を含めたダーウィンの主張が明治後期の識者たちに支持されていた ことが見てとれる。その﹃人間の由来﹄において、ダーウィンは相 互 扶 助 に 類 す る 作 用 に つ い て ど の よ う に 述 べ て い る の か。 ﹁ 第 一 部   人間の進化   第三章   人間と下等動物の心的能力の比較について ︵続 き ︶28 ︵ ︶﹂には、 ﹁前 2章の要約﹂として次のように記されている。 道徳感情はおそらく、人間と下等動物とを分ける最良で最大 の違いである。しかし、この問題については、ここではもう何 も述べる必要はないだろう。つい先ほど、人間の道徳的性質の 基本原理である社会的本能が、活発な知的能力の助けと習慣の 影 響 を 受 け れ ば、 ご く 自 然 に、 ﹁ 汝 が 他 人 に し て も ら い た い と 思うことを、汝も他人に対してなせ﹂という黄金律に導くこと を示したばかりだからだ。そして、このことは、道徳の根源に 横たわるものであ る ︶29 ︵ 。 ここから窺えるダーウィンの認識は、道徳的なるものを支えてい る 根 本 に あ る の は、 ﹁ 社 会 的 本 能 ﹂ だ と い う こ と で あ る。 そ し て、 道徳的な状態を、他者の利益を自己の利益と同様に重んじ、その他 者の利益のために奉仕することと捉えている。ということは、ダー ウィンがここで言う ﹁社会的本能﹂ に基づく ﹁道徳的﹂ な状態とは、 クロポトキンの言う﹁本能﹂が生み出す﹁相互扶助﹂的な作用とほ ぼ 同 質 と 捉 え て も よ い と 考 え ら れ る。 な ぜ な ら、 ク ロ ポ ト キ ン が、 相互扶助の作用を生み出す要因と認定した﹁本能﹂は、先に検討し た よ う に、 ﹁ 各 個 人 を し て 他 の 個 人 の 権 利 と 自 己 の 権 利 と を 等 し く 尊重せしめる、正義若しくは平衡の精神の無意識的承認﹂とも言い 換えられており、これは、ダーウィンがここで説く、 ﹁社会的本能﹂ が導く﹁汝が他人にしてもらいたいと思うことを、汝も他人に対し て な せ ﹂ と い う 黄 金 律 ﹂ と ほ ぼ 同 義 と 言 え る か ら で あ る。 よ っ て、 小説﹁牛鍋﹂において﹁本能﹂には被抑圧者の利を尊重する一面が あるという認識に通じる内容が、 鷗外の所蔵していた﹃人間の由来﹄ にも見受けられると言うことができる。 小説﹁牛鍋﹂が、下層社会における﹁本能﹂の争いと助け合いを

(15)

描いた小説と捉えられることは、先述したとおりである。いま一度 確認すると、この小説において、男と女と女の娘は、経済的格差が ありながらも、いずれも下層社会に属していると考えられた。そし て、徐々に経済力を身につけつつある男が、亡夫と友人であったよ しみで、その妻とその幼い娘に、牛鍋をご馳走しようとしていると 考 え ら れ た。 三 人 で 牛 鍋 を 食 べ る と い う 場 を 作 っ た 点 に お い て は、 こ の 男 の 意 識 と 行 為 に は、 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ で 述 べ ら れ て い た よ う な 下層社会における被抑圧者への相互扶助に類する働きを見出すこと ができる。さらに、この小説の語り手は、抑圧されている側の利益 を尊重する一面が﹁本能﹂にはあると考え、そこに価値を見出して いた。これは、相互扶助は﹁本能﹂に起因すると説くクロポトキン の思想と重なると見られる。また、明治後期に支持され、鷗外自身 も所蔵していた﹃人間の由来﹄には、相互扶助に類する作用が﹁社 会 的 本 能 ﹂ に 由 来 す る 旨 が 記 さ れ て い た。 こ の よ う な 小 説﹁ 牛 鍋 ﹂ の内部と外部の状況を踏まえると、この小説は、当時の社会思想を 視野に入れて成立していると言ってよい、と考える。その上で注意 しなければならないのは、この小説において男は、抑圧されている 側を支えようという意識とは裏腹に、女の娘が肉を食べようとする のを大抵は妨害し、女の食欲を完全に封じ込める程の抑圧を加えて いたという実態である。 下層社会において、被抑圧者を支えようという意識を有すると考 えられながらも、相手を抑圧してしまう男のありようを描出する小 説﹁牛鍋﹂とは、これまで見てきた﹃相互扶助論﹄の主張や当時の 社 会 主 義 者 た ち の 受 容 の 仕 方 を 踏 ま え る と、 ﹃ 相 互 扶 助 論 ﹄ を 論 拠 に社会主義者たちが相互扶助の実践を説くことに対して、相互扶助 は下層社会における重要な問題であったとしても、それを完全に実 行することはなかなかに困難であることを突きつけて警鐘を鳴らし た小説と言うことができる。   注 ︵ 1︶ 霹靂火 ﹁一月の小説界﹂ ︵﹃国民新聞﹄ 明治四三年一月一四日︶ ︵ 2︶ 三 好 行 雄﹁ 牛 鍋 ﹂︵ ﹃ 國 文 學 ﹄ 第 一 八 巻 第 一 〇 号、 昭 和 四 八 年 八月︶ 。 引用は、 三好行雄 ﹃金鷄叢書 5 鷗外と漱石 明 治 の エ ー ト ス ﹄︵ 昭 和 五 八 年 五 月、 力 富 書 房 ︶。 以 下、 本 稿 で 引 用 し た 三好の見解はすべてこの文献に基づく。 ︵ 3︶ ﹃シンポジウム日本文学 13 森鷗外﹄ ︵昭和五二年二月、 學生社︶ ︵ 4︶ 竹 盛 天 雄﹁ 鷗 外 そ の 耀 き 11 我 │ 屈 折 と 明 視 ﹂︵ ﹃ 早 稲 田 文学﹄第二三号、 昭和五三年四月︶ 。引用は、 ﹁﹃木精﹄と﹃牛 鍋 ﹄、 ﹃ 電 車 の 窓 ﹄ の 実 験 ﹂︵ 竹 盛 天 雄﹃ 鷗 外 そ の 紋 様 ﹄ 昭 和 五 九 年 七 月、 小 沢 書 店 ︶。 以 下、 本 稿 で 引 用 し た 竹 盛 の 見 解 はすべてこの文献に基づく。 ︵ 5︶ 小 泉 浩 一 郎﹁ 森 鷗 外﹁ 牛 鍋 ﹂﹂ ︵﹃ 國 文 學 ﹄ 第 二 九 巻 第 三 号、 昭 和 五 九 年 三 月 ︶。 以 下、 本 稿 で 引 用 し た 小 泉 の 見 解 は す べ てこの論文に基づく。 ︵ 6︶ 有 賀 ひ と み﹁ 森 鷗 外﹃ 牛 鍋 ﹄ の 再 解 釈 │ ﹁ 渇 し て ゐ る 目 ﹂ の 真 意 │ ﹂︵ ﹃ 国 文 目 白 ﹄ 第 五 一 号 、 平 成 二 四 年 二 月 ︶。 以 下 、 本稿で引用した有賀の見解はすべてこの論文に基づく。

(16)

︵ 7︶ ﹃臨時増刊 風 俗 画 報 ﹄第 一 四 一 号︵ 明 治 三 〇 年 五 月 二 五 日 ︶﹁ 新 撰 東 京 名 所 図 会 第 五 編 ﹂ に は、 ﹁ 池 の 前 猿 店 の 図 ﹂ が 掲 載 さ れ て い る。 ま た、 ﹁ 猿 店 ﹂ に つ い て は、 ﹁ 公 園 一 号 地 池 の 前 に 在 り、 店 頭 に は 獮 猴 十 数 疋 を 鉄 鎖 に 繋 ぎ、 袖 な し の 衣 裳 着 せ て 笑 止 や 芸 無 猿 の 共 進 会 と は、 隣 り の 洋 犬 芝 居 見 た 人 の 評 言 さ も あ る へ し や︵ 中 略 ︶ 媼 あ り 娘 あ り 人 参 を 刻 み 餌 柄 杓 に 盛 り﹁ お 猿 に 與 て 下 さ い ﹂ と 勧 誘 む る こ れ も 商 業 ぞ か し、 子 供 連 れ た る 親 達 の 終 日 此 所 に 群 集 し 餌 を 投 ず れ ば、 猿 は い つ も食傷すべし﹂とある。 ︵ 8︶ 大 杉 栄 全 集 第 10巻 ﹄︵ 平 成 二 七 年 七 月、 ぱ る 出 版 ︶ に お け る山泉進﹁書誌解題﹂を参照した。 ︵ 9︶ 注 8に同じ。 ︵ 10︶ ﹃時事新報 文藝週報﹄第一七六号︵明治四二年九月二二日︶ ︵ 11︶ ﹃時事新報 文藝週報﹄第一六五号︵明治四二年七月七日︶ ︵ 12︶ ﹃大杉栄全集 別巻﹄ ︵平成二八年一月、ぱる出版︶ ︵ 13︶ こ の 引 用 箇 所 を 含 む 石 川 三 四 郎 の 自 伝 は、 ﹃ 週 刊 平 民 新 聞 ﹄ ︵ 昭 和 二 三 年 五 ∼ 一 二 月 ︶ に 二 五 回 に わ た っ て 掲 載 さ れ、 昭 和 三 一 年 二 月 に ソ オ ル 社 よ り 三 〇 〇 部 限 定 で﹃ 浪 ﹄ と し て 出 版 さ れ た。 引 用 は、 ﹃ 日 本 人 の 自 伝 10 叙 伝 抄 ・ 浪 ﹄︵ 昭 和 五七年六月、平凡社︶ 。 ︵ 14︶ ﹁動物界に於ける相互補助 ︵下︶ ﹂︵﹃週刊 平 民 新 聞 ﹄ 第 三 三 号 、 明治三七年六月二六日︶ ︵ 15︶ ﹃ 動 物 界 の 道 徳 ﹄︵ 明 治 四 一 年 六 月、 有 楽 社 ︶ の﹁ 第 四 篇 は しがき﹂を参照した。 ︵ 16︶ 注 15に同じ。 ︵ 17︶ 注 15に挙げた文献より引用。 ︵ 18︶ 引 用 は、 ﹃ 大 杉 栄 全 集 第 10巻 ﹄︵ 平 成 二 七 年 七 月、 ぱ る 出 版 ︶ による。 ︵ 19︶ ﹃ ク ロ ポ ト キ ン 全 集 第 七 巻 ﹄︵ 昭 和 三 年 、 春 陽 堂 ︶ に よ れ ば 、 本 稿 で 用 い た 大 杉 栄 訳 は 一 九 〇 七 年 版 を 原 本 に し て い る と の こ と で あ る。 し か し、 そ の 版 を 確 認 す る こ と が で き な か っ た ため、 Peter Kr opotkin, Mutual Aid: A Factor of Evolution , L on -don: W illiam Heinemann, 1903. を用いて、 邦訳に該当する原文 を以下のように引用する。   It is not love to my neighbour ̶ whom I of ten do not know at all ̶

which induces me to seize a pail of water and to r

ush to

-war

ds his house when I see it on fir

e; it is a far wider

, even

though mor

e vague feeling or instinct of human solidarity and so

-ciability which moves me. So it is also with animals.

It is a

feeling infinitely wider than love or personal sympathy

̶

an

in

-stinct that has been slowly developed among animals and men in

the course of an extr

emely long evolution,

.

But it is not love and not even sympathy upon which Society is

based in m anki nd. It is the consci ence ̶ be i t onl y at the stage of an instinct ̶ of human solidarity . It is the unconscious r ecogni

-tion of the for

ce that is bor

rowed by each man fr

om the practice

of mutual aid; of the close dependency of ever

y one

’s happiness

upon the happiness of all; and of the sense of justice, or equity

,

which brings the individual to consider the rights of ever

y other individual as equal to his own. Upon this br oad and necessar y

foundation the still higher moral feelings ar

e developed. ︵ 20︶ こ の 邦 訳 に 該 当 す る 原 文 は、 以 下 の と お り で あ る。 引 用 は、 注 19に挙げた一九〇三年版による。   Under the pr

esent social system, all bonds of union among the

inhabitants of the same str

eet or neighbour

hood have been dis

-solved. In the richer par

ts of the lar

ge towns, people live without

knowing who ar

e their next

-door neighbours. But in the cr

owded lanes people know each other per fectly , and ar e continually br

ought into mutual contact. Of course, petty quar

rels go their

course, in the lanes as elsewher

e; but gr oupings in accor dance with pers on al a ffin ities gr ow u p, a nd with in th eir c ir cle mu tu al a id

(17)

In a thousand small ways the mothers suppor

t each other and

bestow their car e upon childr en that ar e not their own. Some training ̶

good or bad, let them decide it for themselves

̶

is

requir

ed in a lady of the richer classes to r

ender her able to pass

by a shivering and hungr

y child in the str

eet without noticing it.

But the mothers of the poor

er classes have not that training.

They cannot stand the sight of a hungr

y child; they

must

feet it,

and so they do.

︵ 21︶ ダ ー ウ ィ ン の 生 存 競 争 説 と ク ロ ポ ト キ ン の 相 互 扶 助 説 を 対 置 さ せ る 認 識 は、 鷗 外 だ け で は な く 先 に 引 用 し た 北 一 輝 な ど に も 見 受 け ら れ た が、 こ の 書 簡 が 書 か れ て か ら 約 三 ケ 月 後 の 大 正 九 年 四 月 に 刊 行 さ れ た﹃ 中 央 公 論 ﹄ 第 三 五 年 四 月 号 に﹁ 生 存 競 争 説 と 相 互 扶 助 論 ﹂ と 題 す る 特 集 が 掲 載 さ れ て い る。 そ の 執 筆 者 で あ る 三 宅 雪 嶺、 杉 森 孝 次 郎、 堺 利 彦、 木 村 久 一、 石 川 千 代 松 の 間 に も、 ダ ー ウ ィ ン と ク ロ ポ ト キ ン を 対 置 さ せ る認識があることを確認できる。 ︵ 22︶ 絲 屋 寿 雄﹃ 叢 書 現 代 の 社 会 科 学 日 本 社 会 主 義 運 動 思 想 史 ﹄ ︵ 昭 和 五 四 年 六 月、 法 政 大 学 出 版 局 ︶、 右 田 裕 規﹃ 天 皇 制 と 進 化論﹄ ︵平成二一年三月、青弓社︶を参照した。 ︵ 23︶ 川並秀雄編 ﹃木 晩年の社會思想﹄ ︵昭和二二年 六 月 、時 論 社 ︶ などを参照した。 ︵ 24︶ ﹃大杉栄全集 第 10巻﹄ ︵平成二七年七月、ぱる出版︶ ︵ 25︶ ﹃ 學 燈 ﹄ 第 五 六 ∼ 五 八 号︵ 明 治 三 五 年 一 ∼ 三 月 ︶。 ﹃ 學 燈 ﹄ 第 五 八 号︵ 明 治 三 五 年 三 月 ︶ に 掲 載 さ れ た﹁ 十 九 世 紀 大 著 述 選 定 の 結 果 ﹂ に は、 こ の ア ン ケ ー ト に お い て﹁ 七 十 有 余 氏 の 選 定 を 請 ふ ﹂ た こ と が 記 さ れ て い る。 司 忠 編﹃ 丸 善 社 史 ﹄︵ 昭 和 二 六 年 九 月、 丸 善 株 式 会 社 ︶ に よ る と、 ﹁ 知 名 の 学 者 七十八氏よりの回答を得た﹂ということである。 ︵ 26︶ こ の﹃ 學 燈 ﹄ に お け る ア ン ケ ー ト 結 果 に つ い て は、 注 25に 挙 げ た 司 忠 編﹃ 丸 善 社 史 ﹄︵ 昭 和 二 六 年 九 月、 丸 善 株 式 会 社 ︶ を参照した。 ︵ 27︶ こ の﹃ 時 事 新 報 ﹄ に よ る ア ン ケ ー ト 結 果 に つ い て は、 ﹃ 時 事 新報 文藝週報﹄第一八三号︵明治四二年一一月一〇日︶を参 照した。 ︵ 28︶ ﹃ 人 間 の 由 来 ﹄ の 邦 訳 は、 チ ャ ー ル ズ・ ロ バ ー ト・ ダ ー ウ ィ ン 著・ 長 谷 川 眞 理 子 訳﹃ ダ ー ウ ィ ン 著 作 集 1 人 間 の 進 化 と 性淘汰﹄ ︵平成一一年九月、文一総合出版︶より引用。 ︵ 29︶ 注 28に 同 じ。 な お、 参 照 し た 邦 訳 は 横 書 き で、 読 点 で は な く カ ン マ が 用 い ら れ て い る。 そ し て、 引 用 し た﹁ 人 間 の 道 徳 的 性 質 の 基 本 原 理 で あ る 社 会 的 本 能 が ﹂ の 部 分 に 肩 番 号﹁ 39)﹂ がついており、 ﹁

‘The Thoughts of Mar

cus A ur elius, ’ &c.,p. 139 ﹂ と い う 注 が つ い て い る。 ま た、 こ の 引 用 箇 所 に 該 当 す る 鷗 外 所蔵本 Charles D ar win/David Haek, D ie Abstammung des

Menschen und die Zuchtwahl in geschlechtlicher Beziehung,

L

eipzig o.J.

における原文を引用すると、以下のようになる。

Der moralische Sinn bietet vielleicht die beste und höchste

Unterscheidung zwischen Mensch und niedrigen T

ier

en; allein

ich brauche hierüber nichts mehr zu sagen, da ich vor

her erst be -müht war , zu zeigen, daß die geselligen Instinkte ̶ das erste

Prinzip der moralischen K

onstitution des Menschen

1 ︶ ̶ mit Hil -fe der r egen intellektuellen Kräf te und der W irk ungen der Ge -wohnheit, natürlicher weise zu der goldenen R egel führ en: ,,W as

du willst, daß ander

e an dir thun, das thue auch an ander

en

“ ︱

und die ist der Gr

undstein der Moral.

[付記]   ﹁牛鍋﹂ 本文の引用は、 ﹃鷗外全集 第六巻﹄ ︵昭和四七年四月、 岩 波 書 店 ︶ に よ る。 そ の 際、 旧 字 体 は 新 字 体 に し、 ル ビ は 適宜省略した。

参照

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