『「八月の砲声」を聞い た日本人』(千倉書房、 2013年) 『対華二十一ヵ条要 求とは何だったの か』(名古屋大学出 版会、2015年)
自己紹介
『加藤高明と政党政 治』(山川出版社、 2006年)Tosh Minohara, Tze-ki Hon and Evan Dawley eds., The Decade of
the Great War: Japan and the Wider World in the 1910s, Brill, 2014
Oliviero Frattolillo and Antony Best eds, Japan and
the Great War,
Palgrave
Macmillan, 2015
Antony Best ed.,
Britain's Retreat from Empire in East Asia, 1905-1980, Routledge, 2016
1.第一次世界大戦(1914-18)とは何か 2.大戦勃発と日本 3.対華二十一ヵ条要求 4.二十一ヵ条要求後の日中関係 講義の概要
1.第一次世界大戦(1914-18)とは何か (1)第一次世界大戦の概観 ・ 4年間に及ぶ総力戦(total war):非戦闘員も関与。新 兵器の登場(飛行機、戦車)。膨大な犠牲(死者約2000万 人)。 cf.太平洋戦争時の日本:300万人 ・4帝国が崩壊:ロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア= ハンガリー帝国、オスマン帝国。 ・大戦後の新秩序構築(ヴェルサイユ体制、国際連盟)→ 第二次世界大戦へ(「20世紀の30年戦争」) ・エリック・ホブズボーム:大戦=「長い19世紀」の終わり、 「短い20世紀」の始まり(『20世紀の歴史-極端な時 代』)
(2)欧米と日本・東アジアにおける大戦の位置づけ ・欧米:「忘れ得ぬ戦争」「現代の出発点」
・日本:「忘れられた戦争」「対岸の火事」「火事場の泥棒」 *11月11日:Armis6ce Day/Remembrance Day
・中国・韓国:ナショナリズムの基点 *三・一運動、五・四運動
(3)日本にとっての第一次世界大戦 • 影響は限定的というのが一般的なイメージ⇔実は日本も第一次 世界大戦と深いかかわり 1)「欧州大戦」を「世界大戦」に拡大させたのは日本。「世界大戦」 の語を初めて使用したのは、日本人である可能性もある(山室信一)。 2)第一次世界大戦は日本の近代化の到達点:「大国化」「重工業化 」「民主化」を達成。「五大国」(米英仏伊日)の一員。国際連盟の常 任理事国。「第二の開国」(ディキンソン)。 3)日本外交の転換点:対華二十一ヵ条要求(日中関係)、シベリア 出兵(日露関係)=孤立化の端緒 ・大戦=「日本外交の転機」「日中関係の転換点」 1)国際秩序に対する日本と欧米の考え方の相違が拡大 2)日本と中国の利害対立が拡大 ・大戦中のバブルやその後の歴史的展開(満州事変、日中戦争、第二 次世界大戦)の中で、第一次大戦の経験が忘却。
2.大戦勃発と日本 (1)日本の参戦外交 • 1914年6月28日、サラエボ事件。8月1日、独、露に宣戦 布告。2日、露、独に宣戦布告。3日、独、仏に宣戦布告。 4日、独、ベルギー侵入→英、独に宣戦布告。 • 8月4日、英:日本に軍事協力を要請→大隈重信首相、 加藤高明外相:直ちに参戦を決定(7日)。 *「天佑」(元老井上馨) *「火事場の泥棒ではない」(大隈) • 10日、英、参戦要請取り消し(日本の勢力拡張を懸念) →日本、拒絶。英、やむを得ず参戦・勢力拡張を容認。 • 8月15日、日本、対独最後通牒を提出(ドイツに山東半 島の返還を要求)。23日、日英同盟を理由に独に宣戦 布告→独領の山東半島、赤道以北の南洋諸島を占領。
袁世凱 加藤高明
(2)参戦は妥当な判断だったのか?
・日本が取り得た選択肢 ①(連合国に好意的な)中立を維持 オランダ、スペイン、北欧、(アメリカ、中国) ②しばらく様子を見て参戦(日和見) トルコ(11月)、イタリア(1915年5月) ③直ちに参戦 *8月参戦はモンテネグロのみ ・加藤外相の意図 ①権益拡張の好機 ②参戦理由の消滅を懸念 *早期終戦の見込み、*山東半島を中国に返還 ③国内政治のデットロックを打開 *少数与党政権、解散・総選挙が間近
(3)日本参戦に対する各国の反応
①ドイツ:期待から敵意へ ②ロシア:歓迎 ③イギリス:期待と懸念 ④アメリカ:強い懸念 ⑤中国:日本の大陸進出への強い警戒 ・日本は参戦、全世界の戦渦(『申報』1914年8月2日) ・8月6日、局外中立を宣言→アメリカへの期待 ・ドイツと青島の直接返還交渉、日英の青島攻撃への参 加をイギリスに打診→いずれも失敗
3.対華二十一ヵ条要求 (1)国内世論の沸騰
・国内のほとんどの政治勢力、メディアは日本の参戦・権益拡 張を強烈に支持。 *慎重論:山県有朋:対中政策確立の必要 :原敬(政友会):同盟国への最低限の協力 *反対論:石橋湛山(『東洋経済新報』):中立に徹すべし ・加藤外相の狙い:山東権益の中国返還を「取引材料」として、 満州権益の租借期限を延長。 *満州権益:1898年、露が獲得→1905年、日本が継承。 1923年に旅順・大連の租借権、1939年に満鉄の使用権が 切れる見込み。1913年1月の加藤・グレイ会談でイギリスも 原則的に了解。 *山東権益:1898年、独が青島の租借権を獲得(99ヵ年)。 ・青島の戦い(10月31日~11月7日)→国内各方面から「権益 拡張熱」:山東権益の返還は無用。新利権を獲得すべし(中 国本土、オランダ領インドネシア)。
(2)対華二十一ヵ条要求の提出
・1915年1月、日本、袁世凱政権に二十一ヵ条要求を提出 (全5号、21ヵ条)。 ・第1号:ドイツの山東権益の継承 ・第2号:満州権益の延長・拡大 ・第3号:漢冶萍公司の日中合弁化 ・第4号(以上要求条項):中国の領土保全 ・第5号(希望条項):中国政府による日本人顧問の雇用、 一部中国における警察の日中合同、中国における布教 権の保障、日本からの兵器供給の義務。 *1-4号のみであれば「洗練された帝国主義外交」 *5号が問題 問題点1:過大な要求(重大な内政干渉)。韓国の先例。 問題点2:列強に秘匿(英米露仏には1-4号のみ通知)。 *「希望条項」とされた理由:「逃げ道」?
(3)日露戦後の日中交渉:二十一ヵ条要求の前提
・1905年、北京条約:日本が露の満州権益を継承。秘密 交渉、早期決着、列強の承認=その後の交渉のモデ ル?日本はこの条約を根拠に満州権益を拡張。 ・1908年、第二辰丸事件:マカオ水域で日本船が武器密 輸の疑いで拿捕→釈放、損害賠償。対日ボイコット。 ・1911年、辛亥革命→日本国内で、混乱に乗じて中国で の利権獲得を求める内政干渉論⇔第二次西園寺内閣 (政友会):内政不干渉。 ・1913年7月、第二革命(袁世凱打倒の武力蜂起)。8月、 南京事件(日本人3名の殺害事件)→日本国内で、中 国への懲罰・武力干渉を求める声→謝罪、賠償金支払 いなどで決着。 *二十一ヵ条要求と酷似:日本の強硬な世論、要求案の 追加、要求・希望の区別、満州問題解決への試み
(4)二十一ヵ条要求をめぐる外交交渉 ・日本:秘密交渉、早期決着を目指す ・イギリス:1月22-29日に日本から要求内容(第5号以外)の 通知を受ける。問題視せず。 ・ロシア:2月5日に日本から通知。「実に見事なる方法」。 ・アメリカ:1月23日、ラインシュ駐華公使、日本の要求が二十 一ヵ条から成ることを本国に報告⇔ブライアン国務長官:ラ インシュ報告は誇張されていると判断。2月5日、日本から要 求の通知を受けた際も、問題視せず。 ・中国:袁世凱政権の巧みな抵抗 ①交渉の遷延 ②国内世論の動員:情報を新聞にリーク→学生やメディアによ る反対運動、日本製品ボイコット、「救国貯金」 ③列強の干渉を誘引:情報を外国人ジャーナリスト(英タイム ズDonald、『東京朝日新聞』神田正雄)・外交官(米Reinsch) にリーク(蔡廷幹、顧維鈞)
外報部長 北京特派員 東京特派員
1912 Sir Valen6ne Chirol G.E.Morrison (un6l Sept.) David Fraser (from June) Francis Brinkley (un6l Oct.) Charles Hargrove (from Nov.)
1913 -‐ Fraser Hargrove
1914 Henry Wickham Steed (from Jan.) Fraser William Donald (from Nov.) Hargrove (un6l Apr.) John Penlington (from Apr.)
1915 Steed Fraser (in Japan from Jan. to Mar.)
Donald (un6l Mar.) Penlington
(5)『タイムズ』の東アジア報道体制(1912-15)
Henry Wickham Steed (1871-1956)
George Morrison (1862-1920)
• 2月2日 日中交渉開始
• 4日 Morrison、日本の全要求内容を知る。
• 6日 Morrison→Sir John Jordan (英駐華公使)→Sir Edward Grey (英外相)
• 7日 Donald→Steed, Fraser(東京出張中)
• 8日 Fraser、加藤と面会。加藤、第5号の存在を告白。 Fraser、Sir Conyngham Greeneと面会。
• 9日 Greene、加藤と面会。第5号は 「希望」に過ぎないと 弁明。Greene、Greyに面会内容を報告。 • 8-‐10日 Fraser→Steed
(6)情報リークのプロセス
• 13日 『タイムズ』社説 “Japanese claims on China” :日本 の要求に肯定的な内容(第5号には触れず)。 • 15日 袁世凱、蔡廷幹を通してMorrisonに日本の要求全 部の英文翻訳 を手交。 • 15日 Morrison→Jordan, Donald Donald→Steed • 16日 Jordan→Grey • 17日 Morrison→Steed • 20日 井上勝之助(駐英大使)、第5号をGreyに通知。 • 22日 Grey、加藤に対して、日本がイギリスの中国におけ る既得権に配慮し、日英同盟の目的に従うことを要求。 • 3月13日 『マンチェスター・ガーディアン』、日本の要求 全文を掲載し、批判→以後イギリス議会や中国に利害関 係を持つ商工業者が日本批判。
(7)「情報戦」の構図 ①日本政府:欧米・中国との協調を損なわない範囲での 権益拡張を企図。 ②日本国内(陸軍・世論など)の強硬論:さらなる権益拡張 を要求→政府:世論の突き上げに押されて強硬論へ。 1914年12月に衆議院が解散され、3月25日に総選挙が予 定されていたことも影響(与党同志会が大勝利)。 ③中国国内世論の強い反発。 ④欧米からの懸念の表明。ただし欧米の世論も多様(例: 英国:『タイムズ』宥和的、『マンチェスター・ガーディアン』 対日強硬的)。 ⑤中国世論の強硬化→日本世論の反発・強硬化
(8)交渉の難航 ・加藤外相:2月20日、第5号の内容を英に通知。「希望」に過 ぎないと説明→グレイ外相懸念を表明:英の商業上の利益 と抵触する懸念。中国の独立・保全を損なわないことを要望。 27日、グリーン英大使:5号3(日中警察の合同)に関心。 ・2月20日、露・仏大使、第5号4(日本から中国への兵器供給) に関心。 ・2月25日、米大使、 第5号3(日中警察の合同)に関心。 ・加藤外相:列強の反対が予想より小さかったため、強気の姿 勢を維持し、挽回を期待。 ・3月10日、大隈内閣、中国駐留の兵数の増加を閣議決定= 武力行使をちらつかせて中国を威圧。 ・3月15日、米、第一次ブライアン・ノートを発表:第5号のうち4 条項への異議を表明⇔従来の米国の満州権益への牽制に 比べ、宥和的とも取れる内容。加藤外相は深刻に受け止め ず。
(9)交渉の妥結
・
3月25日、総選挙で与党同志会が勝利→以後も大隈
内閣は強気の姿勢を維持。世論も依然強硬(『東京
朝日新聞』は開戦覚悟を主張:
4月22日社説「断乎
たる姿勢」)。
4月26日、大隈内閣、修正案(第5号の
骨格を維持)を閣議決定。
・交渉を妥結に導いたのは、政権外部の二つの力。
①元老(山県有朋、松方正義、大山巌):5月4日、元老・ 閣僚会議で第5号の少なくとも一部削除を要求。 ②イギリス(グレイ外相):4日深夜、日本に第5号の削除 を求める電報が到達。 ・5月5日、大隈内閣、第5号の削除を決定。6日、最後通 牒を決定。 ・7日、最後通牒を中国に提出→9日、中国、受諾(イギリ スの説得も影響)=国恥記念日。25日、2条約、13交換 公文を締結。
(10)二十一ヵ条要求とは何だったのか ・二十一ヵ条要求は、日露戦後の日中関係のさまざまな 懸案が集約されたもの。満州問題をめぐる交渉はいず れ必要であったし、日本側はどの政権であれこの問題 での妥協は困難だったと思われる。 ・日本の要求が過大で、欧米を出し抜く形になったことが、 交渉を長期化させ、紛糾を生んだ。大隈内閣が国内の 強硬世論に押され、帝国主義外交のもとで是認し得る 範囲を逸脱する要求を出したことが問題であった。 ・軍や政治家の一部が中国大陸での権益拡張を声高に 叫び、メディアや世論がそれに追随し、政治指導者もそ れに引きずられるという1930年代の日本外交のパター ンが既に萌芽的に見られる。 ・日中関係への影響は大。日本は新中国建設の「単独 敵」に(川島真)。
4.二十一ヵ条要求後の日中関係 (1)大戦中 • 二十一ヵ条要求をめぐる交渉は妥結したが、不確定要素は残っ た:大戦の帰趨、列強の承認(5月13日、米第二次ブライアン・ノ ート)、袁世凱政権の行方、中国世論の動向=「山東問題」は継 続。 • 動揺する日本の対中政策:排袁政策(大隈内閣)、援段政策(寺 内内閣) • 日本による大戦後に向けた布石 ①1915年10月、ロンドン宣言(1914年9月)に加盟。 ②1917年2月、第二特務艦隊(巡洋艦・駆逐艦合計18隻)を地中海 に派遣:英仏露は引き換えにドイツ権益の継承を承認 • 中国による権益回収、国際的地位向上の試み: ①1916年~連合国に労働者を派遣(西14万、東20万人) ②1917年8月、連合国側に立って参戦(英仏の要請、日本も承認)。 1918年8月、シベリアにも派兵(2000人)。
(2)大戦後 • 1919年、パリ講和会議:中国代表団、二十一ヵ条要求に基づく決 定の無効を主張。世論は、ウィルソンの14ヵ条演説を歓迎し、山 東問題の解決を期待。 • 列強は、東アジアの現状維持を確認し、既得権を相互承認し、旧 ドイツ山東権益は、中国への返還を前提として日本に譲渡⇔五・ 四運動の発生:講和条約調印反対運動、反日デモ、日本製品ボ イコット。 • 中国代表団、ヴェルサイユ条約調印を拒絶。ただし、国際連盟に は加盟。 • 1922年2月、ワシントン会議:九ヶ国条約、山東還付条約を調印。 • 同年12月、日本、青島を中国に返還。若干の日本権益。1927年 末の日本人居留民数:16,940人。 • 1923年、旅大回収運動。 • 1927-‐28年、山東出兵。
【参考文献】 ・山室信一『複合戦争と総力戦の断層 日本にとっての第一次世界 大戦』(人文書院、2011年) ・奈良岡聰智『「八月の砲声」を聞いた日本人 第一次世界大戦と植 村尚清「ドイツ幽閉記」』(千倉書房、2013年) ・奈良岡聰智『対華二十一ヵ条要求とは何だったのか:第一次世界 大戦と日中対立の原点』(名古屋大学出版会、2015年) ・奈良岡聰智「モリソンと対華二十一ヵ条要求」斯波義信編『モリソン パンフレットの世界Ⅱ』(東洋文庫、2016年) ・山室信一・岡田暁生・小関隆・藤原辰史編『現代の起点 第一次世 界大戦』 第1巻(岩波書店、2014年) ・川島真『シリーズ中国近現代史(2) 近代国家への模索』(岩波新 書、2010年) ・川島真『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、2004年) ・川島真『近代中国をめぐる国際政治』(中央公論新社、2014年) 28