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「通知表」の起源について : 明治前期の日常的成績評価及び行状・品行評価と家庭通信

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(1)

附属教育実践研究指導セ ンター

山 俊

A Study on the Origine of Report― card in Japan

Toshiki YAMANE

│ま

じ め

:こ 「 通知表」は

,子

どもに対す る教育効果 を高め る目的をもって発行 され る

,子

どもの成長・ 発達 の記録を主要 な記述 内容とす る

,学

校 と家庭 との往復連絡文書のひとつであ り

,学

校 と家庭 との連 絡・ 通信の一手段である。法的には

,歴

史的にも

,ま

た現在 も

,学

校 に発行義務はな く

,全

くボラ ンタ リーなものであるにもかかわ らず

,ま

た連絡 。通信のひとつの手段であるにもかかわ らず

,ほ

とん どの小 。中学校で毎学期毎に発行 されている。 また

,法

的規定がないこともあ って,「通知表J のほかに

,学

校・ 家庭連絡簿

,通

知票

,通

信簿

,あ

ゆみ

,伸

びゆ く子等 々の呼称が用 い られてきて いる。以下

,小

論では便宜上 これ らを含めて一括 して「 通知表

Jと

称す ることにす る。 さて

,こ

のように法的規定のないボラ ンタ リーな文書である通知表は

,

日本において

,い

つ頃, 何のために, どの様 な記載内容 と機能をもって生成 してきたのであろうか。 この問題 については, すでにい くつかの先行研究がある。小論は

,教

育関係事典の記述および代表的な先行研究 を批判的 に検討 して

,こ

れ らでは一部 を除いてほとん ど遮ゝれ られていない

,通

知表の前史 とで もいうべきも のを

,明

治前期 に広 く行われていた

,大

試験

,小

試験 な どの定期試験 とは異 なる日常的な成績評価 および訓育・ 管理の評価 と

,そ

の家庭通信 という視点か ら

,そ

の一端を明 らかにす ることを 目的 と す る。 なお

,取

り上げる先行研究は

,唐

沢富太郎

,花

井信

,天

野正輝のものである。

I

教 育 関 係 事 典 に記 述 され た 通 知 表 の 起 源 先行研究の本格的検討にはいる前に

,ま

,現

在発行されている代表的な教育大事典および教育 評価事典の類では

,通

知表の起源についてどの様に記述されているのかを検討 しておこう。 まず

,奥

田・河野編『現代学校教育大事典』(ぎょうせい

,1993)の

「通知表

J(長

尾彰夫執筆) の項 目では,「変遷」と題する小項 目の最初に

,次

のように記述されている。 わが 国の学校教育史上

,通

知表が公 的 に位 民ゴ│すられ たのは

,1891(明

24)年

の小学校 教則大綱 につ いての「 説明」 の中で「 …………学校 卜家庭 卜気誕 ヲ通 スル ノ方法 ヲ設ケ相提携 シテ児童教育 ノ功 ヲ奏セ ン コ トヲ望 ム…………」 とされた ことに始 まる (後略)。 根

(2)

山根俊喜 :「通知表Jの起源について この文部省説 明は

,以

下 で検 討す る事典類

,先

行 研 究 で も通知 表 の歴 史 に と って重 要 な位 置 を 占 め るもの とされ てい るので

,あ

らか じめ通知表 に関係す ると思われ る部分 を ここで引用 してお く。 前陳教授上二関スル記録 ノ外二各児童 ノ心性

,行

,言

,習

,偏

癖等 ヲ記載シ道徳訓練上 ノ参考ニ 供 シ之二加フルニ学校 卜家庭 卜気除 フ通スルノ方法 ヲ設ケ相提携 シテ児童教育 ノ功 ヲ奏セ ンコ トフ望 ム なお,「教授 二関スル記録

Jと

は教授細 目と教授週録をさす。 また これに続 く箇所では

,試

験 に 関す る注意事項 一その 目的・ 評定法や,「平素 ノ行状学業 ヲモ掛酌」 して卒業 を認定す ることが述 べ られ ている。児童の行動・ 性格 について学校表簿 に記載す ることについては

,す

で に明治14年4 月の文部省達 (第 10号)「学事表簿取調心得

Jに

おける「 生徒学籍簿

Jの

説明中,「退学年月 日」の 項 に

,退

学の事 由等 と共に「 特二品行性質 ノ如キハ教員宜ク各生徒 工就テ之 ヲ詳記スヘ シ」 という 規定が見 られ る。 しか し

,こ

れは

,お

そ らく卒業・ 退学後の対外証明を想定 した ものであ り, この 説明のように教育資料 と して位置づけ られ るものではなか った。 さて

,小

学校教則大綱 の文部省説明 (以下「 説 明」 と略記す る

)の

中には「 通知表」「 通信簿」 およびそれに類す る文言は含 まれてはいない。 しか し

,後

述す るように

,こ

の「 説明」 にある「 学 校 卜家庭 卜気隊 ヲ通スル ノ方法

Jに

通知表が含 まれていると推察 され

,通

知表の発行 を広 く促すひ とつの契機になったのは事実であろう。ただ し, ここでは

,先

行研究によって明 らかにされている, それ以前 にボランタ リーな形で存在 した通知表の存在 には応、れていない。以下で見 る

2つ

の事典に ついても同様である。 次 に細谷・ 奥 田・ 河野 。今野編『新教育学大事典』 (第一法規

,1989)の

「 通信簿」(石田恒好 執筆

)の

項 目では,「歴史」の小項 目の冒頭 に

,さ

きの「 説 明

Jを

引用 し

,続

けて次のように述べ ている。 これが通信簿の発行を公的に示唆 した最初のものといわれている。すなわち

,通

信簿の起源である。 引用 の前段は国家 レベルでいえばそのとお りだ と して

,後

段は問題がある。 なぜ な ら

,先

述のよ うに

,こ

の文部省説明以前に

,す

でに通知表が発行 されているか らである。すでに発行 され ていた 通知表の普及を促 した点にこの「 説明」の通知表の歴史にとっての意味があるのである。 さて

,次

,東

・ 松本 。芝・ 梶 田編『 現代教育評価事典』 (金子書房

,1988)の

「 通信簿

J(藤

原藤助執筆

)を

見てお こう。 まず「 意義」の小項 目で

,教

育法規 に通知発行の規定が ないこと述べ た後 に次のよう記述 され ている。 にもかかわ らず

,学

制発布以来

,現

在に至るまで

,国

公私立の大部分の学校で通信簿を発行 している。 学制期 より発行 されていた通知表 とは どの様 なものであ ったか

,記

述がないので不明であ るが, おそ らく

,家

庭 に示 された試験成績表 の類 を想定 しているので あろう。 しか し

,

この記述 は,「意 義」 に続 く「 成立

Jと

いう小項 目におけ る以下 の記述 と明 らか に矛盾す るようように思われ る。 「 成立

Jの

冒頭では

,既

述の

2つ

の事典 と同 じく,「説明」を引き

,つ

づけて,「これが 日本の通信 簿の原型である

Jと

している。 学制期か らこの「 説明

Jが

でるまでの間に発行 されていた とされ る通知表は, この「 原型

Jと

の様な関係があるのであろう。また

,「

原型」とはどの様な意味なのであろうか。

「説明

Jに

は「通

168

(3)

知表」「 通信簿」 の類の文言は含 まれ ていない し

,ま

してやその雛形 な ど掲載 され ているはず もな いのである。 以上

3つ

の事典 の記述をみてきた。「 説明

Jが

通知表発行 に影響 を与えていると捉える点で三者 とも共通 しているが

,そ

の通知表史上の位置づけには問題のあるものも存在 した。 こう した捉え方 や文言等か ら判断 して

,こ

れ らの記述は,「唐沢 によ って通信簿史はき りひ らかれたJり と言われ る唐沢富太郎の研究 に直接・ 間接 に依拠 ―誤読・ 誤解 も含む― していると考え られ る (唐沢は, 「 説明

Jが

通知表の「 起源」あるとか「 原型」であるとは述べ ていない)。 以下では

,公

表年代順 に

,ま

,唐

沢の所説について検討 し

,つ

ぎに唐沢等の所説の批判的検討の上に通知表史に関 して 自説を展開 した花井信の所説を

,つ

いで 日本におけ る知育・ 訓育の両者を含む教育評価史研究のな かで通知表の歴史について遮ゝれている天野正輝の所説を検討 して

,通

知表史の到達点を明 らかに し てい くことにす る。 Ⅱ 先 行 研 究 に お け る 通 知 表 の 起 源

1

学業成績 の家庭 へ の通知 ―唐 沢 富太郎 の所説 唐沢の所説を

,そ

の著『 教育博物館』(中巻

,ぎ

ょうせい

,1977,pp.18井

188およびpp.36卜384) をもとに検討す る。 この著書以前 にも,『明治百年の児童史』 (上巻

,講

談社

,1968)な

どで も通 知表の歴史について記述 され ているが

,通

知表の現物史料の提示

,記

述 とももっとも詳細 に渡 って いる『教育博物館』を取 り上げることにす る。 唐沢の見解 を

,本

論 との関係で明治期 を中心に要約す ると以下のようになる。

(1)氏

所有のもっとも古い通知表は

,学

制期の

1879(明

12)年

,尾

道西学校 (広島県

)で

発行 された「 定期試験点数並勤惰行状表

Jで

ある。 ここには各科 目の定期試験成績 と及落

,お

よび行状 の善 し悪 しが記載されている。教育令期 に発行 された通知表 も含め

,明

治10年代の通知表は「 家庭 に対 して試験の点数の結果 を通知す る役割 しかもたなか ったようであるJ。

(2)明

治20年 代前半 の通知表発行 については

,1888(明

21)年

■月7日 に「 家庭学校通信簿J を定めたとす る長野県開智学校の学校沿革史の記述

,玉

城肇がその著『 学校 と教師の歴史』で紹介・ 分析 している1891,2(明治

24,5)年

頃発行の東本郷学校の「 家庭通信簿」 によって跡づけ られ る。

(3)1891(明

24)年

の小学校教則大綱の説明は,「通信簿に関す る公的観念の表明と して

,も

っ とも早いものに属す るであろうJ。 これは

,通

知表が

,第

一 に

,道

徳訓練上の参考のために存在す ること

,第

二 に

,学

校 と家庭 の連絡を計ることにより

,子

どもの教育の向上をめざ して相互協力す るために存在す ることを示す ものである (なお

,『

明治百年 の児童史』では

,こ

の「 説明」の記述 は「 当時 (通知表が

)あ

る程度普及を観ていた実状を踏まえていたものと思われ る」 とされている)。 は

)し

か し

,明

治20年代の通知表 も,「点数第一主義の教育風潮を反映 して

,試

験の成績の出来, 不出来が即ち成績 となり

,ま

た及落のみを重要視 した傾 向が強い」。

(5)1900(明

33)年

の小学校令施行規則 によ って学籍簿 の発行が義務づけ られたが

,こ

の後 「 通信簿の様式が学籍簿 に準拠 してい くことになった」。 “

)総

じて

,明

治期 の通知表 の特徴は,「学業成績お よび及落 のいかんを通知す る役割 を大 き く 持 っていたこと

,と

りわけ学業成績の評価はほとん ど試験 による点数の結果であ った ことである」。 以上の他

,家

庭 。学校の連絡欄

,出

,身

体検査の記録が

,明

治末にかけて徐 々に一般化 してき

(4)

山根俊喜 :「通知表」の起源について ていること

,ま

,家

庭 か らの通信欄 はほ とん ど利用 されていなか った ことり

,そ

の他の記載事項 として

,学

校暦

,児

童や保護者の心得

,通

知表の取 り扱い等が記載 されているものがあることにも 応、れている。 しか し,「説明」や家庭・ 学校の通信欄 の存在 にも関わ らず

,一

言で言えば

,明

治期 の通知表は

,試

験成績 の家庭への連絡の機能 しか果た していなか った というのがその結論である。 さて

,こ

こで

,以

上の見解 に対 し

,通

知表の起源 に関わ る点 に絞 って疑間を挙げておきたい。 まず

,第

一 に

,次

に検討す る花井 も批半Jしている点であるが

,明

治10年代の「 試験成績表」 など の呼称をもつ成績証 明書の類を通知表の範疇 に合めてよいか という点である。 これは

,学

校か ら家 庭ヘー方的に試験成績や及落

,席

次等を知 らせ るだけのものであ った。通知表の最低条件は

,家

庭 と学校 との往復文書であることではないだろうか。唐沢は通知表 を「 学校 と家庭のかけ橋」 と性格 づけている。それ な らば

,た

とえ

,試

験成績が明治20年代以降の往復連絡文書 と しての通知表の記 載内容の重要 な部分を占めるに しても

,学

校が

,家

庭の何 らかの反応 をは じめか ら期待 していない 一方通行の文書は

,通

知表の範疇か らはず し

,そ

の記載 内容上の「 前史

Jと

で も位置づけるべきな のではないだ ろうか。現代で も

,中

学校や高校で通知表 とは別 に

,中

間テス トや期末テス トなどの 成績表を子 ども

,お

よび壬 どもを通 じて家庭 に知 らせ ることがあるが,「試験成績表

Jな

どの内容 とその発行形態はこれに類す るものであ り

,現

実の機能は別 に して

,そ

の 目的か らい って通知表 と は区別 され るべきではなかろうか。 ・ ユ コ > ハ   . ・ よ ﹁ ゝ ト

1

勤情行状表 (埼玉 県比企郡第十七学 区花 ケ 岡学校) (出展 :唐沢『教育博物館 上』p.182)

(5)

さて

,次

に史料の位置づけに疑 間がある。『教育博物館 上』182頁以下の通信簿の史料 を掲載 し てある部分では

,ま

ず第一に,「勤惰行状表 (埼玉県比企郡第17学区花ケ丘学校中等

2,3級

)Jが

掲載 してあ る (図 1)。 発行年 は記載 していないが

,中

等 とあるか らおそ らく明治10年代後半 のも のであろう。月 ごとに

,毎

日の勤惰 (出欠

)と

行状を記す欄があ り

,勤

惰欄はおそ らく教員の印が, 行状欄 には

15,16と

い った点数が表示 されている (おそ らく20点満点であろう)。 通信簿 の項 に所 収 されているか ら

,学

校だけで使用 された帳簿ではな く家庭 にも通知 された ものと思われ

,さ

らに 個人 カー ドの形式で

, 1日

ごとに動惰・ 出欠を記入 していること

,ま

た類似の学校 。家庭往復文書 が存在 した こと (後述

)か

ら学校 と家庭 を (おそ らく毎 日

)往

復 した ものと思われ る。 しか し唐沢 は

,解

説では この帳票 に全 く応ゝれていない。 また解説の通信簿一覧 にも掲載 されていない。 なぜ な のか不 明であるが

,推

察す るに

,通

知表

=学

業成績 の評価 とその通知 という観念 にと らわれて

,教

科の成績 を含 まないこの文書を

,通

知表 の範疇 には正式 には位置付かないものと捉えたのではなか ろうか。す なわ ち

,明

治10年代 の試験成績表 の類 を通知表の範疇に含 ませ ていること

,ま

た,「教 育評価 を示す通信簿

Jと

い った表現

,通

知表の歴史をた どる前提 と して「 成績評価が始め られた時 代背景

Jを

検討 していること

,通

知表 の評点法を細か く分析 していることなどか ら

,唐

沢には通知 表 によ って

,学

業成績評価の方法の変化 を明 らかにす るという問題意識が強 くあ り

,そ

の ことが こ の史料 の位置づけを暖味 に して しまったのではなか ろうか9。 しか し

,通

知表 を子 どもの教育のた めに学校・ 家庭が協力す るために発行 され る往復文書でと捉えれば

,試

験成績表の類でな く, この 史料 こそが通知表の直接の前史 と捉え られ るのではないか。

2

訓 育指導 のた めの家庭 ・学校 往復 連 絡 文書 ―花井信 の所説 花井は

,通

知表の発行が

,学

校での「 学習状態を家庭 に連絡す るという意図をもって

,1890年

代 後半か ら師範学校附属学校で開始 された

Jと

す る佐藤秀夫の見解および

,先

の唐沢の見解 を批判的 に検討 しつつ

,1890(明

23)年

前後か ら大正期 までの通知表の歴史を丹念に描 き出 している (花 井「 通信簿史考」『近代 日本地域教育 の展開』梓 出版

,1986,第

3章第2節)。 本論 との関係で

,明

治20年代の通知表の記述部分について要点をまとめてお こう。

(1)唐

沢 も触れている開智学校 の「 家庭学校通知簿」(1888)は

,通

知表発行 の「 もっとも古い ものに属す るであろう」。 この通知表 は

,緒

(2頁

),「

家庭 よ りJ「学校 よ りJ「操行」「 欠席 日数

J等

1頁

内にまとめたものが

3頁

分,「大試験成蹟表

J(1頁

),「

生徒心得

J(3頁

)と

いう構成である。。通知表の正式名称の表記 と内容か らみて

,家

庭 と学校 との往復連絡が主眼 とさ れている。 また

,品

行 と学業成績 を内容 と しているが

,内

容構成上

,ま

た月一度 という定期通知 と いう形式か らみても,「学業成績ではな く

,主

には品行 に関わ る事柄が通知 の中身であ った と

,判

断され るJ。 このことは

,1891(明

24)年

発行 の長野県高遠小学校の「 家庭学校通知表

Jに

よ っ ても裏付け られ る。

(2)さ

らに,「子 どもの徳育指導の効果 を上げ るために

,学

校 と家庭 とが協力 し合 う往復連絡文 書」 という通知表の性格をよ く表わ しているものに

,兵

庫県豊岡の大庭小学校 の「 通知簿

J(明

治 20年代のものと推定

)が

ある。 この通知表は

, 3箇

条 の注意書きを含む表紙

(3箇

条 の第

1条

には 「 此 しらせ簿は家庭 と学校 と心を合わせて児童の仕付 をよくし

,教

の効を挙 くるの一の助けとせん ために作 りた るものなれば

,よ

く心 を付けて学校 よ りの知 らせを見

,ま

た仕付 に大事 のことは此紙 に書 き入れ必学校へ知 らすべ し

Jと

あ る

)1頁

,毎

日の「 品行

Jを

記入す る欄が3カ月分 (1.5 頁分

)と

学業成績その他 (半頁

),そ

して「 通知すべきことが ら

J(1頁

)か

らなっている (図2

(6)

へL・さての削:學: 4子 t'品1月 体 操 科 算 術 科 刊 学 科 作 文 科 護 帯 科 修 身 群 ・イ 〓 ロ 等 等 等 等 等 等 受 朴 救 良 新 川 ″             一出 肪 H 敗

切 治 = 年   月     H 決 定         等 兄 荒 供 硬 者 = 七 日 十 六 u 十 八 B 十 七 u

[1 十 八 F r r ん 日 〓 ︼十 日 一世 一 日 将 囲 十 日 = 一 日

計V

体一 I ■ 旧 十 ︼ 日 山根俊喜:「通知表」の起源 について 図

2

大庭小学校通信簿 (出典 :花 井『近代 日本地域教育の展開』1986,p.135) 参 照)。 こう した形式 の品行欄 は

,唐

沢 も紹 介 した玉城 肇 の克 集 した東 木郷 学校 の もの (1891,2(明 治24,5)年頃

)に

もあ った。

(3)小

学校教 則大綱 の文部 省説 明につ いて は

,こ

の説 明を契機 に通知表が広 く使 われ始 めた こと, そ して

,試

験 成績 表 とは別 の道徳 指導 に主 眼 をお き

,か

つ学校 と家庭 との相互連 絡 とい う観点が全 面 にだ され た「 方法

Jの

提 唱 が なされ た

,と

い う点が重要 で あ るD。 これ 以降の時期 の検討 も

,家

庭 一学 校 の連 絡・ 連携 手段 の一方法 と して の通知 表

,訓

育 指導 のた め の協 力手段 と しての通知表等 と言 った視点 か ら通知表 の歴 史をひ もとき

,そ

の変 容 の原 因 を明 ら か に して い るが

,こ

こで は触れ えない。 こう した検討 の後

,彼

は通知表 の始 ま りと普及 につ いて次 の ように ま とめ てい る。 通知表は

,学

校 と家庭 とが子 どもの教育の効を上げ るため, とりわけ訓育指導の効を上げるため

,協

力 し合う目的をもって

,往

復連絡文書と して1890年 前後か ら自生的に登場 し,1891年の小学校教則大綱の文 部省説明以降

,広

く使われ るに至 った。 念のため, この規定のポイン トを押さえてお くと

,①

通知表の目的は第一に訓育指導にあること ②家庭・学校の往復連絡文書であること

,で

ある。 さて, ここでの興味は

,な

ぜ, どの様に して「 自生的」に登場 してきたかという点である。残念 なが らこの点に花井は触れていない。このことと関わ って

,史

料批判を欠 くとはいえ

,唐

沢が示 し ていた花 ヶ岡学校の「勤惰行状表」は,「勤惰

J欄

を除けば

,花

井が示 した大庭小学校の通信簿 に おける「品行

J欄

と同様の様式を有 しているにもかかわ らず

,こ

れに触れていないのはなぜであろ うか。さらに

,唐

沢が示 しているように

,1980年

代の早 くか ら

,実

態としては学業成績の通知に比 4子

:月 1予:品:月 ︵ 十 三 g 十 二 日 日 田 L ︼ H ‖ ■ 8 W 十 五 出

Pu n . 賠 一 憾 一﹁ 六 = 工   “ 一 六 fI T t 出 一子 八 = I ハ 臀 五   日 〓 ハ   u t モ   H 十 七 “ 十 八 日 七 日

田 十 八 田 + 上 匹 = ハ   H 工 ・ヤ B 十 九 日 八 I' 一 1 ,I 一 ロ 珂 劇 廿 ︼ ■ ギ イ = 九 “ 一 ﹁ ﹁ ば T 一 石 一 十 日 一 十 一 H 令 廿 一 十   日 一 十 一 日 1上 ■ 〓 口

(7)

重を置いた通知表 (試験成績表 などの証書類ではない)カ ミ存在す るが

,こ

れを どの様 に位置づけ る のか

,と

いった点で疑間が残 る。 こう した点を検討 しているのが

,次

の天野の所論である。

3

森 文相 の家庭 教 育 ・教 科外教 育 の重視 策 と通 知表 ―天野正輝 の所説 天野は

,そ

の著『 教育評価史研究 ―教育実践 における評価論の糸譜―』で

,学

制期か ら第

2次

小学校今 までの教育評価史を

,学

業成績だけでな く

,学

制期か ら行われていた平素の「 行状」の評 価

,修

身科における品行・ 操行の評価

,森

の人物査定 な ど

,訓

育評価 の実態 と教育評価上の意味 を 明 らかに し, これを踏 まえて

,明

治20年前後か ら

,そ

の発生の経緯 とこの年代の通知表 について考 察を加えている (同書

,第

2章

2(7)「

通信簿の登場 とその背景

J pp.112-■

4)。 その要 旨は以 下 のとお りである。

(1)通

知表 は

,明

治20年前後

,森

文相の家庭教育・ 教科外教育の重視策が とられてい く過程で各 地区や学校が任意 に発行す るようになったものである。

(2)た

だ し

,こ

れ以前 にも

,学

制期か ら子 どもの試験成績 を父母へ「 連絡 。通知」 した り

,ま

た 明治10年代は じめか ら「 出席状況や行状に関す る注意」 を「 勤惰行状表

Jに

して父母へ「 通知

Jす

ることが行われ ていた。

(3)初

期の通知表は

,子

ども・ 父母の成績順位への強い関心を反映 して

,学

業成績が中心 にな っ ているものが多い。 しか し「 次第に

,徳

育や訓練の効果を徹底す るためには家庭 との連絡が不可欠 であることを認識 した学校側は

,そ

の重要 な方法 と して通信簿 の発行 に着 目しJ「学業成績 も合 め 訓育的 。心得的内容を盛 り込んで

J通

知表 を発行す るようになった。 こう して20年代初頭の通知表 の現物 には

,訓

育的効果 と学業成績の連絡のそれぞれ を第一義的に追求 したものが存在す る。

(4)小

学校教則大綱 とその「 説明

J以

,呼

称 。様式等様 々な工夫をこらされて普及 してい った。 なお「 説明」は

,通

知表 に

,第

一義的には

,学

業成績 の通知ではな く

,徳

育・ 訓育上の家庭 。学校 の協力手段の意味をもたせ ようと したものである。

(5)明

治20年代後半 になると教育勅語の内容を「 生徒心得」 と して掲載 したものが多 くなる。 ま た通知表だけで な く

,授

業参観・ 教育懇談会等の方法 を講 じることによって

,子

どもの躾や学業 に ついて父母の理解 を求め る傾 向が現れてきている。 通知表発行の契機が

,森

文相 の教科外教育・ 家庭教育重視策にあ った こと

,前

史 と して試験成績 の通知だけで な く

,出

欠 。行状の通知が位置づけ られ ること

,父

母 。子 どもの要求に応 じて初期 の 通知表は学業成績が中心のものが多いが

,通

知表を訓育指導のために利用 しようとす る学校側 の意 図によって早 い段階か ら訓育的効果を期待 した通知表が現れた こと

,な

どが新 しい知見であるとい えよう。 以上

,先

行研究を次のように総括す ることができよう。

(1)通

知表は

,明

治20年前後 ない し1890年前後 に家庭 。学校が子 どもの教育について何 らかの意 味で協力 し合 う 目的をもって

,家

庭・ 学校往復連絡文書 と して生 まれ,「通知

Jを

契機 に次第 に広 く普及 してい くことになった。

(2)天

野によれば

,そ

の背景には

,森

文相の家庭教育・ 教科外教育重視策があ った。

(3)学

校や政策上の発行意図は

,訓

育指導の効果 の向上にあ ったが

,父

母・ 子 どもの学業成績 に 対す る強い関心を反映 して

,実

態 と しては

,訓

育的効果 をね らった通知表 と学業成績 の通知を中心 とす る通知表が存在 した。

(8)

山根俊喜:「通知表」の起源について

(4)通

知表の前史 と しては

,試

験成績表や子 どもの行状・ 品行を通知す る『勤惰行状表』があげ ら″化る。 さて

,以

上のような総括が妥当なのか どうか

,全

面的 な検討はここではな しえない。以下では, この先行研究 の総括を敷行 し補強す る形で

,通

知表が明治20年頃に発生 し当初か ら知育・ 訓育それ ぞれを全面 に出 した

2つ

のタイプの通知表が存在 したのではないか ということ

,ま

,そ

のひ とつ の前史 として

,子

どもの 日々の出席・ 学業の評価や学習態度 。行状の評価 を内容 とす る家庭通知が, 試験成績表のような一方的連絡 。通知ではな く

,少

な くとも往復文書 と して存在 した こと

,そ

のひ とつのルーツと して翻訳教育学書の存在が上げ られ ることを明 らかに したい。 Ⅱ 通 知 表 の 始 ま り と そ の 前 史

1

学校 管理 法書 にみ る通 知 表 学校管理法書 には

,児

童・生徒 の訓育・管理問題 な ど学校 内部の問題だけはな く

,家

庭 との関係 や 学校帳票類の記述がある。通知表の現物史料ではないという限界はあ りなが らも

,そ

こに記載 され ている事例は

,そ

れ以前の実践事例 を反映 し

,そ

の後 の実践 に何 らかの影響を与えていると考え ら れ る。 これを手がか りに

,通

知表のは じまりを見てみたい。 まず

,明

治10年代 の代表的学校管理法書である

,伊

沢修二『学校管理法』(正編1881(明治14)年, 続編

1882(明

15)年

)0に は,「校簿及諸表」の項があ り

,彼

が東京師範学校校長時代 に制定 した 諸表が掲載 されている。その中の「 月末調査表J「期末調査表

Jに

は,「試業点数」を記載す る欄 と は別 に「 日課点数」 を記載す る欄があ り

,

日常の学業評価 を重視 していた ことの現れ と して興味深 いが

,通

知表 に類す るものの記述 は見 られない。 また

,家

庭 と学校 との関係を特段 に記 した箇所 も 見あた らない。 明治20年代の代表的学校管理法書

,能

勢栄『学校管理術』(1890(明治23)年)のには

,学

校帳簿 の 項 に「 家庭通知簿」 に関す る記述が現われてお り

,そ

の雛形が掲載 されている。 また同時期の学校 管理法書

,金

港堂編『学校管理法』(1889(明治22)年)働の帳簿表類 の項 にも同様 の記載がある。学 校管理法書の通知表記載 は

,こ

の頃か ら始まったものと思われ る。 まず

,能

勢の『 学校管理術』か ら見てみよう。 能勢 のものの特徴は

,第

一 に

,通

知表を

,学

校家庭 の子 どもの教育をめ ぐっての相互協力の一方 法―この点は通知表の性格をめ ぐって花井が強調 していた点である一という位置づけを明確 に して いることである。そのことは次の引用 に明 らかである9。 小学校 ノ教育 ヲ成丈完全 二為 サ ン ト欲 セバ

,学

校 卜家庭 トヲ連絡 スル途 ヲ開キ

,協

働 一致 以テ児童 ヲ教 導 スル方 向 ヲ取 ラザル可 ラズ。教 師ハ時 々生徒 ノ父兄 ヲ訪 フテ

,児

童教育 ノ要 旨ヲ説 キ

,父

兄ハ時 々学校 ヲ参観 シテ子弟 ノ学校 二於 ケル行為 卜情態 トフ教 師 二談 シ

,共

二其 ノ教導改 良フ図ル ガ如キハ最モ望 マシ キ事 ナ リ トス。此 ノ事 二就 キテ

,最

モ必要ナルハ

,一

ノ通知簿 ヲ設 ケ学校 卜家庭 トフ連絡スル ノー助 二供 スルニア リ。

(9)

隠 熙 瑠 黒 韓 盤 雷

3

家庭通知簿の雛形 こ こで は

,子

どもの「 教 導 」 のた め ,「 家庭 卜学校 トヲ連 絡 ス ル途

Jを

ひ らき

,学

校・ 家 庭 が 「 協 働 一致

Jす

る ことの重要性 が指摘 され

,そ

の相 互連絡・ 協 力 の方法 と して

,教

師 の家庭 訪 間, 父母の学校参観と教師との面談をあげ

,さ

らに「最モ必要

Jな

方法として通知表を上げている。こ のことは

,つ

まり,「通知

J以

,明

治20年代の早い段階か ら

,通

知表

=家

庭・学校の相互連絡 。 協力のあり得 る方法のうちの重要な一方法という観念が存在 していたということを示す。まずこの ことを確認 しておきたい。 次に

,能

勢が想定す る通知表の様式

,記

載事項

,利

用方法を見てみてみよう。能勢が示 している 雛形は

,図

3の

とお りである。図

3に

掲載の部分は,「平素ノ学科 ノ成績

,及

大小試験 ノ成績

Jを

及び欠席 日数を通知す る部分であり

,こ

れの後部にに白紙数枚を添えて

,生

徒の「行為動惰及其ノ 他ノ事件

Jを

記入する部を設け

,相

互通信用に使用すること

,そ

して

,体

裁としては

1年

分使用で きるようなものが便利であるとしている。発行期 日に関 しては, これを定めず随時

,必

要に応 じて 家庭・学校を往復す ること

,学

業成績については学校の事情により

, 1週

間ない しlヶ月毎に通知 す ることを想定 している。なお

,能

勢は「平常成績」の記入欄のあるこの帳票の学業成績記入の部 を

,試

験成績調査の原簿として利用することとしている。通信欄を除いて

,そ

の内容を見れば

,試

験成績表の類と大差ないように思われるかもしれないが

,こ

れとの違いは

,試

験成績表とは別に, 日々の学業成績を総括 して平素の学業成績を記入する欄が設けられている点である。

(10)

山根俊喜:「通知表Jの起源 について この通知表 の雛形は

,そ

の様式か ら見て

,天

野が示 した学業成 績 の通知 を前面 に出す タイプの もの といえ ようl① 。通信欄 では 「 生徒 ノ行為勤惰及其 ノ他 ノ事件

J,す

なわ ち生徒 の行為

,行

動 など訓育的側面の記述 も想定 され てはいる。 しか し

,能

勢は通知 表に続いて「 操行査定表 の事」 と題 して

,操

行 の評定

,及

び指導 のために図

5の

ような学年末 にに調製す る操行査定表の様式を示 している (なお

,平

素の観察す るところは手帳その他適宜の帳簿 に記す ことと している

)が

,こ

の平素の行状

,操

行 など訓育評価 に関わ るこの帳票 については,「操行査定表ハ教師 ノ参考 二供 ス ルモノナ レバ生徒 二示スベカラズ

Jと

しているのである11)。 また, このことを反映 してか

,学

業成績 を記す欄 に行状や操行の良否を 記入す る欄 も存在 していない。 さて

,金

港堂編『学校管理法』 には

,能

勢のものとは異 なった タイプの通知表の雛形が示 され ている129。 ここでは試験後 に個人 毎の「 試験成績表

Jを

必ず父兄に「 贈与

Jす

べ きであると し10, 他方で

,学

業成績 を含 まない「 品行簿

Jと

称す る通知表を示 して いる。図には凡例が書き入れてないが

,本

文中には

, 1,品

行点 の出 し方 :20点 満点で

,16点

を基準に加減す ること

, 2,小

試験 毎の品行得点の出 し方に続 いて

,次

のような

2箇

条の九例が記さ れている。 一 此 ノ品行簿ハ

,学

校 内外 ノ品行 ヲ督 シ其 ノ良否 ヲ検 シ記載 スルモ ノナ レバ父 兄 タルモ ノハ宜 ンク平生 ノ行状 二注意 シ其 ノ矯正 ヲ務 ム ベ シ若子弟 ノ行状二関 シ学校へ通告 スベキ コ トアル トキハ裏面 ノ父 兄 ヨ リノ欄 内へ其 ノ事 由ヲ記スベ シ 図

4

操 行査 定表 一 此 ノ品行簿ハ毎朝出席 ノ節級長 ヲ経テ教師へ出シ退校 ノ節受取 リ 帰宅 ノ上必ズ父兄ノー覧二供 スベシ また ,「通 告

Jと

称す る学校 。家 庭 の相 互通 信 の意 義 につ い ては

,こ

れ を双 方 向で情報 を授 受 で き る「 電話機

Jに

喩 えて次 の よ うに述べ てい る。 通告ハ父兄 卜学校 トノ言路 ヲ開 クベキ好機会ニテ之 ヲ利用セバ大三教育二上益 ヲ与 フルモノナ リ最初ハ 単二品行上 ノ事ノミナ レドモ其 ノ利用 ヲ得ルヤ父兄 卜学校間ノ万般ノ事 フ相通知スル事 ヲ得ルモノニシテ 恰双方へ通ズルノ電話機 ノ如 クナルベシ さて

,以

上 の資料 の紹介 か ら明 らか なように

,通

知 表発行 の 目的 につ い ての記述

,往

復 通 信欄 を みれ ば

,能

勢 と同 じく

,通

知表 は

,教

育指導 のため に学校 と家庭 が相 互連絡 。協 力 しあ う 目的 を も っ て発行 され ている。 ただ し

,能

勢 の よ うに

,他

に もあ り得 る相互連絡 。協 力 の一手段 とい う把握 は 見 られ ない。 さ らに

,雛

形 をみれ ば 明 らか なよ うに

,能

勢 の もの と決 定 的 に異 な るの は

,学

業成績 の記入欄 が な く

,代

わ って毎 日の品行 点 を記入す る欄 が2ヶ月分 設 け られ てい る事 で あ る。 品行簿 とい う名 称 もあわせ て

,明

らか に訓 育 の指導 を前面 に出 した通知表 の雛形 といえ よ う10。 以 上 の よ うに

,通

知表 が発生 して間 もない明治20年 代 は じめ において

,家

庭・ 学 校 の相 互 連 絡 。 操 行 査 定 表 様 式

(11)

明 治 二 十 一 年 白   月   至   月 一

簿

何 み 學 核 二 年 生 山 田   四 図

5

品行簿 の雛形

(12)

山根俊喜 :「通知表」の起源について lDy力を 目的と し

,学

業成績

,訓

育それぞれ に重点を置いた通知表の雛形が

,管

見の限 り初めて

,学

校管理法書に記述 されていることが確認できた1° 。 ところで

,能

勢が示 した タイプのにおける

,学

業成績の通知部分は

,平

素の成績を除いて

,そ

れ までに存在 していた試験成績表 を引き継 ぐものであ ることは明 らかである。 では

,金

港堂の品行欄 は何 を起源 と しているのであろうか。 この品行欄の形式は

,一

日ごとの品 行を評価 し父母 に伝 えるという点で

,花

井が示 した

,明

治20年代 に使用 されていたとされ る大庭小 学校のもの (図

2)と

同 じものであ り

,ま

た唐沢

,花

井が触れていた玉城肇が紹介 した東木郷小学 校の品行表 と (おそ らく

)同

様のものであ り

,当

時 さほ ど珍 しいものではなか った と思われ る。 さ らに

,唐

沢が通知表の歴史に正当に位置づけなか った花ケ岡学校 の動惰行状表は

,勤

惰欄が出席 日 数欄 と して縮小 していることを除けば

,こ

の品行欄 と同様の様式であ り

,明

治20年代以前 にもこの ような帳票が存在 していたのである。 さ らに

,ま

,往

復連絡帳 という発想は

,い

,

どの様 に生 まれ てきたのであろうか。 以下では

,通

知表の前史をめ ぐって

,

日常の学業・ 訓育評価 と

,往

復連絡帳へのその記載 とい う 点に絞 って

,時

代を遡 ってみ ることにす る。

2

通 知 表 の前 史 ― 日常 の学業 ・訓 育評価 とそ の通 知

(1)教

育令期 にみ られ る家庭通知 まず

,明

治10年代後半 に発行 されていた

2つ

の史料 を検討す る。 いずれ も,『大阪府教育百年史 第

3巻

史料編2』 (1972)に

,

日絵写真入 りで紹介 され ていた ものである (いずれ も現物 は未 見)。 最初 に

,明

治17年

,能

勢郡 山辺小学校で発行 され ていた「 品行簿」を見てみたい10。 これは一紙 ものの

2つ

折 り (手帳大

)で ,表

(1頁

),九

(2頁

),一

日毎のの品行点 とlヶ 月の品行 平均点を記す欄か ら成 る頁が lヶ 月分

(3頁

),か

ら構成 され ている

(4頁

目の裏表紙 に当た る 部分は写真掲載 されてお らず不 明)。 したが って

, lヶ

月分が

1枚

の帳票である。 凡例 には

,品

行の最高点を50点と し

,劣

るに したが って滅点 し最低点を零点 とす ること

,月

末 に その平均点を出 して記入す ること等が記された後

,次

のように記され ている。 一 品行簿 フ生徒二与フルハ内外 ノ品行 ヲ督シ其 ノ良否 ヲ父兄二示スモノナ レハ宜シク愛二注意可成的認 印ヲ捺 (得′くノ上二

)ス

ヘ シ ー 品行簿ハ毎月生徒一人毎ニー簿 ツツ渡置毎 日退校 ノ節教師該生徒品行 ノ良否按 シ其点教 フ記載 シテ之 ヲ退スヘシ 体 裁 の うち

, 3頁

目の品行 の評定部 分 の様 式 は

,先

の金港堂『 学校管理法』 の品行簿 の品行欄 の 様 式 と同様 で あ り,『学 校 管 理 法』 に示 された品行簿 か ら

,学

校・ 家庭 通信 欄 を除 いた ものが

,山

辺小学校 の品行簿 の体裁 であ る。 また

,学

校 と家庭 とを毎 日往復 していた文 書で あ る ことは凡例 か らも明らかである。通信欄もなく

,凡

例か らも

,家

庭・学校の子 どもの教育指導のための相互協力 といった意図は明確 とはいえないが,「内外 ノ品行 ヲ督シ」 という文言か らは

,単

に品行の評定を 通告す るといった意図だけでなく

,学

校だけでなく家庭での しつけを要求する学校側の意図が読み とれる。 次に

,能

勢郡で

,明

治15年か ら

3年

間発行されていた1の

,と

される「小学生徒 自持得点表」を見 てみよう。これは能勢郡の連合教育会でその使用が決定されたものであり

,

口絵掲載されているも 178

(13)

のは同 じく山辺小学校のものである。 「 小学生徒持得点表

Jの

体裁は

,一

紙 ものの裏表印刷で

,表

は九例 ない し注意書 きと思われ るも のが

4行

(判読できない

)と

,残

りは一 日毎の出席 と行状点を記す欄がlヶ 月分 (花ヶ岡学校 の 「 勤惰行状表」 のlヶ 月分の様式 と同様

),裏

,週

毎の各教科 の成績 と当月の試験点教および当 月の行状点 と出席数の記入欄か ら成 っている。す なわ ち

,

日常の品行 と学業成績 の評価がその内容 である。 郡連合教育会の決定を受けての郡長 よ りの達 には, この帳票が発行 され るに至 った経緯 とその 日 的

,及

び「 生徒 自持得点表心得」 と して利用方法

,評

点法

,父

母 に対す る注意が記されている。そ れ によれば

,従

,登

校 中に遊行 には しりついに欠席す る生徒がいた, こう した生徒 は教師と父兄 を欺 くだけで な く

,父

兄 も我が子の行状をさておいて

,ひ

たす ら教師の授業方法が拙劣 なのではに かと憶測 し

,か

つ他の子 ども父兄にもこれを言い遮ゝらす ようなことがあ った

,こ

のような弊害 をな くすため

,こ

の帳票 を発行す ることに した という。そ して,「心得

Jと

して

,毎

日登校 の際 この表 を教師に提出 し退校の際 に持 ち帰 ること

,評

点の付 し方 と, これ らの評点を大小試験 に加え

,ま

た これ らの評点によって席次 を進退す ること

,さ

らに生徒 の父兄は

,表

の評点を見て子 どもの「奨励 に注意を加える

Jこ

とが記 され ている。10 見るように

,こ

の帳票 は

,平

素の学業・ 訓育を通知す る家庭・ 学校往復文書である。 ここでは, 学校 に対す る「 誤解

Jの

づF除という消極的意図とともに

,学

校だけで なく家庭 も

,あ

るいは双方が 協力 して

,子

どもの行状・ 品行および平素の学業の両面 について監督 し

,奨

励 しようという学校側 の意図が看取できる。山辺小学校即 していえば,「生徒 自持得点表

Jは ,理

由は不 明だが

,学

業成 績部分を省略 されて「 品行簿

Jに

引き継がれ ることになる。

(2)学

制期 にみ られる家庭通知 以上の史料 と同様のものは

,学

制期 にも見 られ る。 さ らに遡 って史料 を追 ってい くことにす る。 まず

,旧

長崎県の事例 を見てみ よう。

1977(明

治10年

)の

小学校則の第1章入校規則第

3条

には

,入

校 を許可 したものには生徒である ことを証 明す る「 鑑札」 とともに「 日課優劣表

Jを

わたすべ し19とあ り

,付

録の雛形 の説明では 「 日課優劣表ハ試業上緊要 ノモ ノナ レハJ知)として雛形を示 している。雛形は個人毎のカー ド形式 集 小 學 校 生 徒 何   ノ   雄 日 漂 優 劣 表 〓 一     則 一 日 系 優 劣 表 ハ 生 徒 一 人 毎 二 渡 置 毎 日 退 校 ノ 師 漱 師 課 菓 ノ 優 劣 行 状 ノ 好 悪 ヲ 記 職 ン テ 鈴 印 ス ル モ ノ ト ス 一 日 謀 霞 劣 表 ヲ 生 徒 二 輿 フ ル ハ 内 外 相 削 へ 出 入 和 演 ム ル ノ 旨 意 タ ル ア 以 テ 其 父 兄 タ ル モ ノ 亦 適 宜 ノ 見 留 印 ヲ 擦 ス ペ シ 一 R 謀 優 劣 表 ハ 試 業 ノ 術 不 常 ノ 勤 情 ヲ 鮒 懺 ス ル ニ 熊 雅 要 ノ モ ノ ナ レ パ 宜 ク 注 意 ン テ 之 フ 保 存 ス ペ シ 若 遺 失 破 損 ス ル ト キ ハ 限 令 試 業 上 十 分 ノ 黙 敦 ヲ 古 得 ス ル モ 埼 工 落 第 等 ノ 受 ア ル ナ リ O 記 載 行 駐 O 点 貼 △ 登 訟 ● 牛 踏 布 ノ 如 夕 記 紋 シ 月 末 二 至 リ テ 之 フ 合 計 ス 汗 幾 財 牛 卜 窮 ル ト キ ハ 牛 敦 フ 切 上 ク ベ キ 但 体 Л 成 ハ 不 席 ノ 怖 ハ 共 連 フ 記 ル ス モ ノ ト ス ヱ ” rII 1 え , k ゞ 父 比 印 図

6

日課優劣表雛形 (出展 :『佐賀県教 育史』第1巻、p.47外3)

(14)

山根俊喜:「通知表Jの起源 につ いて で

,図

6のとお りであ る閉)。 「 三則」 という注意書きの最初 にあるように

,毎

日の各教科 の「 学業 の優劣」および「 行状 ノ好悪

J,す

なわち平常の知育

,訓

育の両面 に渡 るできばえを

, 3段

階で記 し

,毎

日父兄に示そ うと した ものである。其 の 目的は,「内外相訓へ出入相戒ル ノ趣意」 とあるよ うに家庭 と学校の子 どもをめ ぐっての協力

,お

よび試験成績 に平常の成績 を加味す るためのもので あった2)。 同様 の事例は

,山

梨県で も見 られ る。 明治

9年

の山梨県学則第

5章

生徒心得第44条 では,「日課 表」 について次のように規定 している。 日課表ハ

,読

物ヲ始メ日々習 ヒ得 タル事ヲ記憶スルモノ ト否ラサルモノ

,又

ハ行状良キモノ ト良カラサ ルモノ等ヲ分カチ,ソ ノ表ヲ付シ

,試

験ノ時学業 卜此ノ表 トフ見合セ

,褒

美ヲ与フル ト与ヘサルヲ定ムル モノナ レハ

,毎

日学校へ出ル時ハ必ス持参シ

,着

席ノ時

,教

師二出シ

,退

校ノ時受取 り帰ルヘシ。宅二帰 レハ之ヲ父母二示スヘシ囲)。 典拠 した資料 に雛形が示 されていないので

,そ

の様式は分か らないが, この規定

,お

よび 日課表 という名称か ら福岡県のものとほぼ同様の様式だ と推察され る。各科 目及 び行状の評点の付 し方は 試験規則の第

2章

「 日課表点増滅法」 に詳 しく規定 されている。それによれば

,各

科 目 (「行状」 も含む

)5点

,例

えば

,末

席の生徒が主席の生徒

2.3の

ものに勝 ることがあれば1点をあたえ, 逆 に主席の生徒が他の生徒 に劣 ることがあるときは1点を滅ず るなど

,行

状 に関 しては

,挙

動の正 否 。授業中の態度―例えば妄 りに立つ

,度

々便所 に行 く

,顔

りに石筆を落 とす等は1点減点一といっ た方法を規定 している蟄)。 ところで,「日課表」「 日課優優劣表」「 出席行状簿

Jな

どで

,平

生の学業成績や授業態度 を評定 し

,小

試験 などの試験成績 に加 えた り参考資料 とす ることは多 くの府県で行われていた。 これ らは 学校 内部の成績評定用の帳票であ ったが

,上

の二つの事例 は

,こ

れ らを個人毎の帳票 に製 して

,学

校 。家庭 を毎 日往復 させ ようと している点で異 なっている。 ちなみに, このことは,(1)で検討 した 「 品行簿

Jの

類等 についても同様 のことが言える。 さて

,以

上のように

,学

制期 に

,早

くも

,平

生の学業成績や行状の評価 を記載 内容 と し

,学

校 と 家庭を 日々行き来す る

,学

校 。家庭往復文書の府県 レベルでの規定が存在 した ことを明 らかに した。 では, このような帳票を発行 して教育の効果 を挙げようという発想 は どこに由来す るものであろ うか。一部では等級制を採用 しなが ら

,他

方で出席や「 精勤

Jを

重視 した藩校か らの連続 の側面, あるいは

,寺

子屋 における出欠管理の動向か らの連続的側面 も無視できないが

,直

接的には

,お

そ らく

,ア

メ リカの翻訳教育学書

,な

い しアメ リカ教育事情の影響 に

,す

べてではないに しろ由来す るものではないかと思われ る。次項では

,こ

のことを検討す る。

(3)翻

訳教育学書 に見 られ る学業・行状評価 と父母への通信 いずれ も

,学

制期か ら明治半ばにかけて広 く読 まれた

, 2つ

の翻訳教育学書を検討す る。 まず

,ア

メ リカのウイッカー シャム (」

.P,WiCkersham,1825-1891)の

SChOol Economy"

(1864)を箕作麟祥が翻訳 した『 学校通論』 (1874(明治

7)年

)の

2を

見てみよう。 ここでは,

学校帳簿のひ とつと して

,生

徒一人ひと りの毎 日の出欠 と

,行

状 を記録す る「 出席行状簿

J,お

よ び毎 日の学業成績を記録す る「 学業簿

J,お

よびそれ らのひと月 ごとの「 要略簿」 の作成が提案 さ れている。評点は「 出席」「 行状J「学業

Jと

5点

満点である。示 されている雛形は個人別帳票で はな く

,一

覧表であるが

,そ

の利用法について次のように述べている。

(15)

前 二記 シタル学校 記録 ノ方式 (筆者註 :出 席行 状簿

,学

業簿

,要

略簿 を指す

)二

拠 ル時ハ教 師 タル者常 二注意 シテ各生徒 ノ毎週毎月毎期其得 ル所 ノ数 ヲ合算 シ以テ各生徒 二其伝記 ノ如何 ヲ示 シ之 ヲ戒 ムル ヲ得 可ク且教師ハ時 ア リテー月間生徒 ノ互 二得 タル教 ヲ読 上 ケ或ハ各生徒 ノ出席

,行

,学

,順

序 ヲ抜 書 シ テ之 ヲ其父母 二送 ル ヲ良 トス%) このように

,

日々の出席

,行

,学

業 を継続的に記録 し

,継

続的管理・ 指 導の資料 と し

,か

つ父母 にlヶ 月間の成績 を通知す ることを提案 しているの である。往復文書 と しての個人帳票 については記 してはいないが

,平

生の出 席

,知

育 と管理・ 訓育に関わ る事項 について学校か ら親へ通知す ることを示 している点は注 目しておいてよいであろう。 次 に

,小

泉信吉・ 四屋純三郎が

,ア

メ リカのノルゼ ン ト

(CH.Northent)

の著書を翻訳 した『 那然 小学教育論』(1877(明治10)年

)を

取 り上げる。 この書の第1篇第32節「 雑論

Jに

は「 行状表

,並

二暗唱表 ノ事」と題す る 項 目があ り閉

),行

状 に関す る

2つ

の帳票の雛形が掲載 され ている。(図 7, 図

8)

ここでは

,

日々の生徒の「 行状の善悪

J,「

暗唱の成否」を記録 してお く ことの重要性 を述べ,「行状

Jに

ついて

,図

7の

ようなような様式を示 して る。見るとお り

,学

校 ない しクラスの子 ども全員の

,

日々の行状評価 を記入 す る表簿である。「 暗唱の成否

Jは

ペス タロ ッチ主義の新教授法普及以前の, 図

7

行状表 (一覧表 形式) 受 観 B 犠 讐 表 式 一 表 中 開 核 ′ 時 刻 こ 後 ル ヽ 者 ハ 遅 刻 卜 記 ス 、 一 學 楼 ′ 脂 間 t 大 統 曽 之 チ 腑 説 及 ビ 黒 板 留 災 3 お 養 ス ル チ 馴 ■ 按 朋 ハ 師 宅 ′ 上 口 n テ セ γ ヽ 、 歌 適 斐 親 タ ユ 着 兜 女 ′ む ク 之 , 須 メ ヤ 番 ヤ チ 監 ヒ サ ″ 可 カ ヲ ス 、 F 艶 彼 ■ 核 中 守 ″ 町 キ 條 目 ′ 、 繁 要 ナ ″ モ ノ ハ 注 ′ 如 ツ 、 墜 ク 時 期 チ 守 ル 事 、 敏 捷 ナ ル 事 、 勉 亜 ナ ″ 事 、 滞 泄 ■ ル 事 . 指 ナ ″ 事 . 八 ′ 相 理 心 情 , 妨 害 セ v ″ 事 、 古 語 ′ 純 潔 ナ ル 事 、 信 境 チ 守 ″ 竪 . 一 盤 親 及 F 輿 他 教 育 重 怒 ア レ 八 を ︿ 、 何 時 来 訪 ス ″ モ 絶 テ 髄 d 夕 ″ 可 ν 、 學 核 掛   菜 既 師     其 何 之 菜

・ 生 ︲引

青 般 表 式

三 十

一 引

一ヨ

三 十

言 一     月 中 一     月 一       月 一 八 五 三 生 徒 ′ 登 教 ウ ツ エ L “ プ メ 松 學   曾 期 中 金 田 府 之 君 題 刻 + キ 者 チ ヤ ア ツ チ ど 、 ′ ″ セ ツ r 之 月 朝 七 五 、 工 八 、 六 〇 、 言 一     宅 〓 一     八 四     〇

′ 古

言 ︼ を 一 o     一 〇 雪 一   八 一 〇     一 〇 ▼ ・   え 一 二 o g出 ′席 敏学 日勝 ′鳥 歎午 ′廻 顕Йi 善     瓦 卓     越 態     佳 行     鉄 寡   膠 補     可 鴻     星 蹄     而 図

8

行状・暗唱成績の家庭通知の雛形

(16)

山根俊喜 :「通知表Jの起源 につ いて 記誦注入主義の古い教授法 を前提 と しているように思われ る。『 学校通論』 と同様 に

,

日々

,個

々 人について点数評価

(3点

ない し

5点

満点

)す

るように指示 している。 また

,学

校掛

,参

観者 にこ れを公開す ることも奨励 している。 さ らに

,毎

,個

人毎 に行状 。暗唱 。出欠・ 遅亥Jの結果を要約 して父母 に示せば「 其益甚大ナル ヘシ」 といい

,そ

の報告様式を示 している (図8)。 注 目すべ きは

,第

一に

,図

の注記の部分で, 学校での学習は「 講説

Jと

「 黒板習業」 に費や され るので

,家

庭で「 按読」を行 うか どうかを監督 す るように求めていることである。内容は どうあれ

,学

習について学校が家庭の協力を求めている と解 され るか らである。第二に

,同

じく注記で

,父

兄 と教育に関心 を持つ者は

,い

つで も学校 を訪 問 してもよいという点である。 この報告様式は

,学

校→家庭の一方的 なものであるが

,家

庭→学校 の方 向を補うべ く学校訪間が位置づけ られていると考え られ るか らである。また

,行

状に関わ って 生徒の守 るべ き事柄

,す

なわち訓育の 日標を明確 に していることも

,学

制期

,生

徒心得 を家庭 に知 らせた り

,ま

た後の通知表に

,生

徒心得や教育勅語で示 された徳 目が通知表 に掲載 されてい く動向 を想起すれば興味深 い。 なお

,

ノルゼ ン トのものの翻訳には, この前年 の

1876(明

9)年

に出版 された『教師必読』が あるが

,そ

の中でも

,生

徒一人ひ とりの

,

日々の各教科 にわた る「 背誦」(暗誦)。「 行状

Jに

つい てその評定を記す ことの重要性が指摘 され

,図

7とやや異 なり

,行

状だけでなく各教科 の背誦の成 績 も書 き入れ ることができる様式が示 されている。図

8に

相当す る表簿は示されていないが

,毎

日 の評定を総括 して毎週1回

,ま

たは毎月1回「 生徒の父母 に贈示

Jす

ることが有益である

,

と して いる。27泌) 以上のように

,

日々の学業・ 行状す なわち

,知

育 。訓育両面 にわた る評価を記録 と して残 し, こ れを

,週

・ 月毎に総括 して父母に通知す るという方法が

,学

制期 の初期の翻訳教育学書 に紹介 され ていた。長崎

,山

梨両県の規則に見 られ るような

,

日々の学業成績・ 行状評定をそのまま知 らせ る という方法は記されていないが

,発

想 においてその間隙は殆 どないといってよい。 もちろん

,そ

う だか らとい って,「日課表

Jな

どが

,こ

れ らアメ リカの翻訳教育学書やその教育事情 を模倣 した と ただちには言えないに しても

,学

制成立の経緯や

,学

作U期の教育事情か らみて

,そ

こか ら何 らかの 影響 を受けていると推察 してもよいのではないか と思われ る。 お わ り に 以上

,通

知表の起源 について

,辞

書類の不正確 な記述や明確 に誤 った記述を指摘 したのち

,先

行 研究 を批判す ると同時にこれに依拠 しなが ら

,明

治20年代初頭か ら時代 を遡 りなが らこれ を追 って きた。そ こでの結論は

,ま

,唐

沢が捉えているように

,内

容の上か らいえば

,通

知表のひ とつの 起源 と して定期試験成績表の類が挙げ られ るか も しれ ないが

,学

校 。家庭相互協力のための往復文 書 という視点か ら見れば

,

日々の学業や行状・ 品行を記載 内容 とす る

,家

庭 。学校 を往復 した「 品 行簿J「日課優劣表」の類 こそが

,そ

の起源 と して捉え られ るべ きではないか ということであ り, ついで

,さ

らにその起源 をた どれば

,少

な くともそのひとつ と してアメ リカの翻訳教育学書 に行 き 着 くのではないか ということである。 時代を下 る形で通知表の前史を描けば次のようになる。 通知表は

,学

制期 に

,そ

のほかにあ り得たか も しれ ないルーツとともに

,翻

訳教科書に紹介 され た

,

日々の学業・ 行状両面 に渡 る評価 と一定期間内のその総括の家庭への通知の方法をルー ツと し

(17)

て発生 した「 日課表」「 日課優劣表

Jの

類 とその家庭への通知を起源 と し

,明

治10年代 を通 じて, 名称を「 品行簿」等 と替えなが らも

,家

庭 。学校往復文書

,平

生の品行 。行状 と学業の評価 という 性格を保持 しつつ発展 し

,明

治20年前後 には家庭 。学校の通信欄が設け られて

,子

どもの訓育また は知育の指導のため

,学

校 と家庭相互に協力 しあうための双方 向の連絡文書 と して成立 した。明治 20年代初頭には家庭・ 学校往復連絡文書 という性格 を共有 しなが らも

,知

育・ 訓育それぞれを前面 に出 した通知表がみ られ る。 また同時に

,通

知表の中に定期試験成績 を統合 して記載す る動向も生 まれた。 なお,「日課表

J等

を通知表そのものと捉えないで

,そ

の前史 と位置づける理 由は

,こ

れ らの文 書が学校 。家庭の往復文書ではあ っても

,往

復連絡文書ではない点である。具体的には

,家

庭・学 校の通信欄が成立 して初 めて往復連絡文書 と して通知表が成立 した と考えるか らである。 「 日課表」「 品行簿」 に見 られた「 日々の

J学

業成績評価 と訓育評価 の家庭通知がいつ頃まで存 在 したのか明 らかではないが

,少

な くとも明治30年代 には見 られ な くなる釣)。 日々の学業・ 行状の 評価 とその家庭通信 が後景 に退 いてい くという事態 は

,

この次期「 試験」か ら「 考査」へ,「習得 主義

Jか

ら「履修主義

Jへ

と転換 してい く政策動向の中で

,一

見 これへの逆行 と見 られ なくもない。 日々の学業 。行状の点数や評語での評定 についていえば, こう した方法は

,学

制期以来の暗記主義 的

,記

章注入主義的教授法と教育内容

,及

び生徒心得 などの管理主義的行動基準に基づ く機械的減点 。加点法を背景としてお り, こう した方法に反省が加え られれば早晩捨てさられたであろうし

,記

入 に関わ る負担を考えれば

,教

員の担 当生徒数が増加すれば消え去 る運命にあったものと思われ る鉤)。 小論では

,対

象 と した時期それぞれの時代背景や教育政策 。実践

,家

庭 と学校 の関係

,教

育評価 の理論 。実践全体のあ り方等 にほとん ど言及 しなか った。 とりわけ

,

日々の授業 における学習態度 を含む訓育の評価の歴史の中での通知表の前史の検討をは じめ と して

,こ

れ らを含めての検討は他 日を期 したい。 また

,学

制期以前の学校での勤惰 (出席)・ 行状 を含めての 日常の評価 と家庭 との 関係 も残 された課題であ る。

1)花

井信『 近代 日本地域教育の展開』梓 出版社,1986,p.132。

2)唐

沢は

,そ

の原 因を「 学校 という一種の権威的 な威圧感が

,無

意識 に保 護者 の利用 を も控 え させ た も の と思われ る」 と してい る。 よ り直接 的 には

,学

,お

よび教 師 は

,子

どもの学校 内外 の しつけや 日 頃 の行状

,操

行 を評定 しようと してお り

,そ

の評定 は学業成績 や及落 に関わ るもので あ った ことが挙 げ られ よう。

3)ち

なみ に

,『

明治百年 の児童史』 で

,通

知表 の史料 を掲載 した箇所 の表題 は「 成績評価―一通知簿 の 変遷Jと な ってい る。

4)な

,重

要文化財 旧開智学校資料収集刊行会編『 史料開智学校 第

18巻

授業 の実態8』 (1994) に掲載 され てい る「 家庭学校通知簿

Jで

は,「家庭 よ り」「 学 校 よ りJ「 操行」等 で構成 され る頁 は14 頁 あ り

,ま

た「 小試験成績表

Jが

1回分 1頁 で5回分 あ ることに な ってい る。

5)花

井 は

,唐

沢が この文部省説 明に着 眼 していることを評価 しつつ も, この説 明を分岐点 に,1880年代 の通知表を「 試験の結果 を通知す る意図を有 したもの

Jと

把握 し

,そ

れ以後,1890年代 の通知表 には, 「 子 どもの道徳訓練 上 の効果 を上げ るという意図がつけ加わ った, と してい る

J点

,問

題が あ ると いう。要約すれば

,①

通知表の捉え方が

,家

庭から学校への通知という一方通行的な把握にとどまっ ており

,そ

のため試験成績表などの成績証書類をも通知表の範疇に入れてしまっていること

,②

試験 成績表を通知表の範疇に入れるのは問題であるか ら

,唐

沢が言うように「通知」を分岐点に

,通

知表

(18)

山根俊喜 :「通知表Jの起源について の意 図に道徳訓練 上 の意 味が “付加

"さ

れ た と捉 え るのは問題が あ る, とい うことで あ る。 しか し, ① は首肯で き るが② はやや疑 間が残 る。唐沢 は

,花

井 が言 うように,1890年代 の通知表 に道徳訓練上 の効果 を上げ るとい う意 図がつ け加わ った, とは述べ てい ない。す で に

,本

文 中で ま とめた ように, 唐 沢 は,「通 知」 が道徳訓 練 上 の効果 を上 げ るげ るとい う意 図 を も って いた ことを指摘 し, しか し実 態 と しては,1890年代 にあ って も試験成績 の通知が通知表 の主要 な機能 で あ った, と してい るのであ る。

6)伊

沢修二『 学校管理法』第4版, 自梅書屋蔵版

,1885(明

治18)年 (正続合版

,初

版 は本文記載 の と お り)。

7)能

勢栄『 学校管理術』東京 金港堂

,1890(明

治23)年。能勢 (1852-1895)につ いてはよ く知 られ て い るところで あ るが

,略

歴 を記 してお く。 明治3年渡 米パ シフ ィ ック大学 に学 び同9年卒業

,帰

朝 し 岡山県師範学校兼 岡山県 中学校教頭

,同

13年 学習院教 師

,同

15年 長野県師範学校長

,同

17年 福 島県師 範学校長兼 中学校長

,同

19年 森 文部大 臣の抜櫂 によ り文部省書記官

,森

の暗殺後 の同22年 官 を辞 して 文筆 に終始 した。家庭 と学校 の協 力 を説 いてい る点で

,森

とのつ なが りが注 目を引 く。

8)金

港堂編『 学校管理法』金港堂

,1889(明

治22)年。緒 言 には「 本書ハ林吾一 氏 ガ曾 テ当編集所 ニア リシ時稿 ヲ起 シ多年 自ラ経験 シタル事項 ヲ本 トシ之 二雑 フル ニ内外教育家 ノ諸説 ヲ以 テシ タルモ ノナ ル ガ

,其

ノ実施 上 二係 ル事実 二至 リテハ菅井 米吉氏 ガ作 ラ レタル小学校 管理法 ノ草稿 中 ヨ リ取 リタル 所 少 ナ カラズ

Jと

あ る。 なお菅井米吉 は

,明

治11年 よ り栃 木県下 の氏家小学校

,第

一 中学校

,師

範学 校等 で教鞭 を執 り

,明

治20年 か ら25年 まで は愛知 県 岡崎高等小学校 長 を勤 めてい る (『教育人名辞典

I

上巻』 日本図書 セ ンター,1989)。

9)以

,能

勢 に関す る引用 は

,前

,能

勢『 学校管理術』

,pp.249-254か

らの もの。 10)この タイプの雛形 は

,高

嶺秀夫序

,国

府寺新作・ 相沢英二郎著『 新式学校管理法』 (1993(明治26)年) で も示 され てい る。 この書で は2種類 の雛形が示 され てい るが

,両

者 とも学業成篠 (操行点 を含 む) と往復通信欄 とい う構成 に な ってい る。 11)こう した操行 査定表 の雛形 は

,既

に若林虎三郎・ 白井毅『 改正教授術』続編

,巻 2(1884(明

治17) 年

)に

修身科 の教授 及 び評定 の為 の表簿 と して「 性 質 品評 表

Jと

題 して示 され て い る (p.3)。 そ こ では, 1学期 間 に1ない し2回調査す ること

,同

時 に能勢 と同 じく

,教

員 の参考 にす るものであ るか ら「 生徒及其 ノ父兄ニハ之 フ示サザル フ善 トス」 と注記され てい る。一方で

,既

に 日々の行状・ 品行 評価 の家庭通知 が存在 してい る段階で

,非

開示 と してい る点 は興味深 い。管理 主義 的行 動基準 による 評定 か ら「 ′い性J「 気質

Jな

ど性格 を含 めた 内面 を も評定 しよ うとす る ことに起 因 して評定 の主観性 が問題視 され ることに な るか らでは ないか

,評

定資料 とい う機能 よ りも教育資料 と しての機能 を重視 してい るか らで は ないか な ど

,い

くつかの推察 は成 り立 とい うが

,教

員 の参考 に供す るため という以 上 の非開示 の理 由は不 明で あ る。 なお

,『

東京著渓会雑誌』第1号1883(明 治16)年 1月

,pp.10-12

にもほぼ同 じ表が載 せ られ てい る。 12)以下

,金

港堂『 学校管理 法』 の引用 は

,断

りが ない限 り前 掲

,金

港堂『 学校管理 法』pp.162-168か らの もの。 13)前掲

,金

港堂『 学校 管理 法』p.105。 14)ちなみ に

,こ

の書 には学 校

,家

庭 の通知 の例 が示 され てい る。 まず

,学

校 か ら家庭へ の通知 の例 と しては以下 の例 が示 され てい る。 「 何年生何 ノ誰何何 ノコ トア リシフ ゴ令息ハ衆生 ヲ挺 ンデ共 ノ危難 ヲ救ヘ リ依 テ本 国ハ 品行最優 トス」 「 何年生何 ノ誰 卜共 謀 シテ他 人へ石 ヲ拠チ シニ幸 ヒニ其人 二 当 タラザ リシモ何何 氏宅 ノ荻璃窓 ヲ破損 セ シメ タ リ依 テ何 時 間校 内へ留置J 家庭 か ら学校へ の例 と しては次 のような例 が示 され てい る。 「 此 ノ頃父母へ朝タ ノ礼 フ欠キ候 二付充分 二御訓誨被下度候J 「 昨 日ハ五時三十 分 二帰宅氏仕候右ハ御留置 二相成候 ヤ本人へ問 ヒ糸しシ候得共曖味 ナル返答二付御聞

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