北朝鮮の経済改革と金正日体制
姜 英 之
*North Korean economic reform and Kim Jong Il’s strategies
Kang Young Ji
*Received October 29, 2004
Abstract
In 1999, North Korea reversed the negative economic growth of the 90s, and displayed a positive trend which, although weak, was maintained at 1.8% in 2003. After the death of Kim Il Sung in 1994, however, North Korea was hit by severe economical and political crises under the “Arduous March” strategy of his successor, General Secretary Kim Jong Il. Of particular interest are the new economic adjustment measures that were implemented on July 1st, 2002, to resolve these crises.
These measures consist of diverse policies such as: 1. Abolishment of the food distribution system, 2. Raising of wages and commodity prices, 3. Expansion of private enterprise profitability and 4. Devaluation of the won. It is an application of the North Korean style of “Materialisic socialism”, that can be described as “Economic management that allows for the biggest possible profit while firmly protecting the principles of socialism”, and reflects General Secretary Kim Jong Il’s “New Thought” proposal. This appears to be a long-awaited step towards the switch from a planned to a market economy, a change that has already occurred in China and Vietnam.
Nevertheless, reform cannot take place in earnest without changes to the current autocratic political regime. In order for North Korea to break out from its serious economic crisis, it must first resolve current international issues such as its development of nuclear weapons and abduction of Japanese citizens. Only then can it obtain funds from the West that are necessary to kickstart the fusion of a market economy system into the planned economy. An economic recovery is not impossible, however ultimately it depends on the political power of Kim Jong Il and how much he is able to withstand.
pp. 145∼159
*未来創造学部
はじめに
朝鮮民主主義人民共和国(以下,北朝鮮)の慢性化した経済危機が,核開発疑惑や日本人拉 致に勝るとも劣らない深刻かつ緊要の国際懸案問題という点は,ややもすると看過されやすい。 それは,金正日体制を揺るがし,ひいては東アジアの安定と平和を脅かす要因となり,日本の 将来にとっても重大な影響を及ぼすことになる。 北朝鮮は経済危機から脱出しようとして,2年前の7月1日より「実利社会主義」を標榜し, 「経済管理改善措置」を実施し始めたが,これが中国の経済改革やベトナムの「ドイモイ(刷 新)政策」と同様の市場経済化をめざしたものなのか,それとも従来の硬直した計画経済の一 部手直しにすぎないものかについては,内外の専門家,学者,研究者の間でも評価が分かれて いる。 それは,「市場経済要素を導入することによって,企業管理および経済運用の効率性を高め ようするもの」(梁文秀,慶南大学北韓大学院教授)(1)とし,これまでの「制限された経済改 革」から一歩踏み出したという肯定的評価が韓国の学会では多数派である一方,日本の学会で は「生産・投資といった基幹分野を依然として計画経済システムの枠内におきつつ,その外側 の消費財の分配・流通に関してのみ市場化を導入する試み」(河合正弘,東京大学教授)(2)と し,その限界性を指摘する見解が多く出されている。 筆者の見解では,北朝鮮の実利社会主義というのは,中国の経済改革やベトナムのドイモイ 政策とは形態やスピードの差はあっても,北朝鮮式の「経済改革」=市場経済化の道を明確に 表現したものだと分析される。それは,北朝鮮の従来の計画経済システムを大幅に修正する契 機を作り出すとともに,軍・党官僚主導の金正日政治体制にも重大なインパクトを与えずには おかないものである。 本稿は,北朝鮮が本格的な経済改革の導入に踏み切ったとされるメルクマールが基本的にど のような内容を持つものであるのか,またその意義と金正日体制に及ぼす政治的変化の可能性 について試論的に分析したものであり,本格的論述は次の機会に譲りたい。一.
「強盛大国路線」と経済現状
北朝鮮の経済改革についてみる前に,その経済状況について概観してみよう。 北朝鮮は,1994年の故金日成主席死後の体制危機を「苦難の行軍」で乗り切ったとし,「政 権樹立50周年」を前にした98年8月に「強盛大国建設」路線(図1を参照)を国家開発のモッ トーとして打ち出した。それは,「思想大国の建設をはじめとして軍隊を革命の柱にふさわし いものに強化し,この威力を持って経済建設の目覚しい飛躍を成就するという建設方式」(3) とされる。言い換えれば,思想強国,軍事強国を築いた今,90年代にずっと続いた経済のマイ ナス成長,とくに深刻なエネルギー危機,食糧不足を克服し,経済回復にとどまることなく, 国家経済力の強化を図り,経済強国を実現することを最大の課題とするということである。こ こには,今日の深刻な経済悪化を克服できなければ,思想的団結と軍事的基盤にひびが入り, ひいては金正日体制の瓦解につながるという権力指導部の危機意識が映し出されている。 そこで北朝鮮は,これ以降,国際的孤立の中,国内体制固めのため「強盛復興戦」のスローガンの下に,石炭,電力,金属,運輸交通など基幹産業,インフラ部門の建設を重点的に進め ながら,懸案の食糧不足解消のための農作業改善を目指した2大国家プロジェクトとして黄海 南道の土地整理事業,价川−台城湖間の水路工事などを大々的に進めた。そうした努力の結果, 北朝鮮経済は,99年に6.2%のプラス成長へと反転し,2000年にも1.3%,01年3.7%,02年1.2%, 03年1.8%と連続5年もプラス成長を維持しており,着実に国内総生産を増加させつつある。 (表1参照) 図1 「朝鮮式社会主義」建設の内容 表1 北朝鮮経済の主要指標動向
2003年の北朝鮮経済を見ると,核疑惑問題による朝鮮半島エネルギー機構(KEDO)の重油 供給中断などの影響で燃料や原資材が慢性的に不足し,当初目標に掲げた工業生産額の前年比 38%増の達成には及ばなかった。 だが,製造業部門では重工業生産において鋼材,工作機械などの増加で前年のマイナス 4.2%から2.6%増へ反転,軽工業生産においては,生活必需品の増産努力に支えられ,飲食料 品,衣類,木材品などを中心に2.3%増,全体として2.6%の増大を記録した。また穀物と石炭 生産量も若干増加し,さらに対外貿易では輸出7.8億ドル(5.5%増),輸入16.1億ドル(5.9%増), 計23.9億ドルと好調であった。 もちろん,穀物生産も前年より約3%増の42.5万トンにすぎず,国際支援分約百万トンを考 慮しても需要量に比べ110万トン程度不足,また重油供給中断による火力発電所の稼働率低下 などで,食糧難,エネルギー不足の状態は変わらない。だが,近年の公表統計指標を見る限り では,北朝鮮経済は最悪の危機状態だけは脱したようであり,一部の分野では生産活性化の動 きも見られる。これは,決して「7.1経済管理改善措置」と無関係のこととは思われない。
二.
「7.1経済管理改善措置」の背景と意味
実は,北朝鮮の計画経済体制は,この「7.1措置」によってかつてない枠組みの変容を迫ら れている。措置の主な内容は,①配給制廃止,②賃金と物価の引き上げ,③企業の独立採算制 の拡大,④為替レートの現実化など,多岐にわたっている。(表2を参照)これは,「社会主義 原則を確固として守りながら,もっとも大きな実利を得ることのできる経済管理方法」(4)と いう北朝鮮式の「実利社会主義」(図2を参照)を硬直した計画経済管理システムの改善に適 用したもので,「実利社会主義」というのは,2001年1月以来の金正日総書記提唱の「新思考」 を反映している。 金正日総書記は,「7.1措置」の背景として「国の経済が正常な軌道に乗れず,経済建設と 人民生活で基礎的な問題が依然として解決されていないのは,経済指導と管理が正しく行われ 表2 「7.1措置」による物価・賃金・レートの変更例ていないからだ」(5)とし,「経済官僚たちが固定格式化された古い枠組みから抜け出せず,敗 北主義と消極性に陥り,経済管理において革新を起こせなければ,国の経済を打ち立てること ができず,経済強国を建設することはできない」(6)という危機意識を吐露しながら,当面す る経済的難関を打破し,経済強国を建設するためには,「変化した環境と現実的条件,われわ れの革命発展の要求に合わせ経済管理を革命的に改善し,完成させていかなければならない」(7) と述べ,社会主義経済管理方法を「われわれ式」の独特なものに開拓していくことを強調して いる。 この「われわれ式」の社会主義経済管理方法こそ「実利社会主義」と呼ぶことができるもの であるが,これについて金正日総書記は「社会主義経済建設で実利を保障するということは, 社会の人的,物的資源を効果的に利用し,国の富強発展と人民の福利増進に実際的な利益を与 えるようにすることを言う。国家的にも,個別的な部門の単位でも,生産と建設,個人管理運 営においてもっとも大きな実利保障することを基本にし,経済管理で出てくるすべての問題を 解決していかねばならない」(8)と定義している。 金正日総書記は,北朝鮮経済の沈滞と関連して「国家が立てた計画が,いろいろな部門と単 位で,特に戦略的な意義のある重要部門と指標において計画をまったく達成できていない」(9) と率直に認め,これでは「社会主義経済の優越性」を誇ることはできないとし,「過去の経済 管理システムと経済管理方法がそのときは正しく,良いものだったとしても,今日に合わない 場合もある。経済管理で古くてだめなもの,現実に合わないものをずっとそのままにしていて 図2 北朝鮮の目指す「実利社会主義」
は経済を発展させることはできない」(10)と,いわゆる「新思考」を強く提示するに至ったの である。 「7.1措置」の内容を見れば,「体制移行」前の社会主義ソ連,東欧諸国でつとに試みられ た経済管理システムにおける分権化,企業経営における自立権付与,収益による分配の差別化 という明確に資本主義市場原理を取り入れた「経済改革」という点で,北朝鮮社会主義経済体 制の質的変化をうかがわせるに十分な根拠となりうるものであった。 北朝鮮中央通信は,2003年6月10日,これまで否定してきた「経済改革」という用語を初め て使用,同国経済官僚も「資本主義経済要素である市場の機能を重視しており,今後は大胆か つ柔軟な経済改革を推進していく」(11)と言明している。中国,ベトナムに次いで,北朝鮮も ついに「社会主義市場経済」に大きな一歩を踏み出し,北朝鮮経済はこれまでとは異なる新し い局面に入っていると言える。 もちろん,他の「体制移行国」と比べると,国家の価格制定権限が基本的に存続しており, 経済全般において市場原理の適用範囲が著しく制限されてはいるが,「7.1措置」以降はそれ 以前の硬直的な計画経済システムにかつてない変更が加えられたのは事実である。(表3を参 照)姜正模・韓国慶熙大学教授が指摘するように,次の点で,もはや既成の「指令的かつ画一 的計画経済」の枠が大きく打ち破られたと見て差し支えないだろう。(12) つまり,第一に,国定価格を大幅に引き上げ,農民市場価格に接近させることで,市場価格 を事実上,認めた。(13) 第二に,国家計画委員会の権限を下部単位に一部を委任することで,計画経済体制の分権化 を試みた。 第三に,原・副資材市場の開設は「企業の農民市場」として消費者についてだけ許容してき た市場(国営市場,農民市場など)の範囲を生産手段にまで拡大した。 第四に,工場・企業所に経営の自立姿勢を付与し,収益レベルに伴う分配の差別化などの措 置を通じて企業に利潤マインドを鼓吹した。 表3 「7.1措置」を契機とする北朝鮮計画経済の変容
第五に,食糧および消費財価格と家賃などを引き上げ,配給制度を事実上廃止し,家計(消 費)の経済的自立を誘導した。 これらのことから,「7.1措置」は,過去の中央指令による硬直した計画経済の失敗を克服 するために,市場経済の部分的な導入を図るものであるという評価が日本の学会やマスコミの 間で一般的であるが,それは,すでに機能麻痺に陥った社会主義経済計画体系,政治優先の 「大安の事業体系」(14),生活必需品配給制などの側面において,「過去との断絶を意味する経 済改革」(姜正模教授)と高く評価できるものであり,「北朝鮮式社会主義市場経済モデル」 (図3を参照)が模索されていると見てよいだろう。
三.市場経済化の功罪
だが,経済管理改善措置によって直ちに北朝鮮経済が危機から脱出できるといった状況には 決してなく,今後少なからぬ紆余曲折を経なければならないようである。 国家経済の基幹部門(軍需,エネルギー,運輸など)を除く大部分の分野で市場要素と競争 原理を導入することで,企業と労働者,農民にとっては「もうけた分」だけ,「働いた分」だ け収益,賃金を得ることができるというインセンティブが働き,生産と労働意欲を駆り立てら 図3 北朝鮮式社会主義市場経済モデルれており,それが生産の向上につながっているのは確かなようである。 「7.1措置」以後,流通部門において特に顕著な現象は「チャンマダン」(農民市場・闇市 場のこと)の急増である。国営商品を通じた食糧や生活必需品の供給不足を補う手立てとして, 政府は農産物だけでなく工業製品の取引も公認せざるを得なくなり,結局2003年3月に名称を 「総合市場」と変え,奨励策まで出している。 国家計画委員会のチェ・ホンギュ局長は,「農産物だけでなく,各種工業製品も取引されて いる現実に合わせ,名称を変えた」とし,「政府は市場を統制の対象と見ておらず,社会主義 商品市場の一環として認めており,名称の変更は市場が社会的需要を充足させる空間としてう まく機能するように政府がより積極的な管理政策を実施していこうとする意志の表現である」 と述べた。(15)農民市場が総合市場へと機能が拡大されたのに伴い,農民と一般庶民はもちろ んのこと,工場・企業所も生産した工産品を市場に持ち出し,販売するなど商取引行為が拡大 するようになった。それは,工場・企業所の商品販売が増加するのを受けて,政府当局が既存 の国営流通網と国営価格維持のため,工場・企業所が農民市場で工産品を販売する場合,基本 的に割り当てられた製品以外の副産物として生産された生活必需品の30%までしか許可しない という制限措置を取ったことに見られるほど活況を示したのである。(16) 総合市場を国家経済の一部とみなし,生活必需品を購入しようとする住民の利用度が高まる につれ,既存総合市場の増設や新設が相次ぎ,その数は「7.1措置」1年後の2003年6月末現 在,平壌の中心街を始め,地方の非常設市場まで含めれば,約1,000カ所に及ぶとされる。(17) 平壌市の場合,楽浪区域に敷地面積2万㎡,建物面積7,000㎡規模の「統一街市場」が,品不 足の国営商店の閑散とした雰囲気とは大違いに賑わいを見せている。 他方で,市場経済化に伴い,短期的には生活必需品の需給アンバランスが解消されない中, 総合市場での物価暴騰と闇ドルのレート上昇といった否定的現象も表れている。「7.1措置」 以後,改定物価はさらに3倍以上も上昇,朝鮮ウォンは1ドル=150ウォン(公定ルート)か ら,2003年2月には670ウォン(ヤミ取引)へと貨幣価値が大幅に引き下げられている。(表4 を参照) こうした市場開放によるハイパーインフレと通貨下落を是正するためには,結局供給量拡 大=工場・企業所の生産正常化が必要である。だが,政府,国営企業とも投資財源の不足状態 表4 北朝鮮の物価上昇動向(「7.1措置」の前・後)
に陥っており,約30パーセントといわれる工場稼働率の改善の方法はない。そこで政府は,公 共事業や国営企業生産増大のため強制貯蓄の性格を帯びた「人民生活公債」(国債)の発行を 企てたのであるが,消化不良に終わったとされる。(18)(表5を参照)また核問題の解決なし には西側からの経済援助も期待できず 結局投資財源には限度があり,工場・企業所の生産正 常化は程遠い状態にあるといわざるを得ない。
四.
「経済改革」をめぐる論議
実は,筆者は2004年8月3∼7日まで北朝鮮の平壌で開催された「第2回世界コリア学会」 に参加する機会を得て,北朝鮮における市場経済化の実態について垣間見ることができた。 この学会は,2000年7月に韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記の初の首脳会談を受 けて醸成された南北の「和解と協力」の雰囲気の中で,2002年に韓国の精神文化研究院と北朝 鮮の社会科学院の共同主催によって第1回目が韓国のソウルで開催され,隔年で南北双方で開 かれることになったもので,「コリア」に関する諸問題(歴史,政治,経済,法律,科学,文 化,教育,哲学,宗教など)について世界各国の朝鮮問題研究者が一同に集まり議論する場と して貴重である。 筆者は経済の分科会に参加した。先に指摘したように,北朝鮮は,90年代後半に「強盛大国 建設」路線を打ち出し,その中でも特に「経済強国」の課題を強調してきた。いくら政治・思 想・軍事的に堅固に見えても,経済力の裏づけが必要である。つまり,それらを支えるのは経 済力であるという認識に立ち,何とか経済危機を打開し,生産の正常化を成し遂げ,国民経済 の再生につなげたいという要求なのだが,今回の北朝鮮側の学者の論文は皆紋切り型のものば かりで,深刻な経済現状に関する客観的かつ具体的な分析はなく,今後の対策についても見え てこなかった。 北朝鮮側からは,「先軍の旗の下,社会主義経済強国建設の跳躍台を築いた朝鮮人民の闘争」 「国防工業の優先的発展を基本とする先軍政治の経済建設路線」「人民消費品生産における地方 表5 人民生活公債発行の内容工業の積極的役割」「東北アジア経済発展のための交流と協力」「朝鮮民主主義人民共和国にお ける外国人投資のための法律的環境について」「南北経済協力と民族経済発展」など約10数本 の経済論文が発表されたが,西側における学会とはおよそ違っており,政府か言論機関による 公的宣伝文の域を出ず,とても「学術論文」と言える代物ではなかった。 学会の進め方も,ある学者が用意された論文を読み上げ,それについて2∼3人の簡単な質 疑応答が繰り返されるだけで,論点を深める作業にはならなかった。 筆者は,今日の経済危機を克服する上で,2年前から断行された「経済管理改善措置」が重 要な意味を持っているという考えから,今度の学会でも「経済改革」についての論議に期待し たのだが,期待はずれであった。 しかし,学会とは別に,北朝鮮学者と個別レベルでかなりリラックスした形での討論ができ たのはとても有意義であった。 金日成総合大学経済学部長の金載書教授とは,「7.1経済管理改善措置」,つまり北朝鮮の 「経済改革」について論議した。筆者は,北朝鮮のいう「実利社会主義」というのは,中国の 「社会主義市場経済」やベトナムの「ドイモイ」政策と同じで,基本的には「市場経済化」, 「経済改革」の別表現ではないかと尋ねた。 これに対して,彼は「資本主義経済に対する社会主義経済の優越性は変わらない」とし,「7. 1措置」は西側の言う「改革」や「開放」とはまったく違うと否定した。そして,「経済管理改 善措置」について,①新しい価格政策や独立採算制の拡大を進めても,あくまで国家が主導す る計画経済統制は守る,②生産手段の私有化は認めず国有化は今後も続ける,の2点を強調し つつ,あくまでも「われわれ式社会主義経済」を進めることを力説していた。しかし,そうは 言うものの,「市場経済要素」の導入については,内部で論議中と述べており,経済学会のみ ならず,政府・党レベルでも「経済改革」をめぐっての是非論争が起きていることが予測され た。 また,社会科学院世界経済研究所の李幸浩所長に,「7.1措置」の功罪について聞いたとこ ろ,肯定面としては,まず第一に国民の意識変化を指摘した。つまり,これまでは,悪しき意 味での「平均主義」と「何でもタダ」の意識がしみついていたが,これからは生産性の向上や 良質の労働力の成果について,企業や労働者に対して応分の分配を施すことについての理解が 深まり,第二にそれを契機に労働意欲と企業の生産活動に刺激が加えられることで経済活性化 につながっていることを指摘した。 その反面,彼は率直にマイナス効果についても指摘した。第一に,インフレ現象の深化であ る。農民市場を合法化して,都市のいたるところに「統合市場」を開設したが,品物豊富(ほ とんどは中国からの衣類,日用雑貨,生鮮食品など)の割には国営商店よりも値段が高く,せ っかく定めた公定価格を上回る現象が出ている。筆者も実際に「統一街市場」に足を運び,国 営商店の「楽園百貨店」の諸商品よりも価格が割高な点を確認することができた。絶対的な供 給不足が解消されない限り,国営商店の品物に対する価格上昇の影響は免れず,全般的なハイ パーインフレは収まりそうにもない。 次に,企業間,労働者間の格差拡大が指摘された。よりよく工場・企業所の生産・販売向上 に尽くした労働者や高学歴・専門技術者は一般労働者より高給を受け取り,企業間の優劣も生 じるなど,事実上の企業倒産や失業者輩出による社会的不均衡の出現が社会不満の噴出を伴わ
ないという保証がなくなってきているようである。筆者の聞き取り調査によれば,一般労働者 の賃金は2,000ウォン(1ウォン=約0.7円)なのに,平壌市内の楽園百貨店の店員は5,000ウォ ン,平壌順安空港の免税店の店員は8,000ウォンという具合にサービス分野の労働者の賃金は 相当高く,製造業分野の一般労働者とはかなり大きな賃金格差が生じていると思われる。 13年前に初めて訪れた平壌に比べて,町の風景はほとんど変わっておらず,経済開発の停滞 を目の当たりにしたが,人々の様子は全般的にやわらいでおり,自転車やキャンデー,菓子類 を販売する露店商(19)の登場,ホテルや百貨店の店員のほがらかな対応など,「市場経済化」 の臭いを感じることもできた。 2004年に入り,脱北者が相次いでおり,また竜川など中国との国境地域で真相不明の爆発事 故が連続して起きるなど,北朝鮮の「異変」がささやかれている。同年末の米大統領選挙では ブッシュ大統領が再選され,2005年には新しい国際情勢の下で米朝関係のドラスチックな変化 もありうる。いずれにしても,北朝鮮の前途は体制危機の要因をはらむ中で,もはや「変化」 は避けて通れなくなっていることだけは確かなようである。
五.試される金正日総書記の政治力量
筆者の考えによれば,北朝鮮経済再建のためには,更なる市場競争原理の拡大,価格・財政 金融の自由化,私的所有権の漸進的許容など北朝鮮式改革・開放を進めるほかないが,それは 権力内部の路線闘争を呼び起こす可能性が強く,金正日体制に不安定化をもたらしかねない。 最悪の場合は,旧ソ連や東欧諸国のように体制崩壊を促すこともありうる。ここに「実利社会 主義」の最大のジレンマがある。 北朝鮮はいま,米国とは核・ミサイル,日本とは拉致問題をめぐって,つばぜりあいの国際 外交交渉をしているが,その狙いが究極的には米日との国交正常化を通じて,国際的孤立化と 経済制裁の解消,経済協力資金の導入,金正日体制の保証にあることは明白であるが,その背 景には,1948年の建国以来,半世紀に及ぶ社会主義路線の総決算を迫られていることが挙げら れる。 故金日成主席が築いた北朝鮮の社会主義は,「自立的民族経済」をうたっていた。冷戦時代, 旧ソ連と中国という社会主義大国にはさまれ,双方の対立に巻き込まれないためにも「自立」 を強調することが必要だった。経済力も60年代までは韓国を上回っており,政治・外交的に 「自主」を演出する余裕もあった。 だが90年代を通じ,自力で経済的困難を克服できないことが自明になった。同時に,「経済 の再生なしに,政治・外交の自主や,軍事的な自衛もありえない」という認識が深まっている。 90年代末から打ち出された「強盛大国建設」路線でも,経済の立て直しこそが最重要課題とさ れている。経済の運営方式を大きく改めねば,「自立」もないことを知ったのである。 そこで問題は,すべての根幹である経済をどう再建するかに行き着いた。残されているのは 競争原理を取り入れ,「社会主義的市場経済」の確立という道しかなくなり,そこで「7.1措 置」が取られたということだ。もちろん,中国のそれとは両国の歴史的条件や政治・社会的環 境の違いによって「改革」の形態は異なるが,本質的意味は変わらないと見てよいだろう。 (表6を参照)北朝鮮が市場経済化の道に踏み出したからといって,社会主義の大義を捨てたわけではない ことは,中国とまったく同じである。しかし,これまでのような何でも,誰にでも平等に施す という「ユートピア的社会主義」はもはや限界に来たということであり,いくら社会主義の優 越性について美辞麗句を並べたところで,国家財政破綻の現実の前では税金(20)を課さざるを 得ないのであり,計画経済システムの麻痺状態の中では,生産力・国民所得を向上させようと すれば,市場原理,競争原理を導入せざるを得ないということである。 したがって,今後北朝鮮では「悪しき平等主義」は後退し,より働き,より多くの利益をあ げた者はより多くの報酬を得られるという物質的なインセンティブがますます強調されていく だろう。つまり「働かざる者は食うべからず」,「商品の質が高ければ価格も高い」といった資 本主義では当たり前の経済原理が浸透していかざるを得ない。 では,そうした政策を選択した場合,北朝鮮の政治体制はどう変化していくのだろうか。例 えば,すでに「社会主義的市場経済」の先行モデルとして,改革・開放路線が定着した中国で は,共産党の指導体制は崩れていない。「ドイ・モイ(刷新)」を導入したベトナムでも,同じ 結果になっている。経済の自由化が,政治的な支配の崩壊をもたらしていない。 北朝鮮はこれらの国より面積が狭く,思想統制も容易という条件がある。もともと儒教の影 響が強く残っている面もあるが,故金日成主席の権威は根付いており,すでに10年も経過した 「先軍政治」(21)に「揺るぎ」が生ずるとは当面思えない。かつて親子二代の支配が続いた台湾 の蒋介石,蒋経国のように,外資導入に成功した「開発独裁」的な国家になっていく可能性も ある。 ただそれでも,長期的には政治的な変化を免れないのではないだろうか。なぜなら本格的に 改革・開放路線を進めると,それを担うテクノクラート(専門家)が育ってくる。頭が古く, 表6 中国と北朝鮮の経済改革比較
イデオロギーに凝り固まっているような旧世代や既成幹部は交代を余儀なくされるだろう。政 治的多元主義の風土が生まれる素地もできてくる。 そもそも,しなやかな党内民主主義がなければ,市場経済というのは運営できるものではな い。時間はかかろうが,将来的には個人独裁から集団指導体制的な方向に移行していくのでは ないだろうか。同時に,それが政治的な民主化につながっていくことも否定できないだろう。 建国の父であり,社会主義体制を築いた故金日成主席のカリスマは絶対的である。しかし, それでも変化の兆しが生じている。金正日総書記が,「現実に通用しなくなったものは大胆に 改めなければならない」といった趣旨の発言をしているが,これこそ故金主席時代のやり方を 絶対視するのではなく,「実利」を優先するという発想から出ているものに外ならない。部分 的であるにせよ,時間の経過とともに何らかの「脱・金日成化」,「脱・神格化」現象が生じて くるかもしれない。故金主席の言ったことを金科玉条のようにあがめるだけのやり方を是正し ないと,現実の問題は解決しないからである。 故金主席が打ち立てた理念である「チュチェ(主体)思想」の核心は自主性と創造性である が,現実的には形骸化しており,今日の北朝鮮の計画経済ではほとんど生かされていない。市 場経済は上から押し付けられる計画経済とは違い,むしろ一人一人の自主性,創造性を引き出 す可能性を秘めている。そのため今後は,「チュチェ思想」ですべてを染め上げるやり方は, 改めざるをえなくなるだろう。 これまで掲げてきた「社会主義の資本主義に対する優位性」というスローガンは,捨てられ ることはないだろうが,その社会主義も「実利」なしに運営できないことに北朝鮮はようやく 気づいたと言える。 そこで問われるのは,金総書記の政治的力量である。彼には,父親のような神格化されたカ リスマ性はない。しかも94年に父親が死亡した後,ほとんど公の場で発言しなかったこともあ り,当初は「政策能力も,統治能力もない愚鈍な男」という評価であった。 米国もクリントン政権時代は金日成死去後,当初,「金正日は長くはもたない」と見なし, 韓国による北朝鮮の吸収合併を考えていた。ところが後にそれを改めて,金総書記を政権担当 者として認め,交渉するようになった経過がある。(22)父親の死後,自らが率いる朝鮮労働党 の支配は揺るいでいないし,今日まで持ちこたえている。クーデターもなかった。「統治能力 も,リーダーシップもある」という評価が西側では生まれており,相当な外交能力も持ってい ると見られている。(23)
おわりに
長い目で見れば,北朝鮮の市場経済化はもはや後戻りできなくなっている。国内外の情勢か らして,その流れを押し留めることは何をもってしてもできないだろう。現在の経済改革の動 きは,計画経済のタガが緩んでいるのを締め直し,社会主義が崩れていくのを立て直すための 便宜的な方策という側面も確かに無視しがたい。だが,経済原理は政治的思惑を越えて浸透し, 市場経済の空間が拡大していくだろう。 北朝鮮経済が本当に立ち直るためには,核問題や拉致問題など国際懸案を解決し,西側から の資金導入をテコに市場経済をいっそう活用し,計画経済の中に融合させるしかない。経済再建はもはや不可能とは思わないが,それを金正日総書記がどこまでやりきれるか。最終的には, 彼の政治的力量にかかっている部分が大きいと言わざるを得ない。 注 (1) 『7.1経済管理改善措置の現状評価と課題・北朝鮮経済改革の展望』所収論文,「歴史的観点から 見た7.1経済管理改善措置」(韓国対外経済政策研究院,2003年12月)68頁。 (2) 河合政弘「北朝鮮の経済・社会を安定させるシナリオ」(『エコノミスト』2004年11月2日号) (3) 「2000年版北朝鮮年鑑」(東アジア総合研究所,2000年12月)98頁 (4) 金正日「強盛大国建設の要求に合わせ,社会主義経済の管理を改善強化することについて」(『世界』 2004年11月号) (5) 同上 (6) 同上 (7) 同上 (8) 同上 (9) 同上 (10) 同上 (11) 『朝鮮新報』(在日本朝鮮人総聯合会機関紙,2003年6月17日付)。 (12) 『東アジアレビュー』(東アジア総合研究所,2003年8・9月号)。 (13) 農民市場とは,90年代後半における食糧難の中で,農民が自分の畑(自留地)で栽培したコメや野 菜などの農産物を持ち寄り,自由に販売する定期,不定期の「市」で,最初は政府によって禁じら れていたが,96年ごろから庶民の生活便宜を図るため公認されるようになった。農村では「農民市 場」,都市では「チャンマダン」と呼ばれているが,農産物以外の工業製品や配給品など政府によ り販売禁止とされる品目も公然と出回るようになり,「ヤミ市場」とも呼ばれている。 (14) 「大安の事業体系」とは,故金日成主席が1961年12月に南浦市の大安区域の大安電気工場を訪問し た際に提示したもので,「工場・企業所が党委員会の集団的指導の下に,すべての経営活動を行い, 政治事業を優先し,生産者大衆を動員して,経済課業を遂行し,上が下を責任をもって,手助けす る経済管理体系」(金日成著作選集,第9巻,396頁)とされる。 (15) 「2004年版北朝鮮年鑑」(韓国聯合ニュース,2003年11月),236頁。 (16) 「2004年版北朝鮮年鑑」(増補版,韓国聯合ニュース,2004年4月)173頁。 (17) (15)と同じ,236頁。 (18) 「2003年度北朝鮮経済の総合評価」(韓国統一部,2003年12月)。 (19) 露天商は,完全な個人所有ではなく,工場・企業所や政府・党機関からの派遣によるもので,売上 げに応じて給与を受ける。しかし,遠からず,まとまった資金蓄積を行った高給労働者が個人企業 や商店,食堂を直接所有・経営することを政府が許可するようになることが予想される。 (20)北朝鮮ではこれまで,世界で「税金のない唯一の国」と誇ってきたが,政府に対して国営企業から の利益金,取引収益金などの形で,資本主義社会における法人税,勤労所得税に相当する「上納金」 が支払われている。2003年に実施された「人民生活債」の発行は増税の性格を持つものであり,「7. 1措置」以降は,教育費・医療費・福利厚生費を除き,これまで無料であった電気料金,水道料金, 電車・バス運賃,家賃などが有料化され,国家財政を通じた人民に対する恵沢は目に見えて削減さ れるようになった。 (21) 国のすべての分野について軍を中心に,軍を先頭に立てて運営していくという金正日総書記提唱の 政治方式であり,金日成主席死亡後の体制危機に適応して取られた軍主導の臨時的な「非常事態」 体制が常態化したものと分析される。 (22) 金日成主席死亡後に樹立された金正日政権に対し,米国は当初早期崩壊を予測していたが,実際は そうならなかったため,金正日政権を交渉相手に認めるようになった。クリントン大統領(当時) は,98年11月にウィリアム・ペリー前国防長官を対北朝鮮政策調整官に任命し,金正日政権崩壊を 前提としていたそれまでの米国政府の北朝鮮政策を全面的に再検討することを指示,ペリー長官は 訪朝などを通じて,「94年のジュネーブ合意を履行し,北朝鮮が核・ミサイル開発を中断する場合, 北朝鮮に対する積極的な経済支援を行う」などの内容を盛り込んだ「ペリー報告書」を提出した。 (23) クリントン政権時代末期に訪朝したオルブライト国務長官(当時)は,金正日総書記について「丁 寧な態度で人の話に耳を傾け,非常に良く国際情勢を理解している」(日本経済新聞,2004年1月 13日付)と評価した。また,97年に韓国に亡命した北朝鮮の元労働党書記の黄長 氏は,金正日総 書記について「政策能力はないが,統治術に長けている」と評価している。(「北朝鮮崩壊へのシナ リオ」2003年11月,河出書房新社)
参考文献 (1) 金・ヨンチヨル,朴・スンソン編著(2002),「北朝鮮経済改革研究」韓国フマニタス出版社 (2) 趙明哲外(2003),「7.1経済管理改善措置の現況と課題:北朝鮮経済改革の展望」韓国対外経済政 策研究院 (3) 趙明哲外(2003),「北朝鮮経済改革の推進現況と南北朝鮮および国際社会の役割」韓国対外経済政 策研究院 (4) 「2002北朝鮮経済白書」(2002),韓国対外経済政策研究院 (5) 梁文秀(2001),「北朝鮮経済の構造」韓国ソウル大学校出版部 (6) 朴 重「2002」,「北朝鮮の経済管理体系」韓国図書出版ヘナム (7) 北朝鮮経済フォーラム編(2002),「北朝鮮の経済運営と特性」韓国学文社 (8) 「北朝鮮年鑑」各年版(2000∼2004),韓国聯合ニュース (9) 金・ジェホ(2000),「金正日の強盛大国建設戦略」北朝鮮平壌出版社 (10) 金・インオク(2003)「金正日将軍の先軍政治理論」北朝鮮平壌出版社 (11) 鄭・ネソン(2000),「社会主義強盛大国建設思想」北朝鮮社会科学出版社 (12) 朴貞東(2004),「北朝鮮は経済危機を脱出できるか」社会評論社 (13) 伊集院敦(2002),「金正日『改革』の虚実」日本経済新聞社 (14) 重村智計(2002),「最新北朝鮮データブック」講談社 (15) 「週刊ダイヤモンド・特集金正日の経済」(2004),ダイヤモンド社