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イングランドにおける「ジプシー」に対する布教活動と「浮浪者」取締法の役割および目的の変化との関連―19世紀初頭に国内伝道師団体が掲げた「ジプシー」に対する布教活動の目的に注目して―

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『英米文化』51, 37–53 (2021) ISSN: 0917–3536

イングランドにおける「ジプシー」に対する布教活動と

「浮浪者」取締法の役割および目的の変化との関連

―19世紀初頭に国内伝道師団体が掲げた「ジプシー」に対する

布教活動の目的に注目して―

冨 川 多佳子

Relation between Missionary Activities for Gypsies and the

Changing Role and Purpose of the Vagrancy Law in England:

Focusing on Purpose of Missionary Activities

of Home Missionary Society in the Early Nineteenth Century

TOMIKAWA Takako

Abstract

This paper examines the purpose of missionary work to Gypsies by domestic evan-gelical groups who carried out evanevan-gelical missionary activities in England in the early 19th century. The home missionary society criticized the imprisonment of the Gypsies as vagrants and argued that in order to change their nature of wandering, it was necessary for them to live a civilized life and not be imprisoned. It was hoped that this method of mission-ary activities could be tried in the United States. However, Sarah Nicolasso, who studied the transition of the legal definition of vagrants , notes that the specific race group Gypsy was stipulated as Vagrant in the Vagrant Control Law. She points out that it worked effectively as a means to create a racist yet conceptually flexible, judicial-controlled space in the colonial United States. Since the 16th century, Gypsies had been legally categorized into a comprehensive definition of homeless , and the racial characteristic of Gypsies had been used to justify policies and the like. In the early 19th century, the missionary work on Gypsies was justified as a method of denying this vague definition.

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序.諸前提 本稿の目的は,イングランドの法律において16世紀末以降「浮浪者」という枠組 みに含まれていた「ジプシー」1の政治的な役割および目的の変遷を追うことによっ て,19世紀初頭に計画および実行された「ジプシー」に対する福音主義2の伝道活 動の目的に関する新たな見解を示すことである。 ジプシーと呼ばれた人々は,その起源を北インドに持つとされ,およそ西暦800 年から950年の間に西へ移動し始めたとされる3。移動先では,封建制度やキリス ト教社会に反発する異端者として迫害を受けたり厳罰を科されたりすることもあっ た4。1504年,フランスを追放されたある集団はブリテン島へ渡った5。1505年の スコットランドの大蔵卿の帳簿に,国王ジェームズ四世(James IV)の命令によっ てエジプシャンに合計 7 ポンドが渡されたと記録されている6。ちなみに,このエ ジプシャンという呼称が転訛してのちにジプシーになったとされる7。スコットラ ンドに現れたエジプシャンは,初めこそ歓迎され,宮廷に呼ばれて芸を披露したり したが,徐々に警戒されるようになり,法律によって国外退去を命じられるように なる8。1520年代になると,大勢のエジプシャンがイングランドに流入した9。そ して1530年に,イングランド国内から「エジプシャン」を追い出すための法律が初 めて制定された。以下は,本稿で取り扱う法律の一覧である10 1530年, 22 Henry VIII c. 10 本稿の表記:「エジプシャン」取締法(1530年) 概要:「エジプシャン」に関する法律。 (「エジプシャン」の入国を禁じる。16日以内に退去しない場 合,投獄と所有物没収。) 1554年, 1 & 2 Phillip and Mary c. 4 本稿の表記:「エジプシャン」取締法(1554年) 概要:自分自身を「エジプシャン」と呼ぶ特定の集団に対す る罰則に関する法律。 (「エジプシャン」を国に入れた者は40シリングの罰金,入国 して一月経った「エジプシャン」は重罪犯。)

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1562年, 5 Elizabeth I c. 20 本稿の表記:「エジプシャン」取締法(1562年) 概要:自分自身を「エジプシャン」と呼ぶ放浪者に対する罰 則に関する法律。 (入国して一月経った「エジプシャン」は重罪犯。) 1597年, 39 Elizabeth I c. 4 本稿の表記:「浮浪者」取締法(1597年) 概要:ならず者,放浪者,屈強な物乞いの罰則に関する法 律。(放浪して自分自身を「エジプシャン」と偽ったり,「エ ジプシャン」の服装や習慣で放浪したりするすべての者を取 り締まる。) 1713年, 13 Anne c. 26 本稿の表記:「浮浪者」取締法(1713年) 概要:ならず者,放浪者,屈強な物乞い,および浮浪者に関 連する法律を一つの議会法にまとめ,そのようなならず者, 放浪者,屈強な物乞い,および浮浪者をより効果的に罰し, 彼らを送還すべき場所に送還するための法律。 (「ジプシー」のふりをしたり偽「エジプシャン」の習慣で放 浪したりする者を取り締まる。) 表の諸法は「エジプシャン」あるいは「ジプシー」という特定の集団に罰則を科 すことを定めたもので,その後改正を繰り返しながらおよそ二百年に渡って存続し た。 ジプシーと呼ばれた人々の歴史というのは,彼らが文字を持たず,歴史的,宗教 的,文学的なテキストを持っていなかったことから考えると,ジプシーと関わって きたマジョリティの歴史,と言い換えることができるだろう。そのため,19世紀イ ングランドのジプシーに関する代表的な研究者の一人であるデイヴィッド・メイ オール(David Mayall)は,ジプシーに対するマジョリティのさまざまな「対応」を 分析するという視点から,ジプシーとマジョリティ社会との関連を論じ,ジプシー の歴史に対するアプローチ方法を明示した11。メイオールは18世紀末および19世紀 初頭という時期について,それまでの,ジプシーを追放あるいは処刑するという目

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的が,ジプシーを,規律を守る居住者として定住を基盤とした社会システムに融合 させるという目的へと変化した時期であったと指摘した。そして,後者の目的を積 極的に遂行しようとした取り組みとして,福音主義の伝道活動に注目した12。メイ オールによると,伝道師は,移動生活こそがジプシーの放浪の本能に起因し,貧困, 不道徳,堕落などの「悪」の根源だと考えていた。そのため,移動生活を送る者の 再教育によって放浪の本能は抑制され,その結果として移動生活を送る者によって 引き起こされる「悪」は破壊されると考えられていた13 しかしメイオールによると,この布教活動は少数のジプシーに向けられたもので あったため,影響は非常に限定的であった。そのため,布教活動の業績やジプシー に対する効果を評価することは難しいとした14。一見すると,ジプシー研究として この時期の福音主義による布教活動を取り上げる意義は小さいように見える。そこ で本稿では,福音主義の伝道活動の,特に目的に焦点を当てて,上記のメイオール の議論に法律上の「ジプシー」に関する視点の考察を加えたい15。そのために,史 料から読み取れる「ジプシー」に対する布教活動と,「ジプシー」の「浮浪者」規定 との関連性に着目した。上記の表からわかるように,1597年制定の法律以降,「エ ジプシャン」は法律が定める「浮浪者」として規定された。1597年制定当時の「浮 浪者」取り締まりには,大きく分けて二つの目的があった。一つは貧民救済制度を 支える教区税の負担を増やす行為をする者を取り締まること,もう一つは各地を放 浪して略奪などの犯罪行為をするおそれのある者を取り締まることだった。「ジプ シー」は後者に当たるとされた。詳細については本稿第三章で言及するが,1597年 の改正において「エジプシャン」は「浮浪者」項目に追加され,その後時代が移り 変わるなかで「浮浪者」取り締まりの目的や役割もまた変化し,「浮浪者」項目の 「ジプシー」は特別な機能を果たした。このような視点から,19世紀初頭の福音主 義の伝道活動において掲げられた「ジプシー」に対する布教の目的に関する考察を 試みた。 本稿で扱う一次史料は,アンソニー・ハイモア(Anthony Highmore)による著書『都 市的慈善活動:ここ12年間にロンドン近郊に組織された慈善団体に関する見解』16 ある。ハイモアは,法律の専門家として,精神障害,犯罪,浮浪に関する法律の専

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門書17を書く一方,敬虔なキリスト教徒として布教活動や慈善活動に熱心に取り組 んだ人物で,上記の著書において布教活動や慈善活動に従事するさまざまな団体を 紹介した。彼は上記の著書のなかで,福音主義の伝道師団体「国内伝道師団体」に ついて記録した。メイオールは国内伝道師団体について,19世紀初頭に最も精力的 にジプシーに対する布教活動を行った団体の一つであると紹介している18。国内伝 道師団体が提唱する「ジプシー」に対する布教計画を,「浮浪者」取り締まりとの関 連を通して考察することで,19世紀初頭の「ジプシー」に対する布教活動の正当性 がいかにして唱えられたのかという議論に新たな視点を提示できると考える。 1.国内伝道師団体による「ジプシー」に対する布教活動: アンソニー・ハイモアによる報告より アンソニー・ハイモアは,国内伝道師団体の活動概要についてまず次のように紹 介する。国内伝道師団体による布教活動は,聖書の普及によって救い主の名前と教 義を広めようとするものであり,その活動は国外だけでなく国内においても活発に 行われ,多くの伝道拠点が各地に設置された。そしてその活動のなかで彼らは,イ ングランド国内の貧しい人々や無知な人々に対して救いの目を向けることの大切さ を認識するようになった。村の人々は神の名を知らず,神を冒涜していた。そのた め伝道師たちは,貧しい村々を拠点として,村の人々が集う場所に福音書の慰めを 聞くための祈祷会を設け,さらに農民たちの粗末な住居のなかに家族祭壇を作らせ た19。以下は,国内伝道師団体の活動報告の抜粋である。 …団体の献身的な活動の一方で,さすらうジプシーに関する問題が浮上する。 この人種は,宗教的な指導を受け,それを身につけるあらゆる手段があったに もかかわらず,国内においてこれまで全くほったらかしにされてきた。ジプ シーはおよそ四百間我々の周りで生活しており,そして,ならず者および放浪 者を取り締まる法律に触れる対象である。これは,彼らを勤勉あるいは公正に 更生するものではない。我々の団体は,より幸せな影響を生み出すための,よ り穏やかな方法を提案する。その方法とは,文明と人間の永遠の福祉を促進す るに当たって海外で有効に機能した方法である。おそらく,ホッテントット

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(Hottentot)20とオータヒチアン(Otaheitean)に変化をもたらした同じ神は,イ ングランドのジプシーもまた転向させるだろう!ジプシー集団に対する伝道師 の派遣は,彼らに親切に接するということだけでなく,国の福祉の促進をもた らす。これらの放浪者たちは,軽蔑と嫉妬の対象であったり法律の用心深い目 によって監視されたりする代わりに,ただ単に文明化された生活習慣を身につ けるようになるならば,彼らは公正な生活を送るように移行するかもしれな い。…21 上記からまずわかるのは,「ジプシー」が長年「浮浪者」として法律の下で取締対 象とされてきたことに対して,国内伝道師団体は批判的な意見を持っているという ことである22。そして,代わりに「ジプシー」に対して取られるべき処置に関して は,「より幸せな影響を生み出すためのより穏やかな方法」で「文明と人間の永遠の 福祉を促進するにあたり海外で有効に機能した方法」,つまりキリスト教化が,「ジ プシー」を「勤勉あるいは公正に更生」する方法として大きな成果をもたらすと考 えられていたとわかる。また,彼らの「ジプシー」への布教計画に対する自信の根 拠が,「ホッテントット」や「オータヒチアン」といった人々に対する布教活動成功 事例に由来していたこともわかる。整理すると,国内伝道師団体は三つの方法に よって「ジプシー」のキリスト教化の重要性を説いた。第一に,「ジプシー」という 「人種」に対して法律上「浮浪者」としてただ刑罰対象とし続けることでは彼らの性 質は変化しないと指摘することによって,第二に,「ジプシー」にキリスト教が広ま ることは,「ジプシー」のためだけでなく,「国の福祉の促進」,例えば「浮浪者」取 り締まりの効率化などに貢献すると主張することによって,第三に,「勤勉あるいは 公正に更生」するため必要な「文明化された生活習慣を身に着ける」こととキリス ト教化とを関連付けることによって,である。 また,報告は「ジプシー更生計画の失敗を心配する必要はほぼないといっていい だろう。」と前置きして,次のように続いた。 調査の結果,ジプシーは,指導を受け入れる意志をはっきりと示したとされる。 というのも,大抵村への投資をしぶる委員会が,ジプシー種族の更生だけを行 うある種の出張所を組織したのである。委員会によって,何人かのジプシーの 子どもたちを学校に送る活動がすでに始めてられており,王国の至るところで

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日曜学校の教師たちに向けた紹介状が作られている。その紹介状には,場所か ら場所へ移動するジプシーに対して注意を配るよう助言が書かれている。委員 会は,祈りのためのコテージを設置することにも従事しており,村の粗末な 家々に信仰心が広まっていく上で,神の祝福の下,こうした計画が大いに役立 つと考えている。同様に彼らは,貧しい人々のための祈りの場所を盛り上げた り活気づけたりするという考えを,人口が多く貧窮する村の路地や谷間周辺に 反映させるよう指示した。そして出納係は,この団体の壮大な目的についての やりとりを開始し,(この布教計画を:引用者)アメリカでまねて実行するよう 勧めた。23 上記の「委員会」というのは,国内伝道師団体の委員会であると推測される。と いうのも,1820年代以降にジプシーに対する本格的な布教活動が始まったとされ, その活動をけん引したのは国内伝道師団体であり,団体には活動指針を統括する委 員会が設けられていたためである24。団体は,「ジプシー」の子どもたちを対象とし た日曜学校事業の始動を受けて,「ジプシー」への布教がさらに促進されること,そ してキリスト教が浸透することによる地域の活性化を期待していたとわかる25。ま た,報告の最後は,「ジプシー」に対する布教活動の経験を,「アメリカでまねて実 行するよう勧めた」とある。ここから,「ホッテントット」や「オータヒチアン」へ の布教事例をイングランドの「ジプシー」への布教計画の参考にしたように,イン グランドの「ジプシー」への布教活動が,国内伝道師団体によるアメリカでの布教 計画の参考事例となりうると考えられていたとわかる。国内伝道師団体による「ジ プシー」への布教計画は,「浮浪者」取締法を批判することによって正当化され,そ して「ジプシー」の「人種」としての特徴に焦点を当てることによってアメリカで の福音主義伝道活動も正当化されたのである。 2.「ジプシー」のキリスト教化と文明化の関連性 なぜ国内伝道師団体は,「ジプシー」がキリスト教化されることが「ジプシー」の 更生,さらには「ジプシー」が文明化された生活を送ることにつながると考えてい たのか。また,福音主義の伝道師にとって文明化とはどのようなものであったのだ

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ろうか。 改めて福音主義の概要とその隆盛の経緯について説明を加えると,産業革命期イ ングランドの宗教界を考えたとき,まず大きなくくりとして,イングランド国教会 に帰依する者である「国教徒」と,帰依しない「非国教徒」がいる。「非国教徒」に は,プロテスタント非国教徒とローマ・カトリック教徒が主に含まれる26。また「非 国教徒」には「オールド・ディセクト」と「ニュー・ディセクト」があり,「ニュー・ ディセクト」がいわゆるメソディスト諸派である27。メソディスト諸派は,精力的 にイングランド全国に福音を伝道した28。18世紀以降,特にイングランドでは,聖 書を重んじることで純粋な信仰を回復し,その教義を世界に広めようとする福音主 義活動が広く支持された29 塚田理によると,そもそも福音主義による海外への伝道活動は,もとは海外の植 民地へ渡ったイングランド人のための牧会と伝道のためであった30。しかし,当然 ながら植民地周辺には多くの異教徒が暮らしており,彼らがイングランド人のため の使用人としても働くようになったため,次第に異教徒への伝道の必要性が高まっ た。だが,いざ本格的に伝道を推し進めようとした矢先,海外に渡った植民者たち の多くが開拓者として辺境に出かけるようになり,次第に彼らは教会活動から離れ てしまった。そのため,教会の牧会の働きは十分ではなくなっていった。これを受 けて,トーマス・ブレイ(Thomas Bray)主導のもと,伝道師の派遣と文書活動が推 進された。そして,キリスト教知識普及団体をはじめとする,宗派や拠点の異なる さまざまな団体や協会が組織された31 団体や協会が組織され,海外での布教活動が推進された背景には,「キリスト教を 基礎としたヨーロッパ文明をその時代における世界の文明の頂点とみなし,非キリ スト教世界にキリスト教とヨーロッパ文明(具体的には,『勤勉さ』を尊重する価値 観や,ヨーロッパ風の衣装を身につけ,ヨーロッパ風の家屋に住むといった生活習 慣など)を,同時にもたらすことで野蛮な現地人を文明化しようとする姿勢」の正 当化がある32。並河葉子によると,こうしたヨーロッパ文明絶対優位性は17世紀の 海外布教活動においてすでに見られた。18世紀には一旦知識人たちの間でそのよう な姿勢に対する批判と反省が見られたが,その後再び,ヨーロッパ文明こそが人間

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社会の最終的で普遍的な発展形態であるという主張が支配的になったとされる33 また並河は,奴隷貿易に頼らない社会や経済システムの構築・定着と福音主義の 布教活動との関連性を議論するなかで,福音主義団体による布教活動の正当化の仕 組みに関して,ブライアン・スタンレー(Brian Stanley)が利用した「摂理論」 (providentialism)34を取り上げ,次のように述べた。「神は万物を統治する至高の存 在であり,神が万物を支配する方法は,通常,自然法則の中の不安定な介在物にで はなく,自然の法則にしたがった秩序正しさという,まさに神が万物にあたえたも うたものの中に反映されている。」35そして並河は,ここから解釈されることについ て,自然法則と同じように歴史もまた神の目的完遂のために定められた秩序に沿っ て進んでいくものであり,ゆえにさまざまな出来事も神の目的を達成するために神 によって起こされていると考えられるとした。そして,この理論は「神の唯一絶対 の目的とは,福音による救済を広めることである。」という解釈も主張するものだと 指摘した36。この摂理論は,世界にキリストの福音を伝え広めるという使命を神か ら与えられていることを意味し,イングランドが強大な軍事力や経済力を持ち,そ れを戦争や植民地拡大のために行使することを正当化するものであった37 福音主義の伝道師が異教徒のキリスト教化と文明化を関連付けた背景には,ヨー ロッパ文明絶対優位性と,福音の教えを伝え広めることに対する絶対的な使命感が あった。「ジプシー」の事例に戻ると,メイオールは,ジプシーに対する福音主義の 伝道活動は,異教徒をキリスト教徒に改宗するという目的の範疇をはるかに超えて おり,ジプシーの改宗と同じくらい,産業社会に定住させるという方法によって文 明化するということが重視された活動だったと指摘している38 福音主義伝道活動の上記の機能から考えると,国内伝道師団体によって計画され た「ジプシー」のキリスト教化は,単に福音主義の教えを「ジプシー」に広めるとい う表面的な活動ではなく,それによってキリスト教を基盤とするイングランド社会 のなかに「ジプシー」という存在を同化させることを意味するものであったと理解で きる。また,伝道活動の主なモチベーションがキリスト教のもとで近代化した画一的 な社会を作っていくということであり,そのために生活様式の具体的な変化を伴う 宗教的改革をマイノリティである「ジプシー」に求める活動であったといえる。

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3.「浮浪者」取り締まりの役割および目的の変遷と「ジプシー」との関連 3.1.16世紀末の「浮浪者」と「ジプシー」:国内の治安維持との関連 19世紀初頭,福音主義の伝道活動を行った国内伝道師団体は,「ジプシー」が「人 種」であるということに焦点を当てて,「浮浪者」を取り締まる法律において「ジプ シー」が規定され続けていることを批判し,「ジプシー」に対する布教活動の必要性 と正当性を主張した。そもそも,なぜ「ジプシー」が法律上「浮浪者」として規定 されたのか。「浮浪者」取締法(1597年)制定の背景に言及しながら,「ジプシー」 が法律上「浮浪者」と定義された理由とその目的を検討する。 1569年以降,エリザベス一世と枢密院は,イングランド北部地域のカトリック教 徒による反乱を懸念していた。当時,一部のカトリック教徒は,女王廃位のための 教皇の大勅書を期待していたとされる。女王の政策に対するカトリック教徒の不満 は増幅し,北方地域は混乱状態にあった。リブトン・ターナー(C. J. Ribton-Turner) によれば,こうした状況の結果として,北方だけでなく,王国の他の地域でも放浪 者39が増加したとされる40 歴史家であるジョン・ストライプ(John Strype)は,1569年の状況について次の ように述べている。女王と枢密院は,イングランドの北方地域やその他の場所で, 例えば,放浪者,物乞い,賭博師といった者が蔓延することに対するある種の警戒 心を抱いていた。当時,北方地域からは多くの放浪者らが発生していた。 3 月,枢 密院の顧問官は,ヨークシャーの州長官に書簡を送った。これは,放浪者を見つけ て罰することを目的とした内容のものであった。その後 6 月に,2回目となるより 重要な書簡を,同じくヨークシャーの州長官および治安判事に送った。その書簡は, この種の放浪者の是正および適切な処理のために,州の役人や判事らに放浪者の捜 索・調査を行うよう命令するためのものであった。捜索・調査の方法は具体的に指 示された。例えば,役人を分けて,7月10日日曜日の夜 9 時頃から,翌日の午後 4 時まで,あらゆる町,村,教区において,徹底的かつ注意深く偵察を行うこととさ れた。そして,主人もなく,生活手段の確かな見込みもない,すべての放浪者,身 体の丈夫な物乞い,一般に「ならず者」あるいは「エジプシャン」と呼ばれる者,

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そしてすべての怠惰な浮浪者を逮捕することが,捜索・調査において求められた41 エリザベス一世と枢密院によるイングランド北部の治安状況に対する懸念と「エ ジプシャン」調査の関連については,ジプシー研究者であるアンガス・フレーザー (Angus Fraser)も言及している。フレーザーは,エリザベス一世に対する北部の伯 爵による反乱の結果として起こる国内の治安の乱れが,政府に対する全体的な不満 を引き起こしていたと指摘する42。1569年のヨークシャーの州長官への書簡からわ かるように,放浪者の捜索・調査において「エジプシャン」も対象となっている。 北部の不穏分子を統制するために,「浮浪者」管理強化の計画が進められ,その結果 として「浮浪者」のなかに「エジプシャン」も含まれることとなった。 1597年,「浮浪者」取締法は改正され,「エジプシャン」が規定された。以下は条 項の一部抜粋である。 …あちこち歩き回るすべてのティンカー,そして,重罪犯ではないが,歩き回 り,自分自身をエジプシャンだと名乗る,あるいは,偽装エジプシャンの習慣, 慣例や衣装で歩き回る,そのようなすべての者…43 「浮浪者」取締法(1597年)において「ジプシー」が法律上「浮浪者」と定義さ れた要因には,当時,特にイングランド北部でくすぶっていた,女王の治世に不満 を抱くカトリック教徒らに関わる不穏分子の鎮圧が関わっていた。貧民の救済以上 に,国内の治安維持という目的を全面に打ち出した「浮浪者」取締法(1597年)制 定のもと,「エジプシャン」は「浮浪者」として規定され,不穏分子の排除という政 治的な役割を担わされたといえる。 3.2.18世紀の「浮浪者」と「ジプシー」:植民地統治との関連 「浮浪者」取締法(1597年)以降も,「浮浪者」を取り締まる法律は何度も改正さ れ,「ジプシー」も規定され続けた。以下には,18世紀の例として「浮浪者」取締 法(1713年)の条項の一部抜粋を挙げる。 …剣士,熊使い,幕間劇の品のない役者,吟遊詩人,奇術師,ジプシーのふり をする,あるいは偽エジプシャンの習慣,慣例,衣装で歩き回る,あるいは人

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相学や手相学や狡賢い科学のようなものの技術を持っているふりをする,ある いは運勢や奇想天外な夢想のようなものを占うふりをする,あるいは巧妙な手 業や違法な勝負事や遊びをするすべての者,逃亡して妻や子どもを教区に置き 去りにする身体が丈夫なすべての者,…44 上記から,「エジプシャン」と「ジプシー」,二つの呼称が重複していることが確 認できるが,18世紀初頭においても変わらず「ジプシー」は「浮浪者」として法律 上規定され続けていたとわかる。ここで,サラ・ニコラッソ(Sarah Nicolazzo)の 議論を取り上げる45。ニコラッソは,法律が定める「浮浪者」形態の変遷と,イン グランドの植民地統治,奴隷制,労働者管理,警察権力など,18世紀から19世紀初 頭にかけての政治的・経済的・文化的転換との関連性を論じた。そしてニコラッソ は,18世紀の「浮浪者」取り締まりにおける「ジプシー」に関する条項が果たした 政治的役割について言及している。彼女はまず,18世紀の「浮浪者」を取り締まる 法律において,特定の「人種」集団である「ジプシー」が規定されていたことに注 目し,初期の「浮浪者」を取り締まる法律において「浮浪者」が「人種」によって 特徴づけられていたとした。そしてその特徴が,植民地であるアメリカにおいて, 「人種」主義的でありながら概念的に柔軟性のある,司法で管理された空間を生み出 すための手段として有効に機能していたと指摘した46。つまり,18世紀の植民地統 治において,「ジプシー」が「浮浪者」として規定された「浮浪者」を取り締まる法 律は,概念的に「人種」の管理を正当化する空間を作り出す機能を果たしていた。 結論 16世紀以来,「ジプシー」は法律上「浮浪者」という枠組みに含められてきた。当 初は,国内の治安維持を脅かしかねない不穏分子を統制する目的から「浮浪者」と 定義された。国内の治安維持という目的がまず先行して形作られた「浮浪者」取締 法(1597年)は,「ジプシー」を取り締まる目的が16世紀末の政情と関連していた ため,当初想定された「ジプシー」取り締まりの必要性が低くなった後,「ジプシー」 取り締まりの作用があいまいになっていったと考えられる。時代が下って18世紀に

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なると,未だ「浮浪者」という枠組みに含まれていた「ジプシー」は,「人種」とい う特徴に政治的意義を見出された。というのも「ジプシー」は,「浮浪者」を取り締 まる法律を,概念的に「人種」の管理を正当化する空間を作り出すものとして機能 させ,植民地統治において政治的役割を担ったとされる。そして19世紀初頭の国内 伝道師団体による福音主義伝道活動においても,「ジプシー」の「人種」としての特 徴に焦点が当てられた。その「人種」という特徴は,「浮浪者」として罰則対象とさ れ続けた「ジプシー」に対する布教を正当化させ,アメリカでの福音主義の伝道活 動も正当化させることに利用された。「ジプシー」は,「浮浪者」として規定された 当初から政治的な思惑に左右されてきた。福音主義の伝道活動によってキリスト教 による近代化した画一的な社会の形成の必要性が主張された時代においても,「浮 浪者」という枠組みに含まれていた「ジプシー」は,その伝道活動の正当性を示す ために利用されたといえる。 1 ジプシーという呼称は,現在,日本を含む多くの地域では差別的だとして使用が控えられ ている場合が多い。本稿は,19世紀以前のイングランドをフィールドとしており,当時の 法律,公文書,私文書等においてはジプシーという呼称が広く使用されていたため,ジプ シーという呼称を使用している。なお,本稿ではいわゆる「エジプシャン」取締法(1530 年)以降に制定された法律に関する記述においては,「ジプシー」あるいは「エジプシャ ン」のように括弧付きで表記する。ちなみに,本文の後述からわかるように,この註 1 を付けた「ジプシー」は正確には「エジプシャン」と表記するのが適切だが,本稿の目的 を簡潔に示すために「ジプシー」と記した。 2 福音主義とは,18世紀初め以降にイングランド国教会内外で起こったキリスト教再生運動の ことで,その大きな特徴は「聖書の尊重,及び布教活動の重視」である(並河葉子「十九世 紀イギリスにおける福音主義キリスト教と商業」『待兼山論叢・史学篇』(28),1994, 注1.)。 3 Hancock, Ian, The Pariah Syndrome. Michigan, Karoma, 2nd ed., 1988, 7.

4 例えば,14世紀,現在のルーマニア南部にあったワラキア公国とモルドヴァ公国では,彼 らは組織的に奴隷として扱われた(Fraser, Angus, The Gypsies, Oxford, Blackwell, 2nd ed., 1992, 1997, 57.)。

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Metamor-phosed , ELH, vol. 68(4), Winter 2001, 763–793, 775–776.

6 「一つ。 4 月22日。エジプシャンに。国王の命令より。10フランシェ・クロニ。合計 7 ポンド。」(Anonymous, Accounts of the Lord High Treasurer of Scotland, ed. Sir James Balfour Paul, vol. III(A.D. 1506–1507),Edinburgh, H. M. General Register House, 1901, 136.)

7 cf. Cressy, David, Gypsies: An English History, Oxford, Oxford University Press, 2018, x. 8 Fraser, 113.

9 Fraser, 113. cf. Rid, Samuel, The Art of Juggling or Legerdemain, London, 1612.

10 表の「概要」は,ターナーの「制定法索引」を参考にしている。なお,「概要」の括弧内 の「エジプシャン」あるいは「ジプシー」に関する内容は,筆者によって書き足したもの である(Turner, C. J. Ribton, A History of Vagrants and Vagrancy and Beggars and Begging, Lon-don, Chapman and Hall, 1887, 675–690.)。

11 Mayall, David, Gypsy-travellers in Ninettenth-Century Sosiety, Cambridge, Cambridge University Press, 1988.

12 Mayall, Gypsy-travellers, 97–129. 13 Mayall, Gypsy-travellers, 125–129. 14 Mayall, Gypsy-travellers, 125.

15 ジプシーの歴史研究には,特にマジョリティによるジプシー概念の形成の歴史に注目した も の も あ る。cf. Willems, Wim, In Search of the True Gypsy; From Enlightenment to Final Solu-tion, New York, Routledge, 1997; 水谷驍『ジプシー史再考』柘植書房新社,2018.

16 Highmore, Anthony, Philanthropia Metropolitana: A View of the Charitable Institutions Estab-lished in and near London Chiefly during the Last Twelve Years, London, 1822.

ちなみに,ハイモアが国内伝道師団体に所属しているように見えるが,ハイモアが国内伝 道師団体に所属していたことは確認できない。そのため,ハイモアはあくまで紹介者であ ると認識して,国内伝道師団体の活動内容を検討する。

17 Highmore, Anthony, A Treatise on the Law of Idiocy and Lunacy, London, 1807. 18 Mayall, Gypsy-travellers, 104–105.

19 Highmore, Philanthropia Metropolitana, 160–161. 20 「ホッテントット」は古い表現で,侮辱的だとされる。

現代では「コイコイ人」(Khoekhoe)という表現が一般的である。http://www.oed.com/view/ Entry/88829?rskey=MytExG&result=1&isAdvanced=false#eid(2019年 4 月27日最終閲覧) 21 Highmore, Philanthropia Metropolitana, 160–161.

22 「浮浪者」取り締まりの実効性の問い直しや,「浮浪者」の排除ではなく更正を検討しよう とする見方は,1834年の救貧法改正のための委員会において具体的に議論されている。委

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員会報告書付録(E)の編纂を担当した副委員であるハリソン・ゴードン・コッド(Harri-son Gordon Codd)は,初期の「浮浪者」取締法の,厳罰で浮浪を抑え込もうとした方法は 失敗だと指摘し,さらに「浮浪というものは実際のところ仕事としておこなわれており, それは儲からないものではない。そして,増大する厄介な負担は浮浪者を職業とする者か ら生じており,困窮状態が理由で生じているのではない。我々は,(浮浪という:引用者) 悪の原因だけでなく,その矯正に目を向けさせることが重要であるということの証明を ここに宣言する。」と言及した(Report from His Majesty s Commissioners for Inquiring into the Administration and Practical Operation of the Poor Laws, 1834, 191.)。

23 Highmore, Philanthropia Metropolitana, 165–166. 24 Mayall, Gypsy-travellers, 104–105. 25 一方,山本通によると,1780年代頃から推し進められた日曜学校設置の目的の一つは,「下 層労働者大衆を教会(堂)に引き戻す」ことだったとされる(山本通「イングランドの工 業化と宗教」『近代西欧の宗教と経済―歴史的研究―』同文舘出版株式会社,1996, 155–184, 177.)。 26 山本通『禁欲と改善―近代資本主義形成の精神的支柱―』神奈川大学経済貿易研究叢書 (29),晃洋書房,2017, 146. 27 山本『禁欲と改善』,151. メソディズムは,ジョン・ウェズリー(John Wesley)とチャー ルズ・ウェズリー(Charles Wesley)兄弟を中心に興された主張である。 28 山本『禁欲と改善』,151.

29 並河,83; Neil, Stephen, A History of Christian Missions, Harmondsworth, Penguin Books, 1964, 207–221. 19世紀半ばには,非国教徒の大半は福音主義者であったとされる。また,イング ランド国教会の福音主義者は200万から300万人で,イングランドおよびウェールズの総 人口の一割強が福音主義者であったとされる(山本『禁欲と改善』,126)。イングランド 国内での福音主義の影響力は大きく,またヨーロッパのキリスト教界においても福音主 義の影響が広まり,国内外で積極的に展開されるようになる(並河,83.)。 30 塚田理『イングランドの宗教―アングリカニズムの歴史とその特質』教文館,2006, 362–363. 31 塚田,362–363. 32 並河,83. 33 並河,83–84.

34 Stanley, Brian, Commerce and Christianity : Providence Theory, the Missionary Movement, and the Imperialism of Free Trade, 1842–60 , The Historical Journal, vol. 26(1), 71–94, Cambridge University Press, 1983.

35 並河,85.

36 並河,85; Stanley, 72–76. 37 並河,86.

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38 Mayall, Gypsy-travellers, 125–129.

39 ここでいう「放浪者」は,国内の治安を乱しかねない反乱分子を指すと考えられる。 40 Turner, 102.

41 Turner, 103; Strype, John, Annals of the reformation and establishment of religion, and other vari-ous occurrences in the Church of England, New ed., vol. I (II), Oxford, Clarendon Press, 1824, 295. 引用部分の「ならず者」と「エジプシャン」はイタリック体で強調されている。 42 Fraser, 132.

43 39 Elizabeth I c. 4 44 13 Anne c. 26

45 Nicolazzo, Sarah, Vagrant Figures: Law, Labor, and Refusal in the Eighteenth-Century Atlantic World , Publicly Accessible Penn Dissertations, 1386, the University of Pennsylvania, 2014. ニコラッソは,18世紀以降,法律によって規定される「浮浪者」は新しい意味を持つよう になったとし,その背景には,労働者が経済的価値観の中核を担う存在になったこと,新 興の懲罰機関が犯罪の更正方法として労働を掲げたこと,そして奴隷労働に対する自由 労働の定義に関する議論が緊急性を増していたこと,この三つが関係していると指摘し, 「浮浪者」形態の変遷の分析を通して,近代イングランド社会が追求した経済的合理性の 形を立体的に示そうとした。 46 Nicolazzo, 150–151. 参考文献等

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