産業カウンセリング研究 2020年 第22巻 第1号 25-28 The Japanese Industrial Counseling 2020 Vol.22 (1) 25-28
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書評
『社会正義のキャリア支援-個人の支援から
個を取り巻く社会に広がる支援へ』
下村英雄著,図書文化社,2020年 吉川 雅也(関西外国語大学) 1.本書の目的 本書の目的は,社会正義という観点から日々の活 動を振り返り,クライエントのため,よりよい社会 の実現のため,各々ができることを行っていく,そ の手助けをしてくれるものである。対象はもちろん キャリア支援に関心を持つ全ての人である。 社会正義とは何か。これを腑に落とすには本書を じっくりと読む必要があるが,実はキャリア支援に 関心を持つ人には社会正義を感覚的に理解する手が かりがある。キャリア支援に関心を持つ人は,自分 自身や身近な存在の誰かがキャリアに悩んだという 経験を持つことが多い。そして個人としてのキャリ アの悩みだけでなく,個人の悩みの向こうに見え隠 れする社会の問題にも関心を持ち,なんとかしたい と思ったからこそキャリア支援に関心を持ったのだ と著者は指摘する。個人への支援を越えて社会にア プローチしようと思うこと,これが社会正義で重要 な姿勢のひとつである。私たちはキャリア支援とい う仕事に出会った,あるいは関心を持った,その根 幹の部分で社会正義の萌芽を経験していたのかもし れない。 そう考えると社会正義の概念はキャリア支援に関 心を持つ人には理解しやすい概念であり,また初心 を思い出させてくれるものだともいえるだろう。し かし社会の問題にアプローチするといってもその範 囲はあまりに広く,どこから手を付けていけばよい のか不安になってしまう。その問いに答えようとす る,あるいはその問いに私たちが挑むことを後押し してくれるのが本書である。 2.本書の構成と内容 本書の構成は次のとおりである。序章は社会正義 の概要説明で,世界的な潮流やその意義についての 説明がなされている。続く第1章から第3章では,社 会正義のキャリア支援の理論的源流として,①欧州 キャリアガイダンス論,②多文化キャリアカウンセ リング論,③社会正義のカウンセリング論の3つが 解説される。第4章から第6章では,日本において実 行に移しやすい実践の指針として,①深い意味での カウンセリング,②エンパワメント,③アドボカシ ーという3つが取り上げられる。終章で伝えられる のは社会正義の実践におけるスタンスの重要性であ る。社会正義のキャリア支援に関して導入から理論, そして実践まで導く構成になっており,理論書でも あり同時に実践の手引き書でもある点も本書の特徴 といえるだろう。 (1) 社会正義のキャリア支援とは何か(序章) 社会正義は昨今,国際キャリア教育学会や全米キ ャリア発達学会などの世界的な学会の大会で毎回の ように扱われるテーマのひとつなのだという。日本 のキャリア関連学会では評者の知る限り社会正義と いう言葉を見かけた記憶はない。よく出てくるテー マはナラティブや社会構成主義,キャリア教育,組 織開発,あるいはメンタルヘルスなどであろうか。 今後は日本においてもこうしたキーワードと並ぶ大 会テーマの常連ともいうべき概念になっていくのか もしれない。 社会正義はキャリア支援の理論としては比較的新 しい概念であるが,本質的には本来のキャリア支援 が目指すものと変わりはないという。つまり,いず れも問題に直面して困っている人を支援するものだ ということである。しかし社会正義のキャリア支援 が対象として想定されている人たちが特徴的で,国 際キャリア教育学会の声明では「普通とは違う進路 に進む人」,「非主流の集団に属している人」,「社会 の辺縁に置かれている人」,「容易にはガイダンスや 支援を受けられない人」など(pp.27-28)が挙げら れている。こうした例示から徐々に社会正義の輪郭 がみえてくるだろう。困っている人の支援という点 では変わらないが,どちらかというと少数派,非主 流の人たち,本人には責があると言い難い社会の仕- 26 - 組みや経済状況などによって苦しんでいる人たちへ の支援にこそ力を注いでいこうとする姿勢である。 (2) 社会正義のキャリア支援を理解するための理論 的背景(第1章~第3章) 第1章では社会正義のキャリア支援につながる3つ の理論的源流のひとつ,欧州キャリアガイダンス論 が取り上げられる。その中心的な人物がトニー・ワ ッツである。ワッツは「従来,個人に焦点を充てた 心理学的な領域であったキャリアガイダンスの領域 を,より広く,社会,経済,教育を含めた政策科学 的な領域に拡大(p.60)」させ,欧州キャリアガイダ ンス論のみならず,社会正義のキャリア支援へとつ ながる流れを作った存在である。社会正義のキャリ ア支援の基本は個人よりも社会にフォーカスを当て た支援だということが端的にわかるだろう。 日本ではアメリカ発のキャリア理論が浸透してい るが,ドナルド・E・スーパーのキャリア発達理論 に代表されるように,欧州の理論と比べると個人に フォーカスした心理学的な支援という特徴を持つ。 個人が自ら努力してキャリアをつくりあげていくこ とも重要だが,行きすぎると個人に責任を求める方 向に陥りがちであると著者は指摘する。欧州キャリ アガイダンス論がもつ「個人を対象とするのではな く社会に働きかけ,社会をより良いものにすること で,問題を解決しようとする考え方」(p.65)にも 触れることは,キャリア支援に関わる人にとっての 車の両輪のようなものなのかもしれない。 第2章は多文化キャリアカウンセリング論として 異文化キャリアアセスメント,LGBTのキャリアカ ウンセリング,東洋のキャリアカウンセリングなど 多様なテーマや概念が取り上げられており,キャリ アカウンセリングの展開の多様性や実践の幅の広が りを感じることができる。例えばブルースティンは 労働者階級や貧困層を「忘れられた半分」と名付け, 目標や計画を立て自己実現に取り組むといった,社 会階層の上位層では当然のこととして認識されてい ることが共有されていないことを指摘する(pp.143-149)。日本では海外の他国ほど社会階層を意識する 機会は少ないかもしれないが,存在しないわけでは ない。こうした指摘に気付かされることも多いだろ う。 そもそも多文化キャリアカウンセリング論の端緒 は1990年代,メアリー・スー・リチャードソンによ るスーパーのキャリア発達理論の批判であった。ス ーパーの理論はあくまでアメリカ白人男性ホワイト カラーを前提としたものであると指摘し,こうした 単一の価値を前提としたモデルを乗り越えるため, 構築主義・構成主義的なアプローチが有効だとした。 こうした理論的背景からサヴィカスのキャリア構築 理論も多文化キャリアカウンセリングの枠組みに含 まれる。クライエントの語りをベースにし,クライ エント本人にとってのよいキャリアを模索していく プロセスが多文化キャリアカウンセリングに適して いるのだという。 このようにキャリアカウンセリングで様々な価値 観が尊重されていくことは好ましいことだが,それ ぞれの価値観の間での分断,つまり「当事者ではな いからわからない」,「当事者以外は口を出せない」 といった相対化を引き起こしてしまうと著者は指摘 する。そうではなく,どのような価値観を持つ少数 者にとっても等しく公正な世界を作っていこうと協 力しあおうとするムーブメントが必要となる。だか らこそ多文化キャリアカウンセリングはその枠組み を超え,社会正義のキャリア支援へと発展を遂げる 必然があったのだろう。 第3章の冒頭では,社会正義の概念はカウンセリ ング研究においても取り扱われることが増えてきて いることが述べられる。アメリカにおける従来のカ ウンセリング研究は白人中心の単一文化を前提とし たものである一方,アメリカの人口構成は様々な人 種による多文化に変化しつつあり,従来の知見が当 てはまらなくなってきた(p.165)ことが多文化カウン セリングの広がりのきっかけとなった。さらに多様 な文化をもつクライエントを単に理解するだけでな く,そうしたクライエントの状況を変えていく積極 的な関わりへと,つまり社会正義のカウンセリング へと発展していった。 多文化・社会正義のカウンセリングは日本におい ても重要なもので,キャリア支援のなかで人種の問 題が出てくることは確実に存在する。また女性, LGBT,疾病を抱えた人のキャリアなど,個別に注 目されつつある領域が増えてきている。多文化とい うと海外の文化をイメージしがちだが,日本国内に おける多様性も多文化として認識し,そして状況を 変えるべく社会にアプローチしようとする社会正義 の観点を持つことも必要である。 (3) 社会正義のキャリア支援を実践するために(第 4章~第6章) こうした社会正義の実現に向け,私たちにはどの ような実践が可能なのだろうか。ポープは社会正義 の実践リストとして14項目を整理(p.201-202)してい るが,本書はこれを日本において実践しやすい形式
- 27 - に整理し,3つのプラクティスを提示している。 第4章ではひとつめのプラクティスとして「(深い 意味での)カウンセリング」が取り上げられる。社 会正義のキャリア支援では社会へのアプローチとい う視点が重視されがちではあるが,従来の支援と同 様,「傾聴を基本とし,クライエントを受容,共感 するカウンセリング(p.205)」が大前提であることに は違いはない。そのうえで,相談室の中でカウンセ ラーがクライエントという個人に対して共感するだ けに留まるのではなく,そのクライエントを取り巻 く社会構造や経済情勢を含めてクライエントを理解 しようとすることが重要だとする。クライエントが 抱える悩みを社会の問題としても捉えることは,い わば「外在化」のような効果をもたらすかもしれな い。そうしたカウンセラーの関わりを通して,クラ イエントはあたかも社会の側が自分の存在や悩みを 承認してくれたように感じるのではないだろうか。 第5章では2つめのプラクティスとして「エンパワ メント」が取り上げられている。ここでいうエンパ ワメントとはクライエントが「自己決定の力をつけ ること(p.250)」を意味している。事例としてDVに 見舞われシングルマザーとなった女性がキャリアカ ウンセリングを経て自立していくケースが紹介され ている。その女性は一時保護や生活保護の制度,ま た離婚に向けて法テラスなどを利用し,最終的に生 活の自立を目指して仕事を探していくわけだが,こ のように様々なリソースにアクセスする力を身につ けること,そして将来に向けての自己決定を行える ように支援していくことがエンパワメントである。 特にキャリアカウンセラーは支援の最終段階を担う 「アンカー」としての役割を持つ存在だと指摘され ており,クライエントの自立に向けて一際責任のあ るポジションだといえるだろう。 また日本では欧米ほど重視されていないが,職業 スキルやライフスキル(掃除をする,貯金をする, パソコンを操作するなど)が身につけられるよう関 わることも重要なエンパワメントである。むしろ海 外では「人のキャリアの問題をスキルの問題として シンプルに捉える見方(p.271)」が主流だという。評 者は大学のキャリア教育の中でビジネスマナーやIT スキルを教えることがある。将来ビジョンを描いた り自らの価値観を言語化したりすることに比べると 即物的にすぎるのではないかと不安に駆られること もあるが,こうしたスキル面の支援も社会正義の観 点から必要なエンパワメントだということに勇気づ けられる思いである。 第6章では3つめのプラクティスとして「アドボカ シー」が説明される。アドボカシーとは「代弁する」 という意味であるが,ブラウンによると「カウンセ リングやコンサルテーションと同じくエンパワメン トの1つである」とともに「クライエントにかわっ て主役になる(p.292)」ことだという。クライエン トにかわって行動するというと,それはクライエン トの主体性を損なうのではないかと不安になるかも しれない。しかし社会正義のキャリア支援では自ら 声を上げることが難しいクライエントに変わって行 動を起こすことも選択肢となる。これは組織に関わ るキャリア支援者には比較的理解しやすいのではな いだろうか。企業や団体から請われてキャリアカウ ンセリングを行う場合,従業員個人に対してキャリ アカウンセリングを行いながら,その中で見えてく る組織の課題に対してマネジメント層を通してアプ ローチするといったことは,すでに多くの現場で行 われていることであろう。このように考えると私た ちの日々の仕事の中でアドボカシーを実践する余地 は大いにあるように思われる。 (4) スタンスの重要性(終章) 終章は「社会正義の実現に向けて」と題し,社会 正義のキャリア支援を実践するうえではスタンスが 大事だということが述べられている。3つのプラク ティスでは様々な実践の指針が語られたが,社会正 義のアプローチといった新たな体系が論じられたわ けではない。これは社会正義が理論的なアプローチ という側面が強いからだと著者は指摘する。 確 か に 「( 深 い 意 味 で の ) カ ウ ン セ リ ン グ 」 や 「エンパワメント」などは,これまでもキャリアカ ウンセリングの中で行われてきたものだといえる。 では何が違うのかというと,すでに存在する方法を, どのような考え方,つまりスタンスで実践するかな のだと著者はいう。ここで思い出されるのが,下村 (2015)において,特性因子論的なアセスメントを行 いながらも,クライエントの反応によってキャリア 発達理論に基づいた展開,あるいはキャリア構築理 論に即した関わりが可能であると述べられたくだり である(下村, 2015; pp.22-24)。これはキャリア支 援の方法とスタンスを区別することで有益な支援が できる可能性があることを示しているもので,社会 正義のキャリア支援というスタンスの重要性を論じ る本章の内容と通じるものである。近年の著作を通 じて,著者はキャリア支援者のスタンスの重要性を 重ねて説いてきたのかもしれない。昨日までと同じ ような取り組みをしていたとしても,そこに社会正 義のスタンスを取り入れることで,その意味や展開
- 28 - 方法が変わってくることがあるだろう。そう思うと 私たちにはまだまだやれることがたくさんある。 3. 本書の意義 本書はおそらく日本で初めて社会正義とキャリア 支援の関係を正面から議論したものである。下村 (2013)でも社会全体にアプローチする欧州の政策的 な視点や社会的公正に触れられているが,中心的な 議論ではなかった。著者が本書刊行前に全国で社会 正義に関する講演を行ってきたことも含めて考える と,日本における社会正義とキャリア支援のパイオ ニアとしての意義は極めて大きいといえるだろう。 今後,本書が起点となり,国内の学会や研究会だけ でなくキャリア支援者同士の勉強会などにおいて, 社会正義のキャリア支援に関する議論や実践報告や 情報共有などが進んでいくことが大いに期待される。 次に理論書としての意義である。アメリカの理論 が主流であった日本のキャリアカウンセリングの分 野において,欧州を中心として世界の理論を概観し た本書は最新のキャリア支援理論の概説書としての 意義も大きい。またそうした理論が系統的に理解で きる構成になっていることにも着目したい。今後, 本書は資格取得を目指す人,あるいは継続的に学び を続ける全ての人にとって新しいテキストのひとつ になるのではないだろうか。私自身の経験でいえば, 最初に民間キャリアコンサルタントの資格を取得し た直後,スーパー,ホランド,クランボルツ,シャ インらのことが単に知識として横並びで頭に入って おり,これが系統的に理解できるようになったのは 何年も経ってからである。資格取得当時,本書のよ うなテキストがあれば理論の理解や実践への活用に も有用だったことだろう。 最後に実践の手引き書としての意義である。社会 正義という概念によって,私たちは日々の活動を捉 え直し,その幅を広げていくことができる。キャリ ア支援の実践者であれば本書を読みながら「自分の 分野ならこういうことができるのではないか」と発 想が広がることだろう。キャリア支援者の挑戦心や 好奇心を呼び起こす一冊である。本書を通読したあ とは,それぞれの興味や関心に応じて必要な部分を 再読していくのもよいのではないだろうか。そのよ うにして自分の領域で少しずつ実践に移していくこ とが著者の望むところであるように思う。 本書評が紹介できたのは本書の魅力のごく一部で しかない。ぜひ実際に本書を手に取り,多くの研究 者の議論や理論の展開を楽しみ,そこから何かを感 じ取っていただきたい。 4. 今後の期待 本書および社会正義のキャリア支援について,今 後の展開や期待を述べておきたい。社会正義のキャ リア支援に関しては本邦初のものであるがゆえに, 今後,この分野にどのような研究や実践が続いてい くのかが重要である。例えばキャリア教育やメンタ ルヘルス,社会構成主義や認知行動療法といったテ ーマであれば,理論書のみならず実践事例集やワー クシートが多く存在する。今後,社会正義というス タンスで行われた様々な事例や資料が共有されてい くことは,社会正義のキャリア支援に取り組む人を 勇気づけ,社会正義を日本に定着させていくものに なるだろう。 本書が発刊された2020年2月は,COVID-19によ って私たちの社会や日常が大きく変化しはじめた時 期であった。本書評を執筆している7月時点でも社 会としての着地点が見出された様子はない。しかし ながら社会のあり方が変わり,社会との関わり方を 見つめなおすべき時期だからこそ,社会正義という 視点を得たことは大きな意味があるのではないだろ うか。どのような意味を持つのか,またそこからど のような取り組みが生まれるのか,それは様々であ ろう。ここで本書冒頭の一文を振り返りたい。 「自分の持ち場で,自分ができる範囲で,自分なり に,社会正義の実現に貢献する(p.1)」 キャリア支援に関心を持つ仲間を信じ,共に取り 組もうと語りかける著者の視線が感じられるかのよ うなフレーズである。様々な立場,様々な価値観か ら,それぞれが社会正義だと信じる取り組みが生ま れ,対話し協力していくことができれば,それもま た多文化・社会正義的なものなのではないだろうか。 参考文献 下村英雄(2013) 成人キャリア発達とキャリアガイ ダンス-成人キャリア・コンサルティングの 理論的・実践的・政策的基盤- 労働政策研 究・研修機構 下村英雄(2015) コンストラクション系のキャリア 理論の根底に流れる問題意識と思想 渡部昌 平編著 社会構成主義キャリア・カウンセリ ングの理論と実践 福村出版 pp.10-43.