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カフ力のぎくしゃくした身振りについて : オスカ-・ポラックへの手紙

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(1)カ フカの ぎ く しゃく した身振 りにつ いて 一一 オスカー ・ ポラ ックヘ の手 紙一一 アヴェナ リウスとポラック (手 紙 1.)・ 窓とザイル (手 紙 7.9。 ) 「 の っぽ」の身辺報告 (手 紙 5。 )0「 書 くこと」について (手 紙. 6.11。 ). 一 予. 本. 野. カ フカが1902年 か ら1904年 まで のあいだに,19才 か ら21才 までのあいだ に. ,. オ ス カ ー ・ ポ ラックに あて た手紙 は,そ の11通 が全 集「書 簡 」 に収 め られ て い る。カ フカはポ ラ ックとともに1893年 プ ラハ のギ ム ナ ジ ウムに入学 して. ,. 8年 す ごし,1901年 にはや は り二 人 い っ しよに,プ ラハ の ドイツ大学 にすす んだ 。手紙 はだか ら大学在学 中 (1901∼ 1906)の もので あ るが,マ ックス・ ブ ロー トとの ばあい とちが って ,ポ ラ ックとのば あ い生 涯 の友 と云 った接触 はない。手紙 が終 った あた りまでが この二 人 の友情 の期間 と云 って よい。 大学時代 にはカ フカは まだ作品を公表 して はいない。書 いた もの と して は. ,. ポ ラ ックあての手紙 に詩 が一篇見 出され るほか,現 存す る比較的長 い手 記 ふ うの散文草稿 「 あ る戦 いの記 述」 (A稿 ,B稿 )の 執筆年代 につ いて, この 大学時代を中心 にい くつ かの推定 が行 われて い る。 ま とま った もの はほか に はない。. 1)全 集「書 簡 」F.Kafka,Briefe 1902-1924, New York/(Frankfurt/M.1958) (Gesammelte Werke,hg.v.Max Brod)。. (略 Br). オス カー・ ポ ラック OSkar P01lak(1883-1915)は , ヵフカが生 れたの と同 年 にプ ラハ で生 れ た。大学 ではまづ 化学 を , そ して哲 学 , 考古学 をお さめ,さ い ご に芸 術学 に 目標 を さだめた。 卒業 のの ち芸 術史家 と して ロー マ にお もむ き, と くに ロー マ のバ ロ ック 芸 術研究 に専心す る。 第一次大戦 の勃発 とともに志願 兵 と して従 軍 , 1915年 6月 11日 イ ソ ンツオ戦 線 で 斃 れ た。 わず か32才 であ る。業 績 の うち「 教 皇 ウルバ ヌス八 世治下 の芸 術活動 」 が 1928-31年 , ウ ィー ンで 出版 され FK)に た (Br S.496)。 M.BrOd,も ber Franz Kafka,Frankfurt/M.1966(略 お さめ られ た Franz Kafka・ Eine Blographie(邦 訳 辻F星 ・ 薔尾鴻一 郎訳 フ ラ ンッ・ カフカ みすず 書房 1955)は , ふ た りの交渉 を 回想的 に記述 して い る. (FK S.54-59)。.

(2) ゴ5δ. カフカの ぎくしゃくした身振 りにつ いて. 全 集「書 簡」 は1902年 か らは じま り,こ の年 ポ ラ ックあての もの 5通 ,19 03年 4通 ,1904年 2通 の 計11通 で あ るが,1902年 と1903年 は ポ ラックあての もの しか な く,1904年 にな って マ ックス ・ ブ ロー トあ ての ものが姿 をあ らわ す。いづ れ にせ よ これ は,ご く短期間 の,相 手 の応答 の あ るな しにかかわ ら ず一方 的 な,結 局 は 自問 自答 的な,ひ と り相撲 の友情 の記 録 で あ る。不 安定 な カ フカは,出 没す る形 象 にたい して,ぎ こちな い動作 で,あ るいは これを 内部 か らつ かみ 出 しあ るいは外部 にむか って これ に追尾す るふ うで あ るが,内 部 に手 を突込 む と云 い外部 に手 を差 しの べ ると云 って も,形 象 との関係位置や 距離 は さだかで はない 。不安定 で 浮遊 す る者 カ フカは,こ の11通 の手紙 のな. かで,友 情の誕生を待望 し共同体への参加を祈念 しながら,「『書 くこと』に よるコ ミュニケーション」論の構図を,乱 雑 に書き散 らしているかのよ うだ。 ア ヴ ェ ナ リウ ス と ポ ラ ッ ク (手 紙. 1。. ). カ フカはポ ラ ックにすすめ られ て ,ア ヴ エ リウスの編集す る半 月刊誌「芸 術守護者」 を,1900年 ごろか ら1904年 中 ごろまで ,購 読 して いた。1887年 10 月 の創刊 に あたつ て ニ ー チ ェの 激励を受 けた とい うこの雑 誌 は と くに青年層 に支持 され たのだが,編 集者 に とって世紀末 の芸術 とは,不 自然 で おおげ さ な文 体 ・様 式 を用 いて 効果 をお さめた文学 ・芸術 的雑文趣 味 の産物 で あ り. ,. これ にたい して い きい き した探究精神 を もって ,「 純潔 な根源性」 (ア ヴ ェナ. 2)こ れ らの手紙 はその大部 分 かれの 手 によ る 日付 けがな い。 た また ま封 筒が残 って いて 消印が判読 で き るばあいは これを 日付 けに用 い るか, さもな けれ ば内容 によ って 推定 した ,時 には執 筆 の年 がわか らぬ もの もあ る。いづ れ にせ よ手紙 の配 列 に は最善 を つ くした と云 うよ りほか はな い,と 編 者 は云 う (Br s・ 495)。 また,い くつ かの省略個所 が あ る ことを , 理 由を あげまたは 理 由を あげ な いで編者 は こ と わ って い る (Br Anmo S.4961902(1)(4), Anm.S.4971903(1))。 ほか に これ も理 由はわか らな いが,FK S.57と S.57-58に 引用 されて い るカフカの ポ ラ ックあての手 紙 は,Brに は収 め られ て はいな い (Vgl.Ko Wagenbach,Franz Kafkao Eine Biographie seiner Jugend 1883-1912, Bern 1958。 (FIIW)S.201 Anm.178)。 以下 の記述 で Br所 収 の手 紙 は,い ちお う配列順 に番 号を付 けて (手 紙 1-手 紙 11)弓 1用 す る ことと した。 ,. 3) Ferdinand Avenarius(1856_-1923)。 Der Kunstwart― 一― Halbmonatsschau tiber E)ichtung, Theater, Musik, bildende und angewandte Ktinste..

(3) ゴ5/. 本 野 亨 一. リウス)を もって,立 ちむか い,「 ドイツ的 な ものの純粋 さ」を擁護す る こ と が, この雑誌 の 使命 で あ るとされ た。ホ ル ツ,ゲ オ ル ゲ ,ホ ー フマ ンス ター ル,ヘ ッペル が讃美 の対象 とな り, 同時 に民 間伝承 と 自然. (「. 農民 た ちの居. 間」 と「 自然」)に たいす る文 明謳歌 的 ・芸術 的 な,思 慮 を欠 いた介入 ・ 乱入 が きび しくい ま しめ られた。 「 基盤 を, す なわ ち真 の生 を, よ りふか く堀 り 4). 下 げ よ り厚 く壁 で 取 りか こむ こ とが要請 され て い る。」 (ア ヴ ェ ナ リウ ス ). 4)こ の項は WS.102-106に よる。 Wagenbachは さらに,. この雑誌 は, ドイツ 的 な純粋 さの 追究を説 くにあたって 本質的 には ドイツの文学 ・芸術 しか素材 と し て取 りあげない, という狭少な視野 しか持ちあわせていなか ったか ら, きわめて 一面的な ドィッ心酔, ドイツかぶれへ の傾きは避けられず,「 農民 たちの居間」 と 「 自然」とい う基盤 も,「 ゲルマン民族へ の近距離」と「千年 の年を重ねた神話」へ の一歩手前であ り,そ して,「 深 さ」をもとめるきび しさと嗜好 は,む やみやた ら に深 い ものにいきつ くにす ぎず, 単純・簡素 であ りたいという念願は,平 板 さと 折喪主義の混合物 とな っておわることとな った,と 評価 している。 「 アヴェナ リウスは抒情詩の作家 としてではな く,雑 誌「 芸術守護者」の創設 各種詞華集 の編集, そ して画集の 出版 で知 られ た人である。 民衆教化を目指す活 動家であり,一 般人の趣味の向上を念願 とした。その出発点はF美 のあらゆ る分野 の展望」を試みる雑誌「 芸術守護者」 の発刊 で あ った。 」 (Albert Soerge1/Kurt Hohoff,Dichtung und Dichter der Zeit,IBd.DusseldOrf 1961。 S.232) 「 アヴェナ リウスは一― その成果 よりもその 意図にお いて 偉大 な一―抒情詩 な らびに ドラマの作家 であったが, 極 めて正当であ りかつ 高 い評価 に値す るかれ の 努力 も,極 端 なお説教句調におちいりやす い 性癖 と折哀主義的態度に, しば しば わざわ いされている。 かれが抱 く美 の世界がもつ雑種性は, 自らすすんでではな く演 じられ る喜劇 とさしてかわ りがない ばあいもあって, これが時には鋼鉄 のふ りそそぐ雷雨に雨傘をひろげる愚行を うながす ことにもな ったのである。」 (Ernst Alker,Die Deutsche Literatur im 19。 Jahrhundert,Stuttgart 1962.S.669) アヴェナ リウスは,文 学史家 Adolf Bartels(1862-1945)が その「 現代 ドイ ツ文学」 (1893)で は じめて規定 した郷土文学 Heimatkunstと の関連 で,言 及 さ れることがある。 自然主義文学 とくらべて Heimatkunstは ,「 けん そんだが卒直 な」文学 であ り, 平板化 と画一化をね らうブル ジョア・ リベ ラ リズムと, 社会民 主主義 のイ ンターナ ショナ リズムにたいす る反撃の精神によ って支え られている と Bartelsは 云 う。だか ら Heimatkunstは さぃ しょか ら反動的性格を帯び,そ の 機関誌 Heimatは 19oO年 ,創 刊 の年 に早 くも Deutsche Heimatと 改 め られる。 それは「 郷土 とその固有の 生命, 自然 な らび に 人間の生命にたいする全面的な帰 依 と誠実な服従の芸術」 (Bartels)で あ った。 しか し間もな く BartelSの 主張は反 ユ ダヤ的傾 向を帯 び,30年 代 にな って, ドィツ芸術の国家社会主義的 「 浄化」 に 協力することとなるが,10年 代以前 に早 くもこの傾向が露呈す るに及んで,Bartels は「 芸術守護者」誌 の協力者 グループか ら, アヴェナ リウスによって, 避け られ て しまった。 しか し,Heimatkunst運 動 が, さい しょか ら政治的色彩を帯 びてい たとは云 いがたいに しても, それがヴ ィルヘルム帝国の国家権力 によって, 文学 的前衛 にたいす る, 帝国主義的・政治的 ス タイルの 格好 な文学的か くれみのとし て利用 された ことはた しかであ り, ことに第一 次大戦勃発前 には, 主 な定期刊行 物 と同 じように,Heimatkunstに 近 い 自立 したアヴェナ リウスの「芸術守護者」 ,. ,. n蹄営A轟す11鳳為鰍 驚 ∫J∬il胤 責韓服 説島五. r咄. -1910 Stuttgart 1970.S.XXXV肛 ― XLI). `.

(4) ゴ58. カフカのぎくしやくした身振 りにつ いて. ア ヴ ェナ リウスの雑誌 の 名前 は さい しよの手紙 1(1902年 )で 三 度 出て く るだけなのだが , それ は, この雑誌 の主 張 や編集方針. , ア ヴ ェナ リウスの. 考 え方 な どについての論議 や批判が話題 にな るの とは,ぜ んぜん べつ な文脈 のなかで ,で あ る。 この手紙 は,話 す こ とと書 くこ ととの コ ミュニ ケ ー シ ョ ンの ちが いが主題 で あ って,雑 誌 の名前 はお ちつ かない格好 の まま引 き合 い に 出 され た, とい う位置 にい る。「われわれが話 し合 って い るとき, 言葉 は 硬 い,ま るで補 装 の よ くな い歩 道 を歩 くよ うに して 言葉 の上 をわれわれ は歩 く。 どんなに繊 細 ・微妙 な事柄 で も足 を もた つ かせ るのだが ,そ れ はわれわ れ の責任 で はない。」会 話 が道路上 の歩行 にお きかえ られ て い る。「われわれ がかな らず しも歩道 の敷石 も し くは F芸 術守護者 」 で はな い事柄 を話題 に取 り上 げ ると,と つ ぜんわれわれ は,仮 面を着 けた仮装 のひ ととな りぎ くしゃ くした身振 りで反 応 (も ちろん ともあれ まづ この ぼ くの ほ うが,で す )を 示 して い る こ とに,気 が つ く,そ して また とつ ぜん ,わ れわれ は悲 しみを覚 え. ,. 疲労 を覚 え る。」 意志 の通 じ合 わ ぬ気 づ ま りな状態 と沈黙 。 はづ か しい とい う気持 と恐 怖 心 。誤解 と聞 きのが しと笑 い飛 ば し。失 望 し,気 げ んがわ るい。 「 ぼ くが,こ の 蜜 は甘 い ね,と 云 う,し か しぼそぼそ と,あ るいは拙劣 に. ,. あ るいは変 に気取 って ,だ か ら君 は云 う,き ょうはいい天気 だね,と 。」 そ し て い きつ く地点 は疲労 で あ る。 自分 に引き こ もった記 述 に筆者 は膠着 してい て ,解 決策 は頭 にはな く, しか もあ らぬ方 をむ いて コ ミュニ ケ ー シ ョンに執 心 して い るかの よ うだ。「 しか しか りにわれわれが こ うした こ とを書 こ うと 試 み るな らば,話 し合 いよ りは気 がか る くな るで あろ うに一一 は じらいはぜ んぜ ん忘れて,歩 道 の敷石 と F芸 術守護者」 の こ とが話せ るで あろ うに 。書 けば もつ といい ことが あ るのはた しか なのだ。手紙 はそれを もとめてい る。」 ア ヴ ェナ リウスの雑誌 の名前 は三 度 とも「歩 道 の敷石」 とな らんで 出て く る。疲労 にい きつ く歩行 の 日常風景 に,組 み入 れ られ てい るだけの こ とで あ 6). ろ うが,ア ヴ ェナ リウスの 「純潔 な根源性」 の痕跡 な どは, ここに は見 当 ら ば って ぎ ご ちな い ごつ ごつ した マ リオ ネ ッ ト方、うな動 きであ る。 6)WS.103,,keusche l」 rsprullglichkeit"ゃ り切 れ ない一 抹 の 奥気 を漂 わせ るキ ャ ッチ 0フ レー ズ 。. 5)Br S.9,,mit eckigen Gesten agieren"角.

(5) ゴ59. 本 野 亨 一. な い 。 ポ ラ ックが カ フカに ど うい うすす め方 を したのか,わ か らな いが ,ポ ラ ックに とって も,そ しておそ らくアヴ ェナ リウスにか りに接触が あ った と して も,カ フヵ とい う人 物 は「 ぎ くしゃ く した身振 り」 の仮装人物以外 の も ので はなか ったに ちが い な い 。マ ックス ・ ブ ロー トは,ポ ラ ックが 「 『 芸術守 7). 護者』誌の諸理論に傾倒 していた」と云うが,そ れ以上の詳述はない。だが ,. 8). や は リブロー トが 引用 して い る二 人 の 知人 の ポ ラック追悼文 を読む とき,精 力的 な美術史研究家 の お どろ くべ き学 問的精進 の姿や多方面 にわた る関心 に 触 れて ,も うよ くわか った, とわれわれ には満腹 して 後ず さ りす るで あ ろ う。 た しか に 自 らの精進 ・研究 その もの のなか に,ポ ラックはア ヴ ェナ リウス的 「 純潔 な根源性」を さ ぐりあてて いたに ちが い ない。 これが二 人 の接点 で あ っ たのか も しれ な い 。追悼文 の ポ ラ ック像 を見 て み よ う。 「 ……われわれ は朝早 くヴ ァテ ィカーナにお いて 彼 の 日焼 け した愛 想 の よ い顔 を見か け る こ とがあ ったが,焉 んぞ知 らん,彼 はそ の前 日遠 く距 た った ラテ ィウムの各 地 で バルベ リー ニ家 の別 壁寺 院 に就 きノー ト,陰 画 の類 を豊 富 に作成 して来 ていたので あ る。同様 な企画慾 を以て彼 は また書物 の 山 に取 り付 いた 。 曰 くフア ップ リカ 0デ ィ・サ ン・ ピエ トロの政庁所蔵 ,曰 くバル ベ リー ニ 図書 館所蔵 ,曰 く教 皇庁会計 院所蔵 ,或 はまた十七世紀 の稀観本. ,. 等 々。彼 は古 い時代 の商売 の仕方 に精 進 し,遥 か以前 に世 を去 った左 官 の親 方 や絵画 の 師匠 の文字 の書 き誤 りを看破 し,且 つ彼等 の商売訛 りを判読す る ことがで きた。 ……彼 は或 る政庁 に現存す る殆 ん ど速記 に もひ と しき記 録文 ・…」 書 の解読 を試 み,驚 嘆す べ き成 果 をあげた。 …. JoA.F.オ. ルバ ー ン. (新 チ ュー リヒ新 聞). 彼 の「趣 味 の豊 か さは尽 きる こ とを知 りませんで した。 しか し,い や し く も彼 が何 か に心 を提 え られ心 を奪 われ るときは,そ の一 つ の こ とに精魂を打 ち こんで 他 のす べ てを忘れ ,崇 拝者 とな り公告者 とな りま した。その よ うに して彼 は ウパ ニ シヤ ッ ドを研究 し,聖 書 を研究 し,ル ッタ ーを研究 し,ア ッ シジの フラ ンチ ェス コを研究 し,イ タ リアの ル ネ ッサ ンス期 の小説家 を研究. 7)FK S.54 8)FK S.55f。. 二っ の追 悼文 の 引用 は辻 ・斎 尾 訳 による。.

(6) カ フカの ぎ くしゃくした身振 りにつ いて. ゴδθ. しま した。 …… その よ うに して彼 は ラウテを弾 き,い ろい ろな スポー ッを行 い ま した。」 フー ゴー ・ベ ル クマ ン (ボ ヘ ミア紙 ) カ フカは手紙 で ポ ラックにむかい, 自分 の「書 くこ と」 につ いての胎動的 な思念 の,つ かみが たいが 強烈 な う ごめ きを,や は り「 ぎ くしゃ くした身振 りで」 伝 え よ うと してい るのだが,こ うした「書 くこ と」 にたいす るポ ラ ッ クの反 応 らしい ものを 察知 させ るよ うな個所 は,ま るでな い 。 ブ ロー トは云 う,カ フカによ ってかれの前 に提 出 され た書 きものを ポ ラ ックが どう受 け取 ったか ,驚 嘆 の念 に充 ちて棒立 ち にな ったか ど うか,私 は知 らな い 。 ポ ラ ッ クの 関心領域 は,カ フカの幻想 的 な小世界 ,あ の ころ には と くに気 ま ぐれ に 生 れ た ものの感触 を もった この小世界 か らは,お そ らくい くらか遠 い もので あ った と思 う,ポ ラ ックは間 もな く,大 い な るもの,学 問的 な法則 の支配 す 9). る領域 に引 きつ け られ ,プ ラハ を立 ち去 ったので あ る,と 。. ワーゲ ンバ ッ. ハ も これ とおな じ方 向 で , 友情 の推移 を まとめ る,「 遠 ざか ったの はおそ ら くポ ラ ックのほ うか らだ ったので あろ う,研 究態度 は きび し く,周 到 で ,ご まか しの ない, ドイッ的 自由 の信奉者 で あ る この芸術史家 に とって,若 い カ フカの,プ ラハ の都会 ふ うで,閉 鎖的 で ,細 密工 芸作家 め いた,夢 想的な風 格 は,次 第 に無縁 な もの とな らぬわ にはいかなか ったので あ る。」. 9)FK S.58 10) WS.106 アヴ ェナ リウスの新芸 術運動 の基 本的 な姿勢 に,「 根源的 」 に共 通の基盤 を見 出 した と思 うポ ラックにすす め られ て , しば らく雑誌 の定期購 読者 にな った カフ カは,ポ ラック とはべ つ な意味 で,「 純潔 な根源性 」 のふ る う魔力 を,一 時 的 に ではあ ったが , もろに浴 びて いた。それ は,民 衆 とともに立 ち真理 を追求す る者 アヴ ェナ リウスが ,「 書 くこ と」 に用 い る平 板 で よせ あつ め的な造語 ,ま た,装 飾 的形容辞 ,縮 小詞 の 濫用 に, カフカが屈 服 させ られ た一 時期 が あ った,と い う ことだ (WS.104f。 )。 Wagenbachは 具体 例 を ひろ う。ア ヴ ェナ リウスの書 いた ものか ら例 えば, "unSagbar schё n'',"unsaglich viel'',"allergewaltigst", ,,I)emantgedanke", "das Vё lkchen der Gebildeten","es mu13 aber aufgriinen schier iberall"。 そ して ,ォ ス カー ・ ポ ラックあての カフカの手紙 (1-4)か ら,例 え ば ,,wunderfrOh","viellieb","wunderfeinst","Maelein", "Mantelzipfelchen"。 手紙 7の カフカの 「 詩」 もア ヴ ェナ リウスふ うな 「泰 西名画」 的風景 であ る。 "In■. derll alten Stadtchen stehen/Kleine helle Weinachtshauschen,/ihre bunten. Scheiben sehn/Auf das schneeverwehte Platzchen。. /Auf dem Mondlichtplatze.

(7) 本 野 亨 一 窓 とザ イル (手紙. 7。. ゴδゴ. 9.). ポ ラ ックと話す ときの この「 ぎ くしゃ くした身振 り」 の仮装人物 カ フカは. ,. しか し手紙 で は, しき りに窓を もとめ,ザ イル を もとめ て いた 。 目の まえに い るのは さ しあた りは ポ ラ ックな ので あ るか ら,窓 はポ ラ ックとい う外部 に む いてひ らいてい るもので あ って もいい し,む す びつ け くくりつ け るもの と してのザ イル は,さ しあた りはカフカ とポ ラ ックのた め の もので あ って も差 支 えはな い 。 「 君 は,そ こか らぼ くが街路 を眺 め る こ とので きるぼ くの窓のよ うな もの で もあ ったのだ」 (手 紙 7)。 散文集「観察」 で都会生活者 カフカはひろ い平原 を馬 で 疾駆 したい願 望 を 抱き. (「. イ ンデ ィア ンにな りたい と思 う」), 山岳 を行進 ・踏破 したい慾望 に. 馳 り立 て られ るのだが. (「. 山へ 出か け る」), それ は 自然風景 へ の願望 ・慾望. の比 喩 と しての平原で あ り山岳であ って , 自然 は じじつ かれを都会 の アパ ー トの一室 に押 しもどして い る の この部屋 には しか し壁 をか っき り くりぬい た窓があ り,と お い外部 の 自然 風景 と同 じよ うにす ぐそばの外部 で あ る街路 風景 は,窓 を とお してかれを さ しまね きなが らや は りか っき りかれを部屋 に お しもどして い るのだ。「街 にむ いた 窓」 のば あ い,「 とにか くな んで もいい か ら, 自分 を支 え て くれ るよ うな腕 が ほ しい, そんな気 持 のひ と」 が ,「人 間 との和解」 に引 きず り こまれ るためには,ど うして も「街 にむ いた窓」 が 必要 で あろ う,と カフカは 自分 自身 を観察す る。「 窓辺 にて」 (の ち に「 放心 geht/Still ein Mann iln Schnee furba13,/Seinen groSen Schatten weht/Der. Wind die Hauschen hinauf."マ ックス・ ブロー トも同 じ視点 に立 って,Brに は未収 のポラックあての手紙を引用 して カフカのアヴェナ リウスふ う文体を示す。 (FK S.57)。 家庭環境 か らも,ま た「 プラハ の ドイツ語」か らも,言 語を判断す る能力を錬 磨 される機会は写え られ なかったカフカにとって,例 えばアヴ ェナ リウスふ うな 装飾的形容辞 の氾濫などが,豊 富 で充実 した言語 の世界 として受 け取 られ,か れ が一時的な物真似行為 に陥 ったことも,あ や しむに足 りな い,と Wagenbachは 分析す る (WS.105)。.

(8) カフカのぎ くしゃくした身振 りにつ いて. ゴδ2. の展望」 と改題 )あ る春 の 夕暮 にかれが と らえた何 の 変哲 もな い筈 の街頭風 景 は,衝 撃 的 にかれを 窓辺 に釘付 けに して しま う。かれ は いづ れ にせ よ結局 は部屋 に しか居住 で きない人 間 らしいのだが,公 表 された散文 で は手紙 での 習作 「 窓」 とはちが って ,街 頭風景 は, さ しまね きか つ押 しもど しはす るが カ ラー ・ テ レビの 画面 ふ うに,あ い まいで はな くまとまった構 図 と して ス ケ 11). ッチ され た もので あ る こ とはた しかで あ る。 手紙 の「 窓」 は,部 分 的 な引用 に 関す るか ぎ り,ま っとうで明確 な比喩 と して も受 け取 る こ とも出来 よ う。 しか し手紙 7全 体 の文脈か ら見 れ ば,「 観 察」者 の 窓辺 の位置 に変化 はな いに して も,比 喩を ぐらつ かせ る不 安定 な も のがい くつ か も ぐり こんで きて い る ことはた しか なのだ。 この手紙 7は ブ ロ ー トの推定 で は1903年 11月 9日 執筆 で , この とき相手 の ポ ラ ックはプ ラハ を 離れ て い る。離れ た土 地 にい る友 ポ ラ ックは,カ フカの手紙 で は,月 に登 攀 してい き,従 って 「 その よ うに高 くか つ とおい場所 か ら」友 によ って観 察 さ れ てい るとい うカ フカ意識 は,こ ち らが天文台 にいて 月か らの哄笑 が 聞 こえ な いか ぎ り, こち らの 愚行 も気付 かれ て はいない とい う確信 め い た もの を生 み出す こ とにな るのだ。 こ ち らは胸 を撫 でお ろ してい る,と 云 っていいのか も しれ ぬ,い やむ しろ「 そのよ うに高 くか つ とおい場所」 の比 喩の発 見 その もの に,カ フカは胸を撫 でお ろ して い るよ うに も見 え る。 それか ら,地 獄 と は暑 くて お そ ろ しい と ころだ,と い う こ と以上 に,ぼ くが君 の 日の まえで ど んなにのた うちまわ って見せて も,君 にはぼ くの苦 しみ はわか って は も らえ まい と書 き,「 地獄 の 門 の入 口に立 ってい るよ うに」 ,わ れわれ人 間 はたがい に崇敬 ,深 慮 ,愛 情 を もって むか い合 わねばな らぬ,と 地獄 の 門 とい う比 喩 「 観 察」BetraChtungは ,1913年 最終 的 な形 で18篇 の 散文 をお、くみ ,出 版 され た。 題 に「 窓」をふ くん だ二 篇 の制作年 代 は,「 街 にむ いた 窓」Das Gassenfenster(1 906/07),「 窓辺 にて」 Am Fenster(19o7春. ,の ち改題「放心 の展 望」Zerstreutes. Hinausschaun)。 vglo H.Binder,Kafka‐ Kommentar zu samtlichen Erzahlungen Munchen 1975。. (略. Binder)S.58_62ヵ フヵの部屋 の「 窓」 か ら見 えた筈 の風. 景 に もとづ いて , この二 篇 の制 作年代 が推定 されて い る。. Br Anmo S. 497.

(9) 本 野 亨 一. ゴδ3. にかれ は身ぶ るいを して見 せ てい るかの よ うだ。 カフカは続 けて,こ れ まで ほん と うは君以外 に話 しので きる人 間はな く,す べ て は君 を中心 に 回転 して いた,と 云 う。だか ら,「 君 は,そ こか らぼ くが街路を眺 め る こ とので きる ぼ くの窓のよ うな もの,で もあ ったのだ。」 だが,そ れが で きなか った,つ ま り,「 ぼ くの 身長 を もつて して も」 ぼ く は まだ窓 台 の と ころまで は手 が とどかぬのだ。 カ フカは実 際 に も長身 で はあ った。 「 の っぽ」 なの理. まづ 友 は,彼 方 の月面 に あ って,天 文台 か らの観. 測 で は声 のない姿態 だ け しか と らえ られ ぬ存在 と化 tノ て いた o「 この よ うに 高 くか つ とお い」存在 の比 喩 に カフカは安堵す る。反対 にす ぐそばで顔 を つ きあわせて も,結 論 は同 じ こ とだ。かれ らは たがいに「地獄 の 門」 と しての 存在 で あ る こ とに,た が いに遠距離 の到達不能 な地点 にあ る存在 で あ る こと に気 が つ いていない。 ポ ラ ックはた しか に窓 だ。そ して ,部 屋 のなか にい る 人物 は「 の っぽ」 なのだが , この 自画像 のなかで,窓 との関係位置 は,長 身 に もかかわ らず まだ窓台 に まで は手 が とどかぬ,と い うふ うに,不 安定 で幻 想的な規定 を受 け る。部屋 のなかの窓 との距離 にす ぎな いのだが,そ れ はや は り月面 と天文台 との へ だた り,地 獄 の 門 の へ だた りで ないか ぎ り,カ フカ は安堵 で きない のだ。無 限 の距離 へ の 嗜好 で あ る。 手紙 9の ザ イル は,手 紙 の往復 が続 くあ いだは友 とカ フカを むす びつ けて い るが ,や め ると切れ て しま う,も とも とザ イル と云 って も包装用 のひ もみ たいな ものだが, とにか くおお いそ ぎで ,ザ イルの応急修理 を しよ うと思 う。 応急修 理用 の手紙 ,と い う この比 喩が 昨晩 とつ ぜん ぼ くを と らえた,と カフ カは書 いた 。 だが二 人 は堅 い大地 に立 ち手 を たづ さえ て前進 してい くわ けで はない。 カ フカは君 とぼ くを人 間一般 に置 きかえ ると , 人 間は「 地獄 の深淵 」 の まあ か な り上 のほ うで ,互 いに助 け合 う こ とによ って身体 を支 え合 ってい る,と 云 う。 どち らか い っぽ うの 身体 に捲 きつ けてい るザ イル がゆ るむ と,か れ は 「空虚 な空間」をす こしず り落 ち,そ れ は こま った こ とで あ り,切 れ てか れ. 13)カ フカは1907年 ごろ身長1.82m,体 重61kg(¬ WS.141).

(10) カ フカの ぎ くしゃくした身振 りにつ いて. ゴδイ. が落下 してい く光景 はおそ ろ しい。手紙 の 往復 は人 間関係 一 般 に拡大 され て い るのだが,支 え と して どうして も必要 な他者 とは,女 性 で はあ るまい か と い う「推測」を カ フカは述 べ ,支 え と しての愛情 を 目にす る。 しか しいづ れ にせ よ 固 い友情 の きず なな どで はな い,ザ イル の弛緩 とず りお ち,切 断 と落 下 とい う,「 空虚 な空 間」 にむか っての不 安定 な姿態 , 無 限 の距離 をは らむ 14). 状況 へ の環元 に,さ い しよか らカフカは執心 していたかの よ うで あ った。. 自 「 の っク. の 身 辺 報 告 (手 紙. 5。 ). 手紙 5で ,「 恥 づ か しが り屋 のの っぽ とその心 に住 む不誠実 な男 の, 入 り 組 んだ物語」 を書 き送 りたい,と カ フカは書 く。 ここで は じめて持 ち出す話 で うま くはなかなか語 りに くい,と カフカは こ とわ るのだ。 これ は 自画像 の つ も りで あ る。だが この 自画像 の 背景 には,ど んな風 景 が描 き こまれて い る のか 。 物語 に先立 って短か い前書 きがあ る。プ ラハ はぼ くを離 して は くれな い. ,. とカ フカは書 きは じめ るのだ。プ ラハ はす るどい けづ めを持 って い る。だか らそ の云 うまま にな るよ りほか はな いのかそれ とも一― と書 き,な にか選択 を追 られ てい る状況 が ここに はあ るよ うだ。プ ラハ に放火 で も して町を焼 き 払わなけれ ば脱 出は困難 だ ろ うと思 う。 さい ごに,「 出来 た らカー ニバ ル ま で によ く考え て お いて くれ給 え。」 しか しこの前書 きだけで は 状況 はわか ら な い。 ヮーゲ ンバ ッハ は云 う,カ フカはプ ラハ の ドイッ大学 で ゲ ル マ ン学 を聴講 す る こ とには消極 的 で あ り, ミュ ンヘ ンで研 究 を続 けた い とい う志望 を もち. ,. おそ らく1902年 の秋 ごろ様子 を調 べ るために ミュ ンヘ ンヘ 出か けた もの と推. 14)「 地獄 の深渕」 ,,eine(r)hё lliSChe(n)Tiefe,「 空虚 な空 間」 der,,leer(c)Raum"。 形 容詞 と して の leerほ か に例 えば Felice Bauerの 衝 撃的 な第一 印象 ,"Kno_. chiges leeres Gesicht"(1912),名 詞化 され て ,例 え ば ,,Der SchloB"の 冒頭. ,. (1922)。 めん ど うな語 だ。 また落下 (fallen,sturzen). "das sheinbare Leere"。 の 姿態 と して例 えば ,,Ein Traum"(1914),"Die Brticke''(1916)。.

(11) 本 野 亨 一. ゴδ5. 定 され る,手 紙 5は , ミュ ンヘ ンか ら戻 って 二 三 ケ月 後 に書 かれ て い る,た だ なぜ ミュ ンヘ ンで の 勉 学 を望 ん で い た の か ,ま た なぜ そ の志望 を放 棄 した. かはただ ちにあきらかではないが,い づれ にせよ,プ ラハの もつす るどいけ づめとは, ミュ ンヘ ン遊学を金のむだ使いと考えるカ フカの父 の反対を指 し ていると推測 しておおむね間 ちが いはないで あろう,と F) この推定 に従 うとすれ ば,選 択 とは ミュ ンヘ ン遊学 問題 なので あ り,物 語 はだか らカ フ カのなにか 複雑 な心 境 を解 きあか す素材 をふ くん で い るか もし れ ない と,わ れわれ は予想 しないで もな いのだ が, しか しす くな くともワー ゲ ンバ ッハ は,手 紙 5と 関連 させて この点 を あ き らか に させ て はいない 。 し か も手紙 5で は, 物語 の あ とに も, も うい ち ど追伸 の形 で,「 こ うい うわ け だか らカ ー ニバ ル まで によ く考 えておいて くれ給 え」 とだめ押 しの枠付 けが あ る。い ったい ど うい うわ け,な のか ? 「恥 づ か しが り屋 (schamhaft)の の っぽが,古 い村 の低 い家屋 と狭 い通 りの あ いだに身を ひそめて いた 。通 りはむやみ に狭 く,人 がふ た り並 んで 歩 くと,ど うして も親 しい友 人 の よ うに身体 を こす りあわせ ねばな らぬ,部 屋 の天丼 はむや み に低 く,恥 づ か しが り屋 のの っぽが小椅子か ら立 ちあが ると. ,. 大 きな ご っごっ した (eckig)頭 蓋骨 で 天丼 を まっす ぐに突 き破 り,か くべ つ そ う した意 図 もな い ままに藁屋根 を見 お ろす ,と い う始末 にな る。」 「 あ る斗 いの記述」で 筆者 の分身 は「 ふ とっちよ」 (der Dicke)で あ り. ,. ここで は 自然 とい う外部 の 山川草木 へ の大胆 なつ かみかか りが行 われ ,肉 体 は 自然 にたいす る大 小 ・長短 の バ ラ ンス を失 う。「ふ とっちよJは この変形. 15) WS.100 fo S.130 16)「 ある闘 いの記述」Beschreibung eines Kampfesの 執筆年代は,1903/1904(M. BrOd), 1904/05-1908(Pasley‐ Wagenbach), 1902?一 -1912(L.Dietz), 1904. -1906(A稿 ),1909-1910(B稿 )(H.Binder)。. この草稿 と,カ フカ とポラ ックの交遊, ポラックヘ の 手 紙 との 関連を, Binderは 克明に探索す る。 Vgl. Binder S.50 ffo S.50S.55S。 83。 「 国道 の子供たち」Kinder auf der LandstraBe をカフカは ,,Beschreibung eines Kampfes"Fassung Bか ら 立 させ, "Betrach ‐ `虫 tung"(1913)に 加えた。.

(12) カフカの ぎくしゃくした身振 りについて. ゴδδ. した 自然風景 のなかで ,水 没 し,没 落す る。立 ち上 れ ば天丼 を突 き破 る「 の っぽ」 とともにかれ らは末端肥 大症 的人物 で あ る。そ して 田舎 の「の っぽ」 とは,た しか にカフカの「私」 で あろ う。. ,町 で暮 して いた,町 は毎 晩 の よ うに酒 に酔 い つ ぶれ ,毎 晩 の よ うにあばれ まわ る,こ れが町 の幸 「 かれの心 に住 む不誠実 な男 (der unredliche)は. 福 で あ った。 この 町 の よ うなふ うに不誠実 な男 はの っぽの心 に住 んで. いた Q. これが不誠実 な男 たちの 幸福 なので あ った。」 都会 と田舎 とい うモ テ ィー フ は早 くか らカフカの心 中 を去来 して い るのだが, 手紙 7で も,「 まだ断片的 な もの にす ぎな いが『 都会 と子供」 とい う本」 をそ の うち に君 に送 りたい と 思 って い る 書 いた 。「国道 の子供 た ち」 (1909ノ 10)は , 数す くな い子供. ,と. を主題 に した 田園回想ふ うのスケ ッチだが,こ こで 「私」 は仲間 たち とたん の うす るまで遊 びまわ ったあ と,夕 方 にな って仲間た ちと別れ て ただひ と り へ い 」 は子 「南 の ほ うにあ る都会 」 を 目指 して森 のなか わ け入 って く。「私 いが 供 だか ら,「 不誠実 な男 たち」 の 「町 の幸福 」 を もとめ るわ けで はな ,. て い るも 村人 た ちが語 り伝 え る都会 風景談 義 として 「私」 の心 に とどめ られ 「 のは,け つ して子供 らしい夢 想や想像 で はな い 。『 あす こには,い いかい ,. ねむ らな い人 間 たちが い る !』 /『 なぜ ,ね む らな いの だ ?』 /『 疲労 しないか 『 /『 ばか は,な ぜ ,疲 労 し らだ』/『 なぜ ,疲 労 しな いのだ ?』 /『 ばかだか ら な いのだ ?』 /『 ばか が,疲 労 してた まるものか. !』. 」. の っぽ の心 に住 む男 は都会人 で あ り,な にゆえか不誠実 な人物 で あ るのだ が,た しか にかれ は ミュ ンヘ ン氏 で あ る。 「 ク リス マス ・ イヴを ひかえ て , の っぽは窓辺 で 身体 をす くめ ていた 。 へ 部屋 で は脚 の置 き場 がな い,だ か らかれ は脚 を気 ままに窓か らそ と 突 き出 し,脚 はそ こで気持 よ さそ うにゆ らゆ ら動 いていた 。かれ は不器用 で 骨 ば っ た蜘蛛 の指 を使 って ,百 姓 た ちのために毛糸 の靴下 を編 んで いた 。灰 い ろの 眼が まるで 編 み針 に突 き刺 さりで も しそ うで あ る,あ た りは もう暗 くな って いたのだ。」 立 ち上 ると頭 が 藁屋根 を突 き破 って しま うのだが,脚 も部屋 に置 く余地 が.

(13) 本. 野. ゴδ/. 亨 一. な い くらい,長 いよ うで あ る。末端肥大症 で あ る。だがかれの四 肢 は,伸 縮 自在 な と ころがあ って,コ ミュニ ケ ー シ ョンの 窓 の 窓台 には,そ の長身を も つ て して も手 が とどかぬ,と い うばあ い もあ るのだ (手 紙 7)。 と ころで,カ フカはプ ラハ にいない友 ポ ラ ックを月面 に移住 させ た (手 紙 7)。. また,夕. 陽 の畑 に長 く尾 を 引 く「 自分 の長 い影」 に括弧 で 注解 して,「 ひよ っとす る と この影 の力 で天 国 (Himmelreich)に 自分 は い きつ くのか も しれぬ」 と思 う (手 紙 4)。. そ して, プ ラハ の 日曜 日の街頭 で行 き交 うサ ラ リーマ ンた ち. の雑踏 には一 種 の 叫 びが あ り, それ は,「 天 国. (Himmel)へ 行 きた い と思. うのだが ,足 台 が も らえな いので だだを こねわめいてい る子供 の,叫 び声 み たいだ」 と書 い た (手 紙 7)。. や た らに とお くや た らに彼方 に あ るもの へ の. 位置転換 を,末 端肥大症 的 にカフカは濫用 してい るか のよ うだ。 「 誰か が入 日の板戸 を静か に ノ ックす る。それ はかれ の心 に住 む不誠実 な 男 で あ った。の っぽは 口を大 き くひ らいた 。 客人 はほほえむ。それ だけの こと で も うの っぽは恥 か しい気 持 を抱 きは じめた (begann sich.… zu schamen)。 の らぽで あ ることを,か れの毛 糸 の靴下 を,か れ の部屋 を,恥 づ か しい と思 う。 一一 に もかかわ らず顔 は真 赤 にはな らな い, レモ ンの よ うな黄 い ろの ま まで あ る。それか らや りに くそ うにそ して は じ らい を もって (mit.… Scham) 脚 の骨 を動作 させ ,お づ お づ しなが ら (sChamig)客 人 に手 を差 し出す。手 は部屋 の 隅 まで とど く。それか ら,相 手 を迎 え る言葉 らしい ものを毛糸 の靴 下 にむか って ほそぼそ述 べ立 て る。」 客人 ミュ ンヘ ン氏 の来訪 で あ り同時 にそれ は分 身があ らため て カフカの ド アを内部 か らノ ック した こ と,で もあ った。「 お どろいた,と つ ぜん ドアが ひ らく。入 って来 たの は誰 だ, ノ ックもしな いで 。礼儀知 らず のパ トロン。 そ うか,歓 迎す べ き客人 で あ った。君 の葉書。」 (手 紙 3) ノ ックな しは無礼 だが これ はポ ラ ックか らの葉書 の来訪 の ばあ いで あ る。 い. tま. は しか し分身 ミュ ンヘ ン氏 の来訪 なので あ って,初 対面 の恥 づ か しが り. 屋 のの っぽは,終 始 こ とごとにか くべつ の理 由 もな く,恥 か しい気 持 で応対 し ないわ け にはいか ない。だが,窓 か らそ とへ 長 い脚 をた らし,立 て ば天丼 を つ.

(14) ゴδ8. カフカのぎ くしゃくした身振 りについて. きぬ く長身をかがめ て,ふ りむ く動作 だけで , さ しの べ る手 はそ の まま,末 端肥大症 的 に客人 の と ころまで とど くのだ 。た いせ つ な客人か つ分身 を迎 え る恥 か しさの,お そろ しくぎ くしゃ くした構 図 を カフカは まとめた ものだ 。 「 の っぽの心 に住 む不誠実 な男 は,粉 袋 に腰 をお ろ して ほほえんで い る。 の っぽ もほほえみ,か れ の 眼 は困 ったよ うに客人 のチ ヨ ッキ の見事 なボ タ ン の あた りを もぞ もぞ這 い まわ る。客人 はまぶ たを高 く見 ひ らき,言 葉がかれ の 日か ら洩れ た。 洩れ た言葉 とは,エ ナメルの靴 をは き,イ ギ リスふ うの ネ クタイを しめ,見 事 なボタ ンを使 って い る洗練 された小紳士 たち,で あ った。 こ っそ り訊 ねて み る,『 血 は争 そえない とは, どうい う こ とか, ご存知 で す か ?』. 小紳士 のひ と りが見 お ろす よ うな態度 で,『 ええ,私 はイギ リスふ う. の ネ クタイを しめてい ます 」 と答 えた。かれ らは 日か らそ とへ 出 ると,長 靴 で 爪先 き立 ち にな り,だ か ら長身 にな り,の っぽのほ うへ 踊 るよ うに して近 づ き,つ ね った り噛み つい た り しなが らかれ の 身体 をよ じ登 って い き,か れ の耳 に入 り こみ苦労 して どうにか耳 をふ さいで しまった。」 会話 が は じま ったわ けだ。都会 の幸福 に生 きる この不誠実 な男 は,百 姓 の ために毛 糸 の靴下 を不 自由 な明か りで編 んで い るの っぽの心 境 か らはお そ ら くとお くにいて,見 た と ころへ ん に気取 った人 物 で あ る ら しい。かれの言葉 は,後 年 の カフカが人 間 の さまざまな姿態を描 くの に組 み合 せて 使 った マ ッ チの軸 のよ うな もの, この マ ッチ の軸的 な ミュ ンヘ ンの「 小紳士 た ち」 とな って,ぽ ろぽろ この 客人 の 日か らこぼれ落 ち続 けてい るよ うに見 え る。男 自 身が その代 表者 で あ る こ とに間違 いはない 。 しか し, ミュ ンヘ ン氏 の説得 は. ,. 童話 ふ うに明 るい幾何学 的な模様 に置 きか え られ,説 得 は,た の し気 でいた づ らっぽ い小人 たちの,ど うに も始末 のわ るい運動 と化 して い る。 カフカは. ,. 田舎 の おそ らく誠実 さも,都 会 の お そ らく不誠実 さも, ともに 自分 自身 のな か に取 りこんだ うえ で ,ひ たす ら恥 か しさを総動員す る こ とによ って ミュ ン ヘ ン氏 とその マ ッチ の軸的分身 で あ る小紳士 たちに対応 してい る。の っぽは た しか に或 る分 岐点 に立 ってい る らしい。 しか し, ここには,迫 られ てい る 決 断 の重 みよ りも,身 辺細叙 の カフカ的 な嗜好 があ ざやか に滲 んでいて ,ひ.

(15) 本 野 亨 一. ゴδ9. っ くりかえ したお もち ゃ箱か ら散乱 した色 さまざまなお もち ゃの,な らべ替 え 作業 に熱 中す る子 供 の構 図 が,ま づ ここに はあ るよ うだ。「 の っぽは不 安 を覚 え は じめ る。鼻 を部屋 の空気 の なか で く し ゅく し ゅ云わ せ る。咽喉を刺 す よ うで ,か び くさ く,換 気 ので きていな い この空気 / 見 知 らぬ男 はその行為 をやめな い 。 自分 の こ と,チ ヨ ッキ の ボ タ ンの こ と. ,. 町 の こ と,か れ の感情 の こ とを,話 す一一 ,い ろい ろ さまざま。話 しなが ら こ との つ いで と云 ったふ うに散歩用 の ス テ ッキでの っぽの腹 を つつ く。 の っ ぽ はぷ るぷ るふ るえ,に たにた笑 う一一 ここで かれの心 に住 む不誠実 な男 は 行為 をや めた,満 足 した様子 で ほほえむ,の っぽはにたにた笑 いなが ら客人 を入 日の板戸 の と ころまで 馬鹿 ていていな態 度 で案 内 して い き,そ こで二 人 は握手 を交わす。 の っぽはまたひ とりにな った。声 をあげて泣 いた 。靴下 で 大粒 の涙 をぬ ぐ い取 った。かれの心 はかれ に苦痛 を与 えた のだが,そ の こ とをかれ は誰 に語 る こ ともで きぬ。 しか し,病 気 にかか って い る問 いがい くつ か,か れ の脚 の ほ うか ら魂 へ と這 いのぼ って くるのだ。」 ミュ ンヘ ン氏 のの っぽ説得 の 図 は,の っぽの 自問 自答 的 な問 いを残 して. ,. これ でおわ る。 つ ま り, こ うい う こ とで あ ったわ けだ。都会 の見 知 らぬ男 と い う分身 に ち ょくせ つ対面 してみ ると,「 い ろい ろさまざま」とい う以上 の も ので はない都会 的消 息 に触 れ て,ひ たす ら恥 らい とその ヴ ァ リエ ー シ ョンで 対応す るほか には何 も出来ず ,蟻 の群 のよ うな小 紳士 たちによ じ登 られ て. ,. 痛 みかむずか ゆ さか,と にか くひ とには伝 え られ ぬ苦労 が残 った,と い う こ となのだ。 ポ ラ ックは これ にたい して どう答 えた のか 。われわれ にはわか ら ぬ と ころで,案 外話 は通 じ合 っていたのか も しれ ない 。私 は,1902年 の 自画 像制作 に あた っての カ フカの二三 の 習癖 ,嗜 好 ,そ して 集 中状態 を, ミュ ン ヘ ン問題 とはそれ ほ ど関連 な しに,書 きとめたにす ぎぬ。 さい ごの 四 つ の 問 い,「 なぜ あ の男 はぼ くを訪 ねて来 たのか ? っぽだか ら ?. ぼ くが の. ちが う,ぼ くが 0… …?」 「 自分 を あわれ んで, それ ともあ の. 男 を あわれ んで, ぼ くは泣 いて い るのか ?」 「結 論 的 に云 って, ぼ くはあ の.

(16) ゴ7θ. カフカのぎ くしゃくした身振 りについて. 男 を愛 してい るのか, 憎 んで い るのか ?」 「ぼ くの 神 があの男 を よ こしたの か,そ れ ともぼ くの 悪魔 がなのか ?」 。 カフカは, これ らの 疑間符が恥 か し が り屋 のの っぽの頚 を しめ つ けていた, とだけ書 いてい る。そ うした しめつ け られ の状態 で「 ふ たたびか れ は靴下 を編 み は じめた。編 み針 で 眼を突 き刺 さん ばか りで あ る,あ た りは さ らに暗 くな って来 ていたのだ。」 自問 自答 の あ い だには さま って,暗 くな って来 たか らよけい編 み針 に眼を 近 づ け るよ うに して,編 み ものを続 け る この 田舎 の恥 づ か しが り屋 の姿態 に は,省 み て他 を こ とあげ る こ とのな い 自 らに充 ち足 りた ものが 漂 うてい る. ,. と云 え るのか も しれ ない。 冒頭 で カフカは,す るどい けず めのあ るプ ラハ は. ,. ぼ くを離 して は くれ ない, と述懐す るのだが, この 言葉 は, ワーゲ ンバ ッハ の推測 とはべつ に, これだけを切 り離 して,カ フカの,同 じプ ラハ 出身 の作 家例 えば リル ケや ゥ ェル フ ェル とは ま った く異質 な,プ ラハ の風土 ・伝統 ・ 住民 にたいす る土 着 的 と云 っていい膠 着 と執 心 の,痛 切 な告 白 と して受 け取 られ てい るば あ い もあ る。. 「書 く こ と」 に つ い て (手 紙. 6。 11。 ). 1903年 の もの とか りに推定 され てい る手紙 6で ,カ フカは,今 まで書 いた ものを全部 まとめて君 に送 るつ も りだ,と 書 いた 。書 いた ものの こ とは,ほ か に手紙 7で 比 較 的 は っき り「 子供 と都会」 Das Kind uud die Stadtと ぃ う題 を 出 して,ま だ 断片的 な草 稿 だがす こ しず つ手 を加 えた ものを順次送 っ てい きたい,第 一 回 は次 の手紙 と一緒 に送 る, と予告 して い るのだが,構 想 につ いての説 明はな く,ま た予告 が実行 され たか どうか も明 らか で はない。 ただ この ときは, も うしば らくものを書 くこ とを していない,「 神 はぼ くが 書 くこ とを望 んで はお られな い,が ,ぼ くは書 かねばな らぬ」 とい う形 で. ,. 弁 明的 な決意 が つ け加 え られ ていた 。 しか し手紙 6で は,書 いた ものの 内容 の説 明が い くらかはあ るのだが,た だ しそれ は,何 が書 いて あ るかで はな くて,何 が書 かれて はいないか, とい う説 明な ので あ る。 これ以外 は欠 けてい るものはないで あ ろ う, とい う説 明.

(17) 本 野 亨 一. ゴ7ゴ. で あ る。 欠 けてい るもの,「 子供 に関係 の あ る こ と (不 幸 が早 くか らぼ くの 前 かがみ の 背 中 にの つ か ってい る こ とは, 君 も知 って い るとお りだ ), それ か ら,今 で は も うぼ くの もので はな い もの,そ れか ら,全 体 との関連 で 価値 が な い と思 われ るもの,そ れか ら,い くつ かの計画 ,計 画 とは計画 を抱 く者 に とっては田畑 で あ り,ほ か の人 たちには砂利 な のだ,そ して さい ごに,君 に も見 せ る こ とので きな い もの,真 裸 で突 立 ち, どれ ほ ど哀願 してみ て も. ,. 誰 か に身体 を さわ られ るとき,ふ るえが とま らな いのだ ……」 そ して この手 紙 に もお きま りみた いに,さ い きんの半年 間 はぜんぜん書 いて いない と云 っ て いい,と い う書 けな い こ との云 いわ けが つ け加 え て あ る。 ポ ラ ックが原稿 を受 け取 ったか どうか は,明 らか で はな い 。 ここで カフカは「書 くこと」 の まわ りを云 わ ば否定的 に ぐる ぐるまわ って い るのだか ら,肯 定 的 に 内容 は相 手 に もそ してわれわれ に も伝 達 され て いな い ことにな る。だか ら これ はまだ草稿 が まとま っていない段 階で あ って. ,. ,. のだ とか 自信 を もって 送 るわ け にはいかず迷 いため らつてい る気持 の表現 な わ ざと内容 の説 明 をぼやか して い るのだ とか,従 って相手 のお ど ろ き を 期. ,. 態 ぬ 待 し 自信 を も って心 ひそか にほえんで い るのだ とか,予 見 を抱か 白紙状 の判 断 にす べ てをゆだねて い る態 度 だ とか ,お おげ さな予告 に しり ごみす る こ う した解 け んそん さの あ らはれだ とか,解 釈 は さまざま出て くるのだが, の 釈 その ものが こち らの ぐる ぐるまわ りにほかな らず ,む しろ この まま 状態 でわれわれ は,一 一 で あ る, とは断定 で きな いが,一一 で はな い,な らば. ,. に の 無 限 にひろ い上 げ,な らべ 立 て,積 み上 げ る意慾 を もち,む ろんそ 行為 完了 はな く中断放 棄 があ るばか りなのだが,そ う した カフカの身辺解 釈 ,末 このわれわ 端 か らひろい上 げ る行為 にまき こまれ て い き,そ して生 れ て くる ほ れ のめ まい こそ がかれ の あたえ る解答 で あ り説 明 で あ ると,納 得す るよ り か はない,と 思 う。 つ ま り これ は,現 物 のない予告 だ とい う説 明形式 ,絶 え つ ず あ らわれ る, さっぱ り書 いて いない とい う報告 ,つ ま り,書 くことに い て ,「書 いた」,で はな く,「 書 いてない」, と報告す る ことによる,書 いた こ との報告 な のだ と云 って もよ い 。 これ は コ ミュニ ケ ー シ ョンで はな く,デ ィ.

(18) ゴ/2. カフカのぎ くしゃくした身振 りにつ いて. ス コ ミュニ ケ ー シ ョンだが,伝 達者 の意識 にはない この め まいのデ ィス コ ミ ュニ ケ ー シ ョンの 空 白の部分 こそ は,わ れわれの まえ にひ ろが る 「神 の部分」 (ジ ッ ド)な ので あろ う。 カフカは早 くも こ うした説 明形式 の なか にか れ の. 行動 と思 考 の基本型 を予感 させ るのだ。 手紙 を書 くこ と,そ して と くに,原 稿 の送付 を 約束す ること,そ れ はい づ れ にせ よ書 い た もの を読 んで ほ しい,と い う こ とだ。それ は しか しカフカに とって猛烈 な助走 と思 い切 った踏み切 りを必要 とす る跳躍行為 なのだ。なぜ な らかれ に とって ポ ラ ックはえ らい人 で あ り,指 導 を乞 うただひ とりの友人 で あ り,ま った く外交辞令 で はな くに 自 らをあえて よ り低 い場所 にお き, う や うや しい調子 で カ フカ は, ご披見 を乞 うてい る こ とはた しか だか らだ。 カ フカ は連 帯 を もとめてい る,書 い た ものは共通 の広場 に持 ち出 され , 自分以 外 の者 の 目に さ らされ な くては な らぬ, と思 ってい る。た しか に, 自閉的 で あ るの とはおょ そ異質 な人 間で あ る。ただ,肯 定 的 に主張す ることによ って. ,. 自分 の書 くこ との核心 とも感 じ取 られ てい るものを,昂 然 とつ かみ 出 し差 し 出すの とは,か れの内部 は べつ な方 向をむ いて い るので,た ん に けんそんで 純潔 にで はな く,発 言 は 自 らの 内部 にたい して もた もたす るので あ り,同 時 に外部 にたい して も,へ どもどす るので あ って, このよ うに二 重 の意 味 で. ,. かれ の手紙 を書 く身振 りは ぎ くしゃ くした もの にな る。 ぐる ぐるまわ りの原 稿 内容 の 否定 的 な説 明 に先立 って,か れ が手紙 の半分以上 の分量 を費 やす の は, ご披見 を乞 うとい う跳躍 に先立 つ,助 走 と踏切 りの,ぎ ごちな い姿態 を. ,. ス ケ ッチ して おかね ばす まされ ないか らな のだ一― 夏休 み には ごぶ さた して しま った し君 か らも音信 はなか った し, さい きん 半年 間 は これ と云 った話 も して い な い し,手 紙 を書 いて も梨 のつ ぶてか も し れ ないが,ぼ くには待 て ないので とにか く書 かせて も らう。 ぼ くは君 か らなにかを もとめて い るのだが, もとめ るものは,友 情や信 頼 の気持 か らではない,「 ちが う, ただ も う自分本位 な気 持 か ら, ただ も う自 分本位 な気 持か ら,な のだ。」 この夏 にぼ くが 期待 して いた もの,「 ぼ くの 内部 に あ ると 自分 で 考 え て い.

(19) ゴ/3 本 野 亨 一 口 るもの (い つ もそ う 考 えて い るとはか ぎ らな いが)を 一 挙 に堀 り起 こす こ とJ, これ は遠 くか らで あ るに もせ よ君 も気 が つ いてい たか も しれぬ。 この夏 ぼ くは以前 よ り健康 に な り強 くな り,唇 もい くらかひ らくよ うにな った 。多 くのひ とた ち,女 性 とも話 し合 った,た だ し奇蹟 は起 らなか った 。 「誰 かが樹 の うしろに身をひそめ小 さな 声 で ぼ くに話す ,『 ほかの人 た ち をぬ きに して は何 ご とに も君 は手 が つ かないだ ろ うよ」 と。 ぼ くは しか しい ま見 事 な文章 に, 意 味を こめて書 く,『 隠者趣 味 は嫌悪 に値す る, 自分 の卵 は率直 な態度 で全世 界 の 目の まえで生 みた まえ,太 陽 がその 卵 をかえ して く れ る, 自分 の舌 を 噛む ので はないい,生 に噛み つ くのだ,も ぐらもち とその 生活態度 に敬意 を払 うのはいい が,も ぐらもちを君 の 聖者 にまつ りあげて は な らぬ」 と。 その とき,も はや樹 の うしろ にか くれ て はいない誰 かが ぼ くに 云 う,『 結 論 的 に云 って,そ れが 真実 で あ り夏 の奇蹟 なのか ?』 」 (狭 猾 な手紙 の狭猾 な書 き出 しだ,こ れ は。 物乞 い を した こ とのない貧 乏人. が 物乞 いの手紙 を書 いてい る,そ の書 き出 しで ,筆 者 は物乞 いを しない こ と は罪悪 で あ るとい う認識 に到達 す るまでの苦 難 の道を記述 して い るのだ。 ) このパ ラグ ラフは括弧付 きの 注釈 で あ る。 夜行 の郵便馬車 を走 らせ るた ったひ と りの御者 の悲 しみ。乗 客 はみんな ぐ っ くり眠 って い る。 らっぱがあ るのだ,な ぜ かれ らを起 さない の か。 「 それで は,疲 れ ていないの な ら,こ れか らぼ くの話 を聞いて ほ しい。」 跳躍者 の八 つ のパ ラグ ラフに亘 っての,助 走 と踏切 りの記述 で あ る。 こ う して 跳躍 がすんで 張 りつ めた筋 肉は弛緩 したが,跳 躍 を 演 じて見せ た相手 の 反応 をかれ は痛切 に意識 しないわ け にはいかない筈 だ。だがかれ は,返 事 を もとめ るつ も りはな い, と相手 か らの反 応 の表 明を切 って 棄 て るよ うに云 う。 しか し,草 稿 に 目を とお して ほ しい,「 ぼ く眼 で はないふ たつ の眼」 が 注が れ る こ とは,あ つ て ほ しい,と 云 う。 これ はの どか ら手 が 出 る くらい なにか 云 って ほ しい気持 の裏返 え しなのか 。 あ るいは, ど うせ たい した こ とも云 っ て は も らえな い とい う結果 の先廻 りな のか 。 それ な らなぜ まわ りくどい 身辺 報告 を重 ね て 自分勝手 に息 を切 らせ るよ うな 真似をかれ はす るのか。「 ぼ く.

(20) ゴノイ. カフカのぎくしやくした身振 りについて. が もっとも愛 してお りそ して もっ とも硬 い ものは,太 陽 の光 を浴 びて も,た だ つ めたいだ けな のだ」,「 ぼ くの 眼 で はな いふ たつの 眼」 が注がれ ると,こ の 眼 はす べ て に暖かみ を加 え,硬 さを解 きほ ぐす ,と カフカは書 いた 。相手 の視線 によ る融解作用 の 力 だけを カ フカは信 じて い るか のよ うだ。書 いて し ま う こと,書 いた ものを 相手 に差 し出す こと (こ れが跳躍 だ ), 書 いた もの に相手 の 眼が触れ るのを待 つ こと,途 中で書 いた ものか ら相手 の 眼が はなれ る こ とはない と信 じる こと,そ して ,相 手 の評価 の一 歩手前 で立 ち どまる こ と。 これが,「 もっとも愛 してお りそ して も っとも硬 い もの」 が連帯 のなか に生 きることを希 う,カ フカの 姿勢 で あ った。 手紙 11は ,ブ ロー トの編集で は,ポ ラ ックあての さいでの手紙 で あ るが. ,. 例 の 自由 な編 集 態度 で あ るか ら,ほ ん とうに さい ごか どうか はわか らない。 ここで カフカは,本 を 読 む ことにつ いて書 いて い る。本 の効用 につ いて書 い て い る。 「 われわれ は,ひ じょうな苦痛 を与 え る不 幸 の よ うにわれわれ に働 きか け る本 が必要で あ る,わ れわれ 自身 よ りもわれわれが愛 していた者 の死 の よ う に,わ れわれがす べ ての人間か らはなれ て 森 の 中 に突 き進んで い くばあ いの よ うに, 自殺す ることのよ うに,働 きか け る本 が,必 要 で あ る,本 とは,わ れわれ の 内部 の凍 った海 をたた き割 る斧,で な くて はな らぬ 。 ぼ くはそ う思 う。 しか しむ ろん君 は幸福 なのだ。君 の手紙 は文 字 どお り幸福 に輝 いて い る。 これ まで は周 囲 の環境 がわ る くて君 は不 幸 で あ ったにす ぎぬ,当 然 の ことだ. ,. 日蔭 にいては 日光浴 をす るわ け にはいかない ……」 これが さい ごの手紙 だ とす るな ら,こ れ は,こ ち らか らは も う手紙 が書 け な くな った相手 にたいす る,「 不幸」 な人 間の 「幸 福」 な人間 にたいす る,別 離 の言葉 で あ るだ ろ う。. 1904年 ,あ ざやか にバ トン 0タ ッチを終 ったかの よ うに して,マ ックス ・ ブ ロー トが,ポ ラ ックにかわ って 姿 をあ らわす 。唯一 の理 解者 ,無 二 の親友. ,.

(21) 本 野 亨 一. ゴ/5. 全 集編集者 ,生 涯 にわた っての カフカとの「 友情」 の書 簡往復者 ,そ して あ る意 味 で は カフカに とって た いへ ん厄介 なお荷 物 で あ ったプ ロモー ター ・ ブ ロー ト。精力的 な学究 オ ス カ ー ・ ポ ラックは,終 始重厚 な態度 を崩 さず ,不 安定 な「手紙」 の,習 作「 自画像 」 を何枚 か,カ フカに書 かせ る以上 の こと はで きなか ったが, ブ ロー トは 強 引に カフカを 寄 り切 った形 で , 本格的 に 「手紙」 肖像画 の カ ンバ スにむかわせ る ことには成功 した。 しか し1912年 ま で にはまだす こし期間 があ る。 ものを「書 くこと」 のためには, 日記 を書 き は じめ ること (1910∼ 1924),そ して, 父 ヘ ル マ ン・ カ フカが 息子 の まえ に 「 仁王立 ち」 (「 判決」 1912)に な って行手 を さえ ぎる こと,同 時 に,フ ェ リ ー ツ ェ・バ ウア ー とい う女 にゆすぶ られ,お びただ しい「 手紙」 の 吐 き出 し を強要 され ること (1912∼ 1917)が ,必 要 で あ った。.

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参照

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