﹁画集の上にレモンを置く﹂ とはいかなることか
− 梶井基次郎﹁秘やかな楽しみ﹂読解の試み
一、はじめに 一九二二年︵大正十一年︶作と推定される、梶井基次郎のへ夕な詩 ﹁秘や か な 楽 し み ﹂ は 、 こ れ ま で 様 々 な 論 者 に よ っ て 引 用 さ れ 言 及 さ れ て 来 た︵注1︶。それ自体としては特にどうということもない詩であるにも関わら ず、これまで多くの論者によって取上げられて来たのは、言うまでもなく、 この詩篇が ﹃樺榛﹄ の原型であると見なしうるからである。無論この間、 この詩を﹃樺様﹄ の原型と見るかどうかについて議論が全くないわけでは なかった。しかし ﹃樺棲﹄ のモチーフの多くが、というより基本的なモチ ーフがすでに ﹁秘やかな楽しみ﹂ に見られる以上、この詩篇を ﹃樺横﹄ の 原型と見なすのがもはや ﹁常識﹂ というものであろう︵注2︶。 しかし ﹃棒横﹄ の原型とみなされているわりには、﹁秘やかな楽しみ﹂ そ のものの読解はこれまであまり試みられては来なかった。言わば ﹁秘やか な楽しみ﹂ は、読解する必要のないものとしてうち捨てられて来たと言え るだろう。その証拠に簡単な言及を行なっているものは数多く見られるが、 この詩篇そのものを検討したものはほとんど見当たらない。管見の及んだ 範囲という限定をつけて言うなら、須藤松雄の ﹃梶井基次郎研究 ︵改訂 版︶﹄ ︵明治書院、一九七六年四月︶、小玉クリスティヌの ﹁幻覚の定着 − ﹁棒横﹂ 講読﹂ ︵﹃津田塾大学紀要﹄第十号、一九七八年三月︶が目に立つ ぐらいのものである。しかも、﹃樺横﹄読解のための前提としてではあるが、川
原
田
繁
成
正面からこの詩篇に取り組んだと言えるものは、小玉のものがあるだけで あ る 。 小玉はその論文の中で、この詩篇の分析を試みているが、しかしその小 玉にしても分析あるいは読解に充分成功しているとは言いがたい。それと いうのも、はっきり言ってしまえば分析しようにも分析のしょうがないか らである。まともに取り組めば、小玉も行なっているように、幾つかのテ ーマを抽出することができるぐらいのものである。小玉の試みから何か教 訓を引き出すとするなら、分析を試みる者は、何らかの戦略と超越的観点 とを持たなければならないということになるであろう。 言葉の意味を探求しても何も出て来ないことが容易に予想される以上、 本論としては ﹁秘lやかな楽しみ﹂ に描かれている行為に注目することとし たい。より正確に言えば行為の意味に注目するということである。行為の 意味を明らかにすることができれば、﹁秘やかな楽しみ﹂ の世界において何 が行なわれているかも自ずと明らかになるはずである。 ﹁秘やかな楽しみ﹂ に描かれている行為の中で重要と思われるものは、 次の四つの行為である。つまり ﹁レモンを買う﹂ ﹁丸善に入る︵詩中では ﹁丸善の洋書棚の前に﹂ ﹁立つ﹂︶﹂ ﹁画集を積み上げてレモンを置く﹂ ﹁レ モンをそのままにして丸善を出る﹂ の四つである。言うまでもないことだ が、ここでは細かなものは省き、叙述の関係上わかりやすく簡略化すると いう操作を行なっている。この四つの行為は﹃棒横﹄ の中にも描かれてい る行為であり、それゆえ﹃俸禄﹄との比較が容易になるであろう。 二 三 頁今、四つの行為の意味を探求すると述べたが、しかし実際に検討するの は、第三の行為 ﹁画集を積み上げてレモンを置く﹂ と第四の行為 ﹁レモン をそのままにして丸善を出る﹂ の二つである。この一一つの行為を取上げる 理由の第一は、第三の行為に ﹁秘やかな楽しみ﹂ の核心があるからである。 核心が第三の行為にある以上、それに連動した第四の行為も当然問題とさ れなければならない。 この二つの行為は、﹃棒様﹄ においてはわけのわからない行為となってい る。意味不明とまでは言わないまでも、実際問題としてそこで何が行なわ れているのかは判然としない。主人公 ﹁私﹂ は、何やら一生懸命画集を積 み上げてはいるが、しかし実際そこで何が行われているのかがわかる者な ど一人もいないだろう。無論文脈通りに読めばその上にレモンを置くため ということになるのだが、しかしそう説明されても何をやっているのかは よくはわからない。それにそもそも、どうしてそんなことを考えつくこと ができたのかもさっぱりわからない。つまり﹃樺横﹄においては、この行 為の意味は言わばかすみがかかったようになってしまっているのである。 ﹁秘やかな楽しみ﹂ を検討することによってこの第三の行為の意味を確定 することができるなら、﹃樺様﹄ におけるこの行為の意味もある程度はっき りさせることができるだろう。 次に第二の理由だが、第一の行為、第二の行為をここで取上げないのは、 この二つの行為の意味がすでに ﹃樺僚﹄ において与えられているからであ る。つまり、﹃棒様﹄においてすでに意味が与えられている以上、検討する 必要がそもそもないのである。それゆえ、検討は第三の行為からはじめら れなければならない。 二、第三の行為の検討 さて、これから行為の検討に入るが、その前に ﹁秘やかな楽しみ﹂ の本 二四頁 文を引用しておく必要があるだろう。引用は、﹃梶井基次郎全集﹄第一巻 ︵筑摩書房、一九九九年十一月︶より行なう。 一顆の棒榛を貫ひ来て、/そを玩ぶ男あり、/電車の中にはマントの 上に、/道行く時は手拭 ︵タオル︶ の間に、/そを見、そを嗅げば、 / 嬉 し さ 心 に 充 つ 、 / 悲 し く も 友 に 離 り て / ひ と り 唯 独 り 、 我 が 立つは 丸善の洋書棚の前、/セザンヌはなく、レンブラントはもち 去 ら れ 、 / マ チ ス 心 を よ ろ こ ぼ さ ず 。 / 楓 か 唯 ひ と り 心 に 浮 か ぶ1刺し−卵/秘やかに レモンを採り、/色のよき 本を積み重ね、/ その上に レモンをのせて見る、/ひとり唯ひとり翻刻可増車l男4倒 れを眺む、美しきか加/丸善のほこりの中に、一顧のレモン澄みわた る 、 / ほ ほ え ま ひ て ま た そ れ を と る 、 冷 た さ は 熱 あ る 手 に 快 く / その匂ひはやめる胸にしみ入る、/奇しきことぞ 丸善の棚に澄むは レモン、/企みてその前を去り/ほほえみて それを見ず、 ここで問題にしたいのは ﹁画集を積み上げてレモンを置く﹂ という行為 であり、当然問題となるのは、この行為が何を意味しているかということ である。確かに詩中には ﹁画集﹂ と書かれてはいないが、前後の文脈から 考えてここでは ﹁色のよき本﹂ とは ﹁画集﹂ とみなしてよいであろう。こ の行為を考える上で注目すべきなのは、傍線部②の、﹁数歩へだたり、それ を挑む﹂ という行為である。すでに須藤の指摘︵前掲﹃梶井基次郎研究﹄︶ のあるところだが、これは明らかに絵画鑑賞の態度、或いは画家が静物画 を描く時の態度である。そしてこれも須藤が指摘していることだが、レモ ンから容易に推測されるようにここで想定されている絵画は静物画である。 絵画の鑑賞態度であるか制作態度であるかは、この ﹁数歩へだた﹂ って眺 めるという行為によって決定することはできないが、しかしいずれにして もここで問題となっているのは絵画であり、この第三の行為が絵画の世界 を前提にしていることは確実である。﹁セザンヌ﹂ ﹁レンブラント﹂ ﹁マチ ス﹂ と措辞されていることからも、そして積み上げられるものが他の本で 「T【Tt●■ト「■■▼F−−‥
欄 はなくまさに画集であることからもそれは明らか、というより露骨なほど 明らかである。数歩離れて眺めるという行為を足場にして、その地点から 遡及的に眺めれば、ここで問題にもている第三の行為の意味はもはや明ら かと言わなければならないであろう。自分で画集を積み上げるという行為 からもわかるように、この行為は絵画鑑賞というより絵画制作の模倣ある いはもじりなのである。 このことを確かめるために今少し ﹁秘やかな楽しみ﹂ にそくして検討を 続けよう。ここで注目すべきは、傍線部①﹁独りただひとり心に浮かぶ楽 しみ﹂ という部分を含む前後の文脈である。注意しなければならないのは、 このアイディアは自分の見たかった画集がないことを確認した後で、つま り自分は見ることが出来ないと確認した後で、多分唐突に起こっていると いう点である。つまり、自分が見たかった画集を見ることが出来なかった 代償としてこの行為が行なわれている司能性があるということなのである。 ここまで来れば事態はもはや明白であろう。要するにここで起こっている ことはこういうことである。見たいと思っていた画集、あえて特定すれば 静物画を見ることができなかった代わりとして、その時たまたま持ってい た、しかし静物画にはもってこいのレモンを使って自分で自分なりの ﹁静 物画﹂ を作って見たというわけなのである。言い換えれば、たまたま浮か んだ思いつきではあるが、静物画を描く画家の物真似をして独りでにやり としている、というか楽しんでいるというわけである。これはあくまで推 測でしかないと言えば確かにそうなのだが、しかしこのように考えれば、 つまりこの第三の行為を模倣行為 ︵=物真似︶ であると捉えれば、この行 為の動機も意味も、そしてこの行為から生まれる笑いも楽しみも全て説明 できてしまうのである。逆に言えば、このように考えなければこの行為は 意味不明のままである。 ﹃樺様﹄ ではこの行為の意味はほとんどわからなくなっている。﹁画集を 積み上げてレモンを置く﹂ という行為はほとんど子供の椿み木遊びのよう にしか見えない。それはそれで理解可能なのだが、そんなアイディアがど うして浮かぶのか、或いはどうして思い浮かべることが出来たのかを考え れば、全く意味不明の状態に陥るであろう。﹃棒棲﹄ においては、確かに文 脈に従って読む限り違和感を覚えることはないものの、立ち止まって振り 返れば何か意味不明のものが含まれる行為になってしまっているのである。 ﹁秘やかな楽しみ﹂において確認できるのは、この行為が元来は模倣行為 であるという点である。この点を考慮に入れるなら、﹃樽様﹄におけるこの 行為が、元来の姿の形骸化したもの、というか正確に言えば暖昧化したも のと言うことができるであろう。 ﹃棒様﹄からの遡及的まなざしによって、﹁秘やかな楽しみ﹂における行 為も何か子供の積み木遊びのように解釈されている。しかしこの行為を子 供の遊びのようなものとして解釈してはならないであろう。無論、この行 為が子供の遊びのように見えるのは当然である。それというのも、この物 真似という行為には最初から﹁遊戯性﹂が含まれているからである。物真 似と言うだけで、それがほとんど遊びに近いものであることなど自明であ ろう。つまり物真似という行為には、最初から﹁模倣性﹂と﹁遊戯性﹂と いう性格が与えられているのである。この二つの性格を考えれば、この行 為が子供の遊びのように見えてしまうのはある意味では当然なのである。 しかしここで大事なことは、﹁模倣性﹂ と ﹁遊戯性﹂ を切り離してはならな いということである。なぜなら ﹁達戯性﹂だけで解釈すると見失われてし まうものがあるからである。見失われると思われる第一のものは、レモン と画集の連結である。そして第二には、レモンがレモンでなければならな い 理 由 で あ る 。 ﹁遊戯性﹂だけで解釈するということは、言い換えれば﹁遊戯性﹂が確保 されればよいということである。﹁遊戯性﹂ が確保されればよいということ になるなら、結局はレモンと画集との連続性は切れてしまうことになる。な ぜなら、﹁積み上げて置く﹂という行為だけで﹁遊戯性﹂は確保されてしま 二 五 頁
うからである。つまり、﹁積み上げて置く﹂ という行為だけで ﹁遊戯性﹂ は 確保されてしまい、結局、積み上げられるものも、その上に置かれるものも、 何でもよいということになってしまうのである。 吉うまでもないことだろうが、レモンと画集とは強固に連結している。 レモンと画集が結合しているからこそ、静物画の模倣という意味が発生す る。﹁遊戯性﹂だけでこの行為を見てしまうと、結局はこの連結が切れてし まうのである。この二つのものの関連が断ち切られれば、すべては意味不 明なものとならざるを得ない。例えば画集ではないものの上に置かれたレ モンを想像してみるのがよいであろう。画集ではないものの上に置かれた レモンは、明らかに全くの意味不明のものである。そこにレモンが置いて あるというだけのことで、それが何を意味しているのか、そもそもレモン を置くことに何の意味があるのか全くわけがわからなくなってしまうので ある。つまり ﹁模倣性﹂ と切り離した ﹁遊戯性﹂ で解釈した場合、そこで 何が行われているのか全くわからなくなってしまうのである。 次にレモンがレモンでなければならない理由について述べよう。レモン と画集との連結が見失われるということは、同時にレモンがレモンでなけ ればならない理由が見失われるということである。 これは﹃棒横﹄においても、﹁秘やかな楽しみ﹂においても起こっている ことだが、レモンと画集とは最初から与えられたものとして存在している。 言い換えればこの二つのものを条件として事は起こっている。その意味で は選択の可能性は最初から排除されているのである。それは起こったから 起こったのであり、レモンはレモンでなければならないように最初からな っているのである。このことは、何らかの ﹁体験﹂ を想定しなくてはなら ないという問題を引きずり出して来るが、しかし本論においては ﹁体験﹂ に言及している余裕はない。それゆえ、ここでは﹁体験﹂を想定しない場 合には、﹁秘やかな楽しみ﹂ は、レモンでなくとも成立してしまうというこ とを確認するだけにとどめよう。 二 六 頁 ﹁秘やかな楽しみ﹂ の構造から言えば、ここで構造というのは関係の枠 組みという程度の意味だが、画集の上に置かれるのはレモンでなくともよ いま.である。なぜなら画集と静物画で描かれる果物という関係さえ保たれ ればよいからである。画集と静物画で描かれる果物という関係さえ保たれ るなら、例えばオレンジでも ﹁秘やかな楽しみ﹂ は成立してしまう。つま り ﹁秘やかな楽しみ﹂一の構造だけから言えば、レモンは代替可能なのであ る。レモンがレモンでなければならない理由は、﹁秘やかな楽しみ﹂ の構造 の側にはない。他でもないレモンにおいてそれが起こったという ﹁体験﹂ だけが、レモンがレモンでなければならないという根拠を与えているので あ る 。 ﹁遊戯性﹂ で解釈した場合、結局上に置かれるのものはレモンでなくと もよくなると先はど述べた。レモンがレモンでなくともよいということは、 レモンがレモンでなければならない理由など最初から問題とはされなくな るということである。 ﹁模倣性﹂と切り離された﹁遊戯性﹂ で解釈した場合、見失われるもの があるということは、ここまでの叙述で明らかになったと思われる。﹁秘や かな楽しみ﹂ における第三の行為を、ただたんに子供の遊びのように捉え てしまってはならないのである。すでに述べたように、﹁模倣性﹂ というも のを考慮に入れない限り、全てがわけのわからないものになってしまう。 ということは、この第三の行為が ﹁模倣行為﹂ であることは、もはや明ら かではないだろうか。 ここで第三の行為に関して、﹃樺横﹄の中で起こっていると思われること についても簡単に触れておこう。﹃樺様﹄において起こっていることを次の ように考えれば、なぜ ﹁模倣性﹂が見失われたのか、つまり、﹁秘やかな楽 しみ﹂ においてははっきりとしているこの行為の ﹁模倣性﹂ がなぜこれま で見失われて来たのかがわかるであろう。 ﹁数歩離れて眺める﹂ という行為が消え、ただたんに ﹁しばらく眺め
す る﹂ というように変更された結果、﹃樺棲﹄ ではこの行為の ﹁模倣性﹂ は曖 味なものとなってしまっている。すでに述べたように、この行為は最初か ら﹁模倣性﹂ と ﹁遊戯性﹂という性格を持っており、それゆえ﹁模倣性﹂ が弱まれば ﹁遊戯性﹂ が強まるというのは言わば当然のなりゆきである。 ﹃樺棲﹄ においてこの行為が子供の遊戯のようにしか読めないのはそのた めである ︵言い忘れたが、﹁遊戯性﹂ が ﹁子供のイメージ﹂ ﹁楽しさ﹂ と連 動していることなど一一苧つまでもないであろう︶。行なわれている行為が模倣 行為であるとわからなくなれば、子供の遊びのようにしか見えなくなるの は当然なのである。そしてそのようなまなざしで ﹁秘やかな楽しみ﹂ を遡 及的に眺めれば、﹁秘やかな楽しみ﹂ におけるこの行為の ﹁模倣性﹂ も見失 われ、その結果﹃樺横﹄と同じようにしか見えなくなるというわけである。 これまでの叙述において、この第三の行為が模倣行為であることはほぼ 確認できたであろう。しかし模倣行為であるという点はよいとして、それ がどのような模倣かを更に検討しておく必要があるだろう。それがどのよ うな模倣であるかを確認することによって、この行為の意味をいっそう鮮 明にすることができるはずである。 三、模倣行為としての第三の行為 ここでは、この第三の行為が持つ性格を更に確認しておきたい。 この第三の行為は行為として取り出してみればたわいもない行為である。 そしてこの行為はあくまで模倣行為、物真似である。物真似はあくまで物 真似であって本物ではない。つまり模倣行為を何万回繰り返しても、元の オリジナルな行為となることは決してないのである。このことを強調する のは、この画集を積み上げるという行為に、何か芸術創造を見てしまうよ うな解釈が﹃樺棲﹄論に多々見受けられるからである。﹃樺様﹄ においては そのように読めてしまう面があるのは否定できないが、しかし原型である ﹁秘やかな楽しみ﹂ において確認できるのは、この行為のたわいのなさで あ る 。 次に確認しなければならないのは、どうしてそのようなたわいもない行 為が意味を、つまりは価値を持つのかという点である。このたわいもない 模倣行為、たんなる物真似が意味を持つとすれば、この行為が冗談だから である。シャレで作ってみたら、意外によかったというのがはぼ実態に近 いであろう。その場限りの戯れ事、その場限りのジョークだからこそ、た かだか画集を積み上げてレモンを置くという行為に意味が生まれるのであ る。つまり物真似にしか過ぎないこの行為が、ウイットに富んだ行為、多 少なりともオシャレな行為ともなりうるのである。ここで顔を出している のは、冗談という要素である。 すでにこの行為には ﹁模倣性﹂ と ﹁遊戯性﹂ とが与えられていると述べ たが、ここまで来ればこの ﹁遊戯性﹂ には子供の遊びのような要素と冗談 の要素が含まれていると見なさなければならないであろう。ここで先取り して言えば、﹃樺横﹄ においては、﹁模倣性﹂ が曖昧になると同時にこの冗 談の要素も暖味になっていると言わなければならない。冗談の要素が希薄 になった分、芸術創造が行なわれているかのように見えてしまうという現 象が起こって来るのであろう。 更に確認を続けよう。次に確認しなければならないのは、この模倣行為 の模倣対象はきわめて暖味であるという点である。ここで模倣の対象とな っているのは特定の行為ではない。先に静物画を描く画家の物真似をして いると述べたが、しかし実際には、画家の特定の行為が模倣されているわ けではないのである。例えば、絵画制作の画家の行為、つまりパレットを 持ち、キャンバスに向かいなどというような具体的な行為・特定の行為が 模倣されているわけではない。模倣の対象は、きわめて漠然としたもので ある。それは全体としての世界とでも言わなければ仕方のないものである。 この第三の行為は絵画の世界が前提となっているとすでに述べたが、ここ 二 七 頁
ではより広い世界、絵画を含みこむ広い世界を想定しなければならないで あろう。このように考えてくれば、それは ﹁芸術﹂ の世界と言わざるを得 ないであろう。つまりここで模倣対象となっているのは、言わば幅広い ﹁芸術創造行為﹂ とでもいうべきものであると考えざるを得ないのである。 このことは、この行為がどうしてそもそも思いつかれたのかという問題 と連動している。先にこの行為の動機を代償行為で説臥したが、しかし実 はこの代償行為だけではこの行為のそもそもの ﹁起源﹂ を説明できない。 そもそもこのような行為を思いつき、それを実際にしてみるなどというこ とは、何かを前提としなければ決して起こりえないのである。例えば美術 の棚の前で、自分が見たかった画集がなかったとしよう。その時にこのよ うな行為がアイディアとして思いつくかどうかを考えてみれば、思いつく 可能性はきわめて低い、いやほとんど皆無であるということがわかるであ ろう。何か暗黙の前提を共有しない限り、この ﹁秘やかな楽しみ﹂ の男と 同じ行為を思いつくはずがないのである。ここでは ﹁芸術﹂ が暗黙の前提 となっていると見なさなければならない、と思われる。﹁芸術﹂ を前提とし ない限り、例え冗談であったとしても、このような行為をそもそも思い浮 かべることはできないのである。 すでにこの行為は冗談であると述べたが、この冗談という観点からも、 ﹁芸術﹂ を前提としているだろうということは確かめられる。例えば、画 集を積み上げてレモンを置くという行為のどこが面白いのか、それが静物 画のもじりとして何が面白いのかという問いを立ててみよう。つまり、こ の行為が面白いと思えるためには何が必要かということを問題にしてみよ う。この行為を面白いと思えるためには、明らかに ﹁芸術﹂ が必要である。 いや、より詳しく言えば、﹁芸術﹂ を信じていることが必要である。冗談に は前提が必要であり、逆に言えば、前提を共有しない者にとっては、それ は冗談ではない。つまり前提を共有しない者にとっては、画集を積み上げ てレモンを置くという行為は、ほとんど馬鹿々々しいものでしかないので 二 八 頁 あ る 。 ﹁芸術に対する憧れ﹂ 或いは ﹁芸術に参与したいという願望﹂ が存在し ない限り、いやそもそも善きもの・価値あるもの・素晴らしいものとして の ﹁芸術﹂ を信じていない限り、行為者がこのような行為を思い浮かべる ことはなかったであろう。逆に言えば、﹁芸術﹂ など信じていない者がこの ような行為を思い浮かべ、実際にその行為を行なうなどということは、ま してやそれを面白いと思うことなどはほとんど考えられないのである。こ のように検討してくれば、この第三の行為が ﹁芸術﹂ を前提にしているで あろうことははぼ確実であろう。 この、﹁芸術﹂を前提にしているだろうという推測が正しければ、新たな ものが顔を出して来るのがわかる。それは ﹁俗物性﹂ である。そもそもど うしてこんなことをする必要があるかのを考えれば、﹁芸術家気取り﹂ とい うイメージがどうしても湧き起こって来るであろう。﹁芸術家気取り﹂ が言 いすぎなら、﹁芸術通﹂ である。﹁芸術に通じている者﹂ としての特権的身 振りとでもいったものが、この行為には感じられるのである。つまり ﹁芸 術﹂ を前提とする限り、﹁芸術に通じている者﹂ として自己を特権化しよう とする身振りが、この第三の行為には付き纏ってしまうと言わざるを得な い。 以上の確認作業によって模倣行為としての第三の行為の性格づけは、ほ ぼ完了したと言えるであろう。次の課題は第四の行為の意味であるが、し かし第三の行為が模倣行為であること、冗談であること、﹁芸術﹂ を前提と する行為であることなど踏まえれば、第四の行為の意味は自ずとわかって 来 る で あ ろ う 。
四、第四の行為の検討 第四の行為は、﹁レモンを置いて外に出る﹂ という行為である。この行為 で問題となるのはその動機、つまりどうしてそのようなことをしたかであ る。この行為は、動機と意味とが結びついているので、動機が明らかにな れば、行為の意味も自ずと明らかになるはずである。 すでに検討したように、第三の行為とは静物画制作の模倣、あるいはも じりであった。この第三の行為の意味を前提にすれば、結論は自ずと出て 来る。つまり第四の行為の動機とは、﹁人に見せるため﹂ あるいは ﹁人に見 せたい﹂ である。第四の行為は、明らかに人に見せるための行為である。 そしてその見せるべき内容とは言うまでもなく、模倣された、物真似によ って作られた静物画である。 ﹃樺横﹄ においてはわかりにくくなっているので、ここでは敢えて強調 する必要があるだろう。﹁秘やかな楽しみ﹂ においては、つまり﹃樺横﹄ の 原型においては、この行為は明らかに意図されたものである。つまりわざ わざ人に見せるためにレモンを置いて出て行ったのである。詩中の ﹁企み て﹂ という言葉が端的にそのことを表しているであろう。無論意図そのも のは突然起こったものであるかもしれない。しかし﹃樺穣﹄において描か れているように、﹁レモンを置いて出て行ったら面白いかな? 面白いかも しれない。いやきっと面白いだろう﹂ とでもいうような心の動きはここに は一切含まれていない。﹁レモンを置いて出る﹂ という行為は、当たり前の こととして面白い行為なのである。なにせ、静物画のもじりというパフォ ーマンスなのだから、面白くないはずがないであろう。言うまでもなくこ こでは ﹁面白い﹂ ということは自明である。ここではそれを面白いと思う 者たちの世界、無論そこには行為者も含まれている世界が、暗黙のうちに 前提とされているのである。逆に言えばそのような世界を前提にしなけれ ば、そもそも行為者の頭の中にこのような思いつきが浮かぶことはなかっ た は ず で あ る 。 ここでは新たな問題が発生しているので、その間題を検討することにし よう。すでに、それを面白いと思う者たちの世界が自明の前提となってい ると述べたが、ここで発生しているのは見せるべき相手の問題、﹁想定され る他者﹂ とでも呼ぶべきものの問題である。﹁秘やかな楽しみ﹂ の世界にお いてはこの第四の行為は、明らかに ﹁想定される他者﹂ を呼び出している と言えるであろう。この ﹁想定される他者﹂ とは、すでに第三の行為のと ころで検討したように、行為者と前提を共有する者たちである。つまり ﹁芸術﹂ を信じ、﹁芸術創造﹂ の模倣を面白いと思える連中である。それが 具体的にはどのような連中であるかは、残念ながら ﹁秘やかな楽しみ﹂ だ けでは想定できない。﹁秘やかな楽しみ﹂ の世界で言えるのはここまでであ る。この ﹁他者﹂ を知るためには、歴史的背景という外部が必要となるで あ ろ う 。 ﹃樺横﹄ についてもここで簡単に触れておこう。第三の行為の ﹁模倣 性﹂ が曖昧化されることによって、﹃樺棲﹄ では全てが曖昧となっていると 言わざるを得ない。この第四の行為に関しても同じことである。原型にあ った ﹁人にみせるため﹂ という行為の動機、見せるべき内容、そしてある 程度限定され特定される、見せるべき相手など全てが曖昧となっているの である。﹃棒橡﹄ においては ﹁くすぐったい気持L を根拠にして ﹁いたずら のような行為﹂ としか解釈できないようになっている。﹁いたずら﹂ のよう な行為でも﹁想定される他者﹂は呼び出されるが、しかし何を見せるのか、 誰に見せるのか全て曖昧と言わなければならない。その結果、﹃樺棲﹄ にお いては ﹁誤読﹂ の可能性が生じているのである。つまり置き去りにされた 画集の上のレモンが、行為者が期待するようには美しいものと受けとめら れない可能性が生まれているのである。 ここまでの考察によって、第三・第四の行為の意味はほぼ明らかになっ 二 九 頁
たものと思われる。残る課題は、この ﹁秘やかな楽しみ﹂ がいかなる世界 に属しているか、言い換えればいかなる世界を母胎として生まれているか を明らかにするという課題である。しかしその間題に入る前に、﹁秘やかな 楽しみ﹂ を参照項目として ﹃樺横﹄ に関して何が言えるかという点につい て簡単に触れておく必要があるであろう。 五、失われた意味 これまでの検討によって ﹁秘やかな楽しみ﹂ における第三の行為が模倣 行為であることはほぼ確実であると思われるが、しかし﹃棒棲﹄ において はまた違った現象が起こっていると思われる。ここではこの間題について 簡単に触れておきたい。すでに述べたように、﹃樺棲﹄ では ﹁模倣性﹂ は曖 昧化されている。﹁模倣性﹂ そのものは曖昧化されているにも関わらず、模 倣行為は、というより行為そのものはそのまま﹃棒様﹄に受け継がれてい る。いや、﹁幻想的な城﹂ を作るというようにむしろ強化されてしまってい ると言うべきであろう。その結果この行為がなにやら意味ありげに見えて しまうということになるのだが、しかし行為の意味の根拠そのものは曖昧 化によって失われたと言うべきであろう。この行為が何か芸術創造のよう に見えてしまうのは、模倣対象が消えて、模倣行為だけが残ったからであ ろう。つまり何やら美の創造を目指す身振りだけが、あたかも影のように 残っているからであろうと思われる。書かれてあることから確認できるの は、以上のようなことであろう。ここで確認すべきことは、﹃樺様﹄ におい ては、第三の行為の意味を決定できる根拠が失われて、行為の意味は空自 になっているというこlとである。行為の意味が空白になっているので、誰 も意味の決定などできないというわけである。と同時に意味が空自になっ ているので、誰もが自分の意味をそこに読み取れるように、そして自分が 読み取った意味によって空白を埋めることができるようになっているので 三 〇 頁 あ る 。 第三の行為とはたかだか画集を積み上げてレモンを置くという行為であ る。この行為のたわいのなさを考えれば、問いを次のように立て直す方が、 意味を見つけ出そうとするよりも、まだましな行為であろうと思われる。 つまり、﹁このようなたわいもない行為を、何事かが行なわれているかのよ うに見てしまうのはなぜか﹂ ﹁そもそも人がそれを、何事かが行なわれてい ると信じてしまえるのはなぜか﹂ というように問いを立て直す方が、決定 不能の意味を巡って水掛け論を戦わせるよりもより生産的というものであ ろう。この問いの答えそのものは簡単である。明らかに ﹁カーンと冴えか えるレモン﹂ が存在するからこそ、人はたわいもない行為をあたかも芸術 創造ででもあるかのように信じることができるのである。しかし、この ﹁カーンと冴えかえるレモン﹂ のリアリティーの根拠を明らかにすること はきわめて困難である。﹁カーンと冴えかえるレモン﹂ の根拠を明らかにす るためには、多分、﹁体験﹂ の奥深くへと探究の垂鉛をおろさなければなら な い で あ ろ う 。 六、残余の問題と超越的観点 ここでは残された問題、1秘やかな楽しみ﹂ がいかなる世界に属するのか いう問題を考察したい。そのためには、幾つかの超越的な観点を導入しな ければならないであろう。 例えば周知の事実、梶井基次郎がハイカラ趣味であったことを根拠にし て、﹁西洋への憧れ﹂ という超越的視点に立ってみよう。この ﹁西洋への憧 れ﹂ という視点で ﹁秘やかな楽しみ﹂ を眺めてみれば、ほとんどすべての ものが繋がって来ることがわかるだろう。レモンがハイカラなものである ことなど自明である。ある日レモンを買ったということ自体は偶然であろ うが、しかしそもそもレモンが選ばれたのはハイカラだったからである。 . . ̄ ̄ lu
 ̄. ̄L−t−1一−. 三高時代、梶井がほとんど毎日通っていただろうと思われる丸善は、言う までもなく ﹁西洋文化の窓﹂ である。絵画は、無論西洋絵画であり、西洋 文化・西洋芸術の華︵の一つ︶。先に触れた ﹁想定される他者﹂ とは、梶井 と同じく西洋崇拝をした連中。更にこれも簡単に触れたスノピッシユな身 振りの問題も、﹁西洋かぶれ﹂ という言葉を持ち出せば了解可能となるであ ろう。つま。、﹁西洋への憧れ﹂ というものを想定すれば、全てはこの ﹁西 洋への憤れ﹂ という一本の糸で繋ぐことができてしまうのである。すでに 検討した四つの行為も、この ﹁西洋への憧れ﹂ という視点によって眺め直 すなら、より一層理解が深まるというものであろう。行為の原動力は、憧 れの西洋と同一化したいという願望の現れと取あえずは言えてしまうので ある。しかし﹁西洋への憧れ﹂というだけではまだ抽象的すぎるであろう。 ここでは更に限定していく必要があるのだが、しかしその限定されるもの などもはやすでに明らかである。問題はあくまでも西洋文化・西洋芸術で ある。いや本当の問題、ここで本当に問題にしたいのは ﹁芸術﹂ である。 すでに第三の行為の検討を行なったところで、この行為は ﹁芸術﹂ を前 提としているだろうと述べたが、その ﹁芸術﹂ と西洋芸術とはここで繋が る。﹁秘やかな楽しみ﹂が書かれたと推定される一九二二年当時、梶井らの 目の前に存在していたのは西洋芸術であったと思われる。第一次大戦後に、 様々な西洋文化・芸術が日本に流入したことなど今や周知の事実であろう。 一号っまでもなくその西洋芸術はたんなる ﹁西洋の﹂ 芸術などというもので はない。それは大文字の ﹁芸術﹂、﹁芸術﹂ そのものであったはずである。 それゆえ、先に述べた ﹁西洋への憧れ﹂ という言葉は、﹁芸術への憧れ﹂ と 簡単に読み替えることができるの.である。 そもそも梶井基次郎に ﹁芸術への憤れ﹂ をもたらしたものは何かなどと 問いはじめると、また別の論文が必要ということになる。それゆえここで は、推測或いは見通しという形で簡単にこの間題に触れておきたい。 梶井に ﹁芸術への憧れ﹂ をもたらしたものは、梶井の個人的な事情、実 存的な問題を除外すれば、当時の文壇状況と教養主義であると思われる。 梶井と教養主義との関係については、何人かの論者が簡単に触れている程 度である。いちいち引用はしないが、例えば鈴木貞美が、特に ﹁生命主 義﹂との関係で触れているのが目立つぐらいのものであろう。しかし、梶 井が教養主義の影響を濃厚に受けていることは明らかである。残された日 記・書簡、あるいは伝えられる梶井の読書傾向などから見て影層を受けた ことはほぼ確実である︵注3︶。しかし、ここで梶井に r芸術への憧れ﹂ をも たらしたものを教養主義であると特定する必要など全くないであろう。そ れというのも、当時の文壇状況そのものが、教養主義の大きな影響下にあ ったと思われるからである。 大正文学において問題とされるのは常に ﹁文学﹂ ではなく ﹁芸術﹂ であ ったこと、言い換えるなら ﹁芸術﹂ という言葉が文学を巡る状況において 溢れかえっていたことなど、いまやほとんど周知の事実であろう。例えば、 大正時代の文学状況を分析した労作に山本芳明の﹃文学者はつくられる﹄ ︵ひつじ書房、二〇〇〇年十二月︶ があるが、そこで豊富に引用される当 時の文章の中には、これでもかというほど ﹁芸術﹂ が溢れかえっている。 この溢れかえる﹁芸術﹂をもたらしたものが教養主義であろうと思われる のだが︵注4︶、山本をここに引き合いに出したのは、無論﹁芸術﹂が溢れか える様子を確認するためだけではない。山本の﹃文学者はつくられる﹄に 依拠する形で、当時の文壇状況と教養主義との関係を検討してみようとい う目論見からである。ここでは山本が明らかにしたパラダイム・チェンジの 問題にそくして簡単な検討を試みてみよう。 ﹃文学者はつくられる﹄ によれば、一九一七年に、文壇において作家の 新旧交代と同時進行の形でパラダイム・チェンジが起こったということで あるが、無論それは突如起こったわけではなく、あるプロセス、ある変動 を経た後に一九一七年に顕在化したということである。山本はその変動の 最終段階として一九一七年二月末から三月にかけておこつた島村抱月と和 三 一 頁
辻哲郎の論争を取上げている。しかし論争そのものは置くとして、ここで 確認したいのは、次のような引用から読み取れるものである。 和辻の激しい ﹁自然主義﹂批判が正しいかどうか、或いは新しい文 学者に関する分析が実態lに即しているかどうかはさておき、﹁自然主 義﹂ を徹底的に批判することで主張された新しい文学者のあり方が浮 上してきたことこそが重要である。理想をめざし ﹁自己﹂ を高め豊か にしていくという ﹁生活態度﹂ が文学者の ﹁人格﹂ に反映され、﹁人 格﹂ の成熟は ﹁偉大な作品﹂ を生む −。この和辻の強烈な発言が、 大正教養主義の名の下に一括される人々の、明治末期からの思想的な 蓄積の成果の上に成り立っているのはいうまでもあるまい。同時に忘 れてならないのは︹中略︺ ﹁新個人主義﹂ といった名称で、ポスト自然主 義の思想として、学閥や派閥を越えて、広く流通していたことである。 ︵ 前 掲 ﹃ 文 学 者 は つ く ら れ る ﹄ ︶ ここで確認したいのは、山本の言うパラダイム・チェンジをもたらした ものの正体は教養主義ではないのかということである。無論それは山本自 身が言及していることではあるのだが、しかし山本の関心とはズレるらし く、﹃文学者は作られる﹄において教養主義が言及される箇所は、見落とし がなければ、たった二箇所でしかない。つまり山本はそれほど重点を置い ていないようなのだが、パラダイム・チェンジの内容から言っても、また 起こった陣期から言っても、教養主義の影響を考えざるを得ないのである。 例えば、和辻の主張から、 ︵理想を目指す立派な︶ 生活態度1 ︵立派な︶ 人格1偉大な ︵芸術︶ 作品 という図式を簡単に取り出せるが、矢印を逆にすれば教養主義に凝ってし まうではないか。また、顕在化の前段階として山本は、一九一四年頃から の漱石評価の ﹁新たな評価軸﹂ の登場、一九一六年の ﹁夏目漱石の死にと もなう神話化﹂ 同じく赤木桁平の ﹁遊蕩文学撲滅論﹂ などを取り上げてい 三 二 貢 るが、このプロセスは教養主義が影響を拡大していくプロセスとぴったり 重なっているのである ︵筒井清忠は、﹃日本型 ﹁教養﹂ の運命﹄.︵岩波書店、 一九九五年五月︶ で、一九一七年の和辻哲郎の ﹁全ての芽を培え﹂ ︵﹃中央 公論﹄ 四月号︶ に注目し、﹁この作品は日本における教養主義の成立宣言文 であったといってもよいであろう﹂ としている︶。更にこの転換劇の ﹁登場 人物﹂、つまり漱石・和辻哲郎・赤木桁平 ︵この中には山本が取上げている、 近松秋江攻撃に参加した石坂養平も入るだろう︶ などに注目すれば、この パラダイム・チェンジという転換劇が教養主義と極めて密接な関係を持っ ていることが推定できるであろう㍉ 視点を変えてみよう。パラダイム・チェンジが起こったということは多 数の支持者があったということである。この点に注目するなら、多数の ﹁読者﹂ がこの転換劇を支持したということであろう。すでに山本は、一 九一四年頃の漱石評価の ﹁新しい評価軸﹂ の登場に関わって、﹁︵森田︶ 草 平たちとは違う評価軸を持った青年たちが出現し文壇で発信を始めたとい うことが重要﹂ と指摘している。しかし、その当の青年たちを、﹁時事新 報﹂ の投書の住所などから、山本は、﹁一高・帝大の学生﹂ の可能性がある としているのである。このことを踏まえれば、旧制高校において教養主義 の影響を受けた連中が、トコロテン式に次から次へと補充されて大きな ﹁読者層﹂ を形成していったであろうことが推測できるのではないか。そ してそういった連中が山本の言う転換劇を支えただろうと推測することが 可能なのではないか。 ここに挙げたのは全て状況証拠でしかないが、しかし当時の文壇状況と 教養主義との間に密接な関係があることそのものは、この状況証拠からだ けでもある程度確認できるであろう。無論教養主義が文壇を制覇したとま では言えないであろうが、しかし大きな影響を与えたことは容易に想像で き る の で あ る 。 更にここで推測を述べることが許されるなら、この教養主義の影響が、 扉呼密−−−
その後の空前の同人雑誌時代をもたらしたのではないか。すでに山本は ﹃文学者はつくられる﹄ の中で、一九二〇年に文学がビジネスとして自律 したことによって文学が商売になることが確認され、そしてそのことが同 人雑誌時代をもたらした一つの要乱であろうと指摘している。確かにそれ はそうなのだろうが、イデオロギー的な側面も考慮に入れざるを得ないで あろう。問題は ﹁芸術﹂ にあるはずである。当時、﹁芸術﹂ は光輝に満ちた もの、輝くオーラを放つものであったはずである。そして多くの若者たち が ︵ここで推測が許されるなら、それは一九〇〇年前後に生まれた連中で あろう︶、善きもの・価値あるもの・望ましいもの・輝くものとしての ﹁芸 術﹂ を信じてしまったのではないかと思われるのである︵注5︶。そしてそれ を信じたからこそ、空前の同人雑誌時代がもたらされたのであろうし、ま た梶井基次郎のような苛烈な、いや見ようによっては馬鹿々々しい人生を 歩む者も現われたの.であろうと思われるのである。 以上長々と述べて来たが、ここで確認したかったのは、梶井の目の前に はこのような世界が広がっていたのではないかということである。ここで 述べたことは無論推測に基づく見取り図でしかない。しかし ﹁西洋への憧 れ﹂ ﹁芸術﹂ ﹁教養主義﹂ ﹁パラダイム・チェンジ﹂ ﹁同人雑誌時代﹂ などを一 本の糸で繋ぐことができる可能性があることだけは確かめられたのではな いかと思われる。問題は ﹁芸術﹂ であり、それを解く鍵は多分、教養主義 である。そしてここで ﹁秘やかな楽しみ﹂ に話を戻すなら、﹁秘やかな楽し み﹂ はこのような世界を母胎として生まれて来たはずである。﹁芸術﹂ をキ ーワードとする、言わば ﹁運動としての教養主義﹂ とでも呼ぶべきような もの、うねりのような上潮のような盛り上がる大きな流れの中に梶井はい たであろうし、﹁秘やかな楽しみ﹂ もそのような世界から生まれてきたであ ろう。無論﹃樺様﹄ についてはまた違った検討が必要であることは言うま でもないが、しかし少なくとも ﹁秘やかな楽しみ﹂ が背景としている世界 はこのようなものだったと思われる。 七、終わりに 最 後 に 、 本 論 に お い て 極 力 回 避 し た 問 題 に つ い て も 触 れ て お か な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 回 避 し た 問 題 と は 、 想 定 さ れ る ﹁ レ モ ン 体 験 ﹂ に 関 わ る 問 題 で あ る 。 そ れ は 詩 中 の 言 葉 を 使 っ て 言 え ば 、 レ モ ン を 買 っ た 後 で ど う し て ﹁ 嬉 し さ ﹂ に 心 が 満 た さ れ る と い う 事 態 が 起 こ る の か と い う 問 題 で あ り 、 ど う し て レ モ ン が 澄 み わ た る の か と い う 問 題 で あ る 。 し か し こ の 間 題 は 、 明 ら か に ﹁ 秘 や か な 楽 し み ﹂ で は 解 決 で き な い 。 つ ま り ﹃ 棒 棲 ﹄ 論 に 含 み こ ま れ る 形 で し か 解 決 で き な い 問 題 で あ り 、 従 っ て 本 論 の 課 題 と す るものではなかったということである。 本 論 に お い て 何 ほ ど か が 明 ら か に な っ た と す る な ら 、 そ れ は 超 越 的 観 点 の 導 き に よ る も の で あ る 。 最 初 に 触 れ た 必 要 と さ れ る 超 越 的 観 点 と は 、 実 は 教 養 主 義 で あ っ た 。 つ ま り 超 越 的 観 点 と し て 選 択 し た 教 養 主 義 が 与 え る 見 通 し に 従 っ て 考 察 を 進 め て み た ま で の こ と で あ る 。 し か し 教 養 主 義 を 道 具として使えるのは、﹁秘やかな楽しみ﹂ までである。﹁レモン体験﹂ を中 心 に し た ﹃ 樺 横 ﹄ 論 が 次 の 課 題 と さ れ る と す る な ら 、 ま た 新 た な 超 越 的 観 点が必要となるであろう。 注1、ここではいちいち引用しないが、三好行雄の ﹁青春の虚像 − ﹁棒横﹂梶井基次 郎 ﹂ ︵ ﹃ 作 品 論 の 試 み ﹄ 至 文 堂 、 一 九 六 七 年 六 月 所 収 ︶ を は じ め と し て 多 く の 梶 井 研 究 者 が 引 用 し 言 及 し て い る 。 ち な み に 最 近 の も の を 挙 げ れ ば 、 テ ク ス ト 批 評 ︵ 本 文 批 判 ︶ と し て で は あ る が 、 棚 田 輝 轟 の ﹁ 梶 井 基 次 郎 ﹁ 秘 や か な 楽 し み ﹂ の 本 文 に つ い て ﹂ ︵ ﹃ 実 践 国 文 学 ﹄ 第 五 十 一 号 、 一 九 九 七 年 三 月 ︶ が あ る 。 注 2 、 こ れ に つ い て は 清 川 勝 彦 よ り 、 ﹁ 不 吉 な 塊 ﹂ ﹁ 見 す ぼ ら し く て 美 し い も の ﹂ な ど の 重 要 な モ チ ー フ が 欠 落 し て い る 以 上 、 ﹁ こ の 延 長 線 上 に ﹃ 樺 棲 ﹄ を 考 え る こ と は で き な い ﹂ と い う 、 ﹁ 秘 や か な 楽 し み ﹂ を 原 型 と は 見 な さ な い 見 解 が 掟 出 さ れ た が ︵ ﹃ 梶 井 基 次 郎 ﹄ ︵ 鑑 賞 □ 日 本 現 代 文 学 ︶ 角 川 書 店 、 一 九 八 二 年 一 月 ︶ 、 定 説 に は な ら な か っ た と 言 え る だ ろ う 。 す で に 桐 山 金 吾 に 、 こ の 詩 に つ い て ﹁ ﹃ 樺 様 ﹄ を あ く ま で 散 文 と し て 理 解 す る 場 合 、 草 稿 の 系 譜 か ら 逸 ら し て 考 え る の は 必 須 な 条 件 で あ ろ う ﹂ ︵ ﹁ 梶 井 基 三 三 頁
一 次郎の文学 − ﹁樺榛﹂ 以前の断片とその文体﹂ ︵﹃国学院雑轟﹄第七十八巻第七号、 一九七七年七月︶ という指摘があるので、清川はこの指摘を踏まえたのかも知れない。 渡川の見解については、小西護に ﹁作品﹃樽横﹄ の誕生に結びついたことに疑問の余 地はない﹂ という批判がある ︵﹁作品論・梶井基次郎︵一︶﹂、﹃イミタチオ﹄第四号、 一九八六年四月︶。また、飛高隆夫にも ﹁あらずもがなの批判﹂ という論評がある ︵﹁梶井基次郎﹁瀬山の話﹂考﹂、﹃大妻国文﹄第二十二号、一九九一年三月︶。 注3、これについては、中谷孝雄﹁句樽横﹄解説し ︵﹃樺横﹄ ︵学生文庫︶解説、一九五一 年四月。のち﹃梶井基次郎全集﹄別巻、筑摩書房、二〇〇〇年九月︶ 参照。 注4、これはこれで検討が必要であることなど言うまでもないことだが、例えば山本が引 用している江口浜の言葉、﹁芸術は矢張りその窮極に於いて﹃真﹄﹃善﹄﹃美﹄ の正し く融合一致したものでなければならない﹂ ︵﹁文壇の体勢と各作家の伎置﹂、﹃中外﹄大 正七年八月︶ などいう言葉は、新カント派︵それも西南学派︶ からもたらされた﹁芸 術概念﹂ であることなどほとんど明らかであろう。 注5、無論、これを何かよきことのように掃きだすのではなく、﹁所詮は芸術に参与する ことによって自己を特権化しようとしたのである﹂ というふうに掃きだすことも可能 である。これについては高田理恵子に ﹁日本の高学歴者たちは、本来そこに差などな い大衆との差臭化を図るために、彼らが上層階級文化と見なした西洋ブルジョア文化 を正統文化として掲げ、学校仲間のあいだではそれへの同化が強いられた、というわ けだ﹂ ︵﹃文学部をめぐる病﹄松庵社、二〇〇一年六月︶ という指摘がある。また、こ こではいちいち引用はしないが、﹁身分文化﹂ としての教養主義については最近の教 育社会学でよく指摘されているところである。本論で簡単に触れたスノピッシユな身 振りはここに関わる問題であるが、今後検討が必要な領域であろう。 諌 三 四 頁