国
際
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第
Ⅰ
部
で
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金融制度改革
に
迫
る
。
第Ⅰ部
マ
ネ
ー
︱
ド
ル
基軸通貨体制
の
黄昏
Ⅰ
世界金融危機
と
IMF
の
改革
世界金融危機の発生からおよそ七年が経過したが、依然 として国際通貨システムの再建に向けた道筋はついていな い。学術的なレベルでは、資本主義に内在する不安定性へ の着目 * 1 、ケインズ経済学の再評価 * 2 といった試みが始まって いるものの、いまだ議論は途上であり、現代経済を捉える 新たな枠組みを構築するには至っていない。さらに政策立 案の現場では、欧州債務問題によってユーロが動揺する一 方、 中 国 政 府 の 積 極 的 な 通 貨 外 交 が 人 民 元 の 存 在 感 を 高 め、国際通貨をめぐる攻防はますます混迷を極めている。 このように迷走する世界経済のなかにあって、その役割 を 拡 大 さ せ て い る の が 国 際 通 貨 基 金 ( International Monetary Fund : I M F) で あ る。 今 世 紀 初 頭 の「大 い な る安定期」と呼ばれた世界経済の安定期にはその存在意義 が低下したIMFであったが、世界金融危機を契機にその 融資活動は再び活発化し、近年は「トロイカ」の一極とし て 欧 州 債 務 問 題 の 解 決 に お い て 枢 要 な 役 割 を 果 た し て い る。 さ ら に 特 別 引 出 権 ( Special Drawing Right : S D R) の構成通貨をめぐる米中間の対立は、それ自体、IMFが なお国際通貨をめぐる中心的なフォーラムとして認識され ていることを印象付ける結果となった。 翻って、こうした活躍の背後で、IMFは急速な変革を 求められてきた。くわしくは後述するが、改革は主に、① 融資制度の改革、②ガバナンスの改革、③サーベイランス の強化という三点を軸に展開した。次々と繰り出される国 際社会からの要望を受け、IMFの改革はなし崩し的な様 相すら呈している。 IMFの改革は主にサミットの場で討議されてきたが、 協議のなかでIMFの役割との関連で必ずといってよいほ ど言及されてきたのが「国際通貨システムの安定」という 言葉である。もちろん、こうしたIMFの役割に対する認 識は間違ったものではない。事実、IMF協定第一条に明 示されているように * 3 、国際通貨システムの安定を通し世界 経済の発展に寄与することは、創設以来、一貫してIMF の理念であり続けている。 他 方、 「国 際 通 貨 シ ス テ ム」 と は 本 来「歴 史 性」 を 伴 う 概念であり、IMFもまた一定の史的条件の下で創設され た「歴 史 的」 な 存 在 で あ る と い う 点 に は 注 意 が 必 要 で あ る。すなわち「国際通貨システムの安定」という理念が正 当性を持ち、仮にIMFがその実現のための国際機関であ ることが自明であるとしても、そのことが直ちに、理念を 実現するための適切な政策の在り方までも規定するわけで はない。 こ れ に 対 し、 「I M F の 改 革」 に 言 及 す る 発 言 者 た ち が、今次の危機の文脈で何を以て「国際通貨システムの安 定」と捉えているのか、必ずしも明確ではないし、まして コンセンサスは存在しないように思われる。IMFの改革 は、 「国 際 通 貨 シ ス テ ム の 安 定」 と い う「ま っ と う な」 理 念から歴史制約性を捨象する一方、そのようにして普遍化 した理念の範囲内でIMFの使命の在り方をソフトに解釈 する形で進んでいる。IMFの現状は、迷走する現代経済 を映し出す鏡なのである。 そこで本論では、戦後国際通貨システムの成り立ちと展 開について、IMFが果たしてきた歴史的役割の変遷を跡 付けることで検討する。混迷を極めるいまこそ、あらため て戦後国際通貨システムの起源にまで遡行し、長期的な視 点からその「現局面」を捉え返すことが必要であろう。一 般に、第二次大戦後に成立した国際通貨システムのことを 「ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制」 と 呼 ぶ * 4 。 以 下 で は、 こ の ブ レ ト ン ウッズ体制の形成期と崩壊期に区分して国際通貨システム とIMFの役割の変化について論じる。第Ⅰ部
マ
ネ
ー
―
ド ル 基軸通貨体制 の 黄昏ブ
レ
ト
ン
ウ
ッ
ズ
体制
と
IMF
の
変容
︱
史的展開
と
現局面
西川
輝
Ⅱ
ブ
レ
ト
ン
ウ
ッ
ズ
体制
の
形成
と
IMF
す で に ガ ー ド ナ ー ( Richard Gardner ) の 古 典 的 研 究 が 指摘しているように * 5 、戦後構想をめぐっては、第二次大戦 の開戦直後から英米間で交渉が進められていた。一九四一 年八月の大西洋憲章第四項と一九四二年二月の相互援助協 定 第 七 条 に お い て、 戦 後 世 界 に 多 角 的 貿 易 決 済 体 制 (多 角 主 義) を 確 立 す る こ と が 英 米 両 国 の 目 標 と し て 明 言 さ れ た 後、ケインズとホワイトの間での交渉を通し具体案が構想 されていった。こうして作成された戦後構想は英米間の妥 協の産物でもあったが、一九三〇年代の経験を繰り返すま いとの共通の認識に支えられたものでもあり、一九四四年 七月の国際会議において連合国四四カ国の調印によってブ レトンウッズ協定として成立した。 ブレトンウッズ協定は、国際通貨システム運営および各 国の政策運営のためのルールを明示した「設計主義」にそ の特徴があった。まず国内面では、裁量的なマクロ政策を 通した完全雇用の追求と金本位制との間に生じていた矛盾 を、 「調 整 可 能 な 釘 付 け 制 度」 と 呼 ば れ る 為 替 相 場 制 度 と 一時的な国際収支の失調を補填するためのIMF融資とに よって緩和することが想定された。また国際的には、近隣 窮乏化と経済のブロック化を防ぐため、国際貿易の発展に 資する「多角的決済体制」の樹立が追求された。もちろん 周知のように、資本移動とりわけ短資移動は国際金融にお ける均衡破壊的な要素と見なされたため、為替自由化=通 貨の交換性回復はあくまで経常勘定の範囲に限定された。 I M F は、 「加 盟 国 に 対 し 内 外 均 衡 の 同 時 追 求 が も た ら す 矛盾を緩和するための短期融資を提供しながら、経常取引 にかかわる通貨の交換性回復を促す」という通貨調整の実 施を使命として誕生した。 もっともシステム全体を見れば、すべての国が対等な地 位にあったわけではない。ブレトンウッズ体制は、金ドル 間の安定と交換性を軸とする基軸通貨体制すなわち「金ド ル固定本位制」として設計されることになった。協定が為 替平価の表示通貨としてドルを指定したことは、ドルに基 軸通貨としての特別な地位を保証する制度的要因であった が、世界の金準備の約八〇%、工業生産力の過半を占めて いたアメリカ以外に、システムの安定を担保することは不 可能であった。このような状況の下で、国際通貨システム の安定は、アメリカによるドル価値の維持、その他の国々 によるドルと自国通貨の安定・交換性の維持によって実現 される。この意味で、金ドル固定本位制は、主要国間の国 際政策協調を前提とするシステムだったともいえよう。 ところが、終戦直後の国際通貨システムは「調整可能な 釘付け制度、裁量的なマクロ政策、経常取引に限った通貨 の交換性回復」という現代の国際金融論的な理解で総括で きるほど単純なものにはなりえなかったし、金ドル固定本 位制が想定通りに機能したわけでもなかった。すなわち、 深刻なドル不足の下で各国は厳格な為替管理を維持し、裁 量的なマクロ政策もまた外貨制約によって阻まれた。さら に復興需要に基づくインフレは、為替平価の安定を阻害し た。IMFが通貨調整を行う条件は整っていなかった。 こ う し た 空 隙 を 埋 め た の が マ ー シ ャ ル・ プ ラ ン で あ っ た。アメリカによる欧州復興支援は、生産力の回復を進め ていた欧州諸国の経済安定に貢献すると同時に、諸国が自 律的に進めていた欧州域内の自由化構想とも結びつくこと で、 一 九 五 〇 年 に 欧 州 決 済 同 盟 ( European Payments Union : E P U) の 成 立 を も た ら し た * 6 。 こ の E P U は、 ド ル地域と西側諸国を二分する多角的決済機構であり、一九 五八年の通貨交換性回復にいたる西欧諸国の漸進的な為替 自由化の歩みを支える役割すなわちブレトンウッズ体制の 形成に重要な役割を果たした。 これと対照的に、IMFは次第にその存在感を低下させ ることになった。一九五〇年代前半にかけて融資額は減少 の一途を辿り、主要国の為替自由化は当初想定されていた 一九五二年を大幅に超える時間を要することになった。そ してこうした事態の推移を受け、ブレトンウッズ体制の形 成期における「休眠状態のIMF」という評価が定着する ことになった (Bordo and Eichengreen 1993
) 。 ところが、これまで明らかにされてこなかったが、IM F の 側 は こ の「休 眠 状 態」 に 甘 ん じ て い た わ け で は な かった * 7 。それどころか、加盟国の国際収支調整ないしマク ロ経済管理のための理論や、コンディショナリティの原型 となる「融資条件」の枠組みなど、いわば現代的な政策路 線 が 形 成 さ れ た の は、 ま さ に こ の 休 眠 期 に お い て で あ っ た。この点は、IMFに対する評価だけでなく、ブレトン ウッズ体制の形成をめぐる通説を修正するものでもあるた め、ややくわしく説明しておきたい。 実 は I M F の 内 部 で は、 一 九 四 七 年 三 月 の 開 業 当 初 か ら、専務理事や主要スタッフを中心にEPUにいたる欧州 の 為 替 自 由 化 過 程 へ の 積 極 的 な 関 与 が 試 み ら れ て い た。 「過 渡 期 条 項」 と 呼 ば れ る I M F 協 定 第 一 四 条 は、 一 九 五
二年三月までを「戦後過渡期」と定義し、この間、加盟国 に為替管理の維持を認めていた。IMFは、一九五二年以 降、 為 替 管 理 を 維 持 す る 加 盟 国 と 自 由 化 に 向 け た 協 議 (I M F 一 四 条 コ ン サ ル テ ー シ ョ ン) を 行 う こ と で、 世 界 の 為 替自由化を主導することが想定されていた。ところが、世 界経済の中心地である欧州の為替自由化は、早くもこの戦 後 過 渡 期 に お い て 始 め ら れ た。 「制 度 的 な 基 礎」 を 欠 き つ つも、IMFスタッフたちは欧州の動向に「為替自由化の 推進主体」として対応しようとしたのであった。 IMFスタッフたちは、欧州の赤字国に域内決済用の資 金を提供することで、欧州の為替自由化過程に介入する方 針を摸索したが、この政策の実現はマーシャル・プランに よって阻まれることになった。というのも、マーシャル・ プランの発動を契機に、アメリカ政府がIMFの資金を凍 結する方針を打ち出すと、IMF理事会では、アメリカ理 事の強い意向によって「IMFは国際収支調整のための資 金も含め、欧州の被支援国に対する融資を原則禁止する」 と の 方 針 が 決 定 さ れ た か ら で あ る。 通 称「E R P ( European Recovery Program ) の 決 定」 と 呼 ば れ る こ の 政策は、欧州諸国への資金提供を摸索するスタッフの計画 を停止させるとともに、欧州諸国のIMFに対する失望感 を招いた。結局、欧州側の抵抗もあり、IMFがEPUの 創設過程に関与することは叶わず、IMFは休眠状態に陥 ることになった。 しかしIMFスタッフたちは、EPUの成立によって為 替自由化の推進主体としてのIMFの地位が脅かされるこ とへの危機感を強く有しており、一九五〇年に入ると、独 自の為替自由化路線を検討し始める。そして「残存するド ル不足と依然として不安定な国際収支の存在が、為替自由 化 の 障 害 に な っ て い る」 と の 分 析 に も と づ き ( IMF 1950 ) 、 加 盟 国 に 対 外 均 衡 重 視 の 緊 縮 的 マ ク ロ 政 策 を 要 求 す る 方 針 を 形 成 し た 。 ここで、マクロ政策調整が国際収支調整の手段として同 時代において必ずしも一般的ではなかった点に注意が必要 である。実際IMF協定では、基礎的な不均衡の是正に対 し て は 為 替 相 場 の 変 更 (調 整 可 能 な 釘 づ け) が、 一 時 的 な 不均衡の調整にはIMF融資の活用が想定されていた。こ れ に 対 し ス タ ッ フ が 依 拠 し た の は、 「ア ブ ソ ー プ シ ョ ン ア プローチ」と呼ばれる国際収支調整理論であった。経常収 支 を 国 内 総 生 産 と 国 内 総 支 出 (ア ブ ソ ー プ シ ョ ン) の 差 と み な す こ の 理 論 は、 I M F 調 査 局 の ス タ ッ フ で あ っ た ポ ラ ッ ク ( Jacques Polak ) に よ っ て 考 案 さ れ、 ア レ ク サ ン ダ ー ( Sydney Alexander ) の 論 文 に よ っ て 広 く 知 ら れ る よ う に な っ た ( Alexander 1952 ) 。 す で に 一 九 五 〇 年 頃 ま でに、各国へのミッション等を通し、IMFスタッフたち は「過剰な国内総支出を抑制しなければ、為替減価を行っ ても経常収支不均衡を是正することはできない」との認識 を 有 す る よ う に な っ て お り ( De Vries 1987: 13-24 ) 、 こ の ことが対外均衡重視の政策路線に理論的な裏付けを与えて いたのであった。 さらにIMFは、融資制度改革を実施することで、加盟 国のマクロ政策に介入するための方法的な基礎をも獲得し て い く こ と に な る。 現 在 で こ そ、 I M F 融 資 に コ ン デ ィ ショナリティと呼ばれる政策面の条件が付されることは広 く知られているが、当初のIMF協定は融資の利用条件に ついて明記していなかった。資金の利用については、協定 第五条第三項において「通貨の買入を希望する加盟国は、 その通貨が現に必要である旨を示さなくてはならない」と 述 べ ら れ て い た が、 「そ の 通 貨 が 現 に 必 要 で あ る か 否 か」 を 厳 格 に I M F が 審 査 す る の か、 「そ の 通 貨 が 現 に 必 要 で ある」ことを唯一の条件としてほとんど自動的に資金利用 が可能なのか曖昧であった。そして融資の利用条件が定ま らないことは、必然的に加盟国の資金需要を低迷させ、I MFの地位を貶める方向に作用していたのである。 こ う し た 状 況 を 打 開 す べ く、 初 代 専 務 理 事 の ギ ュ ッ ト ( Camile Gutt ) に よ っ て「I M F の 目 的 = イ ン フ レ 抑 制、 為替相場の安定、為替自由化」にコミットする加盟国に対 し積極的に資金を提供するとの原則が整備された。そして 第 二 代 専 務 理 事 の ル ー ス ( Ivar Rooth ) に よ っ て、 金 利 手 数料体系、買戻し期間、ゴールドトランシェの資金利用と いった資金利用の手続きが整備された。IMFは、加盟国 に融資の利用を勧めるとともに、IMFの目的に即した政 策運営を促すための積極的な手立てとして融資制度を確立 したのであった。 加盟国のマクロ政策を積極的に管理するという方針は、 現代的なIMFの政策路線の原型といえるものだが、少な く と も I M F 協 定 上、 自 明 の こ と で は な か っ た。 そ れ ら は、 「戦 後 過 渡 期 に お け る I M F の 休 眠 状 態」 と い う 特 殊 な史的条件の下で形成されたものだったのである。こうし て 一 九 五 二 年 に な る と、 一 四 条 コ ン サ ル テ ー シ ョ ン を 通 し、また融資政策を活用しながら、IMFは主要国に通貨 安定と為替自由化を促した。コンサルテーションは、緊縮 的マクロ政策介入の超国家的な枠組みとして機能し、戦後 過 渡 期 の 終 了 と「金 ド ル 固 定 本 位 制」 と し て の ブ レ ト ン
ウッズ体制の形成に重要な役割を果たしたのであった。
Ⅲ
ブ
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体制
の
崩壊
と
IMF
1
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の
崩壊
戦 後 過 渡 期 の 終 了 は、 二 つ の 点 で I M F に「新 し い 課 題」を突きつけた。第一に、アメリカの圧倒的な経済力に よって支えられていたシステムの安定が、西欧諸国の台頭 によって次第に揺らぎ始めたのである。為替自由化の障害 であったドル不足の解消には西欧のキャッチアップを必要 としたが、両者の経済的均衡は、ドル不足の解消を直ちに ドル過剰へと転換させた。第二に、為替自由化の進展は、 当初想定された経常取引の範疇を超えた資本移動をもたら すようになった。とりわけ過剰となったドルが、主要為替 市場において投機的な動きを見せるようになった。きわめ て逆説的だが、ブレトンウッズ体制成立のための条件は、 同時に体制の存続を脅かす要因でもあったのである。 こうした二つの変化は、早くも一九六〇年九月に「金と ドルの危機」という形で国際通貨システムを動揺させた。 こ う し て 主 要 国 間 で は、 「金 プ ー ル」 や「中 央 銀 行 間 ス ワップ網」をはじめとするドル防衛のための枠組みが次々 と 構 築 さ れ て い っ た。 主 要 国 の 為 替 自 由 化 に 目 途 が つ く と、IMFもまた危機対応に乗り出した。IMFでは、す でに一九五〇年代後半の時点で短資移動の存在とその不安 定性が認識されており、一九五九年二月に初めてのクオー タの増資が実現していた (九〇→一四四億ドル) 。加えて、 第 三 代 専 務 理 事 の ヤ コ ブ ソ ン ( Per Jacobsson ) は、 主 要 一 〇 カ 国 (後 の G 10) と の 間 で 六 〇 億 ド ル 相 当 の 一 般 借 入 取 極 ( General Arrangements to Borrow : G A B) を 締 結 し、危機対応力の向上を図った。 また、ドル危機の原因を巡り、元IMFスタッフであり 当 時 イ エ ー ル 大 学 の 教 授 に 転 身 し て い た ト リ フ ィ ン ( Robert Triffin ) の「流 動 性 ジ レ ン マ 論」 が 注 目 を 集 め る な か ( Triffin 1960 ) 、 根 本 的 な シ ス テ ム 改 革 の 必 要 性 も 認 識 さ れ る よ う に な っ た。 一 九 六 三 年 一 〇 月 の I M F 総 会 で、 第 四 代 専 務 理 事 の シ ュ バ イ ツ ァ ー ( Pierre-Paul Schweitzer ) が、 国 際 通 貨 制 度 改 革 の 検 討 に 着 手 す る こ と を宣言すると、G 10蔵相代理会議とIMF理事会との協議 を経て、一九六七年一〇月に新準備資産であるSDRの創 設と第一次IMF協定改正が合意された。 し か し、 さ ま ざ ま な「パ ッ チ ワ ー ク」 も S D R の 創 出 も、根本的にはドルへの信認を回復することはできなかっ た。前述のとおり、金ドル固定本位制の維持には国際政策 協 調 が 必 要 だ っ た に も か か わ ら ず、 一 九 六 〇 年 代 後 半 以 降、 ア メ リ カ 政 府 は ド ル 防 衛 策 を 放 棄 し「大 砲 も バ タ ー も」など次第に貨幣節度を失ったインフレ政策を展開する ようになった。他方で、対米黒字国へと成長しつつあった 西 ド イ ツ や 日 本 も ま た 経 常 収 支 の 調 整 に は 消 極 的 で あ っ た 。 こうして一九六七年一一月、ポンドが投機圧力を受けて 切 下 げ に 追 い 込 ま れ る に お よ び、 体 制 の 凋 落 は 決 定 的 に なった。一九六八年三月、金プールの崩壊と金の二重価格 成 立 に よ っ て ド ル 防 衛 の 枠 組 み が 空 中 分 解 へ と 向 か う な か、ニクソン政権はビナイン・ネグレクトへと政策の舵を 切り、事態はなし崩し的にニクソンショックへと帰結した のだった。ニクソンショック後まもなく、主要国間では平 価調整に向けた協議が重ねられたものの、調整幅をめぐっ て各国の利害は鋭く対立し、一九七一年一二月に成立した スミソニアンレートは政治的な妥協の産物となった。依然 として、金ドル交換性も停止したままであった。主要通貨 への投機は収まらず、わずか半年後の一九七二年六月には ポンドが、一九七三年二月には円が、そして三月にはEE C六カ国が共同でフロート制に移行した。こうして金ドル 固定本位制としてのブレトンウッズ体制は、わずか二五年 余りで崩壊したのである。 こうしたなか、IMFでは、一九七二年七月に設置され た「国際通貨制度改革のための検討委員会=通称二〇カ国 委 員 会 (C 20)」 に お い て 安 定 し た 国 際 通 貨 シ ス テ ム の 再 建に向けた検討が始められていたが、合意に向けた調整は 難航した。フロート制の理論と実際をめぐる各国の見解の 対立に加え、ユーロ市場に形成されたホットマネーは当局 による管理を困難にし、そこにオイルショックをめぐる混 乱が追い打ちをかける格好となった。 一九七四年六月にいちおうの「改革概要」がまとまった ことでC 20は解散となり、作業はIMF暫定委員会によっ て継承された。そして最終的な改革案は、一九七六年三月 にIMF理事会で承認され、四月にIMF協定の第二次改 正が行われるに至った。一九七八年四月に発効したこの改 正では、①各国は自由に為替相場制度を選択できるが、相 場の乱高下を防止するため必要に応じて為替市場に介入す ること (管理フロート制) 、 ②為替相場政策はIMFのサー ベ イ ラ ン ス に 従 う こ と (I M F 四 条 コ ン サ ル テ ー シ ョ ン) 、③ 金 を 廃 貨 し S D R を 価 値 基 準 に 据 え る こ と が 決 め ら れ た * 8 。 しかしこの協定改正を、根本的なシステム改革と評価す ることはできない。むしろ「安定した国際通貨システムの 在り方」ないし「安定的に国際通貨システムを運営するた めのルールの在り方」について国際的な合意を形成するこ とが著しく困難になっていた同時代の現実を、そのまま反 映したものにすぎなかった。以降、不安定なフロート制の 下で資本移動はますます活発になり、主要国間の国際政策 協 調 は、 ア メ リ カ の 主 導 す る サ ミ ッ ト を 通 し て き わ め て 「ア ド ホ ッ ク」 な も の と し て 展 開 す る よ う に な っ た。 一 九 七 〇 年 代 以 降 の 国 際 通 貨 シ ス テ ム は、 ウ ィ リ ア ム ソ ン ( John Williamson ) が 評 し た 通 り「ノ ン シ ス テ ム」 で あ っ た。同時に、七〇年代以降に確立した国際通貨システムは ドル本位制でもあった。すなわち、協定改正では金を廃貨 しSDRを価値基準として重視するとしながらも、結局は ドルに代わる国際通貨は存在しえなかった。主要通貨に対 して減価しながらも、ドルバランスは増加の一途を辿って いる。 このような一九七〇年代の混乱を経て、IMFは、国際 通貨システムの形成主体としての側面を弱め、国際流動性 供給主体としての機能を強化していった。ブレトンウッズ 体制の崩壊によって国際通貨システムの安定をめぐる国際 的 な 合 意 は 雲 散 霧 消 し、 「ノ ン シ ス テ ム」 の 時 代 へ と 移 行 した以上、これは必然の流れでもあった。IMFに残され た選択肢は、生起する国際収支問題に対応するための融資 能力の拡大だったのである。事実、一九七〇年代末にかけ ての時期は、IMF史上、もっとも頻繁にクオータ増資が 行 わ れ た 期 間 で あ っ た (一 九 六 五 年 三 月: 二 〇 六 億 ド ル、 七 〇 年 二 月: 二 八 五 億 S D R、 七 六 年 三 月: 三 九 〇 億 S D R、 七 八 年 一 二 月: 六 〇 〇 億 S D R) 。 ま た 一 九 七 四 年 九 月 には、長期かつ巨額の国際収支困難に陥った加盟国を支援 す る た め の「拡 大 信 用 フ ァ シ リ テ ィ ( Extended Fund Facility :EFF) 」が新設された。
2
グ
ロ
ー
バ
ル
化
と
金融危機
一九七〇年代を通した融資制度の新設は、単なる国際収 支問題への対応ではなく、とりわけ途上国融資に対応した ものだった。拡大するユーロ市場にアクセス可能な先進国 がIMFの利用を控えるようになった一方、固定相場制の 下で国際収支の調整に問題を抱える途上国は依然として多 く、 こ れ ら の 国 々 に と っ て I M F の 重 要 性 が 相 対 的 に 高 まっていた。途上国の国際収支赤字は、多くの場合、構造 的な問題のゆえに重債務化しがちであり、その救済には長 期かつ巨額の資金利用を可能とする融資制度が必要だった のである。 IMFによる途上国支援として注目を集めたのが、一九 八〇年代における中南米累積債務問題への関与であった * 9 。 この危機は、米商業銀行による中南米へのオイルマネー融 資 が ア メ リ カ の 高 金 利 政 策 (ボ ル カ ー シ ョ ッ ク) を 契 機 に デフォルトしたものであったが、一方で中南米諸国の放漫 財政と高インフレに起因する経常収支赤字の累積、その背 景としての開発戦略の行き詰まりという構造的な問題に起 因していた。 危機国からの支援を要請されたIMFは、緊縮的マクロ 政 策 と 為 替 相 場 の 切 り 下 げ を 軸 と す る コ ン デ ィ シ ョ ナ リ ティによって問題の解決を図り、アメリカ政府もまた、I MFプログラムの履行を条件に債務のリスケジュールに応 じ る な ど の 方 針 を 打 ち 出 し た。 し か し コ ン デ ィ シ ョ ナ リ ティは、経常収支の一時的な回復をもたらした一方で「マ イ ナ ス 成 長、 高 失 業、 輸 入 イ ン フ レ」 を 招 き、 リ ス ケ ジュールはコンチネンタルイリノイの破綻を含むマネーセ ンターバンクの経営悪化を招いた。 こ う し て 債 務 問 題 が 国 際 的 な 金 融 危 機 へ と 深 化 す る な か、アメリカ政府・IMFは、中南米の危機が、従来型の 一時的な流動性不足による経常収支危機ではなく、構造的 な支払能力問題であるとの認識へと転換していった。そし て一九八九年一一月、中南米諸国に必要な改革のパッケー ジとして、一〇項目からなる「ワシントンコンセンサス」 が示された。そこで示された方針は、財政の規律、公共投 資の見直し、金利自由化、規制緩和・民営化、経済制度の 整備 (税制改革、財産権の保護) 、適切な為替相場、貿易・ 資本自由化であり、その要点は、途上国の非市場的な経済 構造の改革と対外開放であった。それは英米で台頭してい た ア ン グ ロ・ サ ク ソ ン 型 の 新 自 由 主 義、 そ し て 現 代 の グ ロ ー バ ル 化 の 論 理 を 象 徴 的 に 示 し た も の だ っ た と い え よ う 。 ま た I M F は、 一 九 八 六 年 三 月 に「構 造 調 整 フ ァ シ リ テ ィ ( Structural Adjustment Facility : S A F) 」 を、 一 九 八七年一二月には 「拡大構造調整ファシリティ ( Enhanced Structural Adjustment Facility : E S A F) 」 を 相 次 い で 創 設した。このように一九八〇年代を通し、IMFは、途上 国 (一九九〇年代に入ると移行経済諸国もここに加わる) に 対し中長期的な「構造調整融資」を実行する機関へとその 役割を変化させていった。そしてコンディショナリティには、従来型のマクロ政策調整に加え、ワシントンコンセン サスに基づく構造改革が組み込まれるようになった。 一九九〇年代に入ると、中南米諸国は構造改革と外資導 入 を 積 極 的 に 推 進 し、 「失 わ れ た 一 〇 年」 か ら 一 転、 新 興 市場国として世界の注目を集めるようになった。しかし、 このような市場化とグローバル化への急速な対応は、高成 長の裏側で「二一世紀型の危機」と評される資本収支危機 のリスクを高めるものだった。一九九四年、NAFTAへ の加盟をめぐる政治不安や経済見通しの悪化を契機に発生 したメキシコの「テキーラ危機」は、八〇年代の累積債務 問題と異なり、マクロ経済指標が健全な国でさえ、突発的 な危機に見舞われるリスクがあることを浮き彫りにした。 こ う し た な か 、 一 九 九 七 年 一 二 月 の ア ジ ア 通 貨 危 機 へ の 対 応 を め ぐ りI M F は 試 練 を 迎 え る こ と にな る * 10 。 周 知 の と お り 、 一 九 九 〇 年 代 の ア ジ ア 諸 国 は 「 東 ア ジ ア の 奇 跡 」 と 評 さ れ る 高 成 長 を 遂 げ て おり 、 危 機 は 、 少 な く と も 直 接 的 に は 、 資 本 流 出 と そ の 伝 染 に よ っ て 引 き 起 こ さ れ た も の だ っ た * 11 。し か し 危 機 国 に 対 す る I M F コ ン デ ィ シ ョ ナ リ テ ィ は 、 危 機 の 内 因 説 す な わ ち ア ジ ア 諸 国 の 「 縁 故 資 本 主 義 ( 金 融 部 門 の 脆 弱性 な ど の 非 市 場 的 経 済構 造 ) 」 に 問 題 を 見 出 す内容で、緊縮的マクロ政策と構造改革を柱としていた。 こ の I M F プ ロ グ ラ ム が 却 っ て 危 機 を 悪 化 さ せ た こ と で、IMFは厳しい批判を受けることになった。外因説論 者 を 中 心 と す る 批 判 者 は ( Stiglitz 2002 ) 、 左 派 の み な ら ず 新古典派でさえ、①IMFが新興国や途上国の市場志向型 のシステム改革に関与しアジア諸国の未発達な金融市場を 短期的・投機的なリスクにさらしたこと、②そうした自由 化路線は主要国ないし多国籍銀行の利害を貫徹するために 追求されたものであったことを指摘し、政策論の誤謬に止 まらずIMFの政治性にも言及した。 実 際、 I M F の 功 罪 を め ぐ る 議 論 の な か で、 I M F の 「使 命 の 変 質 ( mission creep ) 」 に 触 れ な い も の は ほ と ん ど 皆無であった。また、通貨危機によって廃案となったが、 一九九七年四月、IMF暫定委員会が「資本自由化をIM Fの特別の目的とし、かつ資本移動に関する特定の権限を IMFに与えるためにIMF協定を改正する」ことに合意 していたことからも、IMFが金融グローバル化を唱道し てきたとの主張は説得的であった。実際、危機後に展開し たIMF資本自由化論争では、なお資本自由化の効用を支 持する見解が示された一方、急速な自由化のもたらす不安 定性や規制の正当性を支持する主張が相次いだ * 12 。 他 方、 I M F 史 家 で あ る ボ ー ト ン ( James Boughton ) によれば、新自由主義の台頭と市場化・金融グローバル化 の 潮 流 を、 I M F の 側 で は「サ イ レ ン ト レ ボ リ ュ ー シ ョ ン」 と 捉 え て い た と さ れ る。 彼 は、 成 長 を 志 向 す る 新 興 国・途上国の側の自律的な市場志向・対外開放路線の採用 が、むしろ政治的な問題については介入回避的であったI M F を、 こ れ ら 諸 国 の 改 革 に 踏 み 切 ら せ た と 説 明 す る ( Boughton 2001 ) 。 ブレトンウッズ体制の形成期においては、為替自由化の 正当性が国際的に合意されていたことから、IMFによる 政策介入の是非が問われることはなかった。すなわち当時 は、多角的決済体制からの「偏差」としての為替制限の除 去や、その成否と不可分の緊縮的なマクロ政策介入には、 国民経済の側に受容される基礎的条件が存在していた。し かし、金融グローバル化が進行し危機が頻発する時代にな ると、国際通貨システムと国民経済サイドの制度・政策の 在り方、それらと国際金融危機との関連性についてコンセ ンサスはなくなった。ここに開発や成長といった途上国固 有の問題が加わることで、IMFはコンディショナリティ の有効性と正当性を正面から問われることになったといえ よう。
3
IMF
の
改革
* 13 こうして、今世紀に入るとIMFの改革が始まった。改 革 の 中 心 は、 ア ジ ア 通 貨 危 機 の 経 験 を 反 映 し て、 「 one size fits all 」と揶揄された画一的なIMFプログラムとり わけ構造改革を含むコンディショナリティの見直しと、よ り新興国・途上国の意向が反映される「民主的」な機関へ の転換であった。 改 革 は、 二 〇 〇 〇 年 九 月 の I M F 総 会 で、 専 務 理 事 の ケ ー ラ ー ( Horst Köhler ) が ① I M F プ ロ グ ラ ム に お け る 借入国のオーナーシップの重視、②構造的コンディショナ リティの縮小について呼びかけたことを契機に始まった。 二〇〇二年九月、既存のガイドラインの改訂が理事会で決 定され、コンディショナリティの簡素化と借入国の状況に 適 し た「 Taylor made 」 の 条 件 を 設 定 す る こ と 等 が 決 定 さ れた。さらに二〇〇六年九月、IMF理事会・総務会は、 新興国・途上国の地位を高めるための「クオータとボイス の改革」を決定し、二〇〇七年五月に特別増資が発効した (二 一 二 〇 億 S D R → 二 一 七 五 億 S D R) 。 二 〇 〇 八 年 四 月 にはさらなる特別増資が合意され、基礎票に加え、中国・韓国・インド・ブラジル・メキシコ等の新興国のクオータ が大幅に増加することになった。 世 界 金 融 危 機 の 発 生 は、 「国 際 通 貨 シ ス テ ム の 安 定」 の 名の下にIMF改革のペースを著しく早め、またその範囲 を大幅に拡大させた。こうしたなか、既存の改革もまたI MFの危機対応力の拡大と並行して進展した。 ま ず コ ン ディ シ ョ ナ リ テ ィ の 改 革 は 、融 資 制 度の 新 設 と 軌 を 一 に し て 展 開 し た 。 I M F で は 、 二 〇 〇 八 年 九 月 の 短 期 流 動 性 フ ァ シ リ テ ィ ( Sho rt-t erm Li qu idi ty F ac ili ty: S L F ) を 皮 切 り に 、 二 〇 〇 九 年 三 月 に 弾 力 的 ク レ ジ ッ ト ラ イ ン ( F lex ib le C re dit L in e : F C L ) 、 二〇 一 〇 年 八 月 に 予 防 的 ク レ ジ ッ ト ラ イ ン ( Pre ca ution ar y C re dit L in e : P C L ) 、 二 〇 一 一 年 一 一 月 に 予 防 的 流 動 性 ラ イ ン ( Pre ca ution ar y an d Li qu idi ty Li ne: P L L ) が 相 次 い で 新 設 さ れ た 。 こ れ ら 諸 制 度 は 資 本 収 支 危 機 へ の 対 応 に 特 化 した も の で あ り 、 特 徴 の 一 つ は コ ン デ ィ シ ョ ナ リ テ ィ の 大 幅 な 縮 小 に あ っ た 。 と り わ け 二 〇 〇 九 年 三 月 に 行 わ れ た コ ン ディ シ ョ ナ リ ティ の 改 革 に よ っ て 、 融 資 の 継 続 を 判 断 す る 際 の 基 準 で あ る 「 パ フ ォ ー マ ン ス ・ ク ラ イ テ リ ア 」 か ら 構 造 改 革 が 完 全 に 廃 止されたことは重要な意味を持った。 また二〇一〇年一二月には第一四次クオータ一般増資が 決 議 さ れ、 I M F の 融 資 能 力 は 倍 増 す る こ と に な っ た (二 三 八 四 億 S D R → 四 七 六 八 億 S D R * 14 ) 。 こ の 増 資 で は 出 資 比 率の調整が一つの眼目とされており、基礎票の三倍増、新 興国および途上国へのクオータシェアの六%ポイント以上 の移行が盛り込まれた。そしてこの結果、BRICs諸国 が 出 資 額 の 一 〇 位 以 内 に 名 を 連 ね る こ と に な っ た (中 国 三 位、 イ ン ド 八 位、 ロ シ ア 九 位、 ブ ラ ジ ル 一 〇 位) 。 ア メ リ カ が 重 要 案 件 に つ い て 拒 否 権 を 有 す る 体 制 に 変 わ り は な い が、こうした「クオータとボイス」の変化は、近年の国際 経済関係の地殻変動を如実に反映している。とりわけ中国 の台頭は著しく、二〇一五年一一月三〇日、人民元はSD Rの構成通貨として正式に採用された。 さて、世界金融危機を契機に本格的に着手された改革と し て は、 サ ー ベ イ ラ ン ス (政 策 監 視) 体 制 の 強 化 を あ げ る ことができる。既存の政策監視の枠組みは、第二次協定改 正 を 契 機 に 導 入 さ れ た 個 別 国 に 対 す る 四 条 コ ン サ ル テ ー ション (為替相場政策の監督) と、 『世界経済見通し ( World Economic Outlook ) 』 等 の 刊 行 を 通 し た 複 数 国・ 地 域 に 対 するマルチなサーベイランスから構成されてきた。これに 対し危機後は、金融部門の監視と早期警戒措置の発動、経 済金融面の不安定性とその国際的な波及経路・波及効果の 測定にまで役割を拡大させている。このことは、これまで マクロ経済の安定化を専門にしてきたIMFが、よりミク ロな金融部門の動向にまで進出することを意味しており、 そ の「マ ン デ ー ト (管 轄) 」 の 変 容 を 示 す 事 態 と い え る。 もちろんこうした業務はIMF単独で成し得るものではな い た め、 金 融 安 定 理 事 会 ( Financial Stability Board ) 等 の 国際フォーラムとの協同が進められている。
お
わ
り
に
以 上 、 通 史 的 に ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制 と I M F の 変 容 を 概 観 し て き た 。「 国 際 通 貨 シ ス テ ム の 安 定 」 の 意 味 す る と こ ろ は 時 代 と と も に 変 容 し 、 ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制 の 崩 壊 に よ っ て そ の理 解 に 対 す る 国 際 的 な コ ン セ ン サ ス は も は や 得 ら れ な く な っ た 。 さ ら に 、 新 興 国 ・ 途 上 国 と の 関 係 の 深 化 は 、 事 実 上 、 西 側 先 進 国 の 組 織 で あ っ た I M F を グ ロ ー バ ル な 機 関 へ と 押 し 上 げ る こ とに な っ た が 、 も と よ り グ ロ ー バ ル と ユ ニ バ ーサ ル は 同 値 で は な い 。融 資 対 象 が 多 様 化 す る な か 、 I M F は 国 際 機 関 と し て の 普 遍 性 と 危 機 対 応 に お け る 柔 軟 性 と の 狭 間 で 揺 れ 動 く こ と に な っ た 。 こ こ に 世 界 金 融 危 機 へ の 対 応 が 加 わ るこ と で 、 I M F の 役 割 は い っ そ う 拡 張 し て い る 。 自 ら の 存 在 を 揺 る が す 事 態 に 直 面 し な が ら も 、 相 対 化 さ れ る こ と な く 存 在 し 続 け る こ の 頑 健 性 こ そ 、 I M F が 変 容 す る 国 際 経 済 の 縮 図 た り え る 所 以 な の で あ る 。 ◉注 *1 ピ ケ テ ィ( Thomas Piketty ) の 著 し た『二 一 世 紀 の 資 本』 (原タイトル Le Capital au XXIe siècle )が世界的な注目 を集めたことは記憶に新しい(ピケティ 二〇一四) 。 *2 た と え ば わ が 国 で は、 浅 田 ほ か(二 〇 一 一) お よ び 平 井 (二〇一四)などの著作が刊行されている。 *3 協 定 第 一 条 は、 ① 国 際 通 貨 問 題 に 関 し 加 盟 国 間 の 国 際 協 力 を 促 す こ と、 ② 国 際 貿 易 の 発 展 拡 大 を 通 し た 全 加 盟 国 の 雇 用 と 所 得 を 増 進 す る こ と、 ③ 為 替 の 秩 序 を 維 持 す る こ と、 ④ 国 際 貿 易 の 発 展 を 阻 害 す る 為 替 管 理 を 撤 廃 し 経 常 取 引 に か か わ る 多 角 的 決 済 体 制 を 確 立 す る こ と、 ⑤ 加 盟 国 に 融 資 を 提 供 し 近 隣 窮 乏 化 政 策 に 訴 え る こ と な く 国 際 収 支 の 失 調 を 是 正 す る 機 会 を 与 え る こ と、 ⑥ 以 上 の 諸 点 を 踏 ま え 加 盟 国 の 国 際 収 支 不 均 衡 の 期 間 を 短 縮 す る こ と の 六 点 を、 「I M F の 目 的」 として掲げている。 *4 「調 整 可 能 な 固 定 相 場 制」 を 軸 と す る 安 定 的 な 国 際 通 貨 シ ス テ ム に ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制 の 本 質 を 見 出 す 解 釈 に 対 し、 ア ン ド リ ュ ー ス( David Andrews ) は「ブ レ ト ン ウ ッ ズ オ ー ダー( Bretton Woods Order )」という新たな概念を提起してい る。 こ の 概 念 は、 「国 内 経 済 政 策 の 自 律 性 と 自 由 貿 易 体 制 の 構 築」 と い う 二 つ の 目 標 を 両 立 さ せ る た め の 国 際 経 済 秩 序 が ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制 で あ る と の 見 方 で あ り、 戦 後 の 自 由 主 義 を 経 済 ナ シ ョ ナ リ ズ ム と 多 角 主 義 の 妥 協 の 産 物 と み な す、 ラ ギ ー( John Ruggie ) の「埋 め 込 ま れ た 自 由 主 義」 論 に 依 拠している( Andrews 2008; Ruggie 1982 )。 *5 Gardner ( 1969 ). 英 米 間 の 交 渉 過 程 に つ い て は 膨 大 な 研 究 蓄 積 が 存 在 す る が、 最 新 の 成 果 と し て、 伊 藤(二 〇 一 四) を参照されたい。 *6 マ ー シ ャ ル・ プ ラ ン に つ い て は、 冷 戦 史 観 に も と づ く 外 交 史 研 究 以 来、 ホ ー ガ ン・ ミ ル ウ ォ ー ド の 論 争 を 軸 に 経 済 史 分 野 で も 膨 大 な 研 究 が 蓄 積 さ れ て い る。 研 究 史 の 全 体 像 に つ い て は、 廣 田・ 森(一 九 九 八: 二 ― 六) お よ び 河 崎・ 坂 出 (二〇〇一)を参照されたい。 *7 ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制 下 に お け る I M F の 役 割 を め ぐ る 新 しい理解については、西川(二〇一四)を参照されたい。 * 8 ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制 の 崩 壊 と 第 二 次 協 定 改 正 に い た る 経 緯については、伊藤(二〇〇七)を参照されたい。 * 9 危 機 の 推 移 と ア メ リ カ 政 府・ I M F に よ る 対 応 の 詳 細 は、毛利(二〇〇一)を参照されたい。 * 10 ア ジ ア 通 貨 危 機 の 経 緯 と I M F の 対 応 に つ い て は、 荒 巻 (一九九九)を参照されたい。 * 11 た だ し、 「ア ジ ア 諸 国 の 高 成 長 や 良 好 な マ ク ロ 経 済 指 標 が、 構 造 問 題 の 不 在 を 意 味 す る わ け で は な い」 と の 伊 藤 正 直 に よ る 指 摘 は 重 要 で あ る(伊 藤 二 〇 一 〇: 五 二 ― 五 八) 。 こ れ と 関 連 し、 布 田 功 治 は、 危 機 は 重 化 学 工 業 化 が 金 融 制 度 の 整 備 よ り 政 策 目 標 と し て 優 先 さ れ た 結 果 と し て 生 じ た も の で あ る こ と を 指 摘 し、 内 因 説 と 外 因 説 の 対 立 を「危 機 国 の 政 策 形成論理」の観点から相対化した(布田 二〇〇八 ) 。 * 12 Fisher ( 1998 ). そ の 後、 資 本 自 由 化 を め ぐ る 論 争 の 焦 点 は、 望 ま し い 自 由 化 の シ ー ク エ ン ス(手 順) に 関 す る 議 論 を 経 て、 現 在、 資 本「管 理(≠ 規 制) 」 の 在 り 方 に 関 す る も の へと推移している。 * 13 よ り 詳 細 な 改 革 の プ ロ セ ス に つ い て は 、 西 川 ( 二 〇 一 四 ) の 「 附 表 2 : 世 界 金 融 危 機 と I M F の 改 革 」 を 参 照 さ れ た い 。 * 14 融 資 の 財 源 と し て は 、 先 述 の G A B ( 一 一 主 体 、 計 二 六 〇 億 ド ル ) に 加 え 、 一 九 九 八 年 に G A B を 補 足 す る た め に 創 設 さ れ た 新 規 借 入 取 極 ( New A rra ng ement s t o B or ro w : N A B ) の 拡 大 に よ っ て 賄 わ れ て い る 。 二 〇 〇 九 年 九 月 の ピ ッ ツ バ ー グ サ ミ ッ ト で N A B の 拡 大 が 合 意 さ れ 、 二 〇 一 一 年 三 月 に 、 N A B は 五 四 〇 億 ド ル か ら 五 六 五 〇 億 ド ル ま で 急 拡 大 し た 。 ◉参考文献 [日本語文献] 浅 田 統 一 郎 ほ か(二 〇 一 一) 『危 機 の 中 で ケ イ ン ズ か ら 学 ぶ
―
資本主義とヴィジョンの再生を目指して』作品社。 荒 巻 健 二(一 九 九 九) 『ア ジ ア 通 貨 危 機 と I M F―
グ ロ ー バ リゼーションの光と影』日本経済評論社。 伊藤正直(二〇〇七) 「変動相場制」上川孝夫・矢後和彦編『国 際金融史』有斐閣、一四九―一八二頁。 伊 藤 正 直(二 〇 一 〇) 『な ぜ 金 融 危 機 は く り 返 す の か―
国 際 比較と歴史比較からの検討』旬報社。 伊 藤 正 直 ( 二 〇 一 四 )「 I M F の 成 立 」 伊 藤 正 直 ・ 浅 井 良 夫 編 『 戦 後 I M F 史―
創 成 と 変 容 』 名 古 屋 大 学 出 版 会 、 一 六 ― 四 〇 頁 。 河 崎 信 樹、 坂 出 健(二 〇 〇 一) 「マ ー シ ャ ル・ プ ラ ン と 戦 後 世 界秩序の形成」 『調査と研究』第二二号、京都大学経済学会、 一―九頁。 ト マ・ ピ ケ テ ィ(二 〇 一 四) 『二 一 世 紀 の 資 本』 山 形 浩 生 ほ か 訳、みすず書房。 西 川 輝(二 〇 一 四) 『I M F 自 由 主 義 政 策 の 形 成―
ブ レ ト ン ウッズから金融グローバル化へ』名古屋大学出版会。 平 井 俊 顕 監 修 、 ケ イ ン ズ 学 会 編 ( 二 〇 一 四 )『 ケ イ ン ズ は 、 今 、 な ぜ必要か?―
グローバルな視点からの現在的意義』 作品社。 廣 田 功、 森 建 資 編 著(一 九 九 八) 『戦 後 再 建 期 の ヨ ー ロ ッ パ 経 済―
復興から統合へ』日本経済評論社。 布 田 功 治(二 〇 〇 八) 「タ イ 金 融 構 造 分 析―
重 化 学 工 業 化 か ら 通 貨 危 機 へ」 『歴 史 と 経 済』 第 一 九 八 号、 政 治 経 済 学・ 経 済史学会、三二―四八頁。 毛 利 良 一(二 〇 〇 一) 『グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン と I M F・ 世 界 銀行』大月書店。 [外国語文献] Alexander, Sidney ( 1952 )Effects of a Devaluation on TradeBalance, IMF Staff Papers, 2
( 2 ) : 263-278. Andrews, David ( ed. )( 2008 )Orderly Change: International Monetary Relations since Bretton Woods, Ithaca: Cornell University Press. Bordo, Michael D. and Barry Eichengreen ( eds. )( 1993 )A Retrospective on the Bretton Woods System: Lessons for International Monetary Reform, Chicago: University of Chicago Press. Boughton, James ( 2001 )Silent Revolution: The International
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T riffi n, R ob er t ( 19 60 )G old an d th e D oll ar C risi s: T he F utu re
◉ 著者紹介 ◉ ①氏名…… 西川輝 (にしかわ・てる) 。 ② 所 属・ 職 名 …… 横 浜 国 立 大 学 大 学 院 国 際 社 会 科 学 研 究 院・ 准 教授。 ③生年・出身地…… 一九八二年、東京都。 ④ 専 門 分 野・ 地 域 …… 国 際 金 融 論・ 国 際 金 融 史・ マ ク ロ 経 済 政 策 論。IMFを分析対象に研究中。 ⑤ 学 歴 …… 東 京 大 学 経 済 学 部 卒、 東 京 大 学 大 学 院 経 済 学 研 究 科 博士課程 (現代経済専攻) 修了、博士 (経済学) 。 ⑥ 職 歴 …… 横 浜 国 立 大 学 経 済 学 部 准 教 授 の ち 同 大 学 大 学 院 国 際 社会科学研究院准教授 (二九歳より四年) 。 ⑦ 現 地 滞 在 経 験 …… 米 国 ワ シ ン ト ン D C で の 資 料 調 査 は 頻 繁 に 行ってきたが、長期滞在の経験はとくになし。 ⑧ 研 究 手 法 …… 一 次 史 料 を 駆 使 し た 歴 史 研 究 の 手 法 と マ ク ロ 経 済 学 を ベ ー ス と し た 理 論 的 分 析 を 組 み 合 わ せ な が ら、 I M F の制度・政策論について研究している。 ⑨ 所 属 学 会 …… 政 治 経 済 学・ 経 済 史 学 会、 日 本 金 融 学 会、 Eco
-nomic History Society
など。 ⑩ 研 究 上 の 画 期 …… 学 部 時 代、 グ ロ ー バ ル 化 と 金 融 危 機 の 原 因 を め ぐ る 論 争( 内 因 説 と 外 因 説 )に 触 れ た こ と が、 現 在 の 研 究 に携わるきっかけとなった。 ⑪ 推 薦 図 書 …… 岩 井 克 人『 二 十 一 世 紀 の 資 本 主 義 論』 ( ち く ま 学 芸 文 庫、 二 〇 〇 六 年 )。 経 済 学 の 意 義 に つ い て 考 え る う え で き わ め て 有 益 な 示 唆 に 富 む 作 品 集。 研 究 手 法 や 研 究 分 野 を 問 わ ず、 自 身 の 行 っ て い る 研 究 の 意 義 を 客 観 的・ 自 覚 的 に 捉 え 直 すための視点を提供してくれる好著である。