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カントにおける自然概念と自然科学の問題

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カン トにおける自然概念 と自然科学の問題

Das Problem des Naturbegriffes und

der Naturwissenschaft bei Kant

カン トでは 「自由」 と並 んで 「自然」 の概 念は 極めて包括的 な概 念 であ る。い うまで もな く彼に あ ってほ 自然は 自然科学 の対象であ るが,必ず し もそれ のみに終 るものではない。 また カン トの 自 然科学 は必ず しも今 日の 自然科学 と同 じ で は な い。彼は 自然科学 の こ と を 時 に は Philosophia Jlaturalisと称 してい る。PhilosoPhianaltlralis は一つ の形而上学 であ る。 しか し,それは単 な る 形而上学 に終 るものでは な い。PhilosoPfu' ana-1lLralisは 自己 自身 を 自然科学に発展せ しむ る 契 機を内蔵 してい る。それ故 に 自然は一方では形而 上学 の対象にな り,他方 では 自然科学 の対象 にな る。 カ ン トでは 自然 の概念はす こぶ る多義的であ り,それ故 に 自然 に関す るさまざまな学が成立す る。小論 の 目的は, 自然 に関す る諸 々の学 の内容 を検討 し,それ らの学 が相互にいかな る関連 を有 す るかを明 らかにす る ことにあ る。 自然 と自由は カン トにあ っては共に哲学 の対象 であ る

。「

- -・人間的理性 の立法 (哲学)は, 自 然 と自由 とい う二つ の対象 を もってお り,それゆ え 自然法則な らびに人倫 法則を,最初は二つ の特 殊的体系 として, しか し最 後には唯一 の哲学的体 系 として含んでい る。 自然 の哲学は,現に存在 し●●● てい るすべ ての ものにかかわ り,人倫 の哲学は,●●●●● 現に存在すべ きものに のみかかわ る(1)。」ここか ら も分か るよ うに 自然 とは凡そ存在す るものの謂で ある。い うまで もな く自然界は 自然法則の支配す る世界であ り,必然性 の世界であ る。 カソ トは こ ●● の点につい て例 えば次 の よ うにい う。「自然 とは, 普遍的法則に したが って規定 され てい る か ぎ り

Hisashi Shibuya

●●● におけ る,物 の現存在 であ る(2)。」また 「自然 (経 験的意味 での)を私た ちは,その現存 在か らみた 諸現象が,必然的な諸規則に したが って,言いか えれば,諸法則に したが って脈絡づけ られた もの と解す る(3)。」自然 と法則 とは不可分の関 係 に あ る。法則 とい う観点か らみた 自然を, カ ン トは し ば しば 「形 式的意味 におけ る自然」 と 称 し て い る。 ここでい う法則は因果性をは じめ とす る悟性 の諸原則を表す もので あ る。そ し て 「-- 自然 のすべ ての現象は,その結合か らみれば, カテゴ リーに従わ ざるをえないのであ って, 白銀 (たん に 自然一般 として考察 され た)は, この 自然 の必 然的合法則性 の根源的根拠 としての (形 式か らみ られた 自然 naluraformaliiersPectaiaとし て の)そ うした カテゴ 1)-に依存す る(4)。」この よう に形式的意味 におけ る 自然 の合法則性 の よって き た る ところは カテゴ リ-であ る. した が っ て 結 局 ,形式的意味におけ る自然は悟性 の立場か らみ た 自然 であ る。悟性に よ る, 自 然 へ の 法 則 の

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は, カン トの先験的構成主義 の 核 心をなす ものであ る。 自然は一方 では上述 のごと く形 式的意味におい て理解 され るが ,他方 では実質的意味におい て理 解 され る。実質的意味 におけ る自然は,諸 々の現 象が因果性 とい う内的原理 に よってあ まね く結合 してい るか ぎ り,それ らの現象 の総括 を 意 味 す る題.現象は経 験

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の対象 であ る。 実質的意味 とい う観点か らすれば, 自然は経験 の 総 ての対象 の総括 であ る。 ところで カン トが 自然科学で問題 にす る自然は - 6

(2)

1-いかなる意味の自然であるだろ うか。 この問いに 答えるのに,われわれは 自然科学が何を さすかを 先ず明らかにしなければならない。カン トの場合 に 自然科学は Philosophiallaluralisで もある。 カン トにあっては ♪hiloso♪hia71aiuralisとして の 自然科学の概念は体系概念である.体系概念は 単なる集合 概 念 (Aggregatsbegriff)で は な い。体系概念の基礎にはア ・プ リオ リな原理がな ければならない。PhilosoPhiallaluraLisは物 質 一般の性質 とそ の 運 動 法 則 の 学 で あ る(6). Opuspostumum に よれ ば ♪hiloso♪hianaE u-ralisとしての 自然科学は次の三つの部門か ら成 り立つ(7)0 H 物質に関する形而上学的原理 0 物質の根源的運動力の体系的区分 臼 体系その もの としての物理学 Hにおいて物質が問題にされ るが, ここでは物 質が物質 として論 じられ るのではな く,空間にお ける運動体 として表象 され,論 じられ る。すなわ ち諸 々の物質 は Stoffeで は な くphysische K6rperと看なされるのである。 したが って 自然 は この階段では専 ら形式的意味における自然であ る

『自然科学の形而上学的原理』で問題に され る自然は先ず この ような 自然である。亡うでは物質 は時間 と空間における運動体 と看なされ,その体 系的区分がなされ る。運動体 と運動は 量 ・貿 ・ 関係 ・様相 とい う四 つ の カ テ ゴ リー と の 関 連において 論 じ ら れ る(8)。 こ こで は 動 力 学 (Dynamik)が重要な意味を もつ。周知のご と く様相のカテ ゴリーは可能性 ・現実性 ・必然性の 三つに細分 され るが,現実性のカテ ゴリーは動力 学に深いかかわ りを有す る。先ず物質は空間を充 す運動体 と規定 される。 この規定は動力学の前提 をなす ものである。悟性概念であるカテ ゴ1)-か らすれば,空間の充実 とは実在性のことであ り, 外的直観における現存在のことである。それ故に E)の段階は動力学を介 して,一方では純粋な領域 としての自然科学の形而上学的原理にかかわ り, 他方では経験的な領域 としての物理学へ通ずる。 臼の段階は 自然科学の形而上学的原理から物理学 -の移行の段階であ り,結局 「形而上学的原理か ら物質の運動力のすべての経験的認識の体系 とし ての物理学-の移行(9)」を表す も の で あ る。 こ のような移行は必ずしも物質一般のア ・プ リオ リ な概念において存立す るわけではな く, また必ず しも経験的表象か ら成 り立つ もの で は な い的. 臼の段階にみられ る諸原理の うち,或 る も の は ア ・プ リオ リであ り,或 るものは経験的である。 ejの段階はまさに経験的認識の体系 としての物理 学の段階である

「物理学は,経験の対象である か ぎりにおけ る自然法則の学であ る的。」 ま た, それは 「経験において示 され得 るか ぎ りに お け る,物質の運動力の Lehrsystem的」 である。 物理学は力に関す る経験的認識の体系であ り,力 に関す る認識 の経験的体系ではない。経験的体系 とい う言表はそれ 自身矛盾を含んでいる。 さて, 経験的認識あるいは経験的表象でも,それが一つ の体系 となるには,その基礎にア ・プ リオ リな原 理が存在 しなければな らない。すなわち 「空間 と 時間における純粋直観 としての現象の形式的なも のは,経験的認識 の体系の可能性の制 的 と し て ア ・プ リオ 1)に与えられている的。」 カソ トの 自然科学は如上の三つの段階をもつ も のであるが,第一の段階すなわち物質に関す る形 而上学的原理は運動体のア ・プ リオ リな制約を意 味す る。 『自然科学の形而上学的原理』の第-の 任務は,運動体がいかにして可能であるかを明ら かにす ることにある。換言すれば,それは運動体 とい う概念の論理的可能性を明らかにす ることで ある。 ここで要請 され るのは概念の無 矛 盾 で あ る。したがって概念に対応す る対象が現実に与え られるか否かは問題ではない。概念に対応す る対 象が現実に与えられ るには直観が必要である。直 観の形式 としての時間 ・空間はア ・プ リオ リであ り,直観の内容はア ・ボステ リオ リである。 この ことか ら臼の物理学は経験的認識の体系 といわれ るのである。われわれは ここで改めて哲学的認識 (形而上学的認識) と数学的認識 との相違を明ら かにしなければならない●●●●●●

「哲学的認識は概念か らの理性認識であ り,数学的認識は概念の構成か ●●●● らの矧 生認識である。しかし,或 る概念を構成す る とは,その概念に対応す る直観をア ・プ リオ リ\に 描出す ることにはかな らない84。」したがって概念 の構成には非感性的直観が必要である。非感性的 直観 とは,純粋直観,すなわち時間 ・空間 とい う直 観形式のことである。 また 「哲学的認識は特殊的 - 62

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-な ものを普遍的-なものにおいてのみ考察 し,数学 的認識 は普遍的なものを特殊的なものにおいて, いや,それ どころか個別的な ものにおいて考察す る89」 のであ る。だが哲学的原理は物 の現存在に かかわ る法則の全体を示 し, この現存在に属す る 規定を含む。われわれは‥対象 の現存在を論ず る 場合に

,

悟性概念 と直観 との結合を問題にしなけ ればな らない。そ して 「現存在規定の複合が,或 る一定 の部類の対象の対象性に属す る 要 素 の 全 体を示す とき,それは,対象に関 してわれわれが 通常対象 の本性あるいは対象 の本質 と名づけ ると ころの もの, カン トが 『形式的意味に お け る 自 然』あ るいは 『形式か らみ られた 自然』, 『形容 詞的に解 され る自然』,その他 これに摂す る術語 を付与す るところのものを示す88。」 カン トが 自然科学を論ずるとき,重要な役割を 演ず るのほ確かに この形式的意味におけ る自然で ある。 しか し,実質的意味におけ る自然 と の 対 比において,形式的意味におけ る自然が初めて際 だ って くるのである。 これ ら二つ の 自然に関 して KarenGloyは「形式的 自然は実質的 自然におい て具象 化 されてお り,実質的 自然は形式的 自然に おいて抽象化 されてい る87)」と述べ てい る。形式的 自然 と実質的 自然は相互媒介的ない し相互否定的 な関係にあるが,自然科学で問題にされ るのは,自 然におけ る個 々の対象にみ られ るそれ特有の徴表 ではない。問題 になるのは,あらゆ る対象に通ず る 対象の本性である。具象化 された 自然におい ても あ らゆ る特殊な徴表は捨象 され る。 自然科学にお け る自然は単なる 「外的広が りをもった 自然」で はない。それは因果性の内的原理によって内的関 連を有す る対象の総体である。因果性は 『純粋理 性批判』 の先験的分析論 の極めて重要な問題 であ る。 また,それは 『自然科学の形而上学的原理』 において力学の大 きな問題 として扱われてい る。 自然科学は一つ の体系である。体系はその内容 が秩序 に貫かれた ものであ り,一つの完結体であ る。それ故 に 自然科学 の体系は有機体の構造 にな ぞ らえ られ る。有機体にあ っては部分 と全体が常 に調和の うちにあ り,全体は一つの統一体 と看 な され る。 もとよ りこの ことは 目的原理か らのみ許 され るのであ り,目的原理は統制的原理であ る。こ こで問題 なのは, 自然科学 の体系 と有機体の構造 の間に Analogieが成 り立つ とい うことであ る。 「全体はなるほ ど内的には (内的な摂取によって perintussyscePEionem)増大しはす る が,しか し外的には (付加によって L)eraZ'Positionem) 増大す ることはないのであって,それは動物の身 体 と同様であ り,動物の身体の成長 はいかな る肢 体 も付加 され るのではな く,均衡を 変 え ず に, それぞれの肢体がおのれの 目的をめ ざしてい っそ う強 くい っそ う還 し くな るのであ る細。」 われわれが今 までにみてきた 自然科学は三つの 部分か ら成 り,いわば広義 の 自然科学であ るが, もちろん一つの体系をなしてい る。 しかし, カン トは これ とは別の 自然科学について も語 る。それ は経験的原理に基づ く。彼は これを或 るときには NaturleIlreと称 し, また或 る と き は Natur -kundeと称す る。 これは確かに一つの体系 を な す ものであるが, この体系は個別的体系であ る。 個別的体系 としての Naturlehreは厳密科学 の 名に値 しない。経験的原理は偶然的であ り,した が って普遍性を もたない。例 えば鉄 の概念で もっ て或 る者は 「重 さ」を想起 し, また或 る者は 「延 性」 を思い,更に また或 る者は 「酸化」に想到す るoそれ故にわれわれは Naturlehreの内包 的 完全性 を示 す こ と が で き な い。 こ の よ う な Naturlehreの対象に関す る認識 の全体 を 示 す ア ・プ リオ リな原理は存在せず,対象に関す る認 識 は経験によって示 され る。 ところが経験は完結 した全体ではな く,それ故 に Naturlehreの 外 延 は決 して完結 した ものにな らない。 このよ うに 内包的にも外延的に も完結 し な い Naturlehre は果 して体系 といえるであろ うか。 カン トに よれ ば経 験的体系は conlradiclio iZladjecioであ る(19。体系はア ・プ 1)オ 1)な原理を もたなければ な らず,単なる経験は非 科 学 性 を 免 れ な い。 Natllrlellreは本来の意味におけ る体系をなす こ とはない。単 な る経験 と体系は相容れない もので あ る。単なる経験か らは決 して真の体系は成立 し 得 ない。 経験の Aggregatは本来の学ではない。カ ン トは 自然科学を本来的な 自然科学 と非本来的な 自 然科学 とに分け る。前者は System であ り, 秩 者は Aggregatであ る。非本来的 な 自然科学 で はその眼底に存す る自然法則は単な る経験法則で ー 63

(4)

ある

「認識の体系的であるよ うな全体は,まさ しく体系的であるが故に学 と称 され得 る の で あ り, このような体系における認識の結合が根拠 と●●● 帰結の関係である場合には更に合理的学 と称 され 得る。 しかし,例えば化学におけ るよ うに学にお けるこれ らの根拠あるいは原理がなお究極的には やは り経験的であ り,与 えられた事実が理性によ って説明され る正にその法則が単に経験的である 場合には,それ らの根拠あるいは原理は何 ら必然 性の意識を帯びておらず (必然的に確実であると い うことはな く),その場合には全体は厳密な意 味において学の名に値せず,化学はそれ故に学 と い うよ りもむ しろ体系的技術 と称 され るべ きであ ろ う餌.」ちなみに当時の化学の学問的水準 とそれ に対す るカソ トの知識か らすれば,このような言 明は当然のことかも知れないが,今 日の化学には それは もはや妥当しないであろ う。非本来的な学 は学的形式の単な る模倣にす ぎない糾。人間理性 は常に学における絶対的な統一を 目ざす。あらゆ るNaturlellreは究極的には 自然 科 学 を 目 ざ し,それに終 らなければならない¢29。 このことは 正に理性の要請である。 自然科学は体系である

「体系にあっては--常 に 二 つ の側面すなわち形式的側面 と実質的側 面が区別 され る。その際一方は内包 ,外延 ・限界 を確定 し,他方は体系の現実的妥当性 を 考 慮 す る。形式的体系は意識において実質的体系に先立 つが,それのために仮定 され るのである的。」体系 が単なる形式的体系に終 らず,実質的体系になる には,それは経験的要素をも自己の構造契機 とし なければならない。実質的体系の観点 か らす れ ば,経験的な学は経験的体系ではな く,経験的な ものの体系 として把握され る。 カソ トがしばしば 言及す る経験的物理学は経験的体系 で は な く, 経験的なものに関す る学である。経験的物理学は 経験的な 自然の体系的な Lehreである。それは 「経験におけ る感能対象 (外的な らびに内的なそ れ)の認識の学的教説的」である。 もとよ り自然 の体系は仮言的にのみ許 され る。それ どころか, 経験的物理学 も或 る意味では蓋然的な も の で あ る。結局,経験的物理学はその形式面からすれば ア ・プ リオ リな原理に基づ く一つの体 系 で ある が,実質的面か らすれば必ずしも完結 した体系で はない。 カン トは学の体系を重んじ,それがために時に は内容なき空虚な論述に陥 ることもあったが,早 の完全性のために,彼に とってはそれは止むを得 ざることであったであろ う。そして 『純粋理性批 判』か らも明らかなごとく,彼の理論 哲 学 で は 「ア ・プ リオ リな綜合的判断はいかに して可能で あるか」が先ず大きな問題であったが,自然認識の 体系を論ずる場合に も彼の関心の多 くは 「ア ・プ リオ リな もの」ない し 「純粋なもの」に向け られ た。しか し,経験的要素 も無視できない ものであ った。 自然学 (PhysioloiIie)で も外官の対象 と しての 自然を論ずる場合に,純粋なるもの と経験 的なるもの との関係がカン トの関心の大きな的で あった。両者の関係に 「自然科学の形而上学的原 理か ら物理学-の移行」の鍵が潜んでい ると思わ れ る。 自然の形而上学の体系は先験哲学 と合理的 自然 学か ら成 る。前者は存在論 とも称 される。存在論 は一般形而上学であ り,他のあらゆ る形而上学の 予備学である。それは総ての悟性概念な らびに原 則の体系を構成す る学である。 ここで問題にされ る自然は単なる形式的 自然であ り,極めて抽象的 な 自然である。 ところが合理的 自然学は感性に与 えられ得 る対象を予想す る。それは対象の総体 と しての 自然に妥当す る法則の体系を構成す る学で ある。合理的 自然学は (a)合理的神学,(b)合理 的宇宙論,(C)合理的心理学,(d)合理的物理 学 か ら成 り立つ

「これ らの中で合理的物理学以外 の三者は伝統的な形而上学では特殊形而上学 と称 され るものであ り,独断的形而上学 としてまさに 批、l'1Jの対象である。それはやがては克服 され るべ きものである餌。」合理的物理学は外官の対 象 の 総体 としての自然すなわち物質を扱 う も の で あ る。 しかし,このような 自然はわれわれには与え られない。それは一つの理念である。 ●● カン トはしばしば合理的物理学を 「物体的 自然 ●● の形而上学」●●

,

「形而上学的物体論」,あるいは 「合理的物体諭」 と称す る的。 ところが合理的物 理学の対象は物質である。われわれは ここで物体 と物質の関係を明らかにしなければ な ら な い。 ●●●●●●● 「物体 とは,物理学的意味では,一定の限界内に -61

(5)

-●●●● ●●● 存在す る (それ故に一つの形を有す る)一物質で ある餌。」物体 とは外的には一定の形態を有し,内 的には一定の構造を有す る物質の謂である。合理 的物理学は物質をその一般性において研究す るも のであ るが,それは 自己を特殊化せ しむ る契横を 自己の うちに有す る。合理的物理学が特殊な形態 の うちに現れたものがすなわちPhysicagener a-1isとPhysicasZ)ecialis鰯である。前者は力 学 的な形成法則に従って物質の物体形成力を研究す る学であ り,後者は有機的な形成法則に従 って物 質の物体形成力を研究す る学であ る 鰯

♪hysica とい う学は物質を離れては存在 し得ない。 カン ト は物質 を空間におけ る質的存在 と看なして, これ をア ・プ リオ リに演鐸す る。物質は まず悟性概念 によって規定され る。量が外延量 と看なされ るの に対 し,質は内包量 としてア・プ リオ リに規定 され る。 カン トにあっては物質は graduell eRaum-erfiillungである鍬,空間充実の度は質のカテゴ 1)-に よって示され る。質のカテゴ t)- は 実 在 性 ・香定性 ・制限性である。物質の空間充実 の度 は斥力 と引力か ら説明され る。物質固有の斥力は 物質を拡散せ しめ,物質固有の引力は物質を収縮 せ しむ る。すなわちこれ ら二つの力は相互に逆に 作用 し,両者の結合が 物 質 の Raumerf山1ung in bestimmtem Gradをもた らすのである的。 第1図

Metapll):Sik der Natur(1)

物質の質的差異は二つの力の割合の差異に還元さ れ る。物質の根源的な性質は斥力 と引力 との割合 か ら説明されなければならない。斥力 と引力は最 も根源的な運動力である。いわゆ る移行の段階に おいて物質の運動力 とい う概念は これ ら二つの力 の割合に基づいてア ・プ リオ リに形成 され る。運 動力の概念は時間・空間を前提 とす るものであ る。 ♪hysicageneralisは運動力をその一般性にお いて,力学的原理か ら説明す るものである。 とこ ろが PhysicasZ)ecialisは力学的原理に加 うるに 目的論的原理か ら運動力を考察す るものであ る。 このよ うに二つの原理か ら物質の運動力を考察す る♪hysicas♪ecialisは有機体の相違に応 じて自 己を更に具体的に表す。有機体は植物か動物かで ある。それ故に PhysicasPecialisは一方では植 物学 として自己を具体化し,他方では 動 物 学 と して具体的に現れ る。 この段階 の Physicaで は 物体の可能性は単なる論理的可能性ではな く,現 実的可能性のことである。それは もはやア ・プ リ オ 1)には認識 されない。今やPhysicaは経 験 的 原理を必要 とす る。27hysicaは 自己を具体化 しよ うとして常に内容を求め る。Physicaは絶えず経 験を指向してい る¢う。結局,植物学や動物学は経 験的な学である

♪hysicaの立場か らす れ ば, 植物にせ よ,動物にせ よ,両者はいずれ も有機体

Trans7.endentalphHosophie(211) rationale (Chtoli'gie) Physiologie(2-2) relner Teil I-at. TIleOl()Fie (4-1-1) Ubergallg empirischer Teil transzendente Physiologie(3-1)

rat. Kosmologie (`ト 1-2)

immanente Physiologie(3-2) 「

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(6)

と し て は 種を保存 しよ うとす る力の統一体であ る。 この点 で両者には何 ら違いはない。両者の相 違 は力におけ るWillkiirの有無にあ る。Willkiir を もつ力の統一体が動物であ り,動物 としての石 段体は 自発 性 の 法 則 に 従 う。 こ れ に 反 し て Willkiirなき力の統一体が植物であ り,植 物 と しての有機体は受容性の法則に従 うo カソ トは体系的見地か ら幾つかの原理に よって 自然を統一的に説 明 しよ うとした。 自然を一つの 体系 と看 なす ことは カン ト哲学の要請であ る。 し か し,それが成功 したか否かほ問題 であ る。われ われは,今 までの論述を要約す る意味を含めて, 自然に関す る学の体系 を図示す ることにす る (節 1回)的。 「純粋」ない し 「ア ・プ リオ リ」 とい うことと 「経験的」 ない し 「ア ・ボステオ リ」 とい うこと は, カン トの認識論 の立場か らすれば,結局 「普 遍性」 と 「特殊性」につなが るものであ る。それ では, この ことと学の体系 とはいかな る関係にあ るのであろ うか。われわれは,この問いに答えるた めに 自然に関す る諸 々の学を図式化 し (第2回), それ ら相互 の関係について論ず ることにす る。 第

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hLlヽ川ILl.、r 第1図で示 された学の体系を図式化 して,第 2 図のごとくにそれを四辺形 に収めた場合には,秩 ね次のよ うにい え るであろ う。左側の矢印は,矢 印の方向-進む に したが って学が一方では純粋に な り,他方では経験的になることを示す。 また上 方の矢印は,矢印の方向-進むにしたが って学が 一方 では内在的にな り,他方では超験的にな るこ とを表す。同様に右側の矢印は,矢印 の 方 向 へ 進むにつれて学が一方 では特殊的にな り,他方で は普遍的にな ることを示す。それ故 に この四辺形 に含 まれ る学の うちで(1)すなわち自然の形而上学 が最 も純粋 で最 も普遍的な学である。それは また 同時に最 も超験的であ る。(1)と対照的な位置にあ る (6「2)すなわち動物学は最 も経験的で最 も特殊 な学 であ る。そjlは また同時に最 も内在的な学で あ る。そ して これ らの事が らは学 の外延 と内包に 深いかかわ りを有す る。すなわち矢 印(a)の方向 -進むにしたがって学 の外延 が拡大 し,矢印 (b) の方向-進むにつれて学の内包が増加す るのであ る。 また純粋 な要素あ るいは経験的な要素が同程 度の学にあっては,右側に位置す るものが内包的 には大であ る。 カン トに とっては一方において凡そ純粋な る学 は学の理想であ る。 しか し,他方においていかな る経験的学 も学を標梯す るか ぎ り, ア ・プ リオ リ な原理を もたなければな らない。 ところで一般に 自然認識は感性的直観による所与-悟性概念を適 用す ることに よって成 り立つが, この ことは学の 区分に大 きな意味を有す る。すなわち学が純粋で あればあ るほ ど,その学におけ る悟性概念の役割 が大 き く,逆に また学が経験的であれ ば あ る ほ ど,その学 における感性的直観の内容の役割が大 きい のであ る。 カン トでは物質の規定は先ず悟性概念に即 して な された。悟性概念は論理的可能性を示 すもので あ る。そ こでは無矛盾のみが問題になる。物質の 実在的可能性は感性的直観の内容を要求す る。 し か るに カン トは物質の規定に基づ く学 の区分 と体 系においてす こぶ る悟性論理を重視 した。それ故 に カン トにあ っては学の区分は極めて整然 とした ものであ り,学 の体系は程 よい均衡を 保 っ て い る。だが思惟 の形式 と存在の形式は必ず しも一致 す るものではない。思惟の形式を優先す ることに おい て成 り立つ学の体系は現実の存在の解明に必 ず しも十分に役立つ ものではないであろ う。 カン トは過去の独断的形而上学を批判 し,それに代 る 新 しい形而上学の樹立を企図 し,その一つ として 自然科学の形而上学的原理の体系化に腐心 した。 だが結果的にはそれは必ず しも成功 した とはいえ ない。われわれは ここに カン ト哲学 の一つの限界 を認めざるを得ない。だが, このことは カン ト哲 学の価値を必ず しも拭 うものではないであろ う。 われわれは, カソ ト哲学に限 らず,一般に哲学を その時代的状況の中で評価 しなければな らない。 - 66

(7)

-註

(1)Ⅰ.Kant,KritikderreinenVerJlun

f

t,B 868. (以下,本書をKritikd.r.Ⅴ.と略 記 す る。 本吉の訳文は総て理想社版 rカ ン ト全 集1 に よ る。)

(2) I.Kant,Prolegomenazueineriedenkiinf -tigenMetaphysik,diealsWissenschaftwird auftretenkJ'ミnnen,i14.

(3) I.Kant,Krifikd.r.V.,B 263. (4)Ibid.,ち 165.

(5) Vgl.Jbid.,B 163,B 446.

(6) Vgl.Ⅰ.Kallt,OpusPostumum,ⅩⅩⅠ,S.166. (Akademie-Aufgabeに よる。)

(7) Vgl.Ibid.,ⅩⅩⅠ.S.286,S.291.

(8) Vgl. Ⅰ. Kant, Metaphysische Anfangs一 griinde der Naturwissenschaft,ⅠⅤ,S.477. (Akademie-Aufgabeに よる。以下、本書を M.

A.d.N. と略記す る。)

(9) I.Kant,Opus postumum,XXII,S.310. 8q Vgl.Ibid.,ⅩⅩⅠ,362f. 帥 Ibid.,ⅩⅩⅠⅠ,S.491. (均 Ibid.,ⅩⅩⅠⅠ,S.511. 8母 Ibid.,ⅩⅩⅠⅠ,S.381.

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1

4 Ⅰ.Kant,Krjtikd.r.V.,B 741.なお カン ト ■● は 次 の よ うに述べてい る

「単なる概念 か ら の 純 粋 理 性 認識は純粋哲学あるいは形而上 学 と称 さ れ る。こ れ に反 して,ア ・プ リオ リな 直 観 に ● ● お け る対 象の顕示を介 して,概念の構 成に の み そ の 認 識 を基礎づけ る純粋理性認識は数 学 と名 づけ られ る。-I(M. A. d.N.,ⅠⅤ,S.469.)

専 Ib王d.,B 742.

q KarenCloy, Die Kantische Theorie der Naturwissenschaft,Waiter de Gruyter, Berlin/New York 1976,S. 178. (以 下 ,本 書を Die Kantische T. d.N. と略記す る.)

87) Ibid.,S.180.

姻 Ⅰ.Kant,Kritikd.r.V.,B 861.

89 Vgl. Ⅰ. Kant,Opus postumum,ⅩⅩII, S.297.

餌 Ⅰ.Kant,M.A.d.N.,ⅠV,S.468.

Vgl.KarenCloy,DieKantischeT.d.N., S.186.

e29 Vgl.I.Kant,M.A.d.N.,ⅠⅤ,S.469. 的 Karen Cloy, Die KantischeT. d.N.,

S.189.

軸 Ⅰ.Rant,Opuspostumum,ⅩⅩⅠⅠ,S.407. 餌 拙稿 「カン トにおけ る存在論の可 能 性」 (日本 哲学会 r哲学」第24号107べ-ジ). 約 ・は筆者による.なお,例えば物体的 自然 の 形 而 上 学 に ついてカン トは次のよ うに い う。 「●●● 物 体 的 自然 の形而上学は物理学 と呼ば れ る が, し か し,こ の 物 理学はア ・プ リオ リな自然 認 識 の ●●●●●● 諸 原 理 だけを含むべ きであるゆえ,合理的物理学 である。」(Ⅹritikd.r.Ⅴ‥ B 874.)

¢7)I.Kant,M.A.d.N.,IV,S.525. 困 後 に 明 ら かにな るが,前者は無横 体 と宕 な さ れ る物 質 にかかわ り,後者は有機 体にかかわ る。 F判 断 力 批 判』が示す ところに よれ ば,無 検 体 と有 機 体 との相違は全体 と部分 との関係 に み ら れ る 相 違 に基づ く。無機体においては全 体 が 部 分 に 従 属 す る。 ところが有機体において は 部 分 が 全 体 に 従属す る。もちろんこのよ うな 理 解 は 目 的 論 的 見地か ら許され るのである が,物 質 の 運 動 力 と い う観点か らすれば,事態は次 の よ う に な る で あろ う。すなわち無機体にあって は 個 別 的 な 運 動 とその道動力が 自然 の形 式 的 ・実 在 的全体を形成す るものであるが,有機 体 に あって は 目的論的な全体の理念が個別的な運 動 とその道 動力を規定す るのである (a)0

♪hysica generalisは 物 質 を Mechanismus において考察す るものであ り, ♪hysicasPecialis は物質をMecIlanismus

+

Organismusにお いて 考察す るもので あ る.右 横体も一 種 の Mecha -nismusであるが,ま さ し く Organismus と し ては目的論を許す。い うまでもな く目 的 論 は構成 的原理 としては認められない。それ は 統 制的原理 としてのみ許され る。物質が機械 的 因 果律に よっ て支配 されていると思惟す るこ と は 悟性に とって 必然的であ り.何 ら例外を許 さ ない(b)。物 質 に 因果関係がなければ 自然界は存在 し得 ない。しか しまた,動植物界にみ られ る現 象 を 日的因に従っ て説明す ることは, 目的田 が 統 制的原理であ るか ぎり,何 ら矛盾を含んでいな い。 な お,こ こ に 現 れ た L)hysz'ca general2'S, j・hysicasZ'eciatisとい う術語は一般物理学,特殊 物理学 と訳 出 で き る で あ ろ う。 しか し,こ の ♪hysicaは ratl'onalePhysik の Physik と も異 な り,今 日のいわゆ る物理学 とも趣を 異 に す るの で,総て ラテン語のままに しておいた。

(a)Vgl.Karen Cloy,Die Kantische T d.N.,S.217.

(8)

(b)Vgl.Ⅰ.Rant,Kritikd.r.V.,B 570. 困 Karen Gloy, Die Kantische T. d. N.,

S.197f.,Ann.37. 帥 Vgl.Ibid.,S.196. 的 Vgl.Ibid.,S.196. 的 カン トは しば しば数学 と物理学 とを対比 し て い る.彼の次の論述はわれわれに示唆す る と こ ろが 多い。「数学 と物理学 とは理性の二つの 理 論的認● ● 識であって,これ らの認識はその客 観 をア ・プ リ オ リに規定すべ きであるが,数学はまった く純粋に 規定 し,物理学は少な くとも部 分 的 には純粋に規 定す るものの,そ の ときには 理 性 の認識源泉 とは 別の認識源泉に応 じて規定 L も す るわけである。」 (Kritikd.r.Ⅴ.,ち X.) 的 KarenGIoyに依 って図を作成 したが,筆 者 な りに多少の工夫を試みたので,彼のもの と は 必ず - 6 8-Lも同 じではない。なお第2回を簡便化す る た め に ( )付 き の 数 字 を 用 い た。 Vgl. Karen Gloy, DieKantischeT.d.N.,S.200. またカン トにおけ る学の体系を理朗す る の に, 次の文献が役立 ったことを付記 してお く。

1.WalterBrEicker,KantilberMet aphy-sikundErfahrung,Vittorio Kloster -mann,Frankfurtam Main1970. 2.Vladimir Satur且, Rants Erkenntnis

-psychologieindenNachschriftenseiner Vorlesungentiber empirische Psyc hO-logie:Kantstudien,Erg:nzungshefte, 101,Bonn 1971.

3.Gottfried Martin, ATithmetik und Kombinatorik be主 Kant,Walter de Gruyter,Berlin/New York 1972.

参照

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