ワシーリィ・エロシェンコの童話と相馬黒光
宇 津 恭 子 『赤い鳥』(
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年7
月創刊)に代表 され る近代童話文学運動 の最盛期に,流暢な 日 本 語 で数 々のユニークな童話を書 きのこして 日本を去 った, ロシアの盲 目詩人 ワシ- リイ ・エ ロ シェソコVa
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が,い ま再評価 されつつある。すでに 『エ ロシ エ ンコ作品集1
桃色の雲』,
『同2
日本追放記』 (高杉一郎編,みすず書房,1
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が刊行 されていたが,昨年1
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月には,没後3
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周年を記念す る評伝 『夜あけ前の歌- 盲 目詩人エ ロ シェソコの生涯- 』が,同 じく高杉氏に より上梓 された。 他方,相馬黒光(
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は- ロンシェンコの 日本滞在 中,新宿中村屋の女主人 とし て多忙を極める中で多 くの彫刻家,画家,文学者,演劇 人を包含す る 「中村屋サ ロン」 の原 動力 とな り, 中心人物 となって,多彩 な文化活動にたず さあ っていた。第一次世界大戦 のた め祖国か ら送金を絶たれ生活に窮 したエ ロシェンコを黒光が引 き取 り,真実の息子の よ うに 面倒をみ, エ ロシェソコも黒光を 「マ-モチカ (母 さん)」と呼んで尊敬 した ことは, よく知 られている。 エ ロシェソコが 日本でつ くった童話の大部分は, この中村屋時代の作品であ っ た と思われ る。彼の文学の核心にある人道的な理想主義 と,否定す る端か ら頭を もたげる宗 教的な憧憶は,若 き日の窯光に も深 く呼応す るものがあった。 本稿では, エ ロシェンコの童話創作に黒光が どの ように関わ ったか とい う問題を考察 して みたい。ただ,その確実な根拠 となる資料は今の ところ見当た らない。 し た が っ て,上記 『夜あけ前 の歌』や黒光の自伝的随想 『黙移』 (女性時代社,1
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その他,エ ロシェソコと 黒光が ともに親 しく交わ った秋 田雨雀(
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の 日記 などの うちに二人の交渉 の記述 をた どり,他方では, エ ロシェンコの作品それ 自体 の うちに,黒光 との思想ない し心情的つ なが りを探 るなどして,若干の推測を試み ることしかで きないであろ う。 なお,黒光については多 くの書物に語 られているが,単行本になった伝記 としては,相沢 源七著 『相馬黒光 と中村屋サ ロン』 (宝文堂,1
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が新 しい。筆者 も小著 『才藻 よ り, よ り探 き魂に- 相馬黒光 ・若 き日の遍歴- 』 (日本YMCA
同盟 出版部,1
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に,窯光 とい う人物 の原点 となった少女期,青年期 の諸問題をま とめておいた。 Ⅰ まず, エ ロシェンコが童話を創作す る場の形成 と,つ くられた童話が文字に書 きとめ られ る過程で,黒光がどんな働 きを したか,調べてみたい。 『エ ロシェソコ作品集1
桃色の雲』の編者 「あ とが き」に よれば, 日本滞在 中 の 作 品 は, この第1巻に集め られている。その うち童話は20簾,ほかに童話劇 が一第含 まれ る。念 のため20篇 の表題を以下に記 しておこ う。順序は作品集における配列順に よる。発表年月,14 研究紀要 (第1号) 発表誌などが明 らかな作品は, それ らも付記 してお く。 沼のほ とり 魚の悲 しみ 鷲 の心 春 の夜 の夢 松 の子 一本の梨の木- セル ビヤの話 海 の王女 と漁師 二つの小 さな死 虹 の国 せ まい鑑 理想花 人類のために 学者の頭 変 り猫 幸福 の船 木星の人間
神
恩寵 の濫費 無宗教者の殉死 カナ リヤの死 若 き天使の失敗 (1921.1.16-22, 『朝 日新聞』連載) (1921. 7 『我等』所載) (1921.7 『改造』) (1922.2 『種蒔 く人』) (1921.3 『我等』) (1920.10 『我等』) (1920.12 『我等』) これ らの 「ほ とん どすべては直接 に 日本語で書かれ」た と,上記あ とが きに述べ られてい る。 それは, 日本語で 口述筆記 され るか, エ ロシェンコみずか ら日本語の点字で 書 く か し た, とい う意味であろ う。では,誰 がエ ロシェソコの童話 口述を筆記 したのであろ うか。評 、l、 伝 『夜あけ前 の歌』には,親 もとか らの送金を絶たれた彼のために,「秋 田雨雀や神近市子が 奔走 して,エ ロシェンコが 日本語で 口述する童話を筆記 し,ほんの一,二 カ所手を くあえて はあちこちの新聞や雑誌に売 りこんで くれた」 とあ り, そのひ とつに,1916年 (大正5)1月 雑誌 『希望』に発表 された 「提灯 の話」があげ られている。 これに よって,秋 田 と神近 が 口 述筆記者であった ことは間違いなかろ う。だが 「提灯 の話」は,桑原三郎 『<赤い鳥>の時 代- 大正の児童文学- 』 (慶応通信,1975)に言われているよ うに,童話風な象徴的な作 品ではあるが,童話ではない。それでは他に どんな童話を二人が書 き取 ったか, これについ ては 『夜 あけ前の歌』に何 も語 られていないのである。 『赤い鳥』に寄稿 し (1918年10月 よ り), 評論 「童話の持つ使命」 (『時事新聞, 1919年12宇津 :ワシ-1)ィ・エロシェソコの童話と相馬窯光 15 (2) 月19-21日)を発表 し,「芸術の-様式 として」 の位置を童話に与え よ うと意欲を燃 や して いた秋田が,エ ロシェンコの童話創作 と無関係であるはずがなか った。 ないばか りか, エ ロ シェンコは東南 アジアの旅 (1916年7月∼1919年7月)か ら帰 った直後 のこ の 時期
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「二王 (3) 子」 と題する未発表 の作品を書いた (1919年8月) のを皮切 りに,盛んに童話をつ くり始め る。 まるで秋田の打込みに呼応す るかの ようである。 秋 田の考えでは,童話は必ず しも年少の子供に読 ませるもの とは限 らない。童 話 に 表 現 エ タ ー ナ ル チ ヤ イ ル トフ ー ト され る思想の世界は,「大人 自身 の子供 の性質」- 「永 遠 の 子 供 eternalchildhoodJ - が こ うあ ってほ しい と願 う理想の世界で もある.「永遠 の子供」 とは, どこ ま で も育 っ てい こ うとす る性質, 自由であ りたい欲望,美 しい ものを愛す る感情,正義を愛す る心であ る。童話は,人類が胸に抱 くこの 「永遠 の子供」のために創作 さるべ きものだ, とい うのが (4) 秋田の主張であ った。当時エ ロシェンコが書いていた ものが, まさにその通 りである。ただ 彼 の場合,そ こに鋭い誼刺がこめ られ るのが常であ った。 ともか く二人は意気投合 して童話芸術に打ち込んだにちがいない。 しか し, エ ロシェソコ の 口述童話を秋田が書 き取 ることは,二人の頻繁 な往来のわ りに少 なか った よ うで あ る。 『雨雀 日記』 (新評論社,1953)か ら,秋 田がエ ロシェソコの創作活動を助けた記録を 拾 っ てみ よ う。 1915年 (大正4) 11月9日 エ ロシェンコの 「鳩 の家」を訳 して 『時事新報』に送 る。 10日 エ ロシェソコが来て,小説 「蛍寵
」 (すでに9月か ら創作 している)を書 く。 28日 エ ロシェソコが来て,21日の宮崎虎之助 との宗教談をエスペ ラン トで書 く。 12月27日 エ ロシェンコがその翻訳をたのみに来 る。 1916年 (大正5) 1月8日 「雨が降 る」 とい う題になった上記宗教談の筆記をつづける。 9日 「雨が降 る」を翻訳執筆。『早稲田文学』に送 ることにす る。 (2月号に掲載。)3
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日 エ ロシェソコが来て,二人で小説 「蛍寵」 (前年 のつづ き)を書 く。 2月7日 エ ロシェンコの 「女性問題 とロシャ民謡」を訳す。 4月 4日 同 「運命の頂」 と俗謡を翻訳。5
日 露 国民謡の 「運命の歌」を翻訳 して,エ ロシェンコに届 ける。 15日 エ ロシェンコが水戸で行 う予定の講演「『運命 と経済』 の歌」を,二人で訳す。 5月20日 エ ロシェソコが同夜芸術倶楽部で行 う講演の草稿を二人で書 き,倶楽部 の席上 で通訳す る。 これ らは,二人が童話文学に傾斜す る時期か ら数年前の交渉の記録である。「鳩の家」と小 説 「賛寵」は,『エ ロシェンコ作品集』に も入 っていない所在不 明の作品であろ う。あ と の 記録をみ ると,
「雨が降 る」は宮崎虎之助 との宗教対談をめ く..る小品であ り,残 りはいずれ も16 研究紀要 (第 1号) 講演 または民謡 の翻訳 (エスベ ラソ トか ら日本語-)であ った。童話に関す る記述は何 もな い。 このあ とエ ロシェンコは前 にふれた東南 アジアの旅に 出, 3年後ふたたび 日本に舞い戻 ってか ら盛んに童話を書 き始 め るのである。 では, その1919年夏以降に,秋 田がエ ロシ ェソ コの創作活動を助けた記録があ る だ ろ う か。『雨雀 日記』には次の-か所 しか見当た らない。 1920年 (大正9) 10月 2日 明治会館における第 7回エスペ ラン ト大会で,エ ロシェンコが自作の 「ジブシ イの予言」 (秋 田の翻訳)を歌 う。 エ ロシェンコ自作 の歌 の翻訳ひ とつである。秋 田の記録洩れがあ った ことを考慮 に 入 れ て も,やは り彼 がエ ロシェンコの童話の 口述を筆記す ることは少 なか った と,考 えて よいであ ろ う。 神近市子が この仕事に どれ だけ関わ ったかほ, よくわか らない。 しか し,『雨雀 日記』を 通 して推察す る限 り,神近は,秋 田ほ ど頻繁にエ ロシェンコと交渉を もっ ことも,熱心に仕 事を手伝 うこともなか った と思われ る。 20篇の童話の文体はかな り多様である。エ ロシェンコが 口述す る童話を書 きと る 仕 事 に は, ほかに も協 力者がいた と考 えて よいであろ う。その一人に
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「童話作家 としてす く、、れた (5) 才能 を もっていた」青年 エ ロシェソコを 「こ とのほかかわいが」 った,相馬黒光 があげ られ るのである。 日本に来た翌年 (1915) 9月,エ ロシェソコは秋田 と神近に伴われて黒光 と初対面 し,そ れ以来, ときどき中村屋に姿を現 していたが,次 の年 の4月上旬,そ のア トリエの住人 とし て迎 え られた。 それか ら1921年5月28日,彼を ロシア共産党 と誤認 した政府の国外退去令に よって淀橋警察署に拘置 され るまで,黒光の親身 な世話を受け る。 もっとも, その間に上述 の シャム, ビルマ, イ ン ドの旅 を してい るか ら,本格的に腰を落 ちつけたのはその後,つ ま り1919年初秋以降であろ う。 折 しも 日本では 『赤 い鳥 』のほか 『お とぎの世界』,『金の船』 な どが創刊 され (1919年), 秋 田雨雀は前 にふれた よ うに 「芸術 の-様式 としての童話」に 力を入れ,黒光 の周辺には児童文学 の波 がひたひた と寄せていた。 黒光は, 目の不 自由なエ ロシェソコをいつ も自分 の 「隣 りの椅子に坐 らせ,食 事 の 世 話 (6) (7) を」す る。「議論好 きの皮肉屋で,偏屈」 といわれ るエ ロシェンコも,黒光には感謝 し,信頼 していた。南 ロシア, クールス クの豊かな平原で両親兄姉 らとす ごした幼年時代 の幸福 な思 い出を語 る 日もあ り, 4歳 の とき麻疹の高熱で失明して闇の世界に投げ出された こと,「村の 祭 りに男の子たちがサ ーシャや ナクーシャと手を引 き合 って出て行 くのに, 自分だけは祖母 さんに手を引かれていて淋 しか った」 ことな ど,
「悲 しい物語 り」 をす る 日もあ った。しか し (8) また, ア トリエには 「バ ラライ カを弾 きなが らロシアの民謡 を歌」 うエ ロシェソコの美 しい 声 が響 き,時には黒光が ピアノを, エ ロシェソコが ヴァイオ リンを弾いて合奏す るな ごやか宇津 :ワシ-リィ・エロシェソコの童話と相馬黒光 17 な光景 もくり広げ られた。久 しく味わえなか った家庭 のぬ くも りを取 り戻 したエ ロシェソコ の心に,幼 き日の追憶か ら素材を得たメル- ンが次 々に芽吹いた として も,不思議ではなか ろ う。 黒光は, こ うしたエ ロシェソコのために 「よくいろいろの文学的作品を読んで き か せ」, 「エ ロシェソコはそれを非常に よろこ」んだ。小説 が読 まれ,脚本が読 まれた。 これを動枚 (9) として,黒光,秋田,佐 々木孝丸ほか数名 の脚本朗読会 「地 の会」(「土 の会」)が中村屋で始 まる。『雨雀 日記』同年 (1920) 6月25日の条に,「夜,相馬 さんの宅で第三回朗読会をひ ら いた」 とあ り,以後7月16日までは毎週 この会の記録 がある。 この事実か ら,第一回は 6月 11日に開かれた と推定 され るであろ う。実は この頃エ ロシェソコが中村屋 と何 か問題をお こ している。同 日記5月24日の条に,「(エ ロシェソコが) 中村屋 と具合 が悪い らしい。気 の毒 だ」 とある。朗読会の発足には, こ うした- T=シェソコの窮地を救い, 中村屋における彼の (10) 立場を安定 させ よ うとい う,女主人黒光の配慮 もあ った と思われ る。 エ ロシェソコは朗読 の 聴 き手 として メンバ ーの一人であ り,時には 自分の童話が読 まれ るのに耳をかた む け て い た。秋田の 日記はただ一度,同年11月25日 「エ ロシェンコの童話を朗読 した」 と記録 してい るだけであるが,『桃色の雲』の 「あ とが き」は,彼の童話が 「ほ とん どすべて中村屋 の 脚 本朗読会で朗読 された もの らしい」 としている。「地 の会」がエ ロシェソコの作品発表 の 場 に もなったのであろ う。黒光の熱心な働 きかけがそ こにあったにちがいない。 「す く、、れた才能に恵 まれた- pシェソコが本国の革命 のた釧 こその才能をのはす楼会を失 ・1l、 った ことに同情 した黒光」は,せめて彼の 日本滞在中の童話が世に知 られ ることを願 った。 その最後 の働 きも見逃す ことがで きない。 エ ロシェソコが国外退去を命ぜ られ,淀橋警察署 に泣致 され るとす ぐ,親 しい人たちの問で彼の創作集 出版 の話が もちあがった。黒光は機を 逸せず,翌 日エ ロシェソコに面会を求め,立会 う刑事の面前 でその序文を 口述 させ,手早 く 書 きとった。敦賀港に向けて護送 され る前夜 (1921年5月31日)である。 これが同年 7月17 日叢文闇か ら出版 された第一創作集 『夜 明け前 の歌』に 「自序」 として収め られ る。 なお, 黒光は同夜 エ ロシェンコのために手紙3通 の代筆 もしている。 こ うした ことは,平素か ら彼 の身近で心理的なスポ ンサ ーの役を進んでひ き うげ, その 口述を筆記 し慣れた人 で な け れ ば,思いつ くことも実行す ることもで きない行為であろ う。盲 目のエ ロシェンコが物語 る童 話を書 きとった友の一人に黒光がいたと考える根拠は, こ うい うところにもある。 以上, エ ロシェンコの童話文学が生み出され る場 の形成 と口述筆記に, 中村屋の黒光がほ かの誰に も代われ ない役割を もった三つの事実をみて きた。次には作品に織 りこまれたエ ロ シェソコの思想の, どんな ところが黒光 と共感的であったかを, エ ロシェンコの側か ら考 え てみたい。 Ⅱ エ ロシェソコの 日本時代の創作童話20第の うち,特に黒光 と関連が深い内容を もった作品 2篇を と りあげてみ よ う。
18 研究紀要 (第1号) 先ず,比較的初期に書かれた と思われ る 「魚の悲 しみ」 がある。鮒 の子 ども 「鮒太郎」を 中心に, ドジ ョウ,鯉, 兎 ウグイス, ホ トトギス,蜜蜂,大蜂, 晩 蛙 な どが大 自然を舞 台に くり広げ る,善意 と希望に満 ちた平和 な世 界が,人間 のエ ゴイズム と残酷性に よって突 如破壊 され る話である。 - 。シェンコは淀橋署で黒光に うなが されて創作集 の序文を 口述 し た とき,これを 「芸術家の悲 しみ として書いた」 と言 っている。以下に梗概 を述べてお こ う。 冬 のあいだ厚 い氷に閉 じこめ られ,池 の底で じっと耐 えていた鮒太郎 が,春 が来たので川 に 出て 自由に泳 ぎまわ り,周辺 の動物,小鳥,昆虫たち と仲好 くなる。 ウグイスや ホ トトギ スが聴かせて くれた地上の うわ さ話で殊 に鮒太郎を喜ばせたのは,人間についてであ った。 世 の中では人間がいちばん偉 く,賢 い と聞 き,鮒太郎は会いた くてた ま らない. 夕碁 には遠 い教会 の鐘 の音に皆で耳 を懐ける。 その鐘 が皆の平和で楽 しい生活を願 う人間 の祈 りだ とき くと,鮒太郎 たちも人間 の幸福 のために祈 りを ささげ る。 その教会の牧師の坊 ち ゃんは,賢 くお とな しいので評判だ った。或 目その坊 ちゃんが突然 現れ, 兎, ウグイス,蛙,大蜂 な どを次 々に捕 り去 ったので,池の辺 りが大騒 ぎになる。偉 い人間がす る ことと思 えないその仕打 ちに,鮒太郎た ちは暗 たん とす る。そ こへ,教会か ら 帰 った妹が更に衝撃的 な話を伝 える。神様 が呼んで くだ さる 「あの国」 に行け るのは
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魂 が 与 え られている人間だけです。魂 のない 「私 どもは, ただ人間を よろ こぼせ るために,人間 の食物になるためにつ くられた ものだそ うです」 と。 不幸 な運命を悲 しみ,生 きる望みを失 った鮒太郎たちの池に,翌朝 また坊 ちゃ ん が 現 れ る。鮒太郎は怒 りにふ るえ,「さあ,私をつか まえて くれ .′ほかの者 が とらえ られ て殺 さ れ るのを見るのは, 自分が殺 され る よ り苦 しい」 と叫んで,網 の中-入 って しま う。 教会 の坊 ちゃんの部屋では, ウグイス と兎の皮が壁に掛か り,妹たちが ピンで貫かれ,解 剖 され たばか りの蛙 の心臓 が まだ動 いていた。 それ を見た鮒太郎 の胸 は しめつけ られ る。 し ば らくして坊 ちゃんが解剖 の メスを入れ る と,鮒太郎 の心臓はすでに破裂 していた。 しか し, その原因が悲 しみのためだ とい うことを坊 ち ゃんに説 明で きる人は,誰 もいない。 この坊 ちゃんは, あ とで有名 な解部学者になる。そ して池には教会 の鐘 の音を聞 きに出る ものがひ と りもいな くなる。 以上 が 「魚の悲 しみ」 のあ らす じである。 鮒太郎たちが春を誼歌す る場面は, 明る く美 しい メル- ソの世界である。一部 を引用 して お こ う。 その春は,ほん と うに愉快で した。朝か らウグイスやホ トトギスな どのえ らい音楽の先 生たちが独唱 した り,蜜蜂 の娘 さんた ちや大蜂 の姉 さんたちが合唱 した り,蝶 の踊子たち が舞 を舞 った りします し,晩になる と蛙 のい とこの詩人たちが歌 の会や演説会を聞いて夜 おそ くまで騒いでい ました。 夕碁になって,遠 い教会 の鐘が鳴 りだす と,魚の兄 さんたちは水の上 に浮び,蛙 のい と宇津 :ワシ-リィ・エロシェソコの童話と相馬黒光 19 こたちは岸 の上に腰かけ, 蝶 の姉 さんたちは花 の上 に坐 って,みんな静かに晩鐘 の音に耳 をかたむけ ました。 その鐘 の音は,人間 の兄 さんたちが, 自分たちの弟にあた る樹 の上 の 鳥 たち,水 のなかの魚たち,花のなかの昆虫たちに,平和でたの しい生活を祈 ってい るの だ とい うことで した。 そ こで,魚や蛙や ウグイスた ち もみんな,人間の兄 さんたちが幸福 に生活で きる よ うに祈 りました。 うつ くしい花 の匂い と,夕碁 の金色の光を もったその祈 りは,静 かに 「あの国」 の神様の ところにあが ってゆ きました。
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『エ ロシェソコ作 品集1
桃色の雲』P.5
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ところが作者は,突如そ こに人間のエ ゴイズム と残虐性 を大写 しに している。鮒太郎 と仲 間たちがその横暴 な権 力者 の餌食に され,善 意 と友愛 と平和に満 ちた彼 らの世 界 も破壊 され る。 そ して作者 自身 は鮒太郎 たちの側 に立 ち, その悲 しみを どこまで も共 にす る。 鮒太郎には, エ ロシェンコの宗教的な憧慣が投影 してい るであろ う。友達 の苦 しみを見て い られず に, 自分 が代 って命を投げ出す。 しか しその真意は誰 に も知 られず,一 見無意味な 死を遂げ る.「友のた釧 こ自分 の命をすてること, これ よ り大 きな愛はない
」 (ヨ- ネ1
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章1
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節) と言われたキ リス トのイ メ-ジが, この鮒太郎に ち らついてい る。それは, エ ロシェソ コの童話文学 を貫 く主要なモチ ーフのひ とつ なのであ る。 しか し, 「魚の悲 しみ」は も うひ とつの問題を含んでい る。坊 ちゃんは教会 の人間 で あ っ た。世 界を救 うために 自分 の命をすてたキ リス トの愛 を説 教す る牧師の,一人息子であ った。 その坊 ち ゃんが勝手気 ままな楽 しみのため小 さな命を奪 ってい る。 それを有 るま じきことと した鮒太郎 たちは,かえって 自らの存在 の悲 しい意味を牧師か ら聞か され る。人間以外の ち のは,人間 の衣食や楽 しみに利用 され るために だけつ くられてい るのだ と。梗概 には省略 し たが, エ ロシ ェコは最後 を次 の ような ことばで結 んで い る。 作者 の私 も, その ときか らも う教会にはい きません。すべ ての ものを,人間 の食物やお もちゃ としてつ くる よ うな神様に,私は祈 りた くないのです。 (同上, P.61) 前半 の敬けんな世界は後半で一挙に くつがえ され, いわば背教者 のポーズが前面に押 し出 さ れ ることにな った。 しか し評伝 『夜 あけ前 の歌』に よれば, エ ロシェンコは 「最後 まで無神論者や唯物論者 と (12) い うよ うな存在か らほ遠か った」。
「宗教的 なある ものにたえず心をひかれていた」。 ビルマ か ら日本 の友人に送 られた書簡に も, こ うしたエ ロシェソコの内面 が表れてい る。宗教 も科 学 も疑 うとい う言葉 の端か ら,十字架上 のキ リス トの心境を想像 し(
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年4月1
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日,鳥居 (13) 篤次郎宛), キ リス トの言葉 (マタイ1
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章2
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節) を引いて, 自分 の十字架を負 って生 きな さ (14) い と励 まし (同8月2
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日,吉 田均宛),
「主 よ, い まこそあなたは,み言葉 の とお りに この僕 を安 らかに去 らせて ください ます」 (ル カ2章29節) とい った老 シメオ ンに 自 らの心理 を な20 研究紀要 (第 1号) (15) ぞ らえる (同11月12日,鳥居宛)等 々。 この よ うに, エ ロシェンコの魂 の深みにおいて宗教 的 な渇 きは消えることな く, その ヒューマ ニズムの根底には聖書の ことばが生 きつづけてい た。 それに もかかわ らず エ ロシェソコは, 日常触れ るキ リス ト教界 の具体的 な在 り方に, か な り批判的であ った。 同評伝 は, 4歳 の とき失 明 して光の世界か ら別れなければな らなか ったエ ロシェソコが絶 えず い らだち,ひ ど く気むずか しい子 どもになった と述べている。 また,失 明の原因が彼 の 病気 を医者に診せ ることをかた くなに拒んだ叔母 の迷信的な処置に よる ことを知 った とき, 宗教的迷信 とい うものを激 し く憎んだ。更には, 自 ら望 まず して投げ込 まれた闇 の 世 界 か ら, どん なことに も まず疑 ってみ ることを学 んだ。「わた しはなんで も疑 った し, ど ん な権 威 を も信 じなか った。わた しは神は善 である とい うことも,悪魔は悪である とい うことも, ともに疑 った」 と, エ ロシェンコ自身書いている。 これは18歳 まで在学 した盲学校 の生活を (16) 措 いた「あ る孤独 な魂- モス クワ第一盲学校 の思い出」 の一節である。正門に ロシア 皇 帝 の紋章を掲げたその学校 の帝政 ロシア末期 の教育が,社会 の権力者や教師の権威主義に対す る抵抗意識を少年 エ ロシェンコの心 に育 てた とい う。 その意識 は,宗教的な指導者に向け ら れた もので もあ った と見 て よいであろ う。 日本の友人たち との会話に も, こ うした問題 が引 き出された。 エ ロシェンコが国外に追放 され た後,加藤一夫が彼を しのんでつ くった詩 に次 の一節がある。 ・--その ころの君 は 宗教的 な詩人だ った 僕 らは君 の信仰をぶち こわそ うとした 君 が と りつかれ ている幽霊 を退治 しよ うとした 僕はあ とで あの ときの僕 の議論 があ ま りに無慈悲であ った ことを さとった しば らくのあいだ 僕 の頭はあの ときの ことを悔 いる心でい っぱいだった 今 もその ことを思 うと僕 の胸 はいたむ 故 国を失 った漂浪 の旅 にある君だ わずかに思想 と芸術 と信仰 とで その友を もとめていた君だ それ だのに それだのに 僕 の言葉 はあ ま りに峻烈であ った (『夜 あけ前 の歌
』
P.254) 若 い頃 キ リス ト教伝道に挫折 した経験 を もつ加藤 の言葉は,
「宗教的 な詩人」 エ ロシェ ソ コ の内面に深い陰 りをの こしたにちがいない。 こ うした議論 が, さらに他 の友達 との問 に発展 したであろ うことも十分考 え られ るのである。 「魚の悲 しみ」 が最後 に示 した背教者 のポーズは,以上 の よ うな屈折体験 を背景に した も のであ った。 しか し,
「魚の悲 しみ」 の中心 テーマは既にみた よ うに,
「友 のために 自分 の命を投げ出す ほ どの深い愛」 にかけた青年 エ ロシェンコの夢であ り,憧憶であ った。 それは彼の皮肉や訊宇津 :ワシ-リィ・エロシェソコの童話と相馬黒光 21 刺 の世界 とは裏腹の,いわば至福の境地であ った。 同 じモチーフで書かれた も う一つの童話,「二つの小 さな死」 も意味深い。「私は涙 と血 を まぜ て書いた」 と,エ ロシェソコが 日本か ら追放 され る とき窯光に 口述 した作品である。彼 は富者 と貧者,権力者 とそれに虐げ られ る弱者 とを対比 させ, 自らは貧者,弱者の側 に立つ のが常であった。 この童話の人物設定 がその典型である。主人公は貧 しい労働者の子, これ と対比 して描かれ るのは金持 ちの坊 ちゃんである。 静かな病院の特別室で, この坊 ちゃんが 「死」を待 っている。 向 うの病室で も労働者の子 が死を待 っている。特別室ではサ ン ・ベルナールの犬, カナ リヤ,鉢植えの花な どが坊 ちゃ んを慰めているが,労働者の子には何 もない。 しか し彼は, 自分 と同 じように窓か ら空を眺 めている坊 ちゃんに 「あたたかい兄弟の よ うな愛 と親 しみの心」を感 じる。 「死」が近づ き,労働者の子を唆 して言 う。愛す る坊 ちゃんや, その犬, カナ リヤ,花 な どの命を 「死」に渡せば,代 りにお前 の命を少 しのば してやろ うと。だが労働者の子は 自分 が死ぬほ うを選ぶ。その とき初めて, 自分が 「生 きている」 ことを実感す る。 次に,「死」は金持 ちの坊 ちゃんに近づ く。坊 ちゃんは,愛す る花, カナ リヤ,犬,そ して 労働者の子の命をも 「死」に渡 し, 自分の命を 日没 までのば して もらうほ うを 選 ぶo L か し, そのあ と,いつ まで もむせびないている。 翌 日,金持 ちの坊 ちゃんの盛大な葬式があ り, 同 じ時刻に労働者の子 もひ っそ りと葬 られ る。 ただ一人貧 しい棺を送 り出 した若い看護婦が,思い定めた よ うに言 う。「私 も行 く。私 も いかなければな らない。真理はそこにある」と。看護婦は静かに貧民窟を さして歩いて行 く。 以上が 「二つの小 さな死」のあ らす じである。「魚の悲 しみ」 よ り思想的な深 ま り が 見 ら れ る ところは,坊 ちゃんの命を救 うために 自分の死を選んだ労働者の子に,かえって 「生」 をい きい きと体験 させた場面である。作者エ ロシ ェソコは,そ こに 「真理」 があることを示 すために,労働者の子の死をみ とった若い看護婦を最後に登場 させ る。彼女 は 「死 か ら 生 へ」 の真理を さと り,静かに貧民窟の方 に歩いて行 く。貧民窟に向かわせ ているの は,「友 のために 自分のいのちをすてる」愛が,富や権力の旺感か ら解放 された人 々に よってのみ実 現 されることを,暗示 したか ったか らであろ う。 中村屋の 「地の会」でエ ロシェンコの童話が朗読 された或夜,黒光の夫,愛蔵 が 「またエ ロさん (エ ロシェンコの愛称) のお説教がは じまったね」 と笑い, ある人は 「エ ロさんの童 話は観念があま り露骨す ぎや しないか」 といったそ うである。本稿にみて きた 「魚 の 悲 し み」 と 「二つの小 さな死」に も,それはいえるであろ う。説教臭,観念臭がかな り強い。 し か し, こ うした批評に対 しては秋田雨雀が次の よ うに弁護 している。「観念が露骨にで る か で ないか とい こ うとは,その作者の社会意識 な り,その作者を生んだ社会状態に支配 され る こ とであって,観念をあ らわすのがいちがいにわ るい とい うふ うに見 るのは, おか しいん じ ゃないか。観念の とほ しい, とい うよ りはむ しろ皆無な 日本の文壇に, エ ロさんの よ うな美 (17) し く燃えた観念の火を投げるのは,かえって意味があると僕は思 う」 と。
22 研究紀要 (第 1号) 黒光 も秋 田 と同 じ意 見 だ った に ちがい な い。彼 女 は エ ロシ ェソ コの童話 に織 りこまれ た思 想,憧 憤 ,社 会正 義 への鋭 い感覚 な どを, そ の 内側か ら理 解 し, 共 鳴 し得 た人 で あ る。 エ ロシ ェソ コの ヒューマ ニズ ムの 根底 には, ロシア正 教 の伝 統 的 な信仰 心 に育 まれ た幼少 期 が考 え られ る。 黒光 も, 子供 の ころ卓越 した キ リス ト教 指 導 者 (押 川方 義 と島貫兵太 夫) の薫陶 を受 け, そ の信仰 の揺 藍期 で 自分 の一 生 が決 ま った よ うな ものだ と言 ってい る0 社 会か ら疎外 され, あ るいは虐待 され た不 幸 な人 や貧 しい人 の側 に立 ち, そ の悲 しみ を共 に し, 彼 らの代弁 者 とな った エ ロシ ェソ コの心 は
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黒光 の心 で もあ った。 彼 女 は 貧 困 と逆 境 の うちに生 い立 ち,実 人 生 の悲惨 を知 りつ くしていた 。 貧 者, 弱者 として描かれ た 「鮒太 郎」 や 「労 働者 の子」 には,
「友 のため に 自分 の命 を投 げ 出す ほ どの深 い愛」 - の, エ ロシ ェソ コの夢 が託 され ていた 。黒光 に も, そ うした ェ ロシ (12) ェソ コに共通 のみず みず しい憧 保 があ った 。 「魚 の悲 しみ」 の最 後 に背教 者 の姿勢 を とった エ ロシ ェソ コの心 か ら, 宗教 的 な渇 きが消 え る こ とは なか った。若 き 日の黒光 に も, そ うした ひ とこまがあ る。宗教 の本 質か ら逸 脱 し た教 会社 会 の現実 と教 育 に懐 疑 し失 望 して, 教 会 か ら離 れ て も, 黒光 は, なお 神 を求め つづ け た 。 この よ うに,二 人 の間に は思想 的, 心 情 的 に深 く共 感す る もの があ る。 黒光 がエ ロシ ェソ コの創 作 を助 け, そ の 口述 を筆 記す るのは 自然 の成 り行 きだ った で あ ろ う。 なお, 本稿 にみ た二 つ の作 品 の成 立後 , 1920年 (大正 9) 後 半 には, 日本 の社 会主 義運 動 が急激 に高 ま ってい る。12月 9日結成 の社 会主 義 同盟 に は小 川 未 明, 秋 田雨 雀 ほか 多 くの作 家, 評論 家 が加盟 した 。 エ ロシ ェン コも彼独 自の見地か ら この運 動 に足 を入れ , 翌 年 の 国外 退 去 令 の原 因をつ くる。彼 の社 会運 動 には常 に宗教 的 な下 地 があ った とは い え, 運 動参 加 は 作 品 を大 き く変 ほ うさせ た。 した が って, それ か らの童 話 と, 黒光 との関わ りにつ い ては, あ らため て検討 しなけれ ば な らないで あ ろ う。 註 (1)神近市子 (1888-1981)は,エ ロシェソコの口述筆記を した1915年 (大正 4)頃 『東京 日日新聞』 の記者であった.同年9月,秋田雨雀 とともにエ ロシェソコを新宿中村屋に同伴 した時,彼を黒光に 紹介 したのが この神近である。 (2)『雨雀 自伝』(新評論社,1953)P.76 (3)高杉一郎 『夜あけ前の歌- 盲 目詩人エ ロシェンコの生涯- 』(岩波書店,1982)P.187 (4)秋田雨雀 『太陽 と花園』(精華書院,1921)序文 (5)中村屋編 『相馬愛蔵 ・黒光のあゆみ』(1968)P.19 (6)相馬黒光 『黙移』(『相馬愛蔵 ・黒光著作集 3』,郷土出版社,1982)P.250 (7)白井吉見 『安曇野』 (筑摩書房,1972)第三巻 P.165 (8) 註(6)に同 じ。 (9)『黙移』P.252 (lq 『安曇野』(P.392)は,
「地の会」の発起人を秋田雨雀,佐々木孝丸.ェ ロシェソコとし,その会場 に中村屋を, との彼 らの申入れに, 黒光が,
「神近市子が結婚 して しまって, 可哀そ うなェ ロシェソ字津 ;ワシ- リィ ・エ ロシェソ コの童話 と相馬黒光 23 コを慰めるには恰好な催 し」 とい う理由で決諾 した としている。エ ロシェソ コは神近に思いを寄せて いたが,神近は, この年 (1920)評論家鈴木厚 と結婚 した。 なお,「地の会」で朗読 された脚本について,同書は 「雨雀の 『国境の夜』『三つの魂』のはか,イ ブセソ,チ ェホ7, ゴーゴ リな どか らえらばれた」 としている。 ㈹ 註(5)に同 じ。
(
1
う 『夜 あけ前 の歌』p.129 8頚 高杉一郎編 『エ ロシェソ コ作品集2, 日本追放記』(みすず書房,1974)P.372 (14) 同上,P.385 8尋 同上,P.392 8匂 エ ロシェソコ 「ある孤独な魂- モス クワ第一盲学校の思い出」O原題は 「私 の学校生 活 の一ペー ジ」で,1923年に上海で出版 されたエスベ ラソ ト創作集 『Gemodeunu Soleca Animo』に収め られ た。高杉一郎氏に よるその 日本語訳が,上記題名で 『エ ロシェソ コ作品集1,桃色の雲』冒頭に置か れている。(14 『夜 あけ前の歌』P.225-226
88 『相馬愛蔵 ・黒光著作集 1,穂高高原』中の 「お じいきまのおはな し,百姓の親 の加助」p.204-213 参照。