これは, 現に接する出来事が悲劇なのか茶番劇なの かとは関係なく, 人々の日常生活から沸き起こる疑問 でもある。 人がある現象を解釈するときに, 自分自身 の個人的な経験に照らすことはよくあるだろうし, 友 人や親類からの伝聞を思い出すこともままありえる。 人々の知恵の, 少なくともいくばくかは経験の集積に 根ざす以上, 過去を 「歴史」 として振り返り, 参照す ることはまったく自然な営為であろう。 ところが, である。 どうしたことか, このまったく自然な営為であるは ずの歴史を参照する行為が, 近年の労働研究ではあま りみられなくなってきている。 もちろん, 労働研究は学術研究の一貫であるから, 単に人間の自然の思惟であるという理由だけで歴史を 参照する必要はない。 しかし, 労働研究の多くの部分 が経験科学の方法に依拠している以上, 実証過程にお ける歴史の参照は方法論的に正当なものであろう。 加 えて, 本特集総括コメントで尾氏が喝破しているよ うに, 本来違うはずの世界で同じ現象が観察されると きにこそ, 当該現象の背後にあるメカニズムを理解す るのに非常に重要な鍵が隠されているのである。 そう 考えると, 歴史参照の衰退の原因は, むしろ, 労働研 究の各分野が細分化し過ぎたがために, 分析手法の違 いからか, 分野間の意思疎通の欠如や遠慮が重なり, 互いの無関心が助長されたことにあることが想像され る。 その証拠に, 実は歴史研究と労働研究ではそれぞ れ同じようなテーマが同じような問題意識のもとに取 り上げられ研究されていることが少なくない。 本特集は, 現代に重要視されている労働問題と相似 的な歴史事象をオムニバス形式でとりあげ, その類似 点や相違点, 歴史的な経験と現在の労働市場の変化・ 構造との対応関係を明示することで, 労働研究と歴史 研究のコミュニケーションを回復し, 労働研究の進展 に寄与することを目的としている。 具体的には, 9 つ の研究テーマをとりあげ, 歴史研究者にそれぞれに関 する論考をまとめていただき, 現在類似のテーマに取 り組んでいる労働研究者に長めのコメントをつけてい ただく形式をとった。 各論文の解題は本特集の最後を飾る総括コメントに お願いし, テーマだけを列挙すれば, 人口減少と少子 化対策, 海外直接投資, 所得分布, 資産家の役割, 身 分構造, 賃金体系, 労働組合運動, 外国人労働者, 労 働者保護法制となる。 ただし, 編集上の不手際から, 総括コメントには森建資氏の賃金体系に関する論考に 対する佐藤博樹氏のコメントならびに渡辺章氏の労働 者保護法制に関する論考に対する江口匡太氏のコメン トが反映されていない。 読者・著者ならびに総括コメ ントの執筆者である尾煌之助氏には多大な不便をお かけすることとなった。 編集責任者として深くお詫び 申し上げるとともに, ここに両コメントの内容をかい つまんで紹介したい。 森論文では, 日本の賃金は古くから日給と業績給か ら構成されており, 実は時間賃金率という概念が確立 していないことが指摘されている。 だとすれば, 正社 員と非正社員の待遇格差を解消するために主張される 同一賃金同一労働は, いわば画餠に過ぎない。 これに 対し, 佐藤氏は格差解消の 「課題は, 時間賃金率の有 無によるのではなく, 賃金水準のバランスに関する納 得性確保の難しさにある」 として, 反駁を加え, さら に 1990 年代以降の日本企業の賃金システムの変更のな かで, 現に仕事要素の影響力が強くなっていることを 指摘し, 議論の枠組みを拡大する必要性を説いている。 渡辺論文の眼目は, 戦前の工場法と比較を通じて, 戦後の労働基準法が単なる労働者保護法制にとどまら ないことを明らかにしたことにある。 これに対し江口 氏は, 工場法がなぜ健全な労働力の育成に資さなかっ たのかについて, 雇い主側の流動性制約と労働者の頻 繁な離転職という要因がある可能性を理論的に提起し ている。 もし後者が産業や技術構造の転換から発生す る必然的な傾向であるとすれば, 1990 年代以降の日 本の労働市場における労働法制の動揺についても, こ の議論が示唆するものがあると指摘している。 読者諸賢には是非通覧していただいて, 様々な議論 を提起していただきたい。 これらの課題は現代の人々 がまさに直面している問題であり, 茶番劇に過ぎない とシニカルに批評する以上の責任が, 私たち研究者に はあるからである。 (かんばやし・りょう 一橋大学経済研究所准教授) No. 562/May 2007 2
歴史は繰り返すのだろうか?(PDF:168KB)
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