• 検索結果がありません。

「教育実習指導」試論--教育実習事前指導・意義と心構えを中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「教育実習指導」試論--教育実習事前指導・意義と心構えを中心に"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. 「教育実習指導」試論 ―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. 中. 田. 睦. 美*. A Study of“Guidance for Teaching Practice’’: Teaching Practice Prior Instruction for the Attitude toward Meaning of Teaching Practice (NAKATA Mutsumi) 1.はじめに 教職課程を受講する学生たちにとって、 「教育実習」は初めて出会う教育現場であり、その 体験は不安と希望がないまぜになった未知の領域である。誤解をおそれずに言えば、大学内で 教職課程を学ぶ講義形式の科目(座学)は、来たるべき教育現場に立つための仮想的なシミュ レーションの場である。それに対し、初めて実際の教育現場に赴き、子どもたちや教師と直接 出会うことで多くのことを学ぶ「教育実習」は、そうしたシミュレーションとは別種の体験学 習であり、教職課程で学んできた基本的かつ原理的な知識を実践的に検証する場だといってよ い。しかし、頭の中にインプットされた知識はしばしば現場において齟齬をきたし、修正を余 儀なくされる。それはどのような職種であろうと同様で、人は誰しも始めは初心者であり、初 めて踏み出した現場で躓きや戸惑いに苦しめられる。それは不可避の洗礼でもあって、人は現 場で悩んだり迷ったりしながら実践的な学びを通して成長を促される。教職もまた例外ではな い。 ところで、書店の書架には「教育実習」の関連記事を含む数多くの参考文献が並んでいる。 しかし、そうした参考文献の多くは、一書にまとめる必要上、当然ながら教育現場で生じるあ らゆる事態に対応するものではなく、典型的もしくは最大公約数的な事例を採り上げ、 「このよ うな場合にはこのようにしましょう」といった模範的な回答例の呈示である。むろん、実習に 赴く学生が教育実習に関する予備知識を吸収するために、そうした参考文献をあらかじめ学習 *近畿大学教職教育部准教授. 〔キーワード〕教育実習、教育の現場、心掛けと準備、生徒と 選手、教師と監督. ― ― 47.

(2) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). しておくことは大切である。しかし、教育の現場(教室)はあくまでも生身の生徒たちを相手 とする「生き物」であって、その多くは不測の事態(ケース)が起こりうる。だとすると、予 測不能な未知の領域の「教育実習」に臨もうとする学生たちに対し、 〈事前〉の学習である「教 (注1) は何をどのように語るべき場なのか。問題は決して容易ではない。 育実習指導」. 実習生がしばしば不測の事態に出会う「教育実習」は、彼らがその事態に対してどのような 対応をとるのか、それも不測だということを意味している。したがって、そうした実習を〈事 前〉に講義する「教育実習指導」の担当者もまた、未知の領域を語ることだといってよい。い うなれば予見しがたい内容を「指導」する講義において、何をどのように語ればよいのか。私 見によれば、ただひとつ明確なのは、これから未知の領域に踏み出そうとする学生たちを前に、 彼らの不安をどれだけ軽減できるのか、そのためにいかなるサジェッション(暗示を含めた示 唆や提示)を与えられるのか、という一点である。むろん、これまでにも「教育実習」に関し て具体的なマニュアルを提示する参考文献(注2) がなかったわけではない。しかし、教育現場が 「生き物」であるように、その現場への対応は千差万別である。ここでは前述の学生たちに対す るサジェッションを念頭に、私自身の高校現場における教師体験(注3) や実際に教育現場に学生 を送り出してきた経験(注4)などをふまえ、実地にそくした具体的な「指導」法の一端を披瀝し、 「教育実習指導」に当たった実例のひとつとして参考に供したい。. 2.教育実習の基本的理解 「教育実習指導」を始める第一歩は、ひとまず本科目が教職課程全体の中でどのように位置 づけられているか、その意義や目的を確認することだろう。たとえば、文部科学省による「教 育実習指導」の位置づけがそれである。その基本的性格は、主として「教育職員免許法」や 「教育職員免許法施行規則」によって規定されている。「教育実習指導」は、上記「施行規則」 の改定にともない、 「2000年4月以降大学入学者」は実習本体と別に事前事後指導の一単位の履 修を必要とする(「施行規則」第一章第六条の備考八)ことから設けられた科目である。その ことをまず確認した上で、実習に向かう学生たちにその位置づけを理解してもらうため、上記 「施行規則」や「免許法」の要点をまとめた以下のような「プリント」を配布し、その趣旨 説明や解説を行うことにしている。. ― ― 48.

(3) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. ◆「プリント」. 「教育実習」概説. 【Ⅰ】 「教育実習指導」が設置された事由 まず、本科目「教育実習指導」が設けられた事由や経緯を簡略に述べれば、以下のよう なものである。  教育実習」は教職課程の総仕上げである。それは教職課程科目を通じて学んだ成果 を、教育現場で点検・確認するための重要な機会である。  近年、教員免許状の取得についてはより多くの教育現場経験が求められており、 「教 育実習」の重要性はますます高まっている。  教職課程(教員養成課程)を設けている機関(大学等)は、教育実習引き受け校に おける2週間から4週間の「実習」に加え、「事前事後」の講義・演習・指導を含め た「教育実習」を開講しなければならない。  「事前事後」の学習を「単位化」し、「事前」学習を「教育実習指導」とする。. 【Ⅱ】 関連法規 「教育実習」および「教育実習指導」は、以下のような法規に定められている。 ◇「教育職員免許法」第一条(この法律の目的)は以下のように定める。 この法律は、教育職員の免許に関する基準を定め、教育職員の資質の保持と向上を図 ることを目的とする。 ◇上記「免許法」第五条はその資格を以下のように定める。 普通免許状は、別表第一、第二若しくは第二の二に定める基礎資格を有し、かつ、大 学若しくは文部科学大臣の指定する養護教諭養成機関において別表第一、第二若しく は第二の二に定める単位を修得した者又はその免許状を授与するために行う教育職員 検定に合格した者に授与する(以下略)。 ◇上記「別表第一」(第五条、第五条の二関係)は以下のように定める。 第一欄には、所要資格として免許状の種類(専修・一種・二種) 第二欄には、基礎資格 ― ― 49.

(4) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 第三欄には、教科に関する科目・教職に関する科目・教科又は教職に関する科目・特 別支援教育に関する科目がそれぞれ設けられ、修得すべき必要な単位数が免許状の種 類に応じて掲げられている。 ◇「教育職員免許法施行規則(抄)」第六条は以下のように定める。 「免許法別表第一に規定する幼稚園、小学校、中学校又は高等学校の教諭の普通免許状 の授与を受ける場合の教職に関する科目の単位の修得方法は、次の表の定めるところ による」として上記「免許法」別表第一が掲出されている。 ◇「教育実習」に関しては、上記「教育職員免許法施行規則」第一章別表の備考「七」 が以下のように定める。 教育実習は、授与を受けようとする普通免許状に係る学校並びに幼稚園教諭の普通免 許状の授与を受ける場合にあっては小学校、小学校教諭の普通免許状の授与を受ける 場合にあっては幼稚園及び中学校、中学校教諭の普通免許状の授与を受ける場合に あっては小学校及び高等学校、高等学校教諭の普通免許状の授与を受ける場合にあっ ては中学校の教育を中心とするものとする。この場合において、幼稚園又は小学校に は、特別支援学校の幼稚部又は小学部を含み、中学校又は高等学校には、中等教育学 校の前期課程又は後期課程及び特別支援学校の中学部又は高等学校部を含む。 ◇同上「施行規則」備考「八」は「教育実習の単位数」を以下のように定める。 教育実習に係る事前及び事後の指導(授与を受けようとする普通免許状に係る学校以 外の学校、専修学校、社会教育に関する施設、社会福祉施設、児童自立支援施設及び ボランティア団体における教育実習に準ずる経験を含むことができる。)の一単位を含 むものとする。. 【Ⅲ】 わが国教育制度の変遷と「教育実習指導」 教員の養成制度は、戦後における教育改革のなかで根本的な制度改革が行われた。すな わち、「教育公務員特例法」(1949年)および「教育職員免許法」(1949年)が「日本国憲 法」および「教育基本法」の精神をうけて制定され、この二つの法律が戦後の教育制度の 基本原則となった。 「教育職員免許法」では、教職の専門性を確立するため、校長・教員・教育長および指 導主事について免許状制度を設けるとともに、教員養成を戦前の閉鎖的な師範学校型から ― ― 50.

(5) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. 解放し、学問研究を行う大学においてこれを行うという開放制免許状制度が採用された。 この制度は、教員養成を目的とする特定の大学(学校)だけに制限されず、一般の大学・ 学部(学校)等にも開放され、そこで所定の教職に関する単位を取得すれば、免許状が授 与されるシステムである。また、 「教育公務員特例法」では、積極的に教員の研修を奨励 した。 次に、今日における教員養成制度の基本は、1988年および1998年の二度にわたる「教育 職員免許法」の改正によって形成された。 1988年の改正の特徴は次の二点に集約できる。 ①教諭の普通免許状(一級および二級)を、学歴に対応した「専修」(大学院修士課程 終了程度)・「一種」(学部卒業)・「二種」(短期大学卒業程度)の三段階免許状に改め る。 ②普通免許状取得に必要な大学における教科および教職に関する専門科目を大幅に増加 させる。 この改正に伴い、「教職専門教育科目」(1988年当時の呼称。1998年以降は「教職に関する 科目」)における必修科目として「教育実習」の単位が、従来より1単位分増加した。こ れは「教育実習に係る事前及び事後の指導(注を省略)の1単位」(前記「施行規則」第 一章別表の備考「七」参照)を設けたことによる。この改正は「教育実習」に関する事前 (「教育実習指導」)と事後(「教職実践演習」)の指導を「単位化」し、必修科目の一部に 位置づけ、履修させることにしたもので、現場体験を重視する傾向のあらわれである。 1998年の改正は、教育免許状取得のための大学における「教科に関する科目」の単位数 を半減させる一方、 「教職に関する科目」の単位数を大幅に増加することを主旨としたもの で、一部を除き2000年度入学生から全面的に適用することとなった。 こうした施策のもととなった教育職員養成審議会は、1997年に「新たな時代に向けた教 員養成の改善方策について(第一次答申)」を出している。そこでは「教職に関する科目」 の単位数増加とともに、 「目玉」として「教科又は教職に関する科目」という選択履修枠 を設けることが主張された。引き続き同年の「第二次答申」では、 「教職への志向と一体 感の形成に関する科目」や「総合演習」(各2単位)が新設され、 「教育実習」を従来の2 週間から4週間(高等学校は3週間)とすることも含まれた。 さらに、2006年7月の中央教育審議会答申「今後の教員養成・免許制度の在り方につい ― ― 51.

(6) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). て」を受け、2007年6月の教員免許法の改正によって、まずは事前教育の「教育実習指導」 が明確に単位化され、続いて2008年11月の文科省省令の改正がなされた。この改正省令で は事後の「教職実践演習」の導入が明記され(そのほか教員免許更新制なども改正された が)、「教職実践演習」の新設に伴って「総合演習」の位置づけが一部変更となった。要す るに「教育実習」は、従来の「実習」だけではなく、「実習」をはさむ事前の「教育実習 指導」と事後の「教職実践演習」を併せた三位一体として、その充実がはかられることと なったのである。. 3.実習にのぞむ「心掛けと準備」 上掲の「プリント」などを軸に「教育実習指導」の位置づけを確認した上で、実習にのぞ む「心掛けと準備」の指導に入るが、その前に実習受け入れ校に対する基本的な注意を述べて おく必要がある。 第一に、「教育実習」は実習校の厚意(好意)による受け入れがあって初めて成立すること を強調しておかなければならない。実習生の受け入れは、多忙な教育現場においては極めて大 きな負担であるが、それでも大学からの要請(お願い)に応じてくれることで実現する。した がって、実習生たちには何よりも実習校に感謝の気持ちをもって赴く必要があることを伝え る。それは彼らが「教育実習」を教職課程の一環として単に場所を〈外部〉に移しただけと考 え、学内の講義と同様、〈学生気分〉丸出しの安易な気持ちで臨むおそれがあるからだ。今日、 学生の中には挨拶や礼儀の常識に欠ける人物も散見され、実習先に対する非礼を顧みない可能 性もある。それでは実習校と大学との良好な関係が保てず、実習生に対する評価もおのずと厳 しくなる。また、大方の教育実習生の受け入れ先が母校であるということ自体にも意味があろ う。かつての生徒が先輩として母校に戻り卒業生が懸命に頑張る姿と身近に接することで、直 接間接を問わず生徒たちには年長の先輩に対する敬意と愛着を、ひいては自校に対する誇りや 自信や意欲が付与されるといった形式陶冶的学習がなされているはずである。母校での実習に は、こうした波及的効果と影響力があることを忘れてはならないし、だからこそ充分な準備と 責任感をもって臨まねばならないと喚起させている。 第二に、無断の欠勤や遅刻を強く戒める。教職に限らずあらゆる職場にとって「無断」の職 場放棄は、当人の責任感や職務能力の欠如を意味し、「教育実習」という現場での評価を減じ させる。それは実習生個人に対してのみならず、実習生を送り出す大学側の信頼をも大きく損 ― ― 52.

(7) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. ねることになることを強調する。 第三に、実習先の現場は繁忙をきわめており、実習生への対応は必ずしも一様ではない。そ れゆえ実習先で特に問題のある応接があった場合にはすぐに報告するよう伝えている。たとえ ば、実習校での評価が極端に低かった学生には、実習先での実態を報告させ、どのような問題 点があったかを聞き取り、その修正や励ましを行うため、また後発の実習生の参考にするため にも報告を促している。 上記のような諸注意を与えたのち、具体的な「教育実習指導」の講義に入ってゆく。 さて、一般的な教育実習のスタイルは、おおむね実習生たちが取得を希望する教科を複数ク ラスにおいて教科指導させる実習(学び)と、担任としての校務を知るために一学級を担当さ せる実習(学び)とを組み合わせるかたちである。受講生たちには、そうした大枠を説明した のち、実習生としての具体的な「心掛けと準備」および諸活動を以下のようなかたち(「プリ ント」)で示すことにしている。これは「実習の申込みガイダンス」の際に配布する本学作 (注5) とも関連するが、以下は、ひとまず実際の講義で私が語ってき 成の「教育実習の手引き」. た「心掛けと準備」である。. ◆「プリント」. 教育実習にのぞむ心掛けと準備  まず生徒たちの顔と名前を覚えるように努めること。そのためには、名表や座席表 を必ず作ること。授業では、できるかぎり名前を呼んで指名すること。  校門指導と称される朝の校門前に教諭が立ち、生徒達を門前で迎える仕事がある が、これにも毎朝必ず校門に立ち、生徒に元気良く挨拶をすること。  担当学級の放課後の掃除には必ず出て、一緒に生徒たちと掃除をすること。  朝と放課後のショートホームルームにも必ず参加すること。  昼食の時間もできれば担当学級の生徒たちと一緒に取ること。  課外括動(特別活動)ではあるが、クラブ活動にもできるだけ毎日参加すること。  朝の職員朝礼に参加可能な場合は、その場への参加も願い出ること。  分からないことは自分一人で抱えこまず、率直に何でも尋ねること。 その際、指導教諭が多忙で十分な対応がなされない場合もあるが、へこたれないこ ― ― 53.

(8) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). と。  指示待ちにならないこと。特に担当学級において、自ら気づいた点を実施してみて もよいかを積極的に尋ねてみること。  実習室(職員室とは別の部屋)を与えられたとしても、実習室に寵もらないこと。 そのためにも実習が始まる前に、受け入れ校に赴き、実習生が担当する教材の指示を 仰ぎ、実習が始まる前に教材研究を深める準備をすること。  空き時間は少ないと思われるが、自分の専門教科はもちろんのこと、他教科の先生 の授業もできるだけ参観すること。  教育実習の総仕上げともいうべき研究授業は、単に授業をすればいいというもので はなく、授業にのぞむための細心の準備が必要で、それに伴うさまざまな作業や気配 りが必要となること。  研究授業を参観された先生方には必ず高評を伺いに行くこと。研究授業終了直後に その場で先生方より既に記入された高評用紙を渡されている場合も、改めて参観と高 評の御礼に伺うこと。  余力があれば、短い文章(一言)でも構わないので、担当学級のそれぞれの生徒に 宛てた感想を書き、実習日最後の日に手渡したい。  実習終了日、できれば全教諭の前で御礼を伝えられればよいが、難しいようであれ ば、校長などの管理職と学級ならびに教科の指導教諭に御礼を述べることを忘れない こと。その上で、後日、学校宛の礼状と、担当した学級の生徒に向けて、近況報告を 兼ねた手紙を送ること。  教育実習簿の書き方や留意点を指導する。. 上掲の「プリント」に記した各項目が、実習中の単なる「ノウハウ」もしくは義務的な ルーティンワークととられるのは本意ではない。そのため、各項目に関する心掛けや準備を提 示した上で、その意味を各学生にまず時間を設け考えさせた後、「説明」(次章)することにし ている。一見迂遠な形を採用するのには、これらの諸活動がなぜ必要なのかを受講生たちに問 いかける時間(指導)こそが肝要であり、その細かな点まで配慮におよぶ実践理由を主体的に 考えてもらうことが必要であり、そのことが実習に臨む高い意識を培うことになると考えるか らである。また、こうした当たり前とも思えるからまで掲出した事柄は実習先で教わる場 ― ― 54.

(9) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. 合もあるが、教育現場では多忙を極める校務の中であまりに当然過ぎることとして指導教諭が 一々指示しない場合もある。その結果、実習の出だしで躓くケースもあるので、上記に示した ガイドはきわめて重要だと思われる。出だしがスムーズに運べば、実習校の実情に応じてより 密度の高い実習も可能になると思われる。. 4.「心掛けと準備」の説明 前章では「教育実習」にのぞむ「心掛けと準備」を箇条書きふうの項目にまとめ、プリント として提示すると述べた。しかし、繰り返せば、そうした留意点を単に機械的に記憶するだけ では意味がなく、その理由や必然性を十分に理解する必要がある。したがって、上掲の各項目 への留意がなぜ必要なのかを具体的に「説明」しなければならない。以下、からの各項目 それぞれについて「説明」を加えてみたい。 の「生徒たちの顔と名前を(一刻も早く)覚える」必要があるのは、当然のことながら生 徒たちとのより親密な関係を作るためであり、子どもたちにとって自分の名前を覚えてもらう のは自身の存在を認められたと感じられる瞬間だからである。 の「朝の校門指導」は、その多くは生活指導や生徒指導の校務分掌の担当者がこれにあたっ ている。そうした教諭の多くが、服装や頭髪の確認をし、子どもたちへ規律を守るように指導 している。実習生の多くは、かつて自身が生徒だった頃にこれをうっとうしいと感じていたた め、「朝の校門指導」を提示されると、自ら「規律」指導を強いなければならないのかと考え がちである。だが、校門指導は、大前提として、毎朝、子どもたちが無事に登校する姿を確認 することである。校門指導に立つ教員の役割は、登校の様子を見守りながら子どもたちのわず かな変化を感受し、タイミングを見計らいながら「声掛け」することにある。頭髪や服装への 校則違反を指摘するのは部分的なことで、たとえ実習中の短い期間といえども毎朝子どもたち と顔を合わせ、昨日までは元気だった子が今日は辛そうだったり暗い表情をしていたりする彼 らの変化を感じ、さりげなく声を掛けることは、担当以外の生徒たちとの距離を縮める好機で あり、全体的な親近感を深めることになる。 の「担当学級の掃除」への参加は、教科(授業時間)とは異質の生徒との交流やコミュニ ケーションの場である。たとえば、授業中、落ち着きのない様子を示したり、あるいはその逆 で控え目な様子の生徒だったりが、掃除の時間に、懸命に掃き掃除をしていたり、当番では あっても誰もがしたくない仕事(教室のゴミ捨てなど)をみずから買って出てゴミ袋を持って ― ― 55.

(10) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 行くなどの配慮する姿を知るなど、教科以外で見せる生徒たちの「別の顔(別の側面)」を知 る良い機会である。そのうえで、こうした行動を何かの機会を見つけて、さりげなく褒めるな どの関わり方が生徒側から見られている(認知されている)という感覚に繋がり、そうしたさ りげない声掛けが、直接間接に教員への信頼や生徒たちの心をひらくことにもなる。 の「朝と放課後のショートホームルーム(SHR)」への参加は、生徒たちと共有する時間 の「区切り」で、共同生活のメリハリないしアクセントであり、一日の開始と総括をするため の時間である。むろん担任業務の一端という側面もあるが、SHR は登校してきた生徒たちの 様子を見て一日の始まりを告げる時間であり、また、一日の終わりとともに明日も元気で登校 してほしいとの願いを込め、明日の準備(持ち物や行事など)の声掛けなどをして一日の終わ りを告げる場であることに留意したい。一日の始まりは、登校してきた生徒全員との顔合わせ だが、できれば担任として毎朝、全員の名前を呼ぶ(出席をとる) 。生徒からすれば、一見、 何げない毎朝の繰り返しにすぎず、むしろうっとおしく無駄な行為だと思われるかもしれな い。しかし、業務も忙しく毎朝の呼称が煩わしく感じるとしても、よほどの事情がないかぎり、 毎朝、全員の名前を呼ぶようにしたい。これはと同様、登校してきた生徒たちの元気(様子) を確認することが担任の第一歩であり、毎朝(毎回)、名前を呼ばれた生徒たちの「自分は見 られている」という意識を高め、自己の存在が認められているという自尊感情を促す一助にな り得る。以上のことから実習生は朝夕の SHR にはできるだけ参加してほしい。こうした呼び かけは小学校ではありふれた光景であろうが、中学生や高校生たちはさまざまな事情によって 思春期特有の悲観的な感情や自己否定の気持ちに捕らわれる時期であり、多少の反発や屈折 (テレ)を示す態度が見えても、めげずに実践したい。もちろん、と同様に朝の SHR での点 呼も名簿に視線を落としたままではなく、必ず生徒一人ひとりと目を合わせることがなにより も肝要である。 の「昼食の時間」への参加は、最も親密な仲間のことを俗に「同じ釜の飯を食う」と表現 するように、同じ時空間で食事をともにする行為は人間の生きる原点を共有することであり、 人間関係を親密にするための最良の時間である。の掃除といい、この昼食時問といい、参加 したからといって即座に生徒たちが近寄るかというと必ずしもそうではない。学年が上がれば 上がる程、すぐさま関係が成立するわけではないが、教師(実習生)はそこでの居づらさや所 在のなさに耐えつつ、一日二日と経つうちに生徒は次第にこちらの声に耳を傾けるようにな る。はじめはそっけない生徒の態度や返答に窮しても、身構えたりいぶかしむのではなく、む ― ― 56.

(11) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. しろ生徒たちも大人である実習生に対してどのように接すればよいのか、ある程度応答を想定 できる授業とは異質のコミュニケーションの状況に戸惑っていると考えたい。短い実習期間と いえども、生徒たちとの関係を築き上げ、心的距離を縮めるには、生徒側から声が掛かるのを 待つだけではいけない。ただし、むやみに話しかければよいというものでもなく、その声掛け も生徒の何げない様子を感じ取りながら、状況に応じて接することが求められる。授業を受け るためにある空間(教室)とは違う授業時間外のコミュニケーションの空間(教室)もまた実 習生の力量が端的に試される場である。 の「課外活動(特別活動)」への参加は、と同様、「教科(授業)とは別の生徒の顔」を 見る好機であり、また、教師(実習生)側の「教科(授業)とは別の顔」を見せる場でもあっ て、教室以外での生徒との「交流やコミュニケーションの場」となる。また、仮にその「課外 活動」が実習生の特技(スポーツや音楽など)ででもあれば、生徒たちとの距離も一気に縮ま り、ひときわ親密になるからである。 の「朝の職員朝礼」への参加は、実習校における教育の基本方針や教員たちの校務の実態 を学ぶための場であり、全校的な教育活動の一端に接する機会である。 の指導教諭に「率直に尋ねること」は、実習生は初心者であって「知らないこと」が多い のは当然で、自己の未熟さにまずは謙虚に向き合うこと、そして、誠意をもって(自分なりに 準備や工夫を凝らした上で)指導教諭に「教え」を請うこと、それが「学ぶ」側の基本姿勢だ からである。しかし、現場の教員は多忙を極めており、必ずしも親切に教授してくれるとは限 らない。その場合でもめげずに、たとえば指導教諭(や指導教諭以外の教員)のやり方をしっ かりと観察し(「教わる」のではなく「真似る(盗む)」ことで学ぶ)、そこから問題の解決を はかる努力をする。 の「指示待ちにならないこと」は、指示されたことを指示どおりにやるだけでは、「学ぶ こと」にはならないし、身にもつかない。積極的にみずから取り組み、時には失敗を通じてこ そ本当の「学び」となる。ただし、実習校には実習校なりの方針や規則、また指導教諭の考え 方もあるので、一人合点をして先走りをしないようにしたい。自分のアイデアを試す場合は、 まず指導教諭に申し出、それが可能かどうかを確認した上で実践してみたい。 の「実習室に寵もらない」は、実習校では実習生用の別室を与えられる場合が多い。しか し、そこで実習生同士のおしゃべりにふけったり、教材研究(指導案や本時案の作成など)に 焦って終日を実習室で過ごすことは避けたい。必要最低限以外は実習室を出て生徒や教師と積 ― ― 57.

(12) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 極的に接触し、できるだけ校内や教室の空気に触れるようにしたい。なお、実習以前の段階で 指導教諭から担当教材を伝えられた場合は、大学の図書館や在住地域の資料館、実習が始まっ てからは実習校内の図書館などを利用し、あらかじめ教材研究を深められるように努めたい。 の「自分の専門教科」以外に「他教科の先生の授業」も「参観する」ことは、教科によっ て授業の進め方が異なる場合が多いだろうし、教科が異なれば先生方の個性も違う可能性が高 く、そうしたさまざまなタイプの授業を参観することで新たなヒントも得られ、これまで気づ かなかったひき出しを増やすこともできる。 の「研究授業」のための準備は多岐にわたる。研究授業のために作成する指導案と本時案 (板書案含む)ならびに自作学習プリント(ワークシート)、また本時で使用する教材内容(主 として教科書)のさらなる掘り下げなどとともに、参観教諭のためにこれらの配布物の用意を 怠らない。さらに、実習生の研究授業を参観された教諭から高評をいただく用紙も作成(複写) し、これらをセットにして学校内の全教諭に配布する。その際、できれば手渡しが望ましいが、 難しい場合は、必ず一筆を添え、各教諭の卓上に置いておく。この一筆という行為も忘れては ならない。 の「研究授業を参観された先生方の高評」に関しては上記の通りだが、参観された先生方 は繁忙の中をわざわざ貴重な時間を割いて参加していただいたわけで、そのことへの感謝を述 べ、丁寧に御礼を申し上げること。 の「それぞれの生徒に向けた感想」は、教師(実習生)にとっては生徒が集団の一員で あっても、生徒にとっては対・一人の先生であり、フレッシュな実習生との出会いは新鮮かつ 印象深いものである。そうした存在から自分一人に向けて宛てられた言葉をもらうことは、生 徒各人にとってハートウォーミングな記憶となるだろう。想像を逞しくすれば、こうした実習 生の健気で熱意ある行為によって、生徒たちの中から将来、教職に就いてみたいという思いを 促す遠因となるかもしれない。 の「実習終了日」の御礼と御挨拶は当然のことで、立つ鳥あとを濁さずのことばもあるよ うに、実習を終えたからといってただ安堵するのではなく、最後の最後をきちんと「しめる」 ようにしたい。また、後日の対応も大切であることを伝える。 の「教育実習簿の書き方」については、次のような点に注意する。 ① 日々の提出方法については指導教諭とあらかじめ打ち合わせておくこと。 ② 適切な内容と分量を心掛けること。 ― ― 58.

(13) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. ③ 筆記用具は、鉛筆ではなくペンを使用すること。実習簿は、指導教諭の確認を要する 公的性格の文書なので、読み手=指導教諭に敬意をはらう意味でも鉛筆などの簡略なも のは避けたい。ただし、学生によっては、実習簿に書くこと自体に緊張し、誤字や脱字 が多くなったり、何度も推敲や訂正を要するタイプの学生もいる。ペン書きのために修 正箇所や訂正印が頻出し、見た目に煩わしい実習簿になるようなおそれがある場合は、 指導教諭にあらかじめ相談し、鉛筆書きでの許可を願い出てみること。 ④ ペン書きであれ、鉛筆書きであれ、誤字脱字には注意を払い、できるかぎりの丁寧な 文章と字体とを心掛けること。ペン書きの文章を訂正する場合には、必ず訂正印を押す こと。こうした実習簿の記述は、同時に公的文書の書き方を身につけるための学習とも なる。 ⑤ 日々の感想を記す頁については、当日の反省と明日からの改善点などを細やかに記述 すれば、おのずとその頁は埋まるはずである(②の適切な分量)。中には頁の半分以上が 空白で、指導教諭から指摘されても改善されない場合がある。こうした日誌の特徴のひ とつは、箇条書き的な毎日の事象の羅列と簡単な紋切り型の感想に留まっていることが 多い。その場合は、日々の発生する出来事に関し、授業であれ SHR であれ、生徒たちの 発言やつぶやきや表情などを思い起こし、その時に、何に戸惑い、どのように考え、行 動したのかを細やかに記録するように努め、なおかつ、自分なりの分析と反省あるいは 改善策を記すように心掛けることを促す。こうした具体的な記述を心掛けることで、指 導教諭もまた実習生への所見欄についてさらに具体的な指導内容を書き込んでもらえる 契機となる。加えて、精度や緻密さには欠けるかもしれないが実習生なりの誠意や情意 を尽した記述の閲覧を通して、多忙な指導教諭にも実習生の内面を理解してもらう大切 な手立てとなり得ることを伝える。 以上、一見丁寧にすぎる「説明」と思われるかもしれないが、学生(実習生)たちにとって は初めて体験する教育現場であり「教育実習」であるので、その内容をできるだけ具体的に 「指導」する必要があると考えている。先にも述べたように教育現場は「生き物」であり、さ まざまな不測の事態が起きる可能性は高い。そうではあっても〈事前〉の「心掛けと準備」を 真摯に重ねてのぞむ以外に方策はないのではなかろうか。. ― ― 59.

(14) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 5.別視点からの補足説明 上記の「説明」は、学生側からすれば、いささか押し付けがましく説教臭いと感じられるか もしれない。そこで少し角度を変えた資料(下記「プリント」)などを用意し、別の視点か ら補足説明を加えることにする。一見「教育」と直結しないと思えるような事例を用いて、前 述の「心掛けと準備」の重要さを再確認することにする。意外性はあらためて注意を喚起する 手段の一つとなり得る。. ◆「プリント」. 「阿川佐和子のこの人に会いたい(第1017回) サッカー日本代表監督 アルベルト・ザッケローニ」 (「週刊文春」第56巻第19号、平成26・5・15、文藝春秋) 【A】 ザッケローニ:(前略)普段は選手と一緒にいなくて、限られた期間だけしか練習ができ ない。でも、五月の十二日からは、二十五日間も選手と合宿できます。そこでチームを 作れるんだと前向きに考えています。 阿川佐和子:十分、理解し合えると。 ザッケローニ:はい。技術面でもメンタル面でも、本番に向けて①いい準備をしていきた いと思っています。 阿川佐和子:そのために重要なことは何だとお考えですか。 ザッケローニ:これは常に心がけていることですが、②選手のことを知ることですね。近 くにいる時は特にじっくり、③メンタルやフィジカルがどういう状況にあるかを観察し ています。そうしないと、④選手にどうアプローチしていくべきかもわかりませんか ら。 (中略) ザッケローニ:でも、ピッチでの様子を一日、二日と見ていると、⑤何か問題を抱えてい る場合はわかってくるんです。 阿川:へえー。動きを見ているとわかるんですか。 ザッケローニ:わかります。そういうときは⑥対話が大切だと思っています。少なくと ― ― 60.

(15) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. も、⑦どんな問題を抱えているというのは理解しようと。そこで⑧解決できる問題であ ればそうしますし、⑨できないのであれば、やはり他のメンバーを使うしかないかと、 対応を考えるんです。 【B】 ザッケローニ:ただ、アジアカップや東アジアカップといった、途中の大会で優勝するこ とが重要ではないんです。あくまでワールドカップ出場を決めること、そして本番の ワールドカップでいい戦いをすることが目的なんです。 阿川:自分は日本代表をワールドカップに出すために、一万キロ離れたイタリアからやっ て来たんだと。 ザッケローニ:そうです。⑩私は四年制の学校の先生に就任したみたいなものと考えてい ます。 阿川:先生……? ザッケローニ:学校といっても、⑪教科書のない学校です。教えることが決まっているわ けではない。就任の会見のときにも言いましたが、 「⑫勝利や結果を約束することはで きないけれど、⑬成長のための最大限の努力は約束する」と。⑭目標は成長なんです。 【C】 阿川:日本では「名選手は必ずしも名監督ではない」なんて言われるんですけど、⑮選手 として活躍なさらなかったからこそわかることってあります? ザッケローニ:私は⑯「天才は名監督になれない」と考えてます。天才は、考えずにでき てしまうから、⑰「どうしてできるのか、人に上手く伝えられない」ってことがあると 思うんです。 阿川:なるほどね。 ザッケローニ:私はサッカーが上手じゃなかったので、⑱できなくて苦労している選手の 気持ちがよくわかります。これは、天才よりも監督に向いている点だと思います。. 上掲の「プリント」は、本年(2014)6月にブラジルで開催されるワールドカップの日本 代表メンバー発表直前に行われたインタヴューの抜粋である。ザッケローニ(ザック)監督は、 プロ選手の経験がないにもかかわらず、イタリアのビッグクラブ・チームの監督を何度もつと め、勝利してきた異色の人物である。話題の中心はもちろんサッカー日本代表チームについて ― ― 61.

(16) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). であるが、その発言には随所に「教育」と関わる示唆的な発言があるように思われる。特に、 【A】群の◯数字を付した箇所は、「教育実習」にのぞむ学生にとって重要なヒントになるので はなかろうか。なお、【B】【C】群は必ずしも「実習」に直結しないが、それに付随する「教 育」全般や「教師像」の姿を示しているように思われる。以下、そうした点を軸に本プリント を使用する際のコメントを述べてみよう。 ①の本番前の「いい準備」は、教育実習においても「いい準備」が不可欠であるのと同じで ある。監督は「準備」の内容を「技術面」と「メンタル面」の両面から捉えている。教育実習 でいえば、「技術面」は後述(別稿で述べる予定)の「模擬授業」で注意を促す「教科」指導 の技術や方法および前述の生徒との接し方などに相当し、また「メンタル面」は実習にのぞむ 「心構え」において指摘した諸注意に該当する。 ②の「選手のことを知ること」は、そのまま「生徒のことを知ること」に通じる。実習にお いて重要なのは、教科指導や学級運営などよりもまずは「生徒のことを知る」ように努めるこ とであろう。 ③の「メンタルやフィジカルがどういう状況にあるか」は、眼前の生徒たちの「体調」面や 「精神」面がどのようであるかを把握することの重要さに通じる。 ④の「選手にどうアプローチしていくべきか」は、生徒たちへの「アプローチ」の仕方を画 一的や固定的に考えるのではなく、個々の生徒とフレキシブルに向き合い、その上で接し方を 十分に考えるべきだということに通じる。 ⑤の「見ていると、何か問題を抱えている場合はわかってくる」とは、実習現場においても 生徒を「見る」(観察する)ことが最重要課題であることを示している。たとえば、生徒たち の反発や不可解な行動は、彼らが「何か問題を抱えている」場合か、教師(実習生)の側に 「何か問題」がある場合が多く、そのどちらにしてもまずは「見る」ことが「わかってくる」 ことの出発点であることを物語っている。 ⑥の「対話が大切」は、いうまでもなく生徒たちとコミュニケーションをとることの重要性 と重なっている。生徒たちばかりでなく、教室の空気との、指導教諭との、学校(実習先)と の「対話」も同様に「大切」である。 ⑦の「どんな問題を抱えている」かの「理解」とは、「問題」を教師(実習生)側の先入観 や一般常識を基準に判断するのではなく、「問題」そのものを、その本質や背景を予断をもた ずに虚心に見つめることが「問題」の「理解」につながることを示唆していよう。 ― ― 62.

(17) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. ⑧の「解決できる問題であればそうします」とは、「解決できる問題」ばかりではないこと を想定した発言であり、当面「解決できる問題」にはベストを尽くすとしても、長いタイムス パンで見なければならない問題(教育課題)もあり、また、教育現場の経験が乏しい実習生に は即座に「解決」できない「問題」もある。後者の場合は「問題」を一人で抱え込むのではな く、それが「解決できる問題」であるか否かを冷静に判断する必要があることを示している。 ⑨の「できないのであれば、やはり他のメンバーを使うしかない」とは、⑧の「解決できる 問題」と違って「できない」問題「であれば」「他のメンバー」すなわち自身以外の「指導教 諭」もしくはそうした問題を「担当」する教諭に相談する「しかない」 (そうすべき)という 「対応」を意味している。自己の能力を超えた不測の事態の危機管理といってもよい。 このように見てくると、本質的な問題は、学校という教育現場であれスポーツの場であれ、 ほぼ同じであるといってよい。つまり、 【A】群の①~⑨の注意点は、そのまま「教育実習」 の現場における留意点とおおよそ合致する。そこでのキィワードは、総合的には「いい準備」 と「心構え」や「見ること(観察)」の重要さであり、内容的には「技術」と「メンタル」に 留意し、生徒たちとの関係でいえば、彼らの「体調」や「精神状態」の把握および彼らへの 「アプローチ」の仕方や「コミュニケーション」の取り方などである。 続いて、【B】【C】群の⑩以下は、直接的には「教育実習」と結びつかないにしても、「教 育」や「教師」像に関わる重要な示唆を含むものと考えられる。以下、⑩以降についても簡略 なコメントを試みておきたい。 ⑩の「四年制の学校の先生に就任したみたいなもの」という箇所の「四年制」とはワールド カップが4年に一度の大会であることの比喩だが、ザッケローニが自身を「学校の先生」に譬 えているのは「監督」が教育現場における「教師」の役割と極めて似ていることを示している。 「教育」にとって不可欠な「生徒=選手」に対する愛情や理解力、観察力、指導力、技術力な ど、さまざまな要素において「監督」がいかに「教師」と共通しているかを熟知しているから だろう。 ⑪の「学校といっても、教科書のない学校」とは、サッカーという教育現場があらかじめ定 まったマニュアルや教則には収まらぬ「生き物」だという意味にとれる。事実、前の時間の教 室では大いに受けた同じ授業が次の教室では全く受けなかったり、同じ言葉がある生徒にはよ く浸透したのに別の生徒からは反発を招く、といったこともある。その意味では教育現場は常 に流動的な「教科書のない学校」なのだ。 ― ― 63.

(18) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). ⑫の「勝利や結果を約束することはできない」とは、「勝利や結果」に自信をもてないがた めのエクスキューズ(逃げ口上)ではない。たとえば、仮に理想的な「立派な教育」が行われ たとしてもそれが生徒たち全員に「良い教育」であるとは限らないし、必ずしも「良い」成果 (結果)を「約束」できるものでもない。また、教育の成果はすぐに実るとは限らず、反対に 随分後年になって生徒の潜在能力(伸び代)に点火して大きく結実する場合もある。その意味 では、監督=「教師」は「勝利や結果を約束する」存在ではなく、もっと複雑で多様な存在と いえるだろう。 ⑬の「成長のための最大限の努力」は、「最大限の努力」が「勝利や結果」が出なかった場 合のエクスキューズ(逃げ口上)ともとれる。しかし、たとえば教科教育による学力や成績の 向上は確かに重要だが、それがそのまま生徒の「成長」であるかといえばいささか疑問も残る。 重要なのは、選手=生徒たちがみずから「成長」するための〈手助け〉に関して監督=教師が 「最大限の努力」を怠らないことであり、これは教師にとっても不可欠な要素といえるだろう。 ⑭の「目標は成長」とは、⑬に述べたように「選手(生徒)たちがみずから『成長』する」 ことこそ真の「目標」であり、そのための〈手助け〉に徹するというザッケローニの信念にブ レがないことを示している。教育現場においても生徒の信頼を得る第一歩は教師がブレない姿 勢をもつことである。念のために付け加えておくが、このブレない姿勢というのは、成長を願 う指導者の基本的な理念を基盤とするブレない想いや信念のことである。そのために平常での 個別の応答には表層的にはズレて構わないのである。大事なことは個別の場面(状況)におい ては一見ブレているように見えながら、その実、個人の成長度合に応じてなされる応対であり、 生徒にはブレ(矛盾し)て見える行動に映ったとしても実は相手のことを考えての対応であっ て根本はブレていないことに気づかせ(思い至る日を願い)、その成長を促す結果になるように したい。そのブレていると感じた生徒自身が、自らの葛藤の中で考察を深めてゆくことで指導 者の内なる思いに気づき成長してゆくことになるのだから。この点に関しては、かつて拙稿 「『教職入門』試論」でも多少触れているが、いづれ稿を改めて述べたいと考えている(注6)。 ⑮⑯⑰は一連の質疑応答である。「選手として活躍なさらなかったからこそわかることって あります?」との問い(⑮)に対し、ザッケローニは「私は『天才は名監督になれない』と考 えてます」と断言する(⑯)。その理由として「天才は、考えずにできてしまうから、『どうし てできるのか、人に上手く伝えられない』ってことがあると思う」 (⑰)と答えている。ザッ ケローニの断言(⑯)は質問者(阿川)が紹介した日本の「名選手は必ずしも名監督ではない」 ― ― 64.

(19) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. という言葉よりもはるかに強固な断言である。日本の格言じみた言葉が確率の問題であるのに 対し、ザッケローニの言葉は強い信念に基づいている。それは、自身がプロの選手にさえなれ なかったザッケローニからすれば、「考えずにできてしまう」天才には自分と同じように「で きない」ことが理解しにくく、「できない」選手(生徒)と一緒に「どうしてできるのか」を 考え、「できる」ための方策を粘り強く探究し、それを「上手く伝え」るための「努力」に欠 けると信じているからだ。 その信念には、プロにもなれない平凡なサッカー選手でしかなかったザッケローニが名門ク ラブの監督や日本代表監督に上りつめるまでに、選手=生徒の「成長」を促すために払ってき た「最大限の努力」が「天才」の能力を上回るものだとの自負があるからだろう。それはかつ て優秀な生徒(選手)であった教師が必ずしも「良い教師」になるとは限らないことに通じて いる。教育の現場で問われるのは、何よりも生徒の目線に立って伝えるべきことを「上手く伝 え」るための「努力」を惜しまないことであり、自己の優秀さや技量や実績を誇ることではな い。重要なのは、指導すべき生徒(選手)の苦悩を理解するために、まずは、生徒に「寄り添 う」という姿勢を持つことだ。 ⑱の「できなくて苦労している選手の気持ちがよくわかります」とは、教育の現場では「わ からなくて苦労している生徒の気持ちがよくわか」るかということだろう。そして、教師の本 分とは「わからなくて苦労している生徒」に寄り添い、状況に応じ直接的あるいは間接的な形 で少しでも〈手助け〉をすることにほかならない。 ここに見てきたザッケローニは、個性的なサッカーの監督たちが多く存在する中での一夕イ プにすぎない。ザッケローニという監督(タイプ)の特徴は、華やかな選手経験をもつ多くの 監督たちと違って、彼が選手歴において最も劣る人物だという点である。だが、それゆえに彼 は選手(生徒)目線で選手(生徒)たちの「問題」を共有し、選手(生徒)たち自身の「成長」 に「最大限の努力」を払い、〈助力〉を惜しまない。むろん、ここで述べるザッケローニ像は、 あくまでもインタヴューの発言から抽出された「ザッケローニ」像であって、現実のザッケロー ニがどういう人間であるかはわからない。とはいえ、彼が自身の「監督」業を説明するのに 「教師」の比喩を用いたことは事実であり、語っている内容の多くが「教育的」であることも 確かである。しかも、その発言は「教育実習」や「教育」全般にとってきわめて示唆的な言葉 である。ここではたまたま「サッカー監督」をモデルとしたが、 「教育実習」にのぞむ学生た ちにはそれぞれ自分に身近なモデルを求め、そこから多くのヒントを得るのも一つの方法であ ― ― 65.

(20) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). るということを伝えたい。. 6.終わりに これまで述べてきたことは「教育実習指導」の意義と実習の準備のために留意しなければな らない「心掛け」とを示す導入であり、学生たちの「動機づけ」に向けての実践報告である。 だが、 「教育実習」の実質的な「指導」の本領は、いうまでもなく学生たちが実習先で行う「教 科指導」すなわち「授業」方法の実践的な学びにある。その本番の「授業」に向けて実施され なければならないのが、学生たち自身による「模擬授業」である。しかし、学生たちにとって は「模擬授業」自体も初めての経験なので、 「教育実習指導」の授業でいきなり「模擬授業」 をするようにと指示されても戸惑うだけであろう。それゆえ「模擬授業」を実施するに際して も、事前に一定の留意点を説明しておく必要があるが、ここでもまた具体的な実践のための説 明や配慮が不可欠であって、これもまた相当多岐にわたる。しかし、本稿は「導入=動機づけ」 だけですでに相当の紙数を費やしてきたので、これをもってひとまず一区切りとしたい。 「模 擬授業」の実践指導については稿を改めて述べる。. (注記) (注1)近畿大学では教育実習の事前指導に該当する科目名を「教育実習指導」としている。 (注2)山崎英則編著『教育実習完全ガイド』(ミネルヴァ書房、平16・5)、溝蓮和成・内藤 博愛『最新!教育実習「実戦」マニュアル』 (明治図書出版、平1 9・2)、別府昭郎・寺 崎昌男・黒澤英典(監修)『教育実習64の質問』(学文社、平21・3)、宮崎猛・小泉博明 編著『教育実習まるわかり 実習生・受け入れ校必携マニュアル』(小学館、平21・2) などを参照。 (注3)私自身はH学園高校(京都)やN学院(兵庫)などで通算11年間、高校国語科教師と して教壇に立ったが、両者はまったく校風やコース編成も大きく違い、実にさまざまな生 徒と接することになった。つまり、 「現場」は全くの「生き物」であり、それぞれのアプ ローチの仕方は大きく異なった。 (注4)初めて教師となる学生たちに対して、かつて私自身も同じ場面に立った時の心境を交え て語ってきた。(拙稿「『教職入門』試論」『近畿大学教職教育部論叢』平23・9、第23 巻・第1号・p.15p.33) ― ― 66.

(21) 「教育実習指導」試論―教育実習事前指導・意義と心構えを中心に―. (注5)「教育実習申込ガイダンス(新年度開始時に実施)」の際に配布する『教育実習の手引 き』(近畿大学教職教育部作成)。こちらも、「教育実習指導」の講義に際して活用してい る。 (注6)(注4)参照。. ― ― 67.

(22)

参照

関連したドキュメント

では,訪問看護認定看護師が在宅ケアの推進・質の高い看護の実践に対して,どのような活動

一貫教育ならではの ビッグブラ ザーシステム 。大学生が学生 コーチとして高等部や中学部の

 学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配

 学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配

具体的な取組の 状況とその効果 に対する評価.

「PTA聖書を学ぶ会」の通常例会の出席者数の平均は 2011 年度は 43 名だったのに対して、2012 年度は 61 名となり約 1.5

「PTA聖書を学ぶ会」の通常例会の出席者数の平均は 2011 年度は 43 名、2012 年度は 61 名、2013 年度は 79 名、そして 2014 年度は 84

「PTA聖書を学ぶ会」の通常例会の出席者数の平均は 2011 年度は 43 名、2012 年度は 61 名、そして 2013 年度は 79