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諒の礪拳ケインズの貨幣論︵完三〇年刊︶が世に間はれて間もなき頃、畏友鬼頭仁三郎君は之が瑚繹に着手せられた様に風聞した。その後義教ケ月は吾等が待望の月日であつた。然るに本年七月初めて、余は該覇葦
書の第︼分ぬの寄贈を受けることが出来た。自分は此の名著が篤輿鬼戟君によつて、吾等の日に親Lき文字に移され、以て吾等が労苦少くしてその原著の大思想に解れ得る械愈を輿へられたことに党づ以て感謝しなけれぼな
らない。
今或・に問題としてゐるケインズ貨幣論の原著はJ・声KeyコeS⋮コ→﹁2at叫seOコヨ○コey−Nく○ざ︼望LOコ賢.に して、その第叫巻はTh2Pur2TheO−yOf三〇コ2yと適され、第二巻は→ト2晋p−i2J−ト当yO−30コeyと超されて ゐる。そして第姦は本文=垂二頁、第二懇は本文四〇八頁の大著である○第﹁、第二丙巻を通じて編を分つこと七、茸を分つこと三十八、偽それ誓六貫に亘る索引が第二懇々末に附せられてゐる。みその各編各章の表層
を示せぼ次の如くである。
第七巻第四渋
鬼頭成澤﹁ケインズ貨幣論﹂な讃む
宕
井
︵三三八︶ 七二第
第第
第第節_.貸賃第 第 九 革 第 十 草 菟十 仙 単 発十こ尊 第十三翠 第十四革 第 四 編 第十五草 第十六強 第十七草 第十八草 第十九革 第 第 第 三 編 入七六五四編三ニー・ 編巷 鬼頭氏麺﹁ケインズ貨幣論﹂を改む 草革草草革 革帯革 豊 貨幣 の 性質 貨幣の純粋理論 貨幣の基本方程式 若干 の 定義 党幣の付値に擁する基本方程式 均衡 の 條件 貯蓄と疫安との間の区別 銀行利率の﹁作用様態﹂ 偶格水準の動態 ● 基本方程式の交代的語形式 産米的流泡と金融的流通、 党伴的購買力不均衡の原因に親する分類 濃酵的潤子に因る攣北 投資の因子に因る欒北 信用循環の若干の聴殊相 購民力比較の理論 譜偶柏水準の拭散 通 貨 標 準 寛二次的惜格水準の稜数牲 貨俸の購買力 倦わ慣値 銀行貨幣の分数 銀 行 党 略 貨幣 の 分 第こ十革 第二十仙草第二容
葦 五 編 第二十こ単 発二十三軍 弟二十四革 第二十五草 第二十六革 節 六 編 第二十七草 第二十八草 菟二十九革 第三十単 発 七 編 第三十〓軍 籍三十二草 第三十三草 第三十四革 第三十五革 菊三十六単 発≡十七草 弟三十八草 信用循窮の純粋租論上の演習 飼際的不均衡忙因る奨北 貨幣の應用理論 貨幣的諸因予とその攣動 貨解の應用理論 貯啓預金の現金預金に封する割合 流 通 過 度 銀行豊幣の準備幾筋に封する比率 取引の活動性 投棄率とその攣動 投棄率の欒動−て固定資本 投資率の変動−二、経皆栗本 投資率の欒動⊥ニ、流動資本 歴史的例詮 庶衛 の 統制 貨幣統制の間毯 隣艮的統制の方法T∵二 国民的統制の方法Ⅰ二、 国民的統制の間漁T⊥、 国民的統制の問題−こ、 国民的統制の問題−三、 国民的統制の間毯1三、 超国民的統制の問題 ︵三ニT几︶ 七三 組合銀行の管理 中央準備の調節 中央銀行相互間の 禍係 金本位 国民的自生の問題 投資率の管現第七聡 第四威
︵三四〇︶ 七囲全二懇左通じて上記の如き問題が突入つて論究されてゐる原著は、その著者の序文に於て云へるが如く、数年
の日子を資して出来上ったものであり、その間に於ける思想的牽展の蔑めに首尾必ずしも哀してゐない鮎があ
るが、併しそれ丈け著者の思想的螢展の経過が窺はれる。併し又著者が脱ぎ棄てた幾枚もの皮が倫ほ此等の貢を
乱雑ならしめてゐる︵邦諜前附=毛1八貫参照︶。何次には本釆ならば天ま串猫に専門的論文となり得た若干の議 論竺部の本に纏めやうとした1めに時々複雑多義に覚り過ぎた瓢がある︵上拐の箇所三八質感鹿︶。叉著者が一 面に於て︵代表貨幣などに就て︶前人未躇の現地を拓かんとせる馬め、その鮎に於て前例を求め得す猫自のエ夫 に依って書き規はされてゐる︵上掲の筒朗二元買参照︶。著者自らが認める之等の理由と、更に私見によれぼ、表的鱒解を現するためには今少しく詳述さるペくして
されなかった鮎などの蔑めに原著は、吾三介の書生にとつて読破に困雑を覚えしめるものがある。併し岩L昏々が原著正つき熟読玩味すれば、旨々句々倍珠玉の北郷を敬するものがある。斯くの如き光彩ある文字が今営々
の親しみある邦語に移され、以て吾等が吾等の言葉によりその大思想に接し得る様になれるは藍に鬼頭君の犠牲
的努力の賜物でなければならぬ。
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さて今回刊行されたる爾鐸書第一分肝は上摘日次申の節叫編並に第二編に相質する部分を包含するものにし
てそ抄本文の外に高垣博士の序文、原著者の原著に封する序文と、特に寄せられる日永版への序文、並に諸藩の 筆に成れる原著者の小樽と文献、更に本文に劃する原著以上に詳細なる索引等が附せられてゐる。然かも行文明 許にして正確、筆者の茸地封照したるところによつては、原文の意を誤り俸へられたるところの如き殆んど見昏 らない。誠に近衆の好繹書といはねぼならぬ。高畠博士がその序文に於て﹁鬼頭君の適材に倍概して奨むるに本 書の完全なる模範繹を作り、之を我が読書界に迭る﹂云々︵前附掴頁︶といはれるのは誠に偽はらざるの言であ る○ 併しかくの如き完繹、模範詳の成るは到底叫朝にして望み待ない。即ち之が馬めには陰に陽に多大の努力が排 はれてゐる。 筆者の聞承し、且つ序文に於て書かれたるところより併せ考ふる虹、之が卜梓迄に次の如き努力が積み窯ねら れてゐる。 即ち兜づ苦闘貨幣論・銀行論の構成高塩寅次郎博士が東京商科大軍国書館の二軍に於て常に寄みなき示唆を輿 へられたもの上磯信する。更に博士は自ら、ケインズの貨幣群論につき多大の興味を有せられるが故に特に阿樽 士指導のプロゼ、、、ナルに於てケインズ貨簡論の講読、即ちその解明と批判とに努力せられた、その備にわが洋書 鬼頭君の姿は常に見られたであらう。更に澤者の身汐には東京商科大革の教授、叉同窓の先輩、革友が数多くあ る。殊に吾々等が不足を感する数畢的統計的知識の芳田に於て、諸君は教理控臍単に造詣痍き中山助教授と談笑 亀頭氏繹﹁ケインズ貨簡論﹂を読む ︵三四こ 七五
第七巻 発四兢
︵三四二︶・七六 の中に問題のポイントを乱することを得る地位に置かれてもゐる。叉吾等がともすれば理解に困難を感する原文 のlエアンスなどについては商大開係の外人教師により之を確めることができる。更に鬼頭君の施す魔の背後陀 は文字通り萬巻の書を叙する商大国書館の撃塵がある。斯くの如く意まれたる環境の円にあつて、吾が鬼頭君は その環境を庇も長く利用し、原書を通読し、疎讃し、精詳し、推敲し今日吾等が日に爛れる如き形のものとされ たものである。 その如何に用意周到なる、その如何に精励刻苦せる、共に鷲喫すべきである。かくして吾人は該書の完繹たる 故なきに非ざるを知るのである。 三 次に吾人峰澤害第∴分漁に盛られたる部分た於けるケインズの所詮につき仙瞥を輿へようと思ふ。 従来貨幣論に於て寛在的貨幣︵ヨ。ココ註reel吾と概念的貨幣︵ヨ○ココa蒜己eaニe︶さの区別が認められ、之が色 やの名稲にて呼びなされた。叉爾者の開係につき種々の論議のなされたることは、背鰭論む少しぐ研究する者の 容易に知るところである︵く争SOヨヨer一戸こD崇GeEuコdErscheiコ亡コ乳曾ヨeコder Wer百コheit−・二コJa雷b芳her f苧N計。コa一計。コ。ヨ訂uコdStatistik・︼u〇・Bd・芯N中郷稿 慣価単位の研究 賄工控臍研究 四ノ三、四、五︶産衣 的貨幣は或は単に貨幣と呼ぼれ、支彿貸簡︵NahT亀d︶と呼ばれ、具牒的賃簡・支彿手段ともいはれる。之に反し親念的貸簡には、慣倍単位・勘定栗僚︵苫○コeyOごncOuコt︶計数貨幣︵Z詳丁乳e、抽象的貨幣等の名稲が輿へられ てゐるゝ。この開署の踊係は論者により必ずもー致しないが今立には論じない。ロヘ鼓に従来バンコ貨幣︵Eaコ訂・笥−d︶ が主に計算貨幣の中に数へられてゐたことを注意して退きたい。 さてケインズは開巻第仙に、貨幣の分類をなし、勘定貸魔女以て貸簡理論の本源的な概念であるとしてゐる。 この勘定貨幣は卑見を以てすれば、濁逸の畢者が好んで用ひる偶借罫位と同意義のものである。而してケインズ ヽヽ ヽヽ はこの勘定貨簡を以て記述︵des︹﹁ipt訂コ︶又は稲披︵tit耳︶であるとなし、貨幣はその記述に應する物であるとな す。そして閑寂が先づ契約上の名柄又は記述に一致する物の支梯を強制する法の構成として現はれ、更に勘定貨 幣止封して貸鰭として如何なる物が應答すべきかを茎一日する樺利を要求したときクナツプの衣券主義が成就され る一︵癖文コ丁常貢︶。玄を以て見るにケインズは灸張表券主義論者の叫人である。 次にケインズは銀行貨幣の概念を取り入れてゐるが之は申せ紀のバンコ貨幣とはその昔昧を異にし、彼に於い ては﹁債務の承認﹂である。碕群書すればT銀行貨幣は単に勘定貨幣で表現された私的偵務の承認に過ぎないも のであつて、虎れは本来の貨幣と交替的に取引を決済するために、一人の辛から他へと流通せしめることによつ て利用される﹂ものである︵六頁︶。かく銀行償簡は本来私的債務の承認であつて、本来の貨幣︵mOコey・PrO署r︶た る国家貨幣と相並んで存するものであるが、国家が、その悉警義的大株を利用して、偵務それ自らが茸任の被 受容的解除︹acnep訂b−ed許hargeO〓iab≡︻y︶であると宣言すると。この銀行貨幣は本来の貸簡の一粒となる。か ヽ 鬼頭氏謬﹁ケインズ袋解論﹂を親む ︵三四三︶ 七七
第七巻 第四渋
︵三四四︶ 七八 く本来の貨幣に非ずして、本来の貸鞄と認めむれたものを代表貨幣︵Represe⊃整くeヨ○コey︶といふ。従って今日 因家貨幣といふものゝ内には本来の貨幣と代表的貨幣とが含まれてゐるわけである。 ∴兇鱒闊家貨鰭のと針得る形態は三ある、貨物貨幣t名日貨幣・統制貨幣がそれである。之と銀行貨幣と合せて 四つが吾々に撃亡れた交換婁具の糀類である︵八∼叫○貫︶。 固豪貨幣と銀行貨幣と双方の合計は流通貨幣︵Cur−eコ什ヨ。コey︶と呼ぼれる、之は結局公衆の手にある凡ての繍 類の貨幣の重恩にして、叉貨幣理論に於ける基本的諸要素の“つである︵一二貝︶。 ケインズは斯くの如く貸簡を分類するが、併し今日濫於て閑寂貨幣よりも銀行貨幣の方が俊位を占めてゐる︵四 一頁︶、そして英・米の如き囲に於ては銀行貨幣は流通貨幣の絶慣の恐らく十分の九を構成してゐるであらう︷三 九貫︶。﹁従って固家賃幣を典型的なものとして取扱ひ銀行貨幣を女の錯離せるものとして紹介するよりは、銀行 貨幣を典型的なものとし他の種類の通貨の使用を第二次的のものとして痕扱ふ方が造かに混乱を悲起することが 少ないであらう﹂︵凶〓貝︶といふ態度をとつてゐる。叉茸際に於てケインズは銀行貨幣の研究に第二茸第三寛の 全部を饗してゐるのである。 銀行貸幣は嶺金者の立婁から分析して所得現金・営業預金・貯蓄預金となされる。 所得預金は﹁個々人が自己の所得から補充し、彼等の個人的支出及び彼等の個人的貯蓄に應答するために周ふ る、此の程の預金﹂︵闇ニ︰頁︶をいふ。常葉預金は商人・製造家叉投檀家などが常柴のために保有する預金をいふ。 所得預金と営業預金とが合して現金預金と呼ぼるべきものを構成する。 銀行預金にして、支彿をするためにではなく、貯蓄を利用する三の方法として、即ち投資として保有された ものを貯蓄預金といふ︵四二−四天質︶。 ケインズがかく預金を分類するのは、濁逸の蓼者に往々見るが如く、分類の蔑めの分類に非ずして、各預金の 型に應じて何等かの原珊を見出さんとするの意囲に出づるものにして、その努力の一部分は勿論第一分冊の中に 硯はれてはゐるが、葡之が虞の重要さは原著革二巻償髄の應用鞘論に於て磯現さるべきものである。 四 第二編は貸簡の慣値の研究に、換言すればその意味の分析とその測定の問題に営てられてゐる。私は此の紹介 文に於て既にあまりの餞肯を振つたが故に之につき故早詳述することを避けたい。殊に本編に述べられてゐる温 は多くの新造語を含み、然かもそれが相互に関連してゐるが故忙仙慶その一つを紹介すれぼ必然他に移らざろを 得なくなるといふ危険を蔵するからでもある。只仙北に仙つ述べて置きたいことは、貨幣慣櫨の意味についてゞあ る○ ケインズは次の如く云ふ。 鬼頭氏揮﹁ケインズ貨幣論﹂を改む ︵三四五︶ 七九
第七春 希四壁
︵三四六︶ 八〇 ﹁人が貨幣を保有するは、それ白鰭のためではなく、その購買力ー即ち、貨幣が購買すべきもの1ためであ る。従つて人が必要とするところのものは、償簡の軍使それ自慣ではなく、購買力の畢位である﹂と︵六五貫︶。 叉云ふ、 ヽヽ ﹁かくの如く勘定貸粕は購買力の箪位が依て以て表現される言葉である。貨幣は購買力の軍位が依て以て保持 ︳ヽ される形態である。滑費を表はす合成商品の慣格の指数は、購買力の翠位が依て以て測定される棟準である﹂と ︵六九貢︶。 是に由つて是を観るに、勘定貨幣は余が兜きに暗示したる如く同情単位といふ晋萄を以てその意味を倍へ得べ き概念である、之に反してダインズが貨幣の常任と呼ぶものは、濁逸語のGe−de喜eitといふ言葉により誤りなく その意味の俸へら飢る概念である。尤も時には狗逸の塾者自らがWerteiコhe州tとGelde喜eiけとを混同Lて使用す るが、吾々はゾンマアと共に之を償別して用ひ、ケインズの上述の寝別に應するものとしたならばよいと思ふ義 満 慣借畢位の研究 商工経済研究 四ノ三 盆正員参照︶。 五 最後は自分は詳者に封して、望筍の思を以て二三の希望を述べたい。 第側に薄着は往々にして他の評者に見る如く章節の句切りを原文通りになさんとするの徒労を犯かされてはゐない、併し瑚詩の態度あまり慎重なる蔑め、繹撃の硝硬直せるところあるを覚える。従つて苦しそれが原文の俵 にて潜入の眼前に太されたならば理解さるべき章句も凄まり息蜜なる朝露の馬めにその尿意を捏み得ない箇魔の 二≡あつたことに気付いた。叉時には鐸文を日本史とLて見ず、日本文字にて書かれたる英文としてみるとき初 めて倉侍し得る様な箇虚もー二はあつた︵以上に相質する例は三一〇貫五行目以下二行、三二頁十行目以下三行、 ニ元頁三行目以下三行等︶。嚇澤の態度は、薄着その人の番人にも由り、叉原書の内容、輿間的慣値等によつても 興るべきであり、此の鮎に於てケインズ貸髄論の如きは嘲繹の最も困難なるもの1仙つであらう、従ってか1る 希望は或は無理かも知れぬが、今少しく繹攣の園緒良在なる所用が望ましい。 第二に澤文中原語の挿入が極度に制限されてゐるかに見える。之は勿論自信のある詩文として常然の事である かも知れないが、併し読む者の立場に立って見たとき、然かも手許に原書のなき時、特別なる用語につきては勿 論、邦語に於て使ひ憤れない字句などに就いてはその原語を知り、その虞意を覚り庇い希望がある、此の初歩的 ではあらうが、併し究畢的である希望の馬めに今少しく多くの原語の挿入が望ましい。例へぼ記述︵ロescr豆⋮○コ︶ の如き、責任の被受容的解除 ︵accepta芝edischar笥○〓訂biニ什y︶ の如き、之である。併しこの後者の例をかく直 諜風にせす詮明的に繹し、以て原語の挿入を供たすして尿意を侍へ得る方法もとり得る。 第三に固有名詞については、繹文中常に之を片恨名書きにし、その原名が挿入されてゐない、併し之をすべて の場合に片侶名寄きと原名と併記することはその繋に堪えぬことであるが、少くとも初めて或はれた人名など忙 ● 勉頒氏繹﹁ケインズ貨幣論﹂を謹む ︵≡四七︶ 八一
第七巻 発由渋
︵三四八︶ 八こ 付いては雨着を併記された方が読む者にとり便宜である。殊佗F訂etw00dやG草の如く吾人が親しみの少い人物 などにつきその感を撞くする。尤も之等の名稗は索引を使用すれぼ直ちにその原名を知り得るのであるが、読者 がその努を省き縛る馬めに伺之を韻文中への挿入したがよくはないかと思ふ。 第洞に評者は引用番目並にその著者につき重に詩文中註の箇虚に於て、著者名並に難誌名は片恨名昏きし、軍 行水書名又は論文の題目は邦語に浮出して示されてゐる。そしてその原名は︼結して一五五−叫芥八頁の魔に掲 げられてゐる。之も詩文中に併記されたならば教育的慣値が二盾大ではないかと自分には思はれる。 以上第二により第四に壷る迄の寮は全く原語又は原女の挿入の寄に関してゐる。併し余の提出するが如き希望 を容れるとすれぼ紙面は租不照裁になるかも知れない。之は恐らく鬼頭君としては琴へられないことであるかも 知れぬの鬼頭君はその兄弟の一人は轟家を有し、叉自ら審美約数繹が豊かである。この鬼頭君が紙面の莱的であ るこ之に如何に苦心Lてゐるかは想像に散りある。.況してや紙面の美的慣値を大ならもめんとすることは高塩好 士自らの趣味性でもあるにおいてをや。とに角此の鮎に於ける諸寄の隠れたる努力は、十数馬字を成する。この 鐸番の中に叫字として滅字のなきことによつても窺ひ知られるであらう。併し余が発きに述べたるが如き配宇土 の希望は必ずも鬼頭君の趣味性を傲ふことなくして適せられ争緯度の亀のではなからうか1 ・第五に接摸法の浮出には自他共に困難を感するところであるが、本澤著の如きは大部分その困難を制服されて ゐる戌である。併し乍ら自分は鬼頭君が荷ふ隊此の方面忙放て浮華の妙を振はれ、原文の臭ひを叫盾よく俸へち ●れん寄を切望したい。 とまれ吾囲出版界忙於て際物全盛のこの時代に、誠に畢問的にして不朽なる名著が澤出されたことは蜜に慶賀 に堪えぬ。而して吾人はこの時この難事業む敢然として己が身に引受けた鬼頭君の串間的精進を思ふにつけ、他 方苦闘読書鳳が叉その澤書を愛読してその労に報ゆるの垂務あることを痛感する。更に繹書は未だ第一分冊を出 したのみである。鬼頭君の預定によれば確りを四分冊となし順次議書界に遮り出すつもりである。前途倒洋然た り、畢界の薦め鬼朗君の健靡を折ってやまない。︵八・二四︶ 鬼頭氏浮﹁ケインズ貨幣論﹂を改む ⊇一四九︶ 八三