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緑王国

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阿寒湖での調査風景(左から2番目)  西村眞琴(1883∼1956)  長野県松本市生まれ。  1997年に亡くなった俳優の西村晃氏は第4子。 万能科学者として知られ、1928年に京都で開かれ た大礼記念博覧会に、初の国産ロボット「学天則」 を出品したことでも有名。  北海道帝国大学教授の任にあった1920年代を通 じてマリモの研究に携わった。

(4)

北大の教え子たちと(中央)  主な業績は、マリモの球化モデル(1923年)、 マ リ モ の 培 養(1926年 )、 マ リ モ 遊 走 子 の 発 見 (1927年)など。いずれも当時としては画期的な 研究であり、今日的にみても意義が大きい。1926 年には、阿寒湖から支笏湖へのマリモ移植を実施 した。

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西村眞琴手記「緑王國」より抜粋

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緑の王國

14

   山家の宿 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   14    山   路 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   18    矢張り臭ふぜ⋮ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   22    毬   藻 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   26    認識界の一大開拓 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   29

緑の王國

32

   アイヌ熊五郎 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   43

目次

(11)

緑の王國

52

   死線を越ゆる一條の生命 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   52

まり藻の生活

58

   まり藻ハ太陽の指図によって浮沈する ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   60    浮沈と波に轉 回することが球形になる原因 ⋮⋮⋮⋮   61    毬藻の消長 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮   63

毬藻の培養

66

あとがきにかえて

70

アイヌ語とアイヌ文化に関する解説

78

(12)
(13)

   

ある朝眼がさめて、 今日もやはり生きてゐた事を今更の如 うに思ひかへして驚いた。 私は胸に手をあててみていのちの流れを感知した。命ハ刻々にながれる。 ﹁いつまで此 のいのちは流れつづくだらう﹂ 自分そのものの事であるのに、 これを語り得ないのだ。 それほど命ハふしぎな存在だ。 私ハ此 の不思議に憧れる。 その未知に尊さを感じつつ起きあがると戸外に出かける。 朝四時でまだ世間ハひっそりしてゐた。さみどりの空に雲が一筋ながれてゐるのが 何ともいわれない。私ハうっとりと見とれてゐると地平線上ハだんだん明るさを増し 雲のいろは次第に變 化を見せて来た。 私ハ益々みつめてゐるうちにふと決心するところがあった。いのちハ尊いばかりで

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序 無く美しい流れで其 の変化が汝の生涯を色づけ、形づけ、味ひつけてゐる。されバそ の流れの跡をとめて寫 経をするといふ人の如 うに 、毎日僅かの時を見いだすごとに 書き けろ。これが汝自身をまじめに志 、且 ハ愛する所 以である ― 。 此 の志を立ててからまづ第一巻として纒 ったのが﹁緑の王國﹂である。 私ハこれからも いて次々とわが命の跡を探って書きすすめるだらう。此 の仕事に ついて筆を止めた時が即ち我が命の終焉である。   昭和十四年七月十八日    原版ハすべて東洋流に筆硯に親んで実に楽しみつつもの志 たッ多 百部だけを印刷してわが生 のささやかな贈りものとする

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  クロユリ   黒百合   百合科    中部北部の草原帯に生じ北海道にてハ平地に生ず。花期ハ七月多年草本なり︵札幌 にてハ六月開花す︶ 。 此 の草地下に鱗 莖を保ち一莖をぬき出で長卵形の葉数枚を幾層も輪生す。 莖は四、 寸乃 至一尺五寸位に達し頂きに唯一ツの花を咲く。一株花数個暗紫黒又は黄褐色で花 はつねに下向きなり。 花にハやや臭気あり。又北海道にてハ伝説がありて花の吉凶を口にする者あり。風 情真に愛すべし。

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  コマクサ   駒草    罌 け し 粟科 中部北部の草原帯に生じ高山植物の愛好は屡 々培養す。北海道にてハ各地に見出さ る。又千島に分布せり。 多年生草本にして 、砂礫地又は乾地に自生す 。高さ五 、 六寸に及ぶ 。その葉は一見 ニンジンに似、根際より生ず。色は帶白緑色で平滑。葉の間より花 梗を生じ、八月前 後に亘り淡紅色の花を咲く。一株たいてい二、 三個をつく。 余は此 の花に憧れ乗物を排して徒行志 、    駒草に心惹かれて膝栗毛    ゆくゆく語る山路なりけ里 と口ずさむ。

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  ザリガニ    アスタクス科 一見エビとカニとの中間といひたい形態で 、体長は六七粍 内外 、頭胸部は円筒状 腹部ハ背腹に扁平形をなしてゐる。尾節の末端は尾脚の末端より短いか又は漸 く之 竝 ぶほどなり。 第一 對目には大 鉗、第二、第三對目の脚には小 鉗あり。         北海道青森地方に産す。

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  ヒメマス   異名カバチッポ 池沼の如 き止水に適生する變 種で、元 と北海道阿寒湖なるも此 の魚の養殖にはかつ て成功の歴史あり。即ち千歳、支笏湖、十和田湖の養殖試験これなり。   一年目にハ十五、六糎   二年目ニは三十五   糎   三年目にハ   五〇   糎   四年目にハ   六〇   糎   五年目にハ   六六   糎 満四年に志 て成熟期に達す。

(22)

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(23)

  ウグイ    鯉科 体長三〇〇粍 。頭部は黒くかすかニ緑をふくむ。唇ハ紅、背部ハ淡緑色にて淡黒き 班あり。咽頭ハ二列の歯を生ず。吻 部は長く且 つやせ形を呈す。鬚 なく、背 鰭は腹 の真上にあり。側線は下方に曲る。腹部は紅をおび底面白志 。体上方は暗褐色にて下 方は白色也 。 生殖期に至れバ雄は腹面に紅色の一線あらハる。産卵は四月乃 至六月にて蘆 の根に 産む。

(24)
(25)

   

緑の王國

  

山家の宿

大正十年の秋はじめて私ハ北海道の地にあしをつけた。最初泊った札幌の宿の主人 はいろいろ珍品を蒐 集して居た。中でも金魚鉢に浮いてゐた玉の緑藻ハ一番私の心を 惹いた。 ﹁東西是 は天氣豫 報藻でござい⋮ ⋮ ﹂ と興業師めいた前おきにあッと思はせておい て、 ﹁ 扨 てこの藻が天氣の良い時にハ浮き上り雨天には沈んで水底へかへる⋮ ﹂と来 る人毎に同じ文句をくりかへした。 私が學術的にこの藻に興味をそそられたのは此 の時からであッた 。併 もこの藻が

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毬 藻とよばれて北海道のおく山釧路の國ハ飽 別の山湖阿寒にのみ育ってゐるのだと聞 いた時私はそぞろに想像の翼を伸志 た。昔シャモ︵倭人︶の住み得なかった蝦 夷山中 に於 てアイヌ達ハ神とあがめたであらうなどと、さうしてそこに一種の憧れを意識す るに至った。 大正十一年の初夏北海道ハ野も山も光り輝きつつ畏 くも攝 政 宮殿下をお迎へ申すこ とになった。台覧品としての光 榮 を浴びるべく毬藻が北海道大學の選抜を得たのは千 載一遇の此 の機であった。      水あをき阿寒のまり藻秋にあひて    日嗣 きの御子を拝むかしこさ 六月上旬山はいまだ若葉にけぶる頃釧路國舌 辛村からトロに乗ッて阿寒河の流域を 凡 そ半日も馳せたのち乗り合ひの人々は皆下車を餘 儀なくせしめられたので我は菅野 緑の王國 上

(27)

利助氏と共にリュックサックを脊おひつつ一向膝栗毛に鞭うった。開墾の鍬跡もまだ 度重ならないあたりには菜の花のこぼれ咲きが黄ろく目立つ。路ばたに蟠 屈してゐる 樫の幹にも何かけだものの毛がこすりつけられてゐるのも目撃志 た。山路を辿りゆく 程にすでにして木立の中から飛びだし牛のやうな眼差しで我等をみつめてやって来た のは眞 黒 な唇が耳のあたりまで裂けふり乱した髪の上に山蕗の葉を笠にかぶッて裸体 の小童︵カッパ︶の手をひッ立てて歩む老女であった。私はギョッとした刹 那息がふ さがッたが足柄山の山 姥母子をもッと物すごくしたような彼等は熊笹の枝で首のあた りの藪 蚊をうち払ひうち払ひ威勢よく胸を突出して近よる。私ハ道をよけて彼等が事 なく通過するのを念じた。菅野氏は平気だ。そして﹁あれハ此 のあたりのアイヌです よ﹂と云ってわらった。 虎穴に入ずんば虎児を得ず。怎 うもこの臆病さでは湖底の寶 毬藻は手にいらざるべ しなどと自らも失笑を禁じ得なかった 。 アイヌの山中生活から私の聯 想が原始人以来人 類の文明史の殆 んど半まで辿った時である ― 我等の膝栗毛はルシベの宿の前に停った

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此 の宿の裏山は樹林欝 々と繁茂して路はこの地黙から爪先上りが益々急になってい く。 山家の夕べは格別である。 竈 の炊煙が一す志 紫にながれて緑の樹間へ吸はれいく。 鶏猫も徒 然をなぐさめ軒下まで生ひ蔓 る初夏の草花には自らのびのびとした自然の幸 福が志 のバれる。案内せられた室には来客を歓迎するような満悦の大黒天の一幅とラ ンプの焔 とが前世紀を物語ってゐる。同じ夕べであった此 の宿に馬に荷をつけて来た 一人の測量夫があった。隣室に陣取って馬方清助といふのと酒を呼びながら語る。と ころが酒がめぐるに従って測量夫は聲 をしぼッて愚痴をくりかへしてゐるのに馬子は 無責任らしい受け答へを志 ながらだんだんおめでたく納まっていくらしい。誠に無邪 氣な二ツの對 照 ― 人形芝居を觀 るようだった。 此 の家にハもう一人の妙 齡な婦人が泊ってゐた。寂 々寥々 ― 手持無沙汰 ― 倦怠をさ へ覺えたものの如 く山家の庭を逍 遙してゐた。前山の夕霞や渓流の響きも此 の女性に 対してハ何等の干絡をも齎 らさないのか彼の女はその頭の中のあるもののみを見つめ てゐるかの如 く時々吐息を漏らすやうな風情をみせた。どうも此 處の空氣にそぐはな 緑の王國 上

(29)

い女性であッた 。 喪心者か狂人か ? 私ハ遂に十三 、 四 の宿の娘にむかって ﹁あの女の お客様は病氣か⋮?﹂ と 問ひかけた。 ﹁いいえ⋮⋮﹂ 桃割れを左右にふって娘は笑った。 この時勝手場の方で何か注意を促すやうに呼ぶ声がしたかと思ふと耳さとい娘は ﹁どうぞお風呂へ⋮⋮﹂と云ひすてて立ち去った。

  

山 

山中の夢ハ断 した。床の中で聞く渓流の響ハ得も云はずなつかしい。梟 の聲 は屋 根の上にたれ下った枝にそのやどりを示してゐたが夜を鳴いた此 の鳥に交替して黎 の笛をかなづるものハ山鳩であった。山家の朝の情緒を味ひつつ裏を流れに沿ってま はッてゆくと霧は一面にたちこめて樹林も山もやッと息づいてゐるやうに思はれた 糢 糊たる霧の中からは小鳥の声が絶えず鼓膜を訪れて来る。露しとどに重き若草の中

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に蜘 蛛の巣をあやどりに戯れつつ可愛いい蕨 の握り拳が小さい存在をちらバせてゐ る。 ふと小屋の中から一頭の馬が元氣よく現ハれ出でた。その後ろには若い馬子が快活 なまる顔の右に鞍をさしあげて いた。 ﹁お早やうございます﹂ 鞍を馬の脊におろすなり挨拶をおくった。 ﹁もう出發かね?﹂ 私は意外に思ってたづねた。 ﹁今日は測量夫が是非早く飽別村まで登らにゃならないで、少しばかりあいつの荷物 をつけていきますから、どうか旦那も朝飯はやく濟ませておくんなさい﹂ たのむ声も尻尾は向うむきになって又厩 の方へはいッてゆく。山路が遙かであるの と荷物の都合とから昨夜のうちに馬を約束しておいたので、とりあへず室に帰へッて 出立の準備にとりかかった 。同行は四人と馬匹一頭 。宿を後にして山 徑にふみ入る 緑の王國 上

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駒ハ朝かぜに鬣 を吹かせて脚かるがると進む。馬背に悠然と座を占めた私は路の両側 にある青葉若葉に心地よい感觸を味ッてゆく。 元氣四脚をしのぐ菅野氏はまぎれない山の一筋路を先頭に立ってずんずんすすむ 赤い旗をもった測量夫と馬子の清助とハ其 の細路を肩もすれずれにおしならびながら 語り通す。 彼等の話といふのは清助が嫁を貰ふことについての清助らしい魂 膽と、それにルベ シベの宿に泊りを重ねてゐる女性についての噂ばなしとであった。馬はそろそろ七曲 りにかかった。眼界は次第にひらけてゆく。馬の背から二人の話のきれ目をねらッて ゐた私は、 ﹁此 の邊 は何米 位くなってゐるかね﹂とたづねた。 自分等の外にも人間のゐる事を氣づいた様に二人はふりかへった。 ﹁左様さ。この邊なら五四〇米といふもんでせうなァ﹂と測量夫が答へた。 と又馬子の清助は知りまじくなって口をひらいた。 ﹁今来る途中にあッたあの白い水の流れてゐたのが雌阿寒岳の方から流れて来たんで

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すよ。だであれに沿ってフレベツ岳を左に見ていくと雌阿寒岳へ登れますぜ﹂ ﹁どうしてあんな白濁りの水なんだらうねぇ﹂ 大方この数日来ふりつづいた雨のためだらうと考へてたづねた。 と馬子は﹁いえいえあいつァ年がら年中米のとぎ汁みたようでッせ﹂ 測量夫は﹁あの水は雌阿寒の硫黄水なんですよ﹂ ﹁雌阿寒岳は今でも烟 を噴いてゐるかね?﹂ 馬子 、﹁ さうなんです 。 同じ阿寒岳でも雄 の方は落ちついてるが雌 の奴はなかなか あバれますぜ!﹂ ﹁旦那雌阿寒がね、それあの山の神て云っていつも問題の眞 ん中にゐるんです﹂ 測量夫は苦い笑ひをもらすのであった。 一同は七曲りの上にいつしか上ってゐた。あたりには瑠 璃色の駒が惜し氣もなくま かれたように咲きちらばッてゐた。 緑の王國 上

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矢張り臭ふぜ⋮

空はだんだん晴れて鳶 が輪をゑがきつつ鳴く声ピーヒョロトロ⋮⋮駒草や鈴蘭の原 がかなり いた後路はゆるやかに爪先さがりとなる。右手の山峡には明るく暗く濃く 淡き若葉の屋根が緑の色の幾階梯をモザイック状に展 べつらねてゐた。其 のや根のは づれから時々光って私の心をおどらせるものは阿寒川である。山と水この両者が自然 の景觀に陰陽の組 来を與 へる事は今更ではないが、互に相 援 けて活きて来る実景を目 のあたりに見ては詩趣恵情は実に凛 々として書くべくもない。     浅間山さんなぜ怒らんす腰に千曲を抱きながら 信濃の民謡がふと頭に浮んだ。 馬子さへ馬さへ徐行志 て展望を惜む。山腹の臍 のあたりを越えて曲った路の一角に

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立った時、前面は豁 達と打ちひらけ一同をして思はず快 哉を叫ばせた。青空に聳 山の雄姿や即ち名は雄阿寒 ― 。 此 の山麓を左方に區 ぎりつつ光る湖面の標高ハ地図の上に四百米 と註さる。山の水 面より抽 きんづる事更に千米なる高嶺の面影を世の常ならぬ凛 々しさをば湖面にまで 投射してゐるのである。 阿寒川のながれいづるあたりに絶島がある。大嶋とよばれ、今日なほ熊が出没して 魚族をあさるといふのである。馬を停めて双眼鏡裡 に此 の島をよべバ、闊 葉鍼葉の樹 林がこれこそ太古ながらの林相を保ってゐる。 ﹁恰 度一月程前の事でしたよ﹂ 手綱の端を胸のあたりで振り廻しつつ馬子は語りだした。 ﹁此 の湖 畔の逓 送の吉が折あしく用事が出来て、怎 うしても勤められなかっただです よ。ところが吉の嚊 はメノコの元氣者で、その時の郵便物を馬につけ自分も乗ってヨ ボヨボやッて来たんですッて。何んでこの向うへ見えるあの高けぇ樹の邊 まで来たら 緑の王國 上

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馬がどうしても進まなくなッたさうです﹂ ﹁何故かなぁ?﹂ 測量夫が話の鼻ぱッしを遮ぎッた。 ﹁そりゃ馬て奴ァ利巧なものだよ。熊の臭みがちゃんとわかってるんだからなァ﹂ 馬子は聴手の納得をまつものの如 くに暫時言葉を切ッた。 ﹁メノコは吉によく吩 咐られてたよ ― 郵便物だから一時も早うルシベツへ送り届け にゃならねぇてな。そこえゆきァメノコは律義だ。馬から飛びおりると先に立て手綱 をぐいぐい引ッ張ッたと思ひなせぇ。馬奴は長ぇ頭に長ぇ顔一すぢに延べやがッて仕 方なしに申わけのやうに五足か六足も進んたべぇ。するとガサッガサッて音が志 たと 思ッたら出た出たこの界隈でも見たことのねえ大熊が出た!馬も荷物もほったらして 一目散に逃げだしたメノコは村のとッつきの湯屋の中え頭と首をつッこんだまま氣絶 したッてよ⋮⋮﹂ 話の終った時恰 度熊が出たといふ目印の木の下まで来た。測量夫はチョコチョコと

(36)

近よるなり鼻をその幹につけながら﹁矢張り臭ふぜ⋮﹂と云って一行を笑はせた。そ れハ兎も角こんどは私の鼻を刺 戟するものがあり出した。正しく温泉の臭ひだった。 其 のうちに人家のある氣配がするとおもふと既に湯氣が濛 々と立ちのぼるのが目に 止まった。この邉 をながれる小川ハ皆硫黄バクテリアや藍 藻類の蕃 殖を示してゐると ころの特色が地肌の爛 れだしたやうに見えて何 れも温泉をひくに便利な場所に建てら れた湖畔の村は数軒に過ぎなかッた。 湖畔一帯たそがれの色漸 々濃くなって月の光にまみれた雌阿寒岳は紅紫に燻じ黄金 のへりを取った横雲を趁 ふ。野鴨は西の空をさして飛び去る。 舳 の缺 けたアイヌの獨 木舟は半 を水中に没しつつ顧みられないものの悲哀に横た はッてゐた。 寶 の湖は模 糊渺 茫として無限の詩情を漂はせつつ刻々消えるかのやう⋮⋮。 緑の王國 上

(37)

  

毬  

見わたす湖面には曉の靄 が濃くたちこんで漠々たる天上界を想はせてゐた。 軅 て雄阿寒とおぼしき方角にハ薄ぎぬにハマナスの緋を透して見るやうな旭の紅が 點 じられた。密かに毬藻を生むといふ此 の幽 邃 な仙境よ。私は嬉しくなった。 朝靄のベールが一呼吸ごとに引き上げられるとその下に展開しだ志 たのは湖の鏡の 舞台面。平静閑寂この朝凪!   踏まば惜しふまねバゆけぬけさの霜 といふ句の如 く心なき舟行もて此 の水面を攪乱することを悲しまずには居られない 程に感じた。水無月の雲をかづいで左手に聳 ゆる雌阿寒岳は名にしおふフップシヌプ リの屏風越しに朝日をうけ頬紅あでやかに装ひなして雄阿寒を迎へる。石 南花と偃

(38)

とを月桂冠の如 く其 の頭上に飾る雄阿寒岳は峻 坂に男性の稜々たる氣骨を現ハしなが ら優しき我 嬬の旦 の挨拶を酬いる。 若 し夫 れ日光の男 体山と女 體山となる夫婦山に対志 て好一 對をなす處 の此 の夫婦山 が竹の柱に萱の屋根の大工いらずの掘立小屋に心意気相投合して浮世をさけた素朴な 一組であるならば阿寒湖こそは彼等の提 げるべき手鍋でなくてハならぬ。されバ三ッ 葉楓 の形なす此 の聖なる湖に棹さすに先立って何を措いてもこの夫婦山の許 志 を得ね バならないといふ氣がした。 私達の舟ハ二丁の櫂 によって遅々たる歩みを進めた。波間にハ、尺 餘 の魚の行列が いとも長く くのがさしのぞかれた。それハ和人︵シャモ︶にはヒメマスと呼ばれ初 めてこの湖に發見せられたもので、アイヌのいふところのカモイチエップ︵神魚︶で ある。曾 て某誌上に於 てヒメマスはマスの仔也 といふ論とヒメマスはヒメマス也 ふ論とを相闘はせた處 のいたづらもの也 。アイヌ族は一尺四 、 五寸の短いつり竿に糸 をつけ、その糸に釣針を附 け釣針から三寸程上に鉛の錘 を結んで、トド松の朽ちた樹 緑の王國 上

(39)

皮の間に潜伏する白 蟲といふ奴をこれに供したところの餌が静かに一定の位置を保っ て魚どもを呼び誘ひ得るの理 を案じた。そして此 の釣魚は今もむかしの儘 に行はるる 魚獲法なのである。冬期になって厚い氷が湖面に蓋 をするにいたれば氷の所々に孔 穿 って依然として釣り糸をたれつつ蹲 居に時を送る處 は恰 も鴨 緑江や大 同 江あたりに 於 ても見うけるが如 き様である 。時によると釣針をひきあぐるに遑 なき程だと櫂 握ッたアイヌは語った。また私達の舟の進路に方 って時々ウゴイが溌 溂として光る腹 をみせて躍るのを見た。尚 阿寒夫婦の手鍋の中にハ釜中の魚ならぬ鍋中の魚としてサ ルカニ、イハナ等が盛られてあるのだ。水中に透 見 するいろいろの魚族を数へながら ヤイタイモシリの島をよぎった。アイヌの命名のゆゑんに背かず、これハ完全なる雑 木林の一島である。 此 の島を数丁も後方に眺めた頃であった。舟の舳 に立って水面をみつめてゐた一人 が﹁まり藻!﹂と叫びをあげた。 この声を耳にした刹 那思はず私は眼をとぢて嬉しい物を見る前の楽しみをしば志

(40)

ばすのであッた。 やがて徐々として眼をひらきつつ湖底に透視の瞳を放てバ見わたすかぎり緑の玉石 が累々として神秘の世界を見せてゐる。 鶏卵大の物拳大の物雀卵大の物更に小粒なるハ一握の大豆をばらまきちらしたるが 如 きもあッて、全くこれまでの經験界になかった未知境に生ずる敬 虔の念に打たれて しまった。

   

認識界の一大開拓

さてその色ハ緑、其 形ハ円玉、其 の性ハ水産植物、その環境は夫婦山の間に擁護せ らるる阿寒湖であって誠や日本唯一の、否 東洋中にも殆 んど他に見出されざる珍草な るべきを痛感せ志 むる何物かがある。眼を放ってこれが類を汎 々坤 輿球上に索 むるな 緑の王國 上

(41)

らば僅かにスヰス・アメリカ・ロシアの一部にのみその生存ハ限られてゐるのを知る といふ。何故この湖にのみ生存をゆるされたであらふ。かかる遠隔の世界の所々に散 在する毬藻とこの阿寒湖のまりもとの系統は果して如 何なる時代にまで遡ッて其 の連 絡相関を指摘することが出来るだらふか。又何故にかくも東西遠く相わかれたのであ らふ?空飛ぶ鳥の足にかかって運ばれたものか、地の水に流れただよひつつかかる一 局部に固着發達せしものか?さるにても人跡まれなる此 の山中の秘境を選んで榮 ゆる 自然の法規に我等は何を學ぶべきであらふか。厳粛なる此 の事実の前に新島善直博士 の歌を想ひおこした。   禁断の木の実にふるる心地して   まり藻を探るむねのどろき 私は此 度の使命が當 時 の攝 政 宮殿下の臺 覧にこのまり藻を供するためであるといふ

(42)

事を考へてその光榮をおもふよりもまづかかる稀

有の珍藻が聖代において世に交渉を

もつことをよろこび、まり藻なる玉敷の座に緑の王国を祝福するのであッた。

(43)

   

緑の王國

大正十五年五月十勝岳が爆發して上富良野一帶が惨害を蒙 ってから北海道の人心に ハ火山といふものが今更の如 く異状な恐怖の對 象となって来たのハ自然である。 それから四ヶ月程たった九月の上旬であッた 。突然二 、 三 の新聞によって ﹁ 阿寒湖 地方の温泉の温度が次第に高まりつつあり次の危險は或 ハ阿寒岳にあるべきか云 々﹂ といふ意味が報道せられた。此 の記事に目がとまった時私はゾッとした。それは外 も無い。かの毬藻の生育する阿寒湖の水温が上昇志 つつあるのではあるまいか。毬藻 の存在する方面の湖中に新たに温泉でも湧き出したのではあるまいか。湖が飽別村に 接志 た方面にハこれまで既に数ヶ所に及んで温泉がわき出してゐる事から考へてもそ れハ有り得べからざる事でハ無いと云ふ考からである。

(44)

攝 氏十二度乃 至十六度を適温とする毬藻には其 の棲む水温が十六度を一度超えると いふ事は真に死活問題でなけれバならなぬ。 私は即 夜之 に関する一通の所見を認 めて翌朝これを北海道廳長官に呈出して道内に 於 ける適 當なる他の山湖に移植する事の着手に一歩を進めたのである。之 によって同 時にまた私の阿寒湖往来記の後篇の第一頁が記さるる端緒がひらかれた。 九月の天候ハ殆 んど北海道の農民を悲觀の谷に陥れた程に雨又風による多 濕と氣温 の低下とで特徴づけられてゐたので此 度の阿寒行きの旅装にハ自ら防寒と雨具とを顧 慮せねバならなかった。 十月二日は舌 辛から阿寒まで乗合自動車の試運轉をせられた日であった。之 を先年 の膝栗毛の旅に較べると轉 た今昔の感ニ堪へないものがある。雨は朝から降りしきっ た 。︵この雨 きの後だから⋮ ︶と自動車会社の主人ハ頭をひねッたのであッたが 然 し道廳からの指令書が此 の特別な目的のためとあったので特別優待を結果するに 至ッた。まづ私の感謝であり又皆同乗の出来た人々は私へ感謝するのであッた。 緑の王國 中

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    *    *    *    * ﹁ああこのリュクサックはスヰスの品物だよ⋮﹂ 偶然同乗した模範的アルピニスト然たる扮装の西洋人が二人あッたが彼等としてハ 珍ら志 くも頭髪を五分刈りにしてゐる方が感傷的な表情をもッてさう云った。 ﹁君そりゃ懐かしからうねぇ﹂ 髪を綺麗にわけた方が云ッた。 それから二人はリュクサックについていろいろ話をすすめたがそれハ其 の持ち主に 因縁を持つ様な社交的會 話の圏内をぐるぐるめぐるのであった。 ﹁皆さんは矢張り阿寒湖へおいでですか?﹂ 両人の顔を見ながら私ハ愛想せずには居られなくなった。彼等は思ひがけぬ話仲間 を得た事に歓びの驚きをもッたやうであった。 ﹁失 禮ですが貴方は此 のリュクサックと同じ國からおいでで志 たか?﹂

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﹁左様です。僕はスヰスのフライバーク大學を卒業志 た者でもう一年からになるがス ミス君は米國からつい一ヶ月程前に日本へ到着したばかりですよ﹂と云って一葉の名 刺をさし出志 た。それにハ、グブラーと記るされてあった。 ﹁グブラーさん貴君ハ恰 度玄 奘三蔵といふ坊さんの様ですね﹂ と浴びせかけたものだ。 東洋史に暗い二人の紅毛人は怪訝な面持を私にむけた。 ﹁何故ですか。其 の﹃サンゾウ﹄とかいふのは一体どういふ僧侶ですか﹂ ﹁三蔵はズッと昔の支那の求道者でした。印度へ佛教を学ぶために遙 々出かけたので すが、その頃の旅は今日とちがッて全く命がけの大事業でしたらう。で千 辛萬苦を重 ねてやうやうの思ひで印度に到着志 た處 が偶 々古里の扇が目についたのでした。三蔵 法師はこれを見るといきなり泣き出したといふンです⋮⋮こんな山里の乗り物の中で 見出したお邦 のリュックサックは恰 度三蔵の扇にあたるのではありますまいか⋮﹂ 笑ひの三色が調子を合せて渦巻いた。 自動車は波をうってひた走りに馳せた。時々反動の大きいのが来ると、大兵のグブ 緑の王國 中

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ラー君の頭はその度に自動車の天井とキッスした。彼は静かな感じを示しつつもなか なかの剽 きん者でぐらつくからだを屡 々ダンスに連絡した。彼の大きな手が妙に動い て口笛が伴奏するのだった。 突然自動車はパッタリと進みを止めて志 まった。運転手ハ反り身になって此 方を向 いて眼で一種の渋い表情をなげた。スミスは早くも合点志 たらしくグブラーの肩を輕 くたたいてまづ下りた。皆もつづいて下りた。自動車は杭の上におかれた亀の子のや うに腹を地につけて徒 らなる後輪の空轉のもがきを見せてゐた。 ﹁かうなったら一番おくの手を出しませうかな⋮﹂ 運轉手は捨てせりふをのこしてすたすたと驅け去った。遉 は北海道である。十月の 雨天には身体が底冷えをする。スミスは外套の襟を立てて五分刈頭を寒むがる。グブ ラーは帽子を目深くかぶり首をちぢめてゐる。私は援 けをもとめるやうにあたりを見 まはした。一丁足らずのところに蟹のはひつくばッた様な小屋のあるのを見つけたの で私は人々を誘ッて其 の小屋におし入った。真ん中の爐 の火をあかあかさせ其 の前に

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アイヌがとうきびをやいてゐたからたまらない。象牙色の種子のぎしぎし竝 んだのが 次第に鳶色に変っていくのを見るままに我等の食慾はいよいよそそのかされた。 雨の小舎の爐 邉はかうして詩情に満ちた。各自の手にわたッた一本宛 のとうきびが 半ほども食ひ去られた時であッた。馬の嘶 きがきこえた。ハッと思つ私は立ち上って 窓外を見ると運轉手が一頭の馬をひいて通る。その馬は、いたましくも肩のあたりに 大怪我をしてゐるのであッた。 ﹁あの馬はどうしたんだね⋮﹂と我はアイヌにたづねざるを得なかった。 ﹁あいつは半月程前に熊にやられたよ﹂ 答は簡単であった。 ﹁熊がこの邉 に出たッていふのかね﹂ ﹁あの頃にゃさうよ。放牧の馬が十五頭ほども熊にやられたよ﹂ 平氣で彼は話した。 私はこの話を通 譯するとスミスの碧い眼は圓 くキョトキョトとまはった。 緑の王國 中

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﹁之 から先が危險だナァ⋮﹂とグブラーは吐息をついた。 ﹁どうかねぇ此 頃 の山は熊の出るやうな事はないかね?﹂ ﹁大丈夫です。あの自動車ならブーブーッて音を出したら熊でも山犬でも皆逃げてし まひますよ﹂ これで一同は笑ってしまッた。ふと車の近よる氣配がした。 一同はす總 て起 上って小屋を出ると向うの方から自動車を馬にひかせてだんだん近 よるのを見た。もう難所は越したら志 い。 グブラーは此 の光景を見ながら漫 畫の鉛筆を走せはじめた。 ﹁私は欧州各地を旅行したがまだ馬のついた自動車を見たことはありませんでした﹂ グブラーは私にからかひ出した。そこで私はこれに酬いるべく数年前スヰス旅行で の一ッの挿話を語りだした。 ﹁グブラー君を感傷的にさせたこのスヰス製のリュクサックを背負ひ﹂といって先づ 私はリュクサックを指しつつ次の話をくり展 げた。 ―

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尚 もう一つの鞄 を手にさげて私はいよいよアルプス山のユングフラウに登山するた めに、確かインターラーケンから汽車に乗ッたのです。九月のはじめでまだ登山客の 多い時節でした。其 時おなじ車に乗ッてゐたのは多くは独逸の娘さんであッた。その 中で形態的に皆の眼をひいてゐたのはかく申す拙者ともう一人は齢六十餘 りの老婆の ビール樽のやうな身体。汽車は最 早出發の用意が充分ととのッてゐたらしい。望遠鏡 とかカメラとかスケッチブックとかいふやうな物がそれそれこれを所有する主人の個 性を象徴するやうに思はせてゐた。私は荷物の上に地図を展 げて眼を驅 使して居た。 ふと私ハ肩の上に輕 叩の感覺を觸 知した。驚いて面 をあげて見ると車掌がそり身に なって立てゐるのであった。 ﹁この荷物は君のですか?﹂とたづねた。 ﹁いかにも僕ンですが⋮﹂と怪訝顔に私は反問を含めた答へを以 て報いた。 ﹁此 の汽車ハねェ登山車だから目方に制限があるからね⋮⋮﹂車掌は斯 う云ッた。 ﹁僕は汽車の規則を承知しませんでした。 ― はじめての登山で⋮とにかくぢゃ此 緑の王國 中

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物を停車場に預けて来ませう﹂ 私ハ斯 ういふより外 なかった。そして既に立ち上らうとすると彼の右の掌 は私の左 の腕をおさへる様にして、 ﹁ところがモー発車の時間ですからねェ!﹂とござった。 私ハ車掌が私に對 して執ってゐる態度に矛盾のある事を氣づかずにはゐられなかッ た。それと同時に西洋にも禅問答といふものはあるのかなァと合点したので矢 庭ニ一 ツの提案を捻出してポケットから手帳をとりだした。 同乗の人々はさなきだに何か事あれかしと願ふ様な若い好奇心盛りの娘達であった から私は必然彼等の幾すぢかの視線の重 圍に陥らざるを得なかった。ひとり六十婆さ んだけは晏 如恭 敬 手を膝の上に行儀正しくおいて大佛さまの様な格好に半眼朦 朧 うつ らうつらと来世を夢みてゐるらしかった。 私は一種の低 氣壓的緊張を持つこの異常なシーンの中である爆彈を調剤志 たもので ある。爆弾の出来上ッた手帳ハ車掌に手渡しされた。彼ハ傲 岸 不 遜な態度を持志 なが

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ら異 邦人の小さなノートを取りあげて見てゐたが急に吹きだして志 まッた。そして木 の葉のおちるのも箸 のころぶのもをかしいといふ妙 齢の娘の一人に手わたすや否や数 人の若い顔は凝視に集合したが忽 ちキッキッといふ哄 笑にまで破砕して志 まった。危 險な手帳ハ更にそれからそれへと非常な笑ひの波を傳 へつつ芳 紀仲間を一巡した。處 で最後 ― 大佛婆さんだけを除外すべくも無い。乃 ち勇敢なる車掌君ハ遂にこの婆さん にもその手帳をつきつけたのである。 ― 皺 まった象眼は急に醒め可憐な程に志 ぼめた口元は直ちに引きしめられて苦渋そ のものの如 く念の入ッた﹁へ﹂の字形に歪曲して泡をふいた ― と見るや若い血の匂ふ 笑ひの狂 瀾は又一つ大きく捲き返して車台を震 撼したものだ。此 の時車掌は、 ﹁皆さんこの小さい日本人の論難に賛成できますか?﹂ と一般投票に問うた。 結果たるや一人の反 對を除いて皆賛成の下に私の意見は目 出度通過。時計ハこの事 件のため十五分徑過してゐたことを氣づいた登山列車はあわててピーガタン⋮⋮ 緑の王國 中

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扨 て爆弾なるものの方程式はといふとこんなものでした。     ︵小さい日本人︶+︵小さい荷物︶=   独逸のおばあさん     2 こん話に笑ひ興じてゐるうちに、自動車はルシベツの山家の宿の前に停 。 忘れもされぬ庭、馬屋、さうして裏の樹木猫までが去 にし年を志 のばせた。 當 年十四歳であった娘はもう十八歳といふ、全く見ちがへる程立派な体格の持主と なってゐた。

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アイヌ熊五郎

湖畔には○○屋と綽 名を取った宿が新たに出来てゐた。主人は白 髯悠々たる七十餘 の老翁である。何でも武士の家柄であッて刀剣に對 志 てハ本 當に目がきくらしく自ら も名刀を二振秘蔵してゐて氣に合ふ来客があると時にその夏なほ寒き三尺の秋水を示 すのである。グブラーはスヰス國での史家を以 て自任してゐて此 老武士に對 して特別 の興味を感じたら志 く、是非ともその名刀拝見志 たいものと申し出た。 夕 餉の後老翁ハ白 髯 を撫しながら何 れも白 鞘の数本の刀剣を携へてはいって来た だんだん拝見していくとゾッとするワザモノが出た。 ― 一振りは正宗の短刀、一振り は兼光の脇差!所 謂備前物と相州物と稱 せらるる刀剣の特徴が詳 かに論じられた。グ ブラーの満足には格別なるものが見えた。 秋の夜ハかくて刀剣談に更けて戸外は雨の音が漸 くしげかッた。 緑の王國 中

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    *    *    *    * 湖畔の宿は雨にくれて雨に明けた。浴室の窓から前山を眺むれば樹々の紅葉は一夜 にして色揚げをされた様に雨に濡れそぼちいよいよ艶やかに光ッてゐた。長い筧 の渡 された下に玉菜の緑が幾塊か山家の營みの一端を物語ッてゐる。 突然扉が開いたとおもふと﹁先生アイヌの熊五郎が来て待ってゐます﹂とメノコの 女中が言葉をかけた。昨夜宿の主人に此 へんの事情に通じたアイヌを捜して貰ふを頼 んでおひたからだ。 早速熊五郎を呼びグブラーとスミスと四人で円座をつくッて語り出した。 ― ﹁私の名は倭 人の役人が高田熊五郎てつけて呉 れたよ。昔はアイヌ仲間に子が生 れて届け出ると米を三升下さったものだ。その米ほしさに皆届けでる。その時﹃熊五 郎﹄とか﹃圍助﹄とか名をつけてくれたもンだ。昔は役人が来て一々志 らべあげてお らの一家は一万五千坪てもの貰った 。そりよ開墾してヂャガイモ作って暮せッてか

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てぇ命令があッただ。けれども中にゃ山を勝手狩りまはッて倭 人が來りゃどんどん奥 へにげこむのが多かったよ。マァ早え話はこの北海道の山はみんなアイヌ達が昔から 住んでたで、シャモが来て土地をわけてやるなんて、へんな氣がして誰もかも不平こ ぼしてたんだ﹂ ﹁熊五郎さんこの阿寒湖の近所ハ昔からアイヌ仲間が住んでたかね﹂ とたづねると、彼は烟 草を大きく一ぷく吸ッて、 ﹁そうともさ 。此 の邉 の裏山にゃ熊の頭が山のやうに積んであッたよ ― 俺ァ熊とっ たって其 の頭だきゃカモイ︵神︶に祭るだよ。だからアイヌから買った熊の皮にゃ一 枚だって頭ついてた事ァあるめえがな⋮⋮﹂ ﹁熊五郎さんもやはり熊を追ひあるいたかな?﹂ ﹁熊を狩るナ俺等の商賣だよ ― 忘れもされね。俺の作ったトウキビを熊の奴が来て皆 かきむしって脇に抱え込んでせっせと逃げやがッたもんだ。そいつが一本二本とたん だんトウキビがぬけだして落ちたから、そのちらばってるのをとめていくと崖の下に 緑の王國 中

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チャンと居やがったで、 矢を一つ射てやると、 うンまく中 ってさ、 トウキビと命のひッ かえてわけさ﹂ ﹁矢一すじでよくも殺されたもんだねぇ?﹂ ﹁いやそれがよ⋮⋮﹂ と云ひながら熊五郎ハ我等が採って来た床の間の草花の中から紫のトリカブトを指 摘した。 ﹁あの花の根だ。ありゃシリコマって云ふ草であれの根をとって青草で包んで日陰干 にしてそいつを石で叩てると、黒いねバねバが出きる。そいつを矢の根の先につけて 射るだが中 ったが最後だよ。ものの五分とたたねぇうちにからだ中がしびれて死んで 志 まふよ﹂ 私はふと想ふ事があッて地図を展 げてシリコマベツ川を指志 ながら訪ねると、やは りと りかぶと草が澤 山志 げッてる川といふ意味であった。それからキネタンベツとい ふ川は榛 の木のしげる澤 の意であッた。アイヌの命名する川の名には皆一ツ一ツ意味

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緑の王國 中

多ト

~

専マ引

i

.

.

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のあることを知ッた私は阿寒岳についてたづね出した。 ﹁阿寒岳か 。之 にゃビンネシーデとマチネシーデといふ二つがある 。シーデは ﹃ 山﹄ といふ事だ。男の神の居られるのがビンネシーデで女の神の居られるのがマチネシー デといふのだ。それをシャモ︵倭人︶は雄阿寒岳、雌阿寒岳ていってゐる。此 の二ツ の山が仲よく湖をだきあってるが、昔からの言い傳 へではこの湖の湛えてる限りはこ こに住む人間は幸福てことだ。そしてスカナキップと云ってこの湖の寶 物になってる のが毬藻で、もう一つカモイゼップ︵神魚︶といふ宝物がヒメマスの事だ﹂ 熊五郎も語り興味がわいたと見えてますます珍しいところを披露しだ志 た。 ﹁恰 度今から七十年も前の話だ ︵大正十五年から︶ 。 越後から佐野孫右衛門て親方が 来て訓路ハマナカ、ビロノあたりのアイヌを雇ひだして、その地方の濱で鰊 、アキア ヂ、昆布などを漁らしたもんだ。其 の時にそのアイヌ達が通った道筋にこの阿寒湖が 光ッてゐたンで一 寸のぞいてみると魚が澤 山ゐる 。熊の足跡も濱の砂についてゐる それから山を横にかき上ッてみると、山葡萄、マタタビ、コクワ、ガンコウラなどの

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実がいくらでもみつかるから、アイヌ仲間はここなら住めると思って日 當 りのいい水 に近ぇ處 を選ッて小屋建てただよ。それから温泉が見つかッたのでその湯の流れる川 尻に穴を掘ってそこにたまる湯に漬かッただ。 それにはイナウ ︵ イナウは柳の枝を削っ て御 幣に似たもの也︶ といふものを湯壺の眞 ン中に立て、 セセカカモイ ︵湯神︶ にっ てから後に湯壺の端ッこに俺達は入 浴てもらふが、女は湯につかるために新志 く身を 包む袋を縫ッてそれを着てつかる ― 男はキチンと褌 をしめてつかるだよ。そうせにゃ 病氣にききめがねえだ﹂ 話の最中に船宿から使が来て、今日ハ波が高くてとても船が出ないと告げた。   川留めや天 爾違波直す歌日記 恰 度この句に似た氣分のゆとりを見いだした。 熊五郎は妙に顔を志 かめながら 緑の王國 中

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﹁何んだと波が高くって船が出ねえだか。俺の若ぇ時にゃマサカリ一 挺で仕あげた丸 木舟に米の二十俵も積んでこの湖を渡ったものだ。俺ぁ忘れもされね。一度は自分が 十日がかりで作った丸木ぶねでトクシベツていふ澤 のあたりに行ッた處 が釣れたは釣 れたはアメマスが一時間に六 、 七 百ぴきもとれたよ 。尤 もこのトクシベツていふとア メマスの澤 ていふ意味だ﹂ アイヌの話の中には慨して食物の話が多い。それから迷信である未開矇 昧の人類に はかうした共通の点のある事を見のがす事は出来無い 。生存の基礎は第一に食物で あッて第二には安神をもとめる心、そこで芽生えるものが不可抗的の絶対威力を示す 自然への崇拝の念である。更に進んで信仰となっていく。されば宗教の萌芽は他力に あることを、此 の熊五郎のはなしにつけても考へさせられた。

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(63)

   

緑の王国

下 

  

死線を越ゆる一條の生命

﹁阿寒一帶の温泉の温度ハ上昇志 た。 此 の度の噴火は阿寒岳か ? ﹂ といふやうな新 聞報道に驚かされて再び阿寒湖を訪れた時には前回の如 く未知境を探る好奇心による 胸の轟 きは無かった。一種の不安は水温計を持つ私の右手から絶えず傳 はって来るの をどうする事も出来なかった。環境を味ふなどといふ事ハ平和の心の上に生れるので あッて、今や水温の上昇乃 至は水質の変化といふ事が毬藻の生理上に如 何なる悪影響 を来しつつあるかを案志 てゐる頭には阿寒夫婦岳の景觀すら何 等の意義にも價 しな かッた。

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水温と水質とを檢討する為に私達のふねハ一直線にシリコマベツの川口にまで走せ た。攝 氏十三度二分と水温計に讀 み得た時私の不安の霧ハ一時に晴れだした。けれど も小さい叉手網によって採取した毬藻が褐色なってゐるものの多い事を認めた時私の 頭は針をゾクゾク刺されるやうに感じた。緑の王國なる称呼通りに常 盤 なる緑であッ てこそ其 の國家ハ安康であるが今やこの現状ハ明るい緑の國で無くて褐色の暗さを以 て蔽 ハれてゐるではないか。私ハしづかに其 の一個をとりあげて、之 を擴大鏡︵ルー ペ︶に照らして檢 らべた。すると幾種かのダイヤトーム︵硅藻類︶が其 の表面にギシ ギシと附着してゐるのを認めた。されバ總 体が褐色に變 ッたのでなく表面だけを他の 物によって被覆されてゐるに過ぎないから何も根元的に失望すべきものでない事を認 め得た。早い話がその本質を發揮せしむるためにかかる色彩の異ッたものを除去すれ バよひといふ事になるのだ。扨 て然 しながら既に事ここに至るまでにはそれそれの次 第があッてダイアトームの附着する處 となったのであるから一 寸と振 蕩した位でハ駆 逐されないのみならず無理にこれを除去志 ようとすれバ毬藻自体が枯死するやも測ら 緑の王國 下

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れないのである。 一の國内に此 の様な特殊な一團が寄生する時ニは固 有國ハ歴史的色彩と傳 統的特色 とを失墜して旗 幟鮮明を缺 くに至るべきは人類社会に於 ても屡 々これを見る現象でハ あるまいか。毬藻の王国の斯 る非運は直接にハダイヤトームが寄生虫の廢 頽に乗じて 愈 々跋 邑跳梁を恣 にするといふところに亦 バクテリアの増殖を見る事になる。今毬藻 を切断的に檢すると太陽光線の投射面と葉緑素との中間に褐色の一層の隔壁をみるの である。處 がかかる場合でも真に生きようとする力が根強いので中から元氣ある一條 が表面にまでのび出して太陽にまみえつつ潜在する處 の活力を發揮してゐるのであっ た。既にこの王國を成す團 々幾百千の叢 球の変質しつつある中から一本たりとも真に 其 の生命を抜きんずるを得るならば毬藻の生命は頼って以 て存 の希望を持ち得るの である。私はここに之 等 の毬藻を岸に持ち運んで一つ一つに檢 べ褐色乃 至黒色に変じ て到底見込みなきものとまだ見込みある緑色の部分とを割き選んで再び之 等 を湖中の 特に波に洗はるる健康地域に移植したが、この時私の念頭には﹁阿寒湖の毬藻を支笏

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湖に移殖すべし﹂といふ意図を胎むに至ったのであッた。     *    *    *    * 大正十五年十月に至り北海道廳は私の報告に注意しだし、毬藻の保護について策を ほどこす様にとお話があった。名井翁の紹介で苫子牧の王子製紙會社が経費の補助を うくる事となり私ハ各所の山湖を研究した末、愈 々膽 振國支笏湖を第一移植地と選定 したのであった。ところでこの支笏湖は恵庭、樽前、紋別といふ峯々に圍 まれて水色 清透千五百尺の深度を有する山湖で阿寒の幽 邃から毬藻の縁をむすぶ湖としてハ相 しい仙境である。この湖にピプイ川が注ぎこんでゐるが、私が毬藻を移殖したのはこ の川口であッた。一行八名は舟をやとッて、ピプイ川の岸に上陸すると、まづ第一に 熊の糞 を見つけてわいわい騒ぎたてた。恰 度そこにハつぶれかかった小屋があッたの で、これ幸とおし入り円座をつくッて焚 火を始めた。毬藻移殖の大仕事に一段落をつ 緑の王國 下

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けた安堵の氣持が皆の顔に流れてゐた。アイヌが丸木舟をあやツッて来て樺 の皮の包 みを投げあげて呉 れた。開いてみるとヒメマスがまだピクピクしてゐる。各々それを 枯蓬 の串ざしに志 、焚火のまはりに突きさして塩燒をはじめた。ヂューヂュー音をた てて香氣が食慾をそそる。喜んだのはマホメット公 文氏だ。プロ徳利をアイヌに傾け させて、ふりさく空に聳 え立つ樽前山が盛んに烟 を噴いてゐるのをさも心地よげに眺 めてゐたが 、﹁あの山が大噴火してその噴出物がこの湖に落下したら 、毬藻も最後だ ⋮⋮﹂と獨語した。さすがにこの一語は遙 々移殖を企ててゐる私をギョッとさせずに はおかなかッた。元より毬藻の習性を考へ噴火崖崩れの場合をも併せ察した上でピプ イの此 の川口を選んだのではあるが未来を知る事は出来ない。私はその時公文氏に次 の一首を示した。   一山の叫びも容 るる大空にわれは毬藻の幸いのるなり

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公文氏はぢッと示されたる歌を玩 味してゐるらしかッたが徐 ろに口を開いた。 ﹁植物学者が一介の藻の生存のためにこれ程の勞を惜まないことをおもふと現代の宗 教家や社会事業家はもっと人間社会のために真劍でもっと行動も直接的でなくてはな らない、と痛切に感じます﹂と感慨深げにマホメット教徒らしい本音を吐いた。 註  マホメット公文氏は公文直太郎と呼ばれ土佐の産れであるが 、十二 、 三 才にして 朝鮮に渡り更に満州に流れ、満州醫 科大学に助手をつとめてゐるうち志を立てて中央 亜細亜に植物採取を企てて大正四年北京政府から護書を貰ってラマ僧に扮して天心南 路を經て印度に渡り、爾 来専らマホメット教に帰依し大正十五帰朝、偶 々わが毬藻移 殖に興味を以 て来加せられた。いろいろの意味から茲 に附記して後日の思出に資す。 緑の王國 下

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まり藻の生活

世界的に稀有であッて學術上からも趣味の上からも人をひきつける緑藻植物に緑の ビロードで作った毬の様な珍らしいまり藻がある。 大正十年三月天然記念物として指定された。その産地が北海道釧路阿寒湖だけなの で此 の植物に対する系統についての疑問が學徒の間に投げられてゐた。處 が世界の毬 藻の分布をみるとアルプス山中、オーストリア、スエーデン、英國、北米、ロシアと いふ様に比較的寒地性のものである。すると阿寒湖のマリモはどうもロシア産のもの と連絡があるかに思はれ両者を継ぐべき産地が新たに發見される時が来るだらうとの 推論をさへ私は持ってゐた。 昭和三年北海道廳半田技師から ﹁擇 捉 島内保湖で矢木澤次氏新たにマリモを發見す﹂

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といふ通知があった。此 の一報は私にとってどれだけ注意と驚きと喜びとに價 志 あらう。志 かも又同七月樺 太 在住の斉藤直士氏から﹁樺太東海岸富田湖附近の小独立 湖に毬藻を發見す﹂との貴い電報に接した。この世界的に稀れな植物 ― つい先頃まで 阿寒湖のみが東洋唯一の産地と考へられ稀有であるが故に保護の必要ありとせられた 毬藻が斯 く新たな産地を二ヶ所も日本領土内に加へ得た事は学界にとッて夢すべき事 である。 大正十一年の初夏聖上陛下なほ攝 政 殿下にましま志 て北海道帝大學にお成りのみぎ り御説明申上げた内容に基礎をおいて私はここに次の問題を極めて一般的に書き記す こととする。 一、まり藻は何故浮沈運動をなすか 一、如 何にして球形が形成せられ、それがどんな意義を生存の上に與 へてゐるか 一、かくも限られた地域に産する運命の解 釋 まり藻の生活

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一、 肉眼的には一個の緑玉、顕微鏡的には千萬の線 條、志 かもその各々は獨立し得る 活力ある事 一、線條叢 り絡む中には幾多の寄生物が棲む事 一、毬藻と寄生物間の関係並にその消長

   

まり藻ハ太陽の指図によって浮沈する

浮沈といふ言葉は自然科學者の中にも水産生物を學ぶ學徒にとってハ重要なテーマ である。早い話が魚にしても藻にしても浮くには浮かねばならない理由があり沈むに は沈まねばならない理由があるのだ。あるものは餌食を求めて沈みかつ浮く。或 るも のは生殖を全うする為め配偶者をおふて浮沈する。表面に浮いて来ることが光線をう ける事となってそこに或 るものは同化作用を完全に營み深層に沈む事が強い光を避け

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る結果となってゐるものはそこに衛生の実が上る。結局は生存を全うする為である。 何故浮沈出来るか ― 毬藻が浮くのは原則として比重が小さくなるからである。何故 その比重が小さくなって来るかは毬藻に氣泡が出来てくるからである。その氣泡の何 物なるかを知るべく水中で漏 斗を利用して試驗管に採取して檢べた結果酸素であるを 知った。之 は太陽光線によって生じた同化作用の産物に外 ならないのだ。天氣の関係 による事は二ヶ月にわたる連 試験の成績表の上に歴然たり。

   

浮沈と波に轉

回することが球形になる原因

沈んだ毬藻を水面によび出すのは太陽である。反 對に天氣がわるくて氣泡が思ふや うに出来ず前に附着してゐた氣泡がボツリボツリと散逸して沈下して志 まふ。浮き上 がッた藻が波に漂ふはいふまでもない。球形の藻が水面をゴロゴロする時にあらゆる まり藻の生活

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部分は太陽にさらされ表面の同化作用が均等に行はれる。從って元のままの球形を保 ちつつ成長する。もう一つ面白い事実は藻が水に浮く時其 の重い方が下になると上に なった輕い方は日にあたって成長する。すでに上に幾つかの線條がよく發達するとこ ん度は重くなるままに回轉して他の輕い部面が新たによき發育する好事情の下におか れるといふ次第を繰りかへし静かな水中に浮ぶものと雖 も遂にまんべんなき各部の發 達から球形を形成するのだが更ニ之 に加へて波の動きは回轉をたすけるのでいよいよ 球形構成の実があがる。之 等の點 については別に論文があるから詳細ハそれにゆづる 事とす。 浮く事が太陽の光りを受け易くなる原因であり又波に漂ふことハ一ヶ所をまもらな いで廣 い部分から養分を摂り得事の結果となる。この為によし岸にうちあげられても 風が吹いたり雨が降ったりすれバまたゴロゴロと湖水にころげこむ事は毬藻なればこ そ容易である。球形であッた事は決して偶然で無いのみならず、球形であるから保水 力が大であることは同じ量の物を扁平にして水にひたした上乾度を比較すれバすぐ判

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る。毬藻が日かげで一ヶ月又は二ヶ月たっても枯れなひ事は実驗的にも證 明できる。

  

毬藻の消長

漂ッてゐる毬藻の叢 團は一全体として動いてゐるが鶏卵大のものもよく千萬の糸條 体から形成されそれの一條にも無数の細胞が生きてゐてこれを分離すれバそれぞれ自 由に生長し得る。各個分離で生存する方がよささうなものであるがことさら叢 團を形 成して上になり下になり外にのぞき内にくぐッておしおしになっていかねばならない 理由については容易に判断が出来ない。又叢 團の中にはいろいろの寄生物があってま りも王國とよびたい様だ。 彼等は次第に生長すると、結果は、その球の輪廓が外方に擴 まっていく。元よりこ れは發達の現象ではあるが、これにも自ら程度がある。球が大きくなるばかりがめで まり藻の生活

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たい事ではない。球の外形が大さを増す時にハ中に寄生する微生物︵バクテリア、硅 藻類その他の原生動物の類︶も数を増し、その害を次第に大きく加へて来る。 目に大きく見ゆる銀行の不良貸出しが多くなった様なものである。阿寒湖にも時に よると子供の頭ほどの大形のものが漂ってゐる事があるが、それをとりあげて見ると 球形でなく饅 頭形になってゐる。こんなのは水から引きあげるなりバラバラに分離す るものさへある。こんなのになるとはげしい波にでももまれようものなら片々となっ て散乱して了 ふ。この片々は更に漂ふままに寄生生物は水中にちり、朽ちたる部分も 落ち、残存するものは緑色でこれから新たに生活力を發揮するに至るのだ。志 かも次 第に球形を形成するからこの破壊とみゆる現象は、実に一面からは蕃 殖の徑路であッ た。自然運行は些 末な点まで意義に満ちてゐる事を學ぶことができる。

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毬藻の培養

マリモの生存のために大事なことハ適 當な水と日光とを得る事で、実験的にハ如 なる器を用ひどんな場 處に安置すべきか、いつ水をとりかえ、いつ戸外に持ち出すべ きか等実際處 理法が決定されねバならない。 ○ 水の性質ハ理想的に云へバその生育してゐる湖の水が一番適してゐる筈であるが この藻ハ同湖中でも山から流れこむ川口に近く發育し、温泉の湧く方面にハ決して 蕃 殖してゐない事実はすでにこの植物が生育上いかに水質に対する適不適の度がは げしいかが伺はれる。かう考へるとなかなかむつかしくなるが去来の經験によると 癖のない井水乃 至水道水を以 て立派に培養される。

(78)

○水量は豊かなる程がよいがマリモの容積の廿 倍内外で足る。 ○水温は、攝 氏十三度乃 至十五度を適温とす。 ○ 月に三回程水を新しくすること。あまり屡 々なるは好ましくない。取りかへる前に 掌中にてマリモを輕くしぼり寄生物を除去するをよしとす。 ○ 皿上培養   西洋皿の上に藻をのせ毎朝一度植木に水をやる様に僅かづつ注ぐ。最も 萬 遍なく日にあたらしめるため時々回轉してやる。外國では七年間かくて培養せる 例あ里 。 ○ 害敵退治の方法として一リットルの水に輕く一サジの食塩を投じて養ふ。鹹 水に棲 めない害敵をこの方法で駆除する事を得。 ○ 雨の降る日に戸外に出して雨にうたせる事 、又雨水を加へてやしなふ事共によし トタン屋根の雨みずや埃ユエンの水はよろしからず。 ○ 夏の強い日光直射ハ避け、常に穏やかな光線を受けしむる事。まど際のやうな所が 適当なるも、二重窓の室で急に温度の上る昇ハ好ましからず。 毬藻の培養

(79)

○ 夏の日に長時間あてると毬藻ハ褐色になり勝ち也 。四 、 五月頃の光線ならば午前七 時頃から九時頃まで戸外に直射せしむべ志 。 ○ 冬の日光は直射せしめても可。又氷結も少し位ハ差支へなし。何 れにせよ右にいふ 十四度内外の適温をまもれ。 ○用器   ガラス製を第一とす。金属製の器は不可也 。 ○ 深さは浮沈現象を観察のため一尺以上を望む 。大さは大き程がよい 。但 し本体の 二〇倍以上の容績を要す。 ○ 廣 口瓶は最適。光線の透射にも、美観の上からも、水の濁りを見わける上からも便 利也 。 ○球形のが割れて片々となっても充分生存す。 ○ 遠方に運ぶ時は藻に水を含ませ木 函にいれ、温度の高くならぬ様注意すべし。日か げにおけば二 ・ 三 ヶ月間位生存する。保水力大なる為也 。

(80)
(81)

  

あとがきにかえて

早坂惇司・大石   亨・宇野彩子        ︵阿寒湖パークボランティアの会︶ 若菜   勇︵釧路市教育委員会マリモ研究室︶   ︻緑王国の発行について︼ この ﹁緑王国﹂は 、﹁ マリモ研究の父﹂とも称される西村眞琴博士が昭和十四年に 私家版として発行した阿寒湖のマリモ調査の回顧録で、本文中にもあるように僅か百 部しか刷られなかったため、入手すること自体、極めて困難な資料となっている。と ころが釧路地方の郷土研究家として知られる種市佐改氏が入手したオリジナル本があ ることを十数年前に知り、それを借り受けてコピーまではしたものの、毛筆で書かれ

(82)

てある上に、くずし字も多く、一般向けの資料として活用することが長くできずにい た。一方で、今日のマリモの研究が進み、マリモと阿寒湖への理解が深まれば深まる ほど、 マリモの研究資料あるいは阿寒湖の郷土資料として重要な内容を含む﹁緑王国﹂ を誰もが読める形で供する必要性を痛感するようになった。こうした経緯から、阿寒 湖パークボランティアの会と釧路市教育委員会が協力して原文を読み解き、このたび 印刷物として発刊する運びとなった。本書を通じて、およそ八十年前のマリモと阿寒 湖の様子や西村博士の研究の背景を知っていただければと思う。 なお 、原本の興趣を活かすため 、できるだけ原文に忠実に表記するよう努めたが 読者の便宜を図って振り仮名と濁点、読点を加え、誤字等を改訂するとともにまた若 干の年号の誤りについては、編者の責任において以下の通り訂正した。    一五頁五行﹁大正十二年﹂↓﹁大正十一年﹂    五八頁七行﹁大正十二年﹂↓﹁大正十年﹂    五九頁七行﹁大正十二年﹂↓﹁大正十一年﹂ あとがきにかえて

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また、 この﹁緑王国﹂が書かれた時代、 アイヌ民族に対する差別 ・ 偏見の意識があっ たため、内容について阿寒アイヌ工芸協同組合に一見を願い、アイヌ語および表現に ついての誤解等を訂正・解説していただいた。 本書の刊行にあたり、原本をお貸しいただいた種市佐改氏、ならびに西村博士の写 真をご提供いただいた、ご遺族の山崎朋子氏に深謝申し上げたい。また現在、種市佐 改コレクションとして﹁緑王国﹂の原本を収蔵している弟子屈町図書館には、原本中 の挿絵の撮影にあたって便宜を図っていただき、阿寒アイヌ工芸協同組合には、原稿 を読んでいただくとともに解説文を寄稿していただいた。記して感謝申し上げる。

(84)

  ︻西村眞琴博士とマリモ︼ 西村眞琴博士は、米国コロンビア大学で博士号を得た翌年の大正十年、北海道帝国 大学附属水産専門部に教授として赴任し、大正十一年六月、助手の菅野利助氏を伴っ て初めて阿寒湖を訪れている。この時は台覧品、すなわち北大にお見えになる摂政殿 下︵後の昭和天皇︶にご覧に入れるマリモを採集するのが目的であったが、阿寒湖畔 に滞在してマリモの生態調査や浮沈現象に関する実験研究なども行った。 採取して持ち帰ったマリモは研究材料としても利用され、その成果は次の四つの論 文、 ︵一︶毬藻の葉状体が球形叢団を形成するの原理、 ︵二︶毬藻研究の学術的価値 附毬藻の培養、 ︵三︶毬藻の研究 ― 特に遊走子の発達に就て、 ︵四︶毬藻の無性生殖に 就て、としてまとめられた。こうした研究に対して、昭和二年に東京帝国大学から理 学博士が授与されたが、同年北大を辞して大阪毎日新聞社に論説委員として転じ、昭 和三年には東洋初といわれるロボット﹁学天則﹂を制作して京都で開催された昭和天 皇御大礼記念博覧会に出品するなど、多方面で活躍を続けた。 あとがきにかえて

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