民法と信義誠実の原則--最近の判例を中心として
-1-著者
鈴木 重信
著者別名
Shigenobu Suzuki
雑誌名
東洋法学
巻
36
号
2
ページ
111-135
発行年
1993-01
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003512/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja民法と信義誠実の原則H
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目 次 契約締結準備段階における信義則の適爾 弁済の提供と信義則︵以上本号︶ 岡時履行と信義則︵以下次号︶ 契約解除と信義則 相殺と信義則 時効の援用と信義則 継続的契約と信義則 講求権の減額と信義則e
口 日 四 国 因 ㈲ ひ9 心 はじめに 二 最近の判例の検討 東 洋 法 学 一 一 一民法と信義誠実の原則e σ◎ その他の場合における儒義則の適用 三 信義則を適用する判例の展開に対する私の見解 四 ま と め 一二
はじめに
民法と信義誠実の原則の関係については、鳩山秀夫・﹁債権法における信義誠実の原則﹂、林信雄・﹁法律におけ る信義誠実の原則﹂、同・﹁判例に現はれたる信義誠実の原則﹂等々、早くから研究がされてきた。私は四〇年以上 にわたり実務家として裁判にあたり、時としてこの原則の適用に頭を悩まし、今は学者として嘗てなした裁判が正し かったかを反省し、この反省の上に立ってこの問題を考えてみたい。 先ず、この問題を考えるきっかけになった直接の事例は、以下に述べる二つのものからである。その一は民法六一 二条に関する。同条一項は、﹁賃借人ハ賃貸人ノ承諾アルニ非サレハ其権利ヲ譲渡シ又ハ賃借物ヲ転貸スルコトヲ得 ス﹂と規定し、同条二項は、﹁賃借人力前項ノ規定二反シ第三者ヲシテ賃借物ノ使用又ハ収益ヲ為サシメタルトキハ 賃貸人ハ契約ノ解除ヲ為スコトヲ得﹂と規定している。この条文の意味につき、民法起草者である梅謙次郎・民法要 義︵巻之三︶六一二条は、賃貸人の承諾なしに賃借権の譲渡または賃借物の転貸契約がされ、第三者が賃借物を使用 収益した場合には、賃貸人は賃貸借契約を解除することができると説明し、大審院判例も同条を右と同一に解してい 一た︵鰍講翻b岸難︶. ところが、戦後になって、借地借家事情の悪化から、下級審判例には民法六ご一条二項による契約解除のできる場 合につき信義則および権利濫用等の理論により制限を加えるものが現われ、最高裁判例も、ついにこの考え方を認め、 土地の賃借権の共同相続人の一人が賃貸人の承諾なく他の共同相続人からその賃借権の共有持分を譲り受けても、賃 貸人は民法六一二条により賃貸借契約を解除することはできないものと解するのが相当であると判示し︵膿蝋鵜繭墾㎝匙 キ恥︶、一個の賃貸借契約によって二棟の建物を賃貸した場合には、その賃貸借により賃貸人、賃借人問に生ずる信 頼関係は、単一不可分であることはいうまでもないから、賃借人が一棟の建物を賃貸人の承諾を得ないで転貸する等 民法六二一条一項に違反した場合には、その賃貸借関係全体の信任は裏切られたものとみるべきである。従って、賃 貸人は契約の全部を解除して賃借人との間の賃貸借関係を終了させこの関係を絶つことができるものと解すべきであ ると判示し︵畷粥翻湘覗号嚇ル盟眠蕪︶、土地の賃借人が賃貸人の承諾を得ることなくその賃借地を他に転貸した場合におい ても、賃借人の右行為を賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情があるときは、賃貸人は民法六一二 条二項による解除権を行使し得ない。しかしながら、かかる特段の事情の存在は土地の賃借人において主張・立証す べきものと解するを相当とするから、本件において土地の賃借人が右事情についてなんらの主張・立証をしたことが 認められないとして、賃貸人の賃貸借契約を解除して建物を収去して土地を明渡す請求を認容すべきであると判示し た︵鞭潮鯛御評駕一論醸︶。大審院は民法六一二条二項の解釈として、賃借権の譲渡・転貸を理由とする解除の要件として は、賃貸人の承諾のない賃借権の譲渡ないし賃借物の転貸の契約がなされ、第三者が賃借物の使用収益をしたことを
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一二二民法と信義誠実の原則e 二四 もって足りるとしていた。ところが、最高裁判所は、それのみでは足りず、右譲渡ないし転貸が信頼関係を破壊する ものでなければ︵もっとも、この信頼関係を破壊するに足りないことについては賃借人に主張・立証責任があるとし ているが︶、賃貸借契約を解除することができないというに至った。これら最高裁判所判例は、民法六一二条を適用 するにあたり、信義則という一般条項を同条の上位概念とし、この一般条項によって具体的事件の解決をはかったも のである。このような最高裁判所判例の見解に対しては、学説も異論はない︵蝦榊搾盤鰍齪雛渕跳週順翼星︶。このように判 例学説が変更進展したのは何にょるものであるか。前記したように借地借家事情が悪化したということ︵それだけ︶ によるものであろうか。 問題を考えるきっかけになった二つ目の事例は民法一七七条に関する。同条は、﹁不動産二関スル物権ノ得喪及ヒ 変更ハ登記法ノ定ムル所二従ヒ其登記ヲ為スニ非サレハ之ヲ以テ第三者二対抗スルコトヲ得スしと規定し、この第三 者については法文上はなんらの制限がつけ加えられていない。しかし、この点については、大審院も、民法一七七条 の第三者とは、当事者もしくはその包括承継人以外の者で不動産に関する物権の得喪および変更の登記欠敏を主張す る正当の利益を有する者を指称し、同一の不動産に関する所有権抵当権等の物権または賃借権を正当の権原にょり取 得した者、または同一の不動産を差し押えた債権者、その差押について配当加入を申し立てた債権者等は右にいう第 三者であり、同一の不動産に関し正当の権原によらないで権利を主張し、あるいは不法行為によって損害を加えた者 は第三者にあたらないと判示し︵鍬潮唖鵜ゴ、や飢3、法文上は右の第三者にはなんら制限的付加文言がないにも拘らず、 解釈上右の第三者には制限があることを明らかにした。しかし、不動産に関する物権の得喪変更は、登記をしなけれ
ば、このことをもって第三者に対抗することができないが、その場合第三者が善意であると悪意であるとを問わない と判示している︵蹴酬瑚飴轍か鵡ル鄭︶。 ところが、この点についても、戦後になって、下級審判例に右第三者につき信義則からの制限を加えるべきである というものが現われるに至った。現に登記されていない物権の存在を承認するにとどまらず、さらに積極的にみずか らその物権の存在を前提とするような行動にでた第三者が、その後に至ってほしいままに態度を変え、右登記の欠敏 を理由として物権の存在を否定することは、信義誠実の原則に反し、民法一七七条の保護に値しないから、右の第三 者は同条にいう第三者にあたらないと判示し︵離鵬鵜欄翻蜘脚嘉穏鄭︶、甲に甚大な損害を与えるきっかけをつくったこと につき、乙とともに甲に対し深く陳謝し、乙および自己の全財産を投じてもその償いをすることを誓い、そのため夫 の乙が土地および地上の建物を甲に譲渡することに賛同し、乙の相談相手となり、右土地の売買契約の締結に参与し た丙が、右土地所有権が自己に属することを全く述べず、終始乙の所有に属するものとして右売買契約をすすめたも のであるときは、丙は乙と甲との間の右土地の売買契約に関する信頼関係において、売主たる乙と同一の地位にあっ たと認めて差支えないから、丙が仮に乙の前主から右土地の所者権を取得していたとしても、甲の右土地所有権の取 得について登記の欠飲を主張するのは、著しく信義に反し、丙は甲の土地所有権の取得につき登記のないことを主張 しうる正当な権利を有する第三者にあたらないと判示している︵糠鯨鵬酬瑠珈㌍掌野飢︶。 そして、この信義誠実の原則は民法一七七条においては背信的悪意者の理論につながって行く。その過渡的なもの として、最高裁判所は、根抵当権設定者である会社の代表者甲が、目的物の譲受人乙を代理して根抵当権者丙の根抵
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二五民法と信義誠実の原則e 二六 当権放棄の意思表示を受領した場合において、その被担保債権の債務者である協同組合の代表者丁が、甲ととも庭丙 との交渉にあたり、その際右意思表示がされた事実を知りながら、その後に丙から右根抵当権を被担保債権とともに 譲り受けたときは、丁は、特段の事情のない限り、根抵当権の放棄についての登記の欠敏を主張するにつき信義に反 すると認められるので、このような背信的悪意者は登記の欠敏を主張する正当の利益を有せず、民法一七七条の第三 者にあたらないと判示した︵輔鋼紹翻評町ル灘民︶。この最高裁判所判例は、登記におけるいわゆる背信的悪意者理論は結 局は信義誠実の原則の登記へ適用したものであることを明らかにしたものといえる。そしてさらに、甲が乙から山林 を買い受けて二三年余の問これを占有している事実を知っている丙が、甲の所有権取得登記がされていないのに乗じ、 甲に高値で売りつけて利益を得る目的をもって、右山林を乙から買い受けてその旨の登記を経た等の事情がある場合 には、丙は、背信的悪意者として、甲の所有権取得について登記の欠歓を主張する正当な利益を有する第三者にあた らないと判示した︵蝦潮翻緬脇嚢b昭醸集︶。 判例は、当初民法一七七条の第三者につき、登記の欠歓を主張するについて正当な利益を有しない第三者は右の第 三者に入らないとし、そういう者として不法行為者、同一の不動産に関し正当の権原によらないで権利を主張する者 等抽象的に一定の法律関係の枠外にある者を考えていた。しかしその後、右に掲げた判例から分るように、右の第三 者の範囲を決定するについて信義誠実の原則を適用し、著しく信義則に反する者を右の第三者から排除するに至った。 それが背信的悪意者の理論となった︵端齢蜀張鞭軋甚鰹鋸講誰臥杯︶。背信的悪意者の理論は、今日学説においても 多くの賛成を得ている︵醗禰麟脚醐難鍋膵甦肇、一︶。判例がこのように変更進展してきたのは何によるものであるか。前記
民法六一二条の無断譲渡転貸の解釈が変更されてきたこととは違う要因によるものであるか。 以上のような問題点について、最近の判例を検討することにする。 二 最近の判例の検討 最近の判例掲載雑誌等の資料を見てすぐに気がつくことは、具体的事件において信義誠実の原則の主張がなされ、 それについて判決理由で判断されていることの多いこと、しかも、右の原則は経済的取引の分野のみならず、相続等 経済的取引分野以外の事件においても主張・判断されていることである。しかし、私の研究は民法の財産法︵その延 長線上にある商法に関するものも一部含む︶分野に関するので、一応この分野に限定して述べる。この分野だけでも 該当する事件は極めて多数にのぼるので、取り上げた判例の範囲を昭和五六年一月一日以降に言い渡されたものに限 定したことを付加する。 8p契約締結準備段階における信義則の適用 ぞレ ①大阪地判平成2・10・12判例時報一三七六号九一頁 この事件は、取引先XがY銀行との間で手形割引契約を締結する準備段階中で、契約成立に極めて近接した状況に あったのに、Y銀行が手形決済先きの銀行に右の状況を伝えなかったため手形が不渡になりXが倒産した場合に、Y 銀行は決済銀行に事情を説明して不渡返噸 ・還の処理を待つよう求める信義則上の義務があるかが問題となったものであ
東洋法学 二七
民法と信義誠実の原則0 八 る。 判決は、Xは昭和六一年九月二七日から手形割引契約締結の交渉に入り、同月三〇日には、追加担保についての折 衝の後、Y銀行は、自ら追加保証人の保証意思を確認したうえ、右追加保証人の保証約定書が揃うのを待つ間に手形 の信用調査を経、一部の手形の信用性について疑念を残していたものの手形割引を実行する方針を固めていたのであ り、Y銀行が決済銀行から三度目の電話を受けた同日午後六時頃には、Xは右保証約定書を入手してY銀行へ戻る途 上にあったのであり、手形割引契約が成立するに至っておらず契約準備段階ではあったものの、契約成立に極めて近 接した段階に至っていた。そして、右の時点においては、決済銀行への決済資金の調達はY銀行からの融資以外には なく、手形決済日の通常の取引時刻を過ぎていたため、決済銀行はY銀行の融資の可能性についての返答いかんで、 入金待ちにするか、不渡りにするかを決する考えでおり、手形割引契約が成立しなければ直ちに不渡処理手続をとる 態勢にあり、Y銀行もこのような状況を十分認識していた。更に、Y銀行はXに対し手形割引融資を行う意向であり、 手形割引契約の締結も、基本的には保証約定書の到着に要する僅かの時間を残すだけとなっていることを決済銀行に 伝えたうえ、不渡返還の手段の今しばらくの猶予を求めさえすれば、決済銀行は応ずる体勢にあった、との事実を認 定し、企業が不渡処分を受けると、事実上金融機関からの与信を受けられなくなるという重大な影響を被ることに鑑 みると、右の状況下において、Y銀行としては、少なくとも、決済銀行に対し融資の実行可能性が高いことの具体的 状況を正確に伝え、XがY銀行に戻ってくるまでのしばらくの問不渡返還の処理を待つよう求めるべき信義則上の義 務があると判示した。 一
相手方において契約の成立することが確実になったと期待することのできる客観的状態になった場合は、特段の事 情のない限り、他方の当事者は右の期待を侵害しないようにして契約の成立につとめるべき信義則上の義務があると いわれる︵畷翻瑠脚岬瓠瞭欄酬例︶。前記判例では、手形割引契約の成立という形で融資を受ける取引先の期待が時間の問 題で確実となったこと、しかも不渡処分が企業Xに与える重大性を考えれば、右具体的情況の下でなされた判例の結 論は支持できるであろう。 ②東京地判平成元・n・6判例時報二二六三号九二頁 この事件は、ケーキ、イタリア料理等を扱うフランチャイズチェ⋮ン契約締結のため交渉に入った加入申込者Xと 右チェーンを組織しているY会社間において、相手方に正確でない知識・情報を与えることにより、契約締結の判断 を誤らせることのないよう注意すべき保護義務が信義則上要求されるかが問題となったものである。 判決は、一般に、契約締結のための交渉に入った当事者間においては、一方が他方に対し契約締結の判断に必要な 専門的知識を与えるべき立場にある等の場合には、契約締結前であっても、相手方に不正確な知識を与えること等に よって契約締結に関する判断を誤らせることのないよう注意すべき保護義務が信義則上要求される場合もある。加入 申込者は右チェーンにおける店舗の設計、施行、材料の仕入れ、商品化の方法、サービス方法等営業に関する一切の ノウハウをY会社が独占的に有し、加入申込者はこれらの点に関しY会社の指示に従うこととされていたこと、従っ て加入申込者としては、フランチャイズ契約締結の判断をするに際し、Y会社からチェ⋮ンに関する適正な情報を得 ることが不可欠であったこと等から、Y会社には加入申込者に対し、信義則上右保護義務がある。しかし、Y会社は
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二九民法と信義誠実の原則e 一二〇 加入申込者であるXとともに候補店舗を訪ねて付近の様子を見聞し、契約条件を他の候補地と比較検討し、フランチ ャイズ契約締結の準備を協同して進め、その結果、双方において候補店舗は保証金額、立地等を総合すると極めて好 条件であるとの判断が一致し、Xはフランチャイズ契約を締結する意思を固めたものであるときは、Y会社は、候補 店舗の立地調査およびこれに基づく売上の予想に関し、信義則上要求される相当の注意義務を尽くしており、右契約 締結の最終的な判断はXの責任においてなされたものといわなければならないと判示した。 この判例は、契約締結に至る準備段階における信義則上の保護義務のあることを認めたが、具体的事実関係の下に おいては、義務者︵チェーンを組織しているY会社︶はその義務を尽くしている︵従ってその義務を尽くしていない として請求された損害賠償請求を棄却した︶と判断したものである。 チェーン組織に加入しようとして申込をする者と、①判例の手形割引契約の申込者とは、その申込の対象たる契約 の内容が違う。前者においては、チェーン組織に加盟︵チェ⋮ン契約に拘束されることはいうまでもない︶しながら、 その拘束のなかで、事業経営をしようとするものであり、チェ⋮ン契約の内容として正しい情報が提供される限り、 あとは契約するかどうか、その契約の下でどの程度の収益を得られるか等は、チェ⋮ン申込者の責任といえる。その 意味では市場調査も自分の責任である。①と②は、契約締結段階における信義則の適用といっても、考え方の基本が まるで違うことになるのではないか。そう考えると、①はYの責任を肯定し、②は結局Yの責任を否定したことも肯 づけよう。
③大阪高判平成元・6・29判例時報一三二九号一五五頁 この事件は、スポーツ用晶販売会社Yがデスカウント店舗開業にあたり、出店を希望する地元のスポーツ店経営者 Xとの問で店舗併設契約締結の交渉を開始し、主たる内容について合意に達しながら、同契約の締結を信じて店舗併 設の準備を進め、残余の事項について交渉を求めているXの申出を無視し、自社の店舗建設後は契約締結を拒否する 等の事情がある場合に、契約交渉の過程において、相手方の人格、財産等を害しないよう配慮すべき信義則上の注意 義務があるかが問題となったものである。 判決は、Yは右店舗開業にあたり地元のスポーツ店経営者らの利害調整のため、商工会等との協議を経て、Xと店 舗併設契約締結交渉を開始し、右契約締結に向けて緊密な関係に立つに至ったものであるから、その交渉の過程にお いて、Xの人格、財産等を害しないよう配慮すべき信義則上の注意義務を負い、右注意義務に違反して損害を被らせ たときは、これを賠償する責任を負うものというべきである。ところが、Yは、店舗併設を了承して承諾書を交付し、 店舗併設契約の主たる内容について合意に達し、Xにおいて、右契約が成立して店舗を開設できると信じて、その締 結交渉につとめ、開設準備を開始するのは無理からぬ情況にあったところ、その後、Yが右契約を締結できない理由 についてなんら説明せず、交渉継続申出に返答しないままついに契約締結を拒否したことは、右信義則上の注意義務 に著しく違反したものであると判示した。 右の②の判例においては、契約締結の準備段階における情報提供等が不十分︵それが契約締結段階における信義則 上の保護義務違反︶であるとして、契約締結後の営業不成績等による損害賠償を請求したのに対し、③の判例におい
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一二一民法と信義誠実の原則e 一二二 ては、恰かも契約締結を承諾しているように信じこませ、その準備をさせながら、理由なく契約を締結しなかったと いうものであり、契約締結の準備段階における信義則上の義務違反とはいっても、事情はまるで異なる。③は①の判 例の領域に属するものというべきであろう。 次の④ないし⑨の判例は、③と同じ領域のものである。 パおレ ④大阪高判平成元・4・M判例タイムズ七〇四号二二四頁 この事件は、薬局の経営者Xが、診療所を経営する医療法人Yの代表者と医薬分業について話し合い、調剤薬局と して適当な貸店舗を探し、両名が右貸店舗を検分したうえ、医薬分業の実施について話し合った。Xは右の話合いに ょって右診療所における医薬分業の実施は確実になったものと考え、その実施に向けて、右店舗の賃借及び内装工事、 薬局従業員の雇用等の準備作業を開始した。ところが、医療法人Yの内部において、理事会は医薬分業の実施を時期 尚早と決定し、Yはこれを実施しないことになった。このような場合、XとYとの聞の契約締結の準備段階において 信義則上Xが不測の損害を被らないように配慮すべき注意義務がYないしその代表者にあるかが問題となったもので ある。 判決は、両者の関係はまだ契約の成立には至っていなかったとはいうものの、契約締結に向けてかなり緊密な準備 段階にあったというべきであるから、医療法人Yとしては、Xに対し、契約が成立するものと信じたことにより不測 の損害を被らないように醍慮すべき信義則上の注意義務を負い、この義務を怠ったときは損害賠償責任があると解す るのが相当である。そして、Xは、医療法人Yの代表者の早期の薬局開設を援助・奨励するような挙措、態度に久し
く接していたばかりでなく、医療法人内部に医薬分業に反対する動きのあるような告知を受けたことはなく、薬局開 設のためにはかなりの人的・物的設備を要すること当然であるから、Xが昭和五八年︸月初めより薬局開設の準備に 入ったことは無理からぬところである。そうすると、医療法人の代表者としては、理事会における医薬分業問題の議 論の推移をXに伝え、それに応じた適宜の対応策を講ずるよう勧告し、無用の準備や出費をさせることのないように 措置すべきであるのにこれを怠ったものであると判示した。 この④の判例は、前記③の判例に較べると、契約締結に向けての準備段階であることは同様であるが、問題の段階 で契約締結がされるかの確実性においては差異がある。③においては、店舗併設を了承して承諾書までも交付され、 契約の主たる内容について合意に達していた。これに対し、④においては、Xは医療法人Yの代表者と医薬分業につ いて話し合い、それが行われることを前提として薬局となる店舗の探索・検分を両名で行った。これでもってXは医 薬分業をYが行うことが確実になったと考えたのである。④の方が前記確実性において劣っているといえよう。それ にも拘らず、④の判例は契約締結の準備段階における信義則によって医療法人に義務違反にあたるとして損害賠償を 命じたのである。 ⑤ 京都地判平成元・1・26判例時報二二二〇号一二五頁 この事件は、脇がXからその所有の土地建物を買い受ける契約をしたが、積が右契約をしたのは、買受に係る土地 建物を脇に転売するためであった。ところが、話が進んでから、協は積から右土地建物を買受けないことにした。そ のため、脇はXに売買代金を払えず、Xは積に対し売買契約を解除し、磧の脇に対する契約締結の準備段階において
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一二三民法と信義誠実の原則8 =一四 信義則上要求される義務に違反したことによって生じた損害賠償請求権を債権者代位権に基づき代位行使して支払請 求したものである。 判決は、契約の準備段階に入ったものは、互いに相手方に対し、財産上の損害の発生を防止すべき信義則上の義務 があり、右準備段階において事実上交渉した内容をもって、相手方に対し、契約が成立するとの信頼を抱かせながら、 正当な理由なく契約交渉を打ち切った場合、これにより相手方が被った損害を賠償すべき責任がある。ところで、本 件売買取引における島の立場は実質的には仲介であって、X磧間になされた違約金の約定を含む売買契約の締結は協 に転売することを唯一の目的としてなされたものである。従って、右売買契約は最終的には積協間で実質的に同一条 件の売買契約がなされることを前提とし、脇のXに対する債務の履行は、積脇間の売買契約に基づく債務の履行と少 なくとも同時になされることを前提とし、かつX狐間の売買契約は脇の事前の了承のもとになされたものである。か くて、脇は脇が自己と売買契約を成立させるものと信頼してXとの聞で売買契約を締結したものである。しかるに、 協は正当な理由なくこの信頼を裏切り、積との売買契約を不成立に至らしめたと判示し、よって生じた損害を賠償す べきであるとし、Xの債権者代位権に基づく請求を認容した。 この判例は、Xから積、脇から協へと逓次的に不動産が売買されることを脇が知っており、X積間、積脇間の売買 契約に基づく債務の履行が同時になされることをも脇は知っていたもののようである。そういう情況にあるのに、脇 は一方的に翻意し、積協間の売買契約を締結しなかった。判決の認定した事実関係のもとでは、猛協問に売買契約は まだ締結されていなかったものの、随は協の意向に従ってその間の売買契約のされることは確実なものと信じ、そう
信じたのは当然と受けとめられる状況にあった。むしろ、協は目的物を取得するため、その前提として積がXからそ の所有権を取得することを承認していたのであるから、この段階に至って、なんら理由なく契約締結の意思を翻すこ とは、契約締結の準備段階における信義則違反といわざるを得ないであろう。 レ ⑥ 東京高判昭和6 2・3・17判例時報二一三二号一一〇頁 この事件は、マレーシア国籍を有し、インドネシアにおいて林業に関与しているXが、わが国の総合商社Yを相手 に損害賠償を請求したものである。Yはインドネシアから日本人への木材の長期安定給供を確保するため、Xとの間 で木材供給に関する契約を締結すべくいろいろと折衝を重ねたが、成約するに至らなかった。Xは、右折衝の過程で、 両者間に書面が交され、契約書の基本的案文が作成され、契約締結、代金支払の各期限もきまる等、契約締結の準備 が進捗し、Xにおいて契約の成立が確実なものと期待するに至ったのであるのに、Yは契約の成立につとめるべき信 義則上の義務に違反したとして、損害賠償を請求したものである。 判決は、信義誠実の原則は契約締結の準備段階においても妥当するものであり、当事者間において契約締結の準備 が進捗し、相手方において契約の成立が確実なものと期待するに至った場合は、その一方の当事者としては相手方の 期待を侵害しないよう誠実に契約の成立につとめるべき信義則上の義務がある。Yは書簡︵騨磯︶をXに送付し、X から書簡︵騨講一 ︶を受領した段階において、Xに契約が確実に成立するとの期待を抱かせるに至ったと認められるか ら、以後Yとしては、契約締結に向けて誠実に努力すべき信義則上の義務を負うに至ったものというべきであり、右 契約締結の中止を正当視すべき特段の事情のない限り、右締結を一方的に無条件で中止することは許されない。Xが
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ご一五民法と信義誠実の原則8 ︸二六 官憲により逮捕され長期間にわたり拘禁されたことは本件契約を締結することを中止するに至った一因とみられなく もないが、その主たる理由はあくまでも木材市況の低落にあったものというべきであるのみならず、YはXの右拘禁 に拘わりなく、昭和五一年五月末に漸やく契約を締結する意思のないことを明確に表現するに至るまでの間、終始、 Xに対し契約が確実に成立するものとの期待を抱かせる態度をとり続けていたのであって、他にYが右締結を中止し たことを正当視すべき特段の事情も認められないから、前記甲第一号証、甲第二号証の交換によりXをして契約締結 について期待を抱かせるに至った昭和四九年二月から的確に右締結中止の態度を示した昭和五一年五月末までの問に Xが契約成立を期待したことによって被った損害につき、Yは賠償すべき義務があると判示した。 契約締結の準備段階における信義則違反は債務不履行責任の範疇に入るのか、不法行為責任の範疇に入るのか。そ れとも、両者の競合したものと考えるべきであるのかについては、問題のあるところと思われる。この判例は、右の うち第二の型と考えたものと思われる。そして、契約締結の準備段階における信義則違反にあたるかの判断において は、どのような具体的事情があるのかがきめてになる。右判例の判文からでは、甲第︸号証、甲第二号証がどのよう な内容・形式のものであるかをうかがい知ることができず、そのためこの判例が契約締結の準備段階における信義則 違反の適正な判例となるものであるかは、必ずしも明らかでないように思われる。 ⑦東京高判昭和磁・10・1 4金融・商事判例七六七号一二頁 この事件は、ある会社の取締役・総務部長Xが、中小企業であるY会社の代表者Aから経営全般に関して相談を受 け、助言を与えていたところ、AがXをY会社の幹部社員として採用することを考え、入社の意思の有無を打診し、
雇傭条件等について折衝に入った。その後Aは、興信所の調査をした結果等からXに対し不信感を抱くに至った。と ころが、XはY会社に確実に入社できるものと考え、現在勤務している会社に再度にわたって辞表を提出し、漸やく 退社した。AはXの右退社の経緯を知りながら手をうたなかった。しかし、Xの退社後、AはY会社にXを採用しな かった。そこで、XはYに対し、債務不履行又は不法行為を理由として損害賠償を請求したものである。 判決は、契約締結の準備段階であっても、その当事者は、信義則上互いに相手方と誠実に交渉しなければならず、 相手方の財産上の利益や人格を殿損するようなことはできる限り避けるべきである。特に本件は雇傭契約の締結をめ ぐっての準備段階とはいっても、YがXを幹部社員として迎えるかどうかであって、両者の信頼関係は通常の契約締 結準備段階よりも強かったのである。従って、右準備段階での一方の当事者の言動を相手方が誤解し、契約が成立し、 もしくは確実に成立するとの誤った認識のもとに行動しょうとし、その結果として過大な損害を負担する結果を招く 可能性があるような場合には、一方の当事者としても相手方の誤解を是正し、損害の発生を防止することに協力すべ き信義則上の義務があり、同義務に違背したときは、これによって相手方に加えた損害を賠償すべき責任がある。X は再度の辞表提出の結果、七月三一日限り退社することになったことをAは知らされたのであるから、Aとしては六、 七月頃には興信所の調査のこともあり、当初の印象と異なり、Xに対してかなりの不信感を抱いていたことがうかが われるけれども、なおYがXの雇傭問題について現在いかなる方針をもっているか的確な情報を提供し、Xが自己の 行動を再検討する契機を与えるべき義務があったというべきである。しかるに、Aはこれに対し﹁現状のままでい い。﹂と伝えたのみで、これでは右の義務を尽したものとはいえない。Y会社としては、代表者Aが契約締結準備段
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一二七民法と信義誠実の原則e 一二八 階において要求される信義則に違背するという違法な不作為に及んだのであるから、その結果Xに加えた損害を賠償 すべき責任がある。なお、Xは右損害賠償をY会社の代表者Aがその職務を行うにつき加えた債務不履行もしくは不 法行為として主張するが、その主張の中に右のような信義則違背の損害賠償を含むと解すべきであると判示した。 この判例は、雇傭契約の締結に向けての準備段階における信義則の適用という点に特色がある。前述の②判例は雇 傭契約の締結に向けての準備段階ではなく、フランチャイズチェ⋮ン契約の締結に向けての準備段階における信義則 の適用であるが、契約締結に向けて相手方に正確な知識・情報を与えることにより契約締結の判断を誤らせることの ないよう注意すべき保護義務が信義則上要求されるという点において共通している。 ⑧仙台高判昭和61・4・25判例タイムズ六〇八号七八頁 この事件は、Y信用金庫が支店を移転したいと考え、その適地を探していたので、Xがその所有の宅地四八四.六 一平方メートルのうち公道に面した部分である本件土地をYに賃貸したいと考え、XとY金庫支店長との間に本件土 地の貸借を主題とした交渉があり、その後XはYに本件土地を賃貸する準備として同地上にあった住居を引込めたり、 従来営業していた衣料品店を閉店する予定で安売りをした。しかし、契約はYの都合で成立しなかった。このような 事実関係を背景に、XはYに対し、契約締結段階における信義則上の義務違反があったとして損害賠償を請求したも のである。 判決は、昭和五三年四月頃から、徐々に両者交渉の焦点が本件土地の貸借に絞られて行き、同年六、七月頃までの 間に、まだ建物が建っていた本件土地につきYが必要とする更地の面積やYの支店移転計画、すなわち本件土地を更
地にして引き渡すべき時期が開示され、更にはXが支店長から隣接駐車場の継続借上げ交渉まで委ねられるに及んで、 XがYとの間で本件土地を臼的とする賃貸借契約が遠からず締結されるであろうとの強い期待を抱いたのは無理から ぬところである。かくして、XがYに対し工事費用の融資申込をしてこれに応じた貸付を受け、Yが必要とするだけ の更地にするため支店長の見分を受けたりしながら居宅を大幅に後退させる工事をした時点で、両者は本件土地の賃 貸借契約の締結準備段階に至ったものと見るべきである。一方、交渉がこのような段階にまで達した以上、交渉の一 方当事者たるYは相手方であるXの期待を故なく裏切ることのないよう誠実に契約の成立につとめるべき信義則上の 義務を負うに至ったと解するのを相当とするところ、Yにおいてそのための努力をしたこと、あるいはXとの本件土 地賃貸借契約を締結するについて障害が生じたために契約を締結しえなくなったとかの事情を認めるべき証拠はない ので、Yは右義務に違反してXとの契約締結を不可能ならしめた者としての責任を負わなければならないと判示した。 しかし、判決は、Xの主張の損害については証明がないとして講求を棄却した。 右判例が認定した事実に基づく限り、土地の賃貸借契約は成立しなかったが、XY間で契約締結に向けて進められ ていた準備段階では、Xは契約が締結されることは殆ど確実であると思ったのは無理からず、YはこのXの期待を故 なく裏切ることのないよう誠実に契約の成立につとめるべき信義則上の義務があると判断したのは正当というべきで あろう。 ハせ ⑨最三判昭和59・9・18判例時報二三七号五一頁 この事件は、判決文からではその内容が分らないが、右掲載誌のコメントによれば、四階建分譲マンションの売主
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二一九民法と信義誠実の原則e 二二〇 Xは、買受人の募集をはじめたところ、昭和五四年二月Yから買受け希望があり交渉の結果、一〇万円の支払があ り、スペ⋮スについての注文があり、また歯科医院を営むため電気を大量に使用することになるが電気容量がどうな っているかの問合せがあり、Xは電気容量が不足であると考え、Yの意向を確かめないまま受水槽を変電室に変更す るよう指示したうえ、昭和五五年二月Yに対し電気容量を変更契約をしてきたこと、及びこれに伴う出費分を売値に 上乗せするといったが、Yは特に異議を述べなかった。Yはその後Xに対し、購入資金借入の申込の必要書類として 見積書の作成を依頼したが、結局購入資金の毎月の支払額が多額であること等を理由に買取りを断った。そこで、X はYを相手に、契約準備段階における信義則上の注意義務違反を理由に損害賠償を請求したものである。 この判決は、Xの請求を認容︵双方の過失割合を五割としてXの請求を一部認容︶した原判決を相当として維持し たものである。最高裁判所が契約準備段階における信義則上の注意義務違反を認めた第一、二審判決を維持した点に 意義がある。
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この判決については、判例批評として、飯島紀昭・判例評論三九一号一七頁がある。 この判決については、判例批評として、安永正昭・別冊法律時報一号八四頁がある。 この判決については、判例批評として、次のものがある。 戸田知行・法律時報六〇巻五号一〇三頁 半田吉信・判例評論三題六号四八頁 岩井 俊・判例タイムズ臨時増刊六七七号八二頁︵4︶ この判決については、判例批評として、次のものがある。 今西康人・民商雑誌九二巻一号二〇頁 松本恒雄・判例評論三一七号壬二頁 門繊正人・ジュリスト八三一号九四頁 圓谷 俊・ジュリスト臨時増刊八三八号八○頁 長尾治助・別冊ジュリスト一〇五号一四頁 菅野耕毅・別冊ジュリスト一τ∼号二二頁 口 弁済の提供と信義則 債権は弁済によって消滅する。債務者が適法に弁済の提供をしたのに、債権者がこれを受領しなかったら、弁済は 完成せず、弁済の目的は達成されない。しかしその場合には、債務者は不履行責任を免れ、債権者は履行の提供︵餅繍 供︶をした時から受領遅滞の責任を負うことになる︵嘱融細︶。右の適法な弁済の提供とは、債務の本旨に従ったもので なければならず︵綱鯉⋮五︶、このような弁済の提供がなされたときは、債権者はこれを受領すべき義務がある。債権は 債権者の協力なしには、その目的を達成して消滅することはできない。債権が本来の目的を達成できない場合、この 両者の協力関係においてどちらに責任があるかを判断するにあたっては、信義誠実の原則の働く余地が少なくないも のと思われる。 東 洋 法 学 二一二
民法と信義誠実の原則e ニニニ ⑩大阪地判平成元・9・28判例時報一三六〇号一三九頁 この事件は、自動車の販売会社であるXが、Yとの間で、新車の売買契約を締結し、新車を提供した。しかし、そ の自動車にはフロントガラスの枠部分にひび割れがあり、扉下の金具に数十本の擦り疵があった。Yはこのような自 動車の提供では債務の本旨に従った弁済の提供があったといえないと主張した。XはYが自動車代金を支払わないの で、売買契約を解除し、売買代金から自動車の時価相当額を差し引いた損害金の賠償を請求したものである。 判決は、本件自動車の売買は種類物売買であり、種類物売買において給付した物に綴疵があれば、その給付は債務 の本旨に従った履行でなく不完全履行となり、売主は、鍛疵のない同種の物が他に存在する限り、債務の本旨に従っ た履行として、毅疵のない物を給付すべき義務を免れない。Xは更に債務の本旨に従った履行をしない限り、先履行 義務を果したことにならない。ところで、本件自動車には、フロントガラス右側と車体との間のプラスチック枠部分 に、その幅一杯に深さ約一ミリのひび割れ、運転席右側の扉下の金具に数十本の擦り疵があったのであり、このよう な毅疵のある自動車の提供は、買主が数多い車種の中から、車の性能の外、外観や内装の見栄え等を重視したうえ、 特定の車種を慎重に選択し、多額の代金を支払うことで契約するものである等商品の性質、売買の目的及び毅疵の程 度等を考慮し、信義則によって判断すれば、本件売買において澱疵のない新車の提供のみが債務の本旨に従った弁済 の提供にあたる。そうすれば、本件売買契約においてYの債務との関係で先履行義務となるXの弁済の提供はなかっ たことになるから、Xはこれが適法な弁済の提供をしたことを前提としてした契約解除は無効であると判示し、Xの 請求を棄却した。
新車として具備すべき本質的走行性能に関係しない右のような澱疵についても完全なものの履行請求権を認めるべ きかについては問題がないわけではなかろうが、債務の本旨に従った履行の提供があったかにつき、信義則を適用し た点において参考となるものと思われる。 ⑪横浜地判昭和63・4・22判例時報一二九六号二〇頁 この事件は、Xが昭和六一年八月二八日信販会社Yから五九〇万円を借り受け、Yに対し右債務の担保のため株券 を預託し、YはXに株券の預り証を交付した。同年二月二七日Xの代理人Aは右元金五九〇万円と利息、Xの実印 を持参してYの担当者に元利金を弁済するので、株券を返還してもらいたいと述べた。これに対し、担当者は株券の 預り証とXの代理人であることを確認しうる物を提示してほしい。そうでなければ、株券の返還には応じられないと 述べた。Aはこれらの書類等を持参していなかったので、元利金を弁済することなく帰った。Xは同年二一月二、三 日頃、なくしたと思っていた預り証を見つけ出したが、これをYに提示して元利金を弁済することもなく、同月九日 元利金を供託した。このような事実関係に基づき、貸金債務は供託により消滅したと主張し、XはYに対し、債務不 存在確認および株券の引渡を請求して本訴を提起した。Yは供託は不適法で弁済の効果を生じないと主張し、Xに対 し、株券の引渡と引換に貸金元金および利息・遅延損害金の支払を請求して反訴を提起したものである。 判決は、債務者は、債権者に受領を拒絶する意思がうかがわれない限り、できるだけ債権者に受領を可能にさせる 方法で現実又は口頭の提供をするようにつとめることが信義則上要求される。ところで、Yは昭和六一年一二月一日 当時Xの代理人と称するAから直ちに貸金元利金の弁済を受領して株券を返還することはできなかったものであるの
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二⋮二民法と信義誠実の原則8 ご二四 に、Xは供託前にYに対し、Xが貸金の借主本人であることを確認しうるような証明書類を提示し、あるいはその後 見つけ出した株券の預り証を示して、貸金元利金の弁済をし、これと引換に株券の引渡を受ければ足りるものである のに、このような措置をとらず、直ちに供託の手続をしたものであって、債務者として信義に欠けるところであった というべきである。Xは債務者として信義則上すべき行為をしたのにYが受領しなかったものとはいえないから、X のした供託は、供託要件を欠き債務消滅の効果を生じないと判示し、Xの本訴請求を棄却し、Yの反訴請求を認容し た。 Yは、Xが借用した元利金を弁済したときには、その弁済と引換に担保に入れていた株券を返還しなければならな かったのであり、現にXの代理人と称するAは昭和六一年二月二七日元利金を支払に来た際、右の返還を要求した。 しかし、AがXの適法な代理人であることを明らかにしうるものを持参せず、担保に入れたときにYが発行した株券 の預り証を持参していなかったので、Aは元利金を弁済することなく帰り、その後Xはなにもせずに翌月九日に弁済 のため供託をしたというのである。この場合、元利金の弁済と株券の返還は不即不離の関係にあったというべきであ り、Yが元利金を受領してX本人ないしその代理人以外の者に株券を返還すれば、Yは弁済と引換にXに返還すべき 株券返還義務を履行できなくなる。こう考えると、本件の場合、弁済者が本人又はその代理人であることを明らかに するため株券預り証を提示する等して元利金を提供することが、信義則上債務の本旨に従った弁済の提供というべき であろう。債務の本旨に従った弁済の提供がなされなかった以上、Yが弁済の受領を拒んだといえないし、供託がな されてもXは貸金債務を免れないことは当然である。右判例の結論に至る理論的説明は、右に説明したところと異な
るが、信義則を適用して、弁済供託の前提要件である受領拒絶がなく供託によって債務は消滅しないと判断したもの
であり、信義則を適用した点、弁済供託を無効と判断した点において右に説明した私の意見と同一である。
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