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貨幣経済の浸透と儀礼をめぐる社会関係の変容 ――中部タイの稲作村における冠婚葬祭―― [Penetration of Monetary Economy and Social Change in a Central Thai Village : A Diachronic Analysis of Economic Aspects of Rites of Passage and Gift Exchange]

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Academic year: 2021

シェア "貨幣経済の浸透と儀礼をめぐる社会関係の変容 ――中部タイの稲作村における冠婚葬祭―― [Penetration of Monetary Economy and Social Change in a Central Thai Village : A Diachronic Analysis of Economic Aspects of Rites of Passage and Gift Exchange]"

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(1)

貨幣経済 の浸透 と儀礼 をめ ぐる社会 関係 の変容

-

中部 タイの稲作村

における冠婚葬祭-鶴

格 *

Pe

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TadasuTsURUTA

*

Thankstoconstanttechnologicalinnovationinricefarming,therehasbeenconsiderableeconomic growth in ruralareasofCentralThailand sincethe1960S. In K Village,aprogressiverice一 growingvillageinSuphanburiProvince,thericecrophasdoubledoverthepastthirtyyearsand theincomeleveloffarmershasincreased considerably. Withtheinfiltrationofthemonetary economyandtheriseofthestandardoflivingofthevillagers,alavishstyleofcelebrationhad spread on various ceremonialoccasions including the rites ofpassage sponsored by each household,such as weddings and ordinations. Many villagers nowadays celebrate these occasionsbygivingabanquetofChinesecuisineaccompaniedbyaprofessionalband,imitating thewastefulstyleofwealthyurbandwellers.

Theincreasedexpenseoftheseostentatiousandcostlyfunctionshasalsoboostedtheamount ofmoneygifted,whichisreciprocatedontheseoccasionsamongvillagersandtheirrelativesand friendsliving outsidethe village. There has also emerged an equivalentmonetary exchange system with rather clear and strictrules,which has weakened the personaland religious significancethatformergiftexchangehadoftenhad. Theformationsofsuchastandardizedgift exchangesystem anditsescalationhaveprlmarilybeencausedbythewidespreaduseofmoney asamedium ofexchange. Moneyis(1)anuniversalstandardofvalueand (2)animpersonal andconvenientinstrumentofexchange. Therefore,theformationofsuchamonetaryexchange system isassociatedwith.andpromotes,theformalizationanddilutionofpersonalrelationships between villagers,who now havecloseconnectionswith peopleoutsidethevillagein various aspectsoflife.

は じ め に

タイ国中部 のデル タ地帯 にあ る稲作村落の多 くは,1960年代 よ りさまざまな技術 革新 を積 み 重 ね,高い稲作 の生産性 を実現 して きた。 その中部地方 の なかで も優等生的 な稲作先進地 スパ

*京都 大学 大学 院農学研 究科 ;GraduateSchoolofAgriculture,KyotoUniversity,Kitashiraka wa,Sakyo-ku,Kyoto606-8502,Japan

(2)

鶴EH:貨幣経済の浸透 と儀礼をめ ぐる社会関係の変谷 ンブ リ一県 にあ る筆 者 の調 査 村K村 にお い て も, 長 年 近 代 的技 術 の導 入 に基 づ く商 業 的稲 作 が営 まれて きた。 その結 果現 在 で は, 以前 に くらペ コ メの単収 は倍増 し, 農 家所 得 も増 え,衣 食住 は もとよ りテ レビや冷蔵庫 の普 及 な ど他 の物 質 的 な面 で の消 費生 活 も充実 して い る。 そ こ で は,生 産 と消 費 とを問 わず生 活 の あ らゆ る側 面 にお いて貨幣経 済 が深 く浸 透 して い る。 かか る社 会経 済 的変化 に と もな って,個 人の通 過儀 礼 や積 徳行 な どの宗教 的行為 と して重要 な意義 を もつ と同時 に親族 ・知 人 との交流 や主催 者 の社 会 的存 在 の表 明の場 で もあ る冠婚 葬祭 の形 態 も,大 き く変化 した。まず上記 の よ うな生 活 水準 の向上 と同時 に筆者 の 目を

いたの は, 各世帯 の主催 す る得 度 式 や結 婚式 な どの祝 い事 の儀 礼 の際 に行 わ れ る祝 宴 の規模 の大 きさ と賛 沢 さで あ る。 そ こで は, 隣 人 との協 力 の もとに料 理 を準 備 し, みず か ら歌 い踊 って楽 しむ よ う な伝 統 的 な ス タイルの宴 会 は影 を ひそめ, 仕 出の専 門業 者 に よる中華 料 理 の祝 宴 と流 行 の人 衆 歌 謡 を演 奏 す る プ ロの楽 団 が とって か わ って い る。 か か る 自己顕 示 的 な祝 宴 の浸 透 と並 行 し て,冠 婚葬 祭 の機 会 に世帯 間で や りと りされ る祝儀 や不祝 儀 の金 額 も増 大 してお り, それ は各 世帯 の家計 に対 して大 きな負 担 とな って い るのみ な らず , 隣 人 ど う しの 間 に もぬ きさ しな らな い債 権 ・債 務 の関係 をひ きお こ して い る。 この よ うに,村 落 及 びその外 延 的 に拡 大 され た社 会 関係 の再生 産 の場 で もあ る冠 婚 葬祭 とそ れ に付 随 す る贈与 交換 は,貨 幣経 済 の浸 透 と と もに, 従前 とはか な り異 な った様 相 を呈 して い る。 これ まで, 中部 タイの農村 部 にお いて現 金収 入 の機 会が増 え る につ れて儀 礼 が 派手 にな り, そ れ に伴 う出 費 も増 加 して い く傾 向 はす で に指 摘 されて い る [友杉 1977:86;北 原 1985: 140-143;1987:348]。 だが, そ れが 量 的 に どれ ほ どの規 模 なの か, あ るい はそ れ が 村 落 の社 会 関係 の どの よ うな変化 を反映 して い るのか につ いて は, い まだ明 らか に され て い ない。 そ こ で本稿 で は,祝 宴 を もふ くめ た冠 婚 葬 祭 の全 体 をひ とつ の消 費 の体 系 と して捉 え, もっぱ らそ の経 済 的側 面 に焦点 をあて る こ とに よって,1960年 代以 降,生 活 の あ らゆ る側面 にお いて貨幣 経 済が 浸 透 して い くに したが って主要 な冠 婚葬 祭 とそ れ をめ ぐる贈与 交換 の形 態 が どの よ うに 変容 して きたか を検討 した い。次 いで, それが村 落 の社 会 関係 の どの よ うな変化 と関 わ って い るの か, とい うこ とにつ いて議 論 を進 め たい と思 う。 なお本稿 で扱 うデー タは,すべ て筆者が フ ィール ド調査 (1991年 7月-10月及 び1993年 9 月-94年7月) の過 程 で収 集 した もので あ る。1' 1)冠婚葬祭 とそれに伴 う贈与交換 に関わるデータは,主 として次の方法 によって収集 したo まず

冠婚

葬祭の規模 と形態の歴史的な変遷 を量的に把握するために,無作為 に選んだ50世帯について過去に 各1t用字で行 った冠婚葬祭の様子について聞 き取 りを行った (表3一表6及 び表8)(つ次に,比較的完全 に近い形で入手で きた各時代の世帯の 「祝儀帳」や 「不祝儀帳」 をもとに,

帯間でや りとりされ る祝儀 ・不祝儀の交換形態の変化 を検討 した (表9-表13)∩ 179

(3)

調 査 地

K村 (Bank)は, タイ国 中部 スパ ンブ リ一県 の北 端 , シ ンブ リ一県 お よびチ ャイナ - 下県 との県境付 近 に位 置す る (図1)。首都 バ ンコクか ら村 まで は約150キ ロ,車 で わず か2- 3時 間の距離 であ る。 K村 は もと もと, シ ンブ リ一県 の ノイ川 とチ ャオ プ ラヤ ー川 に は さ まれ た氾濫 原 にあ る M 村 か らや って きた人 々に よって1920年代 にひ らかれ た開拓村 で あ る。2)開拓 当初 のK村 で は, 自給用 の水 田稲作 の ほか に トウモ ロコシな どの畑作物生産 や,在村 の 中国人 に よる商業用 の タ バ コ作 な ど も行 われていたが,次 第 に商業 的 な稲作 が主流 とな り,90年代 初頭 まで主 た る生業 と して圧倒 的 な地位 を占めていた。1960年前 後 に人工運河が掘 削 されたの を皮切 りと して,現 在 で は港概が村 のほぼ全域 に普及 してい る。 さ らに,1970年代 後半 か らは乾期 に も放水 が行 わ れ るよ うにな り, コメの二期作 が可能 とな った。 K村 は, 人 口約600人,160世帯 か らな って い る (1991年筆 者 調査 )。 数 の上 で も権 勢 上 で も 最 も優 勢 な親族 は,村 の創 立者 で あ るM村 出身の故 N翁 の直系 お よび傍 系 の子 孫 で あ る。 別 の有 力 な集 団 と して, 同 じノイ川 近辺 のP村 か らきた一族 が あ る。親族 別 の世帯 数 をみ る と, 図1 調査村 とその周辺 2)チャオプラヤー-デルタ上流部のノイ川近辺は,アユ タヤ朝時代からさかえていた重要な米作地で あったが,19世紀なかば以降のデルタ下流部における爆発的な開拓ブームの影響は直接的にほうけ ることな く,その西方には未耕作の荒蕪地が広がっていた。それが本格的に開拓 されはじめたのは, 今世紀初頭以降のことである [Tamabe 1979:3-4]。

(4)

鶴 田 :貨幣経 済 の浸透 と儀礼 をめ ぐる社 会関係 の変容 前 者 が60世帯 , 後者 が40世 帯, 双方 に またが って い るのが 6世帯 ,つ ま り両 者 で全 世帯 数 の 66%を占めてお り,比較 的濃密 な親族 関係 が存す る とい うこ とがで きる。 また結 婚 後 の妻方居 住 の傾 向が 顕 著 にあ り, と くに草 分 けの N翁 の一族 の女性 は色濃 い親族 集 団 を形 成 して い る。 また他 方 で, その親族 に はバ ンコ クな ど村外 に住 む者 が増 えてお り, その数 は現在 で は村 内 に 居 住 す る親族 の数 を大 き く上 回 ってい る (図2)。 1991年 の時点 で,160世帯 の うち農業 をい となむの は127世帯 (約 8割) で あ る (表 1)。 稲 作 世 帯123世帯 の1991年 雨期 の経営面積 の平均 は23.4ライ (1rai-0.16ha) であ り,各世帯 の 稲 作経 営 面 積 は3ライか ら64ライ まで かな りの格差 とバ ラツキが あ る (表2)。 したが って, 表 1にあ る ように 自作 農の比率 は 6割以上 と比 較 的高 い とはいえ,村 内の各世帯 の経済状 態 の 格差 は小 さ くない こ とが わか る。 稲作 を行 って い ない農家4世帯 はサ トウキ ビを生産 し, また 稲作 農 家 の 中で もサ トウキ ビ作 を同時 に行 って い る世帯 が若 干 あ るが , いず れ も80年代 末 まで は稲作 のみ を行 って い た。 120 100 80 60 40 20 0 口その他 田バ ンコク Elその他の 中部地方 田 同一 郡 内

K

村 第 1世代 第2世代 第3世代 図2 N翁直系子孫 の現在 にお け る屠住地 出所 :1991年筆者調 査。 注 :第 1世代 は N翁 の子供 ,第 2世代 は孫 , 第 3世代 は曾孫 の代 をあ らわ して い る。 なお,第 2 ・第 3世代 で K村以外 の地域 で生 まれ育 った者 は除外 してい る。 表 1 K村 の就 業構造 世帯数 構成 比 (%) 農業 自作自小作 820 (0 (613.5.0%)7%) 5102.5 小作 27 (21.3%) 16.9 小計 127 (loo‰) (79.4) 商業 5 3.1 公務 員 .従業 員 13 8.1 農業労働 .雑 業 10 6.3 その他 5 3.1 ′ト計 33 (20.6) 出所 :1991年筆者調 査。 表2 稲 作経営 面積 の世帯 別分布 (1991年雨期) 経営面積 (ra主) 世帯数 (%) -10 36 (29.3) -20 34 (27.6) -30 20 (16.3) -40 12 (9.8) -50 13 (10.6) 51- 8 (6.5) 計 123 (100) 出所 :1991年筆 者調 査。 181

(5)

K

村 の稲 作 にお い て は

,1

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0

年 代 か ら移 植 法 にか わ る発 芽 粒 直播 法 とい う省 力 的 な新 技 術 が 普 及 した

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9

91

年 雨 期 に は水 稲 作 付 面 積 の

8

5.

9%

, 乾 期 に は ほ ぼ

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0

0

%

にお い て

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3

とい う 高 収 性 品種 に よ る発 芽 粒 直播 法 が と られ て い る。 また現 在 で は耕 起 や刈 り取 り,脱 穀 作 業 な ど の主 要 な稲 作 作 業 にお け る機 械 化 が ほ ぼ完 了 し,伝 統 的 な形 態 の相 互 扶 助 的 労 働 交 換 は あ ま り 行 わ れ ず , 労 働 力 が 必 要 な時 に は雇 用 労 働 に依 存 す る場 合 が ほ とん どで あ る。 か か る稲 作 技 術 近代 化 の結 果 ,

K

村 にお け る水稲 の平 均 収 量 は, 中部 タイ諸 県 の平 均 収 量 と比 べ て か な り高 い レベ ル に あ る [prawet

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7;NS

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4

] 。 ま た 郡 農 務 局 の 資 料 に よ る と,

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9

年 の 時 点 で

K

村 の属 す るT行 政 区 (TambonT)にお け る一 年 間 の平 均 的 な所 得 は

45,

0

0

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バ ー ツ

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年 時 点 で1バ ー ツ -約

5.

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円) 程 度 で あ り, これ は 中部 地 方 の農 村 部 全 体 の平 均 と ほ ぼ変 わ りな い数値 で あ る [prawet

1

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4;NS

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0:41

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7

]。 次 に, まず 中部 タイの 農 村 部 にお け る冠 婚 葬 祭 に関 す る概 観 か ら始 め た い 。

中部 タイ農村の冠婚葬祭

1

. 中 部 タ イの冠 婚 葬 祭

現 在 の 中部 タ イの主 要 な冠 婚 葬 祭 (ngan)3)に は, 結 婚 式 (ngantaengngan), 得 度 式 (ngan

buat), 葬 式 (ngansop)な どの 通 過 儀 礼 や , 死 後 百 日 目に行 う百 日供 養 (than bunroiwan)4)

な どの法 事 が あ る。 また この他 にや は り各 世 帯 に よ って主 催 され る重 要 な儀 礼 と して , 家 屋 の

新 築 祝 い (tham bunban)5)を は じめ とす る各 種 の タム ブ ン儀 礼6)が あ る。 これ らの な か で も

女 性 に と って の結 婚 式 7)と男 性 に とって の得 度 式8)は, 式 の主 催 者 で あ る両 親 に と って も本 人 3)nganは多義的な言葉であ り,各世帯の主催す る冠婚葬祭以外 に も,一般 に 「仕事」 を意味す るほか, 仏教儀礼などを含 む公共の儀礼 イベ ン ト一般 を指す。

4

) アヌマ- ン

[

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]

によれば

,

「七 日供養

「五十 日供養

「百 日供養」 な どの,死亡 日か らの 日数によって供養 をい となむ習慣 は,本来 中国やベ トナムの慣行であ り, タイで はラーマ五世 時代

(

1

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6

8

-

1

9

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0

)

か ら行 われるようになった。 K村付近 において も

,

「百 日供養」 の習慣 は近隣の 中国系住民の影響 によって数十年ほど前 に始 まった比較的新 しい習慣であると考 え られる。 5)tham bunbanは家屋の新築,増築 な どにさい して家内安全 を願 う儀礼であるが, と くに新築時に行 われることが多いので, ここではこう呼んでお く。 6) タムブ ン (tham bun) とは,上座仏教徒が功徳 (bun) を積む行為のことであ り,主要なタムブンの行 為 として,寺や仏僧- のお布施 や寄進, 出家,寺 院建立 などが挙 げ られる。僧 を家に招請 して読経 を聞 き, これに食物 と金品 を寄進す るとい うタムブ ンの儀礼 は, ここに挙げた百 日供養や新築祝 い 以外 に も,今後の事の成就 を願 うとい う意味 をこめて,誕生 日など様 々な機会 をとらえて行われる。 7)結婚式 は,一般 に式 ・祝宴 とも新婦方で行 う.なお,女性が特定 の男性 とむす ばれ る際 には,正式 な手順 をふんで結婚式 をと り行 うのがのぞ ましい とされているが,婚資 その他の条件で双方の折 り 合いがつかない場合,カ ップルの判断によって 「かけおち bhani)」が実行 されることがある。一 定期 間身を隠 した後,最終的 には双方の両親に許 されて夫婦生活 をは じめることになるのだが, こ の場合 は婚礼の儀式 や祝宴 は一切行 われないのが普通である。 K村 の事例 をみるか ぎり,従前 はこ の 「かけおち」がかな りの頻度で行われていたが,近年その割合は極端に減少 している (表4参照)。 したが って現在では,結婚式の開催 される頻度 も以前 に比べて増 えているのだ と考 えられる0

(6)

鶴田 :貨幣経済の浸透 と儀礼をめぐる社会関係の変容 に とって も非常 に重要 な通過儀礼 で あ り, もっ ともその準備 に力が そそがれ,大規模 な祝宴 を ともな うこ とが多 く, 開催 され る頻度 も最 も高い。したが って以下本稿 で は, お もに得度式 と 結婚式 を中心 と して論 をすす めて い きた

い。

一般 に得 度式 や結 婚式 な ど祝 い事 のnganは,主 と して朝 か ら昼 間 にか けて行 われ る宗教 的 な手続 きと しての 「儀式 bhith

i

)

」と,主 と して夕方 か ら夜 にか けて行 われ る 「祝宴 (kimJt'ang)

の二つ の部分 か らな る。 「儀式」 にお いて は, タイの国教 で あ る上 座部 仏教 の僧侶 が大 きな役 割 を果 たす一方 で,土着 の精霊 (擁 i)信仰 や魂 ・生霊 (khwan)信仰 に基づ く儀礼 も行 われて い た。 「祝 宴

におい て は, 通常 ,招 待客 に料理 が供 され る と同時 に,音 楽 な どのパ フ ォーマ ンス を主 と した余興がつ き もので あ る。 ただ し,主催者 の経 済状 態 に よって は得度式 や結婚式 において夜 の 「祝 宴」 を一切省 略 し,朝 の 「儀式

の主要部分 のみ を簡潔 に済 ませ る場 合が あ る。 冠婚葬祭 は,個 人の通過儀礼 と して重要 な意味 を持 つ と同時 に,主催者 をめ ぐる社 会関係 が 顕現 す る場 で もあ る。 主催者 の親 しい親族 や友 人知 人 は,料理 の準備 や儀式 の段取 りを手伝 う と同時 に,儀式 と祝宴 の双方 に参加 し, また贈与 を行 う。。かか る手伝 いや贈与 は相互扶助 の一 種 と意 識 されてい る。 また, それ ほ ど近 しい関係 にない 人々は, 多 くの場 合夜 の祝宴 の ほ うに のみ 出席 し, 同様 に贈与 を行 う。 現 在 で は一般 に祝宴 には儀式 よ りも多 くの客が招待 され, い か に大規模 な祝宴 を催 す かが その人の社 会的 ステ イ タス をあ らわす とみ られてい る。 次 に,K村近辺 において1960年代以前 に行 われていた得度式 ・結婚式 にお け る主要 な手順に つ いて,簡単 にみてお こ う。

2.1

9

6

0

年代 以前 の得度式 と結婚式 の形 態9)

従前 の得度式 にお いて は, 出家 の前 日は 「タム ・クワ ンの 目 (wan tham khwan)

と呼 ばれ, 剃髪 した僧志 願者 に対 して タム ・クワ ン ・ナ - ク (tham khwannak)と呼 ばれ る儀礼 が在村 の バ ラモ ン師 (mothamkhu)an)に よって行 われ るのが一般 的で あ った。 これ は, 人間の 身体 に や ど り, その健康状 態 や運 命 を左右 す る と考 え られて い る生霊 (khwan)を,僧志 願者 (nab) の体 内 につ な ぎとめ,強化す るための儀礼 で あ る。 バ ラモ ン師 は, まず神 々の降臨 を招 請 した あ と,僧志願者が恩義 を うけた周囲 の人 々, と くに母親が 出産や養育 に要 した苦労 や,得度 に あ た って の心 得 な どを織 り込 んだ物 語 を,通常 3時 間ほ どにわた り詠 唱す る [小野沢 1983; いをもつうえに,本人や周囲の人々, とりわけ本人の母親に大 きな功徳をもたらす, と考えられて いる [Kaufman 1960:148,183-184]。 9)中部 タイ農村の祝い事の儀式, とくに婚礼のそれにつ いては, アヌマ-ン [1984:137-262]や Kaufman[1960:151,1531156]にみられるようにかな り地方的なバラエテ ィがある。ここに記述す るのは,あ くまでK村近辺の事例であることを断っておきたい。 183

(7)

Kaufman 1960:202-203]。 同儀 礼へ 出席 した親戚 や知 人 は主催 者 に対 して祝儀 を贈 るの だ が, これは相互扶助 の しる しである と同時 に, タムブ ン (模徳行)の行為であ るとも認識 され ていた [Tomosugi 1980:32]。 また,同儀礼が行 われたあ とはその まま主催者 の親戚 ・知人 や年若 い僧志願者 の友人たちに よる酒 と踊 りと歌 を伴 う祝宴が夜 を徹 して行 われた [loc.cit.; Kaufman 1960:202]。 得度式 は, その翌朝,寺院 の布薩堂 において僧侶 に よって執 り行 われ る。 従前 の結婚式 の前夜 には,新婦方 の実家で,新郎新婦 と くに新婦 の若 い友 人たちが集 って フ ァオ ・ホ- Vaoho,新居 の番 をす る) と称す る祝宴 を開 き,新婦 に対 して贈 り物 を贈 った。 この 日は 「新居 の番 をす る 日 (wanfaoho)

と呼 ばれた。10)翌朝 の婚礼 において は, 同 じ く 新婦方の家 において僧侶 の読経 の後,聖水そそ ぎの儀が行 われ,続 いて新郎が結納金 な どを持 参 して新婦の家 に赴 く過程 を象徴 的に表現 したパ レー ド (カ ンマ -ク行列)が行 われ る. その 後,セン ・ピー (senphi)とい う祖先の霊 bhi)を拝礼 ・供養する儀礼 [アヌマ-ン 1984:207] を行 う。 家の中柱 の許 に供物 をそなえ,同儀礼 に関 して知識のある者が呼 ばれて押韻 のある祈 りの文句 を唱 えるのだが,それは祖霊 に対す る祈 りの言葉であると同時 に,結婚生活 を営 むに あた っての夫婦 の心得 な ど も含 んでお り,新郎新婦- の説教 の意味 を も有 していた [Anuman 1958:78-80]。 最後 に年輩の親族等 に よる新郎新婦 に対す る祝福 の儀礼 ラブ ・ワイ (rapwai) を行 う。 そ こでは年長者が,新郎新婦の腕 に祝福 の意 をあ らわす木綿糸 をむすんでお祝 いの言 葉 をかけ,その際祝儀 として,金銭 のはい った封筒が新郎新婦 に手 わた され る。 また年長者以 外 の参集者 か らは,主催者である新婦の両親 に対 して祝儀が贈 られたが, これは当 日招請 した 僧 に寄進 され る場合 も多か ったため, タムブ ンの一種 として も認識 されていた。 この ように,従前 の得度式 と結婚式 の儀式部分 においては,土着の精霊 ・生霊信仰等 に基づ く儀礼があ る程度時間 をかけて行われていた。 また夜 の祝宴 に関 しては,それは単 なる宴会以 外 の意味付 け (フ ァオ ・ホ-な ど)が な されることがあ ったほか,基本的に儀式が行 われる空 間 と同 じ空間 (屋 内) において, タム ・クワン ・ナ-クな どの儀式部分 と時間的に も隣接 した 形で行 われていた ことに注 目してお きたい。換言すれば,当時の祝宴 はさほ どそれ 自体独立 し た領域 としての意義 を有 してお らず,それはいわば式全体 のなか に溶 け込 むような形で存在 し ていた と考 え られ る。 また客か ら主催者- の贈与 は,単 なる隣人間の相互扶助 の一環 として行 われていたのみな らず,Kaufman [1960:183]が強調 す る ように, それに ダムブ ンとい う宗 教的意義付 けが な される局面が多 く存在 した。 当時の祝宴や儀式 において供 される料理 は, コメや野菜,豚,魚 など身の回 りにあ る自前 の 10)これ は,夫 が婚前 に妻方 の屋敷 地 に新居 を建 て,妻が新居 入 りす る まで独 りで その番 をす る [ア ヌ マ - ン 1984:1791180,222,239-244]とい う,K村付 近 にお いて もおそ ら く1930年代 頃 まで行 わ れていた伝統 的な慣 習 の名残であ る と考 え られる。

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鶴田 :貨幣経済の浸透と儀礼をめぐる社会関係の変容 食材 をお もに使 って,隣 人 との協 力 の もとに,すべ て手作 りで用意 されて いた。式 の前 日か ら 近在 の親戚 や知 人が あっ まって,大量 の料理 や菓子類 を作 るの を手伝 ったので あ る。11) また, 多 くの場 合 知 り合 いのっ て な どを頼 って村 内 や近 隣村 か ら呼 ばれ る伝統 音 楽 を演 奏 す るアマ チ ュアの楽 団 は,祝宴 の余興 と して演奏す る と同時 に,儀 式 において も伴奏 に活躍 した。 これ ら楽 団 や上記精霊 ・生霊儀 礼 の執行者 は,主催者 か ら金で雇 われ る とい うよ りも,知 り合 い な どが無料奉仕 した り, あ るい は少 々の心付 けや食事 を もらう程度 で協 力す る場 合が 多か った0 次 に, 60年代 か ら90年代 初頭 まで のK村 にお ける冠婚 葬 祭 の形 態 の変遷 につ い て具体 的 に 検討 す る。

得度式 ・結婚式 ・葬式の形態の変遷

1.得度式 ・結婚式 にお け る儀 式 の簡略化 現在行 われてい る得度式 及 び結婚式 にお け る儀式 は,基 本的 に上述 の ような従前 の形式 を受 け継 いでい るが, い くつ か異 なる点 も存 す る。 その ひ とつ は,得度式 にお け る タム ・クワ ン ・ ナ - ク儀礼 や結婚式 にお け るセ ン ・ピー儀礼 な どの,土着信仰 に基づ く儀 礼 が現在 で はほ とん ど行 われ な くな ってい る こ とで あ る。 K村 の得 度式 にお いて は,表3にあ る よ うに, 60年代半 ば以 降 タム ・クワ ン ・ナ - ク儀礼 が 行 われ る割合が次 第 に減 って きてお り,現 在で はそのか わ りに僧侶 に よる説教 とい う方式 を採 用 す る世帯 が大半 を占め て い る。 村 人の説 明 に よれ ば, その大 きな理 由 は, タム ・クワ ン ・ ナ - ク儀 礼 は通常3- 4時 間 もの長 い時 間 を費やす うえに,バ ラモ ン師が少 ない昨今 で は, そ れ を探 す こ と自体 が難 しいばか りかその料 金 も1,000-

2

,000バ ー ツ以上 と高 額 にな るか らで あ る。 さらに, バ ナナ の葉 で作 られ た生 霊 と神 々の依 代 (baisi) や, ゆで卵 や ココヤ シの実 な どの儀礼 に必要 な小道具 を用意 した うえ,伴 奏す る楽隊 を も別途調 達 しなけれ ばな らない。 そ 表3 得度式の形態の変遷 [単 位 :%] 注 :「祝宴あ り」における数値は全サ ンプル数に対する百分率,他の2 つの項 目では,祝宴あ りの事例に対する百分率を表す。 ll)現在で も,祝宴ではなく午前中の儀式に招かれる僧侶や客人にだす料理はすべて手作 りなので,こ ういう光景はいまで もしばしばみることができる。 185

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表4 結婚式 の形態 の変遷 [単位 :

%]

婚礼 あ り セ ン ・ピー儀礼 あ り フ アオ ・ホ-あ り -1964 1965-1974 1975-1984 1985-1994 68.4 92.3 33.3 83.3 58.3 0 96.4 0 84.6 100 57.1 7.4 注 :1)「婚礼 あ り」 におけ る数値 は全サ ンプル数 に対 す る百分率,他 の 2つ の項 目で は,婚礼 あ りの事例 に対 す る百分率 を表す。 2)仝サ ンプル数の うち 「婚礼 あ り」か ら除外 されている ものが 「か けおち」 した事例 をあ らわ している。 れにひ きかえ僧侶 による説教 はほ とん ど何 の準備 も必要 ない うえに30分 ほ どですみ,お布施 を 100-200バ ーツ程度 と簡単 な供物 をわたす だけです む。 結婚式 におけるセ ン ・ピー儀礼 も同様 に,僧侶 による (夫婦生活の心得 に関す る)説教 に完 全 にお きか え られた (表4)。 タム ・クワ ン ・ナ- ク儀礼 と同 じく,儀礼 を執行す る能力のあ る老人がほ とん どいな くなって しまった うえ,豚の頭 ・鶏 ・卵 ・酒 ・特別 なお菓子 な どの供物 の準備が大変だか ら, とい うのが村人の説明である。説教 な らば,当 日招請 した僧侶 にその ま ま続 けてや って もらえばよ く,余分 にお布施 を払 う必要 もない。その説教す ら省略す る世帯 も 少 な くない。 この ように現在 の村人の大多数 は,かか る煩雑 な手 間 と費用 をかけて まで生霊 ・ 精霊儀礼 を行 う必要性 を, もはや感 じていないのである。12) また,寺の布薩堂 において と り行 われ る得度式の終了後,新 たに誕生 した僧 らを主催者の 自 宅 に招 いて読経 と布施 を行 う (chalongPhra) が, これは以前 は得度 の翌 日に行 われ るこ とが あ った。 しか し,現在では式の全体 に3日もかける と費用がかか りす ぎる し面倒 だ とい う理 由 で,表3にある とお り,3日にわた って式 を行 う人 はない。 また結婚式 においては,現在で は 従前 の祝宴 と儀式 の順序 を逆転 させ,朝 に儀式 をさきにす ませ て同 じ日の夜 に祝宴 を行 う形態 が主流 とな り,前述の ような新婦 の若 い友人達 を中心 とした式前夜 の フ ァオ ・ホ- とい う祝宴 の形態 を採用す る世帯 はほ とん どない (表4)。その理 由は,祝宴 を婚礼 当 日に行 う方が式の 全体が一 日ですんで しまい手 間がかか らないか らである。 フ ァオ ・ホ-の 日の夜 の宴会 は若 い 友人たちを主体 とした ものであ ったが,現在 のス タイルにおいては,両親の知人である大人た ち も夜 の祝宴 に出席す る。 以上の ように得度式お よび結婚式の儀式 におけるダム ・クワン ・ナ-ク儀礼 とセ ン ・ピー儀 礼 がそれぞれほ とん ど消失 し,僧侶 に よる説教 が取 って代 わってい る。 その背景 の ひ とつ に 12)この よ うに土 着 の精霊 ・生霊信 仰 に基づ く儀礼 が仏僧 に よる説教 に置 き換 え られて い く過程 は,村 人の指摘 す る経 済 的 な理 由以外 に,仏教 イデ オロギーの強化 と も解釈で きる と同時 に,都市化 の影 響 もあ る と考 え られ る。例 えば1960年代 のバ ンコ クでの得度式 においては, タム ・クワ ン ・ナ- ク 儀礼 はすで に行 われ ない ようになっている [アヌマ - ン 1984:208]。

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鶴田 :貨幣経済の浸透 と儀礼をめ ぐる社会関係の変容 は,煩雑 な手続 きを伴 い,費用 と時 間のかか る これ らの儀礼 は行 いた くない とい う,経 済的 な 論 理 が あ る。 同時 に,式 全体 に要 す る時 間 を短縮 す る傾 向 もあ る。13) この よ うに得 度式 ・結 婚式 の儀式 及 び式全体 において は, それが簡便 で能率 的 なや り方 ,す なわ ち金銭 的 に安 く,時 間的 にははや く済 ませ る形 態 に変化 してい く傾 向が存 す る とい える。

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.大規模 な祝 宴の浸透 従前 の冠婚葬祭 にお け る饗宴 において供 され る料理 は, 自前 の材料 を使 った手作 りの タイ料 理 で あ った こ とは上 に述べ た。 食事 の場 所 には,以前 は主催者 の家の中か高床 の下が あて られ る こ とが多 か った。 それが お そ ら く1960-70年代 頃 か ら,庭 や広場 に10人掛 けの円形 のテーブ ル を もちだ して屋外 で会 食す る よ うなス タイルが増 えて きた。供 され る料理 につ いて は,表5 か らわか る よ うに1980年 代 か ら中華料理 (tociin)の仕 出 し業 者 を雇 う人が増 え, 現在 で は オー ダー メイ ドの中華 料理 が,伝統 的 な手作 りの タイ料理 (tothai)にか わ って祝 宴 にお ける 饗 応 の形態 の主 流 とな って い る。 これ は当初 は, 町 に住 む裕福 な中国系商 人が行 って い た祝 宴 の ス タイル を まねた もの と思 われ るが,現在 で は, こ う した仕 出 し業者 は農村部 に さえ存在 す る。 中華料理 の祝宴 の典型 的 な光景 とは,次 の よ うな ものであ る。 昼 間儀式 が屋 内で行 われてい る間,外 で は雇 われた業者等 が手際 よ くテ ーブル を並べ , ステ ージや音響機 器等 を設営 す る。 儀式 が終了 して祝宴 の開始 まで はか な りの 間が あ く。 夕方暗 くな りかけ,飾 り付 けた色 と りど りの電球 に明か りが と もされ る頃,招待 客 が,近 隣 の者 は歩 いて,遠 くの者 は車 を使 って,管 申 し合 わせ た よ うに同 じ時刻 にや って くる。 入 り口には受付 が あ り,客 は 自分 の名前 が書 かれ た封筒 に相応 の額の祝儀 をいれ た もの を手渡す。 テ ーブルが一杯 にな った頃, ボ ー イが料理 と 酒 を順番 に給 仕 し始 め る。 ステー ジで は型 どお りの挨拶 のあ と,バ ン ドに よる流行歌 の演奏が 始 ま り, そ こで は式 の関係者 や村長等が みず か ら歌 うこ と も珍 しくない。 この間,主催者夫妻 は各 テ ーブルの客 に挨拶 を して まわ り,祝儀 を受付 で渡 しそ びれた客 は, その時主催者 に直接 表5 得度式 ・結婚式の祝宴における料理の種類 [単位 :回数] 年度 タイ料理 中華料理 計 -1979 64 1 65 1980-1984 11 8 19 1985-1989 8 11 19 1990-1994 7 16 23 13)Terwiel [1994:129]は,中西部のある農村において,以前は結婚式当 日に午前 と午後に分けて行 われていた読経を,能率的に行うために午前に一本化 した事例を描いている。 187

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手渡す。料理 は2時間ほ どで尽 きて しまい,その後客 はそそ くさと家路 につ く。 中華料理 の祝宴 は,業者 に依頼す るため に 自前 の タイ料理 よ りも一般 に高額 となる。 それに もかかわ らず村民 が 中華料理 を好 む理 由 は, それが流行 の ス タイルであ る とい う事情 ととも に, と くに客数が多い場合 に能率 よ くサ ー ビスが行 える とい う点 にあ る。手作 りの タイ料理の 場合 は,自分 たちで何 もか も準備 して,料理 や酒がな くなった らまた買 いに走 らねばな らない。 それに比べ て仕 出 しの中華料理 の方 は,料理の材料 や酒類 の購入,炊事,テーブルの設営 か ら 給仕 にいたるまですべて業者 に任せ るこ とがで き, また客 の追加注文 には応 じず料理が尽 きた らパ ーテ ィはそれで終了 とい うことになる。費用 は 1テーブル (10人掛 け) あた り400か ら600 バ ーツの値段 で,業者が何 か ら何 まで一括 して請 け負 う形態 を とるのが一般 的だが,最近で は, 安 くあげるため に食材 と酒 ・ジュース類 だけは自分で購 入 し,あ との料理 とテーブル設営 と給 仕 を業者 に まかせ る, とい う方法 をとる世帯 もあ る。 中華料理 の普及 と並行 して,祝宴 に欠かせ ない もうひとつの要素であ る余興 の形態 も変化 し た。従前 は村人みずか ら太鼓 をもちだ して歌 い踊 るか,せ いぜ い伝統音楽 を演奏す るアマチ ュ アの小規模 な楽団 (mohori等) を近隣か ら呼 んだ りす る程度であ った。 ところが70年代半 ば頃 か ら,数人 の歌手 とギ ター ・ベ ース ・ドラム ・キーボー ドな どの編 成 に よ り主 と して流行 の 大衆 歌謡 を演奏す る 「チ ャ ド- (chado)

と呼 ばれ るプロのバ ン ドを呼 ぶ こ とが多 くな った (表 6)。チ ャ ド一にかか る費用 は,現 時点 で は5,000-7,000バ ー ツ とい うのが標準 的 で あ る が,有名 な楽団 になると,10,000バ ーツ もとる ものがある。 表 6にあ るように,80年代半 ばか らはチ ャ ド-の簡易版で 「エ レク トー ン」 と呼 ばれ る もの も登場 し,人気 を集めてい る。 これ は通常 な ら数 人 のバ ン ド編 成 で や る ところ を, エ レク トー ン一台 で済 ま して しま うので, 1,500-2,000バ ーツ と値段が安 いか らで ある。 この他, ポ ピュラーな余興 と して ●は移動式の 映画 (3,500-4,000バ ーツ) や, リケ- (like)とい う農村歌 劇 (8,000-20,000バ ーツ) な ど があるが,いずれ も以前 と比べ てその費用がか さむ ようになった。 中華料理 による祝宴- の招待客数 は,300人か ら500人 とい うのが標準的な数だが,裕福 な農 家 のなかには1,000人以上 もの人々 を招待す る場合 もあ る。 招待客 は,血縁 関係 にあ る親族お よび近隣 に住 む知人たちが主体 であ る。 そのほか,大 きな祝宴 に村長が招待 されない ことはな く,人 によって は,県会議員 ・国会議員 な ど,地元の名士 を招待 す るこ ともあ る。 また村民の 表 6 得度式 ・結婚式の祝宴における余興の種類 [単位 :回数]

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鶴田 :貨幣経済の浸透 と儀礼をめ ぐる社会関係の変容 み な らず ,バ ンコ クをは じめ とす る都市 部 で働 く親戚 知 人 や,儀 式 を受 け る当 人の若 い友 人 た ち も大勢 参加 す る。 同 じ職場 の友 人 た ちが バ ス を 1台借 り切 ってバ ンコ クか ら駆 けつ ける とい うの は, しば しばみ られ る光 景 で あ る。 じっ さい には, この よ うな大規模 な祝 宴 の実施 をす ぐに一般 化 す る こ とはで きな

い。

す で に 触 れ た よ うに, 各 世 帯 の経 済 的 な事 情 等 に よって,儀 式 は行 って も祝 宴 は省略 す る場 合 が あ る。 例 えば表 3で 「祝 宴 あ り」 の項 目か ら除外 されて い る もの はそ う した宴 会 な しの得 度式 の 事例 で あ り, また,表4で 「婚 礼 あ り」 の項 目に含 まれて い る結婚式 の事例 の 中 に も,夜 の祝 宴 を省 略 して,朝 の儀 式 の部 分 だ け を簡 潔 に行 った例 が か な りあ る。 しか し傾 向 と して,以前 は裕福 な農家 の みが行 った と思 われ る大 きな饗宴 を,今 で は よ り多 くの農民 が行 うよ うにな っ て い る とい え る。 そ れ を表 す のが ,社 会 階層 を越 えた近年 の 中華 料理 の採 用 率 の高 さで あ る。 表7は1981年 か ら91年 に至 る10年 間 にK村 で 行 わ れ た結婚 式 ・得 度 式 等 にお け る祝 宴 の形 態 を所得 階層 別 にみ た もので あ るが, これ をみ る と,年収 が平均 を越 えた 中農 を中心 とす る層 に と くに中華 料理 を行 う世帯 が 多 い と同時 に, 最 も貧 しい階層 にお いて も 3割 以上 の儀 礼 にお い て 中華料 理 が採 用 され て い る こ とが わか る。 さ らに現 在 で は,本来 な らば午前 中に僧侶 を家 に まね いて読経 の後 , 食物 と金 品 を寄進 し, さ さや か な饗 応 が 行 わ れ る程 度 で あ った百 日供 養 や新 築 祝 い な どの タム ブ ン儀 礼 にお い て さ え,以前 はなか った大規模 な饗宴 が行 われ る こ とが あ る。 特 に新 築祝 い にお いて は,夜 に祝 宴 と くに中華料 理 に よるそ れ を行 う世帯 が しだい に増 えて きて い る。 た とえばサ ンプル農 家 の な かで, 1985年 か ら94年 まで の10年 間 に同儀 礼 を行 った12世帯 の うち半 数 は夜 の祝 宴 を行 って い る。 表7 主催者の所得階層別にみる得度式 ・結婚式等における祝宴の形管 (1981-1991年 ) [単 位 :

%]

所得階層 推定年収 (バーツ) 中華料理 タイ料理 祝宴なし 第1階層 120,000- 70 10 20 第2階層 -120,000 76.9 15.4 7.7 第3階層 -80,000 81.3 18.8 0 第4階層 -60,000 50 33.3 16.7 第5階層 -40,000 41.9 45.2 12.9 第6階層 -20,000 32.3 41.9 25.8 注 :1991年に行った全戸調査による。数値 は,各階層において期間中に行わ れた得度式 ・結婚式等の総回数に対する百分率を表す。 189

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3.葬式の形態の変遷 中部 タイ農村 における葬式 (火葬)14)は,従前 か ら手 の込 んだ大規模 な儀式がその家族 の社 会的地位 や威信 を表す とみな されてお り,新 た に行 われた葬式 は常 に過去 の大 きなそれ と比較 されて いた [Kaufman 1960:157-159]。 また同時 に,大規模 な葬式 は主催者 と参集者 に対 し 多 くの功徳 を もた らす と も考 え られ てい る [Terwiel 1994:235]。 手 の込 んだ儀 式 は,例 え ば死後僧 を招請 して読経 を行 う日数 の多寡,火葬 当 日に招請す る僧侶 の数,立派 な棺 や華美 な 飾 りつ けな どの諸側面 にあ らわれた [loc.cit.;Kaufman 1960:158-161]。 現 在 のK村 の葬式 において は,一般 に式全体 の規模 が大 き くな り, 出費が増 えてい く傾 向 があ る。 表8か らは,死後遺体 を安置 し読経 を行 う日数や,火葬 の 日に招請す る僧侶 の数が増 加す る傾 向がみて とれ, これ は同時 に僧侶 に対 す るお布施 の額が増大す るこ とを も意味す る。 なお最近で は火葬 の当 日に故人の年齢 と同数 の僧侶 を招請す る世帯 も増 えてい る。 また,火葬 の 日や百 日供養 の際 に映画や リケ-な どの余興が呼 ばれ る機 会 も多 くな って きた (表8)。 ま た最近 の傾 向 と して表8か らは,葬式 の際 に古典音楽 を演奏す る楽 団 ピパ ー トモ ー ン biPhat mm)を雇 った り,寺 や学校 な どに献金 を行 う世帯が増 えてい ることがわか るが, これ らは も ともと王侯貴族 や上流階級 に よって行 われていた葬式 の形態 を真似 た もの と思 われ る。 上述 の よ うに葬式 は主催 者 お よび参集者 に とっての積 徳行 と して も重要 な意義 を もってお り, また葬式 においては,参集者 は招待 されず 自発 的意志 によ り参列す る,主催者が通常複数 世帯 に及ぶ な ど,他 の慶事儀礼 と異 なる点がい くつかあ る。 したが って これ を得度式 や結婚式 な どと単純 に比較す るこ とはで きないが,ここで はただ,葬式 の大規模化 の傾 向が一般 にあ り, それ に要す る費用が増大 してい る, とい うこ とだけ を確認 してお きたい。 表8 葬式の形態の変遷 [単位 :

%]

3夜以上安置 僧数30名以上 余興あ り 楽団あ り 献金 あ り -1964 1965-1974 1975-1984 1985-1994 22.2 11.1 11.1 0 0 60 20 20 40 0 87.5 50 75 25 12.5 87.5 78.6 50 37.5 43.8 荏 :1)数値はすべて仝サンプル数に対する百分率を表す。 2)「余興あ り」には,葬式ではなく百日供養において行ったものを含む。 14)従前の中部 タイにおいては,家格相応の火葬を行 うには費用調達のため一定の準備期間が必要等の 理由か ら,死後茶毘 に付す まで, 1カ月か ら場合 によっては数年の期間をお くことが多かった [Kaufman 1960:157;Terwie1 1994:235]。 しか し60年代以降の K村においては,火葬 まで長期 の間隔をお くことは少なく,最低1晩から最大7晩の間遺体を安置 したのち茶毘に付 されるケース がほとんどである。

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鶴田 :貨幣経済の浸透 と儀礼をめ ぐる社会関係の変容

4.

冠 婚葬祭 に伴 う主催 者側 の 出費 つ ぎに冠婚 葬 祭 を主催 す る際 の 出費 の状 況 を,得 度式 の事例 にお いて時代 別 に比較 してみ よ う。 表 9は, 1973年 か ら1991年 にわ た ってK村 で行 わ れ た比較 的規 模 の 大 きな得 度式 の事 例 か ら4例 を と りあげ,儀 礼 におけ る支 出の内容 をみ た ものであ る。 主催 者 は, いず れ も稲作 経 営面積 が平均 をこえた上層 農 家で あ る。 70年代 と90年代 の事例 を比べ て明 らか なの は,支 出総 額 の不 明 な料 理へ の 出費 を除 きどの項 目にお いて も2-3倍 の増 加 が み られ る こ とで あ る。 また1991年 の祝 宴 の事 例 で は, 中華料 理 と余興 の費用す なわ ち祝 宴 に要 す る費用が支 出総額 の半 分 も しくはそれ以 上 を占め て い るこ と と同時 に, た った一度 の儀 礼 だけで,K村 の年平均 所 得 に匹敵 す る大 金が支 出 されて い るこ と が わか る。 また招 待客 の数 は, 1テ ーブルあ た り10人 と考 えた らよいか ら, 1991年 の事例aで は約400人, 1991年 の事例

b

で は約750人 とい うか な りの数 で あ る。 こ こで各儀 礼 に よせ られ た祝儀 総 額 と支 出総 額 との差 額 に注 目す る と,事例 に よってか な り の差 異 が あ る こ とが わか る。 例 え ば1979年 の事 例 と199]年 の事 例bを比 べ て み る と,前 者 は マ イナ スにな って い るの に対 して, 後者 はか な りの プ ラス とな って い る。 後者が プ ラス とな っ てい る理 由 は,客 数が多 か った こ と と同時 に, その能率 的 な祝 宴 の遂 行 にあ る。 この世帯 主 は 副 村 長 を してお り顔 の広 い男 で, 中華料 理 の仕 出 し屋 と友 人関係 にあ った。 1991年 の事例aと 比 較 す る と明 らか な よ うに, 1991年 の事 例bの 中華 料 理 に対 す る支 出が テ ー ブ ル数 に比 して 極 端 に安 い の は, そ の コ ネ を利 用 して業 者 か ら祝 宴 用 の テ ーブ ル を安 く貸 して も らった うえ に,料 理 の材料 じたい は 自分 た ちで用意 したか らで あ る。 つ ま り儀礼 はそ の運営 の仕方 に よ っ て,祝 儀 額 を上 回 る出費 を強 い られ て 「損 をす る」 世 帯 もあ れ ば, 出費 を抑 えて 「利 益 を得 表9 得度式における支出額 とその内訳 [単位 :バ ーツ] 内 訳 1973年の事例 1979年の事例 1991年の事例a 1991年の事例b 祝宴における料理 (1) タイ料理 タイ料理 中華.40テーブル 中華.75テーブル (1)の費用 不明 不明 20.000 17,000 祝宴における余興(2) 友人の楽団 映画 チ ャド- チ ャド-+映画 (2)の費用 0 3,500 6,000 6.500 僧侶へのお布施 275 1.050 3.400 2,350 出家者の僧衣代等 700 1.200 3,700 3,700 音響 .照明代 350 400 900 900 写真 .ビデオ代 0 1.000 3,000 2.OOO 支出総額(3) 8.000 40.000 40,000 50,000 祝儀総額(4) 10 .000 30,000 43,000 94,000 注 :数値はいずれも概数。なお,朝の儀式に供する食事に要 した費用等正確な金額の判明 しない項 目 を省略 したため,金額の合計はここに挙げた各項 目の総計 とはなっていない。 191

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る」 世帯 もあ り, その収 支 に は個 人差 が大 きい。15)そ こに は,他 人 に負 けない派手 な祝 宴 を 行 いたい とい う論理 と,様 々な工夫 (食材 を自 ら購 入す る,エ レク トー ンの採 用等 ) に よ りで きるだけ安 くあげたい とい う論理が交錯 して い る。 以上 の よ うに主催者側 に とって は,金銭 的 にみて もエ ネルギ ー的 にみて も,儀式 で はな く祝 宴 の方 に よ り大 きな力が そそが れ る ようにな ってい る。前 に触 れ た ように,以前 は儀 式 的 な意 味付 けか らは明瞭 に切 り離 されて はいなか った祝宴 が,場所 じたいが儀式 的 な空 間か ら切 り離 された こ とに象徴 され る ように独 立 の領域 と して浮 か び上 が り, それ 自体 と して (社 会 的地位 の誇示 な どの)独 自の意義 が あ る もの と して行 われ る よ うにな ってい る と考 え られ る0 それで は, かか る冠婚葬祭 の形態 の変化 に ともな って, それ をめ ぐる祝儀 ・不祝儀 のや りと りす なわ ち贈 与交換 の形態 と意義 は, どの よ うに変 わ って きたので あ ろ うか。

冠婚葬祭 をめ ぐる贈与交換 の変遷

1

.贈 与交換 の基本 システム 各世帯 の冠婚葬祭 の機 会 に招待 された親戚 や知 人 は,食事 の準備 や式 の段 取 りを手伝 うほか, なにが しかの金銭 あ るい は物 を贈 る慣例 にな ってお り, これ は相 互扶助 の一種 と して意識 され て きた。 かか る機 会 に贈 られ る祝儀 や不祝 儀 は,場 面 や 人 に よって, アオ レー ン (aoraeng) や タム ブ ン (tham bun) と呼 ばれ る。16) ァ ォ レー ンとは対 等 な関係 にあ る者 ど う しの相 互扶 助 を意 味 し, ここで は贈 与 とそれ に伴 う等価 の返礼 とい う一般 的 な贈 与交換 の こ とを指 す。他 方 で積 徳行 と しての タムブ ンは,基本 的 に返礼 を期待 しない宗教 的行為 (喜捨 ) であ り,理 念 的 には等価 の贈与 交換 の論理 には拘 束 され ない とい う含意 が あ る。 た とえば結婚式 や得度式 に お け る祝儀 は,以 前 は, ア オ レー ンで あ る と同時 に タム ブ ンの一種 と も考 え られて い た こ と は,す で にみ た。現在 で も,一般 に葬式 にお け る香典 や,収 入 の ない老 人 に よる少額 の祝儀 は タムブ ンとみ な され る。 これ らタムブ ンの額 は,一般 に祝 い事 にお ける通常 の祝儀 よ りも少額 とな る。 祝儀 や不祝儀 のや りと りは,通常 世帯 を単位 と して行 われ る。 貨 幣 や贈 り物 の交換 の場合 , そ こで は まず ,対等 な等価 交換 とい う基 本原則 が あ る。 つ ま り以前 に贈 られた額 にみあ った,

15)実際に村人は 「損をした (khatthun)

「利益 を得た (daikamrai)」 という経済的な用語を使用する。 祝儀が余った場合は何に使 うか と聞 くと,貯金 しておいて他家への贈与の返済に使 う, と答える者 が多い。 また,葬式や得度式における祝儀 ・不祝儀の一部は寺に寄進される場合があるほか,結婚 式における主催者 (新婦の両親)-の祝儀は,娘夫婦にそのまま贈 られることがある。 16)アオレーンもしくはアオレーンカン (aorlaengkan)とは,直訳すれば 「労働力を交換 しあう」 とい う意味 を持ち,後述するようにもともと稲作作業等 における世帯間の互助的労働交換 を指す。それ が転 じて金銭的な相互扶助 をも意味するようになったと考えられる。 タムブンについては注6を参 照 。

(16)

鶴田 :貨幣経済の浸透 と儀礼 をめ ぐる社会関係の変容 あ るい は そ れ 以 上 の返 礼 が な され ね ば な らず , 初 期 値 に い くらか 上 乗 せ して 返 礼 され るの が 普 通 で あ る。 た とえ ば, まず あ る機 会 にA が Bに対 して 100バ ー ツ贈 った と しよ う。 次 にA 家 で儀 礼 が あ る と き, B は A に対 して , 初 期 値100バ ー ツ に対 し30バ ー ツ,50バ ー ツ な どの 「利 千 (dokbia)」17) を加 え て 返 さな け れ ば な らないO なか に は利 子 を返 し忘 れ た り, 不 当 に少 な くよ こ した り した ケ ー ス もあ るが , そ うい う こ と を した 人 は マ ナ ー の わ る い 人物 とみ な され る。 そ うな らな い た め に,儀 礼 の主 催 者 は多 くの場 合 , 誰 某 か らい くら受 け取 った とい う記 録 を祝 儀 帳 や不 祝 儀 帳 に克 明 に記 し, 後 々相 手 方 で儀 礼 が 行 わ れ る際 に参 照 す る た め に保 存 して お く。 上 の例 は100- 150とい う もの で あ る。 50とい う利 子 をつ け て 返 す こ と に よ って , い わ ば B は借 金 を清 算 した の で あ る (図 3, パ ター ン1)。 とこ ろで , 図3の パ ター ン2に あ る よ うに, も し今 後 B家 で 再 び儀 礼 を行 う予 定 が あ る と き, 第 2局 面 にお い て B は A に対 して200バ ー ツ 支 払 う場 合 が あ る。こ こで 初 期 値100バ ー ツ に上 乗 せ され た100バ ー ツ は,利 子 とはみ な されず , 今 度 は逆 にAが Bに対 して100バ ー ツ借 りが で きる こ とに な る。 こ うな る と, 将 来 も う一 度B 家 の儀 礼 に招 待 され た と き, A は 出席 しない わ け に は い か な い の で あ る。 これ を村 人 は 「(相 手 との 関 係 を) 結 ん で お く (擁 ukwa

i

)

と表 現 す る。 逆 に パ ター ン1の よ うに30や50バ ー ツ な どの100バ ー ツ以 下 の 利 子 をつ け て 返 す とい う行 為 は, 贈 与 を受 け取 る側 (A家 ) か ら, 棉 手 方 の 家 (B家 )で は今 後儀 礼 を行 う予 定 が な い か ら貸 借 関係 は こ こで い った ん打 ち切 りま し ょ う, とい う合 図 で あ る とみ な され る場 合 が あ る。 パター ン1 パター ン2 A - B A - B 第1局面 100 100 A- B A - B 第2局 面 120 150 第3局面 200 図3 祝儀 のや りとりの基本パ ター ン 17)利子 をつ ける行為 に対す る村 人の説明の論理 には二通 りあるo同額 を返すのは失礼であ り, なにが しかの 「気持 ち」 をつ けて返すべ き, とい う論理 と,返礼 までの時間差 に伴 うインフ レ分 を考慮す るべ き, とい う論理である。 なお,贈 り物 の場合 も 「利子 をつけて返す」原則 は厳密 にまもられて いた。 た とえば, コ ップ2つ に対 して同 じ型の コ ップを 3つ,直径20cmの鍋 に対 して直径30cmの 鍋 とい う具合である。 193

(17)

2.祝 儀 ・不 祝 儀 の額 の 増 大 と標 準 化 70年 代 初 期 に は,得 度 式 や結 婚 式 に お け る祝 儀 の額 は,10-20バ ー ツ程 度 が標 準 的 な額 で あ っ た。 そ れ が ,80年 代 を通 して標 準 的 な 数 値 は100バ ー ツ に まで 上 昇 し, 同時 に 同 額 - の 集 中化 が お こ った。 表 10をみ る と, 1973年 や 1979年 の事 例 で は, 全 体 に額 が 少 な く,非 常 に ば らつ き が 多 い が , 91年 現 在 で は100バ ー ツ18)- の標 準 化 が 顕 著 で あ る こ とが 明 瞭 にみ て とれ る。 これ は後 にみ る よ うに物 価 の上 昇 分 を上 回 る増 大 ぶ りで あ る。 表 10 得度式 に客が もちよる祝儀の額 とその人数 [単位 :人,バーツ] 金額 (バーツ) 1973年の事例 1979年の事例 1991年の事例a 1991年の事例b -10 130 22 (10) -30 101 158 (44) 47 (18) 28 (4) -99 21 120 (3) 100 6 63 (0) 236 (23) 238 (25) -200 1 46 (0) 74 (2) 106 (14) -500 0 9 (0) 12 (1) 23 (2) 500- 0 0 0 5 (1) 贈 り物 多数 38 (38) 1(1) 0 計 259 456 (95) 370 (45) 400 (46) 金額合計 . 5,060 26,680 43,010 56,510 注 :1) 4つの事例 は表9に同 じ。 2) ( )内の数値 は僧志願者の友人の人数 とその祝儀の額 を表す。 3)ここでは祝儀帳に記載 されているもののみ を取 りあげたので,人数 と金額の合計 は実 際の総客数及 び祝儀総額 を表 している訳ではない。 か か る金 額 の上 昇 と標 準 化 は, 中華 料 理 に よ る祝 宴 の普 及 と大 い に関 連 が あ る と思 わ れ る。 例 え ば村 民 の 間で は, 祝 宴 に持 参 す る祝 儀 額 は タイ料 理 の祝 宴 で あ れ ば50バ ー ツ程 度 で もか ま わ な い が , 中華 料 理 の場 合 な ら, 最低 で も100バ ー ツ とい うの が 常 識 とな って い る。 客 は事 前 に配 布 され る招 待 状 を見 て , 料 理 の種 類 を判 断 す るの で あ る。 また , この よ うに理 念 上 は タイ料 理 の祝 宴 -の祝 儀 額 は50バ ー ツで もよい と され て い る とは い え, じっ さい に1994年 に行 わ れ た タイ料 理 に よ る祝 宴 の事 例 をみ る と, 100バ ー ツ な い しは そ れ以 上 を持 参 した 客 が 圧 倒 的 に多 く, 中華 料 理 の祝 宴 にお け る祝 儀 帳 と 区 別 が つ か な くな って い る (表 11)。 また単 に金 額 が 表 11 タイ料理の祝宴 を伴 った新築 祝いにおける祝儀額の分布 (1994年) 金額 (バーツ) 客数 (%) -99 26 (15.1) 100 109 (63.4) -200 32 (18.6) 18)これは当時の K村近辺 において, 日雇 いの農業労働 (サ トウキビ刈 りなど) において得 られる 日給 にほぼ等 しい。

(18)

鶴田 :貨幣経済の浸透 と儀礼 をめ ぐる社会関係の変容 100バ ーツに標準化す るだけで な く,詳 し くみ る と次 の ような諸現 象が起 こってい る。 得度式 において は,主催者 で あ る両親 のみ な らず,僧志願者 であ る息子 も同世代 の友 人た ち を少数 なが ら自分 の名義 で招待 す る。 20歳前 後 の この友 人た ちの もち よる祝儀 の額 は,以前 は 少額で あ り,贈 り物 (コ ップや皿 や石 けんな どの 日用 品)で あ る場 合 も多か った。 しか し表10 か ら もわか る通 り,現在 で は贈 り物 のや りと りほほほ消滅 して いる。 その うえ年少 の友 人た ち も中華料理 の祝 宴 の方 に出席す る よ うに な り,19)大 人 と同額 の100バ ー ツを支 払 わね ばな らな い ようにな った。 この よ うに,以前 は明確 で あ った贈与交換 の場 にお ける年 少の友 人 と大 人の 区別が,現在 で は事実上 はL封肖失 してい る。 結 婚式 にお ける祝儀 は,前 に触 れた よ うに,従来 (1)大 人か ら新 郎新 婦- の祝儀 (ラブ ・ ワイ),(2)新郎 新婦 の若 い友 人た ちか らの贈 り物 や金銭,(3)大 人か ら花 嫁 の両親へ の祝儀 (タムブ ン), とい う3者 か らな りた ち,表12にあ る通 り各 々の祝儀総 額 は1980年代半 ばほ どま で は均 衡 していた。 しか し前述 の よ うに夜 の祝宴 が新郎新 婦 の友 人た ちに よるフ ァオ ・ホ - と い う形態 か ら,大 人 た ち を まきこむ中華料理 の祝宴へ と変 貌す るにつ れて,得度式 と同様 に若 い友 人た ちが贈 り物 を もち よる習慣 は消 え去 り, それ と同時 に以前 は朝 の儀 式 の時 に手渡 され ていた大 人 に よる タムブ ンが,夜 の祝宴 に持 参す る祝儀 に移行 した。 その結果,夜 の祝宴 にお いて よせ られ る (2) と (3)の祝儀 の金 額が,朝 の儀式 にお ける (1) を大 き く凌 駕す る よ う にな った (表12)0 ここ まで述べ て きた贈与交換 の基 本 システ ムは,基本的 に (多 くは正式 の招待状 を受 け取 っ た うえで)招待 されて出席す る得度式 や結婚式 を中心 と した祝 い事 にお け る もので あ る。葬式 の場 合 は招待 が な く,個 々人が みず か らの意志 に よって参 列 し,前述 の ようにそ こで渡 され る 香 典 は アオ レー ン (相 互扶助 ) とい うよ りも, ダムブ ン (稿 徳行 ),つ ま り金銭的 な見 返 りを 期待 しない喜捨 と意 識 され る傾 向が本来つ よ く, その金額 も祝儀 に比べ て少額 で あ った。 しか し,前述 の ような葬式 や百 日供養 の遂行 に要 す る費用の増大 に ともない,近年 の不祝儀 の額 も 表 12 結婚式における祝儀総額の内訳 [単 位 :バーツ] 1974年の事例 1981年の事例 1984年の事例 祝宴の形態 プアオ .ホ- 77オ .ホー プ7オ .ホ一十中華 ラ ブ .ワイ 2,980 3,050 9,000 友人から新婦へ 2.400 3,525 10.000 注 :1974年及び1981年の事例での友人から新婦-の贈与のなかには多数の贈 り物が含 まれていたが, ここでは省略 した。 19)中華料理による祝宴が導入され始めた1980年前後の得度式 ・結婚式においては,大人は屋外で中華 料理の祝宴,年少の友人は屋内でタイ料理の祝宴, という過渡的な形態がみられた。 195

(19)

上昇 し, 同時 にそれ を祝儀 のや りと りの システムに組 み込 んで考 える人が増 えてい る。 つ ま り もと もと少額 で よい とされ,見返 りを期待 しない喜捨 と考 え られて いた不祝儀 まで,50-100 バ ー ツの支 出 とその返礼 は常 識 とい うふ うに考 える人が多 くな りつつ あ るのであ る。20) また 一般 に老人が祝 い事 や法事 な どの儀式 の場 において主催者 に贈 る10-20バ ーツの少額 の タムブ ンも, じっさいに受 け取 った方 は記帳 し,後 日返済の機 会が くれば, きちん と利子 をつ けて返 済す ることがあ る。 お互 いに文字 どお りタムブ ンのつ も りであれば,等価 交換 につ いで 慎重 に 考慮す る必要 はないはずであ る。 しか し現実 には,立派 な タムブ ンの行為 と して認 め られてい る不祝儀 においてす ら,その言葉 とは裏腹 に,祝宴 における祝儀 と同様 にアオ レー ンと してや りと りが展 開 され,相応 の 「利子」 までつ ける厳 しいルールが貫徹 され るこ とが多 い。 以上 の ように贈与 の論理 と して タムブ ンとい う表現 が な され る局面が い まだに多 い ものの, 現実 には表10,表11な どの祝儀帳 の記録 が如実 に示す ように,特別 に親 しい人以外 の儀礼- の 祝儀 ・不祝儀 は一律 に100バ ー ツ, とい うような明快 なルールにの っ とって行動 す る人が大半 を しめている。 この ように,1980年代以 降10年 ほ どのあいだに,主要 な冠婚葬祭 における贈与 交換 は 「中華料理 の祝宴-100バ ーツの贈 与」 とい うシステム に多 かれ少 なかれ巻 き込 まれて しまった とい うこ とが で きる。 3.祝儀 ・不祝儀 への出費が家計 に対 してもつ重み ここであ る中堅稲作農家が1981年 の結婚以来1994年 にいた るまで,他家の どの ような儀礼 に どれ くらい出席 したか を, その家の祝儀帳 の記録 に よってみてみ よう。 ノー トに記載 されてい る総 回数 は242回であ り, うち得度式が45%,結婚式 が28%,新 築祝 いが15%の割合 となって いる。 その うち 日付 の はっき りしている1990年 9月か ら91年8月 までの一年 間だけを とってみ る と, 出席 回数 は55回 となる。 平均す る と 1週 間に 1回以上 出席 してい る勘定 になるが,その うち5分 の 3が と くに儀礼 の多 い 1月か ら 4月の間に集 中 し, この期 間 は週 に 2- 3回 とい う ハ イペ ースであ る。 つ ぎに同 じ農家が1990年 9月 -1991年 8月の1年 間に支 出 した祝儀 ・不祝儀 の額 をみてみ よ う。表13をみ る と, 中華料 理 の祝宴 にお ける祝儀 の相場 で あ る100バ ー ツ とい う金額 が圧倒 的 に多 く,平均す る と1回あた り139バ ーツを支 出 してい る。 ここで,同期 間の支 出総額 は7,510 バ ーツであ る。 この農家 は推定所得約84,000バ ーツ (1991年) であ るか ら, 1年 間で この農家 は所得 の1割近 くをこのため に出費 している計算 になる。 ここで表10にお ける1979年 と1991年 の各事例 における祝儀 の平均額 を比較 してみ る と,後者 20)例えば,1994年に村内で行われた有力者 (村の草分けN翁の娘)の大規模な葬式 (火葬)においては, 100バーツを持参 した者が全体の41.5%,50バーツを持参 したものが24.2%をしめ,全体の平均額は 102バーツにも及んでいる。

(20)

鶴 田 :貨幣経 済 の浸透 と儀礼 をめ ぐる社 会関係 の変容 表 13 あ る農 家 が 他 家 の儀 礼 へ 支 出 した祝儀 ・不祝儀額 の分布 (1990年9月-1991年8月) 金額 (バ ー ツ) 回数 -99

0

100 40 -200 10 20ト 4 計 54 総 額 (バ ー ツ) 7.510 は前 者 の2倍前 後 とな って い る。 したが って1年 間 に 他 家 に招待 され る回数が さほ ど変 わ ってい ない と仮定 す るな らば,91年現 在 で は各農家 は他 家 の儀 礼へ の贈 与 において,10年前 の少 な くとも 2倍 の出費 を強 い ら れてい る と推定 され る。 ここで, この間の物価指数 と 農家所得 の変動 をみ る と,1991年 の消 費者物価指数 は 79年 の約 1.9倍 とな って い る一万 で,91/92作物年 にお け る中部 タイの 平均 農 家所 得 は,80/81年 の それ に比 較 して 約 1.66倍 の 伸 び に と ど まって い る。21) した が って, かか る出費 の倍増 とい う伸 び方 は

,K

村 の農家の家計 に とって決 して小 さ くはない変 化 で あ る。 中華料理 に よる祝宴 の浸透 が進行 した この10年 間だけ を とってみて も,各世帯 の祝 儀 ・不祝儀- の 出費が家計 に対 してか な り大 きな負担 とな る ようにな って きた こ とは明 らかで あ る。

考察-

貨 幣交換 で結 ばれ る社会関係 の力学

1

.貨 幣 を媒介 と した贈 与の等価 交換 システムの形成 ここ まで主 と して得度式 と結 婚式 を中心 と して,60年代 以 降の冠婚葬祭 の遂行 にお ける貨幣 使用 の卓越化 とと もに,儀式 が簡略化 され る と同時 に祝宴部分が独立 の領域 と して浮上 し,大 規模 なそれが あ る程度社 会階層 の差 を越 えて浸透 してい く様子 を検討 して きた。 そ うい う変化 を もっ ともよ く象徴 す る80年代 以 降の 中華 料理 の普 及 に ともな って, 一般 的 な祝儀 の額 が100 バ ー ツ- と標 準化 し,比 較的 明快 な規 則 (100バ ー ツ とい う基準 の生 成 や,利子 の付 与 な ど) を有す る贈与 の等価 交換 の システ ムが形 成 され た。 また,交換 の規則が明快 で厳密 な もの にな るにつ れて, それ まで あい まいで あ った交換 の諸形態 (贈 り物 のや りと りや, タムブ ンな ど特 別 の宗教 的意義付 けが な され る贈与)が

,

「貨幣 に よるアオ レー ン (相 互扶 助 )

とい う同一 の 規則 の もとに包摂 されつつ あ る。 これ は,高価 な中華料理 の普 及 に ともな って 「もて な しに見 合 った贈与 の額」 とい う意識が浸透 し, それが本来贈与 が有 していた他 の人格 的 ・宗教 的側面 を凌駕 しつつ あ る傾 向 を反映 してい るの だ と考 え られ る。 さらに,各世帯 の他 家- の祝儀 ・不 祝儀 の出費 は,所得 の増 加 を上 回 る勢 いで上昇 してい るこ とを確認 した。 この ような贈与交換 システ ムの標準化 とエ スカ レー トはなぜ起 こったのだ ろ うかO その基礎 的条件 と して, ひ とつ には, それが (1) 明確 な価 値尺 度で あ り,(2)簡便 な流通 手段 であ る 21)以 上 の数値 はNSO [1984:418;1990:313-314;1992:341-342]及 びoAE[1983:258-267;1995:230] より算出した。 197

(21)

貨幣 を媒介 と していた こ とがあげ られ る。 しか しなが ら, かか る交換手段 と しての貨幣の基礎 的性 質が,現実 の中部 タイ農村 にお ける何 か固有 の文化 的 な原理 あ るいは社 会学的 な力 と連携 す るので なければ, この ようなシステムの形成 ・発展 はあ りえなか った と思 われ る。 そ こで次 に,現 時点 にお ける貨幣 を徹底 的 に使用 した儀礼 の遂行 と贈与交換 の システムが,実際の村民 の社 会関係 にお ける どの ような力学 に よ り維持 され,あ るいはエ スカ レー トしてい くのか とい う点 につ いて,随時過去 の状 況 と比較 しなが ら具体 的 に検討 したい。

2.

互酬性 の論理 タイ農村 にお ける世帯 間の社 会 関係構 築 の原理 と して, 人 間関係 の対 等化 を 目指 す互酬性 の 規 範 が 大 き く作 用 して きた こ とは, 友 杉 [1977:88-89;Tomosugi 1980:86,125]や

Tambiah [1968:117]等 によ り指摘 されてい る。 それ は具体 的 には稲 作作業 な どの生産行為 にお ける双務 的労働交換 や,消費生活, こ とに様 々な儀礼 的 な場面 にお ける世帯 間の相互扶助 とい う形 で顕在化す る。 それ は通常,労働力 あ るいは財 の理念上対等 な等価 の交換 を目指す も のであ り, この対等化 の論理 は現在 の冠婚葬祭 をめ ぐる相互扶助 において も基本的 に変 わ りが な く,儀礼 の場 における手伝 いや贈与 のや りと りを原理的 な意味で支 えてい る。 しか し現実 には,各村民 や村外 か ら儀礼 に参加す る人々 どう しのあいだには,経済状態,社 会的地位,儀礼 に対 す る趣 向 な どにおいて様 々な条件 的差異が存在す る。 したが って, かか る 相互扶助 にお ける対等化 の論理 を実際 に適用す るにあた って は,あ る程度 の柔軟性が存 しなけ ればな らない。た とえば従前 のK村 において は,祝儀 の額が各 々の家庭 の事情 や考 え方 に よっ てかな り融通が きいただけで な く,現 金 のない者 は祝儀 を贈 るかわ りに,式 の段取 りや食事づ くりを手伝 うこ とさえ許 されていた。 しか し,本稿 で述べ て きた ような,例外 をあ ま り認 めない ような統一的 な贈与交換 システム の形成 は, この互酬性 の規範 を実践面 において融通 の きかない ものに してい る と思 われ る。 と い うの は,それは流行 の儀礼 ス タイルに追随す る とい うような意識 的な レベ ルのみな らず,吹 にみ る ように,物 質 的 な レベ ル にお ける強制力 を もって い るか らであ る。 従前 のK村 で は, 上述 の ように,各世帯 のおかれた境遇 や独 自の判断等 に応 じて,贈与交換 の システム- の巻 き 込 まれの度合 いにあ る程度 の柔軟性 ・弾力性が存 した。 それに反 して現在 で は,誰 もが一律 に 100バ ー ツ以上 を贈 るのが常識 とい うよ うな規範が で きつつ あ り, かつ前述 の よ うに 自家 の儀 礼 - の贈与 を相手 に対 して半 ば強制 す る ような工夫 (「結 んで お くphuk

w

aiJ な ど)が な され るこ とも多いため,かかるシステムの外-逃 れ出ることが困難 とな ってい るのであ る。 この ような統一的 な規則 に したが って高額 の祝儀 ・不祝儀 を他 家 にあたえ続 けるこ とは,質 しい家庭 や今後 自家で儀礼 を行 う予定 のない世帯 に とって,単 に家計 の負担 となるばか りで は ない。 そ れ どころか, これ らの世帯 は贈 与 と して他 家 に与 えた分 を取 り戻 して清算 す るため

表 4 結婚式 の形態 の変遷 [ 単位 : %] 婚礼 あ り セ ン ・ピー儀礼 あ り フ アオ ・ホ‑あ り ‑1 9 6 4 1 965‑1 9 7 4 1 975‑1 9 8 4 1 985‑1 9 9 4 68

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