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マレー農村ガロック再訪 [ Galok, a Malay Village in Kelantan, Revisited]

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(1)

東 南 ア ジ ア研 究 16巻4号 1979年 3jJ

マ レ ー 農 村 ガ ロ ッ ク 再 訪

博 *

Gal

ok,a Mal

ay Vi

l

l

agei

n Kel

ant

an

,

Revi

s

i

t

ed

Y

oshihiro TsUBOUCHI*

DrasticeconomicchangesaretakingplaceinMalayvillages,whicharebeingaccel -crated by governmentaldevelopmentpolicy・ Remarkablechangescan bcobserved cveninthevillageorGalok,whichissituatedneitherinadouble-Croppmgareanorin arubberoroilpalm estateareaandthustendstcJbenefitlessfrom developmentplannlng・ ThcchangessorapseeninGalokal・eaSfollows.

Thchigh-yieldingvarietiesorpaddy,whichal・eimpol、tantflopruraldevelopmentofl doublcICrOpplngareas,havenotbeenacceptedinGalokbecauseorthepoorwaterc on-ditio1

1

S,althoughthe、′illagersal・eCOntinuaHytl・ylngtOintroducenewstraiIISOrtraditional val・ieties. Ontheotherhand,thehiringortractorshasspl・CadinsplteOfthecontinulng instabilitvoftheharvest・ TractorhirebecamepossibleowlngtOtheincreasedcashi n-Comederivingmainlyfrom rleWlyintroducedtobaccocultivation. Tobaccocultivation inthedry-seasonpaddyfieldsofGalokplayeda∼impol.tantaroleasdidthehigh-yielding varieticsin double-cropplng area. Theeconomicgap between Galokand themore rapidlydeveloplngareasis,however,stillconsiderable・ Thus,mlgrantworking,which hadoncebeenimportantbuthaddeclinedintheearlyyearsoftobaccocultivation,has againbecomepopularamongGalokyouths. InthissensetheGalokvillagersseem tobc followlngtheexampleofthemoremodernizedMelakavillagers.

Theinnuencesoftheoutsideworldarenotonlveconomicbutalsosociocultural. Thespreadorformaleducationisoneorthemostremarkablefeatures・ Manyvillage children now haveexperienceorexpectationsorhavi叩 Malay-medium high-school education,asat・esultortheabove一mentionedincreaseorcashincomeandtheprlOrlty giventoMalaysinthedistributionofscholarships. Ontheotherhand,thepondokschool

,

theformercenteroftlladitionaleducation,hasalmostcompletelyceasedtofunctionin theeducationoryouth. Schooleducation Ila∼producedinvillageyouthsanurbanor non・agrlCulturalorientation,whichissupportedbvtheirparents. Thus,theeconomic developmentorGalokseemstobeleadingtowardsanexodusofvillageyouths.

Ⅰ は じ め に

調 査 地 ガ ロ ッ ク (Galok)は ク ラ ンタ ン川を

河口

か ら

2

5

マ イ ル余 (約

4

0

km) さか の ぼ った , 川U)左岸 U,)高 位 も し くは申位

C

/

)河 )F'rr

.

l

に, 川か ら

l

/

4-1

/

2

マ イ ル

(

0

.

4

-0

.

8km)離 れ て

矧用す る マ レー 人 の 農 村 で あ るo 郡役所所 在 地 C/)パ シ ー ル マ ス (Pasir M ag)か ら ク ラ ン タ ン 川 に沿 って約 9マ イ ル

(

1

4

km)

上 流

位損

す る。 パ シ ー ル マ ス は 人 目--)j余の小 さな 町 で, そ こか らさ らに 10余 マ イ ル で ク ラ ンタ ン州

l

l

'

;コ タバ ル (Kota Bharu)に迅 す る こ とが で き

*京 都大学東南 ア ジア研究 セ ン クー ;TheCcntcrforSoutlleaStAsian Studies,Kyoto University

(2)

坪 内 :マ レー農 村 ガ U ツ タ再訪 るO 前 世紀U)終 りに闘

され た と推 定 され るガ ロ ック加 須 こは, 現 在約 150此晶の マ レー人 が, 道路 に沿 って約 1マ イ ル にわ た る リボ ン状 鮎 答を形 麟 して 住 んで い るO彼 ら

u

j主な生 業 は 水 稲耕 作 とゴム タ ッピングで, いず れ も小 規 模 に行 われ て きた。1968年 に Malayan Tobacc() Co一(M・T.C・)によ って タバ コ耕 作 が こ

0

〕村 に導入 され て 以 来, 人 々は もう一・つ uj巨要生 業 を もつ よ うにな った。 タバ コ耕 作 が導 入 され た時期に低 迷 して い た ゴム価格 は近 年 や や もち起 し て 来 て お り, リプ ラ ンテ ィン

グu

j効果 もあ らわ れ は じめて い る。通勤を 合む町と

u

j

l-炎-日系も次 第 に強 くな った。

入水依

存 に よ って来 た 水稲耕 作 は,廿

用 とい う性 格を保 ち続 け るが, 現 金 収 入の増加につ れ て畜力依存 か ら トラ クター賃 桝 へ と移 行 しつ つ あ る。 本稿で鞘ir.'・す る の は, 1970/71年の調査時とそれ か ら6年 余 経 過 した1977年末 とにお け る村 人uj畑清U)変 化 につ いて で あ る。1)1970/71隼 には 全戸`145世帯2)a)調査 を行 な ったが,1977隼 には lカ月足 らず の滞 在 i勘 こ水 稲耕 作t

i:15戸 と, 比較C/)た め に

水稲耕 作世帯 9)E-を それ ぞれuJカテ ゴ リーか らラン ダム に紬出 し, イ ンタ ビ ュ- した に過 ぎない 。 /柚 EGj耕 111畏衣15性 器cJ)うち14E日常 は以前の調査 時に も在 住 して お り, 一・戸のみ そU)後 新 た に 世帯 を設 けた もU)で あ る。,豪 族発展U)段 階 変 化 に と もな う状 況U)自動的 変 化を考 慮 す る必 要 が あ る と して も, 以 前か ら存 続 す る14世

U)水 稲耕 作者 にお け る新旧C/)比 較 は最 も興 味深 い デ ー タを提 供 す るで あ ろ う。 ⅠⅠ 生 業 にお け る変 化 (1) 水稲耕 作 ク ラ ンタ ン川uj下 流 部で は クム ブ

画を は じめい くつ かuj二期作化計画が実 現 して い るが, ガ ロ ックにおい て は水 稲耕 作 に

して は 天水 依存 とい う伝 統 的 な形 態 が そ の ま ま存 続 し て い るo ク ラ ン タ ン川か ら溝

洗G

/)た め に水 を得 る には余 りに も康 が高 く, ま た こ山地 域 に は支 流 も な い 。計画を お こす には

肌 面積 が余 りに も小 さ過 ぎ る. 中 くして現 在 で も以 前 と同 じよ うに 高 い しっか り した畔 を つ くって 天 水を保 持 して 耕 作 が 行 われ て い る。 1970/71年度 において, ガ ロ ッ クに屠 任 して 稲 作 を行 な って い た71什描fカ洞3'にめ ぐまれ た 場 合耕 作 で きる最 大水LH而 精は約 100ェ - カー (40.5ha)で あ って,--・世帯 平均1.4ェ - カ ー (0.57 ha)で あ った(〕こU)うち23ェ - カーは他 人か ら借 りた耕 作地 で 他 は 自作

で あ る。 小 作を して い る者 は19

t

t

i・(26.8%)を 数 え るが, この うち 自小 作 が13世帯で, 小作U)み を行 な -'て い る 1)1970/71年における詳 しい状況については 卜記の報告を参照されたいO 「クランタンの-農村における タバ コ耕作の導入 と社会 ・経済的変化」 『東南アジア研究』9巻4号,1972.3;「東海岸マレー農民に おける土地 と屠什」『東南アジア研究

』1

0

巷 1号,1972.6;「マ レーシア東海岸の天水目地域における 稲作」 『東南アジア研究』10巻2号,1972.9;「束梅岸マレ-一遇民における結婿 と離婚」 『東南アジア 研究』10巷3号,1972.12;「マ レーシア東海岸の村落住民の収入 と収入源

『東南アジア研究』lo基 4号,1973.3;「クランタンの農村におけるポンド(寄宿宗教塾)

『東禰アジア研究』11巻2r号,1973. 9, 2) 1軒の宏に

Ll

L

-

.

和銅力のl酎立となっているが,二つの

l

l

t

LJ'yf単位を構成する複婿日

二を,_/1:廉の側か ら捉えて ここでは1世帯 として扱 っている。l消費単位の合計は146である0 639

(3)

東 南 アジア研 究 16巻4号 のは 6世帯 で あ った。 自小作 は

作の延長 と して よ りもむ しろ 自作 の

長 と して uji'L鼎 の方が 強いので, 基本 的 に小 規模

別十作

麿を 主体 と して い るとい え るC,こ江

津七

.)裾 ま1976/77年 におい て もほぼそのまま存続 してい るよ うに思 われ るが, 農家

o

j経営規模 はやや大 き くな -1てい るo す なわ ち, サ ンプ ル稲作 亀宏 1神 目冊瑚 作で きる水

胴 長は 29.75ェ- カ-で あ って, こUjう ち28.6% にあた る 8.5ェ- カーは他 人か ら借 りた小作地 で あ る。平均経営

面精

は2ェ- カー, 小

作面精

平均 は 0..6ェ- カ-であ る。サ ンプ JL,農家の うち水

1

0

)全 部また は-潤;を小作 して い るのは 9戸 (60%)で あ る。 1970/`71年 に も調査 され た14戸について 調べ ると, 当時小作を し てい た者 は 5戸 で,今 回は8-)I・T'に増 えて い る。 所有

面精

お よび

面積 の

加 は こ

の期

間 に棉 作農家が若

干o

)土地 を 貰 -,た り,小

闇係を

や した ことに闇係 してい るよ うに思 われ る。 こ U⊃ことは, この地域 において 稲作農家数が減/i;しつつ あ る ことを

定 させ る。 小作契約 は 口

で行われ る

0

)が 伝統で あ ったが, こUjt頃向はそのまま維持 され,契約晋 がつ くられ る ことはな い。刈 り分 け小 作が相変 らず行われて お り,収穫 O.)2分の lが地主 に漉 され る。 この地域

に漕

概施設 を欠 くことはいわゆ る高 収一鼠品種 の導 入を妨げて い る。 15戸 のサ ンプ ル 農家 にお

収量 品種 を採 用 して い る者 は皆 無で あ るが, この状況は全農家 に も あ て は ま る。高収

品種 を採 用 しない理 由 と して,15戸

中1

4

戸が

,

「水条件が惑 いか ら」 と答 えて お り, -戸 のみは, 「これ までや った ことがない か ら」 と答 えて い るO それで は この問題 が解 決 され た らど うす るか とい う問い に対 して は, 14人が 「他 の者 がや るな ら自分 もや る

と言い,一人 が 「誰かが成功すれば 自分 もや る」 と答 えてい る。 伝統品種 の使用 に関 して,各農家 は毎年 同 じ品種 を栽培 す るので はな い。両 の多寡 は品種選 択 の重要 な決 め手 にな る し, また伝 統 品 種 といえ ど もたえず 新 しい品 種 の導 入 が 行われてい るので あ る。 た とえば,1970/71年 調査時 に最 も広 く用い られて いた晩生 品種 の-一つ ,パ デ ィ ・

ピア- (PadiPiah)は, ピア-(Piah)とよばれ る中国系の農民 によ って その ころ対岸 サ ロール

(Salor)地 区のプ ンカ ラン ・クボール (PenkarangKubor) か らもた らされ た もので あ って ,

サ ロールで はパ デ ィ ・クテ ィップ (PadiKutip) と呼 ばれ る品種 で あ る。 またパ ウ (Pauh)と

よばれ る品種 は2年 は ど前にガ ロ ックに導入 され

,

黒色 がか った深水 用の晩姓種パ ウ ・ブ ラ ッ

ト(Pauh Berat) と白色 がか った浅水 用の早生:A.穂パ ウ ・リンガ ン (PauhRingan)とが あ る。

1970/71年 の調査 当時若干 u農家 によ って用い られて いたセ グパ ル (Segupal) とい う品種 は ,

今で は もう種 もみが手 に入 らない といわれ る。

1970/71年 と 1976/77年 の両年度 に閑 して, これ らの期間 を通 して在 村 した14戸 のサ ンプ ル

稲作世帯

いた品種 を比較す る と,表

1a

)よ うにな る。, 仁力品種 で あ るパデ ィ ・ピア

-a

)徳

]削 ま変 らず, また 1970/71年 度の第二 の品種 で あ った イ ンタ ン ・ブ リア ン (Intan Berian) の

使用 も

け られて い るが, サ ンプ

ルt

3

:

U雄司では, ポ ッ ク ・ドゥ ト(Pok Dut), セ グ パ ル

(Sf.gupa]), パデ ー.パ-′7 -/ ソ ト (Padi

P

ak A111at), ノせデ 1・・ケ ダー (Pa,li Kcdah), パ

(4)

坪 内 :マ レー-農村 ガ ロック再訪

デ ィ ・ メ ラ ッ ク ・ シ ア ム (PadiMcrak

Siam)

,

ブ ル ー ト (Pulut

,

もち米 ) の 使 用 が 消 失 して, 代 りに, パ デ ィ ・パ ウ (Padi

Pauh)

,

ア リ ・ロ ガ ッ ト (AliLogat)

,

ラ ッ ク (Morak), パ デ f ・ バ ク (Padi

Paku)が 使 用 さすLるよ うにな って い る。 1 軒 の 農 家 が 用 い る品種 につ いて い え ば, 二 つ の 調 査 年 度 に お い て 全

く品

種 の 変 更 を 行 な って い な い 拙 ま3世 帯 に過 ぎな い 。 こ の意 味 で の この地 域 の腰 民 は た だ伝 統 に従 って 米 をつ くって い るの で は な く, 与 え ら れ た条 件 の 中 で た え ず 向上 を求 めて い る と 表 1 用い られた品種別にみた稲作世帯数* 品 種 名 I 1970/71 i 1976/77 Piah (PadiKutip) 9 9 PokDut 4 IntanBerian 2 2 Segupa1 2 PadiPalAmat I PadiKedah 1 PadiMerakSiam 1 Pulut I AuLogat PadiPauh Morak PadiPaku *稲作世帯14戸について.蛋複回答あり。 Q J 3 1 1 い う こ とが で き る。 天 水耕 作 の問 題 点 は, 年 に よ る植 付 ・収 穫

積 お よび

反当

収 慶 の変 動 が 大 きい こ とで あ る. 1970/71年 の調 査 時 におい て は, l鹿 家 平均 作 付

槌 は 1.14ェ - カ ー (東 大 可能 耕 作 面 積 の81 %)で あ ったO そ の 前年 (1969/70)に は もっ とひ どい水 不足 が あ って 平均

0

.

90ェ - カ ーが 作 付 され た に過 ぎな い O今 回 の 調査 で は, 15戸 の サ ンプ ル鹿 家 の 1976/77年 の 平 均 作 付 面 積 は 1.22ェ ∼ カー (巌 太 一可能 耕 作 面 積 の61% ), 平均 収 穫 面積 は 1.05ェ - カ ーで あ ったO 水 不足 の 年 には 単 位 作 付 面 積 に対 す る収 巌 もま た 低 くな る。 前 回 の 調査 に よ る とこの あ た りで は通 常 の 収 穫 の場合309ガ ンタ ン /エ - カ- (gantang/acre)3)が 期 待 され て い るが,1970/71年 度 の収 穫 は220ガ ンタ ン /エ ー カ ー, 1969/704日射 まわず か124ガ ンタ ン /ェ - カ -で あ った01976/ 77年度 oj15サ ンプ ル 農家 で は, 作 付

面積

に対 す る収 量 は162ガ ンタ ン /ェ - カー, 収 穫 面精 に対 す る収 量 は 187ガ ンタ ン /エ ー カ ーで あ ったo 次 の収 穫 (1977/78)は

にめ ぐまれ て 豊 作 が 期 待 され て い る。 不 作 の三

明 i

関 は水 不 足 で あ って , サ ンプ ル腰 家 の うち13戸 (87% ) が これ を 7新 羽と して挙 げ て い る。 次 に沌 祝 され る不 作原因 は,

過剰,痛

雷,

お よび

虫害

で あ るが, 各 々 2戸 (13%) の 農 家 が これ を 指 摘 して い る に過 ぎない O 水 過 剰 は村 の--潮 の低い位 閏 の水 江=こお い て 牡 じた もの で あ る。 ま た- 人 だ け鼠 の晋 を 不 作 の原 園 と して い るo (以 上重 視 回 答 を 認 めて い る。) 過

10年 の間 に豊 作 ・不 作 が どの くらい の頻 度 で お こ ったか を 知 るた め に この期 間 連続 して 耕 作 を続 けて きた12戸 の サ ンプ ル鹿 家 の 回答 を もとに, 豊 作, 平年 作, 不 作 , 凶 作 の比 を算 出 す る と,1.5:5.9:2.5:0.1とな るo 凶 作 は め った にな い が, 不作は 4年 に1回 は お こる もの と認 3)】ガ ンタン (gantang)= 1茶ガロン-4.546l・収樽は もみ米ではか られる。 もみ米309ガ ンタ ン/エー カー-白米1.37トン/ha-日米0.92石 /反。 61I

(5)

東南 ア ジ ア研 究 16巻 4㌢; 識 されて い るよ うにみ え る。 技術

・労

働上 で の鍬 二欝な変 化 は, トラクター雇 用 の増 加 で あ る。 サ ンプ ル農家15の うち1

1

描 (73%)が 1976/77

年o

j水稲耕 作 のため に鮎 拝外 か ら トラクタ-を雇 用 して い る。 1970/71 年 において は仝 甘

夏U

)うち トラクター賃排 に依存 す る も

C

,

)

は31% に過 ぎなか った

D

jで あ る。 197O/71年 ujHIL正目こおいて, 筆 者は こujJ一也域 には トラ クタ

賃排 の普 及 に

して二 つ の制 限 要 囚が存 在 して い る と考え た。 第 1に, 当時 トラ クタ ー賃排 を利 用 した のは

と して 水牛や牛を 所有 せ ぬ者 で あ った。

牛や 牛は これ らを飼育 す る こと

日本によ って も,牡 まれ た仔 の売 却や 成 長 に と もな う価格の

軒を

じて 利益 を生 み 出す 。 この よ うな家畜 飼 育 と耕作 にお け る畜桝 とが密接 に結 びついて い るため に, トラクター賃排 が 全

的 に採 用 され るこ とは考 え ら れ な か った。第

2

,雨

量 の如何 によ -'て作況 が 左 右 され る不安 定 な条件 の 下において は, 自 ら

o

)

労力の浪

門 は惜 しまな いが,現 金文 ILhを

しむ者 が存在 し, この こ と も トラクタ

-

の全血的 普 及を うけ入 れ ない一 つ の安閑 とな って い た。ところが ,甘美は,1976/77年 において トラクター 賃耕 を利 用 したサ ンプ ル農家 の うち6戸 (54.5%) は 自身で 牛を飼育 して い るので あ る。

点 を 変えれ ば, 牛を所有 す るに もか かわ らず トラクター賃桝 を利 用 した農家 は60% に連 す るので あ -,て, 後 に述 べ るよ うな現 金収入 拙 点が聞 け る こ とによ って, 前 述

o

j

考え)Jは くつ がえ され た ので あ る。 ガ ロ ックにお け る化学 肥料 使用者 は1970/71年 において は21名 (全 農家 の29.6%)で あ った が, この うち2割 ま川む こ うの水 田で肥料 を使 用 して い るので, ガ ロ ック地域 内の水 田 にお け る肥料 使 用者は19名 (26.8%) とい うことにな る。 1976/77年 の化学 肥料 使 用者 はサ ンプ ル農 家15戸

3戸 (20%) に過 ぎなか った。化学 肥料 購 入を可能 とす る現金収 入 は, 後 に述べ るよ うに多 く

場 合か な り増加 して い るに もか かわ らず, 使

者 が減少 した とい え る。 これ は1976 /77年oj水 条

が 1970/71

よ りも劣悪 で あ ったた め肥料 投 入を 差控 え た者 が存在 した ため と も考 え られ る。 1970/71年 において は化学 肥料 を用い た者 は \恒勺226ガ ンタン /ェ - カ-oj作 仙

吊精

あ た り収 量を得 た の に対 し

,

用 いなか った者の収 量は165ガ ンタン /エ ー カ - で あ っ た。 1976/77年 において は

,化

肥料 を

J

l

jい た者 178ガ ンタ ン /ェ- カーで, 用い なか った者 156ガ ンタ ン /ェ- カ-で あ った。 水 条

の悪い隼 には化学 肥料 を用 い た者 と用い なか った者 との収 量比 が小 さい こ とがわ か る。か くして ガ ロ ックで は最近, 隣 部落 に新設 され た農業 協同 組合

(

LP

p

-Le

mba

g

aPe

r

t

ubuhanPe

l

a

da

ng)

を通 して肥 料 購 入の機 会 が

人 しよ うと して い

るに もかか わ らず, 現 状 で は肥料 の全血 '1/I)使 用 は水条件

U

)

い年 に限定 され るか もしれ ない。 この結果 は,当

分o

)ところ, 水 条件 の良 い年 にお け る収量 と悪 い年 にお け る

量 との差 の拡 大 を もた らす こ とにな る。 伝 統 t'['Jには こ

U

)地域 で は有機肥料 を も使 用 す る こ とが少 なか った

u

jで あ って, サ ンプ ル農家 15

7

I,現 在草 木の灰 な どを 水 出 にまいて い る者は 5戸 (33.3%) に過 ぎない。 これ らの うち 642

(6)

坪 内 :マ レ・一腰 村 ガ ロ ッJj再訪 2

は 同時 に化 学 肥料 の使 用者 で もあ り, この意 味 で は一一凋 Sの熱 心 な鹿 家 は, 伝 統 的 ・近 代 的 方 法 を

わず 収 嵐 を あ げ る 努jJを して い る こ とが わ か るO 除軍 は伝 統 的 に行 われ ず, 1976/77 年 にお け るサ ンプ ル 畏宏 にお いて も, 除草 を行 な って い る者 は皆 無 で あ る。 ガ ロ ックにお け る水 稲 耕 作 は

規則

と して 家 族労 働 によ って行 わ れ て きたO ケダ -・)帖 こみ られ るよ うな 仕I植 え

の際C

/)労 働交 換 な どは 伝統 郎汗二皆 無 で あ り, 労 働 力 不 足分 は雇 片目こよ って 補 う の が普 通 で あ った。1970/71年 におい て は,耕 起 ・整地 作 業 の た め に水 牛 また は牛 を 使 う者 を 雇 用 した ケ ー スがT)件 あ -'たが, 1976/77年 にお いて は, 少 な くと もサ ンプ ル農 家 に関 して は これ らは もはや皆 無 で あ った。 すべ て トラ クタ 一貫排 に と って 代 られ た の で あ る0 1970/71年 には,苗束 づ くりは10.6% , l射 たえ は12.1%, 収 穫 は18.3%の 農 家 が一 部 また は全 部 の 作業 を 雇 用労 働 に依 存 して い た。 1976/77年 につ いて サ ンプ ル農 家15川 こお け る割 合 は, 苗 束 づ くり 13.3%

,

侶植 え40.0%, 収 穫20.0%で あ った。 と くに出植 え につ いて雇 用 の増 加 を 示 し て い る。

上述o

)よ うな雇 周傾向 の増加 にか か わ らず, 自家消費 を 目的 とす る米 づ くりの性 格 は保 た れ て お り, サ ンプ ル

安中 1976/77年 に米 を 他 人に克 った者

は皆無

で あ る。 (2) ゴム タ ッピ ングお よ び タバ コ耕 作 ガ ロ ックにお い て ゴム タ ッピ ングは 水稲耕 作 とな らぶ 重 要 な

業 で あ った。 伝統 的 に水 稲 が 自家 消 費用 で あ った 正目こ対 して, ゴム は完 全 な換 金 作物 で あ る。 1970/71年 にお いて は ガ ロ ッ ク屠 住者 が所 有 す る ゴム閲の総

積 は158ェ - カーで,所 有 世 帯 数 は88,所 有 者 l戸 あ た りの 平 均 面積 は

1

.7

ェ ー カ-で あ った。 リプ ラ ンテ ィ ングを受 けた ばか りで タ ッピ ング され て い な い若木 や,

置 され た 邑木 な どを 除 い て,当時97ェ - カ-が実 際 に タ ッピ ング され て い た。 こ れ らの ゴム園 は 自分で タ ッピ ングす るれ あ るい は 他 人に接 しLti'1され て い る。 この ほか に災 落 外 で ゴム閲を 借 りて い る者 もあ る。 1970/71年 には94世帯 にお いて

員の いず れ か が ゴム タ ッピ ング に従事 して い た。 ゴム

U

)タ ッピ ング作 業 も稲作 と同様 , 、恒勾

1

.

4

ェ - カー とい う零 細 な規 損 で行 われて い た。 ゴムは従 来非 常 に有 利 な

業 と考 え られ て きたが, 1970/71年 の 調査 時 におい て は

,

価 格低 迷中で あ り, ガ ロ ックで鮎 童され る4- 5級のゴム の価 格は lカ テ ィ (kati,0.61kg) あ た り M$0

.

30-0.40で あ った。 1960-62年 頃 には M$0

.

70-0.80も して い たojで あ る。 ゴ ム価 格の 低下 と

,

次 に述 べ る タバ コ耕 作の 導 入

o

jた め に, 当時 は タバ コ耕 作

間 中 に タ ッピ ング の休 止 を す る者o)存在 が 目 立った。 1976/77年o)ゴム

格 は, lカテ ィあ た りM

$

0

.

60-0.78で あ っ て, 物価 上汁の影 響 を 考慮 す れ ば や や有利 にな った とい え る程 度 で あ る。 1976/77年 において はサ ンプ ル 稲作 農豪 15戸の うち9戸 (60%),非 稲 作 農 家9戸 の うち4戸 (44% )が ゴム タ ッピ ングを 行 な っていた

平均 タ ッピ ング而申出まこれ らo)13戸 につ いて み る と,2.2ェ - カー とな る (表 2参 照 )o平 均面横 が1970/71年、榊 tlj-=よ りも大 き くな って い るが, これ は サ ンプ リング エ ラー の範 囲 内の現 象 とい うよ りも, リプ ラ ンテ ィングが終 って稼 動 化 した ゴム園 が増 加 して い 643

(7)

東 南 ア ジア

究 16巻4付 表2 ゴム園所有およびタッピング従車者とその規模 (1977) サ ン

ル の カテ

リー ンプル l ゴ ム 園 t 平均所有 】タッピング t平均タッピング 2.0 エーカ-1.8エ-カ

9 1.9ェ-カー -4 3.0 エ-カ-るため といえ そ うであ る(〕 ゴム閲を借 りてい る者 はタ ッピングに従事 してい るサ ンプ ル13戸 中 6戸 (46% )で, 1970/′71 年 にお ける24% (23/94)を上廻 って い る。収益 を所有者 と作業者 とで折 半す るパ ワー

(

pa

wa

h)

の制度 の適 用 に関 して は以 前 と同株 で あ る。 タ ッピング技 術 ・装 備 に閑 して も以前 と同様 で変 化はみ られ ない。 ゴムシー トは スモーキ ン グに付 され ることな く, 高 床家屋 の床下 あ るい は家屋付近 の 日陰で 自然乾燥 され, 隣鮎 答uL)ラ イセ ンスを も

中国系集荷業者, または各戸 を まわ って来 るマ レー人 の

買 人

(

pr

a

i

h)

に亮 ら れ る。 タバ コは比較的最近 導 入され た換 金作物 で, 乾期 中の水 tllを利用 して耕作が 行われ る〔。タバ コ耕 作 の導入 は1968年 に

M.

T.

C・(

Ma

l

a

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a

nTo

ba

c

c

oCo

)

を通 して行 われ ,ガ ロ ックの中央部 に同社 市営 の集荷 ・乾燥 のためのステ -シ ョンが設 け られ た0 1968年 に641t描 ‡で あ った耕作者 は,4年 目の1971年 には 124冊 侶こまで増加 したO これ はガ ロ ../ク総 世帯数 の85.5% にあた る0 1970年 以来

M.

T.

C.

以外 の よ り小 規模 なタバ コステーシ ョンが,

集落 を は じめ各地 で設 立 され, タバ コの葉 の買入れをめ ぐって競争 が行 われ るよ うにな るo そ して大組 織で あ る

M.

T・

C.

は 自社 の岱 付 けた資金で耕 作 させ た タバ コを,他 の小規模 な ステー シ ョンや仲 買 人に横取 りされ る こ とが お こった りす る。 1975年 にはガ ロ ックにお ける

M.

T.C.

ステーシ ョンは操業 を停止す るに至 り,村 人 は村外 の小 規模 ステーシ ョンにタバ コの葉 を

渡 す よ うにな った0 1977年 において は, サ ンプ ル総数24の うち17世帯 (71%) が タバ コ耕 作を行 な って い たO この 割合 は1971年 よ りも低 くな って お り,--・時 の熱狂 的 な耕 作参 加か ら, 冷静な定着化へ とむか っ て い るとい え る。 この期間 におけ る変化 は耕作

L

;;数 の増減 だ けには とどま らない。l世帯 あた りの栽

本数 も急激 に増加 して お り,

1年度 の1968年 には

11

鋸昔あた り1,000本 に制 限 されて いた ものが , 家族員の名義を用い る ことによ って次 第 に

l†

昔あた りの栽培数を増 や して きたo また,3

に分割 され た耕 作期間 の うち, 1970年 までは第

l期

のみの耕作が認 め られて いたが,71年 か ら はガ ロ ックの一 部では第

1

期 と第

3

期の耕作が行 われ るよ うにな った。

M.

T.

C.

による市接取 引きが行 われ な くな る と制 限 はほ とん どな くな り,

1世

平均

培本 数は 更に

増加

した。他 万, 1968年 か ら71年 にか けて は, 栽培 本数 1,000本 あた りの収入 は毎年 低下 して いた。 そ0)理由は 次

c

j)3酎 Jで あ る。 (I) 第 2年次 における大雨, および第 3

次 と'gJ'4年次第 1

における早 は 6

4

4

(8)

坪 内 :マ レ--農村 ガ T,ッ//再

つが収故 を減 らし, また晶質 を

くした こ と (2)栽培本数 の増加 のため十 分 な世話がで きない 場合 が/A:.じた こと (3)十分 な作業能力 を もたぬ者 までが耕 作 に参 加す るよ うにな ったため, 世 話が十分行 われ ない

合が増加 した こ と (4)耕作 畳 の増加 に と もな って M.T.C. の買付 け 条件が きび し く畑 )

,

品質

定 が きび し くな った こ と, で あ る。 と くに この時期 は, 買手 と し て

叫.T.C.

u

j

占状

態が 続 いてい たため, lカテ ィあた りの価 格が等級 によ ってM $0. lo-o.30ときめ られ てい たが, 実 際の買取 り価 格 はM

$

0.15程 度 に まで下 落 した といわれ る。 こ のよ うな単価 の下 落 に もか かわ らず,

1

器あた り栽培 本数 の増加が タバ コ耕作 によ る収入 を 増加 させ たので あ った。 1977年 には 1カテ ィあた りの価格 はM$0.10-0.37といわれ るが,辛 均 買付価 格が比較 的高 くな ってい るので, 1,000本 あた りの収入 はか な り上昇 して い る。サ ン プ ル世帯 の うち タバ コ耕 作者 についてみ る と, タバ コ耕作 によ る収入 は 1977年 には 1971年 の 2.7倍にな って い る。(1971年 のガ ロ ックの タバ コ耕 作者全体 の平均収入 に対 して は 3.1倍 とな る。) か くして タバ コ耕 作 は, 今や ガ ロ ックにお け る主要生業 とな ったので あ る (表3参照 )0 表 3 タ バ コ 耕 作 の 変 化 年

1968 1969 耕作世帯の割合 い F均 栽 培本 数 jl,000本あたり収入 ヨタバ コ耕作による収入 44.1% 47.6 1970 1 77.9 1971 ri 85.5 】 タバ コ耕作 は乾 期の水 田を利用す る ところか ら, 稲作鹿家 とのかかわ りを強 く有 して は じめ られ た。水 凹を所有 しない若年 世帯主 の耕作開始 は第 2

次以降 の場合 が 多

い。

この場合,他 人 の土地 を借 りて も,乾

の水田に対 して は借地料 を支払 わないのが通例 で あ り, タバ コに用 いた肥料 の残存 効 果があ る とい うことか ら地主 も土地 を教 すのを喜 ぶ傾 向が あ った。 タバ コ耕 作 の定着 化 と土地 利 封 こと もない, 1977年 において は-部 の者 は 栽 培 本 数 1,000本 につ いて

M$

10の借地料 (sewa)を支払 うよ うにな って い ることに注 目す る必要が あ るo (3) その他 の収入源 以上 の外 に もこの6年間 にかな りの変化 の様 相 を示 す職業 が い くつかあ る。次 にそれ らにつ いて 略述 しよ う。 a. 賃金労 働 第 1は常 勤的 または非常 勤的な賃金労 働 であ る。 ガ ロ ックにお け る M・T・C・ステー シ ョン の開設 は,約4カ月の タバ コ収穫 期の問,選 別 ・運搬 ・梱包 ・清 掃 ・警備 な どのため に多 くの 労 働ノJを周辺 の村 々か ら某 めて, タバ コ耕 作「日本と並 んで,村 人の侶 舌に大 きな変化を ひ きお こ した。 1971年 には ガ ロ ックか らは, 男子 13名, 女子73名 が M・T・C・ス テーシ ョンで働 き, 645

(9)

東南 アジア研究 16巻4F3 その10才以上 の人 口に対 す る割 合 は,男 子6.9%,女予29.8%に適 した。申で も15- 19才女 十 において は同一 年 齢階級 の人 口の72.1%とい う高率 を示 したので あ る。 職種 によ って 出来 高 払 い あ るい は時間給 が適 用 され,前者 の場 合, 升 子lI矧開M $0.45,

子M $0.40が支 払 われて い た。労 働者 の数 が fH ';oj量 に比 して '',3過 ぎ るU)で, 作 業量 に影響 され ない 警備員o)場 合は, 月M $80-9003収入 が あ るが, そ0)他 の職種 で はせ いぜ いM $40-60が得 られ るに過 ぎなか っ た。 M.T.C.ス テー シ ョンの閉鎖 に と もない, 他 部落 の小 規模 ステー シ ョンに雇用され る若ニ

のケ ースを 除 けば, この よ うな機 会 の存 和 まきわ めて わず か にな った

。現在

, サ ンプ ル tt描 i:24 か ら他 部落 の タバ コス テー シ ョンに雇 用 されて い るの は2名の男子 で, 月M $120- 140の賃 金 を得 て,荷 役 のた め年 間6- 10カ月働 いて い る。 1977年の時点 で はサ ンプルIti-JHi二24跡函 こは, 政府 闇係oj仕事で固定 給 を得 て某 落外 に通 勤 し て い る者 が2名 含 まれ て い る。 そ0)lは漕洗排 水 局

作業日

(月収M $216,1971年 にはM$130), そC/)2は

婦 (月収M $350)で あ る。 後者 の大 は兵 隊で現

集 落 外 に別 店 し て い る。 サ ンプルl恒二はパ シー ルマ ス とクナ メラを結 ぶ道路 で営 業す るタ クシー U)運 転 手 が2名 合 まれて い る。来 合制で, しか も毎 「廿巨巨が あ る訳で はないがM $200-300程度 o)月収 が あ る。1971年 に ガ ロ ック全 体 か らこU)種のIL:i附 こ従事して い た刷 ま, 小学 校教 師 Sf., マ ラ リア 蚊駆 除作業員 3名, タ クシバ 割 戻手 3fl, 成 人学 級講師, 兵隊,

灘 排 水局作 業員, コー ヒー シ ョッ

T,l訂1, トラ ック運 転手, タバ コステー シ ョン常勤作 業員各l名

,

計15缶で あ った。サ ンプル世帯 にみ られ る比 率が その ままガ ロ ック全 体 に適用され る とす る と,卿時点 で は30名

常 軌的雇 用者 が集 落 内 に屈

して い る こ とにな る。 b. 出稼 ぎ タバ コ耕 作 が導 入 され るまで は

,

出稼 ぎは この災 落 の住艮に とって

要な収入源とな って い た。 タバ コ耕 作開 始以来, その数 は著 し く減少 したが, それで も1970/71牛皮 には10名 の者 が た桐家ぎujた め に一時的 に離村 した。 ガ ロ ック住艮 の Hl.稼 ぎo)特徴 は,第1に若年 者 が主 力を占 めて い る こ とで あ り, 第 2に毎年 確実 に行く訳 で はな く

,

同-・人が行 った り行 か なか った りす る こ とで あ った。 1970/71年 にお け る最 も市 要な出稼 ぎは, 収 入折 半

(

pa

wa

h)

の約 束 による ゴム タ ッピ ングで,パ - ン

(

Pa

ha

ng)

-

行く者 が 多か った。 この年 にお け る出稼 ぎ経験 者 の うち半数 (517.) が, この よ うに して2011- 3カ月 の閤パ - ン- お もむ い た。M $20-200が 彼 らの もち帰った収益 で あ る。 ク ランタ ンJ)桐)ゴム閑地描 -

か けた者 もl名い る。以前 は タ イ碩 -入 って タ ッピングに従

p

L

J

げ る者 もい たo ケ ダー

(

Ke

da

h)

・帖 こお け る水稲 の収穫 はかつ て は酢 宴な 出稼 ぎの対 象 とな って いた。 これ は当時 存在 したケ ダー と ク ランタ ンとの収穫 期

ず れ を利用して行 われ て きたので あ るが, ケ ダー州 にお け る∴拙作化U)jiiifLf・カ膿 業暦 を変化 さ せ た こ とと この地域 にお け るタバ コ耕 作 の導 入 によ って 粁し く衰退 した。 1970/71年 には l名 だ けが ケ ダ ー にお もむ き, 約 1カ月滞在 してM $60を もち帰って い るo クランタ ン州 内にお け 646

(10)

坪 内 :マ レ-儀 村 ガ ロ ック再訪 る稲 作地 サ ロ-ルヘ行 き

,

作業 に従 車す る者 が若

あ り,

1

9

7

0

/71

年 には

3

名を数 えた。

1

週 間か ら

1

0

日滞在 して働 くので あ るが, 収入 は 1日あた りもみ米

5

ガ ンタ ンであ る。

M.

T.C.

ス テーシ ョンの閉鎖, タバ コ熱 の平 静化 な どのため に,

1

9

7

7年 において は再 び出稼 ぎが増加 してい る。 ただ し, 出稼 ぎ_I)亡お よび職種 には大 きな変化が生 じて, 今で は シ ンガポー ルが最 も重要 な 出稼 ぎ地 とな 一'て い る。 ビザの規制 のため長期滞在 はで きないが,普通, 2週 間か ら2カ月滞在 して主 と して建設現場 で働 くO 日給 は シ ンガポール ドル (ほぼマ レー シア ド ル と等 価)で

$9-1

2

で あ る。 た とえば

1

カ月滞在 して その間食 禦‖

こ1

$5

程度 を費や し,

M$1

5

0

を もち帰 った りして い る。 サ ンプル世

帯2

4戸

の中で過 去

1

年 間 に シ ンガポールへ行 っ た若者 がい る

帯 は5戸 を数 え る。 仮 に この割合 を その ままあて はめ る とす る と, ガ ロ ック全 体で は約30人 が シ ンガポールへ行 った ことにな る。 この数字 は ガ ロ ックを含む行政 単 位 ム キ ム ・ジ ャボテ ィモ- ル

(

Muk

i

m L

l

a

boTi

mo

r

)

か ら 1年 に

1

0

0

人 ぐらい シ ンガポールへ行 くと い うムキムの長プ ンブルの請 と符号す る。 パ - ン州へ行 った者 はサ ンプル 中で は2名 を数 え る。山人 は従来 と同 じ くゴム園で収入折半 の タ ッピングを行 な ってい るが,他の 1名 は4カ月 ほ どの間

,

油や しの処 理 の労 働 に従事 して い る。 ガ ロ ック全体 で は

1

9

7

0

/71

年 よ りももっと多 くの者 が同地 へ お もむ い た と考 え られ る。 サ ロールの二

作地へ収穫作業 に出か けた者 はサ ンプ ル世帯 中 3名を数 え, ガ ロ ック全体 で は 以 前 よ りもかな り多 くな って い る と推定 され る。 1日あた りの収入 もみ米 5ガ ンタ ンは以前 と 変 らないが,

間 は10H∼ 1カ月 と以前 よ りも長 くな って い る.受 け取 った もみ米 は売 却せず に, 自家

費用 のため トラ ックを雇 って ガ ロ ックへ もち帰 る。 C.

1

9

7

0

/71

年 の ガ ロ ックにおいて は

1

1軒 の商店,

4

の飲 食店,

1

0

軒 の屋台 がみ られ た。 商店 は維持,乾物, 食料 品を扱 う ものが多 く,飲食店 は コー ヒー, 茶,

食を提 供す る。 屋 台店 で はや し

で あげ たバ ナナ, め し,氷水や他 の飲 み物,鮮 魚 な どを克 って い た. これ らの店 の数 は集落 の規模 に比 して 多過 ぎるが, これ は タバ コシーズ ンに M.

T.C.

ス テーシ ョンを 目ざ し て雄 ま る人 々を対 象 として新規 に開店 した ものを合 む ためで あ る。 この外 に10名 の村人 が行商 人または仲 買人 と して

らかの収入を得 て いた。行商人や仲 買人 の場合 は, 屋台店 とは逆 にタ バ コシーズ ン中 は商亮を休 んで タバ コ耕 作 に専 念す る者 が あ った。

M.

T.C

,ステー シ ョンのt閉鎖 に ともな い,

1

9

7

7年 には屋台店 の 大邦分 お よび商店 の一 部 は既 に姿 を消 して しま ってい る。 他 方,-一部 の商店 の亮上 げ高 にはかな りcJj伸 びが認 め られ, と く に木 材を扱 う者 や牛を屠 殺 し肉を売 る者 な どは,住 民 の現 金収 入の増加 に ともな う家屋 の増改 築 や 食生 活 の向

L

のため にその扱 い量 がかな り増

して い る模様 で あ るO行商人,仲 買人 につ いて は今 回の調査 で はその変化 を ほ とん ど知 ることがで きなか ったが,例 えば

1

9

7

0

/71

年 にゴ ム仲 買を行 な って いた者 は,現在 では ドゥク

(

duku)

とよばれ る果実 の仲 買 に転 じ,以前 よ り 647

(11)

東 南 アジ ア研 究 16巻 4'rii も大 きな収入を得 てい る例があ る。 d. 家畜 の飼育 ガ ロ ックにおいては隼 (lembu)や水牛 (kerbau)は農耕剰 こ使用 されて きたが, 肉牛 と し て売 却す ることを 目的 として飼育 され ること もあ った。 トラクターが農耕用 に広 く雇用 され る よ うにな って

,永

年 の数 は明 らか に減少 したよ うに思 われ る。 1970′/71年 に在 村 したサ ンプル 世帯23戸の うち当時水牛 を飼 っていたのほ 2戸 (4頭)であるが, 1977年 には水牛 は もはや全 く飼育 されていない。 これ に対 して/打こ闇 して は異 な る方 向への変化が認め られ る。 1970/71 年 に も在村 していたサ ンプル世帯 についてみ ると,飼育者数 は16戸か ら12戸- と減少 してい る が,飼育頭数は計40頭 で変化がない。すなわ ち,飼育世帯 の減少 と 1世帯 あた りの飼育頭数の 増加がみ られ るのであ って, 農耕作業用か ら肉隼用へ とHrfFl)の変化 とそれへの対応が認め られ る。 e. その他 ガ ロ ックには この外 に多 くの種 類 の零細 な収入源があ った。例 えば, や し糖づ くり,大工, 金銀

紙 自動車修理,理髪帆 輪 タ ク車夫,薪炭製造,呪医, 産婆,仕立て裁縫, コー ラ ン教師,菓子づ くり,野菜づ くり,地代,家賃,果樹 か らの収入な どであ る。 これ らの各 々の 収入源 には, タバ コ耕作 の定着化, および M.T.C.ステーシ ョンの設 置 と廃 止に応 じて若干 の変動があ った もの と思 われ るが,今 回の短 期間の調査 ではその全容を知 ることがで きなか っ たO明 らか に減少 したのは,M.T.C.ステーシ ョンの設 置 と密接 に関係 していた家賃収入,輪 タ クによる収入,菓子づ くりによる収入 な どで あろ う。 その他 の収入源 は就菜者 の数や就業形 態 に若干 の変化はあ って も大体続 け られてお り, これ らか らの収入 も相応 に増加 してい るとみ られ る。 例 えば,村人の現金収入 の増加 に応 じて仕立て裁縫 や大工の 需 要 は 高 くな ってい る し, ゴム間の リプ ランテ ィングが終 って人 に貸 しは じめた者 もあ る。 また,以前 はの こぎ りで 仕事 を して いた者が チ ェー ンソーを購入 して よ り大がか りな薪製造を行 な ってい る。

収入 と生活水準の変化

(

1

)

収入 の変化 1970/71年 の調査時 か ら1977年 の間 にマ レーシアにおいて もかな り大 きな物価

昇 があ ったo マ レーシア田立銀行 (BankNegaraMalaysia)の統計 によると,1967年を 100とす る消費者物 価指数 は1970年 101.3に対 して 1977年 154・8とな ってい る。 食物 に対 す る物価指 数 は 】970年 101.3に対 して 1977年 169.4で更 に上昇がはげ しい

4

)

もうー-一つの 目やす とな るのは,村人 の 日 常肘 舌において最 も重要 と考 え られてい る米 の値段で あ る。

1

ガ ンタ ンの もみ

を現金

格 に 換算す るとき, 1970/71年 には村人 は M $0.50と 考え るレ)が通常であ ったが, 1977年 には M$

4)ef.BankNegaraMalaysia

,M

onthl_γStatisl2'calSZLPPlempnt・Feb・1978,p.42,TableVL8.

(12)

坪 内 :マ レー農村 ガ 。 ック再訪 lと考 えてお り,・この意味で米

は2イ飢こな ってい る。断食 月が終 るころ, 州政府が村 のイス ラームの導師 (イマム)を通 して黒 める一・一種 の救貧 鋸 杓の寄付 金で あるフ (トラ (Gtra)徳, クランタ ン州で は

用f

L.=ト 一人 あた り

米 lガ ンタ ンとい うことにli:-て お り,通常は現 金で お さめ るが, その額 は1971年で はM $1.20, 1977年 にはM $2で あ った. この場合 には約

1

.

7

倍 の上封 とな る。 上述の数値を念頭 にお きつつ二 つの時点 のガ ロ ック住民 の収入 の比較を行 うことに しよう. サ ンプル世 帯 24の うち23世帯は1970/71年-・に も独立 した吐計単位 と して在村 していたか ら,比 較 に際 して年 齢構成 の変化な ど・

の移動を含む家族発 展上 の

問題

点 の存在を認めつつ も, 稲作 を営む世帯 14戸 と稲作 に従事 しない世帯9戸 に分 けて,総収入および主 な収入項 目別の平 均収入

o

)比較を行 うと表4のよ うにな る。総収入 に闇 して は稲作 L帖 i'・では2.9倍,非稲作世帯 では2.5倍の増加を示 してお り, いずれ も

費者物価指数ない し米

の上昇を上廻 って い る。 兼 4 収入項目別にみた平均収入の変化 サンプ ル ヨ 稲 作 鹿 家

(

1

4

世帯) 収 入 一一▼一一選 一_…目_ 稲 作 ゴムタ ッピ ング タ バ コ 耕 作 季節労働 (村内) 定 職 出 稼 ぎ 商 売 地 米 収 光 代 黒 そ の 入 却 他 (2) ・ 1976/77i M$l M

$

93 i 112 176 i 439 498 ㌢1,025 1:十 三;; 鳥 8言; 94 139 : +45 5 チ 212 +207 4 30 +26 171 452 +281 計 I1,237 13,595 1+2,358 I21 250 206 155 820 叩 非稲作世帯 (9世帯) 叩 S W M o5 M$l M$ o ! -50 169 3 526 弓 +357 338 522 、 十184 80 i 133 … +53 0 . 267 … +267 8 55 】 +47 149毒 548 】1,036 1 +488 o t2 55 67 一 3 1 1 692 189 1,169 550 ≡;∴ ∴ .三:∴ 三 … 三三… 291II,261 再 ,037 I+1,776! 稲作農家の収入 を増加 させ る

U

)に最 も大 き く寄与 した収入項 臼は,定期的雇 用であ り, タバ コ 耕作 とゴムタ ッピングが これ に次 ぐ。 稲作か ら

U

刃文入 (現金換算) は

1

.

2

倍 とな るのみで あ っ て

,串突

上 U)減収であ る

。非

稲作

性器U

,)収入を増加 させ る捌

最 も大 き く寄与 したのは各

種o

j

商亮

で,次いで ゴム タ ッピング と

代で あ るO しか しなが ら,収入

U

)増加はすべての 世帯 に均等 に出現 したのではない 。 サ ンプ ル23世

帯〟

うち収入 に

1

.5

倍以下 の増

しかみ られなか った も

U

)が

5

Lu描 (稲作 世帯

2

,非稲作根帯 3) 存在す ると同時 に,収入が 3倍以上 に増加 した ものが 7世

(稲作世帯 4

,

非稲作世帯 3)荏 在す る

o

_)であ る。最 も増加が顕 著な世帯 は

1

1

.2

倍の収入 ののびを示 してい るが, これは娘 (看 護

) とそU)夫 (長閑 U)収 入に負 うところが人 きい。逆 に巌 もきび しい収 入減を示す U:)は タ

6

4

9

(13)

射由ア ジ ア研究 16巻 4特 バ コを耕 作 して いない稲作農家で 1977年 の収 入 は前 回 の58% に過 ぎな い。 この こ とは,-様 に

所得 で あ った ガ ロ ックの住民

o

)

小で, 収 入 階層 oj分 化が

E

L

;I.ちは じめた こ とを示 唆 し て い るO この よ うな収 入 差は土地 所有 の 多さだ け に帰

す る

U

)で はな く, 保有労 働

J

J

の差 によ る と ころ も大 きい のが特記 され ね ばな らない。 (2) 物 品所有 状 況 ベ ッ ド, ラジオ,

車, ミシ ンの各 々に快iして, 1970/71年 と1977年 とにお け る所有 状 況 を,両年次 に闇す る質料 が あ る23世帯 につ いて比較 す る と表5の如 くとな る。 以 前所有 して い a.ベ ッド 表5 若干の耐久消費財の所有状況 b.ラ ジ オ 1970/71 有 i 無 L 計 (%) 無 計 (%)r(39.1) 6 8 14 (60.9) 13(56.5) 10(43.5) 23(100) 1970/71 ・・: I.・了 t .i

(

,

I

,

JJ

i

(

%)

C.自転車 d.ミシ ン 1970/71 有 【 無

(

%)

43 ′し 一

FJJ

無 Ⅳ

%

;

it

5 3 7 f 12(52.2) 8 日 l(47.8) ヽ t ノ 7 5 2 1 ● 56 . ′_\ .1. . ■ 1 mu OU 8 i 醒 (100) 1970/71 有 l 無 L gl・

(

形)

有 1 5 3 ∃ 8(34.8) 15(65.2) (30.i)i(6,.1g) 23(100) た に もかか わ らず現 在 で は所有 して いない世 帯 も若干 あ るが, いずれ の品 目において も所有 者 数増加 の傾 向が確 認で きる。所有 者 の割合が最 も高 い 自転 車 について は, 1977年 には 2台 以上 所 有 す る ものが 5世帯 存在 す るよ うにな り, 23サ ンプ ル世 帯 にお け る合計所有 台 数 は 1970/71 年 の 15台 か ら25台 へ と人 幅 に増加 して い る。 オー トバ イの数 もサ ンプ ル 世帯 の間 で は 2台 か ら 4台 - と増 加 して い る。 従来 の村 人 の生 活 において は夜 にな る と大姉は幼 い子 供 と自分達 の寝 間 に退 き,他 の者 は宏 の中の気 に入 った場所 に ござ (tikar)を敷 き,1,2個 の枕 をf削 、て就妓 す るのが普通 で あ った。 一 部 の夫 婦 だ けがベ ッ ドを使 用 して い た。 ベ ッ ドの数 は明 らか に増加 して い るが, その外 に ござの代 りにマ ッ トレスを

用い

る者 が増 加 して い る。サ ロ ン (腰布) を ま とって寝 る代 りに毛布 を用 い るよ うにな った者 もあ る。 1977年 には23榔 削 -6甘描;で 毛布 が 使 われて い る。蚊 帳 の使 用 も増加 して きた。 前 回 には その所有 状 況を調 べ なか った腕時計 につ いて も, 1977年 には全 サ ンプ ル世 帯 (24戸) の うち15戸 (62.5% ) が所有 して お り,合 計所有 650

(14)

坪内 :マレー農村 ガ ロック再訪 数 は23佃 に連 して い る。 これ らの変化 は収入 増 を反 映す る も

U

)で あ り, 村 人

U

)生 活 は便 利 さと 快 適 さへ と一・

近 づいて い るよ うに見え る。

I

V

家族 ・村落 ・リーダ ー シ ップ 1970/71年 に舶 主して い た23サ ンプ ル 世

につ いて, 19774f:'・Ll旺 汀こお け る世

構 成 の変化 を 調べ る と以

下u

jよ うにな る。 3粗 描 で 世

帯主

の死 亡 (2件 ) または老齢 化 (l件 ) によ って,

世相主

)

'

u

j世

代へ移行 して い る

。附

用 旨成 L封

こ関

す る変動 は表

6

如 くで あ る

。出/

A

:.・婚 人 数 は,死 亡 ・

析出

・独正

数 を は るか に上 廻 るので,平均

世帯日

数 は 1970/7

1

o

)

5

.

4

人 か ら6.0 人- と増 加 して い る。 表 6 世 帯 員 の 異 動 1970/71-1977 異 動 内 容 出 死 婿 姉 独 就 子 が 親 戚 杜 亡 入 出 文 学 へ 2 5 1 孫 が祖 父 母 か ら親元- 2 孫が祖父母か ら祖父母-汁 1 1 計 増 ⊆ 減 量 増 】 減 19 】 12 15 6 2 7 1 2 1 1 8 山 = り + 世帯 員 の変動

u

)

申で注 目すべ き現 象 は,孫 が祖 父母 か ら親 元へ帰 って行 った も

U

)(

4

名 ),孫 が親 元- 帰って来 た も

o

_)(l名 ),孫 が父方祖 父 L:i.・か ら母方祖 母-移 った もの (

1

名) な どの孫

C

/)移 動, お よび 十または養

予u

j親戚

-

の移 動 (2名) が 含 まれ て い る ことで あ る。 ガ ロ ックに お け る

日釣

り枠 はゆ るやか で あ り

,

祖 父

と孫 と

u

j

住 が しば しば行 われ, かつ それ らは必ず し も永続 的

・冊

定 的で はない こ とが

抑i

梱 )調査 で 判明して い たが, こU)傾帖 封衣然 と して存在 す る こ とが明 らかで あ るO

の 目証 った1附 け構 成上 の変 化 と しては,上述 の23日‖ii:a)申に,離婚 した 娘 とその 手を含 む ものが2世

在す る ことで あ る。 1970/71年 には これ らo)娘 は それ ぞれ未婚 で あ ったが,こ

o

に,姑婿

・出圧

・離姉 が行われ た

u

jで あ る. この地域にお け る離婚 は もと も と /s く, 1970/71

年u

j調

査時には,鮎 婚経験 者

o

)うち離婚 を経験 した者 は40%近 くあ り,

雑婚 した娘 +孫 」 が

と- 一緒 に

杜活

して い るケ ースが妹落 全体 で7例あ ったO クランタ ン州で は離婚 は減 少

向を示 して い る

)で あ るが, ガ ロ ックに闇 して はあ る程度 存在 し続 けて い る こ とが 明 らか 651

(15)

頻繭 ア ジ ア 研 究 16巻4号 で あ る。サ ンプ ルの うち, 再析 して 配偶者 を む か え た者が

女各 1,辛.あ るo再婚傾 向が高 い こ と も従 来 か らの 傾 向の継 続 で あ る。 以 上

)よ うに,

成/i活の形 態

な側

閲 して は

著 な 変 化 はみ られ な い とい え る(㌔ 収 入

の増

加 と外部

社会

U

3'::触 の拡 大 に応 じて,

結婚の

際花 婿 側 か ら花嫁 に支 払 われ る婚 貿 金 (belanja)の額 にはか な り高額 な もU)が現 わ れ つ つ あ る

O

例 え ば, 1977年

u

j調査 期間 中 に行 わ れ た村 の娘 と長 上 との結 婚 にはM

$

1,000 が接 受 され て い るo 1970/'71

の調査 で は,初婚 者 の場 合M $200 とい うU)が最 も多 くみ られ たケ ー スで

,

鶴 がM $500 で あ った。 表 7 宏 庭 内 に お け る 決 定 者 決 定 者 事 項 晶 き 穫 地 族 の ⋮ 新 大 収 農 家 子 子 子 ⋮ 栄 罰 の の 種 な の 画 配 の 進 化 用 備 却 分 施 学 事 者 ′・一㌧ 採 集 売 処 リ 偶 回答者数 」 だ U 81 7 6 2 2 1 … l l 1 2 2 2 3 7 1 4 1 2 3 5 人 . 1 1 1 2 ・ ・上・t・ I 1 . 1 2 5 若干の重要事項に関する家族内での発議と決定について

U)I.鋸

用を行なった結果は豪7の通り である。この種の形式的な質問においては夫の決定権が誇張され易く, 現 実には

妻C

/)発言権は もっと大きいと考えてもよい。このことは妻自身の土地の処分に関しては妻が決めるという ケースがあることや , 家族計画の実施に際して妻の決定が重視される場合があることにもあら われている 。 子供の就職や配偶者の選択に関しては本人の意向が誼んじられる傾向がみられ る 。 従来マレー農民の間では , 子の結婚は親が決め , これがしばしば離断にむすびついたとい われる 。 これを額

通りに受け取ることは , 従来においても明らかに間違いを含んでいたと考 表 ¢助けが必要なときまず誰のところへ行くか* 事 柄 四 谷 者 数 E 親 i 兄 弟 米が足 りな くて借 りる 6 2 2 1 借 金 13 4 1 7 農機具を借 りる 0 家を建てる 田 植 え 収 穫 婚礼 ・葬儀 個人的な相談 652 13 7 4 22 17 *複数回答を認める。回答者総数24。 4 n▲ J 「 J 3 5 7 1 1 3 1 1 I -1 ・ 1 ・寸

(16)

坪 内 :マ レ-頗 村 ガ ロ ック再訪 え られ るが, イ ンタ ビ ューで 甘 子供

′!由選 択

は か な り大

に認 め られ て い る。 しか し, 娘 に対 して は

の 決定 は な お 重要 と考 え られ て い る場 合 が あ るO 「助 けが 必 要 な と きまず

誰U

)と ころへ 行 くか 」 とい う質 問 に刈 す る反応 は, 挽 ・兄 弟 ・親 戚 が いず れ に偏 す る こ とな くあ らわ れ るが , 点 要な こ とは, い ず れ に も反 応 を 示 さぬ者 が 比 較 的 /sL,、こ とで あ る。 す な わ ち, 付人

U

)

拙 二は

人批

o

)こ と

加 '

周 で解 決 し, 必 要 な らば 人 を

う とい う態度 が

在す る(。た だ し婿 礼 や

儀 だ け は, 兄 弟,親戚, 近 隣 ら拙 守-,て 助 け る。 こ U)よ うな

/

日舌パ ター ンは近 代 化 に応 じた 変化 の結果 4:.じた とい うよ りほ, こU)地域 ″_)マ レ

ー農

艮 に伝統 的な

もu

J)とい え るし) マ レー 人0)鮎祐 (kampong)は

舶 醐

t位 で あ る近 隣U力連続 に過 ぎず , それ=休U)

定 した枠 も組 織 もな い こ と′銅

;

冊 U

)

.

調査 で 親察 したが, こレカ封 二関 して も基 本的 な 鉱 化 は 机 、も

U

)と思 わ れ る。今

I

H

l

u

)調 作で は

問黒

U

)中

に, 「あ な た に とって む ら とは何 で す か 」 とい う

目を 設 けて, a

・居イ

頼,

j

j

l

l

j

行二過 ぎ畑 、,b.行政冊立に過 ぎ机 、, C.

!

日 石を 頼 る こ とレ)で き る

戚 や 友人 の い る と ころ,

d

.諸問

題 を解 決 す るた め に人 々が il,主う と こ ろ ,とい うf八十

-

,

a

)準 備 され た答

a

)うちいず れ か 一・--)を選 ばせ た。 Cを 選 ん だ者58% (14/(1, うち稲 作

‥8) とaを 選 ん だ者 25% (6名, うち稲作世 帯 5) が 目 立ち,

北畠:

の強 いdを 選 ん だ者は 1名 (非 稲 作 世 帯 ) に過 ぎな か った。 ガ ロ ッ クの 含 まれ る行政 府 (mukim)を対 象地 域 と して 農業 協 同組 合 が 政 府 主 導 の下 に l年 前 に 発足 して い る。 稲作 を 営 む サ ンプ

世帯 15の うち, これ に加入 して い るのは 5車用‥(33.3 % ) に過 ぎな い

O

加 入斬 i上Lの ,1;・均 年

は39.7才,水 田耕 作面積は 2.2ェ-カ ー

あるO非加 入世帯主 の平均

齢 は43.5れ 水 田耕 作 面積 は1.9ェ - カーで, 年 齢 が高く, 経 営

面机

が や や 小 さい O この点味 で 年齢 的 ・

経営

的 に

極 的 にな り得 る者 だ け が組 合 に加 入 す る。 タバ コ耕 作 が ガ ロ ックに もた ら した よ うな 大 きな 利 得 を組 合 が 捉供 せ ぬ 限 り, 組 合 加 入者 が 稲 作 農家 と同 義 にな るほ ど普 及す るの は む ず か しい よ うに思 わ れ る。 ガ ロ ックには こ

U

)

狼 落を 代 表 す る リー ダ ー は

度 的 に も自然 発 生 的 に も存 在 しな い O ガ ロ ッ クを 含む 行 政 村 (mukim) a)村 長 プ ング ル (penghulu)は,1970/71年 の 調 査 時 と同一=・人物 で あ って

,

隣集 落 パ ダ ン- ング ス (PadangHanggus)にFAT・住 して い る。 村長 にな って か ら10年 以 上 経 過 し,現在40二才で あ る。彼 の母方の 曽 祖父 は 州 首都 コ タバ ル近 辺 U)カ ト ソク (Kadok) か ら 人 々を連 れ て 移住 して 来 た ′ヾダ ン- ング ス地 域 の開拓 者で あ って , loo二 - カ ー U)水 出を 有 し, ム キ ム (mukim) U)

卜位

oj行政 単 位 で あ る ダ ェ ラー (daerah,sub-district) U)長 プ ンガ

・7 (penggawa) にな 一一た 人物 で あ る。 しか しそ の息 子 連 が 賭 博好 きで 日出を 克 って しま った

た め, 現 プ ング

自身 は 貧 乏 で あ る

前 代のプ ング ル は彼

u

jJ

J

:

uJい と こで あ って , この よ うな 親 戚 関係 か ら現 職 に指 名 され た とい うに過 ぎな い o

各 サ ンプ ル に対 して 「プ ング ルの 主 な 仕 事 は 何 だ と思 うか 」 とい う蛭 間 を 行 な った結 果 は表

(17)

東南 アンア研究 16巻 4PJ 表9 ゾ ン//ルの什Iji・

1

.

行政的な

報を村人に伝える 2. 濯蹴作業のため村人を組織する 3. 村人に

賢を与える 4. 村人冊の--'lt・いをおさめる 5. 村人の要求を地方政府に伝える 6. 村人を組織 して道路その他公共施設の維持を行う 7. 村の宗教行事のt服fiをする 8. 村を守る 9. 多収鼠一,-L一席 の普及をはかる 串 牛 ・水牛 ・土地の登記および身分証明を行う 者 玩 1 0 0 6 5 4 2 2 1 13 定 数 肯 の ) ) ) ) ) ) ) ) ) )

)

2 0 8 7 3 3 2 2

%

, 4 ・ 0 0 25 ・ 20 ・ 16 ・ 8 ・ 8 . 4 . 54 .

/し.

( ( ( ( ( ( ( ( ( ( サ ンプル総数24。 9に示 す通 りで あ る。 準備 され た

l

誉 1- 9のいず れ に対 して も反応 が少 ない こ とが的 徴 で あ り, 期 待 が -・般 に少 な い とい え る。 その中で や や数 が 多い U)は, 村人 ojf一間o)争 い を仲 裁す る こ と (25%) と, 村 人 の 要求 を地 方 政 府 に

え る こ と (21%) で あ る。 これ らU)準 備 され たLIpl]答 以外 に多 くの村 人 が プ ンブルの仕 事 と して

n

究 的 に指 摘 す るのが,隼 ・

水牛

お よび土 地 の登 記 C/)際 oj評 人 と して の 役 割 で あ る (54% )

。上

述 の 「争 い の仲裁 」には土

記 な どの際cJ)紛 争uj仲 裁 が 含 まれ て い るよ うに思 われ る。 こ0)よ うに, プ ング)wjLL' 串 は リー ダ ー と して の役 目で あ る よ り も, 行 政 の末 端 業 務 で あ る。 村 人 は事 務 上

u

jJ

H

務 が あれ ば プ ングルを たず ね る。 サ ンプ ル の うち過 去 1年 間 にプ ング ルを たず ね た こ 表10 農業協 同組合 リー ダー

れる資 格

資質 ;L''f 格 ・貴 史 }L'Ji lJI(-A 読み憲 き能 力 倍 仰心 と

能力 親切 ・寛大な人格 政府官吏に知己を もっ こと :lE甫 な人 柄 そ の 他 回答者 総数24。 回答者 に 対する 割 令 (% ) 2 (8.3) 4 (16. 7) 1 (4.2) 7 (29.2) 6 (25.0 ) 5 (20. 8 ) 11 (45.8) 3 (12.5) とが あ る とい う者 は46% (11名) で あ る。 最 も多 い者 は40恒=こ近 い 回数 を示 す が, 彼 刷 洗業はプ ンブルUj;/A.会い を 要す る屠 殺 業で あ る。 農 業 協同組合ujリーダ ーた るべ き 人物

c

J)

県に 関 す る

揖問

を 行 な った

合 も, こU)種

F■j極 的 な 回答 が み られ る (表 10)。す な わ ち,

備 され た回 答

畔U

)

lllで最 も '6く選 ばれ た

引 ま, 行政 的能 力 (29%) と親切 ・寛 大 な人柄 (25%) で あ るが, こU)外uJ必 要 条件 と して 村 人C/)多 くは 黒 目同 汀に, 「_両`l二で イく-lr:.を しな い こ と」 (46% )を -

,

け加 え る

U

)で あ ろo V 教育 と将来への 志 向 1970/71年の 調査日封,=おいて, タバ コ耕作U)導入 とな らん で 大 き く変 化 した もU)に初等申学 654

(18)

坪 内 :マ レーー農村 ガ t-ノ:)再訪 表11 13-20二相 i女各年齢における就学経験 1970/71 性 年 齢

就 享 「示壷蒜議 斥 蒜 妄嘉 〒音 義車妄入毒: 二木 盟 女 3 4 5 6 7 0 U 9 0 1 1 1 1 1 1 1 2 ・卜 1 3 4 に J 6 7 0 U 9 nU トー . ‖ l I 1 1 1 l 1 2 .∵

2 -1 2 0 0 1 1 8 1 ▲ 2 3 1 1 3 2 1 4 1 0 1 0 0 0 1 1 1 4 0 2 6 2 2 1 1 2 61 1 0 1 0 2 5 qJ 1 3 2 2 2 3 0 4 4 3 0 1 2 2 LT ) O U 2 3 2 2 0 4 LL7 6 LLJ 0 l 1 0 1 9 1 3 1 H 5 7 0 4 LE ' 0 0 7 3 l l 一 = 0 0 2 6 6 4 9 7 eO H U ‖ リ へ

0

)進学率 があ る。 表 11は三榊.7fGリガ ロ ックの若者 の性 ・年

齢別

進学状況を示 すが, 15才以下 に お ける進学者 の急増 が認 め られ る。 当時,初 等 中学学 齢 に相 当す る13- 15才の者 の初等申学進 学率 は男子78.1%,

子44.4%で あ った。 この時期 において は比較的僅 かで はあ るが, 全 く学 校-通 った ことのない者 が 同時 に存 在 し, 上 述 の年 齢 層 において それ らは男 子

1

2

.

5

%,女子 16.7%を 占めて い た。 1977年 にお けるサ ンプル 世

の中では, こ

q

)年齢層 の男 子 9名 (どうい う訳 かサ ンプ ル には この年 齢層 の女子 が」 人 も含 まれて いない)

0

)すべてが初等中学在学 中で あ り, このサ ンプ ル に関す る限 り進学率 100% とい うことにな る。 最 近で は上級 中学進学者 に 臼ざま しい 増 加 が 認 め られ る。 す なわ ち1970隼か ら 連 続 的 な デ ー タが得 られ る23サ ンプ ル世帯 において は,

Fo

r

m 4

(高等学校

1

年に相 当)以上 に在学 し た経験 を もつ者 は, 1970/71年 に合計 32,(男子 2, 女 子 l) に過 ぎなか ったが, 1977年 には 13名 (男子 9

,

女 了4) に達す るので あ る。 サ ンプ ル世

帯o

)

榎 糧主24名車 163/I(66.7%)が学 校教 育 の経験 を全 くもたず, 4名 (16.7%)は 2- 4年 の初等教育,他U)4-名のみが小学校卒

U

〕教

f

摘鵜灸を も-1に過 ぎない ことを考慮す る と, きわ めて大 きな変化が こ

C

J

)

1

0

隼問でLi.じた

U

)

で あ る。 村落 レベ ル にお け る伝統 的教育 の場 で あ った ボ ン ドック

(

pondo

k)

は ,この よ うな学校教育 の

透 に と もない, その機能 を完全 に変 えて しま った。 ボ ン ドックというのは小屋

)意 で あ る 655

(19)

強 雨 ア ジア研 究 16巻4首

が, イ ス ラー ム

閲 して 深 い 尖頂故を もつ と考 え られ る 教

(村で は To'guruとよ ばれ る) uJ

住 皆 を

L

l

l心 と して 建 て られ た小 さな 小 屋 に往 従 が 疲 起 き して 教 え を うけ る翻 F.i-轟く教 塾 が こ

U

);

.

'

f

l

で よ ば れ る。 ガ ロ ッ ク と購 ,fji落 チ ュ コ ック(Chekok)と山塊 に は1937佃

開 設 され た 一・つ ujボ ン ドックが あ る。

最盛

期 には50人の少 年がい た とい われ るが, そuJ数 は次 'A-に減少 して1960

ごろ には約20人 にな った とい う0 1970/71年oj調細 時点 に おい て は そ0)数 は 更 に減 少 して はい たが ,な お 5人の若 者 が 住 み込 ん で い たo l97

7

裾 二は,彼 ら

o

)す べ て が 既 に ボ ン ドッ クを 去 っ て , 3年 は ど前 に来 住 した20才 前 扶 持者 が 唯一・uj.租 、居

者 とな って い る。

若者

に 代 -'て

届住

す る よ うにな -,たこ老人 (と くに

)適 uj数 は, 1970/71年 にお い て 既 に30名 を 越 えて い たが , そ の数 は ほ とん ど動かず , ボ ン ドッ クは 老人 ホ ー ムの様 相 を ます ます 強 めて い る。 ただ し以前 屈 住 して い た者 の3分 の lは既 に死 亡, :'j分U)1は帰 射 して, 残 りU〕3分 U)lが 新 入者 と と も に現 在 も住 み続 けて い る

Jで あ るo 1970/71年 の調 査 時 に ポ ン ド・:,ク地 域 ,=p--・時 的な!生活ujj.bi・と して 屈 住 して い た -般 宏規C/_)う ち,

時35才 (現 在41才)U)∼・

世帯

主 は そ U)宗 教 知識 を 貰 われ て,既 に老 齢 とな って い た 前任 者 に代 って 3年 前 に ガ ロ ック地 域 の モス ク

u

jイ マ ム (導lilt1-)に速 任 され ,現在で は ガ ロ ックに 居 住 して い る。 も う一一・一

人の

帯主

(現 在48才 ) は, 州政 拙 こよ って3年 紬 こ近 く

o

)

中国 系住

の 多い ム キ ム の プ ング ル に任 命 され たが , ひ き続 い て ボ ン ドッ ク地 域 に層 位 して い る。また, 数 年 前 ボ ン ドック- 来 て 歯 医者 を 開 業 した者 が あ り, 遠 くパ シー ル マ スか らそ の噂 を きい て や って 来 る患 者 もあ る。 サ ンプ ル 世帯 主 に対 して , 学 校 教 育 の 評 価 を たず ね る と例外 な く 「良い」と答 え て い る。 何 故 良 い か とたず ね た結 果 は表12の通 りで あ る。 「よ り良い 仕事 を得 るた め に」 が これ に次 ぐ。 準 を高 め る」 が この外 に選 ばれ た珊 由で あ るO 「新 しい 農 業 技 術 を学 ぶ」

,

「農村 開 発 に寄 与 す る」

,

「国 の発 展 に寄 与 す る」 な どの実 用 目 的あ るい は高 遠 な 目標 がい ず れ も見 む き もさ れ な い こ とに注 意 して お きた い。 15才 以下

息 f・・を もつ サ ンプ ル に対 して, 息子 を どの程 度 の学 校 ま で や りた い か とたず ね る と, た だ -・人

等 教 育 まで と答 え た者 を 除 い て す べ て

a

)者 (93% )が 大 学 まで と答 え る。 娘 につ い て も同株 の 回答 が得 られ, 回答 者16名 中15名 (94%)が 大学 まで と答 えて い る。 将 来 子供 を どの よ うな職 業 に-∵日付 こい か を たず ね た結 Il

供 の将 来 の た め」 を 選 ん だ者 が 最 も多 く, 「読 み密 きを学 ぶ」

,

「新 知 識 を得 る」

,

「生活水 表12学校教育を 「良い」 とする拙由* 三旺 由 読み習 きを学ぶ : 新 しい知識を得る 1 よい作法を学ぶ . 新 しい農業技術を学ぶ

L

l 国の死焼に寄与する

r

豪族の生活水準を向上させ るi 藤村開発に寄 与する 子供の将来のため l 子 も家族 も村人の尊敬を受け1 る *重複凶答を組める。nこ=24. 回答者総数 に対する割 合 (%) 7 29.2 0 0 0 0 0 0 6 25.() 0 0 18 75.0

0

0

参照

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