Komazawa University 『
建
撕
記
』の
史
料
的
価
値
(下
)石
刀
力
山
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 一 『 建 撕 記 』 が 編 纂 さ れ る 背 景 に は 、 い か な る 意 図 が あ っ た の か 、 ま た 、 『 建 撕 記 』 が 出 現 す る こ と に よ っ て 、 い か な る 道 元 像 が 確 立 さ れ た の か 、 逆 に 言 え ば 、 い か な る 道 元 像 を 確 立 す る た め に 『建
撕 記 』 編纂
が 企 画 さ れ た の か等
の 問 題 に つ い ( − ) て は、 既 に す ぐ れ た 論 考 も 公 表 さ れ て い る 。 そ れ は 、 前 々 回 か ら の 本 稿 に お い て も し ぽ し ば 指摘
し て き た よ う に 、道
元 下 の 日 本 曹洞
宗
の 展 開 ・ 発 展 の 中 で 、 瑩 山紹
瑾 ( = エ ハ 八 〜 冖 三 ご 五 ) ・峨
山 韶 碩 ( 一 二 七 五 〜 一 . 三 ハ 五 ) の 系 統 が 次 第 に → 大 教線
を 拡 張 し て 行 く よ う に な っ た の に 対 し、 一 方 で 永 平寺
を 根 拠 と し て い た 曹 洞 宗 寂 円 派 が 、 自 ら 弱小
教 団 と し て の現
実 と宿
命 を 認識
し な が ら 、 し か も な お 、 永 平寺
に お け る 正統
性 ・優
位 性 を 主張
す る 立 場 と 、 微 妙 に 表 裏 を な し て い た と い え よ う 。 こ の 時期
、 寂 円 派 に と っ て 新 た な道
元 像 が 要 請 さ れ た こ 駒 澤 大 學 佛 歡 學 部 論 集 第 十 一 號 昭 和 五 十 五 年 十 一 月 と は 疑 い な く 、 『建
嘶 記 』 の編
纂
は 、 寂 円 派 の 永 平寺
に お け る 正 統 性 を 主 張 し た 現 存 最 古 の 文 献 で あ る 『 宝慶
由緒
記 』 の 成 立 と も 表裏
を な す も の で あ っ た 。 そ し て 、 『 傘松
道詠
集 』 も 、 こ の よ う な 状 況 ド に 、 道 元 に 仮 託 し て編
集 さ れ た も の と ( 2 ) い わ れ る の で あ る 。 『 傘 松 道詠
集 』 は 、 い う ま で も な く、 道 元 が 折 に ふ れ て作
っ た 詠 歌 を 集 め た 、 国 文 学史
上 に は稀
有
な 禅 僧 の 歌集
と さ れ 、 宗 門 内 で は こ れ を 道 元 の作
と し て、 今 日 に 至 る ま で 信 じ ら れ 、 疑 わ れ た こ と は な か っ た 。 し か し 、 か つ て 、 『 傘松
道詠
集
』 に 収 め ら れ た 和 歌 は 、道
元 の 『 正 法 眼 蔵 』 の 密 着弾
力 の あ る 言 語 に 比 し ザ 丶 は る か に リ ズ ム が 低 く 弱 い も の で あ る と ( 3 ) す る 指 摘 も あ っ た が 、 今 日 の 学 会 の 常 識 と し て は 、 そ の 殆 ん ど が 道 元 の 真 詠歌
と は 決 し難
い 、 類 歌 の 存 す る 、 道 歌 を 改造
し た も の 、 及 び 、 勅 撰 集 や 私 家集
に 他 人 の 作 で あ る こ と が判
明 し て い る も の で あ る こ と が 立証
さ れ て い る 。 一 五 七Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 『 建 撕 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 一 方 、 道 元 の
俗
系 に は 、 当 時 の 中 央 歌 壇 の 主 導 者的
立 場 に 居 る 人 達 が 存 し た こ と は 事 実 で あ る 。 従 来 、 道 元 の 実 父 と さ れ て い る 久 我 通 親 は 、 六条
派 の 歌 人 と し て 知 ら れ る 人 で あ り 、 ( 4 ) ま た 近 年 、道
元 の 実 父 と し て 脚光
を 浴 び て い る 久 我通
具 は 、 『 新 古 今 和 歌 集 』 の 撰 者 で も あ っ た 。 こ う し た 状 況 か ら考
え れ ば 、 道 元 に 歌 作 が あ っ た で あ ろ う と し て も な ん ら 不 思議
は な い 。 し か し 、 た と え ば 『 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』 巻 二 に は 、 示 云、 無 常 迅 速 也 、 生 死 事 大 也 。 暫 存 命 ノ 間、 業 ヲ 修 シ 、 学 ヲ 好 ニ ハ 、 只 仏 道 ヲ 行 ジ 、 仏 法 ヲ 学 ス ベ キ 也、 文 筆 詩 歌 等、 其 詮 ナ キ 也 。 捨 ベ キ 道 理 左 右 二 及 バ ズ、 仏 法 ヲ 学 シ 仏 道 ヲ 修 ス ル ニ モ、 尚 多 般 ヲ 兼 学 ス ペ カ ラ ズ 、 況 ヤ 教 家 ノ 顕 密 ノ 聖 教、 一 向 二 閣 ベ キ 也 。 仏 祖 ノ 言 語 ス ラ 、 多 般 ヲ 好 ミ 学 ス ベ カ ラ ズ 。 → 事 専 ニ セ ン 、 鈍 根 劣 器 ノ モ ノ 、 カ ナ ウ ベ カ ラ ズ 。 況 ヤ 多 事 ヲ 兼 テ、 心 想 ヲ 調 ヘ ザ ラ ン、 不 可 ナ リ 。 ( 岩 波 日 本 古 典 文 学 大 系 八 一 、 三 四 . 〜 二 頁 ) と あ り 、 『 永 平 広 録 』巻
十 の 山 居 十 五 首 の 中 に は 、 久 舎 二 人 間 一 無 二 愛 惜 肉 文 章 筆 硯 既 抛 来 、 見 7 華 聞 レ 鳥 風 情 少 、 乍 〆 在 γ 山 猶 愧 二 不 才 一 ( 『 道 元 神 師 全 集 』 下、 . 九 八 頁 ) と あ る よ う に 、 文 筆 詩 歌 や 文 亠 草 筆 硯 は、 畢竟
否 定 さ れ る べ き も の で あ っ た 。 勿 論、 こ う し た 道 元 の 立 場 が 、 建 て 前 論 と し て 完 全 に 終 始 一 貫 さ れ た か と な る と 、 卓 抜 し た 語 脈 を も っ て 展開
さ れ る 『 正 法 眼蔵
』 な ど を み る 時 、 必 ず し も そ う と ば か り は 言 え な い 気 も す る 。 『 永 平 広 録 』 巻 十 に は 、多
く
の偈
頌 一 五 八 ( 漢 詩 ) が 残 さ れ て い る が、 そ の 中 に は 単 に 花鳥
風 月 を 詠 じ た と み て さ し つ か え な い も の も 含 ま れ て お り 、 『 正 法 眼 蔵随
聞
記
』巻
三 に あ る 、 今 代 ノ 禅 僧 、 頌 ヲ 作 リ 法 語 ヲ 書 カ ン 料 二 、 文 筆 等 ヲ 好 ム 、 是 則 非 也、 頌 不 γ 作 ト モ 、 心 二 思 ハ ソ 事 ヲ 書 タ ラ ン 、 文 筆 不 〆 調 ト モ 、 法 門 ヲ 可 γ 書 也 、 是 ヲ ワ ル シ ト 見 タ ガ ラ ヌ 程 ノ 無 道 心 ノ 人 ハ 、 好 文 筆 ヲ 調 へ 、 イ ミ ジ キ 秀 句 ア リ ト モ 、 ロ ハ 言 語 計 ヲ 翫 ン デ 、 理 ヲ 不 レ 可 γ 得 。 我 モ 本 ト 幼 少 ノ 時 ヨ リ 好 ミ 学 セ シ 事 ニ テ 、 今 モ ヤ ヤ モ ス レ バ 、 外 典 等 ノ 美 言 案 ゼ ラ レ 、 文 選 等 モ 見 ラ ル ル ヲ 、 無 ゾ 詮 コ ト ト 存 ズ レ バ 、 一 向 二 捨 ツ ベ キ 由 ヲ 思 フ 也 。 ( 岩 波 日 本 古 典 文 学 大 系 八 一 、 一 二 六 一 二 頁 ) と い う 主 張 と は 明 ら か に 矛 盾 す る 。 今 日 、 道 元筆
と 伝 承 さ れ る 和 歌 の 断 巻 も 処 々 に 存 す る 。 こ れ ら の 真 偽問
題 に つ い て は 、 客 観 的 な 論 証 が 当 然 要 求 さ れ よ う が、 折 に ふ れ て の 歌 作 が あ っ た と 考 え て も 不 思 議 で は な い 。 『 法 華 経 』 は 、 道. 兀 が終
生 に わ た っ て 特 に 重 ん じ た 経典
で あ る が 、 「 題 法華
経 詠 歌 」 五 首 に つ い て は 、 道 元 の 作 と し て よ い 可 能 性 を残
し て い る と ( 5 ) み ら れ て い る 。 し か し 、 そ れ に し て も 、 歌 集 と し て ま と め ら れ る に い た る ほ ど の 量 の 歌 作 が 道 元 に存
し た か ど う か は 疑 闘 で あ り 、 「 傘 松 道 詠 」 と い う 名称
も 、 江 戸時
代 に な っ て か ら 、 面 山 瑞 方 ( … 六 八 三 〜 一 七 六 九 ) の 命名
で あ る 。 こ の よ う な 点 を 考慮
し 、 ま た 中 世文
学 史 の 立 場 を 踏 ま え て 、 む し ろ 道 元 に は 『傘
松 道 詠 』 と い う 歌 集 は 無 か っ た こ と の 方 が 、 当 時 の 新 古Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty
今
的 中 央 歌壇
か ら 超 越 し た 、道
元 の 潔 癖 性 を 示 す も の で 、 こ5
し た 孤高
性 こ そ 、 道 元 の 作 品 が 中 世 文 学 に 珠 玉 の 光 を 放 つ ( 6 ) 所 以 で あ る と す る 見 方 も あ る 。 そ れ で は 、 『 建 撕 記 』 に お い て 、 い っ た い い か な る 道 元 像 が 要 請 さ れ た の で あ ろ う か 。 こ の 点 に 関 し て、 以 下 、 『 建 衡 記 』 が 編纂
さ れ る 際 に使
用 し た と み ら れ る 史 料 と の 比 較 を 通 し て み て み る 。 そ こ で ま ず 取 り 上 げ た い の は 、 京 都 東 山 区 ド 河 原 町 の 、 道 元 の 荼 毘 旧跡
の 存 す る 近 く に あ る 、 鷲 峰 山 高 台 寺 に 所 蔵 さ れ る 、道
元 示 寂 前 後 の 消息
を 記 し た古
記 録、 一 般 に 『 高 台 寺 旧 記 』 と 呼 ば れ る も の に つ い て で あ る 。 鷲峰
山高
台 寺 は 、 現 在 は臨
済
宗
建 仁 寺 派 に 属 し て い る が 、 も と は 詮 慧 開 創 の 永 興 寺 (庵
) の 旧 趾 と い わ れ 、 慶 長 十年
( 一 六 〇 五 ) 豊 臣 秀 吉 の 冥福
を 祈 っ て 、 北 政 所 が 発 願建
立 し た も の で 、 元 和 年 間 ( 一 六 一 五 〜 一 六 二 三 ) 、 建 仁 寺 友 竹 紹 益 が臨
済
宗 に 改 あ たも
の で あ る 。 ま た 、 こ の 時 、 永 興 庵 に安
置 さ れ て い た 道 元像
は 建 仁 寺 に 移 さ れ た が 、 さ ら に こ の 道 元 像 は 、 宝 暦 元年
( 一 七 五 一 ) 八 月 、道
元 の 五 百 回 大 遠 忌 預 修 に 先 だ ち 、 宇 治 興 聖 寺 直 指 玄 瑞 に よ っ て 拝請
さ れ て 興 聖 寺 に 移 さ れ 現 在 に 至 っ て い る と さ れ る 。 こ の よ う に 、曹
洞 宗 と は、 元 来極
め て 深 い 因縁
を 持 つ 高 台寺
『 建 撕 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) の 旧 記中
に 存 す る道
元関
係 の 記 事 は 、 永 正 二 年 ( → 五 〇 五 ) の識
語 を持
つ 、 注 目 す べ き 中 世 史料
で 、 『 建撕
記 』 と 極 め て 近 似 し た 箇 所 を 有 す る も の で 、 次 に そ の 全 文 を 、 『 建 撕 記 』 の 中 の 関 係 記 事 と 対 照 さ せ て 掲 げ て お く 。 ( 『 建 瀕 記 』 の 記 事 は 河 村 孝 道 編… 著 本 の 瑞 長 本 に よ っ た 。 ) 高 台 寺 旧 記 建 記 リ 微 疾 マ シ マ ス 、 最 後 ノ 教 誨 ハ 八 大 人 覚 ナ リ、 コ レ 世 尊 最 後 ノ 教 勅 、 開 山 最 後 ノ 教 勅 へ 、 於 末 永 平 開剴
長 四暮
ノ 夏倒
函
曠
四禦
代 コ ノ 遺 教 ヲ マ モ ラ バ 、 久 扇 へ 、 門 風 流 通 シ テ、 ベ カ ラ ズ ト へ 、 宗 風 永 退 転 ス − 今夏
之 坩 ゴ 屮 微 疾 マ シ マ 囚 「− 勗 後 之 教 誨 囚 、 − 正 法 . 眼 蔵 ノ 八 大 人 覚 ノ 巻 也 、 此 教 誨 ハ 、 仏 ノ 遺 教 経 ヲ モ ト ト メ 遺 言 也 ト 見 ヱ タ リ 、 ( 中 略 ) 昔 シ 老 僧 達 ハ 此 巻 ヲ 拝 見 セ ラ ル . ル 時 ハ 、 感… 涙 ヲ モ ヨ ヲ サ レ 、 住 持 モ 是 ヲ 談 セ ラ ル ル 時 ハ 、 声 ヲ ア ケ テ 啼 キ 給 ウ、 此 巻 ヲ 捧 テ 云 ク、 是 コ ソ 開 山 和 尚 ノ 御 遺 言 ヨ 、 此 旨 ヲ マ ホ ラ ハ 、 宗 風 永 扇 門 派 . 流 通 、 退 転 ス ヘ カ ラ ス ト 云 、 開 山 大 和 尚 ハ 五 十 四 歳 ニ テ 御 早 逝 也、 ソ ノ 遺 言 ア ル 声 二 、 御 早 逝 ヲ ヲ シ ミ 奉 テ ナ ケ キ 給 ウ 也 、 此 ハ 八 ッ ノ 名 目 バ カ リ ヲ 記 ス、 志 シ 親 刧 ノ 輩 ハ 本 録 ヲ 委 ク 可 = 拝 一 五 九Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 『 建 攤 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 五 年 発 丑 七 月、 以 永 平 之 住 持 職 被 付 懐 弉 和 尚、 山 城 国 生 蓮 房 開 山 在 俗 ノ 弟 子 へ 、 信 心 無 弐 之 カ ノ 妻 室 自 ラ 精 進 而 一 巻 ノ 細 布 ヲ 調 へ 織 リ、 遙 二 持 参 而 奉 供 養 於 開 山 和 尚、 感 無 貳 志 、 自 ラ 裁 縫 袈 裟 而 尋 常 着 用 セ ラ レ 、 土 ハ ヌ ル 年 ノ 百 久 、 縫脳 嚢 而 納 以 此 袈 裟 被 懐 弉 和 尚 了 八 月 初 五 日 、 開 山 御 上 洛 ナ リ、 ひ ご 就 御 病 気 壇 那 雲 州 大 守 シ キ リ ニ 御 上 洛 マ シ マ セ ト ノ ゾ ミ 申 サ レ シ ニ ヨ リ テ へ 、 懐 弉 和 尚 御 伴 ナ 列・ 義 介 和 尚 存 ス ル 仔 細 ア リ ト テ 賜 暇 、 ワ レ 寺 院 ヲ 思 フ ユ ヘ ニ 汝 ヲ 留 メ 置 ク 、 相 カ マ ヘ テ 寺 院 ヲ 能 能 可 照 顧 ト へ、 和 尚 コ レ ゾ 最 後 ノ 拝 顔 最 後 ノ 厳 命 ナ リ ト テ 、 肝 見 一 ト 云 云、 ( ( 七 七 〜 八 一 頁 ) △ 建 長 五 年 七 月 十 四 日 、 二 代 弊 和 尚 御 入 院 ア リ 、 開 山 御 在 世 之 内 也 、 ( 八 一 頁 ) △ 八 月 初 五 日 、 開 山 御 上 洛、 二 代 弉 和 尚 モ 御 伴 也、 是 ハ 開 山 御 病 起 ニ ッ イ テ 樹 越 雲 州 大 守 頻 判 レ ク レ 有 二 御 上 洛 詞 ト 望 ミ 被 γ 申、 故 ハ 名 シ 医 二 逢 セ 申 御 養 性 ノ 為 也 ( 八 一 頁 ) ノ 御 上 洛 ノ 其 日 、 御 頌 歌 在 γ 之、 頌 云 、 テ ム 十 年 喫 飯 永 平 寺、 十 箇 月 来 ス ニ タ ツ ネ テ ヲ ニ ツ ヲ 臥 二 病 床 ハ 討 二 薬 人 間 一 暫 出 レ 嬌 、 一
テ ・ ・ ツ ム ・ 医 工 哨 「 如 来 授 レ 手 見 二
毳
・ζ
・ 、 御 上 洛 ・‡
堕
同 歌 ト 歌 ト ア リ 、 別 ニ シ ル ス 、 入 洛 ア リ テ ワ 、 高 ツ チ 西 ノ ト ウ 院 二 住 メ ル 俗 弟 子 覚 念 力 宅 二 宿 シ タ マ フ 、 覚 念 ハ 永 平 寺 ダ ソ ナ ユ カ リ ノ モ ノ ニ テ、 信 心 無 弐 ナ リ 、 御 違 例 無 増 減 モ タ ヘ マ モ ナ ク 法 華 経 ノ 文 ヲ ロ ニ ア ソ バ シ、 涅 槃 ト ホ カ ラ ズ ト ノ タ マ ゥ 、 威 皆 懐 恋 慕 ノ 思 シ メ シ ナ ル ヘ キ カ 、 建 長 五 癸 丑 ノ 年 ニ モ ナ リ ヌ、 八 月 二 十 八 日 ト イ フ 申 戊 子 ノ 刻 二 、 自 ラ 「 五 十 四 年 照 第 一 天、 打 箇 陣 跳 触 破 大 千、 痍、 渾 身 無 着 処 、 活 陥 黄 泉 」 ト ア ソ ハ シ 、 筆 ヲ 擲 チ 入 寂 マ シ マ ス 一 六 〇 草 ノ 葉 ニ カ ト テ セ ル 身 ノ 木 部 山 、 雲 ニ ヲ カ ア ル 心 地 コ ソ ス レ 、 ( 八 → 〜 八 二 頁 ) 丹 波 路 ヨ リ 御 上 洛 ト 云 云、 高 辻 ノ 西 洞 院 覚 念 ノ 私 宅 二 御 宿 シ 給 テ、 御 違 例 無 二 増 滅 → 或 日 、 一 日 室 内 ヲ 経 行 ア ッ テ 、 低 声 二 誦 而 七 巻 ノ 文 札 云 、 若 於 園 中 、 若 於 林 中、 若 於 樹 下、 ( 中 略 ) 諸 仏 於 此 転 於 法 輪、 諸 仏 於 此 而 般 涅 槃 ト 誦 シ 畢 テ 後 チ 、 此 文 ヲ 軈 テ 面 前 ノ 柱 二 書 ツ ケ 給 ウ、 妙 法 蓮 華 経 庵 ト 童 日 シ 留 メ 給 、 ( 八 二 〜 八 一. 一 頁 ) イ ヌ ノ 同 八 月 二 十 八 日 申 戊 寅 時 御 辞 世 之 偈 自 書 云、 ( 年 ) 五 十 四 天 照 二 第 一 天( 打 二 箇 陣 跳 一 触 二 破 大 千 → 渾 身 無 レ 覓 生 陥 二 黄 泉→ 乃 謂 γ 姨 畢 、 擲 γ 筆 而 逝 、 行 状 記 ニ ハ 、 大 千 ノ 次 二 痍 ノ 字 ア リ 、 御 入 滅 ノ 形 相 如一「 現 厳 時 → ( 八 三 〜 八 四 頁 )Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 懐 弗 和 尚 ハ 肝 ヲ ツ ブ シ、 ナ ソ ソ 早 キ ト、 半 時 バ カ リ 死 ニ イ リ タ マ フ 、 壇 那 太 守 仰 天 俯 地 テ 五 十 四 年 ノ 早 世 ヲ ヲ シ ミ タ マ 、 覚 念 ハ イ キ モ タ ヘ ダ ヘ ニ 食 モ ト ラ ズ 奉 供 養 、 コ ト ノ ミ シ カ キ ヲ ナ ケ ク 、 僧 俗 遺 弟 ヒ タ ソ ノ コ ヘ ア タ リ ニ ミ チ ヌ 御 入 滅 ノ ノ チ、 雲 州 太 守 ノ バ カ ラ ヒ ニ ヨ リ 、 ヒ ガ シ 山 建 仁 寺 ノ 西 門 ヨ ーー イ リ 、 シ バ シ 故 僧 正 ノ 塔 前 二 龕 ヲ ト ト メ、 懐 弉 和 尚 舎 利 礼 文 ヲ 挙 シ、 ワ カ レ ヲ ヲ シ ミ タ マ フ 、 ソ レ ヨ リ コ ノ 寺 ノ 三 昧 処 、 東 山 冖 罍 鳳 居 寺 ノ ヘ タ、 南 ハ 鷲 ノ 山 ニ ト ナ リ セ ル 白 山 嶺 ノ モ ト 、 谷 川 ノ ポ ト リ、 祗 園 林 ト イ フ ナ ル 松 並 木 ノ ツ ラ ナ ル 赤 築 地 花 園 ノ ス ミ ナ ル 地 二 龕 ヲ ウ ツ シ タ テ マ ツ リ 、 如 法 二 茶 毘 シ タ テ マ ツ ル 、 懐 弉 和 尚 舎 利 礼 文 ヲ 挙 セ ラ レ、 僧 俗 コ レ ニ 和 シ テ 、 宝 翕肥 ヲ メ グ ル コ エ モ タ ヘ タ ヘ ナ リ、 建 仁 寺 ノ 僧 ド モ 、 カ ワ ル カ ワ ル 来 リ 『 建 撕 記 』 雲 州 義 重、 仰 〆 天 臥 γ 地、 五 十 四 年 ノ 御 早 世 ヲ ヲ シ ミ 給 事 、 無 二 比 類 ハ 覚 念 其 外 僧 俗 之 遺 弟 子 等 、 悲 嘆 ノ 声 更 二 不 〆 絶、 懐 弉 ワ 胆 ヲ ケ シ テ 半 時 斗 ハ 絶 ヱ 入 リ 給 ウ、 ( 八 四 頁 ) ノ 御 形 体 ヲ ハ 、 洛 陽 ノ 天 神 中 小 路 リ レ ノ 草 庵 ヱ 奉 γ 入、 事 ヲ 調 ウ、 其 後 ヲ 雲 州、 可 γ 然 在 所 尋 ネ ラ ル 、 東 山 ノ 赤 辻 二 小 寺 ノ ァ リ シ ニ 、 尊 龕 リ シ ニ ヲ 奉 γ 移 テ、 依 μ 法 火 葬 シ 奉 ル 、 ニ メ テ ヲ テ ヲ 九 月 六 日、 収 二 設 利 羅一 出 一 一 京 城 叫 ノ 同 十 日 酉 刻 二 越 州 吉 祥 山 ヱ 至 リ ル ニ テ ニ 給 ウ、 同 十 二 日 申 ノ 刻 、 於 レ 方 丈 ク 如一一 入 涅 槃 之 儀 式 之 嚇 茶 菓 珍 鱶 香 へ 花 灯 燭 ヲ 備 テ 供 養 ヲ 致 シ、 法 事 ノ ノ 勤 行 孝 礼 悉 ク 有 〆 之 、 塔 二 于 本 山 西 隅 一 号 二 承 陽 一 ト、 . 其 後 チ、 畄 見 念 、 妙 法 蓮 華・ 経 庵 ト 書 付 マ シ マ ス 柱 ヲ ユ リ ヌ イ テ 以 テ 、 越謁 削 ノ 国 、 今 南 東 ノ 郡 月 尾 山 ノ 下 二 始 テ 塔 婆 ヲ 建 立 シ、 此 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) テ ワ カ レ ヲ ヲ シ ミ タ テ マ ツ ル、 ヒ ト ト キ ア マ リ ニ テ 、 茶 毘 一 ヘ ソ ノ ケ ム リ ト 化 シ タ マ フ 、 ア ハ レ ナ リ ケ ル 次 第 ナ リ 、 ツ ラ ナ リ ニ シ 僧 俗 ノ ト モ ガ ラ 、 別 二 詳 シ ク 記 サ イ ナ リ 、 経 豪 和 尚 筆 ヲ ト ラ ル ト 一 五一 ム、 永 興 庵 永 平 開 山 ノ 茶 毘 所 へ 、 詮 慧 和 尚 開 之 、 経 豪 和 尚 住 持 云 云 、 ノ チ ニ 建 仁 寺 西 来 院 権 管 、 永 正 二 年 九 月 口 口 口 口 依 口 口 口 一 校 ー 伝 領 康 徳 寺 弓 箴 ル 柱 ヲ 則 チ 中 心 柱 ト ノ 、 日 々 奉 二 供 養 一 ト 云 云 、 ( 八 四 〜 八 五 頁 ) こ れ ら を 一 覧 し、
傍
線 部 分 に 着 目 し て 比 較 し て み る な ら 、 『 高 台 寺 旧 記 』 ・ 『建
撕 記 』 の 両 書 の 問 に は、 具体
的
な 修辞
面 で 、 極 め て密
接 な 関 係 が あ る こ と は 明 ら か で あ る 。 こ の よ う に 道 元 遷 化時
の 消 息 を 伝 え る 両 書 が 、 出 拠 を 同 じ く す る 部 分 を含
ん で い る こ と は 間違
い な い が 、 し か し 、 一方
、 全 く 異 質 の 記 事 も 相 互 に 存 す る こ と に よ り 、 こ こ に い く つ か の間
題 が 提 起 さ れ る 。 問 題 の 第 一 は 、 両 書 の 成 立 の 前後
関 係 で あ り 、 こ れ に 関 連 し て 起 っ て く る 第 二 の 問 題 は 、 果 し て い ず れ か 一 方 が 一 方 を 一 六 }Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 『 建 顎 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 前 提 し た か ど う か と い う 問 題 で あ る 。
す
な わ ち 、 『建
撕 記 』 が 『 高 台 寺 旧 記 』 を 直 接 前 提 し 引 用 し た の か 、 そ れ と も そ の 逆 か 。 あ る い は ま た 、 別 に 両 書 が 共 に依
用 し た 、 先 行 成 立 の文
献 が存
し た か ど う か と い う こ と も 問 題 と な ろ う 。 そ し て 、第
三 の問
題 は、 両 書 に み ら れ る 相 互 の 異 同 、 す な わ ち 、 両 書 の 増 広 や 省 略 は そ も そ も い か な る意
味 を 持 っ て い る か と い う こ と で あ る 。 『 高 台 寺 旧 記 』 と 『 建嘶
記 』 が 、 そ れ ぞ れ 共 通 の 出 拠 を 持 つ こ と は 、 く り か え す ま で も な い が 、 さ ら に そ れ に増
広 ・ 省 略 の 手 が 加 え ら れ る こ と は、 そ こ に な ん ら か の 意 図 が な け れ ぽ な ら な い か ら で あ る 。 そ こ で ま ず 、 両 書 の 成 立 に つ い て 触 れ な け れ ば な ら な い が 、 『 建揖
記 』 に つ い て は 、 本 誌 前 号 に お い て 、 多 少 関 説 し た 。 す な わ ち 、 現 在、 豊 橋 全 久 院 に 所 蔵 さ れ て い る 文 献 中 に 、 永 平寺
檀
越 波 多 野 氏 が 、 宝慶
寺 義 雲 を 住 持 に 拝 請 し た 際 、義
雲
は 一 旦 こ れ を辞
退
し て お り、 こ の 時 の 義 雲 自 筆 の 辞 退 状 が あ る が 、 そ れ に は 、 此 書 札 者 一 へ 恵 林 禅 師 久 所 持 口 雖 口 被 付 口 於 建 綱 首 座 禅 師 、 亦 建 綱 首 座 捨 入 于 当 院、 三 条 殿 者 当 寺 檀 方 御 事 也 、 檀 方 之 私 宅 本 者 三 条 大 宮 在 之 、 故 号 三 条 大 宮 殿、 而 今 疑 是 大 宮 之 二 字 落 失 有 歟 矣、 長 禄 三 年 七 月 七 夕 誌 焉、 建 蠍 書 之 と い う建
撕 の 識 語 が 附 随 し て お り 、 こ の こ と は 、 義 雲 の 辞退
一 六 二 状 が 『建
撕 記 』 に 直 接 用 い ら れ た こ と を証
す る も の で あ る 。 そ し て 、 こ の 長 禄 三 年 ( 一 四 五 九 ) は 、 永 平寺
所 蔵 の 『仏
祖 正 伝 菩 薩 戒 作法
』 の 奥 書 に 、 日 本 応 仁 二 年 三 月 七 日、 在 承 陽 庵 以、 先 師 綱 和 尚 聴 許 書 写 之 、 比 丘 建 撕 … 五 十 四 歳 と あ る、建
撕 の 永 平 寺 晋 住 の 年 と み ら れ る 応 仁 二 年 ( → 四 六 八 ) に 先 立 つ こ と 九年
前 で あ り 、建
撕 は 恐 ら く 、 す で に 長禄
三 年 の 頃 か ら 永 平 寺 に お い て 、 師建
綱 の 下 で 、道
元 の行
状 記 の 編 纂 の業
務
に つ い て い た の で あ ろ う 。 『 建 擠 記 』 の 最 終 的 成 立 が い つ 頃 か は 決 論 は 出 し 得 な い が 、 同 じ く 『 仏 祖 正 伝菩
薩 戒 作 法 』 の 奥 書 に 、 日 本 文 明 六 年 甲 午 五 月 二 十 日 、 在 維 那 療 以 、 先 師 蜘 和 尚 聴 許 書 写 之 比 丘 光 周 四 + 歳 と あ り 、文
明 六 年 ( 一 四 七 四 ) 五 月 二 十 日 に は 、 永 平 寺 を 光 周 に 譲 り 、 同年
七11
三 日 に は 示 寂 し て い る と み ら れ て い る の で、 永 平 寺 晋 住 の 頃 に は す で に 大 綱 が 成 立 し て い た と み ら れ ハ 7 ) る 。 一 方 、 『 高 台 寺 旧 記 』 の 末 尾 に あ る 、 永 正 二 年 九 月 口 口 口 口 依 口 ロ ロ 一 校 伝 領 康 徳 寺 弓 箴Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty と い う 識 語 に よ れ ば 、 こ れ が 永 正 二
年
( 一 五 〇 五 ) 九 月 に書
写 し 校 正 さ れ た も の で あ る こ と が知
ら れ る が 、 さ ら に 、 こ れ の 原 本 と な っ た も の が 既 に 存 し 、 こ れ を永
正 二年
に 書 写校
正 し 、 康 徳 寺 の弓
箴 な る も の が 伝 え た と い う こ と に な る 。 従 っ て 、 こ れ に先
行
す る テ キ ス ト が あ っ た こ と に な り 、 し か も 、 ツ ラ ナ リ ニ シ 僧 俗 ノ ト モ ガ ラ、 別 二 詳 シ ク 記 サ イ ナ リ、 経 豪 和 尚 筆 ヲ ト ラ ル ト 云 云 、 と あ る 記載
は、 詮慧
の 弟 子 で あ る 経豪
も、道
元 の 荼 毘 に 立 合 っ た こ と に な り、 従来
、 注 目 さ れ て い る箇
所 で あ る 。 そ し て 、 『 高 台寺
旧 記 』 の 特徴
は、 道 元 の 遷 化 よ り 茶毘
に 至 る ま で の 経 緯 が 極 め て 具 体 的 、 か つ 群 細 に 記 さ れ て い る こ と で あ り、 特 に 『建
撕
記 』 の 記 事 と 比 較 し て 著 し い 特 徴 は 、 建 仁 寺 と の 関係
が異
常 に 強 調 さ れ て い る こ と で あ る 。 『 建 撕 記 』 の 記 載 で は、 道 元 の 遷 化 ・荼
毘 に 際 し て 、 建 仁 寺 は な ん ら 役 割 を 果 し て い な い が 、 『高
台寺
旧 記 』 に よ れ ば 、 遷化
の後
、 ま ず 建 仁 寺 の 西 門 よ り 入 っ て 、 暫 時 、 故僧
正 、 す な わ ち 栄 西 (=
四 一 〜 = 二 五 ) の 搭 の 前 に 龕 を と ど め て 、 懐 弉 が舎
利 礼 文 を 挙 し て 、 栄 西 と の 別 れ を 惜 し み 、次
い で 、 建 仁 寺 の 三 昧処
で あ る 所 の 東 山 雲 居 寺 の 端 に 当 る 、 白 山 嶺 の 下 の谷
川 の ほ と り の祗
園 林 と い う 松 並 木 が連
な る赤
築 地 花 園 の 隅 の 地 に龕
を 移 し て 荼 毘 に付
し た と い う 。 三 昧 処 と い う の は 、葬
場 、 火葬
場 の こ と で あ り 、建
仁 寺 管轄
の 火葬
場 で 荼 毘 に 付 し た こ と に な る 『 建 蠍 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) の で あ り 、 し か も 、 荼 毘 の 最 中 、建
仁寺
の 僧 達 が交
代 で 来 っ て 別 れ を 惜 し ん だ と い う の で あ る 。 こ の よ う に 、建
仁 寺 と の 関 係 が 強 調 さ れ る 『高
台 寺 旧 記 』 と 、少
く と も そ の 出拠
を 同 じ く す る 部 分 を 含 む 『 建 撕 記 』 が 、 こ こ で 建 仁 寺 と の 関 係 に つ い て 全 く 触 れ な い の は 、 何 を 意 昧 す る も の で あ ろ う か 。 と こ ろ で 、 『高
台 寺 旧 記 』 の 記 載 は 、 既 に み た よ う に 、 一 見 臨 場 感 に 温 れ た、 極 め て 具 体 的 な 記 録 と も 受 け と れ る の で あ る が、 永 興 庵 永 平 開 山 ノ 荼 毘 所 へ、 詮 慧 和 尚 開 之、 経 豪 和 尚 住 持 云 云、 ノ チ ニ 建 仁 寺 西 来 院 権 管、 と あ る 記 載 に よ れ ぽ、京
都 の 永 興 寺 ( 庵 ) は 、 も と も と 道 元 の 荼 毘 所 に 創 立 さ れ た も の で 、 そ の 後 に詮
慧 や 経豪
が こ こ に 住 し た こ と に な る 。 し か も 、 こ の 永 興 庵 は の ち に 、建
仁 寺 西 ( 8 ) 来 院 の 管 轄 す る 所 と な っ た と す る の で あ る か ら 、 こ の 『高
台
寺 旧 記 』 そ の も の は 、 道 元 遷 化 時 を は る か に 下 っ た 頃 の 成 立 と み な け れ ば な ら な い こ と に な る 。 「 永 興 庵 云 云 」 の 識 語 と 、 道 元 遷 化 前後
の 記 事 の 成 立 を 別 と 考 え る こ と も で き る が 、 少 な く と も こ の 文 献 は 、 永 興庵
・ 建 仁 寺 の関
係 が 強 く 意 識 さ れ て い る こ と は 疑 い な い 。 寛 元 元年
( = 一 四 三 ) 七月
、 道 元 は錫
を 宇治
興 聖 宝 林 寺 よ り 越 前 に移
す こ と に な る が 、詮
慧 は こ の 時 、興
聖 寺 の後
席 と し て 京洛
の 地 に 留 め ら れ る 。 こ う し た背
景 に は 、 詮 慧 が 天 台 宗 出 身 で あ る こ と を 考 慮 し 、 恐 ら く 比叡
一 六 三Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 『 建 捌 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 山 と の 軋
轢
を 予 想 し た も の と 思 わ れ る が 、今
ま た 、 詮 慧 開創
の 永 興 庵 が 、建
仁 寺 の管
轄 下 に 置 か れ る に 至 っ た こ と も 、 こ れ と 無 関 係 で は あ る ま い 。 こ の よ う な事
情 を 前 提 す る な ら 、 『 高 台 寺 旧 記 』 の 記載
も 、 『建
撕 記 』 と 共 通 す る 部 分 を 共 に 含 む 祖 本 か ら 派 生 し た も の と 考 え ざ る を得
な い 。 こ こ に い う 祖 木 と は 、勿
論 、 推 測 に よ っ て そ の 存 在 を 設 定 し た 、 道 元 示 寂 前 後 の 消息
を 記 し た 文 献 で あ る が 、 そ の 先後
関
係 、引
用 関 係 を 類 推 す る な ら 、 次 の 三 通 り の 考 え 方 が で き よ う 。 ω菊
∴
台ギ
÷
台 寺 旧 記 一 一 祖 本」
建 掘 記工
高 台 寺 旧 記 原 本丁
亠 咼 台 寺 旧量
(3)葱
本⊥
高 台 寺 旧 記 原杢
\庭
纐 記ノ
高 台 寺 旧量
こ れ ら の 三 説 の 中 か ら 、 妥 当 性 の あ る 論 が 導 き 出 せ 得 る か 否 か は 後 に 述 べ る と し て 、 ま ず 、 『 高 台 寺 旧 記 』 『 建撫
記 』 の 、 そ れ ぞ れ の 立 場 の 著 し い 相 違 を 指摘
し て み る と 、 『高
台
寺 旧 記 』 に つ い て は 、 山 城 の 固 の 生 蓮 房 の妻
室 が 、精
進
し て 細 布 一 巻 を 調 え 、遙
か に 持 参 し て 道 元 に供
養
し た の で 、 道 元 は そ の 志 に 感 じ て 、 自 ら袈
裟
を 裁 縫 し て常
用 し た が 、 こ れ を 懐 弉 一 六 四 に 付 し た こ と が 記 さ れ る 。 ま た 、 上 洛 に 際 し て 、 道 元 は 義 介 に遣
戒
を 与 え て お り 、 こ れ は 『 三 祖 行 業 記 』 や 『 御 遺 言記
録 』等
に も 記 さ れ る 所 で あ る が 、 『建
撕
記
』 で は 全 く 義 介 が 登 場 し な い 。 さ ら に 、 す で に 述 べ た よ う に 、 『 高 台 寺 旧 記 』 で は建
仁寺
と の 関 係 が 極 め て 強 調 さ れ る が 、 『 建撕
記 』 で は そ れ に つ い て は 一 言 も触
れ ら れ て い な い 。 こ の 荼毘
供
養
に 際 し て 、 懐 弉 が 『 舎 利 礼 文 』 を 頻 り に 誦 し た こ と も 記 さ れ る が 、 『建
撕 記 』 で は こ れ も 全 く 記 す 所 が な い 。 こ れ に 対 し 、 『 建衡
記 』 の 『 高 台寺
旧 記 』 に 対 す る 特 徴 と し て は 、 『 八 大 人 覚 』 が 道 元 最 後 の教
誨 と し て 詳 し く 説 か れ 、 ま た 上 洛 の 際 の 頌 と 歌 が 記 さ れ て い る が、義
介 は こ こ で は 登 場 し な い こ と はす
で に 述 べ た 通 り で あ る 。 ま た 上 洛 の 道 筋 と し て は 、 丹波
を と っ た こ と が 記 さ れ、 涅槃
近 く に な っ て 、 『 法華
経 』 を頻
り と 誦 し た が 、 そ の 文 言 が 載 せ ら れ て お り 、 最後
に 、 建 仁寺
と の 関 係 は全
く 触 れ ら れ ず 、 ま た 懐弉
の 舎 利礼
文 諷 誦 の こ と も 記 さ れ ず 、 京洛
の 地 に お け る 茶 毘 は 極 め て 簡 単 で 、 九 月 六 日 に は 京 を 出 発 し、 十 日 に は 永 平 寺 に 至 り 、慇
懃 に 供 養 が 営 ま れ た こ と を 記 し て い る 。 ま た 、 覚念
の 私 邸 で 道 元 が 「妙
法蓮
華 経 庵 」 と 書 い た 柱 を 抜 き 、 越 前 月 尾 山 下 に 塔 婆 を 建 立 し て 供 養 し た こ と も 、 『 高 台 寺 旧 記 』 に は 見 ら れ な い 記 事 で あ る 。 こ れ ら の 違 い の 中 で特
に 注 目 さ れ る の は 、 『高
台 寺 旧 記 』Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty で 、 建 仁 寺 と の 関 係 が 極 め て
強
調 さ れ る こ と と 、 『 建嘶
記 』 で 、 義 介 に 対 し て 道 元 が 遺 戒 し た と す る 記 事 が無
い こ と で あ る 。 前 者 に つ い て は 、後
で も 述 べ る よ う に 、 『 建撕
記 』 の 栄 西 ・ 道 元 相 見 説 に 対 す る 立 場 は 、 『 三 祖 行 業 記 』 の 説 を 承 け な が ら、 し か も こ れ を 敢 て 無 視 し て 、 道 元 は 栄 西 と 相 見 し た こ と に な っ て お り 、 も し 、 『 建 衡 記 』 が 、 道 元 遷 化 時 に お け る 建 仁 寺 の 役 割 を 知 っ て い た な ら 、 こ れ を 採 用 し な い筈
は な い 。 従 っ て 、 『 高 台 寺 旧 記 』 に お け る 建 仁 寺 と の関
係
は 、 少 な く と も 祖 本 に は 無 か っ た と み て よ く、 前 記 の 説 は 成 り 立 た な く な る 。 ま た 、義
介 の 永 平 寺 に お け る 位 置 付 け に つ い て は 、 す で に ( 9 ) 他 の 論 考 で も 指 摘 し て い る よ う に 、 寂 円 派 と し て は 、 『 宝 慶 由緒
記 』 の 立 場 、 す な わ ち、 寂 円 を 永 平 寺 三 代 と し 、義
介
・ 義演
を 前 住 と し て 位 置 付 け、 永 平 寺 は 寂 円 派 の 伝法
の次
第
を も っ て 一 流 相 続 さ れ て 来 た こ と を 主 張 す る も の で あ り 、 こ の よ う な 立 場 が微
妙 に 反 映 し て い る と み て よ い の で は な か ろ う か 。 こ う し た諸
点 を 考 え 合 わ せ る な ら 、 道 元 の 示 寂 前 後 の 消息
を 書 き 残 し た 記 録 か ら 、 『建
撕
記 』 『 高台
寺 旧 記 』 が そ れ ぞ れ の 立 場 か ら こ れ を 取 捨 撰 択 し 、 あ る い は 附 加 し て 両 書 が 成 立 し た か 、 あ る い は 、 『 建 撕 記 』 の説
を 承 け て 『 高 台 寺 旧 記 』 の 『 建 撕 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 原 本 が 成 立 し た か の い ず れ か に な る と 思 わ れ る が 、 『高
台
寺
旧 記 』 が 、道
元 の 遷 化 ・ 荼 毘 の 記 事 の み に 終 止 し て い る こ と を 考 慮 す る な ら 、 ω の 説 が よ り 妥 当 な 成 立過
程 と い う こ と に な る の で は な か ろ う か 。 ま た、 生 蓮 房 の 妻 室 が 献 上 し た 細 布 に よ っ て 、 道 元自
ら裁
縫 し て 作 っ た 袈 裟 は、 宝 治 二 年 ( = 一 四 八 ) 夏、 懐弉
に 伝 え ら ( 10 ) れ 、 さ ら に こ れ は 『 三 祖 行 業 記 』 等 に よ れ ば、 弘 安 三 年 ( 一 二 八 〇 ) 八 刀 十 五 日 、懐
奘 は 遷 化 に 先 立 っ て 、 こ れ を義
介
に 与 え 、 『 広福
寺 文 書 』 の 「 紹 瑾 法 衣 附 属 状 」 に よ れ ば 、義
介
は こ ( 11 ) の 袈 裟 を 、 永 仁 三 年 ( 一 二 九 五 ) 正 月 十 四 日 、 瑩 山紹
瑾 に 与 え 、 瑩 山 は さ ら に こ れ を 、 応 長 元年
( 一 三二
) 十 月 十 日 、 明峰
素 ( 12 )哲
( =毛
七 〜 一 三 五 〇 ) に 伝 え た 。 次 い で 同 じ く 『 広福
寺 文 書 』 の 「 素 哲 附 法 状 」 に ょ れ ば 、 元 弘 三年
( = 二 . 二 三 ) 正 月 十 七 日 、 ( 13 ) 明峰
は こ れ を 大智
( 一 二 九 〇 〜 =.. 六 六 ) に 伝授
し て い る 。建
長 四 年 ( . 二 五 二 ) 夏 頃 の 道 元 の 示 疾 に は じ ま る 『 高 台 寺 旧 記 』 に、 こ の 生 蓮 房 の妻
室
寄 進 の 法 衣 の 話 が挿
入 さ れ る意
図 が 不 明 で あ る が 、 『高
台 寺 旧 記 』 の 記 事 は 、 『 広 福 寺文
書 』 の 「紹
瑾 法 衣 附 属 状 」 を 前提
す る こ と は 明 ら か で あ り 、 こ の こ と は 、 こ の 史 料 が 、 義 介 ・ 瑩 山 の 側 の 立 場 に 立 っ て 書 か れ て い る こ と を 示 し て い る の で は な か ろ う か 。 あ る い は 、 こ の 法 衣 が 大 智 に ま で 伝 わ っ て い る こ と を 考 慮 す る な ら 、 大智
が 永 興 庵 を 訪 れ た 形 跡 が あ る の で 、 あ る い は こ の 史料
の 成 立 に 、 一 六 五Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 『 建 癒 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 大
智
が か か わ っ て い る 可 能 性 も あ る 。 た だ 、 大智
が 永 興 庵 を 訪 れ て詠
じ た偈
頌 が 残 さ れ て い る が 、 そ れ に よ れ ば 、 礼 二 永 興 開 山 塔 一 空 堂 只 見 緑 苔 封、 法 席 無 三 人 補 二 祖 宗→ 満 樹 落 花 春 過 後、 杜 鵑 啼 7 血 夕 陽 紅 ( 『 続 曹 全 』 法 語 ・ 歌 頌 七 五 三 頁 ) と あ り 、 い か に も 荒 れ 果 て た 永 興 庵 の 様 子 を 髣 髴 さ せ る 。 し か し 、 果 し て こ れ が 事 実 で あ っ た の か 、 そ れ と も 、 永 庵 庵 が 既 に建
仁 寺 の 管 理 下 に 移 っ た 事 実 を 嘆 い て 、 こ れ を 詩 的 に 表 現 し た の か、 い ず れ と も 決 し 難 い 。 『高
台 寺 旧 記 』 が 詮 慧 ・ 経 豪 の 伝 承 に か か わ る も の か 、 そ れ と も 、 義 介 ・ 瑩 山 の 系 統 に 関 り が あ る か は こ こ で は 結 論 は 出 し 得 な い 。 し か し 、 か り に 生 蓮 房 の 妻室
の 供養
に か か る 法 衣 の 伝 授 が 、 こ の 祖 本 に 元来
あ っ た と し て も 、 こ れ は 寂 円 派 に は 伝 承 さ れ な か っ た の で あ る か ら 、 永 平 寺 に お け る 正 統 性 を 主 張 す る 寂 円 派 の 立 場 か ら は、 当 然 、 こ れ に 関 す る 記 事 を 載 せ る わ け に は い か な か っ た は ず で あ る 。 こ の よ う に 、 『高
台 寺 旧 記 』 と 『 建撕
記 』 と の 間 に は 、 そ の 成 立 に 微 妙 な 立 場 の相
違 を 見 せ て お り 、 特 に 『 建 撕 記 』 に は、 寂 円 派 と し て の意
識 が 認 識 さ れ て い る こ と は 随 処 に み ら れ る の で あ る 。 一 六 六 次 に 、 『 建 撫 記 』 が 確 実 に 依 拠 と し た と み ら れ る 『 三 祖 行 業 記 』 ( 『 一 二 大 尊 行 状 記 』 ) と の 関 係 に つ い て 考 え て み る が 、 先 ず 、 『 建 撕 記 』 が 「 行 状 記 に 云 く 」 と し て 引 用 し て い る 箇 所 、 及 び、 当 然 『 一、 一 祖 行 業 記 』 に よ っ た と み ら れ る 箇 所 と を 対 照 さ せ て 次 に か か げ て お く 。 三 祖 行 業 記 建 記 建 保 五 年 丁 丑 、 十 八 歳 秋 、 始 離 二 本 山 冖 投一 冖 洛 建 仁 寺 哨 従 二 明 全 和 尚 帖 猶 極 二 顕 密 之 奥 源 → 習 二 律 蔵 之 威 儀 ( 兼 聞 二 臨 済 之 宗 風 ハ 即 列 二 黄 竜 之 十 世 → ( 『 曹 全 』 史 伝 上 、 二 頁 ) 始 帰一於
本 国 → 寓 二 止 於 建 仁 寺→ 漸 求 二 隠 居 地 → ( 同 三 頁 ) 寛 元 二 年 甲 辰 七 月 、 草 二 創 吉 祥 山 永 平 寺 → 土 木 未 γ 備 、 堂 閣 僅 両 三、 然 而 以 二 深 山 幽 谷 ハ 占 以 為 二 . 生 幽 棲 之 地 → ( 同 三 〜 四 頁 ) △ 建 保 二 年 、 行 状 記 云、 入 二 千 光 禅 師 之 室( 初 聞 二 臨 済 ノ 宗 風 、 千 光 ハ 建 仁 寺 開 由 栄 西 之 御 事 也 、 又 明 庵 和 尚 ト モ 申 ス、 ( 八 頁 ) 同 三 年 、 貞 永. 兀 年 二 至 迄、 寓 二 止 建 仁 寺 → 漸 求 二 隠 居 之 地一 ト 、 ( 同 三 卜 三 頁 ) △ 開 山 御 在 世 之 時 ハ 、 七 堂 皆 迄 ハ 不 レ 立 耶 、 行 状 記 云、 土 木 未 備 、 堂 閣 僅 両 三 ト ア リ 、 ( 五 四 頁 )Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 建 長 五 年 癸 丑 八 月 二 十 八 日 、 夜 半 示 〆 偈 自 書 云、 五 十 四 年 、 照 二 第 一 天 → 打 二 箇 陣 跳 ハ 触 二 破 大 千 州 嘆、 渾 身 無 レ 処 レ 覓、 活 陥 二 黄 泉 ハ 擲 〆 筆 而 逝 、 ( 同 四 頁 ) 二 祖 弉 禅 師 禅 師、 生 藤 氏 、 諱 懐 弉 、 洛 陽 人 也 、 九 条 相 国 為 通 曾 孫 、 鳥 養 中 納 言 為 実 卿 孫 也、 建 久 九 年 戊 午 生 下 、 ( 同 四 頁 ) 果 八 月 廿 四 日、 沐 洛 如 / 常、 入 F 夜 小 日 、 先 師 半 夜 円 寂、 予 又 慕 〆 之 、 至 7 丑 可 7 往、 師 日 日 記 事 、 至 二 其 日 一 記 云 、 今 日 予 死 、 所 二 世 奇 異 → ( 同 五 〜 六 頁 ) 同 ( 建 長 五 年 ) 八 月 二 十 八 日 甲 戊 寅 時 、 師 辞 世 之 偈 自 書 云、 ノ ノ 五 十 四 年 天 照 二 第 「 天 → 打 二 箇 陣 跳 一 触 二 破 大 千→ 渾 身 無 レ 覓 生 陥 二 黄 泉 → 乃 謂 レ 痍 畢、 擲 γ 筆 而 逝、 行 状 記 ニ ハ 大 千 ノ 次 二 唆 ノ 字 ア リ 、 ( 八 三 〜 八 四 頁 ) △ 永 平 二 代 弉 和 尚 行 状 記 云 、 な ご 建 長 九 年 成 午 弉 和 尚 生 下、 藤 原 氏 、 洛 陽 人、 九 条 相 国 為 通 曾 孫、 鳥 養 中 納 言 為 実 卿 之 ( 曾 ) 孫 也、 ( 一 〇 四 頁 ) 毎 日 日 記 ヲ 付 ラ レ タ ル カ、 八 月 廿 四 日 二 至 テ 、 和 尚 云 、 我 今 日 可 レ 死 卜 記 シ マ シ マ ス 、 先 師 開 山 和 尚 モ 半 夜 二 涅 槃 ア リ 、 吾 モ 又 テ ニ タ 至 二 丑 ノ 刻一 可 7 逝 ト 也 、 如 二 日 ノ ノ 記 一 八 月 十 四 日 夜 丑 ノ 刻 二 逝 シ 給 ウ、 ( 一 〇 九 頁 ) コ 代 御 現 住 ノ 内、 仏 法 僧 ト 鳴 ク 鳥 来 テ 、 常 鳴 ケ リ 、 享 徳 年 中 二 『 建 撕 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 此 声 皆 人 聞 也、 委 細 ハ 行 状 記 ニ タ リ 見 〆 之、 ( 一 →
O
頁 ) 『 三 祖 行 業 記 』 に 依 拠 し た と 見 な さ れ る 部 分 は こ れ だ け に と ど ま ら な い が 、 以 上 の 対 照 に よ っ て も 、 『 三 祖 行 業 記 』 が確
実
に 前 提 さ れ て い る こ と は 知 ら れ る 。 た だ 、 道 元 在 世 中 は 七 堂伽
藍 は 未 だ完
備
し て い な か っ た と す る が 、 『 三 祖 行 業 記 』 で は 、 こ れ は あ く ま で も 寛 元 二 年 ( 一 二 四 四 ) の 時 点 と し て い る の を 、 「 土 木 未 / 備、 堂 閣 僅 両 立 」 と い う 記 事 だ け を 採 用 し て 、 道 元 在 世 中 に 置 き か え て し ま っ た も の で あ り 、 ま た 、 道 元 辞 世 の 頌 に つ い て も 明 ら か に 『 三 祖 行 業 記 』 の・ 記 事 を知
り な が ら 、 こ れ を 別 の 資 料 に よ っ て い る な ど 、 読 み 替 え や 取捨
撰
択
が 大 い に な さ れ て い る こ と が 注 目 さ れ る 。 特 に 、 『 三 祖 行 業 記 』 と の 関 係 で 注 目 さ れ る の は 、 道 元 と 栄 西 の 相 見 問 題 で 、 『 一. 一 祖 行 業 記 』 で は 明 ら か に 建 保 五 年 ( 一 二 冖 七 ) 十 八 歳 で 比叡
山 を 下 っ た こ と に な っ て い る の を 、 敢 て 栄 西 存 命 中 の建
保 二 年 の 記 事 に 改 め、 栄 西 の 直 接 の 指導
を 受 け た こ と に し て い る の で あ る 。 さ ら に こ れ に 続 け て 、 △ ( 建 保 ) 三 年 今 年 七 月 五 日、 建 仁 寺 開 山 栄 西 和 尚 七 十 五 歳 ニ メ 涅 槃 ア リ、 然 レ ハ 建 仁 開 山 ノ 会 下 二 在 ス 事 四 ケ 年 也、 とあ
り、 栄 西 に 参 じ た こ と を 明 記 し て い る 。 と こ ろ が 、 『 建 嘶 記 』 は 別 の 箇 所 で こ れ と 全 く異
な る道
元 一 六 七Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 『 建 撕 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 伝 を 記 し て い る 。 す な わ ち 、 ン 住 山 六 季 ノ 問 二 経 ヲ 看 給 事 二 遍 也、 宗 家 ノ 大 事、 法 門 ノ 大 綱、 本 来 本 法 性、 天 然 自 性 身 、 此 理 ヲ 顕 密 ノ 両 家 ニ テ モ 不 落 居、 大 イ ニ 疑 滞 ア リ テ、 → 一. 井 寺 ノ 公 胤 僧 正 ノ 所 ヱ 参 シ 問 イ 給 様 ハ 、 如 ナヨ ト ソ テ ン シ モ ウ リ 来 自 法 身 法 性 ナ ラ バ 、 諸 仏 為 二 甚 麼→ 更 発 コ 心 修 行 三 菩 提 ノ 道 当 公 ノ レ タ 胤 僧 正 教 示 云 、 此 問 所 我 輙 答 ヘ カ ラ ス 、 吾 宗 家 ノ 訓 訣 ア リ ト イ ヲ ウ ル ヲ ヱ ト モ 、 未 二 尽 其 義 一 也 、 我 伝 聞 、 大 宋 国 二 伝 二 仏 心 印 一 正 宗 ア リ 、 直 二 入 宋 ノ 尋 ヌ ベ シ ト 、 師 公 胤 ノ 教 示 ヲ 聞 テ 、 其 秋、 十 八 歳 ニ ノ 本 山 ヲ 出 テ 、 建 仁 寺 二 掛 錫 シ 、 明 全 和 尚 二 随 順 ノ、 猶 ヲ 顕 密 ノ 奥 源 ヲ 窮 メ 、 律 蔵 ノ 威 義 ヲ 習 イ 、 臨 済 ノ 宗 風 ヲ 聞 給 イ 、 即 黄 つ マ ソ 竜 十 世 二 烈 シ マ シ マ ス 者 也 、 と あ り、 こ れ に よ れ ば 、
道
一 兀 の叡
山 に お け る 修 学 は 、 建 暦 二年
( = ニ ニ ) 十 三 歳 の 時 よ り、 建 保 五 年 ( 一 二 一 七 ) 十 八 歳 の 時 ま で の 六年
間 と い う こ と に な り 、 栄 西 と の 相 見 参 学 は成
り 立 た な い こ と に な る 。 さ ら に 公 胤 僧 正 の教
示 は、 直 ち に 大 宋 国 に 行 き 、 仏 心 印 を 伝 え る 正宗
を 尋 ね よ と い う も の で あ り、 栄 西 へ の参
問 は す す め て い な い 。 恐 ら く こ れ は な ん ら か の 古 伝 に よ っ た も の で 、 栄 西相
見
説 を 否 定 す る史
料 と は み な さ な い で そ の ま ま 採 用 し た も の と 思 わ れ る 。 そ れ は、 こ の箇
所 の 前 の 文 に ( 建 保 ) 五 年 八 月 廿 五 日 ヨ リ、 建 仁 寺 二 代 和 尚 ノ 室 二 入 給 ト 云 云、 此 巳 前 ワ 山 ト 仁 寺 ト ノ 間 ヲ 往 来 ア リ、 云 云、 と あ る よ う に 、 明 ら か に 栄 西 相 見 説 と の つ じ つ ま を 合 わ ぜ る 一 六 八 た め の文
を 挿 入 し て お り 、 し た が っ て 栄 西道
元相
見 説 は 、 『 建 撕 記 』 の 作 者 の意
図 的作
為 に よ る所
産 で あ っ た と い う こ と が で ぎ よ う 。 『 三 祖 行 業 記 』 の 外 に も 、 『 洞 谷 記 』 『 伝 光 録 』 等 の 古 伝 は 、 い ず れ も 栄 西 と の 相 見 は 言 わ な い の に 対 し 、 『建
衡 記 』 が こ と さ ら に 筆 を 曲 げ 、引
用 文 を 変 え て ま で 栄 西 に相
見 せ し め ざ る を得
な か っ た 理 由 は那
辺 に あ る の で あ ろ う か 。 恐 ら く こ れ は、虎
関
師 錬 ( =毛
八 〜 = 二 四 六 ) の 『 元 亨 釈 書 』 の 編 纂 に よ っ て 、栄
西 の 日 本 禅 宗 初 祖 と し て の位
置
が 確 定 し 、 し か も、 延 文 五年
( 一 三 六 〇 ) に は 『 元 亨 釈書
』 は 入 蔵 の 勅 許 を 得 て お り 、 さ ら に 『 元 亨 釈 書 』 巻 六 の 道 元 伝 で は 、 釈 道 元、 姓 源 氏 、 京 兆 人 、 紳 纓 之 胤 也 、 始 謁 二 建 仁 明 庵 → 庵 為 二 法 器 → 後 乗 二 商 船一 入 二 宋 地 ハ 云 云、 ( 門サ Φ N ° 】 UOOP ) と あ り 、 明 ら か に 栄 西 相 見 説 が 提 示 さ れ て お り 、 こ れ ら に よ っ て 、 寂 円 派 と し て の 道 元 像 は 、 日 本 伝 禅 の 初 祖 に 連 な る 権 威 を 持 っ た 人 間 像 が 求 め ら れ た も の と 思 わ れ る 。 四 以 上 、 三 回 に 亘 っ て 『 建 揖 記 』 の 歴史
史 料 と し て の特
質、 特 に 寂 円 派 の 伝 承 資 料 と し て の 側面
に 注 目 し て 、 そ の 成 立 の背
景
、依
用 資 料 の 問 題 、 依 用 資料
の 取捨
の 基 準等
に つ い て 論 考 を 重 ね て き た 。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 『 建
撕
記 』 の 持 つ 、 日 本 曹 洞宗
史
上 に お け る 歴 史 的 意 義 は 、 勿 論 以 上 論 じ て 来 た こ と だ け に 尽 き る も の で は な い 。 そ こ に は さ ら に 、 単 な る 宗 祖 と し て の 道 元 像 だ け で は な く 、 思 想 史 上 に お け る道
元 像 の 変 遷 も 考 慮 し て お か な け れ ば な ら な い 。 ま た 、 寂 円 派 と し て の 問 題 に つ い て も 、 宝 慶 寺 と 永 平 寺 と の 関 係 、 『 傘 松 道 詠 集 』 の 問題
な ど 、 改 め て 問 い 直 さ れ な け れ ぽ な ら な い多
く の 問 題 を 残 し て い る が 、 こ れ ら に つ い て は、 根 本 的 に 問 題 を 考 え 直 し て い る最
中 で あ る こ と を 記 し て 擱 筆 す る 。 註 ( 1 ) ( 2 ) 船 津 洋 子 「 『 傘 松 道 詠 集 』 の 名 称 ・ 成 立 ・ 性 格 」 ( 『 大 妻 国 文 』 五 号、 昭 和 四 十 九 年 三 月 ) 。 ( 3 ) 橋 川 正 『 日 本 仏 教 文 化 史 の 研 究 』 ( 大 正 十 一. 一 年 八 月、 中 外 出 版 株 式 会 社 ) 二 五 四 頁 〜 「 道 元 禅 師 の 傘 松 道 詠 」 参 照 。 ( 4 ) 山 瑞 昭 道 「 『 伝 光 録 』 に 示 さ れ た 高 祖 の 慈 父 」 ( 『 傘 松 』 昭 和 四 十 九 年 四 月 号 )、 中 世 古 祥 道 『 道 元 禅 師 伝 研 究 』 ( ( 昭 和 五 十 四 年 → 月 、 国 書 刊 行 会 ) 四 九 頁 〜 、 第 一 章 幼 少 時 代、 第 一 節 俗 系 の 研 究 。 (5
) 間 中 富 士 子 「 中 世 に お け る 禅 及 び 禅 僧 の 和 歌 」 ( 『 鶴 見 女 子 短 期 大 学 紀 要 』 二 号 、 昭 和 三 十 七 年 五 月 ) 参 照 。 ( 6 ) 安 良 岡 康 作 「 中 世 的 文 学 の 孤 高 性 に つ い て 」 ( 昭 和 五 十 五 年 五 月 二 十 四 日、 駒 沢 大 学 に お け る 、 中 匱 文 学 会 春 季 研 究 発 表 会 の 発 表 ) 。 (7
) 『 建 獵 記 』 の 成 立 に つ い て は 既 に 諸 説 提 起 さ れ て い る が 、 『 建 揃 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 小 川 霊 道 「 古 写 本 建 衡 記 と そ の 成 立 に 就 て 」 ( 『 宗 学 研 究 』 第 四 号、 昭 和. 二 十 七 年 三 月 ) は、 天 文 木 ( 瑞 長 本 ) 『 建 掘 記 』 に よ っ て 、 応 永 二 十 七 年 ( . 四 二 〇 ) 六 月、 宝 慶 寺 喜 舜 と 協 力 し て 完 成 さ れ た と し 、麦
保 道 舟 『黔
道 元 禅 師 伝 の 研 究 』 ( 昭 和 四 十 一 年 五 月、 筑 摩 書 房、 二 六 頁 〜 ) は、 応 仁 二 年 よ り 文瞿
跨 る 時 代 とk
河 村 孝 道 『髞
永 平 開 山 道 元 禅 師 行 状 建 獵 記 』 ( 昭 和 五 十 年 四 月、 大 修 舘 書 店 、 二 〇 〇 頁 〜 ) は 、 文 明 一 一. ・ 四 年 頃 に は 『 建 揃 記 』 の 第 一 次 蒐 成 作 業 、 す な わ ち 草 稿 本 は 完 成 し て い た と さ れ る 。 (8
) 西 来 院 は 、 大 覚 派 蘭 渓 道 隆 ( 一 二 = 二 〜 一 二 七 八 ) の 塔 頭 で 、 曹 洞 宗 と は 元 来 関 係 は な い 。 『 和 漢 禅 刹 次 第 』 ( 『 続 群 書 類 聚 』 巻 八 二 一 ) 、 『 扶 桑 五 山 記 』 巻 四 参 照 。 (9
) 拙 稿 「 『 宝 慶 由 緒 記 』 の 史 料 的 価 置 」 ( 『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』 二 十、 九 巻 一 号、 昭 和 五 十 一 年 十 二 月 )、 同 「 寂 円 派 研 究 序 説 」 ( 『 日 本 仏 教 史 学 』 十 二 号 、 昭 和 五 十 二 年 八 月 )、 同 「 『 建 概 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 上 ) 」 ( 『 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 論 集 』 九 号、 昭 和 五 十 三 年 十 一 月 ) 等 参 照 。 ( 10 ) 「 弉 師 最 後 八 月 十 五 日 、 嘱 レ 師 ( 義 介 ) 云、 公 者 予 長 嫡 也 、 ニ ヵ り 先 師 開 闢 和 尚、 与 二 持 住 職 叫 付 与 有 ご 袈 裟 → 滅 後 十 八 年 、 頂 載 一 日 不 γ 雖 γ 身 、 一 生 巳 護 持 、 今 付 二 与 公→ 衣 法 同 伝 、 来 際 弘 通 、 勿 レ 令 二 断 絶 一 」 ( 『 曹 全 』 史 伝 上、 八 頁 ) ( 11 ) (12
) 『 広 福 寺 文 書 』 に、 次 の よ う に あ る 。 ( 花 押 ) 伝 附 紹 瑾 長 老 相 伝 衣 一 領、 納 袈 裟 嚢 、 一 六 九Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 『 建 掘 記 』 の 史 料 的 価 値 ( 下 ) ( 石 川 ) 右 件 法 衣 者 、 永 平 開 山 初 祖 之 袈 裟 也 、 其 地 者 細 布 也、 初 祖 之 在 俗 弟 子 中 、 有 山 城 国 生 蓮 房 人 、 彼 妻 室 、 於 初 祖 信 心 無 弐、 自 精 進 潔 斎 而 調 織 、 遙 持 参 於 越 州 永 平 寺、 所 奉 供 養 也 、 初 祖 感 信 心 無 弐 志 、 自 裁 縫 而 尋 常 着 用、 終 宝 治 弐 年 之 夏 、 縫 袈 裟 嚢 而 納 之 、 建 長 五 年 癸 丑 七 月、 以 永 平 之 住 持 職 、 被 付 二 代 和 尚 時、 以 此 袈 裟、 同 付 嘱. 一 代 和 尚、 然 間 住 持 十 八 年 之 間、 上 堂 、 布 薩 等 着 用 此 法 衣 、 凡 滅 後 十 八 年、 暫 時 無 離 衣 宿、 護 持 頂 戴 、 最 後 病 中、 弘 安 三 年 戊 寅 八 月 十 五 日 、 召 義 介 示 云、 公 者 懐 弉 長 摘 也、 此 法 衣 者 、 先 師 与 住 持 職 付 嘱 袈 裟 也 、 於 身 最 尊 重 宝 也 、 然 者 法 嗣 雖 人 多 、 公 者 依 長 摘 、 即 欲 付 授 、 「 時 義 介 コ ヨ 三 拝 而 伝 領 、 其 後 十 六 年 頂 戴 之 護 持 来 、 永 仁 二 年 乙 未 正 月 十 四 日 、 附 法 紹 瑾 時 、 以 此 法 衣、 同 伝 授、 即 示 云、 已 三 代 頂 戴 、 最 可 奉 尊 重 法 衣 也 、 濔 入 院 開 堂 伝 法 之 外、 不 可 著 川、 一 生 可 恭 敬 頂 戴 、 今 延 慶 二 年 己 酉 九 月 日 在 病 床 記 之、 釈 迦 牟 尼 五 十 三 世 、 永 平 寺 三 代 大 乗 開 山 義 介 ( 花 押 ) 大 乗 第 二 代 当 住 紹 瑾 伝 領 今 次 此 伝 衣 并 当 寺 住 持 職 及 聖 教 道 具 ・ 当 寺 寄 進 状 ・ 譲 状 等 、 付 嘱 素 哲 侍 者、 干 時 応 長 元 年 辛 亥 十 月 十 日 、 大 乗 第 二 代 紹 瑛 記 ( 『 曹 洞 宗 古 文 書 』 上 、 五 二 七 〜 八 頁 ) (