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170 修 平 人 文 社 會 學 報 第 十 期 民 國 九 十 七 年 三 月 中 日 古 代 離 婚 及 嫉 妒 問 題 之 探 討 劉 佩 宜 摘 要 本 論 文 以 律 令 及 相 關 文 獻 資 料 為 基 礎, 探 討 中 日 兩 國 之 離 婚 問 題, 同 時 由 於 律 令 中

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(1)

中日両国古代における離婚及び嫉妬に

ついて

劉佩宜

本 論 文 は 律 令 及 び 関 連 史 料 を も と に し て 、 中 日 両 国 古 代 に お け る 離 婚 及 び 「 嫉 妬 」 問 題 に つ い て 論 じ る も の で あ る 。 そ の 二 つ の 問 題 点 を 通 じ て 、 古 代 の 婚 姻 関 係 を 比 較 し よ う と 思 う 。 古 代 に お い て は 男 女 両 方 か ら 離 婚 を 提 出 す る こ と が で き る が 、 実 際 に は 男 性 か ら 申 し 出 す る 場 合 が 明 ら か に 多 い と 考 え ら れ る 。 古 代 社 会 で は 実 際 に 男 性 が 複 数 の 女 性 を 妻 に す る こ と が 極 め て 多 い た め 、 妻 た ち は 婚 姻 関 係 の な か に 常 に 不 安 を 感 じ な が ら 、 妻 と し て 務 め る 立 場 で あ ろ う と 考 え ら れ る 。 中 日 古 代 の 夫 婦 関 係 は 、 実 質 上 い ず れ も 男 性 優 位 と い う 不 対 等 な 関 係 と な っ て い る と 考 え る 。 た だ し 、 中 国 社 会 で は 夫 婦 の 個 人 的 レ ベ ル 以 上 に 、 家 族 な い し 宗 族 と の つ な が り が 強 い の で 、 儒 教 的 家 族 秩 序 の 下 に お け る 女 性 へ の 束 縛 は 多 い 。 嫉 妬 譚 は も ち ろ ん、「 七 出 」規 定 も ま た、 実 効 性 が 期 待 さ れ て い た と い う よ り 、 家 族 秩 序 を 整 え る 意 味 が 強 か っ た と 思 わ れ る 。 日 本 古 代 社 会 で は 、 男 性 優 位 の 関 係 や 「 一 夫 多 妻 」 と い っ た 男 女 関 係 を よ り 安 定 さ せ よ う と す る た め に 、 国 家 支 配 階 級 は 律 令 を 通 じ て 当 時 の 社 会 風 習 を 規 範 し よ う と す る 意 図 が あ っ た と 考 え る 。 キ ー ワ ー ド : 離 婚 、 嫉 妬 、 七 出 、 放 妻 書 、 男 尊 女 卑 。 劉 佩 宜 : 修 平 技 術 学 院 応 用 日 本 語 学 科 助 理 教 授 投 稿 日 期 :961031 接 受 刊 登 日 期 : 961123

(2)

中日古代離婚及嫉妒問題之探討

劉佩宜

本 論 文 以 律 令 及 相 關 文 獻 資 料 為 基 礎 , 探 討 中 日 兩 國 之 離 婚 問 題 , 同 時 由 於 律 令 中 有 關 「 七 出 」 規 定 裡 , 提 及 「 嫉 妒 」 係 構 成 離 婚 之 由 , 因 此 特 闢 一 節 加 以 探 討 中 日 夫 妻 間 的 「 嫉 妒 」 問 題 , 透 過 離 婚 以 及 嫉 妒 問 題 之 探 討 , 藉 以 理 解 古 代 中 日 兩 國 夫 妻 間 之 婚 姻 實 態 。 雖 然 男 女 雙 方 皆 可 提 出 離 婚 之 請 求 , 惟 根 據 文 獻 之 對 照 , 在 實 際 社 會 中 由 男 方 提 出 離 婚 要 求 者 仍 屬 多 數 , 在 婚 姻 生 活 中 不 難 窺 探 出 男 方 較 為 優 勢 之 情 形 。 由 於 男 方 除 了 正 妻 之 外 仍 可 擁 有 多 數 女 性 伴 侶 , 為 人 妻 者 在 婚 姻 中 經 常 感 到 危 機 感 與 不 安 。 另 一 方 面 , 中 國 社 會 中 婚 姻 生 活 往 往 在 夫 妻 關 係 上 得 受 到 家 族 甚 至 是 宗 族 的 影 響 或 牽 制 , 日 本 古 代 社 會 中 雖 然 婚 姻 生 活 主 要 掌 握 在 夫 妻 雙 方 之 上 , 惟 從 日 本 律 令 特 定 「 七 出 」 規 定 加 以 規 範 來 看 , 不 難 看 出 主 政 者 企 圖 以 法 令 規 範 當 時 社 會 風 俗 之 意 圖 。 關 鍵 詞 : 離 婚 、 嫉 妒 、 七 出 、 放 妻 書 、 男 尊 女 卑 。 劉 佩 宜 : 修 平 技 術 學 院 應 用 日 語 系 助 理 教 授 。

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は じ め に

離 婚 に は 夫 婦 ど ち ら か の 一 方 的 意 志 に よ る 離 婚 、 協 議 の う え 成 立 し た 離 婚 、 法 律 上 の 強 制 離 婚 そ れ ぞ れ の 種 類 が あ る 。 古 代 に お い て 、 夫 か 妻 か ど ち ら が 離 婚 権 を に ぎ る の か に つ い て 、 よ く 議 論 さ れ て い た 。 ま た 離 婚 権 の 優 勢 問 題 に つ い て の 考 察 を 通 じ て 、 家 父 長 制 問 題 の 検 討 を 行 っ た 研 究 も い く つ か あ る1。中 国 で は、早 く か ら 家 父 長 制 が 成 立 し た と 見 な さ れ て い る た め 、 夫 側 の み が 離 婚 権 を 有 し た と 言 わ れ て い る が 、 本 当 に そ う で あ ろ う か 。 古 代 日 本 の 場 合 に は 、 家 父 長 制 が 未 だ 成 立 し て い な か っ た た め 、 妻 側 の 離 婚 権 が 強 か っ た と 考 え ら れ て い る 。 し た が っ て 本 稿 で は 、 古 代 に お け る 中 日 両 国 の 離 婚 問 題 を 通 じ て 、 そ の 婚 姻 関 係 や 夫 婦 関 係 を 検 討 し た い 。

一 、 中 国 に お け る 離 婚 問 題 に つ い て

中 国『 詩 経 』の 世 界 に は 、「 中 谷 有 蓷 、嘆 其 乾 矣 、有 女 仳 離 、慨 其 嘆 矣 、慨 其 嘆 矣 、遇 人 之 艱 難 矣 、」と い う 歌 が あ る2。そ れ は 飢 饉 が 原 因 で 、 夫 婦 が 別 れ て し ま っ た と い う 歌 で あ る 。 こ こ の 「仳 離 」と は 、 夫 婦 が 別 れ る こ と を さ す 。 『 禮 記 』 郊 特 牲 篇 に は 「妻 者 斉 也 、 一 與 之 斉 、 終 身 不 改 」と 婚 姻 関 係 を し っ か り 規 範 し よ う と す る に も か か わ ら ず 、 史 料 に よ れ ば 、 古 く か ら 離 婚 の 例 が よ く 現 わ れ て い る。『 晋 書 』刑 法 志 に 「毋 丘 倹 之 誅、其 子 甸 妻 、 ・・・・・・(中 略 )詔 聴 離 婚、」と 書 か れ て あ り、「離 婚 」と い う こ と ば は『 晋 書 』 で 初 め て 使 わ れ た よ う で あ る 。 家 族 秩 序 を 維 持 す る た め に 、 婦 女 に 対 す る 教 化 が 厳 し く 規 範 す る よ

1 関 口 裕 子 『 日 本 古 代 婚 姻 史 の 研 究 』( 塙 書 房 、 1993 年 )、 明 石 一 紀 『 日 本 古 代 の 親 族 構 造 』( 吉 川 弘 文 館 、 1989 年 )、 栗 原 弘 「古 代 の 離 婚 に お け る 女 性 の 地 位 に つ い て 」( 前 近 代 女 性 史 研 究 会 編 『 家 ・ 社 会 ・女 性 ─ 古 代 か ら 中 世 へ ─ 』 吉 川 弘 文 館 、 1997 年 ) が 代 表 で あ る 。 2 『 詩 経 』王 風 ・ 中 谷 有 蓷 と い う 歌 、 全 文 は「 中 谷 有 蓷 、 嘆 其 乾 矣 、 有 女 仳 離 、 慨 其 嘆 矣 、 慨 其 嘆 矣 、 遇 人 之 艱 難 矣 、 中 谷 有 蓷 、 嘆 其 脩 矣 、 有 女 仳 離 、 條 其 矣 、 中 谷 有 蓷 、 嘆 其 湿 矣 、 有 女 仳 離 、 啜 其 泣 矣 、 啜 其 泣 矣 、 何 嗟 及 矣 、 」 で あ る 。 粛欠

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う に な っ て き た 。 と く に 離 婚 に 関 し て は 「 七 出 」 ・ 「 三 不 去 」 と の 規 定 が あ る。漢 代 に 書 か れ た『 大 戴 禮 』の 「本 命 」に、「婦 有 七 去、不 順 父 母 去 、 無 子 去 、 淫 去 、 妬 去 、 有 悪 疾 去 、 多 言 去 、 竊 盗 去 、 不 順 父 母 去 、 為 其 逆 徳 也 、 無 子 、 為 其 絶 世 也 、 淫 、 為 其 乱 其 族 也 、 妬 、 為 其 乱 其 家 也 、 有 悪 疾、為 其 不 可 與 共 粱 盛 也、口 多 言、為 其 離 其 親 也、竊 盗、為 其 反 其 義 也 、 婦 有 三 不 去 、 有 所 取 無 所 帰 不 去 、 與 更 三 年 喪 不 去 、 前 貧 窮 後 富 貴 不 去 」 と あ り 、 同 じ く『 春 秋 公 羊 伝 』荘 公 二 十 七 年 条 ・ 何 休 の 注 に 、 「婦 人 有 七 棄 五 不 娶 三 不 去。( 中 略 )無 子 棄、絶 世 也、淫 泆 棄、乱 類 也、不 事 舅 姑 棄 、 悖 徳 也 、 口 舌 棄 、 離 親 也 、 盗 竊 棄 、 反 義 也 、 嫉 妬 棄 、 乱 家 也 、 悪 疾 棄 、 不 可 奉 宗 廟 也 」と あ る。こ こ の 「七 去 」、「七 棄 」は 後 の 律 令 の 「七 出 」と は ほ ぼ 同 内 容 で あ る 。 さ ら に 、 時 代 が 下 さ っ た 唐 律 令 で は 「 七 出 」 ・ 「 三 不 去 」 を 条 文 化 し た 。 当 該 条 文 は 現 存 し て い な い た め 、 仁 井 田 陞 氏 ら の 復 元 に よ れ ば 、 開 元 25 年 令 ・ 戸 令 35 条 は 次 の と お り で あ る 。 諸 棄 妻 須 有 七 出 之 状 、 一 無 子 、 二 淫 泆 、 三 不 事 舅 姑 、 四 口 舌 、 五 盗 竊 、 六 妬 忌 、 七 悪 疾 、 皆 夫 手 書 棄 之 、 男 及 父 母 伯 姨 舅 、 並 女 父 母 及 伯 姨 舅 、 東 隣 西 隣 、 及 見 人 皆 署 、 若 不 解 書 、 畫 指 為 記 、 雖 有 棄 状 、 有 三 不 去 、 一 経 持 舅 姑 之 喪 、 二 娶 時 賤 後 貴 、 三 有 所 受 無 所 帰 、 即 犯 義 絶 ・ 淫 泆 ・ 悪 疾 、 不 拘 此 令 、 本 条 は 、 夫 の 一 方 的 な 意 思 に よ り 離 婚 で き る 7 つ の 事 由 、 お よ び 離 婚 で き な い 3 つ の 事 由 を 規 定 し た も の で あ る 。 た だ し 、 規 定 さ れ る 事 由 に 基 づ い て 、 夫 側 は 書 状 を 立 て 、 夫 婦 双 方 側 の 親 族 や 近 隣 な ど の 第 三 者 の 承 認 を 得 て か ら 、 離 婚 が 成 立 で き る と さ れ 、 夫 の 一 方 的 な 恣 意 を 防 ぐ と こ ろ が あ る と み ら れ る。さ ら に、『 唐 律 疏 議 』戸 婚 律 ・ 妻 無 七 出 而 出 之 条 に は 、 諸 妻 無 七 出 及 義 絶 之 状、而 出 之 者、徒 一 年 半、雖 犯 七 出、有 三 不 去 、 而 出 之 者 、 杖 一 百 、 追 還 合 、 若 悪 疾 及 姦 者 、 不 用 此 律 と 規 定 し て あ る 。 こ の 律 文 は 戸 令 当 該 の 規 定 と 関 連 し 、 さ ら に 夫 の 恣 意 行 為 を 防 ぎ 妻 の 地 位 を 保 証 す る も の で あ る 。 律 と 令 が 相 互 に 補 完 し あ っ て い る の で あ る 。

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上 記 の 「七 去 」・ 「七 棄 」に 対 す る 解 釈 を み て い け ば 、 婚 姻 に は 、 ま ず 家 庭 内 な い し 宗 族 内 部 の 個 人 の 道 徳 お よ び 生 活 秩 序 が 求 め ら れ る 同 時 に 、 家 の 血 統 を 継 続 で き る か が も っ と も 重 視 さ れ る と こ ろ が 明 ら か で あ る。仁 井 田 陞 氏 は、中 国 の 婚 姻 法 は 「超 個 人 的 性 格 」と み な さ れ、離 婚 は 「 単 に 夫 婦 の 個 人 的 生 活 の 障 碍 の み を 理 由 と す る の で な く し て 、 む し ろ 父 母 ・ 祖 先 ・ 族 ・ 家 な ど と の 関 係 が 、 当 面 の 問 題 と し て 多 く 考 慮 さ れ て い る と い っ て も 過 言 で は な く 」と 指 摘 さ れ て い る3。 日 本 養 老 令 戸 令 七 出 条 に は 「皆 夫 手 書 棄 之 」と い う 規 定 が み え る が 、 日 本 古 代 の 離 婚 状 は 現 存 し て い な い 。 一 方 唐 代 の 当 該 条 文 は 、 現 在 存 在 し て い な い が 、 敦 煌 か ら 数 点 の 離 婚 状 が 見 つ か っ た 。 敦 煌 出 土 文 書 の な か に は、離 婚 に 関 わ る 文 書 が 現 在 10 点 は 残 っ て い る が、同 種 の も の が あ る の で、内 容 的 に は 8 種 に な る4 。こ こ で は、そ の う ち の 3 通 を 例 に し よ う 。

S0343 号 放 妻 書

某 専 甲 謹 立 放 妻 書 蓋 説 夫 婦 之 縁 、 恩 深 義 重 、 論 談 共 被 之 因 、 結 誓 幽 遠 、 凡 為 夫 婦 之 因 、 前 世 三 年 ( 生 ) 結 縁 、 始 配 今 生 夫 婦 、 若 結 縁 不 合、比 是 怨 家、故 来 相 対、妻 則 一 言 ○ 口、夫 則 反 木( 反 目 ) 生 嫌 、 似 猫 鼠 相 憎 、 如 狼 羊 一 処 、 既 以 二 心 不 同 、 難 帰 一 意 、 快 会 及 諸 親 各 還 本 道 、 原 妻 娘 子 相 離 之 後 、 重 梳 蝉 鬢 美 裙 蛾 眉 、 巧 逞 窈 窕 之 姿 、 選 聘 高 官 之 主 、 解 怨 釈 結 、 更 莫 相 憎 、 一 別 両 寛 、 各 生 歓 喜 、 于 時 年 月 日 謹 立 除 書 、 こ の 文 書 の 要 点 を 箇 条 書 き に す れ ば 、 (1)夫 側 (某 専 甲 )が 離 縁 の 文 書 を 作 成 し た 。 (2)結 婚 3 年 、 二 人 は 互 い に 気 が 合 わ な く な っ た た め に 、 親 族 を 集 め て 、 立 証 し て も ら い 、 離 縁 す る こ と に し た 。 (3)妻 に 新 し い 良 き 夫 が 見 つ か る よ う に 、 二 人 の 仲 悪 い 婚 姻 関 係 を 解 消 し 快 く 離 れ る 。 と い う こ と に な る。ほ か に は、S6537 号 の 2 通 も 趣 旨 同 様 の 放 妻 書 で あ る。

3 仁 井 田 陞 『 中 国 身 分 法 史 』( 東 京 大 学 出 版 会 1983 年 復 刊 )、 p.675 参 照 。 4 仁 井 田 陞「 敦 煌 発 見 の 唐 宋 家 族 法 関 係 文 書 」(『 中 国 法 制 史 研 究 ─ 奴 隷 農 奴 法 、 家 族 村 落 法 』 東 京 大 学 出 版 会 、1980 年 所 収 ) 参 照 。

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S6537 号 放 妻 書 蓋 聞 伉 儷 情 深、夫 婦 語 義 重、幽 懐 合 巹 之 歓、念 同 牢 之 楽、夫 婦 相 対 、 恰 似 鴛 鴦 双 飛 並 膝 、 花 顔 共 坐 、 両 徳 之 美 、 恩 愛 極 重 、 二 体 一 心 、 共 同 床 枕 于 寝 間、死 同 棺 椁 于 墳 下、三 載 結 縁、則 夫 婦 相 和、三 年 有 怨 、 則 来 仇 隙 、 今 已 不 和 、 想 是 前 世 怨 家 、 反 目 生( 怨 )、 作 為 後 代 増 嫉 、 縁 業 不 遂 、 見 此 分 離 、 聚 会 二 親 、 以 ( 求 ) 一 別 、 所 有 物 色 書 之 、 相 隔 之 後 、 更 選 重 官 双 職 之 夫 、 弄 影 庭 前 、 美 逞 琴 瑟 合 韵 之 態 、 械 恐 舎 結 、 更 莫 相 談 、 千 萬 永 辞 、 布 施 歓 喜 、 三 年 衣 糧 、 便 献 柔 儀 、 伏 原 娘 子 千 秋 万 歳 、 時 ○ 年 ○ 月 ○ 日 ○ 郷 百 姓 ○ 甲 放 妻 書 一 道 S6537 号 放 妻 書 蓋 聞 夫 婦 之 禮 是 前 世 之 因 、 累 ○ ○ 共 修 、 今 得 縁 会 、 一 従 結 契 、 要 盡 百 年 、 如 水 如 魚 、 同 歓 終 日 、 生 男 満 十 、 並 受 公 卿 、 生 女 柔 容 、 温 和 内 外 、 六 親 歓 美 、 遠 近 似 父 子 之 恩 、 九 族 邕 怡 、 四 時 如 不 憎 更 改 、 奉 上 有 謙 恭 之 道 、 恤 下 無 党 無 偏 、 家 饒 不 盡 之 財 、 妯 娌 称 長 廷 之 楽 、 何 乃 結 為 夫 婦 、 不 悦 鼓 ○ 、 六 親 聚 而 咸 怨 、 隣 里 見 而 含 恨 、 蘇 乳 ○ ○ 、 尚 恐 異 流 、 猫 鼠 同 窠 、 安 能 得 久 、 二 人 達 ○ 、 大 小 不 安 、 更 若 連 流 、 家 業 破 散 、 顛 鐺 ○ 却 、 至 見 宿 活 不 残 、 擎 食 集 ○ 、 便 招 困 ○ 之 苦 、 男 飢 耕 種 、 衣 結 百 穿 、 女 寒 織 麻 、 ○ 日 在 内 、 夫 若 挙 口 、 婦 便 生 嗔 、 婦 欲 発 言 、 夫 則 拾 棒 、 相 憎 終 日 、 其 時 得 見 、 飯 飽 衣 全 、 無 ○ 累 年 、 五 親 何 得 團 会 、 乾 沙 握 合 、 永 無 ○ 期 、 謂 羊 虎 同 心 、 一 向 陳 話 美 詞 、 心 不 合 和 、 當 ○ 取 辦 、 夫 覓 上 対 千 世 同 歓 、 婦 聘 毫 采 鴛 鴦 為 伴 、 所 要 活 業、任 意 分 将、奴 婢 驅 馳、幾 ○ 不 勒、両 共 取 穏、各 自 分 離、更 無 期 、 一 言 致 定 、 会 請 両 家 父 母 、 六 親 眷 属 、 故 勒 手 書 、 千 萬 永 別 、 忽 有 不 照 検 、 絢 倚 巷 曲 街 、 点 眼 弄 眉 、 息 尋 旧 事 、 便 招 解 脱 之 罪 、 為 留 後 憑 謹 立 、

こ の 文 書 の 重 点 を 箇 条 書 き に す れ ば 、 (1)二 人 は 互 い に 心 が 一 つ に な ら ず 、 気 が 合 わ な く な っ た の で あ る 。 ( 謂 羊 虎 同 心 、 一 向 陳 話 美 詞 、 心 不 合 和 ) (2)財 物 ・ 奴 婢 を 恣 意 に 分 け て 離 婚 し よ う。( 所 要 活 業、任 意 分 将、奴 婢 驅 馳 、 幾 ○ 不 勒 、 両 共 取 穏 、 各 自 分 離 ) (3)両 方 の 父 母 及 び 親 族 を 集 め て 、 立 証 し て も ら い 、 離 縁 の 文 書 を た

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て て 、 永 遠 に 別 れ る こ と に す る 。( 会 請 両 家 父 母 、 六 親 眷 属 、 故 勒 手 書 、 千 萬 永 別 ) ま ず 、 敦 煌 本 放 妻 書 の 性 格 を 分 析 し て み る 。 養 老 令 戸 令 七 出 条 に 「 皆 夫 手 書 棄 之 」と あ る 規 定 に よ れ ば 、 妻 を 棄 て る 際 、 夫 側 が 離 婚 の 書 状 (「 手 書 」) を 作 成 す る こ と が 必 要 で あ る 。 離 婚 の 書 状(「 手 書 」 )は 、 法 律 上 の 夫 婦 関 係 の 解 消 を 宣 言 す る こ と 、 ま た 官 司 に 提 出 し 戸 籍 の 管 理 に 用 い ら れ る も の で あ る 。 そ の 2 つ の 目 的 に 用 い る 離 婚 状 は 同 一 の 書 状 で あ る か 否 か 、 律 令 の 規 定 で は 明 ら か で は な い 。 仁 井 田 陞 氏 は 敦 煌 本 放 妻 書 に 、 「手 書 」の 語 が 4 ヵ 所 に 現 れ る こ と か ら 、 離 婚 状 を 「手 書 」と も 呼 ぶ と さ れ た5。 唐 の 戸 婚 律 放 部 曲 為 良 条 の 規 定 に お い て は 、 放 賎 従 良 の 場 合 、 家 長 が ま ず 賎 人 に 「手 書 」= 放 書 を 下 す 手 続 き を し て 、 そ の 後 家 長 か ら 官 司 へ 牒 か 辞 を も っ て 解 放 届 を 提 出 し 、 戸 籍 の 除 付 を 行 う こ と に な る 。 同 様 に 放 妻 の 場 合 は 、 夫 側 か ら 官 司 に 離 婚 届 ( 「手 書 」) を 提 出 し 、 妻 の 戸 籍 を 除 去 す る こ と に な る。岡 野 誠 氏 が、「 手 書 」は 国 家 が 戸 籍 を 管 理 す る た め 以 上 の よ う な 書 類 を 作 ら せ る も の と し 、 敦 煌 本 放 妻 書 と 異 な る と し て い る6。前 掲 の 敦 煌 本 放 妻 書 の 内 容 に よ れ ば、主 に 夫 婦 が 離 婚 す る 理 由 を 述 べ 、 さ ら に 場 合 に よ っ て 相 手 の 再 婚 を 許 す こ と や 、 財 産 の 分 与 に 触 れ る こ と な ど が 付 加 さ れ て い る 。 そ し て 夫 の 名 義 で 書 状 を た て 、 夫 婦 両 方 の 父 母 ・ 親 類 を 集 め て 立 証 す る と い う 手 順 が 、 前 掲 し た 3 通 目 の 放 妻 書 に 「 会 請 両 家 父 母 、 六 親 眷 属 、 故 勒 手 書 、 千 萬 永 別 」 と あ る こ と か ら わ か る 。 こ の 「 故 勒 手 書 」 と 官 司 に 対 す る 離 婚 届 で あ る 「 手 書 」 と を 同 一 視 す る こ と が で き る の で あ ろ う か 。 も と も と 「 放 妻 書 」 は 、 夫 側 か ら 妻 側 に 交 付 す る も の で 、 官 司 に 対 す る 離 婚 届 で あ る 「 手 書 」 と は 異 な る が 、 両 者 と も に 両 家 の 親 類 ・ 関 係 者 が 集 ま っ て 作 成 さ れ る こ と が 多 か っ た の で 、 「手 書 」の 語 と 「放 妻 書 」と は 混 同 さ れ た こ と も あ っ た 。2 通 目 の 放 妻 書 に 「 時 ○ 年 ○ 月 ○ 日 ○ 郷 百 姓 ○ 甲 放 妻 書 一 道 」 と 書 い て あ る こ と に よ れ ば 、 実 際 に 戸 籍 管 理 の た め に 官 司 に 提 出 す る 「 手 書 」 に も

5 仁 井 田 氏 前 掲 注 (4) 同 書 。 6 岡 野 誠 「敦 煌 発 見 唐 宋 時 代 の 放 妻 書 に つ い て 」(『 唐 代 史 研 究 会 会 報 』1990 年 5 月 )。

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用 い る こ と が 可 能 で は な か ろ う か と 推 測 し た い 。 宋 元 以 後 、 離 婚 の 際 「 離 書 」「休 書 」な ど と 呼 ば れ る 離 婚 状 の 作 成 交 付 が 必 要 に な っ て い た。岡 野 氏 が 、 そ れ は 唐 代 中 期 以 降 戸 籍 制 度 が 混 乱 し 廃 止 さ れ た こ と に よ っ て 、 戸 籍 に よ っ て 離 婚 を 証 明 す る こ と が 困 難 と な り、そ の 証 明 機 能 を 「放 妻 書 」が 事 実 上 代 行 し た た め に、離 婚 状 の 交 付 が 必 要 条 件 に 変 化 し て い っ た も の と 考 え て い る7。 次 に 、 上 記 の 3 通 の 離 婚 文 書 は 述 べ る 言 葉 は 多 少 相 違 が あ る が 、 主 な 趣 旨 は 夫 婦 不 仲 が 原 因 で 、 穏 便 に 別 れ る こ と に し た と い う こ と が 一 致 し て い る 。 形 式 上 に お い て は、「 放 妻 書 」と 書 か れ て お り、 一 見 夫 側 が 一 方 的 に 妻 を 放 つ よ う に み え る が 、 文 書 の 内 容 に よ れ ば 、 離 婚 は 夫 婦 合 意 の 上 で 成 立 し た も の だ と 判 る 。 妻 の 離 婚 へ の 意 志 が 夫 と 対 等 に 扱 わ れ た と 思 う 。 父 系 社 会 で は 、 形 式 上 に は 男 側 の 意 識 が 一 方 的 に 高 く 主 張 さ れ て い る が 、 実 際 に は 妻 側 も 自 己 主 張 す る こ と が で き る と 考 え ら れ る 。 地 方 判 例 文 集 や 小 説 な ど の 在 野 史 料 に も 、 い く つ か の 事 例 が み ら れ る 。 た と え ば 、 顔 真 卿 (709~ 785 年 ) が 臨 川 内 史 ( 地 方 官 ) に 任 じ ら れ て い た 時 扱 っ た 離 婚 訴 訟 を 例 に 見 て み よ う8。 楊 志 堅 と い う も の は 学 問 を 好 ん で お り 、 家 計 を 支 え ら れ な か っ た 。 そ こ で 貧 し い 生 活 に 耐 え ら れ な い 妻 は 、 彼 に 離 婚 の 作 成 を 求 め て 、 顔 氏 に 離 婚 の 審 理 を 請 求 し た 。 顔 氏 は そ の 妻 が 社 会 風 紀 を 傷 つ け た な ど と 譴 責 し 、 彼 女 に 刑 罰 ( 杖 20) を 下 し た が 、 離 婚 を 認 め 、 彼 女 の 再 婚 を 許 し た 。 顔 氏 は 地 方 の 長 官 と し て 、 も ち ろ ん 社 会 風 紀 を 整 え る 責 任 者 で も あ る た め に 、 国 家 の イ デ オ ロ ギ ー ( 賢 妻 良 母 、 一 女 不 事 二 主 な ど の 儒 教 的 倫 理 観 ) を 主 張 し 、 彼 女 の 行 為 を 批 判 し た 一 方 、 彼 女 の 意 志 を 尊 重 し 、 離 婚 を 許 し た の で あ る 。 こ こ か ら 、 唐 代 の 女 性 は 自 ら 離 婚 の 意 志 を 主 張 す る こ と が 可 能 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 離 婚 ・ 再 婚 す る 女 性 は 、 実 際 の

7 文 は 以 下 の よ う で あ る (『 雲 渓 友 議 』 世 界 書 局 、 1968 年 )。 顔 魯 公 為 臨 川 内 史 、 … 邑 有 楊 志 堅 者 、 嗜 学 而 居 貧 、 … 山 妻 厭 其 饘 臛 不 足 、 索 書 求 離 、 志 堅 以 詩 送 之 、 … 其 妻 持 詣 州 、 請 公 牒 、 以 求 別 醮 、 顔 公 案 其 妻 曰 、 … 悪 辱 郷 閭 、 敗 傷 風 俗 、 若 無 褒 貶 、 僥 倖 者 多 、 阿 王 決 二 十 、 後 任 改 嫁 、 … 江 左 十 数 年 来 、 莫 有 敢 棄 其 夫 者 8 岡 野 氏 前 掲 注 (7) 同 論 文 。

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社 会 に は 存 在 し て い た こ と が 窺 え る の で あ る 。 ま た 、『 旧 唐 書 』 列 女 伝 ( 巻 193) に 、 李 徳 武 の 妻 斐 氏 は 夫 が 流 罪 に 処 せ ら れ た た め に 、 斐 氏 の 父 ( 時 に 黄 門 侍 郎 で あ っ た ) が 隋 煬 帝 に 2 人 の 離 婚 を 請 求 し て 許 容 さ れ た と い う 事 例 が あ る 。 王 寿 南 氏 は 、 唐 の 公 主 130 人 の 23%に 再 婚 、 再 々 婚 し た こ と が あ る と 分 析 し 、「 女 性 は 夫 の 死 後 に 再 婚 し な い の が 普 通 の 事 態 で あ っ た 。 し か し 再 婚 を 特 例 と み る こ と は で き な い 、 再 婚 の 事 例 が 少 な く な い こ と か ら す れ ば 、 ま だ 社 会 的 に 蔑 視 さ れ て は い な か っ た 」 と 論 じ て い る と こ ろ で あ る9。 た だ し 、 国 家 的 イ デ オ ロ ギ ー と し て は 、 女 性 の 貞 節 を か た く 唱 え て い た こ と は 間 違 い な い 。 上 記 の エ ピ ソ ー ド の 最 後 に 、 当 地 域 で は 、 十 数 年 に わ た っ て 夫 を 捨 て る 者 は い な か っ た と 書 か れ て い る 。 そ の 事 件 を 記 録 し た 作 者 の 、 社 会 を 教 育 し よ う と の 意 図 が 、 そ の 一 言 で わ か る 。 段 塔 麗 氏 は こ の 事 例 を あ げ、「 唐 代 の 妻 た ち は、個 人 の 感 情 と 利 益 が 侵 害 さ れ た と き、あ え て 離 婚 ・ 再 婚 方 式 を 通 じ て 夫 と 争 い、個 人 の 自 由 を 求 め た 」 と 論 述 し て い る1 0。 一 方 、 大 澤 正 昭 氏 は 、 そ の 結 論 に つ い て 、「 特 定 地 域 の 一 例 だ か ら 、 一 般 論 と し て 扱 う の は 適 切 で は な い 」 と 指 摘 し た1 1。 た し か に 、 現 存 の 史 料 に よ れ ば 、 当 時 の 婚 姻 実 態 を 十 分 反 映 で き る も の 、 と り わ け 女 性 側 か ら の 自 主 的 な 行 動 に か ん す る 記 録 は 極 め て 少 な い 。 上 記 の 事 例 の み に よ り 、 結 論 付 け て し ま う の は 危 う い こ と と い え る 。 中 国 に お け る 父 系 原 理 は 、 社 会 の 礼 教 秩 序 を 求 め て い る た め 、 歴 史 書 を は じ め と し て 、 大 部 分 の 書 物 は 同 じ イ デ オ ロ ギ ー を 唱 え て い る の で あ る 。 し か し 、 礼 教 綱 領 と 現 実 と は 距 離 が あ る と 考 え ら れ る 。 上 記 の 事 例 に も 、 そ の 現 象 が 窺 え る 。

二 、 日 本 に お け る 離 婚 問 題 に つ い て

日 本 古 代 の 離 婚 問 題 に つ い て は 、 高 群 逸 枝 ・ 関 口 裕 子 ・ 明 石 一 紀 ・

9 王 寿 南 「 唐 代 公 主 之 婚 姻 」( 鮑 家 麟 編 『 中 国 婦 女 史 論 文 集 』 第 2 輯 、 稲 郷 出 版 社 、 1988 年 )。 1 0 段 塔 麗 『 唐 代 婦 女 地 位 研 究 』( 人 民 出 版 社 、 2000 年 )。 1 1 大 澤 正 昭 「婦 は 強 く ─ 唐 宋 時 代 の 婚 姻 と 家 族 ─ 」(『 唐 宋 時 代 の 家 族 ・ 婚 姻 ・ 女 性 ─ 婦 は 強 く ─ 』 明 石 書 店 、 2005 年 )。

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栗 原 弘 氏 な ど の 研 究 が あ る1 2。諸 氏 の 見 解 を 簡 単 に 分 け て み れ ば、高 群 ・ 関 口 両 氏 は 女 性 の 離 婚 に 対 す る 自 主 性( ま た は 主 導 権 )の 高 さ を 主 張 し て い る 一 方、明 石 ・ 栗 原 両 氏 は 男 女 双 方 に 離 婚 権 を 認 め な が ら も、男 性 側 の 主 体 性 が 高 か っ た と 主 張 し て い る。日 本 古 代 の 離 婚 に か ん す る 史 料 に は 、 律 令 規 定 の ほ か に、記 紀 ・『 万 葉 集 』や 物 語 な ど 限 ら れ て い る 文 献 に よ る 研 究 が 現 状 だ と い え よ う。養 老 令 戸 令 七 出 条 に 「皆 夫 手 書 棄 之 」と い う 明 文 が み え る が、中 国 の 敦 煌 出 土 の 離 婚 状 や 民 間 裁 判 文 書 の よ う な 実 際 の 離 婚 問 題 を 反 映 し て い る 史 料 は い ま だ に 見 ら れ な い と こ ろ で あ る 。 し た が っ て、記 紀 お よ び『 万 葉 集 』を 中 心 に 史 料 を 見 な が ら、諸 氏 の 論 説 を 検 証 し て い き た い と 思 う 。 ま ず 、 関 連 史 料 を あ げ て み て い く 。 (1)『 万 葉 集 』 巻 16-3809 商 返 し を す と の 御 法 あ ら ば こ そ 我 が 下 衣 返 し 賜 は め 右 、 伝 へ て 云 は く 、 時 に 幸 び ら れ し 娘 子 あ り 寵 び 薄 れ た る 後 に 、 寄 物 を 還 し 賜 ふ 、 こ こ に 娘 子 怨 恨 み て 聊 か に こ の 歌 を 作 り て 献 上 る 、 と い ふ こ の 歌 は 、 男 の 寵 愛 を 失 い 、 寄 物 ( か た み ) を 返 さ れ た 女 性 が う ら み の 歌 を つ く っ て 献 上 し た も の で あ る 。 こ れ が 恋 愛 段 階 で の こ と な の か 、 あ る い は す で に 結 婚 し た 後 の こ と な の か は わ か ら な い が 、 男 か ら の 別 れ を う け て 、 女 が 恨 み を 感 じ る こ と か ら す れ ば 、 男 性 の 主 導 権 が 女 性 よ り 高 い と 思 わ れ る 。 し か も 、 女 性 の 男 性 へ の 執 着 か ら み れ ば 、 女 性 の 自 立 が 明 ら か に 弱 い も の だ と 推 測 で き よ う 。 (2)『 万 葉 集 』 巻 16-3810 味 飯 を 水 に 醸 み な し 我 が 待 ち し か ひ は さ ね な し 直 に し あ ら ね ば 右 、 伝 へ て 云 は く 、 昔 娘 子 あ り 、 そ の 夫 を 相 別 れ て 、 望 み 恋 ひ て 年 を 経 た り 、 そ の 時 、 夫 君 更 に 他 し 妻 を 取 り 、 正 身 は 来 ず て 、 た だ 褁

1 2 高 群 逸 枝 『 招 婿 婚 の 研 究 』( 理 論 社 、 1966 年 、 初 出 は 1953 年 )、 関 口 氏 同 前 掲 注 (1)書 、 明 石 一 紀『 日 本 古 代 の 親 族 構 造 』( 吉 川 弘 文 館 、 1989 年 )、 栗 原 氏 同 前 掲 注 (1)論 文 。

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物 の み を 贈 る 、 こ れ に 因 り て 、 娘 子 は こ の 恨 む 歌 を 作 り て 、 こ れ に 還 し 酬 ふ 、 と い ふ 夫 と 別 れ た 女 は 、 夫 に 対 す る 愛 情 を ま だ 持 っ て い る が 、 そ の 夫 は も う 新 し い 妻 を も ら っ た た め に、彼 女 に「 褁 物 」( か た み の よ う な も の で あ ろ う ) を 贈 っ て 、2 人 の 縁 を き っ ぱ り 切 ろ う と 別 れ の 意 志 を 強 く あ ら わ し た 。 長 く 続 か ぬ 婚 姻 に 元 の 夫 へ の 恨 み を 感 じ た 彼 女 は 歌 を 作 っ た の で あ る 。 (3)『 万 葉 集 』 巻 16-3813 我 が 命 は 惜 し く も あ ら ず さ に つ ら ふ 君 に よ り て そ 長 く 欲 り せ し 右 、 伝 へ て 云 は く 、 時 に 娘 子 あ り 、 姓 は 車 持 氏 な り 、 そ の 夫 久 し く 年 序 を 経 れ ど も、往 来 を な さ ず、こ こ に 娘 子、係 恋 に 心 を 傷 ま し め 、 痾 疚 に 沈 み 臥 せ り 、 瘦 羸 す る こ と 日 に 異 に し て 、 忽 ち に 泉 路 に 臨 む 、 こ こ に 使 ひ を 遣 り 、 そ の 夫 君 を 喚 び 来 す こ の 歌 は 、 相 手 が 久 し く 往 来 し て こ な か っ た 女 性 が 病 に 倒 れ て 、 死 に 直 面 し た 際 、 も う 一 度 そ の 相 手 に 会 い に 来 て 欲 し い と 伝 え よ う と し た も の で あ る 。 こ の 歌 も 男 に 別 れ ら れ た 女 の 恋 ( ま た は 婚 姻 ) へ の 執 着 が 感 じ ら れ る も の で あ る 。 (4)『 万 葉 集 』 巻 16-3815 白 玉 の 緒 絶 え は ま こ と 然 れ ど も そ の 緒 ま た 貫 き 人 持 ち 去 に け り 右 、 伝 へ て 云 は く 、 時 に 娘 子 あ り 、 夫 君 に 棄 て ら れ て 、 他 氏 に 改 適 す 、 こ こ に 或 壮 士 あ り 、 改 適 せ る こ と を 知 ら ず し て 、 こ の 歌 を 贈 り 遣 は し 、 女 の 父 母 に 請 ひ 誂 ふ 、 こ こ に 父 母 の 意 に 、 壮 士 未 だ 委 曲 ら か な る 旨 を 聞 か ず と し て 、 す な は ち そ の 歌 を 作 り 報 へ 送 り 、 以 て 改 適 の 縁 を 顕 す 、 と い ふ こ の 歌 は 、 夫 に 棄 て ら れ た 女 が 、 別 の 男 と 再 婚 す る こ と に な っ た も の で あ る 。 こ の 事 例 は 男 子 に 棄 て ら れ て も 、 積 極 に 再 婚 相 手 を 見 つ け た も の で あ る 。 た だ し 、 こ の 事 例 で も や は り 男 性 の 離 婚 へ の 主 導 権 が 強 く み え る 。

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(5)『 万 葉 集 』 巻 20-4491 大 き 海 の 水 底 深 く 思 ひ つ つ 裳 引 き 平 し し 菅 原 の 里 右 の 一 首 、 藤 原 宿 奈 麻 呂 朝 臣 の 妻 石 川 女 郎 、 愛 を 薄 く し 離 別 せ ら れ 、 悲 し び 恨 み て 作 る 歌 な り 夫 の 愛 が 薄 く な り 、 別 れ ら れ た 女 が 、 そ の 悲 し み ・ 恨 み を 歌 に 詠 ん だ も の で あ る 。 (6)『 日 本 書 紀 』 大 化 2 年 3 月 甲 申 条 復 、 妻 妾 有 り て 夫 の 為 に 放 て ら る る 日 に 、 年 を 経 て 後 に 、 他 に 適 ぐ は 恒 の 理 な り 、 而 る を 此 の 前 夫 、 三 四 年 の 後 に 、 後 夫 の 財 物 を 貪 り 求 め て 、 己 が 利 と す る 者 甚 だ 衆 し 、 復 、 勢 を 恃 む 男 有 り て 、 浪 に 他 の 女 に 要 び て 、 未 だ 納 へ ざ る 際 に 、 女 自 ら に 人 に 適 げ ら ば 、 其 の 浪 に 要 び し 者 、 嗔 り て 両 つ の 家 の 財 物 を 求 め て 、 己 が 利 と す る 者 甚 だ 衆 し 、 復 夫 を 亡 へ る 婦 有 り て 、 若 し 十 年 及 二 十 年 を 経 て 、 人 に 適 ぎ て 婦 と 為 り 、 並 て 未 だ 嫁 が ざ る 女 、 始 め て 人 に 適 ぐ 時 に 、 是 に 斯 の 夫 婦 を 妬 み て 、 袚 除 せ し む る こ と 多 し 、 復 妻 の 為 に 嫌 は れ 離 た れ し 者 有 り て 、 特 悩 ま さ る る を 愧 慙 づ る に 由 り て 、 強 に 事 瑕 の 婢 と す 、 復 屢 己 が 婦 を 他 に 姧 め り と 嫌 ひ て 、 好 み て 官 司 に 向 き て 決 請 す こ と 有 り ま ず、大 化 2 年 3 月 甲 申 条 に「 復 妻 の 為 に 嫌 は れ 離 た れ し 者 有 り て 、 特 悩 ま さ る る を 愧 慙 づ る に 由 り て 、 強 に 事 瑕 の 婢 と す 」 と あ る 部 分 を み て い こ う 。 す な わ ち 、 妻 に 嫌 わ れ 、 妻 と 別 れ た 夫 が 、 そ の こ と を う ら ん で 妻 を 婢 と し た と い う 。 当 該 条 に つ い て 、 関 口 氏 は 、 こ の 史 料 か ら 当 時 女 性 か ら の 離 婚 の 存 在 が い え る と 推 定 し た が1 3、 栗 原 氏 は 氏 を 批 判 し 、 「 夫 が 妻 に 嫌 悪 さ れ 、 そ こ で 離 婚 権 を も っ て い る 夫 が 、 相 性 の 悪 い 妻 を 離 れ た と 解 釈 で き る 」 と 述 べ た1 4。 し か し 、 字 面 か ら は 、 妻 側 が 夫 が 嫌 い に な っ て 、 離 婚 を 求 め た と い う 文 脈 が 窺 え る の で は な い か 。 つ ま り 、 妻 側 が 離 婚 の 意 を あ ら わ す こ と が 可 能 で あ っ た ろ う と 考 え ら れ る 。 た だ し 、 夫 側 が 強 い の で 、 妻 の 自 由 意 志 が 主 張 で き な く て 、 夫 に 婢 と し て 扱

1 3 関 口 氏 同 前 掲 注 (1)書 。 1 4 栗 原 氏 同 前 掲 注 (1)論 文 。

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わ れ る と い う 結 末 を 迎 え た の で あ る 。 大 化 の 詔 の な か に こ の 条 を 挙 げ た の は 、 お そ ら く 当 時 の 一 般 社 会 で 行 わ れ て い た 夫 婦 の 間 の 一 方 的 な ( と く に 夫 側 か ら の ) 横 暴 行 為 を 厳 し く 規 制 し よ う と し た た め で は な い か 、 と 考 え る 。 ま た 次 に 同 条 の 「 復 妻 妾 有 り て 夫 の 為 に 放 て ら る る 日 に 、 年 を 経 て 後 に 、 他 に 適 ぐ は 恒 の 理 な り 」 と い う 箇 所 か ら は 、 妻 妾 が 夫 か ら 離 縁 さ れ 、 捨 て ら れ る こ と が あ っ た こ と が 判 る 。 以 上 当 該 条 文 の 2 箇 所 に よ れ ば 、 婚 姻 関 係 に お い て 夫 側 の 立 場 が 妻 側 よ り き わ め て 高 か っ た こ と が 推 測 で き よ う 。 実 際 に 、 妻 か ら 離 縁 を 求 め る こ と が 難 し い で 、 夫 か ら は 容 易 に 離 婚 で き た こ と が 窺 え る の で あ る 。 そ の ほ か に、『 万 葉 集 』巻 18-4106 大 伴 家 持 の 「教 喩 史 生 尾 張 少 咋 歌 」 ( 天 平 感 宝 元 年 5 月 15 日 ) に 「七 出 例 云 、 但 犯 一 条 即 合 出 之 、 無 七 出 輒 棄 者 徒 一 年 半 ( 七 出 例 に 云 く 、 但 し 一 条 を 犯 さ ば 、 即 ち 合 出 す べ し 、 七 出 無 く し て 輒 く 棄 つ る 者 は 徒 一 年 半 な り と い ふ )」と「 両 妻 例 云、有 妻 更 娶 者 徒 一 年 、 女 家 杖 一 百 離 之 ( 両 妻 例 云 く 、 妻 有 り て 更 に 娶 る 者 は 徒 一 年、 女 家 は 杖 一 百 に し て 離 て と い ふ )」と あ る。 そ の 歌 は 家 持 が 、 部 下 の 史 生 尾 張 少 咋 が 大 和 に い る 妻 を お い て 、「 左 夫 流 児 」( 遊 行 女 婦 ) と 付 き 合 っ て い る こ と を 訓 戒 し た も の で あ る 。 こ の 歌 に 引 用 さ れ た 「 七 出 」 は 養 老 令 戸 令 七 出 条 に 関 係 し 、 戸 婚 律 妻 無 七 出 条 及 び 有 妻 更 娶 条 に も 関 係 す る と 考 え ら れ る 。 な お 、 養 老 律 の 逸 文 に 凡 妻 無 七 出 及 義 絶 之 状 、 而 出 之 者 、 徒 一 年 、 雖 犯 七 出 、 有 三 不 去 、 而 出 之 者 杖 八 十 、 復 追 還 、 若 犯 悪 疾 及 姦 者 、 不 用 此 律 ( 凡 そ 妻 に 七 出 及 び 義 絶 の 状 な く し て こ れ を 出 す 者 は 徒 一 年、七 出 を 犯 す と 雖 も 三 不 去 有 り、而 も こ れ を 出 す 者 は 杖 八 十、追 還 し て 復 せ し む 、 若 し 悪 疾 及 び 姦 を 犯 す 者 は 此 の 律 を 用 い ず ) と あ る 。 た だ し 、 量 刑 に は 、 家 持 が あ げ た 「 徒 一 年 半 」 は 唐 律 と 合 致 し て い る が 、 養 老 律 の 「 徒 一 年 」 と 合 致 し て い な い 。 こ こ は こ の 問 題 を 擱 く こ と に し た 。 大 伴 家 持 は 律 令 国 家 の 草 創 期 に お け る 新 時 代 の 官 僚 と し て 、 積 極 的 に 中 国 か ら 導 入 し た 法 律 の 精 神 を 教 訓 と し て 唱 え る 態 度 が 読 め る 。 し た が っ て 、 上 記 の 歌 が 、 当 時 の 律 令 規 定 は 実 用 性 よ り 理 想 性 が

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高 い と 評 価 さ れ て い る1 5 。 と こ ろ が 、 興 味 深 い こ と に は 、 そ の 歌 の 最 後 に 大 和 に い る 妻 が 夫 の 任 地 に 駆 け て き て 大 騒 ぎ と な る 結 末 に 注 目 し た い の で あ る 。 妻 が 夫 の 女 遊 び に 怒 っ て 大 騒 ぎ に な っ た 場 面 を 考 え て み れ ば 、 社 会 の 模 範 と し て の 官 僚 た ち は 、 自 ら 身 を 慎 む べ し と 、 大 伴 家 持 が な ぜ 口 説 い た の か に 想 像 が つ く の で あ ろ う 。 婚 姻 規 制 や 家 族 秩 序 を 求 め る 日 本 の 立 法 精 神 は そ こ に あ る と い え よ う 。 次 に 成 清 弘 和 氏 は 、 棄 妻 に 関 与 す る 親 族 と 妻 の 持 参 財 産 の 処 分 に 関 わ る 戸 令 先 由 条 に よ っ て 、 夫 側 か ら の 一 方 的 な 離 婚 に 関 与 す る 親 族 と し て は 妻 側 は 削 除 さ れ た と 、 律 令 の 規 定 を 認 め な が ら 、 離 婚 時 に 妻 の 持 参 財 産 が 全 面 的 に 保 護 さ れ る と い う 特 質 が あ り 、 日 本 律 令 に お け る 離 婚 規 定 に は 、 婚 姻 に お い て 女 家 側 の み の 関 与 を 重 ん じ る こ と と 対 応 し 、 婚 姻 生 活 に お け る 妻 の 経 済 的 自 立 性 を 窺 わ せ る 、 と 指 摘 し た1 6。 戸 令 先 由 条 は 次 の よ う で あ る 。 凡 棄 妻 先 由 祖 父 々 母 々 、 若 無 祖 父 々 母 々 、 夫 得 自 由 、 皆 還 其 所 賷 見 在 之 財 、 若 将 婢 有 子 、 亦 還 之 当 条 文 の「 先 由 祖 父 々 母 々 」に つ い て、『 令 集 解 』で は 諸 説 が 引 用 さ れ て い る 。 朱 説 の 或 云 は 「 夫 之 祖 父 母 等 者 」 と 注 し 、 穴 記 も 「 祖 父 母 、 謂 男 之 祖 父 母 也 」と 解 釈 し て い る。た だ し、養 老 令 戸 令 七 出 条 に 「皆 夫 手 書 棄 之 」と の 規 定 に 対 し て 、 古 記 は 先 由 条 を 引 い て 、「 下 条 云 、 祖 父 母 々 々 也 、 妻 祖 父 母 々 々 亦 署 也 」 と す る 。 し た が っ て 、 離 婚 の 際 、 夫 婦 両 方 の 親 族 と も に 署 名 す る の は 律 令 の 本 意 で は な か ろ う か と 考 え る 。「 七 出 」 条 は 夫 側 か ら 妻 を す て る 規 定 で あ る が 、 妻 の 権 利 を 守 る 法 的 精 神 を も 窺 え る 。 し た が っ て 、 本 来 妻 家 か ら 持 参 し た 財 物 は 、 妻 家 に 属 す べ き と み と め ら れ る 。 ま た 、 離 婚 状 の 作 成 及 び そ の 成 立 に 両 方 の 家 族 の 承 認 ・ 立 証 が 必 要 で あ る 。 結 論 か ら い う と 、 夫 婦 関 係 は 一 種 の 力 関 係 と み な し て も よ い で あ ろ う 。 離 婚 に 関 し て は 、 男 女 双 方 と も に 離 婚 を 申 し 立 て る こ と が 可 能 で あ

1 5 奥 村 郁 三「 日 本 古 代 律 令 の 中 国 法 継 受 の 一 側 面 」(『 関 西 大 学 法 学 論 集 』第 35 巻 第 3・ 4・ 5 号 、 1985 年 )。 1 6 成 清 弘 和 「律 令 の 離 婚 規 定 に つ い て 」( 続 日 本 紀 研 究 会 編 『 続 日 本 紀 の 諸 相 』 塙 書 房 、 2004 年 所 収 )。

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る か ら 、 女 性 も あ る 程 度 自 己 主 張 す る こ と が で き た が 、 実 際 に は 男 性 側 か ら 離 婚 し た 事 例 が 圧 倒 的 に 多 か っ た た め 、 夫 側 が 優 位 に 立 っ て い た と 言 え よ う 。 し か も 、 上 記 の 事 例 に よ れ ば 、 古 代 の 女 た ち は 愛 情 や 婚 姻 に 関 し て は 、 つ ね に 消 極 的 ・ 受 身 的 な 姿 勢 に な っ て い た の で は な い か 、 と 窺 わ れ る 。 ま た 、 男 性 は 複 数 の 女 性 な い し 妻 を 持 つ こ と が で き た か ら 、 女 た ち は 実 に 不 安 定 な 男 女 関 係 を 心 細 く 感 じ て い た の で は な か ろ う か 。

三 、 古 代 中 日 の 嫉 妬 譚 を め ぐ っ て

先 に 述 べ た よ う に 、 戸 令 で は 妻 を 棄 て る 理 由 と し て 「 七 出 」 条 が 規 定 さ れ 、 そ の な か に は 妻 の 妬 忌 が あ げ ら れ て い る 。 律 令 の 規 定 の ほ か 、 正 史 や 小 説 な ど の 史 料 の な か に は 、 既 婚 女 性 の 嫉 妬 記 事 が あ る 。 中 国 で は 、 嫉 妬 す る 妻 の こ と を 「 妬 婦 」 と い う 。 牛 志 平 氏 は 、 唐 代 の 妬 婦 を 論 述 し た 際、「 夫 の 妾 を も ら っ た り、女 遊 び を し た り す る の に 嫉 妬 す る 妻 の こ と 」 を 妬 婦 と 解 釈 し て い る1 7。 仁 井 田 陞 氏 は 「 七 出 」 条 に 列 挙 さ れ て い る 事 由 が 「 単 に 夫 婦 間 の 個 人 的 生 活 の 障 碍 の み を 理 由 と す る の で な く し て 、 む し ろ 父 母 ・ 祖 先 ・ 族 ・ 家 等 と の 関 係 が 、 当 面 の 問 題 と し て 多 く 考 慮 さ れ て い る 」、「 こ れ ら は 中 国 旧 来 の 婚 姻 法 の 超 個 人 的 性 格 と そ の 基 調 を 1 つ に し て い る 」 と 指 摘 し て い る1 8 。 仁 井 田 氏 の 論 点 に し た が い 、 成 清 弘 和 氏 は 、 中 国 の 「 七 出 」 と い う 概 念 は 、 父 系 的 な 家 族 秩 序 を 維 持 す る た め に、規 範 だ け で は な く、実 態 を 伴 っ た も の だ と 指 摘 し て い る1 9。 日 本 の 律 令 は 中 国 か ら 取 り 入 れ た も の で あ り、「 七 出 」規 定 も 中 国 的 な 性 格 を 反 映 し て い る が 、 成 清 氏 は 日 本 古 代 の 社 会 は 中 国 の 家 族 ・ 親 族 原 理 と は 異 な っ て い た た め、「 嫉 妬 」に つ て も 中 国 か ら 受 容 し た「 七 出 」規 定 の 「 嫉 妬 」 と 記 紀 の 嫉 妬 譚 に 見 え る 「 嫉 妬 」 そ の も の の 内 容 は 同 一 で は

1 7 牛 志 平「 唐 代 妒 婦 述 論 」( 鮑 家 麟 編『 中 国 婦 女 史 論 集 続 集 』稲 郷 出 版 社 、 1999 年 、 初 出 は 1987 年 )、 引 用 し た 日 本 語 訳 は 大 澤 正 昭 氏 に よ る も の で あ る ( 「嫉 妬 す る 妻 た ち ─ 夫 婦 関 係 の 変 容 ─ 」『 唐 宋 時 代 の 家 族 ・ 婚 姻 ・ 女 性 ─ 婦 は 強 く ─ 』 明 石 書 店 、 2005 年 参 照 )。 1 8 仁 井 田 陞 『 中 国 身 分 法 史 』 東 京 大 学 出 版 会 1983 年 復 刊 、 p.675。 1 9 成 清 弘 和 「記 紀 の 嫉 妬 譚 と 律 令 の 「七 出 」に つ い て ─ 「皇 后 」イ ハ ノ ヒ メ 像 の 再 構 築 ─ 」(『 日 本 書 紀 研 究 』 第 23 冊 、 2000 年 )。

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な い と 考 え て い る2 0。 し か し 、 日 本 側 の 律 令 に 「 七 出 」 条 を 規 定 し た の は 、 ど う い う 意 味 が あ っ た の か 。 そ れ は 当 時 の 社 会 と 相 違 し 、 単 な る 空 文 だ っ た と 解 釈 す る の は 、 本 当 に 妥 当 で あ ろ う か 。 律 令 の 規 定 の ほ か 、 両 国 の 嫉 妬 譚 を 対 照 し な が ら 、 改 め て 日 本 の 律 令 に あ る 「 嫉 妬 」 規 定 を 検 討 す る こ と が 可 能 で は な い か 。 律 令 の 規 定 と 実 際 の 効 果 は ど う だ っ た の か 。 さ ら に 実 際 に 家 庭 内 の 嫉 妬 、 と り わ け 妻 の 嫉 妬 と は 一 体 ど う い う も の で あ る か 、 な ど 検 討 す べ き 点 が あ る 。 嫉 妬 と は と く に 女 性 の 心 理 的 部 分 ・ 内 面 的 な 感 情 を 表 す も の と も 言 え る 。 最 近 、 大 澤 正 昭 氏 は フ ィ リ ッ プ ・ ア リ エ ス 氏 の 家 族 の 心 性 と い う 新 し い 研 究 方 向 を 用 い 、 内 面 的 な 要 素 か ら 「 妬 婦 」 問 題 に 斬 新 な 解 釈 を 与 え た2 1。 し た が っ て 、 こ こ で 中 国 と 日 本 と の 嫉 妬 譚 を 通 じ て 、 両 国 に お け る 妻 の 嫉 妬 の 性 格 を 考 察 し よ う と 思 う 。 両 者 に は ど の よ う な 相 違 が あ る の か 、 嫉 妬 問 題 を 通 じ て 、 中 国 と 日 本 の 婚 姻 の 一 側 面 を 考 え る 余 地 が あ る と 思 う 。 以 下 正 史 な ど の 史 料 を 用 い て 女 性 の 嫉 妬 問 題 を 検 討 し て み た い 。

(1)中 国 の 場 合

『 漢 書 』、『 魏 志 』 と い っ た 正 史 の な か に は 、 妬 婦 に 関 す る 記 述 が す で に 登 場 し て い る 。 南 朝 時 期 の 宋 明 帝 は 虞 通 之 に 命 じ 『 妬 婦 記 』 を 撰 し た 。 唐 に い た る と 、 正 史 の ほ か 、 野 史 や 筆 記 小 説 な ど の 書 物 に 「 妬 婦 」 説 話 が 多 彩 に 登 場 す る よ う に な っ た 。 あ る い は 、 恐 妻 家 の 笑 い 話 な ど も 見 ら れ る。史 料 に み ら れ る こ と ば と し て は、嫉 妬 す る 妻 の こ と を「 妻 妬 」、 「 妬 悍 」「 妬 忌 」 と 表 現 す る 一 方 、 恐 妻 家 の こ と を 「 酷 怕 妻 」 や 「 畏 妻 」 と い う2 2。

2 0 成 清 氏 前 掲 注 (3)論 文 。 2 1 大 澤 氏 前 掲 注 (1)論 文 。 2 2 例 え ば『 旧 唐 書 』巻 59 任 瓌 伝 に「 又 妻 劉 氏 妬 悍 無 礼、為 世 所 譏 」と あ り、『 朝 野 僉 載 』 巻 3(『 太 平 広 記 』 に も 収 録 )に も 「 初 、 兵 部 尚 書 任 瓌 勅 賜 宮 女 二 人 、 皆 国 色 、 妻 妬 、 爛 二 女 頭 髪 禿 尽 」 と あ る 。 ま た 、『 旧 唐 書 』 巻 111 房 琯 伝 付 房 孺 復 伝 (『 新 唐 書 』 巻 139 同 ) に 「 又 娶 台 州 刺 史 崔 昭 女 、 崔 妬 悍 甚 、 一 夕 杖 殺 孺 復 侍 児 二 人、埋 之 雪 中、… 孺 復 坐 貶 連 州 司 馬、仍 令 与 崔 氏 離 異 」と あ る。『 太 平 広 記 』 巻 275 所 引 無 名 氏 撰 『 玉 泉 子 』 ・ 「 李 福 女 奴 」 に 「 李 相 福 妻 斐 氏 、 性

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唐 代 の 「 妬 婦 」 に 関 す る 記 載 は 、 正 史 と し て は 『 旧 唐 書 』 ・ 『 新 唐 書 』 に 数 例 が み ら れ る 。 多 く 扱 っ た の は 『 朝 野 僉 載 』、『 太 平 広 記 』 を 中 心 と す る 野 史 や 筆 記 小 説 の 類 で あ る 。 ま た 同 じ 人 物 に 関 し て 、 正 史 の 描 写 は 野 史 よ り 比 較 的 に 簡 潔 で 淡 々 と 記 す る 特 色 が あ る 。 野 史 は 物 語 と し て 扱 わ れ て い る の で 、 刺 激 的 な 描 写 が 著 し い と い え る 。 も う ひ と つ の 特 色 は 、 唐 代 お よ び 南 北 朝 の 史 料 に あ げ ら れ た 「 妬 婦 」 は 、 主 に 公 主 や 貴 族 、 ま た は 官 人 層 の 妻 た ち を 中 心 と す る と い う 点 が あ げ ら れ る 。1 例 を あ げ て み よ う 。 『 朝 野 僉 載 』 巻 4 に 「 唐 貞 観 中 、 桂 陽 令 阮 嵩 妻 閻 氏 極 妬 、 嵩 在 庁 会 客 飲、召 女 奴 歌、閻 披 髪 跣 足 袒 臂、抜 刀 至 席、… 刺 史 崔 邈 為 嵩 作 考 詞 云 、 婦 強 夫 弱 、 内 剛 外 柔 、 一 妻 不 能 禁 止 、 百 姓 如 何 整 粛 、 妻 既 礼 教 不 修 、 夫 又 精 神 何 在 、 考 下 、 省 符 解 現 任 」 と あ る 。 阮 嵩 の 妻 は 嫉 妬 心 が 極 め て 強 く 、 あ る 日 阮 氏 が 賓 客 と 酒 を 飲 み 、 女 奴 を 召 し て 宴 会 を 開 い た と こ ろ 、 妻 の 閻 氏 が 賓 客 の 前 で 暴 れ た 。 こ の こ と に 対 し 、 刺 史 崔 邈 は 阮 氏 の 勤 務 評 価 に 「 ひ と り の 妻 を 禁 じ る こ と が で き ず に 、 百 姓 を い か に 治 め る こ と が で き る か。妻 が 礼 教 を 修 め て い な い、夫 の 精 神 は ま た ど こ に あ る の か 」 と 書 い て 、「 下 」の 評 価 を 下 し た 。 阮 氏 は 省 符 に よ っ て 現 任 を 解 か れ た 。 夫 の 女 遊 び に 怒 っ た 阮 氏 の 妻 は、嫉 妬 の た め に 暴 れ た が、「 七 出 」条 の 嫉 妬 に 準 じ て 離 婚 さ れ る こ と も な く 、 か え っ て 、 夫 阮 氏 が 妻 を う ま く 治 め ら れ な い こ と に よ っ て 上 司 に 悪 い 評 価 を 下 さ れ た の で あ る 。 も う 1 例 を あ げ る 。『 新 唐 書 』 に 「 宜 城 公 主 、 ・・・下 嫁 斐 巽 、 巽 有 嬖 妹 、 主 恚 、 刵 耳 劓 鼻 、 且 断 巽 髪 、 帝 怒 、 斥 為 県 主 、 巽 左 遷 」 と い う 記 事 が あ る 。 唐 の 宜 城 公 主 は 、 夫 の 斐 巽 が 外 で 寵 愛 の 女 が で き た こ と に 怒 っ て 、 彼 女 の 耳 鼻 、 そ し て 、 自 分 の 夫 の 髪 を も 切 っ て し ま っ た と い う 嫉 妬 記 事 で あ る 。 皇 帝 は 公 主 の 過 激 な 行 為 に 怒 り 、 夫 婦 と も に 身 分 ・ 官 職 を

妬 忌 、 姫 侍 甚 多 」と あ る 。『 太 平 広 記 』巻 272 所 引 王 仁 裕 撰『 王 氏 見 聞 』・「 呉 宗 文 」 に 「 王 蜀 呉 宗 文 … 僕 楽 妓 十 余 輩 、 皆 其 精 選 也 、 其 妻 妬 、 」 と あ る 。『 太 平 広 記 』 巻 248 所 引 『 御 史 台 記 』 ・ 「 任 瓌 」 に 「 唐 管 国 公 任 瓌 酷 怕 妻 、 太 宗 以 功 賜 二 侍 子 、 瓌 拝 謝 、 不 敢 以 帰 、 太 宗 召 其 妻 、 賜 酒 」 と あ り 、 陶 穀 『 清 異 録 』 に 「 礼 部 郎 康 凝 、 畏 妻 甚 声 、 妻 嘗 病 、 求 烏 鴉 為 薬 、 而 積 雪 未 消 、 難 以 網 捕 、 妻 大 怒 、 欲 加 捶 楚 」 と あ る ( 筆 者 注 : 波 線 は 筆 者 に つ け ら れ た も の で あ る )。

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下 げ た 。 以 上 2 つ の 嫉 妬 の 事 例 は 、 い ず れ も 夫 の 女 遊 び に 異 常 な 嫉 妬 を お こ し た も の で あ る 。 律 令 の 「 七 出 」 規 定 に 従 え ば 、2 人 と も 「 嫉 妬 」 に よ っ て 離 縁 さ せ ら れ る べ き な の で あ る が 、 実 際 に そ れ と 反 し て 妻 を 抑 え ら れ な い 夫 側 に 処 罰 が 与 え ら れ た 。 嫉 妬 す る 妻 を す て る と い う 法 の 規 定 は ど の ぐ ら い 実 行 さ れ た の か 、 そ の 実 効 性 に 疑 問 を 感 じ る 。 む し ろ 、 当 該 条 文 は 社 会 的 ・ 道 徳 的 な 教 訓 の 意 味 と し て 定 め ら れ た で あ ろ う 。 な お 、 嫉 妬 規 定 や 嫉 妬 譚 の 存 在 か ら は 、 実 は 家 父 長 的 社 会 の 中 に お い て 、 自 分 の 妻 が 良 妻 賢 母 で い ら れ る か ど う か が 自 ら の 社 会 的 地 位 に 関 わ る の だ と い う こ と が 窺 わ れ る 。 ま た 、 男 性 は 多 妻 制 ( 一 妻 多 妾 ) つ ま り 、 不 対 等 な 夫 婦 関 係 に お い て 、 そ の 正 当 性 を 女 性 に 納 得 さ せ よ う と 、 法 律 な い し 社 会 価 値 ・ 道 徳 意 識 な ど に よ り 女 性 を 教 育 し よ う と 工 夫 を 加 え て い た 。 法 律 に お け る 婚 姻 関 係 の 規 定 は 、 社 会 的 ・ 道 徳 的 規 範 と し て 家 族 秩 序 を 維 持 す る た め に 定 め ら れ た 側 面 も あ る の で あ る 。 陳 東 原 氏 は 、 東 晋 ・ 南 北 朝 か ら 五 代 に か け て 「 妬 婦 」 現 象 が 多 く 見 ら れ る こ と に 注 目 し 、 当 時 の 社 会 は 混 乱 状 態 で 、 礼 教 の 拘 束 力 が 弱 く な り 、 女 性 の 嫉 妬 と い っ た 天 性 が そ う し た 社 会 情 勢 の な か で 復 活 す る こ と と な っ た と 分 析 し た2 3。 さ ら に 牛 志 平 氏 は 、 唐 代 を 「 開 放 型 封 建 社 会 」 と み な し、「 こ う し た 世 の 気 風 が 一 部 の 女 子 の 勇 壮 で 強 暴 な 性 格 を 助 長 し た 」 と 述 べ 、 唐 の 女 性 が 「 相 対 的 に 自 由 解 放 的 な 一 面 」 を 有 し 、 女 性 の 嫉 妬 と 男 子 の 恐 妻 の 風 潮 は 、 唐 代 の 女 性 の 地 位 が 相 対 的 に 高 か っ た か ら で あ る と 論 じ た2 4。 ま た 劉 増 貴 氏 は 、 魏 晋 南 北 朝 の 家 族 を 比 較 し 、 女 性 の 地 位 の 高 さ は 門 閥 の 婚 姻 形 態 と 密 接 な 関 係 が あ り 、 と り わ け 「 妬 婦 」 の 多 く は 、 頼 む べ き 妻 方 の 家 族 が あ っ た か ら こ そ 、 妻 の 気 勢 は 夫 よ り 弱 く な か っ た 、 と い っ た 歴 史 的 な 条 件 に 焦 点 を お い た2 5。 一 方 、 章 義 和 ・ 陳 春 雷 両 氏 の 研 究 で は 、 中 国 史 上 の 「 妬 婦 」 現 象 が 魏 晋 南 北 朝 隋 唐 期 に

2 3 陳 東 原 『 中 国 婦 女 生 活 史 』( 台 湾 商 務 印 書 館 、1990 年 台 9 版 )。 2 4 牛 氏 前 掲 注(1)同 論 文 。 25 劉 増 貴 「 魏 晋 南 北 朝 時 代 的 妾 」( 鮑 家 麟 編 『 中 国 婦 女 史 論 集 』 第 4 集 、 稲 郷 出 版 社 、 1995 年 、 初 出 は 1991 年 )。

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盛 ん だ っ た が、唐 代 以 後、貞 節 観 念 が 次 第 に 人 々 の 心 に 浸 透 し、「 男 尊 女 卑 」「 夫 唱 婦 随 」 が 訓 戒 さ れ る と な り 、「 妬 婦 」 現 象 は 日 増 し に 少 な く な っ た 。 ま た そ の 実 例 記 録 に も 恐 怖 感 が 薄 く な っ て き た 、 と ま と め た2 6。 し か し も ち ろ ん 「 妬 婦 」 が い な く な っ た わ け で は な い 。 宋 代 の 「 妬 婦 」 に つ い て、游 恵 遠 氏 は、「 宋 人 は 妻 が 従 順 な こ と を 願 っ て い た し、妬 婦 に 対 し て は で き る 限 り 容 認 し て お り 、 彼 女 の 行 為 が 他 人 の 生 命 の 安 全 を 脅 か す も の で は な い 限 り は 道 徳 的 な 制 裁 を 加 え る だ け で あ り 、 嫉 妬 に よ っ て 離 縁 す る よ う な 例 は 決 し て 多 く は な か っ た 」 と 指 摘 し て い る2 7。 中 国 史 上 に 描 か れ た 「 妬 婦 」 や 嫉 妬 譚 を 通 じ て 、 夫 婦 関 係 を 考 え る て が か り を 得 る こ と が で き る 。 上 記 陳 東 原 氏 は 嫉 妬 が 女 性 の 天 性 だ と し て い る が 、 実 は な ぜ 嫉 妬 が 起 こ っ た の か は 、 心 理 面 か ら 考 え な け れ ば な ら な い 。 嫉 妬 と い う の は 、 自 ら の 立 場 や 優 勢 を 危 う く 感 じ る 場 合 に よ く お こ な る も の だ と 考 え ら れ る 。 要 す る に 人 間 だ れ で も 同 じ こ と に 遭 遇 す れ ば 、 起 こ り や す い 一 種 の 心 理 行 為 で あ る 。 そ れ が な ぜ 女 性 に 目 立 っ て 起 こ る の か 、 ま ず 男 女 間 の 強 弱 関 係 か ら 考 え る べ き で あ ろ う 。 つ ま り 、 歴 史 上 男 女 関 係 は つ ね に 男 性 が 優 勢 で 、 女 性 が 弱 い 立 場 に 居 る 場 合 が 多 い か ら で あ る 。 中 国 古 代 の 社 会 で は 、 一 夫 一 妻 の 婚 姻 関 係 以 外 に 、 男 性 に 極 め て 自 由 に ほ か の 女 性 と 結 ば れ る こ と が 許 さ れ る た め に 、 妻 に と っ て 、 自 分 の 優 勢 な 立 場 が 奪 わ れ そ う な 危 機 意 識 が あ っ た 。 し た が っ て 、 不 安 な 心 理 に 嫉 妬 心 が さ ら に 強 く 働 く よ う に な る 。 な か に は 、 極 め て 残 酷 な 行 為 ま で 発 生 し た 事 例 が し ば し ば う か が え る 。 そ こ で 社 会 を 安 定 さ せ る た め に 、 国 家 は 法 律 か ら 道 徳 の 教 戒 ま で さ ま ざ ま な と こ ろ で 婚 姻 関 係 な い し 家 族 関 係 を 規 範 し よ う と し た の で あ る 。 漢 代 に 儒 教 思 想 を 重 ん じ て 以 来 、 女 性 に 対 す る 道 徳 規 範 が し だ い に 社 会 に 浸 透 す る よ う に な り、隋 唐 時 代 に い た っ て、「 七 出 」条 の よ う な も の が 条 文 化 さ れ る よ う に な っ た 。 章 義 和 ・ 陳 春 雷 両 氏 の 指 摘 ど お り に、嫉 妬 譚 の 検 討 を 通 じ て、「 男 尊 女 卑 」と い っ た 礼 教 思 想 の 規 範 が 次 第

2 6 章 義 和 ・ 陳 春 雷 『 貞 節 史 』( 上 海 文 芸 出 版 社 、 1999 年 )。 2 7 游 恵 遠『 宋 代 民 婦 之 家 族 角 色 與 地 位 之 研 究 』( 東 海 大 学 歴 史 研 究 所 碩 士 論 文 、 1988 年 、 の ち に 単 行 本 と し て 出 版 、 新 文 豊 出 版 公 司 、 1998 年 )。

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に 定 着 し て い っ た 過 程 が わ か っ た 。

(2)日 本 の 場 合

『 魏 志 倭 人 伝 』 に は 「 其 の 俗 、 国 の 大 人 は 皆 四 五 婦 、 下 戸 も 或 い は 二 三 婦、婦 人 淫 れ ず、妬 忌 せ ず 」と 記 述 さ れ て い る。魏 以 降 の 中 国 史 書 、 『 後 漢 書 』や『 梁 書 』な ど に も 類 似 し た 記 述 が あ り、さ ら に そ こ で は「 女 多 男 少 」と も 記 さ れ て い る 。『 三 国 志 』を 著 わ し た 陳 寿 は、 な ぜ か か る 記 事 を 述 べ た の か 、 ま た な ぜ 歴 代 の 「 倭 人 伝 」 に は 、 多 少 の 改 筆 が あ っ て も、「 婦 人 淫 れ ず、妬 忌 せ ず 」と い う 箇 所 は ま っ た く 変 わ ら ず に 残 さ れ た の か 、 興 味 深 い と こ ろ だ と 思 わ れ る 。 『 三 国 志 』 以 前 に 書 か れ た 司 馬 遷 の 『 史 記 』 と 班 固 の 『 漢 書 』 と い っ た 正 史 は 、 外 国 関 係 の 記 事 を 述 べ る 際 、 婦 人 の 嫉 妬 や 邪 淫 に 触 れ な か っ た 。 陳 寿 の 『 三 国 志 』 や 范 曄 の 『 後 漢 書 』 に な っ て 、 こ の よ う な 記 載 が 描 か れ た 理 由 と し て は 、 も ち ろ ん 編 纂 者 の 立 場 や 問 題 意 識 を 無 視 す る こ と が で き ず 、 な お 藤 善 真 澄 氏 が 指 摘 し た よ う に 、 当 時 の 中 国 社 会 の 風 潮 を 反 映 し て い る と も 考 え ら れ る2 8。 漢 代 に な っ て 、 政 治 支 配 者 は 積 極 的 に 儒 教 思 想 を 社 会 全 般 に 浸 透 さ せ よ う と 取 り 組 ん だ 。 家 庭 倫 理 を 規 範 す る な か で、女 性 の 道 徳 を 重 視 し て い た。女 性 の 模 範 と し て 賢 婦、節 婦 、 孝 女 と い っ た 人 物 が 選 ば れ 、 国 家 か ら 表 彰 さ れ た 。 西 漢 代 末 劉 向 が 『 列 女 伝 』を 著 わ し て 以 来 、『 後 漢 書 』を は じ め と し て 、 歴 代 の 史 書 に「 列 女 伝 」篇 を 設 け る よ う に な っ た。『 列 女 伝 』の 編 纂 は 漢 成 帝 が 当 時 の 後 宮 が 乱 れ て い た こ と を 憂 い 、 世 情 を 整 え よ う と 鑑 誡 の 意 味 を こ め て 劉 向 に 撰 述 を 命 じ た と 言 わ れ て い る 。 一 妻 多 妾 を も う け る 中 国 の 男 性 に と っ て 、 妻 た ち を い か に 平 和 に 暮 ら さ せ る こ と が で き る の か は 大 問 題 で あ る 。 そ こ で 儒 教 思 想 を 利 用 し 、 国 家 が 女 性 倫 理 を 規 範 す る こ と が 一 つ の 政 策 と み な さ れ、す す め ら れ て い た。し た が っ て『 倭 人 伝 」に あ る 婦 人 記 事 は 、 む し ろ 外 国 風 俗 の 描 写 を 通 じ て 、 理 想 的 な 女 性 像 な い し 家 庭 像 を 描 こ う と い っ た 動 機 が あ っ た の で は な い か 、 と 考 え る 。

2 8 藤 善 真 澄 「 淫 せ ず 、 妬 忌 せ ず 」(『 講 座 飛 鳥 を 考 え る Ⅱ 』 横 田 健 一 ・ 網 干 善 教 編 、 1977 年 )。

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中 国 の 史 家 は 、 数 人 の 妻 を も つ 日 本 の 家 で 、 妻 た ち が 嫉 妬 せ ず に 互 い に 平 和 に 暮 ら し て い る こ と に 感 心 し た の で あ ろ う か 、 倭 人 伝 の な か に は、「 其 風 俗 不 淫 」と 書 か れ て い る も の が あ る。倭 国 は 社 会 的 秩 序 が 整 え ら れ て い る 、 と 中 国 側 か ら は 見 え た 。 婦 人 の 行 い を 非 常 に 規 制 し て い る 中 国 に と っ て は 、 倭 国 の 婦 人 が 嫉 妬 を 起 こ さ な い よ う 慎 ん で い る と こ ろ に 感 心 し 、 し た が っ て 特 筆 し た か も し れ な い 。 あ る い は 、 史 家 は 当 時 の 中 国 社 会 の 不 正 な 風 習 を 善 良 に さ せ よ う と の ぞ み 、 教 訓 の 文 句 を 加 え た の か も し れ な い 。 し か し い ず れ を と る べ き か 、 具 体 的 な 証 拠 が な い た め に、 断 言 で き な い 。 次 に、『 記 紀 』を 通 じ て 日 本 古 代 の 妻 の 嫉 妬 問 題 を 検 討 し て み よ う 。 『 記 紀 』 に お け る 嫉 妬 の 話 に か か わ る 事 例 と し て は 、(1) 仁 徳 皇 后 イ ハ ノ ヒ メ、(2)允 恭 皇 后 忍 坂 大 中 姫、(3)大 国 主 神 の 嫡 后 で あ る 須 勢 理 毘 売 、 と い う 3 人 の 女 性 が あ げ ら れ る 。 (1) 仁 徳 天 皇 16 年 秋 七 月 ・ 宮 人 桑 田 玖 賀 媛 に 対 す る 嫉 妬 譚 天 皇 宮 人 桑 田 玖 賀 媛 を 以 っ て 、 近 く 習 へ ま つ る 舎 人 等 に 示 せ た ま ひ て 曰 く 、「 朕 、 是 の 婦 女 を 愛 ま む と 欲 れ ど も 、 皇 后 の 妬 み ま す に 苦 り て 、 合 す こ と 能 は ず し て 、 多 年 経 ぬ 、 何 ぞ 徒 に 其 の 盛 年 を 妨 げ む や 」 天 皇 の 告 白 か ら 、 イ ハ ノ ヒ メ が 嫉 妬 し た こ と が わ か る 。 そ の 話 の 結 末 で は 、 桑 田 玖 賀 媛 は 寡 婦 の 身 で あ る と し て 天 皇 の 申 し 出 を 断 っ て 、 天 皇 は そ の 志 を 遂 げ さ せ よ う と 帰 ら せ た が 、 途 中 で 彼 女 は 病 に 倒 れ 死 ん で し ま う こ と に な っ た 。 (2) 仁 徳 天 皇 30 年 秋 ・ 八 田 皇 女 に 対 す る 嫉 妬 譚 天 皇 は 皇 后 イ ハ ノ ヒ メ の 不 在 中 に、八 田 皇 女 を 娶 し て、宮 中 に 召 す 。 皇 后 は 難 波 で「 天 皇 八 田 皇 女 を 合 し つ と 聞 し め し て、大 き に 恨 み た ま ふ 、 則 ち 其 の 採 れ る 御 綱 葉 を 海 に 投 れ て、着 岸 り た ま は ず 」、皇 后 は 宮 に 帰 ら ず に 山 背 の 筒 城 岡 南 に 宮 室 を 建 て 滞 在 す る よ う に な っ た 。 の ち に 天 皇 は 筒 城 宮 に 赴 い た が 、 イ ハ ノ ヒ メ は 「 其 皇 女 に 副 ひ て 后 た ら ま く 欲 せ じ 」 と 奉 見 し な か っ た 。 5 年 後 イ ハ ノ ヒ メ は 筒 城 宮 で な く な っ た 。 仁 徳 天 皇 は 38 年 に 八 田 皇 女 を 皇 后 に し た 。 (3) 允 恭 7 年 冬 紀 ・ 弟 姫 に 対 す る 嫉 妬 譚 自 分 の 妹 「 弟 姫 」 を 天 皇 に 奉 る こ と に な っ た 皇 后 忍 坂 大 中 姫 と 弟 姫

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と の 間 の 嫉 妬 譚 が 描 か れ て あ る 。 天 皇 は 弟 姫 を 倭 直 吾 子 籠 の 家 に 留 め さ せ、「 然 る に 皇 后 の 色 平 く も あ ら ず 、 是 を 以 っ て、 宮 中 に 近 け ず し て、 則 ち 別 に 殿 屋 を 藤 原 に 構 て て 居 ら し む 」、 そ し て 皇 后 が 大 泊 瀬 皇 子 を 産 む 際 、 天 皇 は 藤 原 宮 に 通 い は じ め た 。 皇 后 は 恨 ん で 「 今 妾 産 み て 、 死 生 相 半 な り 、 何 故 今 夕 に 当 た り て も 、 必 ず 藤 原 に 幸 す 」 と の た ま ひ て 、 乃 ち 自 ら 出 で て 、 産 殿 を 焼 き て 死 せ む 」 と し た 。 天 皇 は そ れ を 聞 い て 驚 い て 自 ら の 過 ち を 認 め 、 皇 后 の 意 を 慰 め た と い う 結 末 と な っ た 。 そ の ほ か 『 日 本 書 紀 』 に は 推 古 紀 の 十 七 条 憲 法 や 舒 明 即 位 前 紀 に も 「 嫉 妬 」 と い う 言 葉 が 見 ら れ る が2 9 、 い ず れ も 男 女 間 の 「 嫉 妬 」 で は な い 。 一 方 、『 古 事 記 』 で も 、「 嫉 妬 」 と い う 言 葉 を 使 う こ と が み ら れ る 。 下 巻 の 仁 徳 大 后 イ ハ ノ ヒ メ の 嫉 妬 譚 の ほ か に 、 上 巻 に は 大 穴 牟 遅 神 の 妻 須 勢 理 毘 売 の 嫉 妬 譚 が み え る。『 古 事 記 』の な か で は、イ ハ ノ ヒ メ に 対 し て 「 其 大 后 石 之 日 売 命 、 甚 多 嫉 妬 」 と 述 べ 、 同 様 に 須 勢 理 毘 売 の と こ ろ に も 「 其 神 之 嫡 后 、 須 勢 理 毘 売 命 、 甚 為 嫉 妬 」 と 明 記 し 、 い ず れ も 「 嫉 妬 」 と い う 言 葉 を 使 っ た の で あ る 。 ま た 、 イ ハ ノ ヒ メ の 嫉 妬 譚 に は 、 八 田 皇 女 以 外 に 吉 備 海 部 直 女 で あ る 黒 日 売 に 対 す る も の も あ る 。 古 代 女 性 の 嫉 妬 に つ い て、折 口 信 夫 氏 は、そ れ が「 ウ ハ ナ リ ネ タ ミ 」 と 読 ま れ た こ と( 舒 明 即 位 前 紀 に つ い て )「 第 一 の 妻 ─ こ な み ─ が 嫡 妻 と し て、若 き 妻 な る 後 入 妻( ウ ハ ナ リ )を 夫 に 近 づ け ま い と す る 行 動 又 は 、 そ の 感 情 を 言 ふ 語 で あ る 。 単 な る 嫉 妬 で は な い 、 だ か ら 、 此 嫡 妻 の 女 性 と し て の 怒 り は 、 正 当 な も の と 考 へ ら れ て ゐ た の だ 」3 0と 指 摘 し 、 ま た 折 口 氏 は 「 嫉 妬 せ ら れ る の は 男 が え ら い し 、 は げ し い 嫉 妬 を す る 女 は 、

2 9 『 日 本 書 紀 』推 古 天 皇 12 年 夏 4 月 丙 寅 朔 戊 辰 条 に「 十 四 曰 、 群 臣 百 寮 、 無 有 嫉 妬 、 我 既 嫉 人 、 々 亦 嫉 我 、 嫉 妬 之 患 、 不 知 其 極 」 と あ り 、 こ こ の 「 嫉 妬 」 は 人( と く に 官 人 を 対 象 と す る )の 才 能 に ね た む こ と を さ す 。 同 書 舒 明 天 皇 即 位 前 紀 に 「 唯 兄 子 毛 津 、 逃 匿 于 尼 寺 瓦 舎 、 即 姧 一 二 尼 、 於 是 一 尼 嫉 妬 令 顕 、 囲 寺 将 捕 」 と あ り 、「 嫉 妬 」 に つ い て 頭 注 (『 日 本 古 典 文 学 大 系 』 岩 波 書 店 ) は 「 正 妻 が 次 妻( う は な り )へ の 愛 を ね た む こ と か ら 、 広 く 嫉 妬 を ウ ハ ナ リ ネ タ ミ と い う 」 と 解 釈 す る 。 3 0 折 口 信 夫「 日 本 文 学 の 発 生 」(『 折 口 信 夫 全 集 』第 7 巻、中 央 公 論 社、1966 年 、 初 出 は 1947 年 )。

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だ か ら え ら い 男 の 妻 と い う こ と に な る 」 と 嫉 妬 の 特 質 を 述 べ た3 1。 以 来 折 口 氏 の 論 に 沿 い 、 仁 徳 皇 后 イ ハ ノ ヒ メ は 仁 徳 天 皇 の 「 聖 帝 」 像 と 対 照 的 に 、 従 属 的 な 位 置 づ け を 与 え ら れ た と さ れ て い る3 2。 一 方 、 高 群 逸 枝 氏 は ス セ リ 姫 と イ ハ ノ ヒ メ の 嫉 妬 を 取 り 上 げ、「 夫 と 対 等 の 恋 愛 を し て い る 女 性 が 、 夫 の み に 偏 向 し た 行 為 が あ る と き 、 つ よ く 反 発 し 、 独 占 欲 を き た し た 現 象 」と 分 析 し た3 3。 成 清 氏 は イ ハ ノ ヒ メ の 嫉 妬 行 為 を 、「 否 定 的 ( 律 令 的 ) な も の だ け で は な く 、 優 れ た 資 質 を 持 っ た 女 性 自 身 の 豊 か で 大 き な 愛 情 表 現 と い う 側 面 を も 包 含 し 」 た も の と 評 価 し な が ら 、「 但 し 、 そ こ に 男 女 ( 夫 と 妻 ) の 対 等 な 関 係 が 窺 え る か 否 か は 、 以 上 の 分 析 の み で は 判 断 を 保 留 せ ざ る を 得 な い だ ろ う 」 と 留 め た3 4。 以 上 、 先 学 は い ず れ も 女 性 の 嫉 妬 を 肯 定 的 な 評 価 を 下 し て い る3 5。 し か し 、1 人 の 男 性 が 特 定 の 女 性 と 結 ば れ て 、 ま た 別 の 女 性 に 目 を む け た こ と は 、 は た し て 男 女 が 恋 愛 な い し 婚 姻 関 係 に お い て 対 等 だ と い え る の か 。 上 記 の 3 人 の 嫉 妬 譚 に よ れ ば 、 い ず れ も 男 性 が 妻 以 外 の 女 性 に 目 を 向 け 、 結 ば れ よ う と 求 め た も の で あ る 。 そ う い っ た 男 女 関 係 に 対 し 、 女 性 は 自 ら の ラ イ バ ル の 存 在 に 不 安 と 怒 り を 感 じ 、 嫉 妬 行 為 を 起 こ し た の だ と 考 え ら れ る 。 し た が っ て 、 古 代 の 男 女 の 恋 愛 な い し 夫 婦 関 係 は 対 等 的 で は な く 、 男 性 が 一 方 的 に 優 位 的 な も の で は な い か と 推 定 し た い 。 こ の 点 か ら 、 律 令 の 「 七 出 」 条 の な か に な ぜ 「 嫉 妬 」 が あ げ ら れ た の か 、 推 測 す る こ と が で き る の で は な い か 。 要 す る に 日 本 古 代 の 婚 姻 関 係 は 関 口 裕 子 氏 ら の 提 示 し た よ う な 男 女 が 対 等 な 対 偶 婚 で は な く 、 一 夫 多 妻 制 が 一 般 的 に 行 な わ れ て い た 婚 姻 形 態 だ と 考 え る 。 た と え 妻 問 い 婚 を 行 な っ て も 、 そ れ は 男 側 が 主 動 的 で 自 由 に 1 人 以 上 の 女 性 と 結 ば れ る 一 方 、 女 性 は 受 身 的 に 特 定 の 男 性 を 相 手 と す る 場 合 が 一 般 的 で は な か ろ

3 1 折 口 信 夫 「 日 本 文 学 史 2」(『 折 口 信 夫 全 集 』 ノ ー ト 編 第 3 巻 、 中 央 公 論 社 、 1971 年 )。 3 2 成 清 氏 前 掲 注 (3)同 論 文 。 3 3 高 群 逸 枝 『 招 婿 婚 の 研 究 』( 理 論 社 、 1966 年 、 1953 年 初 版 )。 3 4 成 清 氏 前 掲 注 (3)同 論 文 。 3 5 折 口 氏 、 高 群 氏 の ほ か 、 関 口 裕 子 は 高 群 氏 と 同 じ 視 点 で あ る (『 日 本 古 代 婚 姻 史 の 研 究 』 上 巻 、 塙 書 房 、 1993 年 )。

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