沼田(毎月1圃25日発行)ISSN凹19-4843
10
1
9
9
6
NO.
43
部落解放同盟綱領改正案をめぐって⑪ 部落解放理論の行方 柚岡正禎 シンポジュウム 「近世政治起源説をめぐって」 師岡佑行 こべる刊行会京
都
の
部
落
史
京都部落史研究所
編
全 一
O
巻完結
A
5
判・上製函入・各六
OO
頁
定価各巻九一六七円︵税込︶
− 編 集 委 員 / 井 上 清 ・ 上 田 正 昭 ・ 奈 良 本 辰 也 原 田 伴 彦 ・ 渡 部 徹 ・ 編 集 責 任 / 秋 定 嘉 和 ・ 森 谷 魁 久 ・ 師 岡 佑 行 − け か 村 ん / 梅 原 猛 ・ 林 屋 辰 三 郎 ・ 日 高 六 郎 ・ 水 上 勉 ・ 村 井 康 彦最新の調査と研究のうえに新しい部落史像を構築
−長い間、政治の中心であった京都の地での、原始社会における人間の 営み、そして古代・中世社会における賎民像や近世賎民制の成立と解体、 近代社会における部落問題を歴史的に解明する初めての試み・史料編は、 漢文はすべて読み下しを行い、内容の理解をたすける綱文を全史料に付 して、一般読者にもわかる史料集をめざした.八年間にわたって京都府 ト5
下全域を調査、しゅう集した新史料を収録.年表の項目はすべて原史料 ど , 也 に当たり、その山山典を明示、今後の研究の基礎となることを期した。 司 町 井 T 十 Lm 京都市上京区衣棚通上御霊前下ル土木ノ下町七三九 πド ル W L Z , 阻 O 七五︵四一回︶八九五一・附︵四一回︶八九王二 F 町 、 C 件 5 6 賎 原 笹 民 始 竺 制 社 ー の 会 巻 成で−"−'− 立2
則 解 活宮古近
で 代 日.五
:
代
F 川 ( 道局概 視 民 主 同 点像~ で 解 近第二巻近現代︵概説︶
明治期より全国的中心であった、京都の 解 放 運 動 の 歴 史 を は じ め て 解 明 す る 。第
三
巻
史
料
古
代
中
世
S 天 正 九 年 ︵ 一 五 八 一 ︶第
四
巻
史
料
近
世
1
天 正 一 O 年 ︵ 一 五 八 二 ︶ 土 享 和 三 年 ︵ 一 八 O 三 ︶第
五
巻
史
料
近
世
2
文 化 元 年 ︵ 一 八 O 四 ︶ 1 慶 応 三 年 ︵ 一 八 六 七 ︶第
六
巻
史
料
近
代
1
明 治 元 年 ︵ 一 八 六 八 ︶ S 明 治 四 O 年 ︵ 一 九 O 七 ︶第
七
巻
史
料
近
代
2
明 治 四 一 年 ︵ 一 九 O 八 ︶ i 六 正 一 O 年 ︵ 一 九 二 二第
八
巻
史
料
近
代
3
大 正 一 一 年 ︵ 一 九 二 二 ︶ 1 昭 和 二 O 年 ︵ 一 九 四 五 ︶第九巻史料補編
編 年 史 料 柏 市 に も れ た 重 要 史 料 に よ り 編 成 。第
十
巻
年
表
・
索
引
古 代 よ り 現 代 ま で の 本 格 的 年 表 。 史 料 編 の 利 用 に 役 立 つ 索 引 。部落解放同盟綱領 改 正 案 を め ぐ っ て ⑪
部落解放理論の行方
柚岡正禎︵宇治市在住︶ 問題の所在 ||綱領改正で消えるもの 部落解放同盟の現綱領︵八四年︶には次のような文章 が あ る 。 ﹁独占資本とそれに奉仕する反動的政治体制、すなわ ち帝国主義・軍国主義こそ、部落を差別し圧迫する元凶 と し な け れ ば な ら な い 。 ﹂ ﹁ 部 落 の 完 全 な 解 放 は : ・ ︵ 中 略 ︶ ・ : 労 働 者 階 級 を 中 心 と す る 農 漁 民 ・ 勤 労 市 民 : ・ ︵ 中 略 ︶ ・ : な ど 、 広 範 な 国 民 大衆の人権闘争の勝利によって、日本の真の民主化が達 成 さ れ た と き は じ め て 実 現 す る 。 ﹂ マルクス主義の強い影響を受けた古色蒼然としたか綱 領 μ の文章を読み直すとき、あらためて私たちは冷戦が 終わり、社会主義体制が崩壊したこの十数年の歴史の変 化を思う。今回、予定されている綱領改正は解放同盟が 冷戦時代の古いイデオロギー対立を脱し、﹁人権・平一 和・環境﹂の﹁人類的価値﹂︵以下、改正第二次案より︶一 をめざす運動へと方針転換しようとしたものである。こ一 の 改 正 に 私 は 賛 成 で あ る 。 一 師岡佑行の﹁戦後部落解放論争史﹄︵全五巻、入 0 1 八 一 五 年 、 柘 植 書 房 ︶ に あ る よ う に 、 部 落 解 放 運 動 ー の 歴 史 は 、 − 解放令によっても戦後改革によっても消滅しなかった日一 本独自の部落問題が、普遍理論としてのマルクス主義に一 より解釈され、運動的にもそこにからめ取られてしまう一 ことへの抵抗の歴史だった。だれもがか唯物史観の公一 式がに囚われながら、その枠内で階級論的な普遍性に立一 つ視点と身分的差別の特殊性に着目する視点とに別れ、一 対抗し、交錯し合ってきた。部落解放運動は社会主義が一 没落した今になって、ようやく部落差別の本質を階級関− 係に還元してしまう経済決定論を卒業し、近代市民社会一 の 良 識 に 立 ち 返 ろ う と し て い る か に 見 え る 。 − こぺる 1だが改正案に見られるような人権戦略への転換は、部 落問題を再び﹁人権確立社会の実現﹂というような普遍 的 テ l マに解消してしまうことにならないだろうか。こ れまで獲得してきた部落差別認識を深めることに役立た ないばかりか、この運動の特殊性、現在の困難から目を そらせるだけの結果にならないだろうか。大切なことは、 部落解放運動のどのような総括と時代認識からこの戦略 が導かれたか、また導くかであろ
h
o
今回の方針転換には、行政闘争を中心に生活実態の格 差是正に全力をあげてきた五0
年代以降の部落解放運動 への反省がある。戦後の解放運動の特徴は、﹁部落差別 とは劣悪な生活実態そのものであって、観念ではないと いうことを運動の基軸に据えたこと﹂︵師岡﹃現代部落解 放試論﹄八四年、柘植書房、四三頁︶にある。それはいわ ゆる朝団理論のような、マルクス主義と接合された独特 の差別理論に基づくものであった。現綱領にも﹁資本主 義の矛盾﹂から﹁部落差別の温存助長の政策﹂がもたら されるとある。だがこのような解放理論は、部落差別を とりまく現実の物質的諸条件に目を向けるという点で意 味があったが、部落差別の本質を人と人との直接的で意 識的な関係の問題としては捕えず、資本主義により維持 されるという劣悪な生活実態の問題に還元してしまうも のであった。生活実態の改善が自己目的化され、その改 議口をとおして部落民自身がどう成長したか、部落の内と 外の人間関係がどう変わったか、などの視点が見失われ てしまったのである。ここに物取り主義や利権あさりが はびこる本質的な要因があった。 部落解放運動には戦前からの輝かしい伝統があった。 それは水平社宣言にもあるように、部落民の都と称して い た わ なされる﹁人聞を動るかの知き運動﹂は拒否するとい う思想、人間としての全き解放のために、物質的な意味 においても精神的な意味においても融和主義を拒否し、 差別と徹底的に闘おうという思想であった。部落解放運 動がマルクス主義を受け入れたのはこのラデイカリズム においてである。部落差別をいつまでも残し、再生産す る日本近代、それは社会的な再生産構造としての資本主 義により成り立っている。部落の解放を根本から求める 運動が、部落差別を構造的に再生産するかのような資本 主義の物質的諸関係の変革に向かったのは当然であった。 融和主義を拒否する部落解放運動の思想は戦後、この方 向に働いてしまったのである。 物質的諸関係の変革という課題は、マルクス主義にお いては運動の目的︵革命︶でもあり、そこに至る手段 ︵改良︶でもあった。だがもし部落解放運動が、マルク ス主義の経済決定論を解放理論から切り放し、改正案に あるように、﹁解放が目的、事業は手段の原則﹂に立ち返るなら、この経済課題は部落差別をなくすための単な る手段、あるいは差別・被差別の新しい関係を作り直す ためのひとつの実験にすぎなくなる。 だ が そ れ な ら ば 、 ρ 経済 d に代わって﹁部落差別の本 質﹂︵朝田善之助︶を説明する普遍的なもの、部落差別 の現実をトータルに批判するラディカルな原理はあるの か。もしこれまで通り融和主義的な説明を拒否するとす るなら、部落差別を現在にまで温存助長してきたもの、 あるいは、実態的格差の急速な是正にもかかわらず差別 の解消を遅らせてきたものは何であったとすべきなの向。 これらの答えは改正案からは読み取れない。綱領改正 で消えるものの代わりに何が必要か、それはこれから私 たちが見つけなければならないのである。そのために本 稿では、部落差別をめぐる議論の歴史を少しさかのぼっ て考え直してみることにする。 構造論はどこに ーーー師岡・大賀論争 私たちは師岡の前掲﹃論争史﹂第五巻、最終章から始 めることができる。その最終章﹁部落解放理論の再構築 をめざして﹂で、師岡、大賀正行、沖浦和光による論争 が取り上げられている。論争の流れとしては、大賀の著 書﹃部落解放理論の根本問題﹄︵七七年、解放出版社︶に 対 す る 師 岡 の 書 評 ︵ 部 落 解 放 中 関 研 究 会 ﹃ 紅 風 ﹄ 一 四 号 、 七 八年︶と解放新聞紙上での批判︵七九年︶、それに対する 大賀の反論が基本なので、姉岡・大賀論争と‘してまとめ ③ る こ と が で き る 。 師岡の大賀批判は整理されておらず、多義的で分かり にくい。論点も多岐にわたっているが、思い切って中心 点をまとめてみると次のようになる。 部落差別とは出自をかつての械多・非人身分にも つ部落民への賎視観念を核としたものである。とこ ろが大賀によれば部落差別とは、封建的身分差別が 明治以後、階級的差別の一形態に転化したものとい うことになる。この階級還元論によっては、観念や 意識における部落差別からの解放という、闘いの中 心的意義が否定され、部落民自身の自主性・自立性 も軽視される︵主に一五 l 一 八 頁 ︶ 。 大 賀 は 身 分 と 階 級の﹁統一的把握﹂を言うが、これによっては身分 的側面は単に運動のきっかけ・出発点においでだけ 意義を認められ、次に、行政闘争において階級的側 面が追求されるということになる。運動の出発点を 忘れた法依存主義、行政依存主義もここかゐうまれ る ︵ 主 に 前 掲 ﹃ 紅 風 ﹄ 二 三 頁 ︶ 。 しかしここで私たちが注意すべきことは、師岡が、部 落差別の根本には階級的搾取があるという大賀の主張は こベる 3
誤りではないと、くりかえし述べている点である。師岡 も、﹁資本主義社会における差別が日本においては身分 差別を核とし、部落差別として現れた﹂︵二六 l 七 頁 ︶ と いう。部落差別を階級的搾取の現れとすることを明確に は否定できないまま階級還元的な説明に不満を表してい た。だがもし近代の﹁部落差別の本質﹂を大賀のようにー ﹁基底還元﹂して説明すべきでないとするなら、その近 代的形態を何とよぶべきか、この課題が残されているは ずである。しかし階級還元に反発した師岡は、それをた だ、封建的践視観念に基づくものとしか規定できなかっ た叶﹁部落差別の本質といえば、部落差別との直接的な かかわりにおいて示されねばならず、[大賀のように階 級 的 搾 取 に 求 め る よ り は ] む し ろ : : : ﹃ 部 落 に た い す る 封建的賎視観念﹄をあげるほうが論理的には正しい﹂ ︵ 二 三 頁 ︶ と し た の で あ る 。 だが次項でくわしく述べるが、前近代から引き継がれ た身分差別という核︵賎視観念︺と、その身分差別を核 にして結晶する近代的な差別意識︵﹁同和はこわい﹂と いう意識︶とは全く異なるものである。師岡はこれらを 概念的に区別しないまま、階級還元論に抵抗するあまり、 部落差別 H 身分差別としてしまった。それは階級か身分 か を め ぐ っ て 争 わ れ た 最 後 の 論 争 で あ っ た 。 これに対する大賀の反論はおよそ次のようにまとめる こ と が で き る 。 私の主張はあくまで身分と階級の﹁弁証法的統 こであって階級への解消論ではない。たしかに ﹁部落差別の本質﹂を階級に求めたが、部落差別を 他の諸々の差別から区別し特質づけているものを忘 れてはいない。その特質とは部落差別の歴史性、つ まりそれが封建社会の身分から持ち越されたものだ という点だ。そしてそれを今日では階級的・資本主 義的差別としなければならないのである。私の立論 を階級還元による﹁ひからびた抽象﹂だと批判する 師岡こそ、部落差別の本質を歴史的に規定せず、あ たかも階級発生後の全歴史に妥当するかのような、 ﹁身分差別﹂という﹁抽象﹂を成立させているでは な い か 。 ︵ 四 O l 八 頁 ︶ 大賀にはマルクス主義の資本主義論という強固な社会 構造論があった。この構造論により﹁部落差別の本質﹂ や﹁部落民﹂を近代に固有なものとして歴史的に規定で きた。大賀は前掲自著で、明治の解放令後、多くの流入 者 が 同 化 し た ﹁ 部 落 民 ﹂ を 、 封 建 社 会 の ﹁ 識 多 ﹂ ﹁ 非 人 ﹂ か ら 概 念 的 に 区 別 し 、 ‘ す で に 資 本 主 義 に よ り 変 質 し た も の と し て い る ︵ 三 四 一 l 二 頁 ︶ 。 ま た 行 政 の あ り 方 に か 部 落差別 U を見いだすことにより、生活実態の改善という 物質的な方向においてではあるが﹁身分と階級の統こ、
すなわち﹁特殊﹂と﹁普遍﹂の統一を追及できたのであ る 。 これに対する師岡の批判は、部落問題とはまず何より も観念や意識の問題ではないかという真当ですぐれた問 題意識から出発しながら、またこの問題意識の正しさは 今回の綱領改正案で半ば追認されたとはいえ、ほとんど 無力だった。それは師聞がまだ、大賀の構造論をきっぱ りと否定じ、次項で見るような近代市民社会の社会意識 の構造論を対置できなかったからである。この近代の岡 市民関係が織りなす意識構造により、前近代からの賎視 観念は、賎視観念を核とする近代的部落差別意識に転化 し、現在では﹁同和はこわい意識﹂として生き延びてい る。この構造論を基礎にできなかったために師岡は、大 賀に対してただ、﹁部落差別とは古い身分差別や賎視観 念を核とするもの﹂と述べるにとどまったのである。 藤田敬一は七九年、師岡・大賀論争を論評して次のよ う に 述 べ た 。 ﹁ここで指摘しておきたいことは大賀さんも師岡さん も階級関係の存在と差別とのつながりを十分に説明して いるとはいえないということだ。﹂﹁社会全体のあり方 ||構造
l
ー ー と の 関 連 の 中 で 差 別 、 身 分 差 別 を 位 置 づ け る こ と が い ま も と め ら れ て い る の で あ る 。 ﹂ ︵ 筆 名 清 水 一 彦 ﹁ 解 放 新 聞 紙 上 の 師 岡 ・ 大 賀 論 文 を 読 む ﹂ そ の 三 。 前 掲 ﹃ 紅 風 ﹂ 二 七 号 ︶ 師聞が発見できなかった社会意識の構造論を私たちは、 八0
年 代 、 藤 田 の ﹃ 同 和 は こ わ い 考 ﹄ ︵ 八 七 年 、 阿 件 社 ︶ の 中 に 見 い だ す こ と に な る 。 グ両側から超える μ 壁とは ||賎視観念と近代的部落差別意識 ︵ 1 ︶ 構造論は﹃同和はこわい考﹂で十分、理論化されたわ けではない。だが差別・被差別の両側がそれぞれに超え るべき壁として、手探りでその存在が確認された。 ﹃同和はこわい考﹄の副題に﹁地対協を批判する﹂と あるように、﹁こわい考﹄は地対協が指示する現在の ﹁同和問題﹂にどう応えるかという課題意識で成った。 地対協の部会報告︵八六年︶は﹁民間運動団体の確認・ 糾弾という激しい行動形態が国民に同和問題はこわい問 題 、 面 倒 な 問 題 で あ る と の 意 識 を 植 え 付 け 、 : : : ﹂ と 、 部落責任論を展開した o − こ れ に 対 し て 藤 田 は 、 直 ち に 反 発や批判をするのではなく、人々のあいだで﹁同和問題 はこわい﹂という意識が広範に存在するという事実をま ず認め、﹁こわい意識﹂が再生産される構造を、差別・ 被差別、両側の相関関係により解こうとした。 こぺる 5藤田はまず自分が糾弾されたとき感じた恐怖感、部落 民だと名乗られてすぐひざを屈
L
てしまった自分の中の ﹁ こ わ い 意 識 ﹂ を 見 す え 、 次 の 間 い を 発 し た 。 ﹁ ﹃ そ れ は 差別だ﹄と指摘されると、どうして人はあんなに動揺す る の だ ろ う か 。 ﹂ ︵ ﹃ 同 和 は こ わ い 考 を 読 む ﹄ 所 収 論 文 、 八 八 年 、 阿 件 社 ︶ 近代社会は、諸個人の差異と実質的な不平等にもかか わらず、人間はみな平等で同じ人権の主体であるという 虚構、タテマエにより成り立っている。そこで私たちは、 差別はいけない、人間はみな平等であるという価値規範 ︵ 抽 象 ︶ を 内 面 化 し つ つ 生 き て い る 。 ﹁ こ わ い 意 識 ﹂ は 、 その価値規範に対する侵犯者だとみなされることへの近 代人の恐怖からくる。まさに﹁自己責任の無限性へのお ののき﹂である。だからこそそれは、﹁自らの日常的な 生活感覚や価値観、人間観、秩序観、世界観の崩壊への 不 安 で も あ る に ち が い な い ﹂ ︵ 藤 田 、 前 掲 論 文 ︶ と 表 現 さ れたのである。つまり﹁同和はこわい意識﹂は、前近代 から引きつがれた賎視観念を核とするものでありながら、 すでに差別はいけないという近代人の社会意識・人権意 識を前提にし、それに媒介されている。糾弾が糾弾者に 対する﹁こわい意識﹂を呼びさまし、﹁論理性と道義性 によらずして﹂私たちを屈服させてしまうのはそのため である。﹁こわい意識﹂とは臆病な私たちが克服すべき 自 己 保 身 の 意 識 で あ る 。 それに対し、糾弾する側、社会の差別に対して応える 側はどうか。直接的でまだ救いがあるのではないか。そ うはならない。寸ある言動が差別にあたるかどうかは、 その痛みを知っている被差別者にしかわからない﹂とい う テ 1 ゼや、﹁部落や部落民にとって不利益な問題は一 切差別である﹂というようなテ l ゼが、行政やジャーナ リズムや随伴活動家たちを中心とするグ差別側 d に 支 持 されてまかり通ってきた。グ糾弾する側。が J C れ る 側 M を簡単に黙らせ、かされる側がは ρ する側 d に決して本 心を明かさない︵そして実質的には遠ざけ排除する︶と いうこの関係の歪みは、被差別側の存在の仕方︵実態︶ そのものに深い刻印を押し続けてきた。こうして部落第 一 主 義 や 部 落 排 外 主 義 が 養 わ れ た の で あ る 。 ﹁問題は指弾、糾弾を﹃する側﹄にだけ、あるいは ﹃される側﹂にだけあるのではなかろう。おそらく、そ れは﹃両側の関係﹄のあり方にかかわっているにちがい な い 。 ﹂ ︵ ﹃ こ わ い 考 ﹄ 五 O 頁 ︶ 0 ﹁ 同 和 は こ わ い 考 ﹄ は 、 八0
年代に顕在化した部落解放運動の危機を、﹁両側の関 係﹂として解明することにより、事実上、近代社会一般 に妥当する近代的部落差別意識の再生産構造を明らかに した。まさに私たちの前に、近代の﹁差別・被差別関係 総 体 の 止 揚 と い う 課 題 ﹂ ︵ 藤 田 、 前 掲 論 文 ︶ が あ る こ と を示 し た の で あ る 。 ︵ 2 ︶ ﹁部落民に対する社会意識としての差別観念は、日常 生活の中で空気をすうように人々の意識の中に入りこん でいる﹂という朝田善之助の主張は、それ以前の、差別 意識が支配階級の政策によってもたらされるとする、政 治主義的に階級還元的な考え方を一歩、超えるものであ った。人々の社会的な意識を問題にし、それまで政治的 にのみ論じられてきた部落問題を社会の問題に引き降ろ した。そのため六
0
年代末から七0
年代にかけて大きな 影 響 力 を も っ 向 。 だが部落外の者があらかじめもっているとされる差別 意識とは、すでに見たように、近代の差別・被差別の関 係に媒介され、増幅された﹁こわい意識﹂である。差別 意識が部落外のすべての個人にあらかじめ内在するとい うような前提こそ聞い直されねばならない。たとえば師 岡佑行は、﹃こわい考﹂が部落責任論の立場に立ってい るとの批判から﹃こわい考﹄を擁護しようとして、次の よ う に 述 べ て い る 。 ﹁藤田氏は糾弾があるから差別意識が発生するという 皮相で短絡的な判断をとらない。﹁部落﹄を名乗られた 瞬間に自分のなかに、すでに﹁こわさ﹂ H 差別意識が生 ノ じていたことを明らかにし、その底にあるものをつきつ めたのである。そしてこのことによって、個別の体験を こえて、﹁同和はこわい﹂意識が、糾弾などで外側から もたらされるものでなく、自分のなかに深くひそんでい る も の で あ る こ と を ハ ツ キ リ さ せ た 。 ﹂ ︵ ﹁ 同 和 は こ わ い 考 を読む﹄所収論文、一九一頁 v。
師岡はここで?﹁こわい意識﹂を差別意識であると認 識することこそが﹃こわい考﹂の核心だと述べている。 いわば差別側の責任を強調することにより、部落責任論 から一線を画そうとしている。だが﹃こわい考﹂の核心 はそのように、﹁こわい意識﹂を自分の中にひそんでい る差別意識だと認識することにあるのではない。逆であ る。これまで差別意識といわれできたものが、じつは差 別・被差別関係の総体において﹁こわい意識﹂として再 生産されている現実を知ることにある。差別意識なるも のが﹁自分のなかに深くひそんでいる﹂かのように思え てしまうことそれ自体が、﹁こわい意識﹂の近代的再生 産構造により与えられていることを私たちは知るべきな の で あ る 。 師岡は﹁こわい意識﹂の分析から、すでにグ差別の禁止
U に媒介されでいる、差別意識の近代的形態を導かず、 逆にそれを部落外の人々の中に以前からひそんでいる か 差 別 意 識 μ なるものに還元した。だがこのことは前項 こべる 7で見たように師岡が、﹁部落差別の本質﹂をただ賎視観 念に基づくものとだけ述べ、その近代的形態を規定しな かったことにつながっている。?﹂わい意識﹂が分析さ れ、その近代的形態をはぎ取られると、賎視観念にまで 還 元 さ れ て し ま う の で あ る 。 だがまた、師岡がここで﹁こわい意識﹂を﹁自分のな かに﹂探ってしまったのは、﹁こわい考﹄に記された藤 田自身の﹁個別の体験﹂に内在
L
たからでもある。藤田 自身も﹃こわい考﹄で、自分が生まれ育った家や土地柄 について触れ、自分の中にいつしか差別的偏見が根づい ていったこと、﹁わたしの意識の核心には﹃けがれ﹄と ﹃こわさ﹄があった﹂と述べている。そして自分のなか の﹁けがれ意識﹂と﹁こわい意識﹂が互いにどんな関係 にあるのか展開していない。しかも部落差別の定義とし・ てはただ、﹁前近代からうけつがれてきた、身分制と不 可 分 の 賎 視 観 念 に も と づ い て : : : [ 特 定 の 人 々 を ] : 己 山 避 も し く は 排 除 す る こ と ﹂ ︵ 四 人 頁 ︶ と し て い る 。 こ れ は師岡の﹁部落差別の本質﹂の定義とほぼ同じものであ る。﹃こわい考﹂における構造論の未完は、近代的形態 において﹁部落差別﹂を定義することを妨げ、普遍的な ﹁泊代的部落差別意識﹂の概念を成立させることを妨げ た 。 そL
てさらに、前近代からの賎視観念あるいは﹁け がれ意識﹂と、それらを核として成立する近代的部落差 別意識との歴史的な発展関係の考察を妨げた。 この﹁けがれ意識﹂と﹁こわい意識﹂の関係について 述べるなら、両者はまったく異なったものである。前者 は差別すべしという社会規範の残浮であり、後者は逆に、 差別をしてはいけないという近代的規範を前提にしてい る。﹁こわい意識﹂としての近代的部落差別意識の方は 今も社会的伝播力をもち、ますます部落差別意識の実質 をしめるようになるが、他方、その核をなす﹁けがれ意 識﹂の方は、﹁けがれ意識﹂を継承する古い世代の個人 の意識の内部に抑圧され、ますます見えにくくなってい ⑥ る。部落差別の解消は、遅れた人々の中にひそんでいる ﹁けがれ意識﹂を啓蒙や啓発によりいかにしで取り除く かではなく、差別・被差別の両側の協力により﹁こわい 意識﹂をいかにして解体するかにかかってくる。歴史研 究が現代批判を通じて成り立つように、まず﹁こわい意 識﹂を解体することが、隠された﹁けがれ意識﹂を取り 出 し 、 対 象 化 す る こ と の 前 提 に な る 。 差別のグ実態 μ とはなにか ||差別・被差別の新しい循環モデル 前項で私たちは、﹁同和はこわい考﹄が、八0
年代に 顕 在 化 し た 部 落 解 放 運 動 の 危 機 を 、 ﹁ 同 和 は こ わ い 意 識 ﹂ の再生産、すなわち差別、被差別の両側の関係として解 四明していることを見た。また私たちは、?﹂わい意識﹂ が再生産される社会の意識構造を考察することにより、 、それが多かれ少なかれ近代の部落差別意識一般に通じる ものであることを知った。つまりか差別側 μ の ﹁ こ わ い 意識﹂に関しては、近代に普遍的な部落差別意識として 一 般 化 で き た の で あ る 。 そ れ で は ﹁ こ わ い 意 識 ﹂ の 対 象 で あ り 、 ﹁ こ わ い 意 識 ﹂ の再生産を担ってもいる他方の極、すなわちグ被差別 側。の存在についてはどうか。﹃こわい考﹂ではそれは ま だ 八
0
年代に目立ちはじめた運動団体の様々な問題点 や解放運動におけるまちがった論理において捕えられて いた。つまりか被差別側 μ の存在はそこにおいてはまだ 八0
年代に顕在化したままの姿において把握されていた。 そしてそのような運動を下から支え、許してきた被差別 部落大衆自身の生活文化の低位性や弱さのグ実態 d と し てまでは普遍化されていなかった。そのようなグ実態 μ は知られてはいたが、その理論的意味が分からなかった ために概念としで成立しなかったのである。 これを可能にしたものが住田一郎の新しい ρ 実態 H 概 念、あるいは﹁実態的差別﹂の概念である。住田はまず 同対審答申以来の、部落の生活実態上の格差という意味 での﹁実態的差別﹂の概念を拡大し、そこに、部落大衆 が長年にわたる歴史的・社会的差別により刻印されてき た文化的・人格的・内面的な弱さという 1 部落差別の別 の グ 実 態 U を追加した。そしてこれこそ今日的な﹁実態 的差別﹂として、解放運動がもはや正面にすえて取り組 ⑦ むべき課題であるとした。部落大衆の﹁内面的弱さ﹂に 目を向けるべきだとの住田の主張は、単独では一種の部 落責任論のように受け取られたであろうが、人0
年 代 の 藤田の﹁こわい意識﹂の再生産論を基礎にしたとき、逆 にそれをより普遍的な差別・被差別の循環モデルに変換 す る こ と が で き た 。 このモデルは同対審答申における﹁実態的差別﹂と ﹁心理的差別﹂の悪循環モデルを改作してできたもので ある。一九六五年の同対審答申においては差別・被差別 関係を再生産する因果関係は明瞭であった。そこでは ﹁ 人 々 の 観 念 や 意 識 の う ち に 潜 在 す る ﹂ ﹁ 心 理 的 差 別 ﹂ の ほかに、﹁同和地区住民の生活実態に具現されている差 別﹂として﹁実態的差別﹂が挙げられ、両者は﹁相互に 因果関係を保ち相互に作用しあって﹂、﹁差別を再生産す る悪循環をくりかえす﹂とされた。この循環モデルにの っとり、まず実態的差別をなくそうというのが答申の主 旨であった。この理論が聞い直され始めたのは、八0
年 代に部落内外の実態的格差がほぼ解消されてからである。 先にも述べたように、実態的格差が未だ歴然とじて存在 していた五0
年 代 ず ・ 六0
年代においては、高度経済成長 こペる 9の余裕を背景に、政府や地方行政の融和政策と部落解放 運動の経済主義的な﹁マルクス主義﹂とが奇妙に一致し た。融和主義を拒否したはずの部落解放運動のラデイカ リズムはマルクス主義の反映論・経済決定論と接合され、 ただ政府・行政を徹底的に突き上げるだけの融和主義に な っ て し ま っ た の で あ る 。 だが部落の劣悪な生活実態は社会におけるか差別の結 果 μ であり、同時にか差別の原因 d にもなるというよう な因果論はそれ自体としては根拠に乏しく、また融和主 義そのものである。まず地域や個人により異なるはずの 部落民の平均的低位性をもって、社会における部落差別 の現れであるとか、歴史的なか差別の結果 d であると主 張することは、時代を下るにつれてますます無理になっ てくる。そして﹁心理的差別﹂を残したまま﹁実態的差 別﹂の解消が進むことにより、その循環論そのものが成 り立たなくなる。また他方の、劣悪な生活実態がか差別 の 原 因 U になるというのも一種の錯覚である。実は背後 で働いている近代の岡市民関係が編み出すか排除の論 ’u ’ h ︾ ’ ト ︾ 理 d により差別の口実にされる、あるいは差別のJ 徴 μ にされてしまうということにすぎない。差別・被差別の 両側の関係を根本から変えようとせず、部落の環境や生 活を改善して部落の痕跡を消して行くことが ρ 差別の原 因 μ の除去になるように思われたのは、﹁存在が意識を 規定する﹂つまり部落の物質的な生活実態が差別意識を 生むというようなマルクス主義的反映論に支えられてい た か ら に 外 な ら な い 。 では部落の物質的な生活実態が社会の差別意識||近 代以後は多かれ少なかれすでに﹁こわい意識﹂
l
l
に 全 対応していないとすれば、対応しているものは何なのか。 それこそ住田が﹁今日的な実態的差別﹂だとした部落大 衆のもつ生活文化の﹁低位性﹂・﹁内面的な弱さ﹂であ る。住田は前掲論文では、この意味での﹁実態的差別﹂ の克服の課題は﹁部落大衆が二疋の生活水準に到達した 現時点ではじめて言えること﹂︵前掲書、一六六頁︶とし ているが、この課題はむろん近代の部落差別のはじめか らあった。部落差別は初めから被差別部落住民の生活・ 文化・教育に悪影響を及ぼし、﹁こわい意識﹂の再生産 J 過程において被差別側の﹁人間性をもゆがめ﹂︵﹃こわい 考﹄九四頁︶、内面にいたる傷を負わせてきた。この意識 レベルを最前線にしてか両側 H はたがいに緊張し、相互 さ か り ま 作用を及ぼしてきたはずである。時代を趣 i れば遡るほ ど、物質的な生活実態のもつ比重が大きなものとして現 れたのは、以前の時代においては物質的貧困と文化的低 位性が表裏一体になっており、物質的貧困の解決に後者 の解決が委ねられてしまったからである。そのよ、つに委 ねられることによって、物質的貧困の解決それ自体が次の時代の新たな文化的低位性を形成して行ったのである。 今日の部落大衆の文化的低位性・﹁内面的弱さ﹂を歴 史的社会的なか差別の結果 U と し て 捕 え る と い う こ と は 、 部落差別をまず観念や意識におけるものと捕え、部落大 衆自身がその低位性を自らの課題として引き受けようと することに外ならない。住田が述べているように、自ら の自立を主体的な課題とする立場に立ってこそ、意識レ ぜ い U ゃ く ベルでの部落大衆の﹁脆弱さ﹂を﹁部落差別の実態と して正面にすえる﹂ことが必要になるし、また可能とな る。可能となると言う意味は、﹁部落差別の実態﹂﹁実態 的差別﹂という規定そのものが自己責任を果そうとする 立場から選ぴとられるということである。 だが文化的・内面的な低位性の場合には自己責任の立 場からそのような規定が可能だとしても、﹁実態的差別﹂ の元の意味、つまり経済的な低位性についてはどうか。 さきほど述べたように、経済的な低位性をそれ自体とし てグ差別の結果グだとすることには無理がある。またそ う見なすことにより政府に行政施策・肩一代わりを示唆し た同対審答申の解放理論はまちがっている。だがもし部 落 解 放 運 動 が 、
I
l
実 際 に は そ う は な ら な か っ た が ー ー ー 部落大衆の歴史的に形成された﹁内面的な弱さ﹂を自己 解放の立場から﹁部落差別の実態として正面にすえ﹂、 同時にそこから、必要な生活実態の改善を行政や政府に 求めたとすればどうであったか。その場合には、貧困な 生活実態がそれ自体としてか差別の結果 u やか差別の原 因 d 、とされるからではなく、その改善が貧困な生活実態 と共にあった部落大衆の文化的低位性を克服し、その生 活実態と共に傷付いていた内面的弱さを癒す可能性をも っているからである。その可能性に賭けて、物質的な生 活実態の低位性もこれまで通り﹁実態的差別﹂と規定さ れ る と い う こ と に な る 。 部落解放運動が国家の行政施策を要求するということ の意味は、ーーもし私たちがもはやマルクス主義の階級 国家論を採らないとするなら||国家に自らの意志を押 じ付けることでも、国家からできるだけ多くのものを分 捕ることでもない。差別・被差別の両側が社会レベルで の新たな合意を形成できるように、国家に仲介の役割を @ 果すことを求めることである。つまり国家の行政施策は それ自体が目的ではなく、それにより文化的・内面的な か 差 別 の 実 態 d がどう改善され、また両側の関係がどう 変わるか、そのような実験をか両側 u から行政に託され たものと理解しなければならない。部落解放運動がこの 実験の結果に対し、その国民的検証に至るまでの責任を 負 い 、 グ 公 共 性 d をめぐる議論にかかわり続けねばなら な い こ と は 一 言 、 つ ま で も な い 。 住田がか実態的差別 d の概念を拡犬したことには大き こベる 11な意義があった。第一にそれは、﹁同和はこわい意識﹂ の再生産の過程であらわになった部落大衆の文化的・人 格的な弱さを、新しい﹁実態的差別﹂として概念化した。 第二に、その部落大衆の自己解放の立場から、国家に生 活実態の改善のための行政施策を要求することの論拠と、 行政施策の成果を総括する視点を提供した。だがさらに 第三に、ここで追加すべきことは、それが部落大衆の ﹁実態的差別﹂の歴史を総括する視点を提供しているこ とである。これは第二の、生活実態の改善を求める運動 を総括する視点を、一部落の歴史に向けただけのものであ るが、少し敷桁しておく必要がある。 住田のグ実態的差別 d の 拡 大 は 、 古 い ﹁ 実 態 的 差 別 ﹂ がほぼ消滅し、新しい﹁実態的差別﹂が﹁正面に﹂現れ てはじめて可能になった。このことの意味は、古い実態 的格差の解消がほぼ終わり、部落解放運動がほぼ収束の 段階にさしかかってようやく、新しい﹁実態的差別﹂の 解消こそ部落問題の中心であることが見えてきたという ことである。新しいグ実態的差別 d をどうすべきかの視 点が ρ 実態的差別 u の歴史を総括する視点になった。差 ’別の実態概念の拡大とは事実上、その概念の転倒であっ た 。 部落解放同盟は今回の綱領改正で、部落差別の本質を一 物質的・経済的な部落の実態から解き起こすマルクス主一 義的な考え方をついに放棄する。しかしそれに代えて、一 何が﹁部落差別を生み町し支える﹂のか、何が部落差別一 の解消を遅らせてきたのかに答えていない。だがもし私一 たちが部落大衆の現在の文化的・内面的弱さを形作った一 部落の歴史は何であったかと過去をふり返るなら、その一 歴史はやはり、物質的・経済的・社会的に低位な実態か一 ら始まり、それらが解消されるにつれて先送りされてき一 た﹁今日の実態的差別﹂の問題が次第に正面に現れてく− る、というものにならざるをえないであろう。つまり部一 落の歴史はか実態的差別 d の歴史として、やはり物質一 的・経済的なか実態 d の側から説き起こし、連続する低一 位性としで説明されるほかはない。ここに私たちは、マ一 ルクス主義の︿土台﹀と︿上部構造﹀のよ v つな構造的因一 果性ではなく、歴史的時間の中で描写され、具体的に物一 語られるほかない唯物論のようなものが復活しているこ一 と に 気 付 く の で あ る 。 ‘ 一 綱領改正で消えるものの代わりを何に求めるべきか。一 部落差別の解消を遅らせてきたものは何だったか。それ一 五 展
望
を近代の岡市民関係に求めることはまちがいではない。 だが部落差別だけではなく他の諸、々の差別をも次々と生 み出しては回収する近代の普遍的な人権体制に基底還元 して説くだけでは不十分である。それはまだ近代的差別 の抽象的本質に過ぎず、﹁人権の確立を﹂というスロー ③ ガンと同じくらい抽象的である。大切なことは、くりか えすが、﹁同和はこわい意識﹂と部落大衆の脆弱なか実 態 u とを両極とするこの循環を見すえながら、この循環 において連続する存在としてある部落のグ実態 d を歴史 的に把握し、描くことにある。私たちは部落差別を持続 させる究極の︿主体﹀を特定することはできないが、差 別・被差別の緊張関係を通じて実態的差別の歴史を把握 することにより、部落問題の困難を必然的なものとして 理解することができる。 部落の生活実態はすでに大きな変貌をとげ、部落問題 ?はほぼ収束の段階に入りつつある。部落問題の核心が、 ﹁こわい意識﹂と部落のぷ夫抽出アを両極とする循環を断 ち切るために、部落大衆自身が部落の実態をどう改め、 部落外の人々の意識と自らとをどう解放するかにあるこ とがいよいよ明確になってきた。部落問題の解消はやは り、部落大衆が自らの内面的弱さを見つめ、自らの今日 的な実態を明らかにし、そこから解放を展望する以外に ない。そのために必要なものは何かとして、国家をみる 視点も獲得できるし、なお必要な行政施策も要求できる。 また部落外の人々に問題提起し続けることも必要である。 いや 部落解放運動の指導者たちが、もしこのか櫨し。にも 似た現在の運動段階を理解できないまま事態が進むなら 先行きは悲観的である。だがもしそうでないなら、部落 解放運動のこれからの最後の経験は、他の運動にとって も多くの貴重な教訓と理論の源泉になるはずである。 ︵ 九 六 年 七 月 七 日 、 成 稿 ︶
[ 注 ]
① 土 方 鉄 は 筆 者 と は 逆 の 現 綱 領 保 守 の 立 場 か ら で は あ る が 、 次 の よ う に 述 べ て い る 。 ﹁ 昨 日 ま で の 思 想 を 、 検 証 ぬ き で 、 古 靴 の よ う に 捨 て 去 っ て い い の だ ろ う か 。 ﹂ ﹁ こ う い っ た こ と [ マ ル ク ス 主 義 へ の 依 拠 ] が 誤 り な ら ば 、 徹 底 的 な 自 己 批 判 を 先 行 さ せ ね ば な る ま い 。 ﹂ ︵ 本 誌 、 昨 年 一 一 一 月 号 ︶ 土 方 の 嘆 き に は 共 感 で き る も の が あ る 。 ま た 小 森 龍 邦 は 、 改 正 案 が す で に ﹁ 階 級 ﹂ か ら ﹁ 人 権 ﹂ へ 、 別 の 普 遍 性 に 移 行 し て い る こ と に 気 づ か ず 、 こ れ ま で 通 り ﹁ 身 分 と 階 級 の 相 関 ﹂ と い う 視 点 か ら 改 正 案 を 見 て い る 。 そ の た め 改 正 案 か ら は ﹁ 階 級 ﹂ が 消 え ﹁ ﹃ 身 分 一 元 化 ﹄ の に お い を 漂 わ せ て い る ﹂ ︵ 本 誌 一 一 月 号 ︶ と 、 方 角 ち が い の 批 判 を し て い る 。 ② ・ た だ し 部 落 差 別 を 生 み 出 す 資 本 主 義 と い う 発 想 は 、 改 正 案 に も 痕 跡 を と ど め て い る 。 第 一 次 案 に は ﹁ 部 落 差 別 を 生 み 出 し 支 え る 社 会 的 諸 条 件 の 克 服 ﹂ と あ る 。 だ が そ の ﹁ 社 会 的 諸 条 件 ﹂ は 、 も は や ︿ 上 部 構 造 ﹀ を 規 定 す る ︿ 土 台 ﹀ と し て の こぺる 13経済的関係ではない。また第二次案ではこの﹁社会的諸条 件﹂が﹁政治的・経済的・社会的・文化的諸条件﹂に改めら れている。つまりすべてを包摂することによって無化されて い る 。 ③解放新聞紙上での沖浦を加えた三一者の立論、座談、再論は ﹃ 部 落 解 放 理 論 の 創 造 に む け て ﹂ ︵ 八 一 年 、 解 放 出 版 社 ︶ に ま と め ら れ て い る 。 以 下 、 断 り な き 限 り 引 用 は こ れ か ら 。 ④この総括、整理については藤田、前掲論文︵前掲書、一七
o
l
一 一 頁 ︶ 参 照 。 ⑤この点については拙稿﹁近代の部落差別と人権﹂︵﹁こぺ る ﹄ 八 八 年 二 一 月 号 ︶ で 問 題 提 起 を 試 み た 。 ⑤山城弘敬﹁部落差別はどのように存在しているのか﹂︵﹁こ ぺる﹂八八年七月号︶は次のように述べている。﹁部落差別 がもっと露骨に行われていた時代[においてはで面と向か っ て 賎 称 を い う よ 、 ゥ な 意 識 の 中 心 に 、 ﹃ こ わ い ﹄ と い う こ と があったようには息われない。ところが今日の、﹃差別が見 えにくくなった﹂といわれるような状況のなかでは、差別意 識に﹃こわい﹄ということが重要な、中心的な意味をもって き て い る よ う で も あ る 。 ﹂ ⑦住田﹁今日の実態的差別とは何か﹂﹁被差別部落民の内面﹂ の 二 論 、 共 に ﹃ 部 落 の 過 去 ・ 現 在 ・ そ し て ・ : ﹄ ︵ 九 一 年 、 阿 件 社 ︶ 所 収 。 ま た 各 種 報 告 や 藤 田 発 行 ﹁ ﹃ 同 和 は こ わ い 考 ﹄ 通 信 ﹂ 九 一 年 九 月 一 一 一 一 一 日 口 す な ど 参 照 。 筆 者 が 住 田 の 新 し い 実 態 概 念 を 評 価 す る に 至 っ た 経 過 は 同 誌 九 一 年 一 一 一 月 一 一 一 日 号 を 参 照 。 ③階級国家論を超えた﹁民主主義のための権力﹂をという筆 者の問題意識については、拙論町新左翼の危機と左翼の危 機 ﹂ ︵ ﹃ 情 況 ﹄ 九 四 年 二 月 号 ︶ の 参 照 乞 。 ⑨前掲拙論﹁近代の部落差別と人権﹂はこの段階にとどまっ て い た 。一一「 ン
近 ン
世 ポ
政 ジ
治 ユ
走
E
ウ源 ム
言
見
を
め
ぐ
て〉て
L一一 師岡佑行︵京都部落史研究所︶ ﹃ 京 都 の 部 落 史 ﹄ 全 一 O 巻が完結したのは昨年の暮れ である。仕事が一段落して、 つ よ く 感 じ さ せ ら れ た の は 、 なによりも学校での部落史のとりあげかたと大きく違つ ているということであった。わたしたちは、これまで部 落史をとらえてきた枠組みとしての近世政治起源説を棚 上げにして、この本の編さんをすすめてきた。もう二 O 年 に 近 い 。 しかし、学校で部落史を教えるとき、多くの先生がた は近世政治起源説にもとづき、徳川時代に民衆を分裂支 配するためにえた・非人の身分をつくり、最下層におい て差別したと説明している。 つまり一九五0
年代の考え かたがそのまま通用している。もちろん、横井清さんや 網野善彦さんら中世史家が明らかにした中世賎民の仕事 と生活を授業のなかで生かそうと苦心しておられる先生 がたは少なくない。けれどもまだまだ少数で、学校では 近世政治起源説がまかり通っており、研究と教育・学習 のあいだのギャップはとても大きい。 ただ、先生がたがそれでよいと思っているのでないこ とは、テ l マのひとつに近世政治起源説を取り上げた人 権博物館主催のシンポジユウム﹁現代史と部落問題﹂の 参加者が会場をあふれるほど盛会だったことに示されて いる。また、﹃京都の部落史﹄完結をきっかけにして私 のもとめられる話はたいていこの問題をめぐってである。 いわば、部落史を見直そうという気運が高まってきて いる。これは部落解放運動のなかで大賀さんが第三期論 をとなえるのと並行しているといえる。それだけではな く、一一一世紀をまえに、政治も、経済も、社会も、文化 も、あらゆる分野において行き詰まりをみせ、その見直 しが迫られていることと深くかかわっているのである。 こぺる 研究と教育のあいだのギャップ。これを埋めたい。私 たちは両者が手をむすぶことによって、はじめて、個別 15の研究に落込みがちな研究者の偏狭さと独善を克服する ことができると思う。また先生がたは研究の成果を授業 のなかで生かす手だてをつかむ道が開ける。先生がたが、 かんたんに研究の成果を授業のなかに生かすことができ ないのは、不勉強ということだけではなく、ひとつの史 実を紹介するにしても歴史の全体的な理解のなかにハツ キリと位置づけなければならないのであり、その悩みは 歴史を学ぶ根源にまでつながっているといえる。むしろ タコツボに安住しがちな研究者がまなばなければならな い と こ ろ だ 。 京都部落史研究所で、 一一月九日にシンポジユウム ﹁ ﹁ 部 落 の 近 世 政 治 起 源 説 ﹄ を め ぐ っ て ﹂ を 聞 く こ と に し たのは、部落史についての研究と教育の聞のミゾを埋め るために部落史認識の根ともいえる近世政治起源説を検 討するためである。パネラ i は住本健次さん︵福岡県立 北九州高等学校︶、畑中敏之さん︵立命館大学︶、吉田栄 治郎さん︵奈良県同和問題関係史料センター︶と師岡佑 行︵京都部落史研究所︶。コーディネータ l は前川修 ︵ 京 都 部 落 史 研 究 所 ︶ が つ と め る 。 ノ 住本さんは、仮説授業グループのメンバーとして﹁楽 しい同和教育﹂の必要を主張、部落差別や身分制につい でどのように教えるかを興味深く展開。高知県土佐町仮 説グループは同町での講演を﹁今、同和教育を考える﹄ にまとめて発刊、雑誌﹃たのしい授業﹄九五年一
O
月 号 に﹁たのしい同和教育を民衆悲惨史の克服を﹂を発表 されている。畑中さんは﹃﹁部落史﹂を問う﹄につづい て シ ョ ッ キ ン グ な 書 名 の ﹃ ﹁ 部 落 史 ﹂ の 終 わ り ﹂ を 刊 行 、 部落差別は近代の問題だと提言。吉田さんは奈良県での 実証的な研究を通じて、ケガレの問題などとともに部落 の起源を中世にまで遡らせることを主張。県教委段階で 唯一の部落史見直しの方針を明らかにしている奈良県教 委に大きな影響を与えてきた。師岡は﹃京都の部落史﹄ の編さんの仕事を通じて、部落差別の問題は原始・古代 にまで遡って考える必要があると主張している。 パ ネ ラ l の諸先生には出席することに快諾を頂き感謝 に堪えないが、いずれも近世政治起源説批判の立場に立 つとはいえ、それぞれがもっ考えかたは大きく違う。期 待をもってトご参加をお願いする。︽ シ ン ポ ジ ウ ム ﹀ の お 知 ら せ ︿ 公 開 対 談 ﹀ ﹁ 同 和 行 政 と 制 度 疲 労 | | 今 後 の 同 和 行 政 の あ り 方 を め ぐ っ て ﹂ * 対 談 者 藤 田 敬 一 鈴 木 正 穏 ︵ 京 都 市 会 議 員 ︶ * 一 O 月 二 日 ︵ 水 ︶ 午 後 六 時 半 * 京 都 会 館 別 館 ホ l ル ︵ mO 七 五 | 七 七 一 | 六 O 五こ *参加費八 00 円 鈴 木 マ サ ホ 自 治 体 政 策 研 究 会 主 催 ︿ 連 絡 先 ﹀ 鈴 木 マ サ ホ 事 務 所 京 都 市 左 京 区 田 中 門 前 町 九 O ︵ mO 七五七二二九九八九︶ 制 度 疲 労 を 起 こ し て い る 京 都 市 の 同 和 行 政 。 癒 す 方 法 を と も に 考 え た い と 思 い ま す 。 参 茄 者 の 自 由 な 意 見 も 述 べ て い た だ く 予 定 に し て い ま す 。 ぜ ひ ご 参 加 く だ さ い 。 自 国 司 υ R ﹁ 巳 悶 剛 h P 4 訓 凶 吾 一 回 マ部落問題全国交流会が終わりまし た。大賀正行さんの﹁部落解放運動 第三期論の今日的意味﹂と題した講 演は、運動体側からの率直な意見を はじめて聞いたとの感想をもらす人 がおられるなど好評でした。大賀さ んを招きたいと提案した私としては 大いに気をよくしています。 マ前号でお知らせした﹁﹃京都の部 落史﹄を読む会﹂のほか、本号の案 内にもありますように、この秋、京 都で催しが続きます。鈴木マサホ自 治体政策研究会主催の集まりは、行 政・運動・市民の関係についていっ しょに議論する場になるはず。部落 解放の課題を市民の視点からとらえ なおし、積極的に提言してゆく段階 に来ているというのが私の考えです。 京都部落史研究所主催のシンポジユ ウム﹁﹃部落の近世政治起源説﹂を めぐって﹂は、パネラ l のお名前か ら判断して刺激的な内容になりそう。 当日は私も岐阜から出かけて話を聞 かせてもらい、ことによれば質問も してみたいと思っています。皆さん もぜひご参加ください。 マ部落解放同盟中央本部は綱領改正 案をさらに一年間討議して来年の全 国大会で決定すると発表しました。 それで議論が深まるなら結構なこと です。本誌では今号の柚同論文をふ くめて、これまで一一一編の文章を掲 載しました。相手にされなくてもこ の企画はしつこく続けるつもりです。 気長におつきあいください。 ︵ 藤 田 敬 一 ︶ ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 一 O 月 二 六 日 ︵ 土 ︶ 午 後 二 時 よ り 九 月 号 ︵ 鈴 木 正 穂 さ ん ︶ 午 、 京 都 府 部 落 解 放 セ ン タ ー