「被害者の承諾」の違法阻却根拠 21
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(2) 説︵曾根︶. は し が き ︵1︶. 二︵三〇〇︶. 違法阻却事由としての承諾の歴史は遠く古代ローマヘ遡り︑また︑承諾が適法化の力をもつ根拠についても古来さ. の担い手の自発的な意思決定の結果である︑とするのがそれである︒この問題は︑わが刑法の下において︑被害者の ︵6︶ 承諾が刑法三五条に含まれるかという形で論議されている︒. ︵5︶. 不存在の原則に導かれるとし︑あるいは︑承諾に基く行為の不可罰性は︑他の違法阻却事由と異り︑保護された法益. ︵4︶. されることに起因している︒たとえば︑通常の遠法阻却事由は優越的利益の原則に導かれるが︑被害者の承諾は利益. 的に特別の地位が認められている︒それは︑被害者の承諾が他の違法阻却事由とは別個の適法化原理に基いていると. その余の違法阻却事由と何ら異るところはない︒しかるに︑一般に学説上︑被害者の承諾は違法阻却論の内部で体系. ︵3︶. の性格を持ち︑したがってこの観点からのみその根拠を十分理解できるはずのものである︒この点に関するかぎり︑. 違法阻却事由としての被害者の承諾は︑違法性・適法性の限界にかかわる問題であって実質的違法論の反面として. か︑その根拠が探求されねばならない︒本稿が﹁﹃被害者の承諾﹄の違法阻却根拠﹂と題する所以である︒. とされている︑承諾の犯罪論体系上の地位を考察するにあたっては︑まず︑被害者の承諾がなぜ違法性を阻却するの. ︵2︶. い︒したがって︑被害者の承諾が違法性を阻却する範囲︑承諾が成立するための要件︑および近年とくに学説上問題. の学説は︑被害者の承諾が違法阻却事由の一つであることを認めているが︑そのことは刑法の明定するところではな. 被害者の承諾とは︑﹁被害者が自己の法益の侵害につい〜承諾を与えることをいう﹂とされている︒今日︑わが国. 論.
(3) ︵7︶. ︵8︶. まざまな学説が主張されてきた︒<o一①9陣β9津一旨葭冨︵欲する者に損害は与えられず︶という法諺は︑ディゲス. タの昌三冨一昆甘旨帥①聲聾器ぎく島①暮⑦目訪魯︵欲する人に対してなさるることは何らの加害ならず︶という思想. に由来している︒下って︑犯罪の本質を権利の侵害に求めた近世自然法論において︑承諾は︑法秩序が被害者に権利. の刑罰にょる保護を放棄する権能をどの程度与えるかという観点から問題とされた︒これに対して︑刑法は社会共同. 体にのみ奉仕すべきだとする歴史法学派の信奉者たちは︑原則的に承諾の有効性を否認するに至った︒さらにその. 後︑へーゲル学派は︑承諾が許容された場合には︑主観的な個人意思はもはや客観的な全体意思の否定としては現わ. れないということから︑承諾の限界につき攻撃を受けた法益の処分可能性という基準に立返ることになった︒そして. 西原春夫︑刑法総論︵昭和四三年︶七九頁︒. 承諾を構成要件阻却的承諾︵合意H閏曰くoお鼠昌儀巳ω︶と違法阻却的承諾︵同意. ︵閃●08巳μ田昌類旨蒔β昌晩. 宮内裕﹁被害者の同意eーその問題史的展望1﹂法と経済一〇四号︵昭和二三年︶四八頁参照︒ NO9. 鵠g鵬05ω昌曽 時 o o げ 計 o 一 5 ピ o げ 居 げ β o F ω. 一〇群O℃ω. ︵4︶. ︵3︶. ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠. 三︵三〇一︶. たとえば︑西原教授は︑三五条にいう正当業務行為は︑優越的利益保護の観点から違法性の阻却されるものであるが︑被. ︾Gゆ. ︵5︶ ︵6︶. 凶8暮NざU震竃鋤ロ騎o一帥目ω什轟津讐びo¢鼠昌q凶鼠o蒔o国ぎ零一一鵠αq仁昌αq魁$幻oo冥のαq暮曾感閃oお︸一〇﹃O℃ω●Oco●. 七二頁以下参照︒. 一六〇頁以下︑須之内克彦﹁刑法における被害者の同意Ofその序論的一考察ー﹂法学論叢九三巻一号︵昭和四八年︶. 塁昌含国言くR馨ぎα昆の留のく巽冨蔚帯PU凶の9逐9お器︶︒なお︑井上祐司﹁被害者の同意﹂刑法講座二巻︵昭和三八年︶. 的関係︑法的性格の差異等についてはじめて理論的に考察したのはゲールズ︵後掲︶ であった. 国ぎ名目蒔ロ昌騎︶とに分け︑両者の論理. これ以後の承諾論は︑利益概念を中核とする法益論と一体となって展開されていくことになるのである︒. 21. (( )).
(4) 論. 説︵曾根︶. 一〇七頁︒. 四︵三〇二︶. ︵前. 一S紳ψミOに簡潔な紹介. 害者の承諾による行為は︑保護利益不存在の観点から違法性の阻却されるものであるとして︑ 本問を消極的に解される. r一㈱㎝U蒔●山oぎ甘ユ勲卜刈℃一〇●. がある︒. 承諾の歴史については︑蜜ω99Fい魯き8げユ$ω窪鉱器o鐸即︾一蒔oヨo言OH↓o鮮ド︾β自. 掲︑七五頁以下︶︒同旨︑中山研一︑刑法総論の基本問題︵昭和四六年︶ ︵7︶. ︵8︶. 二 ﹁利益の放棄﹂とみる考え方. 本章では︑違法性の本質を利益侵害として把え︑被害者の承諾が違法性を阻却する根拠を︑利益の放棄によって法. の保護に値する実体が存在しなくなることに求める見解を扱う︒この考え方にも︑法による保護の客体を﹁利益﹂. ︵1︶. ︵一暮R霧8︶と考えて法益︵丙oo窪紹暮︶概念を否定する立場と︑﹁財﹂︵O暮︶こそが保護客体であるとしてこれを肯. 定する立場とがある︒前者からみてゆくことにしよう︒ 法益概念を否定する立場. 可罰的行為の本質を利益侵害に求め︑被害者の利益が欠如した場合に違法性を否定したのはケスラーであっ. ︵一︶. 一 ︵2︶. た︒彼は︑犯罪を権利侵害とみる自然法論の誤謬を批判して︑イェーリングに従い犯罪概念の内容を規定し︑刑法の. 意義を利益理論的に理解した︒すなわち︑﹁刑罰法規の目的は︑人問の行為による利益侵害の予防を手段として人間. ケスラーはこのように保護の客体を統一的に利益であると解したが︑利益概念の把握の仕方に彼独特のものが. ︵3︶ の利益を保護することである﹂︒. ニ.
(5) ︵4︶ あった︒彼によれば︑利益は二つのことがらに関係を持っている︒一は財に対する関係であり︑二は︑この財に関連. する事実に対する関係である︒財とは︑﹁一人の人間の肉体的または精神的幸福に寄与するかぎりの対象および関係. をいう﹂︒そこでまず︑利益とは︑第一に︑一つの財とこの財が財とされるところの嚇人の人間との問に成立する関. 係である︒しかるに︑一人の人間が一の対象または状態をもって財とするのみでは利益の意味が十分つくされたとは. いえず︑さらに第二に︑この財に関連する一の事実に関係することを要する︑とした︒そこで︑ケスラーは利益を定. 義して︑﹁人の事実に対する利益とは︑この人とこの事実との関係であって︑そのことによってこの事実の発生また ︵5︶ は不発生がその人の財に対し損失的結果を持つことである﹂とした︒具体例を示せば︑利益とは︑人が自己の生命を. 有価値とするだけではなく︑その有価値な生命という財に対する侵害が自己に損失をもたらすと考えるその関心をい ︵6︶. うとするのである︒したがって︑利益は財以外の事実に対する関係を含み︑それを本質とするが故に︑両者は本質的. ︵7︶. に異るというのである︒ケスラーにとっては︑﹁利益をその対象から分離することは︑論理的にも実際的にも必要で. ある﹂と思われた︒このように︑財と利益とを峻別することによって利益概念から客体としての性格を完全に払拭し. た点にケスラーの利益論の第一の特色があった︒そこで彼は︑刑法の目的は︑利益の対象すなわち財の保護ではな. く︑対象に対する関係︑すなわち財に関連する事実の成立または不成立に対する人聞の利益の保護にある︑という見 ︵8︶ 地から︑﹁法益は法的に保護された財﹂であるという定義に疑問を示して法益概念を否定したのであった︒. ケスラーの利益論の第二の特色は︑利益概念を利益主体と客体との心理的関係として理解した点にある︒彼のいう. 五︵三〇三︶. ﹁利益﹂は︑主として心理学的に確認しうる利益︑すなわち快感︵一参おo旨匡︶を意味していた︒したがって厳密に ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(6) 論. 説︵曾根︶. 六︵三〇四︶. 考えると︑個々人のみが侵害されうる法的客体とされるのである︒利益を心理的実在として把えるかぎり︑利益の主 ︵9︶ 体は︑生きた肉体をもった個人にかぎられるべきだからである︒それで︑ケスラーにとっては︑団体とか法人または. 国家等の利益というのは︑その団体の成員の利益を表示するための﹁法的抽象化﹂にほかならず︑また︑公共の利益 ︵10︶ というのもその利益における関係の主体である﹁特定の認識し得べき人間に対する関係を抽象化したもの﹂にほかな らなかった︒. ケスラーは︑このような利益概念を基礎として彼の承諾論を展開したのである︒. 三 ある対象に対する利益は︑その対象の価値性にとって必然的な前提であり︑ある行為の違法性は︑﹁現実的に ︵11︶. も個々の場合に︑法が保護に値すると認めた何らかの財に対する利益﹂が侵害されることである︑という︒すなわ ︵12︶. ち︑事実的にある財に対する利益︵心理的関係︶が存続するかぎり︑財の法的保護も存在するが︑反面︑利害関係者. の意思に反する利益保護はそれ自体矛盾することになる︒ケスラーは︑保護の客体である利益はかならずしも意識せ. られている必要はないが︑利害関係者の意識した意思に反しては存在しえないことを強調した︒﹁もし私が意識的な. 意思をもって財に対して危険な行為を容認したならば︑そのことは︑その範囲においてもはやその財が私にとって財. でなくなる︑換言すれば︑私が右の行為がなされないことに対してもはや何らの利益も有しない事実を証明する︒か. かる内容をもった私の従来の利益は存在しなくなり︑したがって︑それは爾後︑侵害されることも保護されることも ︵13︶ ありえない︒利益主体の意思に反する利益の保護ということは︑それ自体一個の矛盾である﹂とした︒. ここから︑被害者の承諾にとってもっとも重要な原則が導かれる︒すなわち︑﹁被害者の承諾は常に侵害行為の可.
(7) ︵艮︶. ︵15︶. 罰性を阻却する﹂︒なぜなら︑被害者は︑その対象が承諾を与えられた行為によって侵害されるかぎり︑それに対し. もはや何らの利益も持たないからである︒他方︑財と利益とを峻別したことから︑承諾すなわち利益の放棄がただち ︵16︶. に財の放棄を意味しないということになり︑その結果︑次の帰結が導かれた︒すなわち︑﹁刑罰を排除する承諾は他. 人の行為に向けられるのであって︑その結果に向けられるのではない﹂ということである︒ある者にとって︑他人の ︵17︶. 危険な行為の可能性ないし蓋然性のある結果︵財の侵害︶はきわめて不都合なものであるが︑そのことは右の行為に. 一定の行為が唯一人の個人を例外とし. 対するその者の承諾の有効性を何ら妨げることにはならない︒そこで次に︑ケスラーは︑個々の刑罰法規について承 諾の効力をみるにあたって︑以下のような公式をたてた︒﹁すべての個人に︑. て禁ぜられている場合︑それは︑この一個人だけの利益が法規により守られるべぎものなること︑したがって︑この ︵18︶ 個人の承諾をもって行われた行為は禁ぜられていないということの完全な証明になる﹂︒ケスラーのこのような見解. に従うと︑承諾による殺人に刑を科しているドイッ刑法二一六条は廃止すべきであって︑刑法典に﹁刑法二一六条は ︵19︶ これを廃止する﹂との条項がないことは︑刑法の欠陥であるということになる︒彼にとって︑承諾による殺人は自殺. とまったく同一に扱われるべきであるから︑もし︑このような一条が刑法典にあれば︑右の基準は正当であるといえ よう︒. 四 ケスラーの学説は︑今目では一般に否定されたものとなっているが︑実質的不法および承諾の効果を決定する ︵20︶ に際し︑利益概念の特殊な意義を指摘したことは︑現代においても彼の功績として高く評価されている︒彼の利益論. 七︵三〇五︶. は︑承諾の根拠を説明するという点では大きな力を発揮したのであった︒しかし︑その目標達成に急なあまり利益概 ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(8) 論説︵曾根︶. 八︵三〇六︶. 念そのものの把握に大きな問題を残し︑これがその後の学者の反駁を招くことになるのである︒. ケスラーは︑まず︑利益が財に対する関係と財に関連する事実に対する関係との両者を含み︑後者をその本質的な. ものとみたのであるが︑はたして利益概念をこのように二分することが可能であろうか︒後者︑たとえば︑有価値な. 生命という財に対する侵害が自己に損失をもたらすと考えるその関心というのも︑結局は前者︑すなわち人が自己の 生命を有価値とすることを消極的な面から言換えたものにすぎないといえよう︒. それにもまして︑彼の︑財と利益の関係に関する理解の仕方にそもそも問題がありはしまいか︒たしかに︑財と利. 益は相互に区別しうる概念であって両者をまったく同一のものとみることは許されないと言わざるをえない︒しか. し︑それは︑けっしてケスラーのいう意味においてそうなのではない︒彼は︑財をもって利益の対象とし︑利益を純. 粋の関係概念として把握したのであったが︑ヶスラー自身︑財を﹁人間の幸福に寄与するかぎりの対象および関係﹂と. 定義したところからも明かなように︑財概念の中には︑すでに利益の要素が含まれているのである︒私見によれば︑. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ﹁利益﹂とは︑人間が一定の︵裸の︶対象︵OΦαq窪ω$鼠︶に対して有する客観的価値ないしその関係自体をさし︑. ﹁財﹂とは︑かかる価値︵利益︶を担った対象を意味する︒利益が人と対象との間の価値関係それ自体を表わすのに. 対し︑財は︑存在としての面︵対象︶と価値的側面︵利益︶とから構成されており︑この点から財と利益とを区別する. ことは可能であると思われる︒しかし︑ここで問題にすべきは︑両者の論理的関係ではなく︑これを区別すべき学問. 的・実際的意義である︒刑法の保護客体︑したがってまた被害者の承諾の間題にとっては︑その価値的・規範的関係. こそが重要なのであって︑単なる存在的対象について論ずる意味がないとみられる以上︑あえて両者を区別すべき実.
(9) 益はないともいえる︒いずれにせよ︑財概念が利益を本来的要素として含んでいるということであれば︑法によって 保護された財を意味する法益概念も当然に是認されることになろう︒. ケスラ!の利益論の特色の一つは︑本来対象化して︑客観的なものとして規定されるべき利益概念を︑利益主体と. 客体との心理的関係と理解する点にあったのであるが︑この点もまた彼の理論の誤謬の原因となった︒というのは︑. 刑罰法規の保護が︑場合によっては︑個人の利害関係とか個人の意思に反しても行われるものである以上︑このよう. ︵21︶. な利益の保護も︑それが被害者の真の幸福に客観的につながるものとみられるかぎり︑何ら矛盾を包含するものでは. ないからである︒その場合︑法律は個人の意思を非理性的なものとみ︑被害者の主観的評価を認めないのである︒そ. の意味で︑ケスラーが承諾の効果を説明するために︑﹁すべての個人に一定の行為が唯一人の個人を例外として禁ぜ ︵22︶. られている場合﹂︑この個人の承諾をもって行われた行為はまったく禁止されていない︑という基準を設定したこと. は明かに誤りである︒これは︑承諾殺の規定の存在を考えれば容易に理解される︒右の基準は︑承諾に基く侵害を自. 損行為と同一に取扱おうとするものであるが︑両者の取扱いを異にすることは︑後述するごとく︑理論上も政策上も 何ら矛盾を来たさないばかりでなく︑そうする之とこそが衡平な観念に一致するのである︒. ︵23︶. 結局︑このような破綻は︑彼の利益概念を規定する際の方法論的誤謬に起因するものと思われる︒ホ!ニッヒの批. 判がある︒行為の違法性を利害関係人の具体的な利益の侵害があったかどうかに依存させて︑心的状態としての利益. 九︵三〇七︶. 心理関係と解する利益論は心理主義に堕し︑規範科学としての法律学にとっては誤りを犯. の侵害をのみ真の侵害とみることは誤りである︒方法論として︑法律学は心理的関係を追究する科学のように発生論 ︵24︶. 的方法はとらない︒利益. ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(10) 論説︵曾根︶. 一〇︵三〇八︶. すものである︒規範科学としての法律学的方法においては︑法律的保護ということは︑原則として︑個々の個人が利. 害を感ずるという事実とか︑その者の意思とかに対しては独立のものであって︑それは個人意思に反してもなされる. ものである︒このことは︑被害者の承諾に対しても妥当する︒その効果は︑個人意思の力に依存しているのではな. く︑法命題における客観的な共同意思のそれに依っている︒それゆえ︑承諾の問題に対し︑発生論的・経験科学的認. 識の方法を用いることは誤っている︒それは︑したがって︑刑罰法規の意義と矛盾するばかりでなく︑刑事司法を解. 決不能の証明困難に導く︒ホーニッヒの批判には︑価値論偏重のきらいがないではないが︑ケスラーの心理主義的な. 利益論・承諾論の核心を衝くものであるといえよう︒ここに利益概念を社会的・規範的に把えることによって法益概 念を肯定する見解が立現われるのである︒. ケスラーの承諾論に関するわが国の文献としては︑宮内裕﹁被害者の同意⇔1その問題史的展望1﹂法と経済一〇五. ミO︒︶︒. 〇3ω●Oq. 一〇〇〇. イェシエックは︑ケスラーを社会学的法学派︵8慧9品広9①幻09富ω9三〇︶の一人に数えている︵密8冨oド鉾勲ρω・. 号︵昭和二三年︶五六頁以下がある︒. ︵1︶. ︵2︶. 木村亀二﹁刑法における法益の概念﹂﹃刑法の基本概念﹄︵昭和二三年︶一〇六頁以下参照︒. 凶①臼R︸U一①田昌毒自黄β昌αq留の<R一〇盲8昌ぢ一導段馨養埣g辟鶴oげo昌閃①留ロε5堕一〇〇認㌧ω●轟oo.. 囚o霞05薗︒ 鋤 . O ● 9 q O ●. ︵4︶. 民o密05幻g鐸のαq暮いoαoぺ﹃8鐸=oげαqoのoげ馨醤$一馨Ro器ρo血R釜90算凶くoω国oo辟ざ09劇騨ωO. ︵3︶. ︵5︶. U一ΦUo磯ヨ︒お︒の︒圧︒窪①留の弩織器︒窪一画9窪守αq甑溌︸劾︒9富西暮︑︑℃一〇①N︸ρ. 民o聾oび固ロ類一一=αq仁昌αq︸ω.㎝O●︾導目ド. ω.3⁝養一︒ω凶霊. ︵7︶. 囚︒盈gOψ窪︒o︒︒. ︵6︶. ︵8︶.
(11) ︵9︶. 宮内︑法と経済一〇五号一〇六頁参照︒. ①藤・. プフエルスドルフもケスラーと同様︑事物が実体的にもしくは観念的に︑自己の利益の対象となるためには︑自己は︑か. かる事物を自己に役立たしめる一の関係を設定せねばならぬ︑かくて自己の意思に基いて創造した︑かかる関係は︑かかる. 囚o露oン固昌類一一目αqロ瓢堕ω︒㎝①●. 囚①憩①さ国ぎ&一凝琶堕ω・緕酔. ψ①oo︒. 一〇〇〇刈堵ω︒Soo︶︒. ︵10︶. αoの<R一9暮o昌巴のω昏畦鋤霧のo匡一霧ω蔭昌鴨鵬霊昌. 事物が自己の利益の対象として存続するかぎりは︑自己の意思によって維持されると論じた︵閑震毘9糞90国冒&一一黄偉昌鐙. ︵11︶. 囚島一Φぴ田昌≦旨貫q昌騨ω︒㎝一い 国o盈①び田昌零筐蒔q昌堕ω︒㎝O●. <窃q一︒頃o巳αq O一〇田昌妻一臣αq鐸昌αq山oω<〇二〇訂け09一〇一〇. <笹︒国o艮堕帥︒曽︒O●ω・①oo︒. ︵12︶. ︵14︶. 内02①ぴ閣言類竃蒔仁昌堕ω●欝︐. ・ーマ法の格言をこの間題の基礎的研究に先置することによって︑それを利用すること. ︵3 1︶. ︵16︶. ドーナは︑ケスラーを︑﹁彼は︑. ︵15︶. ︵17︶. ての利益保護の中に見出した﹂と評している︵O同緯豊Uoび昌9ρ矯U冨幻9算ω譲箆茜評o答包ω包蒔oヨ¢ぼ鵬岳什蒔oの﹈≦o詩ヨ9=目. が可能であるという確信から出発し︑しかも︑そこにおいて彼は自己特有の道を拓き︑新しい確かな支点を刑法の目的とし. 国o盈8田p註一凝毒堕ω・o︒N●. 菌o盈oぴ田昌譲一臣αq但ロ鱒ω︒①oo9. 弓曽暮8鼠且①馨轟ま霞o円匡き色琶ひqoPお8堕ψ一a︶︒ ︵18︶. Z︒F亨︒彊︒ω欝一喜①菊︒︒姦窪蒔§鴨αQ﹃冒量冒ご︒の︒呂︒毒α一︒国ぎ&一凝§晦q︒¢<︒蕃§β一︒翼ω6︒朝●. ︵19︶. ZoF. ●m●ρω●①Oい. ︵20︶. 一一︵三〇九︶. ︵21︶. ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(12) 論. 説︵曾根︶. 二一︵三一〇︶. 宮内︑法と経済一〇五号五六ー七頁は︑﹁同意殺に関する独刑法一二六条の規定をコソゼクヴェソツに説明出来ぬところ. に︑彼の心理的実在としての利益概念は︑はたんをきたす﹂とする︒. ︵22︶ 缶〇三堕騨勲O●ω︒8●. ︵24︶ 宮内︑法と経済一〇五号五七頁参照︒. ︵23︶. 法益概念を肯定する立場. 違法性の本質が法益侵害にあるとする見解︵法益侵害説︶によれば︑承諾は法益の保持者による利益放棄の徴. ︵二︶. 一. 表とみなされる︒被害者が承諾によって法益を放棄し︑保護されている財の維持に何の価値も認めなくなると︑保護. されるべき法益は不存在となるので︑法益侵害性を内容とする行為の違法性が阻却されるに至る︒この意味で承諾. は︑利益不存在の原理に基く違法阻却事由の典型的な場合であるといえよう︒本稿では︑被害者の承諾に関する右の. ︵1︶ 見解をイエシェックに従って︑﹁利益放棄説﹂︵冒冨8器窪鷲色詔魯9﹃8二〇︶と総称することにする︒. ヤ. ち. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ケスラーが︑財と利益とを区別し︑利益をもって法の保護客体と解した結果︑法的財︑すなわち法益の概念を否定. するに至ったのに対し︑右の見解に与する人々は︑法益概念を肯定するとともに︑財の概念要素としての利益を中核. 一定の変動の発生または不発生が当. として承諾論を展開してゆくのである︒同じく﹁利益﹂という言葉を用いていても︑その用語法がケスラーと違うこ とに注意しなければならない︒. 二 法益概念を刑法学の中心的地位に据えたリストにあっても︑﹁利益とは︑. ︵2︶. 事者に対して持つところの価値であり︑財とは︑利益と異って︑変動がそれに対して価値のあるところのものであ. る﹂とし︑ケスラーに従って︑財と利益とがまったく同じものであるとはいえないとした︒しかし︑リストは︑人間.
(13) 的存在のうちに︑利益と財とを統一しようとし︑それによって両者を区別することの学問的・実際的意義を全面的に. 否定したのであった︒彼は︑犯罪に刑罰が結びつけられる根拠を刑罰の法益保護の目的に求め︑﹁法益概念は︑われ. われにいう︒法は︑すべて人間のために存在する︒人間の利益︑すなわち個人ならびに全体の利益は︑法の規定によ ︵3︶ って保護され︑促進されるべきであると︒この法的に保護される利益を︑われわれは法益と名づける﹂と説いた︒リ ︵4︶. ストは︑またいう︑﹁すべての法益は生活利益であり︑個人または共同体の利益である︒法秩序ではなく︑生活が利 益を生む︒が︑法の保護が生活利益を法益にまで高める﹂と︒. 以上のごとき法益観の下に︑リストは︑被害者の承諾によって違法性が阻却される範囲を︑法秩序が法益の担い手. に対して法益の処分権を認めている場合に限定したのである︒なぜなら︑この場合︑﹁問題となるのは自己の利益だ ︵5︶. けであって︑同時に他人︵たとえば共有者︶の利益ないし社会の利益は問題とならないからである︒したがって︑違. 法性の阻却は.承諾に伴ってなされた利益の放棄に依拠している﹂︒そして︑特定の行為がもっばら個人の利益にか. かわっているかどうかは︑犯罪構成要件からだけでなく︑法律規定全体の関係から引出されるべきであるとしながら. も︑ここに一般的な原則を定立し︑あるいは私法上の視点を導入することは誤りであると指摘した︒被害者の承諾に. 関するリストの考え方の特色は︑第一に︑利益に放棄可能なものとそうでないものとがあることを認め︑その判断の. 基準として生活秩序および法秩序の観念を導入したことである︒これは︑ケスラーが利益概念を心理学的に把握した. のに対して︑リストが人問の生活利益として社会学的に理解したことによるものといえよう︒彼によって︑人間的存. =二︵==一︶. 在のさまざまな形成において︑法益の区分が生じるのに応じて︑利益放棄の範囲︑被害者の承諾にも限界があること ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(14) 論. 説︵曾根︶. 一四︵三二一︶. が明かとなった︒第二に︑ケスラーにおいては︑行為客体と保護客体とが概念的に未分化の状態にあったため︑被害. 者の意思を行為客体の担い手の意思として把えざるをえなかったのであるが︑リストに至って︑心理的主観的利益概. 念が客観的な平均利益とおきかえられることによって︑行為客体と保護客体とが明確に区別せられた結果︑個々の法 ︵6︶ 益について処分権の有無を判断することを可能としたことも︑承諾論の一定の前進を示したものといえよう︒. 三 法益論は︑今世紀の初頭に入ってからとくに西南学派の影響の下に新たな展開をみることになった︒法の目的 ︵7︶ 論的考察を強調するリストにおいて︑すでに機能的・目的論的法益概念への重要な示唆が与えられていたが︑ここに. 至って法益の目的論的・評価的観察方法が一般に行われることになったのである︒われわれは︑その代表者としてホ. ーニッヒを挙げることができる︒ ︵8︶ ホーニッヒにょれば︑﹁刑法は法的共同体が法的生活にとって価値ありと認めた客体の保護に奉仕する﹂︒このよう. に︑﹁刑罰法規は︑法的生活にとって重要な諸価値の侵害または危殆を予防しようとするものであるから︑保護客体. の概念は︑法学的思惟が個々の刑罰法規の意味と目的とを短縮した形でとらえようとする︑範疇的な統合にすぎな. い︒保護客体概念は︑犯罪行為の無価値意味がその周囲を回転している中心点である﹂︒すなわち︑﹁保護客体はそれ. 自体として存在するものではなく︑共同体の価値を刑罰法規の目的客体として理解することによってはじめて生命を. 得るのである﹂︒そこで刑罰法規の保護客体を法益と呼ぶならば︑法益は︑﹁個々の刑罰法規のうちに認められた目的 ︵9︶ を立法者がもっとも簡単な形式に要約した表現にほかならない﹂︒このような意味を担った法益概念は︑結局におい. て個々の刑罰法規の立法目的にすぎないということになろう︒したがって︑彼の立場からすれば︑法益とは︑単に生.
(15) 命︑身体︑自由︑財産等を意味するだけではなく︑これらに対する不当な攻撃を防止することによって得られる利益. ︵10︶. も含めて考えることになるのである︒ここに︑いわゆる﹁法益概念の精神化﹂が成就されたといわれる理由が存す る︒. さて︑ホーニッヒの場合︑財は︑保護された﹁共同体の価値﹂と常に一致するわけのものではない︒財は︑立法者 ︵11︶. によって保護されるかぎりでしかこのような価値とはならない︒換言すれば︑﹁法が特定の行為に対して認める場合. しか︑共同体の価値という法益の特性は存在しない﹂のである︒したがって︑たとえば︑自殺は︑おそらく財︵生. 命︶を侵害しているとはいえても︑法益︵法によって保護すべき生命︶は侵害していない︒なぜなら︑自殺はどのよ ︵12︶. うな刑法規範によっても禁止されていないからである︒これに対し︑要求に基く殺人は︑法益侵害として理解されね. ばならない︒要求に基く殺人を自殺から現実に区別しているものは︑行為者と彼の態度であって︑所為の犠牲者では ︵13︶ ない︒ホーニヅヒは︑行為者の態度を法益概念に編入することによって法益を財に対置したのであった︒ ︵14︶. 法益概念に関する彼の基本的立場からすれば︑承諾の効果の根拠および限界にかかわる問題についても︑刑罰法規. の目的決定を基礎とし︑刑法の認める法益の評価によりこれを決定ることになる︒まず︑ホーニッヒは︑承諾の有効. 性の限界に関する問題については︑原理的には︑財の理論︵O痒段98二①︶ないしそれと方向を同じくする利益説と. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 結論を一致させている︒そこで︑彼にとって︑承諾の有効範囲に関する主要な議論の中でなお解決すべきものとして. 残された問題は︑個々の犯罪について法律上承認されている承諾の効果を明かにする手段を探求することであった︒. 一五︵=二三︶. 承諾は︑処分可能な財に対する攻撃の場合には有効であるとか︑直接被害者の利益のみが侵害された場合には有効で ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(16) 論. 説︵曾根︶. 一六︵三一四︶. あるという既存の公式は︑何ら問題の解決に資するものではなく︑問題をただ個々の事案における法律の適用へと追. いやるものにすぎない︒なぜなら︑右の公式は︑承諾の有効性の根拠を提示しようと努めながら︑法律技術そのもの. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. とはおよそ無縁な概念に従事しているからである︑というのである︒そのかぎりでホーニッヒは︑最初から﹁個々の 犯罪の特質﹂を決定的なものとする各論的な手続を優先させているといえよう︒. 右にみたように︑ホーニッヒの承諾論における方法論上の特色は︑承諾の法的性質に関する判断が個々の犯罪の保. ︵15︶. 護客体を顧慮してしか行われず︑単なる効果からの帰納的推論を基礎としては判断しえないということから出発した. 点にある︒たしかに︑保護客体は犯罪によって異るわけであるが︑しかし他面︑それらの法的に統一された評価が︑. 法益概念ないし法益の維持にかかわる利益概念を構成していることも事実であって︑保護客体が同質であるものにつ. いては︵たとえば私法上の権利︶︑それの任意な処分に関する公式を統一的に理解すること︑しかもそのかぎりで承. 諾の法的性質を一様に扱うという思想は︑彼にも受容しえたものではなかろうか︒ホーニッヒは︑﹁法的に保護され. た財の処分可能性﹂︑法的に保護された利益の﹁個人の権限﹂という基準は正確な概念ではなく︑法命題の意義と目. 的とを指示する単なるそれの短縮にすぎないとするが︑彼のように︑単に個々の犯罪のそれぞれの保護客体を指摘す. ることも︑承諾の効果の解明にとっては︑あまりにあいまいな概念規定であるといわざるをえない︒承諾の法的性格 がすべての犯罪で異っているというだけでは︑何ら問題の解決にはならないのである︒. さらに遡れば︑ホーニッヒが︑﹁財に対する攻撃を防止することによって得られる﹂利益も法益概念に含まれると. した点に根本的な誤謬があるといえる︒法益概念の刑法学における重要性が︑法益が保護の客体として理解され︑そ.
(17) れに対する侵害としての犯罪の実質的内容を明かにする点にあるということからすれば︑法益概念は︑保護客体とし ︵16︶ ていわゆる実体的法益概念の意味に用いられるのが本来の姿であるといえよう︒. 四 当初ホーニッヒと同様︑方法的・目的論的法益概念を採りながら︑その後︑侵害の客体としての利益概念を基 ︵ ︶ 礎として法益論を展開したのがメツガーである︒彼は︑ホーニッヒが被害者の承諾の効力根拠に関する一般的基準の. 定立を断念したのに対して︑行為の客体と保護の客体とが同一人格によって保持せられている場合には︑承諾が行為. の違法性を阻却するとして一応の標準を示したのであった︒メツガーによれば︑利益とは︑一定の状態の存在に対す ︵18︶. る個入または社会的意思の関与である︒かかる状態の侵害ないし危殆化が︑問接的にその状態に向けられた利益を侵. 害また危殆化するというのである︒このように彼は︑違法の本質︑ないし実質的な違法内容を利益︵法益︶の侵害で. あるとすることから︑違法阻却事由についても二つの原則を定立する︒そのうちの一つが﹁利益不存在の原則﹂であ. って︑これは︑何らかの理由から不法に侵害せられるべき利益が存在しなくなる場合に︑構成要件において侵害せら. ︵19︶. れるはずの意思が後退するというものである︒この原則に導かれるものに被害者の承諾と被害者の推定的承諾があ. る︒侵害を受けた法益の保持者が有効な方法でその行為を承諾した場合︑行為者は違法に行為するものではない︒と. いうのは︑被害者の承諾が︑法益を自由に処分しうる立場にある権利者による意識的な利益放棄を意昧するからであ ︵0 2︶. る︒. 被害者の承諾の効果に関しては︑行為客体と保護客体との明確な概念的区別に立って次のように論ずる︒﹁犯罪の. 叫七︵三一五︶. 保護客体としての法益から︑行為が具体的に向けられる客体としての行為客体が分離されるべきである︒通常︑被害 ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(18) 論. 説︵曾根︶. 一八︵=二六︶. 者の承諾を特色づける際︑行為客体の担い手の承諾が考えられている︒したがって︑承諾の効果に関しここで議論さ. れている問題は︑行為客体の担い手が保護客体の担い手でもあるかどうかによって異った解答が与えられる︒行為客. 体の担い手と保護客体の担い手が同一人格である場合︑承諾は有効であり︑しからざる場合︑被害者とみられる者の ︵21︶ 承諾があったとしても︑行為の違法性はなお存在する﹂︒. 以上の説明から明かなように︑﹁利益放棄説﹂によれば︑いわゆる個人の法益に対する侵害の承諾は︑原則として. 行為の違法性を阻却するものであるが︑例外的に違法性を阻却しない場合がある︒それは︑メツガーの論述からうか ︵22︶. がわれるように︑保護客体の担い手として個人︵行為客体︶の他に国家・社会が併存しているとみられるのに︑被害. 者全員の承諾が得られない場合である︒この点は︑わが国においてメツガーの見解を祖述する京都学派の人々によっ. て詳論されている︒たとえば︑﹁通例或る同意が公序良俗に反すると考えられる場合は︑必ずや同一事物の上に他の ︵23︶. 主体︑特に国家の法益が並存する場合であって︑この種の法益に対する関係に於ては︑本人の同意だけでは違法性を. 阻却する力をもたないのである﹂と論ずるのがそれである︒反対に︑国家が保護客体の担い手であるにもかかわら. ず︑被害者の承諾によって違法性が阻却される場合があるとすれば︑それは︑国家が直接の被害者︵行為客体の担い ︵24︶ 手︶の承諾を条件として︑自己の法益も放棄する場合であるということになろう︒承諾の限界に関して特に問題とす. べき法益は︑一個の法益に対して多数の法益主体が並存するとみられる﹁生命﹂と︑同一法益でありながら︑その法 ︵25︶. 益性の程度に従ってある場合には個人が排他的に法益主体となり︑他の場合には法益主体が並存するとされる﹁身 体﹂である︒前者からみてゆくことにしよう︒.
(19) 承諾が法益の担い手の利益を脱落させるという見解からは︑承諾殺が可罰的である理由として︑﹁個人の生命は︑ ︵26︶ 彼の利益においてのみならず︑国家ないし社会の利益においても保護されている﹂という説明がなされている︒たと. えば︑メツガーは︑殺人の承諾が違法性を阻却しない根拠としてドイッ刑法二一六条を挙げ︑﹁ここで明かなのは︑行. 為客体の担い手が同時に保護客体の担い手となっていないということである︒⁝⁝行為客体は被殺者の身体であり︑. 保護客体の担い手は︑被殺者と並んで公衆︵︾一蒔o目Φぎぎδである︒あるいは︑次のようにも表現できる︒個人の殺 ︵27︶. 害によって全体の利益も影響を受け︑これも損失をこうむる﹂と説いたのである︒. 身体傷害罪における承諾の有効範囲とその基準に関しては︑利益放棄説の内部でさらに見解が分れている︒承諾. は︑重大な身体傷害の場合には無効であるが︑軽微な身体傷害の場合には有効だとする点では意見が一致しているの. であるが︑身体傷害の程度を分つ標準に関しては︑二つの見解が示されている︒その一は︑傷害の罪を詳細に類型化. しているドイッ刑法の下で説かれている考え方であって︑親告罪である軽い傷害︵ドイッ刑法壬三条︶と過失傷害︵同. 壬二〇条︶についてのみ承諾の効力を認めようとする見解である︒法律が重大な身体傷害はこれを公的犯罪として扱. っているのに対し︑上記二者を親告罪としたのは︑被害者の意思を考慮して︑その場合には公的利益の後退が認めら ︵28︶. れると解したことによるが︑承諾の根拠もこの点に求められるというのである︒しかし︑犯罪の成立自体を否定する. 実体法上の承諾概念と親告罪における訴訟条件としての告訴権とを同一の視点の下に置くことは許されないというべ. ぎであろう︒いわんや︑包括的な犯罪類型を規定するわが刑法の下では︑右の基準を適用する余地はなく︑より実質. 一九︵三一七︶. 的な基準が求められなければならない︒法益侵害説が承諾の全領域において特定の被害法益の個人または社会への配 ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(20) 論. 説︵曾根︶. 二〇︵三一八︶. 分を問題とするものである以上︑身体傷害の場合にも同様の考慮を働かせる必要があろう︒すなわち︑身体傷害罪の. 法益性の程度により︑私的利益と並列して公的利益が登場するのであるから︑結局︑承諾に基く傷害行為が社会的任 ︵29︶. 務の履行を侵害する程度に著しい場合は︑被害者個人の法益のみならず︑公的法益も侵害するものとなり︑承諾は無 効と解されることになる︒. 五 個人の生命および身体が国家・社会の利益としても保護されているという考え方は︑なるほど利益放棄説のシ. ェーマには矛盾なく適合するものであるが︑この場合︑もし二個の法益を対等のものとして並列的に解すると︑健康の ︵30︶. ような個人的法益にも国家的法益が伴うことを広く認めすぎることになって妥当でない︒そこで︑右の国家的利益を. 被害者の利益保護にかかわる国家の関心をいうと解するとしても︑これは利益概念としてはまったく派生的なものに ︵31︶ すぎず︑とうてい彼我同一に論ずることはできない︒これは︑まさにホーニッヒのいう﹁財に対する攻撃を防止するこ. とによって得られる利益﹂であって︑彼に加えられたと同一の批判を甘受せざるをえないであろう︒われわれは︑こ. こでふたたび法益概念の論理構造に目を向ける必要がある︒﹁法益とは︑法によって保護された利益である﹂と定義さ. れるように︑法益概念は︑実体としての﹁利益﹂︵正確には﹁財﹂︶の部分と︑それに対する国家的評価︵ωけ壁象畠o ︵32︶ ゑ震9轟︶を前提とする﹁法的保護﹂︵お9島畠ω99N︶の部分とから構成されているが︑先の国家的利益はまさ. にこの法的保護自体を意味するのであって︑右の見解には︑利益概念の混乱がみられるのである︒. リストら︑法益概念を肯定する学者は︑客観的・社会的利益論を展開し︑利益概念を被害者の真の福祉に奉仕する. ものとして客観的に把握したのであった︒利益ないし財は︑客観的・普遍的性格を有するが故に︑国家による法の保.
(21) 護に値するとの評価を得ることができるのだということからすれば︑利益概念そのものの理解の仕方としては︑正当. なものがあったといえよう︒しかしその反面︑右のような内容を持つ利益概念は︑被害者の承諾の違法阻却根拠の説. 被害者. であっても︑. 侵害. によって何の不利益もこうむらず︑したがって︑. 明を困難なものとした︒というのは︑被害者の承諾がけっして常に右のように理解された利益の欠訣を意味するもので はないからである︒承諾を与えない. 侵害を中止することについて客観的にいかなる利益も持たないという場合も考えられると同時に︑たとえば︑承諾が ︵33︶. 認められるとしても︑給血の目的で血液をとらせるものは︑やはり彼の客観的に理解された意味での利益に反して行 ︵34︶. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. 動するものである︒その意味で︑侵害は︑一般に︑被害者の承諾に基いて行われるか否かに関係なく︑彼の利益のた. め︑またはその損害のためになされるといえよう︒このことは︑被害者個人の意思によっては︑客観的意昧に理解さ ヤ. ヤ. れた利益を放棄することがおよそ不可能であることを示しているのではなかろうか︒. 利益または財に対する主観的・個人的関心ないし関係はこれを放棄することができても︑その対象たる利益自体を. 放棄するということはおよそ意味をなさない︒ただ︑先の法益概念の分析に従えば︑﹁利益﹂は放棄できなくても︑. 二一︵三一九︶. αo吋寄o窪の嵐のω窪ωo富︷け℃Nω什ミ. ω9. ﹁法的保護﹂は放棄しうるのではないかという疑問が湧いてくるのである︒ここに︑次章で述べる﹁法的保護放棄 説﹂︵勾①o窪霧9暮薯R銭9房島8二①︶の登場する一つの素地があるのである︒. ︵1︶ 匂o零ゲ9ぎ鉾勲O●ω●ミQ9. 〇〇. oo︸一〇〇どω●一陸●. ︵2︶=ω鼻UR浮鐙轟伽︒の幻8窪のひq暮①ωぎω什霞§算q呂営魁霞国欝旨喜置︒. ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(22) 論. ω・N曽ード. 説︵曾根︶. 二二︵三二〇︶. ピ一の黒男①9諺αq暮g昌伽頃彗儀ご昌鵯げo鴨濠一目切ぎ&昌ひqω9g国四づ38Fωけ轟坤09菖凶3①>鼠ω響N①G昌α<o旨感伊qρbユ︒. =のN. H ︵4︶. ヒッペルもリストに倣って法益論を基礎とする議論を展開し︑﹁私的利益に重点が置かれる場合に︑被害者の承諾は違法. oム・ い一ω暮︸いo再び蓉F謡︒︾蝿ゆGω・NOo. ︵3︶. ︵5︶. Uo日ぴ琴げ留のUoロ什の9窪ω欝勉ヰ8算ρ田●q.器︒︾縄自4㊤卜曹. ︵6︶. いうのは︑人は自己の利益のみを自由に処分しうるのであって︑他人の利益は任意に処分しえないからである﹂︵国甘b卑. 性を阻却する︒第三者の利益ないし公の利益が同時に決定的に問題となる場合には︑違法性は承諾があっても存続する︒と. ︵7︶. 国o乱酋騨騨O●ω︒Oド. =の§℃︾旨ω馨Nρω鼻朗ω.No ooG ︒. Uo暮の9$幹轟坤9算︾ω鼻一一℃這ωρψ題ω︶として︑リストと後のメツガーとの橋渡し的役割を演じている︒. ︵8︶. =○乱αq℃9ら四●O.ω●8●. なお︑財と利益との関係については︑ホーニッヒは︑リストと同じ立場に立っている︵=自ぼ堕勲騨ρψおい︶︒ 国o巳堕鉾鉾O︒ω●O伊. 頃〇三堕勲鱒●O.ψO癖︒. ︵11︶. くひq一●︾跨o冒昌斡国①o窪のαq痒o誘oげロけN皿ロ山ω9暮凶創霞O霧o一一⑦畠蝕. ︵10︶. ︵12︶. ︵9︶. ︵3 1︶. 国o昌蒔. 〇9 一〇刈N矯ψ一〇. ︵14︶. 9亀o匡9零一益ぴo凶o冒ΦB<霞馨o笛磯濃g象o鵬暮o昌ω葺g良①田昌註一凝琶鵬ぎω叶蚕ヰo魯二N琶︒︿き亀鳩ω爲薗弟. 9●曽●○︒ω︒一一〇〇●. ︵15︶. 内藤謙﹁法益﹂体系刑法事典︵昭和四一年︶八六頁参照か. ︾ぴげ●国o津鱒①ρω︒ωOい. 三g鵯び勲騨O●9一〇c. 木村﹃刑法の基本概念﹄コ一二頁参照︒. ︵16︶. ︵17︶. o︒. ︵18︶.
(23) ︵26︶. ︵27︶. ︵28︶. ︵29︶. ︵30︶. ﹈︿︻oN鵬oき帥●9●ρω.国O①●. .O︒ω●ωO刈ーoo︒. 竃①NΦq9騨騨O●ωり曽卜. 佐伯千傍︑刑法講義︵総論︶︵昭和四三年︶二一八頁︒. 宮本英脩︑刑法大綱︵総論︶︵昭和七年︶一〇三頁︒同旨︑平場安治︑刑法講義総論︵昭和三六年︶七〇頁︒. 平場︑前掲七叫頁︒このような説明の仕方は︑次章で述べる﹁法的保護放棄説﹂と実質的にはほとんど異らないものとい. ピo疑び偉oFN9︾q自・︸ω.鳶S. 宮内﹁違法性の阻却﹂刑事法講座第一巻︵昭和二七年︶二二一頁参照︒ 20一ど僧曽●ρω・刈oo. 鼠o凝Φび勲㊤︒O●ω●曽q● 国o且堕帥●勲O●ω●§oo陳嚇び一終. 内藤謙﹁被害者の承諾﹂現代法学事典f四︵昭和四八年︶五四頁︒. 蜜oN磯oび帥.拶●O︒ψ曽①.. Go.. これまでその表示価値が法益侵害の意識的な許容を示す法制度として取扱われてきた︒. <等ω言僧鉾鉾ρ98・その結果として︑承諾が利益放棄と法の保護の放棄という両面をもつことは︑キーソツィの. 20一一℃薗●鉾ρψ. 20戸勲鉾ρ ω . ㎝ O い. るにすぎないからである﹂︵国凶窪訂ざ鉾勲ρψ審︶︒ ︵33︶. ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠. 二三︵三二一︶. の二つの意味のいずれもが逸せられるものでないことは明かである︒なぜなら︑両者は同一事象の二つの側面を描写してい. には客観的に理解されたーが︑その後︑まったく中立的に法の保護の放棄を意味することになった︒さて︑表示内容の右. これに対して︑その表示内容は︑まず︑利益放棄のメルクマールの上に精確に表現されたーそれは︑最初は主観的に︑後. 明言するとこ ろ で あ る ︒ ﹁ 承 諾 は ︑. ︵2 3︶. ︵31︶. えよう︒. ). ︵25︶. 23 ). 一≦oN磯oき鋤●. 22 21 20 19 ) ) ) ) 24.
(24) 論. 説︵曾根︶. ﹁法的保護の放棄﹂とみる考え方. 20戸節●鉾O●ω︒OO.. 三. 二四︵三二二︶. ドイッの多数説は︑違法阻却事由としての承諾を﹁法的保護の放棄﹂︵<①爲8罧鋤鯨号昌男9洋ωω3暮N︶と. ﹃︵34︶. 一. 説明する︒これは︑処分権者が法益の法による保護を放棄した場合には︑国家もまたこれに干渉する機会を持たない. という思想を背景としている︒法益侵害に対する刑罰的保護は︑国家的観点から保護の可能性と必要性の存するとき. に与えられるのであるが︑いわゆる個人的法益については︑当該対象の法益性の存否にとって法益の担い手の意思は. 決定的な意味を持ち︑対象に対する侵害の承諾があった場合︑国家刑罰権は後退することになる︒その限度で法秩序 は︑個人に対し当該法益の法による保護の必要性に関する決定を委ねているわけである︒ ︵1︶. 反面︑この考え方は︑承諾が財ないし利益の侵害そのものには何ら変更を加えるものではないということを暗黙の. 前提としている︒というのは︑利益の法による保護の放棄は︑けっして利益それ自体の放棄を意味しないからであ. る︒ここが︑同じく法益概念を立論の基礎としながらも︑利益放棄説と決定的に違う点である︒むしろ︑﹁国家的な ︵2︶ 規範の保護︵のけ壁島9R2aヨ①霧3暮N︶の放棄﹂ということから︑法益概念の法的・規範的側面に重点が置かれて. トゥレーガーは︑どのような犯罪について︑承諾が︑本来なら可罰的であるとして国家が一般に禁止している. いるものといえよう︒. ニ. 行為の違法性を阻却するのかという問を設定し︑これに次のような解答を与えている︒﹁承諾者の利益が行為によっ.
(25) てただ直接に︑あるいはまったく特別に侵害されるような犯罪︑したがって︑国家が本来︑被害者に対し彼の遭遇し. た損害を補償するという任務だけを持っている犯罪に関し︑直接当該行為によって脅かされた者があらかじめその遂 ︵3︶. 行に承諾し︑これを許容した場合には︑立法者にとって︑刑罰で威嚇せられた行為をなお違法かつ可罰的なものとし. て取扱う契機はまったく存在しない﹂︒いわゆる個人的法益に対する罪については︑被害者が当該法益の法による保. 護を断念したときには︑国家もこれに対する侵害行為を法的に無意味なものと宣言するというのである︒. その後︑この﹁法的保護放棄説﹂は︑被害者の承諾を構成要件阻却的承諾︵合意︶と違法阻却的承諾︵同意︶とに. 分け︑後者についてのみ︑被害者の法による保護の放棄が規範の後退をもたらすと考えるようになった︒違法阻却的. ︵4︶. 承諾は︑被害者が脅威を受けた法益の法による保護を放棄する結果として︑規範が後退する一つの場合であると説か. れる︒構成要件阻却的承諾が構成要件的行為ないし客体を脱落させることによってただちに構成要件不該当という事. 態を惹起するのに対して︑違法阻却的承諾の場合は︑構成要件該当性の認められた行為につき︑法秩序が被害者によ. る法の保護の放棄を追認することによって推定された違法性を阻却するという点に特色がある︒すなわち︑違法阻却. 的承諾の根拠は︑法秩序にとって︑法益の担い手が第三者の干渉に対し意識的に放棄した法益に刑罰の保護を与える ︵5︶ どのような機会も存在しないということから導かれるのである︒. 利益放棄説においては︑承諾の本質について事実的側面が強調され︑承諾は一種の事実行為とみられていたのだ. 二五︵三二三︶. が︑レンクナーによれば︑承諾は︑それだけを取出してみれば純粋に事実上の承認を表わしているのだから︑法律関係 ︵6︶ の設定・変更・消滅に向けられた意思表示︵笥筐9ωR包弩巨鵬︶たる法律行為とは異るが︑法が一定の意思外化 ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(26) 論. 説︵曾根︶. 二六︵三二四︶. ︵ミ竃臼怨島o霊躍︶に対して︑保護規範の後退というある種の法効果を与えている以上︑承諾は純粋の事実行為で ︵7︶ はなく︑法的行為︵幻Φo洋昏磐臼毒鵬︶という性格を帯びている︒ゲールズもまた︑違法阻却的承諾の本質は︑何ら ︵8︶. ︵9︶. かの法律行為としての機能にあるのではないが︑かといって単純な利益の放棄を内容とする事実行為でもなく︑刑法. 的保護の放棄によって行為の反倫理性を失わせるという効果を持つ慣習法上の法的行為である︑とした︒. わが国において︑正面から法的保護放棄説を採られるのは西原教授である︒教授によれば︑法の究極的な任務は ︵10︶. ﹁利益保護﹂にあるが︑﹁すべての利益を保護することは不可能であるしまた不必要でもあるので︑そのうち︑﹃保護. の必要のある優越的かつ正当な利益の保護﹄が法の任務である﹂︒そして︑被害者の承諾が違法性を阻却するのは︑ ︵11︶. 利益保護の必要性がないからであるとされる︒﹁利益の主体が保護の要求を放棄しているときは︑法は︑なおかつ保. 護を強行しなければならぬ例外の場合を除き︑その利益を保護の対象から除外する﹂︒利益の享受者が刑法による保. 護を放棄した場合︑その利益は法の保護に値するものとはいえないから︑刑法はもはやこれを保護する必要がないと いうわけである︒. さて︑法的保護放棄説に対しては︑それが︑一私人が自己の法益に対する法による保護を欲しないということだけ ︵12︶. で︑何故︑国家による公的な法の保護義務を失わせ︑刑罰による保護が脱落してしまうのかを十分に説明しえていな. いという批判が提出されている︒被害者の承諾の問題性は︑法律の客観的評価に対する被害者の主観的評価の関係の ︵13︶. 中に存する︒ノルによれば︑被害者の主観的評価︵動機および目的︶が法律の客観的評価に接近すればするほど︑承. 諾が適法化根拠として有効に働く可能性が増す︒﹁攻撃を受けた者は︑自己の利益および価値がどこに認められるか.
(27) ︵14︶. を決定し︑法秩序および司法は︑それが正当であるかどうかを決定する﹂という︒ここで問題となっているのは︑ま. さに﹁正当な目的を達成するための相当な手段は何か﹂という原則なのである︒そこで以下に︑承諾の違法阻却根拠. ドーナは︑被害者の承諾自体は︑これを利益の放棄および法の保護の放棄と解しつつ︑承諾に基く行為が正当. をいわゆる目的説の見地から説く見解についてみてゆくことにしよう︒. 三 ︵蛎︶. とされるかどうかの問題にとっては︑他の違法阻却事由の場合におけると同様︑社会的共同体の究極の目標との関連. が決定的であるとする︒承諾者の意思内容︑つまり自己の利益に対する主観的判断が︑社会理念によって客観的に根. 拠づけられるかということが︑違法阻却の認定に影響を及ぼす︒﹁全法秩序の終局的目標はまったく同一である︒そ. れは︑被法治者を客観的に基礎づけられた︑内容的に正当な意欲へ導くことである︒それゆえ︑承諾の問題の解決に. とっては︑他のあらゆる場合と同様︑次の点が決定的な根本問題である︒すなわち︑観察されている態度が正当な目 ︵16︶ 的のための正当な手段とみなされうるかということである﹂︒. これに対し︑木村博士はより端的に︑被害者の承諾は︑﹁法が個人に対して認めているところの処分可能な法益の. 処分権の保護という国家的に承認せられた共同生活の目的を達成するために適当な手段であるが故に違法性が阻却せ. ︵17︶. られる﹂と説明され︑他の違法阻却事由と同様︑その根拠は規整的原理としての目的説により理解するのが正しいと された︒. 目的説とその内容において実質的相違はほとんどないが︑社会倫理的秩序に着目する社会的相当性説によって違法. 二七︵三二五︶. 阻却根拠を説明するのが福田教授である︒﹁被害者の承諾による行為が違法性を阻却するのは︑それが社会的に相当 ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(28) 論. 説︵曾根︶. ︵18︶. 二八︵三二六︶. であるというところにもとめられるべきで︑それは︑侵害された法益との関連における行為︵目的・手段︶の相当性. によって判断されるべきであろう﹂と説かれる︒ここでは︑社会的相当性の概念が違法阻却の一般的・抽象的根拠と. してばかりでなく︑承諾による当該行為の個別的・具体的な違法判断の基準としても用いられていることに注意しな. ければならない︒むしろ︑違法阻却の根拠について論じつつ︑その重点は後者に置かれているものとみるべきであろ ︵19︶. う︒これは︑福田教授において︑社会的相当性の現実的な機能がまさに具体的に行為の違法性の有無を認定する基準 たる点にあることを物語っている︒. 法的保護の放棄が規範の後退をもたらすのは︑被害者の承諾に基く行為が国家的共同生活の目的達成のための相当. な手段であるからだとか︑社会倫理的秩序によって許容されているからであるという説明自体は︑かならずしも誤り ︵20︶. だとはいえない︒しかし︑右のような説明の仕方に対しては︑まさしく問をもって間に答える循環論にほかならず︑. またいわゆる﹁一般条項への逃避﹂であるとの批判がなされているが︑この批判はやはり甘受せざるをえないのでは. ︵21︶. なかろうか︒また︑これと関連して︑個人的法益の侵害に対する承諾を問題とするに際して︑直裁に﹁国家共同体の. 目的﹂とか﹁社会倫理秩序﹂といった概念を導入してみても︑ただちに問題を解決することにはなるまい︒その点. で︑木村博士が基本的には目的説に立ちつつも︑﹁法益の処分権﹂という一応法益から独立した︑一個の価値に着目し. たことは︑問題解決のための一つの方向を示したものといえよう︒ここでは︑法益の処分が国家の承認する︑その意. 味で国家から自由な領域に属する個人の権利として構成されているが︑この点に関し︑M・E・マイヤーが示唆的な ︵22︶ 解答を与えている︒.
(29) 彼は︑刑法上認められる違法阻却事由を︑e不法との闘争︑ω正当な利益の保持︑㊧特権行為の三つに大別し︑被. 害者の承諾を教育行為などと並べて第二のカテゴリーに含ましめているのであるが︑われわれがここで注目する必要. があるのは︑彼がその内部でさらに︑被害者の承諾を拒絶者に対する治療行為とともに︑﹁国家の干渉から自由な領 ︵23︶. 域﹂に属するものと考えている点である︒マイヤーによれば︑構成要件を充足した行為が国家的自由の領域に属する. ときは︑現行の刑罰による威嚇が排除される︒被害者の承諾も︑違法阻却事由の一つとして右の範疇に含めて理解さ. ︵24︶. ヤ. ヤ. れるわけである︒しかし︑マイヤーにおいても︑承諾がなぜ国家の干渉から自由な領域に属するのか︑その理由は明. ヤ. さて︑法的保護放棄説によった場合︑承諾に基く行為が適法なのは︑それが国家の干渉から自由な一種の放任. かでない︒. 四. 行為であるからだとしても︑そのことからただちに︑法秩序が被保護者にすべての法益に関し法の保護の放棄を認め. ︵25︶. ているということにはならない︒そこにはおのずから一定の限界がある︒保護客体の担い手が国家または社会である. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 場合には︑承諾による違法阻却は認められない︒この点では︑利益放棄説との間に結論上の差異はない︒問題は︑個 ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑. ︵26︶. 人的法益に対する侵害の場合である︒図式的に述べれば︑利益放棄説は原則として承諾に違法阻却の効果を認めたの. であったが︑法的保護放棄説では︑逆に例外的にしか承諾を許容しないということになるのではなかろうか︒という. のは︑後説︑とくに目的説ないし社会的相当性説が︑承諾およびそれに基く行為のいずれかまたはその両者の有効性. ないし適法性を判断するにあたって︑さらに倫理的・規範的観点からしぼりをかけているからである︒. 二九︵三二七︶. 例えば︑マウラッハは︑﹁放棄しうる法益の範囲を画定しただけでは︑依然として法益の担い手によって宣言され ﹁被害者の承諾﹂の違法阻却根拠.
(30) 論説︵曾根︶. 三〇︵三二八︶. た法の保護の放棄が︑以後︑構成要件該当行為をすべての場合に適法化することができるという表明には至らない︒ ︵27︶. むしろ承諾は︑法益の放棄︵行為の結果無価値の受容︶の外に︑行為無価値との妥協をも表明した場合にのみ適法化. 力を展開する﹂と説く︒ここに︑この立場の承諾論の特質が端的に示されているといえよう︒被害者の承諾について. も︑結果無価値と並んで行為無価値に同等の評価が与えられるのである︒その結果︑ドイッ刑法二二六条aで身体傷 ︵28︶. 害に対して表明されている根本原則を一般化し︑被害者の承諾を徹底して﹁善良の風俗﹂の範囲内でしか有効とみな. いという見解に到達することになる︒﹁法益の担い手の処分の自由は︑それ自体自由に処分しうる法益の場合であっ. ても︑その結果が法秩序または倫理観に矛盾する場合には認められない︒法益の放棄が可能であっても︑所為が承諾 ︵29︶. があったにもかかわらず善良の風俗に反している場合には︑承諾が適法化する力を持たないということは慣習法上争. いのない命題である﹂というのがこの説の帰結である︒ ︵30︶ このようなドイッの通説的見解に対しては︑﹁個人の自由﹂を重視する立場から次のような批判が提出されている︒. ﹁二二六条aは︑身体傷害の場合においてすでに︑それが可罰性を善良の風俗というきわめて不確定な概念にかかわ. らせることによって︑一考を要する規定を立てているのであるが︑それのみか理論上これといった根拠もなく︑右の. 概念をその他の構成要件へ導入することは︑自由のための秩序の根本評価と鋭く矛盾するという結果に導かれざるを. えない︒器物損壊︑侮辱︑私的秘密の侵害といった犯罪の場合︑被害者の承諾を︑所為が善良の風俗に反するかどうか. に依存させることは︑不必要な道徳化の結果として自己決定の自由が後退することを意味する︒二二六条aを身体傷. 害以外の犯罪へ転移することの中に存する個人の道学者的後見は︑基本法秩序によっては維持しえない︒殺人および.
(31) 身体傷害以外の純粋に個人的法益に対するすべての犯罪における被害者の承諾は︑それが自由な︑事態の完全な認識 ︵31︶. から生まれたものであって︑しかも行為時にまで持続するものであるかぎり︑当該所為が善良の風俗に反するかどう かにかかわりなく尊重されねばならない﹂とするものである︒. 右の論旨は︑わが国の現行実定法秩序の下においても基本的には妥当しうると考えられる︒そこで︑﹁善良の風俗﹂. にあくまで承諾の制限原理としての機能を認めようとするのであれば︑この概念から倫理性を払拭し︑より法的性格. を帯びたそれへと深化・変容せしめる必要がある︒その点で︑西原教授が︑﹁善良の風俗﹂による限界づけを︑﹁被害. 法の保護の放棄が私的自治の領域に属するものとして国家がこれに干渉しないというのは︑まさにそうするこ. 者の承諾があっても︑その被害者の利益の侵害が︑これと同種の利益を保護するための一般的な規範になお抵触する ︵32︶ ︵33︶ と判断されるときは︑違法性は阻却されない﹂という趣旨に理解されているのが注目されよう︒ 五. ヤ. ヤ. ヤ. とが国家ないし法の任務に合致するからである︒法︑とくに刑法は︑その重要な機能の一つとして法益︵財︶保護の. 任務を負っている︒しかし︑法益の保護それ自体が刑法の究極の目標だというわけではない︒法益は︑人間が自由な. 昌αQqR勺Rω自︶. 自己実現という目標達成のために不可欠な客体であり︑そのための必要条件である︒人間の自由な自己実現︵ヰ9Φ. 目窪8置8冨ω①まωマR&爵膏﹃q凝︶i人格の発展と完成︵国旨壁一言昌西茸α<R<o一鼻o目導昌. ーを確保し︑促進することこそが︑刑法の本来の任務とするところのものでなければならない︒法益も︑それが人 ︵34︶ 間にとりその自己実現に役立つが故に︑またそのかぎりでのみ法によって保護されるに値するわけである︒換言すれ. 三剛︵三二九︶. ば︑法益概念は︑人格の自由という指導的な価値理念の犯罪論の分野における客観化にほかならない︒法は︑究極的 ﹁被害者の承諾 ﹂ の 違 法 阻 却 根 拠.
(32) 論. 説︵曾根︶. 三二︵三三〇︶. には法益そのものではなく︑法益概念の依拠する自由な人格を保護の対象としているとさえ考えられる︒厳密に言え. ぼ︑法益主体による法益の自由な処分可能性を尊重することこそが人間の自己実現に資するものといえよう︒このよ. 09. &巽︒q糞︒畠諾貰のの︒窪︒⑦毒αqの鴨言含o巨N爵ぎ囲凝Sω霞鋤凝︒ω︒貫. ω嘗鉾φ昌妻①旨ダω梓轟牌9算鳩≧蒔φ謹o汐o械↓o鮮一Sどω●一お・. うな観点から承諾論を展開したのが︑伝統的に個人自由を重視する傾向のあるスイスの二人の刑法学者であった︒. ︵1︶. ︵2︶<撃ω置僧鉾鉾ρω OωOト一8凶ω ● 一 虞 ・. ︵3︶↓益鵬︒び9①田昌&一凝琶α⇒号ω<畳①§︒昌彗α. ≧蒔oヨ①筥醇↓亀い. 噂︾β自. 一〇斧ω︒o︒o︒o︒・. 一8μψ︒︒ ?3ピ︒8ざ︒さ9︒国貯註一凝馨閃. ︵4︶o︒︒鼠ω扇言三一凝§騎茸q田黛器感且暑傷霧く毘︒§魯首の鼠富︒拝o︾お翼ω﹄①累切蜜鱒ξ8Fu・暮の昌8 ω鉾鉱8︒簿. 竃ぎ留ユ簿蒔R仁昌創山08昌鵯のo旨一一〇げR<o旨﹃90ぴNωけ≦認℃おOO一ω︒ホもo●. ︵5︶ω9α鼻・−ω9&留が国︒ヨ馨導巽讐ヨω欝凝︒ω︒言宮︒F寅︾ρゆ. 被害者の承諾を純粋の法律行為とみる学説がかつてドイッに存在した︒その代表者ツィテルマソは︑民法一八二条以下に. 従って承諾を私法上の法律行為であると考えた︒なぜなら︑承諾は︑法的な効果の招来に向けられた意思表示であり︑それ. ︵6︶. がおよそ有効であるかぎり︑相手方に対し行為のための常に取消しうる権利を譲与するという効果を持つからである︒しか. 勺轟図冨8︸這09ψ一中︶︒同旨. も︑権利の行使は違法とはなりえないのであるから︑承諾は違法性の阻却を私法に対してと同様︑刑法に対しても実現する. ︾βFω●=一曾. とした︵N詳色臼餌旨9︾¢霧o貰娼⑦留吋≦達R冨o算訟oゲ犀oぴ︾﹃o鼠く隔警&①9︿浅馨駐oびo 男量ロFU霧ω鉾鷺ひqoωo欝び8げ農﹃鼠ωUo暮の90閃o一〇ダ一一−置. 08&ρ勲 鉾 ρ ω ■ ま o o 噂. ︵7︶ い①旨o犀昌oぴ鉾騨ρψ群3●同旨︑ωo財α昌犀o−ωoげa血①お勲騨ρ堕群oo一︒. ︵8︶.
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