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(2) 136 早稲田商学第337号. とは奈く困難であると同時に︑骨を折れぱ折るだけの甲斐はある装で嚢一と言い︑さらに言菱次いで︑. 自分は表札の代りに︑人名辞典︑電話帳︑種々の会員名簿などを調べ︑これはと思う名にぶつかると︑丹念に手帳. に書きとめたこともあった︒﹁何と云つても一番頭を使ふのは女の名で︑手帳に澤山書き溜めてあつても︑ぴつた り飲まるのがその中に見出せない場合が多い﹂と打明げている︒. たしかに︑名前というものはむずかしいものだ︒とはいえ︑実際の名にしろ作中人物のそれにしろ︑名前という. のはあまり凝りすぎてもいけない︒難解にすぎるもの︑奇を街ったもの︑趣味に偏したもの︑命名者の意図の露骨. に見えすいたもの︑こうした名はあまり良い名前とはいえないだろう︒小説の上でいえぱ︑名前だけが浮き上らな. いこと︑名がそれぞれの人物の環境︑性格︑言行等とごく自然に一致していること︑つまり作中人物の名が︑物語. の世界としっくり一つに溶けあい︑読老に違和感を惹起Lないことがまず肝要であろう︒読後︑登場人物の名前を. 思い浮べるだげで︑作品世界がおのずから循梯とすれぱ︑さらには︑名が一つの象徴性を獲得するに至れぱ︑−﹂れ. は申し分ないだろう︒谷崎のことさら苦心したという女性の名前について言えぱ︑例えぱ﹃痴人の愛﹄のナオミ︑ さり ﹃董刈﹄のお遊さん︑﹃癒癩老人目記﹄の顛子などといった名は︑その顕著た成功例といってよいだろう︒. ﹃細雪﹄の三姉妹︑いや四姉妹は︑周知のように上から順に︑鶴子︑幸子︑雪子︑妙子と命名され︵いる︒ごく. ごく平凡な︑ありきたりの名前︒数ある谷崎の小説の中でも︑これほど何の変哲もたい女性の名は例を見狂い︒L. おけ. まき. かLながら︑これこそ彼の言う﹁何でもないやうに附けてあつて︑而もその人物にぴつたり當て鉄つてゐる名前﹂. ではなかろうか︒その奥型例ではたかろうか︒以下その訳を少々述べてみたいのだが︑その前にまず姓︒﹁蒔岡﹂. という彼女たちの姓について二言︒蒔岡の蒔は︑蒔絵の蒔である︒蒔絵とは︑改めて説明するまでもたかろうが︑ らでん 金粉や銀粉あるいは螺銅等をもってさまざ重の漆器︑1経箱や硯箱手箱その他家具調度類に︑豪華淀絵模様を描. 813.
(3) 抵んけん いた︑我国の伝統的た漆工芸の一つである︒董屋の自宅で幸子は︑﹁光琳菊の蒔絵のある本間の琴﹂︵中巻二十七︶を. 弾き︑東京の本家には︑犬阪から持ってきた﹁蒔絵の棚﹂︵中巻十蚕︶が飾られているが︑蒔絵は今日では︑博物館 ま や美術館︑さもなけれぱ余程の旧家の中でしか一般の眼にふれないであろう︒蒔はさらに種を蒔く︑物をまきちら. すという意で用いられるが︑これはいささかこじつけと見る向きもあるかもしれぬが︑派手な遊びで湯水のごとく. 金銭を浪費して︵金を蒔いて︶家運を煩げた︑四姉妹の亡父を思い起こさせないでもたい︒すたわち︑蒔岡という. 余りありふれてはいない姓︑やや重々しく︑ちょっぴり華麗な味わいをもった姓は︑かって栄華を誇り今は没落し た船場の旧家にふさわしい家名といえるだろう︒. 蒔岡と対照ともいえるのが井谷という姓︒井谷は︑幸子や雪子の行きつけの︑神戸の美容院の女主人で︑しょっ. ちゅう縁談を持ってくる︒雪子の五回の見合いのうち︑三つに井谷が関わり︑井谷とその娘に尻をたたかれ︑せき ︑. ︑. ︑. ︑. たてられるように︑彼女が最後に結婚を決意するのも面白い︒蒔岡家の姉妹が万事に悠長なのに比して︑男まさり ︑ ︑ ︑. すん. ︑. ︑. で働きものの井谷は︑頭の回転が早く︑はなはだせっかちで早口にまくLたてる︒まきおかという名が︑たっぶり. としてのどかな音をひびかせるのに対し︑いたにという鋭く一寸と寸の詰った音︒それに岡と谷の対照など︑二つ. の姓を並べてみるとなかなか面白い︒谷崎が︑作中人物の姓に関しても︑非常にこだわっていたことを示す好例と みまき して︑物語の終り近く︑﹃細雪﹄下巻三十五に︑こんなくだりがある︒御牧とは︑雪子がようやくにして結ぱれん とする当の相手であるが︑. 車は三条通りを東に︑烏丸通りを真つ直ぐ南へ下つたが︑その間御牧はひどく上機嫌で︑牽の中に葉巻の匂を籠. らせながらLやべりつ∫けた︒悦子はいつか御牧のことを小父ちやんと呼ぶやうにたつてゐて︑ねえ︑小父ちや. 812. 細雪四姉妹. 137.
(4) ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. 811. ん︑小父ちやんの名前が御牧で︑うちの名前が蒔岡で︑敦方もマキの字が付くんやわねえ︑と︑突然そんたこと. を云ひ出したので︑此奴あい∫ことを云つてくれた︑悦ちやん︑君は中々利口だと︑御牧はすつかり嬉しがり︑. だからやつぱり悦ちやんの家と僕の家とは最初から縁があつたんだよ︑と云ふと︑ほんたうにね︑と︑光代が傍. から合槌を打つて︑雪子お嬢さんもスーツケースやハソカチのイニシャルをお書き愛へに恋る必要がないなんて︑ 第一便利ぢやございませんか︑と云つたのには︑雪子も聲を挙げて笑つた︒. なお︑この維新の際功労のあった︑公卿華族の︑御牧という家名も凝ったものだ︒御牧とは︑牧すなわち牧場を. 尊んで言った古語︒源氏物語をはじめ︑古い文献にしばしぱ見うげられるいわぱ由緒ある言葉である︒ちなみに︑. 御牧實のモデルとなった男性は﹃三つの場合﹄のその三︑﹁明さんの場合﹂に記されているように︑渡辺明と称し た︒. ︑. べて三音節であること︒それぞれが皆︑ごく月並次名前であること︒響であるが︑以下いささか名前に︸﹂だわりた. て︑漢字二字をもって構成され︑かつ子という文字を共有していること︒つるこ︑さちこ︑ゆきこ︑たえこと︑す. ︑. あること︑その良き姉妹であることの共通点は︑すでに名のレベルで明らかである︒つまりこの四人の名前がすべ. 異つた特長を持ち︑亙に良い錯照をなしたがら︑一方では紛ふ方たき共通黙のあるところが︑見る人の目にいかに おつれき もよい姉妹だと云ふ感を興へた﹂と︑上巻七にあるが︑彼女たちが多少の軋櫟にもかかわらず終始仲の良い姉妹で. さて︑鶴子︑幸子︑雪子︑妙子の蒔岡家の四姉妹︒﹁此の姉妹はたぶ徒に似てゐると云ふのとぱ違つて︑それ人\. 二. 138. 早絹田商学第337号.
(5) がら︑﹃細雪﹄. の四姉妹を上から順に一瞥してゆきたい︒. 鶴子︒董屋の分家蒔岡家を主舞台として展開するこの物語に︑作者がいっとき︑本家の鶴子をはずして﹃三姉. 妹﹄というタイトルを考えた︐﹂とからもわかるように︑長女鶴子は︑下の三人に比べて出番も少なく︑また同じ姉. 妹でありながら︑三人とはいくぶんかけ離れた存在である︒それは︑名前の点でも明らかであろう︒幸子︑雪子︑. 妙子は︑今目でもしぱしぱ耳にするごくありきたりの︑現代風の名前︒対して︑瑞鳥として︑長寿の象徴として古. 来尊ぱれてきた鶴をとり入れた鶴子という名が︑同じく平凡であり恋がら︑いささか時代がかった印象︑古風な趣. を与えるのは否めないであろう︒格調のある︑立派液名前鶴子︒いかにもそれは︑家柄と格式を誇った蒔岡家の総. 領娘にふさわLい名といって良い︒次女幸子は︑この姉の結婚式に列席した折のこと︑﹁あの時の姉が世にも美し. く︑さうして立派であつたことを今も忘れない﹂︵中巻十五︶︒﹁顔の寸が長く︑髪はと云へぱ昔の平安朝の人たどの. やうに立つと地に着くくらゐあるのを︑つや∫かに島田に結ひ上げた姿は︑實に堂々として︑艶麗でありたがら威. 嚴があり︑こんな人に十二単衣を着せたらぱどんなであらうかと思つたものであつた﹂︵同上︶と︑彼女は回想し. ている︒この婚礼の時の衣裳がまた︑豪華なものであった︒全盛時代の父が特に染めさせたという一と揃い︑それ. は﹁三人の養家に下絵を養かせた目杢二景の三枚襲ねで︑一番上は黒地に嚴嶋︑二枚目は紅地に松嶋︑三枚目は自. 地に天の橋立が描いてあるのであつた﹂︵中巻三︶︒日本三景の絵模様というのがいい︒そ亘言えぱ﹃奥の細遣﹄の︑. ﹁そもくこ圭り隻れど一で讐る有名蓬島のくだ芝︑蓬の句で﹁松撃鶴に身をか慧亡享一と いうのがあった︒. 鶴に似て柄の大きい長女鶴子は︑﹁総べての輸郭が犬作りに出来てゐた︒幸子から下へ煩々に背が低くなつてゐ. 810. 細雪四姉妹. 139.
(6) 140. 809. らはぜい るその同じ比例で︑姉は幸子より又一層上背があり︑小柄た義兄と並んで歩くと姉の方が高く見えるくらゐであつ. たL︵中巻十五︶﹂身の丈があり︑﹁四肢の肉づきもゆたか﹂︵同上︶な彼女は︑精神面でもおおようなところを示す︒. 早くから母親代りになつて妹たちの面倒を見︑さらに六人もの子女を育てたがら夫を助げて傾きかけた家運の挽回. に努めてきた彼女は︑四人姉妹の中で一番苦労をしながら二番奮時代の教育を受げてゐるだけに︑昔の箱入娘の. 幸子は姉のかう云ふところを見せられるのは珍しくなかつた︒かう云ふ風に︑ 人の云ふことも聞えないくらゐ熱. 引いておきたい︒. ウナギが大好物というのも面自いが︑東京への引越し準備におおわらわの彼女の様子がすこぶる愉快なので一寸と. い﹂︵中巻三士二︶などとからかわれる鶴子は︑不思議にユーモラスな存在である︒彼女が︑なかなかの酒好きで︑. 一種のあわれを催させるところもある︒﹁姉妹のなかでも一番おつとりしたところがあり︑妹たちから︑神経が鈍. もに︑どうもうまく言え恋いのだが︑その純粋な生き物の動きは︑コミカルであると同時に︑どこか孤独扱感じ︑. はウサギのことであるが︑鳥というもの︑そのキヨトキョトLたしぐさは︑眺めていると何となくおかしい︒とと. ﹁犬や猫のやうには人情が添はず︑人間とは全く関係のない︑何かピクピクした奇妙な存在﹂︵上巻八︶とあるの. と言われるほどにも極端に気が長いのである︒. 長女鶴子は︑人一倍電話も長いのであるが︑﹁物を尋ねられると五分も立つてから返答をするやうな﹂︵上巻十三︶. ﹁単純で人の好い姉﹂︵下巻二十一︶なのである︒いったいに︑蒔岡家の姉妹は悠長に出来ているのだが︑なかでも. と身勝手たところもあるとはいえ︑﹁姉妹のうちで一番と云つてもよいくらゐ優しいところのある姉﹂︵中巻十五︶︑. 純な気質﹂︵上巻二十一︶を今も残す︒いくっになっても﹁おほどかな﹂﹁娘心﹂︵下巻三十一︶をなくさず︑時に一寸. 早稲田商学第337号.
(7) 心に︑寸分の隙もたく立ち働く姉を見れぱ︑知らない老は誰でも感心Lて︑何と云ふシッカリした︑甲斐々々し. い主婦であらうと思ふのであるが︑ほんたうは︑姉はそのやうなシツカリ老ではたいのであつた︒いつでも何か. 事件が起ると︑最初に先づ荘然としてし童つて︑放心したやうな状態になるが︑暫くして︑その期間が過ぎると︑ 肚た 今度はまるで神糧りになつたやうに働き出す︒だから︑そんなところを端から見ると︑いかにも骨身を惜しまた. い活動的た世話女房のやうに思へるけれども︑實はもう興奮Lきつてゐて︑何が何やら分らなくたり︑た父夢中 で動いてゐるだけなのであつた︒︵上巻二十一︶. さらに︑移転のあいさつのためにまわった方々の親戚でもてなLにあずかったについて︑その礼状をLたためる. のに︑字引や書翰文範と首っびきで︑字のくづし方一つ︑言葉づかい一つにも苦心惨旛Lている彼女の姿を叙Lた がら︑. 東京一行く云ふ票管突筆つたんで︑此の間募急悲しいてく涙竃. ﹁何せ姉ちやんは︑重役さんの家へ挨拶に行く時かて︑二三目も前から口上の言葉を口の中で暗謂して︑濁りご とにまで云ふぐらゐやさかいにな﹂. ﹁そんで︑云ふことがいな︑ ひとら. て﹂やうがたかつたけど︑もうちやんと覚悟出来たよつてに︑どないもあらへん︒こないなつたら︑一日も早う 東京へ行つて︑親類の人等びつくりさしてやらんならん︑やて﹂ ﹁ほんに︑そんなことを生きがひにしてる人やねんわ﹂. さう云つて三人の妹たちは︑ひとしきり姉を姐上に載せて笑ひ話をしたことであつた︒︵上巻二十一︶. 808. 細雪四姉妹. 141.
(8) なかせんきい. 80?. ともあれ鶴子は︑三十七という年になってはじめて︑それまで一度も離れたことの汝い犬阪の土地から飛び立ち︑ あ主. とが. 天がげて︑東京の場末に舞い下りるのである︒犬阪の上本町の︑﹁わずかに中前栽の鈍い明りがさしてゐる書も薄. 暗い室内に︑つやくと拭き込んだ栂の柱が底光りを﹂てゐるL︵上巻二十一︶︑古風た作りの格式ある家とは大い ね だ に異なり︑彼女の東京渋谷の住いは︑﹁柱の細い︑根太の悪い︑見るからに粗末な借家普請で︑子供たちが梯子段. を駈け降りてさ一家募嘉ぐらくする︒襖や障子の至るところ破れてゐるのが︑新しい︑夢ちやけ萎妻. 建具であるだけに︑一層哀れっぽく︑情けなく見える﹂︵申巻十五︶︒引越後一年を経過して訪れた幸子は︑粗末な. 二階の座敷に飾られた︑大阪から持ってきた﹁栖鳳の鮎め軸﹂や﹁頼春水の書﹂﹁蒔絵の棚﹂などをいかにも場違. いたもののように︑﹁恰も姉その人の境遇を象徴してゐる﹂︵同上︶かのように眺める︒Lかし︑六人の子と夫の世話. で︑新しい土地での辛労と生活苦で︑さぞかし所帯やつれもしていようと想像していた姉が︑かつての精彩こそな. いものの︑意外に若々Lく︑髪かたちや身なりもととのえ︑﹁どんなになつても嗜みを忘れたい﹂のに感心し︑抱 ちoあくた. かれた子供が﹁平手でぴたく叩いてゐる姉の胸元の︑まだたるみのたい皮膚のつやと色の白さを打ち跳め﹂︵同上︶. るのである︒鶴子は︑さたがら︑塵芥の中に舞ひ下りた︑高貴た鶴︑美しい鶴を思わせないでもたい︒ちなみに︑ 長女鶴子のモデルになった人は︑朝子と云った︒. 見つめる女人の姿に明らかであろう︒. 幸子は文字通り幸福な人である︒満ち足りた人である︒ すでに︑それは有名な書き出し︑ 鏡の中の美しい己れを. 三. 142. 早稲田商学第337号.
(9) ﹁こいさん︑頼むわ︒I﹂. 鏡の中で︑廊下からうしろへ這入つて来た妙子を見ると︑自分で襟を塗りかげてゐた刷毛を渡して︑ 其方は見ず. に︑眼の前に映つてゐる長橋祷姿の︑抜き衣紋の顔を他人の顔のやうに見掘えながら︑ ﹁雪ちやん下で何してる﹂. と︑幸子はきいた︒. つづけて作老は︑彼女の豊麗た肉体を﹁決して猫背ではないのであるが︑肉づきがよいので堆く盛り上つてゐる. 幸子の肩から背の︑濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしてゐる色つやは︑三十を過ぎた人のやうでもなく張りき. つて見える﹂︵上巻一︶と述べている︒ただに右の場面にとどまらず︑この物語では四人姉妹の中で︑一人幸子だけ Lろめ. がしばしぱ鏡賃入る︒例えぱ︑中巻一の﹁ときぐ白眼の色を気仁て鏡姦き込む一ξ一ろ︑﹁合姦一一下巻. 二十五︶をするところ︑あるいは夫と旅行した河口湖畔の︑フジ・ヴィゥ・ホテルの︑凸面鏡の作用をたした魔法 罎の表面︒. ﹁ほら︑此慮にゐるあた﹂を見て頂戴︒⁝⁝L幸子がさう云つて︑首を振つたり手を挙げたりすると︑凸面鏡の. 中の彼女も逢かな所で首を振つたり手を挙げたりする︒その映像で見ると︑彼女は水晶の珠の中に棲む妖精か︑ 龍宮の姫君か︑王宮の王妃のやうにも見えるのであつた︒︵下巻二十五︶. ﹃細雪﹄の鏡はおそらく︑ 幸子の幸福を写し出す鏡︑圭言って遇言ではないであろう︒. 806. 細雷四姉妹 143.
(10) 144. 早稲田商学第337号. 鶴子をのぞく三姉妹を比較対照すると︑衣裳︑持ち物などでは雪子が一番目本趣味︑逆に一番西洋趣味たのが妙. 子︑ちょうどその中間を占めるのが幸子である︒﹁顔立ちなども一番円顔で目鼻立がはつきりしてゐ︑体もそれに. 釣り合つて堅太りの︑かつちりした肉づきをしてゐるのが妙子で︑雪子はまたその反対に一番細面の︑杜よくと. した痩形であつたが︑その両方の長所を取つて一つにしたやうなのが幸子﹂︵上巻七︶なのである︒服装でも︑抄子. は洋服︑雪子はいつも和服︑対して幸子は︑夏の問が洋服で︑他は和服といった風︒さらに趣味の点でも︑雪子が. ピアノをやり︑妙子が山村流の地唄舞を舞うのに対し︑幸子はピアノも弾けぱ琴も三味線もできる︒. 中庸を得た︑めでたき人幸子︑と同時に︑彼女は少々おめでたい人間でもある︒四季の中でとりわげ春を愛し︑. 亡父の﹁陽気で派手た性質﹂︵中巻二十二︶を誰よりも濃く受げっいだ彼女は︑また人からも﹁孔雀が羽根をひろげ. たやうな方﹂︵下巻十二︶とか︑﹁非常にぱっと﹂た派手なお顔だちL︵上巻九︶などと評され︑彼女が見合に同席す. ると︑妹さんの印象が消される︑たどと言われる︒幸子は︑雪子のために犬いに弁じながらも⁝:. でも本心は︑さすがに優越感を抑へ難いところもあつて︑﹁あたしが一緒やつたら雪子ちやんの邪魔することに. たるねんて﹂と︑夫の貞之助の前でだげは幾らか誇らしげに云つたりした︒貞之助も亦︑﹁そんたら僕だげ附い. て行つたげる︒お前は遠慮しとき﹂と云つたり︑﹁いかん︑まだそれでもいかん︒もつとく地味に作らたんだ. ら︑又妹のお株を取る云はれるがた﹂と︑化粧や着附のやり直しをさせたりしながら︑矢張内心はさう云ふ花や. かな妻を持つたことに喜びを感じてゐる様子が︑幸子の眼にははつきりと見えた︒︵上巻九︶. 雪子がついに父の手で良縁を探してもらえず︑妙子がまだ幼いうちに父を亡くしたのに対し︑ 幸子の幸福は︑重. 805.
(11) ず全盛時代の父の恩恵を十分に身にうけて育ったこと︒ついでそれは︑やさLくものわかりのいい︑貞淑な妻なら. ぬ夫貞之助を伴侶とすること︒夫が親身の兄も及ぱぬくらいに妹たちの世話をやいてくれるのは︑﹁さう云つては おざ 已惚れかも知れたいが︑つまるところは妻への深い愛情がさせる業であらうと︑幸子は内心得意にも﹁有難くも﹂. ︵下巻三十二︶思う︒さらに彼女の幸福︑1鯛でも明石の鯛でたげれぱうまがらず︑桜も京都の花でたけれぱ見た. ような気がしない幸子の幸せは︑上方の風土を愛し︑関西の土地にいつまでも住めることにある︒東京に来た彼女. は︑夏の夕暮にもかかわらず﹁何となく寒々したもの﹂を︑繁華な街もどこか﹁しつとりとした潤ひ﹂が欠げてい. るように︑道行く人の顔つきも﹁変に冷たく白ツちやけてゐる﹂ように感じ︑﹁藍屋あたり︒の空の色や土の色の朗. かさ︑空気の肌触りの和やかさ﹂︵中巻十四︶を思い浮べる︒十目振りに家に戻った幸子は︑テラスの椅子に腰かけ て庭をながめながら︑. 別に取り立て∫風情もたい詰まらない此の庭だげども︑此処にイんで松の樹の多い空気の匂を嗅ぎ︑六甲方面の. 山々を望み︑澄んだ空を仰ぐだけでも︑阪神間ほど住み心地のよい和やかな土地はないやうに感じる︒︵:⁝︶. 東京と此方とでは風の肌触りからLて違ふと︑雪子が口癖のやうに云ふのも尤もである︒あ∫云ふ所に移転Lな. .■いで済ませられる白分は︑姉や雪子に比べてどんなに幸福であるか知れない︒−幸子はその感想に浸ることが. ︒. 此の上もなく楽しいのであつたが︑ と七﹂ ﹁お春どん︑あんたは伺光見物までさしてもろて︑え\ことしたげど︑あたしは東京と云ふ所︑ちよつともえ⊥. ことあれへんたんだ︒やつぱり自分の家が一番やわ﹂ と︑お春を掘まへて云つたりLた︒︵中巻二十︶. 804. 細雪四妨妹. 145.
(12) 146. 803. 夫婦円満︑お家安泰︑おそらく幸子ほどにも幸福で︑満ち足りた女主人公は︑かえって珍らしいくらいだろう︒. 幸子という名は︑しかLまた︑他老の幸福︑とりわけ二人の妹の幸をこい願い︑そのために努力奔走する者とLて. も彼女にふさわしい︒彼女は︑﹁自分の生活が︑内的にも外的にも︑如何に二人の妹達と密接に結び着いてゐるか. を﹂感じ︑波潤に乏しい︑平和な親子三人の家庭が︑二人のおかげで﹁色彩が豊富にされ︑雰囲気が花やかにされ てゐる﹂︵中巻二十二︶のを宣目ぶ︒. 彼女と二人の妹達の間柄は︑ちよつと普通の姉妹の観念では律し難いものがあつた︒彼女はしぱく︑貞之助の. ことや悦子のことよりも︑雪子のことや妙子のことを心に懸けてゐる時間の方が多いのではないかと思つて︑自. 二人の妹の幸を求める. ら驚くことがあつたが︑正直に云つて︑此の二人の妹ぱ彼女に取つて︑悦子にも劣らぬ可愛い娘であつたと同時 に︑無二の友人でもあつたと云へよう︒︵中巻二十二︶. ﹃細雪﹄なる小説は︑ある意味で︑分家蒔岡家の女主人幸子が︑夫貞之助の助力を得て︑. される瀬越との話を︑結局破談にせぎるを得たくたった幸子は︑. 雪子︒音もなく降り積む雪︒静かな雪︒本家の調査の結果︑おそらくは雪子自身もにくからず思っていたと推測. 物語である︑主言っても良いのではなかろうか︒なお︑幸子のモデルとなった谷崎夫人は︑ 松子と称した︒. 早稲田商学第337号.
(13) ﹁さつき姉ちやんが来やはつたけどな︑たつた今帰りはつてん﹂ ま と︑さう云つてちよつと問を置いてみたが︑雪子が例の︑ ﹁ふん﹂. と云つたきりなので︑仕方在L■に後を続けた︒ ﹁あの話︑あかなんでんわ﹂ ﹁さうか﹂. ﹁あのお母さんと云ふ人なあ⁝⁝中風病みや云ふ話やつてんげど︑ 精神病らしいねんわL ﹁さうか﹂. ﹁それやつたら︑問題になれへんよつてにな︑⁝⁝﹂ ﹁ふん﹂︵上巻十四︶. もちろん﹁ふん﹂﹁さうか﹂﹁ふん﹂が雪子のせりふである︒彼女の気持もLくは動揺は︑ どうにも読み取りょう. がないのであるが⁝⁝もう一つ引用しよう︒本家について雪子も東京へたってもらいたい︑ と鶴子の命をうげた富 永の叔母が︑暑い目ざかりを大阪から訪れたところだが︑. ﹁とうく叔母ちやんが来やはつてんわ﹂ ﹁:::﹂. ﹁どないする︑雪子ちやん︑1﹂. 802. 細雪四姉媒. 147.
(14) 148. 早稲田商学第337号. ︵中略︶. ﹁−明目にも帰つて来て︑皆と一緒に立つてほしい︑云うてはるねんげど︑−﹂. 雪子は黙つて項垂れた童ふ︑裸誰にされた目本人形のやうに両腕をだらりと側面に沿うて垂らして︑寝台の下に 5ら ころがつてゐた悦子の玩具の︑フートポール用の大きなゴム毬に素足を載せながら︑時々足の麟が熱くなると毬 を廻して別な所を蹟んでゐた︒ ﹁こいさんは?・﹂. ﹁こいさんは仕事の都合もあるやろさかい︑今直ぐとは云ぱんげど︑きつと後から引き揚げて来ないかん云ふの んが︑兄さんの意見やさうな﹂ ﹁⁝⁝﹂︵上巻二十二︶. 右の︑ゴムまり云表のくだりは︑名描写として名高いが︑童た︑谷崎のフート・フェティシズムをわずかに覗か. せ︑かすかた色気がなんともいえないのだが︑それはさておき︑﹁⁝⁝﹂︑つまり無言の言葉が︑雪子のせりふであ る︒. この長い物語を通じて︑彼女は終始寡黙でもの静かである︒﹁口数の少い︑ゐるのかゐないのか分らないやうに. ひっそり﹂︵中巻二十九︶とした存在︒が︑単に静かであるにとどまらず︑彼女は冷たい雪︑また冷静でもある︒冒. 頭の︑レオソ・シロタのピアノの会へ出掛げる問際︑突然井谷から催促の電話が入り︑﹁﹃どうせう︑どうせう﹄と︑. 幸子は鼻を鳴らしたが︑雪子はまるで他人事のやうに澄ま﹂込んでL︵上巻蚕︶いる︒早く縁づかせたいとまわりが せ 躍起になっているのに対して︑雪子のせりふが︑すこぶるふるっている︒﹁さうかて︑そない急かんならん理由あ. 801.
(15) るやろか﹂︵上巻七︶︒また︑瀬越との話が破談と決った直後︑悦子と遊びに来た︑ローゼマリーに﹁﹃さあ︑ル︑︑︑ー. さんも這入って頂戴﹄と︑いっもと変りのない声で﹂︵上巻十四︶言うのだ︒次にあげるのは︑妙子の不行跡を幸子 と二人で問いつめるところ︒. ﹁そんたら聞くげど︑I﹂. と︑雪子は肢るべく妙子の方を見たいやうにしてゐるらしく︑テーブルの上の︑菊の花の挿さつたガラスの一輪. 挿しを両手で弄びたがら績げたが︑しかし少しも興奮してゐる様子ばなく︑聲の調子は平生の通りで︑一輸挿を 持つてゐる細い指先も顔へを帯びてはゐなかつた︒ ︵中略︶. 幸子は雪子の云つてゐることに心から同感で︑妙子に対し此のくらゐなことは云つてやつてもよいと恩はずには. ゐられたかつたが︑でも自分には到底此処までは云へさうもないので︑雪子がよくかう云へるものだと︑驚きな. がら黙つて聞いてゐた︒さう云へぱ︑もう五六年も前にならうか︑一度彼女は雪子が義兄の辰雄を掘まへてこん. な工合に攻め立てるのを見たことがあつたが︑内気た人はどうかLた抽子に途方もなく強くたるものであらうか︑. たしかその時も︑目頃の因循塞子に似合はず︑理嚢然と詰め寄つて行き︑辰雄がギ一ウく云はさ註ので あつた︒︵下巻二十六︶. ちなみに︑雪子の静は︑雨の降り方にも関係している︒妙子の遭遇する雨が︑阪神犬水害をもたらすものすごい. 豪雨たのと比べ︑雪子のそれは最初の見合いの後︑細かな︑﹁春雨のやうたしとくと﹂た物静かな降り方﹂︵上巻. 800. 細雪四姉妹. 149.
(16) 150. 799. 十一︶をし︑さらに物語の最後では︑嵐山の御牧子爵家の別邸の門にかかげられた﹁聴雨庵﹂︵下巻三十五︶という︑ 単に文字の上だげの雨である︒. 二番体つきがきやしやで︑腕などは悦子とあまり違はたいくらゐの太さしかたく︑いかにも胸の病たどがあり. さうな恰好に見えるL︵上巻六︶雪子︒いかにも﹁弱々しい風姿﹂︵上巻十二︶であり恋がらLかし彼女は︑﹁芯が丈. 夫﹂︵上巻二十五︶で雪国の女さながら︑﹁消極的な低抗力は最も強く﹂︵上巻六︶︑﹁めつたに風邪一つ引かないと云. ふ点では︑四人姉妹のうちで一番であり︑肉監的労苦に堪へる点でも︑本家の姉を除いたら一番﹂︵上巻巻十二︶と. される︒悦子の狸紅熱に母親の幸子をさLおいて︑妙子の赤痢には﹁連目連夜殆ど夜の眠も寝ずに﹂︵下巻二十一︶︑ きあん 辛抱強く看病に当たるのは雪子である︒彼女はまた︑﹁雪姉ちやんそない云ひ出したらあかんやろ思ふわ﹂︵上巻四︶. と妙子が言うように︑積極的に自分を主張することはめったにないものの︑一一旦しかしこうと決めたらてこでも動 肚にかみ かないような︑頑固た一面を持つ︒﹁内気で︑含養屋で︑人前では満足に口が利げない雪子にも︑見かげに依ら恋. い所があつて︑必ずしも忍従一方の婦人ではない﹂︵上巻二︶のである︒矛盾した存在︑それ故に彼女はまた︑最も. わが宿に降る白雪を春にまだ年越えぬまの花がとぞ見る︒桜散. そ 細面の撚しい顔立の雪子︒﹁楚々とした﹂︵上巻九︶風情の︑いつもはにかんでいるような口数の少ない彼女が︑幸. らりく︑空焉ら註ささめ雪一とあるよう凄窪らぬ一細雪一という美しい題が暗示す書一ろで差る︒. 十三巻収録の︑狂言小謡﹃花の段﹄に﹁げに咲いたりやた糸ざくら︑そよ吹く風に一ひら二ひら︑ひらりく︑ひ. る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りげる︒もっともそれは︑貫之を引くまでもたく︑谷崎潤一郎全集第二. 二. 雪に見立ててきた︒紀貫之の歌から二つ引けぱ. 花吹雪という言葉があるように︑古来我国では︑とりわげ和歌の中でしぱしぱ︑雪を花に︑あるいは逆に︑花を. 陰影に豊む︑主言って良いだろう︒. 早稲囲商学第377号.
(17) 子の﹁陽性﹂︵同上︶たのに対L︑一見陰性の︑暗く沈んだ印象を与えることは否めない︒しかし︑﹁淋しい彼女の. 人柄の中にも︑矢張明るさが潜んでゐる﹂︵中巻二十九︶︒人前で満足に口もきけないくせに︑﹁見かけによらず出好. き﹂︵同上︶で︑好んで洋画を見て歩く︒純日本趣味なようでいて︑ピアノを弾き︑フラソス語を習い︑ワイソと洋. 食を好む︒読み物も翻訳物が好きで︑上京の車内で﹁アナトール・フラソスの短篇集﹂︵下巻六︶をひもとき︑看護. の暇に﹁レベツヵ﹂︵下巻二十四︶をとりよせる︑といった具合である︒﹁内気なやうで花やかたことの好きな﹂︵中. 巻二十七︶雪子︒彼女の十全なる理解者貞之助の言を借りれぱ︑彼女は陰気なようで﹁却つて内部に花やかさを蔵. してゐる﹂︵下巻十八︶︒身に着けるものなども︑﹁見たところ淋しい顔立でゐながら︑不思議に着物などは花やかた. 友禅縮緬の︑御殿女中式のものが似合つて︑東京風の縞物などはまるきり似合はたい﹂︵上巻七︶のである︒. と5 雪の白︑汚れのない純白は︑さらに処女性の︑ないしは不毛のイメージを含むであろう︒三十を遇ぎてたお﹁娘ち. やんく﹂︵下巻九︶と呼ぱれ︑﹁雪子お嬢さん﹂︵下巻三十五︶と言われる彼女︒いっまでも若く︑﹁一向に歳をとら. ない﹂︵下巻九︶箱入娘︑﹁あの歳になつても十七八の娘と一緒やねん﹂︵上巻二十九︶と幸子が言う雪子は︑いわば. 永遠の処女の面影を宿す︒と同時に︑電話もろくにかけられない︑見合相手と街で会っても﹁あのう︑あのう︑云う. てウロウロ﹂︵同上︶している︑﹁はあ︑と云ったきりモジそジ﹂てL︵下巻十八︶ばかりいるよう次︑極端なまでの. ﹁異性に対する怯儒と養恥心﹂︵同上︶を持つ彼女には︑いくぶん対人恐怖症的な︑成熟拒否症的なところもあろ. う︒﹁能動的た動く力を欠いてゐるやうな雪子﹂︵中巻二十七︶が︑時には肉体を欠いた人形に︑とりわげ﹁紙雛﹂ より ︵上巻二十八︶︑﹁観世縫で編んだ人形﹂︵中巻十一︶に例えられるのも意味深長である︒物語のあの有名な結末︑結婚. 式を控えた雪子が︑執鋤な下痢に悩まされる場面は︑彼女の結婚生活への拒否とまではいわぬにしても︑その不毛. 性を暗示しているような気がLてならない︒事実また︑雪子のモデルとなった女性の繕婚後の生活も︑それ程実り. 798. 細雪四嫡嫌. 151.
(18) 152 早稲囲商学第337号. あるものではなかったように︑﹃三つの場合﹄を読むと感じるのであるが︑それはさておき︑ 彼女の最も印象的な. 姿は︑次のような場面である︒雪子が︑ほかたらぬ雪の精たる所以を示す名文章である︒. 暦の上では秋に這入つてゐるのだげれども︑此の二三目暑さがぶり返して︑土用のうちと変らない熱気の籠つた︑. 風通しの悪い室内に︑珍Lく雪子はジョウゼットのワソピースを着てゐた︒彼女は鉄りにも華著淀自分の饅が洋. 服に似合はないことを知つてゐるので︑大概な暑さにはきちんと帯を締めてゐるのであるが︑一と夏に十日ぐら. ゐは︑どうにも辛抱しきれたいでかう云ふ身なりをする日があつた︒と云つても︑目中から夕方迄の間︑家族の. 者達の前だけで︑貞之助にさへさう云ふ姿を見られることを厭ふのであるが︑それでも貞之助は︑どうかした錆. 子に見ることがあると︑今目は除程暑いんだなと︑心づいた︒そして︑濃い紺色のジョウゼットの下に肩肝骨の. 透いてゐる︑傷々しいほど痩せた︑骨細な肩や腕の︑ぞうつと寒気を催させる肌の白さを見ると︑俄に汗が引つ. 込むやうた心地もして︑当人は知らぬことだげれども︑端の者には確かに一種の清涼剤になる眺めだとも︑思ひ くした︒一上巻二十二一. 最後に︑雪子の白にちなむエピソードを二三指摘しておきたい︒一つは︑鮨屋﹁與兵﹂の白身の鯛︒﹁彼女は敦. 方かと云へぱ洋食党﹂だが︑東京にしばらくいて赤身の刺身ぱかり続くと︑﹁あの明石鯛の味が舌の先に想ひ出さ. れて来︑あの︑切り口が青貝のやうに底光りする白い美しい肉の色が眼の前にちらついて来﹂︵中巻三十︶て︑それ. が阪神閻の明るい景色や姉たちの面影と二重映しになる︒次に白ブドウ酒︒﹃細雪﹄の四姉妹は皆少々いける口た. のであるが︑彼女の好物は白ブドウ酒︒オリエソタルホテルでの見合の席で給仕される﹁白葡萄酒﹂︵上巻十一︶︒. 797.
(19) 久しぶりに東京から帰った雪子のための﹁チーズと白葡萄酒の小卓﹂︵上巻二十六︶︒貞之助は︑中巻二十七で﹁そ. んなら︑雪子ちやんのために白葡萄酒を一本提げて︑與兵へ行くか﹂と言い︑また妙予の看病から戻った彼女をね. ぎらう意味で︑﹁もうその頃は貴重品にたつてゐたバアガソデイーの白葡萄酒を︑乏しくなりかけた貯蔵の中から. なお︑雪子のモデルは重子といった︒. の先を挟んで摘み上げ﹂る︑﹁真つ白た︑きれいな兎﹂︵上巻八︶の話である︒. つま. 特に一本選んで来︑自分で罎の挨を払ひ︑気持のよい音をさせて栓を抜﹂︵下巻二十四︶くのである︒三つめは︑悦 おやゆぴ 子のつづり方﹁ウサギノミミ﹂のところ︒手で触れるのが気味悪いので︑雪子がそっと足をあげて︑﹁踊の股に耳. 53. 妙子︒﹁こいさん﹂と親しんで呼ぱれる︑末っ子の妙子︒四人姉妹の中の﹁変り種﹂︵中巻二十四︑下巻十二︶とも︑ ︑ ﹁毛色の変つた妹﹂︵中巻二十六︶と杢言われる彼女は︑たしかに名前通りのいささか妙た子である︒二番末の妹. の癖に一番世間を知つてゐるL︵中巻二十四︶彼女は︑外で食事をとることも多く︑一寸と妙な店︑変り種の店︑神. 戸の﹁元町から三宮界隈に至る腰掛のうまいもの屋の消息には實によく通じてゐて﹂︵中巻三十︶︑あの一風変った. 鮨屋﹁興兵﹂の発見者でもある︒また妙子は︑妙な所︑福原の遊郭の中にある︑﹁そんた家︑聞いたことないな﹂. ︵下巻十九︶と姉たちが言う﹁喜助﹂で鯖鮨を︑それも血合のところを︑二お三つ食べたがために赤痢にかかるのだ. が︑その折の幸子のせりふが面白い︒﹁あたしと雪子ちやんは︑鰭は決して食べたことたいねん︒あれ食べるのん こいさんだけやわ﹂︵同上︶︒. 活動的で外出することも多い彼女は︑﹁姉妹達の誰よりも杜会の各層に接触するので︑自然にそれだけ下情にも. 96. ?. 細雪四妨妹 ユ.
(20) 154. 通じ﹂︵中巻二十四︶︑世間ずれするのか︑没落したとはいえ家柄と格式を誇る蒔岡家の令嬢としては︑一寸とどう. かと思われるようた行儀の悪さを見せる︒もともと挙措進退がはっきりし︑今風なところがあったのだが︑﹁その. 傾向が近頃かな工合﹂︵同上︑傍点は筆者︶に変り︑不作法な言語動作をちらっかせるようにたった︒例えば︑﹁帯ひ. ろ裸の浴衣がげで扇風機にか土つたり︑湯から上つて長屋のおかみさんのやうな恰好でゐたりする﹂︑﹁長幼の順を. 守らたいで︑姉達より先に物を食べたり︑壁這入りをしたり︑上座に就いたりする﹂︵同上︶等々であるが︑行饒の. 呂場までにある戸障子を皆少しづム開げて置いて︑湯に漬かりながらそれを聴いてゐるのであつた︒︵中巻二十四︶. さう云はれてみると︑ちやうど今︑応接間のラヂオが新響の演奏を放送申なのであつたが︑彼女は応接問から風. ﹁さうやねん︒うち︑ラヂオ聴くのんでわざと開けとくねん﹂. ﹁おや︑此虚は開けとくのでございますか﹂. と︑妙子が湯構の中から怒鳴つた︒. ゆぷね. ﹁いかんく︑締めたらいかん一. と命じた中が︑お春が締めに行くと︑. ﹁ちよつとお春どん︑風呂場の彼虜締めなさい﹂. る潜り戸が又五六寸開いてゐて︑湯に漬かつてゐる妙子の肩から上の姿が︑隙問からちらく見えるので︑. 幸子が何気たしに台所の煎の廊下を通ると︑そこの障子が半開きになつてをり︑風呂の焚き口から風呂場へ通じ. 悪さにもなかなか味のある箇所があるので︑一つ引いておきたい︒. 早稲田商学第337号.
(21) LかL︑不作法な立ち屠振る舞いもさることながら︑妙子がとりわげ本家の義兄辰雄から﹁一門の異端者視﹂さ. れ﹁厄介者扱ひ﹂︵中巻二十四︶されるのはその﹁波濁重畳の生き方﹂﹁冒険的生活﹂︵下巻二十二︶による︒二十の蒔. 恋におちて駈け落ちした貴金属商の伜奥畑︑アメリカ三界を渡り歩いてきた写真屋板倉︑船員上りのバユアソダー. 三好と︑彼女は三人もの男性︑蒔岡家から見れぱいささか妙な男たちを次々と遍歴する︒さらに︑阪神大水害︑赤. 痢︑巻末の死産の折と︑二度ならずも三度までも九死に一生を得るような奇妙た運命にもてあそぱれるのである︒. 妙はまた︑巧妙の妙︑妙技の妙でもある︒妙子は﹁人の癖を敢るのが上手で︑誰の真似でも直ぐにして見せて皆. を笑はせることが得意﹂︵上巻十六︶︒例えぱ︑亡命ロシア人のキリレソコのお婆ちゃん︒﹁そのお婆ちやんの目本語. 云うたらなあ︑此の問もうちに﹃あなたキノドクでごぜえます﹄云ふねんげど︑発音がげつたいで早n一やさかい︑. ﹃あなたクニドコでごぜえます﹄と聞こえるねんわ︒それで︑うち︑﹃わたし大阪です﹄云うてしもてん﹂︵同上︶︒. さい.つちあたま. 彼女の口真似や身振りがあまりにおかしいので︑幸子たちは腹をかかえて笑う︒あるいは︑あの﹁輿兵﹂鮨の親. 爺︒﹁嬢少た霞彊に巨大な木槌頭をした﹂親爺の︑﹁お客を断る時のぶつきらぼうな物言ひ︑庖丁を敢る時の一種. 興奮したやうな表情︑眼つきや手つき︑等々﹂を︑貞之助たちはしぱしぱ︑妙子から﹁仕方話﹂でくわしく描写説. 明されていたが︑﹁行つて見ると︑又本物が可笑﹂いほど彼女の真似によく似てゐたL︵中巻二十九︶︒. 冗談や警句をとぱし︑ドイツ人のルドルフに﹁湯豆腐﹂︵同上︶というあだ名をつけて楽しむ妙子は︑またこんた. 妙技も被露Lてみせる︒舞の準備をした彼女は︑ナプキンを膝の上にひろげ︑口紅に触れないように﹁分厚い唇の. 肉を一層分厚くさせつ土口を0の字に開げて﹂︑ちらし鮨の﹁飯のかたまりを少しづ∫口腔へ送り込みながら︑お 春に茶欽み茶碗を持たせて︑一と口飯べてはお茶を暖つてゐる﹂︒. 794. 綴雪四嫡妹. 155.
(22) 156. 793. ﹁僕さつきから︑こいさんのお鮨食べはるのん感心して見てまんねん﹂ と︑板倉が云つた︒ ﹁何で﹂. つぼき. ム ﹁何で∫︑かう︑金魚が薮ウをぱくつくみたいに︑口を円くあげはつて︑えらい窮屈さうにしながら︑そのわり にたんと食べはりますた﹂. ﹁何や︑人の口元ぱかり見てる思うたわ﹂ ﹁さうかて︑ほんまやわ︑こいちやん﹂. と︑悦子が声を挙げて笑つた︒ を ﹁それでも︑こないして食べるもんや云ふこと︑教せてもろてん﹂ ﹁誰に﹂. き中うぺに. ﹁おツ師匠はんとこへ来る塾者の人に︒−嚢者が京紅着げたら︑唇を唾液で濡らさんやうにいつも気イ付げ まひ﹂﹂ てるねんて︒物食べる時かて︑唇に触らんやうに箸で口の真ん中へ持つて行かんならんよつてに︑舞妓の時分か. ら高野豆腐で食べ方の稽古するねん︒何で云ふたら︑高野豆腐は一番汁気を吸ふよつてに︑あれで稽古して︑口 紅落さんやうになつたらえ∫ねん﹂︵中巻三︶︒. 物語の終り近く︑下巻の二十三で︑奥畑の婆やの話から︑妙子が板倉と奥畑の二人の男を﹁巧い工合に操つて﹂. ウイスキーなら角罎の三分の一は平気﹂であること︑等意外な事実が明かされるが︑これも彼女の妙技の一つであ. 後者から巧みに金品をまきあげて︵?︶いたこと︑彼女がたかなかの酒豪で﹁奥畑と飲む時は日本酒なら七八合︑. 早稲田商学第337号.
(23) ると言へぱ余りに酷であろうか︒. 多才多芸な︑何をさせても器用な妙子の妙技ばしかし︑人形製作において︑最もその真価を発揮する︒フラソス. た﹂た. ひら. 人形風のものから歌舞伎趣味のまで︑彼女の作るさまざまの人形は︑﹁一面︑映画︑演劇︑美術︑文學等に亘る彼. 女の日頃の嗜みを語るものでもLあるが︑﹁どれにも他人の追随を許さない独創の才が閃めいてい﹂︵上巻二︶る︒. この﹁可憐な小嚢術品﹂︵同上︶は︑次第に人気を呼び︑やがて個展が開かれるまでに至るのだが︑妙工妙子の手か こくもも. 5.つく. ら生れた数々の人形の中で︑筆者にはとりわげ﹁虫の音﹂と題したもの︑﹁女が虫の音に聴き入つてゐる感じを出. す﹂のに苦心したという︑﹁小紋の石持を着た年増の女の︑庭下駄を穿いて石燈籠の下に鱈躍まつてゐる人形﹂が. なんとも言えず好もしい︒﹁著い女にせんと︑年増にしたのんが︑え上考やつたわた︑淋しい感じが出て﹂︵申巻二. 十︶と幸子も評するのだが・⁝:もっとも︑人形そのものではなく︑人形を描写する谷崎の文に読老は感服している のだが︒. 人形︑さらには洋裁︑そして舞︒山村流地唄舞の︑妙なる舞によって︑何よりも彼女は︑この物語に一段の色ど. りを添えていると言わねぱ淀らないだろう︒いくつかある舞に関した場面︑それはどれもこれもいい︒とてもい. い︒花やかな中にも︑しみじみとした味わいが行文にゆきわたっていて︑え杢言われぬ妙趣がある︒例えぱ︑上巻. ぶO. お悟うを. き!え. 蛤子々々︑⁝⁝﹂云々という詞章につづいて︑. 肚まぐOこ. 十六の︑年末に本家へ帰る前に︑今習っている﹁萬歳﹂を幸子の三味線で舞ってみせるところ︒﹁やしよめ︑やし や﹂よめ. よめ︑京の町の優女⁝⁝大鯛小鯛︑鱗の犬魚︑飽︑栄螺︑. 此の﹁やしよめ︑やしよめ﹂と云ふ文句や︑トントソチリ・ソ︑トソチリ・ソの三味線の手に合せて唄ふ﹁とん. とんちりめん︑とんちりめん﹂と云ふ文句などが面白くて︑子供の時分に幸子たちは−﹂れを口癖のやうに瞑つた. 792. 細雪四姉妹. 157.
(24) ユ58. 早稲田商学第337号. ので︑此の地瞑だげは未だに忘れないのであるが︑今もさうして唄つてゐると︑二十年前の船場の家の記億が鮮. やかによ醸へつて来・たつかしい父母の面影が勇霧として来るのであつた︒妙子はその時分も舞を習はせられてゐ いてん て︑正月にはよく母や姉の三味線で︑此の萬歳を舞つたものなので︑﹁正旦一百︑寅の一天に︑ツソテソ︑まし. 享潔噌⁝⁝﹂と可愛い右の人差指を真っ直ぐ霊て美義さした頑菱い奮芸︑っい昨日のことのや. うにはつきりと眼に残つてゐるのに︑自分の前で今舞扇をかざLてゐる此の妹がその人なのか︑︵1そLて︑. 此の妹も上の妹も︑まだ二人ながら﹁鵜ちやん﹂でゐる有様を︑両親達は草葉の蔭からどのやうに眺めておいで. か︶と思ふと︑幸子は妙にたまらたくなつて涙が一杯に浮んで来た︑. それから︑董屋の蒔岡家の階下の二た間をぶちぬいて催された山村流の舞の会︒妙子はその折︑本家の姉の一度. 手を通しただけで上本町の蔵にしまってある婚礼衣裳の一つ︑﹁故金森観陽の筆に成る橋立の景色の一と襲ね﹂︵中. 巻三︶を借り︑それに黒織和の帯を緒めて﹁雪﹂を舞う︒はからずもここで︑東京にいる鶴子︑雪子の二人は不在. ながら四姉妹の交流が実現するのが面白い︒すなわち︑妙子が幸子の家で︑鶴子の衣裳を着けて︑雪を舞うという. 具合に︒そLて︑その一か月後の大水害︒妙子の身の上を案じながら︑﹁雪﹂を舞った折の彼女の︑欄間にかかっ た額入りの四枚の写真を︑幸子がじっと見つめるところ︒. 彼女は四枚ある舞姿の中で︑﹁心も遠き夜半の鐘﹂のあとの合の手のところ︑1傘を開いたま∫うLろに置き︑. 中腰に両膝を衝いて︑上彊を斜め左の方に浮かせ︑両袖を合はせ小首をかしげて︑遠く雪空に消えて行く鐘の音. に聴き入つてゐるところ︑ーを撮つたものが一番好きであつた︒稽古の時にも︑妙予が師匠の口三線に載つて.
(25) 此の恰好をするのをたびく見︑こ∫のところが繋気に入つてゐたのであるが︑あの當是は︑嚢や髪のか. たちのぜゐもあつて︑稽古の時よりは又数倍立ち勝つて見えた︒幸子は︑どう云ふ訳でこ土のところがそんたに. 好きなのだか自分にもよく分らないのだげれども︑恐らくそれは︑いつものハイカラた妙子には全然見られたい しおらLいものが︑此の恰好の中に出てゐるからでもあるかも知れない︒︵中巻七︶. 急逝したおさく師匠について語ったくだりもなかなか良いが︑こうした舞の場面の妙味は︑一つにはしぼしぱは. さまれる詞章︵谷崎は引用の名手である︶︑﹁君には誰かつげの櫛︑さし来る汐を汲まうよ汲み分げて﹂とか﹁今更. ム丁言 さこそ悔やしかるらめ︑さて懲りや思ひ知れ﹂︵中巻十二︶︑﹁凍る衰に﹂︑﹁枕にひびくあられの音﹂︵中巻七︶等々の. 古い詞章のせいでもあるだろう︒時に挿入される︑あまり意味も明瞭ではたいようた︑こうした昔風の言葉づかい. が︑どれほどにもこの物語に︑妙趣を︑厚みと陰影を添えていることか︒なお︑妙子のモデルは信子といった︒. 790. 細蟹四姉妹. 159.
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