1.はじめに
平城宮は奈良時代の都平城京の北端に位置し、天 皇の住まいである内裏、国家的儀式を行う大極殿院 や朝堂院、様々な役所などからなる。平城宮は東に 張り出し部を持ち、その南半部を東院と呼んでいる。
東院は皇太子の宮殿などに用いられたところであ る。平城宮東院庭園はその東南隅で奈良国立文化財 研究所の発掘調査によって発見され、平成10年には 復元・公開されて、現在、国の特別名勝にも指定さ れている。
特別史跡平城宮跡の内の正門朱雀門から第一次大 極殿院を中心とする区域と史跡朱雀大路とその周辺 を含む区域が、平成30年に国営飛鳥歴史公園平城宮 跡地区(平城宮跡歴史公園)として開園した。東院 庭園は公園の計画区域内にあるが、公園としての開 園区域にはまだ入っておらず、これまで整備を継続 してきた文化庁が引き続き維持管理を行っている。
上記のような経緯から奈良文化財研究所では平城 宮跡の活用事業として「東院庭園庭の宴」を平成25 年から6回にわたり開催してきた(表1)。ここで 6年間の総括をするとともに、本報告書で課題とし てきた文化財担当職員(ここでは担当の研究員)の 役割の一つについて言及したいと思う。
2.東院庭園と庭の宴の概要
東院庭園の概要 東院庭園は東と南を築地大垣、西 と北を板塀で区画される、東西約70m、南北約90m の規模を有する。発掘調査では池を中心とした庭園
で、時期毎の遺構変遷が確認されているが、整備で は奈良時代末の姿に復元された。中島や出島の護岸 には形の良い景石を据え、入り江には拳大の円礫を 緩やかな勾配で敷く州浜が施され、池の北端には築 山石組みが配置される。池の周りには、東南隅に隅 楼と呼ぶ楼閣、北東に北東建物、西岸に中央建物が 配置され、中央建物に接して池の中に桟敷が設けら れ、これと東岸とを平橋が結ぶ。北岸は北東建物前 で東に張り出し、導水部からの入り江を作り、そこ を渡る反橋が架けられる(図1)。平城宮東院庭園 は庭園学史上、日本庭園のデザインが確立したこと を示す遺構と評価されている。
事業目的 奈良文化財研究所主催のもとで、この復 元された東院庭園を活用し、奈良時代の庭園で行わ れたであろう宮廷の宴を五感を通じて追体験しても らい、東院庭園あるいは平城宮跡、延いては奈良時 代の理解増進を図ることを目的とした。
開催時期 毎年、中秋の名月を意識しての開催では あるが、休日開催等の諸事情があるため、満月にな るとは限らなかった。このため満月に近い日の開催 時には観月会と称することもあった。秋雨や台風が 心配される次期ではあるが幸いに開催できない天候 のことはなかった。
次第 日没後の18:30開演で20:00頃閉演となる。主 な次第は主催者挨拶、雅楽の演奏、これを挟んでの 研究員によるミニ講演2本、ストーリー性を持たせ た古代衣装のファッションショーである。
広報 イベントの開催については奈良市市民だより や奈良文化財研究所HPなどでの周知を図ったが、
奈良文化財研究所による
特別名勝平城宮東院庭園の活用について
内田 和伸
(奈良文化財研究所文化遺産部遺跡整備研究室長)177
Ⅲ 関連論考 奈良文化財研究所による特別名勝平城宮東院庭園の活用について
図1 平城宮東院庭園平面図(奈良文化財研究所「特別名勝平城宮東院庭園」パンフレットより)
中央建物
隅楼
表1 東院庭園庭の宴の実績
開催年月日 月
齢 テーマ ミニ講演
楽曲 ファッションショー
演奏者 演目 特別
舞台年代設定 題名 主な登場人物 平成25年11月9日 5.6 - ・ 木簡にみる食事
・ 整備した東院庭園
大和絵巻実行委員会
『長屋王幽愁』
藤舎 横笛
1.創作舞踊 - 天平元年
(729) 長屋王変後
聖武天皇と光明皇后 藤原武智麻呂夫妻 巨瀬宿奈麻呂夫妻 阿倍内親王
平成26年9月27日 2.9 雅楽寮 ・ 庭園の歴史
・ 万葉歌 太田豊 雅楽師 他
1.阮咸独奏
2.笙独奏から篳篥、 笛が順に加わり、 琵琶 の独奏で終わる。 『平調調子』
3.笛 ・ 琵琶、 途中で笙 ・ 篳篥、 後半から打 楽器 『皇麞急』
4.笙、 篳篥、 笛、 打楽器 『太平楽急』
- 天平三年
(731) 雅楽寮改組 聖武天皇と光明皇后 藤原麻呂と坂上郎女 阿倍内親王
平成27年10月3日 19.8 一茎二華の蓮 ・ 木簡からみた当時の食事
・ 平城宮の祥瑞 太田豊 雅楽師 他
1.石器尺八と楽琵琶による二重奏 『蘭陵王』
2.2管の笙による 『平調調子』
3.舞楽 『新靺鞨』 渤海楽 反橋宝亀八年
(777) 楊梅宮の蓮 光仁天皇 皇太子山部親王 高野新笠と命婦
平成28年9月17日 15.7 楊梅宮 ・ 東院庭園の利活用
・ 東院と木簡 太田豊 雅楽師 他
1.笛 『貴徳』
2.竽、 笙 「平調調子」
3.琵琶、 篳篥、 太鼓、 三ノ鼓 『ばいろ』 隅楼宝亀四年
(773) 楊梅宮の完成 光仁天皇
高野新笠、 能登内親王 藤原荘子
高麗福信、 石麻呂
平成29年9月23日 2.9 渤海国 ・ 木簡にみる渤海
・ 東院庭園と渤海の庭園 太田豊 雅楽師 他
1.おりんと 『意調子』
2.黄鐘調 「越殿楽」 隅楼
宝亀八年
(777)
五月七日
渤海からの手 紙
光仁天皇
高野新笠、 能登内親王 藤原荘子
渤海使史都蒙 平成30年9月22日 12.3 東院玉殿完成 ・ 東院庭園の復元建物
・ 東院玉殿に葺かれた緑釉瓦 太田豊 雅楽師 他 1.おりん、 笙2管 『平調調子』
2.筝、 拍子 催馬楽 「更衣」
3.三ノ鼓、 太鼓、 笙、 篳篥、 笛 舞楽 「陵王」
隅楼神護景雲 元年
(767)
東院玉殿完成称徳天皇 吉備真備 和気広虫 吉備由利 出雲臣益方
平成29年度 遺跡整備・活用研究集会報告書 178
新聞各社に前年の写真と事業概要を提供し、記事と して取り上げて頂いたことは効果的であった。
参加者 一般参加者100 ~ 150人の募集に対してこ れを超える応募があり抽選することもあった。これ とは別に関係者席を設けて、関係団体や地元自治会 関係者等を招待した。参加者には古代食と白し ろ き酒また はお茶を2,500円で提供した。古代食は地元のホテ ルの提供で、古代のチーズ「蘇」、魚の乾物「楚す わ り割」、
干し肉、赤米などである。
体制 所内の体制としては、今年度から文化遺産部 遺跡整備研究室が中心となって平城宮跡の活用に関 する実践的な研究を行うこととなり、このイベント をその中に位置づけた。舞台演出、講演、広報、渉 外、会場設営の各業務を各部局が分担することとし て外注も活用した。
運営 音響および舞台への照明設備の設置、会場の 椅子・テーブル・足元灯の設置はそれぞれイベント 会社に外注した。平城宮跡内、特に東院庭園付近は 夜間照明が少なく危険であり参加者の安全確保のた めに、最寄り駅から会場までのバス送迎を原則とし 外注した。また、バスへの案内、会場での受付・ア テンド・整理・誘導・飲食の提供・警備などはイベ ント運営会社の協力を得た。
雑感 東院庭園は夜間利用を想定して整備はしてい なかったために、こうした運営を通して照明施設な ど活用のための施設整備が充分ではないことが実感 された。活用を意図した施設整備について検討が必 要である。
3.イベントの内容と研究者の役割
6年間の実績は表1に示した通りである。はじめ は全体としてのテーマは設けなかったが、近年は テーマを設定した上でミニ講演および雅楽の演題、
古代衣装のファッションショーの舞台設定を決めて きた。前述の通り、復元整備された庭園の時期は奈 良時代末、光仁天皇の楊梅宮時代であることから、
この時代設定が半数であった。以下、27年度と30年 度を例に内容を記し、最後に研究者の役割について
言及する。
(1)平成27年度
この年のテーマは光仁天皇の楊梅宮の時代の一茎 二花の蓮(双頭蓮)とした。
この場所の庭園は『続日本紀』に一回だけ記載が ある。奈良時代末期の光仁天皇の時代、宝亀8年6 月18日に、楊梅宮南池に蓮が生じ、一つの茎に二つ の花が咲いたという祥瑞の記事である。この当時、
東院は楊梅宮と呼ばれており、反橋脇の入り江の池 底のみが石敷きではないため、ここに蓮が植えられ ていたと考えられる。現地は遺構を露出した築山石 組などがあり、盛土は最小限にしているため入江に 根の深い蓮を植えることができずカキツバタなどを 植栽している。このためミニ講演では祥瑞やその背 景にある天人相関思想、奈良時代における祥瑞の政 治的利用などの説明と合わせて、当時をイメージし てもらう合成写真を配布資料に加えた(図2)。合 成写真の作成は記録と場としての遺跡を繋ぎ、価値 をわかりやすく伝えるインタープリテーションの一
図2 双頭蓮の合成写真
179
Ⅲ 関連論考 奈良文化財研究所による特別名勝平城宮東院庭園の活用について
つとして有効だったのではないかと思う。
後半のファッションショーでは天皇と側近たちが この祥瑞を祝う内輪の宴を開催するという設定で、
命婦が反橋を渡って双頭蓮を献上するという演出を 行った。
楽曲の選定は雅楽師からの提案を尊重し、その年 の正倉院展に出展される阮咸や新羅琴、竽などに因 むことが多かった。この年には宝亀八年(777)五 月の騎射の際、渤海使も参加し、自国の音楽を演奏 したと『続日本紀』にあることから、渤海楽として 伝わる『新靺鞨』を選曲した。
(2)平成30年度
この年のテーマは今まで取り上げることのなかっ た称徳天皇の時代の「東院玉殿の完成」とした。『続 日本紀』神護景雲元年(767)4月14日条には東院 の玉殿が新たに完成し、群臣が集まって祝ったこと、
その建物には瑠璃色の瓦を葺き、水草の文様を描い たことが記されている。これに関連し、研究員から 東院庭園の復元建物や東院玉殿に葺かれた緑釉瓦に ついての2本のミニ講演を行った。楽曲は雅楽歌謡 である催馬楽「更衣」、東大寺大仏開眼法要(752)
に際して渡来した僧仏哲が伝えたとされる舞楽「陵 王」であった。
後半のファッションショーは、玉殿完成の祝いの 後に、天皇と限られた側近の者が内輪の宴を東院庭 園で行ったという想定で行った。同年2月14日、天 皇が東院に出御し、出雲国造出雲臣益方が神事を奏 して外従五位下を授けられ、同行した祝は ふ り部(地方の 社の下級神職)らも位などを与えられたことに因み、
宴に先立ち、称徳天皇から出雲臣益方が位記を授与 され、祝部が舞を奉納する演出とし、巫女の経験の ある研究員が舞を披露した。
(3)活用の脈絡
文化財担当職員の役割に「テーマ性・ストーリー 性のある価値づけや活用事業の提案と実施」が求め られているところである。夜間開催のイベントとい う限定されたものではあるが、我々研究員も文献や 遺構の状況などから遺跡や時代背景などの理解を促
し、楽曲も合わせてストーリー性のあるイベントを 開催してきたつもりである。
私は以前、遺跡の活用では遺跡本来の脈絡を読み 解き、その脈絡の延長でそれを現代的に活かせる脈 絡に読み替えたイベントが必要であると提案したこ とがある 1)。たとえば、平城宮大極殿院の南門前で は毎年1月17日頃に射礼という年中行事を行ってい る。天皇御覧のもと全官人が弓を射ることで軍事上 も政治体制上も天皇に奉仕することを示す意義があ る 2)。蕃客と呼ぶ新羅や渤海、南方の島々の使者も 参加させて帝国を演出したのである。朝庭儀礼全般 に言えることかもしれないが、射礼は天皇を中心と する律令国家において意味をなす儀礼であった。
従ってそれをそのまま復元しても現代社会において は意味をなさない。そのためには脈絡を編集し、現 代社会が受け入れる意義づけが必要になるのであ る。平安時代の儀式書なども参考に本来の場所で再 現行事として演示することの他に、全官人が参加し たことに因み、市民参加型とすることや、外国から も参加があったことに因み、外国の異なる弓の文化 に触れる場とすることなどが考えられる。
本来的脈絡を活かした現代の活用の脈絡を作るの は研究者の大切な役割と私は考えている。
【補註および参考文献】
1) 阿部健太郎・内田和伸 2004「射礼とその復原に関 する基礎的研究」『遺跡学研究』第1号 日本遺跡学 会 p.p.7-24、拙著 2011『平城宮大極殿院の設計思想』
吉川弘文館 p.p.291-314
2) 立石堅志 2013「平城遷都千三百年祭「古代行事の 再現」」『姿』3号 特定非営利法人小笠原流・小笠 原教場 p.p.10-11、立石堅志 2010「序論」「古代行事 を再現する」『平城遷都1300年祭―古代行事の再現
―の記録』社団法人平城遷都1300年記念事業協会 p.p.11-39
平成29年度 遺跡整備・活用研究集会報告書 180