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仏文科創設の頃のことなど

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仏文科創設の頃のことなど

著者 佐野 一男

雑誌名 仏語仏文学

巻 9

ページ 1‑2

発行年 1978‑02‑28

URL http://hdl.handle.net/10112/00017526

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仏文科創設の頃のことなど

佐 野 一 男

私はこの二月末日に満七十オになり,三月には関西大学を停年で退職し なければならなくなりました。この機会に「仏語仏文学」に何か思い出の 記でも書くようにと小方教授が言われるので,思い出すままに書きはじめ ましたが,結局.標題の示すような文章になりました。

私ほ昭和2

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年に新制神戸大学の助教授になりましたが.その同じ年に.

関西大学の非常勤講師になるようにとのお話がありまして,週に一二回本 学に参るようになりました。ちようど仏文科の創設された時で,先年亡く なられた三木治先生が創設には非常な御努力をなさったと聞いております。

第一回生にほその前年に入学して英文科に一年在学した現在の重本利ー教 授その他,次の第二回生には前原昌仁教授や先年亡くなった大川克夫教授 らがいて,このニクラスは仏文科として同時に発足したと思います。専任 教授はさいしょほ三木教授お一人で,やがて高塚洋太郎氏,小方厚彦氏,

更に後にほ関大卒業の方々も次々にふえてゆきましたが,非常勤だった現 在九州大学に居られる田中栄一氏や私などがそのお手伝いをいたしました。

学生の数もすくなくて,重本君のクラスには他に谷田啓一,疋田昭,安達 芳郎らの諸君がいましたが,この人たちほ「海峡」という美しい名前の同 人雑誌を出していました。私ごとで恐縮ですが,私が数年間かかって翻訳 していたマルセル・アルランの長篇小説「秩序」を一これほ昭和2

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年に 新潮社から出版されましたが一ーそれよりも前に私にも本屋にも無断で,

無料で,この雑誌に大きな広告を出して下さったのにはびっくりし,非常 にうれしかったことをお匠えております。 「海峡」はやがて休刊になりま したが,谷田君たちの努力によって二十数年後に復刊されました。しかし

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現在また休刊になり,財政難によるものと思いますが,どうかまた早く復 刊されるように祈っています。

仏文の学生数もはじめの頃ほ紗なく,私たちも卒業論文の審査のお手伝 いをしましたが,第四回生としてはいってきた山方君の論文はたしか三百 枚以上のもので,その努力にほ驚きました。山方君も後に本学に勤められ たが,現在は愛知県立大学の教授です。同じ年度の古川君ほ嵐山の渡月亭 の主人に,市田君ほ保険会社に勤めて現在は上の方にいるらしい,といっ た風にみんなそれぞれの道を進んでいられるようです。

それからまた仏文科の二部も,はじめの頃にほ何年間か千里山の学舎に ありました。このクラスも一人か二人の学生で,たとえば中の一人,宮本 君はこの頃も先生でしたが現在も吹田の中学校に勤めていられるそうです。

当時の仏文ほ木造の床のビヨビヨするような校舎のせまい教室で勉強し ました。やがて学生数も次第に多くなり,先生の方も増えてゆきました。

三木教授ほ目黒,高塚,小方,重本,大川,前原,山方らの諸先生方と共 に長い間の努力をされて,あの「新和仏中辞典」を昭和38年に仕上げられ ましたが,みんなたいへん苦労をなさったことと思います。

そのうちに非常勤の先生も数多くなり,各学部の仏語の担任をされまし たが私もその一人として何年か過しました。そして神戸大学の方が6

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オで 停年になりましたので昭和46年に退職し,同じ年に関西大学の専任教授に してもらいました。それからまた月日が流れ,やがて第二の停年が来よう としているのです。

仏文の諸先生がた,大学院や学部の学生や卒業生の諸君,皆様の御健在 を祈ります。

(本学教授)

参照

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