尺五堂釈菜式における「読論語詩」十八首
著者 日原 傳
出版者 法政大学人間環境学会
雑誌名 人間環境論集
巻 21
号 1
ページ 202(35)‑184(53)
発行年 2020‑10‑31
URL http://doi.org/10.15002/00023623
はじめに 松永尺 せき五 ご(一五九二~一六五七)は江戸時代初期の儒者である。貞門俳諧の祖である松永貞徳の長子として京都に生まれた。名は昌三、字は遐 か年 ねん、尺五と号した。父と藤原惺窩とは再従兄弟の関係にあり、尺五は早くに惺窩に師事して程朱の学を修めた )(
(。十三歳の時、一歳下の豊臣秀頼に大坂城に召されて『書経』を講じたという )(
(。諸大名からしばしば仕官を求められたが応じず、加賀藩などで客分として講義したほかは、もっぱら京都にあって私塾を経営した。寛永五年(一六二八)、西洞院に私塾春秋館を設け、同十四年、堀川に二番目の塾講習堂を 開く。慶安元年(一六四八)には堺町御門前に尺五堂を開いた。尺五堂は後光明院から地を賜り、京都所司代板倉重宗の協力を得て建てた学寮。尺五は儒・仏・道三教に通じ、詩文をよくした。門人に木下順庵、安東省庵、貝原益軒、宇都宮遯 とん庵 あんらがいる。
尺五の詩文をまとめたものとしては『尺五先生全書』(国立国会図書館蔵、以下「国会本」と略称)、『尺五堂集』(国立公文書館内閣文庫蔵、以下「内閣本」と略称)、『尺五堂先生全集』(京都大学附属図書館蔵、以下「京大本」と略称)の三点の写本が存する )(
(。また、内閣本を底本にして活字化されたものが『続々群書類従 第十三 詩文部』に収められている(以下「類従本」と略称
)(
()。それらを読むと、尺五堂では慶安四年、五年と続けて釈
尺五堂釈菜式における「読論語詩」十八首
日原 傳
菜の儀式が行われていることが分かる。宮中行事として行われていた釈奠・釈菜の儀式は応仁の乱の混乱のなかで途絶えたという )(
(。公的な釈奠が復活するのは儒学が盛んとなる江戸時代を俟たなければならなかった。私塾における釈菜だが、儒者が主催した釈奠・釈菜復活の早い例としてこの尺五堂での釈菜を位置づけることができる。慶安四年の釈菜では『論語』が講じられ、それに関する釈菜詩は尺五の作を含めて計十八首が残されている。それを読み解くのが本稿の主旨である。
一 釈奠と釈菜
釈奠・釈菜は教育施設において牛・羊などの犠牲や供え物をささげて天地の神や古代の聖人を祭る行事である。後世では孔子や儒家の先哲を祭る行事となっているが、本来はもっと一般的に学問、教育の先師・先聖を祭る行事であったと考えられる )(
(。
「釈奠」
「釈菜」の語は、古くは『礼記』王制・月令・文王世子や『周礼』春官大胥に見える。『通典』の「釈奠」の項目は『礼記』文王世子の文の順序を変え、冒頭に据えて説明する
)(
(。 周制。凡始立学、必釈奠於先聖先師。及行事必以幣。凡釈奠者、必有合也。有国故則不。/凡学、春官釈奠於先師。秋冬亦如之。/始立学者、既釁器用幣。然後釈菜。不舞、不授器。乃退儐於東序。一献、無介語可也。(周の制。凡そ始めて学を立つるときは、必ず先聖・先師に釈奠す。事を行なふに及びて必ず幣を以てす。凡そ釈奠する者は、必ず合すること有るなり。国故有るときは則ち不 しかせず。/凡そ学にて、春は官先師に釈奠す。秋冬も亦た之 かくの如くす。/始めて学を立つるときは、既に器に釁 ちぬり幣を用ふ。然る後に釈菜す。舞はず、器を授けず。乃ち退きて東序に儐 ひんす。一献して、介・語無くして可なり
)(
(。)
後世の釈奠は春と秋の仲月の上丁の日に行なうのが原則となるが、ここでは「はじめて学校を建てた時」や「四時」に行なうことが記されている。祭る対象については、鄭玄の注に「先聖、周公若孔子」とする一方で、「国無先聖先師、則釈奠者、当与隣国合也」ともあり、必ずしも一定していなかったように思われる。「釈菜」については、「不舞、不授器」に対する鄭玄の注に「釈
菜礼軽也。釈奠則舞。舞則授器」とあり、「釈奠」の礼を軽くしたものを「釈菜」としている。ここでは「舞」の有無で区別しているが、牛・羊などの犠牲を供えず、蔬菜を中心に供え、儀礼を簡素化したものを「釈菜」とする考えもある。ただし、両者の区別はそれほど厳密ではない場合も多い。
釈奠・釈菜において孔子を先聖として祭ることが定まってゆく経緯については、以下のような資料が挙げられる。
される記事である。 ことが分かる。皇帝が孔子の祭礼を行なったはじめだと 子」に相当し、高祖十二年(前一九五)のことであった 一下に見える「十一月、行自淮南還。過魯、以太牢祠孔 話を献饌して子を祭った孔が』見第紀高帝書漢『る。え 豕るの三牲を配す供最も鄭重な物)牛・羊・牢(き、太 過漢魯、以太牢祠焉」と高の皇祖が魯を通過したと帝 『高孔記』孔子世家には、子に「没後の記事のなか史
皇帝が設けた太学において孔子を祭る釈奠をはじめて行なったのは、魏の正始七年(二四六)のこととされる。『三国志』魏書・三少帝紀第四に「冬十二月、講礼記通、使太常以太牢祠孔子於辟雍、以顔淵配」という記 事がある。魏の第三代皇帝曹芳が『礼記』を学び、太常(礼学・祭事を担当する官)に辟雍(天子が設けた太学)で孔子と顔淵を祭らせたという記事である。 日本の『延喜式』に大きな影響を与えた『大唐開元礼』百五十巻は開元二十年(七三二)に完成しているが、そのうちの巻五十四は「国子釈奠於孔宣父」と題されている。「国子」は公卿大夫の子弟をいう。「孔宣父」は孔子。太学で国子が行なう釈奠の次第を「斎戒」「陳設」「饋享」「皇子束脩」「学生束脩」に分けて説明している )(
(。
日本における釈奠の古い記録としては、『続日本紀』文武天皇大宝元年(七〇一)二月の記事が挙げられる。「丁巳、釈奠」という本文があり、それに「釈奠之礼、於是始見矣」という割注が付されている )(1
(。
中国の「開元礼」の導入に関しては、吉備真備(六九五?~七七五)が大きな働きをしたと考えられている。真備は唐に二度渡っており、その帰国はそれぞれ天平七年(七三五)、天平勝宝五年(七五三)になる。『続日本紀』宝亀六年(七七五)十月の「壬戌、前右大臣正二位勲二等吉備真備薨」の記事に「先是、大学釈奠、其儀未備、大臣、依稽礼典、器物始修。礼容可観
(是より先、大学の釈奠、其の儀未だ備らず、大臣、礼典に依り稽 かむがへ、器物始めて修まる。礼容観るべし)」とあり、真備が釈奠の整備に貢献したことを特記している )((
(。
開と元礼』の内容ほぼ一致する (1) の大学寮の釈奠式の祭礼の次第である「饋享」は『大唐 『あ二喜式』は延長五(九七延)年の撰進でそが、る
(。大学寮の重要行事であった釈奠は治承元年(一一七七)の京都大火による大学寮消失後も仮の廟堂を設けて行なわれていたようだが、応仁の乱によって洛中が焦土と化したため十五世紀には停廃することになった。
江戸時代に入り、林家の手になる釈奠の復興は寛永十年(一六三三)のことになる。寛永七年、林羅山は徳川家光から上野忍岡に別荘用の土地と学校建設費二百両を賜り、塾舎と書庫を建てた。九年には尾張の徳川義直の援助を受けてその地に文廟(先聖殿)を建立した。その翌年の二月十日に釈菜を先聖殿で執り行なっている )(1
(。
二 釈菜式次第
明人の陳元贇が伝えたとされる釈菜の式次第が写本の うち内閣本のみに記録されている。その式次第は、国立公文書館内閣文庫所蔵の木村兼葭堂旧蔵とされる松永尺五『釈奠儀例』(以下「儀例」と略称)にも収める )(1
(。両者の記述には異同があり、内閣本が「口伝」としている箇所を「儀例」では和文で説明している場合がある。ここでは、必要に応じて「儀例」の説明も利用し、内閣本の式次第を紹介する。
釈菜式 元贇相伝今瀧川昌楽伝之二月上丁日 学生若干人 楽人八人 礼生左右二人 礼役左右二人 一 盥 ヨク手 シユフ
有口伝一 焼 シヤウ香 ヘン 右礼生唱曰上香 ヘン 再上香 ヘン 三上香 ヘン 有口伝一 四拝 右礼生唱曰鞠躬 左拝 右興左平 ヘン升 シン 有口伝 復位一 奠 テン 弊 ビイ 有口伝 蘋蘩薀藻盛籩幷菓子類盛䇺 又奠 テン帛 ボク 楽人奏ス二寧和曲ヲ一也一 祝 シユツ版 ハン 有口伝 祭文一 献 ヘン酒 チユウ有口伝 迎神安和曲起ル一 亞 ア献 ヘン 有口伝 景和曲起一 終
献 有口伝一 徹饌 有口伝 楽人有口伝 咸和曲起ル一 送神有口伝一 灌 クハン酒 チウ 有口伝其時礼生唱曰三献完満不敢久留謹尚奉送一 瘞 イゝ帛 ボク有口伝 咸和曲起右昔年此礼式行于尺五堂 有口伝
瀧川昌楽一信相 ニ伝フ焉ヲ一
【語釈】○盥 ヨク手 シユフ 手を洗う。○焼 シヤウ香 ヘン 香を焚く。○四拝 四度拝礼する。注には右の礼生が「鞠躬(身をかがめる)」と唱え、それを受けて左の礼生が「拝(ひざまづきぬかづく)」と唱え、次に右の礼生が「興(身を起こす)」と唱え、最後に左の礼生が「平升(立ち上がる、の意であろう)」と唱える役割分担を示している。その下に見える「復位」はもとの位置に戻ることを言うのであろう。「儀例」は「四拝畢テアトシサリ本座ニタツ
」
と説明する。○奠 テン弊 ビイ「幣(ぬさ)
」を供えて祭る。「弊」は「幣」の誤りであろう。注には「蘋(うきくさ)」「蘩(しろよもぎ)」「薀(みずくさ)」「藻(も)」を籩 へんに盛 り、菓子の類を䇺 とうに盛るとある。「籩」も「䇺」も供物を盛る器である。『春秋左氏伝』隠公三年に「蘋蘩薀藻之菜、…可薦於鬼神、可羞於王公(蘋蘩薀藻の菜も…鬼神に薦 すすむべく、王公に羞 すすむべし)」とある。○祝 シユツ版 ハン 祝文を誦えて祭る。注の「祭文」はその祝文。○献 ヘン酒 チユウ 酒をささげる。「初献」に当たる。○亞 ア献 ヘン 初献に次いで酒をささげること。○終献 亞献に次いで酒をささげること。三献の最後。○徹饌 供物を取りさげる。○灌 クハン酒 チウ 酒を地に注いで祭る。注にある「尚」の字を「儀例」は「当」とする。○瘞 イゝ帛 ボク 地を祭って、奉げた帛を埋めることか。「瘞」には埋むの意がある。「儀例」は「西方ニ埋ナリ」と説明する。【補説】陳元贇相伝の作法に拠ったもので、尺五の弟子の瀧川昌楽がそれを伝えていると注がついている。参加者は「学生若干人、楽人八人、礼生左右二人、礼役左右二人」である。 『
延喜式』巻二十の大学式にある「釈奠」の記載では「陳設」「饋享」「講論」の順にその仔細を説明する。ここに記録された式次第は式の中心的な祭礼である「饋享」に相当しよう。「盥 ヨク手 シユフ」「焼 シヤウ香 ヘン」などと唐音が示されているのが特徴である。唐土で行なわれている近い時 ヱイ
代の式次第であることを尊ぶ心があるのであろう。
陳元贇(一五八七~一六七一)は明の人。明末の兵乱を避けて日本に亡命。長州萩、江戸に滞在したのち名古屋藩祖徳川義直に招かれ、禄六十石を受けて名古屋に居住した。京都や江戸にも赴き、羅山や尺五とも交流したようである )(1
(。
三 詩 序
う思 (1) 釈と内閣本が題するの菜詩り序を読みたいと)」たせ幷 語を講ずるを聴き、同じく論語を読むの詩を賦す。序を 「賦春釈菜聴講論語同仲読論詩幷序(仲春釈菜。論語
(。内閣本、国会本ともに欠字と思われる箇所があるが、その箇所の少ない国会本に従い、私に六つに段落分けして以下に示す。
(
「仲春上丁、楽正に命じて舞を習はしめ(記に曰く、 水、有礼可羞有誠可饗。 薀於於知恩之誠莫大儀。祭子、藻之菜、行潦之夫 公九卿諸侯大夫親往視之。蓋報徳也。弘道之聖莫盛
1
三楽記曰、仲春上丁命正帥)習舞釈菜。天子乃 【語釈】○記曰 べく、誠有らば饗すべし。) む羞の水、礼有らば潦行の菜、藻薀大なるは莫し。 さううんらうすすかう 聖、夫子より盛んなるは莫く、知恩の誠、祭儀より 往きて之を視る」と。蓋し徳に報ゆるなり。弘道の て釈菜す。天子乃ち三公九卿諸侯大夫を帥ゐて親ら ひき『礼記』月令の仲春の条に「上丁命楽正
習舞釈菜。天子乃帥三公九卿諸侯大夫、親往視之」とある。○仲春上丁 二月上旬の丁 ひのとの日。○楽正 楽官の長。○弘道 道をひろめる。『論語』衛霊公に「子曰、人能弘道、非道弘人」とある。○夫子 孔子。○薀藻 水草の名。『春秋左氏伝』隠公三年に「苟有明信…蘋蘩薀藻之菜…潢汙行潦之水、可薦於鬼神、可羞於王公」とある。○行潦 路上にたまった水。【補説】冒頭に『礼記』月令にみえる釈菜の記事を引用して文を説きおこす。孔子と釈菜の儀を並べて讃え、『春秋左氏伝』の記事を用いて供え物に言及する。
(
知庠序之礼楽、同侶喜善道、助薄礼。爰視性情之彝 文評学、景慕賢者之卓爾。家塾逢良辰、彰微志。烏 今集青衿野服之徒。列籩置尊、欽仰聖像之儼然、論
2
)於是菲儀侵礼、微忱営奠。已非円冠博帯之士、徳。(是に於いて菲 ひ儀 ぎもて礼を侵し、微 び忱 しんもて奠を営ず。已に円冠博帯の士に非ず、今青衿野服の徒を集む。籩 へんを列 つらね尊を置き、欽 つつしみて聖像の儼然たるを仰ぎ、文を論じ学を評し、景 おほいに賢者の卓爾たるを慕ふ。家塾良辰に逢ひ、微志を彰 あらはす。烏 いづくんぞ庠 しやう序 じよの礼楽を知らんや。同侶善道を喜び、薄礼を助く。爰 ここ
に性情の彝 い徳 とくを視る。)【語釈】○菲儀 わずかなお礼。謙遜の辞。○微忱 わずかなまこと。謙遜の辞。○円冠 まるいかんむり。儒者の冠。○博帯 幅の広い帯。礼装の時に用いる。○青衿 昔の学生の服装。○野服 質素な服。官位の無い者が着る服。○籩 祭祀の時に食物を盛る器。○尊 祭祀の儀式で用いる酒器。○聖像 孔子像。○儼然 威厳のあるさま。○卓爾 高くすぐれたさま。○微志 自分の志の謙称。○庠序 学校。○同侶 同じなかま。○善道 よい方向に導く。『論語』顔淵に「子貢問友、子曰忠告而善道之、不可則止、無自辱焉」とある。○薄礼 粗末な供物の意の謙辞か。○彝徳 つねに変わらぬ徳。【補説】礼装で行なわれる宮中とは違う私塾での儀式であることを特記している。「青衿野服之徒」という措辞 にそれは端的に示されている。
(
を』【説】はじめに『孟子補が引く『書経』洛誥の一節 とある。 園李桃白「宴夜春」序申に「不有佳作、何雅懐」情。李 心幽な「蘭亭集序」暢叙に「情雅雅」懐風○る。あと ○○志趣こころばせ。わ暢のべあらす。王羲之叙 ○幽眇す玄妙の理。る。に宏てし張拡皇張○辞。大 芹をたてまつる。人に品物を贈る謙厚くする。○献芹 る。○多儀「儀」は礼儀。礼儀を手厚くする。「多」は 告子章句下に「書曰、享多儀。儀不及物、曰不享」とあ 献享を物】○釈語【す上さる。る。』子供『孟げさを物 )す。詠に非ざれば寧ぞ雅懐を暢叙すべけんや。 するに足らんや。詩を賦して志趣を発せんことを期 献芹を充たさんとす。理に非ざれば何ぞ幽眇を張皇 いて少しく其の罪を免れん。是を以て書を講じ将に 為す。物に於いてを観るに足らざれども、儀に於焉 これな 物(夫れ享は儀を多くす。儀、に及ばざるを不享と おほきやうふきやう 眇。賦詩期発志趣、非詠寧可暢叙雅懐。 於儀少免其罪。是以講書将充献芹。非理何足張皇幽
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焉、及夫享多儀。儀不物観為不享。於物不足)示し、供え物に礼儀が伴う大切さを説く。さらに礼儀によって供え物の不足を補うことに及ぶ。釈菜式で『論語』を講じ、詩を賦すことの意義を述べる。
(
侃侃誾たり、し、互ひに細評を繭糸の微に争ふ。然 かんぎんかんぜん 風瀾舌々各て、ち海の角に揚げ、翰材思ひを抗を ぞ識らざるべけんや、茲に因りて章を絶ち篇を分か に大聖の遺訓、群賢の要語、何允まざるべからず。 まこと 経の管五は、論魯の夫にふ(想の読藝、、六轄喉衿 こうかつくわんきん 乎。 糸然、之微。侃侃然、闇闇上陋室之栄、席生花者 篇、各揚舌瀾於翰海之風、角材抗思、互争細評於繭 允大聖之遺訓、群賢之要語、何可不識。因茲絶章分
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)想夫魯論、五経之管轄、六藝喉衿、不可不読。誾 ぎん然 ぜんたり、陋室の栄、席上に花を生ずる者か。)【語釈】○魯論 今文論語の一本。漢代には「斉論」「古論」「魯論」の三種があったが、今は「魯論」しか残っていない。尺五らが読んだ『論語』もこの系統に属する。○輨轄 輨(車の轂の外側の端をおおう鉄)と轄(車軸の両端の留め金)。大切なところ。趙岐「孟子題辞」に「論語者五経之輨轄、六藝之喉衿」とある。○喉 衿 のどとえり。重要なところ。○角材 才能を競う。○抗思 思いを高尚にする。○繭糸 きぬいと。○侃侃 うちとけるさま。『論語』郷党に「朝与下大夫言、侃侃如也、与上大夫言、誾誾如也」とある。○誾誾 おだやかに是非を説明するさま。○陋室 せまくきたない家。○生花 言辞を善くする喩。【補説】まず、後漢の趙岐『孟子注』の序文の一節を引いて『論語』の重要性を強調する。『論語』郷党を出典とする「侃侃然、闇闇然」は私塾尺五堂の雰囲気を示す言葉であろう。
(
昂・す。【語釈】動盪動か○○子蘇庾鮑初陳唐の陳 の旨、尽く士農工商に渉らせん。) ねく之を州閭郷党に施し、道を尊ぶ普を崇ぶの義、 あま 凝定して志は程楊李朱の降臨に及ぶ。希ふ所は、儒 陳蘇庾鮑が詞苑に馳す。之を楽章に闕けば、寸誠を をに共てし盪動神た矧し、写に詩唐を之(又やん精 いは 工商。 希崇儒之義、普施之州閭郷党、尊道之旨、尽渉士農 苑。闕之楽章、凝定寸誠、志及程楊李朱之降臨。所
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盪矧又写之唐詩、動)精神、共馳陳蘇庾鮑之詞蘇頲、六朝の庾信・鮑照を指すか。○楽章 音楽に用いる歌。○寸誠 自分の真心の謙辞。○程楊李朱 程頤・楊時・李侗・朱熹。○州閭郷党 むらざと。郷里。『礼記』曲礼上に「夫為人子者、三賜不及車馬、故州閭郷党称其孝也」とある。【補説】詩を賦し、儒学を学ぶ意義を敷衍して述べている。類従本は「動盪精神」以下に数句脱誤があるのではないか、と疑う。
(
喩。欲論『語』八佾子貢の「告之餼羊、子曰、朔賜也、 持たる本維を大にめて関連する儀礼を残しおく羊。す 愛礼存しずく。○存羊履霜堅氷至」とある。○涓滴 る。よなにう氷る張が易『の「経』坤」の卦に「初六い 硬をて、霜語釈】○履霜至堅氷【へ踏んで歩く時期を 云ふ。謹みて序す。爾を勧めん、) しか む。奚ぞ聖門遠からん。聊か狂斐を裁し、以て学業 と成らんとす。羊を存し、堂を毀たず、讖善漸く積 (霜を履みて堅氷至る、涓巨滴止まらざれば将に海 てきけん 爾。謹序。 堂、讖善漸積、奚遠聖門。聊裁狂斐、以勧学業、云
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)不霜至堅氷。涓滴止、毀将成巨海。存羊不履 「毀」のあとに「明」の字が欠けていると推定する。 意義を述べ、勧学の言葉で序文を終えている。類従本は 重る【補説】学業を積みね大切さ、古い儀礼を存続する 章、不知所以裁之也」とある。 簡、子狂長斐然為党小吾帰与帰曰、陳在子に「冶与、 こが大遠○志斐狂文で『飾あると。善論語』公な行。 女愛其羊、我愛其礼」を踏まえた表現。○繊善わずか四 釈菜詩十八首 「仲春釈菜聴講論語同賦読論語詩幷序」
(内閣本)と題する釈菜詩に関して、国会本は尺五作の七絶一首しか載せていない。内閣本は尺五作に門弟たちの作を加え七絶十八首を収録する。ここでは内閣本により、その十八首を読み解く。なお、一首目の尺五作については国会本、内閣本において詩の本文に関する文字の異同はない )(1
(。以下①~⑱の数字の下に写本に示す作者名を記す。括弧のなかは写本にみえる作者に関する注記である。
①昌三二万三千字綴瑛 二万三千 字瑛を綴る
春風開卷拂塵情 春風に巻を開いて塵情を払ふ青衿講舌瀾飜処 青衿の講舌 瀾飜する処隔牅似賡鶯燕声
牅 まどを隔てて賡 かうするに似たり 鶯燕の声に【韻】瑛・情・声(下平八庚)【語釈】○二万三千『論語』をいう。用いられた字数に
よる。○綴瑛 宝玉を綴る。○青衿 学生。○瀾飜 言辞の尽きないさま。○賡 つぐ。他人と詩歌を贈答することを「賡酬」という。結句は「窓を隔てて聞こえる鶯や燕の声に唱和しているかのようだ」の意。【補説】作者昌三は松永尺五。
②昌易仲脩選試微言裏 仲脩の選試 微言の裏趙普勲功記誦餘 趙普の勲功 記誦の餘絵句絺章何認意 絵 くわい句 く絺 ち章 しやう 何ぞ意を認めん六経喉舌在斯書 六経の喉舌 斯の書に在り【韻】餘・書(上平六魚)【語釈】○仲脩 趙仲脩。宋の人。のち学者となった李衡に学問、事業の道を「敬事而信、節用而愛人、使民以時」(『論語』学而)の三句で教えた話がある(『楽庵語 録』)。○選試 官に選び試みる。○微言 おくふかい言葉。『漢書』藝文志に「仲尼没而微言絶」とある。○趙普 北宋の宰相。学問は無く読む所は『論語』にとどまるという世の評判について太宗から問われた時に、「昔其の半 なかばを以て太祖を輔けて天下を定む、今其の半を以て陛下を輔けて太平を致さん」と答えた話がある(『鶴林玉露』)。そこから「半部論語治天下」という成語が出来た。○勲功 てがら。功績。○記誦 記憶して口にそらんずる。○絵句絺章 絺章絵句。章句を飾りつくろう。又、その章句。○六経 六つの経書。易・詩・書・春秋・礼・楽。○喉舌 大切なところ。○斯書
作者昌易は尺五の長男。【補説】 をさす。 『論語』
③木下順庵三献升堂各鞠躬 三献 升堂 各々鞠 きく躬 きゆうす魯論講習道何窮 魯論の講習 道何ぞ窮まらん孔門忠恕万殊本 孔門の忠恕 万殊の本趙氏乾坤半部中 趙氏の乾坤 半部の中【韻】躬・窮・中(上平一東)
【語釈】○三献 酒を三度献ずる釈菜の礼。○升堂 堂に上る。○鞠躬 身をかがめつつしむさま。○魯論 『論語』。○講習 学ぶ。「講」も習の意。○忠恕 まごころと思いやり。孔子の説いた仁の基本。『論語』里仁に「曽子曰、夫子之道、忠恕而已矣」。○趙氏 趙普。○乾坤 天と地。結句は趙普に関する話「半部論語治天下」を踏まえ、転句と対句仕立てにしている。
④瀧川玄育(昌楽軒)功賢堯舜徳容優 功賢の堯舜 徳容優れ薦菜春丁尚席周 菜を薦 すすむる春丁 尚ほ席周 しうす政道彝倫懸魯典 政道の彝倫 魯典に懸り勧懲鍳戒述春秋 勧懲の鍳戒 春秋に述ぶ【韻】優・周・秋(下平十一尤)【語釈】○堯舜 古代の聖天子。堯帝と舜帝。○徳容 徳の高い人の姿。○春丁 二月の初めの丁の日。この日に釈奠、釈菜の礼を行なう。○周 親しむ。『論語』為政に「子曰、君子周而不比、小人比而不周」とある。○彝倫 人の守るべき常の道。○魯典
め。○春秋書名。魯の年代記。 勧善懲悪の略。善をすすめ悪をこらす。○鍳戒いまし 『 論語』。○勧懲 いう。 趙普をことの喩。又、詩歌を吟ずることの喩。○趙公 立派な言葉を出す力、則以学文」とある。○口吻生花 力論』語○『裕。餘而学余に「仁、汎餘行有親而衆愛 論語不』述而に「子釣而宿綱、弋不射」とある。る。『 る。○弋釣いぐるみで鳥をとらえ、釣針で魚をとらえ あ夕と子日の卦に「君の終乾九乾、」惕若、厲无咎三 【語釈】『易』乾自分で努力して怠らないさま。々○乾 徼・朝(下平二蕭)【韻】 趙公の宋朝を扶けしを更に信ず更信趙公扶宋朝 閑窓閑窓口吻生花処口吻に花を生ずる処 めん徼又た何をか年来の餘力年来餘力又何徼 もと すと雖も釣弋々書部乾書部乾々雖弋釣 よくてう ⑤平岩仙桂
⑥昌堅春日読書翰墨場 春日読書す 翰墨の場大哉孔聖道無量 大なる哉 孔聖の道の無量なるは勿嘆陳蔡絶糧厄 嘆く勿れ 陳蔡絶糧の厄 やく
只自期窮行益彰
只だ自ら期す 窮して行益々彰 あきらかなるを【韻】場・量・彰(下平七陽)【語釈】○翰墨場 文章を作る場所。杜甫「壮遊」詩に「往昔十四五、出遊翰墨場」とある。○孔聖 孔子の尊称。○無量 はかることのできないほど莫大なこと。○陳蔡絶糧厄 孔子が流浪の途中、陳蔡の野で囲まれ、食糧も途絶えて苦しんだ話。陳は今の河南省中部にあった小国。蔡はその南の国。『論語』衛霊公に「在陳絶糧、従者病莫能興、子路慍見曰、君子亦有窮乎、子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣」とある。
⑦林厚庵昼誦宵思覚徳声 昼誦宵思 徳声を覚え平心易心積霜星 平心易 い心 しん 霜星を積む漢儒底事為人笑 漢儒 底 なに事 ごとぞ 人の笑ひと為る錯把法言方聖経 錯 あやまりて法言を把りて聖経に方 くらぶ【韻】声(下平八庚)星・経(下平九青)通押【語釈】○徳声 徳が高いというほまれ。○易心 穏やかな心。○霜星 年月の意の「星霜」を韻の関係で逆にしたか。○漢儒 漢代の儒者。○法言 前漢の揚雄の著。『論語』を模し、王道を論じ、道徳による政治を説いた。漢代には『孟子』『荀子』に次ぐものとして尊重 されたが、南宋の二程子・朱子らは重視せず、以後評価は低くなった。○聖経 聖人の著した書。儒教の経典。
⑧安東省庵礼容儼粛仰儒風 礼容儼粛 儒風を仰ぐ丁日繙経共折衷
丁日 経を繙きて 共に衷 ちゆうを折す正識終身堪誦処 正に識る 終身誦するに堪ふる処懐安老少一言中 安きを懐ふ 老少一言の中【韻】風・衷・中(上平一東)【語釈】○礼容 礼儀の正しい動作。○儼粛 おごそかなさま。○儒風 儒者の風習。○丁日 ひのとの日。○折衷 取捨選択して取り入れる。○老少 老人と若者。⑨医生 道三風俗陵夷不用愁 風俗の陵夷 愁ふるを用ひず昔年孔聖已乗桴 昔年 孔聖 已に桴 いかだに乗る曲肱飲水是真楽 肱 うでを曲げて水を飲むは是れ真楽豈比人間万戸侯 豈に比せん 人 じん間 かんの万戸侯に【韻】愁・桴・侯(下平十一尤)【語釈】○風俗 その土地のならわし。○陵夷 物事が次第に衰えること。○乗桴 いかだに乗る。『論語』公
冶長に「子曰、道不行、乗桴浮于海」とある。○曲肱 うでを曲げて枕とする。転句は『論語』述而の「子曰、飯疏食飲水、曲肱而枕之、楽亦在其中矣」を踏まえた表現。○真楽 真の楽しみ。○人間 人の世。世間。○万戸侯 一万の戸数の領土を持つ大諸侯。
⑩玄三時習聖経精耐研 時習の聖経 精研するに耐ふ故知李氏嘆茫然
故に知る 李氏の嘆きて茫然たるを至仁施及幾千載 至仁 施及すること幾千載享祀蘋蘩二月天 享祀す 蘋蘩 二月の天【韻】研・然・天(下平一先)【語釈】○時習 常に復習する。又しかるべき時に復習する。『論語』学而に「子曰、学而時習之、不亦説乎」。○聖経 聖人のあらわした経書。儒教の経典。○精耐研 深奥な理を究めることができる。○李氏 老子をいうか。老子の姓は李、名は耳(『史記』老荘申韓伝)。『荘子』天道に仁義を説く孔子に対し、老子が嘆声を発する場面がある。○至仁 最高の仁徳。○施及 しき及ぼす。○享祀 物をそなえて神をまつる。○蘋蘩 うきく さとしろよもぎ。釈菜の供え物。⑪垕亝至仁徳沢遍乾坤 至仁の徳沢 乾坤に遍 あまねし措大儒門講魯論 措大 儒門に魯論を講ず道統伝来千載後 道統の伝来 千載の後長教聖学到今尊
長く聖学を教へ今に到るまで尊ばる【韻】坤・論・尊(上平十三元)【語釈】○至仁 最高の仁徳。○徳沢 めぐみ。恩沢。○措大 貧士。貧乏書生。○魯論問。儒教をいう。 聖人の道を修める学宋儒によって唱えられた。○聖学 統。韓愈「原道に」の始まり、系賢聖の来以古上統道 『論○う。いを』語
⑫正策研精覃思惜三餘 研精覃思 三餘を惜しむ 大聖遺言十巻書 大聖の遺言 十巻の書汗牛充棟何足読 汗牛充棟 何ぞ読むに足らんや也知時習在従初
也た知る 時習は初めに従ふに在りと【韻】餘・書・初(上平六魚)【語釈】○研精 深奥な理をきわめる。詳しく研究する。孔安国「尚書序」に「於是遂研精覃思、博考経籍、採摭群言」とある。○覃思 思いを深くする。深く思う。○三餘 学問に励むべき三つのひまな時。冬(年の餘)、夜(日の餘)、雨(時の餘)。○大聖 最高の聖人。ここでは孔子を指す。○十巻書
き時に復習する。 棟常に復習する。又しかるべ蔵書の多い喩。○時習 『○論牛充う。いを』語汗
⑬玄求遺編読破有精神 遺編 読破するに 精神有り千歳儒風興起人 千歳の儒風 人を興起す世上巧名尤可愧 世上の巧名 尤も愧づべし正知原子処窮貧 正に知る 原子の窮貧に処りしを【韻】神・人・貧(上平十一真)【語釈】○遺編 先人の残した著述。○有精神 心の生き生きとした働きがある。○儒風 儒者の風習。○興起 感動して奮い立たす。○世上 この世。世間。○功名 功績と名声。○原子 原憲。孔子の弟子。字は子思。生涯清貧を通した。『蒙求』の標題に「原憲桑樞」がある。 ⑭三益読書字々理分明 読書の字々 理分明なり辯惑闕疑事細評 辯惑 闕疑 細評を事とす夫子畏匡雖処困
夫子 匡 きやうに畏れ 困に処 をると雖も聖哉伝道道猶亨 聖なるかな 伝道の道猶ほ亨 とほる【韻】明・評・亨(下平八庚)【語釈】○辯惑「辨惑」に同じ。迷いをさとす。疑問を
取り除く。『論語』顔淵に「子張問崇徳辨惑」とある。○闕疑 疑わしいものはそのまま残しておく。『論語』為政に「子張学干禄、子曰、多聞闕疑、慎言其餘、則寡尤」とある。○細評 細かに批評する。○夫子 孔子。○畏匡 匡という土地で恐ろしい目にあう。『論語』子罕に「子畏於匡」とある。○伝道 聖賢の教えを世に伝える。韓愈「師説」に「古之学者必有師、師者所以伝道授業解惑也」とある。
⑮玄求録仁記徳自巍巍 仁を録し徳を記し 自ら巍 ぎ々 ぎたり携巻毎憂難尽微
巻を携へ毎に憂ふ 微を尽し難きを美玉正当初韞匱 美玉 正に初めて匱 ひつに韞 おさむるに当たる六経輨轄積光輝 六経の輨 くわん轄 かつ 光輝積む【韻】巍・微・輝(上平五微)【語釈】○仁 儒家における最高の徳目。○徳 社会において正しいものと評価される行動規範。○巍巍 高く大きなさま。『論語』泰伯に「子曰、大哉、堯之為君也、巍巍乎唯天為大」とある。○美玉 うるわしい玉。○韞匱 ひつの中にしまっておく。『論語』子罕に「子貢曰、有美玉於斯、韞匱而蔵諸、求善賈而沽諸、子曰、沽之哉、沽之哉、我待賈者也」とある。○六経 六つの経書。易・詩・書・春秋・礼・楽。○輨轄 輨と轄。大切なところ。詩序に既出。
⑯正利(今佐野了心)時習平生苟志仁 時習 平生 苟 まことに仁に志 こころざせば世間栄辱不関身 世間の栄辱 身に関せず聖容千歳温良徳 聖容 千歳 温良の徳仰望儒風日々新 仰ぎ望む 儒風の日々新たなるを【韻】仁・身・新(上平十一真)【語釈】○時習 常に復習する。又しかるべき時に復習する(『論語』学而)。○平生 ふだん。『論語』憲問に 「久要不忘平生之言、亦可以為成人矣」。○志仁 仁を目ざす。『論語』里仁に「子曰、苟志於仁矣、無悪也」。○聖容 聖人の姿。ここでは孔子を言うか。○温良 温和で素直なこと。『論語』学而に「夫子温良恭倹譲以得之」。⑰右衛門尉(山形隼人息)杏壇祀奠絶風塵 杏壇の祀奠 風塵を絶つ各講魯論儒教新 各々魯論を講じて儒教新たなり初識聖賢仁豈遠
初めて聖賢を識る 仁豈に遠からんや半天繊月舜何人 半天の繊月 舜何 なん人 びとぞや【韻】塵・新・人(上平十一真)【語釈】○杏壇 孔子教授堂の遺址。土を盛って壇とし、周囲に杏の木を植えた。のち、転じて講学の所をいう。○祀奠 酒食をそなえてまつる。○風塵 俗世界。○魯論為者亦如是」とある。 淵『子』滕文公上に「顔孟曰、有何人也、予何人也、舜 ある。○舜舜何人とるはいかな人なのか。矣」至仁 に「ない。『論語』述而は曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯子 『の豈語』をいう。○仁遠もで仁は遠くにある論
⑱康勝聖言及□ ※与真同 聖言 □に及びて 真と同じ洙泗遺風日本東 洙泗の遺風 日本の東二十篇中時習句 二十篇中 時習の句あり古今高仰感麟翁 古今高く仰ぐ 感麟翁【韻】同・東・翁(上平一東)【語釈】○聖言 聖人のことば。孔子のことば。○洙泗 洙水と泗水。ともに孔子の故郷の曲阜を流れる川。孔子がこの地で門人に教えたことから、孔子の学およびその学統の意ともなる。○二十篇
句 『論語』をいう。○時習
「及」と「与」の間に不明の一字が入るのであろう。 起句には欠字がある。類従本が推定するように、【補説】 。『史記』孔子世家)編纂したといわれる( いにもかかわらず麒麟が現れたことに感じて『春秋』を 西方に狩りをして麒麟を得た。孔子は乱世で聖王がいな いう。○感麟翁孔子をいう。魯の哀公十四年、哀公は 『習学語』学而の「子曰、而之、時を」乎説論不亦
詩序にあるように以上の十八首は釈菜における『論語』の講論を聴いた上での作詩である。その特徴はいくつかにまとめられる。 ・
釈菜の儀礼を詠む…③「三献升堂各鞠躬」、④「薦菜」、⑧「礼容儼粛」、⑩「享祀蘋蘩」、⑰「杏壇祀奠」・ 釈菜の講論を詠む…①「青衿講舌瀾飜処」、③「魯論講習」、⑧「繙経共折衷」、⑪「措大儒門講魯論」、⑰「各講魯論儒教新」・日常の学習の様子を詠む…⑦「昼誦宵思覚徳声」「平心易心積霜星」、⑫「研精覃思惜三餘」・『論語』に見える故事を詠む…⑥「陳蔡絶糧」、⑨「乗桴」「曲肱・飲水」、⑭「夫子畏匡雖処困」、⑮「美玉正当初韞匱」・『論語』に関連する人物・書籍を詠む…②「仲脩」、②③⑤「趙普」、⑦「法言」、⑬「原憲」・『論語』の思想上のキーワードを詠む…③「忠」、③「恕」、⑮⑯⑰「仁」、⑮⑯「徳」その他、『論語』の本文が直ちに思い浮かぶキーワード「時習」(⑩⑫⑯⑱)、「巍巍」(⑮)「温良」(⑯)などが用いられていることも指摘できよう。また、書籍の構成によって『論語』を示す「二万三千字」(①)、「十巻」(⑫)、「二十篇」(⑱)といった技法も認められる。
おわりに 『延喜式』
では釈奠の儀礼について、祭る対象の「十一座」や「礼器」「献官」等を説明したあと、「陳設」「饋享」「講論」の順で式の詳細を記す。その「講論」に関しては、七経輪転講説といって、『孝経』『礼記』『詩経』『書経』『論語』『易経』『左伝』の七経を毎回一経ずつ輪転し講説する日本独自の方法が、『延喜式』の成立する前の承和年間(八三四~八四八)の頃からみられるという )(1
(。
菅原道真の『菅家文草』には釈奠の場で詠まれた詩を十二首収める )(1
(。そのうち『論語』が講ぜられた時の作が二首見える。一首は「仲春釈奠聴講論語(仲春釈奠、論語を講ずるを聴く)」と題する五律で、川口氏は貞観十二年(八七〇)二月上丁の釈奠の際の詩と推定するが、貞観七年の可能性もあるとしている )(1
(。もう一首は「仲春釈奠聴講論語同賦為政以徳(仲春釈奠、論語を講ずるを聴き、同じく「政を為すに徳を以てす」を賦す)」と題する七絶で、川口氏は寛平七年(八九五)二月九日の釈奠の際の詩と推定する )11
(。 後者は、詩題から『論語』為政の冒頭の章「子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之」が講論の対象であったことが分かる。以下、その七絶を引く。
君政万機此一経 君が政 まつりごとの万機 此の一経乗龍不忘始収蛍
龍に乗じて忘れず 始めて蛍を収めたまひしことを北辰高処無為徳 北辰高き処 無為の徳疑是明珠作衆星 疑うらくは是れ明珠の衆星と作りしかと講ぜられた『論語』為政の一章に相応じた詩であることが明らかである。
島田忠臣の『田氏家集』にも「仲春釈奠聴講論語同賦為政以徳」という同じ題の詩があり、道真詩と同じ席での作と推定される )1(
(。その七絶を引く。
政帰於徳徳為隣 政は徳に帰し 徳は隣を為す猶若衆星拱北辰 猶ほ衆星の北辰に拱するが若し今日神農何処廟 今日 神農 何処にか廟あらむ無顔拝奠孔堂春 拝奠する顔無し 孔堂の春
この詩も講ぜられた『論語』為政の一章に相応じた詩であることは明らかである。
一方、尺五堂で詠まれた十八首の内容は多岐に渡っている。詩の内容のすべてを網羅するような講論が行なわれたと考えることは難しい。作詩の条件が緩く、『論語』に言及すればよいというような縛りであったのだろうか )11
(。
先に引いた内閣文庫所蔵の『釈奠儀例』には尺五の手になる慶安四年の釈菜の祝文も収められており、当日の式の様子を伝える言葉が見える。「維時慶安辛卯仲春九日正当初丁大昕後学昌三与一二文友謹以芹藻清酌之菲供奉奠先師孔子之神位…(維 これ時に慶安辛卯仲春九日、正に初丁に当たる。大 たい昕 きん、後学の昌三、一二の文友と謹みて芹藻・清酌の菲供を以て先師孔子の神位を奠 まつり奉
る…)」という冒頭の言葉は、二月九日の「大昕(夜明け)」に儀式を行なったこと、謙辞でもあろうが、「菲供(質素な供物)」を捧げたささやかな儀式であったことを語っている。註
(
の思想家①、明徳出版社、昭和五十七年) ()猪口篤志、俣野太郎『藤原醒窩・松永尺五』((叢書・日本 社、二〇〇〇年) 尺五堂先生全集』ぺりかん第十一巻(『近世儒家文集集成 徳譜年略五尺三、説田解題・解集全生先堂五尺武『』
なお、尺五と貞徳の関係については、小高敏郎『新訂 松永貞徳の研究』(臨川書店、昭和六十三年)が詳しい。(
( 学』を講じたとある。 ()原念斎『先哲叢談』には、十八歳の時に秀頼に謁して『大
( りかん社、二〇〇〇年) 十ぺ先堂五尺集巻一』第成全集集文家儒世近『格(性生 (徳田武『尺五堂先生全集』解題・解説一、書誌と諸本の)
( 四十五年) ()『続々群書類従第十三詩文部』(続群書類従完成会、昭和
( われた「釈奠詩会」のことを翠川氏は紹介している。 から十四年にかけて三条西実隆が主催し、自宅で十四回行な (一五〇五)永正二年釈奠関連の行事が行なわれた例はあり、 したことは確かだという。なお、廃絶後も宮中以外の場所で 三省堂、昭和四十五年九月)によれば、一四六〇年代に廃絶 第五十七号、文学・語学』」(『季刊
―
懐紙の紹介をかねて ()三条西家所蔵釈奠詩―
翠川文子「三条西実隆の釈奠詩会 にした。 ()釈奠・釈菜の概説については主に以下の論文、著書を参考 弥永貞三「古代の釈奠について」(坂本太郎博士古稀記念会編『続日本古代史論集 下巻』吉川弘文館、昭和四十七年)須藤敏夫「近世日本釈奠の研究」(思文閣出版、二〇〇一年)(
( ()『通典』巻五十三、礼十三 ()市原亨吉・今井清・鈴木隆一『礼記(上)』(全釈漢文大系
( ((、集英社、昭和五十一年)
( ()『大唐開元禮附大唐郊祀錄』(汲古書院、昭和四十七年)
(0日大学文典古本』(新)一紀本日続『系
( 一九八九年) ((、岩波書店、
((日大学文典古本』(新)四紀本日続『系
( 一九九五年) ((、岩波書店、
(弥永貞三氏が詳細に行なっている。註 孔巻五十四「国子釈奠於父宣礼饋享」。両者の比較を』元 ((学『延喜式』巻二十「大)寮開奠条饋享」および『大唐釈
( いて」参照。 ()「古代の釈奠につ
(()堀勇雄『林羅山』(吉川弘文館、平成二年)
鈴木健一『林羅山年譜稿』(ぺりかん社、一九九九年)(
( ((000((-) ((儀奠松永尺五『釈号番求請庫例文閣内)書文公立国』(館
( (()原念斎『先哲叢談』巻二
論語」とする。ここは読論語」を「聴講また、内閣本の「聴 33 本を「」春中閣」春内すと上る。意味の「の違いはない。仲 (()」。国会本の詩題は「中春釈菜聴読論語同賦読論語詩幷序 ( 内閣本の「講」に従うべきである。
治書院、昭和五十年) ((口学明』(編上究研の史文久漢)日朝安平川訂三雄『本 弥永貞三「古代の釈奠について」(既出)註(
()参照。
臺藏明「平安朝釈奠に於ける『七経輪転』の一考察」(『皇学館論叢』第八巻第四号、皇學館大學人文學會、昭和五十年)(
(( 家大学文典古本日』(集後菅川)草文家菅注『校雄久口系
( ((、岩波書店、昭和四十一年)
(()弥永貞三氏は貞観七年の作と推定する。註(
( 奠について」参照。 ()「古代の釈
(0)弥永貞三氏は寛平三年春の作と推定する。註(
( 釈奠について」参照。 ()「古代の
( 四年) 島巻之監修『田氏家集注之小下』(和泉書院、一九九憲 九三年) ((八・家中島田伸一郎『田氏全集)釋村』(汲古書院、一九璋 書と無関係に詩題を選ばせるようになったという。註( (()翠川氏の紹介する三条西実隆の釈奠詩会では、途中から経
照。 ()参