手 紙 六 山七九六年六月二四日 前回にふれましたごとき︑フランスの余儀なくされた状態ほ
ど︑みじめで︑絶望的なものを︑かんがえることは︑不可能で
しょう︒かれらは︑抵抗の希望もいだきえないような軍隊の侵 略をっけ︑皆殺しの憎悪と怨恨の薯発をうけ︑敵に屈服する
す︒かれらは︑ちゅうちょすることなく︑後者をえらびまし た︒こうして︑フランス人ほ︑英雄的な熱狂につつまれ︑地球
上のいっさいの諸国民にたいする優越性を保持したのです︒
かかる恐怖状態において︑不可避におもわれた軍山の方法
は︑純粋民主制︵a.p喜edemOC︻aCy︶の樹立でした︒フランス 人の血致した世論では︑国王は信頼できなかったのです︒国王 のプァレーヌ逃亡事件や︑閣僚起用・法令拒否をめぐる国民議
会とのあらそいは︑決裂をいざないました︒プルンシュヴィツ タ公の茎一己が︑劇七九二年八月七日頃︑パリにったわります
と︑恐怖とおののきで︑人民は︑戦慄し︑ついに︑︑八月劃○日 紹 介 第三十五迭蔑骨 ﹃クリトゥの手紙﹄について ︵二︶
山 崎 八¶ ︵五二︶ 五二
王宮が攻撃され︑護衛スイス兵が虐殺されます︒つづいて︑九
月二日の流血の惨劇がおこりました︒これは︑危機の進行によ り触発された突然の狂暴と恨みの結果なのです︒ いまや︑優位にたつ共和政府の味方ほ︑二派にわかれます︒
パリの民衆は︑その数︑政府への近接さから︑強力をかんじ て︑できるだけ︑階級の平等化︑上層階級の追放︑ふるい階級
区分の絶滅をのぞみ︑他方︑かかる強力を有しない田舎の人民
は︑温和な政策をうけいれ︑君主制を分割し︑これを連邦として 結合させるこころみに疑問をいだきます︒後者の指導者たち
は︑寛大で惜ぶかい人々でありましたし︑そのうちのいくらか は︑有能でもあったのです︒しかし︑かれらほ︑危機的状況の
要求する勇気や大胆さに欠けたようにおもわれます︒前者ほ逆 に無教層︑だが︑恐れを知らぬ大胆さを︑もちあわせ︑目的遂
行のため紅は︑どんなことでも︑ためらわないように︑おもわ
れます︒この種の人々の領袖が︑かの有名なロベスピエールな のでした︒かれは︑すぐれた教養の持主ではありませんでした
が︑ふかい洞察力とかぎりない野心をもち︑いかなる原理をも
おそれず︑また︑人間性の感情にも︑左右されなかったので す︒かれは︑倦むことのない親切さで人民のこころをとらえ︑
絶対の信頼をからえたのです︒人民の利益と意見を尊重したの です︒本当の熱狂家だったとおもわれます︒権力愛にうごかさ
れたとしても︑かれ紅︑金銭上の背徳行為ほ︑まったく︑なか ったのでした︒人間としてのかれの性格は︑呪われるべきもの
ではありましたが︑おそらぐ︑あの危機的時代に︑数おおい放
から︑自国をまもることのできえた唯叫の人間だったこ七は︑
たしかなのです︒自己の権威をうちたてるにも︑パリの民衆を
つかむためにも︑かれは︑自己の計画紅反対した人々の血を︑
無慈悲にも︑辞さなかったのでした︒しかし︑行政府への絶対
的服従が︑不可避に︑必要だったことこそ︑フランスの不幸な
状態なのです︒もし︑下位にある反対派が︑その党首をひきあ
げることに︑苦しむならば︑すぐさま︑支配の側ほ︑外国諸権
力の支持をうけるであろうし︑このことは︑内部騒動をひきお
こし︑コンスティテューションの保持への異常な努力は︑水泡
に帰するであろうとおもいます︒
わたしの意図は︑これら暴力的手段を弁ごすることでほなく︑
主要な罪をおうぺき人々の指摘であります︒われわれほ︑これ
らの流血と恐怖の光嘉のなかで展開された正義と人間性の無数
の暴力を恥ずべきであるとほいえ︑そ小らが︑フランスをおど
かした敏感ある諸権力から︑はとんど︑生じたことを︑つね
に︑銘記しなければなりません︒敵対的諸権力こそ︑残酷を︑
不可避にしたのです︒かの呪われた国における第卑命の敵
が︑実に︑第二革命の下手人なのです︒もし︑フランス人が︑
その便宜の観念︵their O宅nideas Ofe召ediency︶にしたがっ
て︑かれら自身の政府形成にまかされていたら︑その温和︑か
つ︑無害な君主は︑おそらく︑不信と怨みの対象にならなかっ
たでありましょうし︑自由な選択にもとづく政府の樹立は︑は
クリトクの手紙紅ついて︵二︶ んの小さな変革紅とどまったでしょう︒また︑もし︑ふつうの武 力では抵抗しきれない侵略のために︑おそれおののいたり︑絶 望紅おちいることなどがなければ︑あるいは︑フランス人を人
プルンシュヴィック公の侵略は︑周囲の国民に︑ふたつの重 類の劇員でほなく肉食獣とみなす無情で残酷な敵によって︑侵 略をうけないとしたら︑文明国民にふさわしくないあのような 悲しむぺき事件が︑生起するとは︑かんがえられないことなの です︒これらの呉理ほ︑フランスでの諸事件をけたたましく非 難し︑恥じ知らずの勝利をよろこぶ連中が︑まじめに︑考慮す べきことがらでありましょう︒
大な事実を確認させたにちがいありません︒第⊥紅︑フランス
人民の自由への愛着・旧政府への怒りは︑抑止しえないこと︑
第二︑紅かれらの熱狂が︑軍事的訓練をうめあわせ︑その民兵
は︑他のヨ一口㌢パの常備軍ユり優勢だということです︒
世人は︑永いあいだ︑軍事的栄光の華麗な大成功に︑目を
くらまされ︑あまりに︑軍事能力を過大評価しすぎてきまし エッセイ た︒ヒユーム氏が︑ある論文で︑天才の発揮は偉大な将軍ぬで
はなく偉大な詩人紅なることであり︑アリグザンダーやレーザ
ーよりホーマーやミルトンの方が偉大であったとのぺましたの
は︑・逆説愛好に耽るかれらしいいいぐさのあらわれです︒この
£ッセイは︑のちの版では︑削除されました︒しかし︑このア
キふー†な著者が︑いま紅へ生きていたら︑かれの主張は其理
にちかいものであることを︑みとめるであろうとおもわれま
︵五三︶ 五三
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第三十草巻 卿竺号
す︒さいきんのフランスでの戦争ほ︑チエレンヌ︑マールバラ
クェルディナンドといった名将軍のたぐいなどほ︑たんに︑ふ
っうの人間であることを︑証明したのです︒経験は︑いかに短
期間に︑軍隊がつのられ︑世界のもっとも装備され訓練された
軍勢を征服することを教え︑ました︒
プルンシュヴィック公の敗退につづくジェマップのたたかい
ほ︑旧秩序を復活させようとするフランス征服のいっさいの企
てが︑根も鎗もない寮想紅すぎないことを︑コモン・センスの
持主に︑確信させたのです︒
手 紙 七 岬七九六年七月仙日
プ芝アンの自由の友は︑ヨーロッパ専制君主どもの暴力的手
段を︑憂慮しっつ︑みまもりました︒専制主義が︑たんに︑そ
れぞれの内国政府の支持のみならず︑それぞれの国における自
由の確立を拒否する帝国的権力の支持と保ごをもうけるという
のほ︑ゆううつな事態でなくてなんでしょうか︒現在の同盟
は︑諸国民︵natiOnエの巨大な会議ではなく︑君主︵sO諾re山gns︶
のそれを意味します︒それは︑人類の権利︵the ri嘗tsOfman.
kind︶′のためではなく︑圧制と抑圧を維持すること紅あるの
です︒
大陸におけるこれらの諸事件が︑こ砂国の反対派の連中紅よ
り︑貴族により︑君主大権の保持者により︑また︑大同団結し
た群の人々により︑どのように︑さまざまの視角から︑みら ︵五四︶ 五四
れたかを考察することほ︑むだでありましょう︒要するに︑わ
が国での不合理の改革や下院の公平な代表制の導入が︑フラン
スにおける成功した革命の必然的な結果なのだと︑かれらはい
うのであります︒
当初︑イギリス内閣ほ︑厳粛に︑ピル一−ッツ条約加盟を拒否
しました︒しかし︑これは︑ブルンシュブィック公のフランス
侵略が︑みずからの助力なしに︑成功することをねがってのほ
なしでしたので︑この企てが︑まったく︑失敗するやいなや︑
かれらは︑狼狽し︑この同盟での主要な役割をひきうけること
に決定したのです︒首相の弁舌力は︑とりまかれた雲をおいほ
らういh方法を示唆しえなかったようです︒
この決定紅あたって︑わが首相は︑反対派の指導者たちにお
ける変節によって︑力づけられたといえます︒うわさでは︑ウ
ィッグ先のすぐれた人たちが︑フランス的世論の普及に狼狽
し︑かれらがつねに︑公然とのぺていた内閣の政策への嫌悪軋
もかかわらず︑′いまや︑その内閣の陣営に参加し︑政府の仕事
をひきうけざるをえないはめ軋なったということです︒
公衆は︑その党からはなれて政府の走狗となった連中に好意
をもったわけでも︑かれらのいいわけを信じたのでもなかった
のですが︑かれらが異例の公平さで︑とりあつかわれたのはた
しかでした︒かれらは︑個人的利害関心というよかは︑貢族的
偏見から︑行動したとおもわれます︒そのはこりたかい地位を
捨て︑て︑かれらが現在の粗末な地位をかくとくしたとき︑かれ
らの行為は︑名声愛によっても︑権力愛によっても︑うどかされ
たのでほないことほ︑その赦さえも︑容認する紅ちがいありませ
ん︒実際︑かれらは︑とがめられるべきというよりは︑あわれむぺ
きものとされました︒かれらの行為は︑かれらの感情の身代り︵ゎ
C亀?gQ豊なのでした︒けれども︑同様のことは︑下級の連中に
は︑適用されないのです︒これらのものはよろこんで︑国のため
に奉仕する機会をうけいれるとともに︑反対党の冷たく割のわ
るい風土をほなれ︑国王ちょう愛のあたたかい陽光をうけるに
あたっては︑なんの不本意もかんじなかったとおもわれます︒
かつては︑騎士道時代をたたえ︑血貝族制の軽騎兵として︑自由の
金ピカ軍旗を誇示した空想家でさえ︑かの荘厳と崇高美︵≠訂
慧諷ふざ罵an中罫こを温旦阜とを忘却して︑莫大な恩給での引退
をよろこび︑自己の変節の値段をその奉仕の報酬だと主張し︑も
っともみすばらしく︑まえには︑もっとも非難をうけたかれの現
在の保ご者らすべてを︑恥じ知らずも称讃しっつ︑いやしい変節
にしたがって︑自己のかつての地位を嘲笑するずうずう︺さを
示しました︒
内閣の計画を推進し︑いっさいの抵抗を排除しうる力を用意
するには︑ふつうの努力では不十分なのです︒国民代表の改革 をかちとろうとするねがいほ︑この目的を支持して議会に請頗 するため︑商業都市やその他のわが王国の各地に︑人民のおび ただしい集会をうんだのです︒おおくの出版物がだされ︑政府 の一般原理やさまざまの政治的教義が自由紅討議されたので す︒これらのあるもの濫は︑イギリスのコンスティテューション
クリトウの手紙について︵二︶ が︑やや︑軽視されているもののあることは︑たしかでしょ う︒しかし︑たとえ︑劇部少数の気まぐれな思考︵tFewant呂 SpeC已atiOn︶や気ままな主張があれ︑社会の大多数のものが︑ 共和制︵aRep邑−ican¢y芝em︶をのぞんだけ︑人民の大部分 が︑そのもとで生きてき︑その幸福な効果を経験した立憲君主 制︵limitedm昌arChy︶に愛着をかんじなかったという根拠は︑ まったく︑ないのです︒だが︑わが内閣は︑こうは︑かんがえ ずに︑下層階級が︑フランスのスパイに煽動され︑フランスの政 治に誘惑されて︑わが政府の全面的打倒︵t訂tOta−○くerthrOW︶ のための共同謀議をむすんだといった意見を︑つとめて︑ひろ めようとしたのです︒あらゆる機関は︑不忠︵di巴Oyalty︶と治安 妨害︵sediti旦の捕縛のために︑動員されたのです︒かかる牒 的のための結社がつくられ︑想像上の犯罪者を告発するための 報告垂や政治教義や資料を提供・流布していったのです︒この 種の連中のリーダー格に︑さる地方長官がいて︑その疲れを知 らぬ活動で有名だったのですが︑国民が妄想から︑いくらか︑ 回復したのち︑かれの行為は︑あかるみにでて︑下院は︑法務 長官紅よる告発が必要であるとしたのです︒この部下にたいす る処置は︑憤怒のはどを︑十分に︑あらわしているでしょう︒ 裁判では︑犯行が証明されましたが︑かれの意図にかんれんし ての有利な事情から︑無罪になったことは︑注意する必要があ ります︒
ポリティシャン こうして︑故意にたくらむ政治家たちによるつくりもののう
︵五五︶ 五五
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第三十五巻第⊥号
わさ︵artificia−cry︶掛︑正直な無垢の人々に現実の恐怖︵rea−
a−arm and terrOこを伝挿し︑クエソトリは︑フランス的平等
︵董責慧ゝ制度によって︑その階級から︑ひきさげられるとおも
い︑うしなうぺきなにかをもつものは︑自分らが︑共和主義者
やレヴュラーズ︵ぶ首gざさand訂已訂鼠の直接の餌食である
とかんがえたのです︒改革をにくみ︑イギり/ズのコンスティテ
ューション紅愛着する混和な人々は︑フランスでの無秩序と残
虐行為がわが国に導入されるのをみて︑おそれおののいたので
した︒しかし︑叛乱・陰謀・国家転麓の形跡は︑わが王国のど
こにも発見されなかったのです︒人民のこころを煽動したこの
不断の動乱は︑ノ公平な考察をさまたげ︑あらゆるもんだいを歪
曲し誇張する役目をはたしました︒
内閣は︑上層階級に恐怖をまきおこすことに成功すれば︑そ
の次のねらいは︑国民代表の改革︵arefOrmOft訂NatiOna−
RepresentatiOn︶の妨害に個人的利益をもつ︑いっさいの適中
と協力して︑対フランス戦争を推進することなのです︒この途
方もない戦争遂行は︑わが国の危機のすべてをうみましたが︑
この戦争目的のために利用された奇妙な論法のいくつ・か軋つい
て︑次の手紙から︑のべましょう︒
手 紙 八
劇七九六年七月劇二日
イギリス内閣紅とって︑対フランス戦争の決定ごは︑戦争手 ︵五六︶ 五六
段を弁どする諸理由の発見が︑次の仕事となりました︒前世紀
のある名甘同い論者は︑理性︵還已至且よりも修道士︵S§雷︶をみ
いだすのが︑容易であるといったようです︒それ以来︑事情
は︑奇妙に︑変化したのです℃修道院は︑おとろえ︑推理力ほ︑
著しく︑進歩しました︒対フランス戦争の諸理由は︑あたらし
い論理体系のゆたかさで︑みたされます︒また︑弁舌力も︑修
辞学の新体系を︑供給したといっていいでしょう︒これらのい
ずれかから︑ひきだされる倫理︵ミヽ乳叫首︶について︑遠慮して
いえほ︑やや︑決疑論的︵へきわ邑肯乳︶であるといえます︒
対フランス戦争突入の主要な根拠の第一は︑わが国でのフラ
ンス的世論焉責已玉音瞥見の普及をチェックするには︑この手
段が︑絶対紅必要であるということです︒これは︑論理学者
が︑暴力紅よる論証︵畢望蓑乱雲こ豆乳許蓋とよぷ有名な論理
なのです︒つまり︑諸君が︑その思想を放発しないならば︑諸
君の頑をぶちぁるということです︒しかも︑このばあい︑もん
だいは︑もう少し︑すすんで︑自分は︑けしからぬ思想をいだ
く諸君の頑のみならず︑諸君紅︑そんな思想をいだかせた慈党
の頭をも︑ぶちぁるということなのです︒
抜けめのない連中によれば︑議会改革思想はへフランス思憩
によって︑会得されるというのです︒︑しかし︑なんの悪意もな
い心配性の人には︑それが︑わが君主制をくつがえし︑無秩序
の害悪と内乱をともなう階級と財産のかんぜんな平等化︵a
CO臼p−etのequa−i冨ti昌Of rぎkand琶Operty︶による民主政
府の樹立計画のように︑おもわれるのです︒
どんなイギリス人が︑すくなくとも︑イギリス人の大部分
が︑後者のような意味におけるフランス思想をいだいたでしょ
うか︒もし︑このイギリスに︑有力な政治原理があるとすれ
は︑わがコンスティテューションへの愛好であり︑ハノープァ
王朝への愛着でほないでしょうか︒この王家は︑議会の権威紅
より︑樹立され︑その継承によって︑われわれが︑先祖伝来の
相続人の圧政から︑まもられてきたのでした︒
しかし︑ここで︑議論のために仮定しましょう︒ブリテンの
多数が︑かかる思想に︑頑迷にもとりつかれ︑そのために︑戦
争に突入したとします︒それは︑かの有害な思想の諸結果匿た
いする妥当な手段でありましょうか︒強力が︑宗教上︑また政
治上の有毒な教義を排除する最上の方法でありましょうか︒歴
史は︑逆のことを教えているのではないでしょうか︒かつて︑
ローマ政府によるキリスト教の迫害が︑この宗教をひろめるも
っともナチヱフルな方法なのではなかったでしょうか︒宗教改
革を促進した最大の条件のひとつ.は︑迫害ではなかったでしょ
うか︒思想もんだいに︑武力を使用することのこの結果は︑人
間性から︑当然に生ずるものなのです︒人間のこころには︑お
どしっけられると︑これを拒否するプライドがあり︑放棄を強
いられた思想を︑固持す
しょうとする不正にたいして︑憤りと憤慨が︑燃えたぎるであ
りましょう︒のみならず︑かれが真理だとかんがえるものの固
クリトクの手紙について ︵二︶ 持のため紅︑かれの豪むった災難は︑かならず︑同情をよびお こすにちがいないのです︒かれの決意と勇気は︑選讃と尊敬な うけ︑受難者にたいする同情は︑むしろ︑その思想への愛好と なるでありましょう︒
うたがいもなく︑ふとどきな邪魔ものをとりのぞくための強
力な血なまぐさい迫害のあるばあいもあるでLよう︒しかし︑
それは︑弾圧︑野蛮︑残忍性を必要とし︑文明化した時代にふ
さわしくないものであるため︑まったく︑実行不可能なものと
かんがえていいのです︒そして︑その迫筈は︑当該思想を根だ
やしにしえないで︑むしろ︑強化・促進する紅ちがいないので
す︒もし︑諸君がある召物を大衆にみとめさせたいならば︑こ
れを官憲によって焼却させることよりも︑より効果的な方法は
ないのです︒諸君がフランスの世論に戦争を仕むけることほ︑
他のばあいにもらえないであろうような重要性を︑その世論
紅︑あたえることになるのです︒諸君の不正とまでほいわず︑
諸君の鯉思慮は︑その思想を美化し︑むしろ︑通用性を賦与す
ることになるのです︒
つまりほ︑わが国戌が︑なぜ紅︑わが政府のあり方を考究す
る個人判断の権利をもってはならないのだろうかということな
のです︒わがコンステイテふーションは︑自由に︑諭しえない
はど︑・ぐらぐらした不健全なものなのでしょうか︒われわれ
が︑長いあいだ︑自慢してきたし︑また︑わが先祖の血によっ
てあがなわれたかの立憲君主制ほ︑それはどに︑臭実の自由原
︵五七︶ 五七 肇
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第三十五巻 第山号
理紅血致しないのでしょうか︒それは︑われわれが︑理性のテ
スト︵t訂test Of完aSOn︶にかけようとしえないほど︑不十分
に︑適用されたものなのでしょうか︒あるいは︑また︑その欠
陥を神秘のヴェールでかくさなければならぬはどに︑不十分 紅︑・つくられたものでありましょうか︒理性と真理が︑おろか
さと誤謬把抗して︑わが国長の大多数を︑まもってはならない
とでもいうのでしょうか︒
プルンシュヴィック公敗退ごのフランス軍のおそるべく進攻 が︑戦争突入のもうひとつの理由でした︒フランス軍は︑全ヨ ーロッパに敵対し︑オーストリア鎖オランダを占領し︑オラン
ダを直接におどかし︑自由政府の樹立をのぞむいっさいの諸
国民と親交をむすぶ布告を発したのです︒それ故紅︑われわれ は︑われわれ自身の防衛のため紅︑武器をとらざるをえない し︑おそくならぬうちに︑われわれ自身の安全にそなえざるを
えなかったのだといわれました︒そうして︑つねに︑バランス
・オブ・パワの推持が︑ヨーロッパ君主たちの大きな政治目的 なのであり︑このためには︑戦争への十分な配慮が必要である
といわれ︑今日︑フランス人は︑国境をやぶるほかりではな く︑まえ紅存在した政治のシステムを仙掃するのだといわれた のです︒
かかる論法の持主が︑ポーランドでのおそるべき事件には︑ 眼をとじざる字えないというのは︑不幸です︒条約の暴力とあ
らゆる人間の法をあなどることによって︑この悲惨な国は︑ず ︵五八︶ 五八
たずたに︑引き裂かれ︑ブり二7.ンがバランス・オブ・パワのた めに同盟した君主らに︑分割されたのです︒イギリス内閣が︑ フランス軍に抗して︑仝ヨーロッパの鼓舞につとめても︑同盟 国のこの政朋についてほ︑ひとこともいわないのです︒
フランス軍の侵略による危機にかんして︑まともな人間のみ
のがすことのできないふたつの考察が必要でしょう︒第﹁に︑
だれによって︑フランス人は︑武装した国民となり隣国侵略の 必要にせまられたのでしょうか︒ピルニッソ蔓岩以前にほ︑か
れらは︑戦争反対の断呼とした表明をしたのですし︑他国に侵
略する意図の皆無であることは︑たしかですCもっとも︑フラ
ンス人は︑アヴィニョンやバーゼル区︑および︑アルサス=ロ
ーレンのある餅域を併合しました︒しかし︑これらほ︑フラン ス王国のなかに位置しており︑新制度の安全のためにも︑本質
的にいって︑フランスに併合されるぺきものであるといわれて
いるのです︒これらの領地を所有していた連中の資格の根拠
︵賢ぎにかんする論争ほいうまでもなく︑この併合というのは
血般的効用の原理︵aprincip訂Ofgene邑巨lity︶︑たとえば︑ わが政府がアソール公に︑そのマン島の主権を放棄させたり︑
スコットランドの封建的貝族たちに︑相続してきた支配権を断念
させたことと同仙のものなのです︒けれども︑フランスを侵略 した国外勢力は︑正当な理由なくして︑侵攻し災難をおしっけ
たのです︒これ紅たいし︑フランス人は︑諸国民の法︵t訂
la≦10fロatiOnS︶を知る公平な観察者︵i白partia−Obser諾r︶で
しへ ノ
\、/∵
あれば︑だれでも非難しないであろう報復原理︵a prinicip−e
Of retaliatiOn︶にしたがって︑行動しました︒自由政府へのフ
ランス人の友愛と助力の提供ほ︑専制君主たちの大同盟 − こ
.れにより︑ヨーロッパ諸権力︑また︑フランス人民さえもが︑
フランス旧政府の復活に参加するよういざなわれたのです1
を抑制する山種のたんなる虚勢にすぎないようにおもわれま
す︒
第二の考察は︑プリテンが流血をふせぎ︑全ヨーロッパに平和
を恢復するために︑とる手段についてであります︒当時︑わがブ
リテンが相あらそう諸権力の調停にのりたしていたとすれば︑
フランス人がよろこんで︑関係諸国の外国で入手したものの
放棄を条件として︑和平を締結しないとか︑その労をよろこん
でうけいれなかったであろうなどと︑かんがえるものがいるで
しょうか︒だがへ われわれは︑次のようにかんがえたのです︒
プロレヤ︑および︑皇帝にょる強奪ののち紅︑敵のあたらしい
侵略を準備させるようなフランスの侵略は︑ただちに︑放棄さ
れるべきであると︒一体︑われわれの生命と財産とをまもるも
のとしてのわが内閣の義務というのは︑そのクリティカルな状
況下紅︑わたしが指摘した目的のために︑交渉をはじめること
でほなかったのでしょうか︒わが内閣は︑そうしなかったばか
りか︑積極的に︑その交渉を拒否し︑くりかえし︑熟をこめて
フランス人のさしだした和解に耳をかさなかったのです︒この
ことこそ︑あきらかに︑フランス人の侵略による危機といわれ
クリトクの手紙について ︵二︶ るものが︑かの国をおどかし︑あざむこうとする連中のつくりあ げたお化けであり︑もとめようとすれば︑容易に︑かくとくし えた平和をのぞむことからはるかに遠く︑わがイギり/ス内閣 が︑実際において︑ピルニッソ条約のプレイマーたちと協力 し︑かれらの︑いう理由からではなく︑かれら自身のもっともよ く知っている別の動機から︑フランス人根絶の戦争に突入した ということの︑証示ではないでしょうか︒
手 紙 九
一七九六年七月一九日
国王︑および︑王家の生命の危険をふくむフランス人のおか
した残虐も︑また︑かの野蛮な国民への戦争突入の理由なのだと
強調されたようです︒これは︑羽の生えそろわない演説家が︑
幸福にも︑ここぞとばかり羽をひろげる熱弁の好材料になりま
したし︑ずるいポリティシャンは︑これによって︑そのヒュー
マニチイとロイアルティをひけらかす好機をみいだしたので
す︒ たしかに︑ふつうの感情の持主は︑とれらの野蛮さにショック
をうけるだろうし︑また︑人間性ほ︑かかる野蛮性を︑軽くみ
せかけるいかなる企てにも︑反対するにちがいありません︒し
かし︑われわれは︑フランスを侵略し︑㌧かの人民をうろたえさ
せたかかる極悪の窮極の下手人たち︑あるいは︑ピルニッソ条
約のプレイマーたちが︑故意に︑みのがされ︑かくされる鉄面
︵五九︶ 五九
●
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
第三十五巻 第﹂号
皮のずうずうしさ紅︑いうべき﹂とばも︑ないのです︒もとよ
り︑わたしは︑フランス人の殺執行為や残虐が︑その困難を脱 するには︑絶対に︑必要だったとか︑便宜であったとか︑かん
がえるのでは︑けっして︑ないのです︒しかし︑かの異常な緊 張の進行では︑不可避なものとも︑おもわれるのです◇あのよ
ぅな事態のなかで︑狼狽した指導者が︑ときには︑むやみ紅と りいそいだ軽卒さで行動し︑自己の熱情に満足し︑あるいは︑
下層階級のよろこぶようなきびしい刑罰によって︑大衆の人気 をえようとするのは︑おどろくことではないでしょう︒したが
って︑指導者紅︑かかる異常な権力をかくとくさせ︑行使さ
せ︑当然不合理の予期されるかかる状態においやった外国の独 裁者たちにこそ︑生起した罪慈の責任があるのです︒
この考慮は︑直接の執行者を︑かならずしも︑正当化するの ではないのですが︑諸結果を予見しえた人々に︑しかも︑その結
果をうみだした仙連の行為に固執した連中瞥﹂そ︑主要な非難 を︑あらゆるばあい︑なげかける紅ちがいないのです︒
だが︑この国の住居のヒチトマニチイとロイアルタイ紅かん して︑何が︑かんがえられるにしても︑フランスとの戦争を推進
した人々が︑真の仁愛原理︵a rea−princip−e Of beneく○−ence︶
やルイ血六世の生命のため紅︑行動したとは︑おもわれません︒ フランス人紅旧政府を強要する同盟紅参加することによって︑
イギリス内閣は︑尊命指導者紅あのような権力をあたえ︑ま
た︑敵と手をむすぶ疑念をまねいた人々の殺害理由を提供した ︵六〇︶ 六〇
絶望と復讐をうみだしたのです︒反対紅︑もし︑ブタテンが︑
戦争を峻拒し︑関係諸国間の和解にひと役かったとすれほ︑か かる罪悪痕︑大いに減じたであろうし︑国王や王室の生命も︑ また︑はとんど︑保持されたでありましょう︒コンヴェンショ
ンの多数の政党が︑国王の生命保ごを欲したことは︑よく︑知 られています︒そして︑大多数のものは︑もし︑イギリスがフ ランスの敵の進攻阻止のために︑′仲裁の労をとったとするなら
ば︑これに協力しただろうことも︑はとんど︑疑問の余地はな ヒューマンロイアル いのです︒なぜに︑わが人間的︑かつ︑忠誠な弁舌家は︑かか
る明白な︑そして︑有益ともいうべき政策を否定したのでしょ
ぅか︒フランス人の行為を︑あれはど︑きびしく︑とがめだて
する連中がフランス革命への憎悪をこめた︑また︑議会改革阻
止のための野蛮と残虐には︑ひそか紅︑よろこぶということ
を︑わたしは︑信じたくありません︒この意味で︑象れなマラ
ーは︑金の卵をうんだにわとりであると︑ある著名の人の不用 意にのぺた意見を想起しないわけ紅はいかないのです︒
さらに︑キリスト教の保全が︑戦争突入の動機であるとも︑ いわれました︒今白の政治的大事件の歴史をみれば︑アメリカ
革命も︑フランス革命も︑まえの時代とほことなり︑宗教的熱 狂によるものでないことは︑注目すべき事情です︒フランスに
おいて︑文筆家たちが︑うわついた思考やふつうの意見に反対 する気取ったふるまいから︑その著作に無神論的主張をしのば せたことは︑たしかです︒しかし︑わたしたちは︑このことか
ら︑人民∬般が︑不信仰の原理に汚染したり︑その当該著作者
ですら︑宗教に敵対するなんらかの実際的システムを︑本気
で︑つくりだしたとか︑結論づけることはできないのです︒聖
職禄の巨大な不平等瞥フディカルな改革をこころみたフランス
のさいしょの革命は︑身分のたかい聖職者の憤慨と怒りをまき
おこしました︒地位の格下げにしたがうよりは︑自己の職務を
辞するのが義務であるとかんがえた僧侶のおおくが︑その亡命
先で︑フランス人ほキリスト教の全面的打倒を意図んていると
いう恐怖をつたえたのです︒フランスにのこった聖職者も︑同
じような主張をひろめました︒かくて︑かれらと革命指導者ら
のあいだに︑確固とした敵対かんけいや憎藩が︑つくられ訂
す︒前者は︑旧政府を支持するために︑その残存する権力と勢
力を傾注し︑後者は︑皮かさなる挑発にいらいらさせられ︑ま
すます︑教会の所有した権力を制限︑ないし︑破壊することに
なります︒ コンヴェンション おそらく︑フランス国民議会が︑初期キリスト教徒の宗教的
公共儀式のためにつくった︑七日岬週制のかわりに︑各月を
血○日︵軋栗鼠旦にくぎるあたらしいカレンダーを導入したの
も︑いいふらされた効用︵已i≡y︶のためよりは︑一部は︑風が
わりなみせかけによって︑教会の勢力をよわめるためだったの
です︒
このあたらしい規制の不適性と愚昧さは︑あきらかでしょ
う︒たしかに︑ふたっのものは︑外見上︑たいしたちがいもな
クリトクの手紙紅ついて ︵二︶ いし︑祈りの目的のため紅︑一過のさいしょの日をえらんだ福 音書の教えも︑とくに︑とりたてていうような重要なものでは ありません︒けれども︑慣習となっているものの変革︑つまり︑ あらゆる観点において︑有用で︑幾世紀にわたる慣行によって 根をおろしているものの変革ほ︑慎慮二pr已ence︶に︑全面的 紅︑そむくものであるし︑おおくの立派なキリスト教徒紅たい する障害物︵ast仁≡b−in喝占−OCk︶でもあるといっていいでしょ う○
しかし︑キリスト教二般が︑あるいは︑フランスにおいての キリスト教であっても︑かかる規制や脚部少数のうぬぼれや悪
意の示唆するで卦ろう短気で道理にかなわぬ反対のたあ紅︑本
賀的に︑傷つけられるとかんがえるのは︑非常なまちがいで
す︒キリスト教ほ︑堅固な基礎のうえにたち︑トマス・ぺイン がその﹃理性の時代﹄で︑アナルカレス・クローツが著作﹃いっ
さいの宗教の典型﹄紅より︑また︑日曜日の廃止者ファーブル ・デグランチーヌがかれの﹃あたらしいカレンダー﹄で︑ある
いは︑フランス国民議会の︑ある無神論者︵ゝ誉を︶と自称する
深遠な哲学者でさえも︑わが神聖な宗教にうちかつことは︑け っして︑ないのです︒キリスト教は︑かつて存在したものをは
るかにしのぐ純粋のモラリティを導入しましたし︑来世のむく
いにかんする明確な観念をみちぴきいれて︑犯罪防止のための 人間の法律的努力を強化・推進するのです︒真理の光が︑世界中
にひろがればひろがるはど︑人類は︑より明確紅︑その真の利
︵六こ 六鵬
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第三十五巻 欝iロワ
益を認知することができるし︑宗教−1これにより︑人間社会
は推持され強固ならしめられる ー を支持する効用を確信する
紅相違ないのです︒
しかし︑とはいいましても︑キリスト教の其の原理そのもの
は︑危機ではないのですが︑大衆の眼をくらまそうとして不自
然な虚飾をまとえば︑それほ︑たんなる用のないぼろぎれのよ
うに︑はぎとられるでしょう︒そのために宗教のねうらほ低下
したかの神秘的な教義︑すなわら︑暗黒時代の俗男に勢力をは
りめぐらそうとする僧侶たちの政略によるまやかしの産物 −
これによって︑宗教は不当な圧迫や腐敗の道具となったのです
ーーーほ︑うらくだかれるでしょう︒野心的な利己主義の僧侶
が︑永いあいだ個人の判断と良心の樟利をふみ紅じった際限
のない権力と支配力は︑こなごなにされ︑足下にふみつけられ
るでありましょう︒莫大な人間の血を吸い︑無知の穴をまもり
つづけ︑ヨーロッパの大半を道徳的・政治的奴隷の鎖りでしば︑
りつけてきた︑かの怪物であるローマ・カトリックの迷信は︑
いまや︑そのさいごの苦悶紅ちがづきつつあるよう紅おもわれ
ます︒
プラ∴/スでの宗教思想にかんして︑それがどんなものであり
ましょうと︑こういうもんだいの改善に︑戦争手段を行使する
のほ︑おろかで恥じ知らずの最たるものなのです︒すでに︑世
界は︑宗教的迫害や戦争の結果から︑有益な教訓をえているは
ずです︒それぞれの国民に属する人類は︑おたがいに︑さまざ ︵六二︶ 六二
まの宗教思想を容認すべきであると︒同時紅︑フランス政府が
推進している政策システムは︑ジグィル・コンスティテューシ
ョン紅敵対しないかぎり︑展心︑および︑いっさいの宗派の無
限の自由をゆるしているのです︒フランス政府ほ︑各宗派の成
員たちが︑かれらのこのむ宗教上の教師の選択椿や維持をも︑
自由に︑まかせているのです︒だれでも知っているように︑こ
れは︑純粋なはんもののキリスト教を追求する一宗派︑イング
ランドの独立教会派︵貫こ温室許草の諸原理紅︑似かよった
ものなのです︒これは︑また︑げんざい︑北アメリカ諸州に実
現されている宗教政笛のシステムでもあるとおもわれます︒わ
たし自身ぬついていえほ︑わたしは︑この国紅樹立された宗教
形式に愛着をかんじていますし︑別段の理由もなしに︑この種
のものの改革をこころみるべきでほないとかんがえているので
すが︑もし︑わたしが︑十分な根拠から旧政府の溌棄されたあ
る国の住民であるとするならば︑なんのためらいもなく︑この
きわめて自由な︑あきらかに︑便利なシステムをえらぶであり
ましょう︒
けれども︑フランスの指導者虹よる宗教諸制度への嫌悪が︑
他国の既成宗教人の反感をいざなうとともに︑全フランス国民
がキリスト教紅︑ないし︑いっさいの宗教にさえ︑敵対すると
主張する宗教的心配性の人々︵邑昏墨書︑Q喜邑ヱをうみだすの
も︑容易に︑看取されることなのです︒このような状況におき
ましては︑わが国既成の多数の宗教人が︑かれら自身の憂慮の結
果からか︑あるいは︑現政府の有給牧師の資格からかによっ て︑政府の施策のために︑骨身をくだいて︑手柄をたてること
は︑おどろくことでもありません︒スコットランドのような聖
職者の報酬のすくないところ虹おいても︑おおくのあっぱれな
こころみが︑人民を︑フランス革命にもとづく危機意識におい たてるに︑十分なものでした︒しかし︑この国の山般民衆は︑
宗教もんだいに冷淡でほありませんでしたが︑事実の本当の姿
を知っていたからか︑もしくほ︑かかる政治的牧師の意図を信 親しなかったかちによるのか︑また︑どんな理由からか︑いず れにしても︑これまで︑このような公布に︑あまり︑耳をかさ なかったよう軋おもわれるのです︒
手 紙一〇
一七九六年八月二日
以上において︑対フランス戦争突入のため紅︑あたえられた 主要な諸理由を︑検討しました︒それらは︑さまざまの種類に
わけられますし︑また︑人間の才智が使用しうるあらゆる巧妙
さをそなえて︑さまざまの様相を呈してはいますが︑その無用 性と不合理は︑一見して︑あきらかであると︑かんがえざるを
えません︒それらほ︑すでに︑恐怖のために混乱し︑偏見によ って︑ゆがめられた妄想匠︑感銘をあたえるには︑ふさわしい
ものでした︒ところで︑さらに︑ふたつのもんだいがありまし た︒これらは︑当時︑公私の談合で︑論ぜられ︑重要ではあり
クリトクの手紙について︵二︶ ましたが︑げんざいでは︑かんぜん匿︑鰻祝されていますので︑ かんたんな考察のみで︑十分でしょう︒
その常州は︑いまは︑フランスのものとなっているペルギⅠ
地域の貿易を増加させるための︑アントワープからシェルトの コンヴェンション 航行を開く㌢フンス国民議会の法令です〇この政策は︑さまざ
まの面から︑考察できるでしょう︒タ狂おいで︑それほ︑商
業の血般的利益を阻害する独占をおわらせるでしょうし︑他方
匿おきましては右い諸条約によって︑独占が維持されていまし
たオランダ人独自の貿易に︑︒不利となるのです︒わたしは︑
このどららのもんだいが︑より︑重要であるかは︑決めたくあ
りませんが︑しかし︑仙七八六年紅︑イギリス内閣が︑オラン
ダの利益のために︑その河の自由航行の樹立を︑おもいついた
皇帝の意見と馴致したということは︑はっきりしていますりこ
の商業目的をはたすために︑その住民たちを皇帝への請願紅か
りたてようとしまして︑イギリス大使が︑アントワープへおく
られたのです︒この短い期間に︑同じ人物らの政治的見解は︑
こんな紅︑ことなったのです︒かかる軽々しい外交が︑危険で
費用のかかる戦争突入の理由とみなされるというのは︑まった
く︑おどろくぺきことでしよう︒事前の交渉紅よって災難を避
けるこころみをしないまま︑流血と悲惨の地獄に︑国民をおと
しいれた連中紅は︑忠告がなされていいでしょう︒直接紅被
害をうけたとおもわれるオランダ各州は︑とがめられるもの
でなく︑イギリス政府の支配のもとに︑各州を︑最高行政官
︵六三︶ 六三
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第三十五巻 第劇号
︵Sta竺FO︻der︶の練成佐よって︑われわれの計画に替同するよう
説きふせる紅は︑非常な苦心を必要としたのでした︒
オランダの状態紅ついては︑われわれの態度が︑終始︑あま
りにも異常であったといわざるをえないのです︒ふるくからの
商業警戒心が︑われわれの理性的考慮をさまたげたのです︒オ
ランダ人を戦争にひきずりこんだのち︑われわれは︑オランダ
防衛の固執紅不利をかんずるやいなや︑かれら自身でやりくり
するよう放置しました︒これは︑平和をもとめるため阜ほな
く︑プロレヤと皇帝に援助を乞うて︑ちがった形式で︑戦争を
続行するためなのでした︒その結果︑オランダ人は︑その敵国
の文配をうけ︑苦境のもとに︑やむをえない必然性がかれらに
強いた行為をしたのです︒すると︑すぐに︑われわれは︑かれ
らの財産な没収し︵敵視しました︒われわれは︑今日︑このふ
るくからの同盟国から︑取得した略奪物以外忙︑自慢すべきも
のを︑はとんど︑もちません︒永いあいだ悲惨だった国民にた
いするわれわれの行為は︑仙体︑どんな方法で︑弁明できるで
ありましょうか︒わが首相は︑げんざいの財政危機のもとで︑
あれはど︑おおくの時間をさきうる︑のでしたら︑これを親切紅
も弁明することが︑のぞまれます︒もっとも︑弁明なぞ︑でき
ようほずは︑ありません︒
第二は︑私的な談合で︑いろいろと︑空しく︑戦争突入の弁
ごをあげつらったのち︑さいごに︑人々が︑たのみのつなとし
たもでのす︒それは ー われわれに戦争をしかけたのは︑プラ ︵六四︶ 六四
ンス人なのである︒われわれは︑なんの選択もあたえられず︑
われわれ自身の防衛といテ死活の必要性にせまられたにすぎな
い︒かれら野心的な共和主義者たちほ︑かれらの勢力を拡大
し︑たとえ︑全地球上紅でほなくとも︑全ヨーロッパ虹︑自由の
樹をうえつけようとしている︒この目的のために︑必要とあら
ば︑かれらは︑われわれに︑戦争を開始した︒われわれほ︑タ
イムリーな抵抗により︑われわれ自身の安全を確保するか︑盲
目的屈従かの︑二者択一にせまられたのだ1というのです︒
この点の判断には︑事実のかんたんな省察で十分です︒山七 コンヴェンション 九三年二月山口︑フランス国民議会が︑さいしょの口頭にょる戦
争宣言を発したことは︑議論の余地がありません︒しかし︑イ
ギリス政府の行為ほ︑これよりさき︑ずっとまえに︑あきらか
に敵対的意図をもら︑実際紅︑明瞭な敵意の宣言紅ひとしいも
のだったのです︒一七九二年八月一〇日のすぐあと︑駐フラン
スのイギリス大使は︑召喚され︑その年のおわりの議会では︑
フランス人にたいする倣慢な非難と抗議の大熱弁の空気で︑論
争が︑つづけられました︒それは︑フランス人にたいしては︑
寛大であってほならぬという確固不抜の決意を︑如実に︑あら
わしたものでした︒反対派によって要論された外交交渉の提案
は︑くりかえし︑侮蔑の眼でみられ︑イギリス国王の恥ずべき
ものとして︑拒否されたのです︒バーク氏は︑再三再四︑すで
に︑両国ほ︑現実紅︑戦争状態にはいっているとみなされると
宣言しました︒パーク氏の発言は︑ほとんど︑反駁もうけず︑
かれの内閣にいる友人たちからも非難されなかったのです︒さ
らに︑とかくするうちに︑フランス人を餓えさせるために︑わ
が内閣は︑他の諸国民には︑市場をひらきながら︑フランス
への穀物輸出の禁止を実施したのです︒やがて︑外国人法案
︵A−ienBi︶が議会に提出ぜれます︒これは︑フランス大使シ
買−ヴラン氏から︑フランスとの貿易協定の違犯であるとし
て︑きわめて丁重に︑抗議をうけたのでした︒しかし︑わが内
閣からほ︑丁寧に応ずるどころか︑かれは︑このイギリスから
八日間以内に︑たちのくよう︑独断的に命ぜられ︑しかも︑この
命令ほ︑当局によっ′て︑ロンドン︑・ガゼット︹官報︺に掲載され
たのです︒
ここで︑注意されていいのは︑すでに︑ふれた一七八六年
に︑締結された通商条約が︑両国間のどんな誤解にもとづくに
もせよ︑両者のうち︑二万の大使が追放される
国交断絶とみなされるぺきであるとの買言を︑はっきり︑明記
してあったことでしょう︒
イギリス政府に不快感をあたえたフランスのふたつの政策︑
すなわち︑シェルト河の開口法令と他の諸国への友愛宣言たか
んしては︑ショーダラン民が︑七九二年︺二両月二七日に︑イ
ギリス国務大臣に提出しました公文賓で︑説明したのです︒この
説明は︑内閣の拒否紅さいして︑フランス行政委員会︵き・箋象
如法票註腋CQ§C叫〇の他の文書による直接の連絡によって︑追認
きれたのでした︒この文書は︑次のように︑宣言しています︒
クリトクの手紙について︵二︶ ﹁友愛の法令は︑その国民の明白︑かつ︑確固とした一般意志 が︑フランス国民の援助と友愛をもとめるときのはかほ︑適用 されえない︒﹂ また︑シェルト河航行についても︑﹁フランス 国民は︑いっさいの征服を断念し︑ただ︑戦争中にかぎり︑オ ランダを占領する︒そうして︑ベルギー国民が︑その自由をか んぜんに手にいれ︑その仙般意志が︑法的に宣言され︑解放さ れるやいなや︑かつ︑イングランドとオランダが︑シェルト河 の関口の壷要性をみとめるならば︑行政委員会は︑その件を︑ ベルギー自身との直接交渉紅︑まかすであろう﹂と︒
イングランドとの断絶を避けようと苦しんだフランス内閣
は︑ショーダラン氏の忌避を了解し︑外務大臣直下のマレー氏
を急派して︑わが内閣との交渉転あたらしめたのです︒マレー
氏ほ︑第劇に︑シェルト河開口への非難をやめること︑第二
に︑フランス軍は︑オランダからのある血走領域以上には︑進
撃しないこと︑第三紅︑友愛の侵略的法令は撤回すると︑わが
内閣にのべるよう︑指示されたのです︒しかし︑マレー氏との
交渉提案も︑ショーダラン氏とのばあいと同じよう紅︑わが内
閣の倣慢で軽蔑的な態度によって︑拒否されました︒それにも
かかわらず︑かの派遣委員は︑もう州皮︑フランスからおくら
れ︑さら紅︑大きな権能をあたえられて︑西インドの領地にか
んして巨大な譲歩さえ︑提示したといわれますが︑こんども︑
さいしょと同様に︑不成功におわり︑しかも︑かれは︑この国
から︑即時退去を命ぜられたのでした︒
︵六五︶ 六五
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
第三十五巻第二号
このようなさまざまのすぺての事情をかえりみれば︑わが内
閣は︑見苦しくも︑不意うちをくったように︑フランス側の宣
戦布告によって︑また︑中立状態から︑追いたてられたよう
に︑みせかけたのでした︒公平にみると︑われわれの行為こそ︑
高度に︑侵略的︑かつ︑挑持的なものなのです︒これにたい
して︑フランス人の行為ほ︑ブリテンとの断交を避けるべく︑
努力をかさねたのでした︒かかるばあいに︑フランス人による
口頭の戦争宣言は︑たんなる形式上のことにすぎません︒
手 紙 岬一
仙七九六年八月九日
戦争突入に都合のよい諸理由︵reasOnS︶については︑以上に
おいて︑説明しました︒さらに︑戦争の真実の目的︵preci諾
Ob肯ct︶を︑公衆紅︑知らせる必要があるでしょう︒前者紅ほ︑
戦争手段の適正さ︵prOpri2ty︶の分析が要求されましたが︑後
者は︑その手段の規模︑持続性︑危険性︑ないし︑損失にかん
する考究なのです︒この後者の説明は︑デリケイトなものをふ
くんでいるといえるでしょう︒おおくのはあいありのままの真
実は︑磨三者の限紅︑軽卒紅︑さらされるべきではないので
す︒戦争の真の目的を︑ただちに︑公言することは︑すでに︑
のぺました諸事情を考慮しますと︑ことがらの性質の要求する
慎しみや留意紅︑そむくこと紅なり︑事件の不確かな経過が︑
示すかも知れない目的の変化を︑さまたげることにも︑なりか
■
︵六六︶ 六六
ねないのです︒うみだされた︑ないしは︑当然︑つづいて生起
するであろう藍大な諸結果が︑なか.ったならは︑実行されたさ
まざまの策略︑さまざまの進行期にいだかれた諸々の意見︑予
期されない運命の転回による立場の変更などは︑こっけい千万
なものとなるのです︒それらは︑偽善と当惑の入りまじった光
景︑喜劇的な巧妙さをもつある穐の悲劇の苦悩をあらわしま
す︒丁度︑道化芝居で︑ローマ・カトリック制度に反対して︑
いのりつつ︑同時に︑諸君のポケットのものをスル僧侶にいく
らか︑似ているのです︒それは︑たとえ︑アリストテレスの三
単血の原理︹アリストテレスが︑劇の原理紅かんして︑その﹃詩
論﹄でのべたものを︑イタリア=フランスの文人たちが︑仙六
− 七世紀に規定したもの︒事件は仙日のうらに解決し︑舞台
は︑終始︑同仰場所に︑唯一の主題で一毘させるといったunity
Of time︶ uni首Of p−aceu亡nity Of actiOnよりなる︺に︑かん
ぜんに︑合致しないのですが︑のろまな観客の笑いの筋肉を︑
うごかすには︑ちがいないのです︒
まえにも︑考察しましたように︑戦争の夷の︑また︑窮極の
目的︵rea−an良u−timate Object︶ほ︑つねに︑わが議会代表制
改革の阻止にありました︒そして︑これは︑あたらしいコンス
テイテふージョンをひき倒して︑旧専制々皮を復活させるフラ
ンスでの︑反革命の要求でしたし︑それには︑かの国の全面的
征服なくしてほ︑不可能だったのです︒しかし︑この︑君主大
権の味方をびっくりさせたでありましょうし︑あわてふためい