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ビエンナーレの「かたち」―かたち=ビルト、かた ち=イマージュ―

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(1)

ビエンナーレの「かたち」―かたち=ビルト、かた ち=イマージュ―

著者 藤川 哲

雑誌名 美術研究

号 415

ページ 22‑31

発行年 2015‑03‑20

URL http://id.nii.ac.jp/1440/00006055/

(2)

美   術   研   究    四   一   五   号 二二

ビエンナーレの「かたち」

藤   川     哲

   はじめに 一、

katachi

は国際語化するか 二、 かたち=ビルト 三、 かたち=イマージュ 四、展覧会の「かたち」 五、周期展の「かたち」

   おわりに

    はじめに

  ビエンナーレとは何か。世界各地で開催されているビエンナーレやトリエンナー レが、この問いに対する解答であり、それら一つ一つのキュレーティングの手法を 各々の「ビエンナーレ論」として読み解くならば、現在は新たな試論が次々と提出 されている状況であり、定説を見ない、と言える。

  一 八 九 五 年 の ヴ ェ ネ ツ ィ ア 市 国 際 美 術 展 ( 現 在 の ヴ ェ ネ ツ ィ ア・ ビ エ ン ナ ー レ ) に 始まり、一九八〇年代以降、非欧米圏へ開催都市が広がって、現代美術のグローバ ル化現象が最も先鋭的に観察されるフィールドとなった「ビエンナーレ」は、イタ リア語の原義通り二年毎に開催されるビエンナーレのほかに、三年毎に開催される トリエンナーレ、五年毎に開催されるドクメンタ等を含み、周期的に開催される国 際美術展の総称となっている。一九九七年の第二回ヨハネスブルグ・ビエンナーレ の芸術監督を務めたオクウィ・エンウェゾーを例に取れば、その後、二〇〇二年の 第一一回ドクメンタ、〇六年の第二回セビーリャ・ビエンナーレ、〇八年の第七回 光 州 ビ エ ン ナ ー レ、 一 二 年 の ラ・ ト リ エ ン ナ ー レ ( パ リ ) 、 一 五 年 の 第 五 六 回 ヴ ェ ネ ツ ィ ア・ ビ エ ン ナ ー レ と、 ア フ リ カ、 欧 州、 ア ジ ア の 主 だ っ た「 ビ エ ン ナ ー レ 」 の総監督を歴任しており、彼の国際的な活躍が現代美術の再編と刷新に少なからぬ インパクトを与えていることは否定し得ない。   他方、エンウェゾーのようなキュレーターによる実践的な「ビエンナーレ論」に 対し、大学の研究者も美術史的、社会学的関心から、ビエンナーレを論じるように なっている。だが、現在までのところ、世界中で開催されている総数も正確には把 握されておらず、有名なものを数えただけでも七〇を超えるビエンナーレを包括的 に論じる仕事は成されていない。   本稿では、視点を変えて、ビエンナーレに「かたち」があるとすれば、それはど のようなものでありうるか、を問う。ヴェネツィア・ビエンナーレが国別参加と授 賞 制 度 を 軸 と し て 歴 史 を 積 み 重 ね て き た の に 対 し ( 九 九 年 以 降、 国 際 企 画 展 部 門 を 拡 充 ) 、 後 発 の ビ エ ン ナ ー レ の 多 く が ド ク メ ン タ を 範 と す る 招 待 作 家 制 を 採 用 し て い るとか、近年のビエンナーレは教育普及や市民参加に力を入れている、といった制 度的な観点から見られる「かたち」ではなく、より抽象的で包括的な「かたち」に ついて論じる手法を検討する。   具 体 的 に は、 日 本 語 の「 か た ち 」 を ド イ ツ 語 の ビ ル ト (

Bild

) 、 フ ラ ン ス 語 の イ マ ー ジ ュ (

image

) と 組 み 合 わ せ た「 か た ち = ビ ル ト 」、 「 か た ち = イ マ ー ジ ュ」 に よ っ て明示される「かたち」の持つ潜在的な意味を活かし、展覧会一般と周期展という 二つの枠組みの下に、ビエンナーレの「かたち」を考察する。   美術研究者の多くは、 作品や展覧会を通して、 それらの背後に、 人物像や世界像、 時 代 背 景 を 透 か し 見 る。 こ こ で 研 究 者 の 精 神 内 部 に 形 成 さ れ る そ れ ら を「 か た ち 」 と名指してみるならば、 この「かたち」の探究という地平は、 美術史家のみならず、 文学研究者や考古学者、人類学者といった隣接諸領域の研究者たちとの対話を可能 にするものではないだろうか。本稿を、そうした「開かれた語り」に向けた一助と したい。

  ま た 本 稿 は、 第 三 七 回 文 化 財 の 保 存 及 び 修 復 に 関 す る 国 際 研 究 集 会「 「 か た ち 」 ︱︱

 

かたち=ビルト、かたち=イマージュ︱︱

(3)

国際シンポジウム「 「 かたち 」 再考

 

 

開かれた語りのために」を踏まえて 二三 再 考

 

 

開 か れ た 語 り の た め に 」 ( 主 催・ 会 場 = 東 京 文 化 財 研 究 所 / 平 成 二 六 年 一 月

一 〇 日 ~ 一 二 日 ) の セ ッ シ ョ ン

れ た 知 見 を も と に、 そ の 後「 第 三 七 回 シ ン ポ ジ ウ ム を 受 け て の 研 究 会 」 ( 於・ 東 京

の 司 会 の 一 人 と し て 参 加 し た 筆 者 が、 同 会 で 得 ら

文化財研究所/平成二六年五月二二日) で行った発表用の原稿を改稿したものである。 本文中に登場する研究者の発言や、話題となる美術家等の詳細については、同研究 集 会 の 報 告 書『 「 か た ち 」 再 考   開 か れ た 語 り の た め に 』 ( 平 凡 社、 二 〇 一 四 年 ) を ご参照頂きたい。

    一、 katachi は国際語化するか

  国 際 研 究 集 会「 「 か た ち 」 再 考 」 の ラ ウ ン ド テ ー ブ ル で、 考 古 学 者 の サ イ モ ン・ ケイナーは、 二〇〇九年に大英博物館で開催された「 The P ow er of D ogu (土偶の力) 」 展 で、 「 土 偶 」 を 敢 え て 英 訳 せ ず、 日 本 語 の ロ ー マ 字 表 記 で 紹 介 し た、 と い う 話 を 紹 介 し、 こ の 展 覧 会 で「 dogu 」 に つ い て の 理 解 が か な り 広 ま っ た の で、 『 オ ッ ク ス フ ォ ー ド・ イ ン グ リ ッ シ ュ・ デ ィ ク シ ョ ナ リ ー (

OE

学の分野で使っていけるのではないか、という可能性を示唆し た

()

す概念として、新石器時代の遺跡やストーンヘンジについて考察する際など、考古 合 い、 も の の 魅 力 的 な 側 面 ( 現 在、 エ ン チ ャ ン ト メ ン ト が 使 用 さ れ て い る ) を 指 し 示 らに、能や和歌に論及できる「かたち」についても、さまざまな領域の問題が絡み 収録されるのではないかという話も出ている、とユーモアを交えつつ紹介した。さ

D

dogu ) 』 の 次 の 版 に「 」 が

  ケ イ ナ ー は、 「 dogu 」 の『

OE

katachi 」 も ま た『 話 を し た だ け で、 将 来、 「

D

』 へ の 収 録 に つ い て 話 題 に す る 人 も い る と い う

OE

まる語義や文脈を拡大してきたのである。 べ き で あ ろ う。 「 か た ち 」 の 方 が、 近 代 以 降、 西 洋 文 明 と の 接 触 を 通 し て、 当 て は だろうか。しかし、冷静に考えてみるなら、その流れはむしろ逆向きに捉えられる katachi 味 の 広 が り を 持 つ「 か た ち 」 が「 」 と な っ て、 い つ か 国 際 語 化 す る 日 が 来 る は言っていない。だが、そうした連想を誘発するような発言ではあった。豊かな意

D

』 に 収 録 さ れ る よ う に な る、 と

  本稿では「かたち=ビルト」と「かたち=イマージュ」という表現によって、西 洋語の語義や文脈に沿って「かたち」がすでに獲得している潜在的な語義の広がり に注意を向ける。それぞれ、研究者 (あるいはその著作の読者) が人物像や時代像と して頭のなかに描き出す「かたち」であり、美術家の作品制作時やキュレーターの 展覧会構想時に心象として去来する 「かたち」 である。以下、 「かたち=ビルト」 と「か たち=イマージュ」についての考察は次節以降に譲り、本節では『

OE

化について略述する。 戻して、英語のなかに定着した日本語、および外来語の定着過程における語義の変

D

』に話を

  『

OE

出 し が 三 七 八 語 含 ま れ て い る こ と が 判 明 し て い る

()

英語研究会の調査によって、総収録語数、約六一万五〇〇〇語のうち、日本語の見

D

』 は、 現 在、 一 九 八 九 年 に 刊 行 さ れ た 第 二 版 が 最 新 版 で あ る。 東 京 成 徳

。 最 も 多 い の が 食 に 関 す る 語 で、 続 い て 動 植 物・ 鉱 物、 三 番 目 に 多 い の が 美 術・ 工 芸 分 野 の 語 で あ る と い う

)(

。 美 術・ 工芸の分野では、 「 surimono (刷物) 」、 「 Yamato (大和絵 ・ 大和魂) 」、 「 Arita (有田焼) 」、 「 wacadash ( 脇 差 し ) 」 な ど、 ジ ャ ポ ニ ス ム に よ る 物 の 移 動 が 語 彙 の 浸 透 を 促 し た 様 子 が 見 て 取 れ る。 三 七 八 語 の う ち に「 dogu 」 と「 katachi 」 は 含 ま れ て い な い が、 物 の 移 動 と そ の 固 有 名 と い う 観 点 に お い て、 将 来 的 に「 dogu 」 が『

OE

れるという予測には現実味があると言える。

D

』 収 録 に さ

  『

OE

程について、英語辞書学者の早川勇が四つの段階に分けて考察してい る

() D

』 収 録 の 日 本 語 群 を 対 象 に、 日 本 語 が 英 語 の 語 彙 体 系 に 組 み 込 ま れ る 過

第 Ⅰ 段 階 ( ほ ぼ 原 語 の ま ま の 段 階 ) = 日 本 文 の 引 用、 日 本 語 語 彙 の 列 挙 の 形 で 登 場する。 第Ⅱ段階 (外来語の段階) =英語への同化があまり進んでいない状態。 第Ⅲ段階 (借用語の段階) =同化が進み、 英 米 人 の 言 語 生 活 で 日 常 的 に 用 い ら れ る。 第 Ⅳ 段 階 ( 本 来 語 の 段 階 ) = 日 本 語 語 源 で あ る こ と が 意 識 さ れ ず、 英 語 語 彙 と し て用いられたり、日本文化を表わす語として日常的に用いられる。

  早川は、 右の過程を 「本来語化」 と呼んでおり、 「 haiku (俳句) 」、「 N oh/N o (能) 」、「 Ze n ( 禅 ) 」 な ど 三 二 語 の き わ め て 少 数 の 語 が 本 来 語 の 段 階 に あ る と い う

)(

。 ま た、 早 川 は

(4)

美   術   研   究    四   一   五   号 二四 日 本 語 が 英 語 に 借 用 さ れ た 時 点 か ら、 縮 小、 拡 大、 転 義、 比 喩 の 四 つ の 変 化 が 起 こ る と 解 説 し て い る。 「 短 歌 」 の み を 指 す「 uta ( 歌 ) 」 ( 縮 小 ) 、「 政 界、 財 界 の 大 物 」 を 指 す「 ty coon ( 大 君 ) 」 ( 拡 大 ) 、「 む こ う み ず な 」、 「 決 死 の 」 と い っ た 意 味 で 用 い られる 「 banzai (万歳) 」 (転義) 、「感情の起伏」 にも用いられる 「 tsunami (津波) 」 (比喩) な ど で あ る

)(

。「 dogu 」 に つ い て も 意 味 の 縮 小 や 拡 大 が 起 こ ら な い と は 限 ら ず、 多 様 な 文 脈 の 結 節 点 と し て の 役 割 が 期 待 さ れ る「 katachi 」 と も な れ ば、 本 来 語 化 の 過 程 における語義変化の問題は、より大きな溝となることが懸念される。

  英 語 学 者 の 松 田 裕 は、 外 国 語 か ら の 借 用 語 は、 一 つ の 意 義 の み で 用 い ら れ る 方 が 多 い と 論 じ て い る。 英 語 で は「 水 た ま り 」 や「 池 」 も 意 味 す る「 pool 」 が、 日 本 語 で は も っ ぱ ら 水 泳 用 プ ー ル の 意 味 で し か 用 い ら れ ず、 「 提 案 す る 」 の 意 を 持 つ 「 pr opose 」 も 日 本 で は「 求 婚 す る 」 の 意 味 の み で 日 常 語 に 定 着 し て い る 現 実 を 顧 み ると、言語の間に横たわる深淵はなかなか軽視できないと感じられ る

)(

。また、英語 のみならず、 仏、 独、 西、 伊、 露の各辞典における日本語語彙に関する調査もある。 そ の 場 合 に も、 「 原 語 」 と「 訳 語 」 の 間 に は、 甚 だ し い 意 味 の 落 差 が 生 じ て い る と い う

)(

Wangari

護 活 動 家 で、 二 〇 〇 四 年 度 の ノ ー ベ ル 平 和 賞 受 賞 者、 ワ ン ガ リ・ マ ー タ イ ( mottainai て い る。 「 も っ た い な い 」 が そ れ で あ る。 「 」 は、 ケ ニ ア 出 身 の 女 性 環 境 保 語 義 の 縮 小 が 一 般 的 傾 向 で あ る と は い え、 私 た ち は そ こ に 例 外 も あ る こ と を 知 っ   「 katachi 」 が 語 義 を 縮 小 さ せ る こ と な く、 国 際 語 化 す る こ と は 不 可 能 だ ろ う か。

Muta Maathai

、 一 九 四 〇 ︱ 二 〇 一 一 ) の キ ャ ン ペ ー ン に よ っ て 国 際 語 化 し た。 マ ー タ イ は「 MO T TAINAI 」 と 書 か れ た

の環境 Reduce Reuse Recy cle Repair 語で「 (ゴミ削減) 」、「 (再利用) 」、「 (再資源化) 」、「 (修繕) 」

T

mottainai シ ャ ツ を 着 て 国 連 で 演 説 し、 「 」 の 一

R4

を意味すると説明したのであ る

()

  こ の 場 合、 環 境

う か。 マ ー タ イ の 著 作 を 訳 し た 生 物 学 者 の 福 岡 伸 一 は、 「 も っ た い な い 」 に つ い て katachi ば、 「 」 が 国 際 的 な 議 論 の プ ラ ッ ト フ ォ ー ム と な る 日 も 来 る の で は な い だ ろ の 言 語 に よ っ て 異 な る 語 義 を 並 列 し、 グ ル ー プ 化 す る こ と が 具 体 的 に 可 能 と な れ れたというのが実状であろう。だがもし「かたち」について、同様に英語ないし他

R4

と い う 語 義 の 集 合 が 先 に あ り、 そ こ に 日 本 語 が 重 ね 合 わ さ く も の が あ っ た の だ ろ う。 」 と 推 測 し て い る

(()

「 お そ ら く 故 郷 キ ク ユ 族 の 言 葉 に は 同 じ 思 い を 表 現 す る 言 葉 が あ り、 ( 中 略 ) 心 に 響

。 私 た ち は、 欧 米 語 に 限 ら ず、 こ れ ま で 馴 染 み の な か っ た 地 域 の 言 語 も 含 め た グ ロ ー バ ル な 言 語 空 間 の 広 が り の な か に 「 katachi 」 を 関 連 づ け、 国 際 語 へ と 育 て 上 げ る こ と が で き る だ ろ う。 以 下、 そ の 手 始めに独仏語への橋渡しを試みる次第である。

    二、かたち=ビルト

  ドイツ語のビルト( Bild )について、独英辞書では次のように語釈されている。

  1. pictur e, image, likeness; r epr esentation, effigy   2. por trait; painting, drawing, print; illustration, figur e (

in books

); head (

on coin

); (

Math

.) graph; pl. (

Cards

) cour t or pictur e car ds, (

Am

.) face car ds   3. (

Phot

.) photograph, exposur e (

on roll of film

); (

T.V.

) image, pictur e (

result on the screen

), (F ilms, T.V .) frame (

constituent element producing the result

); (

Theat

.) scene, spectacle   4. image, imager y, metaphor , simile   5. (

fig.

) conception, notion, idea

Cassell’s German-English English-German Dictionary (London, 1978).

  右の語釈を日本語化し、 「一、絵 ・ イメージ ・ 似姿 (広い意味での) 」、 「二、肖像 ・ 絵 画・ 図 版 ( 物 理 的 な 存 在 と し て の ) 」、 「 三、 写 真・ 映 像 ( 近 代 以 降 登 場 し た ) 」、 「 四、 イメージ ・ 比喩的表現 (精神に投影されるものとしての) 」、「五、 観念 (より抽象的な) 」 と 大 別 し て お く。 以 下 に 検 討 す る の は、 第 四 の、 精 神 に 投 影 さ れ る「 ビ ル ト ( 像 ) 」 で あ る。 「 W eltbild 」 は「 世 界 観 」 や「 世 界 像 」 と 訳 さ れ、 「 G esellschaftsbild 」 は「 社 会像」を意味する。いずれも私たち人間精神の働きによって形成される「かたち= ビルト」である。

  通常、 ドイツ語のビルトに日本語で 「かたち」 の語釈を充てることはない。 だが、 「か た ち 」 の 語 義 と 用 例 を 検 討 す れ ば、 「 ビ ル ト ( 像 ) 」 に 置 き 換 え 可 能 な 性 質 を 持 つ こ とがわかる。

(5)

国際シンポジウム「 「かたち」再考

 

 

開かれた語りのために」を踏まえて 二五 かたち【形・容】 ①外見に現れた様子。 形体。 外形。 ②人の容貌や姿態。 ㋑人の顔の有様。 顔だち。 ㋺人の姿。 からだつき。 ③美しい顔だち。 美貌。 また、 その人。 ④物事の状態や傾向。 ⑤図面。また、模様。⑥実質が伴わない形式だけのこと。外面的なこと。⑦まと まった状態。 ととのった有様。 ⑧ある物事が存在する証拠、 理由となるもの。 根拠。

  同訓異字=形・容・状・皃・像・貌 『日本国語大辞典 第二版』 (小学館、二〇〇〇 ︱ 〇二年)

  同 訓 異 字 に「 像 」 が あ る ほ か、 語 釈 の ④、 ⑦ に 見 ら れ る「 状 態 」 や ⑤ の「 模 様 」 は、単に物理的存在のみで現象するものではなく、必ず人間の知覚が関与する。同 じ『 日 本 国 語 大 辞 典 』 の 用 例 解 説「 か た ち を 取 る 」 の 項 で は、 「 具 体 的 な、 は っ き り し た 外 形 や 状 態 を 表 わ す 」 こ と と い う 語 釈 に 続 け て、 「 そ ん な 生 活 へ の 反 抗 が、 ちりめん皺と一緒にひとりでに果

はか

敢ないホーム・シックのかたちをとって目醒めて 来 て 」 ( 十 一 谷 義 三 郎『 唐 人 お 吉 』、 一 九 二 八 年 ) 、「 ま だ ど う と 云 っ て 形 を 取 っ た 心 配 が あ る 訳 で は な し 」 ( 谷 崎 潤 一 郎『 蓼 喰 ふ 虫 』、 一 九 二 八 ︱ 二 九 年 ) の 二 例 を 紹 介 し て いる。これらの初出が近代であることも興味深い。右の二例のように、私たちの頭 部前面に備わる両の眼ではなく、心の眼によって見られた「かたち」を指して、本 稿では「かたち=ビルト」と表記する。

  この「かたち=ビルト」は、下村寅太郎の『ブルクハルトの世界』において、中 核を成す概念となっている。下村は同書で、美術史家、文化史家、歴史哲学者とい う三つの顔を持つヤーコプ・ブルクハルトを、整合性のある一つの全体として、す なわち、一つの「ブルクハルト像」として提示した。下村によれば、歴史は「ビル ト ( 像 ) 」 で あ り、 歴 史 家 の 目 標 は、 あ る 地 域 や 時 代 の 歴 史 像 を「 直 観 」 す る こ と である。

   彼の文化史は歴史を像 (

Bild

) として形成する「歴史の直観」を目標とする

)((

  下村は、 ブルクハルトが芸術研究を通して「 歴史の 直観」という方法を鍛え上げ、 ギリシアやルネサンスの文化を一つの全体像として提示する際にそれが存分に活か されて、 さらにその後、 国家、 宗教、 文化といった三つの勢力が互いに拮抗する「図 式 」、 つ ま り、 ビ ル ト に よ る 世 界 史 と い う 独 自 の 歴 史 哲 学 を 提 示 す る こ と を 可 能 に した、と論じている。美術史、文化史、歴史哲学の三つの領域に独自の業績を残し たブルクハルトは、 「ビルト (像) 」を直観する者として描き出される。

  「 「かたち」再考」のセッション

家像の知られざる一面に光を当てる内呂博之の発表があった

(()

化財研究所の小林達朗や、修復家の立場から技法や材料の詳細な研究に基づいて作 技法の諸相に迫り、そうした情報の共有によって新たな知見を得ようとする東京文 精細デジタル画像を手掛かりとして、これまで十分には観察されえなかった素材や

では、 「個としての「かたち」 」をテーマに、高

。こうした物理的存在 としての作品それ自体への研究を重視する立場についても、煎じ詰めれば、それは 下村がブルクハルトについて述べた「既存の存在の直観ではなく、未存の像を形成 する ︱︱ 能動的構成的直観

)((

」を働かせている、と言えるだろう。つまり、私たちは 眼前の対象の詳細な観察を通して、能動的で構成的な直観、つまり心の眼を働かせ ることによって「かたち=ビルト」を見出そうとしている、と言うべきである。

  美術史の研究者が解明しよう、あるいは「見よう」と努めている対象は、眼前の 作品であると同時に、その作品を通して見える、作者の芸術観や、作者が生きた時 代や社会である。三つの領域にまたがるブルクハルトの業績を一つの統一的な視野 の下に説明しようとする下村自身の試みもまた、この「かたち=ビルト」を形成す る作業であったと言える。

たち」である。 精神内部において能動的で構成的な直観を働かせることによって描き出された「か   「 か た ち = ビ ル ト 」 は、 眼 前 の 対 象 の 綿 密 な 調 査 と 観 察 か ら 出 発 し て、 研 究 者 の

    三、 かたち=イマージュ

  「かたち=ビルト」

は前節に述べた通り、 「かたち」 の語義を展開する方向性として、 下村寅太郎のブルクハルト研究と臍帯でつながれている。同様に、本節では、フラ ンスの哲学者ジルベール・シモンドンのイマージュ論

)((

とのカップリングを明示する

(6)

美   術   研   究    四   一   五   号 二六

表記法として「かたち=イマージュ」を採用する。

  本 節 で 検 討 す る「 か た ち 」 は、 「 か た ち = ビ ル ト 」 の よ う に 直 観 の 対 象 で あ る と は 言 い 難 い。 心 の 眼 に よ っ て 見 定 め よ う と 努 力 さ れ る が、 大 抵 は う ま く い か な い。 むしろ 「かたちを取る」 前のもやもやとした雲のように掴み所のない 「かたち」 、「か た ち 以 前 の か た ち 」 と 説 明 さ れ る べ き も の で あ る。 前 節 の『 唐 人 お 吉 』 の 例 で は、 ホーム・シックとして意識される以前のさまざまな感情が入り交じった状態がそれ に 相 当 し、 『 蓼 喰 ふ 虫 』 の 場 合 に は、 ま さ に「 形 を 取 っ た 心 配 」 が 顕 在 化 す る 前 の 先触れのようなものと言える。本稿では「かたち=イマージュ」を、そうした、心 のなかに生起しつつも、見定め難い「かたち以前のかたち」を指すものとして使用 する。

ズへとつながった数々のドローイングをめぐって、 イケムラは次のように発言した。 Tr ee そ こ で 話 題 と な っ た 立 体 作 品《 う さ ぎ 寺 》 の 関 連 ド ロ ー イ ン グ や、 《 》 シ リ ー 住 の 美 術 家 イ ケ ム ラ レ イ コ と、 東 京 文 化 財 研 究 所 の 田 中 淳 に よ る 対 談 が 行 わ れ た。   「 「かたち」再考」の第一日目に、 「生まれてくる〈かたち〉 」と題してベルリン在

あるイメージが頭にあってそれを「かたち」として固定するのではない、いわ ゆる未完成と完成という不可知の状態というか何かが生まれる前の独特の時間 と空間が基礎になっているんだろう と

)((

  この「何かが生まれる前の独特の時間と空間」について、有用な仮説を提示して いるのがシモンドンのイマージュ論である。以下、フランス哲学研究者の中村大介 の整理に拠って紹介す る

)((

  シモンドンのイマージュ論では、心的イマージュが四つのアスペクトからなるサ イクルを経るものとして説明される。

第一のアスペクト (先取り) =知覚に先行し、 待機状態でイマージュが働いている。 第二のアスペクト (知覚) =物 事 を 知 覚 す る 際 に も や は り イ マ ー ジ ュ が 働 い て い る 。 第 三 の ア ス ペ ク ト ( 回 想、 シ ン ボ ル ) = 主 体 が 知 覚 対 象 か ら 引 き 離 さ れ た の ち、 感情的反響を伴うさまざまなイマージュが呼び起こされ、 統合、 分離されてシンボルを形成する。 第四のアスペクト (発明) =過飽和状態にあるシンボル体系が構造変化を起こす。

  右のサイクルのうち、私たちにとって有用なのは、第三から第四のアスペクトへ の移行を可能にしている「過飽和状態」をめぐる議論である。シモンドンは、過飽 和 状 態 の 液 体 が、 外 部 か ら の 刺 激 を 受 け て 結 晶 を 形 成 す る 作 用 に 着 目 し て、 「 メ タ ス タ ビ リ テ ィ ( 準 安 定 性 ) 」 と い う 鍵 概 念 を 用 い る。 メ タ ス タ ビ リ テ ィ は、 他 の 状 態へすぐ移行しうる見かけ上安定した状態を指 す

)((

。空に浮かぶ雲がその典型的な例 であ る

)((

  イケムラの立体作品や連作に結実する手前の段階で描かれたそれぞれの関連ドロ ー イ ン グ 群 は、 そ の 全 体 で メ タ ス テ ー ブ ル ( 準 安 定 的 な ) な 状 態 を 生 み 出 す た め の ものだったと言える。

  また、雪の結晶が大気中の微粒子を核として形成されるように、メタステーブル な状態から構造変化が起こるためには、何らかの結晶核が必要となる。筆者は、セ ッション

この結晶核に相当するものとして説明できると考え る

(() (

で大島徹也から紹介があったポロックの「スティック ・ フィギュア」が、

  ス テ ィ ッ ク・ フ ィ ギ ュ ア は、 ポ ロ ッ ク の 初 期 作 品( 一 九 四 六 年 頃 ) に 登 場 す る 棒 状 の 人 体 表 現 で あ る が、 ハ ン ス・ ネ イ ム ス に よ っ て 撮 影 さ れ た《 ナ ン バ ー

((

((

(0

》 の 制 作 風 景 の 描 き 出 し の 場 面 に も 認 め ら れ る。 大 島 は、 《 ナ ン バ ー

像が現れてくる事実を認めていることに注意を促してい る

(()

ポロックにおいてもなお、新たな「かたち」を生み出す途上に、何らかの再現的な した美術史上の革新であることを積極的に認めた上で、そうした達成を成し遂げた のような画面全体をポーリング(流し込み)で構成した絵画が、キュビスムを克服

((

  シモンドンのイマージュ論に立ち帰れば、 第三から第四のアスペクトへの移行は、 一つの準安定的なシステムから、まったく別のシステムへの超出としても説明され う る

)((

。ポロックの場合、真っ白なカンヴァスにスティック・フィギュアのような何 らかの再現的な形をポーリングによって描いてみること (=旧いシステムに対する外

(7)

国際シンポジウム「 「かたち」再考

 

 

開かれた語りのために」を踏まえて 二七 部 的 要 因 の 干 渉 ) が、 過 飽 和 状 態 か ら の 構 造 変 化 を 促 し、 こ れ ま で 誰 も 目 に し た こ と の な か っ た「 か た ち 」 ( = 新 し い シ ス テ ム ) を た ぐ り 寄 せ る 結 晶 核 と な っ て い た、 と見なすことができるのである。   「

か た ち = イ マ ー ジ ュ」 が、 過 飽 和 状 態 に あ る 一 つ の シ ス テ ム か ら、 あ る き っ か けを与えられて新たな別のシステムへと超出するという捉え方は、セッション

さ れ る 母 胎 」( = シ ス テ ム ) で も あ る と さ れ る

(()

動 的 な 把 握 」 と い う 創 造 に 向 け た 思 考 ( = 行 為 ) で あ る と 同 時 に、 「 和 歌 が 生 み 出 縁語的思考は、 網の目のように密接に関連しあっている和歌を構成する語彙群の 「可 を使って解説した、 歌を詠む際に歌人の精神内部で起こっている働きとも符合する。 四人目のパネラーである和歌研究者の渡部泰明が「縁語的思考」という独自の用語

。 既 存 の シ ス テ ム で あ る 言 葉 の 網 の 目から出発して「いったん関連性を緩和し、新たな結び付きが可能となるよう、可 動 的 な も の と し て 主 体 的 に 把 握 し 直 さ な く て は、 新 し い 歌 は 詠 め な い

)((

」。 渡 部 に よ る右の説明は、シモンドンのイマージュ論における第三から第四のアスペクトへの 移行と重なる点が多い。

  渡部はまた、 「よい和歌」をめぐって、 「新しいものなのに懐かしい感覚」 、「既視 感」や「予言されたりする感じ」といった感覚を挙げ、それらを説明するものとし て 縁 語 的 思 考 を 位 置 づ け て も い る

)((

。 シ モ ン ド ン の 第 四 の ア ス ペ ク ト ( 発 明 ) が、 旧 いシステムから超出してきた新しいシステムに属する存在として説明されているこ とは、こうした既視感の理解にも役立つだろう。

  「かたち=イマージュ」は、

絵画、 彫刻のみならず、 和歌も含めて、 新しい「かたち」 を生み出す手前の段階で、表現者の精神内部において過飽和状態にある「かたち以 前のかたち」である。

    四、展覧会の「かたち」

会 一 般 の「 か た ち 」 に つ い て、 「 か た ち = ビ ル ト 」 と「 か た ち = イ マ ー ジ ュ」 の 区 に乗せられたが、展覧会の「かたち」をめぐる議論はなかった。そこで、まず展覧 器 物、 記 憶 術 な ど ( 以 上、 登 場 順 ) 、 さ ま ざ ま な 研 究 対 象 の「 か た ち 」 が 議 論 の 俎 上   「 「かたち」再考」の各セッションでは、 絵画、 謡 、 縄文文化、 、 建築、 焼物、 和歌、

うたい

が 形 に な る と き 」 を 再 現 し た 展 覧 会 で あ る ( 挿 図 2013」は、一九六九年に、スイスのベルン・クンストハレで開催された「態度 にあるプラダ財団で開催された「態度が形になるとき ︱ ベルン1969/ヴェニス   二〇一三年六月一日から一一月三日まで、ヴェネツィア本島のサン・ポーロ地区 別を使って、どのように論じることが可能か、一例を挙げて検討したい。

さまざまな形で議論され、参照される対象となった。ゼーマンは〇五年二月に歿し 事のやり方が現代美術に携わる若い世代にも広まって、 「態度が形になるとき」は、 また、ゼーマンが自ら創始し実践したインディペンデント・キュレーターという仕 ち の 名 声 が 高 ま る と と も に、 先 駆 的 な サ ー ヴ ェ イ 展 と し て 評 価 さ れ る よ う に な り、 であるという見方を打出したが、支持されなかった。しかし、その後、出品作家た 一 堂 に 集 め て 紹 介 し た 国 際 展 で、 行 為 そ の も の や、 行 為 の 痕 跡、 記 録 等 が「 作 品 」 となっては評価が定まっているが、当時ほぼ無名だった新傾向の 欧米作家六九名を であった。 ヨーゼフ・ボイスやジョセフ・コスース、リチャード・ロングなど、今 インディペンデント・キュレーターとしての道を歩むきっかけとなった現代美術展 企 画 者 の ハ ラ ル ド・ ゼ ー マ ン が ク ン ス ト ハ レ・ ベ ル ン の デ ィ レ ク タ ー を 辞 任 し て、

) 。「 態 度 が 形 に な る と き 」 は、

挿図 ( 態度が形になるとき―ベルン (((( /ヴェニス (0((」

展示風景

左から、ジルベルト・ゾリオ《トーチ》(((( 年、マリオ・メ ルツ《したたる水(ガラスのイグルー)》(((( 年。(0(( 年 ( 月 ( 日~ (( 月 ( 日 ヴェネツィア、カ・コルネール・デッラ・

レジーナ、プラダ財団

写真:アッティリオ・マランツァーノ 協力:プラダ財団

Installation view of “When Attitudes Become Form: Bern 1969/Venice 2013”

From left to right: works by Gilberto Zorio Torce[Torches], 1969 Mario Merz Acqua scivola (Igloo di vetro) [Water Slips Down (Glass Igloo)], 1969. Fondazione Prada, Ca’ Corner della Regina Venice, 1 June – 3 November 2013

Photo: Attilio Maranzano Courtesy: Fondazione Prada

(8)

美   術   研   究    四   一   五   号 二八

  第 三 群 の A ( 再 現 展 示 に つ い て 二 次 情 報 に 依 拠 す る 者 )   オ リ ジ ナ ル は 見 て い る が、 再現展示は見ていない人々。

  同    

人々。  

B

( 二 次 情 報 の み に 依 拠 す る 者 ) オ リ ジ ナ ル も 再 現 展 示 も 見 て い な い

  ここで、 これらの人々が思い描く展覧会の 「かたち」 を 「かたち=ビルト」 と 「か た ち = イ マ ー ジ ュ」 を 使 っ て 整 理 す る な ら、 「 か た ち = ビ ル ト 」 は 圧 倒 的 多 数 の 第 二、 第三群の人々が思い描く展覧会の「かたち」であり、 「かたち=イマージュ」は、 ごく一部の第一群の人々のみが保持する展覧会の「かたち」であることが明らかで ある。再現展示「ベルン/ヴェニス」展について展覧会の「かたち」を言説化する 作 業 は、 第 一 群 の

覧 会 を 見 た 経 験 を 持 つ 第 二 群 の 解するために図録のエッセイやインタヴュー記事を読み込み、両方または片方の展

A

・ B が 保 持 し て い た「 展 覧 会 の「 か た ち 」 = イ マ ー ジ ュ」 を 理

A

B

お よ び 第 三 群 の

た ち 」 = ビ ル ト 」 を 十 分 に 参 照、 吟 味 し た 上 で、 第 三 群 の

A

が 形 成 し た「 展 覧 会 の「 か

になるだろう。

B

に 向 け て な さ れ る こ と

  ヴェネツィア・ビエンナーレのように、人一人の一生分の長さを超えた期間、継 続的に開催されている周期展の「かたち」も、そして本稿が射程に収めようとして いる世界各地で開催されている総体としての 「ビエンナーレ」 の 「かたち」 もまた、 必 然 的 に、 第 二 群 の

B

や 第 三 群 の

全部は見ていない比較的限られた人々による、 第三群の

A

に 該 当 す る、 一 部 を 実 際 に 見 た こ と が あ る が、

B

に加えて、 「第三群の

た議論となる。 と位置づけるべき、一つか二つのビエンナーレ経験を持つ、より多くの人々に向け

B

+」

    五、周期展の「かたち」

  第五五回ヴェネツィア・ビエンナーレの総監督を務めたマッシミリアーノ・ジオ ーニのインタヴュー記事を手掛かりに、 第一群の企画者の頭のなかに形成される 「展 覧会の「かたち」=イマージュ」を分析してみよう。

一 九 歳 の 時 か ら 毎 回、 二 年 ご と に ヴ ェ ネ チ ア・ ビ エ ン ナ ー レ を 見 て き ま し た。 たが、彼が遺した資料はゲティ研究所によって購入され、公開に向けてアーカイヴ 化が進められてい る

)((

。六九年に開催された「態度が形になるとき」を実際に見た美 術評論家ジェルマーノ・チェラントの企画で、ヴェネツィア・ビエンナーレの会期 に合わせて再現展示が実現された背景には、同展をめぐる議論や影響が、六九年の 時点ではまだ生まれていなかった人々や、ヨーロッパ以外の地域にまで広がってい るという状況があっ た

)((

  右の事例において、 オリジナルの 「態度が形になるとき」 について 「展覧会の 「か たち」 」を思い描く人々は、次の三つのグループに分けられる。

第 一 群 ( 企 画 者 )   ハ ラ ル ド・ ゼ ー マ ン と そ の 協 力 者 た ち。 そ れ ぞ れ が 自 ら の 頭 のなかに、 実現されるべき展覧会の構想 (=展覧会の「かたち」 ) を持つ。 第 二 群 ( 一 次 情 報 の 保 持 者 )   ジ ェ ル マ ー ノ・ チ ェ ラ ン ト、 ほ か。 実 際 に「 態 度 が 形になるとき」を見ており、自らの展覧会体験に根ざして展覧会の「か たち」を思い描く。 第 三 群 ( 二 次 情 報 の み に 依 拠 す る 者 )  筆 者 も 含 め て「 態 度 が 形 に な る と き 」 を 見 る機会を持たなかった人々。写真や記録映像、展覧会図録、展覧会評等 に依拠して展覧会の「かたち」を思い描く。

  同 様 に、 「 態 度 が 形 に な る と き 」 と そ の 再 現 展 示 に つ い て、 展 覧 会 の「 か た ち 」 を思い描く人々をグループに分けする場合、それぞれを二重化することで右の三区 分を適用できる。

  第一群の

 

A

(オリジナルの企画者) ハラルド・ゼーマンとその協力者たち。

  同    

 

B

(再現展示の企画者) ジェルマーノ・チェラントとその協力者たち。

  第 二 群 の

人々。  

A

( 両 展 の 一 次 情 報 の 保 持 者 ) オ リ ジ ナ ル と 再 現 展 示 の 両 方 を 見 て い る

  同    

B

再 現 展 示 の 一 次 情 報 の 保 持 者 )   再 現 展 示 は 見 て い る が、 オ リ ジ ナ ル は見ていない人々。

(9)

国際シンポジウム「 「 かたち 」 再考

 

 

開かれた語りのために」を踏まえて 二九 最初は「すべてのビエンナーレの母」と言われるアキーレ・ボニート・オリー バが総合ディレクターだった一九九三年だったと思います。その後、私自身も 企 画 者 と し て い く つ か の ビ エ ン ナ ー レ を 経 験 し ま し た ( 中 略 ) 私 は 今 回、 か つ てのビエンナーレに戻ってみたいと思いました。七〇年代や八〇年代、そして 例えば初のイタリア人ではないディレクター、ジャン・クレールが企画した九 五年のヴェネチア・ビエンナーレのよう な

)((

  ジオーニの脳裏には、 九三年以来、 彼が見てきたヴェネツィア ・ ビエンナーレの 「か たち」が、第二群の一次情報の保持者が描き出す「かたち=ビルト」として蓄積さ れている。そのなかでも、 彼は九五年のビエンナーレを一つの手本として位置づけ、 さらに、実際には見ていない七〇年代、八〇年代ビエンナーレについても、第三群 の 二 次 情 報 の み に 依 拠 し て 描 き 出 さ れ る「 か た ち = ビ ル ト 」 と し て 参 照 し な が ら、 自らが企画する第五五回展の 「かたち=イマージュ」 が取るべき方向を探っている。

  次 に、 一 八 九 五 年 に 開 始 さ れ た ヴ ェ ネ ツ ィ ア・ ビ エ ン ナ ー レ と、 一 九 五 一 年 に、 世界で二番目に開始されたサンパウロ・ビエンナーレの、それぞれの展覧会の「か た ち 」 を 比 較 し た 例 を 検 討 し た い。 二 〇 〇 六 年 に 開 催 さ れ た 第 二 七 回 サ ン パ ウ ロ・ ビエンナーレのために制作されたマーベ・ベートニコのインスタレーション《ムゼ ウムゼウ》である (図版

(0

) 。

  同 イ ン ス タ レ ー シ ョ ン は、 展 覧 会 会 場 シ ッ シ ロ・ マ タ ラ ッ ツ ォ・ ビ エ ン ナ ー レ・ パヴィリオン の二階奥に存在するワンダ・スヴェヴォ資料室を来場者に紹介し、利 用を呼びかけるプロジェクトであっ た

)((

。図版

(0

寄 せ ら れ た 資 料 室 の 利 用 に 関 す る 質 問、 ビ エ ン ナ ー レ に 関 す る 質 問 ( そ れ ぞ れ ポ ル

a

)の左手の壁から、人びとから

ト ガ ル 語 と 英 語 の 二 言 語 表 記 ) 、 資 料 室 が 所 有 す る 資 料 の 一 部、 資 料 室 の 存 在 を ア ピ ールするポスターである。手前にランダムに置かれている椅子には、座面下の横板 部と側面に、 ベートニコが作成した新聞形式のプロジェクト紹介が備えられている。

  図版

(0

一 九 五 四 年 ( 二 段 目 ) 、 一 九 五 五 年 か ら 一 九 八 四 年 ( 三 段 目 ) 、 一 九 八 五 年 か ら 二 〇 の 棚 に 分 け ら れ、 上 か ら、 一 八 九 五 年 か ら 一 九 二 四 年 ( 一 段 目 ) 、 一 九 二 五 年 か ら

b

)は、資料室が所有する資料の一部を紹介している部分である。四つ 〇六年 (四段目、一番下の段) を表すことが数字で示されている。

  各棚には青いカヴァーとオレンジ色のカヴァーが、分類シールが見えるように掛 けてあり、二段目の途中までは青いカヴァーが掛けられた本と透明アクリル製の代 本板が交互に並べられ、二段目の途中からは青とオレンジの本がほぼ交互に並べら れている。また、四段目にはオレンジのカヴァーの掛かった本が四冊続いたり、青 いカヴァーの掛かった本が二冊続く箇所もある。

  棚下の説明によって、青はヴェネツィア・ビエンナーレの図録、オレンジはサン パウロ・ビエンナーレの図録であることが知られる。つまり、この棚の資料は、年 代順に並べられたヴェネツィア・ビエンナーレとサンパウロ・ビエンナーレの図録 である。それぞれに青とオレンジのカヴァーをつけることで両者の周期展としての 連続性を明示し、戦争等の理由で開催されなかった年には透明の代本板を挟むこと によって、一八九五年から二〇〇六年までの歴史と、ビエンナーレの「かたち」を 見事に可視化している。

  棚に並べられた図録から、私たちが読み取ることができるビエンナーレの「かた ち=ビルト」の要点を列記すると次のようになる。

一、一八九五年に開始されたヴェネツィア・ビエンナーレと、一九五一年に開始 されたサンパウロ・ビエンナーレの歴史の長さの違い。約半世紀、ヴェネツ ィアが先行する様子を視覚的に掴むことができる。 二、 透 明 の 代 本 板 に よ っ て 示 さ れ る ヴ ェ ネ ツ ィ ア・ ビ エ ン ナ ー レ の 五 回 の 休 止。 第一次大戦による一九一六年と一八年、第二次大戦後の四四年と四六年、学 生運動の余波による七四年。 三、戦後の図録の大型化や分冊化。それに伴う両ビエンナーレの規模の拡大。

  以上のマーベ・ベートニコのインスタレーションをめぐる分析を応用して、ドク メ ン タ の 五 〇 年 史 を 検 証 す る 展 覧 会 図 録 の 見 開 き の モ ノ ク ロ 写 真 ( 挿 図

ドクメンタの「かたち」を読み解くことも可能である。

) か ら、

  図録の大きさに着目すれば、ハラルド・ゼーマンが総監督を務めた七二年の第五

(10)

美   術   研   究    四   一   五   号 三〇

ルな展開に先鞭をつけた様子が、会場写真集とガイドブックを含めた右から七冊分 の図録や論文集となって可視化されている。

  ヴェネツィア・ビエンナーレのように長い歴史を持つ周期展の「かたち」は、前 節で構造化し、ジオーニの発言で確認したように、実際に自分が見た展覧会と、そ うではない展覧会との混成とならざるをえない。そもそも、ヴェネツィア・ビエン ナーレやドクメンタのように、複数の会場で並行してさまざまなパフォーマンスや イベントが行われる大型国際美術展では、すべての作品を見ること自体が不可能と 言える。他方、最も確実な方法として、マーベ・ベートニコが示したように、図録 の背表紙を並べるだけで、一つの「かたち=ビルト」を与えることはできる

)((

。ベー トニコのアイデアの妙は、二つのビエンナーレを比較した点にある。複数のビエン ナーレを比較し、部分と全体を往復するように、ビエンナーレの「かたち」を探っ ていくことができる。

  ビエンナーレに「かたち」はある。私たちは、おそらく生涯をかけても掴むこと のできない全体像を、 もやもやとした「かたち=イマージュ」として想像しながら、 実際に見た展覧会の体験と見ていない展覧会についての情報とを組み合わせて常に その段階におけるビエンナーレの「かたち=ビルト」を論じていくべきだろう。     おわりに

  「開かれた語り」とは、どこに向かって開かれた語りであるのか。

「はじめに」で 述べた通り、筆者はここまで美術史研究を基点に隣接諸領域の研究者たちとの対話 に 向 か っ て「 開 か れ る 」 こ と を 目 指 し て、 「 か た ち 」 の 探 究 の 可 能 性 の 一 端 を 論 じ てきた。しかし、より根源的に「開かれる」ことを問うならば、それは、本稿第四 節の後半で述べた、第三群の人々のように思える。

  一九六九年にベルンで開催された「態度が形になるとき」を実際に見た観客は限 られている。しかし同展の歴史的な意義は、 ヨーロッパ以外の地域に住む人々にも、 そして、その後に生まれた若い世代の人々にも意識されるようになった。その総数 は、現在までのところ、ベルンの展覧会を実際に見た人々の数と変わらないか、少 しばかり多いだけかもしれない。しかしこれから生まれる生命も含めて、いつか遠 い未来に、その累計数が実際に見た人々の数を圧倒的に上回る日は来るかもしれな い。第三群の展覧会を見る機会を持たなかった人々には、これから生まれる世代が 含まれる。その数は誠に膨大である。

で構成的な直観を働かせて生み出す「かたち=ビルト」であるだろう。 その場合の「かたち」は、眼前に存在するかたちではなく、私たちの精神が能動的 地平」 を伝わっていくものが 「かたち」 であるということさえ言えるかもしれない。 言葉の溝や壁をも乗り越えることができる。地域を越えて、世代を越えて「歴史の な 地 平 で あ る。 こ の「 歴 史 の 地 平 」 を し っ か り 見 据 え て 語 り 起 こ す こ と に よ っ て、 みたい。それは、私たち一人一人が砂粒のようなものとして存在している広大無辺   「 開 か れ た 語 り 」 が 開 か れ る べ き 先 を、 こ こ で は 仮 に「 歴 史 の 地 平 」 と 名 指 し て

註 (

( ブル」 、三四二 ︱ 三四四頁。  

)  『「 か た ち 」再 考 開 か れ た 語り の た め に 』( 平 凡 社、 二〇 一 四 年 )、 「 ラ ウ ン ド テ ー

)『

OE

こ に も 七 四 の 日 本 語 が 見 ら れ る と い う。 橋 本 禮 子「 は し が き 」、 福 田 陸 太 郎 監 修

DAdditions Series

』 第 二 版 刊 行 後、 三 巻 の 追 補 版( ) が 刊 行 さ れ て お り、 そ

挿 図 ( ド ク メン タ (0 年 史 を検 証す る展 覧 会『Archive in

Motion』図録の見開き頁(pp. ((-(()

回展が一つの転機となっていることは 明らかであるし、冷戦終結後の第九回 展 ( 九 二 年 ) か ら ガ イ ド ブ ッ ク が 作 成 されるようになったことは同展がより 多くの観客を求めるようになった徴と 読めるだろう

)((

。オクウィ・エンウェゾ ーの第一一回展では、カッセルでの展 覧 会 を プ ラ ッ ト フ ォ ー ム

開催した討論会をプラットフォーム ントルシア、ナイジェリアのラゴスで リン、ニューデリー、西インド諸島サ け、展覧会に先立って ウィーン+ベル

と 位 置 づ

として「ドクメンタ」のグローバ

(11)

国際シンポジウム「 「かたち」再考

 

 

開かれた語りのために」を踏まえて 三一 『

OE D

の 日 本 語

((

ハ ウ ス 英 和 大 辞 典 』 第 二 版( 一 九 九 四 年 ) の 巻 末 に は、 『

』( 論 創 社、 二 〇 〇 四 年 )、 ⅲ 頁。 ま た、 『 小 学 館 ラ ン ダ ム

OE

dogukatachi

して九〇六語が挙げられているが、 「 」と「 」は収録されていない。 辞 書 を 出 典 と す る「 日 本 語 か ら 借 用 さ れ た 英 語 」 が 付 録 さ れ、 英 語 化 し た 日 本 語 と

D

』 ほ か 一 三 の 英 語

)  註

、橋本、ⅹ ︱

頁。

)  早川勇『英語になった日本語』 (春風社、二〇〇六年) 、一八〇頁。

)  註

、早川、一八一頁。

)  註

、早川、一八二 ︱ 一八三頁。

( 一七頁。なお、二〇一五年現在、 「プールする」の用法が浸透しつつある。

)  松 田裕『 日英 語 の交 流 異 文 化接 触の ア スペ ク ト』 ( 研 究社 出版、 一 九九 一 年) 、

( ⅶ頁。

)  加藤秀俊、 熊倉功夫編『外国語になった日本語の事典』 (岩波書店、 一九九九年) 、

images/0014/001483/148396e.pdf> (2015/1/12) on Spiritual and Secular Dynamics (UNESCO 2006): 124-125. <http://unesdoc.unesco.org/ in Samantha Wauchope (ed.), Cultural Diversity and Transversal Values: East–West Dialogue  Mizue Sasaki, “Perspectives of language: cultural differences and universality in Japanese,”

( 二〇〇五年) 、二七五頁。

(0

)  ワ ン ガ リ・ マ ー タ イ『 モ ッ タ イ ナ イ で 地 球 は 緑 に な る 』、 福 岡 伸 一 訳( 木 楽 舎、

((

)  下村寅太郎『ブルクハルトの世界』 (岩波書店、一九八三年) 、五六八頁。

((

)  註

( 五七 ︱ 一六五頁。 一 四 三 ︱ 一 五 六 頁。 内 呂 博 之「 「 か た ち 」 へ の 挑 戦 岡 田 三 郎 助 と 藤 田 嗣 治 」、 一

、『 「 か た ち 」 再 考 』 所 収。 小 林 達 朗「 美 麗 の 術 国 宝 千 手 観 音 像 の 場 合 」、

((

)  註

((

、下村、同頁。

((

) シ モ ン ド ン の イ マ ー ジ ュ 論 に つ い て は、 「「 か た ち 」 再 考 」 セ ッ シ ョ ン

( 『文学』二〇一一年一・二月号、三三 ︱ 三四頁 照。 「座談会 到来することば」 (松井健児・大石直記・合田正人、渡部泰明=司会) 、 ス ト 渡 部 泰 明 が 司 会 を 務 め た 別 の 座 談 会 で、 合 田 正 人 が 話 題 に し て い る。 以 下 を 参

の パ ネ リ

((

)  註

( 四二頁。

、『「かたち」 再考』 所収。イケムラレイコ、 田中淳 「生まれてくる 〈かたち〉 」、

( ンス哲学・思想研究』第十六号(二〇一一年) 、一八 ︱ 一九頁。

((

)  中村大介「シモンドンの技術論におけるイマージュと構想力」 、『日仏哲学会 フラ

((

)  註

((

、中村、一六頁。

((

)  註

((

、「座談会」 、三三頁。 (

((

) 註

( ャクソン・ポロックのオールオーヴァーのポード絵画」 、一七四 ︱ 一七八頁。

、『 「 か た ち 」 再 考 』 所 収。 大 島 徹 也「 ポ ロ ッ ク を ポ ロ ッ ク と し て 見 る ジ

(0

)  註

((

、大島、一八一頁。

((

)  註

((

、中村、一九頁。

((

)  註

、渡部泰明「歌の〈かたち〉 源俊頼の方法」 、一八六頁。

((

)  註

((

、渡部、同頁。

((

)  註

、『 「かたち」再考』所収。 「ラウンドテーブル」 、三四六 ︱ 三四七頁。

Archive and Library <http://www.getty.edu/news/press/center/szeemann.html> (2015/1/18) ((

 

The Getty / Press Releases, June 7, 2011: The Getty Research Institute Acquires Harald Szeemann

When Attitude Becomes Form Bern 1969 / Venice 2013 (Venice: Foundation Prada, 2013): 389. ((Germano Celant, “A Readymade: When Attitudes Become Form,” in Germano Celant (ed.),

) 

( 術手帖』二〇一三年八月号、三〇頁。

((=

)  「マッシミリアーノ ・ ジオーニ インタビュー」 (聞き手 ・ 構成 北澤ひろみ) 、『美

ufmg.br/museumuseu/> (2015/1/19) <https://www.

景 の ほ か、 「 ム ゼ ウ ム ゼ ウ・ ニ ュ ー ズ レ タ ー」 第 一 号 が 閲 覧 で き る。

((

)  ム ゼ ウ ム ゼ ウ の 公 式 サ イ ト で は、 第 二 七 回 サ ン パ ウ ロ・ ビ エ ン ナ ー レ で の 展 示 風

( 域創造』第一三号(二〇〇二年) 、二六頁。 いる。吉田美弥 「世界最大規模の現代アート展 「ドクメンタ」 の運営システム」 、『地 の 国 境 に 近 く、 自 由 主 義 陣 営 の 先 進 性 の ア ピ ー ル と い う 一 面 が あ っ た と 考 え ら れ て で は、 連 邦 政 府 か ら の 手 厚 い 補 助 金 を 受 け て い た。 同 展 の 開 催 地 カ ッ セ ル が 東 側 と

((

)  ド ク メ ン タ を 企 画 運 営 し て い る ド ク メ ン タ 有 限 会 社 は、 八 九 年 の ド イ ツ 統 一 前 ま て可視化される点に、コレクションや展示の意味もあると言える。 が 必 要 と な る。 そ う し た 歴 史 の「 か た ち = ビ ル ト 」 が、 文 字 で は な く、 資 料 に よ っ ら 意 味 を 読 み 解 く に は、 展 覧 会 や 主 催 団 体 に 対 す る 知 識 と、 能 動 的 で 構 成 的 な 直 観 し 等 を 並 べ る こ と に よ っ て も 表 す こ と が で き る。 い ず れ の 場 合 も、 そ れ ら の 変 遷 か

(0

)  周 期 展 の「 か た ち 」 は、 図 録 の 背 表 紙 以 外 に も、 表 紙 や 観 覧 券、 ポ ス タ ー、 ち ら

附記 渡部泰明先生より、 国際研究集会「 「かたち」再考」セッション

(ふじかわ さとし・山口大学教授) 上げます。ありがとうございました。 た ご 示 唆 が、 本 稿 の 考 察 の 大 き な 比 重 を 占 め て お り ま す。 こ こ に 記 し て、 心 よ り 感 謝 申 し ム ラ レ イ コ 氏 の ド ロ ー イ ン グ に 関 連 づ け て ご 教 示 い た だ き ま し た。 渡 部 先 生 か ら い た だ い シ モ ン ド ン の「 メ タ ス タ ビ リ テ ィ」 に つ い て、 同 セ ッ シ ョ ン で ふ た た び 話 題 と な っ た イ ケ

の終了後、 ジルベール ・

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