眼と文化⑩
大士爺の頭上に立 っ観音(糊 紙像) 台湾 ・新 竹県
大 士 爺(糊 紙 像)台 湾 ・新 竹 県
白馬 に ま たが る天 帝 へ の 使 者(糊 紙 像) 台 湾 ・新 竹 県
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神 々 の か た ち
植松明石台湾の廟には︑主神の他におびたゴしい神々がまつられ︑人々の多様な祈願にこたえてくれる︒こうした多霊多神の宗
教的世界の存在は︑日本においても一般であるが︑異和感を覚えるのは︑それらが祭壇上のここかしこに︑壮厳に︑時に
奇怪とも思われる神像群として表現されていることである︒もともと日本の神々は形がなく︑目にみえないむしろ見ては
ならない神秘な存在であった︒だから仏教が人間に似た形をもつ絢爛と輝く仏像をもたらした時︑人々は大きな衝撃をう
けた︒日本書記巻十九に﹁西の蕃の献れる仏のみかほきらきらし︒全いまだかってあらず︒礼ふべしや不や﹂とあり︑そ
の後政争までひきおこした︒結果として仏像は受容され︑今日まで長い年月が経過したが︑しかし神像という表現には私
も未だなじみがうすいということを改めて知らされるのである︒
だから台湾の廟の神々が︑木︑金属︑石︑布︑紙などを素材とし︑人間生活の鏡像としての神会(パンテオン)をもっ
て堂々と表現されていることにかえって神秘感がさまたげられるようなのだ︒こうした中で紙による立体の糊紙神像は少
し趣を異にする︒糊紙細工は専門の糊紙人が竹ひごで形をつくり︑それに金銀紙や色紙で細工したもので︑神々のみでな
く死者を含む宗教世界全体に関する実に多様な存在を造形するのである︒この糊紙神像の中で人々に親しまれている大士
爺は︑魔王︑鬼王といはれる数米に及ぶ巨大な立像で︑顔面青色︑眉金色︑するどくむき出す牙や歯︑炎のように吐き出
す赤い舌︑甲冑を身にまとって︑祭りのおりに廟を背に野外をむいて魁偉な姿を見せるのが一般である︒
おそろしいこの大士爺の頭上には︑これとは対象的に美しく可憐な白い女性の顔をした小さな小さな観音の糊紙像が
立っている︒大士爺は鬼王として負の存在であるが︑儀礼に際し慈悲深い観音の配下或は化身として福をさずける正の存
在となると考えられているのである︒糊紙像のこのましさは︑紙という素材の質感︑どんな形も造りあげられる自由さが︑
見えない世界を具象化させるのに適していて︑豊かな物語性をもって語りかけるところと︑そして何よりも糊紙神像は︑
儀礼が終了すると直ちに炎となって焼却され︑その煙が昇天し︑私の脳裡にのみ神々の世界が残る点にあるのだろう︒
(うえまつあかし・民俗学)