保険会社の
ERMと監督当局の関係
植 村 信 保
■アブストラクト
保険会社のERM の目的は,保険会社が自らの健全性を確保しつつ,企業 価値を持続的,安定的に向上させることであり,本来は外部から促されて実 行するのではなく,保険会社が自己管理の一環として行うべきものである。
それにもかかわらず,監督当局がERMに注目するのは,企業価値の安定的 な向上が契約者保護に資するという考えによる。多くの保険会社において ERMの構築は初期段階にあることを踏まえ,金融庁は 促進 型の検証を 行い,当該保険会社にとって重要なリスクを踏まえ,細部にこだわらず,大 くくりで検証することを目指している。さらに,保険会社の健全性規制のな かでERMを活用することも検討していくべきと考えている。
■キーワード
ERM,保険検査マニュアル,保険コア・プリンシプル
1.保険会社の ERM
保険会社のERM(エンタープライズ・リスク・マネジメント)と監督当 局の関係を論じるにあたり,まず,ERMのイメージを明らかにしておきた い。
ERMの定義には必ずしも定まったものはないが,本稿では 企業が直面 する全てのリスクを対象に,リスクを包括的に把握し,企業のリスク選好に
*平成23年10月23日の日本保険学会大会(神戸学院大学)報告による。
ERM
応じて事業全体として管理することで,企業の戦略目標を達成し,企業価値 の持続的向上を通じて顧客の利益を守る継続的かつ全社的活動 とする。つ まり,ERM は従来のリスク管理とは違い,
・個々のリスクをそれぞれ管理するのではなく,全てのリスクを包括的に 把握しようとしていること
・損失の極小化を目的とするのではなく,企業が設定したリスク選好に応 じ,企業価値の持続的な向上を目指していること
・リスク管理部門だけの取り組みではなく,全社的な活動であること などの特徴がある。すなわち,ERM は経営そのものと言っても過言ではな いだろう。
参考までに,金融庁の保険検査マニュアル 統合的リスク管理態勢 の定 義 を見ると,上記の特徴が盛り込まれていることがわかる。
・ 統合的リスク管理 とは,保険会社の直面するリスクに関して,潜在 的に重要なリスクを含めて総体的に捉え,保険会社の自己資本等と比 較・対照し,さらに,保険引受や保険料率設定などフロー面を含めた事 業全体としてリスクをコントロールする,自己管理型のリスク管理を行 うことをいう。
・保険会社の統合的リスク管理態勢は,収益目標及びそれに向けたリス ク・テイクの戦略等を定めた当該保険会社の戦略目標を達成するために,
有効に機能することが重要である。
次に,ERMの全体像の例を示しておきたい。ERMの主な構成要素とし ては, ガバナンスとリスク文化 リスク選好 管理プロセス(PDCAサ イクル) リスクと自己資本等の評価 インフラ(データベース・内部モ
ERM
1) 保険検査マニュアル 統合的リスク管理態勢の確認検査用チェックリスト は検査官が保険会社のERMを検証するためのマニュアル。金融庁ホームペー ジで公表。
デル) などを挙げることができる。当然ながら,リスクを定量化すること がERMではない。
なお,ERMは保険会社に限ったものではなく,他の金融機関や事業会社 にも有効である。保険会社がERMに取り組む際には,保険会社に特有の事 業特性やリスク特性を十分に踏まえる必要がある。例えば銀行と比べた場合,
保険会社のリスクの種類は多岐にわたるうえ,金融関連以外のリスクも相当 程度大きい。生命保険を中心に負債が超長期に及ぶことも,重要な事業・リ スク特性である。
2.ERM と監督当局
上記からわかるように,保険会社のERM の目的は,保険会社が自らの健 全性を確保しつつ,企業価値を持続的,安定的に向上させることである。そ
ERM の全体像
うだとすると,本来ERMは外部から促されて実施するものではなく,保険 会社自身が自己管理の一環として行うべきものと考えられる。
それにもかかわらず,監督当局がERMに注目するのは,企業価値の安定 的な向上が契約者保護に資するという考えによるものだ。
例えば,各国の保険監督当局により構成される国際組織であるIAIS(保 険監督者国際機構)が2011年10月に採択した改訂版 保険コア・プリンシプ ル(ICP) のなかに, ソルベンシー目的のERM の項目があり,ERM の必要性と主な枠組み,監督者の役割についての国際的な保険監督基準を設 けている 。ICPは保険セクターの監督に関する世界的に受け入れられた枠 組みであり,保険セクターの財務面の健全性を促し,契約者保護の適切な水 準を示している。
国際的な動向だけではなく,かつての生保破綻の教訓も無視できないだろ う。1990年代後半から2000年代初頭にかけて起きた中堅生保の相次ぐ経営破 綻は,バブル経済崩壊後の日本の厳しい経済環境が影響したことは否定でき ない。しかし,筆者が独自にそれぞれの事例を詳細に検証した結果,一連の 生保破綻は当時の日本の経済・金融情勢に起因した構造的な問題ではなく,
破綻に至るには,ビジネスモデルや経営者,経営組織といった,その会社固 有の内的要因が重要な意味を持っていたことが浮き彫りになった。とりわけ 不十分なガバナンスが保険会社の破綻リスクを高めたことが明らかになって いる。
例えば,1980年代後半の中堅生保に リスク という感覚が全くなかった わけではない。金利リスクに関しては,厳密なALM(資産・負債の総合管 理)こそ実施していなかったものの,財務部門や数理部門が高コスト資金の 急拡大を問題視していたケースが多く見られた。アクチュアリーが将来収支 分析を比較的早い段階から実施し,数理部門の担当者が金利低下の危険性を つかんでいた会社もあった。ところが,問題はこれらの情報が経営に生かさ れなかったことにある。
2) ICP16, Enterprise Risk Management for Solvency Purposes.
ERM
あるいは,バブル期以前には資産運用リスクに対する規定や牽制機能を整 えていたにもかかわらず,その後,社長の権威をバックにした側近が規定を 骨抜きにし,牽制機能も働かないようにした結果,多額の不良債権を抱える ことになってしまった会社もあった 。
どんなに形を整え,きちんと数値を算出しても,経営に活用されなければ リスク管理にはならない。従来型のリスク管理では,リスク管理はリスク管 理部門の仕事とされ,経営陣の意識が高まりにくい。全社的な取り組みでは ないため他の部門の関心が低く,リスク管理はむしろ事業遂行の足かせとい うネガティブな意識が横行しがちである。結果としてリスク管理が形骸化し やすい。
3.保険会社 ERM の現状認識
金融庁では2011年2月から3月にかけて,主要保険会社・グループの ERMの現状を把握するべく集中的なヒアリングを行った。その後も通常の 検査・監督に加え,外部コンサルタント等との意見交換等を行い,わが国保 険会社・グループのERMの実態把握に努めてきた。これらを踏まえると,
大半のグループにおいてERM 構築はまだ初期段階にあると考えられる。
大手保険グループでは統合リスク量を計測し,自己資本等と対比する管理 を実施している。しかし,経営陣によるリスク・プロファイルの把握や活用,
取るべきリスクや許容される損失の設定,リスク管理への関わり方などは,
グループにより区々であり,経営の関与に総じて課題があることが伺えた。
経営の十分な理解と積極的な関与がないと,例えばリスク管理に関わるのが 実質的に特定部門のみとなってしまい,全社的な活動にならなかったり,資 産・負債を経済価値に基づき評価することや,各リスクを計量化すること自 体があたかも目的になってしまったりと,ERM が目的・本質を捉えない形 式的な取り組みになりがちであるという認識を持っている。
また,筆者がグローバルな金融危機の後(2009年秋)に日本の主要保険会
社25社に対して行ったインタビュー調査でも,同様の結果が出ている 。破 綻会社が続出した2000年前後に比べれば,保険会社のリスク管理に対する意 識も技術も大きく進展したとはいえ,その実効性は様々だった。 そもそも 経営陣にリスク管理に関心を持ってもらえない 経営陣に リスク管理は リスク管理担当部門の仕事 という意識がある といった声がしばしば聞か れ,リスク管理態勢の整備は進んだものの,会社によっては経営への活用と いう点で改善の余地が大きいことが明らかになった。
4.金融庁の取り組み
このような現状を踏まえ,金融庁では,保険会社の自発的な行動を最大限 尊重しつつ,より適切なERM の構築を促すべく,様々な取り組みを行って きた。
例えば監督局では,2009年6月に 保険会社向けの総合的な監督指針 の なかに 統合リスク管理 を新設している。その後,各事務年度における監 督方針でも リスク管理の高度化の促進 を掲げている。直近の平成23事務 年度(2011年7月から2012年6月)の監督方針では, 各保険会社において,
経営陣による主導性と強いコミットメントの下で,自社の自己資本等の状況 を踏まえつつ,会社の規模やリスクの特性に応じた適切なリスク管理態勢が 整備されているか検証する としている。
他方,検査局では,2010年2月に保険検査マニュアルの全面改定を行うな かで,先に紹介した 統合的リスク管理態勢 を新たに設け,検査官が保険 会社のERMを検証する姿勢を明確にしている。平成23事務年度検査基本方 針では,改定保険検査マニュアルに基づき, 経営戦略と一体で,全てのリ スクを統合的に管理し,事業全体でコントロールする統合的リスク管理態勢 の整備・確立に向けた取組みが進められているか 経営陣の確固たる主導 性やコミットメントの下,負債特性に応じた資産・負債の総合的な管理
(ALM)の態勢整備が進められているか 等について重点的に検証すると述 4) 当時は金融庁ではなく,格付投資情報センターに勤務。
ERM
べている。
なお,これらの検証にあたっては,ERMの構築が総じて初期段階にある ことや,保険会社による自発的な取り組みを促すべきであることを踏まえ,
摘発 指摘 ではなく 促進 型の検証を行うとともに,当該保険会社に とって重要なリスクを踏まえ,細部にこだわらず,大くくりで検証すること を目指している。その際には,当然ながら保険会社の規模・特性を踏まえつ つ検証する。
保険会社の健全性規制においてERMを活用することも検討を進めるべき と考えている。ソルベンシー・マージン比率に代表される最低資本要件の設 定のほか,保険会社がERMを実践するなかで自らの経営リスクと自己資本 等の評価を行ったうえで,これを当局が報告を受け,検証するといった枠組 みを併用するのも有効であろう。
保険会社の健全性確保の枠組み
先に紹介したIAISの保険コア・プリンシプ ル ソ ル ベ ン シ ー 目 的 の ERM にも, 監督者は,保険会社が自らのリスクとソルベンシーの評価
(ORSA)を定期的に行うことを求めるべきである 監督者は,ORSAを 含む適切な情報を定期的に受け取ることで,保険会社のERMフレームワー クとリスク管理プロセスの適切性と健全性を評価すべきである という記述 がある。ソルベンシー・マージン比率がいわば過去の1時点における健全性 の状況を示したものであるのに対し,ORSAは現時点から将来に向けての 健全性を自己評価する枠組みと言える。
(筆者は金融庁勤務) ERM