著者 田中 爽一朗
雑誌名 掛川市・大須賀地区. ‑ (フィールドワーク実習調 査報告書 ; 平成28年度)
ページ 13‑20
発行年 2016‑12
出版者 静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コース
URL http://hdl.handle.net/10297/9955
横須賀凧の現状と継承
~人びとの多様な関わり方~
田中爽一朗
1 はじめに 2 横須賀凧の現状
2.1 凧揚げ 2.2 祝い凧
3 横須賀凧を担う人びと
3.1 趣味としての凧作り、イベントへの参加―A氏
3.2 独学から職人としての凧作りへ―B氏
4 考察
4.1 凧の模倣文化の持つ意味 4.2 横須賀の文化としての凧
1 はじめに
静岡県掛川市横須賀には、三熊野神社大祭など長い歴史を持つ文化的要素が多く存在す るが、その一つに遠州横須賀凧がある。メディアに取り上げられることも多く、私は横須 賀を代表する文化であるというイメージを持っていた。そのような横須賀凧は現在誰によ って伝えられ、横須賀の人びとの生活にどのように関わっているのか、という疑問から私 は今回のフィールドワークの調査対象とした。
実際の調査を通じて当初のイメージとは異なる横須賀凧の現状がわかってきた。後述す るように、現在の横須賀凧は凧職人以外に、凧作りを独学で学んだ人びとも担い手となっ ている。今回参照した『日本文化の模倣と創造 オリジナリティとは何か』(山田 2002) で著者の山田は、文化が大衆化する背景について妖怪を事例にこう述べている。
妖怪がはやりうるのは、「妖怪はみんなが知っていて、誰のものでもない」からであ る。
みんなが知っているとは英語で「パブリシティがある」という意味であり、「有名で ある」ということとおなじだ。「誰のものでもない」とは、「コピー自由な素材」とい いかえることができる(山田 2002: 9)。
凧は横須賀において一般的な意味で大衆化している、とはいえない状況は後に記述する が、一方で形を変えて現代も残っている文化であるということは指摘できる。そのことに ついて私は、横須賀凧が山田のいう妖怪と同じように誰でも模倣可能であることから、横 須賀内におけるパブリシティを獲得し、現代まで横須賀の文化の一つとして継承されてい るのではないか、と考える。以下聞き取り調査からわかった一般の人びと、及び愛好家の 人びとの凧への関わり、文化としての在り方について考察していく。
2 横須賀凧の現状
2.1 凧揚げ
現代において、横須賀の人びとと横須賀凧との関わりはどのようなものだろうか。前述 のパンフレットや新聞、雑誌などのメディアによると、横須賀凧はかつては贈答品である 祝い凧として用いられていたり、近年では観賞用としての需要が高まっているとされる。
今回は聞き取りを通じて40~50年前の横須賀の様子について調査した。
まず凧揚げに関して記述する。趣味として凧作りをしているA氏(男性、69歳)による と、子どもの頃はナイフを使い、竹を切って遊ぶことが多かったという。「ふわのような 四角い凧をつくったが、なかなか揚がらなかった」とA氏は語る。「ふわ」とは、四角い 形で最もシンプルな作りの凧である。
また「松尾会」という地元の凧愛好家団体のメンバーであるC氏(男性、55歳)による と、子どもの頃は近所のおじさんたちが簡単な作りの「ふわ」凧を作ってくれて、それで 遊んだという。今はお茶畑になっているところなどに昔は何もなく、小学生くらいまでそ こで凧揚げをして遊んでいた。
遠州横須賀倶楽部のD氏(男性、50代)が子どもの頃は小学校で凧揚げを教えることも あり、凧揚げは日常的な遊びだったという。また家の裏の建物を壊したときには全長 20m 以上のやっこ凧が出てきたことがあったらしい。
以上から考えると40~50年前は、一般の人や子どもも簡単なつくりの凧は自分で作るこ とができ、自作の凧で凧揚げを楽しんでいたようだ。
しかし、現在の横須賀では一部の凧愛好家以外で積極的に凧揚げをしている人は少ない。
A氏の話によると最近の子どもはナイフや竹を使って遊ぶことがないばかりでなく、凧の揚 げ方さえも知らない場合が多いという。C氏は凧揚げについて「仕事が忙しくて凧を作った り揚げたりする暇がない」と語る。
また、後述する祝い凧について話を聞く中で、凧を揚げることは技術面、金銭面から難 しいということもわかってきた。独学で凧を学び、現在は職人として活動するB氏(男性、
70 歳)によると、祝い凧を揚げるためにはそれなりのお金がかかる。浜松では現在も若い 夫婦が凧を揚げることがあり、B氏も手伝ったそうだが、祝い凧を揚げる場合凧揚げの道具
をそろえるだけでそれなりの金額がかかるだけでなく、手伝ってもらった施主がお礼とし て食事を出すことが多く、3日で100万円かかることもあるという。
祝い凧を自らの旅館に飾っているG氏(男性、68歳)は、現在の凧の用いられ方は「イ ンテリアとしての利用が多いね」と話す。祝い凧を実際に揚げないのか、という質問に対 しては、凧を実際に揚げるために広い場所に持っていくのは大変で、しっぽや糸などのパ ーツを用意する必要もあるからやらない、と言っていた。
現代において子どもの遊びや生活状況の変化、技術や費用的な側面から、凧揚げをする のが難しくなってきている横須賀の状況がうかがえる。
2.2 祝い凧
次に贈り物としての祝い凧としての用いられ方を記述する。E氏(女性、55歳)による と、横須賀では男の子が生まれると町会が祝い凧を贈っていたという。E氏が子どもの頃、
長男である弟に凧が贈られたが、空には揚げられず、物置にずっと置きっぱなしになって いた。町会が凧を贈るという風習は現在廃れてしまっており、その理由はわからないとい う。
D 氏によると、横須賀では他の地域でこいのぼりが贈られるのに対して凧が贈られる。
町会からの贈与は、おそらく町ごとに違うやり方だったのだろうが、町内のみんなから贈 るという形だったのでは、という。町会からの祝い凧贈呈は昭和40年代まで続き、なぜ今 はないのかはD氏もわからないという。それでも祝い凧を贈るという風習自体は今も残っ ており、男児の誕生に限らず、他の祝いごとや選挙の応援にも使われる、とD氏はいう。
一方で、祝い凧を横須賀の文化とすることに否定的な声もあった。F氏(男性、60代)
は、「自分が小さい頃も祝い凧を贈ったりすることはなかった。商品として、祝い品の一 つとなったのは昭和の終わりくらい」と語る。祝い凧を揚げたり贈ったりするのは、横須 賀ではごく一部の凧好きか関係者だけが行うことだった、という。
このように、かつて横須賀では町単位で祝い凧の贈答をするところもあったが、その慣 習は横須賀において一般的なものではなく、一部の凧愛好家もしくは、金銭的余裕がある 人によってのみ行われていたということがわかった。
3 横須賀凧を担う人びと
ここからは現在も積極的に凧に関わる人びとについて記述する。
現在、横須賀凧を職人として作っているのはH氏(男性、60代)1人であり、凧作りに ついて話を聞いたところ、「できる限り伝えていきたい」「自負を持っている」と語って いた。
一方で、職人としてではなく独学で凧作りを学び、趣味としての制作や販売など独自の 活動をしている人も横須賀にはいる。以下、それらの人びとの活動について記述する。
3.1 趣味としての凧作り、イベントへの参加―A氏
本項では凧の愛好家A氏について紹介する。A氏は20代の時に趣味として独学で凧作り を始めた。職人に技術を教えてもらうことはなく、凧の現物や本を見ながら、見よう見ま ねで作り方を考えていったという。A氏は、今の自分にとっての凧つくりは「趣味」である と語る。
A氏は、他県の凧揚げ祭りに参加することも多い。こうしたイベントを通じ、外部の愛好 家団体と関わることも多く、A氏は他地域の愛好家に横須賀凧の作り方を教えたこともある という。A氏は「横須賀凧は地元でしか作っちゃいけないということはない」と話す。凧作 りを教えた外部の愛好家が、他地域の凧揚げ祭りのときに自分で作った横須賀凧を揚げる こともあるらしいが、それについても「横須賀凧のPRになるからかまわない」というスタ ンスをとっている。
横須賀にも「遠州横須賀凧揚げまつり」というイベントがある。このイベントは今から 30年前にA氏が所属していた「一二三会」という愛好家団体によって始められた。もとも とは「しばらく凧揚げがないのでもう一回やりたい」「観光のためという気持ちも少しあ った」という理由で、ごく少数で凧揚げを楽しむものだったが、第 2 回から大須賀観光協 会が主催に加わり現在の形となっていった。私も今年の 2 月に行われたこのイベントに参 加し、30周年を記念してA氏が作成した巨大な巴凧が揚げられるのを見た。また、凧揚げ だけではなく地元の特産品を販売する屋台や横須賀高校郷土芸能部の発表もあり、県外か らの愛好家団体も十数団体参加していた。愛好家の人びとが自分の凧を揚げている横では、
幼稚園から小学校低学年の子どもと親が一緒に凧揚げをしている姿が見られた。
遠州横須賀凧揚げまつり以外にも、A氏は掛川市立大須賀図書館主催によるギャラリー展 示や凧作り教室を開催している。展示についてA氏は活動の理由を「新聞やテレビでやっ てくれるのでPRになるから」と語る。これらの活動は市役所広報課を通じてメディアに伝 えられ、その後特集された。A氏によると、この様子をニュースで見て図書館ギャラリーに 静岡や浜松からやってくる来館者もおり、そういった外部の人からの注文が来ることもあ ったという。
また教室活動は子どもを対象に12月に一度開かれ、A氏が事前に作った凧の骨組みに和 紙を貼りつけ、絵柄を描く作業をする。A氏は「小さい時に何かを作った経験は大人になっ ても覚えているものなので、凧を作る感覚を覚えて欲しくてやっている」という。
3.2 独学から職人としての凧作りへ―B氏
この項ではやはり独学で凧作りを学び、現在では職人として販売活動も積極的に行う B 氏の活動について記述する。
B氏は22歳の頃凧作りに興味を持ち、当時横須賀で唯一の職人であったH氏の先代の仕 事を見ながら凧作りの技を学んでいったという。またB氏は30年前A氏らとともに一二
三会を創設し、前述の遠州横須賀凧揚げまつりを始めた。その後 A氏が一二三会を脱会し て新たに「巴会」を始めたため、現在一二三会の代表はB氏が務めている。
そんなB氏は職業観として、「最終的には職人はお金が絡む」ということを語る。「作 っているだけではおもしろくなく」、お金が絡むと変なものを作れなくなるため、より良 いものを作るために勉強するので技術があがる、とB氏はいう。そのためB氏は横須賀内 外から積極的に注文を受け付け、凧を販売している。
現在B氏は凧作りの技術を生かせることから提灯の作成も行っている。提灯は横須賀及 び周辺地域の祭りで使用されるため一定の需要があるが、それに比べると凧の需要は少な いという。注文は人づてで受けているが、その内の凧の注文数の地域別の割合を聞くと、
横須賀を1割とするとそれ以外の地域が9割くらいで、10月の「ちっちゃな文化展」で凧 を販売しても地元の人は買おうとしないという。B氏は横須賀では凧の需要はほとんどない と語るが、横須賀の町中や家の中に飾ってある凧の中には B氏が作ったものが多い。旅館 内にB氏の凧を飾っているG氏によると、飾ってある凧はG氏の孫が生まれた記念にB 氏が作成、贈答した品物だった。またB 氏宅の近くにある羊羹屋の店内や旧大須賀地区の 観光農園「サンサンファーム」内にもB氏が作った凧がある。B氏によるとこれらは宣伝 として安価で販売したという。
これらの凧は横須賀を散策していて自然と目に入るものもあり、横須賀を訪れる外部の 人の注意を引くものであるといえるだろう。B氏の商売としての凧作りがそうした一種の横 須賀凧の宣伝となった事例は、横須賀外部でも見られる。B氏は浜松市や掛川市での凧の展 示会を依頼され、その様子が新聞に取り上げられたことがある。その展覧会ではB氏曰く 大勢の来館者があり、B氏自ら凧の説明をしたという。2001(平成13)年にはクレジット カード会社のパンフレットの地域特集のコーナーで凧職人として 3 ページにわたって取り 上げられた。また、JR掛川駅のお土産コーナーにはB氏作成の横須賀凧が飾ってある。こ のことについては「売れなくてもこういうものがあるということを多くの人に知ってもら えればいい。強いていうなら注文が多くなるように知ってほしい」とB氏はいう。
B氏は凧に独自のアレンジを加えることも積極的に行っている。たとえば赤い下地に鶴、
亀、松などの模様のある「巴」の、赤い下地の範囲を広くすることなどだ。B氏は「横須賀 凧の基本は形と図柄。それを現代のわれわれが変えるのは邪道」と語る一方で、「今の家 は凧を飾る場所がなかったり、巴は赤い色が多いほうが空に映えたりする。だから色の赤 い部分を増やしたり、大きさを変えるのは時代にあわせるためにはやってもいい」とも語 っている。
4 考察
4.1 凧の模倣文化の持つ意味
ここまで、独学の知識で凧作りを続ける 2 名について記述してきたが、彼らの凧への自 由な関わりこそが、横須賀内部及び外部と横須賀凧をつなぐ役割を果たしているのではな いか、と私は考える。
A氏のギャラリー展示の際、訪れた親子連れの中には家に飾ってある「ミニ凧」を見て横 須賀凧の種類だけは知っていた人が何人かいた、という話があった。ミニ凧とは20cmほど のサイズの凧のことであり、A氏やB 氏ら一二三会創設時のメンバー3人が作り始めたも のである。今でも新築祝いなどでミニ凧を作る依頼は多いらしく、A氏は「大きい凧は飾り にならなくて色も落ちてしまうが、ミニ凧は玄関の入り口に飾ってくれる。玄関に飾って あれば、その家の人だけでなく、遊びにきた子どもも見るだろう」という。これらは私も 旅館や菓子店で見つけた。現代的な住宅事情に合わせて凧が「現代化」しており、横須賀 凧の一つの形として定着しつつあるという意味では「伝統の創出」と呼べる現象ではない だろうか。
写真1 B氏作成のミニ凧(田中撮影)
また今回聞き取りをした主婦のI氏(女性)は、「子どもが凧作り教室に行った」「遠州 横須賀凧揚げまつりのことは知っている」と話していた。他にもG氏など、一般の人でも 遠州横須賀凧揚げまつりというイベントはみな知っているようだった。図書館やD氏に、
なぜA氏に教室や凧作りの依頼をしたのか聞くと、「職人のHさんは提灯作りで忙しそう だから」と話していた。一般の住民として時間があるときに凧を作るスタンスのA氏は、
横須賀の人びとにとっては職人以上に注文や依頼がしやすい存在なのかもしれない。またA 氏は掛川市の広報に取り上げられた理由について、「広報で職人を取り上げると商売の宣 伝になってしまうので、市としても取り上げにくいのではないか」と語っていた。
このように横須賀の一般住民の多くは、横須賀凧に接する機会の多くをA氏やB氏の活 動を通じて得ている側面があるといえる。たとえば、A氏がギャラリー展示や凧揚げ教室を 開催している図書館の職員に企画した理由を訊ねると、図書館が「地域密着型」という理 念を掲げていること、地域の子どもたちがゲームなどで遊ぶ子どもが多い中で地域にある いいものを勉強ではなく自然に取り入れてほしいということ、作っている人の年代が上が っている中で子どもたちに広まってほしいということ、を挙げていた。またA氏、B氏ら の活動はメディアを通じて取り上げられることも多く、外部の人びとにとっても横須賀凧 の存在を知る媒体となる場合が多い。前述のように、愛好家の繋がりを通じて外部の人び とに横須賀凧の作成技術が伝えられることもある。ミニ凧の制作などは職人のH氏はして おらず、これらの活動は職人としてではない 2 人の自由な凧作りならではのものである。
そして結果的にそうした活動は一般人の凧の認知度の向上に貢献しており、前述の山田の 理論を元に考えるならば、横須賀凧に「コピー自由な素材」としての土壌があり、一種の
「模倣」に基づく活動によって凧が「パブリシティ」を獲得していると考えられる。
また、これらの活動からは、より積極的に横須賀凧に関わろうとする人が現れる可能性 も生まれていると私は考える。先述の松尾会や、今でも凧揚げを手伝ってくれるという A 氏の孫などである。このように 2 人の活動からは、模倣文化が文化の継承に果たす多様な 役割を見ることができるだろう。
4.2 横須賀の文化としての凧
上述の通り、「横須賀凧は一部が趣味で活動しているだけで、もう人びとの間では消え ている文化ではないか」という指摘もあった。理由は、「今の横須賀凧は好きな人がやっ ているだけであり、商売にはならない」ということ、「制作者たちも本気で商売しようと は考えていない。凧があったから横須賀が発展したという産業でもない」ということであ る。
確かに、昔と比べれば凧揚げや凧づくりを通じて横須賀凧に関わる人びとは減っており、
横須賀凧が文化として衰退していることは事実だろう。三熊野神社大祭やちっちゃな文化 展と比べると、実際に凧を揚げたりイベントに参加したりする一般住民の数は少なく、歴 史などの知識も共有されていない。しかし、前述のようなアマチュアの人びとによるイベ ントや活動を通じ、横須賀凧というものが地域に存在し、それに熱心に関わる人がいる、
という「漠然とした情報」は共有されているといえる。
また横須賀凧はインテリアやシンボル、ミニ凧などに形や意味を変えながらも横須賀の 日常の中に確かに存在し、日々の生活の中で人びとは繰り返し目にしている。『ものの人 類学』(床呂・河合 2011)、及び『現実批判の人類学』(春日 2011)では、アルフレッ ド・ジェルの議論が引用されている。「ジェルはアートオブジェクトを、そこに込められ た象徴的な「意味」を人類学者がデコードするべき記号ないしテキストとして見なすとい う従来の視点ではなく、むしろ、それを見る者に畏怖や魅惑や恐怖などさまざまな感情的
反応を含めた反応や行為を引き起こすような、いわば行為の媒介物として見る視点を提唱 した」(床呂・河合 2011: 9)。「ジェルは、これらの事物を何らかの意味を運ぶ容器とし て捉える従来の文化的な認識論に根ざした見解を否定し、それらを人間の行為を媒介する 社会的な行為主体と見なす」(久保 2011: 44)。こうした視点から横須賀凧の行為主体と しての性質を考える。C氏に凧の魅力について聞いたところ、自分で作った凧がまっすぐ空 に揚がることが自信につながると語っていた。A氏は凧揚げの良い点について、「外に出て 動くし、目にもいい」と健康に良い点を挙げていた。自分の手で作り、修正する過程を経 て初めて空に揚がるものであること、身体に対して一定の動きを要求すること、などの凧 ならではの性質が凧愛好家の関心を引き付ける一因になっている。また、特徴的なデザイ ンが横須賀のシンボルとして用いられる場合もある。たとえば横須賀のある商店は、店の ビニール袋に横須賀凧の絵柄を使っている。また、商店街のポイントカードにも横須賀凧 の模様は使われており、ポスターで見ることができる。これらの事例は、横須賀凧がはっ きりとした形とデザインを持っていること、そして先述のようなコピーが自由にできると いう性質によるものと考えられる。
「文化」を定義することは難しいが、上記のような凧に関わる人びと、そして凧自体に よる人びとに対しての働きかけによって、横須賀凧はたとえ一部であっても熱心な担い手 がおり、一定の情報と認識が地域住民に共有されている。そのような状況から、横須賀凧 は地域の文化の一部として今も息づいているといえるのではないか、と私は考える。
参照文献
久保明教
2011 「世界を制作=認識する――ブルーノ・ラトゥール×アルフレッド・ジェル」春日 直樹編『現実批判の人類学 新世代のエスノグラフィへ』世界思想社、34-35。
床呂郁哉・河合香吏編
2011 『ものの人類学』京都大学学術出版会。
山田奨治
2002 『日本文化の模倣と創造 オリジナリティとは何か』角川書店。