宜 保 チ マ シ ー
i沖縄・豊見城の世問話いくつかー
中村史
人 文 研 究 第106輯 190(1ノ
とみぐすくいとまん豊見城市は︑沖縄本島南部︑那覇市のすぐ南︑そして最南端の糸満市の北側に位置し︑都市と農村の性格をあわ
せもつ町である︒最近とみに大都市の様相を示してきた那覇市に隣あい︑豊見城市も急速に変わりゅく観がある︒
長いあいだほとんど日本最大の村として存続していたが︑二〇〇二年四月︑ようやく市となったのである︒歴史を
さんぎんなんぎんとみぐすくぐすくふりかえれぼ︑まず︑群雄割拠の三山時代(十四世紀初〜)︑この地は南山に属してその出城である豊見城城を擁
まぎりユしていた︒三山統一(一四二九年)後︑第一尚氏時代を通じ︑また︑第二尚氏の王府時代には豊見城間切として︑
つねに︑那覇・首里の中央と南部をむすぶ重要な地でもあった︒あの沖縄戦に際し︑激戦地となって多くの犠牲者
を出したことも付けくわえておかないわけにはゆかない︒いまをさかのぼる十数年の一九八九年(平成元)と一九
九〇年(平成二)の夏︑二度にわたる民間説話の集団調査が行われ︑二十世紀も十年を残すのみのこの時期として
はまずまずの成果を挙げている︒その後著者はこの仕事を受け継ぐこととなり︑資料整理︑追跡調査︑またそれ以
ヨ外の調査をも行って︑いくつかの調査報告と論文を公刊している︒
今回︑いまだやり残している仕事の一部をまとめておくことにしたいが︑本稿は︑前述の集団調査による豊見城
らの民間説話資料のうち︑﹁世間話﹂としての性格をもつ三話についての考察である︒世間話とは︑語り手が最近実際
ωにあったこととして語り︑聞き手もまた半ば以上事実課と信じて受け止める︑といったようなタイプの民間説話で
㎜ある︒狐にばかされた話︑神仏に救われた話︑幽霊を見た話などの︑非日常的ないし異常な体験を語るもの︑また
こうりきしゃ変人・奇人︑大金持ち︑強力者といった人物についてのエピソードなどがそれに当たる︒南島・沖縄ではこの世間
話が︑事実を伝えると信じられるほかの民間説話︑﹁伝説﹂や﹁史謂﹂と接しつつ特異な発達をしているように思わ
れる︒
宜 保 チ マ シー
宜保チマシー
ぎぼきんじょうまず︑豊見城村(現在は市であるが︑以下調査当時の名称による)宜保の金城宏吉さん(明治四十年生)の語っ
てくださった豪快な強力者謳を挙げておきたい︒
ぎほ じふじふじふ宜保の部落の民話としては︑題目として﹁宜保チマシー﹂という(話があります)︒﹁宜保﹂は︑﹁宜保﹂とい
ぎほうのはですね︑﹁宜保﹂を﹁じふ﹂と言うんですよ︑方言では︒﹁チマシー﹂︑﹁チマシー﹂という人がおったと
いう話なんですが︒その人のことについてそいじゃあ︑ちょっとお話したいと思います︒この人は︑いつの時
ぎほぎほ代かよくわかりませんけれども︑宜保に生まれて宜保の人として︑農業を営んでおった人のようです︒ところ
が︑格はずれの力持ちで︑すばらしい︑人だったという︑ことなんですが︒昔のことばで言うと︑その力持ち
のことを︑﹁ブシ﹂と︑いうんですけれどもが︒そういう︑ことで有名だったそうです︒で︑どのくらいの力が
あったかということにまつわる話が︑よくあるんですが︑まずまっさきに農業しておって︑耕す鍬︑その鍬の
大きさでよく︑表現しておるようですが︒その鍬は︑普通の︑戸板︑戸板の幅ぐらいの︑まあ言えば一メーター
幅ぐらいの︑鍬だったということで︒そいで非常に︑力持ちだったというような表現しておりますが︒で︑そ
の人が︑仕事を終えてうちへ帰るときには︑鍬は持っては帰らない︒どうするかというと︑その畑のなかにい
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ちおう力いっぱい打ちこんでおくというと︑だれもそれを盗んでいく人もいなくて︑いつまでもそのままあっ
たという︑そのくらいの︑ま︑力の表現です︒
で︑それから︑その人がですね︑ほかの話に飛びますけれどもが︑有名になったもんだから︑あちらこちら
から︑この人はどれぐらい力があるだろうかと言って︑いわゆる昔の沖縄での︑﹁カキダメシ﹂1﹁カキダメ
シ﹂というのは︑力試しですよーその﹁カキダメシ﹂ということで︑これと力争いしてみようということで︑
訪ねて来た人が︑たまたまあったそうです︒で︑ある日のことですね︑まあ︑那覇からという話が多いですけ
ぎほれどもが︑沖縄に︑沖縄じゃない︑この︑宜保に︑訪ねて来まして︑﹁ここに︑有名な力持ちがおるそうだが︑
それと力試しをしたいと︑カキダメシをしたいと︑いうわけで来たんだ﹂と︑言ったら︑そこにおった︑うち
ぬしの︑主(すなわちチマシー)がですね︑﹁その人ならぼ︑おりますけれども︑いまはよそ出ていっていない﹂と︒
﹁いないが︑まあ︑どんなふうですか﹂と言っていろいろ話をしてから︑﹁まあまあ︑あわてないで︑煙草でも
一服︑つけてからしなさい﹂というわけで︑大きなi煙草の︑火を盛る︑いわゆる石ですが︑それ煙草盆と
言うんですが1煙草盆の石で作った︑木でなくて石で作った煙草盆を︑取って︑この人が︑﹁さあどうぞ﹂と
言ってまえにつき出したら︑力試ししに来た人は︑それを取って︑置くことができない︒持てなかったと︒持
てなくて落としたということで︒それからこの人はびっくりして︑おったそうですが︒﹁実は︑本人がいないの
ぬしで︑わたし弟ですが︑まあどうぞ﹂と(主︑つまりチマシーが)言ってやったのが︑こういう結果になって︒
その人はびっくりして︑﹁弟がこんなに強ければ︑兄さんはどんなに強いかしら﹂ということで︑気がひけて︑
そこに︑いろいろ︑話をしただけで︑まあ︑引きあげることになったそうです︒
そのまえにですね︑(那覇の力持ちが)来たときに︑馬を乗って来たもんだから︑その馬をですね︑馬のその
手綱を取ってーま︑話は︑手綱ということもあるし︑また︑鐙を下げる革ということもあるんですがーそ
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れを︑屋根の︑軒の︑大きい桁があるんですが︑その大桁をつき上げて︑そこにその︑手綱のほそ(11膀?)
をはさんで︑下ろしておいて︑そして︑話をしたんだそうです︒それで︑帰る段になって︑その馬(の手綱?)
を︑はずして持って行こうとするけれども︑これが取れない︒取れないで︑佗びして︑﹁取ってくれ﹂と言うて︑
じふ取って︑それで︑その馬を︑乗って︑また︑帰ったんだそうです︒それがひとつの︑宜保チマシーの力の︑試
しにーそのほかにもあるんでしょうけれどもーなったわけだそうです︒
なはみちで︑それを終えて帰るときにですね︑帰るときに︑この︑部落のうしろに上がって︑那覇道があるんですよ︒
那覇に行きがえりする道があるんです︒もとあったんです︑小さいときに︒その那覇道を︑引きあげて帰る途
中に︑上のほうに︑われわれが子どものときによく︑﹁アンマームケイドゥクル﹂ー﹁アンマー﹂というのは
﹁お母さん﹂ですね︒﹁ムケイドゥクル﹂(は)︑﹁迎えるところ﹂︒﹁お母さん迎えるところ﹂1﹁アンマームケ
イドゥクル﹂という︑ところに︑すこし広場みたいなところがありましてね︒そこに︑さしかかったときに︑
そこに︑市場から帰る︑那覇から帰るお母さんだちが︑おったので︑そこで︑立ち話をするあいだに︑﹁どこ行っ
じふたか﹂と言うたら︑﹁力試しに行ってやっつけて来た﹂と︑﹁宜保チマシー︑ぼくがさんざんにやっつけて来た﹂
と︑いうことを︑言うもんですから︑その部落の人々は︑﹁信じられない﹂と︑言うから︒(お母さんたちが)
びっくりして走って来て︑うちに行くまえにそこに寄ってみたら︑寄ってみたら︑宜保チマシーはうちにおっ
てなんのこともないと︒それで︑(お母さんたちが)﹁こんな言うとりましたよ﹂と言うもんだから︑怒って︑
それから︑この人(1ーチマシi)が追っかけて行って︑そこのアンマームケイドゥクルまで行ってですね︒行っ
てみたら︑その人(11那覇の力持ち)が︑まだそこに︑うろうろしておったから︑﹁この野郎﹂と言って︑今度
うしろあしは︑その人に手をかけるまえにですね︑そこの馬がおったから︑馬の後脚を︑取ってから︑ポキッと︑ちぎっ
て︑捨てたと︒そこで帰るわけにもいかないということで︑逃げたという︑まあ︑ひとつ話があるんですよ︒
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ぎぼ愉快︑痛快なブシの話である︒宜保の人・チマシーは桁はずれの力持ちとして知られていた︒あるとき︑そのう
わさを聞いた那覇の人がカキダメシ(力試し)にやってきた︒自分はチマシーの弟だ︒そう言ってチマシーが石の
煙草盆をわたしたところ︑あまりの重さにそれをとり落とした那覇の人は︑﹁兄﹂の強力を想像しておそれをなし︑
じふ帰っていった︒そして︑その帰途にアンマームケイドゥクルで︑市場帰りの女たちに宜保チマシーをやっつけたと
豪語した︒これを聞いたチマシーは怒って追いつき︑那覇の人の馬の脚を折って捨てた1金城さんはそんなふう
に語ってくださった︒
ブシとは武芸者︑とりわけ空手使い︑または強力者︑力持ちのこと︒沖縄の伝承世界においてこのふたつのタイ
リブの人々はしばしば区別しがたいが︑ここでは強力者の傾向の人々を取りあげる︒沖縄の人々はこうしたブシの話
を大変好む︒一冊の昔話集を開けばかならず見つかるというぐあいで︑その人物名や話柄はとてもここに挙げつく
おろくあかんみじっちゃくかっちん せない︒たとえば︑那覇市小禄の赤嶺勢理客︑勝連カタカシラ︑また︑まとまった数で採録されているところでは︑
にしはらとうばるしもじょううんたままたよしぐわ ねなかさとそんやまぐしくう たなばる西原町の桃原クッティーワン︑下門ワンジャー︑運玉又吉小ら︑久米島・仲里村の山城大棚原︑ティーラントゥルー
おブシなどなど︑その名も愉快な多くのブシたちの名前が挙がる︒また︑豊見城市のとなり漁師町の糸満市でも︑著
ぶんとくぬ者自身お年寄りたちが嬉々として語る糸満マギー︑文徳マサーなどといった圧倒的な力持ちたちの話を聞かされた︒
これら数多いブシたちは何百年か以前にその土地に生きていたという場合もあれば︑語り手自らがわかいころに見
たという場合もあり︑いずれにせよなんらかの実在性・事実性をもたされつつ親しい気持ちをよせて語られるので
ある︒
じふさて︑ここに紹介した﹁宜保チマシー﹂とおなじ類型の力くらべ課は︑日本本土でも大変人気のある話である︒
め関敬吾の﹃日本昔話大成﹄では鹿児島県喜界島から青森県下北半島まで日本中の事例が数多く集成されている︒日
本の﹁仁王﹂︑唐の﹁賀王﹂といった強力者の誇張された怪力ぶりが聞き手のおおらかな笑いをさそう﹁法螺話﹂﹁大