情報教育についての雑感
経済学部 杉 原 敏 夫
本学のキャンパスネットワークも昨年(平成
6
年)7
月,I
NUNETJ と命名され,正規な運 用が開始された.世界に広がるネットワークのインフラが整備されたことによる,教育・研究への影響ははかり知れない効果をもたらすものと期待されよう.効果として大きいこ とは,本人の自主的な努力により,得られる情報がリアルタイムにかつワールドワイドに なったことであろう.すなわち,本学の教職員は教育にしろ研究にしろ「やる気になれば」
目的とする情報の収集,交換のレベルがそれ相応に高まっていく環境を与えられたわけで ある.
同様な動きが,民間企業においても出現しているようである.今でこそ,かつて流行と なった
I S I S ( S t r a t e g i c I n f o r m a t i o n S y s t e m ) Jという言葉は消失したが,経営情報システム
は確実に経営活動の根本を担い,情報は最後発ながら経営資源の一角の地位を確立してい
る.S I S
というはなぱなしいタームが消えたことに一層その傾向がかいまみられる.特に,
現在の経営情報システムの傾向を見てみると,多分に次のような究極的な色合いが感じら れる.すなわち,
・
1
人1
台のコンピュータ(ワークステーション,端末)・企業の最高幹部と構成員との
1
対l
の直接的な会話と情報交換・
1
原始伝票の単位でのデータ管理である.もはや,コンピュータは
1
台を共有して使う段階を通り越して,常時に1
人が1
台を利用する段階に至っている.POSしかり,ハンデイ端末またしかり,実務担当者は現
場のどこにでもコンピュータを持ち歩くことができ,しかもそのようなコンピュータは従 来における汎用大型機の機能に匹敵する.また,最近,企業内LAN
の整備により,社長 または役員に直接,メールを送る企業が続出している.従来の企業組織の典型である実務 層ー管理層一戦略層へと伝搬するピラミッド型の情報伝達経路はかたちを変え,このこと が,マネジメントのあり方への変更を迫る可能性も秘めている.また,最後に述べた原始 帳票単位でのデータ管理は,古来からの大福帳の情報システム的な復活であり,経営者が 直接に現場を見るという経営の原点的な状況を提供しようとしている.以上のことから見受けられるように,
I I J
,または「個jを対象とするという状況を情報 システムは確実に生成しようとしている.‑ 6
このことの意味するものはどういうことであろう.経営活動における情報の授受の単位 が個人相互にまで入り込み,対象とする領域は経営体の守備範囲ぎりぎりまで拡大されつ つあるということである.すなわち,情報システムにおける「電話
J
の復権である.また,スーパー電卓とメモ帳の復権である.このことは これから先の企業組織の一つのあり方 を暗示していると言えよう.経営活動は「大衆
J
から[小衆」へ,さらには「個J
へとその 対象を変えつつある.このことはマーケテイングのみならず,生産・研究開発の現場にも 及んでいくものであろう.現存の企業の形態のままでは そのような要請に対応できない のは言うまでもない.企業内でもネットワーク活用により,従来の職種と階層にとらわれ ない,組織を縦横にまたがるバーチャル組織が活動を始め,また企業聞をも横断したバー チャル・コーポレーション(仮想企業)へと向かうのも情報システムのインパクトであろう.情報の流通方式が企業内でも企業間でも戦略単位を大きく変える要素として影響を及ぼそ うとしている.
個人的な見解ではあるが,情報教育(特に経済学部での)はこのような情報環境の進展 をある程度見極めたの中で検討する必要があるものと考えている.情報処理の仕組みをプ ラックボックスとして終始することは余り気持ちの良いことではない.特に,私のように 社会に出て間もない頃には
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シリーズの膨大な仕様書を読解してきた経験を持つ者 としては,情報処理教育というと真っ先に演算方式とかアルゴリズムとか多重処理の仕組 みとかをその主要項目として位置づける傾向にある.しかしながら,今日のダウンサイジ ングの流れ,なかでもパーソナルコンピュータの処理方式,ユーザインタフェースともに 驚異的とも思えるほどの進展を考えると利用者としての操作は,自動車の運転領域に入っ て来たと考えざるを得ないのである.先に述べたような,スーパー「電話的J
,スーパー「電車的
J
,スーパー「メモ帳的」な機能を持つ道具としての活用術をその基本とする必要 があるものと考えるのである.さらにこのことを踏まえて進めば,与えられたデータを言われるままに解析して,結果 を出すというような受け身的な活用ではなく,データを掘り当て,どのような分析を行い,
自分の考えを推し進めていくかという情報活用の積極性とそれを裏付ける情報的センスの 養成が是非とも必要だと考える.別の言い方をすれば,
・仮説が提案でき,仮説検証的な思考方法ができる
・表象事項を動かしている,あるいは潜在している要因を追求できる
・個々の分析を一連の政策ストリームに展開できる
とでもいうような能力とでも考えることが出来ょう.これは,もう情報教育の領域ではな いという意見も当然出てくるだろう.これらの目指すものはある意味では,大学またはそ れ以上の教育の共通した目的であるということもできる.しかしながら,これらに最も近 い位置にあるものが情報教育ではないかということも考えられないであろうか.情報教育 は煎じ詰めれば,データ分析・総合及びコミュニケーションの技術と前後してこのような 能力の育成をその中に意識的に内蔵させるべきであると考えられる.面白いことに,良く できたコンピュータゲームには萌芽的ではあるが,そのような意図が見えかくれする.
それならば,カリキュラムはどうか,実施展開方法はどうすべきか,などと考えればそ こに至って,制約条件ともどもに,はたと考え込んでしまうのである.
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