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章社会創造と子ども

井口 均 (教育学部助教授〉

はじめに

現在,子ども,そして大人に求められていることは,自分を周りに適応させ ていくだけの生活ではなく,周りを自分に合うように改善していくことであ る。そのためには,どうしても譲れないことへの理解を他力的に期待するので はなく,自らの行為を可能なところから組み替え,周りへの関わり方を変えて いくべきではないだろうか。今日の子どもには,そのことがより重要な課題に なってきている。

一般的に社会創造というと,とてつもない大事業になってしまう。しかし ここでは一人ひとり子どもの生活世界の創造として,その問題を考える。換言 するならば,それは自分にふさわしい生活の場を自ら創りだすことである。そ の過程は,おそらく多くの苦痛や不快感を伴うであろう。自分がそれまでに捉 われていた価値基準やその共有によって維持していた対人関係を組み替えてい くことなしには不可能な,自らを生活主体としてっくり直す作業だからであ

1節 生 活 主 体 の 萎 廃

生活主体に対する基本的視点を明らかにした上で,子どもの生活意識を検討 する。それにによって,新たな組み替えへの糸口を取り出す。子どもの意識に ついては既に多くの調査がなされてきたがそれらを総覧する枚数的余地はな 2節で問題にする子と、もたちの心情が,決して特殊なものではなく,むし ろ大多数の子どもに共通した心情の極限状態と捉えるために,最小限の資料分 析に止めた。

1.生活主体への視点 (1)  生活主体とは

‑ 115一

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生活主体を捉える基本的視点として周りの人間関係の中でどういう位置 を占めるのか,未来に向かつて自分の現在をどう位置づけるのかという,人間 関係の中での自分,時間軸の中での自分という両方が決定するものJ1)という 指摘がある。要するに,対人関係の中での役割意識をもち,一定の時間的見通 しの下にその課題に自覚的,かっ主体的に取り組めることと理解することがで きる。

(2)  生活主体にとって不可欠な選択性・評価

私たちは,生活体験によって既に獲得された,意識内容(自覚化できる知 識,価値基準,自己像などもろもろのもの)を自ら修正・再構築・拡大してい くことができる。生活主体は,そうした認知的レベルでの,自己活動に対する 目的意識性を背景にして成立する。ただしそれが実際に可能となるのは,主 要な活動領域における活動(目的・課題を含む)への自己選択性が保証され,

その活動及び自分に対する自己評価が不可欠なものとして位置づけられている 場合であろう。

現実の子どもにおいては(大人においてもだが), rとりあえず…」や「でき れば…」の後にくるような目的しか持ちえていないように思われる。その背景 には,一人ひとりの目的が,抽象化された点数の彼方に追いやられ人質」

にされてしまっている実態がある。そこでは,点数による進路の振分けと他者 評価によって,子どもの自己選択性や自己評価が歪められている。

その意味で,今日の子どもに本来の生活主体としての姿を見いだすことは困 難かも知れない。しかしそれが現実である限り,子どもはその中でしか自分 を生活主体として解き放す道を見出す以外にない。

2.子どもの生活意識

子どもはどのような価値基準によって自分の生活と自分自身を支えているの か,それはどのような対人関係の中でもたらされているのかを主に検討する。

(1)  自由を感じる時はいつ?

恵那教育研究所調査委員会が行った予備調査2)に よ る と 自 由 を 感 じ る 時」とは小,中,高ともに「寝ている時」という回答が最も多く, しかも学年 が上がるにしたがって増加する傾向を示している。逆に不自由さと関わっ た も の と し て 学 校Jr規則の多さJr好きなことができないJといった項目

a u 

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が上位をしめた。その際学校」と「規則」は高学年になるほど多くなって いる。

日経新聞(夕刊)は「子供たちはいま一うわさのネットワーク」めという記 事を載せた。そこでは,不気味で怖いうわさが取り上げられていたり,占いを 実際に信じて前世探しをする子どもの姿が指摘されている。問題は,そうした ことが日本全国で流行してしまう点にある。現実にはありえない空想の世界,

うわさの世界,前世の話をまともに受け取ってしまうことを幼稚」と単純 に言い捨てることはできない。

つまり,肝心な覚醒状態において自分が自由であるという実感をもてなく なっているのである。しかな学校はきまりづくめで,好きなことができない ところという認識が,学年が上がるにつれて一般化する。短絡的な関係づけは 避けなければならないが,後者の認識が前者の実感をもたらす重要な要因では ないか,と考えることは決して不自然な解釈ではなかろう。学校での きま

り"に対する拘束感はそれほど強く感じとられていると考えるべきである。

一拘束感云々は甘えか一

その際,学年が上がれば理解力や役割・活動領域も広がるのだから,そうし た拘束感をもつのは当然である,と見倣す解釈もある。それゆえに寝てい る時」に自由を最も感じたり,拘束感を強く感じることは,単にひ弱さからく る甘えに過ぎないことになる。そうした解釈は一面では妥当性をもっている。

確かに,拘束感をもたらす きまり"自体は客観的レベルでのことであるが,

拘束感自体は主観的レベルでのことに過ぎないからである。

問題を正確に把握するには,その両面から論じなければならない。ここでは その問題を論じるのが主目的ではないので簡単な指摘程度に止めておく。主観 的レベルに関しては,甘えというより, きまり"と自分との関係を柔軟に調 節することの困難性にある,と考える方が適切であろう。不必要な,あるいは 納得できない きまり"には受け流し・無視で原則的に対処し場合によって は適切な方法によって折り合いをつけることができれば深刻な問題は生じな い。そうした選択力の未熟さがある。しかしより重要なことは,校内・校外

・家庭内に関する詳細な きまり"への順守が,本人の納得如何に関わらず強 制されることによって,その未熟さがもたらされているとみるべきであろう。

‑ 117一

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きまり"自体への嫌悪感が子どもに拡がるのは当然のことである。

実際,学校における きまり"順守への隠然たる強制システム(校則をはじ めとする きまり"違反者への体罰,精神的苦痛など〉の存在を否定すること はできない。自分のもっている多様な価値を発見しそれを伸ばす場を他の場 所に見出すことができないとしたら,そこで きまり"を忠実に守るか逸脱す る以外にない。多くの子どもは,他律的な行動の鋳型化(内容のない、・・・・ら しく)によって,生活主体としての活動や自己選択性も萎縮させられようとし ているのではなかろうか。

(2)  何が自分の支えか=自己評価の基準

①自信の度合いと源泉

資料としては多少古くなるが, 10歳~15歳を対象に,総理府青少年対策が 行った国際比較調査報告4)がある。日本の子どもの自己の評価と自信の度合い は,欧米や同じアジアのタイ・韓国と比較して極めて低いことが明らかになっ ている。しかも年齢上昇と共に低下する傾向を示している。その度合いは自信 の源泉として選択した8つの項目(友達に頼られる,喧嘩に強い,家族・親戚 に誇れる人がいる,特技がある,何でもやる気になればできる,親からの期 待,他児に感謝されることがあり,成績がいい)への選択数を基数に算出して いる。日本の子どもの過半数以上が自信の源泉としてもっているのは何で もやる気になればできるJ(82.9%), I両親が自分の将来を楽しみにしてい J(72.1%), Iスポーツ,楽器演奏,歌などの特技があるJ(60.9%)3 目に過ぎないのである。他の国の子どもは「喧嘩に強い」を除くすべての項目 で過半数を越えている。

日本の子どもの自信の度合いの低さと年齢上昇に伴う低下の原因はどこにあ るのか。報告書は成績がよいJI何でもやる気になればできるJI両親が自 分の将来を楽しみにしているJ3項目との関連性を指摘している。とりわ け 学 校 の 成 績 が い いJを自信の源泉にする子どもの割合は, 10歳時に 45. 0%あったものが15歳時には25.5%まで下がってしまうのである。このこと から,日本の子どもの自信喪失の主原因を学力低下にあると指摘している。

②子どもの価値意識

これと関連した調査として,都筑学が行った「小・中学生の価値意識の分

︒ ︒

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析J5)がある。現在の子どもが何を最も重視しているか,その一端を明らかに している。小学校l年生から中学校2年生まで,各学年40名程を対象に,自由 記述法により調査している。子どもの願いを3項目挙げさせた結果,最も多 かったのが「頭が良くりこうである」という願いであった。それとほぼ同じ意 味の「勉強ができる」を合計した場合,全回答中に占める割合は38%となる。

次に多かったのは「運動が上手であるJ03%), 3位は「かっこいいJ01 

%)であった。「頭のよさというのがかなり重要なものと価値づけられてい る」ことを示している。発達的傾向・構造についても分析を行っており,高学 年になるにしたがって人に好かれる」ことや「思いやりがあるJなど,対 人関係での特性が重視されると指摘している。そして,自己像と願いとの相闘 を分析し「子どもは現実の自分があまり身につけていない特性に価値を見だ

している」ことを明らかにしている。

この都筑氏と先の総理府の調査結果を合わせて考えると,子どもの自己の評 価・自己像と自信のあり様の基本的関係をある程度理解することができる。つ まり,学校で良い成績を取ることが,子どもの生活においてやはり重要な意味 をもっていると考えられる。それ故に,そのことが自己の評価に直接影響を与 えてしまうのである。しかも,実際には成績が良くない子ども程,成績を評価 基準として内在化する度合いが強まっている。当然、のことかも知れない。相対 評価による限り,圧倒的多数の子どもたちは落ちこぼれになってしまう。 15になると,日本の子どもの75%が成績で自信を失っているのは,まさにそのこ とを物語っている。総理府の調査結果は, もう一つの特徴,つまり日本の子ど もは周囲の人に期待され,感謝される度合いが低く,それが年長になるに つれて著しくなる」という点に注目している。つまり,親とのつながり感が薄 まっていくとともに,周囲の人からの期待や感謝も自分の自信確保にそれほど 意味をもたなくなっていくのである。それは社会的孤立感の深まりを意味して いる。その孤立感の深まりが,逆に都筑氏が指摘した,対人関係での特性重視 をもたらすことと無関係ではなかろう。根底に孤立感を抱いてのつき合いであ れば,お愛想的な愉快さや楽しさへの気遣いを必要以上に強いられ,気疲れし てしまうことにもなる。しかし安心を求める集団帰属要求を満足させるに は,それを我慢し続けなければならいのである。それを一方で支えるのが,

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頑張り主義"ではなかろうか。他の項目の低迷の中にあって何でもやる 気になればできる」とL寸 頑張り主義"は, 14歳時に79.3%になることを除 けば,他の全てで80%台を維持している。これこそ, もっと注目すべき点であ ろう。一方で不満を行動化させる子どもがいることの背景には,このような

頑張り主義"があることを見落としてはならない。

(3)  所得差が子どもの意欲にも影響

同じ総理府の調査の中に日本の子どものパターン分類Jがなされてい る。基準として, (満足一不満足) (積極一消極) (役割帰属意識の強弱) ( 屈一実行〕の4つの基準を取り出し,年齢移行に伴うパターン変化を,アイテ ム・カテゴリーとその内容によって検討している。それによると年齢が上 になるにつれ,家庭や学校への不満を募らせ,両親や教師への反発を強める」

傾向があるとしている。「長ずるにつれ,積極性ないしは主体性をはっきりさ せる。」しかし低所得者層ほど無気力・無関心」が強まる。さらに,中学 校頃から r...・..らしさ」を否定する傾向が強まるが,低・高所得者層では「子 どもの役割意識(……らしさにこだわる意識)が強くある」のに, r中層の子 弟ほど役割意識が稀薄」化すると指摘している。また,低所得者層について はどうせやってもだめなんだから」という,あきらめや敗北感による課題 遂行時での回避傾向が見られることも指摘している。前に指摘した「何でもや る気になればできる」という 頑張り主義"は低所得者層の子どもに必ずしも あてはまらないことになる。

3.生活主体への転換の糸口 (

1

  ) 現状での自然な転換はありえない

これまでみてきた,拘束の中での不自由感や孤立感,自信を喪失しながらの 成績主義の堅持,それを支える 頑張り主義"等は,今日の子どもが生活主体 として成長することを望みながらも,現実にはそれができていないことを心情 面から捉えたものといえる。

現在の主要な問題状況を念頭に置いた場合,生活主体としての本来の育ちが 可能となる子どもの一群がどこかに存在しうるであろうか。学校での成績=

「受験学力J=r業績」重視が,いわゆる社会一般及び両親の,子どもに対する 主要な期待内容となっている限り,それはあり得ない。子どもはその期待を自

120  ‑

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ら内在化し,自己の評価・自信の主要な基準として取り込んでしまう。そのこ とによって,成績主義を貫くために,孤立無援の努力を自らに課し続けること になる。そこで形成される集団関係は,孤立から逃れるための帰属集団として の機能を基本としているために,同調行動が基調となる。こうして縦糸とし て,成績主義及びそれと密接不可欠な きまり"への忠誠が求められ,横糸と して,仲間集団への同調行動が求められる構造がっくり上げられる。自分らし さの自覚や表現は, この構造によってそぎ取られ棚上げにさせられていく。し かも,成績という客観的かっ抽象的な業績において望ましい成果を達成しない 限り,自分本来の課題や活動への自由な思考や選択が許容されない状況に置か れている。それゆえ,行動面で生じる荒れは,成績の達成に可能性を失った子 どもだけとは限らない。

何らかの役割意識をもち,自由に課題選択を行い,時間的見通しをもって頑 張れる子どもは,高所得者層において見出せるのではないかと考えたくもな る。経済力をパックにした きまり"のない私学生活は,子どもたちに一見 自由な生活を与えているかのように思えるからである。しかしその自由と 努力するかしないかは本人の勝手"を前提(核〉にした自由であり,成 績が同レベルにある同質集団であるだけに,より一層の成績(業績)主義への 自覚なしには維持できないものである。家族との信頼関係な 世襲"への期 待を裏切らない成績と引き替えに成立することになる。そう考えれば本質的に は何ら変わらないしむしろ過酷な状況と見ることもできる。

(2)  r受信Jのみから「発信J,そして「交信」する立場ヘ

生活主体への転換の糸口をと、こに求めるべきか。子ども一人ひとりの自覚的 な行為の中に見出すことがまず基本である。例え善意によるものであっても,

大人がお膳立をし適切な条件をあてがう限り,子どもにとってはお仕着せ的 なものに過ぎない。

生活主体への転換のポイン卜は自己受容と自信の回復にある。それを阻んで いる主要な原因の一つは,安心して自分を出せる集団の場が,縦糸・横糸の構 造の中で失われていることにある。 きまり"を守らない人への抗議や学習の 内容以外の,構造そのものの「安定状態Jを揺るがす疑問や不満は当事者間 (教師・親・子ども)でのまともな話題・議論として取り上げられることは稀

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でしかなかった。大体が, 1人の心の内に仕舞い込まされてしまう。

間違っているのではと感じること,不合理と感じること,そう感じる自分を 素直に「発信Jすることができ,互いの考えを「交信」できる場や人間関係が 家庭・学校・地域において必要とされている。孤立した閉鎖的世界を脱し新 たな価値基準・人間関係・社会認識を紡ぎ出すための主体的な摸索や選択が,

子ども自身に求められている。大人に問われていることは,子どもの模索や選 択の一歩一歩に,共感し共に考えて¥,¥く姿勢ではなかろうか。

2節生活主体へのあがき

ここでは,生活主体への模索を試みながらも,孤立化を深めている子どもが 抱えている問題をより明確にするために,子どもの今日的特性について論じた

ものを検討する。

1.子どもの今日的特性をめぐって

単なる解釈論ではなく,子どもの問題状況を踏まえながら,その子どもの特 性をもたらしているものが何か,子ども自身が組み替えていくべきものが何か

について,視点を明らかにしているものを23取り挙げる。

(1)  r幼なさ」引について

坂元忠芳氏は,小学校の中学年から中学生にかけてみられる「幼なさ」の現 象 を 検 討 し そ の2面性を指摘している。つまり一種の『残存』状態であ る」と同時に「子どもどうしの,共感関係が成立しにくくなっている状況」に 対する一つの適応方法とみるのである。その2面性は「受け身的な愛情関係の 持続」とその「愛情関係が破られる状況Jの中での「感情過敏性Jとして,あ るいは「幼児期への退行欲求の疎外・おしとどめ,としてあらわれるJのであ る。互いに分裂した関係にありながら,他方で牽引しあい,どちらへも移行す ることのできない rw宙づり』状態」にあると指摘する。この現象形態をもた らしたのは共同体における自然、的一体性jの急激な崩壊・喪失と「物化J

物象化」による「市民社会的関係の矛盾の深化」とみている。

その上で, この両極性をもった特性の中に新たな関係づくりへの展開の可能 性を見出そうとしているのである。その際の現象形態を5つのケースに分類し て,それに対応した関係づくりの仮説的視点、を提起している。第lは,人に対

ηL

  の 乙

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する甘え方が受動的かっ衝動的な子ども:単純ないたずら遊びの繰り返しを通 して,改めて能動的な関係を「再構成」すること。第2は,相手とのつながり を単純ないたずらやまねごとによって相互承認を取りつけようとする子ども:

お互いのまねごとや「馬鹿さわぎ」を通して,人と人・人とものと身体的・感 情的「融合」体験を満喫させること。第3は,内面で拒否感・嫌悪感をもちな がらも見捨てられたくない一心で,外見上は他者の言動に合わせ大人びた.態度 をとろうとする子ども:もの(ことば,服装,持ち物等)のレベルで展開され る模倣・同一化を人との関係に置き換え,互いの人間的「らしさ」を仲立ちと した関係へ転倒させること。第4は,自分と他者の同一化を性急に求め過ぎ,

適応できずに感情過敏になる子ども:拒否する自分から拒否される自分といっ た,他者との転倒関係を「舞台」の組み替えによってっくりだし同意を求め る内的要求を支えに, もう一方の内的要求である拒否感情を乗り越えさせるこ と。第5は,受動性に身をまかせ無気力・無関心状態にある子ども:潜在的エ ネルギーをもちながらも,活動への一歩を踏み出せない状態にある子どもどう しを結びつけることで,他者やものに働きかけうる有能な存在としての自分を 再発見させること。といった5つの発展可能な契機を取り出している。

ここでは,他者との共感関係を求めるのだが,互いに一体化・融合化を十分 体験していないがために,退行的で幼稚な態度と相手に対する過剰なまでの気 遣いの間で揺れる,今日の子どもの心情的特徴がある程度明らかにされてい る。自分を素直に出したり,互いの考えを「交信」できる以前の問題として,

相手に対する過剰的気遣いや外見上での模倣・一致行動にこだわってしまう態 度が,共感関係をっくり出せない原因となっていることを示唆している。その こだわりは,対人的一体感・融合感を基盤にした一種の安心感が欠落している ことと関係していると考えられる。この気遣いについて検討した資料をさらに みてみよう。

(2)  r外見上の明るさと内面での深い気遣Lリについて

坂元氏は幼なさ」と共通した問題背景をもちながら,それとは逆の現象 形態して目に映る「大人性」についても検討している。それは表面で無関心な 表情を徹底的に装うことにより,自分の内面にある他者の過剰なまでの気遣い や他者に知られたくない葛藤・秘密を忘れようとする,自己防衛的態度である

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と捉えられている。まさに,自己受容への不安から逃れるために選択された一 手段なのである。その結果,自分の自然な感情や感覚の働きまでも封印し,麻 痩させてしまうのである。その時の状態を「無機物化Jr生きている実感の稀 薄化」と表現している。

このような事態に追い込まれた子どもは,自分の感受性を再び取り戻すため に 現 実 を ひ っ く り 返 すJ活動が必要であると提案している。それは,子ど もが不合理と感じていること,辛いと感じていること,何がそのような現実を もたらしているのかを見据えた上で,その現実を客観化・対象化することであ る。それはある意味で,文化的活動として位置づけられるものであり,新たな 人間関係や生活空間づくりへの組み替えとみることができる。坂元氏の指摘に よればそれはすぐさま政治や経済を『革命的』に変革するということに必 ずしもつながらないかも知れない。ー略ーしかし学校や家庭のつらい生活を

『ひっくり返して』一略一喜びに満ちた虚構の空間を学校や家庭や地域の中で 一つひとつつくる」ことを意図したものなのである。これも子どもの社会創造

に関わる具体的実践課題を提起したものと考えることができる。

この深い気遣いと関連したもう一つのケースを,さらに検討してみよう。そ れは,深い気遣いが子どものどのような心情を反映したものかを指摘してい

(3)  深い気遣いと「登校拒否」について

登校拒否は,今日の子どもが最も重視している価値観を,場合によっては放 棄する事態が生じる。また,自分が折り合えない学校を放棄するといった事態 が生じるかも知れない。それだけに,生活主体としてのあり方もより厳しい状 況で間われることになる。

登校拒否の根本原因を,学校に内在する様々な歪み(競争主義,管理主義,

いじめ,精神的侮辱等)に求めることは当然のことと考える。それを大前提に した上で,どの子にも当てはまる共通な具体的原因はないという複雑さについ ても認識しておく必要がある。それだけに,登校拒否をタイプ別に分けて取り 出すことなどできるはずもない。ここで問題にする感受性は,タイプとして取 り出された子どものものとしてではなく,ある登校拒否に陥った子どもたちの 中でみられた共通感情と考えられる。

‑ 124  ‑

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高垣忠一郎氏は「客観的,冷静な目で見た時も, しっかりした自我をもち,

批判力や自己主長の力をもった登校拒否の子どももおり,そのような子が学校 の歪んだ状況に反発し異議申し立てをし孤立させられ,登校拒否に追い込 まれていく例もある」と指摘し一方で「敏感な感受性をもった子ども」の存 在についても述べている9)。その子どもたちの特徴として外向きに自己主 張や攻撃性を発揮できないJiしばしば,完全主義で失敗を恐れるJi傷つき易 い自己評価Ji何かあると自分が悪いと思ってしまう」といった特徴を挙げて いる。

伺がそのような特異な感受性をもたらす原因となっているのであろうか。高 垣氏はそれについて自分が自分であって大丈夫なのだ」という「自己受容 感や自己肯定感の希薄さ」を指摘する。そのために自信がもてず,自分の不確 かさに耐えるためにより多くのエネルギーを使いはたしてしまうことになる。

自己肯定感の希薄さの原因は,自分をしっかり受け止めて共感してくれる他者 が,その子の心の中に住んでいなし、からであろう,とさらに指摘している。

こうした子どもは,他の登校拒否をする子どもと違って体罰やいじめな どの目に見える歪みによって登校拒否が生じるばかりでない。一略学校の自 に見えぬ,ある種の『雰囲気』としか言いようのないものに敏感に反応するJ 特徴をもっている,というのである。それは「自分がそこに居てはいけないよ

うな圧迫感,負い目を感じる」と述べている。

2.居づらさの組み替え

子どもの今日的特性の中に見出したもの,それは共感関係をつくっていくこ との困難性ではなかろうか。それは,人間関係に対する不安感と強く結びつい ている。そのために,周囲への深い気遣いが必要になる。それは孤立しないた めの気遣いであるとともに,自分の弱さを覆い隠すための気遣いである。自分 を「無機物化」し,大人びたふるまいを演じながら,どうにか適応する子ども もいる。しかしその一方で,自己肯定感の脆弱な子どもは,自分で自分を支え るのに必死になりながら,自分の側に責任を引き寄せてしまうことによって,

周囲への違和感を感じながらつぶされてしまうこともある。

子どもの心の中,その子どもの感じたままを,まず受け止めてくれる第三者 が形成されることが求められている。そのためには,既にみたような意味での

Fh d 

ηL

 

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気遣いに明け暮れる必要のない,安心できる人とのつながりや生活の場を主体 的につくっていく以外に方法はない。それが「無機物化」や「自分の不確かさ 感」に苛なまれる状態から自分を救う手立てなのである。それが「現実をひっ

くり返す」活動であり,生活主体形成への新たな摸索や選択なのである。

3節社会創造と子ども

「現実をひっくり返す」活動はそれほどたやすいことではない。子ども自身 がやろうとすればなおさらのことである。しかし実際に取組んでいる子ども がいる。今までの生活を,まず「崩す」ことによって組み替えようとしている 子ども,そして大人・教師と共に共感し合える生・活や認識をっくり出そうとし ている子どもについて最後にふれておきたい。

1.登校拒否の子ども一崩すことによる組み替え一

登校拒否の場合,組み替えによる変化が現象面ではっきり出てくる。それは 学校に行かなくなることである。少なくとも今まで通っていた学校にである。

組み替えというより,今までの生活を「崩すJといった方が適切かも知れな い。実際の組み替えは,それから始まることが何人かの手記10)に示されてい る。本人自身,登校拒否をしていても,自分だけが行かないことに重圧を感じ ている。近所の子ども,学級の友達,親戚の子ども,兄弟がみんな学校に通う のに,自分の判断で家での活動を選ばねばならない。しかも世間からは,ダメ な子,悪い子というレッテルを張られる中で生活しなければならないのであ る。拒否しでもこだわりを持つ。学校へのこだわりが子ども自身の中から消え るまで肩身の狭さは続くのである。中でも何よりの支えは,両親が子どもを受 け入れ,登校拒否を恥と思もわなくなることだ,と多くの経験が教えている。

子どもはそれによって自己を自ら受容・肯定し自己改造をしていくのであ る。親自身もPTAに積極的に取り組み,地域の親ともつながりを広げてい く。同じ登校拒否の子どもを持つ親とも知り合い,本音で語れる大人の集団も 広げていくのである。

登校拒否の子どもは決して勉強が嫌いなのではない。個性を本当に大事にす る学校へは喜んで通うのである。「崩す」ことから生活そのものの組み替えを 行っていく中で,新しい生き方を発見することもある。ある登校拒否の子ども

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は,自分が診察を受けた病院の院内学級に通うことになった。そこで,看護士 の仕事にふれ,自らもその道を選んでいる。院内中学校卒業後,昼間は看護助 手をしながら夜間高校に入学し生徒会活動にも取組むのである。抽象化され た成績競争ではなく,具体的な生き方を発見する中で,学習への取組み方を変 えたのである。

2.虚構の中であそぶ・演じる・つくる

小・中学校の場合,自分たちの生活を転倒したり,組み替えによる劇づくり に限らず,優れた作品への取り組みによっても子どもたちの共通認識や人間関 係の広がりがもたらされる。演劇の面白さについて,小学校等で長い実践経験 をもっ大隅真ーは, 3点ほど指摘している11)。第1は,テーマが身近でドラ マチック,かっしっかりした構造であれば,子どもは心を揺さぶられて多くの 発見をするということ。第2は,集団的取組みだけに,互いにの理解・解釈を 出し合い,一致させることなしにはうまくし、かないところ。第3は,身体を通 しての理解・表現が求められ,より深い解釈や認識が求められる,と述べてい

演劇への取組みの中で必ず出てくるものに,人間と人聞の関係に対する関心 があるといわれる。それは,自分の行動に対して相手はどう反応したのか,そ れによって自分がどう変わっていったのか,を強く意識させられるからであ る。それは,防衛的な気遣いとは性質を異にしている。

大隅氏は学級の生活をつくる」という視点から,演劇を学級全体の活動 として,子どもとともに取組んでいる。それはゃった!Jの実感がもてる 生活づくり,日常の連続ではない節目(めあて)をつくる,行動としての見通 しをつくるといった位置づけによって,子どもたちが自分たちで計画をつくっ ていくのである。しかも取りこぼしなく,全員が活躍の場を与えられる。具体 的には,学級学芸会を企画して班全部が劇をやるのである。それは子どもから の要求として出されたものである。

その際,単に一学級としてのみの計画ではなく,学校全体,家庭,地域の行 事や活動との関わりをも視野に入れさせている。それを「生、活ご、よみ」として 具体化していく。そこには,学級を単なる学習課題の効率的消化活動の組織に してしまうのではなく,子どもが自分の見通しを持って生活できる場にしよう

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とする意図がある。これを踏まえて,さらに各家庭においても「我が家の生活 ごよみ」に取組んでいる。それらによって,家庭を含めた地域の教育機能を高 める手がかりを得ょうとしている。

演劇活動を中心に役割を明確にし,一人ひとりの課題達成の見通しをもっ て,学校・家庭・地域での生活を組み替えようとしているといえる。

少し前の資料になるが, I旧 港 か ら 外 港 へJ3)という実践では,子どもが 自分の目や足で集めた資料・事実に基づいて,その背後にある社会的原理や法 則を発見している。これなど,生活主体としての子どものイメージ,社会を認 識していく子どもをイメージ化する上で貴重な視点を与えてくれる。

(1)  日本生活指導学会, 1991,生活指導研究第8号,明治図書, 19

(2)  恵那教育研究所調査委員, 1990, r子どもの自由意識はいまJ,現代と教育,桐書 78‑85

(3)  日経新聞(夕刊), 1990, 6月11‑ 6月15

(4)  総理府青少年対策本部編, 198 1 r日本の子供と母親.!l,大蔵省印刷局 (5)  都筑学, 1984, r小中学生の価値意識J,心理科学, 7巻代2 1‑11

(6)  坂元忠芳, 1985, r現代の子ども・青年における『幼なさ』の諸相J,教育科学研 究,第4号,東京都立大学教育学研究室, 1‑12

(7)  坂元忠芳, 1986, r現代の子どもをどうとらえるか(上)J,現代と教育,創刊号,

桐書房, 102‑121

(8)  坂元忠芳, 1987, r現代の子どもをどうとらえるか(下)J,現代と教育, 2号,桐 書房, 102‑121

(9)  高垣忠一郎, 1989, r登校拒否とはなにかJ,教育, NO.514,国土社, ‑16 (

10)  渡辺位編, 1983, r登校拒否・学校に行かないで生きる.!l,太郎次郎社, 105 凶大隅真一, 1987, W劇のある教室を求めて.!l,晩成書房, 13‑15

同鈴木正気, 1978, W川口港から外港へ.!l,草土文化

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