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中国近現代の知識経験と文学表現をめぐって

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Academic year: 2021

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特集 中国近現代の知識経験と文学 ││││││││││││││││││││││││││││││││││││││ 中国近現代の知識経験と文学表現をめぐって

科学の知識や経験が詩的想像力を凌駕していくかに見える世界で︑文学はいかなる地平を切り開きうるのか︒

 

中国の知識人が近代以降繰り返し直面してきた一種の焦燥と︑それに伴う知識体系や文学経験の大きな組み替えをめぐって︑

 

日本︑台湾︑米国を拠点とする研究者たちが語り合った︒

鄭 毓瑜

︿

台湾大学中国文 学系講座教授

×王 徳威

︿

ハーバード大学東アジア言語文明学科・ 比較文学科

Edward C. Henderson

講座教授

×林 少陽

︿

東京大学大学院総 合文化研究科教授

× 伊藤徳也

︿

東京大学大学院総 合文化研究科教授

×石井 剛

︿

東京大学大学院総 合文化研究科教授

×橋本 悟

︿

メリーランド大学東アジ ア言語文化学科助理教授

×津守 陽

︿

神戸市外国語大学 外国語学部准教授

× 潘 少瑜

︿

台湾大学中国 文学系副教授

×張 政傑

︿

名古屋大学大学院人文学 研究科博士候補研究員

  企画・司会 鄭毓瑜・黄英哲

︿

愛知大学現代 中国学部教授

  整理

 

津守 陽

  二〇一八年七月一四日︑愛知大学国際 問題研究所創立七〇周年を記念して

グ ローバルな視野とローカルの思考││個 性とのバランスを考える

と題した国際 シンポジウムが開かれ︑文学・哲学・人 類学・経済学の幅広い視野から東アジア の現在をめぐるダイナミックな議論が行 われた︒翌一五日には鄭毓瑜教授をはじ めとする台湾大学の研究者︑および王徳 威教授をはじめとする前日のシンポジウ ムの講演者を迎えて

中国近代の知識経 験及び文学をめぐって

と題したワーク ショップが開かれ︑近現代中国が経験し た知識体系の大きな転換と文学的表出と の間の関係をめぐって︑刺激的な討論が 交 わ さ れ た︒ 本 座 談 記 事 は こ の ワ ー ク ショップの最後に行われたラウンドテー ブ ル の 記 録 に 基 づ き 整 理 し た も の で あ る︒以下文中の

シンポジウム

は一四 日 の︑

ワ ー ク シ ョ ッ プ

は 一 五 日 の︑ また

会議

は二日間全体の会議を指す ものとする︒なお本ワークショップにお ける報告内容は︑その多くが加筆修正の のち本誌に収録されている︒

(2)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鄭 毓瑜[Cheng Yuyu]

知識

としての文学

鄭毓瑜   本日のワークショップのテーマ は︑

中 国 近 代 の 知 識 経 験 及 び 文 学 を め ぐって

となっています︒これは主催の 黄 英 哲 先 生 と 相 談 し て 決 め た も の で す が︑まずは私の方から︑どうしてこのよ うなテーマ設定がなされたのか︑少し説 明してみたいと思います︒このテーマに は︑ あ る 根 本 的 な 問 題 が 含 ま れ て い ま す︒すなわち︑文学はいかにして知識に 変じるのか︑という問題です︒中国の文 学理論に通じておられる方ならばご承知 かと思いますが︑中国の文学理論史が何 を問題にしてきたかというと︑本質論︑ 功用論︑情性論︑文体論︑風格論などで した︒しかしこれまでのいかなる文学史 も︑また文学理論史や詩学史も︑中国独 自の知識論を展開したことはありません でした︒

  ならば文学が

知識

として捉えられ るようになったのはいつからなのでしょ うか︒それは文学が一つの学科として成 立してからのこと︑清末の新式学堂が始 まってから以後のことです︒陳国球先生 が指摘されているように︑一八九八年か ら一九〇四年にかけて︑清朝政府は三度 にわたって

京師大学堂章程

を頒布し てい ま

1

︿

す ︒その過程において︑累積され た 知 識 ︹ の 体 系 = 訳 注 ︺ は 一 つ の 重 要 な 学科とみなされるようになり︑文学を研 究対象とする態度も掲げられました︒ま た陳平原先生もおっしゃっていますが︑ 新式学堂が成立したからこそ︑文学は一 つの学科として成立したのですし︑文学 が研究対象となる

知識

に変じたあと では︑大きな二分法が出現しました︒技 能としての

詞章の学

なのか︑それと も 蓄 積 で き る

学 術 知 識

お よ び

文 学 史

な の か︒

創 作

」「

分 析

」「

体 験

な ど︑陳教授はこの二分法をとりまく多く の例を挙げてい ま

2

︿

す ︒こうした二分法の 出現は︑正式には文学が専門の学科知識 として成立したからこそ可能になりまし た︒

用語・概念の組み替え

  しかしこの二分法は長くは続きません でした︒知識化と客観化の流れがあまり に 強 く 押 し 寄 せ た た め︑ こ の 二 分 法 は あっという間に打破されてしまったので す︒午前中のコメントの中で︑王徳威先 生は科学論争に言及されました︒科学と 玄学の論争は一九二〇年代に始まりまし たが︑一九二三年に胡適︵一八九一

−一

九六二︶がこの論争をまとめた論集

科 学と人生観

に序文を書いた時点では︑ すでに二分法が消滅していたことがわか ります︒胡適はこの二分法の存在にまっ たく関心を払っていません︒彼にとって は一種類のカテゴリーしか存在していな

(3)

いのです︒彼は新しい人生観を新しい人 文観としてとらえ︑およそすべての︑人 間性︑精神︑情志︑道徳︑天道︑宗教信 仰などの固有の概念は︑ここですべて一 度白紙に戻し︑あらためて語り直す必要 があると述べています︒

  今 日 我 々 が こ の ワ ー ク シ ョ ッ プ の 中 で︑一つ一つの単語に出会うたびに︑実 は非常に複雑な背景があることに気づか されるのは︑このような経緯があったか ら で す︒

自 然

も 然 り︑ 実 は

科 学

も ま た 同 様 で す︒

科 学

は そ も そ も 伝 統的に存在していた用語で︑元の意味は 科 を 分 け た 学︑ す な わ ち

学 科

で あ り︑時にまた

科挙の学

を省略した形 としても用いられました︒ですから元は 伝統的な用語だったわけです︒こうして 私たちは︑すべての用語を一旦白紙に戻 して︑あらためてゼロ地点から議論する 必要がある︑ということに気づきます︒ 本日潘少瑜先生と許暉林先生の 発

3

︿

表 が触 れられた︑情感にせよ︑宇宙にせよ︑こ れらの概念はすべて︑もはや我々の伝統 的な概念とは異なっています︒ですから 一つ一つの概念の中には伝統と近代の間 の巨大なギャップが存在し︑我々はそれ らの概念をはじめから検討し直していく 必要があるのです︒   知 識 化 や 客 観 化︑ あ る い は 科 学 化 と 言 っ て も よ い で し ょ う か︑ こ れ ら が 起 こったことの衝撃は︑文学を含む人文学 全体に影響を与えました︒ことは文学だ けに限った話ではありません︒忘れては な ら な い の は︑

人 文 化

4

︿

は 中 国 の 学 術全体を指す概念だということです︒中 国の学術はそもそも独自の分類を有して い た わ け で は な く︑

人 文 化 成

の た め に存在していました︒だとすると︑人文 学全体の再検討に最も大きな責任をもつ 領域として︑文学の再検討を行う必要が あります︒文学表現はいかにして二一世 紀の知識体験と絡み合うのでしょうか︒ これこそが我々台湾大学のグループが今 回のテーマを構想する上で︑最大の問題 でした︒文学は二一世紀の知識経験の中 で︑どのような役割を演じるのでしょう か︒ 知識と経験の関係 知 識 が い か に し て 経 験 に 転 じ る の か も︑繰り返し問われてきた問題です︒知 識と経験はどのような関係にあるのか︒ す ぐ に 思 い 浮 か ぶ の は︑ マ イ ケ ル ・ ポ ラ ニ ー ︵

Michael Polanyi, 1891‒1976

︶ の 個 人的知識論です︒個人は常に主観的で︑ 感情的で︑あるいは非常にプライベート な 存 在 で す︒ 一 方︑ 知 識 は 通 常 客 観 的 で︑普遍的で︑検証可能なもの︑実践可 能なものとみなされています︒それでは 知識はどのように経験に転じるのでしょ うか︒   こ こ で 私 が 借 用 し よ う と し て い る の は︑高友工先生の

経験の知

に関する 考 え 方 で

5

︿

す ︒ 彼 は

経 験 の 知

︑ す な わ ち知識の経験について︑それは決して各 種の資料を閲覧したり︑理解することに よって得られる知識だけを意味しない︑ と考えました︒例えば︑今日の報告で潘 少瑜先生がサイエンスフィクションにつ いて話されました︒彼女の今日の話は︑ SF が ど う い っ た 科 学 の 問 題 や 原 理 を

(4)

扱っているか︑という範囲にとどまりま せん︒彼女が論じたのは︑これらの知識 はみな内部の︑あるいは内在化させるた めの発酵過程を一度経ているのだという ことです︒ある知識は単に吸収されるだ けでなく︑発酵を経てなんらかの経験と なり︑それからはじめて書物に記される のです︒この意味で︑高友工先生は︑単 に様々な資料を吸収して築き上げられる 知識だけでは︑絶対に不十分であると考 えていました︒というのは︑これらの知 識は︑必ず自己の内部における感応を経 て︑なんらかの心理状態を引き起こすか らです︒これこそ私の最も強調したいこ とであり︑ 例えばポアンカレ

(Jules-Henri Poincaré, 1854‒1912)

の言う直観がなぜ重 要かという問題にもつながっています︒ ポアンカレは科学者ですが︑感覚と想像 とを最も重視していました︒感応には︑ 感覚︑情緒︑弁別︑認識︑比較︑想像︑ さらには価値判断も含まれます︒これこ そ が 高 友 工 先 生 の お っ し ゃ る

経 験 の 知

であり︑我々が論じる知識の経験で もあります︒ですから私は︑人文科学に おける経験は︑単に推論や実証︑あるい は分析の言葉によって︑その客観性や必 然性を強調するだけでは不十分だと考え ます︒本来︑知性と感性が受容した様々 な経験を結合し︑その中において自己の 存在が持つ様々な可能性を提供する︑そ ういったかたちであるべきなのです︒も しも宇宙をあらためて再検討する必要が あると考えたなら︑人は宇宙においてど のような主体たり得るのか︑あるいは非 主 体 と な る の か︒ 人 は 宇 宙 の 中 に あ っ て︑どのようにその中で生存するという 概念を表現し描き出すべきなのか︒これ らもまた︑知識経験の一部です︒そして また︑これから皆さんにお考えをうかが い た い と こ ろ で も あ り ま す︒ 報 告 者 の 方々だけでなく︑会場にお越しの皆さん からも︑知識がどのように経験となるの かについて︑ご意見を拝聴したいと思い ます︒以上︑私の方からまずは簡単に糸 口を提供させていただいて︑それでは王 先 生 の お 考 え を う か が い た い と 思 い ま す︒

”“

文学

とは何か

王徳威   時間も限られていますから︑そ れでは早速︒今日の座談会に参加できた ことは︑またとない機会であったと感じ ています︒事前に十分準備をする時間が ありませんでしたから︑私としては今日 ここに招いていただいて︑出席者の報告 をうかがう中で︑個人として得た意見を 簡単に述べさせていただきたいと思いま す︒もしかしたらその中で︑また異なる 話 題 に つ い て も 提 供 で き る か も し れ ま せん︒

  まずは鄭先生が先ほど挙げられた︑学 科としての文学︑大学で教授される知識 としての文学についてですが︑実はその 形成期間というのは非常に短いものでし た︒先ほど鄭先生がパワーポイントで示 された一八九八年から一九〇四年まで︑ この五︑六年の間というのが︑当時の清 朝の主導のもと︑有識者が京師大学堂お よびその他の高等学府に対して学科制の 改良を行った時期でした︒一九〇四年に は︑この文学に関する学科が次第に雛形

(5)

王 徳威[David Der-wei Wang] ・・・・・・・・・・・

として整えられてきます︒しかし正式に 課程として組み込まれたのは︑一九二〇 年代になってから︑つまり我々が近代や 現 代 と 呼 ぶ 時 期 に 入 っ て か ら の こ と で す︒ですからこの期間︑あるいは言うな ればその生命力の周期について︑またそ の 歴 史 的 意 義 に つ い て︑ 時 間 の 変 化 に 沿って再度新たな思考を加えていく必要 があると︑いま感じています︒

  今日のこの討論の機会が非常に貴重だ と 感 じ る の は︑ 教 科 書 的 な 定 義 と し て 我々が知っている

文学

の始 ま り や︑ そ の 発 展 に 関 す る 議 論 の 他 に も︑ 様 々 な 議 論 の 展 開 が あ っ た か ら で す︒実際には︑章炳麟︵一八六九

−一九

三六︶の議論から我々がすでに知ってい るとおり︑まさに一九〇四年以降の数年 の間に︑

とは何なのか︑

文学

と は何かという議論が︑様々に異なるかた ちで︑早くも清末の公共空間において展 開 さ れ て い ま し た︒ そ し て 今 日 の 我 々 が︑ これらの多種多様な

文学

に関する議論をどう理解するかという課 題は︑近現代文学研究という専門がこの 先どのように進んでいくのか︑それをよ り複雑なものとして築き上げる道へとつ ながっています︒これは我々が共通して 努力すべき目標ではないでしょうか︒   私も以前別の機会に述べたことがあり ますが︑我々の

文学

に対す る考え方は︑当然ながら伝統的ないくつ かのジャンル││小説︑詩歌︑散文︑戯 曲など││の中に限定するわけにはいき ま せ ん︒ 今 の 時 代 は

WeChat

︵ 微 信 ︶ や

Weibo

︵ 微 博 ︶ な ど︑ 様 々 な ネ ッ ト ワ ー クサービスがありますね︒こうしたリア ルタイムで情報が送られてくるネットの ツールが︑私たちの感覚器官に新しい刺 激を与えてくれる時代です︒ですがこれ も ま た︑ 一 種 の 文 学 的 経 験 で は な い で しょうか︒文学は今日にあって︑次第に 衰えていくと申しますか︑少なくとも大 学のキャンパス内では重視されなくなっ ていると感じているわけですが︑しかし 実は︑これはむしろ文学の氾濫する時代 で も あ り︑ 二 一 世 紀 の

老 残

︹ 劉 鶚

老 残 遊 記

の 主 人 公 ︺ が 現 れ て こ れ に 治水を施すことが望まれる︑そんな時代 だとも言えるのです︒これが一つ目の考 えです︒

文学と文化︑文学と科学

  先ほど許暉林先生の

老残遊記

に関 する報告をうかがっている際︑ある感想 が 浮 か び ま し た︒ 二 一 世 紀 の

老 残

は︑裴亮先生の 報

6

︿

告 にあったような大学 教授兼任の作家へと転身を遂げることが できるのでしょうか︒あるいは

老残遊 記

のような書籍を出版した後︑何年か してから新疆へ流されてしまったりする のでしょうか︒これはなかなか予測のつ

(6)

か な い 問 題 で す︒ こ の 点 か ら 言 っ て︑ 我々のワークショップが扱った様々な文 学上の問題は︑基本的には

とは何 か︑

文 学

と は ど う い う 概 念 な の か と いう問題につながります︒津守陽先生が 話 し た

文 明

野 蛮

の 概

7

︿

念 に し ろ︑あるいは鳥谷まゆみ先生が話した︑ 周作人︵一八八五

−一九六七︶が日本と の戦争期間中︑いわゆる中華文化あるい は文明に対して︑一種の逡巡に満ちた思 考を行った こ

8

︿

と にしろ︑その視点から考 えることができます︒一方には︑中国の 戦場の辺境︑大後方の奥地で︑文明と残 虐︑あるいは野蛮との関係を思考する存 在がありました︒また一方では︑いわゆ る

華 夷 変 態

の 過 程 に お い て︑

と は︑

文 化

と は︑ そ れ が 持 つ 価 値 の 可能性とはどこにあるのか︑それを想像 した存在もあったのです︒

  ですから本日の午前中の 報

9

︿

告 で︑我々 は皆

の持つ真正性︑ある歴史状態 の中におけるその真正性について︑一種 の新しい議論を展開したと言えます︒例 え ば 今 日 最 初 の 鄭 毓 瑜 先 生 の ご 発 表 で は︑

と は 何 な の か︑ 中 国 の 伝 統 の 中でとりわけ重視されてきたこのジャン ルについて︑新しい思考を試みられまし た︒二〇世紀に入ってこの

と︑西 洋の詩との間で︑その共通する点および 異なる点について︑多くの議論が交わさ れました︒また︑午後には許暉林先生が

老 残 遊 記

を 取 り 上 げ︑ 潘 少 瑜 先 生 が SFについて話されました︒これもまた 当然ながら午前中の話題で提示された︑ 学科としての文学と︑学科としての科学 について︑その間に生まれうる各種の可 能性に呼応する話題です︒老残は実のと ころ非常に科学的です︒彼が示した様々 な治水の方策は︑まさにコメンテーター の林晨先生︹南開大学文学院副教授︺が 指摘されたように︑清末という一種の混 乱した時代の知識体系の中にあって︑あ る個人的な︑そしてローカルな︑同時に 実際の経験の中から生まれてきた︑新し い治水の技術や治水の科学を提供してい るのです︒これに対して︑潘先生の話題 が提供しているのは︑未来世界の様々な 可能性に関する想像です︒つくづく思う のですが︑文学という領域は本当に何で もありで︑あまりに多くの可能性が︑発 掘されるその日を待ちかまえています︒ 二〇世紀以来︑科学と文学との対話は︑ 広義の意味から言って︑一度も絶えたこ とはないのです︒これもまた他の場所で 触れたことがありますが︑ユートピアの 想像力︑すなわち張競生︵一八八八

−一

九七〇︶から毛沢東︵一八九三

−一九七

六︶に至るまでの様々なバリエーション にせよ︑あるいはSF映画の撮影や制作 の側面︑例えば時代が下って

十三陵水 庫暢想曲

︵十三陵ダム奇想曲︶ ︑これは 一九五〇年代のSF映画ですが︑あるい は

小 霊 通 漫 遊 未 来

︵ 小 霊 通 未 来 遊 記︶のような八〇年代のSFの語りにせ よ︑まだまだ注目すべき現象が数多く残 されています︒我々は自分の専門の研究 の中でこれらの時代に着目する時︑同時 に自身の興味をより広い範囲へと開いて い く こ と も で き る の で は な い で し ょ う か︒もちろん私自身も︑二〇〇〇年以降 の こ の 一 七 年 あ る い は 一 八 年 の あ い だ で︑最も重要な文学経験の現象はSFで

(7)

ある︑と言ってよいだろうと考えていま す︒韓松︵一九六〇

−︶が二〇〇〇年に

出した

二零六六年之西行漫記

から︑ 劉 慈 欣︵ 一 九 六 三

もう一度広く開くことができるのです︒ りさえすれば︑我々はこの学問の領域を いうことを証明しています︒その気にな 形で引かれているわけではなかった︑と の︺境界線は必ずしもそうはっきりした の関心事︑すなわち実は︹科学と文学と います︒この流れは︑まさに我々の今日 で︑これらは総体で大きな流れをなして から最近の多種多様なSF作品に至るま −︶ の

三 体

︑ そ れ

華と夷の相互変動

  今日の報告はまた︑文化生産と民間と の関係︑あるいは雅俗の境界線の問題に ついて︑新たな位置付けを行いました︒ 高嘉謙先生は海外における

10

︿

生産 の現象について再考を試みています︒二 一世紀に生きる我々にもはや粤謳を書く ような余裕はないかとは思いますが︑し か し

LINE

Skype

と い っ た ツ ー ル で 発 信する頻度を考えると︑これらもまた色 とりどりに展開していく可能性を秘めて います︒ですから

華夷

の問題は︑よ り広く先の長い視野で捉えることも可能 かと思います︒   高嘉謙先生の粤謳に関する報告をめぐ る質疑応答の時間に︑私も思うところが ありました︒もちろんご専門の高先生を さしおいて答える権利は私にはないので すが︑いわゆる五四以降の正統文学の中 で︑中国人および中国系の人々がどのよ うに非中国系の人々を扱うのか︑という 問題は︑なかなかに根の深いものだと私 は考えています︒私としては︑近代中国 文 学 の 始 ま り は︑

華 夷 の 変

11

︿

に 関 わ る︑そして一種天災のようにふりかかっ た︑ある自覚的な再考と構想にあったと 思っています︒一八九九年︑梁啓超︵一 八七三

−一九二九︶は横浜から追放され

てハワイへ赴く船の中で︑詩界革命を思 いつきました︒それは我々の近代文学の 始まりの一つでしたが︑実際にはある公 海の領域において︑茫々たる大海を目の 前にして︑彼の革命の発想は出現したの です︒詩と革命はいかにして結合したの か︒これは非常に特別な出来事です︒あ るいは魯迅︵一八八一

−一九三六︶にし

ても︑日本において︑一九〇六年に日露 戦争のスライド││事実かどうか疑わし いとも言われていますが││を見た︑と されています︒ですがこの戦争自体は中 国の戦場︑東三省で起こっていました︒ ですから︑この苦痛に満ちた︑華夷の相 互に渉る動きというのは︑中国が経験し た近代文学の執筆行為の中に︑くっきり と刻み込まれているのです︒言うまでも なく︑その後には老舎︵一八九九

−一九

六 六 ︶ の

二 馬

︑ イ ギ リ ス を 舞 台 に し た物語が続きます︒それから高行健︵一 九 四 〇

平︵一九四七 東南アジアまで流れゆくところに︑李永 様々な問題の話です︒そして 華 夷の風 が

サイノフォン

周遊による西洋人との接触が引き起こす

一個人的聖経

︵ある男の聖書︶は世界 は︑国内における少数民族の問題です︒ −︶ の

霊 山

が 描 い て い る の

−二〇一七︶の

拉子婦

があります︒多くの作品が︑我々の再検 討 を 待 っ て い ま す︒ こ の 話 題 に 関 連 し て︑さらに注意を払っていくべきだと考

(8)

えるのは︑東南アジア︑あるいはその他 の非中華的世界における華夷のコンテク ストの中で︑ 様々な文学の

︹流れ︑ 風土︑ 気風︺と

︹気勢︑ 情

12

︿

勢 ︺が見 せる動きです︒

文化生産と体制

  もちろん一方では︑文化生産の話題で は今日裴亮先生が話された︹大学駐在作 家の︺問題も︑我々に再考を促していま す︒現在進行中のこれらの現象は︑我々 に新たな思考の機会を与えます︒二〇世 紀初めに起こった︑一九〇四年の学制改 革以降の動きを念頭に置きつつ︑我々の こ の 新 し い 時 代︑

チ ャ イ ニ ー ズ・ ド リーム

に象徴されるこの新しい風潮の もとで︑我々はどのように文学をイメー ジすべきなのでしょうか︒先ほど疑問を 投げかけたように︑劉鶚︵一八五七

−一

九〇九︶が

老残遊記

を書いて︑一躍 人気作家になったとしたら︑彼は大学教 授兼作家の地位を手に入れることができ るでしょうか︒私の意見では︑それはや や難しいだろうと思います︒なぜなら劉 鶚の著作のスタンスから考えて︑彼はそ う簡単に

馴らされ

はしないだろうと 思うからです︒これはまさに現在の中国 における︑文化と教育体制をめぐるより 大きな問題に関わっています︒これは非 常に今日的な問題でありながら︑同時に その背後にはより大きな歴史的問題が横 たわっているのです︒もし私自身の用語 を 用 い て 言 う な ら ば︑ 歴 史 の

モ ン ス ター性

です︒この視点は我々が今日︑ 知識生産の問題を考える際に︑その別の 側面を見せてくれます︒総じて言えば︑ 今日のこの座談会は私に色々と気づかせ てくれる機会となりました︒

の可能性

  では再度

という観点に戻るとし て︑ここで少し

文心雕龍

の中の

情 采 篇

か ら︑

と は 何 か︑ ど の よ う な概念なのかについて述べた箇所を引用 さ せ て く だ さ い︒

立 文 の 道 は︑ 其 の 理 三 有 り

︒ 文 を 完 成 さ せ る 道 統︑ あ る い は方法が︑三種類あるというわけです︒

一を形文と曰い

︑すなわち形式と文と の概念について︒

五色 是

これ

なり

︑五種の 色彩です︒

二を声文と曰い

︑音の問題 で す︒ 今 日 の 話 題 に も 出 ま し た が︑

五 音 是 な り

︑ つ ま り ヘ テ ロ グ ロ シ ア の 問 題も︑実は

に対する観察の中に隠 されているのです︒最後に︑そして最も 重要なのが︑鄭先生のご関心と密接に関 わ っ て い ま す が︑ 抒 情 の 伝 統 で す︒

情 文

︑ 感 情 の 情 で す ね︑

三 を 情 文 と 曰 い︑ 五 性 是 な り

︒ 性 格 の 性 で す︒ こ こ では気質や情緒の話題が提供されていま す︒ で す か ら︑ 古 典 の 中 に は 我 々 近 代 人︑あるいは現代人の目を開かせてくれ るところがたくさんあります︒現代の立 場からこの

を見直せば︑過去の持 つその豊富な性質が︑もしかしたら我々 の知識生産の過程に︑まためくるめく変 化をもたらしてくれるかもしれません︒ そうすれば我々の経験も同様に︑日毎に 更新することが可能になると言えます︒ まずはこのあたりで︒ 鄭   文の問題に入りましたから︑それで は次はぜひ林少陽先生に︒

(9)

林 少陽[Lin Shaoyang] ・・・・・・・・・・・・・・・・・

文学

の分割

林少陽   先 ほ ど 王 徳 威 先 生 が ワ ー ク ショップのテーマ全体について総括をし ましたが︑その際に

の問題にも触 れました︒本来この会に参加させていた だ い た の は

中 国

21』 Vol

・ 毓瑜先生の書評を掲載 し

1348

に お い て 鄭

︿

た ので︑それと の関連でいろいろと鄭先生におうかがい したかったのですが︑若干それとも関わ らせながらお話をしたいと思います︒私 の発表にもあったように︑章炳麟は世紀 転 換 期 の 一 九 〇 六 年︑

国 粋 学 報

に お いて

について高度に簡潔な定義を 下しました︒竹や絹︑つまり今日で言え ば紙に書いた文字は全部文であり︑その

法 式

を 研 究 す る こ と は

文 学

で あ る︑ と︒ したがって︑ 章炳麟にとって

学 者の文

文人の文

の類の分別は意 味がないと言ってよいと思いますし︑む しろ彼はこのような分割を批判している のです︒今日のテーマと関連させると︑ 近代中国の

文学

という制度は︑多か れ少なかれこのような区別・分割のうえ に成ったのではないかと思われます︒た だし今までの区別・分割と異なるのは科 学主義のような考えが背後で支配してい るということです︒今までの分割とは︑ 例えば文選派の阮元︵一七六四

−一八四

九︶などに見えるように︑韻のある文章 のみが文でありそれ以外は文ではない︑ というような見解です︒

  一九一六年から一九二一年までの新文 化運動が一九三〇年代初頭に発展してい くなかで︑一部の文学者︑そのなかには 鄭先生の発表にあった梁宗岱︵一九〇三

−一九八三︶も含んでいますが︑中国の

近代詩に対してその言語を疑うようにな りました︒個人的にはこれを白話文運動 そのものに対する疑問として見ても差し 支えないと思います︒そして︑これらの 文学者の思考は右にいう分割・二分化の 問題をさらに明らかにした形で提示した と い え る と 思 い ま す︒ 今 回 の ワ ー ク ショップの内容は私から見れば鄭先生の 近 著

姿 と

14

︿

と 関 連 が 深 い と 思 い ま す︒鄭先生は本書において清末以来の詩 をめぐる討論を整理し︑そして新文学に おいて︑胡適と陳独秀︵一八七九

−一九

四二︶によって確立された詩界革命︑と りわけ文学革命と文学言語との関係を問 題にしました︒

西欧詩論との呼応

  私がここで言いたいのは︑例えば梁宗 岱の議論は︑私から見れば︑同時代のフ ラ ン ス 詩 を め ぐ る 議 論︑ 特 に ポ ー ル・ ヴ ァ レ リ ー︵

Paul Valéry, 1871‒1945

︶ な どの議論と問題を本国の文脈に持ち帰っ たと言えることです︒似たような思考を した者に朱光潜︵一八九七

−一九八六︶

(10)

などがいます︒

  ヴァレリーの思考と梁宗岱との関連こ そ 鄭 先 生 の ご 発 表 の 趣 旨 の 一 つ で し ょ う︒鄭先生は︑ヴァレリーが芸術を

物 質的器具

material in stru ment

︶ と譬え︑

精 確 の 器 具

と 正 反 対 の も の で あ る と ︵

the exact opposite of an instrument of pre-ci s 15

︿ion

︶ していることに言及しています︒ ここで私が言いたいのは言語に物質性を 賦与させるという観点が一九二︑三〇年 代のヨーロッパにおいて見えていたとい う こ と で す︒ 例 え ば ヴ ァ ル タ ー ・ ベ ン ヤ ミ ン︵

Walter Benjamin, 1892‒1940

︶ は そ の

ドイツロマン主義における芸術批評 の 概 念

に お い て

反 省 的 媒 質

Reflexion medium」

と い う 概 念 を 使 っ て います︒ベンヤミンによれば︑批評とい う概念には互いに不可分の関係にある認 識論的諸前提と美学的諸前提とがあり︑ 認識論的モチーフこそドイツ浪漫主義者 の批評の基盤です︒そして浪漫主義者の 認識論が基づいているのはまさに反省と いう概念です︒なぜなら︑反省という概 念が認識の直接性を保証しているだけで なく︑認識過程の無限性をも保証してい る か ら で

16

︿

す ︒

媒 質

と い う 概 念 は ベ ン ヤミンが

言語一般及び人間の言語につ いて

という論文において使った概念で も あ り ま す︒ ベ ン ヤ ミ ン は︑

ど の 言 語 も自己自身を伝達する︒あるいは︑より 正確にいえば︑どの言語も自己自身にお いて自己を伝達するのであり︑言語はす べて︑最も純粋な意味で伝達の媒質なの だ

と述べてい ま

17

︿

す ︒

  このように見れば︑文学こそ媒質の一 種です︒ドイツ語はわからないのですが

媒 質

と い う 訳 が た い へ ん 素 晴 ら し い と思います︒ベンヤミンと同時代のヨー ロッパの大思想家の数人が︑それまで観 念であったはずの言語に物質性があると 見ているということにつながる翻訳だか らです︒これは西洋の形而上学的伝統に 反する観点でもあります︒言語が透明で あるという前提においてのみ︑言語は純 然たる観念たりえます︒逆に言語が物質 性を持っているという考えは︑言語が透 明であるという見方を疑うものです︒

  す こ し 迂 回 的 す ぎ る か も し れ ま せ ん が︑鄭先生が指摘されたヴァレリーの考 えと梁宗岱のそれに対する共鳴は︑この ようなヨーロッパ批評史にある︑言語を 物質性のあるものとして見ている系譜に 位置付けることができるのではないかと 私は思います︒言語を物質として見てい るヨーロッパの思想家に︑例えば新カン ト派のエルンスト・カッシーラー ︵

Ernst Cassirer, 1874‒1945

︶が い ま す︒ ミ ハ イ ル ・ バ フ チ ン ︵

Mikhail Mikhailovich Bakhtin,1895‒1975

︶ が そ の

マ ル ク ス 主 義 と 言 語哲学

において

観念は物質と同じよ う に 感 知 可 能 で あ る

と い う カ ッ シ ー ラーの観点を評価してい ま

18

︿

す ︒

  ヴ ァ レ リ ー は

純 詩

と い う 用 語 を 使 っ て い ま す が︑ 梁 宗 岱 は そ の

詩 と 真

に お い て

哲 学 的 詩

」「

哲 学 の 詩

という用語を使っています︒彼らの詩に 対 す る 思 考 は ラ イ プ ニ ッ ツ︵

Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646‒1716

︶の漢字また は数学に求めようとした

普遍記号

の 企 て に 通 じ た も の が あ る か も し れ ま せ ん︒ライプニッツの漢字礼賛はヘーゲル

(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770‒

(11)

1831)

の 批 判 を 招 い て い ま す︒ ヘ ー ゲ ル はその

精神哲学││哲学の集大成・要 綱

 

第 三 部

に お い て︑

象 形 文 字

︵ 漢 字 ︶ は 中 国 の よ う な

精 神 形 式 の 停 滞 し た民族

の文字である︵第四五九節︶と 述べています︒ヘーゲルにとって漢字の ような物質的なものは精神の歴史の展開 や弁証法の運動には障害物です︒このよ うな使命は音声的言語でなければ果たす こ と が で き な い︒ の ち に デ リ ダ︵

Jacques Derrida, 1930‒2004

︶ が

哲 学 の 余 白

においてヘーゲルを音声中心主義者とし て批判したとおりです︒

  したがって︑梁宗岱がヴァレリーなど の︑フランス最前線の詩学思想について 語ったことは︑多かれ少なかれ︑ここで 述べてきたヨーロッパの思想史的脈絡を 一九三〇年代初頭の中国の文脈に継続さ せ︑ 梁 自 身 の

純 詩

」「

哲 学 詩

の 考 え に 融合させながら︑近代中国の文学的言語 的︑ないし思想的な状況に対する梁の思 考を表した︑と理解することができるの ではないかと思われます︒デリダも

ポ ジション

という対談集において︑マラ ルメ︵

Stéphane Mallarmé, 1842‒1898

︶な ど の よ う な 文 学 者 こ そ 形 而 上 学 的

再 現

という観念を解体させてきた先駆者 であると見ています︒

近代白話への批判としての詩論

  一方︑詩と科学との関係については︑ 梁 宗 岱 が そ の

ポ ー ル・ ヴ ァ レ リ ー 先 生

と い う エ ッ セ イ に お い て

彼 ︵ ヴ ァ レリー︶は一方で学校で興味のない数学 に夢中になり︑他方では想像の世界にお いて真の追及と美の創造を続け︑基準と なる科学と美感の直覚とを融合させよう とした

と書いています︒また一方で梁 宗 岱 は そ の エ ッ セ イ に お い て

ヴ ァ レ リーは最も謹厳で最も束縛的である古典 詩律を守るものである︒実際彼はマラル メ よ り ず っ と 古 い も の を 守 っ て い る と 言 っ て も 過 言 で は な い

と 述 べ て い ま す︒これは中国の近代的な白話文とそれ が含有している音声中心的傾向︑そして 新文化運動における伝統の全面否定に対 する︑彼の批判として理解することもで きると私には思われます︒今回︑愛知大 学に来る途中で鄭先生の論文をよく理解 す る た め に︑

梁 宗 岱 文 集

第 二 巻 を す こし読んできました︒これも鄭先生が今 回 の 論 文 に お い て 扱 う 対 象 で も あ り ま す︒改めて梁宗岱が白話文の問題に対し 批判的に言及するところが少なくないこ とに気が付きました︒   梁宗岱はその

詩と真

において︑詩 のような美しい言葉で詩的本質に近づこ うとしました︒この点において彼は宋末 の厳羽

滄浪詩話

のような偉大な詩学 的伝統を新しい形で継承していると言え ま す︒ 他 方︑ 彼 の

純 詩

哲 学 的 詩

をめぐる思考は︑詩を科学に近づけ ようとした︒これは当然︑伝統的な中国 詩論とは異なります︒これがおそらく新 文学なるものの新しいところでしょう︒ 新文学も近代的な学問体系の構成部分の 一つでもあります︒この意味においてみ な 白 話 文 を 新 文 学 の 結 果 と し て 見 ま す が︑同時に近代的な中国語の学術言語自 体の大きな変化として︑さらに学術体系 自身の大きな

革命

としては見ていな いのではないかと思われます︒

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近代日本との相似   今回の鄭先生の梁宗岱をめぐる発表で 思い出したことのもう一つは︑実際同じ 漢字圏にある近代日本にも似たような議 論があったことです︒例えば︑私がかつ て研究したことのある西脇順三郎︵一八 九四

−一九八二︶の詩論です︒彼は日本 最初のノーベル文学賞の候補でした︒当 時 エ ズ ラ・ パ ウ ン ド︵

Ezra Pound, 1885‒1972

︶の推薦によるものでしたが︑翻訳 が少ないことで落選しました︒しかし夏 目 漱 石︵ 一 八 六 七

す︒残念ながらすぐれた学者でもある彼 に対してユニークな議論を展開していま にとっての

純粋

とは何かという問題 が あ り ま し た︒ 彼 も

純 詩

︑ 特 に 言 語 議論がありま し

19

して︑特に西洋のそれに対して深い理解 転換期あたり︑夏目漱石にも似たような 期です︒彼は洋の東西の文学と哲学に対 近代文学史において︑西脇より前の世紀   年代末のヨーロッパはモダニズムの全盛 実際︑私の発表にもあるように︑日本 彼はイギリスに留学していましたが二〇 思想も頻繁に登場しました︒ 似たような議論を行っています︒当時︑ 使命です︒彼の議論には中国文学︑中国 私は主張します︒彼は一九二〇年代末に 経験または純粋意識を作ることこそ詩の ば︑彼こそが近代日本屈指の詩学家だと となります︒西脇順三郎によれば︑純粋 −一 九 一 六 ︶ を 除 け 換 え れ ば︑

純 粋 意 識

を 生 産 さ せ る 詩 のお皿に/安らかに眠っている

と言い し

全身やけどをした魚が︑蒼白な︑朝 る

と は︑

経 験 的 意 識

で す が︑ し か う︒ 例 え ば︑

白 い お 皿 に 焼 き 魚 が あ すが︑彼の概念を私なりに説明しましょ 粋経験

に分けました︒やや乱暴な例で 験的意識

純粋的意識

または

純 頻繁に言及しています︒彼は意識を

mechanism

リ ー の 詩 の の 問 題 は 西 脇 も いようです︒鄭先生が言及されたヴァレ 世界においてあまり取り上げられていな の詩論は︑今日の日本のアカデミズムの

︿

た ︒日本の明治三︑四〇 年代において近代的な

文学

を含む新 しい知的体系が日本に確立され︑それは 多かれ少なかれ中国知識人の議論をも引 き起こしたわけです︒私の議論はすこし 乱雑ですがここまでにしましょう︒時間 を取りすぎてたいへん失礼しました︒

モダニティと先端化

伊藤徳也   今日はほとんど何の準備もし ていなくて︑鄭先生の言われる

知識

経験

の関係については︑今日先ほ ど初めてうかがい︑ようやくわかったと いう次第で︑ほとんど適切なコメントを する能力はないのですが︑今日の鄭先生 と他の先生方のお話を聞いて︑私は周作 人の文化論︑モダニティ論の枠組みを思 い出しました︒周作人は︑イギリスのハ ヴロック・エリス︵

Henry Havelock Ellis,1859‒1939. 

性 心 理 学 で 有 名 な 文 明 批 評 家︶と同じように︑人類の精神上︑認知 上の活動領域に︑科学︑道徳︵エリスは

宗 教

︶︑ そ し て 芸 術 の 三 つ の 領 域 が あ る と 考 え て い ま し た︒ 三 つ は そ れ ぞ れ 真︑善︑美に対応します︒人類は真善美 こ の 三 つ の 価 値 を 追 求 し て︑ 科 学︑ 道 徳︑芸術の三つを発展・深化させてきま した︒その発展・深化の過程には︑鄭先

(13)

伊藤徳也[Ito Noriya] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生の言われる

経験

がミクロなところ で深く関わっているように思います︒

  もともと古典世界においては︑科学︑ 道 徳︑ 芸 術 は 明 確 に は 区 分 さ れ て お ら ず︑ 広 義 の 芸 術︵

ars

︶ と し て ほ ぼ 一 体 のものだったのですが︑近代以降││エ リスは

数学的ルネサンス以降

と言っ ていたと思いますが││︑この三つの領 域は次第に分化し︑それぞれが独立した 領域になっていきました︒このことをエ リ ス は

“modernization”

と 呼 び︑ 同 時 に そ れ は

“decadence”

で も あ っ た と 指 摘 し て い ま す︒ こ の 三 つ の 領 域 の

moder-nity

と い う の は︑ 周 作 人 に よ れ ば︑ 簡 単 に 言 え ば︑

X の た め の X

と い う 態 度 で あ り︑

X の た め の X

と い う 衝 動 だったということです︒有名なのは

芸 術のための芸術

です︒それは︑極めて 先端的で︑専門性の高い態度を表してい ます︒周作人は別にその種の先端性・専 門 性 こ そ が

modernity

だ と 直 接 言 っ た わ けではないんですが︑私は︑ほとんど同 じと言ったに等しいと思っています︒

  今日の話題︵

科学と玄学論争

︶の中 に︑科学批判のような態度に触れたもの があったと思います︒あれは結局のとこ ろ

科学のための科学

に対する批判で あ り︑ 反 発 だ っ た と 私 は 思 い ま す︒

科 学のための科学

は現代科学を推進する 動力・衝動の一つと言えると思います︒ 唯一の動力・衝動ではありませんが︑そ の一つであることは確かだと思います︒ この衝動を極端に推し進めるということ は︑俗世間や大衆はもちろん︑芸術や道 徳など他の領域からの要求も︑言わば無 視して︑それで︑科学の探究だけを徹底 させるということです︒だから︑先端科 学自体は必ず発展するはずです︒そうい う意味では︑文学も同じだし︑芸術も同 じ と 思 い ま す︒

芸 術 の た め の 芸 術

は 俗 世 間 や 科 学 や 道 徳 を︑ 言 わ ば 無 視 し て︑先端的な芸術表現を追究する芸術至 上主義です︒

部分の全体化と経験

  周作人とイギリスのエリスは︑そうし た 趨 勢 を

頽 廃

decadence”

と 呼 び ま し た︒そのような

頽廃

はもちろん一般 的な意味での

頽廃

ではなく︑広義の

頽 廃

で す︒ 言 い 換 え れ ば そ れ は

部 分 の 全 体 化

で す︒

部 分 の 全 体 化

と は何かというと︑審美関係の中の一つの 状況 で

20

︿

す ︒審美主体と審美対象との間の 関係において︑審美主体が︑ある一つの 審美対象を認識する︵見る︑聞く︶時︑ その中の一部分にだけ快感を感じたり︑ 執着したり︑あるいはその一部分を味わ う だ け で 満 足 す る と い う こ と が あ り ま す︒例えば︑小説などの物語には︑設定 やストーリーや語り口など様々な要素が ありますが︑その中のある一人の登場人

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物︵キャラクター︶にだけ強い魅力を感 じ︑他の要素はそのキャラクターを活か す道具立てにすぎない︑と考えるような 事態です︒そういう審美主体にとって︑ そ の 一 部 分︵ こ の 場 合 一 人 の キ ャ ラ ク ター︶は言わば独立した一つの審美対象 になっています︒その審美主体は︑元来 の審美対象︵この場合作品全体︶の

部 分

にすぎない一人のキャラクターを︑ もう一つ別の新しい審美対象の

全体

にしているようなものです︒言わば審美 主体が審美対象の部分を全体化している のです︒エリスはそれを部分が全体を支 配している状態だと捉えました︒

  このような審美関係は︑実はさらなる 運 動 を 引 き 起 こ す 可 能 性 を も っ て い ま す︒なぜなら︑一つの審美対象が設定さ れた瞬間に︑全体と部分が存在し︑その うちの部分はやがて独立してまた別の全 体となりうるからです︒この

部分の全 体化

の衝動・趨勢は︑審美主体の視野 を徐々に狭めていく方向に働きます︒な ぜならその運動は︑審美主体が全体から 部分へと焦点を絞っていく運動だからで す︒そうなると︑主体の対象に対する認 識は︑結果的にどんどん細かく︑精緻な ものになっていきます︒その結果︑当該 領域の専門化・先端化が進むはずです︒   先 ほ ど︑

科 学 の た め の 科 学

を 推 し 進 め れ ば 科 学 は 発 展 す る と 言 い ま し た が︑実は︑その現実的な発展過程のミク ロなところでは︑鄭先生の言われる

経 験

が必ず介在しているはずです︒その ような

経験

があれば︑ 一種の

modern-ization

の進行が着実なものとなり︑現実 化されるのだと思います︒

平淡な自然

  周作人の文学経験ですが︑午前中にお 話ししたとおり︑彼の書く詩の傾向は変 化していきました︒白話詩から旧体詩へ と変化していきました︒彼の散文も同じ です︒もとは分析的に細かいことを書く 平易な白話文でしたが︑徐々に︑引用の 多い︑多くの古文を引用した︑非常に︑ 何と言うか︑読むのに非常に骨が折れる 文体になっていきました︒彼のこの種の 発展というか進展は︑私は︑一つの文学 の

経験

化と言えるのではないかと思 います︒このような過程は︑中国文学史 上の近代化の一つの脈絡として存在する のではないかと思います︒   先 ほ ど 何 人 か の 先 生 が

純 詩

と か

純 粋 な 詩

と い う こ と を 提 起 さ れ ま し た︒

純 詩

と い う の は︑ そ れ は 一 種 の

詩 の た め の 詩

と 言 っ て よ い と 思 い ま す︒それは︑他に何の目的もない︑ある いは目的が詩自身であるというような詩 です︒他の目的がない詩です︒周作人の 文 章 作 法 に お い て︑ 最 高 の 境 地 は︑

平 淡自然

でした︒

平淡自然

と言うと︑ まるでずっと古くからある伝統的なもの であって︑彼が復古的なことを主張した かのようにも聞こえます︒しかし︑私の 理解によれば︑その

平淡自然

とは︑ つまり純粋な文章︑純粋な散文の一つの 状態です︒他に何の目的もない︑社会的 な あ る い は 文 学 以 外 の 目 的 が 完 全 に な い︑ そ う い う 文 章 で す︒ そ れ は つ ま り

文 章 の た め の 文 章

で す︒ そ れ が︑ 彼 にとっての文章の最高の境地でした︒そ れがつまりは

平淡自然

ということで

(15)

石井 剛[Ishii Tsuyoshi] ・・・・・・・・・・・・・・・・・

す︒ つ ま り︑ 周 作 人 に お け る

平 淡 自 然

の追求は︑伝統の継承の意味もあっ たかもしれませんが︑彼にとってそれは 同 時 に︑ 言 わ ば︑ あ る 種 の

modern ization

の 追 求 で あ り︑ 専 門 化・ 先 端 化 の 追 求 だったんですね︒そして︑それを追求し た彼の経験は︑中国文学のモダニティを 現実的な表現形式として定着させていこ うとする過程だったと言えるように思い ます︒彼が実際に書いた文章の多くは︑ 彼が自覚していたとおり︑実は

平淡自 然

からかけ離れたものだったのですけ れど⁝⁝︒私がお話ししたかったのはこ んなところです︒ 鄭   実は今日︑十年前に東京大学ですで に お 会 い し て い た 方 に 再 会 し た の で す が︑今日お会いした時には二人ともその ことを忘れておりまして︑先ほどその方 がパソコンの中から二〇〇八年に私が東 大の哲学センターの会議のアジェンダに 参加した際の写真を発見し︑見せてくれ ました︒私のパネルの司会と進行を務め てくださっていたのに︑忘れてしまって いたんですね︑それで先ほどそのことを 二人ともやっと認識しまして︒そんなわ けで︑まずはその十年前から面識のあっ た︑石井剛先生にご発言をお願いしたい と 思 い ま す︒ こ こ か ら は︑ お 一 人 お 二 人︑だいたい三分から五分程度の発言を いただいて︑今日の議題に寄与いただけ ればと思います︒

知識の身体化

石井剛   私はどうやら十年前にいちど︑ 鄭先生に

暴力

を施したようなのです が︑ そ の こ と を 今 日 ま た 思 い 出 し ま し

21

︿

た ︒そして今回は私が鄭先生から

暴 力

を振るわれるようになったというこ とですね︒   四名の先生方のお話はいずれもすばら しいものばかりでした︒今日は私はすべ てにおいて勉強させていただくというつ もりでこの会に参加させていただいたに すぎません︒それにもかかわらず︑思い がけずこうしてご指名いただいて︑何を 申 し 上 げ ら れ る の か 自 信 が な い の で す が︒   お話を聞いていてずっと考えていたの ですが︑伊藤先生が最後におっしゃられ たのは︑ 周作人における

純粋な散文

︑ それは平淡な自然とでも言うのでしょう か︑これはたいへんおもしろいと思いま す︒ し か し そ れ で も よ く わ か ら な い の は︑それと経験との関係です︒知識はい かにして経験になるのでしょうか︒平淡 な自然のエクリチュールというのは純粋 な経験であるのか︑それとも何か別のこ と な の で し ょ う か︒

経 験

と い う 言 葉 に つ い て︑ ち ょ っ と 恥 ず か し い の で す が︑鄭先生が知識が経験になるというこ とについてお話しなさっていた時に私が

(16)

・・・・・・・・・・・・・・ 橋本 悟[Hashimoto Satoru]

思い出したのは︑毛沢東の

実践論

で した︒つまり︑私たちは新しい知識を把 握したあと︑それを実践へと応用すべき だというものです︒もちろん︑そこで言 われていた経験とか実践とかというのは 革命に奉仕するものだったわけですが︒ しかし︑経験や実践というのは︑知識の 身 体 化 と い う こ と に 関 わ っ て い る わ け で︑経験というのはやはり身体性といっ しょに考えるべきだと思われるのです︒ もしそれが︑ある種の平淡な自然だとい うのなら︑いったいそれはどのような境 地なのでしょうか︒もしかすると私はあ らぬ方向に考えが逸脱しかけているのか もしれません︒しかし︑もう少しここか ら考えてみると︑やはり儒家思想のこと に 思 い 至 っ て し ま う わ け で す︒ つ ま り

の 問 題 で す︒ 知 識 の 経 験 化 と い う ことを︑中国哲学︑特に儒家的な伝統か ら言おうとすれば︑おそらく

の体 得 と い う こ と に な る の だ と 思 い ま す︒

を 体 得 す る と い う の は 知 性 の レ ベ ルではなく︑ある種の身体的なレベルに おいてでしょう︒知的に理解しているか どうかというよりも︑ひとりでに身体が 動く︑というような︒いろいろとごちゃ ごちゃした考えがうまくまとまらないの ですが︑そんなことをとりとめもなく考 えていました︒

世界との連関を再構築する

橋 本 悟   皆 さ ん の 議 論 を う か が い な が ら︑ずっと第一パネルの鄭先生の発表に 立 ち 戻 っ て 考 え て い ま し た︒ ポ ー ル・ ヴァレリーの詩と文学に関する議論の背 後には︑つねに

精神の危機

というひ と つ の 問 題 意 識 が あ っ た と 思 い ま す︒ ヴァレリーが︑第一次大戦終結直後の一 九一九年に発表したエッセイ

精神の危 機

La Crise de l’esprit

︶ に お い て 診 断 し た ヨ ー ロ ッ パ 文 明 の 没 落 と い う 状 況 は︑近代東アジアの状況にも響くものが あったのではないでしょうか︒そこで私 が問いたいのは︑なぜ章炳麟は中華文明 の没落に直面して

へ立ち戻ったの か︑なぜ周作人は日中戦争期︑まさに民 族存亡の危機においてやはり

漢文

な いし

という媒質へと立ち返ったの か と い う 問 題 で す︒ 私 た ち は︑ そ の

の 物 質 性 に つ い て 再 考 し て み る 必 要があるように思います︒王先生が今日 の午前︑コメントのなかで詩について論 じ た 際︑

poiesis

の 原 義 で あ る

製 作

に 言及されました︒つまり︑物質を用いた 製作︑物質にある種のパターン︑すなわ ち

を与える製作行為をとおして︑ 人と世界との関係ないし連関を再構築す るということです︒それは︑生活空間の 自明性や価値の根拠が失われる危機的な 歴史的状況下において︑文ないし文学が 発揮しうる力だと思います︒

(17)

批評と翻訳の行為をとおして   しかし文学のもつこうした根源的な力 と︑先ほど話題に出た

学科

として制 度化された文学とのあいだには︑やはり 距離があるように思います︒そこで私た ちは︑ベンヤミン︑あるいは彼が論じた ドイツロマン派における

批評

という 問題に立ち返ることができるのではない でしょうか︒ベンヤミンにとって︑批評 とはロマン派が詩に見出した

絶対的形 式

に至るために必要な迂回路であり︑ それは

翻訳者の使命

において語られ た︑

純 粋 言 語

pure language

︶ に 憧 れ る

翻 訳

と い う 問 題 に も つ な が り ま す︒ですからあえていえば︑私たちの学 科化された

文学

という言説も︑そう したある種の批評ないし翻訳の行為であ るはずで︑それをとおしてのみ︑私たち は当時の文人たちが

精神の危機

にお いていかなる

を製作し︑あらたに 人と世界の関係を再構築しようとしてい たのかという現場に迫ることができるの ではないでしょうか︒ 津 守 陽   私 も あ ま り う ま く 考 え が ま と まっていません︒自分が骨の髄から文学 をやっている人間だなと︑こういう場所 では思わざるを得なくて︑どうしても理 論面での弱さを感じるわけですが︒ただ 違うルートを辿りながらも︑今日の議論 と ご 報 告 を う か が い な が ら︑ 最 終 的 に は︑ 私 自 身 の な か で︑ 橋 本 さ ん が お っ しゃったのと似通った考えが浮かんでい ました︒それはやはり文︵字︶と文学の 持 つ 力 に つ い て で す︒ で は ど の よ う な ルートを辿って思い至ったかと言います と︑今日のお話のなかで︑特に一番はじ めの鄭先生のご報告の中にあった︑時計 の振り子のイメージが非常に印象的で︑ ずっと頭の中に残っているわけです︒あ る種の両極端の間をゆっくりと揺れ動き ながら︑その間の過程で多くのものを生 み 出 し て い く︑ そ う い っ た イ メ ー ジ で す︒その大きな振り子が︑ずっと頭の中 で揺れ続けている︒   ではどういった二つの︑両極端のもの の間で︑その振り子が揺れているのかと いうと︑一つは人間における相互理解の 困難さ︑一種の断絶であり︑もう一つが 偶然の接触が放つ︑まるで瞬間的に起こ る化学反応のような輝きです︒どうして そんなイメージが浮かんできたかという と︑本日の報告の中に科学と文学との関 わりに触れたものが少なからずあったか らです︒そして科学と文学との関わりと いった時に︑まず私が連想した存在とし て︑自分自身の関心の対象である沈従文 ︵ 一 九 〇 二

本の詩人の宮沢賢治︵一八九六 −一 九 八 八 ︶ と︑ そ れ か ら 日

−一九三

三︶がありました︒

断絶と連結の往還

  私は個人的にも宮沢賢治の詩と文学が 好きですし︑非常に力を持った作品群だ と思っていますが︑ここでは彼の置かれ ていた状況がたいへん興味深いと感じて います︒彼はもちろん才能溢れる文学者 であり詩人でしたが︑生前は基本的に日 本 の 文 壇 に お い て 広 く 知 ら れ て い な い か︑あるいは忘れられた存在でした︒死 後になってようやく︑こんなにもすぐれ た詩人︑文学者がいて︑ほとんど孤独に

(18)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・津守 陽[Tsumori Aki]

その生命を終えたことが広く知られるよ うになったわけです︒しかし別にそれが 特別だと言いたいわけではありません︒ むしろ注目したいのは︑彼は専門が農学 ですから︑科学者であったわけですが︑ その自身の専門とはやや離れた詩や文学 創作の世界で︑それでいて同時に︑文学 の当時の主流︑首都の文壇ともやはり離 れたところに身を置く中で︑非常に独特 な作品を生み出していった︑というとこ ろに面白さを覚えます︒

  私が研究している沈従文との共通性を 感じるのもそこです︒宮沢賢治はもちろ ん農学を学ぶにあたって︑体制として作 り上げられた当時の正規の学問系統の教 育を受けたエリートでしたし︑沈従文に しても︑別に完全に近代における学問の 体制化︑体系化の影響を受けなかったわ けではありません︒しかし同時に彼らの 文学は︑当時においてはかなり中央から 断絶された︑辺境と言える場所に身を置 かなければ︑きっとあんなかたちでは生 まれてこなかっただろうし︑その不思議 な想像力が彼らの文学を成立させている 大きな要因になっています︒そこが非常 に面白いと思うのです︒彼らは確かにあ る場所︑発源地となる場所から伝わって きたモダニティの余波︑遠くから水面を 伝わってきた波紋のような動きを受け止 め て︑ 彼 ら の 文 学 的 契 機 を 得 て い ま す が︑常に中心的なものとの断絶や相互不 理解をうちに抱え込み︑それとの対峙の 中 か ら よ り 大 き な 文 学 的 契 機 を 得 て い る︒この断絶と連結︑孤独と共感の間を 揺 れ 動 き な が ら 生 み 出 さ れ た も の た ち を︑私はあらためて美しいと感じます︒

  この化学的な反応︑奇想天外な想像力 に触れたついでに︑もう一つおかしな思 いつきを付け加えさせてください︒今日 潘少瑜先生が話された宇宙旅行の物語の 中 で︑

七 星 遊

と い う 小 説 の 中 の 想 像 力が︑日本のサブカルチャーの中の奇妙 な想像力を連想させました︒確か︑木星 は沢山木が生えていて︑金星は金属を好 むのでしたでしょうか︒ 潘少瑜   沢山の黄金に恵まれているけれ ど︑黄金が嫌いなんです︒ 津守   そうでした︒それで︑こういう名 前から気ままな想像力を働かせるやり方 が︑ 現 在 の 日 本 に 溢 れ て い る サ ブ カ ル チャー︵例えば擬人化ものなど︶の中の 想像力と似ているなと感じて︑興味を惹 かれました︒つまりこの両者の間には一 世紀もの時間の距離があって︑その間に は何ら直接の関係はないわけですが︑人 の想像力のこの奇妙な力の働き方という のは︑時々こんなふうに偶然の接触をし て︑それが時には私たちに力を与えてく れる︑というのが今日の議論を経て頭に 浮かんできた︑とりとめのない私の考え です︒

(19)

鄭   会場には博士や修士課程の学生も参 加していますね︒最後に学生からの意見 を聞いてみたいと思います︒

物質としての人間と危機感

張政傑   今日の座談会で色々な知的な刺 激を受けて︑ここで自分の感想をシェア したいです︒先ほど鄭毓瑜先生の言及し た知識と経験との関係についてですが︑ 私にとっては︑何といったらよいでしょ うか︑文学は経験されるものですね︒そ して︑経験する過程があるはずです︒こ の領域については門外漢ですけれども︑ 私は学生運動の文学化について研究して いますので︑生命の経験︑あるいは思想 を文学にする際︑ある種の転換過程が必 要となります︒その経験化の過程︑思想 を文学にする過程が︑私の探究したいと ころです︒先ほどの先生たちの議論によ ると︑それは近代以降︑よく焦点を当て られる問題です︒では︑なぜ人間はそん なに大きな危機に直面したのか︑危機は どこから来たかと言いますと︑物質性の 問題が出てきたのです︒潘少瑜先生のご 報告の中でも︑一つの神秘的な惑星の話 が 出 て き ま す︒ 存 在 し な い 星 の 話 で す ね︒その惑星を例として考えましょう︒ 天体物理学という領域では︑星などの天 体を直接観測するのは非常に難しいこと で︑膨大な経費と時間がかかります︒だ からまず︑物理学の理論によって天体の 存在を確認し︑そしてその位置とサイズ などを計算するのが一般的な研究方法で す︒もし︑物理的な法則が予測できるな ら︑身体性と物質性のある人間も予測で きるものとなります︒では︑私たちは一 体どのような存在なのか︒一般には︑文 学的言語によって自分自身を説明してい ますけれども︑もしそれに数学の計算が 取って代わることができるなら︑人間と いう存在は危機に晒されています︒した がって︑ある種の新しい文学をあらため て構築しなければならなくなるのではな いでしょうか︒バフチンも言うように︑ 文学ジャンルというのは︑人間の生活を 叙述するために創造されたものです︒た だ反映するだけでなく︑物事の特性を抽 出して表現するのですね︒それはそもそ も感知し得なかったもので︑叙述を通じ てその特性は何なのかということがはじ めて理解できるようになります︒それも ある種の経験化ではないでしょうか︒し かし︑近代以降︑物理の法則や数学の計 算などによって取って代わられたように 感 じ ま す︒ で す の で︑

へ の 強 い 危 機感は︑そこから生じたのかもしれませ ん︒また一方で︑今日の発表と議論の中 で︑異なる文化の間︑華夷の間に関する 研究︑あるいは︑広東語という方言によ る表現︑宇宙旅行を想像する文学など︑ 文学から越境的に論じられる研究がたく さんあります︒私の考えでは︑そのよう な危機感に対応する方法の一つではない かと思います︒ここまで︑知的な刺激を たくさんいただいて︑本当にありがたい です︒ 黄英哲   張さんの学部時代の専攻は物理 学で︑後に文学専攻に変わりました︒科 学と文学との関連性について︑自分なり のお考えをもう少し話していただけませ んか︒

参照

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