史料目録 第83集
尾張国名古屋元材木町犬山屋神戸家文書 (その3)
平成19年3月
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
国文学研究資料館
調査収集事業部
史料目録 第83集
尾張国名古屋元材木町犬山屋神戸家文書 (その3)
写真1(い583−2)明治27年 尾西鉄道株式会社加盟申込証書
写真3(い418)安政6年
写真2(い583−5)明治27年
私設鉄道株式会社発起認可及鉄道施設申請書
写真4(い398)正徳5年
写真5(い592−10−5)明治25年
大高源兵衛新田延滞掟米請求事件判決書.
写真6(い592−14)明治25年
大高源兵衛新田延滞掟米請求事件懸盤弁論調書
写真7(い535)元禄8年 江戸下船町屋敷家守請状
凡 例
本目録は、『史料目録』第83集「尾張国名古屋元材木町犬山屋神戸家文書(その3)」として同文 書のうち主として書付型史料の一部を収めた。
一 解題は、犬山屋神戸家全体の解題と、サブ・フォンドごとの解題からなっている。後者の解題は 各大項目の冒頭に分かれて掲載されている。
史料は、史料群全体の構造を表現することができるように配列した。すなわち、史料群を発生さ せた神戸家内部の組織のあり方に留意し、史料群の内部構造を復元しようとする形で、大・中・小 の項目を立てて編成・配列した。
小項目のなかの史料の配列は、年代順と史料番号順を適宜併用した。一括史料で、分割して掲載 する事が不適当な場合には、史料の物理的配列の順に従ったものもある。年欠文書は、それぞれの 小項目の末尾に配列した。なお、*印は史料を目録上に重出させたことを示す。
一 史料目録の記載欄は、①表題および作成者・差出人・宛名、②作成年月日、③形態・数量、④整 理番号の順である。
一 表題は冊子型も書付型も原表題をとり、表題のないものについては()で仮表題や内容を示し
た。
一 作成年月日は和年号で示し、干支のみの場合はそれを採録した。推定の場合は()で示した。
そのほかに()を用いて内容年代を記入した場合もある。
一 形態は以下のように示した。冊子型史料では、竪半(半紙竪折判)、竪美(美濃霜折判)、横長半 (半紙横折判)、横長美(美濃横折判)、横半半(半紙半載横長判)、横美半(美濃半載横長半)など の略称によって原書の大概を示すに止めた。また、()内に綴じ方も表記した。書付型史料は、
竪紙・折紙・切紙・竪切紙・横切紙・竪継紙・横切継紙・小切紙などと表記した。また、絵図類は 縦横の寸法をセンチメートル単位で示した。
解題中の文献引用については、〔〕に著者・刊行年などを記した。論文名・書名等は15頁の参 考文献リストを参照されたい。
総 目 次
口 絵 凡 例 総目次
尾張国名古屋元材木町犬山屋神戸家文書目録(その三)本文細目次 ………・……・…・………… 1
全体解題 ・……・…………・・…… ………… ……… ● ……… …●……..………… …… 7
1 犬山屋神戸家文書の伝来と整理の方針 ・・………・……・…………・・…・・………・ 7
2 犬山屋神戸家の歴史 ……・…………・………・……・…・………・・…………・……・… 8
3 犬山屋神戸家の組織と文書群の階層構造………・・…………・・……・………・・………・・13
目録本文 ・・………・………・・………・……・……・……・………・……・….__..____.._..1g 神戸家・勘定場 ・……・…………・…………・・……・…・………・………・……… 19
家・……・………・・…………・……・…・………・・………・……・…・…………69
新田支配人(庄屋) …・…………・…………・……・・…………・……・・…・……・………・…・……… 83
大宝前(神戸)新田 ・……・…………・・………・………・…・…………・…・…・…・…………・……… 85
四郎兵衛新田 ………・…・・…………・…………・………・………133
飛島新田古台分 ・・………・………・…・・…・・………・………141
服岡新田下之郷 ・……・…………・………・・………・……・………・…・…・・………・………145
海部郡の新田 ・……・…………・……・・…………・・………・………・……・………・…・………149
愛知郡の新田 ………・…・……・・………・………・……・……・……・…・………・……・………155
大高源兵衛新田 ・・………・……・…・………・……・・…………・………173
知多郡の新田 …・……・………・・……・…………・…・……・………・…・……・………・………179
三重県の新田 …・・………・・……・…………・・…………・……・…・…・…………・………・・……・181
領主御用 …・……・………・…………・…・…・・………・………・…183
踏車木町 ・…………・……・……・・…………・……・………・…・…・……・………・…………・…・…・…187
江戸町屋敷経営(神戸彦七・家守来家太七) ………・…・…………・…・……・…・………189 御園町中嶋屋半右衛門・永田善次郎 ・・………・……・…・………・・…・………・………lg5
尾張国名古屋莞二二晶晶置欝i薄芦蒙文書目録(その三)本文細目次
神戸家・勘定場 ……・…・………・…・…・・… 19
経営全体 ……・………・…・…,……・……・20
金出入改 ・………・………・……… 20
金出入帳 ………・・…・……… 20
諸帳簿 ………・…・・……… 20
奉公人・雇人 ・………・・……… 20
仕切状 ……・…・………・……… 21
売渡証文等 ……・…………・…………・21
その他の書付型史料 ………・・…・21
金融 ・・………・………・………・・… 22
個別金融 ・・………・……… 22
領主金融 ・……・…………・……… 23
成瀬大和守 ………・………・・………23
成瀬修理 ………・……・…・………… 25
飯川三郎左衛門 ・…・………・… 25
その他 ……・…・………・…・…・… … 26
裁判 ……・…・………・………・…・・.26
その他 ………・………・・……… 26
材木取引 ・……・…………・……… 27
地主経営全体 ・…・………・………… 27
書類草案 …・・………・……… 27
新田不明 …・………・・……… 28
・公儀との関係 ・……・…………・………… 29
触書等 …・・………・……… 29
連絡 ………・…・……・29
御用金・貸上金 ………・………・・…… 30
企業出資 ・・………・……・・………・33
海島銀行 ・…・・……・・……・…∴……・… 33
蟹江銀行 ・………・…・……… 34
設立 ………・…・……・……… 34
監査役 …………・……・・…・・.・……… 34
増資 …………一∴…・…・一………・・34
総会 ・・………・・……・・……… 35
営業報告書 …・・………・………35
株式 …・………・・…・…・…・……・35
株券名義付替 ・…・………・…… 35
神戸仲雄関係 ・………・………・…… 36
借入 ・……・…………・……… 36
その他 ・……・…………・……… 36
尾西鉄道株式会社 …・……・………・… 37
設立 ………・・…・……… 37
規則 …・・………・……… 38
報告書 …………・…・…・……… 38
総会 …………・……・・……… 39
株式 …・………・・……… 39
その他 …・…………・…・……… 41
丸三麦酒 ………・………・・……… 41
設立 ………・・∴……・・……… 41
報告書 ……・………・…・……… 42
総会 ・…・………・………一・…・・42 株式 ………・……・…・……… 42
その他 ・・………・・………・.……・44
名古屋町屋敷経営 ………・………・・…… 44
借家入用ほか ………・・………・……… 44
家賃請取 ・…・………・……… 44
収支書上 ・…・………・……… 44
証文類 …………・・……・……… 44
元材木町 …・……・………・………… 44
しょうまんじ 正当寺町 …………・…・…・………… 44
くるま 車町・………・…・……・……… 44
きょう .京町 …・・…・…・・……・……… 44
ひおき 日置屋敷 ………・…・……・………… 45
名古屋土地経営・・………・…・…… 45
こびき 木挽町 ………・・…・…・……・・…… 45
いずみ 和泉町 ……・………・…・……… 45
すえひろ 末広町 ………・………・…………・…… 47
えかわばた だいどころ 江川端町・台所町 ……… 47
東二葉町 ………・………・・……… 48
預金 ………・……・…・・…・………・… 49
駅逓局預金 ・………・…・………… 49
全般 …・………・・……… 49
領収通知書 ・………・………・……… 49
通帳調査二二達書 ・・………・50
登記済通知書 ・……・…………・…… 50
三井銀行 ・………・…………・… 51
第百三拾四品詞銀行 …・・………・52
預金通帳・小切手帳など ………… 52
貸越 ……・………・…・……… 52
びわじま 枇杷島銀行 ・………・…・………… 55
預金通帳・小切手帳など ………… 55
貸越 ……・…………・…………・…… 56
明治銀行 ……・………・…・……… 59
預金通帳・小切手帳など ………… 59
通知・規則など ・…・………・… 59
津島紡績株券担保差入 ……… 60
第一銀行 …・…・・…・・……・・…・……・… 60
通帳 ……・…………・・……… 60
当座約定 ・………・…・………… 60
当座勘定決算 …・・………・…… 61
関与団体 …………・…・…・……… 64
日本赤十字社 …・……・………・……… 64
社員認定 ………・・………・………… 64
画面金 …………・・……・……… 65
国家・県との関係 ・…・………・…… 66
貴族院議員互選 ・………・………・…… 66
拝借金 ………・……・………・…… 66
不明 ………・・………・… 67
家………・・…・…・・………・………69
一・件綴など …………・…・…・……… 69
御目見・身分引き立て等 ・…………・・69
安政6年転居 ・・………・…・・…・……… 70
江戸神戸再興一件 ………・・・… 70
丹羽郡稲置村屋敷(犬山) ………… 71
明治期木挽町止宿 ……… 71
その他 ・………・………・…………・…・・72
家計 ……・………・…・……… 73
冠婚葬祭ほか ・…・………・………… 73
道中入用・旅行費用 ………・・…・… 73
宗門改 ……・…………・・………・…・・74
講………・・………・……75
文化活動 ・………・・………・……・・75
和歌 ……・……・……・……… 75
漢詩 …・………・……・………・…・・76
その他 ・…・………・……… 76
教育 …・…………・…・………・・…・… 76
手習本 …・…………・…・…………・…・・76
その他 ・…………・……・……… 77
生命保険 ・………・………・……… 77
版本 …・………・………・・…・・… 78
伊勢暦 ・………・…・……… 78
武鑑 …・………・・…………・・……・79
その他 ・…………・……・……… 81
その他 ・………・・………・・…・81
新田支配人(庄屋) ・・…………・・・………・83
庄屋役 …・…………・…………・……・…・・83
おおたからまえ かんど 大宝前(神戸)新田 ・・………・…85
開発 ……・…………・………・… 86
願書 ……・………・…・…………・……・・86
資材購入 ・………・・……… 86
堤普請請負人源太夫出入一件 ……… 87
その他 …・……・………・……… 88
形成期普請 …・……・………・……… 89
享保8年普請 ・…・…………・………… 89
普請年代不明 ・……・…………・………… 89
掟米徴収 ………・…・・……… 89
納米目録 ……・・…………・……… 89
掟米受取 …・…………・…・……… 89
掟米計算 …………・……・・……… 90
掟米運搬 …・………・……・……… 90
経営費用 ・…………・……・……… 93
入用金授受 ・……・…………・………… 93
諸入用帳関連 ………・・………・……… 94
諸入用帳結付け書付袋 ……… 94
諸入用書付袋 …………・……・・………100
普請入用 ・…・………・………107
丁丁入用 ………・・…・………109
神事祭礼入用 ・…………・……・………109
代官関係入用 ・・………・………110
その他の入用 ・………・・………llO 経営記録 ・・………・………110
諸事用留・日記 ………・…・・……110
村方騒動 …・・………・………110
新田一元材木町間連絡 ………112
小作人 ………・…・……・…・…………・…・113
宗門改 …………・……・・………113
小屋・会所 ・………・・………113
通帳 …・…・…………・………・・…・113
郷蔵 …・………・……・・…・………・113
土地 ・・………・……・・…………・…113
田畑改名 …・…・…………・………113
耕地交換 ……・・…………・………113
売買 ・………・………・114
貸借 …・………・・……・…・………・115
水利・防水ほか ・…・………・………116
‡入 ・・・・・・・… 一・・・・・・・・・・・・・・・・… 。・・・・・・・・・・… 116 井領米 …・…一……・…・………118
堤……・…・………乙………118
通船 ・………・………・118
その他 ……・………・…・………118
公儀との関係 …………・…・…・………118
土地 ………・・…・……・………・…・118
平場・葭生場 …………・……・・………119
村況 ………・………・・……… 120
年貢 ・・………・……・…・………・121
平定 ・………・・………121
その他 …・・………・………124
言者そ斐 ・・・… …・・・・・・・・・・… …・・・・・・・・・・・・・・… 124 調達金 ………・・………・・…・……・……126
その他 ・…………・……・………126
地租 ………・…・……・…・…………・…・…127
県・郡との関係 ・………・・………127
開墾 …・・…………・…・…………・…・…127
道路修繕 …・………・・………128
土地台帳訂正 ………・………・・………129
地目更正 …・…………・………・…130
不明 ………・………・・………・………・・…130
し ろ べ え 四郎兵衛新田 …・………・・…………一133 全体 ………・…・……・………133
取得 ………・・…・…・…・…………・133
地主引継文書 …・……・………・…133
掟米徴収 ………・………・・…133
掟米運搬 …・……・………・………133
経営費用 ・………・………・………133
年貢・村入用負担 …………・……・・……134
菅平ほか ・……・…………・………134
その他 …・…・…………・………137
公儀との関係 ・…・・…・・………・…………137
争論・願書 ……・………・,……137
神戸外新田 …・………・……・………138
検地 ・………・…・……・・…………・138
その他 …・・………・………138
近代 …・………・……・………・・…・…138
とびしま ふるだいぶん 飛島新田古台分 ………141
経営費用 …・………・・………141
その他 …………・……・・……・……・…・141
地渡一件 ・・………・………142
願書等 …………・・……・……・……・…・142
近代一般 ………・………・・……・………・・143
飛島古堤廃却 ……・……・……・…………143
ふくおか しものこう 服岡新田下之郷 ・・…・・…・………・…………145
全体 ・……・…………・…………・……・・…145
掟米徴収 …………・・……・………・…・…・145
経営費用 ……・・…………・………145
土地 ・……・…・………・……・・…146
土地台帳訂正 …………・……・・………146
年貢・村入用負担 …・…・…………・……146
近代土地購入 ……・……・……・…………146
あ ま 海部郡の新田 ………・…・・…・・……・…149
なべぶた 鍋蓋新田 ・…・………・………149
願書・一件留 …・・………・…・…・・149
経営収支 ・・………・…・……・…・150
掟米運搬 ………・…・……・………150
じゅんおく 潤屋新田 ………・・…・………・…・・152
とりがんじ 鳥ヶ地新田 ………・・………・…・………・・152
さんとそとくりだし 三野外繰出新田 ………152
愛知郡の新田 ・・………・………155
ばけもの 化物新田 …・・……・・…・…・………156
土地取得 …………・・……・………156
共有地 ・・………・………156
堤防 ・……・…………・…………・……・・157
ざえもん き 紀左衛門新田(豊田村・呼続村) ……158
土地取得 ……・・………・………158
地所貸借 …………・・……・………159
堤敷地・葭生地交換 ………・………・・160
堤防 ・・……・………・・…・161
破堤 ・……・・………・……・…・162
はちざえもん 八左衛門新田(星崎村) ………163
土地取得 ・・……・・…・……・………163
開墾事件 ………163
田地変換 ………・……・…・…・…・……・165
堤防 ………・……・…・……・………・…・165
その他 ……・・…………・……・・……・…166
かさでら 笠寺村 ・………・・………・・………●166
字上烏山共有地 ・………・・……166
ちかま 千竈村 …………・……・・…・…………・…・169
全体 …・・………・………・…・……・169
土地取得 ………・……・・…・……・…・…170
おおたかげんべえ 大高源兵衛新田 ・………・………・・……・・1・・173 掟米徴収 ……・………・…・……・……・…・173
米納帳 ……・………・…9……・・………・173
経営費用 …………・・……・………173
入用金銀帳 …・………∴・…・…………173
その他 ……・…………・・……・・………・173
年貢・村入用 ………・……・……・173
年貢 ………・………・・……・………・…・173
作徳米計算 ………・………・……… 174
納米入用割賦 ・…・・………174
その他 …………・・……・………174
普請 ・…・………・………・…・……・…174
近代土地購入 ・………・・…………174
延滞掟米請求事件 ………・……・…・……177
知多郡の新田 ………・……・…・一・…・…・…179 なわさき 名和前新田 …・………・……・………179
諸事留帳ほか ………179
掟米徴収 ………・………・…・180
年貢 ………・…・・………・……・…・180
三重県の新田 …・…………・…・・………・…・181
いずみ 和泉新田 ……・……・……・…・…・……・…181
なかいずみ 中和泉新田 ・………・…・・……・……・181
領主御用 ………・………・・…・…………・…・183
借上金御用 …・……・・……・………・…・…183
御勝手御用達 ……・………・…・184
廿人役 ………・……・…・………・・………・184
その他 …………・…・…・・………・…・184
元材木町 …・……・………・……・………・…・187 町代 ・…・………・…・………・……・…187 江戸町屋敷経営(神戸彦七・家守来家太七) …189 家屋敷取得 …・・………・………189 家屋敷譲渡 ・………・・………190 寛保2年町弘メー件 …・…・・……・・…・…190 家守請状など ………・・………・…………191
書状 ・…………・……・…………・…・…・…191 江戸神戸再興一件 ……・・…………・……192 その他 ………・………・・……・・…………・192 御園町中嶋屋半右衛門・永田善次郎 ……195みその
有物勘定帳 …………・・……・…………195 指引目録・………・…・………195
尾張国名古屋二二木町犬山屋神戸家文書目録(その3)全体解題
収蔵:国文学研究資料館
かんど出 所:犬山屋神戸家 記料群記号:24P
史料群名称:尾張国名古屋三二木町犬山屋神戸家文書
年 代:1695(元禄8)年〜1928(昭和3)年(本目録収録分)
物的状態:(書架延長)30m、(数量)17,000件(推定)
(その1)収録分 3892件 (その2)収録分 2635件 本目録収録分 3234件
1、犬山屋神戸家文書の伝来と整理の方針
当館所蔵の神戸家文書は、1949(昭和24)年に第10代当主神戸分左衛門有文氏(当時名古屋市中区 木挽町、現丸の内一丁目)より文部省史料館に譲渡されたものである。神戸家文書は史料館で所蔵し ているものの他に、現在の神戸家にも伝来しており、木箱8、葛篭1、袋1、段ボール箱1の計11の 保管容器に収納されている。
聞き取りによれば、神戸家文書は太平洋戦争中に名古屋元材木町の本宅から海西郡十四山村神戸新 田の神戸家居宅に疎開のため移され、戦後そのまま新田宅に置かれていたものを、元材木町の本宅に 戻すことなく、直接東京の当館に輸送したとのことである。神戸家の新田宅は幕末から存在したもの と推定されるため、この伝来事情からすれば、幕末以来蓄積されてきた新田宅の文書との合体もしく は新田宅文書の混入の可能性が存在することになる。しかし、目録(その1)(その2)および本目 録に収録した史料の範囲では混入や合体を明確に示すような史料は見あたらないので、現在確認され ている神戸家文書は全て元詰木町(現中区丸の内一丁目)に近世以来伝来した文書と今の所は考えて よい。あるいは、新田宅が神戸家内部の組織体として元材木町の本宅とは相対的に独自に史料を授受 作成する主体としての性格を持っていなかった可能性も考えておいてよいのかもしれない。そうであ れば、文書の出所が空間的には分離していても、構造的には出所は単一と考えられるわけであるσい ずれにせよ、以下の解題における考察は、本文書群が元材木町神戸家という単一の出所であることを 前提として行われることとなる。
当館では、受け入れ以後、仮整理による出納カードで閲覧に供してきたが、冊子型史料の大半と関 連の書付型史料の一部は目録(その1)(その2)により閲覧請求が可能となっている。今回の目録 刊行にあたっても、目録(その1)(その2)と同様にこの仮整理の史料配列順、つまり現在の書庫 内での配列にしたがって、新たに整理番号を付与した。そのなかで、冊子の綴り、丁間史料、下げ紐 結付史料、冊子結付の束、袋・綴・束の史料の場合に枝番・孫番を多用した。
今回の整理作業においても、こよりを解いたり切断したりしなければ開披できない史料はそのまま 残している。これは原形保存の観点からそのようにしているのであり、閲覧請求があって初めて開披 するという方針にしている。従って、こうした史料については即日閲覧ができない場合もあることを
ご了解いただきたい。
次に、形態欄に丸括弧に挟んで示した綴じ方の表記について説明しておく。これは大藤二二が提唱 した名称に従い、一ツ綴・ニツ綴・三ツ目綴・下げ綴・下げニツ目綴・列血忌・鎖綴・ひねり綴など の名称を用いた〔大藤・安藤1986年、250頁〕。ただし、大藤氏が示した以外の綴じ方も神戸家文書中 には存在したため、下げ一ツ目綴・ニツ結・ニツひねり綴を仮称として新たに加えた。さらに、帳面 の背に綴じた上から紙片をかぶせている場合は、かぶせ、または角かぶせと表記している。
また、近代文書の形態については、近世文書の名称をそのまま準用することに疑問を感じたので以 下のようにした。まず、冊子形態のものについて近世文書の形態をそのまま使用しているものに関し てはこれを準用した。しかし、罫紙を使用した文書については、形態欄にはたんに「罫紙」もしくは
「『神戸氏蔵』用箋」などとのみ記し、数量欄の序数によって冊子・状の別を示した。近代になると印 刷技術を使用した文書が多くなる。形態欄にはそれも記した。まず、印刷様式に個別情報を手書きで 記入した文書についてはその形態欄に「印刷用紙」と記した。それに対し、手書きの記入のない印刷 された文字のみで機能が完結している文書については「印刷物」とした。なお「印刷用紙」としたも ののなかには個別情報が記入されていない未使用のものがあるが、その場合は表題欄に「(未使用用 紙)」と入れることにした。
さて、史料の整理・分類編成においては、史料群の有する階層構造を可能な限り追求することに努 めた。つまり、神戸家内部の組織体を明らかにし、その組織体ごとに大項目を設定して、それぞれの 組織体の機能に応じて中項目以下を編成した。このような整理の方針は〔大藤・安藤1986年〕、〔国文 学研究資料館史料館1988年〕、〔安藤1998年〕において展開されている議論を基本的には踏襲している ので、詳しくはこれらの文献を参照されたい。
2、犬山屋神戸家の歴史
最初に神戸家の歴史について述べる。適宜、表1「神戸家略歴」と16〜18頁に掲載した「神戸家系 図」および関連地図を参照して頂きたい。
かんべ
神戸家は本家の鵜飼屋神戸家の分家として1669(寛文9)年に名古屋元三木町で創業した。1823
(文政6)年における勘定場の一時的設置を伴いながら、現在まで存続し続けている。その活動内容 は、本家の営業である材木取引からはじまり、織物製品の売買にも従事するが、18世紀に入ると経営 活動は地主経営に傾斜し、1707(宝永4)・年に大宝前新田を開発し、新田地主経営を開始する。さら にその周辺の四郎兵衛新田・服岡新田・飛島新田・鍋蓋新田においても地主経営を行っていた。
大宝前(神戸)新田とその周辺の新田以外にも、神戸家は新田経営に関わっていた。1699(元禄12)
年には、江戸かいば町の商人伏見屋が1666(寛文6)年に開発した三州伏見屋新田を尾州茶屋新田の 坂野ほか2名が買い取るにあたり、神戸家はほか3名とともに資金を出資している。また、大宝前新
表1 神戸家略歴 (あ3476「初租ヨリ六代迄之記」中の「由緒書」を主とする)
西暦元号年月日 事 項
1669寛文0903 初代犬山屋文左衛門(犬山神戸弥兵衛次男)元材木町(当時清須田木町)で開業。
1695元禄08 江戸下船町に間口9間の町屋敷を取得。
1697 1012 借上金大分に差出し誉めを受ける。
1699 12 三州伏見屋新田に出資。
1700 1301 借上金裁許精出し、銀二枚下付。初代分左衛門侮三人の商人と共に借上金御用を勤める。
1712正徳021120 初代分左衛門病死。
1706宝永03 大高源兵衛新田の開発に出資。
1707 04 二代目犬山屋分左衛門、海西郡大宝前新田125町歩を開発、敷金として7811両余差上。
1723享保08 大宝前新田高潮により破堤し、45町歩に縮小。
1725 1012 父の代より「御金之支配」を勤め、近年も借上金御用出精につき年頭お目見得を許される。
1731 1612 三代目犬山羅文左衛門継目お目見得。
1740元文050908 二代目分左衛門病死。
1743寛保030417 三代目病死。
12 四代目犬山屋文左衛門継目お目見得。
1745延享2 大宝前新田、領主による検地 1766明和03 大宝前新田「宗門村立」となる。
1775安永0411 五代目犬山屋文左衛門継目お目見得。
1794寛政060810 四代目病死。
10 宗門改め町並御除自分一礼を認められる。
1801享和01 大宝前新田旧水没地に服岡新田・飛鳥新田を開発。
1802 0212 御勝手御用仰せ付けられる。その後病気により退役。
1811文化0804 六代目犬山屋文左衛門継目お目見得。
1815 1204 大宝前新田を神戸新田と改称。
1823文政06 勘定場成立か。
07 町奉行所ご用達就任。9月退役。
1829 120114 五代目病死。
1838天保0906 貧民へ施物につき金1両2分下付。
1841 1208 七代目神戸文左衛門米切手償却に協力。
12 七代目継目お目見得。
1842 1309 御勝手御用達、七人扶持。
1843 1401 御勝手御用達退役、扶持方引き揚げ。拍借家引当金300両上納は返還。
0821 六代目病死。
1849嘉永0201 町役金引当調達金御用向。
1853 0602 先祖以来の調達金差上切りとなる。
1855安政0207 上記につき色々拝領。
「講等他所商人共寄合筑引調達入講申勤方格別骨折」につき銀五枚下付。
1856 0311 町御役所御用達格につき纏・提灯使用許可。
1857 0405 町役所御用達格差し免。御勝手御用達につき肩衣着用許可。
12 借財引受申上につき「一代目年頭名披露御目見」。
1858 0502 一代限り苗字御免。
1859 0608 神戸新田への転宅願許可される。
1892明治250523 愛知郡大高源兵衛新田の小作人が滞納した掟米を請求した裁判の判決が出る。
このころ神戸家はたびたび名古屋木挽町二丁目(元山木町)への止宿願いを県に提出する。
1894明治2710 日本赤十字社正社員となる。
1896明治2901 蟹江銀行監査役に就任。
1896明治2906 尾西鉄道株式会社の設立に参画。
表2大宝前(神戸)新田村役人
西暦元号年月 庄屋 組頭
1720享保5 1747延享4 1767明和4 1774安永3 6 4月 7 8
三助 定助 重右衛門
唯助
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重右衛門・茂吉・藤三郎(庄屋・組頭の別不明)
平吉
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又蔵
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重右衛門
1803享和3旧正月 文化元 3 6 12
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平吉
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〃 〃 〃 〃 重右衛門
只治郎
喜蔵
1820文政3 重右衛門 只治(只二)
1831天保2 6 8 12 13 14 15 1845弘化2 1850嘉永3 4 5 1860安政7 1861万延2 1863文久3 4 1871明治4
〃
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綱蔵
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忠右衛門
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金左衛門
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金七 辰右衛門
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三右衛門
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忠蔵
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田開発の前年の1706(宝永3)年には愛知郡大高村庄屋源兵衛による源兵衛新田の開発にも出資して いる(地図1参照)。
このように神戸家は新田地主として近世社会に位置ついていくことになるのだが、そのほかに江戸 において町屋敷経営 をも行っていたことが重要である。神戸家は1695(元禄8)年以降江戸下船町 一丁目において町屋敷経営を行っていた。この経営は初代文左衛門安政の弟彦七(彦七郎)が担当し、
直接には家守躰来家太七が町屋敷の管理業務を行った。
なお、神戸家は名古屋城下町においても遅くとも1701(元禄14)年には町屋敷経営を行っていた。
それは、居住地の元価木町のほか、周辺の下材木町・正万寺町・五条町・小舟町など(目録(その2)
15頁地図2参照)のほか、城下町東端の町続き地である新出来町、あるいは城下町南端の大木戸外に ある古渡繁町などに存在し、これらも神戸家の重要な収入源となっていた。近代になっても名古屋で の土地経営は継続するが、近代になると旧武家地にも経営が展開するようになる。
町屋敷経営とは、近世都市の町方において、街路に面した短冊状の土地および家屋(町屋敷)をその所有者が店舗や長屋と して他者に貸与することによって収益を得ようとする行為のことである。
帥家守とは、町屋敷の所有者(家持)がそこに居住していない場合、その町屋敷を維持・管理する人のことである。神戸家は 名古屋に居住しているため江戸下舟町には管理人として来家太七を置いているのである。
以上のように神戸家の経営は、時期によって異なるものの、材木商・領主金融・地主経営・江戸町 屋敷経営・名古屋町屋敷経営と多岐に亙るが、大宝前新田に支配人を置き、新田会所を設置した以外 には、その内部に見るべき経営組織を持たないことが特徴的である。近世の代表的な商家である三井 家や、あるいは松代八田家は数種の営業を分担する例えば木綿店・呉服店といった内部組織を設立し、
それらを三井でいえば大元方、八田家で言えば内方といったような機関が統轄するという店制をとっ ていた。それに対して神戸家は、その経営の志向が商業経営の拡大に向かわず、新田地主と町屋敷経 営といういわば都市・農村の両方に跨る地主として存在したために、店制を組織することはなかった わけである。ただし、1823(文政6)年に元材木町の神戸家に「勘定場」という機関が成立する。も っとも、1823年以後に神戸家で作成される種々の経営帳簿の作成者は「勘定場」であるよりも、「神 戸文左衛門」あるいは「神戸」であることが多く、「勘定場」の職掌を明確にすることはできない。
一方、今回収録分の書状を見ると、安政期に勘定場橘(吉)蔵というあて先を持つ神戸新田からの書 状も多く、神戸新田と対比される元材木町勘定場の存在だけは明確である。
経営以外の神戸家の活動には、表1に見られるような様々な領主御用がある。借上金御用、御勝手 御用、町奉行所御用達などを勤めた。その活動に対応して、1725(享保10)年に年頭御目見得を許さ れ、以後代々家督相続の際には継目御目見得を行っているから、神戸家は尾張藩の御用商人としての 性格も持っていると言えよう。
そのほか、神戸家は居住町の元材木町においては、二代目の時に町代を勤めていた時期がある。ま た、「文左衛門組」というおそらくは五人組の組頭を勤めていたこともあった。
最後に神戸家の歴史と内部組織にかかわる事柄として重要と思われるのは、1859(安政6)年に元 材木町での営業を全て停止して神戸新田に転居し純粋な地主に転換する旨の願書を尾張藩に提出し、
認められていることである。今回収録分の書状から(ex.い418−10、29)からは実際に居住したこと
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が確認できる。おそらくはこれにより神戸家の新田宅が成立し、明治期の公式の神戸家の住所は神戸 新田になる。しかし、実際には依然として元払木町の居宅は存在しつづけるから、神戸家は幕末から 昭和20年代まで二つの居宅を持つこととなる。その関連か、1875〜1891(明治18〜24年)には名古屋 木挽町二丁目(近世の適材木町)への止宿願を度々提出している(い738−1)。第1節で述べた出所の 問題はこうした事情に起因するのである。
3、犬山屋神戸家の組織と文書群の階層構造
これまでの叙述から、神戸家の組織図をかなりの推測を交えつつ描いてみると図1のようになると 思われる。まず、元材木町の神戸家において経営全体を統轄していたことは言うまでもない。1823
(文政6)年以後明治期まで勘定場が存在することは確かであるが、前述のように勘定場の機能が不 明確なので、図のようにしておいた。以下経営開始の順に述べれば、1695(元禄8)年に江戸下舟町 での町屋敷経営が開始される。この営業部門を「神戸彦七・家守裏家太七」という名称にしておいた。
次に、1699(元禄12)年に三州伏見屋新田に出資し、1706(宝永3)年に大高源兵衛新田の開発に出 資する。この二つの新田については、中島半右衛門を通じて経営を行っている時期があるので、図1 のように描いておいた。最後に、1707(宝永4)年から始まる大宝前新田の経営は支配人=庄屋が行 い、かつ会所=小屋=庄屋場という組織も存在するため、「新田支配人(庄屋)」という役職を記して おいた。大宝前新田以外の周辺の新田の小作地経営にも支配人が関与していたから、それらの新田名 は新田支配人のもとにとりあえず附属させておいた。なお、経営以外の神戸家の諸活動は、当然元材 木町の神戸家で行われているから、この図には表現していない。また、新田宅も相対的に独自な組織
と判断できるかどうかは現段階ではわからないためこの図には表現していない。
以上の組織図をもとに、神戸家文書全体の文書群の構造を主要部分に限って図示すると、図2のよ うになる。まず、第一次構成基準(サブフォンド=組織)は、神戸家・勘定場、新田支配人(庄屋)、
江戸町屋敷経営(神戸彦七・家守立家太七)、三州伏見屋新田、大高源兵衛新田、家、領主御用、元 材木町の八つとなる。最初のサブフォンド「神戸家・勘定場」のなかは、さらに機能を基準として経 営全体、金融、材木取引、米取引、名古屋町屋敷経営、企業出資、などといった5つ以上のシリーズ
(機能)レベルに分けて考えることができる。二番目の「新田支配人(庄屋)」は、大宝前(神戸)新 田、四郎兵衛新田、飛島新田古台分、服岡新田下之郷、鍋蓋新田ほかといった五つ以上の二次的サブ フォンド(二次組織)に編成することが可能である。ここでは、その下にようやくシリーズレベルの 項目が現れる。それは、掟米徴収、経営費用などどいったものである。三番目の「江戸町屋敷経営」
以降のサブフォンドは、二次組織を持たず、直接にシリーズが付属することになる。
さて、通常の目録であれば以上の階層構造の説明により、各第一次構成基準がそのまま目録の大項 目に、シリーズレベルの名称がそのまま中項目・小項目の名称に適用しうるのであるが、しかし、こ の神戸家文書目録では史料群の階層構成がやや複雑である。印刷目録の項目としては大・中・小の三 つのレベルに平準化しなければならないため、決して同レベルとはいえない項目を大項目として横並 びに設定したことを御了解頂きたい。
図1 神戸家組織図
*〔〕は年代。
元材木町神戸家 ム:麟慧近代〕
新田支配人
(大宝前新田庄屋)
大宝前(神戸)新田〔1707〜農地改革〕
四郎兵衛新田〔1758〜〕
服岡新田下之郷〔1801〜〕
飛鳥新田古台分〔1801〜〕
鍋蓋新田ほか 神戸彦七・来家太七(江戸町屋敷経営)〔1695〜〕
(中島半右衛門)一一oを灘翻ll:;=i7。9〕
図2 文書群の構造
・神戸家・勘定場 経営全体 金融 材木取引 名古屋町屋敷経営 企業出資
新田支配人(庄屋) 大宝前(神戸)新田 四郎兵衛新田 服岡新田下之郷 飛鳥新田古台分 鍋蓋新田ほか 江戸町屋敷経営(神戸彦七・家守来家太七)
大高源兵衛新田 三州伏見屋新田
・家
元素木町 ム雰袋衛門組
以下、収録文書の詳細はサブフォンドごとの解題に譲りたい。
【参考文献】(著者の50音順)
安藤正人 『記録史料学と現代』(吉川弘文館、1998年)
飯島利夫・小杉正・中村一朗・三宅明彦・安井宮一編『神戸家文書 御用留』(十四山村教育委員会、
1992年)
大石慎三郎「町人請負新田の成立事情一神戸新田(大宝前新田)の場合一」(『史学雑誌』60−9、1951 年、のち同著『封建的土地所有の解体過程』御茶ノ水書房、1968年に収録)
大藤修・安藤正人『史料保存と文書館学』(吉川弘文館、1986年)
菊地利夫 「先進地型町人請負新田としての大宝前(神戸)新田の諸問題」(同著『続・新田開発』
事例編第十四章、古今書院、1986年)
作道洋太郎「取引・証文、経営・帳簿」(『日本古文書学講座』7 近世編H、雄山閣、1979年)
史料館編 『史料の整理と管理』岩波書店、1988年
所 三男 「運材中継基地としての犬山一木曽川運材史の一下一」(『徳川林制史研究所研究紀要』昭 和42年、1967年)
同 「近世初期商人による用材生産」(『徳川林制史研究所研究紀要』昭和45年、1970年)
同 『近世林業史の研究』(吉川弘文館、1980年)
水野 潔 「尾州商人神戸家の江戸町屋敷経営」(『法政史論』16、1988年)
新修名古屋旧史編集委員会編 『新修名古屋市史』4(名古屋市 1999年)
『角川日本地名大辞典23 愛知県』(角川書店、1991年、〔角川地名辞典〕と略記)
[付記] 本目録の編成と解題執筆は渡辺浩一が担当した。整理作業では坂本達彦氏・小酒井大悟氏 の協力を得た。記して感謝したい。