• 検索結果がありません。

田 村 隆 一 の 「 詩 と 詩 論 」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "田 村 隆 一 の 「 詩 と 詩 論 」"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

下 廣 日 向 田村隆一の「詩と詩論」

︱︱「坂に関する詩と詩論」を中心に ︱ ︱︱

一、はじめに

  田 村 隆 一 の 散 文 詩「 坂 に 関 す る 詩 と 詩 論 」 は、 「 荒 地 」 派 の 年 刊 ア ン ソ ロ ジ ー 第 一 集「 荒 地 詩 集 1 9 5 1」 ( 荒 地 出版社、昭

26・8)に収められ、田村の作品ページ冒頭に

掲げられながらも、 処女詩集 『四千の日と夜』 (東京創元社、 昭

れらには概ね賛同できるが、本作に三つのヴァリアントが 書 き 付 け た も の で あ る と の 読 み が 多 く な さ れ て い る 。 こ

ク な 衝 動 」 と い っ た 評 価 を 与 え ら れ、 田 村 の 詩 的 出 発 を

た作品」 「二十代にしか書き得ないような魂のパセティッ

か ら 離 れ て 坂 を の ぼ っ て ゆ く 構 成 か ら、 「 青 春 の 血 を 流 し を書かねばならぬ〉 意志の表明や、 〈私〉 が 〈もう一人の私〉 31・ 3) に は 収 め ら れ な か っ た。 こ の 経 緯 に 加 え、 〈 詩 二、 「詩と詩論」と「詩」 めて確認することが、本稿の目的である。 どまりがちであった本作の、田村の詩業における位置を改 に比較してみることで、多く言及されつつも印象批評にと 存 在 す る こ と は、 管 見 の 限 り 指 摘 が な い 。 こ れ ら を 詳 細

  三つのヴァリアントとは、まず初出「坂に関する詩と詩 論   一 九 四 六 年 秋 」( 「 純 粋 詩 」 昭

21・

「坂について」 (「新小説」昭 12、 以 下 A )、 再 出

22・6、以下B)

、再々出「坂 に関する詩と詩論」 (「荒地詩集1951」荒地出版社、昭

26・8、以下C)であり、先行論等に引用されるのはのち

に 現 代 詩 文 庫『 田 村 隆 一 詩 集 』( 思 潮 社、 昭

められたCが殆どである。AとBはどの単行本にも採られ 43・ 1) に 収

(2)

ていない。

  全 六 連 か ら な る A に は、 第 三 連 前 に〈

〉 の 印、 作 品 末 尾に 〈

詩 「坂について」 〉 との付記があって 「詩」 と 「詩論」 を い ち お う 分 け て い る が、 「 坂 に つ い て 」 が 第 三 連 か ら ど こ ま で を 指 す の か は 明 ら か に さ れ て い な い

。 こ の 第 三・ 四 ・ 五連と最終行が抜粋され、 「坂について」として発表さ れたのがBである。Cは再び全六連に戻るのだが、詩句は 細かく改変され、 「坂について」の付記と「一九四六年秋」 の副題は削除されている。つまり本作は、 「詩」と「詩論」 が中途半端に未分化の状態から、いったん「詩」のみ独立 し明確に分化されたうえで、再び統合されるという、複雑 な生い立ちを負っているのである。 この経緯や、 「詩と詩論」 という特殊な題を考えつつ詩を読み解いてみることで、本 作がどのようにのちの詩業に接続するのか、またしないの かを、今少し明確にすることができよう。なお本稿では述 べたような変化を重視したいため、 初出形のAを底本とし、 B・Cと比較してゆく形をとる。

  まずA・B・Cの異同を記した全文を掲載する。改行位 置 も 異 な る が、 散 文 詩 の 特 質 を 考 え て 改 行 記 号 は 省 略 し、 連ごとに改行して番号を付した。異同の生じている部分に 傍線を付し、 【B】 《C》として、底本と異なる場合のみ記 す。 「 ナ シ 」 は 詩 句 の 削 除 を 示 す が、 一 字 分 の 空 き に 傍 線 が付され直後に「ナシ」とある場合は、空きが削除され一 字 分 詰 め ら れ た こ と を 示 す。 な お 先 述 の 通 り、 第 一 ・ 二 連 すべてと第六連の一 ・ 二行目はBにはない。

1【 こ の 連 ナ シ 】〈

も う い ゝ 《 い い 》。 一 言 も 語 る な。 過 剰 ……

を 蹴 つ た。 「 石 の 中 に 私 の 眼 を!」   《 ナ シ 》 そ の 地 点 ま で き て、 お ま へ 《 え 》 は 石

《じ》こめて …… は 無 言 で 私 か ら 遠 ざ か る、 私 の 唯 一 の 孤 独 を 背 に 閉 ぢ ひ く や 《 よ 》 う な 薄 青 い 距 離 を つ く つ て、 お ま へ 《 え 》 呟く、 「振りか へ 《え》つたらそれまでだ」 水 脈 《 水 脈 》

水 脈 《 水 脈 》ひく や 《よ》うな薄青い時間の中で、私は

れとも生涯邂 ふ 《う》ことのない や 《よ》うに …… 《、 》 へ 《え》は黙つて歩きだす、再び邂 ふ 《う》ために、そ うだ、これで私の孤独も充分とい ふ 《う》ものだ。おま 私の生に躓くか。おま へ《え》 は私に背をむける。 さ《そ》   《 ナ シ 》 そ し て 誰 が   《。

》そこから坂がはじまつて ゐ 《い》 た。 〉 2【 こ の 連 ナ シ 】〈   秋 に な つ た。 も し 運 命 と い ふ 《 う 》 も の が 私 の 肉 体 の 裡 に し か 現 れ 《 現 わ れ 》 な い な ら ば、 私の精神の裡に喚起されるものは何か。 かゝ 《かか》 る時、 私 は 詩 を 書 か ね ば な ら ぬ。 詩 を 書 く こ と ︱︱ 《、 》 つ ま り肉体にとつて運命が確実な抵抗を意味するならば。 〉 3〈

/ 【 ナ シ 】《 ナ シ 》  表 象 【 ナ シ 】  …… だ が 【 …… だ が   】《 だ が 》 何 と い ふ 《 う 》 黄 昏   何 と い ふ 《 う 》

(3)

私 の 痕 跡   私 は 坂 を の ぼ る   極 限 【 極 限 】《

そ の 極 限 》 にまで ……   非望! 【……   非望 風

ママ

!】 《ナシ》   風は私 の衰 へ 《え》た額に翳を落とし   石の中に私の眼を   土 の 奥 底 に 私 の 耳 を 埋 め て …… 《 ナ シ 》  極 限 に ま で 《 そ の極限にまで!》   非望の風よ 《ナシ》   だから私は坂を のぼるのだ 。【ナシ】 《ナシ》 〉 4〈   灰色だな   この勾配は …… 《ナシ》   私は さういふ 《そ ういう》抵抗を欲する   壁なんかありやしない   どこま で も 青 磁 に 暮 れ て   そ の 夜 の 果 【 果 て 】《 果 て 》 ま で 坂 は つ ゞ 【 つ づ 】《 つ づ 》 く の だ   私 へ の 抵 抗   私 の た め の灰色の勾配は …… 《ナシ》 〉 5〈   坂 を の ぼ る   い ま は 一 心 に 風 に 堪 へ 《 え 》  抵 抗 を 瞶めて   坂をのぼる   振りか へ 《え》つたらそれまでだ

  私の痕跡よ   もう一人の私よ   ついて来い   何處まで も私について来い〉 6〈   私の半生に於ける唯一の絶望期に在つて

  《、

》私は 自我愛と自虐との両極を私の内奥に持つ。その中間を満 た し 得 る も の は 何 か、 何 者 で あ る か ……

  《。

》【 こ の 二 行 ナ シ 】 夜 が き た。 【 き た   】《 来 た。 》 お ま へ 《 え 》 に 坂が未だ見えるか!〉

  〈

詩「坂について」 【ナシ】 《ナシ》 〉

  「坂に関する詩と詩論」の第一

・ 二 ・ 六連が「詩論」 、第三 ・ 四 ・ 五連と第六連最終行が詩「坂について」 、ということに なる。こうしてみると、 ふたりの 〈私〉 の語りの交代が、 「詩」 と「詩論」の交代と対応しているのがわかる。まずは、ふ たりの〈私〉の輪郭をなぞってみようと思う。 三、精神と肉体   宮崎真素美氏は、 鮎川信夫の詩篇や評論に示された、 「彼 らの世代の暗澹たる共通項」 としての 「精神と肉体の問題」 を、 「 坂 に 関 す る 詩 と 詩 論 」 に も 見 て 取 り、 鮎 川 が 自 身 の 詩「 ア メ リ カ 」( 「 純 粋 詩 」 昭

食である。田村にとってはどうか。 く 干 渉 す る と い ふ こ と 」 と い っ た、 肉 体 に よ る 精 神 の 侵

いふこと、たとへば精神を苦しめるために、肉体が否応な 時代をとほして、いつも現実的な犠牲を強いられてきたと 鮎 川 に と っ て の「 精 神 と 肉 体 の 問 題 」 と は、 「 我 々 が 戦 争 精 神 と 肉 体 と い う 観 点 か ら〈 私 〉 の 在 り 方 を 見 て み よ う。 る鮎川の解釈を導いてもいる 。 これをとっかかりにして、

やり方から、坂を上る方に精神を、残る方に肉体を読み取 22・ 7) に 詩 句 を 引 用 し た

何か。かゝる時、私は詩を書かねばならぬ。詩を書くこ しか現れないならば、私の精神の裡に喚起されるものは   〈 秋 に な つ た。 も し 運 命 と い ふ も の が 私 の 肉 体 の 裡 に

(4)

と ︱︱ つまり肉体にとつて運命が確実な抵抗を意味する ならば。 〉(A第二連)

  こ の 連 の 解 釈 は 様 々 だ が、 「 肉 体 に 対 す る 運 命 の 抵 抗 が 喚 起 す る、 精 神 の ド ラ マ が 詩 で あ る 」( 山 本 捨 三 氏 )

と か「 「精神の裡に喚起されるもの」によって、 「肉体の裡に しか現れない」 ような運命に対する 「確実な抵抗」 を試みる」 (渋沢孝輔氏)

まっているように思われる。 神」に重きを置きすぎ、ここにある曖昧さを切り捨ててし

10

というようなパラフレーズは、 いささか 「精

  「荒地」同人のひとり、三好豊一郎の詩「囚人」

(三好編 集 の タ イ プ 印 刷 冊 子、 昭

20・ 4

  「 荒 地 」 昭

昭   について田村が書いた 「手紙 一九四六年早春」 (「新詩派」 22・ 9 再 録 )

多く現れ、自作解説のような体をなす。 21・ 3) は、 「 坂 に 関 す る 詩 と 詩 論 」 と 共 通 す る 語 彙 が

  僕が「囚人」を読んで、これでは、もう僕に詩は容易 につくれぬと 観

ママ

じた「憎悪に似た困難」とは、実に「囚 人」を支へつくす君の精神と肉体との一元性にあるので はないか。大多数の幸福な「見ないで済む」詩人たちの 作品は、 「精神」といふ抽象的な世界に立つか、 或は「肉 体」といふ極めて生理的な世界を地盤に持つてゐるかに 過ぎない。前者を理知的な詩人と呼び、後者を抒情的な 詩人といふ、なんといふ無邪気な考へ方だらう。   僕は納得しない。精神とは、いはば肉体の象徴的な存 在 ︱ 即ち一層純化された生きものだし、肉体とはその生 き も の の 抵 抗 を 敏 感 に 表 象 せ ず に は 措 か ぬ 実 体 だ か ら、 肉体と精神とを哲学者流に対立せしめたところで、認識 といふ怪物から僕らは救はれまいし、 (略)

  精神と肉体には大きな関心が払われており、確かに「坂 に関する詩と詩論」の主題のひとつもそこにあることがわ かるが、田村は両者に優劣をつけず、両者の分離、対立そ のものを問題視している。そうして一元性にむかう相関関 係を強調しながらも、一方で、分離されてしまった両者の 統一に非常な困難を覚えもしている。先のA第二連は、こ の ゆ ら ぎ の 上 に 読 ま れ る べ き で あ ろ う。 〈 詩 を 書 か ね ば な らぬ〉 時とは、 精神と分離してしまった肉体の裡にだけ 〈運 命〉 が現れるような時であり、 〈詩を書くこと〉 とは 〈運命〉 を、そのような肉体への〈抵抗〉とみなし、精神と肉体と の一元化を目指してゆくこと、と言える。であれば、ふた りの〈私〉が精神と肉体とにどう振り分けられるかという ことは、さほど重要でないだろう。田村にとって、精神と 肉体とは分離しながらも一であるべきものであり、その間 のゆらぎこそが、この作品に写し取られているのだろうか ら。 〈 お ま へ に 坂 が 未 だ 見 え る か!〉 と い う 最 終 行 に は ふ

(5)

たりの〈私〉の声が重なり合っており、両者の間の、揺れ ながら釣り合う天秤のような均衡が、よく表れているとい える。

  今論じるべきは、 前節で述べた通り、 このふたりの〈私〉 の交代が、 「詩」 と「詩論」 の区別と対応していることである。 つまり、 この詩における精神と肉体の一元化の問題は、 「詩 と詩論」という題を持つ「詩」作品であるという形式の問 題と、重なっているのである。

四、形式としての自我

比 較 か ら 明 ら か に な る の は、 「 詩 と 詩 論 」 と い う 形 が、 さ の〈私〉の間にあった均衡関係も崩されている。AとBの なり、その実体性がきわめて希薄になったことで、ふたり 関 係 の 崩 壊 で あ る。 〈 坂 〉 の 下 に 残 る〈 私 〉 の 語 り が な く 問いかけも削除されている。極めつけはふたりの〈私〉の 〈 そ の 中 間 を 満 た し 得 る も の は 何 か 〉 と い う さ ら に 明 確 な 奥に持つ〉 (A第六連)とされた明確な二項対立的表現も、 消えざるをえない。また〈自我愛と自虐との両極を私の内 たく姿を消している。であれば二者の統一の可能性も当然 ず、 〈精神〉と〈肉体〉 (A第二連)という重要な項がまっ では、Aで提出された問題はどうなっているだろうか。ま   「 詩 論 」 が 消 さ れ、 詩「 坂 に つ い て 」 の み 抜 粋 さ れ た B いるという、 そういう眼」 においた発言をしている   田 村 は 後 年、 戦 後 文 学 の 特 徴 を「 「 私 」 を「 私 」 が 見 て 性をも保っていた、ということなのだ。 まざまな二元要素を立ち上げると同時にその一元化の可能

いる私」となるものではないか。 と「詩論」という複眼的なありさまは、相互に「私を見て

11

。「詩」

  語るものと同じ聞くもの、 ︱︱ かくてこの『 語る

00

‐ 聞

0

0

』の不可分割体系(これはごく早いうちから声を出さ な い、 外 化 さ れ ざ る も の に な る ) が、 『 一 な る 双 数 性 』、 二人一組の『 対

』を生み出す。 (中略) 『我』のうち ︱︱ 一個の

000

『我』のうちに、二人あり。またこうも言え よ う。 一 個 の『 自 我

00

』 は、 二 個 の

000

『 人 格

00

』 と し て あ る も の な り ︱︱ し か し こ れ は そ の 不 可 分 割 性 に よ っ て 一

0000000000

『 自 我

00

』 が 作 り 出 さ れ る 二 機 能

0000000000

な の だ。 ( 傍 点 原 文 の ま ま)

12

  ヴ ァ レ リ ー の こ の 表 現 も、 自 ら の 中 の 他 者、 「 私 を 見 て いる私」 の一種であろう。 「一なる双数性」 とはまさに、 「坂 に関する詩と詩論」 における 〈精神〉 と 〈肉体〉 という 「二 機能」であり、 「不可分割性」は、 〈もう一人の私〉どうし を対位させながらも緩やかにつなぐ〈坂〉に象徴されてい る。そこからつくられる「一個の我」が、詩人田村にとっ

(6)

ては「詩と詩論」という形式として現れたのではなかろう か。

  AとCの第三連冒頭にある〈表象〉の語がBにはないこ と か ら、 「 詩 論 」 で 示 さ れ た こ と の〈 表 象 〉 と し て「 詩 」 があることがわかる。このことは、 「石の中に私の眼を!」 「 振 り か へ つ た ら そ れ ま で だ 」 と「 詩 論 」 内 で は 括 弧 で 異 化 さ れ て い た 詩 句 が、 「 詩 」 で は そ の ま ま 語 り に 埋 め 込 ま れていることからも証立てられる。こうして「詩」と「詩 論」は、 その前後関係をメタ的な方法で示唆されながらも、 ひとつの作品として丸ごと表象される。これこそ重要なの である。実際、Cが現代詩文庫『田村隆一詩集』に収めら れたのに対し、Bはどの単行本にも採られなかった。 「詩」 と「詩論」との形式上の区別がCで完全に除かれ、未分化 か ら 一 体 化 へ と 強 化 さ れ た こ と も、 こ の 傍 証 に な る。 「 詩 と詩論」という形こそ田村の「詩論」であった。

    詩 人 は、 「 詩 の 作 り 方 」 を マ ス タ ー し て 詩 を 書 く の で はありません。詩人は 詩を書くことによって詩を書くの

000000000000000

です

00

。 (傍点原文のまま。田村隆一「路上の鳩」 『ポエム・ライ ブラリイ3』東京創元社、昭

30・5)

  精神と肉体の問題、 その一元化が、 「坂に関する詩と詩論」 において、 「詩の作り方」つまり「詩論」と、 「詩」との一 元化へとつながっていったのである。   世 代 の 共 通 項 を 徐 々 に 個 人 の 問 題 と し て 引 き 受 け て ゆ く 過 程 は、 A か ら C へ の 改 変 の さ い、 〈 非 望!〉 と 題 の 「一九四六年秋」が削除されたことにも明らかである。 〈非 望〉は宮崎氏の指摘通り、戦死した彼らの友人・森川義信 「 勾 配 」( 「 荒 地 」 昭

の ち 〉 が お そ ら く 意 識 さ れ て い る 14・ 5) の〈 非 望 の き は み / 非 望 の い

という評価は、CよりもAにふさわしいといえる。 ことも、 この意識によるものだろう。 「パセティックな衝動」 れ、抒情的な余韻が絶たれて乾いたリズムに変化している に現れている。Aのリーダ点がCではほぼ句読点に変えら としての〈坂をのぼる〉こと ︱ 詩作への意識が、より鮮明 除された。時代性が抜き取られ、詩人のより内面的な行為 抗してゆく意識が読み取れたが、この〈非望の風よ〉も削 には、そのような時代に〈坂をのぼる〉=詩を書くことで   またA第三連の 〈非望の風よ だから私は坂をのぼるのだ〉 な、 戦中より引き継がれた意識は消えつつあったのだろう。 のち〉をすら〈非望〉=分不相応に大きな望みとみるよう 一年という時代を刻まれたAから五年が経ったCでは、 〈い

13

。 と す る と、 敗 戦 か ら

は、処女詩集『四千の日と夜』からは除かれたのか。この なりえるような意識を如実に示していた。ではなぜこの詩   「 坂 に 関 す る 詩 と 詩 論 」 は 以 上 の よ う に、 詩 人 の 軸 に も

(7)

問題を次に見ていきたい。

五、 「腐刻画」

   それは黄昏から夜に入ってゆく古代都市の俯瞰図のようでも   〈    ドイツの腐刻画でみた或る風景がいま彼の眼前にある   あり あるいは深夜から未明に導かれてゆく近代の懸崖を模    した写実画のごとくにも想われた    この男  つまり私が語りはじめた彼は  若年にして父を殺    した  その秋  母親は美しく発狂した〉(「腐刻画」『四千の日と夜』収録形)

  連と連との断絶するところに、その一瞬の空白に、ぼ く の「 詩 」 が あ っ た。 む し ろ、 こ の 作 品 の 真 の 狙 い は、 断絶と空白をつくり出すことにあったといってもいいだ ろう。そして、 「私」がナレーターの位置にあって、 「彼」 が「詩」の中心的な人称であることも、一つの特徴とい えるかもしれない。おそらく、この散文詩を成立させる ためには、 「私」以外の、 異質の眼が必要だったのである。 ( 田 村 隆 一「 ぼ く の 苦 し み は 単 純 な も の だ 」『 詩 の 本 Ⅱ 』 筑摩書房、昭

42・

11)

  「腐刻画」を対象に選んだのは、田村がこの詩を自らの、

そして詩集『四千の日と夜』の「原型」とみなしているか らである

。「腐刻画」 には、 初出形 (「文藝大学」 昭

14

23・1)

、 『 荒 地 詩 集 1 9 5 1』 形、 詩 集 収 録 形 の 三 つ が あ る が、 本 稿では、詩集の「原型」たる「腐刻画」の特徴を、大掴み で は あ る が 詩 集 全 体 の 根 本 と と ら え、 「 坂 に 関 す る 詩 と 詩 論」との差を炙り出してゆきたいため、詩集収録形を用い る( の ち に 引 用 す る「 沈 め る 寺 」 も 同 様 )。 ま ず、 こ の 詩 の眼目であるらしい「断絶と空白」について考察したい。

  これには様々な解釈がある。粟津則雄氏は、戦前の田村 が 脱 却 を は げ し く 希 求 し た 故 郷「 大 塚 」 が、 「 日 本 」 と、 そ し て 彼 に と っ て の「 現 実 の 総 体 」 と 同 義 に な っ た と し、 「「 現 実 の 総 体 」 は、 「 死 」 に よ っ て 解 体 さ れ る も の と し て し か 語 ら れ え な い し、 ま た 一 方、 「 死 」 も、 も し そ れ を 直 接的なかたちで語れば、たちまち、その否定し解体する力 を う し な う 」 と い う、 「 現 実 の 総 体 」 と「 死 」 と の「 緊 迫 し た 対 立 関 係 」 そ の も の を み る

の 現 れ を み る 点 で は 笠 井 嗣 夫 氏 も ほ ぼ 同 様 で あ る

15

。 詩 人 の 内 外 の「 空 虚 」

適用している 新たな現実」が生まれるさまを見、これを「腐刻画」にも 「 別 次 元 の シ ョ ッ ク で あ り、 純 粋 に 創 造 的 な 産 物 と し て の 二のパートがぶつかり合い、その衝突の見えない現場」に 信 氏 は「 沈 め る 寺 」 の 表 現 に つ い て、 「 第 一 の パ ー ト と 第 。 大 岡

16

悪意、語りえないもの ︱ そうしたすべてが封印されている

17

。また第一 ・ 二連間の空白を 「時間、 無意識、

(8)

余 白 」「 情 報 化 さ れ な い 言 語 の 不 透 明 性 そ の も の 」 と す る 野 村 喜 和 夫 氏 の 指 摘 も あ る

ストの主題」 秀人氏の言う通り「語り手の唐突な前景化こそがこのテク 分離の中に現れることは、あまり注目されていない。坪井 が、何より先に〈私〉の出現、つまり語り手と〈彼〉との

18

。 こ の よ う に、 「 断 絶 と 空 白 」

19

であろう。

  北 川 透 氏 は〈 彼 〉 を「 語 り 手 で あ る〈 私 〉 に よ っ て 客 体 化 さ れ た、 あ る い は 仮 構 さ れ た〈 も う 一 人 の 私 〉」 と み る

「私」 が「彼」 を描写しているということ」 「この詩がいかなる意味でも「私」のモノローグではなく、 が、 既に前節までを論じた以上、 絓秀実氏の指摘通り、

20

る私」との違いは、ひとつ、 〈彼〉という人称である。 「「私」以外の、異質の眼」と、前節で引いた「私を見てい

21

にこだわりたい。

  言 語 学 者 E・ バ ン ヴ ェ ニ ス ト 氏 に よ れ ば、 一 ・ 二 人 称 と 三 人 称 と は 峻 別 さ れ る。 一 ・ 二 人 称 は、 そ の 都 度 に 固 有 な 発話行為のなかで、話ごとに内実が変わる空虚な記号であ り、発話主体としては交換可能である一方、三人称はこの 場 に か か わ ら な い 客 観 的 な 記 号 で あ り、 「 非 ‐ 人 称 」 で あ る と さ れ て い る

と空白」が現れることも、氏の主張する三人称の特殊性と い 時 間 〉〈 水 脈 ひ く や う な 薄 青 い 距 離 〉 に 代 わ っ て「 断 絶 そ の 一 方 が〈 彼 〉 に 変 わ っ た と き、 〈 水 脈 ひ く や う な 薄 青 に 関 す る 詩 と 詩 論 」 で の ふ た り の〈 私 〉 に 当 て は ま る し、

22

。 一 ・ 二 人 称 が 交 換 可 能 で あ る 点 は「 坂 取 っ て い る と い う 装 置 に よ っ て く っ き り と 見 え て く る 」 さ ま を 読 み に 後 退 し た と き に、 逆 に 他 な ら ぬ「 私 」 の 内 実 が、 「 彼 」 み、 「「私」が努めて〈私性〉を排除し、非人称的な語り手 う存在を通してこそ目に見えるものとなるという認識」を するのであり、 〈世界〉と〈私〉との関係も、 〈他者〉とい の登場に、 「〈他者〉との相対において初めて〈私〉は存在 よく符合する。また高柳誠氏は、 「腐刻画」における〈彼〉

て現れてくる。 いない。 しかしここには、 日本語の特性が大きな問題となっ 質の眼」という田村の言に他者への意識があることは間違 他者たりえているだろうか。もちろん、 「「私」以外の、異

23

。 し か し「 腐 刻 画 」 の 場 合、 〈 彼 〉 は 本 当 に

六、モノローグの日本語

ている、というよりも、両者が明確に区分されない主客 「彼」と自己、 「彼」の内と外とのいわば中間に身を置い を「彼」と呼ぶ語り手は存在する。しかしその語り手は を下し得る超越的な主体の観念がないからである。 「彼」 題である。西欧と違って日本にはそういう客観的な判断 拠と権限をもってそういう判断を下し得るのかという問 の は「 彼 」 だ と し て も、 「 彼 」 以 外 の だ れ が、 ど ん な 根   「 (彼は) 悲しかった。 」 というとき、 たしかに 「悲しい」

(9)

未 分 の 場 で 語 っ て い る。 そ こ か ら、 「 悲 し い 」 の は た し かに「彼」だが、 同時にそう語っている「私」でもあり、 そう語っているのはたしかに「私」だが、同時にそう感 じている「彼」でもあるという主客相互の滲透と混淆が 生じる。

24

  曾根博義氏が以上のように指摘する、日本語における語 り の 問 題 は、 「 腐 刻 画 」 で も 起 こ っ て い る こ と で あ る。 第 一連に〈彼〉は現れているが、眼前の風景を〈ドイツの腐 刻画でみた〉 のは、 そしてそれを 〈古代都市の俯瞰図のよう〉 〈近代の懸崖を模した写実画のごとく〉に感じているのは、 〈 彼 〉 な の か 語 り 手 な の か。 こ の よ う な「 滲 透 と 混 淆 」 の 場が示されたあと、 〈この男   つまり私が語り始めた彼は〉 と些か強引に〈私〉がせり出し、語りのメタ次元を露わに するところに、これを引き剥がそうとする意志が感じられ てならないのだ。

  ここには、田村が詩作を始めた時期にどっぷりと浸って いたモダニズムの、独自の継承を見ることができる。田村 の最初期の作品は三好に「ヘナチョコモダニズム」と非難 さ れ る よ う な も の で あ っ た

こと」 であり、 それが 「生理的な快感」 だったという ム と は、 「 日 本 的 な 語 法、 日 本 的 な 抒 情 と 論 理 を 殺 戮 す る

25

が、 田 村 に と っ て の モ ダ ニ ズ

刻画」はそれらの作品とは相貌を全く異にするが、日本語

26

。「腐 れるのではないだろうか。 のモノローグ性を否定しようとする意志」も、ここに含ま ここでも取られていることは間違いない。絓氏のいう「詩 の伝統的な語りにおける「私」を意識的に引き裂く表現が

  話 者( =「 私 」) と、 そ れ に 語 ら れ る 対 象( =「 彼 」) を分離するということは、言葉に或るずれを導入するこ とである。モノローグ的な話法とは、 そのずれを隠蔽し、 同一性のなかで休らうことだと言って、とりあえずはさ しつかえない。

27

  〈もういゝ。一言も語るな。

〉と始まった「坂に関する詩 と詩論」を思い出そう。ふたりの〈私〉の発語は呼びかけ の 形 を と り な が ら も、 共 に 相 手 か ら の 応 答 を 期 待 し な い、 む し ろ 拒 否 し た モ ノ ロ ー グ の す れ 違 い で あ っ た。 「 ず れ 」 は既に現出しているが、それはこのすれ違いのなかに浮か び上がるものであり、どちらの〈私〉にも意識されない。

の よ う な 対 位 に〈 彼 〉 と〈 私 〉 を も 含 め る の だ が 〈黄昏から夜〉 〈深夜から未明〉 、〈古代〉 〈近代〉 、〈父〉 〈母〉   「 腐 刻 画 」 は ど う か。 北 川 透 氏 は、 こ の 詩 篇 を 構 成 す る

しようとするさまではないだろうか。そのような〈私〉が は、 対 位 と い う よ り、 〈 私 〉 が 語 り 手 と し て〈 彼 〉 を 包 含   の男 つまり私が語り始めた彼〉という転換に見られるの

28

、〈 こ

(10)

「ずれ」を意識しないわけにはゆかない。

め る 寺 」( 『 四 千 の 日 と 夜 』 形。 初 出「 純 粋 詩 」 昭   『 四 千 の 日 と 夜 』 で「 腐 刻 画 」 の 次 に お か れ た 詩 篇「 沈

〈 彼 〉 を 導 入 し つ つ 語 り 手 と し て の〈 私 〉 に 実 体 性 を も た てしまう事態であろう。 「断絶と空白をつくり出す」とは、 「 モ ノ ロ ー グ 的 な 話 法 」 を 取 る「 日 本 的 な 抒 情 」 に 含 ま れ いが、 両者の語りのすれ違いによる「ずれ」の隠蔽である。 きるものだ。そのような恣意的解釈のしあいとその許しあ と も〈 私 の 痕 跡 〉( 主 体 の 一 変 種 ) と も と ら え る こ と が で 他者ではない。 私であって私でない、 つまり 〈おまへ〉 (客体) う一人の私〉は、 単一の「私」を分解するものではあるが、 論」 は、 『四千の日と夜』 から切り捨てられたのである。 〈も この語りの不可能であり、このために「坂に関する詩と詩 そ の 空 白 を 語 り で 埋 め る こ と を 拒 む。 「 断 絶 と 空 白 」 と は で あ り、 全 知 の 語 り を 装 う こ と を 放 棄 し た〈 私 〉 も ま た、 部分的にであれ全体的にであれ 「語らない」 のが三人称 〈彼〉 語る(騙る)ことはしない、 といわんばかりの態度である。   「 違う存在であり、語り手の権力を行使して憶測で〈彼〉を ついてのみ書いておこう〉とはじまる。自分と〈彼〉とは 七、おわりに   やら語りかけようとしたのかもしれない だが私は事実に が語り、やはり一行の空白を挟んで、第二連は〈彼はなに を〈 私 〉 が ど う 利 用 す る か を 明 確 に す る。 第 一 連 は〈 俺 〉 ともに「断絶と空白」が現れたのである。 再 出「 荒 地 詩 集 1 9 5 1」 、 異 同 あ り ) は、 こ の「 ず れ 」 と は で き な い と い う 不 可 能 性 と が 衝 突 し た 結 果、 〈 彼 〉 と 23・ 1、 だ と 言 え る。 「 語 り 」 の 包 含 力 と、 対 象 の す べ て を 語 る こ 〈 私 〉 と〈 彼 〉 と が 断 絶 す る 部 分 を、 逆 に 際 立 た せ る こ と せて前面に押し出すことで、語りの及ばない部分、つまり

坂 に 関 す る 詩 と 詩 論 」 は、 以 上 の よ う に し て『 四 千 の 日と夜』からは除外されたが、その変遷において確かめら れ て い っ た も の は 消 え る こ と は な い。 田 村 は、 「 坂 に 関 す る詩と詩論」 初出から十五年あまりのちの文章で、 詩は 「機 会的な感情の表現ではな」く、 それ自体が「固有の構築物」 であるとし、続けてこう記している。

  詩は、特定の観念や漠然とした情緒によってつくられ る も の で は な い。 「 詩 は 言 葉 で つ く ら れ る 」 こ の 自 明 の 原理を銘記してほしい。そして、観念や感情がはっきり とした形となって生まれるのは、詩という構築物に よっ

00

0

である。詩人自身にとって不分明の感情や観念が、詩 を書くことによって、 すなわち、 形をあたえることによっ て、はじめて 可

ヴィジブル

視的 なものになるのだ。 (傍点原文のまま。前掲「ぼくの苦しみは単純なものだ」 )

(11)

  「詩」と「詩論」の一元化は、

「観念や感情」と「詩とい う構築物」の、 つまり内容と形式の一元化へと広げられる。 語りの不可能がこめられた 「腐刻画」 の 「断絶と空白」 も、 連 と 連 と の 間 の 一 行 の 空 白 と、 明 確 に 対 応 し て い た。 「 詩 は物である」という田村の晩年まで続く持論は、作品にお いてはこのようにして形成されていったのではないだろう か。 「 坂 に 関 す る 詩 と 詩 論 」 は、 決 し て 青 春 の 悲 歌 で あ る だけでなく、田村の「詩論」のはじまりの一篇でもあった のである。

(注記)  詩篇引用は、A、B、Cは初出誌、それ以外は各詩集を底本とする『田村隆一全集1』(河出書房新社、平

22・

際し、旧字体は新字体に改め、仮名遣いは原文通りとした。 10)によった。引用に 1 笠原伸夫「田村隆一論」(現代詩文庫『田村隆一詩集』思潮社、昭

43・1)

2  高柳誠「散文詩の非人称性︱田村隆一・吉岡実をめぐって」(玉川大学文学部「論叢」

27、昭

61・3)

。3  渋沢孝輔「鑑賞」(大岡信・谷川俊太郎編『現代の詩人3  田村隆一』中央公論社、昭 解釈と教材の研究」昭 58・  6)、山本捨三「田村隆一」(「国文学 4 など 44・9)、笠原伸夫(注1)、高柳誠(注2)

  『田村隆一全詩集』

(思潮社、平

12・8)はB・Cを収録。

5  宮崎真素美氏は「全六連のうち、第三連に「詩「坂について」」 の題名が付されており、あとの部分がおのずから「坂に関する詩と詩論」の「詩論」にあたるという試みがなされている」(「鮎川信夫の〈アメリカ〉︱一九四七年の交響」「国語と国文学」平5・

12  『

鮎川信夫研究︱精神の架橋』日本図書センター、平

6 根拠は示されていない。 収)と指摘しているが、「詩「坂について」」が第三連のみである 12・7所 詩集1945︱1965』(荒地出版社、昭   「アメリカ」には初出形、『荒地詩集1951』形、『鮎川信夫全

  8鮎川信夫「青春の暗転」(「純粋詩」昭   7注5に同じ。 底本としている。 崎論では「初出時の状況に重きをおくという立場」から初出形を 40・9)形があり、宮 22・5)

9  注3に同じ。

10  注3に同じ。

11    田村隆一インタビュー「戦後の文学を語る第七回田村隆一   見つめる眼︱︱二つの流れ」(「三田文学」昭

51・9)

昭 藤正彰・寺田透訳「言語」『ヴァレリー全集カイエ篇2』筑摩書房、 12 XXVII393P・ヴァレリー「カイエ」より、「一九四三年、、」(佐 57・4)

13  注5に同じ。「勾配」の全文を次に掲載する。

きびしく勾配に根をささへ/ふとした流れの凹みから雑草のかげ かりを打ちくだいて/なにゆえにここまで来たのか/だがみよ/ /噴水や花を象眼し/光彩の地平をもちあげたか/清純なものば すでに終りであつた//たかだかと欲望の精神に/はたして時は んで/そこに立てば/かきむしるやうに悲風はつんざき/季節は がこの階段をおりていつたか/時空をこえて屹立する地平をのぞ   〈非望のきはみ/非望のいのち/はげしく一つのものに向つて/誰

(12)

から/いくつも道ははじまつてゐるのだ〉

14 

意識をもった最初の詩であった」という。 の原型であるばかりでなく、ぼくが「詩」を書くというはげしい ぼくの苦しみは単純なものだ」より、「詩集『四千の日と夜』

15 

津則雄「死と想像力︱田村隆一論」(「現代詩手帖」昭

~昭 47・3

47・5   『詩の行為』思潮社、昭

48・3所収)

16 

笠井嗣夫『田村隆一

︱断絶へのまなざし』(沖積社、昭

57・8)

17 

大岡信「田村隆一」

(「国文学  解釈と鑑賞」昭

38・3)

18 

野村喜和夫「これからの田村隆一」

(「現代詩手帖」平

10・

10)

19 

  へ鮎川信夫の死と詩的言語」(「現代詩手帖」平 井直樹・坪井秀人対談「複数の『戦後』へと働きかける思考

13・

11)

20 

川透「屹立する観念の行方︱田村隆一覚書」(「現代詩手帖」

57・2

  『荒地論

︱戦後詩の生成と変容』思潮社、昭

58・7所収)

21 

平1・4) 秀実「詩的モノローグの彼岸︱田村隆一論」(「現代詩手帖」

22 

E・

バンヴェニスト著、高塚洋太郎訳「代名詞の性質」(E・バンヴェニスト著、岸本通夫監訳『一般言語学の諸問題』みすず書房、昭

58・4)

23 

注2に同じ。

24 

曾根博義「戦前・戦中の文学

: 昭和8年から敗戦まで」(小田切進編『昭和文学全集昭和文学史論/昭和文学史/昭和文学大年表』小学館、平2・9)

25 

村隆一「三好豊一郎の禿頭」(『若い荒地』思潮社、昭

43・

26 10)

  田村隆一

10から数えて」

(現代詩文庫『田村隆一詩集』思潮社、昭

43・1)

27 

21に同じ。

28 

20に同じ。

(しもひろ   ひなた)

参照

関連したドキュメント

Kyushu University Institutional

かつて生保否認説や二元説の如く統一的理解を放棄する立場が存在したこと

いつまでもここの孤立のなかに 吉本隆明ノート..

   とりかへしのつかない道がここに在る    次第に明らかに視えてくるひとつの    過誤の風景    ぼくは悔悟をやめて   

[r]

[r]

[r]

[r]