教禾斗孝女青の実践のため古こ
自然系教育講座福森信夫
1教科教育とその研究 教科教育(あるいは教科教育学)の研究は,それが教育という名のつく限り, 単なる理論研究にとどまることなく,学校現場における教育実践につながる( 直接的にせよ間接的にせよ)ものでなければならない。 ここで,単なる理論研 究といったのは,教科教育についての研究が,ともすれば文献や先行研究のみ に依存し,実践的な裏付けが欠落したり希薄になったりする傾向が見られるか らである。そのような研究は,学校現場に対する説得力を欠き,教育実践に寄 与したり示唆を与えたりすることがあまり期待できない0 しかし,それかとい って,教育実践のみに終始し理論を伴わない研究では,単なる実践報告の域を 脱し得ず,実践のあるべき方向を兄いだすことができない。 よく言われることであるが,理論と実践の連携,融合ということは,教科教 育及びその研究においてきわめて重要である。 とりわけ,本学大学院で研究す る院生の大部分は小・中・高等学校の教員であるから,その研究は,これまで の実践経験の基盤の上に自らの教育論を構築し,さらにそれが,以後の教育実 践に生かされていくものでなければならない。 したがって,教科教育の研究に おいては,たとえそれが理論中心のものであっても,教育実践の具体的場面を 念頭におき,実践につながり実践を導くものであることが望まれる(〕 本学の院生のように,学校現場における実践経験を教科教育研究の基盤とす る場合,その研究をより充実させるためには,豊かな実践経験に基づく自らの 教科教育観をもつことが必要とされるであろう。 自らの教育実践をふまえて, 学校教育の現状に対する問題意識や課題意識をもつことが肝要であり,このこ とが,研究の出発点にもなるし推進力にもなる。 上述のように考えると,教科教育の研究というものは,その基盤として,教 科教育の実践が重要な位置を占めているといえよう。 学校現場における教育実 践の実情を抜きにして教科教育を語ることはできない。 また,教科教育の研究 は,単に研究のための研究ではなく,実践のための実践に役立っ研究でなけれ ばならない。 よき研究者である前に,よき実践者であらねばならない。 このようなことが,教科教育及びその研究に対する私の考えである。 -22生徒指導と教科の指導 「中学校では生徒指導が大変で,毎日その仕事に追われ,教科の指導のため の研究や準備に時間を費やすことがほとんどできない」というような話をよく 聞かされる。 また,「中学校では,生徒指導が何よりも重要で,教科の指導は 二の次である」という極端な意見さえ耳にして驚いたことがある。 中学校の現状を見るとき,このような話をされる先生たちの苦労は推察でき るが,果たしてそのようなことですましてよいのだろうかと疑問をもたずには いられない。 私が疑問をもち,問題だと思うのは,生徒指導と教科の指導が別 々のものであるという考え方である。 このような考え方をすれば,当面の対策 に追われて,両者のうちどちらを優先すべきかという判断に迫られ,勢い,教 科の指導がおろそかになる。 そこで,生徒指導とは何か,何のための生徒指導かを,あらためて考え直し てみることが必要になる。 生徒指導というのは,問題行動を起こす生徒や学校 生活に適応できない生徒への対策だけを指すものではない。 なぜ生徒が問題行 動を起こすのか,なぜ学校生活に適応できない状況に追い込まれるのかという ことを,根源的な問題として考えてみることが何よりも大切である。 学校生活に適応できない生徒の場合,学校での授業がその原因になっている ことが多い。 教科の学習から取り残され,意欲を喪失したり教科の学習そのも のに嫌悪感をもったりする生徒も少なくない。 このような生徒にとっては,教 科の学習場面での自己実現の道が閉ざされてしまい,学習-の不適応がそのま ま学校生活への不適応につながってくる。 そうだとすれば,学校生活に適応できない生徒が出てからその対策を講じる のではなく,そのような生徒が出ないような指導を常日ごろから心がけるべき であろう。 医学に例えれば,対症療法よりも病因療法が大切であり,絶えず健 康に気を配り,健康を維持促進するための対策が講じられなければならない。 教科の学習指導では,すべての生徒に自己実現の場を与えるような授業を工夫 し実践することが,生徒指導の観点からも大切であり,生徒指導と教科の指導 とを一体化することが必要であると思うのである。 3「新しい学力観」について 「新しい学力観」あるいは「新学力観」という言葉が出始めてから数年が経 過している。 今では,この言葉が流行語のようになり,教育現場や教育研究の いたるところに氾濫しているようにさえ思われる。 この言葉が,これからの教 ,o
膏の進むべき方向を示唆するとともに,教育の革新や授業改善を促進するはた らきをしていることも事実である. しかし,一般に流行語というものがそうで あるように,その言葉のもつ意味や本来の趣旨から離れて,言葉が独り歩きす る危険性をはらんでいるようにも思われる。 「新しい学力観」とは何か,何が新しいのか,これまでの学力観とどう違う のか,ということを抽象的に諭ずるのではなく,それらを教育現場の実践の中 で具体的に見きわめていくことが重要である。 自ら学ぶ意欲を育てること,思 考力・判断力・表現力を養うことを学校教育の基本に据えることが,「新しい 学力観」の趣旨であると一般にいわれているoそして,新しい学力観に立っ学 習指導では,子ども中心,子ども主体の授業を展開し,学習に対する関心・意 欲・態度を重視する指導が強調されている。 しかし,このような教育観,授業 観は,何も今に始まったことではない。 少なくとも学校教育の指導的立場にあ る人たちは,昔からずっと,このような考えを主張し続けてきたはずである。 ′ それにもかかわらず,現在,このことが「新しい学力観」という標語のもとに 要請されるのは,このような教育の理念を実現することを困難にする要田が, 学校教育をめぐる現実の中に存在しているからであろう。 新しい変革が必要と されるのは,教育の実践面においてであり,その焦点となるのは,学校現場に おける授業の改善である。 そして,そのためには,授業に対する教師の意識改 革が何よりも大切であると. いえよう。 「新しい学力観」と対比していわれることに,これまでの教科の指導が知識 の伝達に偏り,知識の量を重視する学力観に立っていたという指摘がある。 こ のことから,「新しい学力観」では,知識や技能の習得よりも,自ら学ぶ意欲 や思考力・判断力・表現力などの育成を重視するのだと短絡的に受けとめられ, 知識や技能の習得を軽視しかねない傾向も見られる。 平成元年の学習指導要領 改訂の基本的な方針を定めた教育課程審議会の答申の中では,「新しい学力観」 にかかわることが次のように述べられている。 「児童生徒の発達段階に応じて必要な知識や技能を身につけさせることを 迫と三,思考九判断九表現力などの能力の育成を学校教育の基本に据 えなければならない。 」(下線は筆者) 自ら学ぶ意欲や思考力などの育成は,各教科における知識や技能の習得と切 り離して行われるものではない0 むしろ,子どもたちが,知識や技能を自らの 力で獲得し習得していく過程においてこそ,学習に対する関心・意欲・態度や 思考力・判断力・表現力などが育っていくのである。 「新しい学力観」で重視
-4-している自ら学ぶ意欲や思考力・判断力・表現力の育成と知識・技能の習得と を切り離して,両者を別々のものとしてとらえるのではなく,前者を後者の中 に組み込み,一体としてとらえることが必要であると私は考える。 このように考えると,各教科の学習指導要領において,知識や技能を子ども たちにどのようにして学びとらせるか,また,どのような知識や技能を学びと ることが各発達段階の子どもたちにとって必要であるか,という観点から,教 科教育の方法や内容を検討することが重要な課題になってくるであろう。 4学校週5日制をめぐる問題 小・中・高等学校では,平成7年度から月2回の土曜休日が実施され,やが て近い将来には,完全5日制へと移行していくであろう。 学校教育への5日制 導入については,これまでも,いろいろな立場から賛否両論が交わされていた が,このこと自体は,もはや避けて通れない社会の情勢の変化として受けとめ るべきであり,むしろ,5日制の進行に対して,学校教育がどう対応すべきか を真剣に考えることが重要であると思われる。 現在,多くの学校では,土曜休日が月2回になった場合の教育課程の編成や 授業時間割の作成について,現行学習指導要領の枠内でどのように対応するか が大きな問題となり,その対策に苦慮している。 特に,中学校では,授業時数 が減るからといっても,折角スタートした選択履修の拡大を後退させるわけに はいかない。 各教科の授業時数も,高校入試のことを考えれば,安易に削減す ることはできない。 また,学校行事など特別活動を縮小することにも問題があ る。このように,週あたり授業時数の減少に伴う教育課程の再編成には,多く の困難な壁が学校現場に立ちはだかっているのである。 5日制の進行に伴う授業時数の減少は,必然的に教育内容の量的な縮小を招 来する。 それは,各教科の授業時数や指導内容の削減という形となって現れる かもしれない。 しかし,現在の学校教育は,もはや,このような量的な縮小だ けでは十分に対応することのできない段階に立ちいたっていると思われる。 現 段階で学校教育に要請されるのは,教育内容の量的な面ではなく,質的な面の 改善充実である。 学校教育の果たすべき役割は何か,学校教育として真に必要 なものは何か,ということを根本的に考え直すことが重要な問題である。 教育課程の編成においても,また,各教科においても,教育内容の量を減ら し,なおかつ,質を高めていくことを真剣に考えていかなければならない。 こ れは,私自身にとっても興味深い課題である。