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翻訳:楊杰著『国防新論』(一)

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦

翻訳楊杰著﹃国防新論﹄

︵一︶

翻訳にあたって

本稿は楊杰﹃国防新論﹄の序 ︵自序 ・ 第三版自序 ・ 凡例︶ 、目次および第一編第一章までの翻訳である。版本は、上海 書店編﹃民国叢書﹄第二編 31 政治 ・ 法 律 ・ 軍事類に収録されている。中華書局版 ︵一九四六年版影印︶ を使用した。訳 語や注釈については、翻訳初稿という位置づけから、最低限度のものにとどめた。いずれ全体を通じて翻訳する折 には、再度、詳細な注釈を附して本文の日本語訳にも反映したいと考えている。 なお、楊杰自身と﹃国防新論﹄については以前にも述べたことがあるので、本訳稿では論述を略させていただい た。できれば拙稿を参照されたい ① 。 読者諸氏からのご批判・ご意見は慎んで甘受したい。 なお、本文中で﹁*太字﹂の部分は、本文の上に書かれた小見出しである。

自序

時代は戦闘の時代である。 世界は戦闘の世界である。 戦争の烽火のなかで生活し、 硝煙のなかで呼吸している人々

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立命館東洋史學 第 39 號 が必要に迫られている。生き抜こうとするなら、戦争そのものを理解しなければならない。 事実、ある人が戦争を理解していない場合、その人は整った自由な生活をえられないだろう。心のなかでは自由 自在に生きたいと熱望しているからこそ、戦争を理解するよう迫られるのである。 五年来の艱難な抗戦で、 中華民族は覚醒した。中国人一人一人の脳裏には敵の銃剣によって﹁国家﹂ ﹁民族﹂がど す黒い赤色の筆跡で刻まれた。中国人一人一人には生命と生活に対して新たな評価と新たな認識があるし、 ﹁国家﹂ と﹁民族﹂から、各自のことを考えはじめたのである。戦争が全国同胞の心を溶解して一つにし、全国同胞の生命 を溶解して一つにし、全国同胞の希望を溶解して一つにしたのである。 現在の戦争とはどのような戦争だろうか。われわれはどのようにして戦闘を継続していけばよいのだろうか。わ れわれはどのようにすれば敵をわが国から駆逐でき、最後に勝利を勝ち取れるのだろうか。⋮⋮ 非常に多くの同胞はこれらのもともとあまり関心をもたれなかった問題に苦悩しているのである。軍事委員会政 治部は﹃国防叢書﹄を編纂しようとし、わたしに小冊子を書いて、上記の一連の問題に総合的な回答を出すように 懇切丁寧に勧めてくれた。わたしはそのときいくぶん躊躇したのだが、それは多数の人々の私に対しての期待にそ むくのが心苦しかったからである。これは大変難しいことだと自覚している。さらに、人様にまで完全に理解して もらうのは、いっそう難しいだろう。まして、このような国家民族の存亡と安危に関わる重大な問題では、かろう じて理解すればそれでよしとすることができないのである。それは単なる問題解決の起点にすぎない。 当初、わたしは一〇万字で二ヶ月以内に完成するつもりだったが、いざ書き始めてみると、個人の見解を可能な 限り叙述しようとし、個々の問題およびその関連性を気にかけようとすると、もともとの計画を破棄せざるをえな くなった。その結果、内容面では元来の計画よりほぼ二倍になり、執筆の時間はまるまる五ヶ月間に延びてしまっ

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 た。 執筆期間中に遭遇した最大の困難は、執筆のための材料の欠乏だった。国内では、価値のある参考資料は多くを えるのは簡単ではなかったし、外国の書籍は国際通商路がふさがれて途絶えており入手できなかった。多数の箇所 は、個人の意見を頼りに輪郭を描き出すしかなかったから、博引傍証して内容を充実することはできなかった。同 時に、 ﹁全面性﹂ ﹁総動員﹂の原則下で、すべての人 、物質、できごとには、いずれも﹁戦争﹂と﹁国防﹂の烙印が 押されていた。紙幅の制限があったので、いきおい思う存分にはできなかったし、微に入り細に渡る論述をしたり できなかったので、遺漏のそしりはまぬがれえない。 軍事学術と国防問題の研究は 、今日の中国ではまだ極めて少なく専門家の仕事である 。今後はだんだんと 、否 、 早急に全国同胞の常識にならねばならないと私は非常に期待している。中国を救おうとするならば、国民全体の頭 脳を武装するところからはじめなければならない。中華民族を復興しようとするならば、一切の精神力と物質力と を集中し、最新の、つまり﹁時代を超えた﹂国防建設を完成しなければならない。賢明な読者諸氏にはこのための 動機を引き出す任務を担うよう希望する。そして賢明な読者諸氏が貴重なご意見を提起されるよう希望する。 最後に、この本の完成にあたり、李士英君から多大な援助をえた。ここに感謝の意を申し述べたい。 楊杰   一九四三年五月二〇日   龍門浩にて

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立命館東洋史學 第 39 號

第三版自序

われわれの国家は空前未曾有の災難に必死になって持ちこたえている。すべてのできごとの進行は理想的に順調 にはいかない。 ﹃国防新論﹄が今になってようやく刊行出版されたのは、 実に本書を愛好する読者諸氏には大変申し 訳ないことである。 わたしは第一版の序文のなかで以下のように述べた。 ﹁軍事学術と国防問題の研究は、 今日の中国ではまだ極めて 少ない専門家の仕事である。今後はだんだんと、否、早急に全国同胞の常識にならねばならないことを私は非常に 期待している﹂と。事実、専門の学問としてはもちろん、常識にしようとするならば、踏むべき順序がある。本書 の第一版は政治部によって八千冊印刷されたが、各レベルの政治工作人員が読むために発給された。続いて、多く の友人の要求と援助により、ふたたび五千冊印刷され、数校の軍事学校に一括納入された。本書は各界の同胞の目 に触れるよりさきに、一万三千冊が国防問題に注意しなければならない読者諸氏に配られたのである。この半年の 間、 国防は一部の人にとっていまだに神秘的なものである。ゆえに本書の閲読は、 自然と少数者の特殊な権利になっ てしまった。 このことについて特に話すべきことはないが、多くの本書に関心を持ってくださった読者諸氏に遺憾の意をしめ しておきたい。 実際のところ、国防設備は当然だが秘密保持しなければならないから、守らなければならない秘密は、設備の有 無よりも国防設備の確実な数字を重視するのである。特殊な事情もある。たとえば、まれにしかないある最近発明 されたばかりの秘密兵器がそれである。理論や学説にいたっては、根本的には秘密とは関係ない。ドゥーエ ② はイタ

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 リア人であるが、ドゥーエ主義はイタリアの秘密ではないし、フラー ③ はイギリス人だがフラーの機械化戦争論もイ ギリスの秘密ではない。ほかに、ソ連とドイツにはドゥーエもフラーもいないが、両国はフラーとドゥーエの学説 を吸収して、理論を事実に変えた。だから両国の空軍と機械化部隊は世界で最強になったのである。英米は空軍と 機械化部隊を拡充するにあたって、年若い後輩になった。われわれ中国はといえば、国防建設では先進国に追いつ けないだけではなく、われわれの頭脳も可哀想なほど遅れている。だが覆い隠してごまかす必要はないし、慚愧す る必要もない。われわれはもっとも有効な方法を用いて努力して先頭を追い越せるように、すばやく行動を起こし て努めなければならない。他人の後ににつきしたがっても、 永遠に遅れをとって後輩の地位に甘んずることになる。 すべての学術は時代の産物であり、人類が空想して頭の中で作り出したものではない。軍事学術は、とりわけ時 代から離れられない。たとえば、孫子 ④ の兵法は封建社会の産物で、その理論は農業経済から影響を受けている。ク ラウゼヴィッツ ⑤ の戦争論は初期資本主義社会の産物である。クラウゼヴィッツの思想も機械化工業がしだいに頭角 を現すようになった蒸気機関の時代を的確に反映している。本書、 ﹃国防新論﹄の時代は、 資本主義社会が発展して 最高段階に達し、社会主義国家が台頭している今日、つまり農業の機械化と工業の電気化を反映している。観点と 内容の両面からして、 ﹃国防新論﹄と孫子とクラウゼヴィッツの著作とは異なるのである。本書が孫子の兵法とクラ ウゼヴィッツの戦争論よりすぐれていることは、まったくもって社会の進歩の結果である。われわれはこうしたこ とから古人を軽んじる必要はない。読者が人類社会千百年来の成就を作者個人の収穫にする必要はない。歴史の大 きな車輪は止まれない。飛ぶように早く回転しているので、今日の事物は今日の指標で把握しなければならない。 国防はすでに独立した科学になっていて、軍事科学から脱胎したものであるが、軍事科学とは違っている。あら ゆる科学を総合した科学である。あらゆる科学を組織するのは、国家を生存させ発展させる目的のための共同作業

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立命館東洋史學 第 39 號 である。軍事科学の任務は戦争理論を発展させ、戦術戦略を研究することである。ドイツの国防科学者であるバン ス ︵ Ewald Bans ︶ ⑥ も以下のように述べている。 ﹁国防科学は軍事科学ではない。国防科学は将帥にいかにして戦争を するのかを教え導くものではないし、部隊の将校にどのようにして新兵を訓練するのかを教えるものでもない。国 防科学の課程で、人民全体に理解してもらうことがもっとも大事であろう。目的は群衆に英雄になる戦闘する心理 を持たせるように訓練するのである。群衆に近代戦争の性質とその先決条件を理解させるのである。国防科学はわ れわれに各国と各国人民 ︵特に本国と隣国︶ の交流と智力を教えてくれる。すなわち、 将来戦争に従事して国家の生存 を防衛するときにもっとも有利な条件となる。国防科学はある意味において人類の思想と人類の努力を総合し、わ が国の人民の防衛力量を増加させることを期するものである。国防科学はこうした知識を生み出すが、それはしだ いに一般的な精神の力に成長し、あらゆる知識を同一の国家目標に向かわせるのである﹂と。 国防科学はまだとても幼稚である 。国家を永久に存在させ 、その繁栄を防衛するために生まれたものなのだが 、 国家内部の種々の勢力は国防科学の発展を阻止しているのである。国防科学が真に完全な科学になるときまで待っ ていては、国家の制度はおそらく瓦解してしまっているだろう。 しかしながら、たとえ国家の制度がある日瓦解してしまったとしても、恐れる必要はない。われわれの国家はま だ年若く、 国防科学は中国でさきほど芽吹いたばかりなのである。 ﹃国防新論﹄は国防科学ABCだと言える。あた かもバンスが言う﹁国防科学の課程で、まずもっとも大事なのは人民全体に理解してもらうこと﹂である。まず人 民全体に国防科学を認識させ理解させ喜ばせれば、切実に必要としていると思わせる。それから再度人民全体に呼 びかけるのである。国防事業は人民全体の事業だから、いっせいに自ら参加してもらいたい。 忠実なる読者諸氏は、 以下の三つの問題に答える準備をすべきである。 ︵一︶国家は私が何をなすことを必要とし

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 ているのか。 ︵二︶私は国家のために何をなすことができるのか。 ︵三︶もしも国家が必要とする事を私ができると したら、どうやってやればよいのか。この三つである。 ﹁国防科学のABCを全国民に理解してもらう﹂ より重要なことはない。このような任務は本書を読んだ人であれ ば誰でも担える。やっていこう。これが最低限度の国防建設である。 楊杰   一九四三年一〇月六日   龍門浩にて

凡例

一. ﹃国防新論﹄のような書籍は、 国民必読の常識の教科書にすべきである。わが国おいては一貫して、 同胞に理 論が高尚で専門的な軍事学術書と見なされているが、そのようにされるべきではない。国民は中華民国の主体であ り、国家を近代化しようとするならば、まずは国民を近代化しなければならない。いわゆる近代化とは、つまり軍 事化のことである。国家が軍事化しないと、近代的国家とは言えない。国民が軍事化していないと、近代的な国民 とは言えない。もしもわれわれ国民が近代的な国民になろうとするならば、まずは国民全体に軍事常識を多く知ら しめなければならない。著者が本書を執筆するとき、以下のような希望をもった。国防の常識を忠実な読者に紹介 し、本書が通俗的な読み物となるように望むように、と。ゆえに文章は明らかで簡単明瞭であるよう努め、生き生 きとしていて活発であるよう努めた。およそ晦渋難解で読者を悩ませるような字句は極力避けた。はじめて読んだ ときでも、人によっては専門的なものだと見なされるのを避けられないけれども、読み終わった後には、このよう

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立命館東洋史學 第 39 號 な考えは打ち消されるだろう。 二.言うべきことを痛快に、徹底的に言うために、文章を作るときには﹁言いたいことを言い、好きなことを言 う﹂原則に基づいて 、 理論的な用語でも 、﹁起承転結﹂の法則を死守しなかった 。条理の上の欠陥を補助するため に、文章の要点を頁の上部に掲げたので、読者には一目瞭然となっている。 三.本書は三つの部分に分かれている。第一編は古今中外の国防を総論した。一般理論の紹介のみ重んじた。国 防の﹁認識論﹂だと言える。読んだ後には、 ﹁国防とは何か﹂この問題に対して、 一つの概念がえられる。現代戦争 の特質に対して 、一層深い認識を有することになる 。第二編は 、現代国防の種々の型式と組織について説明した 。 国防の﹁本体論﹂と言える。読んだ後、現代国防の外形と内容、および各種要素の相互関係を明らかにした。第三 編で講じたのは、国防建設に関わる実際の問題である。中国国防建設の﹁方法論﹂と言える。読んだ後、中国の国 防建設とりわけ軍隊建設の方面で早急に解決を要する問題に対して、輪郭と、いくばくかの手がかりとなる。むろ ん、本書が提起するのは個人の意見にすぎないが、読者の参考に供せるものである。 四.現代の戦争は国家の全力量を結集した総力戦である。中国国防の建設に関して、当然総力戦に適応する要求 を目標としている。よって全体的な国防の組織に関しては第二編のなかで述べてある。ゆえに第三編のなかで述べ たのは建軍に偏ったのである。読者諸氏は建軍問題が解決した後で、国防建設が完成したとは絶対に思わないでも らいたい。理想的な国防建設とは、建軍のこと以外に、第二編のなかで提起した各種の組織を理想的な到達点とす る。 五.本書は一九四二年五月に脱稿した。本書では日中戦争と第二次世界大戦に対してときどき例を引きながら論 評しているが、それらはすべて執筆中の情勢を基にして述べている。出版以後、情勢も大きく変化している。だか

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 ら読者は﹁水中に落とした剣を探すために乗っているふなべりに印をつけること ︵事態の変化を知らず愚かなこと︶ ﹂を やって、 時間を無理矢理に引き戻すようなことはしないでほしい。 ﹁本文の一部分だけを取り出して議論﹂し、 前後 の文章の関係をずらしてしまうようなことをしないこと、これが作者が特に伝えたいことである。

目次

第一編   戦争と国防 第一章   中国国防建設の回顧   一  中国を蝕んでいるのは何病なのか   二  国防とは何か   三  中国国防退廃の原因 第二章   現代の国防思想   一  戦争と平和   二  列強対立関係下の国防観   三  近代国防建設にあたり認識しておくべき数点   四  全面戦争が近代国防におよぼす影響   五  近代国防の新思想︱聯合国防 第三章   現代戦争の特質

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立命館東洋史學 第 39 號   一  時効戦   二  流動性の戦術   三  時間と空間   四  併用戦   五  悲惨な結末 第四章   国防建設の要素   一  人の要素   二  物の要素   三  混合要素 第五章   国防力量の表現と運用   一  国防力量の結晶   二  各種国防力量の相関関係   三  国防結晶体の運用   四  国防外交の各種形態   五  列強の国防力量の運用   六  四面体による中国国防の分析 第二編   近代国防の形式および組織

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 第一章   前言 第二章   軍事組織 第三章   生産組織 第四章   参謀組織 第五章   政治組織   一  新政治型   二  新外交型 第六章   文化組織   一  国防教育と国防文化   二  教育組織と文化組織   三  近代戦争における文化組織の新たな任務 第七章   国家総動員の組織   一  新戦争型と新国防型   二  国家総動員の範囲と内容   三  国家総動員の方法 第三編   中国の国防を如何にして建設するのか 第一章   総説

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立命館東洋史學 第 39 號 第二章   兵力決定の標準   一  兵力の制限   二  中国に必要な最低限度の国防軍 第三章   国防軍の組織と整備 第四章   国防軍の養成   一  軍官 ︵将校・士官︶ 幹部の要請   二  軍士 ︵下士官︶ 幹部の養成   三  軍官団 ︵士官団︶ の重要性   四  打破すべき封建的な伝統   五  野営演習場の開拓   六  兵役制度 第五章   国防経済の建設 附録 蒋 ︵介石︶ 委員長に上申する兵器工業の根本的な建設計画

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦

第一編

戦争と国防

第一章   中国国防建設の回顧 一、中国を蝕んでいるのは何病なのか 中国といえば、一つの国家でありながら四億五千万人の人口を有しており、一千二百万平方キロメールの国土面 積、五千年近くの悠久で光栄ある歴史を有する国家だと連想させる。これは実に誇りとするに足りる。しかしなが ら 、この百年近くは 、強大な国が侵略し 、弱小国が軽視されている 。最初それでもわれわれをうやうやしく思い 、 中国を﹁眠れる獅子 ⑦ ﹂だと言っていたが、すぐ後にはこの巨大な虫は洋式の鉄砲を打っても眠りから醒めないとわ かり、 西洋列強は自己の中国の認識が完全に間違っていたと疑いはじめ、 また、 中国は居眠りしているのではなく、 重い病気に蝕まれていると判断した。こうしてニックネームを改め、われわれのことを﹁東亜病夫 ⑧ ﹂と呼んだので ある。 人はいくら貧しくても、いくら愚かでも、自分が病気になったと気がつけば、医者に診察してもらったり、漢方 医に脈を診てもらったりして、病状によって投薬してもらわない人はいない。それはなぜか。その人は死にたくな い、生きたいからである。まさか一国家が大病に蝕まれているのに、そのままほっておいて診察を受けないなんて ことがありえようか。 今ここで、尋ねたいことがある。 ﹁東亜病夫﹂とはいったいどのような病気であるのか。

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立命館東洋史學 第 39 號 *中国を蝕んでいるのは時代病である。 一九一五 ︵民国四︶ 年 、わたしは無意識に古い新聞紙上である記事を読んだ 。だいたい以下のような内容だった 。 関税職員と総税務司ロバート・ハート ⑨ が雑談していて、中国がいつも対外戦争で敗北している原因について話が及 んだ。ハートは中国を蝕んでいるのは﹁時代病﹂だと言ったという。その後、両江総督劉坤一 ⑩ がこの話を聞きつけ て、 ハートに尋ねても、 ハートは何も言わなかった。一九一三 ︵民国二︶ 年になって袁世凱 ⑪ がハートに清杖田賦方案 ︵詳細に土地測量をして田租を徴収するための方策のこと︶ の草稿代筆を依頼した時も、 ある人がハートに尋ねたのだが、 微 笑するだけで何も答えなかったという ⑫ 。 *時代は人類の社会生活の反映である。 ﹁時代は﹂見えないものだから、 時代を認識しようとする場合、 仕方ないのであるが一つの時代を反映する社会生 活を考察して、一つの時代を代表する特殊な条件を把握する必要しかないのだ。われわれはこの一つの時代の国民 生活と列強のそれとを比べれば発見することができる。ある部分は同じで、ある部分は異なる。われわれ自身余分 なものは何であり 、不足しているものは何か 。同じような事情ではあるが 、どうして他人はあんな風にするのか 。 こうして根掘り葉掘り尋ねれば、われわれの病原を見つけるのは難しくないし、時代を把握して時代認識を誤るこ ともないのだ。 *生活様式の遅れが百年不治の時代病を養成した。 現在は﹁科学﹂の時代であるが、われわれのすべてのことは科学に合致していない。現在は﹁機械工業﹂の時代 であるが、われわれはまだ農業や手工業による生産に頼っている。現在は﹁戦闘﹂の時代であるのに、われわれま まだ徒手空拳のまま、平和的手段によって、強権を打倒し、勝利を得ようとしている。まさか夢をみているのでは

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 あるまいか。 一般的には自覚したすぐれた人々も文章で論じあうか、口頭で理論を展開するのみで、物質的に理論を表現する 力はない。そのために知らず知らずのうちに時代性が失われてしまい、百年積み重なって治らない﹁時代病﹂にな るという結果をもたらす。満清末期から現在に至るまで、この病状は軽減しないばかりか、かえって日増しに悪化 してしまっているのである。当初は、病気の根が特定できないために悩んでいたが、その後は病を隠し、医者の診 察を回避し、旧習を守って改めることがないのである。 今、 われわれが再びしっかりと歯を食いしばり、 大いに決心して、 徹底的に病を根治しなければ、 ﹁東亜病夫﹂は ほどなくして 、永眠してしまい未来永劫回復しなくなってしまうだろう 。四億五千万の人民が奴隷に没落し 、 一千二百万平方キロメートルの土地は拱手して他人に渡してしまう。五千年の悠久で栄光のある歴史はこうして葬 り去られてしまうのだ。中華民族の興起と滅亡、断絶と継続は、すべてわれわれこの世代の黄帝 ⑬ の子孫が努力する しかないのだが、解決はやる気を出すか出さないかにかかっているのだ。 *中国の時代病を根治する方法 中国の﹁時代病﹂という病を根治しようと思えば、わたしは二つの宝物があれば十分だと思っている。一つは天 文台にある天体望遠鏡であり、もう一つは実験室にある顕微鏡である。国家建設の大計を制定し、かならず志が高 遠で時代の潮流に迎合しなければならない。二度と功を急いで利を求めて、行き当たりばったりと当座しのぎで過 ごすことを許してはならない。建国の大計を実行するときには、かならず微量の血と汗で確実におこなわなければ ならならず 、 ふたたびわれわれがそそっかしく滅茶苦茶な態度を取り 、敷衍してすませるのを許してはならない 。 ﹁大所に着眼して、小処から着手する﹂とは科学の方法であり、時代の精神なのである。

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立命館東洋史學 第 39 號 *他人に操られれば滅び、自らが操れば存在できる。 アヘン戦争 ︵一八四〇︱四二年︶ から抗日戦争に突入して五年に到る現在まで、 われわれ中華民族は大きな不運にあ い、 列強の侵略、 凌辱、 欺き、 侮蔑を受け、 息もたえだえになって切迫して明日をも知れなくなり、 ﹁急功近利、 因 循苟且 ︵功を急いで利を求めて、 いい加減にすましてしまうこと︶ ﹂の八文字で完全にだめになってしまったと言える。清末 の李鴻章 ⑭ 、 張之洞 ⑮ らの高官が責任をもって洋務 ︵西欧流の近代化政策︶ を実行し海軍を練兵し、 鋭意革新し、 西洋を模 倣した。資本と技術は外国から借用しただけでなく、各種の事業の経営管理、軍艦の運航と指揮方法もすべて外国 人の手に握られたのである。 甲午の一戦 ︵日清戦争のこと︶ で、 北洋艦隊 ⑯ は戦闘をして全軍が壊滅して国庫が空になってしまい、 心血を注ぎ尽く して購入した船堅砲利 ︵西洋列強の戦艦と大砲の性能が優れていること︶ は自らは使うこともできなくなってしまった。こ れでは、どんな利点があるというのだろうか。税関、郵便行政や各種の破産した経営開発権もすべて拱手して外国 人にわたしてしまった。自己の管理が良くないと考えて、再度、管理する方法を研究しようとしなくなったのであ る。 こうして、太阿の宝剣を逆さまにもち ︵人に大きな権限を持たせて自分が苦境に陥ること︶ 、何事でも他人の指図を受け て言いなりになった。少なからず苦しい目にあい、あらゆる計略を尽くしてあれこれとやって自由を回復し、自ら の経営に回収しようと企てたものの、外国人は終始逐一手放すことを承知しなかったのである。中国の産業の後れ はこうした段階に到達しているのだ。これは ﹁功を急いで利を求める ︵成功を急ぐあまり、 眼前の利益にとらわれること︶ ﹂ あまり、だまされてしまったのである。安く値切ろうとしたのだが、結果かえって大損をしてしまったのだ。

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 *日本人は実用のために学び、弱から強に転じた。   中国人は学んでも実用化しないから、ことごとく遅れる。 学術について述べるとさらに滑稽である。五、 六年前の日本も侮り侵された弱小民族だったのだが、 西洋物質文明 の苦しみを味わった後、伊藤博文 ⑱ をヨーロッパ留学に派遣し、西洋人の本領を学びとった。帰国後、政府はかれを 重用し、明治維新という大事を作り上げ、日本を近代国家の道に推し進めた。 中国政府が伊藤博文と同時期にヨーロッパ留学に派遣した厳復 ⑲ も西洋人の本領を学びとった。帰国後、政府はか えってかれを相手にしなかった。かれは私塾でハックスリー ⑳ の講演録﹃進化と倫理﹄を﹃天演論﹄として、 アダム ・ スミス の﹃国富論﹄を﹃原富﹄として翻訳し、本意を遂げぬまま歳月を過ごしたのである。厳復が名著を翻訳した こと自体、 中国の学術界に対する貢献はもちろん小さいとは言えない。けれども伊藤が成し遂げた事業と比べると、 同列に論じることができるだろうか。 現在に至るまで、中国の科学はいまだ教科書を離れることができず、科学を学ぶ専門家は工場に行って技師の職 を担当できない。依然として学校で時間をつぶして教師稼業をやっている。わりあい希望があり方法もある科学の 専門家と技術者の多くは、政治の舞台に入り混じって大小の官僚になってしまい、産業界は玄人が見つからないま ま企画経営をやっていくことになり、やむをえず不器用でてきぱきと動かない無学な者たちに聞いてがさつな運営 をするしかないのだ。まさしく暗中模索である。 外観を敷衍することはでき、大きな誤りを犯さないのは、僥倖となるはずだが、そこでまた生産効率が問題とな る 。 このような ﹁用いるに学ぶ所なく 、学んでも用うる所なし ︵実際に使用するものを学ばず 、 学んだものは実際に使用す ることがない︶ ﹂の風潮、 そこが中国近代化の最大の障害である。それを除く以外、 中国の産業は永遠に発達する希望

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立命館東洋史學 第 39 號 はない。 仮に、われわれが視線をある観点に、つまり中国国民の社会生活に留意したとすれば、さらに恐ろしいと感じる だろう。 *生産様式が生活様式に追いつかず、中国経済全体を破産させた。 資本主義国家の商船は軍艦に従って一隊また一隊とわれわれの海港に入り込み、われわれの﹁鎖国政策﹂を打ち 破った。良質廉価の舶来品が市場を満たし、一般の国民を誘引して享受し、消費される。舶来品にはたくさんの優 遇措置がある以上、国産品にはライバルになるのである。愛国の獅子たちがいかに﹁国産品提唱、権利挽回﹂とい う類のスローガンを声高に叫んだとしても、何にも役に立たないのだ。舶来品の勢力は都市から農村に拡大してお り、上流社会から一般国民にまで普及しているのである。同時に同種の品物であれば、市場に舶来品があって買わ れる以上、国産品は販路を広げるすべもない。西洋人は機械によって生産するが、われわれは手で生産する。手工 業と機械工業との闘争で、勝利を得ようとすることは、率直に言って徒歩で汽車を追かけたり、帆船で汽船を追う よりもいっそう難しい。 われわれの産業は時代遅れになってしまった。 われわれの経済は破産してしまった。 以前、 小規模の工場を経営していた人は損をしたため、やむなく転業し、舶来品販売店を開くか、原材料を仕入れ販売す るか、外国人との商売をするしかなくなった。 比較的進歩的な国民は、 食べるのは洋食、 着るのは洋服、 住むのは洋館、 乗るのは舶来自動車、 歩くのはアスファ ルト道路、吸うのは舶来タバコ、使うのは外国の貨幣、読むのは外国語、話すのは外国語、戦争で使うのは洋式銃 砲なのである。機械の力がわが国を支配し、われわれの生活を統制している。機械を離れては、われわれは快適な 生活ができないばかりか、根本的に生き続けていくすべもないのである。われわれは、このことをくれぐれも忘れ

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 るべきではない。 * 外国製の機械がわれわれの国家を支配しており 、われわれの生活を制御していて 、われわれの運命を掌握している 。このことは非常 に恐ろしいことである。 われわれの生活必需品を生産する機械は外国人の手に握られ、われわれの社会の進歩を推進する動力は外国人の 手に握られ、民族自衛の戦争を行う武器すらもみな外国人の手に握られてしまっている。われわれの国家と民族は 今日に到るまでまさしく一〇〇%物質文明の消費者、資本主義の寄生虫になってしまった。世界中でこれよりも危 険で恐ろしいことが存在するのだろうか。いや存在しない。 *中華民族の復興するための第一条件 国民革命を完成させ、 中華民族を復興させようとするなら、 その第一条件は、 ﹁外国人に依存する劣等根性を徹底 的に取り除くことである﹂ 。そうすることで、 全国民に独立自主の経済生活を過ごせることができ、 中国社会が独立 自主の進歩を獲得でき、中華民族は独立自主の戦闘ができるのである。言い換えれば、われわれには自発的な生産 力、生活力、生命力、戦闘力と機械による動力が必要なのだ。 *力の時代、機械の時代 今は力の時代である。人類の歴史のあらゆる活動はすべて力による支配、その比較と競争である。 偉大な力があってこそ、現代の戦闘に参加できるし、戦闘してこそ勝利が得られるし、勝利してこそ生存して発 展できるのである。だが、人類本来の体力はすでに機械の動力に屈服したため、力を生み出す主要な要素とは言え ない。一国家の強弱は全国の人力、 物力、 文化力の総和を根拠として決定される。よって人口が多く、 土地が広く、 物産が豊富で、悠久の歴史を持っている国家が必ずしも強大な国家だというわけではない。多数の人口、広大な土

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立命館東洋史學 第 39 號 地と豊富な物産、すべてにおいて高度に力量を発揮できる国家が強国である。かれらがわれわれ中国を侮った原因 は 、われわれの人民 、土地と物産のすべてが強力な力量を発揮できず 、消耗するだけで生産できないからである 。 われわれが外貨を吸収して国家のうわべを粉飾するのは、結核患者のようなガリガリにやせて顔色の悪い人がアヘ ンを吸いモルヒネを打ち、 体力を増強して精神を奮い立たせることとなんら違いはない。一時的には有効であるが、 実際には体力は日増しに衰え、生命力は日ごとに衰弱していく。こんな風に続けていくと敵に遭遇したら首を差し 伸べるだけで殺されるしかない。敵がいなくてもただ座して死を待つだけである。 国家と民族を愛する読者たちは、急いで天文台に行き望遠鏡で世界の大勢と時代の潮流を見て、国家と民族にか かわって﹁長期的な計画﹂を作ってもらいたい。二度と﹁伝説上の毒鳥である鴆 の羽毛の酒を飲んで渇きをいやそ うとする︵目前の利益のために、 後に来る大害を顧みないこと︶ ﹂ようなことをしてはならないし、 目先のことで評 価してはならない。 *中国を救うには、産業と動力を忘れてはいけない。 われわれは 、国家と民族の健康を回復させなければならない 。われわれには強靭な国防が必要である 。同時に 、 われわれは﹁産業!産業!!産業!!!動力!動力!!動力!!!﹂を骨に刻んで記憶して忘れず、 ﹁東亜病夫﹂と いう﹁時代病﹂を根治しなければならないのだ。 二、国防とは何か 一つの問題を研究するとき、まず自己の研究、あるいははっきと述べて明らかにするテーマについて、それに一 つの明確な定義あるいは概念を与えなければならない 。そのためわたしは ﹁国防﹂を定義する必要があると思う 。

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 だが一つの物事を定義するには相当に困難である。わたし個人の見方によれば、しばらくは﹁国防﹂を次のように 概括して説明しておきたい。 *国防の定義 ﹁国防とは、 人類に同等に備わった安全感覚の産物であり、 生存競争の経験を集結してできあがった武器庫である と言うことができる。同時に共存する各民族の国家の境界線がいまだ除去されず侵略の武器が壊滅させることがで きない前では、それがいつも科学的進歩と人類の欲望と時代とともに進展変化し続けて止まることを知らないので ある﹂ 。 ヨーロッパの政治哲学者プラトン とベンサム 等の人間性に対する見解によると、 ﹁人間の本性は、 もともと﹃多欲 的﹄である。約言すれば、つまり欲得、欲能、欲安にほかならない﹂のである。 ﹁得﹂が総合目標であり、 ﹁能﹂は あらゆる手段であり、 ﹁安﹂はある手段がある目標に到達するための基本的な力量を保障することである、 言い換え ればすなわち、それは﹁国防﹂なのである。 *国防の機能は国家、民族の安全の確保を求めること。 孫総理 ︵孫文︶ は以下のように述べている 。﹁人類が生存しようとすれば 、二つの最大の大事をなさなければなら ない。第一は﹃保﹄であり、第二は﹃養﹄である ︵﹃ ﹄は訳者による︶ 。﹃保﹄と﹃養﹄という二つの大事は人類が日々 行う必要がある。 ﹃保﹄とはつまり自衛であり、 個人であれ集団であれ国家であれ、 自衛能力を持ってこそ、 生存す ることができるのである。 ﹃養﹄とはすなわち食物を探すことであり、 この自衛と食物を探すこととは、 人類の生活 を維持する二大大事なのだ﹂ と。 ﹃保﹄ の意義は消極と積極の二方面に分けて解釈することができる。消極面の機能 ︵役割︶ は﹁求安 ︵安全安寧を求めること︶ ﹂ ︵﹁﹂は訳者による︶ である。現状を維持し、 対内的には社会の安寧秩序を維持

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立命館東洋史學 第 39 號 し保護し 、対外的には外力の侵入襲撃を防止しなければならない 。積極面の機能 ︵役割︶ は 、﹁求全 ︵完全を求めるこ と︶ ﹂ ︵﹁ ﹂は訳者による︶ である 。だから目の前の生活に欠陥があると感じると 、 現状に対して不満をあらわし 、 自己 が必要とする物質を確保し満足しようとする。満足してからは安寧の生活を手に入れることができる。ゆえに﹁求 全 ︵完全を求めること︶ ﹂も人類生活の外への発展だと言える。このように言えば、 ﹃保﹄の意味は、 ﹁国防﹂であると も言える。 *生活は戦争である。人類の歴史の現段階において、戦争は回避するすべがない。 生活は戦闘である、人類の生活の歴史は戦争の歴史である。生活しようとすれば戦闘しなければならない。一日 生活するとは、一日戦闘する必要がある。これはすでに千古不滅の真理になった。ダーウィン は﹃進化論﹄で﹁生 存競争、優勝劣敗、適者生存、不適者滅亡﹂と述べた。ドイツのゼークト将軍 は﹁世界の歴史の表面的現象が戦争 である。新型の歴史学の方法である。民族発展の過程で戦争の事実を除去したり、戦争を否認したり、平和交渉が 世界の変遷の中心だとすることはできない﹂と述べた。 戦争は残酷だが、たとえ哲学者でも、文学者でも、生物学者でも、社会学者でも、軍事学者でも、みな戦争が人 類歴史の大きな車輪の前進を推進転換する基本的な動力であると認識を一致させた。一回の戦争をへるごとに人類 文化には変革と進展がある。多くの人は戦争を賛美したり、呪ったりするけれども、戦争はいつも放任されたまま 過ぎ去り、放任されたままやってくる。まるで太陽のように。 どうして人類は命がけで戦争に反対すると同時に 、命がけで戦争を準備し 、戦争を作り出そうとしているのか 。 一言で言ってしまえば、人類が安全への欲望と安全の感覚をもっているからなのだ。

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 *国防を築き上げる基本的な動力とは何か。 生命力は人類の生存に必要であるし、人類の発展にも必要である。人類が現状を維持し、人類が現状を打破する にも必要である。地球を一つから二つに分けることはできない。だから、聡明な人類は不可能なことを妄想しはじ めて、人類はますます多くなったが、心の中には恐怖が引き起こされた。世界はこのぐらいの大きさに決まってい て、領土はとっくに分割され、生存の空間はこのように狭くて、生活資源は貴重である。次から次へと生じてやむ ことはない。われわれの子孫は結局ある日、地球外に絞り出され、ある日凍えて飢え死にしてしまうだろう。その ため、こちら集団とあちら集団との間に衝突が発生するのだ。良い環境に恵まれた集団は安心して暮らしながら仕 事を楽しんだり、富貴を長く保ったりすることができなくなることを恐れるのだ。 つづいて安全の感覚が引き起こされる。一部分の生命力を切りとって現存の生存空間と生活資源の防衛に用いる 必要がある。先天的に虚弱であるかあるいは神経過敏であるのは主観的認識において貧乏だと自覚する。羨望から 嫉妬、垂涎、安全への欲望の激発、それが略奪の考えを引き起こすのだ。略奪の目的を達成するため、安全を追及 する欲望を満足させるために一部分の生命力を切りとって略奪の任務を負わせる必要がある。このような略奪の企 てが相手に発覚したり、相手が略奪される可能性があると自ら認識したとき、かれ自身の安全がいつの間にか脅威 を受けてしまい、やむをえず憂患を予防するため抵抗を準備せざるをえなくなる。二つもしくはいくつかの利害が 矛盾しあう集団はこのような条件の下で、しだいに敵対行為を醸成し、それが暗闇から明浄に変化するのだ。クラ ウゼヴィッツは﹁人類が勝ち負け競い合うのには二つの要素がある。一つは敵対感情であり、もう一つは敵対的意 図である ﹂と述べた。このような敵対する感情と意図は国防を築き上げる基本的な動力となるし、それはまた無形 の精神的な国防であるとも言える。

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立命館東洋史學 第 39 號 歴史は一刻もとどまらず進展し変化している。個々の民族あるいは国家の間には、天然資源の埋蔵量の多少と生 産技術の発達の前後によって、国防の形式と内容を変化させた。国と国の間でも国防力量も長期的な均衡を保持し ようがなく、人類共通に要求される安全はかえって絶え間なく脅威を感じさせた。例えば、陸、海、空軍が完備し ていない国家民族は陸、海、空軍が完備した国家民族からの脅威にさらされなければならない。陸、海、空軍の力 量が薄弱な国家民族は、陸、海、空軍の力量が豊富な国家からの脅威にさらされなければならない。技術的に遅れ た国家民族は、技術が発達した国家からの脅威にさらさなければならない。ということは、陸軍だけしか保有して いなくて海軍、空軍を全然保有していない国家民族が国防上で感じる脅威は言うに及ばないのである。 *国防とは、永遠に完全なものにならない一種の怪物である。 私は、 ドイツ帝国皇帝ウイルヘルム二世 が鋭意国防を整頓した時に、 ﹁国防とは、 永遠に完全なものにならない一 種の怪物である。人類が自然を征服する方法には止まるところがないため、国防の設置、改善と増進も同じように 止まるところがないのである﹂と言ったことがあることをぼんやりと記憶している。そのときフランスの軍事学者 も、 ﹁国防建設とは、 永遠に生産的な投資ではないが、 もしもこのような投資を惜しむならば、 国家、 社会、 個人の 生活活動に至るまで、すぐに停止してしまい断絶してしまうにちがいないだろう﹂と述べていた。 ベルギーの前国王レオポルド二世 は、 第一次世界大戦前のある年の予算会議で、 ﹁われわれは永世中立国であると はいえ、もしそれ相応の国防を欠いているならば、わずかに条約に頼って維持したとしても、一旦不幸な事件に遭 遇したら、全国の生命財産は重大な損失をこうむることになるだろう﹂と述べた。 一九一四年に大戦が勃発してから、 ドイツ軍はベルギーのリエージュ とナミュール という二つの要塞を攻撃した。 山を押しのけて海をひっくり返すような猛烈な軍事力で、勢力が薄弱なベルギー軍は四〇数日間もちこたえること

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 ができたが、これは国防建設に対して遠大な見識を持っていたアルベール の賜物であるとせざるをえない。 要するに、国防の意義は極めて広範にわたり、極めて奥深い。国防が負う責任とは、人民の生命財産を保障する だけではなく、国家の領土主権、社会の安寧秩序、かつ国策を推進し、国家の機能を発揮させる強い梃 子なのであ る。 三  中国国防退廃の原因 われわれの国防は、こなごなになってから再び整理したのではない。根底からゆっくりと改良進歩をはかったの でもない。簡単直裁に言えるのは、われわれの国防はすでに数年間おこなっていなかった。数年間の外患と内戦の ため、おこなう時間がなかった。今になって始めようとしたときに、敵がまたわれわれがおこなうのを許さなかっ た。ここまで話およんだときに、 わたしはチェコの初代大統領マサリク博士 が言った言葉を思い出した。 ﹁国があれ ば、国防がなければならない。国防があって、国があるのだ﹂と。また、この言葉を見てから、兵器製造で世界的 に著名なチェコが二年前に戦わずして降伏し、本当に寒くないのに震えるほど恐ろしくなった。細かく考えてみる と、われわれは四千年以上の歴史を有する老大国であるのに、どうしていままでずっと国防がないのだろうか。国 防がないのに、なぜ存在することができ発展することができるのだろうか。これは本当に、いぶしかしいことであ り、われわれは、根源をきわめて、その原因を探し出さなければならないのだ。

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立命館東洋史學 第 39 號 ︵一︶国防退廃の遠因 *中華民族は、良い環境に恵まれており、いまだかつて本当の外敵外患に遭遇したことがなかった。 前述したように、 ﹁国防とは人類が共通に持っている安全の感覚の産物である﹂ 。このような安全の感覚も理由も なく生まれたのではない。第一に、必ず二つ以上の国家が同時に存在しなければならない。第二に、必ず二つある いは二つ以上の同時に存在する国家間に利害衝突が発生し、このような相互の衝突の程度もまた国家の安全を脅か さなければならない。 中国のような広く果てしない無限な領土は、東側と南側は海に囲まれ、北側と南西側は砂漠と高山によって隔て られている。生存に適する空間上には天然の優越した条件が存在している。つまり、 土地は肥沃で、 物産は豊富で、 生活は発展しやすい。土地は広大だが、人口は希薄なので、無制限に自由に発展可能である。 中華民族は黄河の上流から生じ一世代一世代繁栄し、流れに従ってくだり、東西南北四方に拡大発展し、強大な 抵抗勢力に遭遇しなかった。われわれの祖先はすでに人口が多く、また早々と統一した言語を創造することにより 感情を疎通させ、 簡便な文字を発明することにより文化を伝播した。すでに知識水準が高く、 勢力も強かった。かっ て異民族と衝突を発生したことがあるものの、かれらは少数であり、文化の水準が低かったから、衝突の結果、常 にわれわれに同化され、われわれと共同生活をし、時間が経つにつれて、血統上、言語上、風俗習慣上のさまざま な境界線が徐々に消え、合して一つとなったのである。単に敵対する意図がなかっただけではなく、根本的に敵対 する感情もなかった。それゆえ、三苗、匈奴、夷狄、蛮、貊 は歴史上の名詞に過ぎない。最も強大な苻堅 、連綿と 続いた元魏 でも、当初はもちろん威勢はかくたるもので、疾風暴雨のようで防御不可能だったが、生活上でわれわ

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 れと密接な関係が発生した後は、朝露や秋の霜が温かな陽光に出会ったように、知らぬ間に感化され、かれら自身 も異民族だとわからなくなってしまった。元朝、明朝以前、われわれはまったく真の敵国がなかった。敵国がない のだから、外患がやって来るわけがなかった。外患の脅威がなかったのだから、国防を建設する必要を感じなかっ たのは当たり前なのだ。 *政治上の大統一主義と王道主義 政治上、中国の皇帝にはある種の伝統的な観念があった。つまり﹁天下を以て一家となし、中国を以て一人とな す ︵聖人はうまく天下を治めて一家の如くにし 、 中国全体を取りまとめて一人の人間のようにする︶ ﹂ ということである 。かれは ﹁普天の下、 王に非ざるなく、 率士の濱、 王臣に非ざるなし ︵天のあまねく覆うところ、 王の土地は限りなく広く、 王︿天子﹀ の土地でないところはない。地の続く極みまでも、 そこに住む者は誰一人として、 王の臣下はでない者はいないほど限りなく多い︶ ﹂ と 思っていた。人民は帝王の私有財産にほかならなかった。 ﹁天に二日なく、 民に二王なし ︵天に二つの日はなく、 民に二 人の王はない︶ ﹂ の教条の下、億病人はしっかりとした順民となった。 たとえたまたま少数の野心家が革命を始めたとしても 、朝廷はかれらを叱責して乱臣逆賊として 、名義正しく 、 主張も妥当に自在に数回兵団を派遣してかれらを平定してしまう。と同時に、中国にもまた世界で最も独特で最も 気高い政治道徳がある。王道を崇拝すること、徳で人を従わせる主張、大を以て小に事えることの標榜、ちょうど ﹁文王は昆夷に事えたり ︵周の文王が西戎の昆夷に対して礼をもって交わること︶ ﹂ と﹁大王は 䚟 鬻に事えたり ︵周の文王の祖 父である大王が北狄の 䚟 鬻に対して無事に交わること︶ ﹂ はもっともよい事例である 。中華民族は自己の強大な力量に頼っ てほかの国家民族を侵略しないだけでなく 、かえって ﹁己を立たんと欲して人を立てる ︵仁者は自分が立ちたいと思う ときに、 まず人を立たしめる︶ ﹂ の精神で弱小を扶助し、 かれらもわれわれと同様に生存発展できるようにしたのである。

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立命館東洋史學 第 39 號 孔子が述べた ﹁絶世を継ぎ 、廃国を挙げ 、乱を治め危を持す ︵子孫が絶えて祭られない家に 、跡継ぎを立て 、滅亡した国 を興し 、乱を治め 、危うい者を助ける︶ ﹂ は 、中華民族の一貫した国策になった 。孔子の思想は人心に根を下ろし 、かれ の主義は中国の政治を支配した。かれの尊君思想と王道精神に反することは、国民に大逆不道だと認識される可能 性があった。そのため、政府の統制力量の主なものは裏切りを鎮圧して統一を保持し、異民族に対し、懐柔政策だ けでは効力が失われた時になって、はじめて武力を用いて、かれらに教訓をあたえた。かれらが徳を受け入れ威力 を畏れ、誠を固守して再び禍乱のないように過去を悔いて統一を擁護するのを待って、毎年代表を派遣して中央に 一回行く。朝廷は来賓として慰問して励まし、去る時には数本のつえ、錦、帛、馬車の費用を賜った。 政治から見ると、我が国の過去の軍備を整えた目的は、対内的なものであって、対外的なものではなかった。過 去の戦争史は十中八九中華民族の家庭争議の記録であり、敵国との闘争の歴史として数えることはできない。すべ ての軍事設備は国内の治安を維持するものであって、国防と見なすことはできない。 国防は国民の社会生活、国民文化の反映である。われわれは国防問題を研究する際、決して国民の社会生活から 離れることはできない。中国は三代 ︵夏、殷、周王朝︶ 以後、人民はしだいに遊牧民族から農業民族に向かって進み、 それにしたがって生活の基礎も山林から田園に移り変わっていった。狩猟時代において、 戦闘の対象は禽獣であり、 戦わなければ生活はできず、戦闘用の武器も生産のための道具だった。それゆえ、遊牧時代になっても、ずっと生 活は最も安定性を欠いていたままだった。 井田法 の確立により 、農業の生活上における重要性が日増しに増加していき 、状況は大きく変わったのである 。 その時の皇帝は大地主であり、計口授田の方法 で、民衆に土地を耕作させ、皇帝はかれらを管理しつつ、栽培方法 を教えた。生産した穀物は一部分を皇帝に上納した、それを租税と呼んだ。開墾に成功した土地は無数の心血と労

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 力を消耗して得られたものだから、本分を守らない怠け者に力づくで奪い取られるという最も恐ろしいことを防ぐ ために、 皇帝は集団防衛という制度を考案し、 佃戸 ︵土地を持たない小作人︶ に井田を防衛する責任を共同で負担させ、 皇帝はそれを組織し、統帥者となったのである。 このような井田を監視する義務は賦役と呼ばれた、税で食を満たし、賦で兵士を養う。孔子は﹁食を足し、兵を 足し ︵食を満足させ 、軍備を充実し 、︶ ﹂ と言った 。つまり 、土地が肥沃で 、生産量が豊富で 、なおかつ 、防衛が理にか なっていて危険がなければ、人民は君を信じ、擁護するのだ。その時、民衆は納税と兵となることに絶対反対しな い。というのは聡明で知略のある人に領袖、師匠になってもらったり、防衛隊隊長になってもらい、かれらの生活 を改善してもらい、かれらのの土地を守ってもらいたいからなのである。 土地は最も安定性に富むから、農民の生活は完全に土地に委託している。だから、かれらにとって最も理想とす る生活は安定した生活である。 ﹁中春に振旅を教え、遂に蒐田を以てす ︵春の三ヶ月の真ん中の月︿陰暦二月﹀には軍の整 頓 ・帰還を教え ︿実は農事に専念させる意﹀ 、そして田で孕んでいないものを択取する︶ ﹂でもかまわないし 、﹁中夏に 䠲 舎を教 え、 遂に苗田を以てす ︵夏の三ヶ月の真ん中の月︿陰暦五月﹀に野営を教え、 田で夏期の狩猟をして、 苗は孕まないものを取って苗 害を発するのを除去する︶ ﹂でもかまわない。 ﹁中秋に治兵を教え、 遂に獼 ︵ 䚞 の誤り、 訳者︶ 田を以てす ︵秋の三ヶ月の真ん 中の月︿陰暦八月﹀には軍隊を訓練し兵士を勢揃いさせ、 田で秋の狩りをする︶ ﹂でもよいし、 ﹁中冬に大閲を教え、 遂に狩田を 以てす ︵冬の三ヶ月の真ん中の月 ︿陰暦十一月﹀ に軍の大検閲をおこない、 田で冬の狩りをする ︿選び取るものが何もない意﹀ ︶ ﹂だ っ てよいのだ 。 このように 、かれらを自分の田畑から離れさせなければ 、すべての行動がかれらの身近な利益に反しなければ 、 農民たちはみな喜んでやるのだろう。老子が﹁隣国相望み、 鶏狗の声相聞こえ、 人民老いて死すも、 相往来せず ︵隣

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立命館東洋史學 第 39 號 国の様子が望み見ることができるほど 、 鶏や犬の鳴き声が聞こえるほど 、 それほど近い国の間でも 、民は老いるまで 、互いに往来し合 うことはしないのである︶ ﹂ と述べたのは、原始的農業社会の写実的描写なのである。 *農業社会の経済生活は、戦争を忌む思想を生んだ。 後になって、ある大地主は野心を持ち、かれらの小作農を利用して侵略させることで領地を拡張し、勢力を拡充 しようとした。しかし、当時の土地は農耕技術が未発達だったため、穀物の生産量が限られていた。地主たちは戦 争を準備するために、 あらかじめ租税を増税して軍備を備蓄せざるを得なかった。税率は十分の一が十分の二、 三に 変わり、もう農民は負担する能力がなくなった。穀物の備蓄量が相当に多くなった。続いて強壮なる成人男子を徴 用して入営させ、 ﹁徴兵させて軍隊に入営させた﹂ 。そして略奪的性質を有する戦争を行った。戦争を長い間引き延 ばせば、社会の安定秩序を破壊して、深刻な飢饉を引き起こした。老若は渓谷に分け入って、成人男子は四方に散 りじりになった。いわゆる﹁大兵の後、必ず凶年あり ︵大軍を動員すると、天も悪気をまき散らし、その後は凶作になるもの だ︶ ﹂ というのは、 生産に従事する農民は死ぬものは死に、 逃げる者は逃げたりして、 田園は荒廃し、 耕作する人が いない。凶作の年は免れがたかったのである。古代の聖賢は戦乱の時代に身を置き、 目の当たりにして心を痛めた。 かれらの惻隠の心 を激発し、いたるところに﹁厭戦の思想﹂を散布して、戦争に反対するよう人民を鼓舞した。老 子は ﹁夫ただ兵は 、不祥の器 ︵立派な武器は 、善からぬ人の道具である︶ ﹂ 、孟子は ﹁善く戦う者は 、上刑に服し ︵戦争が 上手な連中は極刑に処すべく︶ ﹂ と言った。墨子は辛苦を顧みず、 人のため己を捨ていたるところで﹁兼愛非攻 ﹂を宣伝 した。兵は不吉で、戦いは危いという思想は一般の国民の本心に深く刻み込まれた。ある種平和を愛するという徳 性が造り出され、数千年間変化しなかった。

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 *家族思想と個人主義が流行り、人民が国事に全く無関心なこと。 その当時戦争に反対する学者は、ある者は民衆の立場で戦争に反対し、またある者は皇帝の立場で国家の統一を 破壊することに反対するために戦争を呪った。国の組織が日増しに複雑化していくので、戦争の目的も以前のよう に純粋ではなくなった。民衆の利害と皇帝の利害とが往々にして一致しなくなった。ひたすらに大きな仕事をした がり、むやみやたらに手柄を立てようとしたり、兵力を乱用してみだりに武力を用いる君主はもともと言うに及ば ないが、英明な天子、賢明な宰相が万やもうえず、戦争に従事する場合も、国民全体の擁護を得るのは容易ではな い。どうしてだろうか。 政府が代表しているのは全国家と民族の利益であるが、農民が代表しているものは一家族、一個人の利益だから である。農民の観点から見れば、かれらの土地を侵犯したり、かれらの田園を略奪しなければ、根本的に戦争をす る必要はない。原始的な農業社会の時代において、農民は租税が自己の生命と財産を保護するために出していると 思っており、国家が形成された後、農民は租税が一種の法で定められた負担であるに過ぎないと思っている。 壮丁の徴発と納税は国民にとってある種直接的な損失であるが、租税が国民にもたらす利益は間接的で、無形で ある。大多数の民衆は租税以外、国家の存在を知らない。人民と政府との関係は租税を出す側と壮丁を徴発し、お 金をもらう側の関係に過ぎない。皇帝としてむやみやに尊大ぶり、 ﹁朕は国家なり﹂と言えば、 人民も国家が朝廷で あると誤解してしまう。亡国とは朝廷が替わり皇帝が替わることだ。張三が皇帝になれば、張三に税を納め、李四 が皇帝になれば、李四に帰順する。国家の興亡は人民と関係がないのだ。民衆に国家の観念がない以上、軍備を整 えて国防を充実させることに当然興味があるわけがない 。戦争と聞けば頭が痛くなり 、壮丁を徴発すると聞けば 、 何らかの方法で逃れようとする。このような国民の心理が根本的に改造されていないうちに、国防建設に従事しよ

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立命館東洋史學 第 39 號 うと思ってみても、砂漠の上に巨大な建物をつくるより難しいことである。 地大、物博、多衆は、中国の ﹁すばらしい﹂長所でもあるし、中国の﹁たまらなく重大﹂な病根でもある。領土 が大きすぎるため、山渓の険があるので、道中は楽ではない。国家の神経感覚を麻痺させ、みな痛痒を感じなくな り、政治の効率は高めるすべもない。物産が豊富すぎるほどあるため、生活資源は簡単に獲得でき、競争する必要 はないので、まあまあいい加減にごまかしてその日暮らしをすることができる。国民は世や他人と争わない態度を 身につけていて 、 行き当たりばったりに過ごしていて 、 進歩を求めず 、努力して発明を創造することを知らない 。 国民生活は終始農業経済の段階で停滞していて、前へ進めることができない。人口が多すぎるため、分布する地区 が広大で、生活習慣、言語、風俗、宗教が同一の民族の中でも完全には同一ではない。心理上いつの間にか自然に たくさんの隔たりが発生して、 統治する上で非常に困難になっている。しかし、 従来の統治階級はすべて﹁大一統 ﹂ の夢を見ていて、 ﹁民に二王なし ︵民に二人の王はない︶ ﹂という不可能な妄想を抱いて、 循環して起伏の激しい内戦を 受けいれようとはしなかった。 *朝廷を替え皇帝を替える国内戦争は人民の気勢を消沈させて、人心が散漫になる。 皇帝は統一を求め、諸侯はあくまでも割譲させようとする。このような基本的に矛盾した条件の下で、中華民族 は一日たりとも味方同士で殺し合わない日はなく、朝廷を替えて皇帝を替えるために、どれだけの国民の生命と財 産を犠牲にするのかを知らないのだ。一人の在野の英雄が皇帝となった後、権力を笠にきて、いばりちらし、贅沢 の放縦な暮らしをしようとして、在野の民間の英雄がその様子を見て、 ﹁かれにとって替わる﹂考えに激発される。 朝廷は一生懸命に現状を維持しようとしていて、在野は一生懸命に現状を打ち破ろうとしていて、影響の及ぶと ころ士気を消沈させて、 人心が散漫になる。利己思想、 個人主義は堅牢で破壊できない。利己主義が唯一の目的で、

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翻訳:楊杰著『国防新論』(一) 細井和彦 国家民族の興亡は度外視される。われわれは経書の句を用いたり、典故の根拠をおいたりして、国防崩壊の原因の 痕跡を探す必要はない。これらいくつかの要点を把握しさえすれば、すぐに﹁思い半ばを過ぐ﹂となるのだ。 ︵二︶国防退廃の近因 *清朝政府は保守的で、物質文明の受容を承知しなかった。 アヘン戦争以前は、中華民族の黄金時代だった。唐朝と明朝は二回日本へ東征し失敗したとはいえ、われわれは 大損をした。われわれはわれわれの敵にかなわないわけではなかったからである。港を閉ざし鎖国し、われわれは 依然として﹁中国こそ天朝﹂であり、威勢よくいばるのは昔とちっとも変らない。また、思いもよらないことにわ れわれが﹁唯我独尊﹂の美しい夢を見ているとき、イギリスの軍艦はすでに港をこじ開けて入ってきた。われわれ はちょっとの間抵抗したが、敗北した。苦痛に耐えて恥ずべき和平条約を締結したとはいえ、心の中では実に服従 しておらず、なおまだ物知りな年寄ぶっていばり、あいつらはしょせん物質文明で、われわれは精神文明なのだと 思っている。いつも他人の長所を学んで、 自分の短所を補充することを願わず、 国防をちょっと整理しただけだった。 *長期の内憂外患、政治の腐敗で国庫が空っぽになり、国防に備える力もなく、国防をやる暇もなかった。 清仏戦争、 日清戦争、 八ヶ国連合軍の侵攻と続き、 一戦するたびに敗北し、 領土を割譲し、 賠償し、 門戸開放し、 最恵国待遇の条項とすべて受け入れた。清朝政府は何度かの血の教訓を受けた。もしも徹底的に自覚し、大鉈を振 るって一方で政治を刷新し、一方では科学を提唱し、工業を振興して国力を充実させれば、災い転じて福となるこ とができ、復興の正道を歩けただろう。朝廷の諸公はそんなことは夢にも思わず、依然としてぼんやりしていて今 ひとつよくわかっておらず、奮起して自立することを知らず、二〇数年間の戦争を経過したけれども太平天国の革

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立命館東洋史學 第 39 號 命勢力を打倒してしまい 、かえってそのおかげで民は困窮し財は尽きてしまい 、精気活力が大いに傷つけられた 。 辛亥革命と一緒に腐朽した清朝政府も攻撃を加える前に自ら倒れた。 *帝国主義者は弱小民族の国家の国防建設を許さない。 清朝政府が軟弱無能なため、軍事外交はたびたび失敗し、これまでずっと﹁中国こそ天朝﹂だと自任していた老 大帝国を、列強の半植民地に転落させてしまった。われわれは知っておかなければならない。帝国主義者は弱小民 族の政治が公明正大であるのを望んではいず、弱小民族の経済の自由を望まないし、弱小民族の国防が強固になる のを許さないのだ、と。 中国というこの張子の虎は列強に突き破られるまで、ずっと何ものも眼中になく、自分勝手にひと吼えすれば羊 の群れを驚かせると思っていた。そのころわれわれにはお金があったし、権力があり、最短期間で近代的な国防を 作り上げることは十分可能だった。だが、自身には気力がなく、決断力がなく、遠大な見識がなかったからだめに なった。他人はわれわれを助けたがったのだが、かえってわれわれは婉曲に辞退し、目先の安逸をむさぼった。瓜 分の形勢が成立し、勢力範囲が画定した後、われわれが国防をしようと思っても、列強はわれわれにやらせてはく れない。われわれが新たに作らせないだけでなく、 沿海、 沿川にもともとあるいくつかの古い砲台もわれわれに一々 撤去を迫った。中国の国防は清朝末期では﹁やるのは可能なのに、 やりたくない﹂時代で、 中華民国成立後は、 ﹁や りたいが、やれない﹂という時代だと言える。 共和国政府が成立し、中国の政治は民主的な方向へ向かった。個々の国民は心の中では熱い希望を持ち、政治が 公明正大で、新たな局面を作り出し、国家民族の衰退した状態を挽回するよう望んだ。帝国主義者たちは、われわ れが生きる一縷の望みがあると知り、かれらの在華利益が脅かされると思った。とりわけ日本の軍閥は﹁中国を征

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