真名本『詠歌大概』論述部の訓読試案 : 定家の意図した表現・訓読を想定して
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(2) 用語・語法と訓読との関係や特徴などが確認できる。和化漢文作成. が存する﹁宗清願文案﹂では、定家の表現における和化漢文の用字・. 周房の和化漢文と定家による訓読文(漢字仮名交り文)との両資料. 考になり'定家が意図した国語文の想定に有効である。また、大江. 表現行為における使用言語の諸実態とその特徴を把握するための参. いは﹃毎月抄﹄もその補助資料とし得る。これらの資料は、定家の. ける用語・語法などの確認と表現の趣旨を推測することができ'或. て検討する。但し、毎月抄は定家真作に疑問が呈せられ'且つ執筆. 決定するための資料として、﹃色葉字類抄﹄(以下﹁字類抄﹂と略称). い、漢字と訓み・語形との関係について、その可能性を広-求め、. 上)を中心に参照しながら考察を進めるoまた、先述した方法に従. ﹃近代秀歌﹄(引用例は日本古典文学大系に拠る)と﹃毎月抄﹄(同. 稿本文の通し番号を示す。)を中心に、用語や語形などについては. ついては宗清原文案(引用例は前出拙稿に拠るO用例文面数字は拙. 訓読法(文や句の断続、不読・補読・読添の区別、語法など)に. の目的やそれに伴う文体的性格が近代秀歌とは相当に異なるので'. と﹃観智院本類衆名義抄﹄(以下﹁名義抄﹂と略称)をも併せ用い. 想定するのに有効である。更に、第三者の作成した和化漢文を訓読. 和化漢文本文には青陵部蔵尭孝筆本(笠間影印叢刊)を用いへ割. 当該訓読には近代秀歌の用語や表現の方をより重視すべきかと思う。. 者と訓読者とは異なるが'訓読という理解行為における使用言語の. するという定家の理解行為における言語的特徴は、定家自身による. 実態と特徴を把握するための参考になり、定家自身による訓読文を. 和化漢文作成へ表現行為)の際にも反映すると考えられる。自身が. 振り仮名を施し、補読した語と附属語等は仮名によって示した。宗. 注を︻︼で示し、読みの便宜のために私に改行して適宜字間を空. 清願文案における定家の訓読の特徴などについてはへ拙稿﹁和化漢. けた部分もある。訓読文については'原則として'自立語は漢字に. 宗清願文案についてはへ文体の異なる(和化漢文・漢字仮名交り. 訓読するように、或いは訓読できるように、用字・用語・構文等を. 文)二種類の文書をl対の資料として捉えることで、和化漢文の訓. と助字との関係-﹂(﹃鎌倉時代語研究﹄22韓。以下﹁拙稿①﹂)に. 文と定家の訓読-石清水八幡宮権別当田中宗清願文案における助詞. 選択して表現するものと考えられるからである。. かつて拙稿(﹁﹁石清水八幡宮権別当田中宗清願文案﹂二種(漢字仮. けるための便宜として、通常の論文における注の末尾掲載形式を採. 詳細を委ねる。なお、論考展開と表記上の煩わしさや読み難さを避. 読(理解行為)に関する問題を明らかにする端緒となし得ることを'. 名交り文・和化漢文)対照本文﹂﹃鎌倉時代語研究﹄21輯)で述べ. 解釈の妥当性を前提にすることが何より重要であるが、論者には充. 斯かる訓読文の作成には定家歌論の理解とそれに基づ-内容的な. らず、必要に応じて最小限の注を本文中に組み込む形式を採る。. た。本稿はその実践的な試みとして'同資料を分析した言語事象の. とで、定家の意図した国語文(表現文)或いは訓読文を想定するも. 相互に勘案しながらへ表現行為と理解行為との両面から接近するこ. 分な知識も論じ得るだけの用意もない。単純に'和化漢文の訓読と. 検討結果を用い、更に和文資料も合わせて、各資料の言語的特徴を. のである。. 13.
(3) いう点について、国語学的な興味に絞って考察を加えたので、十全. テを用いるのでな-、連用中止法を採ることが'古代接続法の方面. (山口尭二﹃古代接続法の研究﹄明治書院・第14章)からも宗清願. 文案の定家による訓読の特徴(拙稿①213頁)からも確認される。. とは言えない訓読試案を提示することになる。末だ課題を残したま まの箇所もあるo従って'定家歌論の解釈という点からも、定家の. 主格助詞﹁の﹂は'和化漢文で文字化されることが殆どないが、. ^. K. w. c. a. 巳. 児. あるO奥以A為B︾型の表現は和化漢文の定型でへその訓読は﹁A. ﹁情﹂は名義抄(法中九六)・字類抄(下・人体)にもコーロが. 使用状況も文体による位相差が反映していると見られるので、和化. 修飾(五例)にはヌが専ら用いられる。両資料に見る限りへ定家の. 秀歌では、ザルの使用がな-'ヌが和歌以外の文に七例あり、連体. とザル六例が用いられ'連体修飾にザルの使用が多い。一方へ近代. 的位相差のあることが指摘される。宗清願文案の訓読では、ヌ二例. の定家訓読でも同様である。助動詞ズの連体形ヌとザルとには文体. ﹁いまだ∼ず﹂が、この期のt般的な訓読の型であり'宗清原文案. 訓読では文脈に応じて補読されるべきものである。﹁未﹂は再読. 用語・語法や訓読という点からも、妥当性を欠いた論者の悪意に陥っ. 訓読試案と訓読の検討. ていることを恐れる。大方のご批正を請う次第である。. m. 情以新為先︻求人未詠之心詠之︼ x. をもちてBとす﹂﹁AをBとす﹂である。斯かる場合の﹁為﹂字は、∼. む。﹁詠﹂に関しては、名義抄登載の訓はウタフ・シノバシフ・サ. 漢文の訓読であることを考慮し、定家の用語としてザルをもって訓. 情は新しきを先とLt︻人の未だ詠まざる心を求めて詠む。︼. トスと訓むべきで、ナス等の訓みは採り得ない。宗清願文案で︹以. ヘツル(法上七二)で、芋類抄にもヨム訓を確認できないが'近代. 正直可為先︺を定家が(2-1正直をさきとLVと訓読するように、こ こでの﹁以﹂も格助詞ヲで訓む。﹁以﹂をモチテとするかヲとする. タフや漢語動詞の詠ズは、斯かる意味での使用が、定家の用語に見. 出せない。また、句中に二種の用法の﹁之﹂がある。一つは連体修. 秀歌等における斯かる意味での用語はヨムである。古辞書にあるウ. 飾用法の﹁之﹂であるQ和化漢文で︽活用語+之十体言︾の如-に. かの区別は、ABそれぞれが示す内容の具体性と両者の関係、或い. であることからも文脈的意味からも、後句とl続きのl文と見得る。. 続句との断続関係によって終止法と中止法とが考えられるが、対句. なることがあるが、訓読では助詞ノで訓まず、活用語連体形で修飾. はAとBとの措辞上の距離による(拙稿①1-4貢)。句末の表現は後. その場合の接続表現には、接続助詞を用いる﹁先として﹂と連用中. ﹁之﹂を字面のままに訓むようになるのは、室町時代以降のことと. される。今1つは文末の﹁之﹂であるo文中に﹁之﹂の指す具体的. する。訓点資料においても、活用語の連体形に助詞ノを接続させて. 内容がある場合は代名詞コレの訓を充当することがあるが'当該例. 止法の﹁先とし﹂とが考えられる。後句との関係は、両旬間に時間. て、両句の序列は固定的でな-'並列されるだけの関係なので'表. 的な前後関係(時間的継起性)がな-、意味的な共通性を持つ。従っ. 現上両句の置換が可能であるO斯かる場合の句の接続関係は、助詞. 14.
(4) は特に訓読する必要のない陳述の助字であり、不読とする。. ふ. に. る. し. も. へ. ち. び. こ. と. ー. う. Q. た. セ. い. ン. お. ダ. な. ツ. も. も. ち. ち. 当該箇所は'特に句の断続関係が問題となる。﹁先達之所用﹂の. 読する﹁三代集の先達﹂﹁新古今の古人﹂と見るべきであろう。. ﹁之﹂は主格用法である。和化漢文における主格用法の﹁之﹂は、. ば. 詞以者可用︻詞不可出三代集先達之所用新古今古人寄同可用之︼ と. 独立した単文中に用いられることが殆どな-、名詞句中(連体句). こ. などに用いられる程度である。特に、定型の︽体言+之(主格)+. い. 新古今の古人の歌を出づべからす。同じ-これを用ゐるべし。︼. て、﹁先達之所用﹂を独立した1文と見るべきでないoI﹁詞不可. 柄(形式名詞)+動詞︾形式で用いられるものが特徴的である。従っ. 詞は着きを用ゐるべし。︻詞は'三代集の先達の用ゐるところへ. ﹁詞﹂は名義抄(法上五五)にコトバが、﹁膏﹂は名義抄(法下 四三)・字類抄(中・辞字)にフルシが、それぞれ確認できる。. テと訓ずることに実質的・積極的な意味を認め難い。前句と合わせ. 現が意識された修辞的用法であろうD﹁以﹂の使用とそれをヲモチ. を最優先にLへ﹁新古今集の古人の歌﹂はそれに準じて適宜用いる. 疑問が残る。Iの如-に1文を切るならば、﹁三代集の先達の用語﹂. 文とするものがあるが、意味・文脈上の不自然さも否めず'解釈に. 名本では多-Ⅲの句切りに近いようで﹁先達之所用﹂を独立した一. 出・・・先達之所用﹂へH﹁詞不可出新古今之古人苛﹂、Ej﹁先達之. てへ近代秀歌にある﹁ことばゝふるきをしたひ'こ1ろはあたらし. のがよいという意に解釈されようか。或いは、用語を﹁三代集先達﹂. 前句との対と見て、﹁貫きを用ゐるべLLと訓む。﹁∼を∼とす﹂. きをもとめ﹂に対応する。また、これによって、アタラシと対にな. に'本歌取りの対象を﹁新古今古人﹂にと区別したものとも解釈さ. 所用-・・・同可用之﹂、いずれかの句切りで考えるべきであろう。構. る語がフルシであることと、﹁新﹂﹁膏﹂の関係とその訓みが確認で. れる。いずれにしても﹁不可出﹂の範囲を﹁三代集先達﹂、﹁同可用﹂. 文的特徴や意味から考えると、IHの解釈の方が妥当性が高い。仮. きる。﹁用﹂は'中世における活用型と語形から見れば'モチヰル・. ﹁以﹂を用いたのは、︽以-為-︾の構文で示した前句との対句表. モチフ(名義抄・備中一三六)とモチエへ三種類の可能性が考えら. ﹁詞以啓可用﹂の注として﹁三代集先達之所用﹂﹁新古今古人苛﹂. の範囲を﹁新古今古人﹂として区別した切り方になる。Eの解釈は、. の定型でないので﹁詞可用菅﹂でも表現できる所であるが、殊更に. れるが、宗清原文案で﹁用﹂をモチヰルと訓じており、近代秀歌で. ﹁新古今古人寄﹂(新古今の中の古人の歌)は近代秀歌と毎月抄に. の﹁詞﹂を並べ、更に﹁同可用之﹂も両者を承けたものと見得る。. も定家の用語はモチヰルであることが確認される。 割注の文は'表現上﹁三代集先達﹂と﹁新古今古人﹂とが対にな. めずよみすへ﹂ることに対応する表現と解釈される。Hのような文. ﹁同可用之﹂の内容は近代秀歌の﹁むかしのうたのことばを顧引融. ある﹁寛平以徒の(先達の)歌﹂と意識の上では通じるもので、. る。漢文表記に連体格﹁之﹂が使用されないことに意味を認めるな. これは﹁之﹂の連続使用による表記上の煩雑さが避けられたもので. らば'それぞれ二語を並列させるだけの訓みも考えられる。しかし、. あり、二語の意味的な関連から見ても、二語間に連体格助詞ノを補. 15.
(5) ﹁堪能の人々を召しえらびて、臨時に御会あり﹂(保元物語・上). ﹁上下腰をいはず、堪能のものにゆづりて、かれがうたふを待なり﹂. の切り方が'和化漢文の構文から見てもtより相応しい解釈であろう0. (十訓抄二)或いは、両語を並列させた﹁堪能・先達の秀歌﹂と. ﹁詩歌の船を分かちて、各堪能の人々を乗せ﹂(古今著聞集・五). については、毎月抄の﹁古風﹂﹁古鉢﹂が字音読語と見得るので、. いう意味とも見得る。また、﹁秀歌﹂の訓は近代秀歌にある﹁すぐ. ﹁先達﹂は字類抄(下・人倫)にセンダツが確認できる。﹁古人﹂. ≡)の訓に合わせて、字類抄ではイニシヘ訓に﹁古・以往・終古・. 音読コジンも可能である。和訓読で考えるならば、名義抄(備中六. スグルは確認できないが、意味的には可能である。. ﹁救﹂は'名義抄(僧下五四)の訓の中から'マネプ・ナラフが. れたるうた﹂の可能性もあろうか。古辞書等を見ても﹁秀﹂の訓に. 考えられる。近代秀歌にマネプ一例へ毎月抄にマナプ五例が認めら. 既往・往・曽・膏・故・嘗・昔﹂(上・天象)、ムカシ訓に﹁昔・嘗・. (中・辞字)が登載されるので'﹁古﹂の訓にはフルシ・イニシヘ・. 曽・往・適・古・膏﹂等(中・天象)が'フルシ訓に﹁古・故﹂等. ムカシが考えられる。毎月抄の用語﹁古人の詠作にも心のなからん. れるが'これらは表面的に倣う行為というニュアンスを持ちへその. -きをことゝして--にぬうたをまねぶとおもへるともがらあまね. 行為についての否定的な表現の中で使われる。例えば﹁たゞき1に. 思合てみるにへいにLへよりも昔時は'事外によむ寄ごとにわろ-. とにわたりてまなぶべからず﹂(毎月抄)﹁た,,^わがよむやうを裏融. -なりにて侍にや﹂(近代秀歌)﹁勅撰の苛なればとてかならず苛ご. からんをば有實苛とぞ申侍べ-候。﹂﹁わが心の中にて、苛の昔今を. のみおぼえて﹂に見るように、﹁古人﹂は﹁今の人﹂と対になる用. 苛をば無實苛とぞ申べき。今の人のよめらんにもうるはし-たゞL. 語であり'﹁今﹂﹁昔時﹂に対する用語がイニシへ・ムカシであると. ン. ノ. ウ. セ. ン. タ. ツ. シ. ウ. カ. な. ら. コ. コ. ン. ヲ. ン. コ. ン. き. みならひ侍べし﹂(毎月抄)﹁ちかくは亡父卿すなはちこのみちを融. アンスの表現に使われる。例えば﹁□なれんためにははやらかによ. う評価に基づいて、慣れ親しむ或いは習得するという肯定的なニュ. 五例)が見出せる。ナラフは対象を範として積極的に尊重するとい. る。一方へナラフは近代秀歌に五例、毎月抄に六例(内ヨミナラフ. カ. ろ. Yとのみをしふる事無下の道しらぬにて侍べし﹂(同)の如くであ. イ. よ. 見てよさそうである。先述の如-フルシに対する語がアタラシであ. テ. ち. ることも考慮すると、﹁古人﹂の訓読はイニシヘ(ノ)ヒト・ムカシ (ノ)ヒトと考えられる。1応イニシヘビトの訓みを採る.. ウ. 風鉢可致堪能先達之秀等︻不論古今遠近見宜苛可敷其鉢︼ フ. むきをわづかにおもふばかりにて--さらにならひしることも侍ら. をのづからよろしさこともなどか侍らざらん﹂(同)﹁たゞこのおも. らひ侍ける基俊と申ける人﹂(近代秀歌)﹁寛平以往の苛にならはゞ. ﹁堪能﹂は字類抄(上・畳字)でカムノウが確認できる。連体修. ず﹂(同)の如-である。以上を定家の用語の特徴と見て良ければ、. き苛を見てその鉢に致ふべし。︼. f i ' * f - t . ・ [. 風鉢は堪能の先達の秀署に敷ふべLo︻古今遠近を論はずへ宜L. から見れば'助詞﹁の﹂を用いた﹁堪能の先達﹂とすべきであろう。. 飾用法として﹁堪能タル・堪能ナル﹂も考えられるが'次の各用例. 16.
(6) ﹁致﹂は肯定的で積極的に尊重する意のナラフと訓むべきであろう。. ︹道俗男女尊卑遠近有線無線自界他界︺が定家の訓読でもそ. ﹁古今遠近﹂は漢語の熟字と見てよい。宗清原文案で和化漢文の. のみさきとしてよめるばかりをえらぴぃだして侍る也﹂がある。. 尚へ近代秀歌にエラブ・キラフはな-、毎月抄に﹁一向有心の鉢を. 様が考えられる。当例の意味・用法は前出﹁苛にならふ﹂等と同じ. のままの漢語熟字として用いられる。﹁遠近﹂は芋類抄(中・畳字). またへナラフのとる助詞は'文法的意味によって、ニ格・ヲ格の両. と見得るので、格助詞二を掃読して訓む。尚、後にある﹁見習(な. 近代之入所詠出之心詞錐為一句謹可除奔之. でオンコンが確認される。. らふ)﹂との用字・意味の異同も考慮して、更に検討する必要がある。 近代秀歌・毎月抄にロンズの用例はない。近代秀歌や宗清願文案 を見ると、定家の用語として漢語動詞が一般的であったとは認め難 い。そこで、名義抄(法上六八)の﹁論﹂の訓を参考にすると、ア. シ. チ. と. こ. ハ. ろ. チ. こ. ヅ. こ. フ. ろ. ネ. こ. と. ン. ば. ひ. ひ. と. と. う. タ. つ. た. つ. よ. し. ︻七八十年以来人之苛所詠出之詞努∼不可取用︼ す. だ. ラソフ・エラブ・アケツラフ等が和語の候補として考えられるが、. の. い. 近さ代の人の詠み出す所の心・詞は、一句たりといふとも'謹み. るが'主格﹁之﹂が表記されない。前後にもある﹁之﹂の連続使用. 全体は定型の︽体言十之(主格)+所(形式名詞)十動詞︾であ. い ・ v i サ , j 、 蝣 ^ f i i . f i め j I L 4 =. よ. てこれを除き弄つべし。︻七八十年よりこのかたの人の苛も詠み. ぞ. 文脈的意味や定家の用語としての妥当性、更に字類抄の訓との関係. 出す所の詞'努∼取り用ゐるべからず。︼. と. などを考慮すると、エラブ以外は積極的に採り得ないtniみに、宗. 宗清願文案︹近代︺を定家訓読では(ちかきよ)とする。近代秀. ひ. 清原文案で〓向矧器量へ何銭論晶秩︺を(71向に器量を封. 歌の用語でも﹁いはむやちかき世の人は、たゞおもひえたる風情を. よ. て、品秩を引当叫へからす)の如くキラフと訓んだ例があるが、名. か. 義抄・芋類抄等では﹁論﹂字に見出せない訓である。しかし、字類. 三十字にいひっゞけむことをさきとして﹂が確認できるC. ち. 抄(下・辞字)においてエラブとキラフの初掲被注字は同じ﹁両﹂. 登載の漢字と共通するなど、両語の密接な意味的関係が確認できる. ﹁之﹂における連体格用法は主格用法に優先するものと見られる。. が避けられたものであろう。和化漢文の表記(表現行為)に際して、. であり、かつキラフに登載の六字の内﹁商量揮簡﹂四字がエラブに. ことから、名義抄でエラブ訓を持つ﹁論﹂字が宗清願文案の如-に. ﹁錐﹂の訓読は原則としてトイフトモ・トイヘドモと見てよい。. 毎月抄﹁今の人のよめらんにも﹂が参考になる。. キラフと訓まれることとの関連も認められる。芋類抄の漢字から判 る共通の意味は﹁選別する﹂であるが、両者間にニュアンスの違い. する仮定表現の形式に用いられたものであり、他は訓読語トイフト. 宗清願文案にトモと訓じた例があるが、副詞タトヒ(縦)等と呼応. を敢えて求めるならばへエラブが﹁選び取る﹂へキラフが﹁選び捨. エラバズ・キラハズのいずれでも不都合はないものの、﹁選び捨て. モ・トイヘドモである。多-は1語相当の資格で接続助詞として機. てる﹂であろう。従って、﹁不論﹂の訓読も、文脈的意味からは、. ることな-﹂の意のキラハズの方がより相応しい訓読と考えられる。. 17.
(7) 能するが'︽名詞十助動詞(断定)+トイフトモ︾には、強意・類 推・例示などの用法と見るべきものがありへ国語の副助詞的な機能 へ. ひ. と. う. た. お. ほ. お. な. こ. ・. 丘. よ. の関係から考えて、妥当性・可能性が低-、採るべきではなかろう。. し. 古人の苛におきては、多くその同じ詞をもちてこれを詠む。. こ. 巳に流例たり。. -. ﹁トイフトモ﹂について﹂﹃鎌倉時代語研究﹄15輯)。ここでの用法. 宗清廉文案では︽於+名詞十者︾を(Iにおきては)と訓む。動. い. 於古人音名多以其同詞詠之巳為流例. は、文脈的意味から見ても、それにあたる。﹁為﹂は'名義抄(僧. を有する場合がある(拙稿②﹁条件句構成の﹁雌﹂﹁トイヘドモ﹂. 下七九)にタリ訓が認められ、宗清腰文案でもタリと訓じた例が四. ついては﹂という意の提示・強調の表現である。尚へ定家の用語で. 詞句を承けて条件句を作る場合もあるが、名詞承接の場合は﹁∼に. す で リ ウ レ イ. を訓読するには助動詞等の補読を必要とするので'国語文として必. 例存する。﹁堆﹂を接続助詞相当の語と見た場合へ︽堆十名詞︾の形. ていたが、定家の訓読では音便形が用いられないことがその特徴と. はオキテ・モチテは非音便形である。鎌倉時代には音便が一般化し. 指摘される。﹁用言の音便が全-用いられていないのは'定家の用. られる。﹁一句﹂は近代秀歌﹁きのふけふといふばかりいできたる. 語を反映したもの﹂であり、﹁定家の用語における規範意識に基づ. 要な助動詞を漢文形式の表記(和化漢文)にも文字化したものと見. 名義抄(僧下八一)に﹁以来。ノカタ﹂、字類抄(下・畳字)に. うたは'ひと句もその人のよみたりLと見えんことを﹂の用語に従う0. -ものと思われる。﹂(小林芳規﹁石清水文書田中宗清願文案に現れ. た藤原定家の用字用語について﹂﹃鎌倉時代語研究﹄3輯)0. ﹁以降。ノカタ以来同以遠同・今来イマヨリ。ノカタ﹂が確認できる。近代秀. 歌﹁むかしっらゆきへ苛の心た-みに'-それよりこのかたへその. らば、先行動詞句に形式体言コトを補読して後句に続けるべきで'. 流例﹂を別文として二文に見る解釈とが可能である。l文と見るな. ﹁於古人者--巳為流例﹂を1続きの1文と見る解釈と、﹁巳為. 係からも、﹁以来﹂であると見られる。古辞書や近代秀歌からも、. 流をう-るともがら﹂の漢字表記が'古辞書に認められる訓との関. 訓読に際して助詞ヨリを補読することの妥当性が支持される。また、. として必要な格助詞ノは、和化漢文でも﹁之﹂で文字化されるとい. ﹁以来人﹂(古典大系の校異を参照)四種類の異同がある。国語文. 副詞スデこの意味をどのように解釈するかで呼応すべき助動詞と. ﹁すでに流例たり﹂﹁すでに流例となれり﹂等の訓読が考えられる。. まねきあはれひなからむ)。また、﹁己為流例﹂は﹁すでに流例とす﹂. 轟無面々之哀憐︺(21そのをのくのつとめを見るTj=,なんそあ. 斯かる訓法は宗清願文案の定家の訓読にも見える︹見其各々之勤労、. う基本的な傾向を認め得るが、訓読における補読を前提とすること. 当該箇所は、諸本間に﹁以来之人之苛﹂﹁以来之人寄﹂﹁以来人之苛﹂. も珍し-ない。ここでは連続使用による表記の煩わしさを避ける意. 富弟子︺(2-6その事をつ-のふへきもの、すてに弟子にあたれり。). ﹁為﹂の訓みが異なるO例えば宗清願文案の訓読︹可償其事者、田. ﹁人の苛顧詠み出す﹂の如き訓みは、和化漢文の構文・措字と補読. 識、或いは補読を前提にすることが反映したものと見られる。尚、. 18.
(8) -. -. i. ^. -. 閤inaS^Ktts. の場合とは意味用法が異なると見られるので、近代秀歌の用語に従っ. 蝣. と﹁新歌﹂とが対義的に用いられ'先に検討した﹁古人﹂の﹁古﹂. *. てへ﹁古歌﹂の訓はフルキウタを採る。以下の﹁古歌﹂も一応これ. .. ﹁古人寄﹂においてすら既に﹁流例﹂となるに至っているという意. に従う。因みに、﹃古来風鉢抄﹄の用語にも﹁ふるきうた﹂﹁ふるう. +. と解釈する読みになる。しかし、スデニが現実の動かし難い事実を. た﹂が認められる。しかし、本資料における用字を見ると'﹁曹﹂. ▲. これを詠むこと'己に流例となれり。﹂と一文に見ることになり、. の如-完了の助動詞を読添えるならば、﹁古人の苛におきては、・. 強調するための副詞﹁まさに﹂の意と見れば、完了の助動詞を呼応. がフルシで﹁古﹂がイニシヘ・ムカシという用字上の区別があった. 抄ではフルキウタの確例が無-﹁古の苛﹂表記の語しか認められな. 可能性も窺われる。﹁古人﹂はフルキヒトではあり得ないし、毎月. いことなどからへ少なくとも﹁新歌﹂と対にならない﹁古歌﹂はイ. ﹁古人等﹂においても本歌取りは一般的なことであり、現在ではそ れがまさし-﹁流例﹂となっているという意に解釈される。この場. ニシヘノウタ・ムカシノウタと訓むべきかも知れない。定家の歌論. させる必要がな-、﹁為﹂をタリとして用いた断定の表現と見得る。. かる解釈が相応しいと考えるので、訓読試案ではこの訓みを採った。. 合前句と続-一文とは解釈できない。﹁流例﹂の語義から見ても斯. い. つ. ク. う. ち. み. タ. お. よ. ﹁五句﹂﹁三句﹂は、先の﹁1句﹂が定家の用語としては﹁ひと. における用語と意味との関係を更に検討する必要がある。. よ. 尚、﹁流例﹂は芋類抄(上・畳字)のリウレイに従う。. た. 一応これに合わせる。﹁中﹂は、名義抄(悌上七九)や字類抄(中・ う. 句﹂(近代秀歌)であるのに合わせて、音読を採らない。﹁二句﹂も. ら. 但取古歌詠新歌事五句之中及三句者頗過分無珍気二句之上 た. 三四字免之 あ. 願文案の定家訓読でも(過分の不嘗)(過分の大菅)の如-漢語熟. ﹁過分﹂は、字類抄(中・畳字)でクワフンが確認できる。宗清. 方角)に見るように、ナカともウチとも訓み得る。宗清願文案の訓. 読でも以下の両様がありへ両者間の差異を明確にし得ない部分もあ. と. るが'ここでの意味・用法に近いのはウチの用例であろう。二流. た. 但し古き歌を取りて新しき歌を詠むこと、五句の中三句に及ばゞ' 艦る郡部にして朗しげなし∴毒の去.Taの軒はこれを射す。. 之朝'莫琴南子傍観之輩︺(tgl流のm'ふたりの弟子を撃申こ. う. 近代秀歌では﹁ふるきうた﹂と﹁あたらしき苛﹂とが対義的用語. とな-して)・︹此中島其所最要之人へ及懸身命号無線之輩︺(2. る. と認められる。但しへ﹁ふるきをこひねがふにとりてむかしのうた. その外項,宮てら最要の人、ならひに身命をかけたる無縁のともか. ふ. のことばをあらためずよみすへたるをすなはち本苛とすと申す也﹂. ら)・︹入寺中腰其撰者、定有欝訴欺︺(74人寺の叫叫、そのえら. だ. の例もある。一方、毎月抄で同様の対義的関係は、﹁古の苛はみな. た. 實を存して花をわすれ近代の苛は花をのみこころにかけて﹂﹁古の. ひにあつからむ人へさためてあらそひうれふる所あらんか)0. の苛﹂対﹁今の寄﹂﹁近代の寄﹂で'﹁古の寄﹂はイニシヘ・ムカシ. 苛今の苛にも世にいひおはせられぬやうにきこゆる﹂の如-'﹁古. ノウタであり、フルキウタの確例は認められない。ここでは﹁古歌﹂. 19.
(9) *. 蝣. *. *. r. *. '. r. ・. ". <. *. *. 榔影ず。剛じ郭をもちておき恥の靴を;.&むほ,蹴るがなきゆへな i. 以四季歌詠恋雑苛以恕雑等詠四季歌如此之時無取古寄之難欺 は. 字として訓み、毎月抄の﹁明月記を草Lをきて侍事へ身には過分の. ヽ. わざとぞ思給る﹂も字音語と認められるのに従う。この句は'先行 へ. M. ふ. t. 3. ^. る. ^. E. 3. う. 3. 日. た. q. R. 醐. と. E. 3. ナ. ^. K. 3. ン. 3. ^. ^. ^. ^. ^. ^. ^. E. りO︻花をもちて花を詠みへ月をもちて月を詠む。︼. は. 条件句を承けて、その癖結句として﹁頗過分﹂で﹁無珍気﹂という. 四季の歌をもちて恋・雑の歌を詠みへ恋・雑の歌をもちて四季の. 題材・風情の取り方に配慮することの重要性を促し、その理由を論. き. 歌を詠む。か-のごときの時は、古き歌を取る難なさゆへなり。. ずる。斯かる意味に位置づけられる文と見れば'仮名本の命令表現. と. 判断が述べられる。﹁頗過分﹂という事態が、後続成分の﹁無珍気﹂. 前の本歌取りについて、ここまで﹁詞の扱い﹂を中心に論じたの. ﹁なはこれを案ぜよ﹂もこれに通ずる.また、当該部分は仮名本と. よ. という状態を修飾する意味関係にある。このような場合、古代の接. るが、ここでは副詞スコプルを承けて﹁過分にして﹂と補読する訓. 例はな-、助詞シテの四例はいずれも形容詞連用形を承ける例であ. 同様に独立した一文と解釈すべきであろう。﹁案ずるに﹂の如-に. た. 続法では両句が助詞テ・シテで結ばれるので(山口尭二﹃古代接続. 一文と見得る。以下の文は'単に表面的な語句の用い方だけでな-'. に加え、﹁題材・風情の扱い﹂を論ずるのに先立って、前置された. 読がふさわしいと考える。(34をのくこと心な-して、ひとへに. う. る接続形式を採る。因みに'宗清原文案の訓読に﹁∼にして﹂の用. 法の研究し13章)、名詞や活用語の連用中止法ではな-'助詞によ. 神をうやまひたてまつるへきゆへ也)八はついえおはくuV'公家. 月抄には八例存するo漢語サ変動詞は所謂平安和文にもT般に認め. ﹁案ず﹂の用例は近代秀歌や宗清願文案等に認められないが、毎. 例示しながら説明された部分まで関わるものと見得る。. でに﹁案ず﹂べき内容と理由が述べられ'その後に具体的な語句を. 訓んで直後の文とのみ関わらせるのではな-'﹁無取古寄難欺﹂ま. 定家の用語として、近代秀歌﹁五七五の七五の字をさながらをき、. 利すくなし)(欄おはきなるついえな-して、その功をゝへむ). p J ・ ] '. れ、当該例も同じだとすれば、毎月抄﹁詞二ばかりとりて'今の苛. 七々の字をおなじ-つゞけつれば﹂の﹁字﹂が﹁詞﹂の意と解釈さ. の上下句にわかちをくべきにや﹂に対応する同趣旨の記述と見られ. される。近代秀歌や宗清願文案を見ると定家の用語においても漢語. 動詞が1般的であったとは認め難いが、1応毎月抄の用語に従う。. 難いもののへその中でも﹁案ず﹂は比較的早-から用いられた語と. 但し、名義抄(俳下本二一)のカムガフ・バカラフ等も和語の候. (上旬と下旬)に(分けて)お-詞は許容できる﹂の意と解釈され ようか。尚、﹁免﹂は名義抄(悌下末〓ハ)に登載される訓の中か. 補として可能性を残す。文末の﹁之﹂字は、コレと訓めば先行語句. る。すなわちへ﹁二句をとった上で'(たとえば)三旬日・四旬日. ユルスを採る。既述の如-'定家の用語として字音読は採らない。. るべきではないので、具体性のない陳述助字と見て不読とする。. を具体的に承けることになるが、少な-とも直前の文を承けると見. ら、マメカル・ユルス・ノカル等をその候補とし得るが'意味から. 猶案之以同事詠古歌詞頗無念欺︻以花詠花以月詠月︼. 20.
(10) 宗清願文案の定家訓に従ってへユへナリと訓むことは可能である。. らは'カ・ナリ・ユへナリのいずれであるかを俄に決し難いもののへ. へナリと訓まれることが確認できる(拙稿①2-l頁)。文脈的意味か. 形式名詞(こと・もの等)を補って助詞ハを続ける例はなく活用. 先述した﹁猶案之﹂を﹁同様にまた次のことに配慮すべきである。. 宗清願文案における斯かる用法の﹁欺﹂を見ると、定家によってユ. 語連体形に直接助詞ハを続ける︹神不享非種、曹史之明文也︺(間. 何故ならば-﹂ほどの意味に解釈してよければ、前段を承けて﹁な. ﹁以同事詠古歌詞﹂と﹁頗無念﹂とは主述関係にある。宗清願文. 神は非礼をうけたまはぬは曹史の明文也)。但し、和化漢文本文に. は案ず。--ゆへなり0﹂と続きへ題材・風情の扱いに配慮するこ. 案の定家による訓読では、動詞句を主部にするにあたり、活用語に. 型がある場合は事情が別で、表現性も異なる。. 文字化された形式名詞﹁事﹂﹁時﹂等があったり'表現や訓読の定. との重要性と理由を論じた文脈と考えられる。後出の﹁無取古苛難. ︽活用語連体形十の+体言︾の如き訓読は、鎌倉時代には未だ一. 欺﹂も同様に解釈する。尚、﹁念﹂は名義抄(法中八八)にオモヒ. 般化しておらず、宗清願文案でも︽活用語+之+体言︾の﹁之﹂を. 和化漢文における﹁欺﹂字は所謂疑問表現に用いられる助字であ. ノに訓んだ例は基本的にはない。例外的に﹁∼如きの体言﹂の例は. り、基本的には﹁といかけ(質問)﹂や﹁うたがい(疑惑)﹂の表現. い場面で用いられる﹁断定の保留もし-は娩曲的断定﹂の用法であ. 点であるが、就中注目されるのは、当然断定的表現が期待されてよ. 早-から認められ、宗清願文案の定家訓読にも例がある︹如此之犯. が確認できるのに従い、字音読は採らない。. る(峰岸文献6-3頁以降)。定家が自身の歌論を展開する中での表現. となる。特に和化漢文において特徴的なのは疑惑表現に用いられる. であることを考えると'ある種の判断を相手に問い質す﹁質問﹂や'. かし、﹁如﹂の連体用法に常にノを添えるとは限らない。後続の. ︽如此+体言︾型には﹁之﹂表記がない(諸本間で異同もあるが). 人召取之輩也︺八mか-のこときの犯人をめしとるともから也)。し. ので、補読を行わない。﹁時﹂は形式名詞で、先行句を条件として. 不定の形を採った﹁断定の保留﹂﹁椀曲的断定﹂と見るべきであろ う。通常の断定表現を避けて'斯かる﹁欺﹂によって表現されたこ. 心中に懐いた疑惑を表明した単なる﹁疑惑﹂ではなくへ表現の上で. との意義が考えられるべきである。次にへこの﹁欺﹂の訓について. 明確な断定を避けるという用法を持たない。7つの可能性として断. ことが考えられる。しかし'国語助詞カの和文における文末用法は、. 違いを考慮すると、訓みも別にすべきであろう。定家の用語に全-. の訓からもハハカリナシと訓む可能性もあるが'﹁博﹂との用字の. ﹁難﹂は直後の﹁博﹂と類義の語で、名義抄(僧中一三六)掲載. (拙稿①捌頁)。﹁このような場合には﹂の意と解釈される。. 後文に続ける接続助詞的用法であり、﹁之﹂の使用もこれに関わる. 定のナリも考えられるが、積極的な意味での断定ではないので'意. 同義の字音語﹁難﹂は確認出来ないが、毎月抄に﹁疎忽の事はかな. られる和訓との関係や、先学の御考察の結果が示すようにカと訓む. 検討しなければならないO最も1般的には、古辞書などによって知. 味用法の相違を考えると、妥当性の高い訓みとはいえない。そこで、. 21.
(11) ﹁取古等(之)難﹂を一纏まりの語句として解釈すべきであろう。. 古苛欺﹂でないことを考えると、﹁取古寄﹂で切るべきではな-、. ならひ﹂がある。またへ構文が﹁取古苛無難欺﹂や﹁無難(千)取. り侍るめり﹂等、近代秀歌には字音読語﹁難義など申事は家ノ\に. らず後難侍ぺし﹂﹁抜群の苛なれども結句難をさへとりつけてそし. の和漢混清文(特に漢字仮名交り文)における用法には、共に強意・. てトイフトモかトイヘドモかに訓み分ける。既述したように、両語. については、宗清原文案の定家訓読で'仮定条件か確定条件かによっ. ヒ﹂(悌上五こからもイクタどの語(言い方)が確認される。﹁錐﹂. 認されへ字類抄﹁度タタ・引・FI﹂(中・貞数)や名義抄﹁幾廻イクタ. モは多-︽名詞+助動詞(主に断定ナリ)+トイフトモ︾の形をと. 類推・例示の意味を表すものがある。斯かる用法の場合へトイフト. り、トイへドモは助動詞を介さず名詞を直接承ける点が特徴的であ. ﹁∼に難なし﹂のように、助詞こを補読すべき積極的根拠もない。. る(拙稿②)。当例は、意味的に仮定条件とも輔意ともとれ'既出. 因みに﹁∼ニハハカリアリ﹂という慣用句的な表現には︽有十博十 千十活用語︾の形式が用いられる(小山登久﹃平安時代公家日記の. ﹁錐為一句﹂と意味機能を同じ-するので'いずれにしてもトイフ. 国語学的研究﹄おうふうC--Oe-i-a頁)0. た. ぴ. は. ば. か. トモの訓みがふさわしい。その場合、断定の助動詞を補読する必要. く. あし曳のやまほとときすみよし野のよしの∼やま. い. がある。前出例では助動詞タリが﹁為﹂字を用いて表記されていた. た. ひさかたの月のかつらはと∼きすなくやさ月玉ほこのみちゆき人 ま. 用字上の差異も考え、一応﹁い-たびなりといふとも﹂と訓む。. と. としのうちに春はきにけり月やあらぬ春やむかし. か-のごとき事は'全-何度なりといふとも博らず。. こ. 如此事全社何度不博之. さくらちる木のしたかせはのくとあかしのうら. よ. ﹁全﹂は、名義抄(僧中こ掲載の訓と意味から、マタク・モバ. ら. ラの訓みが可能である。いずれも否定表現の陳述副詞としての用法. さ. か-のごとき類は二句(なり)といヘビも更に詠むべからす。. タ. 諸本問に﹁一句﹂と﹁二句﹂との異同があるが'文脈上の妥当性. た. から﹁二句﹂の方で考える。和化漢文おける﹁錐﹂には'当例の如. ふ. 及びへ宗清願文案では︹全非紳之餅︺(114また-神のかさりにあら. 例にな-、マタクでは三〇例中の二七例(反語一例、肯定二例)に. -直接に名詞を承け、和文の係助詞や副助詞の機能と類似した強意・. ひ. す)の如-否定表現で﹁全﹂をマタクと訓む。また、芋類抄で﹁全. ,. マタシ﹂(中・辞字)があり、﹁専モバラ﹂(下・辞字)に﹁全﹂字が登. 類推・例示を表す用法がある(拙稿②)。1方へ訓読語トイヘドモ・. t. 載されないことなど、漢字と訓との関係や意味用法から見てもモバ. へドモの斯かる用法の特徴は'助動詞を介さず直接に名詞を承ける. トイフトモの和漢混清文における用法にも同様のものがある。トイ. J. 如此類雄二句更不可詠之底本rl句﹂. ラは採り難い。﹁何度﹂は'定家の用語として近代秀歌に﹁-など. た. があるが、例えば延慶本平家物語では、否定表現の例がモバラ一九. 申すことは'項q瑚甥もこれをよまではうたいでくべからず﹂が確. 22.
(12) トイへドモと訓んで良い。名詞承接の﹁錐﹂と﹁為﹂字の有無との. 件表現が意図されたものと考えられる。いずれの場合でも﹁錐﹂は. 或いはナリ(﹁為﹂の示すタリではない)を補読すべき逆接確定条. 漢混清文にあるようなトイへドモの名詞を直接承ける強意表現か'. 述である。従って、﹁為﹂がないことにも意義を認めるならば、和. 上で、その二句続きの具体例を直前に示し、それを承けながらの論. 字が無-'文脈的意味も異なる。先に﹁二句﹂取ることを許容した. 点にある。﹁雄二句﹂の構造は既出﹁錐為一句﹂に似ているが、﹁為﹂. 見習ふべき叫--心に懸-べし﹂とする解釈はとれない。﹁殊に見. ても、﹁殊可見習劃﹂を承けるのは﹁殊上手歌﹂までであり、﹁殊に. し、意味上はそれでは納まりが悪い。またへ文構成と文意から言っ. ではな-、﹁上手の歌に心を懸-べし﹂と訓ずるべきである。しか. を一文中の連続した語句と見るならば、﹁上手の歌を心に懸-べし﹂. る(拙稿①1-3頁)。従って、﹁殊上手歌可懸心﹂の表現形式は'それ. 文案における定家訓読と和化漢文との関係ではそのように捉えられ. が︽α動詞β︾型で表現されていることが解る。少な-とも宗清願. B吋∼す﹂の構文が︽動詞A於B︾型で'﹁α吋β到∼す﹂の構文. 習ふべきは--殊なる上手の歌﹂で一文を切りへ﹁(これを)心顧懸. 関係に有意の差異があるかどうかは、未だ検討の余地を残す。. ケ. イ. キ. ク. ワ. ン. ネ. ン. こ. こ. ろ. そ. こ. と. み. な. ら. -べし﹂とする解釈が妥当であろう。因みにへ﹁心に懸-﹂の如-. J. 助詞二をとる表現は'文脈的意味と用法から見て、毎月抄の﹁常に. L. 常観念古等之景気可染心. う. 殊可見習考古今伊勢物語後撰拾遺三十六人集之中殊上手歌可懸 る. 心ある鉢の苛を御心にかけてあそばし﹂﹁近代の苛は花をのみ心に. ふ. 桝叫て、實にはめもかけぬ﹂﹁なをくたゞしき事は、わたりて心顧. ね. 常に古き等の景気を観念して心に染むべし。殊に見習ふべきは'. つ. 心︻人麿貫之忠峯伊勢小町等之類︼. 桝引べきにこそ﹂に通ずる。またへ﹁殊に見習ふべきは殊なる. う ち こ と ' , h ヤ ウ ズ う た. 古今・伊勢物語・後撰・拾遺・三十六人集の中の殊なる上手の歌。. 的で連接の緊密さを強-持つと判断されるので、助詞テを補読する。. ﹁景気を観念する﹂ことと﹁心に染む﹂こととは句の序列が固定. は、形容動詞相当の語を除-と'二三例中の三例に過ぎない)こと. 和化漢文に﹁也﹂字等の表記がある場所にほぼ対応している(補読. 少な-とも宗清願文案における定家訓読では、助動詞ナリの使用は. 上手の歌なり﹂の如-に断定ナリを補読する可能性も考えられるが、. 両句は、単なる並列の関係にあるのでな-'序列を入れ替えること. 心に掛くべし・︻ぷ撃影響郎禦恥敷,出帆軒轟. はできない(山口勇二﹃古代接続法の研究﹄)0. ラの中から、接尾語としてドモもあり得るがラを採る。﹁類﹂の訓. ﹁等﹂は名義抄(僧上五八、七九)のラ・トモ・タクヒ・トモガ. から考えて、積極的にナリを補読すべき根拠は得られない。. は名義抄(悌下三〇)と字類抄(上、中・辞字)からタグヒ・トモ. 既述の如-、古辞書に﹁中﹂﹁内﹂ともにウチの訓が確認され' 諸本中の多-が﹁内﹂字で記されることを勘案しても、文脈上の意. ガラが考えられる。近代秀歌にタグヒの使用例はな-、トモガラ三. 味から見ても、ここでの語義はウチと見ることに問題はない。 国語表現(訓読文を含む)と和化漢文との関係を見ると、﹁A到. 23.
(13) にふるきうたをこひねがへり﹂が一例存する。毎月抄では'タグヒ. 輔朝臣へ近-は亡父卿-基俊と申ける人へこのともがら'--つね. 例の中に複数の人物を先に挙げてそれを承ける例﹁大納言樫卿-清. 語未然形ムタメ︾の形となることが指摘される(築島裕﹃平安時代. 形ガタメ︾、和文では用言を受ける例が稀で'例外的ながら︽活用. 活用語を承けるタメは、平安時代の漢文訓読文では︽活用語連体. ,. ". -. *. !. *. -. J. f. ,. し. し. っ. ね. ア. ク. 〆. ワ. ン. その他の語も以下の如-古辞書に確認できる訓みに拠る。﹁時節ヲリ. とうたのみち、あさきに1てふか-、やすさに1てかたし﹂がある。. は既述。﹁師匠シ主ウ﹂字類抄(下・畳字).﹁古風﹂は毎月抄﹁こ. 表現を用いるべき積極的根拠は得られない。﹁膏苛﹂の訓みの検討. 勘案しても、特に助詞二を補読すべき理由や、所謂二格主語による. ﹁和歌無師匠﹂の訓読は、時代的・文体的な文法や表現の特徴を. 和歌は師匠なし。只者き歌をもちて師とす。 心をか即に軒め,靴を形影に酢はゞ、輿の)ぷか:.&まざらむや。. で 一 r ・ 、 蝣 f f 、 . ヤ t V - - i る. 染心於古風習詞於先達者誰人不詠之我. 和歌無師匠只以者苛為師. る﹂ことが指摘される。﹁通﹂は名義抄(悌上五六)のカヨフに従う。. ﹁握翫﹂は音読すべき熟語と思われる。定家の用語としても明月. の漢文訓読語につきての研究﹄東大出版会・m頁)。論者の調査で. i. は事物に対して使用され、人物を対象としては殆ど用いられない。. +. は'今昔物語集など(広-和漢混清文資料)では、︽活用語未然形. i. ムガタメ︾の形が多-'中世以降広-行われるようであるD尚、宗. .. 人を指すともとれる二例﹁夕ぐれのことばをもとりそへてよめるた. r. 清原文案で(讐﹂の事をきおひ申さ叫叫璃噺、えんにふれて)、毎. J. d叫も侍り﹂﹁いたくもちゐられぬたぐひの詠作をば﹂もあるが'. ヽ. 月抄には﹁家風にそなへんために明月記を草Lをきて侍事﹂﹁口な. し. 人物を対象とした確例は﹁輩(ともがら)﹂である。タグヒの可能. -. 性も残すが一応トモガラで訓む。また、連体格用法の﹁之﹂にはガ・. ・. れんためにははやらかによみならひ侍べし﹂の如き用例が確認され. =. るO定家の用語としていずれが最も相応しいか俄に決し難いが、1. ・. ノが想定できる。近代秀歌﹁花山僧正・在原中将・素性・小町がの. ・. ち﹂や宗清原文案︹弟子之祖師︺(1-4弟子が祖師)という定家が用. ・. 応︽活用語未然形ムタメ︾の訓みを採り、助詞こを補読する。. ,. いたガの用法に通ずるものと見得るので、助詞ガをもって訓む。. ・. 記﹁只見仁王会呪願握翫其文章﹂(治承四年五月二九日)等が認め. ′. られ、古典大系注でも﹁定家は歌合判詞でもこの詞を度々用いてい. ,. 錐非和歌之先達時節之景気世間之盛衰為知物由. 一. 自氏文集第一第〓株常可櫨翫深通和歌之心 e. よ. 和歌の先達にあらずといヘビも'時節の景気'世間の盛衰、物の. 潔-和歌の心に通、ふ。. ふ か や N と う た こ こ ろ か よ. 由を知らむために'白氏文集の第一・第二晩、常に握翫すべし。. ﹁和歌﹂が定家の用語としてワカである確例は認められない。名 義抄(僧中四八)の﹁和歌・倭歌﹂や古今集仮名序・古来風鉢抄な. フシ﹂名義抄(僧上七七)、﹁世間ヨノナカ﹂字類抄(上・天象)﹁人間ヨ. どにヤマトウタが確認され'定家の用語としても近代秀歌に﹁やま. !ナカ﹂名義抄(法下七六)、﹁盛衰ジヤウスイ﹂芋類抄(下・畳字)0. 24.
(14) 確認される。またへ助詞ノの有無に関して仮名表記例を確認すると、. ろかにおもひきこゆる事あらん﹂(巻四)等があり、両語の使用が. もりおはせん﹂(嵯峨院)、栄華物語に﹁わがきみをばたれの人かを. では構文に一定の型を持つ。︽動詞A於B︾型の訓読は﹁AをBに∼. 語文における両者の順序は自由であるが、和化漢文と訓読との関係. は確認できず、タレについては﹁たれの人﹂﹁たれ人﹂共にその用. イヅレについては﹁いづれの人﹂の確例は存するものの﹁いづれ人﹂. 動詞が複数の対象をとりヲ格とこ格によって表現される場合、国. の御百百に多分古風のみえ侍﹂が音読語と見られるのに従う。. す﹂の順序が固定的で、和風の︽α動詞β︾型は﹁αにβを∼す﹂. シ. ン. イ. オ. コ. サ. ウ. f. ・. ル. ア. ホ カ ノ ヽ く. 例を確認できる﹁たれ人のすみかとはしらねど、いかにもたゞ人の. く. の順序で訓ぜられる。少な-とも宗清願文案には斯かる法則性が認. -. 居所にはあらざりけるなんめり﹂(無名抄・関清水事)。更にへ漢字. 、. められる。従ってへ﹁於﹂による型の当例は、意味上も﹁心を古風. .. 表記との関係を和漢混清文で見ると'今昔物語集に﹁悌ヨリ外I六誰 !. に染めへ詞を先達に習はゞ﹂と訓読すべきと判ぜられる。. ル. く. く. コ. ノ. 問題となるは﹁誰人﹂の訓みである。和化漢文における﹁誰人﹂は. に比して表現語桑が限定的であることと同じように、構文や語法な. 終的な決定を一つに絞りきれなかった箇所があるoこれは理解語桑. 訓読試案といいながらへ訓読について複数の可能性を提示し'最. ザ. 既に日本霊異記にも見える﹁誰人莫過斯甚﹂(上巻・第二七)。その. どの様々な領域においても、理解行為におけるものよりも表現行為. レ. 訓みは、名義抄﹁誰タレ・イツレ・イカムノ誰何タレ何誰タレカ﹂(法上五こ. におけるものの方が限定的になりやすいことと関係する。日常常用. イ. 人力隈意ヲ不発ザル者ハ有ルベキ0-・・・生ル者ハ必ズ滅ス相ヘル者ハ定メテ離ル.. 伊. 和化漢文における﹁乎﹂﹁哉﹂両字は、質問・疑惑・反語それぞ. バ. 醜悪此ノ事ヲ撃ムO﹂(巻二・第四)、﹁御堂ノ壇ヲ賢二、天皇、響 レ. 取テ土ヲ済ヒ給フ、--然、大臣ヨリ始メテ誰人力此事心二不入ラム、堂塔. カ. れの表現に広-使用される(峰岸文献6-2貢)。当例は否定語を含む. 皆出来ヌ0﹂(巻11・第1三)が確認されるO訓みに関する決定的. シ. 反語表現でへその表現内容や形式は古今和歌集・仮名序の﹁生きと. ク. し生けるもの、いづれか歌を詠ま封切引﹂に通ずる。一方、和化. ヒトを採る。. な根拠は得られずイヅレ(ノ)ヒトの可能性も残すが'タレ(ノ). などによっても'タレ(ノ)ヒト・イヅレ(ノ)ヒトが考えられる。. の国語によって思考した内容を、国語の文章様式によって表現する. ス. 漢文の表現形式と訓読という点では宗清願文案の︹誰不悲相害之苦. 和文系資料でそれらの仮名表記例を確認すると、源氏物語・とはず. ことに比べて、知識として諒解している範囲内での漢文様式で表現. 和化漢文の訓読における問題点と課題. がたり・枕草子などにはない(勿論タレ・イツレは存する)が、反. zxmz. 乎︺(96たれか相害するくるしひをかなしは割引叫刊)が参考にな るD定家による反語表現の訓読法が、文末の助字をヤと訓み'助詞. 語表現に限って見ても、宇津保物語に﹁民部卿の宮-右のおとゞ-. する和化漢文の方は、表記・語嚢・語法・構文などにおいて漢文の. カ・助動詞ムを補読する形式であることが判るので'これに従う。. いと二な-あそばせ給をきかせ給ていづれの人か御心のどかにてこ. 25.
(15) 用語の特徴や文脈解釈上の妥当性を勘案してもなお一つの訓みに確. 的な関係が'少な-とも定家の和化漢文作成や訓読においては'必. 定できないものは、定家自身が宗清願文案で行ったように、現段階. 制約を受けざるを得ないために、豊かで自在な表現ができなかった. れた狭い選択範囲内での表現を採る様式といえる。国語の表現と漢. でその可能性を示すに留まらざるを得ない。今後なお、訓読の必然. の表現に文脈的不整合を来さない限りにおいて'定家自身の用字・. 文様式の表現(例えば和語とその漢字表記)との関係が、和化漢文. 性についてより詳細な検討を加えねばならないが'斯かる情況は'. ずしも固定的でなかったことを意味する。従って、国語文としてそ. では比較的単純化されていた(例えば所謂訓漢字の使用)とは言い. と考えられるからである。和化漢文という表現様式は'和文と漢文. ながらもへ個別具体的な細部においては'常にl対1的な対応関係. にある国語表現と和化漢文との関係の一面を示しているようにも考. 定家による和化漢文の作成や訓読における特徴の一画へ或いは背景. との両様式が重なる部分で表現することを必要とし、二重に制限さ. にあるとは限らない。複数の国語表現が一つの漢文表現でしか成し. えられる。. 得なかったり、或いはその逆の情況にある場合も考えられる。国語 表現と(和化)漢文表現との間に'絶対的な不動の関係として存す. 関係を語のレベルで見ると'﹁偏﹂が﹁ひとへに・みだりに﹂へ〓. ように、宗清願文案における和化漢文と定家の漢字仮名交り文との. 化漢文本文との対照考察﹂・run呈叩表現研究﹄第15号)で指摘した. 前拙稿(﹁﹁石清水八幡官権別当田中宗清原文案﹂漢字交り本文と和. る場合は、訓読の可能性を示すに留まらざるを得ない。例えば'以. けることはできない。毎月抄の場合は必ずしも漢語は少なくないの. 語の特徴を示すl事象と見たいが、今回の考察から短絡的に結論付. 代秀歌の使用語に漢語がさほど多-ないことと合わせて、定家の用. 基本的には漢語や漢文訓読語を避けて訓むことが可能であった。近. たって、近代秀歌の用語を通して訓読を試みた結果も'ほぼ同様に. 和語を用いる傾向にあることを指摘した。本資料の訓読の考察にあ. て'古辞書類に字音読が掲載されるような熟字などをも和訓読し、. また、前出拙稿において、宗清願文案の定家訓読が'漢語を避け. 向﹂が﹁ひとへに・1向に﹂(﹁ひとへに﹂には﹁偏﹂﹁l向﹂二種. で、毎月抄の資料的・文体的性格を明らかにした上で、定家の手に. る法則性や基準が認められず'複数の表現形式を許す﹁ゆれ﹂があ. ては﹂、﹁是以﹂が﹁こ1をもちて・これによりて﹂、﹁而﹂が﹁しか. 類の漢字表記が対応する)へ﹁就中﹂が﹁なかんづ-に・ことにわき. なる他資料をも合わせてへ更に詳細に検討する必要がある。. (たなかまさかず・兵庫教育大学). れども・しかるを﹂へ﹁然者﹂が﹁しかれば・これによりて﹂の如に訓読される事実が確認でき、句や文のレベルでも同様のことが窺 える。訓読された複数の語形は、機能的には互いに共通するもので あり、意味的にもそれぞれの使用が文脈的ニュアンスを損なうもの ではなかった。古辞書等において認められる漢字とその訓との1般. 26.
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