─研究論文─
大学院進学予備教育における持続可能性日本語教育の試み
─社会人進学予定者の研究に対する態度構造の分析より─
原田 三千代 要 旨 グローバル化に伴う国際競争力推進の下で、大学の教育カリキュラムは専門化、即戦力 に主眼が置かれている。しかし、大学や大学院での研究では、アカデミック・スキルの習 得と同時に、自分自身や研究について思考する内容重視の言語教育が必要であり、それが 研究者としての持続可能な生き方にも通じるのではないかと考えられる。本研究では、大 学院進学予備教育のプログラムにおいて、ツールと同時に内容に重点を置く持続可能性日 本語教育を試行した。現職の日本語教師を対象に、研究に対する態度構造の変化を探るこ とを目的とし、教室活動参加当初、活動終了直後、活動終了半年後に PAC 分析を実施した。 その結果、活動参加当初は研究に対するイメージが漠然としており、「知る」ことに重 点が置かれていたが、活動終了時点は「知る」より「絞る」「深める」を重視し、データの量 よりも研究に合ったデータをとることが強調された。活動終了半年後の研究に対するイ メージは「研究と実践のリンクする持続可能性」「協働的なスタンス」として収束されてい た。研究と実践が相互補完的に関係づけられ、協働的スタンスがそれを下支えするといっ た構図が示唆される。 【キーワード】 アカデミック・スキル、ツールとしての言語教育、内容重視の言語教育、 持続可能性日本語教育、PAC 分析 1.はじめに 少子高齢化社会を迎えて 18 才人口が減少する中で、日本の大学院教育は、社会人、留 学生の受け入れによって活路を見出そうとしている。文部科学省白書(2005)によると大 学院進学者の 15.3%が社会人、9 %が留学生で占められており、社会人に至っては 2009 年 の同白書において 20%を超えている。高度職業人養成を目的とする専門職大学院設置や「留 学生 30 万人計画」といった国の施策もそうした動きを後押ししている。他方、グローバル 化の進行に伴う国際競争力推進の動きに影響され、大学の教育カリキュラムは専門化、細 分化され、即戦力養成に主眼が置かれる傾向にある。 こうした状況の下で、大学院生は大学院入学後、研究することの意義を見つめ、自分と 研究の関わりについて思考を深める機会が得られないまま、スペシャリストとして養成さ れていく場合が存在するのではないだろうか。同様に大学院進学を目指そうとする研究生 においても、研究テーマが見つけられないまま研究からの脱落を余儀なくされることも少 なくない。このような現状を鑑みると、大学院進学予備教育の段階から研究の目的や内容、その意義の総体について自らに問い、他者との対話によって多様なものの見方や考え方を 育成する場が必要だと考える。 本研究では、大学院進学を目指し大学に研究生として籍を置く社会人や留学生を対象 に、大学院で研究する際に必要なアカデミック・スキルの習得と同時に、自分にとって「研 究とは何か」「研究の意義とは」 を他者との対話を通して考えるプログラムを提供した。本 研究は、そのプログラムに参加した現職の日本語教師、M さんの事例を取り上げ、研究に 対する態度構造の変化を見たものである。 大学院進学準備段階において研究およびその社会的意義について考え続けることが、研 究者としての持続可能な生き方を模索することに通じるのではないか、さらに今後も大学 院人口の増加が見込まれる中で、大学院をめざす人々に対して大学院進学予備教育の教育 内容を考える際の示唆を得ることができるのではないかと考える。 2.先行研究 2.1 「ツールとしての言語教育」と「内容重視の言語教育」 言語教育には「ツールとしての言語教育」と「内容重視の言語教育」があると言われてい る(岡崎 2009)。「ツールとしての言語教育」とはツール(道具・手段)としての能力の養成 のために、読み、書き、聴解、会話などに関わる言語スキルの向上を目指すものである。 これに対して「内容重視の言語教育」は教材で取り上げる内容そのものを教育内容とし、 内容に関する思考能力の育成を目指すものとされる(岡崎 1994)。 現在、大学院進学予備教育の日本語プログラムでは、研究の技術的親交のためのスキル に重点が置かれる傾向にある。しかし、大学院において「高度な内容の読解」「講義の理解」 「プレゼンテーション」「論理的文章の作成」「ゼミでの議論」を可能にするためには、個々 のスキルの向上のみならず、四技能の統合と思考力の育成を総合的に考えていくための「内 容重視の言語教育」が必要だと考えられる。つまり、大学院進学予備教育段階からアカデ ミック・スキルの獲得と同時に研究目的やその意義・内容の総体について考え、議論し、 組み立てるという意味での「内容」を教育内容とし、それに即応する日本語の教材で学ぶ ことを重視する教育の可能性を考える必要がある。 「内容重視の言語教育」は、これまでにも年少者の教科教育(清田 2001)、「日本事情」(梅 田 2006)、理系の専門科目の日本語教育(仁科 2008)、地域の共生日本語教育(岡崎 2002) などで援用されてきた。本研究で試みたのは、大学院進学予備教育において、教科や「日 本事情」の代わりに、将来研究に携わる者として「研究とは何か」「研究の意義とは」あるい はそれを自身の持続可能な生き方に結びつけて考えることを内容とする「持続可能性教育 としての日本語教育」(岡崎 2009)である。 2.2 「持続可能性教育としての日本語教育」および本研究の目的 現在、グローバル化による社会 値観や常識だと考えられてきたことが通用しなくなり、 何を基軸に自分自身の生き方や価値観を築いていけばいいのかが模索されている。「持続
可能性日本語教育」は、自分を起点として世界のコト、モノ、ヒトと自己との関連性を他 者との対話を通して形作り、同世代に生きる他者や自己の生き方について考えを深めてい く学習(岡崎 2009)である。そこで議論される話題は、就職や雇用などに代表されるように、 自己や世界と密接につながった問題である。 世界を認識し、他者とのつながりや自己の生き方を探求していくことは、当然大学院を 目指す将来の研究者にとっても喫緊の課題である。将来研究に携わるものとして、自分自 身と研究を関連させて考えるためには、研究に必要なツールとしての言語を獲得するだけ でなく、そこで扱った読み、書き、話し、聞く内容そのものを自己の問題として考える必 要があるのではないだろうか。例えば、論文読解においては、構文把握や技術的表現の習 得のみならず、そこに書かれている内容そのものに対する思考を深め、自分と研究との関 わり、自身の研究の方向性や意義を考えていく教育が必要だと考える。 さらに言えば、グローバル化に伴う国際競争力の強化が求められ、それに即応した即戦 力の養成や専門化、細分化した教育カリキュラムの重視に偏る傾向がある中で、自己を起 点として世界との関連性を考え自らの生き方を問うていくためには、専門化、細分化され た領域に入る前の段階において、即戦力を求めるのではなく、各々の専門領域間にまたが る多様なものの見方や考え方を滋養する場の保障が必要なのではないだろうか。 本研究の実践では、そのような場を大学院進学予備教育における言語教育に求め、他者 との対話を通して、自分にとって「研究とは何か」「研究の意義とは」という問いを反芻し、 思考を積み重ねていくプログラムを提供した。本研究は、その実践に参加した社会人進学 者の、研究に対する態度構造の変化を探ることによって、持続可能性日本語教育の実証的 研究を行うものである。それによって、大学院進学予備教育の教育内容を考える際の示唆 を得たいと考える。 研究課題:持続可能性日本語教育に基づく教室活動への参加を通して、社会人大学院進学 予定者が、研究に対する態度構造をどのように変化させるか。 3.研究方法 3.1 対象者 大学院進学予備教育プログラム:「アカデミック日本語教室」(2009 年 4 月∼ 9 月、週一 回 90 分)には 7 名(日本語母語話者 3 名、日本語非母語話者 4 名;20 ∼ 50 代の女性;専攻 は日本語教育、英語学;母語話者のうち 2 名は社会人)が参加した。その中で M さん(仮名) を対象者とする。M さんは、ビジネスマンとその家族に対し個人レッスンを行っている、 50 歳代の現職の日本語教師である(教師歴 7 年)。M さんはレッスンの相手について「会社 でも家族に対しても使用言語が英語であるため、日本語に興味はあっても、予習・復習を してまで日本語習得を目指す動機づけがない」という認識を持っていた。これまでも日本 語の「教え方教室」に何度か足を運んだが、テクニックの模倣や知識の注入だけでは限界 を感じ、実践に関わる問題を自分自身で解決したいと思うようになった。それが大学院を 目指す理由だと言う。M さんを本研究の対象者としたのは、現在、大学院における社会
人進学者が急増する中で、M さんが日本語教師という現職をもつ社会人進学予定者であ ること、実践上の問題解決のために教え方教室に参加するだけではあきたらないという体 験を持っていること、さらに、今後日本語教師として、どのような方向性を持てばよいか 模索していることなどにより、「持続可能性日本語教育」への参加を通して研究に対する どのような態度構造の変化が生じるかを探るのに適した対象者だと考えたからである。 この教室は、参加者 7 名とこのプログラムを自主的に企画・運営したサポーター[博士 後期課程の学生 4 名と修了生 1 名(筆者)]の計 12 名によって構成された。 3.2 教室活動 教室活動は以下のように 3 つのテーマに基づいている。各テーマは時系列で約 1 カ月費 やされたが、参加者の活動状態を見て活動内容を決めたためシラバスの細目化は行われて いない。テーマと内容は「ツールとしての日本語教育」と「内容重視による日本語教育」に 基づく編成を目指した。 表 1 教室活動のテーマと内容 テーマ 内 容 1.研究と私 サポーターからこの教室の立ち上げについて説明をし、参加者間で丁寧に自 己紹介を行う。ライフラインを描いて自分の人生を図式化する。他者との対 話によって研究との接点や自分の生き方を考察する。博士後期課程の先輩が 書いた自分の生き方や研究との関わりについてのテキストを読んで、各自の 視点から自己との関連性をつかむ。その後、自分のライフストーリーを書き 自分の生き方や価値観について考察する。 2.研究とは何 か まず、研究論文を選択する方策として様々な検索の仕方を試す。論文の構成 や流れを考え、読みのプロセスを参加者同士で分かち合う。タイプの違う論 文を批判的に読みながら、相違点・類似点などを考え、その特徴や意図を考 察する。論文のアウトラインを書いて論文をまとめ、内容に対する問いをグ ループや全体で討論する。その後、自分が選んだ論文をまとめ、発表や議論 を通して内容を深める。それと同時に、なぜそれを選択したかを考察する。 3.研究テーマ を考える 先輩の研究テーマ選択に関する話を聞き、研究テーマを生成する際の疑問点 を出し合う。研究テーマの生成に至る自分のアイディアをポストイットで整 理し、興味、関心を活性化する。ある程度まとまったところで研究テーマに ついてピア・レスポンスを何回か行う。自分の研究の問題の所在、先行研究、 研究テーマをまとめる。グループ討論や発表によって精緻化を図りつつ、研 究テーマを決める際の根拠や研究の意義を話し合う。 なお、活動の際に使用した論文は小川(1997)、唐澤(2007)、深澤他(2005)で、これら 以外は参加者が個人的に持参した。
3.3 PAC 分析の方法と手順 本研究では、インタビューを通して自分と研究との関連や意義について考え、個々人の 研究に対する態度構造を探ることを目的としたため、PAC 分析(内藤 2002)を採用した。 PAC 分析は、当該テーマに対する自由連想、連想項目間の類似度評定、類似度距離行列 によるクラスター分析、被調査者によるクラスター構造の解釈の報告、調査者による総合 的解釈を通じて、個人の態度構造を分析する方法である。本研究では、初回の教室活動後 (2009.4)、最終の教室活動後(2009.7)、プログラム終了半年後(2010.2.)に、次のような手 順でインタビューが行われた。 ①調査者(筆者)が被調査者 M さんに刺激文の書かれた紙を示し、口頭で読み上げる。 刺激文:「あなたは研究についてどのようなイメージや考えを持っていますか」 ②このテーマに対して連想するすべての項目を想起順にあげ、自分にとって重要だと思 われる順に番号をつけてもらう(連想項目の( )内の番号が重要度順の番号)。 ③2つの連想項目がイメージとして直観的にどの程度近いかを7段階尺度(一番近い項 目を7、一番遠い項目を0)で評定してもらう。 ④項目間の評定結果をクラスター分析で処理しデンドログラムを得る。 ⑤デンドログラムを基に、N さんにインタビューを行う。インタビューでは、まずデン ドログラム上のクラスターを取り上げ、いくつかの連想項目からなるクラスターに対 して、どのようなイメージが浮かぶかを質問する。そのイメージを基にクラスターの 命名を行う。次にクラスター同士の関係を尋ね、最後に全体的なイメージを質問する。 ⑥それぞれの連想項目のイメージについて、プラスのイメージか(+)、マイナスのイ メージか(−)、どちらでもないか(0)を述べてもらう。 なお、クラスター分析には多変量解析ソフト HALBAU を使用した。また、インタビュ ー音声資料に加えて、教室活動の評価シート、毎回の活動のふり返りシートを補助資料と して参照した。 4.結果と考察 本研究では、アカデミック日本語教室への参加当初、終了直後、終了6カ月後の時点で、 M さんにインタビューを行い、研究に対する態度構造を分析し、本プログラムの活動が どのように意味づけられていったのかを考察する。以下、3つの時期に行った PAC 分析 を順次見ていく。 4.1 教室活動参加当初の PAC 分析 4.1.1 「知る」以前の段階の自分 PAC 分析後「こうやって話すことが、いかにまだ漠然としているかって自分でよくわか った」と述べているように、M さんの研究に対するイメージは明瞭ではない。
図 1 M さんの研究に対する態度構造(1 回目) M さんのデンドログラムは A, B, C, D, E からなっている。A は「自分がテーマに積極的 に関わることで掘り下げる」としてまとめられ、「興味ある分野を深く掘り下げる」(1) 「今 まで思いつかなかった新たな疑問がわいてくる」(10) 「受け身じゃなくて自分から研究す る」(3) 「研究した結果、自分の授業が改善される」(8)を下位項目とする。B は「より自分 の研究の焦点を絞る」で、「先行研究をたくさん知る」(5) 「深く知ることによってさらに広 げる」(7)からなる。C は「自ら自分の視野を狭めたくない」で、「データをたくさんとる」(2) 「いろいろな人の考え方を知る」(9)から構成されている。D は「自分を見つめ直す」(4)、 E は「創造的である」(6)で、各々独立している。 A:「自分がテーマに積極的に関わることで掘り下げる」、B:「より自分の研究の焦点を 絞る」、 C : 「自ら自分の視野を狭めたくない」を通して、M さんの説明には「知る」「広が る」「絞る」という言葉が繰り返し出現する。「今、研究したいと思っていることの入り口で、 ちょろちょろ見ているぐらいだと思うんですね。それを少しずつ知ることによってどんど ん裾が広がっていき…」「そこもまた絞っていかなくちゃいけないと思いますが、段階が まだまだ入り口のレベルなので、一旦広がって、また焦点が絞れてくるんじゃないかな」 と述べている。また、「いろいろな先行研究とか、知識を得ることによってより正しい出 発と言いますか…、近づきたいと思います」というように、知識を得ることを「正しい出発」 とみなしている。M さんは「知る」ことで新たな興味・関心の間口を「広げ」、その中から テーマを「絞る」という研究の流れを想定しているものの、自分はまだ「知る前の段階にい る」と考えている。 A:「自分がテーマに積極的に関わることで掘り下げる」、B:「より自分の研究の焦点を 絞る」、C:「自ら自分の視野を狭めたくない」の関係は「何か順番がばらばらになっちゃっ たんですけど」というように、うまく関係づけられているとは言い難い。A と B を「私の 中ではとても似ていますね」としながら「研究を進める過程では、ちょっと逆になっちゃ ったかもしれない」と言う。A は「これから自分がやっていくこと、その方法論もまだわ 興味のある分野を深く掘り下げる 思いつかなかった新たな疑問が湧いてくる 受身じゃなくて自分から研究する 研究した結果、自分の授業が改善される 先行研究をたくさん知る 深く知ることによってさらに広げる データをたくさんとる いろいろな人の考え方を知る 自分を見つめ直す 創造的であること 【クラスター分析 ‒‒‒‒ 基準:ウォード法】 142.83 ¦ ‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+ ¦______________. ¦______________¦_. ¦________________¦__________. ¦___________________________¦. ¦___________________. ¦ ¦___________________¦________¦______. ¦__________________. ¦ ¦__________________¦________________¦____. ¦_______________________________________¦________ ¦________________________________________________ +‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+ A B C D E 距離 0 42.67 48.06 79.26 84.05 58.52 102.70 54.50 116.69 142.83 142.83 1 10 3 8 5 7 2 9 4 6
からない」段階であり、B は「研究をする上で当然のステップ」で、B を出発点として A に 向かおうとする。また、C は、研究をする上での「心構え」だとしている。どのような心 構えかという問いに対して「研究に使えないデータもあるかもしれないんですけれども、 いろいろなことを知ることは悪いことではないので、無駄なデータというものはない」と 言う。つまり、論文には使えなくてもデータをとることは無駄ではないという前提に立ち、 それが「視野を広げる」ことにつながると考えている。 以上のことから、M さんによると、研究とは「知る」「広げる」「絞る」過程の中で出現す るものである。一応の方向性はあるものの、まだ混沌とした状態にあり、現在の自分の立 ち位置は「知る」前の段階だとみなしている。 4.1.2 自分の生き方のふり返り D:「自分を見つめなおす」と E:「創造的であること」は各々独立している。D を提示 するきっかけになったのは、これまでの生き方に対するふり返りである。「養成講座が終 わって、次に日本語教師になって、その間に年齢的にも家でいろいろなことが、授業も (聞 き取り不能) 非常に大変な 7 年間も続いていたので、やっぱり立ち止まって、自分のある べき姿とか、今後も日本語教師を続けていくにあたって、今の状態をずっとやっていき たいのか、経験のところで教えたいのか、そういうことをきちんと考えてみたい」と語っ ている。 上述した A:「自分がテーマに積極的に関わることで掘り下げる」、B:「より自分の 研究の焦点を絞る」、C:「自ら自分の視野を狭めたくない」が授業の改善を目標にした 研究を志向しているとすれば、D は今後の持続可能な教師生活のための目標だと言え る。 一方、「創造的であること」では「勉強する以上、もちろん先行研究もたくさん知ってた いですが、そこからもう一歩、自分で踏み出せることができたら、オリジナリティという か…充実させたい」と述べている。「創造的であること」の前提には、先行研究に関する知 識が必要だと考えている。しかし、そこからどのように踏み出すかは明らかにされていな い。「知る」ことを起点としているという点では A:「自分がテーマに積極的に関わること で掘り下げる」、B:「より自分の研究の焦点を絞る」、C:「自ら自分の視野を狭めたくない」 には共通性があり、それによって自分自身の生き方を模索している。それが将来、研究の 扉を開けることにつながるかもしれない。しかし、その期待感とは裏腹に、扉の前で右往 左往している M さんの姿がイメージされる。 4.2 教室活動終了直後の PAC 分析 教室活動終了直後では、M さんは参加当初の状態と比べながら「アカデミックに参加す ることによって、わかってないことがわかったりしていったので、放心状態というか…。 どんどん今、わいてきている」と、現在の心境を語っている。
図 2 Mさんの研究に対する態度構造(2 回目) 4.2.1 二つの疑問文─ YES,NO 疑問文と推測的な判断を表す疑問文 M さんのテンドログラムは A, B 2 つに分かれており、A は「研究に期待すること」、B は 研究のための「具体的な手続き」としてまとめられる。これらのイメージは 2 種類の疑問文 のどちらかで表わされている。B:「具体的な手続き」は「研究テーマが絞れるか」のように、 Yes、No 疑問文で、A:「研究に期待すること」は「次の扉が開けるのではないか」のよう な推測的な判断を表す疑問文である。M さんは「研究計画書を書いて大学院に入って、研 究をして、修士論文を書いてという、すごく単純なことしかイメージ出来なかったんです けど、(聞き取り不能) 紆余曲折するうちにそういう単純なことではない」と述べており、 「アカデミック(教室)に参加することによってそれまで全然考えてなかったことに気づい た」と語っている。B:「具体的な手続き」には、「テーマを絞る」(2) 「先行研究や担当教官 の指導」(8) 「研究の計画性」(4) 「研究にあったデータをとる」(5)など研究を進めるため の必須条件が存在する。これに対し、A:「研究に期待すること」には、「実践の深まり」(6) 「研究の次の扉」(10) 「多様な意見の吸収から研究へ」(7) 「実践への還元」(3) 「生涯のテ ーマ」(9)など、研究の向かう先が示されている。つまり、研究とは B を基盤に一定の手 続きを踏んでいけば、A に向かって方向づけられていくものだと考えられているのではな いだろうか。 しかし、このような研究の方向性がすべて疑問文で表わされていることから、結局、M さんの中で、研究とはいまだ確信度の低いものではないかと言える。 4.2.2 「知る」から「絞る」「深める」へ M さんがあげた項目には、教室開始当初と比べると明らかな違いがみられる。当初は 研究にとって知識の獲得が主要命題であり、無駄であっても「データをたくさん取る」こ とに意味を見出していた。終了時点には知識の獲得より「深める」「吸収する」「絞る」こと +‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+ 研究することによってより実践に深みができるのではないか 研究することによって次の扉が開けるのではないか 研究結果を実践に生かせるのはないか 研究によって疑問がわき生涯のテーマになりうるのではないか 授業内で疑問に思ったことを研究できるか 仲間と研究することで多様な意見を吸収できるのではないか 研究テーマをきちんとしぼれるか 先行研究や担当教官の指導で研究に深みができるか 計画性をもって研究が進められるか 研究にあったデータがとれるか 【クラスター分析 ‒‒‒‒ 基準:ウォード法】 0 ¦ ‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+ 距離 ¦ _____. ¦ _____¦___. ¦ _________¦. ¦ __________¦____. ¦ _______________¦___. ¦ ___________________¦_____________________________. ¦ __________. ¦ ¦ __________¦________. ¦ ¦ ___________________¦_________. ¦ ¦ _____________________________¦___________________ ¦ A B 6 10 3 9 1 7 2 8 4 5 19.85 32.77 38.33 53.52 70.09 171.00 36.22 67.86 103.63 171.00 171.00
を志向し、データは量より「研究にあったもの」をとることの重要性を指摘している。さ らに、「仲間と研究することで多様な意見を吸収できる」というように、研究に際しての 協働的な認識の萌芽が見出せる。 一方、教室開始当初と共通している認識は、実践と研究のつながりを模索している点で ある。「実践だけやっていても、何かこう、裏づけするものがあるはずなのに見えてこない」 「元々あまりばらばらには考えていなかったので、実践がなかったら研究したいと言うと ころまでいかなかったかも知れない」と述べている。元々存在していた実践と研究の往還 という認識が、研究への足がかりとなっていることが示唆される。 今後について聞かれると「研究テーマをまず決めなくちゃいけないですかね。まだその 段階なので」と、現実的に直近の課題を再確認する一方で「実践に活かしつつ社会に還元 できるような…」「どういう形であれ、仕事としてきちんとしていきたい、生涯の仕事と して位置づけられれば」と、自分自身の今後の方向性を模索している様相がうかがえる。 4.3 教室活動終了半年後の PAC 分析 教室活動終了半年後の PAC 分析により、M さんのクラスターは3つのグループ(A, B, C)からなる。A は「データの検証・考察と実践現場とのリンク」、B は「研究を身近にとら えて深める」、C は「協働的なスタンス」である。この時期は大学院進学が決まった時点で あり、「実践と研究とのリンク」、「協働性」という概念がより鮮明に打ち出されている。 図 3 Mさんの研究に対する態度構造(3 回目) 4.3.1 実践と研究のリンク M さんが掲げる研究とは、現場の実践とどう結びつけられるかに集約される。A:「デ ータの検証・考察と実践現場とのリンク」はそれを端的に表しており、「現場の実践とど のように結びつけられるかを考える」(3) 「忍耐力とひらめきが必要」(9) 「分析結果を検証 現場の実践とどのように結び付けられるかを考える 忍耐力とひらめきが必要 分析結果を検証し、考察をまとめる データを集め分析する 自分が興味を持っている分野を探求する 常にアンテナを張り、地道な努力も必要 2 年で完結するものではなくさらにテーマが広がる 担当教官やゼミの仲間の意見をもらう 仲間の研究内容を知ることで自分の研究も広がる 先行文献を読む 【クラスター分析 ‒‒‒‒ 基準:ウォード法】 0 ¦ ‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+ 距離 ¦ ____________. ¦ ____________¦_______. ¦ ____________________¦__________. ¦ _______________________________¦______________. ¦ __________________. ¦ ¦ __________________¦_________. ¦ ¦ ____________________________¦_________________ ¦__ ¦ ______________________. ¦ ¦ ______________________¦_. ¦ ¦ ________________________¦________________________ ¦ +‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+‒‒‒‒+ A B C 3 9 2 1 6 10 7 5 8 4 162.61 43.35 69.28 102.77 152.72 60.84 92.74 162.61 74.96 81.64 162.61
し、考察をまとめる」(2) 「データを集め分析する」(1)からなっている。それらの個々の 項目はすべて(+)であり、肯定的な印象をもたらしている。 「せっかく研究をするのであれば、実際の現場に、研究と現場が乖離するのではなくて、 結びつけられたら」と述べている。M さん自身の研究テーマは、現場の学習者との相互作 用から生成されるものだからである。それを研究テーマとして醸成させるには「忍耐力と ひらめきが必要」であり、研究の具体的な手続きは「データを集め、分析」し、「分析結果 を検証し考察をまとめる」ことで進んでいく。実際には「自分で疑問点を出したり、気づ いたりしたことをリストアップすることで、自分なりの考察」をし「先行文献を読んで周 りの意見を聞くことでだんだんまとまるのではないか」と考えている。これは言い換えれ ば、実践と研究にリンクを張り、研究を前に推し進めるのに欠かせないアカデミック・ス キルの部分だということが示唆される。 一方、B:「研究を身近に捉えて深める」は「自分が興味を持っている分野を探求する」(6) 「常にアンテナを張り、地道な努力も必要」(10)「2 年で完結するものではなく、これから さらにテーマが広がる」(7)からなっている。A において「忍耐力だの、データを集めるだ の、そういう細かい作業とかひらめきとか考えると、自分に興味がないと、ひらめきも出 てこないかもしれないし、自分に興味があるからこそ深まるのだということを深く認識し ました」と述べている。常に「アンテナを張り」、「努力」を持続させるという根底には、研 究に対する興味、関心に根差した内容重視の態度がうかがわれる。 結局、研究とは「大学院の 2 年間では完結するものではない、たぶん自分が思っている ことの入り口ぐらいで終わってしまうのではないか」と言及する。しかし、「それをやる ことによって、今考えていることと、どういうふうにつながっていくか、もっと深まるの ではないか」と述べている。ここには、今を起点として研究への道筋を模索する態度が示 唆されている。さらに、「自分の理想としては現場を持ちながら大学院に行ってそれでま た現場に戻って、またそこで何かあれば、また研究を続けるとか、そういうふうにリンク していきたい」と言うように、現場に軸足を置きつつ持続的に研究へ向かう M さんの今後 の生き方とも密接に関連している。 以上のことから、A:「データの検証・考察と実践現場とのリンク」と B:「研究を身近 に捉えて深める」をまとめると、M さんにとって研究とは、常に実践現場との関係を意識 するものである。それは興味関心のある分野についての探究心やひらめきによって喚起さ れ、研究テーマを育てる地道な努力を抜きにしては考えられない。それらを基盤にして、 研究を推し進めるためのツールと内容重視の取り組みが相互補完的に関係づけられてい る。このような研究に対する認識は教室開設当初より見られたが、萌芽の状態からより精 緻化され、大学院進学が決定された現時点では、明確に特徴づけられていると言えよう。 4.3.2 協働的スタンス M さんの研究に対する態度構造の顕著な特徴は、A と B を支えるものとして、C:「協 働的なスタンス」を掲げたところにある。それは、「先行文献を読む」(4)を、あえて A:「デ
ータの検証・考察と実践現場とのリンク」ではなく C に分類したところからも推察できる。 M さんは「私の中ではここはポイントが高い」と評価している。その理由を「『先行文献を 読む』は、本来の内容からいくと A グループに入るのかもしれませんが、仲間の意見をも らったり研究したり、教官の意見とも結びついているので、ここでいいと思います」と述 べている。「先行文献を読む」は研究にとって必須のスキルだが、協働で読み進める過程を 通して内容の深化を伴う。M さんが言及しているように、研究とは「1 人でできるもので はなく周りの意見や協力をもらわなければ深まらない」からである。 では、アカデミック日本語教室に参加することによって、M さんは「協働的なスタンス」 をどのように意味づけたのであろうか。インタビューの中でそれを端的に表している個所 がある。 M:最初、協働の意味がよくわからなかったのですが、よくあることなんだなと…。ア カデミック(教室)に行って人の話を聞いて、おーっと思ったりすることも協働だ し、いろんなゼミに参加して全然違う学部の人たちの話を聞いたりするとか。何も、 一つの作業をしなければいけないということではなくて、意見を聞いて取り入れる ことも私の中では一つの作業としてとらえられるようになりました。<中略>いろ いろ話をしていると初級から上級への過程がありますよね。そういうものが見えた りとか。あるいは、自分が研究にいろいろ興味のある談話文法とか文法とかの話も 留学生の人がどうやって覚えたのかとか、いろいろ過程を聞くことができたり、逆 に向こうから日本語を教えているというと質問されることも多かったですね。それ によって、また私も疑問が出たり。それは実体験をしてみないとやっぱりわからな いですよね。すごく実体験が私にとってはいいきっかけだったと思います。あそこ がスタートでした。私の中での協働は本で読んだだけのことだったので、協働で何 かタスクをするとか、ペアワークとか、そういうイメージがすごく強かったのです が、参加してみて私の中での協働の意味が広がった…。 以上の発話から、M さんは「協働」とは必ずしも一つのタスクを共同で完成させること だけを意味するのではなく、「先行研究を読む」「結果を分析する」「考察をまとめる」など それぞれの活動の局面で意識されるものだと考えるようになったことがわかる。さらに、 それぞれの過程では「意見をもらうというところにもヒントがあるし、仲間の研究内容を 知る、相手の研究に関心を持っていくことによっても」あるいは、「相手の研究を自分が 立ち入ってみたりすることも、自分の中での協働になっていった」と述べている。以前は ペアやグループなど活動の形態を意味するものであったが、体験を積み重ねることによっ て形態よりもそこで繰り広げられる議論の内容に重点が移っていったことが示唆される。 その一方で、共に体験を重ねる相手に目を向けてみると、自分とは異なる観点を持つ相 手の存在が自分の「煮詰まってしまう」状況を打破してくれると考えている。
M:特にアカデミックでもそうでしたし、他の授業でも私が前にやったレポートとかを 読んで、質問してくれる人は今までは日本語教師仲間で、わりと興味が同じ人の意 見を求めていたのですが、全然違う分野の人は、全然違うことを聞いてきますよね。 それが面白かったです。観点が全然違うというか、前提がないですよね。(中略) [相手の専攻と]自分が重ならなくても研究をしたいという気持ちとか、そこでも すごく広がったような気がして…。最初からこの分野は違うのだから、聞かないわ と言うのではなくて、ちょっと分からなくて聞いてみるとか言うのが大切なのでは ないかと思いました。自分のことだけでやっていると、段々煮詰まってしまうので すね。 M さんの言う「煮詰まってしまう」状態を考えてみると、専門分野の中で即効性や効率 性を追求する無駄のない研究の進め方では、結局、発展性や可能性が押し縮められてしま う。無駄や余剰の部分にこそ「創造性」が潜んでいることを示唆している。論文選択に関 しても「アカデミック教室以前は、ピンポイントで(文献を)探そうとしいて、自分の興味 のあるところだけ読んでいたのですが、いろいろなものを読むことによって、自分の分野 と関係はないけれども、違う研究でもデータの取り方がこういうものがあるなと思ったり …」と述べている。直接専攻分野とは異なる論文でも、そこには自分の思考を押し広げる 要素が潜んでおり、構成や研究方法に関しての新たな気づきや研究テーマの深化につなが るのではないかとされている。このような専攻分野に対する態度は、大学院進学準備段階 においてこそ構築されるべきではないだろうか。 以上述べた A:「データの検証・考察と実践現場とのリンク」、B:「研究を身近に捉え て深める」、C:「協働的なスタンス」の関係について、M さんは「A がメインで B は A を 補足するもの、それに対する私の考え方が C」だとしている。すなわち、M さんの研究に 対する認識構造では「実践と研究のリンク」が中心に置かれ、研究を推し進めるためには、 A と B、言い換えるなら、アカデミック・スキルと内容重視を基盤にした考え方が、相互 補完的に関係づけられていることを示唆している。しかし、M さんにとって実際に研究 を下支えしているのは C:「協働的なスタンス」だと考えられる。それは、M さんが C を「私 の考え方」だとしていることからも推察される。したがって、 M さんの研究に対する態度 構造は、[アカデミック・スキルと内容重視によって実践と研究を積み重ねていく]とい う基盤に「協働的スタンス」が存在するという構図が浮かび上がってくる。M さんにとっ て、アカデミック教室に参加して「協働的なスタンス」を取り入れたことが、研究に対す る新たな視点を見出すことにつながっている。 5.総合的考察 本研究は一人の現職の日本語教師を対象に、大学院予備教育プログラムにおいて研究に 対する態度構造を 3 つの時期:教室活動参加当初、活動終了直後、活動終了半年後に分け て分析したものである。
教室活動参加当初は、研究に対するイメージが漠然としており、それぞれ 5 つのイメー ジが密接に関係づけられるとは言えなかった。特に「知る」に重点を置き、研究に向かう「正 しい出発」として、多くのデータをとることが研究の必須条件だと考えられていた。教室 活動終了時点では、「絞る」「深める」に重点を置き、闇雲にデータをとることよりもむし ろ研究に合ったデータをとることが強調されている。研究は「具体的手続き」と「研究に期 待すること」に二分され、研究へ向かう方向性がより明確化されている。教室活動終了半 年後には、研究に対するイメージは「データの検証・考察と実践現場とのリンク」「研究を 身近に捉えて深める」「協働的なスタンス」として精緻化されている。「データの検証・考察 と実践現場とのリンク」と「研究を身近に捉えて深める」は、アカデミック・スキルと内容 重視が相互補完的に関係づけられ、それらを「協働的なスタンス」が下支えしていること が示唆される。 以上の結果から、M さんの研究に対する態度構造は大きく二つに収束されると考えら れる。一つは「研究と実践のリンク」であり、もう一つは「協働的なスタンス」である。こ れらの特徴についてさらに考察し、そこに組み込まれた教室活動について言及したい。 5.1 研究と実践のリンク 「研究と実践のリンク」は、プログラム開 始当初から認識されていたが、徐々に明確化 され、最終段階においてより中心的な概念と して顕在化している。例えば、M さんは、ア カデミック教室の留学生との議論において、 留学生は分からない言葉の意味を、母語話者 側から引き出すというストラテジーがあると 言う。「私は普段初級の人たちばかり教えて いるので、それを見て、教室で教えている文法だけではないものが必要…。 (中略) 結構 談話文法について考えるきっかけになりました」と述べている。それは、対象者自身が常 に実践者としての視点を持ち、現場ですくい取った問題点を、研究に向かって方向づけよ うとする態度を持ち続けているからだと考えられる。M さんにとって、研究と実践現場 は乖離したものではなく、「大学へ行って勉強して、もう現場には戻らないという考えは ないので、あくまでも研究したら、また現場に戻りたい。現場に戻ってまた疑問が出たら、 また研究に入ってみたい」と述べている。研究とは修士課程で完結するものではなく、ラ イフコースの中で長期的な展望をもって推し進められるものである。このような研究の持 続性が M さん自身の持続可能な生き方と重なっているように思われる。 5.2 協働的なスタンス 本研究の教室活動を通して、態度構造の特徴を顕著に表したのが「協働的なスタンス」 である。「論文を読む」「発表する」「研究テーマを探す」という取り組みを協働で進めると 実践と研究のリンク 協働的スタンス アカデミックスキル 内容重視 図 4 M さんの研究対する態度構造の図式化
いう実体験が、自己の中に他者を取り込み、研究への足がかりとなっていることが示唆さ れた。M さんにとって「研究とは何か」を考える過程は、長期的な視野に立って実践と研 究のつながりを見出し、協働の意味を思考する過程であった。 M さんは異なる分野の研究に対して「モンゴルの方だったかな、モンゴルの英語教育の 現状とか…、全然知らなかったのですごく面白かったですね」と繰り返し述べ、「自分の 研究分野と一見関係がないように見えても、どこかでつながっている部分が見えたり…、 あまり狭いところで意見だけをもらうのではなくて一見関係ないことで意見をもらうこと が大事じゃないかなと思いました」と語っている。即戦力養成に偏りがちな中で自分の専 門、非専門を問わず多様な分野から研究に対する興味関心を手繰り寄せていくことが、同 時にアカデミック・リテラシーの獲得につながるのはないかと考えられる。このような研 究に対する認識は、ほとんどの教室活動が協働的な活動で仕組まれており、協働の意義を 知識としてではなく実体験を通して確認できたこと、アカデミック日本語教室だけでなく 大学の科目履修においても、多分野を専門とする人たちとの協働体験があったことなど、 M さんを取り囲むアカデミックな生態環境が影響しているのではないだろうか。 5.3 「持続可能性日本語教育」の教室活動の特徴 本研究は大学院進学予備教育における持続可能性日本語教育を試み、自己を起点として 他者との対話によって研究に対する視野を拡大し捉えていく力を養成することをめざし た。M さんというアカデミック教室の参加者が、実践と研究の往還という自分の研究の 立ち位置を確たるものとし、研究を協働的な視点で捉えている点において、大学院進学予 備教育における持続可能性日本語教育は実現に向けての可能性が示唆される。そこには、 自身の進む方向性や研究の意義づけ、研究に対する多様な視点の広がりなどの認識の変化 が見てとれるからである。本研究の教室活動と「持続可能性日本語教育」との関連を考え てみると、本研究の教室活動には①教育内容としてスキルに特化せず、受講者の興味・関 心や問題意識を喚起するような素材を選択的に扱う②博士課程の先輩の研究や研究テーマ 選定に対する考え方に接する、また彼らの生き方や価値観を知り、自分と対照させて考え る機会を設ける③毎回の活動をふり返り、研究と自分との接点やその意義などを改めて言 語化・意識化する④ほとんどの教室活動を協働で取り組み、他者と自分の考えを対照させ て考えるなどがあげられる。大学院進学準備段階のプログラムにおいて、これらの教室活 動の緩やかな組み合わせによる研究を巡る議論が、自己の研究についての思考の深化やア カデミック・リテラシーの獲得につながる可能性があるのではないだろうか。 しかしながら、実際活用したテキストが、これから大学院を目指す人にふさわしかった かどうか、博士課程に在籍している先輩のテキストよりむしろ、同じ立場にある研究生を 扱った素材のほうが自己との関連性を考えやすかったのではないか。また、教育素材とし て、ツールと内容は二項対立するものではなく、どちらの側からももう一方を見据えたデ ザインを考える必要がある。その要となるのが協働活動ではないかと考える。素材と活動 の組み合わせをさらに考慮する必要がある。
グローバル化が急速に進む現代社会であればこそ、多様な価値観に翻弄されることな く、様々なテキストを通して自己および他者と真摯に向き合い、自己の生き方を模索して いくことが求められている。今後も、自分の将来を見据え、自己あるいは社会と研究や学 問との関わり、自分自身の持続可能な生き方を考えるプログラムを開発していくことが、 大学院進学予備教育のみならず大学教育のプログラムにとっても重要な課題なのではない かと考えられる。 6.今後の課題 本研究は、持続可能性日本語教育に基づいて大学院進学予備教育プログラムに参加 した現職の日本語教師が、研究に対する態度構造をどのように変化させたかを探ったもの である。しかしながら、上述した態度構造に影響をもたらしたと考えられる教室活動の詳 細については言及していない。教室の相互作用を記述することで、研究に対する認識と行 動両面から L2 教室活動のデザインに示唆を与えることができると考えられる。教室の相 互作用の詳細を観察、記述することを今後の課題としたい。 他方、大学院進学を目指す学生の中には、実践経験が豊富な社会人以外にも学部卒業生 や留学生が在籍している。社会人は実践現場の中から問題意識をもって大学院を目指す場 合が少なくないが、実践経験のほとんどない留学生、学部卒業生は、元々「現場と研究の リンク」を想定しがたく、大学院入学の目的を日本語のさらなる習得、あるいは学位取得 自体をめざす場合が多い。したがって、学部卒業生や留学生の研究に対する態度構造は、 社会人とは異なる様相を呈している可能性がある。対象者による違いを検証することによ って、多様化した大学院進学予備教育カリキュラムをどのようにデザインすればいいか、 さらなる示唆を得ることを課題としたい。 参考文献 梅田康子(2006)「日本語予備教育における内容重視型日本語教育の試み─留学生別科にお ける「日本事情」に関する一考察─」『言語と文化 No.15』愛知大学 59-78 岡崎敏雄(2009)『言語生態学と言語教育』凡人社 岡崎眸(1994)「内容重視の日本語教育─大学の場合─」『東京外国語大学論集』第 49 号 227-244 岡崎眸編(2002)「内容重視の日本語教育─多言語多文化共生社会における日本語教育の視 点から─」『内省モデルに基づく日本語教育実習理論の構築』科学研究費補助金研究成 果報告 小川佳万(2006)「日米への留学動機に関する比較研究─韓国・中国・台湾の工学系教授へ のインタビュー調査─」『東北大学大学院教育学研究科研究年報』第 55 集 第 1 号 37-58 清田淳子(2001)「教科としての「国語」と日本語教育を統合した内容重視のアプローチ」『日 本語教育』111 号 76-85 唐澤麻里(2007)「日本語教育におけるシャドーイングの有効性─ 1 名の学習者を対象とし
た短期実験からの多角的考察」『言語文化と日本語教育』34 号 日本言語文化学研究会 発表要旨 小 林 由 子(2007)「 内 容 重 視 型 漢 字 学 習 素 材 の 開 発 」CASTEL-J in Hawaii 2007 Proceedings 内藤哲雄(2002)『PAC 分析実施法入門 [ 改訂版 ]』ナカニシヤ出版 仁科喜久子(2008)「専門日本語教育の 10 年と今後の課題─日本語教育の立場から─」『専 門日本語教育研究』第 10 号 25-28 深澤のぞみ・濱田美和・後藤寛樹(2005)「留学生育成に必要な情報リテラシーとはどのよ うなものか」プロシーディング(3) 183-187