言語教育研究 第 2 号(2011 年度)
教室外日本語環境とのインターアクションが学習者にもたらすもの
-学習リソースに着目した事例-
原 千亜キーワード
地域外国人,インターアクション,教室外環境,非構造化リソース,個別性はじめに
教室内で教師や学習支援者主導の下行われる学習と異なり,学習者が教室の外で接する日本 語環境がどのようなものであり,そこで何が起こっているかを把握することは困難である。し かし,実際の日本語の習得は教室内ばかりでなく,そこを飛び出した実生活における様々な経 験を通しても行われており,教室内と教室外の日本語習得を切り離して考えることはできな い。尾崎(2006),二通(2006)でも述べられているように,日本語学習を支援する側には,学 習者がどんな環境と接触しているかということ,また,どんな学習ニーズを持っているかとい うことを知る必要がある。宮副(2004)では,香港で日本語を学ぶ大学院生が日本の大学生と 日本映画をトピックに電子メールの交換を行うことで,教室内の学習を教室外の実際使用場面 に結びつけ,学習への意識が活性化された報告がある。これは,教室内と教室外を往来しなが ら双方向の学習を行っていくことの重要性を示唆している。 本稿の調査協力者である在日ミャンマー人は,就労目的で来日し,企業のIT職,営業職,飲 食店の店員として働いている。そのため,日本語習得と生活が直結している側面があるが,実 社会における地域外国人のマクロで個別的なインターアクションに関する研究はまだ少ない。 本稿では,インタビュー調査の中で,学習者から報告があった物的な学習リソースに着目する。 学習支援者の管理下にない教室外の習得環境において,学習者たちは何をどのように日本語の 学習リソースとして活用しているのであろうか。日常生活における具体的なモノとの接触が日 本語の習得に与えた影響について考察する。1.学習リソースについての先行研究
地域日本語ボランティア教室に在籍するミャンマー人学習者を対象に行った教室外環境にお けるインターアクションについてのインタビューデータの中から,日本語の学習について直接 的に語られた部分を取り出した。その結果,学習する際に様々なリソースが用いられているこ とが明らかになった。宮崎(2002)によると,言語習得に対する意識が高い学習者は,学習ス トラテジーを駆使し,自らの学習を自律的に管理しているという。リソースの使用は学習スト ラテジーの一つであり,教室外環境における学習者のリソース使用の実態を分析することは, 日本語に関する問題に接触したときの学習者のインターアクションを明らかにすることにつな活発化させたり,インターアクションモデルを提供する役割もあると述べている。そして,リ ソースを構造化リソースと非構造化リソースとに区分しているが,構造化リソースは教科書に 代表されるような,何かを説明し,理解させたり練習させたりする目的が含まれていて,一般 的に学習者にとってわかりやすい構造になっている。それに対し,非構造化リソースは,教室 内学習では生教材と呼ばれるものであり,それ自身が教育目的で使用されることを期待してい るものではないとしている。浜田他(2006)では,これまでの学習行動に関する多くの研究で は,主に学習者が取った行動に焦点が当てられて,学習者を取り巻く環境にはあまり関心が払 われていないと述べられている。リソースの使用は,学習者と学習者が置かれた環境とのイン ターアクションであるという観点から,本調査協力者が教室外で用いた非構造化リソースに焦 点を当てて,接触したマクロな環境及び,習得の過程を記述,分析する。
2.調査協力者プロフィールと調査方法
調査協力者である在日ミャンマー人のプロフィールは,以下の表1のとおりである。全員が 週に一度授業が行われる地域日本語教室に在籍し,日本語能力試験1級合格を目指すクラスに 参加していた。本調査の目的は,学習者の一般的な傾向を明らかにすることではなく,個々の 学習者の具体的で詳細な行動を記述することであった。そのため,アンケートなどによる調査 ではなく,一人ずつ約2 ∼ 3時間の半構造化インタビューを行い協力者のパーソナル・ネット ワークの詳細な記述データの収集に努めた。協力者にはインタビュー前に調査内容について説 明する際,「日本に来てからの日本人とのコミュニケーションや日本語の勉強について話して ください」と伝えた。 表1 調査協力者プロフィール(調査当時) 性別 年齢 職業 日本滞在年数 日本語レベル (日本語能力試験) MM1 男性 30代半ば 会社員 7年 2級合格 MM2 男性 30代半ば 会社員 12年 受験経験なし MF1 女性 30代後半 飲食店従業員 13年 1級合格3.非構造化リソース
調査データから,まず協力者全員が日本語学習のリソースとして,教科書,辞書,電子辞書 を利用していることが明らかになったが,このような典型的な教室内学習に用いられる構造化 リソース以外にも,それぞれの協力者から多様で個別的な学習リソースの報告が見られた。石 塚(2007)は,リソースは学習に欠かせないものであり,どんなリソースをどう活用するかと いうことは,学習者が何をどう学ぶかということと強いつながりがある。また,学習者が自律 的に学習を進めるためには,どんなリソースをどのように見つけて,どう活用するかというこ言語教育研究 第 2 号(2011 年度) とが大きな意味を持つと述べている。協力者たちがそれぞれの環境で接触したリソースは,ど のように発見されて活用されたのか。そして,それを日本語学習にどう結び付けたのか,その インターアクションの過程に着目する。協力者から報告があった非構造化リソースは表2のと おりである。本稿ではこれらのうち特に,MM1とMM2が挙げたドラマとMF1が挙げたカレ ンダーについて取り上げる。 表 2 報告があった非構造化リソース リソース MM1 NHKの番組全般,テレビドラマ「東京ラブストーリー」「ひとつ屋根の下」 MM2 テレビドラマ「冬のソナタ」 MF1 プロ野球中継,内田康夫の推理小説,年末年始に電気量販店で配られるカレンダー, スーパーで売っている鮮魚のパッケージに貼られたラベル
4.三人のリソース使用の事例
4.1ドラマ 〈MM1〉 普段利用している情報媒体は英語のインターネットで,日本の新聞やテレビはほとんど見な いが,韓国のドラマ「冬のソナタ」を日本語に吹き替えた番組は夢中になって見た。会社で日 本人の先輩から強く勧められたのがきっかけだったが,ストーリーがおもしろく引き込まれ た。セリフの中でわからない日本語が出てくると電子辞書で即座に調べたし,ストーリーの展 開がわからなくなると次の日会社で先輩に質問した。 〈MM2〉 もともとテレビドラマが好きで,国にいたときから台湾や香港のドラマをよく見ていた。日 本でも仕事を解雇されて失業している時期に,日本語の勉強のためにドラマをよく見た。教科 書の日本語にはない実際に使われている日本語を学ぶためであった。「ひとつ屋根の下」が好 きで,ビデオでも何回も見た。まだ親しい友人がいなかった時期に,ドラマの登場人物たちに 励まされた。その時から15年以上経つが,このドラマは今でも大好きであり,良いイメージの 日本人像として心の支えになっている。 4.2 カレンダー 〈MF1〉 毎年年始に家電量販店で無料で客に配布されるカレンダーを漢字学習のリソースとして利用 している。日本地図が中央にありその周りにカレンダーが印刷されているが,カレンダーとし ては使わずトイレのドアに張って日本地図を眺め,地名とその漢字を覚えるのに使っている。 読書が好きで特に内田康夫などの推理小説を好んで読んでいるが,小説の中に出てくる地名や 鉄道の名前をその日本地図と見合わせて確認している。職場である飲食店に旅行好きな常連客5.非構造化リソースが学習者にもたらしたもの
5.1 MM1 のケース 同じドラマでも,MM1とMM2ではリソースとしての出発点が異なっていた。MM1は,多 言語職場環境に身を置いているため日本語学習の必要性が低かったが,日本語や日本文化に全 く興味がないわけではなく,日本社会で生活を営む一員としてむしろそういったものに対する 知識や情報が必要だと思っていた。しかし,IT職という仕事柄,普段から人との関わりが少な かったことや元々が物静かな性格であることが原因で,日本語母語話者との接触も少なかっ た。また,頻繁に接触していたインターネットというリソースも英語のサイトの閲覧のみであ ったため,自力での日本や日本語に関する知識の習得や情報収集には限界があった。MM1に は,そのような知識や情報を与えてくれる外部からの働きかけが必要だったのである。日本語 母語話者の先輩との偶発的に起こった会話が契機となり,初めて見ることになったドラマがリ ソースとなった。そこで大量の日本語に接触する機会を得て,セリフの意味を知りたいという 気持ちが学習モチベーションとなり,それがまた母語話者である上司との頻繁な日本語による インターアクションへと発展して行った。 5.2 MM2 のケース 一方,MM2は,教科書の日本語と日本人が使っている日本語の違いがあまりに大きいこと に愕然として,実際使用場面での自身の日本語の不備が職務遂行を妨げていると考え,自分が 好きなドラマを教材にすることを思いつき実践した。MM2には,国にいるときから外国のド ラマを見る習慣があったため,手軽なリソースとしてドラマを見ることを思いついたという。 同じドラマを何回も見ているうちに,善良な主人公に心惹かれ,現実社会の理想の日本人像に 重ね合わせた。大城他(2005:59)では,留学生を対象とした日本語学習に役立つものについ ての調査結果から,「テレビが精神の安定を促す役割を果たしているという側面がうかがえる」 としている。MM2にとっても,日本語力の不足で仕事が見つからず,精神的ストレスから病 気になり寝込んでいた時期の心の支えとなっていたようである。普段から慣れ親しんでいた娯 楽であるということ,好きなジャンルの話であったということ,会話体のセリフが教科書の日 本語よりも実際の使用場面に近かったことなどが要因となって,リソースとしてのドラマが MM2を心理的に日本語,日本人,日本社会に接近させることになった。 5.3 MF1 のケース MF1がカレンダーを自発的にリソースにしていることからは,教室外の生活の中にも学べ ることが存在していることをすでに自覚している様子がうかがえる。日常生活という社会環境 の中で身近に接するモノを,意識的にまた巧みに日本語学習リソースとして取り入れている。 これは,MF1自身の学習認知度の高さに加え,MF1にとって日本がタイ,シンガポールに続 く三カ国目の異文化社会であったことが理由の一つとして考えられる。多様な異文化接触の経 験から得た知識として,モノをリソース化するストラテジーがMF1の中に蓄積されているの言語教育研究 第 2 号(2011 年度) ではないだろうか。また,その学習リソースを二次的にコミュニケーション・リソースとして も利用し,職場環境における質の高いインターアクションにつなげている。物的リソースとの 接触が契機となり,そこから母語話者という人的リソースとの頻繁でつながりの強いインター アクションに連鎖し,明示的に日本語習得が促進される結果となっている。
6.考察
二種類のリソースの事例からは,置かれた環境要因の違いから三人の協力者のインターアク ションの個別性が明確に現れたが,日本語学習への意識が活性化され,習得が促進されたとい う共通点も明らかになった。また,その習得の結果や過程において,人的リソースとの新たな ネットワークが構築される場合もあった。MF1のように自律的にモノをリソース化する力を持 っている学習者は理想的であるが,そのような学習者ばかりではない。文野(2005)は,学習 認知には学習者が持っているビリーフや学習の目的が含まれると述べているが,就業している 地域外国人は,日本語学習のために費やす時間に制限があるケースが多く,取り巻く環境によ っては日本語学習が必要ないケースもある。学習者が接する環境を自身のビリーフや学習目的 と照合して,どう判断し行動するかによって,リソース化の様相も個別的に変化すると考え る。 協力者の非構造化リソースには,「母語話者からの働きかけ」「身近なモノ」「好きなモノ」と いう三つのキーワードが存在している。環境によってはMM1の事例のように,母語話者側か らの積極的な働きかけが必要なこともある。また,MM2やMF1の事例にあった日常的に接触 があるメディアなどの身近なモノや,趣味などの自分が好きなモノは親近感がわきやすく,自 律的で継続的な学習のリソースとなりやすい。「日本語学習の場は人により様々で,どのよう な学習方法を選ぶかは,その人がどのような日本語を必要としているか,またどのような生活 環境や学習条件の下にいるのかによって異なる。」二通(2006:24)地域外国人は各々が置かれ た環境に働きかけながら,自分のニーズに適合したものを選択しているのだと考える。おわりに
調査結果からは,それぞれの協力者が教室外の実生活の中で身近に接するモノを,個別的な 形態で学習リソース化している姿が見られた。リソースの利用は,言語知識の獲得といったレ ベルの日本語習得に帰結されるだけではない。Schieffelin & Ochs(1986)は,子供やあるコミ ュニティにおける新参者が言語形式や言語を通して,そのコミュニティの価値観やマナーや習 慣を自分のものとして取り入れることを「言語の社会化(language socialization)」と定義して いるが,本稿の事例からも,非構造化リソースがこの言語の社会化を促進するツールに成り得 ると考える。リソースは,そこから獲得する異文化社会の知識や情報や新たに派生するネット ワークによって,言語そのものだけに留まらないその社会文化全般におけるインターアクショ ンの理解を促し,学習者の言語の社会化を後押ししている。 本稿では,教室外環境における学習者のインターアクションを究明するために,物的なリソ物的,人的リソースを含めた環境そのものが日本語学習リソースであると言える。 教室内と教室外の学習活動をつないだ日本語学習支援を目標に,今後はより多面的に,学習 者のマクロレベルでのインターアクション研究を展開して行きたい。
引用文献
石塚美枝(2007)「リソースを考える」『自律を目指すことばの学習』(pp78 –96)凡人社. 大城朋子・金城尚美・上原明子・尚真貴子(2005)「日本語学習者と環境との相互作用に関する研究 6沖縄における環境調査」『平成13 ∼ 15年度科学研究費補助金基盤研究 研究成果報告書』. 二通信子(2006)「国内の日本語学習の場の広がり」『日本語教育の新たな文脈』(pp10 –32)アルク. 浜田麻里・林さと子・福永由佳・文野峯子・宮崎妙子(2006)「日本語学習者と学習環境の相互作用を めぐって」『日本語教育の新たな文脈』(pp67 –102)アルク. 原千亜(2008)『在日ミャンマー人の接触場面における社会文化管理―言語の社会化の事例―』桜美林 大学院修士論文. 原千亜(2011)「在日ミャンマー人のアイデンティティから見る言語の社会化の事例」(pp133 –146)『桜 美林言語教育論叢』第7号. 文野峯子(2005)「日本語学習者と環境との相互作用に関する研究」『平成13 ∼ 15年度科学研究費補助 金基盤研究 研究成果報告書』. 宮崎里司(2002)「外国人力士の日本語習得:言語管理と自然習得」(pp119–131)『早稲田大学日本語教 育センター紀要』第15号. 宮副ウォン裕子・上田美紀・渡辺民江(2003)「カンバセーション・パートナー・プログラムの参加者 は何を学びあったか―中部大学生と香港理工大学生の双方向的学習の調査と分析―」(pp201– 220)『留学生教育』第8号. 宮副ウォン裕子(2004)「教室内と教室活動をどう結ぶか―香港の経験から―」(pp10 –15)『日本語教育 国際大会予稿集』.Schieffelin, B. B. & Ochs, E. (1986)‘Language socialization’ Annual Review of Anthropology, 15, 163– 191.