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神話にみる女性

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Academic year: 2021

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(1)

神 話 に み る 女 性

小 出 卓 二

序 に か え て

日本国憲法は、東女平等を明記 して以来

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0

年、今日女性の活躍が実に目覚ましく、女性時代の到来 とまで言われるようになった。 長野女子短期大学で 「女性史」に関する講義を担当 して

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年が終わる。その間、公民館などで も女 性講座などで講話 も何回とな くや らせていただいた。大学の講義や、女性講座などの内容をまとめて 文章にした ものの一部が 「神話にみる女性」である。 『古事記』の完成 は、舎人稗田阿礼の暗習 したものを太安万侶が選録献上の

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年 といわれている。 中国の影響を受 けていることはいうまで もないが、それより遅れて作 られた r日本書

j(

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0年)は、 製作年代 は僅かな違いであるが、遥かに強い影響を受け、体裁 も中国史書にな らってる。その上、古 きものの暗習を基 とする r古事記Jlとは大 きな違いをみることができるo従って F古事記Egには日本 固有の日本人の心が多 く織 り込まれているとみて もよくないかと思 っている。別な言 い方をすると、 この研究のテーマに関係 して女性のあり方が時代が下 るとともに儒教の影響を受けるようになってい くが、r古事記』より r日本書紀Jのほうが遥かに強 くなっているということであるo 例 えば儒教 の 「夫唱婦随」 はどうだったのだろうか。神話の中か ら女性の生 きる姿を、男性との係 わ りか ら考えた いのである。 「神話 にみる女性」 ということは、女神を女性 としてみることになるが、日本の神話は神 と人の分 離型ではな く、神 と人とがつながっている型 に属することか ら、神 と人 とを同 じくみて もよいのでは ないか。従 って女神の姿を女性の姿 と捉えて もよくないか、そんな立場に立って考察 していきたいと 考える。 また記紀の神話、説話の史実性については、戦後いろいろ論ぜ られてきたが、 ここではこの間題 と は関係な く、女性の生 きる姿を探 ってみたい。 自然の男女の生 きる姿を、記紀の作者 は造作 しなおす 必要は全 くなかったのではないかと思 うか らである。固有の日本人の心がごく自然に書かれていると みたいのである。

1.イザナギノミコ ト・イザナミノミコ ト

補いあう結婚 r古事記l(講談社学術文庫)によると、「日本の国生み」に関 し (その妹イザナ ミ ノミコ トに問いて、「我が身は如何に成れる」 とのりた一まえば 「我が身 は成 り成 りて成 り合わざる処 -処あり」 と答え給いき。 ここにイザナギノ ミコ トのりたまわ く 「我が身は成 り成 りて、成 り余れる 処-処あり。かれ、 この吾が身の成 り余れる処をもちて、汝が身の成 り合わざる処にさし塞 ぎて、国 土を生み成 さむとお もう。生むこといかに」イザナ ミノ ミコ ト 「しかよけむ」 と答えたまいき)

(2)

この文章は有名な二神の国生みの F古事記』の一節である。結婚 は足 らざるを補い合 うといういわ ば、補 ったり補われたりす る相補の原理にたっている。 これに対 して西洋文明の元であるアダムとイブの物語では、神はアダムがひとりばっちで淋 しそう なので、アダムの肋骨か らイブをつ くられ、アダムを慰めるために通わせ られたということであり、 日本神話の相い補 うという平等観的な考えに対 して、男性に奉仕す る女性 というあり方の違いを表 し ているものとしてみることができる。 このアダムとイブの神話は、その後のヨーロッパ世界を特徴づ けることとなっているように思われる。 例えば、欧米の夫たちは、財布を妻に任せることが少ない (米

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%

、英

1

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%

、 日本

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%

は任せる) の もこのことを示 しているように考え られないだろうか。女性のこのような従属性か らの解放が、今 日フェ ミニズム運動を盛んにさせているのではとも考え られ、 ヨーロッパやアメリカの男女の人間関 係が、 日本 と大 きく違 っている特性を伺い知ることができる。男女がお互いに相揃いあうという考え の処には、基本的に男女にはそれ程別がなかったと見てもよいのではなかろうか。 こころみにこF日本書紀.[国生み一書 (第一)をみると、イザナ ミは 「私の体が・・・・・・陰 (め) の元 (はじめ)という一ヶ所あります」イザナギは私の体は陽 (お)の元 (はじめ) という一 ヶ所 あ りま す。私の陽の元をもって、貴女の陰の元のところに合わせたいと思 う」 ということで陰 ・陽を合わせ るという表現になっている。陰 ・陽のちがいではあるが、その二つが全 く同 じ立場であって均衡であ るか らこそ、大 きな意味があるのである。 左右の底先順位 イザナギノ ミコ トとイザナ ミノ ミコ トとの婚約がなって、いよいよ二神の結婚 と なる。「それならば私 と貴女で、天の御柱をいってめ ぐりあったところで結婚 しましょう」 と申され、 貴女は右より回って ください。私 は左よりまわ り会いましょう」 と申されて結婚なさったことが記さ れている。男神が左、女神が右か ら、 ここに優先順位があっただろうか。 岩波書店 『広辞苑』 によると、(1)右について、(ア)漠代座席を右の方を上 としたことか ら、上位、 上席 (『太平記』に三浦 は千葉が右に立たんこと怠 って)転 じてす ぐれた方 (継体記にアラカイが右 にいづるひとなし)、(イ)昔左右に別れた官職の右の方、通常左 よ り下位 であ った

。(

2

)

左 について (ア)昔左右に分かれた官職の左の方 (古 く日本では左は右より尊重 された) 官職 としては唐の律令の官制が大化改新以来確立をみるが、 この時以来左大臣が右大臣より上位 と なったが、それ以前の日本では右が尊重されていたのではないだろうか。言葉 としては今 日まで右の 方が優先 しているように考え られるものが多い。右に出る者無 し、右にな らえ、右の事なかれ主義な ど、 これに対 して左前、左巻 き、左封 じ、左まわり、左むきなどを考えたとき、右が優先されていた とみることができないだろうか。 とすれば、記の 「貴女 は右よりまわ り、私は左か らまわり会わん」 は、 レディファス トとなりや し ないか。今私 は右 と左でどうして も、右に回るほうが自然のように思えてな らない。知 らず知 らずに 右回 りを選ぶことが多い。商店 も入って右側を大事にして商品を並べるという。 r古事記Jでは、イザナギノ ミコ トが黄泉の国か ら帰 ってその汚れを払 うため政をするが、左の目

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-2-を洗われるとアマテラス大神がお生まれになり、右の目か らはツキヨミノ神がお生 まれになったとあ る。主神でもあり、持続、元明、元正女帝時代の r古事記

J

の書かれた律令国家は、唐の官制の左大 臣上位に基ずいて、女神 (性)の左優先に改めたのであろうか。 右左 (みぎひだり)左右 (左右) とよむと右が先であったり、左が先になったりする。右左 、(みぎ ひだり) は、漢字に国語をあててよむ 「くん」読みの読み方で、国語の読み方 は右を先に読むことで あったか らではない一だろうか。 また 「おん」読みは漢字を字音で読む読み方であったので、唐以降の 左優先的を表すこととなっていたのか も知れない。 後女神からのプロポーズがいけないとして、プロポーズのやり直 しになるが、右左 は改められては いない。樋口氏は右左か らそれぞれ回っていって結婚になるということは、結婚にルールのあったこ とを示す ものであると説明されている。 女性からのプE3ボーズ 二神は右左か らそれぞれまわ られ、いきあったところで結婚 となるが、 こ の際イザナ ミノミコ トが先に 「ああなんといい男で しょう」、ついでイザナギノ ミコ トが 「ああなん といいおとめで しょう」 と声をかけあって結婚にいたる。夫唱婦随であったわけである。 F古事記』 は二神が声をかけあったす ぐ後、イザナギノ ミコ トは女神に 「女が先 に言葉を発 したの は良 くない」 と仰せ られたとしているが、 しか しす ぐ結婚 された。 生 まれた子供は健康体の子供ではなか ったことか ら、「今生み し子よか らず、天つ神 の御所 に申す ペ し」 ということで指図を仰がれた。その結果、女性か らのプロポーズであったか らよくなか ったと して、プロポーズのやり直 しとなった。 『日本書紀』一書 (第二) に 「女神が先に喜びの言葉をいわれた∴それが陰陽の道理にかなってい なかった。そのため 「ひるこ」が生まれた」 としている。や り直 しで、男性か らのプロポーズとなっ たことによって、今度は順調に次々に国土の誕生 となるのである。夫唱婦随によって順調によ くいっ たことを述べている。 日本固有の姿が女性か ら先のプロポーズであったのだろうか。健康体でなか っ た子供の誕生 ということを儒教の影響を受けた 『古事記』の作者が、婦唱夫随が悪かったか らだとし たのであろうか。儒教思想の強調の現れとしてとらえろことができるように思 うのである. 『日本書紀』では一書 (第二) にこういっているとして、 日と月 とが生 まれた後 に 「ヒルコ」が生 まれた。 3つになって も脚が立たなかった。 はじめ二神が柱を回 られたときに、女神が先に書びの言 葉をいわれた。それが陰陽の道理 にかなっていなかった。そのため 「ヒルコ」が生 まれた。次いでス サノオノミコ トが生まれたとあり、r古事記』 と 「ヒルコ」の生まれた順序のこととなることが書 か れており、その前に日 ・月の神がお生まれになっていることか らすると、 ヒルコの生 まれたこと以上 に、女神がプロポーズのみな らず喜びの声を言われたのははっきり陰陽の道理 ・儒教の道理 に反 して いることの強調であるように考え られ、注目に値する.プロポーズは女か らす るものでな く、男か ら するものであると、教えているのだろうか。 こころみに、年上の しか も給料が遥かに高 い姉 さん女房 と結婚 している夫のセックスは、 うまくい かないように書いた作品を見たりすることがあるが、女性に頑があが らない男性の性は駄 目になって

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しまうのだろうか。 こんなことが女性のプロポーズ、 リー ドが 「いけない」 とタブーとしたのだろう か。 このへんに陰 ・陽の原理が秘められているとしているのだろうか。 また 「ヒルコ」が生まれたことは近親結婚によるものであろうと考え られるのであるが、 きょうだ い姫であったといわれる二神の結婚では、そのようなことがありえたであろう。長い間の経験か ら学 んで、近親結婚をタブーにすることとなったと思 うが、そうではな く男女の関係の最初のタブーが儒 教の道理から出てきていることに注意 しておきたいように思 う。 儒教の影響を受 けなが ら女性のあり方が作 られていくが、それ以前には女性からのプロポーズが先 であって も、す こしも自然に反することではなかったのではないだろうか。

2.

7マテラス大神 とスサ ノオ ノ ミコ ト 女性の武装 『古事記J によると、アマテラス大神は高天原を、 ツキヨミノ ミコトには夜の世界を、 スサノオノミコ トには海原をそれぞれ治めることを任されたが、スサノオノ ミコトだけはお言葉に従 わず泣きわめいてい られた。イザナギノ ミコ トはなぜ命に従わず泣いているのかと尋ね られた。私は 母のいられる根の国に行 きたくて泣いていると答え られた。イザナギノ ミコ トはひどく怒 られて、あ なたはこの国に住んでほな らないと仰せ られて、スサノオノ ミコ トを追放なさった。スサノオノ ミコ トはアマテラス大神 に事情を申し上げてか ら根の国に参 りたいと言われ高天原に赴かれるが、その勢 いが ものすごく、天地鳴動、国土震動 した。アマテラス大神は驚かれ、善良な心ではな く、私の国を 奪いにくるに違いないと申されて、武装をなさって雄堆 しく勇ましい態度で待ち受けられた。 このこ とは男神 に劣 ることのないお姿ではなかったかと思われる。 アマテラス大神が武装され、もっとも荒々 しいスサノオノ ミコ トに対 されたことは、そこに男性に劣ることのない女性の姿をみることができや しないだろうか。 三人の女神 と五人の男神 アマテラス大神は、なぜ上がってこられたかと問われ、スサノオノ ミコ トは事情を申 し上げるために参 りました。謀反の心などもっておりませんと答えられた。 ここで心の 潔白を証明す ることとなり、誓約 (うけい)をおこない子供を生みましょうと言 うことになった。 アマテラス大神 は、スサノオノ ミコ トの帯びている剣は受け取 られて、 3つに折 られて噛んで砕か れ吐 き出されると、息の霧の中か ら

3

人の女神がお生まれになった。ついで、スサノオノ ミコ トは、 アマテラス大神の左の御髪 (みず ら)に巻いてお られた勾玉を受け取 られ、噛み砕かれて吐き出され た息の霧の中か ら5人の男神がお生まれになった。アマテラス大神は、「私の玉か ら生 まれた5人の 男神は私の子供です。貴女の剣か ら生 まれた3人の女神は貴女の子供です」 と区別なさった。 スサノ オノ ミコ トは、「我が心が清 くあかき故に我が生みし子は女の子を得た。 これにより自ずか ら我勝 ち ぬ」 といって乱暴をはた らいたのである。 女神の誕生の勝利 誓約 は本来女が生まれると邪心、男が生 まれると活 き心 というよう決めておい てか らおこなうのが普通であろうが、『日本書紀』は男が生まれた ら勝ちと決めてスサノオノ ミコ ト の勝利を記 し、F古事記J とは反対になっている。F古事記tgで は事前 に決めたこともな く、 しか も

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r日本書紀」 とは反対に女神が生まれた事が勝利とされているのは、r古事記Jの書かれた時代は女帝 時代 (持続、元明、元正)であったことと関係があったのだろうか。「わが心が館白で明 るい証拠 と して、わが生み し子はやさしい女の子で した。 うけいはわが勝利で した」と記 されているところをみ ると、む しろ男性より女性が尊重 されていたことを示す ものとして捉え られるのではないだろうか。 女性優位か ら、中国思想の影響で男性優位に改めたのは、中国史書の体裁をとっている r日本書紀J としては当然であ÷たのか もしれない。 数字

3

5

現在の私 どもの生活を

3

5

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の数が律 しているといえる

。 3

5

7

の数その も のの生活であるといって もよいのか もしれない。-いわば聖数なのである。その紀元は

3

人の女神の

3

5

人の男神か ら

5

、そ して七夕の女神の

7

であるといわれている

。3

3

人の女神か らして女の数字 と考え られる

。 33

手拍子

、 3

本 じめ、時の声 (ェイエイオウ)

、 753、337

拍子

、 3

人寄れば 云々

、 339

ど (さんさん くど)

、 3

人官女

、 3

度 目の正直等数えるに暇がない。 例えば剣か ら生まれた

3

人の女神 は、剣に関係 して軍神であり

、 3

声の トキの声 は

3

女神に勝利を お願いす ることであり、勝利の報告を意味するといわれることか らして も、女性の数字 としての意味 を持 っているといって もよいのではなかろうか。 また

、 5

5

人の男神か ら男の数 といわれ

、 575

(俳句)

、 5

1

組 (ヨーロッパ

6

1

組)

5

人ばや し

、 753

の男の子の

5

才のお祝いなどは整数

5

として、 しか も男の数字 として大事な数 とさ れている。 七夕の女神か らの

7

の数 も女の数 として、私どもの生活上基準 とされる大事な数 とされている

。 5

7577

(和歌)

、 7

つのお祝い (女の子)

7

つの子 (カラス)などはその一例 といえ る

。 5757

7

の和歌 は女性向きの文芸

、 575

の俳句は男向きの文芸 と言われるのは

、 7

が多いか

5

が多いかに よるきめ方なのであろう。 女の数である聖数

3

7

は、男の数

5

一つに対 して二つである点か らしても、女性の優位の現れか と見てよいのではなかろうか

。 753

のお祝いは、女の子 は

2

回のお祝いに対 して男の子のお祝いは

1

回であるということもそのことを示 しているものと考えて もよいであろう。新年を祝 う門松の竹は、 長さが

753

の割合によって作 られているのも同様に見 られる。(竹の表の青 と中側 の白は男 の色 と いわれ、血や火、地の赤 と黒 は女のいろという。唇や色白の身体に血の赤みの鮮明な女性 は、今 日の エイズと同 じように恐れ られていたものが、回虫等の寄生虫であって、赤が鮮明な女性は寄生虫がい ないことの証拠で、栄養が足の方にもまわり、す らっとした美人になったとも言われている。

3.

アメノウズメノミコ ト

女性の神かか りしての踊 LJ アマテラス大神が、スサノオノ ミコ トの乱暴な振 るまいを怒 られて天 の岩戸におか くれになった。世の中は真 っ暗になり、悪霊が世を乱 した。神々は大変困って相談され、 策を講ぜ られた。 ここに登場するのがアメノウズメノ ミコ トであった。天の香具山の榊が用意 され、 勾玉をとうして紐をっ くり、枝に掛 け、中央の枝に 「やたのかがみ」をかけ、下の枝に白と青 (とも

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に男の色、鏡 (アマテラス大神が うつる) の下 には男の色で対応か)の布 は くをたれて、各種の品を 幣 にて捧げ、祝詞を唱え、 アメノタジカラオノ ミコ トが岩戸のそばにか くれ、 アメノウズメが天の香 具山のひかげのかずれを棒 にかけ、まさきのかず らを髪にまとい、笹の葉を手 に持 って、天の岩屋の 前 に楠を伏せて これを踏みな らし、神がが りして 「胸乳 (むなち) をか きいで、裳緒 (もひ も)をは とにお し垂れき。 ここに高天原動 (とよ)みて八百万 (やはよろず)の神共 に芙いき」 とある。 この 腐 りは神がか りしてス トリップのような踊 りで、 しずんでいた神々を朗 らかに導 き、アマテラス大神 を も岩戸か らおみちびかれるもととなった。 女性 と嫉妬心 アマテラス大神 は、神々の笑 い声を不思議に思われて、岩戸を少 し開 け られ、 「私 が ここにこもって真 っ暗なのに、 アメノウズメが踊 り、神々は皆笑 っているのだろうか」 と仰せ られ た。アメノウズメは、「あなたに勝 る尊 い神様がおいでですので踊 り、笑 っているのです」 と答え ら れ、鏡を差 し出す。大神 は鏡を岩戸か ら出 られて覗かれた。 タジカラオノ ミコ トが大神の手をとって 外 におつれ した。 アメノウズメが女神だけに女心がわか り、大神の嫉妬心を くす ぐったのであろうか。 嫉妬 は男にも女 と同 じようにあるものであろうが、後世女の特性のようにされて しまった嫉妬が、 『古事記』のなかに、 このように女性の固有の姿 として書かれていることをみ ることがで きるので あ る。 鏡に写 った男の色、青 と白に囲まれた女神を自分 とは違 う女神の姿 と考え られたのだろうか。神様 だか らわか らない ものはないとは思 うが、知 らなか ったがゆえに嫉妬 されたのであろう。 神かか りの女性 アメノウズメが 「神がか り」 してとは、神の霊力がの りうつ ったことを しめ して いるo このことが女性が神 に仕えることのできる元 となり、盛女 (シャーマ ン)の起源になったとい える。神話は女性 は神がか りすることか ら神に仕えることができることを教えて くれる。 明るさと喜びを与える女神 世の中が真 っ暗にな り、悪者が世を乱 したためす っか り困 りぬいて不 安 にか られ、 しずんでいた神々の不安を、特殊 な踊 りで解消 し、 しずんでいた神々に喜びを提供 して くれたのが女神だったのである。 【 また、ここギノ ミコ トの天孫降臨に際 し、先払いの神が

1人の神が分かれ道にお り、長 い鼻

、 7

尺の身長、目は赤 ほうづ さのように照 り輝 いている」。眼光鋭 く尋ねることができなか った とい う。 そ こで大神は、 アメノウズメに特に勅 して言われるのに、「あなたは弱い女であるが、 向 き合 った神 に対 して、気お くれせず圧倒できる神である。だか らあなたは一人で行 ってその神に向かって、天の 神の御子の天降 りす る道 にそのように出ているのはだれかと尋ねなさい

(

『古事記』) と、 アメノウ ズメはそこで胸をあ らはにむ き出 して、 腰紐 をへ その したまで押 し下 げ、 噸笑 って向か い合 った

(

『日本書紀

)。 こうしてサルタヒコノカ ミは、アメノウズメに屈 してここギ ノ ミコ トの天孫降臨 は 成功するのである。か弱い女性 とはいえ、女 としての自信、女であることの誇 りを自他 (アメノウズ メとアマテ、ラス大神) ともに認め、女性のみの もつ特性を生か して、その魅力によって、邪眼に打ち 勝 ち、喜んで道案内をさせ ることに成功 した女の力の大 きいことを、 このことは教えているのである。 多 くの人々、特 に男達 に対 して明るさと、楽 しみと喜びを生み出し提供 して くれるのが女性の特性だっ

(7)

たことを、神話をとお して知ることができるように思 うのである。 ところで笑いについてはどのように考え られていただろうか。「皆 さんこの男 を笑 ってや ってお く んなさい」 ということがあるが、 これによってその男の罪が許 されることを意味することのようであ る.罪が笑いによって吹き飛ばされると解 されるのである。汚れを水に流す、硬 と同 じ意味 として考 えられや しないか。 アメノウズメが神々や、サルタヒコノカ ミを笑いに誘い、悪霊や邪悪を笑いとば したことと理解でざるとすれば、女性 は偉大な力の持ち主であることを神話は教えて くれる.今 日家 庭や職場におけるお母 さん、女性への大 きな期待がわかるような気がする。家庭の幸せ、職場の明る さを知 り、家族、職場の人々にやる気を起 こさせることのできる女性なればこそできる役割の

1

つ と して考えてもよいのではなかろうか。

以上 『古事記』、『日本書紀』を中心 として女神 (女性)の生 きた姿を探 ってみた。女神 は神なるが 故に男神に劣 ったところがないのか も知れないが、実 に生 き生 きと、男性 に決 して劣 ることな く、む しろ優位に、 しか も男性を動かす存在 として登場 して くるのである。か って 「原始女性は太陽だった」 などと言われたように、神話は女性を地位の高い、 しか も力を もった女性 として措いているのである。 参考文献 古事記 ・日本書紀 講談社学術文庫 日本神話か らの贈物 渡部昇一

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日本人はなぜ水に流 したがるのか 樋口清之

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日本人の育ての知恵 樋口清之

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数の不思議 ・色の謎 北沢万邦 広済堂

参照

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