欧州留学か ら帰 って
岡山大学教育学部 曽布 川 拓也
0.
は じめに私は 日本学術研究会の特定国研究者派達制度に より、平成12年4月か ら12月まで中欧
・チェコ共和国の首都プラ‑にあるチェコ科学アカデ ミ‑数学研 究所に、そ して引き続い て平成 13年3月までスペイン東部カタル‑ ニ ヤの州都 バルセ ロナ にある、バルセ ロナ大 学数学学部に滞在 し、無事帰国 しま したG ご自身 もアメ リカ留学のご経験 がある郁 喬敏雄 会長か ら 「こ うした留学は 自分一人のためだけにあるのではない、そ こでの経験 を多 くの 人に広めることが兼務 である」 とのご助言をいただき、ここにそのご報告を寄稿す ること
といた しま した.
1.チェコ ・スペ イン‑の留学
「留学」 とい うとアメ リカ ・イ ギ リス ・フランス ・ドイツといった旧西側諸国に行 く人 が多いようですが、私がメインに選んだのは中欧チェコと南欧スペイン.:.音楽やバ レエ、
人形huな どが盛んなことでは知 られていますが、一般にはチェコ‑旧東側 ‑遅れている国 とい うイメー ジを持 っている人が多いよ うです。 しか し数学、特に私の専門である実関数 論に関 してはチェコのほかポー ラこ.アド、ハンガ リー、ブルガ リア、もちろんロシアといっ た 旧東側の国々で も古 くか らの伝統があ り、盛んに研究が行われ ています。 アイスホ ッケ ーは世界の トップ、サ ッカー もなかなかの強薫 。 昨年亡 くなった 「人間機関車 ・ザ トペ ッ ク」を知 っている方は少 し上の世代で しょうか。またスペインはサ ッカーはもちろん、 フ ラメンコや闘牛、また明 るく暖かい気候 な どは知 られていますが、ここで も実関数輪は盛 んに研究 されていて、マ ドリッ ドやバ ′レセ ロ十の大学が出版 している学術雑託は とても権 威 のあるものですO南部のマ ラガにも多 くの研究者がいますO
そ してこれ らの国々の研究者は盛んに交流を しています。 これ まで もポー ラン ドやチ ェ コで行われた国際学会 に何度か出席 しま したが、 こうした国 々、 もちろんアメ リカ、フラ ンス、また北欧の研究者 たちも集 って盛んに放論 を していて、それ を うらや ま しく思って いま した。 日本ではなかなか踏み込んだ許ができない、そ うした研究者 と膝 を交えて話が
したい、それが今回チェコ ・スペインを留学先 に選んだ一番の理 由です。
またこの2カ国は、方や スラブ民族の流れ を くむ寒い内陸国、他方はま さにラテ ン系の、
しかもアフ リカを 目の前に した南の国Dそ して どち らも数学以外のこと、歴史、音楽、演 劇 、食文化 、お酒等 々、他 にもいろいろな点で興味深い ところであ り、それ らを比較 しな が ら味わ うことができたのは とても幸せ であ りま した∪
チェコでの寄留先はチェコ科学アカデ ミー数学研究所で したD この 「科学アカデ ミー」
とい う組織 は、共産主義時代に各国で作 られた もの らしく、 日本 の文部科学省 の業務の大 きな部分 を担 っているよ うですふ 教育文化省 とい う組按 もあ りますが、まだそ うした昔の 組紙が機能 してい るようですO私はチェコ科学アカデ ミー と日本学術振興会の交換留学制 度 で派遣 されたため、アカデ ミーの持つ迎賓帝 内に宿舎 が与えられま したDプラハは人工 120万人を擁す る大都市で、 1960年代に共産主義政権下で多 くの集合住宅が建て ら
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れ ま した。 そ うした も の が 老朽化 して もそ の まま使 われ てい る、 と い うの が一般 庶 民の普 通 の暮 ら しです。 我 々 が住 んだ の は欧 米 の感 覚 で は必 ず しも広 い部 屋 とは言 えませ ん で し た が 、 そ うした プ ラ‑
市 内の住 宅事情 を考 え る と、町 の 中心部 か ら 地 下鉄 で5分 ほ どで行 かれ る ところに、新 築 の宿 舎 を与 え られ た の
は、大変 な厚遇だ った と言 えま しょう。数学研 究所 は街 の中心 ・ヴァ‑ ツラフ広場か ら歩 いて5分 ほ ど、街 の 中心 を流
れ る ゲル タ グァ (モ ル ダ ウ) 河 に も近 く、 上の写真 の よ う にプ ラ/、城 を見 なが ら研 究所 に通 う毎 日で した。
スペ イ ンでの寄留先 はバル セ ロナ 大学数 学学部解析 学 ・ 応 用 数 学科 で した。 「数 学 学 部 」 とい うものは 日本 では聞 いた こ とが あ りませ んが、 こ ん な ものが あ る とい うこ とか らもいか に数 学 が重 要視 され てい るかお わか りいただ ける と思 い ます。 バルセ ロナ大学 は 、郊 外 にオ リン ピ ックの会 場 ともな った広大 な キャンパ ス を持 ちます が、数学学部は、
哲学 学部 な ど と共 に、街 の 中 心 ・カ タル一 二 ヤ広場 か らほ ど近 い、本部 キャンパ ス にあ ります。このA.ガ ウデ ィ作 「聖 家族教 会」 の よ うな19世紀 末 のモ デル ニ スモ建 築 がた く さん並ぶ観 光 スポ ッ トのす ぐ 近 くに毎 日通 いま した。
1.何 を してきたのか 〜数学の研究 と竜拍〜
数学の研 究 とは一件何 をす るのか ?留学 して何 をす るのか ?とい う質問 をよく受 けま す.簡単に言 えば数学の研究は 「新 しい定理 を作 るこ と」 と言える と思います。 「定理 な んてまだあるのか ?」 とも聞かれ ますが、自然科学的な、また社会科学的な対条 について 数学的なアプ ロー チによ りその実態を知 ろ うとす ること、また数学その ものの 中にある疑 問、等 々考えるべきことはた くさんあ ります。 それ は 「公式 を覚える
」
「計算 して数値 を 出す」 とい うことは少な く、状況 を把握 して数学の青葉 でそれ を表 し、そこか ら何が導か れ るかを考えます。 です か ら基本 的にす ることは 「定理の証明」です。成果 として艶め ら れ るもののほ とん どは 「未知 の定理を証明す るこ と」です。その手順 としてまず何 らかの 意味で 「役 に立つ」分野 にお いて 「解ける問題 を見つけること」 もしくはr
証明できそ う な、 しかも意味のある命題 を探す ことJが必要です。それが見つかれば仕事の大半は終わ ったような ものです。そ してそれ を何 らかの方法で証明 します。証明の方法は全 く新 しく 考 えることもあ りますが、先人たちが残 してくれた文献の中に ヒン トがある場合 もた くさ んあ ります。 しか しそ うした先人の薬練 をすべて知 ることは、これだけ発展 している数学 ではもはや ほぼ不可能です。そこで 自分が証明 したこと、お よびその方法をお互いに知 ら せ あ うことが意味 を持ちます。特に同 じ対象に興味をもっている研究者 とのそ うした交流 は、非常に有意義です。.チェコでは到着 してす ぐか ら、私のホス トでもあるチェコ科学アカデ ミー数学研究所の 上席研究員 B,Opic氏 らのグループのセ ミナーで過 1回5週間にわたってこれまで私が研 究 してきたことを報告 しま した。そ して興味を持 った人 と別途個人的に さらに議論を深め ま したOスペインでも同様 に、バルセ ロナ大の J.Cerda教授のグループの月例セ ミナー、
お よびバルセ ロナ大 ・バルセ ロナ ・アウ トノマ大の月例合同セ ミナーで講演を し、同時に そのグループのメンバー と毎週会 って識輪を しま したO
数学の議論の大半は、まず相手の主張 を全部理解 しよ うとす るところか ら始 ま ります。
それがすでに解かれてい る 「定理」である場合 もあ り、 これか ら解 きたい と思 う 「命題」
であることもあ ります。.大抵は どこかわか らない部分があるもので、そ うした点を質問 し、
さらに細か く説明 させ る、また類似 のことについての知識を交換す る、 とい う風に蔑輪は 進み ます。 うま くいけばその段階で新 しい定理が証明できることもあ ります。 そ うでな く ても、 こ うした議論が粗 にな り、新 しく定理を証明できることもあ ります。 これが数学の 議論です。
日本にも実関数論の研 究者はいますが私の場合、 とい うよ りも私の興味に関 しては、残 念 なが ら国内には細部まで興味を持ち、理解 して くれ る研究者 はほとん どあ りませんOそ うい う人をで捜 したとき,プラ‑ とバルセ ロナのグループが私に もっともいい影響 をもた らす議論の相手だったのですL,
2.学会出席
こ うした 「セ ミナー
」
「個人的な酎輪」だけでな く、 どこに どうい う研究者 がいるの科 を知 り交流 を深 めるために、 も う少 し大がか りな r学会」
「シンポジウム」 とい うよ うな ものがあ ります。 アメ リカでもヨー ロッ/tでも)こ うした催 しは毎年た くさん企画 され、出 席者 も5 0人程度か ら数百人、もっと大き く数千人 クラスの学会 も行われ ます。 1990年‑ 95 ‑
に京都 で行 われた国際数学者会議は4年 に1度行 われ る最大級 のものです。今回の留学 中 もい くつかそ うした ものに出席 しま したが、そのなかでも最 も印象に残 ったのは、ス ウェ ーデ ン ・ル ン ド大学のJ.Peetre教授 の定年退職記念カンファレンスで した。Peetre教授が 作 り上げた 「関数空間の補間理論」は、その逆理絵である 「補外理論」 と共に私の興味の 中心にあ りますD世界中か らこの分野のた くさんの研究者たちが集まったこの集会は、心 に響 くものがあ りま した。
ス ウェーデ ンは、第2次世 界大戦の時 、戦火 を逃れた ドイ ツの数 学者た ちをた く さん受 け入れ ま したリその ため、それ まで以上 に健秀 な数学者 が集 まるよ うにな ったのですo そんな ことも あ り、古い歴 史を持 つル ン ド大学です が 、数学科は街 の郊外の広 い芝生 と池 に囲 まれ たゆ った りした ところ にあ りま した.
そ して中間の 日の午後に
はエ クスカー ジ ョン (遠足) と称 してル ン ド市内観光ツアーが催 され、その後バスで1時 間ほ どの ところにある古いお城 を改造 した レス トランで定年記念祝賀パーティが行われ ま
した0
3.英語のこと
もちろん外国に行ったのですか ら、言葉の問題 は重要です。チ ェコではチェコ語が、ス ペインではスペイン語、 さらにバルセ ロナですか らカタル一二ヤ言吾が話 されます(. 日常生 活、買い物や レス トランな どではこうした青葉が必要にな りますが、数学者同士の場合に はたいてい英語が通 じます。 「英陣で数学の親指 をす る」 となるととんで もな く難 しい こ とのよ うに思われますが、数学の輪理構造は英階の論理構造 と同 じなので、英語で考える ことは比較的容易です。専門用語 もいちいち 日本軍割こ訳す よりも英籍をそのまま使 うこと も多いです し、 さらに我々の持 っている世界共通語 「数式」を普 くことも重要なコミュニ ケー シ ョン ・ツールの一つですO 中学 ・高校時代 か ら決 して英語が得意ではなかった私で すが、 こ うや って 「数学の英語」を通 して、コミュニケー シ ョン ・ツール としての英語が なん とか使 えるようになってきま したo 「英語の学習」 とい うとす ぐに英米文学な どがそ の題材 として考 えられますが、実は数学 も英語 (外国籍) を学ぶためのいい題材 なのでは ないか、数学を麿材 とした外国指教育について考 えたい と思っているところですO この学 会で一緒に研究ができた らと思 っているのですが、みな さんいかがで しょうか。
さらに 日本 との違いを感 じたのは、彼 らはた とえば同 じチェコ人同士、スペイン人同士 でも英語でも話 をす るとい うことです。 日本人は恥ずか しがってあま りそ うしたことは し ませんo恥ずか しが らず に使 うとい うことが重要 なのではないか と思いま した。
4. 日常生活のこと
ヨー ロッパでは どの国 も永い深い歴史を持 っています。私が訪れた国の うち、チェコは 長 い間忍従 を強い られた国Oスラフの一民族 ・チ ェコ民族は長い間他 民族の支配 を受 けな が らも、 自分たちの文化 ・言語を守 り抜いてきた誇 り高き人々Oチ ェコ人は r青葉の民」
と言われますが、本 当に議論好 きOビアホール PIVOnlCeでもお菓子や さん Cukramaでも、
またその辺の庭先や道ばたでも、みんなが親臨 しています。そ してそれ が難 しいチェコ語 に よるもの。我々にもそれに加われ、 と誘 って もらうことが多いのですが、かつて東側 陣 営に加わっていた ことと、また言語学的に近いことか らロシア語、またその前は ドイツ ・ オース トリアに支配 されていた ことか ら ドイツ等膏を話す人は多い よ うですが、英語はそれ ほ どポ ビュラ‑な言葉 ではあ りません。 そのため活輪に参加す るのはち ょっと無理o もっ と言 えば、買い物をす るにもレス トランに行 くに もずいぶん苦労 しま した。スーパーで も 肉類 な どは対面販売。 「何 を何 グラム欲 しい」 とい う程度の青葉は必要で したが、人々は こ うした異邦人に対 して もとても親切O何 とかなる、 とい うのが実感 で した。食事は魚 は ほ とん ど無 く肉類 が中心ですが、豚肉にせ よ鶏肉にせ よその素材 の味の浪 さは 日本では全 く経験 した ことがない もので した0 日本人居住者が少ないこともあって、 日本食を求める ことは簡単ではない よ うですが、 自他共に辞める世界最高の ビール ・ビルゼン ビール を堪 能 したここでの生活は、為替 レー トの関係 もあって、大変優雅であった といってもいいで
しょう 。
同行 した長男は滞在 中に4歳にな りま したが、 日本な どと違 って意外 に簡単に保育園に 受け入れて くれ ますリ最 も言葉が通 じない子供を預かることには非常に神経質で、それほ
ど長い時間受け入れてもらえたわけではあ りませんで した.
スペイン ・バルセ ロナでも、意外に英語が通 じませんで したが、人々はプラ‑ と同様 に 親切で、さらに とて も明るい'そ して地中海 に面 した漁港の町、肉も魚 もふんだんにあ り、
また 日本人も多 く住んでいることもあって、 とて も暮 らしやすい ところで したO昨今スペ イン南部の田舎町に老後 の住処 を求める 日本人が多い と聞きます が、 うなずけるものがあ りま したo またEU圏の一員であることもあ り、 ヨー ロッパの広い範囲での物流が行われ ていることを実感 しま した.車は フランス、 ドイツ、ス ウェーデン製O電気製品はスペイ ン製を輸出。 ドイツの食器、イタ リアの食材 、チェコの ビール、 もちろん各地の ワインL.
本 当に 日常がインターナ シ ョナルです。統合へ向けて長い間努力 してきた ヨー ロッパの歴 史を感 じま した。 こんなことは実際に行 ってみない とわか らないで しょう。 ま さに百聞は 一見に如かずで した。
5.治安 と入園査証 (VISa)のこと
治安はもちろん 日本ほ どではあ りませんが比較的良い といえます。プラハでは東欧諸国 の経済的 ・政治的混乱か ら多 くの人が逃れて来 るので一昔前は評判が悪かったのですが、
回せ 挙げて安全な街にす るために努力 しているよ うですOスペイン東部では、民族解放の 過激派のテ ロ活動 な どもあ りますが、直接的なこ とはそれほ ど多 くあ りませんで したO た だ しどち らも90日以内の滞在 な らVisaは要 りませんが、それ以上の滞在 には 申請が必 要で結構面倒で した,.観光には最適な場所で したが、何か とせわ しく、それほ ど思い通 り には観光ができなかった、 とい うのが正直な感想 で したO
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6.最後に 〜国際化 とは〜
た とえばアメ リカの大学ではこのような研究休暇が保 証 されていますOヨー ロッパでも、
他の国まで近いこともあって、大学生が 自国以外で一定期間勉強 しな くてはな らない、 と い う制度 もあるよ うです。 これまで 日本ではこ うした機会を持つことは難 しかったのです が、言秦 も風習 も違 う人々の中で暮 らす ことは 自らを、また 自らの国を見直すために必要 なことだ と思います。 昨今 「国際化」 とい うことが叫ばれますが、その実は 「英語 (外国 請)」 も しくは英会話 を勉強す ることが 「国際化」であると思われています。 しか しそれ だけでは何 の意味 もあ りません。欧米人は 日本 とい う国に非常に興味を持 っています。政 治 ・経済は彼 らでもす ぐに理解 して くれ るようですが、宗教、文化 といった点ではなかな かわか らない ようです。た とえば 「日本では神 はいるのか ?
」
「日本人はこの世界が どう や って作 られ た と思っているのか?」r
日本語では漢字 とい うのがあるようだが、 これ を 覚 えるのは大変 ではないか ?だいたい何 でそんなものが必要なんだ?」
「日本では女性の 名前の最後 にko を付 けると聞いたが、それは何だ?」な どと質問 された ときにそれに答 えることができるで しょ うかO単に外国に行ったことがある、外国語が話せ るだけでな く、 自分の回 ・民族についても 知 らな くてはな らない、もちろん同時に他国の歴史などもよく知 らなければな らない、そ うしたことが無 くしては寅の国際化はあ り得ない、 とい うことをあらためて強 く感 じま し た。
さらにこ うした経験 は、大学教員は もちろんですが、小中高の教員 も是非一度は経験 し てほ しい と思いますO実は海外の 日本人学校では常に教員が不足 してお りますO そ うした ところ‑の赴任 はある意味では大 きな負担です が、逆に得 るものも少な くあ りません。 プ ラ‑やバルセ ロナでお会い した 日本人学校の先生方 も、む こうでの経験 を踏まえ、 日本 に 帰 って さらに広い視点か ら児童 ・生徒 を見ることができるに違いない、 と言ってお られま した。 このよ うな機会 を多 くの人が持つことができることを祈 りつつ、 ご報告 とさせてい ただきます。