林芙美子のハルピン空間 : 『哈爾濱散歩』『愉快 なる地図』『オリガの唄』が表象するニヒリズム
著者 曽 ??
雑誌名 日本文藝研究
巻 70
号 1
ページ 21‑47
発行年 2018‑10‑30
URL http://hdl.handle.net/10236/00027336
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
│
│﹃ 哈 爾 濱 散歩
﹄﹃ 愉 快な る 地 図﹄
﹃オ リ ガ の唄
﹄ が 表象 す る ニヒ リ ズ ム│
曽
│䆾 䆾
序 林 芙美 子︵ 一 九
〇 三
│ 一 九 五 一
︶ が初 めて 中国 大陸 へと 向か った のは 一九 三〇 年八 月二 十日 か ら九 月 二 十七 日 ま でで あ る⑴
︒ 一九 二 八 年︑
﹃ 女人 芸 術﹄ に﹁ 秋 が来 た ん だ│ 放浪 記
│﹂ の 連載 を 開 始︑ この 連 載 をも と に 改 造 社 か ら 一 九 三
〇 年
﹃放 浪 記
﹄を 出 版
︑ベ ス ト セ ラ ー に な る︒ 一 九 三
〇 年 七 月 二 十 七 日 発 行 の
﹃読 売 新 聞﹄︵ 朝 刊
︶ で
﹁此 夏 は︑ ハ ルピ ン と 上 海へ 行 つ て︑ 遠い 先 祖 の楽 園 の 水 を浴 び て︑ う んと 大 陸 の 夏を た ら ふく 消 夏 して 来 よ う と思 つ て ゐ ま す﹂ と 予 告 し た 翌 月
︑林 芙 美 子 は
﹃放 浪 記
﹄の 印 税 で 念 願 の 中 国 に 出 か け た︒ 中 国 の こ と を
﹁先 祖
﹂と 呼 ぶ の は︑
リ ン
﹁︵ 中 国 の
︑ 筆 者 注
︶ 林 と呼 ぶ 男 か 女か が
︑日 本 へ流 れ て きて
︑そ の シ ソ ンに 私 と いふ も の が出 来 た の に 違 い な い
﹂と 林芙 美子 はユ ーモ アに 同新 聞に 語っ てい るが
︑中 国へ の思 いは より 前に 遡る こと がで きる
︒
﹃華 文 大 阪毎 日
﹄︵ 一 九 四
〇 年 一 月 号
︶ に 掲 載 され た
﹁中 国 之 旅
﹂と い う エ ッ セ イ に︑
﹁中 国
﹂と の 出 会 い に つ い て︑ 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 一
﹁ 十六 七歳 にな ると
︑私 は詩 歌が 大変 好き にな り︑ 陶淵 明 の 詩集 と 唐 詩選 は 私 の最 も 好 き な読 物 に なっ た
︒中 国 の文 字が 偉 いと 思 っ て︑ いつ か 機 会 があ っ た ら︑ ぜひ 中 国 へ行 っ て み たい と よ く思 っ て いた
﹂⑵
と 林芙 美 子 は回 想 し てい る︒ 林 芙美 子 文 学に お け る 中国 古 典 の受 容 に 関し て は
︑海 老 田輝 巳 論 文⑶
で す でに 明 ら か にな っ て いる
︒こ の ほ か︑ 一九 二四 年︑ 二十 一歳 の林 芙美 子は
︑東 京に 間借 り を し て︑ そこ で あ る中 国 の 友人 が 出 来 たの で あ る︒
﹁私 の 借 りた 部屋 は二 階の 四畳 半で
︑隣 室に は方 芳英 と云 ふ女 子医 専の 生徒 がゐ まし た︒ 中国 の湖 南省 から 来た 人だ とか で︑ 非常 に質 素な 人で した
︒︵ 中 略
︶ 私 はこ の方 さん とは 大変 親し く付 き合 うや う に なり ま し た︒
︵ 中 略
︶ 私 も また
︑そ の う ち︑ 何と か生 活に ゆと りが でき たな らば
︑中 国へ 行つ てみ たい とい ふ憧 れ を持 つ て ゐま し た
﹂⑷
︒﹁ 青春 を か たむ け 尽 くし た﹂⑸ 作 品﹁ 一人 の生 涯﹂
︵﹃ 婦 人 の 友
﹄ 一 九 三 九 年 一 月 か ら 十 二 月 連 載
︶ に 記録 され た中 国人 と の友 情 と︑ 中 国古 典 に よっ て形 成さ れた 中国 への 憧れ は︑ 林芙 美子 を中 国へ と向 かわ せた 動機 と言 えよ う︒ また
︑﹁ 芙 美子 はそ の当 座﹃ 放浪 記﹄ から とれ た巨 額の 金を
︑大 陸で 使い 尽く して も︑ 後の 心配 はな かっ た︒ 戻っ た芙 美子 にま づ﹃ 朝日 新聞
﹄が
﹁夕 刊小 説﹂ を 注文 し
︑﹃ 改 造 社﹄ も全 面 的 に芙 美 子 に対 し
︑作 品 を のせ る 舞 台を 提 供 した か ら で ある
︒﹂⑹
と 板 垣 直子 は こ の 旅行 が経 済的 に成 立す る理 由に つい て分 析し た︒ こ のよ うに
︑林 芙美 子は 一か 月に わた り中 国の 南北 を遊 歴で きた
︒し かし
︑そ の直 後に 執筆 した 旅行 記﹁ 哈爾 賓散 歩﹂︵
﹃ 改 造
﹄︑ 一 九 三
〇 年 十 一 月
︑︶
﹁ 愉 快な る 地 図│ 大陸 へ の 一人 旅
﹂︵ 以 下 は
﹁ 愉 快 な る 地 図
﹂ と 略 す
︶︵
﹃ 女 人 芸 術
﹄︑ 一 九 三
〇 年 十 一 月
︑︶
﹁秋 の杭 州と 蘇州
﹂︵
﹃ 読 売 新 聞
﹄ 一 九 三
〇 年 十 一 月 七 日
︑ 八 日
︑ 十 一 日
︑ 十 二 日 四 回 連 載
︶ か ら 判断 で き るよ うに
︑林 芙美 子の 中国 像を 構築 した のは
︑空 間的 に言 えば
︑ほ かで はな く北 の哈 爾濱 と南 の杭 州︑ 蘇州 であ る︒ 研究 面に おい て︑ それ ほど 多く 取り 扱わ れて こな かっ たが
︑先 行論 では
︑林 芙美 子の 旅程 や魯 迅を はじ めと する 中国 文人 と の交 友 関 係 はか な り 明ら か に なっ て い る⑺
︒ 方 法 的 に 言 え ば︑ 評 伝 的 研 究 の 傾 向 が 強 く
︑テ ク ス ト 分 析 に お い て
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 二
は︑ 林敏 潔が 主に
﹁秋 の杭 州と 蘇州
﹂に 力を 入れ てい るが
︑重 要な 言説 空間 とし ての ハル ピン につ いて
︑そ の全 体像 を 把握 し う る よう な 本 格的 な 研 究は ま だ な いの が 現 状で あ る︒ こ れ を検 討 す るに は
︑ま ず 旅 行 記
﹁哈 爾 濱 散 歩
﹂と
﹁ 愉快 なる 地図
﹂が 呈し てい るハ ルピ ン表 象を 考え る こ とが 基 本 であ る
︒そ し て︑ その 延 長 線 に創 出 さ れた 文 学 表現 は如 何に ハル ピン 表象 を生 かし
︑如 何に 作家 の心 像風 景と 関わ って いる のか
︑更 なる 分析 も必 要で ある
︒つ まり
︑ツ ーリ スト とし ての
﹁他 者﹂ に関 して の表 象と 作家 とし ての 内面 思索 とい う二 重構 造を 考慮 すべ きで はな いか と思 う︒ 一 異 国 情緒 に 満 ちた ハ ル ピン 空 間
﹁次 はハ ルピ ンだ
︒日 本人 の顔 は一 人も 見え な い︒ 支 那人 と 露 西亜 人 と︑ 少 数の 亜 米 利 加人 ら し いの と
︑ハ ル ピン に降 り たら
︑ど ん な ふう に し て 宿を さ が そう か 知 らな い
﹂⑻
とい う 叙 述か ら
︑長 春 から 哈 爾 濱 の空 間 へ 近づ こ う とす る時 の林 芙美 子の 旅先 での 心細 さが 読み 取 れ る︒ し かし
︑ハ ル ピ ン駅 に 着 くと
︑﹁ ハ ル ピ ン! 懐か し い ハル ピ ン につ いた
﹂と いう よう に︑ 林芙 美子 を真 っ先 に魅 了し
︑深 い感 慨を もた らし たの は︑ 耳に した ロシ ア語 と﹁ 三々 五々 麗わ しい 派手 な︑ ドレ ス﹂ を着 た︑
﹁ 花の
﹂よ うな 露西 亜女 であ り︑
﹁ま った く小 さな 憂鬱 なん て︑ どこ かへ 吹つ 飛ん でし まう
︒私 は口 笛で も吹 きた く﹂⑼ な った 晴れ 晴れ した 気分 にこ とご とく 転換 した
︒ 初 めて 行っ たの に︑
﹁ 懐か しい ハル ピン
﹂と 言い 出し た の は︑ 恐ら く 新 居格 か ら 聞い て き た ハル ピ ン 印象 と 関 係あ るだ ろう
︒一 九三
〇年 九月 六日 の地 元紙
﹃満 洲日 報﹄ に掲 載さ れて いる
﹁ロ シア 人は 呑気
大 陸的 よ 振袖 姿で 漫歩 の芙 美子 さん に映 った 憧れ のハ ルピ ン﹂ とい う新 聞記 事 に︑
﹁ 新 居格 さ ん から 聞 か され た ハ ル ピン の 事 柄も 十 二 分に 満喫 し︑ クオ ツカ の強 烈な 香に ロシ ア情 調を 百二 十パ ーセ ント 味は ひ﹂ と記 載さ れて いる
︒新 居格 がハ ルピ ンへ 行っ たの は︑ 林芙 美子 より ちょ うど 一年 前で ある 一九 二九 年の 八月 から 九 月 頃で あ る⑽
︒ 今 の 段階 で は︑ 新 居格 は 林 芙美 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 三
子に どの よう にハ ルピ ンを アピ ール した のか 判明 出来 ない のだ が︑ 同じ く﹃ 満洲 日報
﹄で ハル ピン の印 象を 新居 格は この よう に言 って いる
︒﹁ キ タイ スカ ヤ街 も私 は幾 度と な く 散歩 し た︒ 私 の好 み は オク シ デ ン タル な と ころ に あ るが 故に
︑そ の街 での 遊歩 は東 京の 銀座 より もど れだ けす きに なれ たか 分か らな かつ た︒ 取分 けオ テル
︑モ デル ンの あた りを 愛し た
︒私 は ハル ピ ン の もつ ロ シ ア都 市 の 面影 が と に も角 に も うれ し い もの だ つ た のだ
﹂⑾
︒新 居 格の 目 を 惹い たの はキ タイ スカ ヤ街
︵ 今 の 中 央 大 街
︶ の 西洋 的な 街並 みで あ る︒
﹁オ ク シ デン タ ル﹂ な ハ ルピ ン の 雰囲 気 が﹁ 東 京の 銀 座﹂ をは る か に 凌ぐ と い う記 述 か ら︑ 彼が ハ ル ピ ンと い う モダ ン 都 市 を満 喫 し てい た こ とを う か が うこ と が で き る︒ この ハル ピン 風景 はお そら く林 芙美 子に も伝 わっ てい たと 考え られ る︒ だ が︑ 林芙 美子 の目 に真 っ先 に飛 び込 んで きた ハル ピ ン は 新居 格 と 少し 対 照 的に 見 え る︒
﹁ 舗道 を 行 く馬 車 の 古風 さ︑ 馭者 は赤 いル パシ カの 上に 黒い チョ ツキ
︑白 い馬 を持 つた のな ぞは
︑実 に春 は馬 車に 乗つ ての 感が 深い
︒何 と言 ふ古 風な 街だ ら う﹂⑿
と︑ 横 光利 一 の﹁ 春 は馬 車 に 乗っ て
﹂⒀
を借 り な がら
︑林 芙 美 子は モ ダ ン では な く 淡々 と し た古 風な ハル ピン を味 わい
︑さ らに
︑﹁ 春 は馬 車に 乗 つ て︑ 横光 氏 の 言葉 を 拝 借し た く な るほ ど
︑ハ ル ピン の 街 は︑ 馬車 の 鈴と 馭 者 の﹃ チ ヨウ ウ ツ!
﹄と 馬 の 尻を 叩 く 呼 び声 か ら︑ 実 に童 話 め いた 天 真 さ﹂⒁
と 感 じた
︒鉄 道 網 がす で に 発 達し 始め てい た当 時︑ 馬車 は古 風な 知覚 を呼 び起 こし
︑林 芙美 子の 異国 情緒 を満 足さ せた
︒そ の馬 車に 乗っ て︑ 林芙 美子 はハ ルピ ンで
﹁一 番好 き﹂ な寺 院を 参観 し た︒
﹁ 白 色系 露 人 の墓 は 十 字架 で
︑赤 色 系 のは
︑赤 い 丸 太ん 棒 が 突き 刺 して あ る き りだ
︒た ま に︑ こ んな と こ ろへ 来 て
︑散 歩 した ら
︑心 が せい せ い す るだ ろ う に
︑ハ ル ピ ン で 見 た 寺 院 は︑ 露 西亜 寺 院 と︑ 猶 太寺 院
︑回 々 教寺 院
︑こ ん なも の で あ つた
﹂⒂
︒ハ ル ピン 市 内 に散 在 す る 寺院
︑教 会 建 築 は 林 芙 美子 に 明 る くて 清 々 しい 気 持 ちを も た ら すと 同 時 に︑ ハル ピ ン の 多民 族 性 のシ ン ボ ルと し て も 文面 に 浮 上し て い る︒ 林 芙美 子 が 渡 った 時 の ハ ル ピ ン は ど ん な 都 市 だ っ た の か
︑改 め て 確 認 し て お こ う
︒当 時 の 中 国 の 雑 誌﹃ 心 声﹄
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 四
︵ 一 九 三
〇 年 第 一 期
︶ は ハル ピン の全 貌に つい て次 のよ うに 記載 して いる
︒ 吉 林 の 北 西
︑ 松 花 江 の 南 岸 に 位 置 し て い る ハ ル ピ ン は
︑ 三 十 年 前 に は ま だ 荒 涼 な 名 も な い 寒 村 で あ っ た
︒ 光 緒 二 十 二 年
︵ 一 八 九 六 年
︶ か ら 帝 政 ロ シ ア が 東 清 鉄 道 の 敷 設 権 を 獲 得 し
︑ 建 設 に 乗 り 出 し
︑ 光 緒 二 十 九 年
︵ 一 九
〇 三 年
︶ に 吉 林 省 と 黒 竜 江 省 を 横 切 る 東 清 鉄 道 を 建 設 で き た
︒ そ れ 以 降
︑ ハ ル ピ ン は 東 省 の 交 通 中 心 と 北 満 の 拠 点 と な り
︑ 欧 亜 聯 運 を 開 催 し て 以 来
︑ 今 日 の ハ ル ピ ン は 既 に 世 界 交 通 の 重 要 な 都 市 と な っ た
︒︵ 略
︶ ロ シ ア 人 は 鉄 道 及 び 鉄 道 附 属 地 外 の 各 組 織 を 建 築 し
︑ そ の 主 権 を 握 っ た
︒ 欧 州 戦 争 と ロ シ ア 革 命 を き っ か け に
︑ 我 国
︵ 中 国
︑ 引 用 者 注
︶ は 市 政
︑ 教 育
︑ 電 信 郵 政 等 の 主 権 を 次 第 に 回 収 す る よ う に な っ た
︒ 近 年
︑ ハ ル ピ ン に 移 し て き た 国 内 各 省 の 人 民
︑ 及 び 各 国 外 僑 は 日 増 し に 増 加 し
︑ ハ ル ピ ン の 人 口 も 激 増 し た
︒ 故 に
︑ 社 会 生 活 状 況 は 以 前 と 比 べ て
︑ 頓 に 異 な る よ う に な っ た
︒ し か し
︑ 恥 ず か し い こ と が 一 つ あ る
︒ 大 半 の 中 国 人 は ロ シ ア 化 さ れ て い る
︒ 衣 食 住 は す べ て ロ シ ア 風 を 準 則 に し
︑ ロ シ ア 婦 人 と 結 婚 し た 家 庭 で は
︑ 家 庭 の 設 備 か ら 衣 食 住 ま で は す べ て ロ シ ア 化 さ せ つ つ あ る
︒ こ の よ う な 状 況 が 続 い た ら
︑ 祖 国 観 念 が 必 ず 薄 く な り
︑ 国 民 は ど の よ う に し て こ の 頽 廃 風 潮 を 挽 回 し た ら い い だ ろ う
︒⒃
︵ 傍 線 は 筆 者
︑ 以 下 同
︶
﹁ 荒涼 な名 もな い寒 村﹂ から
﹁世 界交 通の 重要 な都 市﹂ へと 変遷 した ハル ピン は︑ ロシ ア︑ 中国 のみ なら ず︑ 日本 人︑ ユダ ヤ人 を中 心に
︑波 瀾の 近代 史を 繰り 広げ た舞 台で もあ り︑ 国際 関係 のる つぼ とし て︑ 国際 都市 とい う側 面を 十分 に 備え て い る︒ ま た︑
﹃中 東 経 済月 報
﹄が 一 九三
〇 年 に 公布 し た ハル ピ ン の﹁ 一九 二 九 年 六 月 人 口 調 査 表︵ 国 籍 別
﹂︶ に よる と
︑中 国 人 は︵ 一 九 三 四 八 人
︶ 全 人 口 61の
%︑ 白 系 ロ シ ア 人 は︵ 八 一 五 六 人
︶ 19は
%︑ ソ ビ エ ト 人 は︵ 六 五 四 四 人
︶ 17% をぞ れぞ れ占 めて いる ほか
︑日 本人 は七 八〇 人で
︑朝 鮮人 一九 八人 で︑ 西欧 各国 は 六 五十 人 な どと 三 十 一カ 国 の人 が 在 住 して い る こと が 分 かる
⒄
︒多 民 族 が 共生 す る 国 際 都 市 と は い え︑ 中 国 人 は 半 数 以 上 の 人 口 を 占 め て い る︒
﹁ 哈爾 濱散 歩﹂ を読 んで 分か るよ うに
︑﹁ 活気 のあ る支 那街
﹂で あ る傳 家 甸⒅
が 林 芙 美 子の 視 野 に入 っ て いる
︒ま 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 五
た︑ 林芙 美子 が渡 る前 に︑ 中国 とソ 連の 間に
︑東 支鉄 道守 備権 など を巡 る紛 争が しば しば 起こ り︑ 両方 の勢 力の 消長 も歴 史背 景と して 確か に存 在し てい た︒
﹁ 昨年 の東 支 問 題が あ つ てか ら
︑支 那 はか な り︑ ハ ル ピン の 権 力を 取 り もど して ゐる
︒日 本人 の街 は︑ モス トワ ヤ︵ 埠 頭 区
︶ あた りに ある んだ が
︑大 し た勢 力 は ない ら し い﹂⒆
と 述 べた 林 芙 美子 の目 線に おい ては
︑露 西亜
︑中 国︑ 日本 とい う国 別的 要素 を有 して いる
︒ だ が︑ 雑誌
﹃心 声﹄ が示 して いる よう に︑ 政治 以外 に︑ 文化 的に ロシ ア化 され る傾 向が 強く
︑そ れは 中国 の主 体性 にも 影響 を及 ぼし たこ とも 見逃 せな い︒ 林芙 美子 のハ ルピ ン言 説に 限っ て言 えば
︑中 国よ り︑ むし ろロ シア 的・ 西欧 的な もの に向 けが ちな 目線 は当 時の 風潮 と関 わっ てい るだ ろう
︒三 十ヵ 国以 上の 人が 在住 して いる
︑濃 厚な 異国 趣味 に満 ちた ハル ピン であ った
︒駅 前の ロシ ア娘
︑﹁ 春 は 馬 車に 乗 っ て﹂ を連 想 さ せら れ る 古 風な 舗 道︑ ユ ーラ シ ア の寺 院な どに よっ て織 り上 げら れた ロシ ア↓ ユー ラシ ア↓ 西欧 の文 化的 景観 が力 強く 沸き あが って
︑固 有の 中国 に対 する 幻想 を上 回り
︑先 に林 芙美 子を 魅了 した
︒ 二
﹁ 彼 女 たち
﹂ へ のま な ざ し に もか かわ らず
︑林 芙美 子に とっ ての ハル ピン は一 体何 を意 味し たの かを 検討 する にあ たっ て︑ ただ の異 国趣 味を 求め る主 体で は収 まら ない と思 う︒ ハル ピン に特 別な 愛着 を持 って いる 理由 につ いて
︑林 芙美 子は 次の よう に述 べて いる
:
全 く 何 度 も 云 ふ や う で す が︑ 私 は ハ ル ピ ン が 好 き で す
︒ 第 一 に 物 価 が 安 い せ ゐ も あ る で せ う け れ ど も
︑ 歩 い て ゐ る ひ と た ち が
︑ よ り ど こ ろ も な く 淋 し げ に 見 え る か ら で せ う か
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︒⒇
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 六
一 九三 一年 渡欧 の途 上で 再び ハル ピン を訪 れた 林芙 美子 は﹁ 何度 も言 うよ うで すが
﹂と いう 表現 を用 いて
︑一 九三
〇年 のハ ルビ ンも 含め て︑ その 愛着 の意 を強 く強 調し た︒ ハル ビン が好 きな 理由 とし て︑ まず
﹁物 価が やす い﹂ とい う生 活面 があ げら れ︑ これ は﹁ 生活 派﹂ と呼 ばれ る林 芙 美 子 のこ だ わ りの よ う に受 け と め られ る の だが
︑そ れ よ り︑
﹁ 歩い てゐ るひ とた ちが
︑よ りど ころ もな く淋 しげ に見 える から でせ うか
﹂と いう もう 一つ の理 由が 意味 深い
︒ 林 芙美 子の 目に 留ま った
﹁よ りど ころ もな く淋 しげ に見 える
﹂人 達は ハル ピン にい る定 住者 でな い人 々の こと と考 えら れる
︒東 清鉄 道の 建設 地と ロシ アの 植民 地で もあ るハ ルピ ンは その 発展 と共 に︑ 数多 くの 外国 人の 移住 先︑ 亡命 先と なっ てお り︑
﹁ 流転 性﹂
︑ル ンペ ン性 を内 包し てき た︒ その 定住 でな い人 々か ら林 芙美 子に 一種 のノ スタ ルジ アが 伝わ って いく
︒あ る意 味に おい ては
︑こ れら の流 転人 生は 異国 景観 より もっ と彼 女の 心ま で沁 み込 んで いき
︑彼 女の 心像 風景 と文 学世 界と 通底 した もの があ るこ とに 考慮 すべ きで はな かろ うか
︒そ んな 中︑ 林芙 美子 は﹁ 彼た ち﹂ より むし ろ﹁ 彼女 たち
﹂の 運命 に目 を向 けて いた
︒ 当 時の ハル ピン にい るロ シア 女性 の職 業に つい て︑ 生田 美智 子は
﹁亡 命ロ シア 人女 性の 中に は風 俗営 業に 従事 する 者が 多か った
︒中 国の 安い 労働 力と 競合 する こと なく 職を 得る ため には キャ バレ ーや ダン スホ ール で働 くほ かな かっ たの であ る︒ しか し︑ 亡命 ロシ ア人 女性 の職 業は 風俗 業に 限ら れて いた わけ では ない
︒ハ ルビ ンで は法 科大 学や 工業 大学
︑教 育大 学︑ 東洋 学・ 商学 大学 が設 立さ れ︵ 中 鳩
︑ 二
〇
〇 四
︑︶ 高 等教 育 機 関に 進 学 す るロ シ ア 人女 性 も 多く
︑彼 女 たち は 職 業 婦人 と し て活 躍 し てい っ た
︒ロ シ ヤ語 の 出 版活 動 も 盛 んで
︑女 流 作 家や 詩 人 も 活 躍 し
︑バ レ エ
︑オ ペ ラ︑ 演劇 など 芸術 部門 での ロシ ア女 性の 活躍 も目 立っ た︒
﹂ と指 摘し て い る︒ これ は 他 方︑ 日 本の 大 正 末期 か ら 昭和 初期 にか けて
︑女 子教 育の 普及
︑女 性雑 誌の 隆盛
︑ジ ャー ナリ スト の発 展に 伴い
︑女 流作 家や 職業 婦人 がた くさ ん登 場す る時 代と 共振 し︑ 女性 たち は舞 台裏 から 表 に 登 場す る よ うに な っ た︒
﹁哈 爾 濱 散 歩﹂ によ る と︑ 日 露協 会 学 校の 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 七
水谷 先 生 の紹 介 で︑ 林 芙美 子 は ハ ルピ ン の ロシ ア 女 性作 家 た ち│
│ブ ヴ エ ート ロ シ ヤ︵ 女 流 作 家
︑ 赤 色 系 詩 人
︑︶ アン ナ・ カ ラ ワ ー エ ワ︵ 女 流 作 家
︶︑ マ リ エ ツ タ ー シ ャ ー ギ ニ ヤ ン
︵ 女 工
︑ 詩 人
︑ 長 編 作 家
︑ 美 術 学 博 士
︶︑ セ イ フ ー リ ナ ー
︵ 物 語 を 書 く 女 流 作 家
︑︶ ニー ナ ス ミ ルノ ー ワ︵ 女 性 作 家
︑︶ ヴ エラ
・エ ヴ ナ・ ラ チノ バ︵ ジ ャ ー ナ リ ス ト
︑︶ エ スチ ニ ア・ ウラ ヂミ ロヴ ナ・ クル ゼン シテ ルン
︵ 女 記 者
︶ と 楽し い 交 流 時間 を 過 ごし た こ とが 分 か る︒ 林 芙美 子 自 身も そ の 一人 とし て︑
﹃ 放浪 記﹄ で幼 少時 代か ら上 京ま での 流転 人 生 を綴 り
︑新 進 詩人
・女 流 作 家と い う 職 業に た ど りつ い た ので ある
︒ハ ルビ ンで 出会 った ロシ ア女 性作 家た ちと の交 流の 場を きっ かけ に︑ 林芙 美子 は彼 女た ちと 同様 の運 命感 を捉 え︑ 詩集 の交 換を した り︑ 文人 同士 が共 に作 り上 げた 他者 への 連帯 感は 生じ てい く︒ し かし なが ら︑ 表舞 台に 出ら れな い女 性た ちも いた
︒キ ャバ レー やダ ンス ホー ルで 働く 踊り 子た ちで ある
︒林 芙美 子は 彼女 たち のこ とも 記し た︒ ハ ル ピ ン は 女 の 国 だ が
︑ 私 の 前 に ゐ る 暗 が り の 女 は
︑ 煙 草 の あ い ま あ い ま に
︑ 男 に 唇 を さ し よ せ て 接 吻 だ
︒ こ れ は け っ し て 見 な い や う に
︑ 明 る く な っ た 場 内 に は
︑ 煙 草 売 り の 娘 が
︑ 何 世 紀 前 か の 美 し い 服 装 で
︑ 笑 ひ を こ ぼ し て 行 く
︒ ハ ル ピ ン の シ ネ マ も
︑ レ ヴ ュ ー を 入 れ な き ゃ
︑ 流 行 し な い の か
︑ 音 楽 が 二 つ ば か り あ つ た
︒ 赤 い 服 の 街 の 令 嬢 が
︑ 素 人 の ま ま の 姿 で ス テ ー ジ に 出 た 時
︑ そ の 初 々 し さ に
︑ 嵐 の や う な 拍 手 が お こ つ た
︒ 夜 の 長 い ハ ル ピ ン
︑ 夜 の 美 し い ハ ル ピ ン
︑ 房 々 と し た ニ レ の 樹 蔭 に
︑ パ ン を 積 ん だ 馬 車 の 男 が
︑ ヌ イ ヌ イ
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⁝ 窓 の 娘 に 唄 を う た つ て 聞 か せ て ゐ る
︒ ハ ルピ ン言 説に 重要 な存 在で ある キャ バレ ーや ダン スホ ール には
︑男 に接 吻し た女
︑煙 草売 りの 娘︑ 初々 しい 踊り 子が 現れ た︒ 歓楽 街の 踊場 や踊 り子 達は ハル ピン の時 代風 潮を 彩る には 最適 であ る︒ 同時 代の 日本 人作 家が 表現 する
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 八
ハル ピン にも
︑キ ャバ レー や踊 り子 がし ばし ば登 場し てい た︒ 例え ば︑ 一九 二九 年志 賀直 哉と
﹁満 洲﹂ を旅 行し た里 見弴 は﹃ 満支 一見
﹄︵ 春 陽 堂
︑ 一 九 三 一 年 二 月
︶ でハ ルピ ンの 有名 な踊 り 場﹁ ム ラ ン・ ルー ジ
﹂ の こ と につ い て︑
﹁ 名前 は大 した こと だが 消防 署の あと を改 築し たも のの 由︒ ドレ ス︑ タキ シー ドの 淑女
︑紳 士も いる が︑ われ ら如 き背 広で も 一向 に 気 の 引け る よ うな 堅 苦 しさ は な い﹂ と 記 述し て い るし
︑一 九 二 八 年の 夏
︑与 謝 野晶 子 と﹁ 満 洲﹂ 旅行 を し た 与謝 野 鉄 幹 は︑
﹁国 ひ ろ し ハ ル ビ ン の 人 咎 め ね ば︑ 踊 り て 朝 に 至 る な ら は し
﹂︵
﹁ 満 蒙 遊 草
﹂ 一 九 二 八 年 五 月
︑ 六 月
︑︶
﹁ 踊場 を 出 て て帰 れ ば 石だ た み 楡を 通 し て 夜の 白 み ゆく
﹂︵
﹁ 満 蒙
﹂ 一 九 二 八 年 七 月
︶ のよ う な 歌 も創 っ て いた
︒ハ ル ピ ンと いう 都市 が﹁ 夜の 踊り 子﹂
︑﹁ 踊 場﹂
︑﹁ 楡
﹂に よっ て象 徴的 に語 られ てい る︒ 一 方︑ 林芙 美子 が感 受し たの は快 楽を 享受 する 近代 モダ ンガ ール の彼 女た ちと いう より
︑む しろ
﹁お ちぶ れ﹂ た踊 り 子の 運 命 と 言っ て い い︒ キタ ス カ ヤの 街 の ホ テル
・モ デ ル ンの 活 躍 を 覗く と
︑林 芙 美子 は
﹁故 郷 なき 人
﹂ と そ こ にい る人 のこ とを 形容 した
︒踊 場に 光を 当て れば 当て るほ ど︑
﹁ 故郷 なき
﹂人 の内 面を 照射 する 一方 であ る︒
﹁愉 快な る地 図﹂ では 踊り 子の こと をも っと 身近 な視 線で 見 て い る
:
﹁ハ ル ピ ンに は 日 本の 踊 り 子 は一 人 も ゐな い
︑皆 ロ シア 人︑ そ れも 白 色 系 のお ち ぶ れ︑ 気品 の あ るの が 沢 山 ゐる
﹂
︒白 色 系ロ シ ア 人と は
︑ロ シ ア 革命 後
︑国 外 に脱 出 或 い は亡 命し た非 ソヴ ィエ ト系 の旧 ロシ ア帝 国 国 民 のこ と で あり
︑前 掲 の 中国 の 雑 誌﹃ 心 声﹄
﹃中 東 経 済月 報
﹄で は 白色 系ロ シア 人の こと を﹁ 無国 籍人
﹂と 書き 記 し て いる
︒そ の ど の国 に も 属さ な い﹁ 故 郷 なき
﹂女 性 た ちを
﹁お ち ぶ れ﹂ と林 芙美 子は 表現 して いる
︒こ の踊 り子 たち は﹁ 私は 宿命 的に 放浪 者で ある
︒私 は古 里を 持た ない
﹂と 言語 化さ れた 林芙 美子 自身 の姿 も逆 照射 し︑ ハル ピン 言説 にあ って
︑焦 点が 据え られ る対 象と なっ た︒ 林
芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
二 九
キ ャ バ レ ー 通 ひ の 踊 り 子
︑ ナ ハ ロ フ カ
︵ 貧 民 窟 の 名 前
︶ に は
︑ 美 し く 怪 し い 肌 を も つ た 娘 が 多 い 貴 方 と 私 は 船 と 波 止 場 別 れ て し ま え ば 海 ば か り 破 れ た 窓 の か げ で
︑ こ ん な 唄 を う た つ て
︑ シ ュ ミ ー ズ 一 ツ で ゐ る ス ン ガ リ
︵ 松 花 江
︶ の 河 で 見 た 娘
︒ と ある よう に︑ 踊り 子た ちは 生活 が裕 福な わけ で は な かっ た
︒﹁ 破 れた 窓
﹂が 象 徴す る ハ ル ピン の 下 層に 生 き てい る踊 り子 たち が︑ 如何 に脆 弱で 不確 かな 生活 基盤 の上 に立 って いる かを 表象 しな がら
︑一 方で
︑彼 女た ちが 持っ てい る恋 心を 林芙 美子 は唄 で提 示し てい る︒
﹁ 別れ
﹂て しま えば
︑﹁ 貴方
﹂と
﹁私
﹂の 間に はも う﹁ 海ば かり
﹂が 見え るよ うに
︑会 えな い空 間的 距離 が隔 てら れる よう にな る︒ 社会 的な 放浪 と内 的な 情緒 を抱 え持 つ踊 り子 の姿 は︑ 放浪 時代 の林 芙美 子を 浮か び上 がら せる
︒動 く歴 史に よっ て形 成さ れた 彼女 一人 一人 の運 命を 林芙 美子 にと って
︑彼 女と とも に同 時代 の放 浪や 苦悶 を分 かつ リア ルな 実体 とし て受 け止 めら れて いる
︒ 三 踊 り 子︵ ア ス タ ー
︶
の転 落
│
│﹃ オ リ ガの 唄
﹄
﹃オ リガ の唄
﹄は 一九 三一 年七 月号
︵ 七 巻 七 号
﹃︶ 若 草﹄ に掲 載さ れた ハル ピン を舞 台 と する 作 品 で ある
︵ 一 九 三 一 年 八 月 に 刊 行 さ れ た
﹃ 彼 女 の 履 歴
﹄ に も 収 録 さ れ て い る
︒︶ 数え れば 中国 旅行 から は一 年弱 は経 っ てい た
︒旅 行 直後 に 執 筆し た旅 行記
﹁哈 爾賓 散歩
﹂︵
﹃ 改 造
﹄︑ 一 九 三
〇 年 十 一 月
︑︶
﹁愉 快な る地 図﹂︵
﹃ 女 人 芸 術
﹄︑ 一 九 三
〇 年 十 一 月
︑︶
﹁ 秋の 杭 州 と蘇 州﹂︵
﹃ 読 売 新 聞
﹄ 十 一 月 四 回 に わ た り 連 載
︶ に 比 べ れば
︑﹃ オ リ ガの 唄
﹄の 執 筆は
︑時 間 が 置 かれ る と 同時 に
︑ハ ル ピン 像を 構築 する ため に思 考を 深め てい く過 程で もあ った はず であ る︒
﹃オ リガ の唄
﹄は
﹁私
﹂が ハル ピン に滞 在し た時
︑同 じ ホ テル に 泊 まっ た オ リガ と い う ロシ ア の 踊り 子 の 物語
︒オ
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三
〇
リガ は母 と一 緒に 歌と 踊り で生 計を 立て るの だが
︑﹁ 私
﹂が ハル ピン を離 れる 前日 に自 殺し た︒
﹁別 れ別 れな
﹂情 死で ある
︒男 はマ チャ コウ
の自 分の 家で
︑オ リガ はハ ルピ ンの ホテ ルの 母の ベ ッ トで
︑そ れ ぞ れ 相手 の 写 真を 肌 に 抱え て死 んだ
︒相 手の 男は フラ ンス 人と ロシ ア人 の混 血児 とし て︑ ブル ジョ アの 家庭 で育 てら れ︑ 踊り 子と の交 際を フラ ンス 人の 父に 認め られ ない とい う事 で︑ 二人 は情 死を 選ん だわ けで ある
︒そ れを 知っ た﹁ 私﹂ は悲 しく て︑ ハル ピン を 去る 時 の 最 大の シ ョ ック と な った
︒中 国 か ら 東京 に 帰 った あ る 日︑
﹁私
﹂は 街 の 看 板 に
︑﹁ ロ シ ア
・キ ャ バ レ ー 来 る﹂ との 演出 広告 に︑ 数人 の男 女優 の中 に︑
﹁ オリ ガ﹂ と い う名 前 に 気づ き
︑緊 張 しな が ら 演 出の 始 ま りを 待 っ てい たら
︑舞 台に 出た のは オリ ガの 母親 だっ た︒ ガル ソン に﹁ あの ロシ ア人 達は
︑此 次は どこ へ行 くの でせ う?
﹂と 聞い たら
︑﹁ さ あ︑ 人気 がな いん で︑ ここ で手 離さ れる ぢや あり ませ んか
﹂と 答え られ た﹁ 私﹂ は︑
﹁そ んな はか ない もの で あつ た
﹂と 感 慨 を述 べ
︑﹁ ど こへ ど う 行く の か
︑死 ん だオ リ ガ の唄 ひ と つを た よ り に
︑流 れ て 行 く﹂ こ の 母 親 は︑
﹁ 早く 彼女 もハ ルビ ンへ 帰る とい い﹂ と作 品を 締 め くく っ た︒ オ リガ
︑オ リ ガ と情 死 し た 男の み で なく
︑オ リ ガ の母 親は その 後ど のよ うな 人生 を生 きる のか と︑ 決し て明 る く は ない で あ ろう と い う予 測 を 忍 ばせ な が ら︑
﹁早 く 彼 女も ハル ピン へ帰 へる とい い﹂ とい う結 末か ら︑ オリ ガが 生き られ ない 分を その 母親 がハ ルピ ンで 実現 させ よう とす る希 望そ のも のも 読み 取れ る︒ オ リガ の情 死を ハル ピン の日 本語 新聞 で知 った とテ クス トの
﹁私
﹂は 言っ てい る︒ 当時 ハル ピン で発 行さ れて いた
﹃ 満州 日 報
﹄ を 調 べ た限 り で は︑ 関連 す る 記事 が 見 つ か ら な く︑ フ ィ ク シ ョ ン か ど う か 判 明 が つ か な い が
︑紀 行 文
﹁ 哈爾 濱散 歩﹂ と﹁ 愉快 なる 地図
﹂に 記録 され たハ ルピ ンの キャ バレ ーで 実際 に 出会 っ た 踊り 子
︵ 名 前 は な い
︶ が オリ ガ の原 型 と 考 えら れ る︒ オ リガ も そ の母 親 も 歌 って い る﹁ 私 は処 女 で 憂 鬱な の よ!
﹂ とい う 歌 詞は
︑ハ ル ピ ンで 林 芙美 子が 実際 に見 た踊 り子 も歌 って いる から であ る︒
﹁ 哈爾 濱散 歩﹂ と﹁ 愉快 なる 地図
﹂で は腕 に男 の﹁ イニ シャ ル﹂ 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 一
二つ 三つ の入 れた
﹁い れづ み﹂ をし てい る踊 り子 が描 かれ
︑裸 姿で 踊っ たシ ーン は林 芙美 子に イン パク トを 与え た︒ し かし
︑物 語化 され たオ リガ は実 際に 見た 踊り 子と やや 違う よう に描 写さ れた
︒ 野 原 に 咲 い た 白 い 薔 薇 通 り す が り に 見 は 見 て も 誰 も た お つ て く れ は せ ぬ 私 は 処 女 で 憂 鬱 な の よ オ リ ガ は 唄 ひ な が ら 踊 つ た
︒ 裾 が 長 い の で
︑ ま る で 炎 が 燃 え て ゐ る や う で あ っ た
︒ オ ペ ラ グ ラ ス が カ チ カ チ 鳴 つ た
︒ 見 物 人 は 只 息 を ひ そ め て
︑ オ リ ガ の 唄 を 聞 き
︑ オ リ ガ の 舞 ひ を 見 た
︒︵ 略
︶ 嵐 の や う な 幕 切 れ を 残 し て
︑ 私 は 再 び 町 へ 出 た
︒ も う 二 度 と 来 ら れ な い か も し れ な い ハ ル ピ ン の 街
︑何 か 底 冷 た さ を 感 じ な が ら
︑馬 車 を 呼 ん で 駅 に 行 き
︑大 連 ま で の 寝 台 券 を 買 っ た
︒ 裸 姿を 消去 させ た林 芙美 子の 意図 とし て考 えら れる のは
︑お そら くオ リガ を純 潔な 少女 に造 形し よう とす ると いう こと では なか ろう か︒ だが
︑歌 った り踊 った りす る踊 り子 の身 体は 変わ らな い︑ それ は自 由に 躍動 する 女性 の解 放や 喜び では なく
︑﹁ 一 ドル を握 らせ れば いつ も親 切に パア トナ にな っ てく れ る﹂ と あ る よう に
︑見 物 人の 視 点 には
﹁一 ドル
﹂で 親し くな って くれ る﹁ 商品
﹂︑ そ して
︑﹁ 私﹂ の視 点に は﹁ 底冷 たさ
﹂を 帯び てい る﹁ 生計
﹂︑
﹁ 労働
﹂と して しか 認識 され てい ない
︒﹁ 嵐 のや うな
﹂幕 切れ のあ と︑
﹁私
﹂が 感じ たハ ルピ ンと いう 街の
﹁底 冷た さ﹂ は紀 行文
﹁哈 爾 濱散 歩
﹂に も ほ ぼ同 じ よ うに 書 か れて い る
︒﹁ 私 は処 女 で 憂鬱 な の よ﹂ と歌 う 踊 り 子の 演 出 が 終 わ る と︑
﹁拍 手 の 雨︑ 拍 手の 嵐
︑底 冷 え のす る 屋 外に 出 る﹂ と 林 芙 美子 は 書 いて い る︒ ハ ルピ ン の 踊 り子 の 身 が伝 わ っ てく る
﹁底 冷 たさ
﹂︑
﹁ 底冷 え﹂ は︑
﹃ オリ ガの 唄﹄ にも 照射 し︑ オ リ ガの 哀 れ な転 落 を 予告 し た 表 現と 見 ら れる
︒そ の 日 の夜
︑オ
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 二
リガ は死 んだ ので ある
︒ハ ルピ ンと いう 各国 が権 力を 争う 国際 都市 ある いは その 歴史
・時 代に 潜ん でい る底 辺女 性の 無力 さを 見出 して いる
︒翌 朝︑
﹁ 誰か ホテ ル の 住人 が 死 んだ の で でも あ ら う か﹂ と気 づ い た﹁ 私﹂ は﹁ 森と し て 廊下 にア スタ ー︵ え ぞ 菊
︶ の花 が二 三輪 こぼ れて ゐた
﹂ と 見か けた
︒こ ぼれ た アス タ ー は転 落 し た オリ ガ を 象徴 す る 花で ある こと はま ず理 解で きる
︒ ア ス タ ー︵ え ぞ 菊
︶ は 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 言 説 に も 三 度 現 わ れ て い る︒
﹁ 愉 快 な る 地 図
﹂で は ア ス タ ー を
﹁恋 の 花﹂ と 呼 び︑
﹁哈 爾 賓 散 歩﹂ では
﹁夕 方 の キタ ス カ ヤの 舗 道 は 美し い 娘 であ ふ れ る︑ 軒 並 に ア ス タ ー︵ え ぞ 菊
︶ の 花 を 売る 支 那 人︑ そ れを 買 っ て︑ 一寸 ど の 男に ウ イ ン クし や う か? 十一 時 頃 の 冷た い 石 畳に ア ス ター の 花 が 散 っ て い る﹂ と 表 現 して い る よう に
︑少 女 たち は ア ス ター に 恋 心を 託 し︑ 愛 を求 め た の だが
︑結 局
﹁冷 た い﹂ 石畳 に 散 っ て いる アス ター のよ うに
︑実 現で きそ うも ない 哀れ な運 命が 待っ てい るか もし れな い︒ ここ で︑ 林芙 美子 はそ の理 想の 不可 能性 を容 認せ ざる を得 ない こと を前 景化 して いる
︒ア スタ ーは
﹁恋 の花
﹂と して 位置 づけ られ てい る意 味に おい ては
︑オ リガ の転 落は 恋に よる もの だっ たと いう こと のメ タフ ァー であ ろう
︒ 一 方︑ この 恋が 阻ま れる のは 何よ りま ず︑ ブル ジョ アの フラ ンス 人の 父親 の存 在が あっ ての こと であ る︒ この 男の 父親 に凝 縮し てい るの は階 級的 偏見 と父 性的 権力 であ る︒ 社会 的に 優位 なブ ルジ ョア 家族 とし て︑ 家名 など を望 むた め︑ 息子 と﹁ 踊り 子﹂ との 交際
・結 婚に 反対 する 親の 価値 基準 は︑ そう 珍し いこ とで はな く︑ 社会 常識 の枠 外で もな かっ た︒ この 異身 分同 士の 交際 は︑ 物語 を動 かす 原動 力と はな って いる が︑ 結果 的に 二人 の情 死ま で物 語を 進展 させ る には
︑語 り 手 林 芙美 子 の どの よ う な思 い が 託 され て い るの だ ろ う か︒ さら に
︑作 品 の後 半 に な る と
︑表 題 で あ る
﹁ オリ ガの 唄﹂ が母 親に 歌い 継が れる のは
︑ま た何 を意 味 す るの だ ろ うか
︒ま ず 林 芙美 子 が 置 かれ る 文 壇状 況 を 考え たい
︒ 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 三
四 プ ロ レタ リ ア 文学 に 背 を向 け る ニヒ リ ス ト 周 知の よう に︑ 林芙 美子 は 一九 二 二︵ 大 正 一 一
︶ 年 に 尾 道 市立 高 等 女学 校 を 卒業 し て 単 身上 京 し︑ 明 治大 学 の 学生 にな って いた 恋人 岡野 軍一 と同 棲す る︒ しか し︑ 金持 ちの 岡野 の実 家の 猛反 対に よっ て引 き裂 かれ
︑岡 野は 林芙 美子 と結 婚の 約束 をす るこ とな く故 郷の 因島 に帰 って しま うの であ る︒ 岡野 は︑
﹃ 放浪 記﹄ で﹁ 島の 男﹂ とし て出 てく る︒ 家柄 を重 んじ る旧 家の 厚い 壁の 前で 林芙 美子 の恋 は敢 えな く頓 挫し てし まい
︑社 会的 障壁 と偏 見を 乗り 越え られ ない 点 にお い て は︑ オ リガ と 共 通で あ る︒ 現 実に
︑林 芙 美 子 自身 は そ の波 乱 に 満 ちた 放 浪 人 生 を き っ か け に︑
﹃ 放 浪 記﹄ を創 作し
︑大 衆の 間で 大き な共 感を 呼び
︑流 行作 家と なり
︑そ の印 税で この 中国 大陸 への 旅も 果た した
︒だ が︑ 服部 徹也 が指 摘し てい るよ うに
︑﹁
﹃ くら しに 困ら ない 女の 幸福
﹄の 対極 とし ての
﹃寝 床の ない 女﹄ とい うモ チー フそ のも のに 拘る 芙美 子の 表現 は︑ 人気 の源 とも
︑批 判の 対象 とも なっ てい く﹂
︒ 服 部徹 也は
︑林 芙美 子が プロ レタ リア 文学 陣営 から 批判 を受 けた こと を明 らか にし た︒ 例え ば︑ 神近 市子 は﹁ ドン 底の 人生 を展 開す るこ とは 出来 るが
︑そ の生 活は 全然 受動 的立 場か らで あっ て︑ そこ には 何等 盛上 る力 を示 して はゐ ない
︒﹂
︑﹁ 確か に 林さ ん の 作品 に は 意 志を 欠 い てゐ る
︒彼 女 の 作品 に は 到る と こ ろに 珠 玉 の やう に 光 る詩 が ち りば めら れて ゐる にも 拘わ らず
︑あ るが 儘の 現実 に打 つか つて 行く 力が 欠け てゐ る︒ そこ にプ ロレ タリ ア文 学と して は第 二 位に 置 か れ ねば な ら ない 理 由 があ る
﹂ と林 芙 美 子の
﹁受 動 的﹂
︑﹁ 意 志 を 欠く
﹂側 面 を 批 判し た
︒こ の よう な 批 判 に対 して
︑林 芙美 子は
﹁科 学的 に処 理し てあ る言 葉を 見る と︑ どう にも 動き のと れな い今 の生 活と
︑感 情の ルン ペン さが
︑ま ざま ざと 這ひ 出て 私は 暗く なる
︒勉 強し たい と思 ふ︑ 後か ら後 から
︑と てつ もな くだ らし のな い不 道徳 な野 性が
︑私 の体 中を 馳り まは る﹂ や
︑﹁ あの 女は
︑貴 女は いつ まで も ルン ペ ン でい け な い と云 ふ の です
︒/ そ して
︑勇
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 四
カ ンに 戦 つ て ゐる べ き︑ 彼 も彼 女 も⁝
⁝︒
/彼 い つ こ の白 き 手 のイ ン テ リゲ ン チ ャ!
/彼 女 い つ こ の ブ ル ジ ョ ア 夫 人!
/仲 間同 志で 嫉妬 に燃 えて ゐま す︒
﹂ とい った 反応 を示 した
︒プ ロレ タ リ アー ト の よ うに 勇 敢 に戦 う よ り︑ むし ろ自 分の 体中 に存 在す る﹁ 感情 のル ンペ ン﹂
︑﹁ 不 道徳 な野 性﹂ を表 現し たい 姿勢 が出 てく る︒ こ のよ うな 批判 と自 己主 張が 繰り 返さ れる 中︑ 林芙 美子 は中 国へ 渡っ たの であ る︒ ハル ピン のロ シア 女性 作家 に会 った 時︑
﹁ 今ロ シア で活 動し てゐ る実 力の ある 女流 作 家 は︑ マル エ ツ ター シ ャ ーギ ニ ヤ ン と云 ふ ひ と︑ 詩人 で 長 編作 家で
︑美 術博 士︑ そし て職 業は
︑熟 練紡 績女 工だ と云 ふ︑ なん とこ れだ けの 肩書 きを 聞い ただ けで も︑ 日本 のプ ロレ タリ ア女 性作 家は 腰を 抜か す必 要が ある
︒﹂ と 言い 出し た︒ 文学 的に は 詩 人及 び 長 編 小説 家
︑学 歴 的に は 博 士︑ しか も美 術専 門︑ 実に 多分 野で 活躍 して おり
︑そ して 何よ り︑ 職業 的に は女 工と して 労働 現場 に携 わり
︑自 分を 叩き 上げ てき てい るロ シア の女 性作 家は
︑日 本プ ロレ タリ ア女 性を 凌駕 して いる 林芙 美子 この 評価 も︑ 実は 当時 プロ レタ リア 陣営 との 対峙 背景 があ った のだ ろう
︒最 も注 目す べき なの は︑ この 背景 の も とで
︑林 芙 美 子 はハ ル ピ ンに お い てあ るも のを 求め よう とし た︒ 前掲 の新 聞﹃ 満州 日報
﹄の イン ター ビュ ーに 際し て︑ 彼女 は次 のよ うに 語っ た︒ ロ シ ア の 人 の ニ チ ェ ー ボ 主 義 を は っ き り 意 識 す る こ と が で き ま し た
︒ ど ち ら か と い へ ば
︑ ロ シ ア 人 は 呑 気 大 陸 的 の 気 質 は ど こ に で も 窺 わ れ
︑ フ ァ ン タ ー ジ
︑ ソ ー ン ツ エ の 夜 に 彼 等 の 生 活 が 見 い だ さ れ ま す
︒ ニ ツ ア ー は 噂 さ れ た 程 の も の で 無 く
︑ 寧 ろ 醜 悪 を 演 じ ま し た
︒ ど う し て あ れ が 男 性 に よ い の だ ら う と 思 は れ ま す
︑ 私 は ホ ル シ ェ ビ キ ー
︵ 引 用 者 注
⁝ ロ シ ア 社 会 主 義 左 派
︶ で も な け れ ば ア ナ で も な い ん で す
︒ 人 か ら 何 か と 聞 か れ る と ニ ヒ だ と い ふ だ け で ボ ル の 人 々 が か へ つ て 私 よ り 立 派 な 生 活 を し て ゐ る ん で す か ら 全 く ボ ル は 厭 や で す よ
︒ 林
芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 五
こ こで は︑ 林芙 美子 はま ずロ シア 人の 呑 気 な 生活 を
﹁ニ チ ェー ボ 主 義﹂ とい う よ う に捉 え た︒
﹁ ニチ ェ ー ボ﹂ とは ロシ ア 語﹁
ниче го
﹂ の こと で
︑﹁ ど う でも 構 わ ない
﹂や
﹁た い し たこ と じ ゃ ない
﹂︑
﹁ 気 にし な い﹂
︑﹁ 呑 気
﹂と い った こと を意 味す る言 葉で あり
︑ロ シア 人 気 質 を象 徴 的 に示 す 言 葉で あ る︒ そ し て︑
﹁醜 悪
﹂を 演 じた
﹁ニ ツ ア ー﹂ とは 林芙 美子 が見 に行 った ハル ピン の踊 場の こ と で ある
︒﹁ 哈 爾 濱散 歩
﹂で は﹁ 十 八の ニ ッ ツ ア女 が
︑腕 に は一 九 二 二年 のい れづ みを して
︑男 のイ ニシ ャル が二 ツも 三ツ も﹂
︑﹁ 愉 快な る地 図
﹂で は﹁ 眉 をお ひ そ め にな る 方 があ る か も知 れな いが
︑ニ ッツ ア女 も買 って みま した
︒裸 でみ もみ たい なア ソコ
︑腕 には 緑色 のい れづ みで
︑何 人も の男 のイ ニシ ャ ル︑ かつ ぽ れ も 踊 れ ば
︑さ よ な ら
︑あ り が と う と も 云 ふ﹂ と
﹁ニ ッ ツ ア
﹂で 働 い て い る 踊 り 子 を﹁ ニ ッ ツ ア 女﹂ と呼 んで いる
︒い ずれ もオ リガ の原 型と 考え られ る 存 在 であ る
︒し か し︑
﹁ど う し てあ れ が 男 性に よ い のだ ら う と思 はれ ます
﹂︑
﹁ ボル の人 々が かえ つて 私よ り立 派な 生活 をし てい ゐる んで すか ら︑ まつ たく ボル は厭 です よ﹂ とい うフ レー ズの 裏に また 林芙 美子 のど んな 思い が潜 んで いる ので あろ うか
︒ 当 時 ハ ル ピン に い るロ シ ア 人は 白 系 ロ シア 人︵ 旧 ロ シ ア 帝 国 の 無 国 籍 人
︶ と 赤 系 ロ シア 人︵﹁ ソ ビ エ ト
﹂ 人
︶ が混 在 し てい る︒ 林芙 美子 はこ れら のロ シア 人か ら﹁ ホル シェ ビ キー
﹂
︑﹁ ア ナー キ ー﹂ を 導 き出 し た︒ 彼 女の 意 識 では
︑お そら く﹁ アナ ーキ ー﹂ は無 秩序
・無 政府 状 態 で︑
﹁ ホル シ ェ ビキ ー
﹂は 左 翼思 想
・マ ル ク ス主 義 と 同義 的 で︑ そ れぞ れ白 系と 赤系 に当 ては まり 扱っ てい るの では な い か と考 え ら れる
︒だ が
︑﹁ ク オツ カ の 強 烈な 香
﹂に 浸 って い る ロシ ア情 緒に は白 系か 赤系 を区 別す る手 もな く︑ 全体 的に は享 楽主 義と ニチ ェー ボ主 義が 強く 漂っ てい るよ う見 える
︒無 産で あり
︑労 働 階 級で あ る べ きボ ル は﹁ 立派 な 生 活﹂︵ 享 楽 的 な 生 活
︶ を し て いる の を 見 て︑ 一種 の 相 応し く な い反 感 をそ そ ら れ︑
﹁ 全く ボ ル が厭 や で す よ
﹂と ま で 吐 き 出 し た︒ 貧 困 生 活 を 送 っ て き た 林 芙 美 子 は そ の 文 学 を 自 然 に
﹁ プロ レタ リア 文学
﹂の 範疇 に入 れら れて しま った から こ そ︑ プ ロレ タ リ ア文 学 陣 営か ら 備 え るべ き 戦 う意 志 が ない
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 六
とい うよ うに 批判 を受 けた のも
︑そ の源 に﹁ 貧困
﹂が 関わ って いる
︒目 の前 のロ シア 人の 享楽 的な 生活 はボ ル︑ 更に プロ レタ リア 文学 に対 する あ る反 感 の 裏 返し と も なっ て い る︒
﹁ボ ル
﹂で も な く︑
﹁ア ナ
﹂で も なく
︑﹁ ニ ヒ﹂ で ある と強 調す る口 調に は︑ 林芙 美子 が志 向す る文 学の 方向 性を 内包 して いる
︒ ハ ルピ ン空 間に おい ては
︑享 楽的 に・ ニチ ェー ボ的 に生 活し てい る主 流ス タイ ルの 隅に は︑ 例え ば﹁ ニッ ツア
﹂で 働い てい る﹁ 踊り 子﹂ とい う存 在は 林芙 美子 の目 に特 別に 映っ てい る︒ 彼女 達が 表象 した のは
︑本 国を 持た ず︑ 時々 の状 況に 身を 任せ
︑流 れる よう に希 望な き日 常を 送る 社会 底層 のリ アル な実 体で ある
︒今 を生 きさ えす れば
︑今 日の お金 を稼 ぎさ えす れば いい とい うよ うな 堕落 的な 生活 と言 って もい い︒ 異国 情緒 に溢 れる 西欧 文化 の隅 には
︑時 代の 流れ に身 を任 せた 彼女 たち の流 転の 人生 には 虚無 的︑ 退廃 的︑ 刹那 主義 的特 徴が 潜ん でい る︒ つま り︑ 林芙 美子 はハ ルピ ン空 間を 男女 別に
︑貧 富・ 階級 的に 細分 化・ 再構 築し てい るよ うに 観察 して いる
︒そ の観 察・ 分化 によ り︑ 男性 社 会・ ボル
・ア ナ ー と いう 主 流 空間 の 隅 に運 命 に 翻 弄さ れ た 女性
・踊 り 子 た ちの 存 在 は観 察 主 体で あ る 林 芙 美 子 の
﹁ ニヒ
﹂姿 勢と 共振 する こと にな る︒ 自 らの 生い 立ち を語 る﹁ 一人 の生 涯﹂ では
︑こ の初 め て の 中国 旅 行 につ い て も記 載 が 残 って い る︒
﹁ 日本 の 若 い人 の思 想が
︑す べて 左翼 的で ある 如く
︑上 海の 若い 人の 世界 も︑ 私に は何 故か
︑そ んな 匂ひ のあ るの を感 ぜず には ゐら れま せん
︒日 本で は︑ 文学 常識 と云 ふも のが
︑も う猫 も杓 子も 左翼 的な ので す︒ 一人 の人 間の 主張 する 文学 なぞ と云 ふも のは
︑莫 迦か 狂人 でな いか ぎり は発 表も でき ない やう な︑ そん な日 本の 文学 常識 のな かに
︑私 はた うと うと した その 流れ から はず れて
︑暗 澹と した 道を のみ 選ん でゐ まし た︒
﹂ プロ レタ リア 文 学 に対 す る 心 理的 葛 藤 は中 国 の 旅を 貫い てい るこ とが 分か る︒ 主流 のプ ロレ タリ ア文 学・ 左翼 思想 と︑ それ に排 斥さ れて いる 自分 の暗 澹と した 道は
︑ハ ルピ ン空 間に も引 き裂 かれ て照 射し
︑林 芙美 子は 明確 に﹁ ボル
﹂へ の嫌 悪感 を表 し︑ 更に
﹁ニ ヒ﹂ とい う自 己姿 勢を 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 七
表明 した
︒
五 転 落 から 希 望 へと
│
│﹃ オリ ガ の 唄﹄ と ニ ヒリ ズ ム
﹃オ リガ の唄
﹄に おけ るオ リガ の死 の設 定を 改め て考 えて いこ う︒ ブル ジョ アの 相手 側の 家庭 とい う障 壁に 向か い︑ オ リガ は そ れ と戦 う 道 を 選 ぶ こ と が な く︑ 正 反 対 の 道 で あ る
﹁死
﹂を 選 択 し た の は
︑プ ロ レ タ リ ア に 背 を 向 け て︑
﹁ ニヒ リズ ム﹂ に傾 斜す る表 れで はな いか と思 われ る︒ プロ レ タ リア 女 性 作家 の 平 林た い 子 は プロ レ タ リア 女 性 の使 命と もい うよ うな こと を﹁
﹃ 資本 主義 的諸 制 度﹄ を 破壊 す る こと に よ って の み︑ 貧 困 から も
︑無 智 から も
︑不 健 康か ら も︑ 戦 争 か ら も
︑売 笑 か ら も
︑男 性 の 横 暴 か ら も︑ 逃 れ る こ と が で き る と 信 じ ま す﹂ と 主 張 し て い る︒ 支 配 階 級・ ブル ジョ ア階 級を 破壊 する こと は女 性プ ロレ タリ アー トの 行く べき 道で ある
︒し かし
︑オ リガ が完 全に その 道に 背を 向け
︑﹁ 死
﹂を 選ん だと 設定 した 林芙 美 子 は︑ むし ろ
﹁没 落﹂ と いう ニ ヒ リス ト の 姿 勢を 端 的 に見 せ た︒ 岩 波哲 男は ニー チェ の著 作・ 遺稿 にお いて 最初 にニ ヒリ ズム
︵ ニ ヒ リ ス ト
︶ と いう 言葉 が登 場す るの は︑ 事 態 が う ま く 行 か な い と き に ル タ ー の 慰 め の 言 葉 は
﹁ 世 界 の 没 落
﹂ と い う 言 葉 で あ る
︒ ニ ヒ リ ス ト た ち は 哲 学 者 と 言 え ば シ ョ ー ペ ン ハ ウ ア ー で あ っ た
︒ 極 端 に 行 動 的 な 人 々 は す べ て
︑ 自 分 た ち の 意 志 を 実 現 す る こ と が 不 可 能 だ と 知 る と
︑ 世 界 を 粉 々 に し た が る
︒ であ ると 論じ てい る︒ 現実 にど うし ても 乗り 越 え ら れな い 局 面に 直 面 した と き︑
﹁ 没 落﹂ の道 を 選 ぶの は
︑ま さ にオ リガ の運 命で はな かろ うか
︒﹃ オ リガ の唄
﹄︵ 一 九 三 一 年 六 月
︶ の創 作と ほぼ 同じ 時期 の言 説﹁ 広い 地 平 線﹂︵ 一 九 三 一 年 七 月
︶ の中 に︑ 林芙 美子 はよ り明 確的 に自 分の 創作 姿勢 を述 べた
︒や や長 いが
︑引 用し てみ る︒
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 八
私 の 作 品 は プ ロ レ タ リ ア 文 学 の 第 二 位 に 置 か れ る と 云 ふ 事 で あ る が
︑ 私 は プ ロ レ タ リ ア 文 学 と 云 ふ も の に 反 抗 を さ え 持 つ て ゐ る
︒ ま し て プ ロ レ タ リ ア 文 学 と し て 旗 を 挙 げ た こ と は な い
︒︵ 中 略
︶ 又
︑ あ る が ま ま の 現 実 に ぶ つ か つ て 行 か な い と 云 は れ る が
︑ 私 は こ の 言 葉 を サ ラ リ と 彼 女 氏 に 返 上 し た い と 思 つ て ゐ る
︒ 一 人 の 視 野 の 風 景 が
︑ 万 人 の 視 野 を 代 表 す る も の で は な い
︒ 私 は 私 自 身 あ る が ま ま の 現 実 に ぶ つ か つ て あ る が ま ま の 姿 と 取 り 組 ん で 書 い て ゐ る つ も り で あ る
︒ 私 は
︑ 私 の 文 章 の 中 に
︑ し ば し ば 奇 妙 な 言 葉 を 発 見 す る
︒ そ し て
︑ 非 常 に 生 臭 い ニ ヒ リ ズ ム を 持 つ た 行 間 を 組 み 立 て る
︒ そ れ 故 に 或 る 時 は ル ン ペ ン と 見 ら れ
︑ 意 志 が な い と 見 ら れ
︑ 現 実 か ら 逃 避 す る と さ え 見 ら れ る の か も 知 れ な い
︒ 私 は 非 常 に 恥 づ か し い ニ ヒ ル 賛 美 者 で あ る
︒︵ 中 略
︶ 私 に は
︑ プ ロ レ タ リ ア 政 治 文 学 の や う な 作 品 は
︑ ど う と ん ぼ 返 へ り し た つ て 書 け そ う も な い
︒ 私 は
︑ 私 の 通 ほ つ て 来 た
︑ 貧 し い 世 界 を
︑ 郷 愁 を 持 つ た 筆 で
︑ 真 面 目 に 書 い て 行 き た い
︒
﹁私 の作 品﹂
│
│﹃ 放 浪記
﹄で 受け た批 判に 直面 し︑ 明確 に自 らの 文学 理念 を掲 げた この
﹁広 い地 平線
﹂は
︑そ のタ イト ルが 意味 して いる よう に︑ 文学 とし て︑ プロ レタ リア 文学 のみ でな く︑ 多面 的許 容性 を持 つべ きだ とい う林 芙美 子の 思考 と主 張を 強く 示し てい る︒ また 最後 に﹁ 通ほ って 来た
︑貧 しい
﹂世 界を
﹁郷 愁を 持っ た﹂ 筆で
︑創 作を 続け ると いう 態度 がは っき り示 され てお り︑ ハル ピン で命 を閉 じた オリ ガの 運命 はま さに この 理念 の実 践で はな いか とあ えて 考え たい
︒ た だ︑ ニヒ リズ ムは 完全 に没 落し
︑完 全に 消滅 す る わ けで は な い︒ 気多 雅 子 が指 摘 し た よう に
︑﹁ ニ ヒリ ズ ム の経 験に は激 しい 欠如 の自 覚が 存し
︑そ のこ とが 経験 をし たも のに 自ら の生 存を 賭け て生 存の 無意 味性 を問 い窮 める こと を余 儀な くさ せる
︒し かし
︑問 いの みが 差し 迫っ て問 われ
︑答 えは 決し て与 えら れず
︑解 消さ れる こと のな い無 量の 疑念 がわ んわ んと 世界 を圧 して 鳴り 響く 中で
︑生 存を 賭け た問 い窮 めは 虚し く疲 弊し てゆ く︒ その 点で は︑ ニヒ リズ 林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
三 九
ムの 経験 はそ こか ら救 済を 必要 とす るも ので ある
﹂
︑ニ ヒリ ズム に は︑
﹁ 生存 を か け て問 い 極 める
﹂結 果
︑救 済 は必 要と なり
︑同 時に 救済 も求 めら れる
︒オ リガ の母 親が 舞台 に立 ち︑ オリ ガの 唄を 歌い 継ぐ シー ンか らは
︑林 芙美 子の 放浪 時代 に母 親で ある 林菊 との 精神 的な 絆が 強く 連想 させ られ るほ か︑ 同時 に︑ オリ ガ親 子の 究極 的な 救済 の位 相と 希望 その もの も確 認す るこ とが でき るで あろ う︒ 結
び 中 国 の 古 典な ど を 求め て 実 現し た こ の 中国 旅 行 に際 し て︑ 林 芙美 子 は ハ ルピ ン で 意外 に 中 国以 外 の も のを 収 穫 し た︒ ハル ピン は彼 女に とっ て︑ 一体 何を 意味 する 空間 かと いう と︑ ツー リス トと して の異 国情 緒へ の憧 れ︑ それ から ルン ペン 性に よっ て ある 連 帯 感 の構 築
︑そ し て何 よ り も注 目 す べ きな の は︑ 踊 り子
︵ ア ス タ ー
︶ の 転落 に よ って
︑支 配階 級ブ ルジ ョア を破 壊す るプ ロレ タリ ア文 学に 背を 向け
︑ニ ヒリ スト とし て︑ 屈辱 を内 面化 し︑ 貧困
︑郷 愁の 世界 を真 正面 から 創作 して いこ うと する 姿勢 を再 確認 する 場所 では ない かと まと めら れる
︒ 後 年の 名作
﹃浮 雲﹄ が行 き着 いた 世界 は︑ 何と 暗く て絶 望的 であ ろう か︒ ゆき 子は 屋久 島の 雨の 降り しき る中
︑誰 にも 看取 られ ずに
︑独 り死 ん で い く︒
﹃浮 雲
﹄の
﹁あ と がき
﹂に
﹁一 切 の 幻滅 の 底 に 行き 着 い て︑ そこ か ら︑ 再 び萌 え出 るも の︑ それ が︑ この 作品 の題 目で あり
︑﹁ 浮 雲﹂ とい う題 が生 ま れた
﹂ と林 芙 美 子 は述 べ て いる
︒結 局 悲 しい 世界 とい う﹁ 幻滅 の底
﹂に 行き 着い てし まう 虚無 感が 存在 する と同 時に
︑そ こに は﹁ 新し く萌 え出 るも の﹂ を待 ち望 ん でい る 林 芙美 子 の 祈 りが う か がえ る
︒瀕 死 のゆ き 子 を 眼前 に
﹁も う 一度
︑我 々 を 誕生 さ せ て くだ さ い﹂ と 独 白し た富 岡の 言葉 には
︑虚 無の 奈落 から 抜け 出そ うと あが く富 岡の 期待
︑そ れと 己の 業か らの 超越 を希 求す る戦 後の 林芙 美子 の祈 りが ある に違 いな い︒
林 芙 美 子 の ハ ル ピ ン 空 間
四
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